ポッポくん




 大きな大きな木の上の、クラボのつるの巣の中で、生まれてまもないポッポくんは、お母さんとなかよく暮らしていました。
 そんなある日のことです。お母さんは、ポッポくんに言いました。
「そろそろあなたにも、空の飛び方を教えないといけませんねぇ。」
 それを聞いたポッポくんは大喜び。
「ぼくもお母さんみたいに、空が飛べるんだね!」
 ポッポくんは、うれしさのあまり羽をぱたぱたさせました。ポッポくんは、大空をかけるお母さんの姿に、とても憧れていたのです。
「でも、空を飛ぶには、練習をしなくてはなりませんよ?」
 お母さんはそう言うと、巣のふちに立ちました。
「こうして大きく羽を広げて、空を見るの。そうしたら、羽をたくさん動かして、さっと飛び出すのよ。今、お母さんがやってみせますからね。」
 お母さんは、今言ったように、羽を広げて胸を張りました。そして、ばっさばっさと大きく羽を動かすと、さっと空に飛び立ちました。
「わぁ、すごい!」
 ポッポくんは、つぶらな瞳をきらきらと輝かせてお母さんを見つめました。お母さんは空にくるりと円をえがくと、ゆっくりと巣にもどってきました。
「お母さんは、飛ぶのがとっても上手なんだね!」
「じきにあなたも上手になりますよ。」
 お母さんはゆっくりと息を整えると、巣の外にあるりんごの木を示して言いました。
「あそこにりんごの木が見えるでしょう? あのりんごの木まで行けたら、今日の練習はそこまで。巣にもどっていらっしゃい。」
 ポッポくんは「はーい。」と大きく返事をすると、巣のふちに立って、羽を大きく広げました。そして、羽を一生懸命動かすと、さっと、巣から足を放しました。
 ポッポくんは必死になって羽を動かしました。もしかしたら、地面に落ちるかもしれないと思っていたのです。
 気がついたときには、ポッポくんは風にのって飛んでいました。空から見える世界は、ポッポくんが思っているよりも広く、何もかもがきらめいて見えました。クラボの巣で見る景色とは、それはもう大違いです。ポッポくんはなんだかうれしくなって、お母さんがやっていたように、空に円をえがいては、ポッポッポッと声を出して笑いました。
 そのうち、ポッポくんは、お母さんの言っていたりんごの木にたどりつきました。
「なんだか、どこまでも飛べる気がするぞ! 今ならきっと、このりんごの木の向こうの世界も見てこられる! 行けるぞ!」
 ポッポくんは空を飛ぶのはとてもおもしろいことだと思いました。そして、巣とは反対のほうを見ました。
「ちょっとだけ、ちょっとだけなら……。」
 そう言うと、ポッポくんは、りんごの木から飛び立ちました。


 ポッポくんを見送ったあと、お母さんは、ポッポくんがとても心配になってきました。なにせ、今まで、ポッポくんを巣の外に行かせたことはありませんでしたし、なにより空を飛ぶことは、ポッポくんが考えているよりもずっと疲れるものなのです。
「あの子、大丈夫かしら……。」
あの知りたがりのポッポくんのことです、多少の道草は食ってくるでしょう。もしかしたら、疲れよりも楽しさのほうが勝ってしまって、自分が疲れていることに気がつかないかもしれません。
 そう思うと、お母さんはいてもたってもいられなくなってしまいました。大きく羽を広げると、お母さんはポッポくんを探しに行きました。


 ポッポくんがお母さんとの約束をやぶって、りんごの木の向こうのほうまで飛んでいくと、前に大きなブナの木が見えてきました。さすがに少し疲れていたポッポくんは、その木に止まって、ひとやすみすることにしました、
「ずいぶん遠くまで来たんだなぁ。」
 ポッポくんは、自分が今飛んできた空を見つめて言いました。本当は、巣からそんなに離れてはいなかったのですが、今まで巣から出たことのなかったポッポくんにとっては、とても長く感じたのです。
「そろそろおうちに帰らなきゃ。お母さんが心配しているかもしれない。」
 ポッポくんがそう言って飛び立とうとしたときでした。
「おまえ、勝手にオレ様の木にとまったな……!」
 後ろから、怖くて低い声が聞こえたかと思うと、ポッポくんはいつのまにか地面に落ちていました。一瞬のことで、あまり状況がのみこめていないポッポくんの前に降りたったのは、一羽のオニドリルでした。
「おまえ、あのピジョットんとこのポッポだな。まぁ、どうでもいいが……早いとこどこかに行ってくれないか? このブナの木は、オレたちオニドリルのなわばりなんだ。」
 いつのまにかポッポくんは、たくさんのオニドリルに囲まれていました。このままここにいたら、今にも襲われてしまいそうです。ポッポくんは急いで羽を動かして、その場を離れました。
 しかし、なんということでしょう! あんまり慌てて飛びだしたせいで、ポッポくんは、自分が今、一体どこにいるのか、わからなくなってしまったのです!
「……ここは、どこだろう。」
 ポッポくんは、だんだん不安になってきました。このままでは巣に帰ることができません。まわりを見まわしても、不安がつのるばかりです。ポッポくんは、今にも泣きそうな顔をして、これからどうしたらいいか考えました。
 そんなときです。後ろから、急に声がしました。それも、ポケモンの声ではありません。ふりむくと、そこには一人の少年が立っていました。手には赤い機械を持っています。
「No.016、ポッポかぁ。まだつかまえてないなぁ。」
 ポッポくんは、とっても嫌な予感がしました。あれは、人間です。ポッポくんは、前にお母さんが言っていたことを思い出しました。

「人間には近づいてはいけませんよ。あなたは覚えていないかもしれないけど、あなたのお父さんは、私たちを守るために、人間につかまえられてしまったのです。特に、赤と白のまぁるいボールには、気をつけなくてはなりませんよ。あのボールに当たってしまったら、もうここには戻ってこれませんからね――」

 ポッポくんは、すーっと背中から熱が失われていくのを感じました。このままでは、きっとつかまえられてしまいます。少年は、赤い機械をポケットにしまうと、腰から何かを取り出しました。

 赤と白のボールです。

 ポッポくんは、すぐに羽を広げて、飛ぼうとしました。でも、羽が上手に動いてくれません。少年はゆっくりとこちらに近づいてきます。焦れば焦るほど、羽は思うように動いてくれません。
「どうしよう。どうしよう。」
 このままつかまってしまったら、もうお母さんに会うことはできません。あの、クラボのつるでできた巣にも、帰ることはできません。
 少年が、ボールをかまえてこっちをうかがっているのが見えます。どんなに羽を動かしても、少し風が起きるだけで、空に飛び立つ気配はありません。あの、空を飛ぶときのふわっとした感じが、全くないのです。
「いけ! モンスターボール!」
 少年が、大きくふりかぶって、ボールを投げました。
 ポッポくんは、ありったけの力で、羽を動かしました。
 ボールは、刻一刻と近づいてきます。
 それでも、ポッポくんの足は、地についたまま離れません。

 とうとう、ボールが、ポッポくんの羽に当たりました。

 もうダメだ、つかまった……


 つかまっ……た?



 ポッポくんに当たったボールはゆっくりと宙を舞うと、ぽてん、とん、とん、と地面に落ちました。
 ポッポくんは、その光景を、目を丸くして見ていました。

 そう、ポッポくんはつかまっていなかったのです。

 あのとき、ポッポくんは、必死に羽を動かしていました。そこに、タイミング良くボールが近づいてきたものですから、ボールを無意識にはじき返してしまったのです。
 少年は、口をあんぐりとあけて、はじき返されたボールとポッポくんを交互に見ていました。ポッポくんも、しばらくはぽかんとしていましたが、はっと我に返ると、急いで近くの草むらに、ぴょこぴょこと跳ねるようにして逃げ込みました。
 少年が、「あっ。」と声を上げるころにはもう、ポッポくんは、草むらの中に身をひそめていました。少年は、「そんなのアリかよ!」と言い残すと、はじき返されたボールを拾って、足早に去っていってしまいました。
 助かった、とポッポくんは思いました。でも、緊張の糸がゆるんだとたんに、どっと疲れが増したように感じました。
 ポッポくんはとりあえず道に出て、できるだけ端っこを、ぴょこぴょこ歩いていくことにしました。
 しばらく歩いていると、前に、緑色の小さなかたまりが見えました。近づいてみると、それは、一匹のキャタピーでした。
「ねぇ」
 ポッポくんは、迷わずキャタピーに話しかけました。キャタピーは、ゆっくりとこちらを向くと、ポッポくんの顔を見たとたんに走り出しました。と、言っても、ポッポくんにとっては、キャタピーがゆっくりうにょうにょ動いているようにしか見えませんでしたが。
「ねぇ、どうしたの?」
 ポッポくんは、一生懸命に走るキャタピーの後ろをついてまわりました。キャタピーは、ポッポくんが、逃げても逃げても追いかけてくるので、あきらめたように立ち止まり、ポッポくんを見ました。
「だって、きみはぼくをつかまえるつもりなんだろう?」
「ちがうよ。ぼく、人間じゃないもの。ぼくね、今日はじめて巣の外に出たんだ。そしたら、おうちに帰れなくなってしまって……。きみ、ぼくのおうちを知らない?」
 キャタピーは、少しため息をついて言いました。
「今日はじめて巣の外に出たやつの巣を、ぼくが知っているはずがないじゃないか。なにか目印はないの? 巣の近くにある何かとか……。」
 キャタピーの言うとおりです。キャタピーが、今日はじめて巣の外に出たポッポくんの巣を知っているはずがありません。ポッポくんは何か目印はないかと必死に考えました。
「そうだ! 近くに大きなりんごの木があるんだ!」
 それを聞いたキャタピーは、「あぁ。」と声をあげました。
「それなら、ここを東に行ったところにあるよ。でも、とても遠いんだ。歩くと三日くらいかかるよ。」
 それは、キャタピーの歩くのが遅いからでしょう。しかし、ポッポくんにはもうそんなことは聞こえていませんでした。なぜって、それは……
「ねぇ、東って、なーに?」
 東がいったいなんなのかさえ、わかっていなかったのですから。


 もうすぐ日が落ちます。お母さんは必死にポッポくんを探していました。巣からりんごの木までは、ほんのちょっとしかありません。それなのに、こんなに帰りが遅いなんて、悪いことがあったとしか考えられません。お母さんは、いろんなポケモンに、ポッポくんを見なかったかと聞きました。それでも、首をたてにふったポケモンは、一匹もいませんでした。
 ポッポくんを探しているうちに、お母さんはりんごの木のところまで来ていました。
「どうして一羽だけで行かせてしまったのかしら……。」
 お母さんは、あのとき自分だけ巣に残ってポッポくんを見送ったことをひどく後悔していました。あのとき自分も一緒に行っていれば、こんなことにはならなかったのです。
 お母さんは、すがる思いでりんごの木の下を探しました。それでも、ポッポくんは見つかりません。
 すると、西のほうから、だれかの大きな影が伸びてくるのに気がつきました。ぴょこぴょこ、ぴょこぴょこと、力なくこちらにやってきます。お母さんはその影の主にかけよりました。
 そう、それはポッポくんだったのです。
「……お母さん?」
「もう、どこ行ってたの……!」
 お母さんは、ふわふわの羽でポッポくんを包み込むようにだきしめました。小さな羽には砂がつき、足はがくがくとふるえています。お母さんはポッポくんをさらに強くだきしめました。
「あなたのことが心配で、ずっと探していたんですよ。」
「……ごめんなさいっ!」
 ポッポくんは、小さな瞳から大粒のなみだを流してお母さんにあやまりました。その声は、とてもかすれていて、今にも消えてしまいそうでした。
「ほら、お母さんの背中にお乗りなさい。巣まで、おぶっていってあげますから。」
 お母さんは、ポッポくんが背中に乗ったことを確認すると、大きく羽を広げて、夕暮れの空に飛び立ちました。今にも眠ってしまいそうなポッポくんは、静かにお母さんの背中に顔をうずめました。

「ねぇ、お母さん。」
「なぁに?」
「お母さんの背中、あったかいね。」
「……そうねぇ。」
 あなたが本当に巣から飛び立つのには、まだまだ時間がかかりそうねぇ。
 お母さんは、心の中でそうつぶやくと、ふわっと優しくほほえみました。

 背中で輝く太陽が、ゆっくりと、でも確実に、落ちていくのを感じながら……





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