こなゆ。




「我の子を孕んでくれぬか?」

 ある夏の放課後、夜遅く、一人の女子高生が白金色に染まりし一匹の九尾のポケモン――色違いのキュウコンに出逢い頭、そんなことを言われた。
 これは空耳だ。きっと自分は疲れているのだ。そうに違いない、きっとそうだ。人間の言葉をしゃべられるポケモンというだけでも驚きものなのに、更にそのキュウコンが放った言葉は信じられないものであった。
 出逢って最初の一言が『子を産め』ですか、そうですか、うん、やっぱりきっと自分が疲れているだけなんだ、最近暑いし……きっと暑さにやられたんだ、と彼女は自分に言い聞かせていた。 
 そんなことをブツブツ呟いている間にも、件のキュウコンは彼女に歩み寄ってくる。
 よく分からないけど、逃げよう。なかったことにしよう。見なかったことにしよう。そう決めた彼女はさっさと踵を返して、その場を離れようとした。
 今の時間帯――こんな夜遅い時間、昼間も人通りの少ないこの路地を歩いている人は彼女以外に誰もおらず、近くに何軒か家が林立しているが……ここで声を上げたら、いきなりさらわれるかもしれないと懸念した彼女は、一人でこの場を乗り切ろうとした。
 彼女が早歩きで前を進む、キュウコンが横について来る。
 その狐の素早さに驚く彼女に対して、キュウコンは顔を見上げ、ニヤリと口元を歪ませた。

「なるほど、桃色――」

 スカートの中を覗かれた――彼女の回し蹴りがキュウコンの顔に向けられて、そして、空を切った。
 頭から疑問符を打つ彼女が下を向くと、そこにはうつ伏せで倒れている件のキュウコンがいた。
 おかしい、攻撃は当たっていないはずだ、どうしてだろうと彼女が考えていると――。

 気の抜けるような音がキュウコンの腹から鳴り響いた。

「……帰るか」 

 放っておけばいい、変態狐なんぞ無視すればいい、腹が減ったなど知ったことか、そこで餓死になったらなったでそれは自業自得なわけで自分には何にも関係は――。

 再び、気の抜けるような音がキュウコンの腹から鳴り響いた。

「……しょうがないなぁ、もうっ」

 なんで、こんなキュウコンなんかに情けをかけようなんて思ったのか分からなかったが、まぁ、このまま放置プレイをしてこのキュウコンが死んだとき、自分の所に化けて出てこられても困る……ということにしておいて、彼女はキュウコンを連れて帰ることにした。
 キュウコンのもふもふとした体毛が彼女の背中を包んでいく。
 約二十キロあるはずのキュウコンを軽々と担いだ彼女は自分の家に向かって、再度、歩き始めた。
「それにしても……このキュウコン、本当にしゃべったのよね……?」
 今でも信じられないと言わんばかりの顔を月に見せた、彼女であった。


 
 カゴメタウンの外れの方にある、屋根が赤い二階建ての家が一軒。
 その家の一室――キッチンでグツグツと何かを煮込んでいる音が響き渡る。香ばしいその匂いにキュウコンが目を覚ました。
「ここは……?」
「あ、ようやく起きた。今、メシ作ったから……ポケモンに食べさせてもいいものか分からないけど」
 そう言いながらセーラー服の上にマリル柄のエプロンをかけている彼女はフライパンから皿へと料理を盛り付け、キュウコンの元へと持っていく。赤みを帯びたとろみのあるスープの中に炒めたひき肉と白い豆腐が浮かんでいる。キュウコンが興味津々に皿の中を覗きこんだ。
「ほう……これは?」
「マーボー豆腐。とりあえずポケモンフーズはないし、冷蔵庫にあったもので作ったわけ」
「ほうほう、どれどれ……」
 キュウコンがマーボー豆腐に口をつけると、その辛さに一瞬驚いたのか目を大きく開かせたが、それ以降は美味しそうに夢中で食べていた。
「ぷるぷるな豆腐に……もぐもぐ……うむ、もぐもぐ……」
「…………」
「もぐ……ん? どうした? 食べる我の姿に惚れたのか?」
「いや……本当にしゃべってるんだなぁって思って」
「珍しいか?」
「そりゃあ、まぁ……あ、まさかどこかに機械があって、遠くから誰かがしゃべっているなんてないでしょうね?」
「ははは! 面白いな。我はカラクリ人形ではないぞっ! アハハハ! って、こひゃ、ひゃめぬか」
 彼女の懐疑的な意見に面白おかしく笑うキュウコンに、とりあえずは本物なのだろうと、おもむろに伸ばした手でキュウコンの頬を伸ばしたりして彼女は思った。世の中不思議なこともあるもんだなぁという解釈にしておこう。深く考えたら疲れそうだと彼女はやがてキュウコンの頬から手を離した。やれやれと言いながらキュウコンは再びマーボー豆腐に手をつけ、間もなく完食した。 
「ふぅ……馳走になった」
「お腹いっぱいになったかしら?」
「うむ、我は大いに満足した」
「そう……なら」
 彼女はニコリと笑みを浮かべながら立ち上がると、こう言い放った。
「さっさと帰りやがれ☆」
「なぬ!?」
 いきなりの帰れコールにキュウコンが不服を申し立てる。
「これからがお楽しみではなかったのか!?」
「やっぱり……あれは空耳じゃなかったんだ……あははは……――ざけんなよ、変態狐が」
「変態は認めるが、何もしないで帰るなど――」
「うっさい! メシを食わせてもらっておいてアホか、アンタは!」
 彼女が正論の怒号を放つと、キュウコンも流石に分かったようなのかどうかは分からないが「……うむ。分かった」と寂しそうに言うと踵を返し……家から出ようとして、再び彼女の方に振り返る。もしかしてフェイクで襲い掛かるつもりかと彼女は身構えたがどうやら違うようだった。
「せめて……名前だけでも聞かせてはくれんか?」
「……それ聞いたら絶対に帰るって約束できる?」
「うむ……しよう。至極残念無念だが」
 この変態狐、懲りてねぇ……そう心で悪態をつきながらも面倒くさいのはゴメンだった彼女はさっさと名前を教えることにした。
「鈴白こなゆ」
「こなゆ、か……ふふふ、そうか。こなゆか……」
「何笑ってんのよ」
 キュウコンがほくそ笑みを見せたので、馬鹿にされたのかと思った彼女――鈴白こなゆは眉間にシワを寄せてキュウコンを睨みつけた。その彼女の声にキュウコンの方は「いや、なんでもない」と一言だけ残すと、キッチンから去っていった……玄関からガチャンという音が立ったことから無事に外へは出られたようである。
 キッチンに一人残ったこなゆは呆然と立ち尽くしながら、キュウコンが去って行った方を見やった。まさか童話によくありそうな狐の恩返しとかあったりするのか……いやあの変態狐のことだ、絶対いかがわしい内容に違いない、そうに違いない。
「恩返しとかなんか変なこと考えなくていいから。マジで」 
 
 
 
 その日の不思議な出逢いから翌日のこと。
 こなゆが住む家の一室にある風呂場からシャワーの音が響いている。立ち込もる煙の先では、こなゆのしなやかなの肢体が健康的な肌色を見せていた。腰まで垂らした亜麻色の髪、細い腕、引き締まっているお腹、程よく膨らんでいるお尻、柔かそうな太もも、そして胸の丘陵の先には桃色の宝石二つ――。
「……じゅるり。上から八十五、五十三、八十三……胸は美乳……」 
 風呂場の外、流し場から覗いているキュウコンが一匹、涎をポタポタとだらしなく垂らしていた……そんな折だった。思いっきり風呂場の扉が開いたかと思いきや、彼女がオニゴーリのような形相をしながら木製の桶を持って現れた。
「はっ……」
「なに覗いてんのよ……!」
「いや、ちょっとばかり見張りをしていて、な」
「こんのぉ、変態狐がぁああああ!!」
 こなゆが桶を下から振り上げて、キュウコン――変態狐のあごにヒットすると、変態狐が空中に浮かぶ。休む暇なく彼女は渾身の蹴りを一発、急所にぶちこむと、変態狐は見事に後ろへと飛ばされたのであった。息をハァハァと荒く吐きながら全裸の彼女はぐったりとしている変態狐を睨みつける。おかしい……両親は旅に出ていて帰ってこないから家に帰った後はちゃんと戸締りをしているはずなのに。この変態狐はどこから侵入したのだろうか……。いや、その前に言いたいことが一つ、こなゆにはあった。
「恩を仇で返すんじゃねぇよ……! このど変態!」

 

 不法侵入及び風呂場での覗き見事件の後、気絶していた変態狐は目を覚ました。目の前にはこなゆが小豆色のジャージ姿に加え、右手にフライパン、左手に包丁を持ちながら仁王立ちしており、更には自分がしめ縄でぐるぐる巻きにされていることに気がついた。何故だろうか変態狐は何かを期待するかのように赤い双眸をらんらんと光らせる。
「……なるほど、そういうのが趣味か――」
「んなわけあるかっ!!」
 フライパンから繰り出されるハエ叩きの要領よろしくの一撃に、変態狐の顔が一瞬歪んだ。ぐわぁああんという音に似合うほどの歪みっぷりである。
「うむ。いい一撃だ」
「鼻血垂らしながら真顔で言うなっ!」
 このまま夫婦漫才のようなことを続けてもしょうがないので、こなゆは「何のつもりよ、変態狐」と尋ねると変態狐は「ふむ」と一拍置いてから答えた。
「かれこれ十日間ほど……アピールをしていたのだが、とうとう我慢できなくてアプローチとやらに」
「……それって私の後をついてきていたってこと?」
「いかにも」
「ストーカーで訴えるぞ、コラ」
「いや、最近は物騒だろう? 送り狐という感じで無事に家まで送ろうと……素敵だと思わぬか?」
「それ言うなら送り狼でしょ、アンタの場合は……!」
 立場というものを分かっていない様子の変態狐にこなゆの怒りのボルテージが徐々に上がっていき、とうとう「狐鍋っておいしいかしらね……?」と言いだす始末。鋭利に輝く包丁に流石の変態狐も「待て待て、落ち着け、な? な?」と慌てるのであった。
「ゴホン! これにはちゃんとした理由があるのだ……理由がな」
「……理由って特にないでしょ」
「あるのだ!」
「…………そこまで言うなら聞いてあげてもいいけど、変な理由だったらすぐにさばくからね」
「まぁ、ちょっとした昔話を聞いてもらわなければいけないのだが……」
 変態狐の赤い双眸が先程とは違い真剣な光を放っている、それをなんとなくだが感じたこなゆはとりあえず話を聞いてあげることにした。
 ただし、包丁装備は怠らず。



 むかしむかしのこと。
 とある地方の小さな国――籠目の国と呼ばれし場所に狐那由姫(こなゆひめ)という美しい娘がおったそうな。
 地に届くかと思われる程の長い長い亜麻色の髪。
 淡雪のように触れたら溶けてしまいそうな白い肌。
 男達はその美しさに溺れてしまい、我と! 我と! そう言いよる者も珍しくなかった。
 しかして、その心は凛としていた狐那由姫の前に落とせる男は一人もいなかったのであった。
 さてさて。
 ある日のこと、一匹の白金色に染まりし九つの尾を持った古狐が籠目の頭首の夢枕に立って、こう言ったそうな。
 我は白金ノ九尾狐、娘を一人、我に捧げよと。
 この知らせを受けた籠目の頭首は娘達を集め、くじ引きでその生け贄の役を決めた。
 それにはもちろん狐那由姫も含まれていた。
 そして狐那由姫はアタリを引いてしまったのであった。 
 さぁさぁ。 
 その白金ノ九尾狐の元に向かった狐那由姫はそこで大きな話を聞かされたそうな。
 この籠目の近くにある深い洞穴に巣くう氷ノ魔竜を倒すべく力を貸してくれと。
 その狐の話によるとなんでもその氷ノ魔竜が近い将来、籠目の国を襲うとのこと。
 それが起こる前に氷ノ魔竜を封じ込めようという話であった。
 ならばならば。
 喜んで力を貸そうではないか、それでどうすればいいと狐那由姫は尋ねたそうな。
 そして白金ノ九尾狐はこう答えた――。



「…………つまり。それで、国は救われて、めでたしめでたし……と」
「そうだ。中々素敵なわらしべであろう? そしてそなたの前世は狐那由姫なのだ」
「さ〜て……と。狐鍋のベースになる素は何がいいかしら」
「ちょっと待て!? 感動しなかったのか!?」
 その言葉に「感動するわけあるか!」と、こなゆは言い返した。こんな変態狐にまともな話を少しでも期待していた自分が馬鹿だった……と、こなゆは自分にそう言い聞かせていた。そう言い聞かせて……そう言い聞かせて謎の衝動から目を離そうとした。何故か、他人ごとじゃないような気がする……そんな不思議な感覚にこなゆは襲われたのである。内心ではそのように困惑しているこなゆをよそに変態狐は焔一つ吐き、自身を束縛しているしめ縄を燃やし崩すと、「とりあえずその物騒なものを置こうか」とこなゆの手にある包丁を飛ばそうとしたときだった。
「なぬ?」
「ちょ、きゃ……!?」 
 変態狐の足が滑り、その勢いのままこなゆを床に押し倒してしまった。床に乱れ咲く亜麻色の髪からは甘い香りが漂っている中、変態狐と鈴白こなゆの顔の間はわずかであり、まっすぐに顔を向けてくる変態狐に対して、こなゆの頬が赤く染まり、そしてそっぽを向いた。もうなんだか昔話の後にいきなり前世の話をされたり、今もこうしてなんか倒されているし……包丁があったら刺してやりたいとも思っていたこなゆだったが、残念ながら倒れた際に包丁は飛ばされてしまっていた。
「疑う気持ちは分かる……だが、こなゆ、お前は間違いなく狐那由姫だったのだ。我には分かる」
 何も言えない。声が喉に引っかかるかのような感覚をこなゆは覚えていた。言葉が出ない代わりにこなゆの黒い双眸から透明な感情が代弁するかの如くにじみ出てきた。それを見た変態狐はとりあえずどうするべきかと考えていた――そんな折だった。
 突如、部屋が冷気にさらされ、そこから現れた氷の粒が辺りを――いや正確にはこなゆを包み込んだかと思いきや、次の瞬間には彼女の姿はいなかった。
「まさか……!」 
 そこにいたのは変態狐、ただ一匹だけであった。



 なんだか体が寒い。
 それになんだろう、さっきからほっぺた辺りを撫でられているような気がしてならない。
 そう思いながらこなゆが目を覚ますと、そこはどこか洞穴の中かと思われる場所で、辺り一面には氷が敷き詰められている。そして目の前には氷の仮面を被った一匹の灰色に染まりし竜がいた。しかもその竜が自分の頬を舐めていることに気がついたこなゆはゾッと鳥肌を立たせた。小動物が頬をぺろぺろしてくるといった可愛いものじゃない、ぐちょぐちょという卑猥っぽい音が立っていて、こなゆにとってはおぞましいの他になかった。
「目を覚ましたかのう……狐那由姫」
「……いやぁ……だれなのよ……アンタ」
「ほう、前世のことは覚えておらんのか? まぁ無理もないことか。ならば教えてやろうか、妾の名はキュレムじゃ、狐那由姫」
 なんとか逃げようと体を動かそうとするこなゆだったが、四肢を氷で作られた枷で体の自由は奪われていた。キュレムと名乗った竜はまるで楽しんでいるかのようにこなゆの頬を舐め続ける。
「中々、甘露よのう、お主の精気は。さて……どのような辱めを受けさせてやろうかのう……♪」
「な……なにするつもりなのよ……!」
「ん? 何をするつもりかじゃと? ほほほ、野暮なことを訊くではない。もちろん、昔の復讐じゃよ……封印されたことのな!」
「ふざけ……ないでよっ…………!」
 寒さで思ったように声が出ない……だが睨みつけることはできる。こなゆのその反抗的な視線にキュレムは「ほう……」と感心そうに呟いたが……やがて、口元を嫌らしく歪ませた。
「いい顔をしておるが、純潔を奪われても、同じような顔ができるかのう?」
「な……!?」
「ほほほ♪ よい顔をしておるな。その可愛い顔を泣かせるのが楽しみじゃ……! たっぷりとあのときの無念を晴らしてくれよう……!!」
 キュレムは被虐的な笑みを見せながら、一本の氷柱を取り出すとこなゆの下半身に――。

 大きく焔が舞い上がった。

「すまぬが、そこは譲れないものでな」
「く……! 貴様は白金ノ九尾狐! もうここに来たのか!」
「残念ながら我は一生現役だからな。これぐらいすぐに来れる」
 焔と共に現れたのは一匹の白金色に染まりし九尾の狐――変態狐はこなゆの方に振り返って、微笑みを浮かべた。
「無事だったか、こなゆ」
 その瞬間だった。
 こなゆの頭の中で鏡が割れたような音が響いた。



 さてさて、先程の昔話の続きのこと。
 氷ノ魔竜を倒しにいく準備が整った白金ノ九尾狐に狐那由姫が待ったをかけたそうな。
 力になるからついていきたいと彼女だったが、白金ノ九尾狐はそれを断った。
 そして氷ノ魔竜の所に行く白金ノ九尾狐。
 やがて白金ノ九尾狐は氷ノ魔竜と戦い、そして勝利し、封印した。
 それで全ては終わったかに思えた。
 しかししかし。
 氷ノ魔竜は封印される前に凶器の氷柱を一本潜ませていたそうな。
 その氷柱があわば白金ノ九尾狐を貫通するかに思ったそのときだった。
 一人の娘が白金ノ九尾狐をかばったのだ。  
 娘のお腹にぽっかりと開く風穴。
 そして噴き出す紅の雫。

「……狐那由姫……そなた……!」
「そんな顔、しないで……よ」  
「我のせいだ。我の判断が間違ったのだ。こなゆをあそこから出られないようにすれば良かった……すまぬ」
「勝手に……ついていった私が……悪いんだから……」
「狐那由姫……!!」
「あの……一つだけ、お願い、できる……?」
「何でも言ってくれ…………!」
「もし、この先……生まれ変わって……私を見つけたときは――」



「責任取らなきゃ、許さないんだからね! 変態狐!」
 
 変態狐もキュレムもその言葉に目を丸くさせながらこなゆを見た。こなゆの顔が晴れ渡ったような色を浮かべているのを見た変態狐は「もちろんだ」と笑顔で答え、そしてキュレムに立ち向かっていった。
「な……速い……!?」
「封印されて貴様が何も出来ない間に、我はもっと己を磨いていたからな」
 変態狐が巧みなフットワークでキュレムを圧倒していく。焔が一つ、また一つ、キュレムの命を削っていく。そしてそろそろ封印しても大丈夫だろうと変態狐が後ろに回って、尻尾から札を一枚取りだした。
 そのときだった。
 キュレムの口元が歪んだかと思いきや、変態狐の背後に太い氷柱を一本出現させると変態狐に向けて飛ばした! 貫通する一歩手前、変態狐の体が横に飛ばされる……そしてその瞬間に鳴り響く、グシャッという生々しい音。その氷柱に刺さっていたのは――。
「ほほほ! これは傑作じゃな! 歴史は繰り返されるといったところか! ほほほ!」
「こなゆ……こなゆ……!」
 太い氷柱一本をその体に貫通させているこなゆの元に駆け寄る変態狐へ、こなゆが力なくも笑いかけた。氷柱から咲き乱れるが如く紅が零れていく。
「ほほほ♪ 滑稽、滑稽じゃ♪ なに、安心しろ、すぐにお主もすぐに狐那由姫の元へと連れていってやろう」 
 面白おかしそうに、実に愉快な顔を浮かべながらキュレムはトドメを刺す為に氷柱をもう一本作り出した――。

「……やれやれ、本当はこれにしたくはなかったが……まぁ、歴史は繰り返さないという意志表示ってことでいいか」

 変態狐がそう呟くと、氷柱に刺さったはずのこなゆが炎となって消え失せ、こうべを垂れている変態狐も消え失せた。次にキュレムの視界に現れたのは黒みを帯びた炎――鬼火をたくさん引き連れている変態狐と、依然と氷の枷に縛られているこなゆの姿であった。
「な……お主、まさか、狐火なんぞ……! 戯けた真似を……!?」
「こなゆはあそこから動けぬのに可笑しいとは思わなかったか? 氷ノ魔竜よ」 
「この……!」
「遅い」
 キュレムが気がついたときには、もうその巨大な体躯は鬼火をまとっていた。肉が激しく焼けるような音と耳に刺さるかのようなキュレムの叫び声が洞穴内に響き渡る…………やがてそれらが止むと黒焦げになったキュレムが現れ、間もなく倒れた。そして変態狐がキュレムに札を一枚、その黒焦げの体に貼った。すると、キュレムの姿は光に包まれたかと思いきや、一瞬でその姿はなくなり、札も消えていった。
「終わったの……?」
「あぁ、これでなんとか終わったぞ」 
 寒そうなこなゆの元に寄ると、変態狐はこなゆの体の自由を奪っていた氷の枷を溶かし、そして寒さで冷えていた彼女の体を抱きしめた。もふもふな温もりにこなゆは身を預ける。
「とりあえず帰ろうよ」
「……我も戻ってもいいのか?」
「もちろん」
 そのとき、変態狐のお腹から虫の鳴き声が一つ。
「……アンタねぇ……」
「ははは、すまぬ」
「まぁ、いいや。何か食べたいものとかある?」
「遠慮なく言うぞ? それは――」
「ここで『お前』とか言ったら、殴るからね」
「ぐ……ならばマーボー豆腐で」
「了解♪」

 

 その後、無事にこなゆの家に戻り変態狐と一緒にマーボー豆腐を食べ終わると、場所を自分の寝部屋に移し、こなゆは今回のことを変態狐に尋ねた。変態狐は「大丈夫なのか記憶の方は?」と訊くと、こなゆは首を縦に振った。
「実はな、久しぶりにこの街に来たときだったのだが……氷ノ魔竜の気配が微かに漂っているのを感じてな。暫くこの地に留まろうかと思っていた矢先に……そなたを見つけたのだ。こなゆ」
「そうだったの」 
「遅くなって、すまぬな……全国各地を歩き回っていたのだがまさかまたこの地で出逢うとは思いもしなかった」
「確かにそうね。それにしてもアンタの変態っぷりは相変わらずね……まさかだとは思うけど――」
「ん?」
「あれから他の女の子にも相変わらずその変態ぶりを発揮していたのかしら?」
「それが仕事だからな」
「開き直るな!」
 

 
 さてさて、先程の昔話に隠れている裏話のこと。
 白金色に染まりし九尾を持った狐の正体は、夜道歩く人(女性限定)を街などに送ることを生業としていた狐だったそうな。
 全国各地を歩き回り、街などを目指して夜道迷う娘の手助けをしていたとか。
 まぁ、一言で言えば好色な(変態)狐ということである。
 そしてそして。
 ある日のこと、籠目の国へ戻る為に夜道を歩く一人の娘がおったそうな。
 その娘こそが狐那由姫であり、それが白金ノ九尾狐と狐那由姫の本当の出逢いに繋がったという。
 この日、一人、出かけていたという狐那由姫に白金ノ九尾狐が生涯の中で本気で惚れた。
 しかし白金ノ九尾狐の告白は見事に玉砕したのであった。

「催眠術とかで変なことしたら容赦しないからね」
「何を言う。我は我だけの力で……なんか矛盾が。いや、そういう力は抜きで狐那由姫、お前さんを落とす!」
「へぇ、威勢はいいんだ」
 
 それでそれで。
 狐那由姫のことが気になった白金ノ九尾狐は暫くの間、籠目の国付近に住まうことにしたそうな。
 毎晩、一人で出かけていた狐那由姫の帰り道を送ったりしていた。
 そうしてそこで暮らしている内に、やがて白金ノ九尾狐は氷ノ魔竜の存在を知った。
 そしてその竜がこの国に災いをもたらそうとしていることも。
 それからそれから。
 白金ノ九尾狐は氷ノ魔竜を封印する決意をしたそうな。
 それは我が愛する狐那由姫の為に。
 しかしここで一つ問題が。
 力が足りなかったのである。
 だからといって修行している時間はなかった。
 さて、どうしたものかと考えた白金ノ九尾狐はある一つの方法を断行することに。
 その方法は誰かしらと交わって精気を分けてもらうこと。
 人間の精気で自分自身の力を底上げすればあるいは――。
 そしてそして。
 先程、話した通り籠目の頭首に娘を一人要求したそうな。
 それから間もなく狐那由姫が白金ノ九尾狐の元に参った。
 白金ノ九尾狐から話を聞かされた狐那由姫は、ならばと、白金ノ九尾狐に身を預けることを決めて――。



「……あのとき、アンタに抱かれて不覚にもドキドキしちゃって……はぁ、なんでこんな狐に恋しちゃったんだろうなぁ、私」
「……こなゆ」
「待たしちゃってごめん、それと……ありがと」  
 そう言いながらベッドに寝転がるこなゆに変態狐が覗き込む。
 こなゆの頬は恥ずかしそうに桃色を染めていた。
「……責任取ってよね」
「あぁ、約束したからな」
 変態狐もベッドの上に乗り、こなゆを覆う形に。
 それからお互いの唇が重なり合い、濃厚で深い深い舌同士の愛撫。
 胸にむせるような甘い甘い香りがお互いの中に広がり、やがて二つの唇は離れた。
 艶かしい透明の糸がお互いの唇を繋ぐ。
 そしてベッドが軋む音がし始める。
 ようやく約束が叶った。その喜びを示すかのようにその音は次第に激しくなっていき――。

 白い福音が贈られる音が響き渡った。

 過去と未来を繋いで。

 お互いにこれまでのことや、これからのことを、色々と訊きたかった。
 
 けれど白い福音が鳴り終わると、お互いそのまま夢の中へ。

 これから送る新しい日々に想いを乗せながら。




(9999文字)