しばらくしとしとと雨が降っていた。しかも、どこか暗くて湿っぽくてそう、それは――まるで誰かが失恋したような雨。


 ジュペッタがつまらなそうに窓の外を眺めている。まいった。こいつは退屈になるとか自分の思うようにいかないとめんどくさいのである。俺にシャドーパンチをかましてきたり、枕にシャドーパンチをかましたり、とにかく不機嫌な困ったちゃんなのである。
「晴れたら、思いっきりすればいいだろ?な?」
 特に雨が続くとなおさら不機嫌なのである。綿だからか布だからか、湿気があまり好きじゃないようだ。だからか、知らないが雨があがった次の日は大抵一日中ひなたぼっこをし続けている。自分の干し方も勝手に覚えた。二本の物干し竿の間に橋を架けるようにして、横たわる。そこまで持ち上げるのは俺の役目だけど。まあ、いいんだけど……いいんだけどなんか納得いかない。
 ジュペッタの恨めしげな目。知らん。俺は悪くない。不満そうにジュペッタが唸る。唸んな。俺も負けじと睨み返す。ジュペッタの短い足が力を溜め込んだようにわずかに曲がる。そして――
「何度もその手をくうかっ!」
 迫り来るシャドーパンチを、目の前に手を構えてガード。いい加減、慣れてきた。慣れないと身が持たない。そう。それは、小さい頃大切に育てたひよこが凶暴化した鶏になっても飼い主は攻撃を喰らわないのは、愛する愛されてないの問題ではなく――単に慣れの問題だよ、と。まぁ、そういうものだ。
「お前のはあっち!」
 俺はたんすに寄りかかった小さいサンドバッグを指差す。あれは本来、バルキーやアサナンなどの小さな格闘ポケモン用に作られたものだ。空手道場くらいにしか置いてないだろうそれがなぜ俺の家にあるかというと、それはジュペッタのために買ってやったものである。以前、大きな抱き枕をサンドバッグ代わりにさせていたら感極まってシャドークローでずたぼろにしてしまった。外に零れ落ちた綿を見て、本気で怖がっているジュペッタを見てお前はバカかと呟いたものだった。布につまった綿という点では自分と同じ身体のつくりをしているとは言え、自分でずたぼろにして、自分で怖がるって結構抜けて……いるな。
 だが、きっと、こいつには格闘家の素質がある。俺はそういう。きっと、空手家の人が見てもそういうと思う。
 持ち物は何の変哲もないただの赤いタオル。かの有名なプロレスラーが身に着けていたもの。ではない。知っているのか知らないのか分からないが、ジュペッタが自分で俺の部屋から発掘してきて、自分で気に入って身に着けているものだ。肩に赤いタオルをかけ、片手を大きくあげ、いーち、にー、おっとこれ以上は言えねぇ。
 ジュペッタって単ゴーストタイプだった気がするんだが、格闘タイプってついてたっけ。まぁ、まず得意技は百発必中シャドーパンチだが、最近はバリエーションが増えた。まず、基本形。シャドーボールをみぞおちに叩き込むシャドーブロー。下から一気に上へと突き上げるシャドーアッパー。そして、発展型。思い切り手を広げた状態で体当たりし、首にダメージを与えるシャドーラリアット。もちろん命名は全て俺。シャドーをつける必要があるのかないのか知らないが、まぁ、俺の趣味だ。ついてるほうがかっこいいだろ?
 苦手なのは蹴り技。足が短いからしょうがない気もするが、よく練習しているが、よく膝から地面にぶつかって自分でダメージをくらっている。やめりゃいいのに。
 なぜ、こんなふうに格闘技が好きなのか思い当たる節が、ないわけでも……ない。そう、それは俺の小さい頃の――。

『行けーやれー!上だー!下だー!それ、よけろ!そこでボディーブロー!』
 我ながら恥ずかしい。男の子なら誰でもするであろう人形遊びを、俺はなぜかあのぬいぐるみで、しかもかなり長い間、やっていたのである。小学生になるくらいまで。
 ……そのときの記憶をジュペッタが覚えてるか覚えてないかは分からないが、きっと記憶の底にはあるのだろう。ジュペッタが使う技は、俺が小さい頃よくぬいぐるみとやっていた、技だ。

 ジュペッタと過ごす時間が増えれば増えるほど、ジュペッタは小さいとき一緒にいたときの記憶を思い出しているような気がした。ジュペッタは絵を書くときに必ず水色のクレヨンをつかって絵を描いた。俺の好きな色は青だ。でも、小さい頃、好きな色は水色で、持ち物のほとんどが水色だった。ジュペッタはあのときのことを覚えているのだろうか。オムライスを作ったとき、ジュペッタは俺の顔を見てけらけらと笑った。俺が小さい頃、オムライスが好きだったこと、覚えてるのか?
 まだ、ジュペッタと会って、一ヶ月も経っていないけど、ずっと一緒にいたような気がした。何だか不思議な感じがした。ジュペッタの記憶の俺と俺は変わっている。けれど、ジュペッタは小さいときの俺と今の俺、変わってないと思っているのだろう。見た目は変わった。けれど、中身は変わってない。そう、思ってるんだ。きっと。
 「俺、お前が思ってる以上に変わってるよ」
 ジュペッタが、顔をしかめたまま首を捻った。いいよ。いい。そんなに早く理解しろなんて言わないし、期待もしてないし。ゆっくり時間かけながらでいいから、な。
 俺はジュペッタの頭をわしわしと撫でた。ジュペッタが気持ちよさそうに目を、細めた。

 重たい腰を上げ、窓の外を眺める。まだ、雨がしとしと降っている。あぁ、そういえば。小さいときの俺は雨が降ってる日は一日中、家の中で暴れてたっけ。
 うん?
 カゲボウズが一匹、二匹、三匹……十匹。電車のようにつながって、軒下にぶら下がっている。一番下にようやくくっついてるカゲボウズは、少し小さい。子供かな、それとももともと小さいのかな。
 いや、それよりもあの家はいつもの家じゃないな。いつもの家というとなんだかアレな言いかただが、よくカゲボウズを洗濯している家がある。一回、ジュペッタがなんか勝手にお邪魔しちゃったことがあって、迎えに行った。迎えにいったらシャドーパンチされた。向かい側のアパートの二階。でも、その家じゃない。
 あの家の住人に何があったんだか。

 あ。

 窓が開いた。出てきたのは女の人。ひどい顔をしてた。目の下に隈。ぐしゃしゃの髪。きっと、泣いてたとか、そんなんだ。その人はカゲボウズをしばらくじっと見つめ、少しだけ俯いていた。カゲボウズたちがぞろぞろと部屋の中へと入っていった。また、洗濯されるか?全く、困った奴らだなぁ、本当に。俺はまた、苦笑した。
「お……?」
 俯いていた人の顔が窓を閉める寸前に少しだけ、見えた。目の下には隈、ぐしゃぐしゃの髪。女の人からしたら、その顔は見られたくないような顔だろう。だけど――そんな状態だったけど、でもそのとき、その女の人の笑顔は




 ――とても、きれいに見えたんだ。





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