針を通し、ちょっと戻ってまたは、進み。それから、また戻って、進む――。
 ちく、ちく。


 小学校のとき作った、あのナップザックですらひどい出来だった俺。(調子に乗って返し縫しすぎた)
 中学のときの家庭科の時間での呼び名は『ミシンクラッシャー』だった俺。(下糸が繭みたいになってた)
 高校のときは家庭科の授業中に指に針をぶっさして病院行きになったこともある俺。(ぶっすり刺さった)

 家庭科の授業を卒業したらもう針なんて持つことないんだろうと思ってから数年。俺は今、針を手にしているのである。この縫い方は丈夫に縫える縫い方。なみ縫いすらしきらない俺にとっては至難の技だったが、二日くらい経ったら慣れてきた。やるじゃん俺。やればできるじゃん。
 布と布を縫い合わせていく。ミシンを使おうかとも思ったけど、やっぱりミシンは怖いんだ。あんな猛スピードで針が上下するなんて恐ろしいにもほどがある。それに、ぬいぐるみをミシンで縫えるほど俺は器用じゃない気がする。
 そんなことを考えながら俺は針を動かしていく。伸ばした膝の上で寝ているジュペッタ。時計は三時を――深夜三時を指している。


「ふぅ」
 よし。とりあえずこれで作業は95パーセント完了だ。
 最初見た時は、グロテスクとも思えるほど悲惨な状態だったぬいぐるみだったが、今はもう――いや、悲惨な状態のままだ。
「ヒメグマ……か?」
 うーん。言われてみればヒメグマに見えないこともないような。よく見てみればヒメグマに見えるような見えないような。もしかしたビッパにみえるかもしれない。
 まぁ、簡単に言ってしまえばつぎはぎだらけ。つぎはぎを目立たなくすることなんて、とてもじゃないけどできるものじゃない。でも、俺にこれ以上はできないだろう。これで怒られたら……って怒られるだろうけど、まぁ、なんとかしよう。うん。
 さ、残りの作業は背中を閉じるだけだ。ぱっくりと開いた背中を閉じるだけ。閉じる、だけ。


 なんだけど。


「こんなにスリムだったかなぁ」
 いや、絶対に違う。こんなスマートなヒメグマは嫌だ。お腹はそれなりに出ているのだが、頬っぺたの辺りがげっそりしている。
 綿が足りないんだ。きっと、綿の一部はどこかに行ってしまったんだろう。そういえば、買ってきた綿はもう全てつめてしまったんだった。
「押入れとかに残ってないかな……」
 眠い。重い体を起こして、押入れの中を探す。以前、ジュペッタが切り開いたクッションの残り。捨てちゃったか、捨ててないか忘れたけど、ここらへんにあったような気もする……。ダンボールの箱を開けては閉めて、開けては閉めて――。
 窓の外がうっすらと明るくなりつつある。眠すぎて、意識が朦朧として、もう――わた――た――。


 
「こんちはーっ」
 ぬいぐるみを渡そうとあの人の家の前に行くと、ちょうどあの人が帰ってきたところだった。ん。なんだか幸せそう。あの人は俺を見ると、少し驚いたような顔をした。そりゃ、つぎはぎだらけのぬいぐるみを見たらびっくりするよな……。
 大きく深呼吸して、俺はあの人に駆け寄った。
「これ、……この前のぬいぐるみです!俺、不器用だから、全然うまく出来なくて、あの」
 自分で見てもひどいできばえだって分かるし、なんか恥ずかしい。俺はうつむいたままぬいぐるみをさしだした。手の先からぬいぐるみの重さが消えた。今、どんな顔をしてるんだろう。怖くて顔を上げられなかった。俺の足元にいるジュペッタも全く同じポーズで固まっていた。
 何の反応もない。ただ、聞こえるのはセミの鳴く声だけ。なぜだか、なんかしゃべらないといけない気がして。
「いや、でも受け取ってもらえなかった俺がそれもらいます!俺が言うのもなんだけど……きっと、ぬいぐるみって何か持ってるんです!何か、時間とか思い出とかが、染み込んでるような気がするんです。でも、それはあなたの……だからきっと、あなたがもってるのが一番いいと思うんです!」
 俺何言ってるんだろう。何、言ってるんだろう……。うつむいたまま、また、顔を上げられない。
「……ありがとう」
 顔を上げた。女の人はつぎはぎだらけのぬいぐるみを、ぎゅーっと抱きしめて、目を閉じていた。
「君の言うとおりだと思う……捨てるつもりだったけど、君のおかげでこのぬいぐるみも命を救われました」
 ありがとう。そう言って、あの人は笑った。
 俺は、言葉が出なかった。


 ……。
「あの、それと……」
「なんでしょうか?」
「ジュペッタが中に綿入れちゃって……いや、大丈夫だとは思うんですけど……」



 朝だ。俺が押し入れの中で目を覚ます。ん。ヌケニンの背中のようにぱっくりとあいていたぬいぐるみの背中がきれいに閉じられている。表にひっくり返す。頬はこけてない。ふっくらとしたヒメグマの顔。
 ……誰が?
「おーい……ジュペッタぁー」
 ぺたぺたと俺の前に現れたジュペッタ。


 ……口のジッパーに、綿を挟んだまま。


「お前なぁ……」
 輸血じゃねぇぞ。輸綿か。
「そんな、自分の身を削るようなことまでしなくても……いや」
 これがジュペッタなりに考えたジュペッタにできることなんだろう。絆創膏塗れの俺の手も、ジュペッタにしてみたら同じことなのかもしれない。自分の身を傷つけてまで、か。
 ……。
 ジュペッタが不安げに俺を見つめる。俺はいつものようにジュペッタの頭を撫でてやった。
「……ありがとな」
 負の感情が染み込んだ綿だとか言うけど、多分大丈夫だ。いや、大丈夫。たしかに負の感情があるかもしれない。けれど、きっとそれ以上にジュペッタの気持ちがあるはず、だから。
 綿は減っても大丈夫なのかな。また、口開いて押し込めばいいのか?いや、それよりも、ジュペッタが綿を食べれば……
「俺、あんまりよくわかんねぇからさ……今度、あの美容師さんに頼んでみよう。きっと、なんかしてくれるはずだから、な……」
 頭がまわらない。やっぱり、まだ眠い。目の前のジュペッタの頭に手を置いたまま、俺の意識は、そこで、また、切れた――。







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