ある日、ミカルゲ顔の先輩が現れた。
 俺の通う大学でも噂になっている先輩だ。……と思う。これだけインパクトの強い先輩はいない。
 onmyonnと書かれたTシャツを着て、ミカルゲ顔で俺の部屋のドアを叩き続けた。朝早くから。
「鍋を貸してほしい」
 10分ほどもドアを叩き続けたとは思えないほどさわやかに、ミカルゲ顔に似合わないほどさわやかに言う。鍋を貸して欲しいと、意味不明なお願いをしてきた。
「いま何時だと」
「君のとこの鍋は、昔ながらの金色アルミ製シリーズを使っているだろう」
「まぁ、使ってますけど。いま何時だと」
「やはり煮物料理は昔ながらの金色アルミ製シリーズに限るんだ。貸してくれ」
「この暑いのに、煮物」
「もちろん、完成のあかつきには君にも見せてやろう。だから、昔ながらの金色ア」
「わかりました。わかりましたから持ってってください」
 音を上げたのは、俺だった。サマヨール寝癖髪をつけたまま、俺は先輩を部屋に招き入れた。愛用のホーホー時計は、午前5時を示している。
 鍋一式は、ワンリキー引越センターの段ボール箱の中にしまったはず。探してみると、段ボールは押し入れの奥に押し込まれていた。よいせと埃をかぶった段ボール箱を引き出した俺は、無難に20cm鍋を取り出す。仁王立ちの先輩に渡そうとすると、「45cm鍋がいい」などという注文が飛んできた。45cm鍋なんて、なにに使うんだ。
「うん、この色、艶、形。まさにイメージ通りだ。」
「16とかじゃなくて良いんですか?」
「45がいい。42でも39でもだめだ」
 よいせと一抱えもある両手鍋を持ってきた俺に、先輩がにこにこと笑った。きっとミカルゲが笑うと、こんな感じだろう。
「なににつかうんです」
「君はなぜ昔ながらの金色アル」
「親父が無言で押しつけてきました」
「いい親父殿だな」
 45cm鍋なんて、地元の料理会でしかお目にかかったことがない。なにに使うんだ、この先輩は。
「闇鍋サークルが【地獄鍋】を作った。とても美味かったので、【うらみ鍋】を作ってみようと思う」
「【地獄鍋】行ったんですか!」
 真夏に密室で火鍋を食うと地獄に行けるという訳の分からん理論を展開し、実行したあげく熱中症でばたばた倒れたため、学生会が中止を宣告したという鍋大会。
 なにげに恐ろしい先輩なのだと感じる俺のよこで、先輩はアルミ鍋をばこばこ叩いている。
「うん。これなら良いだろう。【うらみ鍋】ができたら、君にも食わせてやろう」
 にこやかな笑顔を残して、午前5時の訪問客は去っていったのだ。45cmのアルミ製両手鍋を抱えて。


 俺が45cm両手鍋を貸してから早7日。先輩が【うらみ鍋】を作っていた。
 45cm両手鍋をたき火にかけ、ぐつぐつと青黒い液体を煮ている。オソロシイ液体の中に浮かぶ、6匹のカゲボウズたち。
「構内をうろちょろして、うらみつらみを吸わせてきた。七日かけたから、いいダシがでるはずだ」
「カゲボウズになにしてるんスッ!」
「君の隣に住んでる男が洗った。あいつはプロだ」
「あ、キレイなんスね。……じゃなくて、カゲボウズって煮て良いんですか」
「煮洗いというのもある」
「色落ちするでしょ」
「色落ちしたという報告はない」
「なんでそんなに青黒いんです」
「オレン汁とウイ汁とシーヤ汁をつかった」
「全部しぶいのじゃないですか」
「辛味にはフィラ汁とマトマ汁をいれてある。きっと美味い」
 きっぱり言い切られては、もはやなにも言えない。煮られるカゲボウズたちを見ると、なぜかうっとりしている。やつらにとっては、温泉気分なのかもしれない。
 そのまま煮ることしばし。先輩が両手鍋をたき火からおろした。カゲボウズのつのを掴むと、鍋の外に取り出していく。ふやけたカゲボウズが、ふらふらとある部屋に向かうのを、俺は見た。俺の隣の部屋だ。
 鍋から浅黒い物体を引き出した先輩が、はふはふ良いながら食う。呆然と立ちつくす俺に、先輩が赤黒い物体を差し出した。
「食うか?」
「……いえ、遠慮してきます」
 カゲボウズのうらみ入り鍋。あまり食いたいものではない。






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