テレビなんてないから、ラジオの気象通報のデータを用紙に落とす。うん、そんな予感はしてたんだ。
 このアパート、大丈夫かな。結構古いからなあ。屋根とか飛ばなきゃいいけど。

 台風、今季初上陸。


 カーテンを開けた。大粒の雨が降っている。まだ本格的ではないようだけど、風もなかなか強いみたいだ。
 この辺が暴風域に入るのはもうちょっと先かな、と思いながら窓の外を見ていると、ポリゴン2にまたがったヤミラミが服の袖を引っ張ってきた。
 何かと思うと、向かいのアパートの1室を指差している。
 目を凝らしてよく見てみると、ベランダの軒下で、黒いものが風にあおられてひらひらと揺れている。

 あ、カゲボウズだ。

 このアパートの周辺にはカゲボウズが多い。というか、このアパートに住み着いているらしい。宿つきカゲボウズと呼ばれているとか何とか。
 負の感情を抱えた住人の部屋の軒下にぶら下がっていることが多いみたいだ。この周辺のいろんな部屋の窓にくっついていつのを僕もよく見ている。


 それにしても、台風接近。こんなときにまでぶら下がらなくても、と僕は思う。
 ぶら下がっているカゲボウズも、何だか必死な表情だ。飛ばされないように頑張っているんだろう。それでも、強風にあおられて色々な方向に振り回されている。

 まずい、あれ、飛ばされるんじゃないだろうか。これから暴風域に入ったら、あのカゲボウズも耐えられないかもしれない。
 僕は窓を開けた。部屋に雨が降り込んできた。もう大分風が強い。


 その時、とうとう限界を超えたのか、カゲボウズが軒下からプチッと離れた。
 風に舞いあげられて飛んでいくカゲボウズ。
 あ、と思った次の瞬間、僕の横を何かが高速で横切った。

 ヤミラミを乗せたポリゴン2が、暴風雨の中、目にもとまらぬ速さで飛びだした。確か「こうそくいどう」とかいうんだっけあの技。
 背に乗ったヤミラミが、風に飛ばされたカゲボウズを捕まえた。
 泥水にまみれた今にも泣きそうな顔のカゲボウズを連れて、ヤミラミとポリゴン2が部屋に戻ってきた。
 雨風にさらされていたカゲボウズは、部屋に入るなり僕に飛びついてきた。Tシャツが泥だらけになったけど、台風接近中のなか、外で雨風にさらされていたんだから無理もない。
 僕はお疲れ様、とヤミラミとポリゴン2の頭をなでた。ヤミラミは誇らしげに胸を張った。ポリゴンは相変わらず無表情だった。

 ふと視線を感じた。部屋が暗い。
 窓の外を見ると、カゲボウズたちがわらわらと集まってこちらを見ていた。10匹、いや20匹はいるだろうか。
 みんな雨やら泥やらで濡れて汚れていた。そうか、こいつらみんな、外で雨風に打たれてたんだな。で、この台風接近中の中、窓を開ける奇特な家なんてここくらいだから、ここの宿つきのカゲボウズたちがみんな寄ってきた、と。
 僕は手まねきして、入りなよ、とカゲボウズたちに言った。カゲボウズたちはわらわらと部屋に入ってきた。
 決して広いとはいえない4畳半が、濡れた黒い布で埋め尽くされる。ヤミラミは僕の肩によじ登ってきて、ポリゴン2はパソコンに入っていった。
 とりあえず、みんな泥やらほこりやらで汚れているし、部屋の中だけどしょうがない、洗濯しよう。


 そう思って水場から金ダライを持っていこうとしたちょうどその時、どんどんとドアを叩く音がした。
 出てみると、全身濡れた男の人が立っていた。確か、ここのアパートの人で……確か、よくカゲボウズを洗濯して干している人だ。

「す、すみません! あの、この部屋にカゲボウズたちが集まってきませんでした?」
「あ、ええ、はい。台風にさらされててかわいそうだったんで」
「な、何かすみません。いつも俺の部屋にいる連中なのに……」
「いやいや、気にしないでください。遊び相手が増えてこいつも喜んでますから」

 そう言って、僕は肩の上のヤミラミを指差した。ヤミラミはそうだと言うようにけらけらと笑った。
 男の人は、僕が手に持っている金ダライに気がついた。

「もしかして……これから洗濯ですか?」
「あ、はい。みんな汚れちゃってるんで」
「じゃあ、俺も手伝います! これでも俺、一応ポケモントリミングセンターで働いてるんで!」

 トリマーって。プロじゃん。すごいなぁ。そんな人がこのアパートにいたんだ。
 僕はもちろん喜んでお願いした。さすがにカゲボウズの数が多すぎて、ひとりで洗濯するのは辛そうだったし。


 どうやらこの台風の接近でお店を今日は早めに閉めたそうで、自転車通勤だったトリマーさんはその帰りに暴風雨にさらされたらしい。
 それでアパートの前に来た時、僕の部屋にカゲボウズたちが飛び込んでいくのを見たとか。なるほど、それで僕の部屋にまっすぐやってきたのか。

 とりあえず、身体を拭いてくださいとトリマーさんにタオルを渡した。
 服も濡れてたから、同じアパートだし着替えに行ってもらえばよかったんだけど、ちょうど暴風域にでも入ったのか、狙ったかのように風と雨が強くなった。
 これだとどちらにせよずぶぬれになってしまう。他の部屋に行くには外階段を通らなきゃならないし。というわけで、僕のTシャツとズボンを着てもらうことにした。

 トリマーさんが着替えている間に、僕は畳の上にブルーシートを敷いた。カゲボウズたちにはちょっと浮かんでいてもらって、ちゃぶ台をどけて、4畳半にピッチリと敷き詰める。
 着替え終わったトリマーさんが、どうしてこんなもん持ってるのか、と驚いて聞いてきた。
 僕は、大学で地学を専攻してるんです、だから屋外で使えるものなら大体持ってますよ、と言った。トリマーさんはブルーシートをつまみながら、これがあったら雨でも選択できるなぁ、と小さくつぶやいていた。

 金ダライをブルーシートの上に置き、ポリタンクにためていた水をタライに入れた。万が一断水した時のためにと思っていたんだけど、まぁ多分大丈夫だろう。
 水を張ると、すぐにカゲボウズたちが何匹かタライの中に飛び込んできた。トリマーさんは、こら待て、順番、とかカゲボウズたちに言い聞かせていた。本当にいつも洗ってるんだなぁ、と思った。
 トリマーさんは慣れた手つきでカゲボウズを洗う。気持ち良さそうに目を細めるカゲボウズ。まだかまだかと順番を待つカゲボウズたち。
 僕はお湯を沸かしたり、洗われた子をタオルで拭いたりした。トリマーさんの手つきがよすぎて、手を出すと逆に邪魔な気がすると思ったから。
 肩の上のヤミラミがぴょいと床に下りた。見違えるほどきれいになったカゲボウズたちを見て、ヤミラミはとことことトリマーさんの方へ行った。

「お? よかったら、ヤミラミもシャンプーしようか?」
「でもそいつ、水苦手ですよ?」
「大丈夫大丈夫。そういうの慣れてるから」

 ううむ、さすがプロ。かっこいいなぁ。
 畜生ヤミラミの奴、大人しくシャンプーされやがって。プロすげぇ。
 そういえば君、とトリマーさんが言った。

「この前、カゲボウズと一緒にホース持ってヤミラミ追いかけまわしてたよね?」

 見られてた……!!


 4畳半の天井にロープを張って、カゲボウズをずらっと吊るす。
 おぉ、すごい数だ。天井が真っ黒だ。
 僕はトリマーさんとコーヒーをすすりながら天井を見上げた。

「何と言うか……威圧感がありますね」
「これだけ集まるとすごいなぁ」

 天井を埋め尽くす大きな黒いてるてる坊主。3色の目がじっとこっちを見降ろしている。
 ヤミラミがじゃれてきた。これまでにないほどふわふわな毛並み。ヤミラミもとても機嫌がいい。プロすげぇ。
 お店の場所も教えてもらったし、今度行ってみよう。



 暴風域を抜けるまで、もう少し。
 台風が過ぎ去るまで、あと1晩。





おわる。





もどる