一瞬の隙を突かれたと言って良かった。


ポケモン達へ指示を下す際の言動から、どうやら警官のようであるらしいと、察しが付いた女性。 
その女性トレーナーより、彼が陽動開始の指示を受け終わった、その直後――突然雷神と風神が、見事なチームワークで彼女の体を吹き飛ばし、『雷』と『竜巻』が穿った大穴の中へと、落とし込んだのである。

しかも、雷神の方が間髪を入れず女性トレーナーの方へと追撃を試みたのに対し、風神の方は『追い風』によって雷神を送り出した後、強烈な『暴風』を繰り出して進路を塞ぎ、彼女と青年達との横の連絡を、完全に断ち切ってしまったのだ。
……女性トレーナーは何とか立ち直ると共にアーケオスを繰り出して、雷神に死命を制される事だけは避けられたものの、手持ちポケモンの半数と切り離されてしまった彼女が、非常に『不味い』状況にあるのだけは、疑いようが無かった。

「くそっ…!」

一言だけ小さく悪態を吐くも、青年はすぐに目線を戻して、今や自らの一身に課せられる事になってしまった当面の課題と、真っ直ぐに向き合う。  ……視線の先では、不敵な笑みを浮かべた風神が『追い風』に乗りつつ、自らの獲物となるべき人間とポケモン達の一群を、自信たっぷりに見下ろしている。


――状況は、お世辞にも良いとは言えない。

彼らは確かに頭数には不足は無いものの、彼女の残りの手持ちである三匹は、突如として指揮官を失って動揺を隠せない有様だし、彼が連れている三匹の方も、ヒトカゲは今同行し始めたばかりで持ち技すら定かではなく、残りの二匹はこの地方に来てから相前後して手持ちに加わった新米であり、新奥で活躍した主力はみんな、救助現場に置いて来てしまっていた。
元々彼は、女性トレーナーの『獲物』を横取りするような真似は頭から考えておらず、純然たる勢子働き―獲物を討ち手が仕留めやすい位置まで追い立てる、サポート役に徹する心算で、ここに足を運んで来ていたのである。  ……つまりは完全に彼女の戦力を当てにしていた訳で、自力で神と呼ばれるほどの相手と雌雄を決するだけの戦力は、持ち合わせていなかった。

一言で言えば、彼らはただの烏合の衆―単なる寄せ集めの集団に過ぎなかったのである。

そんな彼らを前に、風神はまるで、逃げるのは今の内だぞとでも言うかのように、余裕の表情で風の刃を生み出した。  ……瞬く間に彼らの人数の倍以上の数に達した『エアカッター』は、そのまままるで無力な相手を追い立てるかのように、そこ等中に向けて解き放たれる。
全員が慌てて逃げ惑う中、風神は更に猛烈な突風を吹き荒れさせて、その場にいた全員を、激しく煽り立てた。

難を逃れるべく、素早く木陰に飛び込んだ青年の目の前で、懸命に付いて来ていたヒトカゲの小さな体が、風にあおられて宙に浮く。 
間一髪のところで、リオルのラックルがその小さな手を捉まえると、そのまま痩せた体に似合わない腕力で引っ張り寄せ、自分の背中にヒトカゲを背負い込んだ。
咄嗟の処置を青年が褒めるまでも無く、それを当然の反応と心得ている小さな波紋ポケモンは、続いて隣の木の陰に飛び込んだ後、新しく出来た友達を背負ったままの状態で主人の方に顔を向け、頼もしげな笑みを浮かべる。

そんな不敵な表情を目の当たりにさせられれば、不肖なりとは言え主人としては当然、答えてやるより他にない。 
リオルとヒトカゲに向けてニヤリと笑い返してやると、気を取り直した青年はゆっくりと腰のボールに手をやって、中のポケモンに指示を伝えるべく、素早く二本の指で数回表面を叩いて、合図を送る。

彼が隠れ場所を飛び出して、腰のボールの開閉スイッチを操作するのと、ヒトカゲを背負ったリオルが疾風の如く駆け出して、片手を空に向けて掲げたのは、ほぼ同時であった。 


三者が隠れ場所から飛び出して来た丁度その時、風神は主人と分断されて孤軍となった三匹を追い詰めて、止めを刺そうとしている最中であった。

――幾らレベルが高くとも、コジョンドとドレディアは飛行タイプとはすこぶる相性が悪く、残る一匹のチラチーノにしても、独力で伝説クラスのポケモンと渡り合えるほどに、強力な技を持ち合わせている訳ではない。
常にはトレーナーが連携を組み立て、指示を与えて彼らの力を最大限に引き出しているのだが、今はその優れた指揮官もおらず、互いの連携は的確さを欠き、チグハグに動くばかりで、決定打を与えられるチャンスを作り出せないでいた。
三匹は果敢に技を繰り出すが、『追い風』で機動力の上がっている風神は軽快に身をかわして『ストーンエッジ』を避け、『ロックブラスト』をすかす。 ……『蝶の舞』で威力の上がっている『花びらの舞』も、常に逆風の状態であるならば、相手に届きさえせず、ただ吹き散らされるばかり。

やがてPPが尽き、岩を飛ばせなくなった二匹のポケモンを、『蝶の舞』によって防御力の上がったドレディアが庇うようにして、何とか持ち堪えていたところ――急に仕上げとなる大技を暖めていた風神の注意が、後ろに逸れた。
次いで勢い良く振り返った風神は、折角追い詰めた三匹に対して止めも刺さずに、新たに目に付いたターゲットに向けて、真一文字に突っ込んでいく。
――その視線の先には、片手を空に向けて高々と挙げて、ヒトカゲを背負ったまま不敵な表情で佇んでいる、リオルの姿があった。

相手の注意を『この指止まれ』で惹き付けたラックルは、無事に三匹から風神の矛先(ターゲット)を引き継いだ事を確認するや否や、くるりと向きを変えて、脱兎の如く逃げ出した。
――20キロを超える体重を支え、一晩で幾つもの山谷を越える事の出来るリオルの足腰は、短時間であるならば、背中に6キロほどのヒトカゲが乗っかったところで、ビクともするものではない。

リオルが時間を稼いでいる間に、青年は素早く三匹の元へと駆け寄ると、予め用意していた木の実を、彼らに対して投げ渡す。  ……宙を飛んで彼らの元に届いたのは、PPを回復する効果のある、『ヒメリの実』だ。

「好きにしてくれ。 こっちの味方に当たらなきゃ、何をしてくれても構わない。」

与える指示は簡潔無比。  ……元々ポケモン達に対して、細かい指示を飛ばして行動させるのは彼の主義では無いし、それが今回の様に他人の手持ちポケモンであったのならば、尚更の事である。

人が知識を駆使して作戦を立てるのと同様、ポケモン達は生まれもって携えている本能によって、己が為すべき事柄とそのタイミングとを、的確に読み取る事が出来るものだ。  
――基本的な戦略や戦術は自らが組み立てるも、行動すべき秋(とき)は、各々の判断によって決定させる。  ……それが、彼が常に自らの手持ちポケモン達に課している、行動の原則だった。 

次いで彼は、拍子抜けするような指示に呆気に取られている三匹はそのままに、自らの腰にあるボールを取り外して、ぽいと放り投げた。
中から出てきたポケモンには、先刻既に、指示を出し終えている。  ……解き放たれて直ぐに、自らに与えられた指令を的確に実行し始めた最後の一匹を尻目に、彼はじっと動かず、リオルが消えて行った林の奥を見つめる。    

真剣な表情で立ち尽くすその隣に、先程の『エアカッター』を壁技で凌いだエーフィがゆっくりと近付いてくると、目を閉じて意識を集中し、逃げ回っている二匹のポケモンと、離れて戦っているであろう女性トレーナーの様子を感じ取ろうと、静かに身を振るわせ始めた。
 
 

木々を縫うようにして全速で走るラックルを、これまた全力で追いすがっている風神は、なかなか捕まえる事が出来なかった。
小柄なリオルは、ヒトカゲを背負ってはいるものの尚まだ小さく、風神が通れないような狭い隙間を巧みに選び、茂みを潜り木の幹を蹴って、予測もつかない軌道を描く。
対する風神は空中から追いかけているものの、密生した木々は飛行している追跡者側にすこぶる不利であり、しかも今まで自らの動きをサポートしていた『追い風』は、狭い場所ではスピードが出過ぎて小回りが利かず、ともすれば立ち木に激突するような事態を、招きかねない有様であった。
風の力で纏めて薙ぎ払おうにも、密生する草木の抵抗力はまさに天然の要害そのものであり、放たれた『エアスラッシュ』や『エアカッター』と言った技は、全く以って相手の背中に届く気配は無い。

余りに思う様に任せない追跡に苛立って、猛り狂う風神が少しでも精密な機動を確保する為、自らを後押ししていた『追い風』を解除した途端、今度はリオルの背中に位置するヒトカゲが、後ろに向けて『煙幕』を放った。
本来なら未然に吹き払ってくれる『追い風』のサポートが無いところに、ただでさえ機敏な反応が求められる木立の中で、視界を遮られてしまったから堪らない。
あっという間に立ち木に激突し、顔を樹皮にくっ付けたまま動きを止めた風神を尻目に、リオルのラックルは素早く反転すると、足取り軽く傍らをすり抜けて、元来た道を引き返す。  ……波導を感じ取る能力を持つ彼には、濃密な『煙幕』による視界の不良も、全く苦にはならない。

漸く立ち直った風神が、赫怒して走り抜けて行ったリオルを追いかける頃には、既に身軽な波紋ポケモンは、己の仲間達と合流していた。
 


無事に飛び込んだ茂みから戻って来たリオルの姿に、迎えた青年は会心の笑みを浮かべた。
――そんな彼の背後には、残っていた最後のボールに入っていたポケモンが、これまた活躍の時を待ち焦がれているかのように、うずうずしながら出番を待っている。

青年の背後に立っているのは、戻って来たリオルそっくりそのままな姿の、特徴的な顔をした波紋ポケモンであった。
ヒトカゲを背負って戻って来たラックルと違う点は、まるで子供の悪戯書きのように縦線と横線で構成された、単純な形状の両の目と口。  ……残念ながらまだ彼は、表情まで完璧に相手を模(かたど)るまでには、経験を積めてはいなかった。

「良くやった、お前達。  ……さーて、じゃあ戻ったばかりで悪いが、早速歓迎の準備に掛かってくれ。 配置はラックル達は東の茂み、ガロは道を挟んで反対側だ。  ……お客さんには、彼らが心を込めて御馳走してくれるだろうから、お前らも心置きなく舞って見せてやれ。」

彼のそんな指示に対し、二匹のリオルが同時にコクリと頷くと、それぞれが指示された場所へと、素早く身を伏せる。 
既にチラチーノら三匹も、新たに指示を下している臨時の指揮官に従う意思を示しており、馳走云々と彼が口にした時には、意向返しが出来る瞬間を待ちかねているかのように、思い思いの反応を見せる。
次いで彼は、残ったエーフィに対してもそっと手を差し伸べると、雨に濡れた柔らかい毛並みを乱さぬようにそっと背を撫で、声をかける。

「お前さんには、全体のサポートに当たって貰いたい。  ……守備が出来る要員は貴重だから、期待させて貰うぞ?」

微笑んだ彼に対し、猫叉は柔らかい声で鳴くと、直ぐに近くの茂みの方へと歩み寄って、他のポケモン達に習って身を隠す。

そして――やがてそれから幾らも経たない内に、彼らの客人である怒り狂った風の神が、生い茂った木々の間から、張り巡らされた罠の中へと、勢い良く踊り込んで来た。
 
 
 
飛び出して来た風の神に最初に技を仕掛けたのは、予め最も近い位置に伏せていた、ドレディアのナンであった。

憤怒の形相で茂みを飛び出し、手当たり次第に攻撃せんものと、既に技の準備を整えていた風神に対し、ドレディアは出てきたばかりのそれにおっ被せる様に、各種の『粉』を撒き散らした。
様々な状態異常をもたらす花粉が、木立を抜ける為に『追い風』を解除していた無防備な風神を包み込み、大技を解き放とうとしていたその出鼻を挫いて、最初の一撃(ファースト・インパクト)を未然に防ぐ。
次いで、同じく周辺に待機していたチラチーノのグンとコジョンドのユンが攻撃を開始し、花粉の攻勢に体勢を崩した風神の体を、岩石の礫で滅多打ちにする。  ……既に動揺から立ち直っている彼らの攻撃は、レベル通りの破壊力を持って、風神の体に幾つもの傷や打撲を作り出す。

怒りと苦痛の唸り声を上げた風神は、すぐさま自らを襲っている花粉の霧を吹き飛ばすべく、自らの尾を弾くようにして、『追い風』を繰り出した。
――『追い風』は、自らのスピードを大幅に高めるフィールド変化技。 これさえ発動させてしまえば、『粉』や『煙幕』のような類の技は完全にシャットアウト出来る上に、劇的に高まった機動力によって、戦況は圧倒的に優位になる。

……だがしかし――事態の推移は、風神の思惑とは、全く反対の方向へと進んでいく。 

風神が『追い風』を使って、周囲を取り巻く三匹に向け、降りかかる粉を吹き戻そうとしたその刹那、突然横合いから現れたエーフィが、『神秘の守り』でその場のポケモン達一同を、状態異常の危険から解放する。 そして更に、別の茂みから顔を覗かせた二匹のリオルが、風神が『追い風』発動させるや否や、同時に『まねっこ』を繰り出したのだ。
これによって、その場のポケモン達全員の機動力は著しく上昇し、風神側のアドバンテージは、全く無に帰した。  ……しかも、もし風神側が『追い風』を中断したり、何か大技を仕掛ける為に一時的に風の勢いを弱めたりしようものなら、立ち所にスピードの上がっている周囲のポケモン達から、滅多打ちにされる事になるだろう、というオマケ付きである。

『追い風』の利点を解消され、大技と言う牙を抜かれた風神を更に苦境に追い込んだのは、それから直ぐに二匹のリオルが使い始めた、延滞戦術であった。
小癪なポケモン達の連携に、怒り心頭に達した風の神は、こうなったら一匹ずつでもと、手近にいたドレディアに向け、『エアスラッシュ』を放とうとしたのだが……いざ技を繰り出す直前となって、不意に彼の体は本人の意思とは無関係に別の方向を振り向き、狙っていた花人に攻撃を仕掛ける事が、どうしても叶わない。

その向き直らされた視線の先では、先程彼を立ち木に正面から激突させた、あのヒトカゲを背負ったリオルが、片手を天に向けて差し上げて、不敵な面構えで此方を見つめていた。
好き放題にやられた上に、今また再び、神である自分の行いを邪魔する小童――  沸きあがってきた新たな憤怒に、風神は自らの身を打つ岩礫の存在も忘れて、遮二無二小さな波紋ポケモンの方へと、突き進み始める。

――だが、執拗に攻撃を受けつつも、漸く逃げ回るリオルに追いついて、いざ一撃を叩き込もうと、身構えた瞬間――またしても彼の体は、唐突に別の方角を振り向かされる。 
今度はヒトカゲを背負っていない方のリオルが、馬鹿にしたような間の抜けた表情で、片手を高々と差し上げ、余裕の表情で取り澄ましていた。
向きを変えさせられた彼の背中に、先程まで追い回していたリオルが『まねっこ』で放った『ストーンエッジ』が、次々と食い込んで来る中――風神に出来た事は、ただ新しく出現したターゲットに向けて、真一文字に突っ込んで行く事だけであった。
 

青年の取った戦術は、単純極まりないものであった。
正面から相手と戦える戦力を持ち合わせていない彼は、それならばと自らの最も勝っている点を、相手に向けて押し付ける事に決めたのである。
――その最も勝っている点とは、『数』であった。

個々の戦力から言えば、彼らの集団は全くと言って良いほど、神たる風神には敵わない。
相手の火力、耐久力、攻撃範囲、突破力と、どれを取っても青年側のポケモン達とは桁違いであり、更に『天候』と言う本来なら中立であってしかるべき要素までが、相手側の味方と来ているのだから、普通に総力を挙げて正面からぶつかった所で、勝ち目なぞはある筈が無かった。

だがしかし――如何に能力が高かろうとも、所詮相手となるポケモンの数は、一体こっ切りである。
攻撃範囲が広く、火力も高いのは厄介だったが、攻撃基点自体は一つ切りであり、それさえ無力化し続けていれば、此方に損害が及ぶような事態を、完全にシャットアウトする事が出来るのだ。
――ならば、後はそれが可能なところに、相手を落とし込んでやれば良いだけの話である。

単体攻撃技のみであるなら、リオルを二匹にして『この指止まれ』でリレーしてやれば、何の問題もなく完封出来る。
突破力を抑制するには、相手のアドバンテージである天候やフィールド変化効果を、ある程度まで打ち消してやればよい。
後は広範囲に影響が及ぶ大技であるが、そういった技は大体少なからず『溜め』の要素が必要であるので、それを許さない状況を作り出せれば完璧であった。

そして今、己の誇れる力を頼みに猛進して来た風の神は、彼が思い描いたとおりの渦の中に、完全に嵌まり込んでしまっていた。
……仮に相手が、自らの力に驕る事無く、もう少し用心深く行動していたならば、こうも簡単に泥沼に落とし込まれるような事は、決して無かったであろう。
あるいは、同じ姿を持った兄弟と力を合わせて戦っていた場合でも、同様である。

如何に能力が高かろうとも、その勝れるところを無力化されてしまえば、立ち所にその優位性は崩れ去る―― 各地を廻って様々な経験を積んできた青年には、力に恵まれた強大な神には思いも至らぬその道理が、良く理解出来ていた。
――力で劣る小さな者達の存在を顧みず、我にのみ従って縁(えにし)を分けた兄弟で争い、己の力に依って立って驕り高ぶった結末が、この事態であった。


翻弄される風神の体力は、更に時間が経過するに連れ、確実に――そして、急激に消耗していった。

『ロックブラスト』も『ストーンエッジ』もタイプ上の弱点である上に、エーフィにしても二匹のリオルにしても、自らの役割が空いている時には、決して手を拱いてはいなかった。
やがて十分にダメージが蓄積し、風神の動きが目に見えて鈍って来たのを見て取った青年は、そろそろこの戦いを終わりにするべく、最後の一撃の準備に取り掛かった。

腰のボールを手に取ると、リオルの内の一匹に向けて差し向けて、合図と共に手元に戻す。
漸く鼬の走るように縦横に閃きつつ舞っていた、素早っこい舞い手達の陽動合戦から解放された風神が、傷だらけで力無く漂いつつ、彼の方を振り向く。

そんな軽くグロッキーになりかかった風の神に向け、青年は真剣な表情で真っ直ぐに視線を向けつつ、声高に呼び掛けた。  ……一応降伏勧告だけは、形式的にでもしておく心算である。

「我は北西の果て、新奥は双葉の地に生を受けし者なり。 彼の地より海を越えて来たりし謡い人が末裔が、汝この地方を統べし風の神に問う。 我等が望み、汝に選択を求めし事柄は、次の二つなり。  一つには、我等が願いの程を聞き入れ、今後この様な諍いを収めて穏やかに振舞うと誓い、この風雨を天に返してこの場を去るか。 もしくは、このまま我等と矛を交えて決着をつけ、以って力によって、己が運命を定めるか。  我ら汝自らに、その選択を委ねん――」  

……正直、我ながら陳腐な呼び掛けだなと内心苦笑しながらも、青年は故郷で祖父に教えられた仕来たり通りに、目の前のポケモンに向け、真面目な表情で言葉を紡ぐ。
一応彼の祖父の先祖達は、『神』が過ちを犯した時には、反省を促して強く抗議した後に、「かくあるべし」と語りかけた――と、言うのだが……残念ながら彼には、こんな儀礼的な言葉や説得ぐらいで目の前のポケモンが行いを改めようとは、とても思えなかった。
大体この相手を見る限り、彼の故郷で実際に『神』と呼ばれている幾匹かのポケモン達とは、性質も性格の程も、まるで違っているのだから――


案の定、彼の御大層な勧告を聞き終えるや否や、既に消耗し切っていたように見えた風神は、まるで「生意気千万」とでも言うかのように再び唸り声を上げて、輪になった尻尾を鋭く弾き、新たに戦う意思を示し始めた。  ……それと同時に風の唸りや雨脚の方も、弱まるどころか尚一層に、その激しさを増すばかり。
――やはりこの手の連中は、祖父の血を引いた格式張った説得よりも、あの女性警官の方式に則り、大分前に始終対峙させられた宇宙人モドキ達と同様、すっぱりド突き倒してしまった方が、手っ取り早いようである。

新たに戦闘態勢に入った風神に対して、エーフィが素早く『サイコキネシス』を繰り出し、その動きの程を、強引に封じ込めようとする。
念力の波に捕まり、風神の動きが止まった所に、女性警官の手持ちポケモンである三匹が、手控えていた攻撃を再開して、風の神に対して引導を渡そうと試みる。

それに対して風神の方は、最早一気に勝負をかける魂胆であるらしく、重なる打撃にも直接の反撃はせずに、自らの持てる破壊力を最大限に引き出すべく、その特徴的な尻尾に、刻一刻とエネルギーを蓄えていく。
――光り輝く尻尾に凝縮されたエネルギーが解き放たれた時が、恐らくこの場に集っている青年達の、タイムリミットとなるであろう。

無論それを理解している青年の方には、それを待つような心算は毛頭無い。

彼はすぐさま、ボールに戻したポケモンをもう一度その場に解き放つと、中から現れた紫色のポケモンに、『変身』する対象を指し示す。
即座に形を変え始めるメタモンをそのままに、彼は次いで、この対決でフィニッシュワークを受け持つべき立場のポケモンに向け、力強い声で指示を飛ばした。
此方に顔を向け、今か今かと指示を待ち焦がれているヒトカゲに対し、彼はニヤリと笑い掛けてから、こう叫ぶ。

「出番だぞチビ助! 一発、思いっきりお見舞いしてやれ!」

それを聞き、待ってましたと言わんばかりの表情で、ヒトカゲが大きく頷いた。
次いで彼は、思いっきり息を吸い込んだ後、キッと宙に浮く風神を睨み付けると、尻尾の炎を激しく燃え上がらせながら、紅蓮の『火炎放射』を、真っ直ぐ相手に向けて吹き付ける。
――程なくしてそのオレンジ色の火炎の帯は、ヒトカゲ自身の激情を体現して、尻尾の炎と共に美しい蒼炎へと、その姿を変える。

更に丁度、ヒトカゲが炎を吹き出したそのタイミングで、メタモンのガロは『変身』を完了した。
新たに戦線に加わった二匹目のヒトカゲが繰り出した技も、当然『火炎放射』。
空中で斜めに交じり合った二色の炎は、互いに螺旋状の渦を巻きながら、風神目掛けて殺到していく。

――現在の天候は、依然として暴風雨。  一筋の『火炎放射』では雨に消え、二筋の炎では風に負ける。  
……しかし、その炎が三本であるならば。

二色の『火炎放射』を追いかけるようにして、三本目の炎の帯が、既にチャージを完了しつつある風神に向けて、槍の穂先の様に伸びていく。
三番手を務めたリオルが繰り出した『まねっこ』により、更に勢いを増した火炎の塊は、素早く飛び退いた四匹のポケモン達を赤々と照らし出しながら、力を蓄えた風神の体を、情け容赦無く包み込む。
神と呼ばれるポケモンが凄まじい唸り声を上げて、技への集中力を途切れさせた、まさにその瞬間――突然溜まっていたエネルギーが突風となって、辺り一帯を激しく薙ぎ払った。
 
周囲に存在していた者達の体が、その凄まじい風圧に煽られて軽々と宙を舞い、そこ等中に吹き飛ばされる中――青年は自身も空中に投げ出されながら、件の伝説のポケモンが尚もしぶとく、藪の中に切り開かれた道を、一目散に逃走して行く姿を見た。


……後に残して来たレンジャー達と、救助した少年が存在している、その方角へと――
  
 
しかし当の彼が、それが意味している所を、おぼろげながらも認識し始めている内に――宙を舞う彼の体は、生い茂った木々の間を綺麗にすり抜け、崩れた斜面の遥か下の方へと、まるで冗談か何かの様に、音も無く落下し始めていた。
不意に現実に立ち返り、自らの身に迫る危機に、彼が愕然とした時――その時にはもう既に、彼の体はずっと下の方に見えている泥土の地肌へと、まっしぐらに突っ込み始めていた。

そんな僅かな間に彼に出来た事は、闇に染まりかけている遥か地表との距離を勘で割り当て、無駄な足掻きとは悟りつつも、幼少時から体に叩き込んでいた受身の態勢に、自らの意識を持っていくことだけ。


だがしかし――地上に叩き付けられる筈の彼の体は、唐突にまだ地上に達するには早い段階で、何者かによって受け止められた。

体に衝撃が走った瞬間、無意識の内に片手を受身の要領で振り下ろした彼は、土砂や泥濘(ぬかるみ)の代わりに、何か固くて暖かいものを、力強く掌で叩き付ける。

「ナイスキャッチ、さくらちゃん!!  ツボちゃんも良くやったよ! ありがとう!」

次いで耳に入って来たその声に、青年はハッと我に返って周囲を見回し、自分の身に一体何が起こったのかを、己が目で確認する。
……しかしその現実は、彼にはとても直ぐには、飲み込む事が出来ないような代物であった。

「マダ…ツボミ……?」

辛うじてそう呟いた彼の体が存在していたのは、地面からずっと高い所に位置している、巨大なマダツボミの片腕代わりの葉っぱの上に立った、ゴーリキーの腕の中であった。
逞しい怪力ポケモンの腕の中に抱かれながら、尚も間一髪の所で一命を救われた青年は、自らの顔をじっと覗き込んでいるゴーリキーの双眸を、ただただ唖然とした表情で、言葉も無く見つめ返す。 
 
 
――結局、彼が何とか正気を取り戻し、その場に駆けつけてくれていた大勢の一般トレーナーの有志達に、救助対象者である少年らの位置と、分断された女性警官が向かった先を指し示す事が出来たのは、それから少し経ってからの事であった。
彼と同じく海の向こうから、近所の商店街の慰安旅行でやって来ていたと言うその集団は、青年の言葉を聞くや直ちに二手に分かれて、それぞれの元へと急行し始める。

巨大なマダツボミ―どうやら、『ツボちゃん』と言うらしい―と、そのトレーナーである少女とを先頭に押し立てたチームに同行する事になった青年は、自らの不始末が生んだ事態がどの様な進展を見せるか、気が気ではなかった。
依然ゴーリキーにお姫様抱っこされたままの状態で、彼は激しい焦燥感に駆られつつ、未だに雨の止む気配の無い暗い空を、もどかしげに見上げる。

――気のせいか、空を切り裂いていた稲妻の輝きが、幾分遠ざかったようにも思えたものの……少年やレンジャー隊員達、それにあの女性警官の安否を確認するまでは、とても我一人だけ、まんじりとして居られるものではない。
一緒に戦っていたポケモン達の安否の方も、気にならない訳ではなかったが――どうやら一匹も姿を見せに来ない所から、それぞれ思い思いに風神を追いかけたり、女性警官の安否の程を、確認しに行ったものだと思われた。


そして、更にその時――そんな彼の心配を、まるで裏付けるかの如きタイミングで、一行が向かっている方角のずっと先の方から、あの聞き慣れたアブソルの警告を意味する遠吠えが、雷鳴の衰えた曇り空を切り裂き、はっきりと聞こえて来た。






もどる