座り込んで大きくため息をついた。体は泥だらけ。おまけに濡れているので、うーん、体が冷える冷える。相棒のフーディンはじこさいせいですっかり体力を回復させ、座り込んで寝こけていた。そのフーディンのでっかい頭の上でムウマージもすやすや寝ている。
「大変なことになると思いましたよ……」
「まあ、なんとかなってよかったじゃないですか」
 アブソルの頭をなでながら、笑顔で相槌をうったのは、一人のレンジャーだった。山での活動によく慣れているのだろうか。彼が非常に早く崖をすべり降りてきたのを見た時はこんな状況ながらも、感心して見とれてしまった。反対に俺はかっこ悪く滑り落ちたのだが。彼はレンジャーの中でもかなりの技術の持ち主だろう。
 彼の隣に座っているトロピウスの背中の上には一人の小さな少年がいる。今回の仕事はこの土砂崩れに巻き込まれた少年を助けることだったはずなのだが、予想外に大変な仕事になってしまった。俺もこんな仕事をするのは始めての経験かもしれない。最も、土管に顔のつまったリザードンを助けるなんて仕事もなかなかに大変なことには大変だったが。
 少年の目は開かないが、息は荒いながらも続いている。ウツボットが大きな葉を彼の上にかざし、少年の体に雨が当たるのを防いでいた。少年の様態の経過を見る限り、命に別状はなさそうに見えてきた。ただ、意識がはっきりとしないところが問題である。

 彼の話によると、この嵐の原因はこの地方に住む風神と雷神なる二匹のポケモンの喧嘩なのだそうだ。迷惑なやつらである。喧嘩は人のいないところでしてほしいものである。まったく。
 先程会った赤い女性は彼らに何か用があるようである。あーんな感じで、人の助けはいらん。みたいな人は、人の助けを必要にするんじゃねーかなぁ、なんて漫画みたいなステレオタイプな考えをする俺は結構バカなような気がする。ただ、あーいう風にこう強い気持ちを持ってる、いや持ちすぎてると、ふとしたときに足を何かにとられたりするんじゃねーかなぁ。まぁ、これも単純すぎる考えか。
 そして、それに加担するように後を追っていったのは、青年のトレーナーである。六匹ものポケモンに同時に指示が出せるなんて普通のトレーナーのなせる業ではない。かなりの腕前と見た。持ってるポケモンも相当レベルは高そうであった。
 いくら強いポケモンと言えど、あの二人と十二匹にかなうのはそうそういないんじゃないだろうか。二人とも、戦いの中でやってきたような強い目をしていた。平々凡々なレンジャーの俺はここらでレンジャーのきっちりこなすくらいが精一杯だ。戦いを好むような性質でもない。……いや。
「お前は戦いを好む奴だったな……」
 俺の腰についている三つのモンスターボール。一つはフーディン、一つはムウマージ、そして揺れに揺れている最後の一つは――。
 外に出してやろうかとも考えたが、やっぱりやめた。非常に好戦的で血の気が多すぎる。奴を出すと丸く収まりかけていたものもおじゃんになる。出すとややこっしいことになる。出来れば、めんどくさいときは出したくない。そんな奴、である。

 少し離れた空に雷がはぜる。あの空の下でどんな激闘が繰り広げられているのだろう。何にせよ平凡レンジャーである俺に出来るのは戦いに加担することではなく、人を助けることである。盾になることは出来ても、矛になることはできない。

「大丈夫……ですかね」

 レンジャーが不安げに呟く。ないとは思うが、万が一あの二人が倒されたものならこっちに来る可能性が無いことは無い。いや、高い。俺は戦い慣れをしていないし、何よりここに残ったポケモン達は雷にも飛行にもあまり相性がいいとは言えない。しかし、だからと言って下手に動けるものでもない。雨は弱まらない。風はさらに勢いを増している。八方塞がりとでも言うべきか。

 遠くから何かのうなる声がする。大地を揺らし、気持ちを不安にさせる声が、する。


―――――――――


 ち。

 小さく舌打ちをする。遠くではぜていた雷が止み、ほっと安堵していたときに、ものすごい突風が吹きアブソルが吠えた。安堵して、構え、安堵して、構え。どうやら、今回一筋縄どころか二筋輪でもうまくいきそうになさそうだ。

 ――来るのは、風。どう、戦う。


 突風が吹く。顔を腕で庇い、少し顔を上げる。

「っ!?」

 すぐ目の前に雲があった。大きな体を雲に乗せ悠々と俺たちを見下しているのは、風神。だいぶ、ダメージを受けているらしいが、俺達を一通り見ると鋭い牙をのぞかせた。笑っている、のだ。
 ――あちらさんにとっては、余裕に見える、か。
「ムウマージ!」
 ムウマージの瞳が妖しく輝く。俺は腰につけていた最後のモンスターボールを放り投げた。放たれた赤い光が徐々に形を作っていく。
「あなたがたは、向こうへ!挟み込む形に!」
 アブソルのレンジャーに叫ぶ。レンジャーは驚くほどの身軽さで山の斜面を駆け、風神を挟んで向こう側に立った。トロピウスの背中に乗せていた少年を下ろし、彼は少年を背負い、何歩か後退した。彼の前に壁のように立ちはだかるウツボットとトロピウス。苦手なタイプの相手だと言うのに、その彼らの様子におびえなんてものは微塵も感じられない。
 ただ強い意志を持ち、風神を見ていた。
「いくぞ!」
 ボールから出た赤い光は風神の後ろから先制攻撃をかます。宙を飛ぶ風神にふいうちをかましたのは同じ飛行タイプの――ドンカラス。俺の最後の手持ちである。風神が起こした強い風がドンカラスに襲いかかる。だが、そこは強靭な羽ですぐに体制を整える。さすがそれでこそ、ドンカラス。得意げにげぇあぁ!と鳴いて見せた。あいつ、自信過剰ではない、はずだよなぁ。血の気が少し多いだけなはずなんだが。
 悔しそうに顔をゆがめた風神に、次の攻撃。
「うわぁ……」
 敵のことながら、つい声を漏らしてしまう。勢いよく風神の顔面にぶつかったのは紫色の液体。ウツボットのヘドロばくだん。怒り狂った風神は、向こう側のレンジャーの方に突撃し



――はしない。否、できない。

「フーディンはムウマージのサポートを」
 フーディンがムウマージの目の前に立ち、自分の身代わりを作った。そこですかさず、減った体力をスプーンを曲げて回復。ムウマージの瞳は妖しく輝き続けている。風神はムウマージを憎憎しげに睨みつけていた。くろいまなざし。ムウマージが倒れたりしない限り、風神は動くことはできない。これで、向こうのレンジャー側に攻撃が行くことはないだろう。向こうは三体のうち、二体が草タイプ。風神の攻撃を受けて、長く持つことが出来るとは思えない。その点、この方法ならば、こちらにしか攻撃は向かない。
 そして、もう一つの理由。それは――。
 突風が吹き、近くにあった木にしがみつく。足が、後ろに動く。風の力は強く、つかまっていても飛ばされそうなほど。だが、そのとき、またもや風神が悔しげに顔をゆがめ、唸り声を上げた。

 そう。風神が俺たちの方を攻撃しようと風を起こせば、風神の後ろ――すなわちレンジャー側から攻撃すれば、その攻撃は風にのり、強く、威力を増して、風神を傷めつける。風に乗ったヘドロばくだんが後頭部に直撃したんなら、風神でなくともご立腹だろう。俺でも怒る。つまり、風神が俺たちをお得意の風で攻撃すればするほど、風神が受けるダメージも大きくなる、ということ。

 風神が膝立ちのような体勢を変え、どっかりと雲の上に座り込んだ。何かにつかまっていなければ立っていられないような風が、木を揺らす程度のそれに変わる。

 トロピウスが大きく息を吐いた。あまいかおり。風神の動きが一瞬鈍くなったところに、アブソルが飛び掛り大きく鎌を振るった。大きく風神はのけぞり、腕を振り回す。その腕が勢いよくほっそりとしたアブソルの身体に叩きつけられる。しかし、アブソルの身体はそこで霧のように消え、風神は視線を彷徨わせた。遅い。そのとき、アブソルは風神の真上。落ちてきたアブソルが風神の身体にとがった爪をたてた。風神が大きく鳴いた。相手でつめをといで自分の能力を上げるなんて、すごいというか、なんというか怖い。
 ドンカラスが俺たちの前に舞い降り大きく羽ばたいて、あまいかおりを風神側へと押し流し、風神のまわりをあまいかおりで満たす。これで、風神の動きは若干鈍くなるはずだ。これで、なんとかなってくれればいいが。
 
 風の使えない風神はなんとか、抵抗しようとするが、その威力は風の攻撃に比べればなんてこともなかった。すでに体力をある程度消耗していたし、おまけにあまり自由に動けないとなっては、もう勝負は見えていた。





「なんだかなぁ……」
 抵抗できないポケモンをたこ殴りにしているような気がしないでもない。この状況ではしょうがないことなんだろうけど。
 さまざまな補助技を使い、自分を有利にするというよりかは、相手を不利にするような戦法。木綿で首を絞めるように、じっくりと。これが、俺の得意な戦い方だった。だから、バトルは苦手だった。小手先のテクニックに頼りすぎだと、正々堂々戦えと何度言われたことだろうか。強い技と強い技がぶつかりあい、そしてお互い、気持ちよく試合を終えられるバトルをしろと言われるたびに俺は、何と言っていただろうか。
『勝てばいいじゃないですか、勝てば』
 道端のトレーナー百人に勝てても、ジムリーダー一人にすら勝てない。試合に勝っても、試合に負けても、相手からは睨みつけられる。勝負とは、勝てばいいものじゃない。それが分からなかった俺は、バトルトレーナーの道をあきらめ、レンジャーになった。

 レンジャーの仕事は俺にあっていたのだと思う。
 例えば『かぜおこし』。バトルの場面では風を相手にぶつけてダメージを与える技だが、砂を巻き込み相手にぶつければ目潰しにもなる。ポケモンの花粉を巻き込めば、目潰しと同時に相手に状態異常の効果を付加することが出来る。『サイコキネシス』も『みがわり』もたくさんの使い方がある技だ。そして、それも相手にダメージを与えるだけじゃない、別の使い方がある。一つの技を、たくさんの技に化けさせる。それが、俺にとってはとても楽しかった。

 そして、今。レンジャーの経験を生かしつつ、俺はバトルをしている。こんなに、本格的にやったのはいつぶりだろう。風神に勝てるだろうかという不安の中に、どこかどきどきわくわくとした気持ちがあった。

 ドンカラスが赤い光を纏いつつ、風神に突撃する。あんまり、タフじゃないんだからゴッドバードやらギガインパクトやらするもんじゃないと思うのだが、彼の十八番がそれであるからにはしょうがない。あくのはどうでもふいうちでもなく、それなのである。ドンカラスがげきりんを覚えられるようになったら、彼はまっさきにげきりんをマスターするに違いない。
 ゴッドバードやギガインパクトは発動する直前や、発動した直後は動けなくなってしまう。つまり、その技の前後に隙を作ってしまうし、その隙に倒されてしまう可能性も高い。だが、その分、一発のダメージは大きい。まさに運任せ。ギャンブルみたいなものである。
 ただ、このスタイルをずっと貫いていられると言うことは、このスタイルでもそれなりに結果を出せているということである。

 ……単なる強運な気もするが。


 アブソルとドンカラス。あく同士通じ合うものがあるのか抜群のコンビネーションで風神に交互にダメージを与えている。トロピウスはあまいかおりで風神の動きを鈍くし、ウツボッドはグラスミキサーで風神の視界を妨げている。フーディンはムウマージをサポートしつつ、サイコキネシスでその場の状況を有利に変えていた。 


 いける。そう、思った。そう誰もが思っていた。


 
 弱りかけていた風神の目がかっと開いた。鬼の眼だった。その場の空気が一瞬で変わる。
「ムウマージ……?」
 今まで冷静だったムウマージの身体が、がたがたと震えていた。呼びかけても反応がない。もっと、ムウマージに近づこう。そう思って、一歩踏み出した。

 その時、突如凄まじい突風が風神の身体から放射線状に周囲に吹き出された。その強い風が直でムウマージの小さな身体に襲い掛かる。ムウマージは吹き飛ばされ、離れた場所にあった木に突っ込み、気を失った。
「なん、しようとや!!フーディン!フーデ……」
 ふと気づく。さっきまであったはずのフーディンの身体もそこにはもう無かった。みがわりをしていたはず、だった。

 ――みがわりを一発で剥ぎ取り、吹き飛ばしたってことか?

 強い風が吹き荒れる。俺は飛ばされそうになりつつ近くの木につかまり、伏せた。向こう側でも、ウツボットとトロピウスの姿が見えない。吹き飛ばされたのだろう。レンジャーは俺と同じように地面にうずくまり、少年を暴風から庇っていた。
 熱い。目の上が熱い。触ってみるとぬるりとした感触がした。手が真っ赤に染まっていた。風の刃か、飛んできた枝か何かか。まぶたの上が切れている、らしい。
「ドンカラス!」
 ドンカラスは暴風の中、まるで紙切れのようにあっちにふらふら、こっちにふらふら。おかしい。どんな風でも耐えられるとは言わないが、あんなふうになるわけがない。声をかけても、全く聞こえていない。聞いていない、まるで無視でもしているくらいに。そして、空中でもがいている。落ち着かない。――混乱。

 風神は弱りつつも、俺を笑顔で見下していた。腹のたつ奴。俺は眉間にしわをよせて思いっきり睨みつけてやった。こういうところは気迫がものを言うのだ。もし、俺がポケモンだったら直接かみついてやりたい。
「やばい、な」 
 もうポケモンがいない。ポケモンのいないトレーナーなんて、絹ごし豆腐よりもろいなんて有名な話じゃないか。唇をかみ締める。風神が、ゆっくりと俺に近づいてくる。 生暖かい液体が頬をつたって、地面に落ちる。
「ここ、までか」
                                      アームハンマー 
 風神が顔を緩ませたまま、腕を振り上げる。なるほどね。直接、手を下してくれるなんて、光栄なこった。

 ――安堵して、構えて、安堵して、構えたんだ。次にくるのは安堵。それしかない。

 風神の太い腕が落ちてくる。俺は目を閉じ、息を吸った。


 風神が鳴いた。しかし、それは喜びの声ではなく、苦しみの断末魔だった。
 赤い、赤い竜が全身に炎を身に纏い、風神の身体を強く山の斜面に押し付けていた。地面が揺れた。
「リザードン、か?」
 救援のポケモンだろうか。なんにしろ、俺はあのポケモンに命を救われたのだな。
 風神が苦しそうに、悶え鳴いている。飛行の風神に炎は効果が抜群。全身に炎を纏ったリザードンは、憤怒の表情で風神を見た。風神がおびえたように動きを止めた。風神を鋭い爪で斜面に押し付けたまま、リザードンは炎を纏った牙で風神の首元に噛み付いた。風神が力なく苦しげに呻く。あの太い腕も、リザードンの体を払いのけることは出来ない。それほど、あのリザードンは、強いのだろう。
 風神が完全に身動きしなくなると、リザードンは大きな翼をはためかせ、斜面から離れる。そうして、山の下の方へ体をくねらせ、飛んでいった。長い尻尾の先にともった炎は風に揺らぎつつも、煌々と赤く、強く、燃えていた。


 すっかり抵抗しなくなった風神が斜面を転がり落ちて、やがて、動きを止めた。苦しそうに、腹だけが上下していた。
 


 空から、羽をボロボロにしたドンカラスが舞い降りてきた。リザードンの炎に巻き込まれたかと一瞬考えたが、そのときにはどうやら混乱は解けていたらしい。向こうで、フーディンが驚いたように身体を起こしキョロキョロと辺りを見渡していた。吹き飛ばされたこと、分かってないかもしれないな。落ち葉に埋もれかけているムウマージを抱きかかえ、頭を撫でてやる。おつかれさま。本当に、おつかれさま。
 向こう側ではウツボットとトロピウスがレンジャーの元に駆け寄り、きのみか何かをもぐもぐと食べている。少年は無事だったようだ。レンジャーの隣にはアブソルが横たわっている。おそらく、あの暴風を一番近くで受けたのではないだろうか。だが、真っ赤な眼はきっと開かれ、強い力を持っていた。怪我はひどいが、命に別状はなさそうである。アブソルを撫でていたレンジャーと目が合う。彼は握りこぶしを前に出して笑って見せると、上空を指差した。




 ――青空、だった。
 まわりは雲に覆われているのに、風神を倒したところだけ、台風の目のようにぽっかりと穴が開いている。そこから、丸い青い空が少しだけのぞいていた。まぶしい。久しぶりに見た光。太陽の光が、筋のように雲の隙間から差し込んできていた。先ほどとは打って変わって穏やかな風が、草木を揺らしている。木の葉についた水滴が、葉の擦れ合う音と共にぱらぱらと降ってくる。


 気を失っていたムウマージが、目を覚ましたのか体を摺り寄せて、きう と鳴いた。腕のなかで、傷だらけの彼女は穏やかに笑っていた。
 ほっと、した。目の奥が熱くなって泣きそうになった。涙を拭おうとしてぬるりとした感触を感じたとき、力が抜けた。膝から座り込み、地面の上に横たわった。もう、体を起こしていられなかった。どこか、遠くで数人の人々の喜ぶ声と足音が聞こえた。聞き覚えのある声も、あった。

「少し、眠い……な」
 青空を背景に、俺のポケモン達が笑顔で俺を見つめている。
 もう、目を開けていられなかった。意識が、ゆっくりと消えた――。









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