潮のにおいと血のにおいが混じった変なにおいが充満していた。ザザザ、と波が引いていく。そしてまた、引き返してくる。その繰り返し。

ここに戻ってくるまでの道の途中で、何だか賑やかな声がたくさん聞こえたが、こんなところに観光客だろうか。危ないなぁと思ったけれど、本音を言えばほっとした。非力なくせに出しゃばっている気がして不安になっていた気持ちを温かくしてくれた。

しかし、相変わらず雨は降り続いている。風神と雷神がどうなったのか、その詳細はまだ知らない。だけど自然に分かる気がする。だって、傷を手当している声や勝利に歓喜する声ばかりが聞こえるから。

濡れた草を踏みしめた時、頭上でリザードンが力強く吠えた。血のにおいに反応したのか、私を置いて飛んで行ったのだが、どうやら無事にここまで辿り着いていたらしい。少しでも役に立っていたら良いのだが。

 女の子にしては大き目なリュックサックを肩から下してきのみを出していると、すっと足にすり寄ってくるものがあった。少しの時間だったのに随分と会っていないような気がして、何故か胸が痛んだ。

「…エーフィ。そうなのね?」

 いつもより小さくか細い鳴き声が私の声に答えた。しゃがみ込んで、手探りでパートナーを探し、抱き寄せる。

「本当にありがとう。貴方が映像を送ってくれてなかったら、私、きっと諦めてた」

 雨で冷えた毛並の揃っていない身体からは、土や血のにおいがした。それでも気にせず抱き締めた。エーフィは優しく私の頬を舐めた。

「…あ、ごめん。回復が先だよね。ほら、オボンの実」

 ふと気付き、慌てて鞄の中に手を突っ込む。特徴的な…人間でいうくびれみたいな形を確かめると、手に取り、差し出す。そっと地面に置いてから、空に声をかけた。

「リザードン、オボンの実…」

「ガァアアアアア!!」

 どうやら必要無いようだ。十分に元気な叫び声が響いてきた。苦笑してからエーフィの方に顔を向けると、もう食事は終わっていた。

「もう一個要る?」

 首を横に振っているのが空気の流れで分る。もう一度、私はエーフィの頭を撫でると、リュックサックを背負い直して声をかける。

「さぁ、まだ仕事は残ってるわ。行こう」

 立ち上がる。それから口のまわりに手のひらを添えて、慣れない大きな声で叫んだ。

「きのみがありまーす! 必要な人は、声をかけて下さい! 今から歩き回ります!」

 更に、足元のエーフィに指示する。

「貴方は“あさのひざし”で、できるだけ多くの人を回復させてあげて。天候は優れないけど、少しでも良いから」

 すぐにエーフィは駆けて行った。そうそう、と、頭上にも叫ぶ。

「リザードン、雨で冷えてる人がたくさんいるから、炎で温めてあげて! あ、火傷を負わせては駄目よ! 加減してね!」

 了解という意味なのか、更に元気な遠吠えと炎を吹き出す音が聞こえる。本当に加減できるだろうか…多少、いや、かなり心配だ。あの子はすぐ調子に乗るから。ため息をついていると、近くで「おぉい」と声がした。返事をして駆け寄る。

「すまないが、ヒメリの実があったら分けてくれないか」

 静かだが太くて優しい声。そんな風に思いながら、鞄から長い葉っぱを掴んでヒメリの実を2つ取り出し、手渡した。

「どうぞ…あの、回復のきのみは要りませんか?」

「ああ、いや、手持ちに“じこさいせい”ができる奴がおるんだが、使用上限を超えたんだ」

 成程。頷いて、私はもう一個ヒメリの実を取り出して渡した。“あさのひざし”もだが“じこさいせい”など回復系の技は使用回数が僅かしかない。風格からしてベテランの彼はきっと手持ちがまだいるはずだ。PP回復の実はたくさんあったほうが良いだろう。ありがとう、と言う声がじんわりと心に沁みていく。嬉しい、素直にそう思った。

「まだあるので、いつでも声をかけて下さい」

 優しい口調を心掛けて言ったその時、強い日差しを感じたような気がして空を見上げた。雨の粒が当たってこない。

「晴れた!」

 あちこちで声があがる。また、「あのポワルンだ!」という声も聞こえた。ポワルン――天気ポケモン。一体誰のポケモンだろう。歓声と共に、ざわざわと騒ぐ声が近づいてきた。思い出す…これは、ここまでの道のりで聞いたあの賑やかな人達?

「えー、誰か、このおねえちゃん回復してくれへん!?」

 強い訛りで叫ばれる。急いで声のする方に向かうと、いつの間にかエーフィがいた。晴れている今、“あさのひざし”の回復力は体力の半分を癒す程の威力を持つ。緊急に回復を必要としているこちらに向かうのを優先したようだ。こっちこっち、と背中を押されて人込みの中に入ると、足元で「フィ…」と柔らかい鳴き声が聞こえた。きっと怪我人のポケモンだろう。

「エーフィ、“あさのひざし”!」

 太陽が近くなったような暑さを一瞬感じる。見えなくても眩しい。すぐに光は収まる。しかし反応は無い。気を失っているようで、微かな息遣いは聞こえるものの、それ以外の動きは感じられなかった。もう一度指示しようと口を開けた時、別の方向で声が上がった。

「こっちのおにいさんもお願いできますか?」

 女の子の声と、背の高いポケモンの息遣いが近づいてきた。どうやら、怪我人を運んできたらしい。

「さっき崖から落ちてきて。でも、このさくらちゃんが大活躍してくれたんだけどね! ねっ、ツボちゃん」

 周りで歓声が上がる。知り合いなのだろうか。『さくらちゃん』『ツボちゃん』と何度もコールされていた。とにかく、大活躍、の中身は知れないが、崖から落ちてきただなんてどんな大怪我だろう。恐る恐る近づくと、不意に、「あのぅ」と男性の声が聞こえた。

「そろそろ…降ろしてもらっていいかな」

 何故か「いやいや」をするような、甘えた鳴き声がする。どっと笑いが巻き起こったが。







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