マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1009] 一、夢の終わり 投稿者:サン   投稿日:2012/07/08(Sun) 10:41:16   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 私がご主人と出会ったのは、まだ飛び蹴りもできないようなレベルの低いころだった。
 捕まえた私をすぐにボールから出した少年は、にっと笑ってこう言った。日向にたんぽぽが咲いたみたいな、柔らかくて、優しい笑顔だった。

「今日から、お前の名前はユイキリだ!」

 私がちょこんと首を傾げると、特に意味があるわけじゃないんだけど、と少年は苦笑した。

「ただ、何となくカッコイイ名前だろう? よろしくな、ユイ」

 何がカッコイイのかはよく分からなかったけれど、とにかく私はそのときからご主人のポケモンになった。
 ご主人は旅をしていた。私はご主人に連れられて、たくさんの場所を見て回った。
 空まで届きそうなほど高い建物が蟻塚みたいに密集している街や、乾いた砂の風が吹く黄色い大地、一面が白一色の雪の山など。ご主人と一緒に歩いた世界は、どれもこれも生まれて初めて見るものばかりだった。
 行き交う人の多さに圧倒され、思わずご主人の足にしがみついた私に、彼は大丈夫と優しく頭を撫でてくれた。手でつまみあげた黄色い砂がさらさらと落ちていく様が面白いあまり、ついつい何度も繰り返す私を見て、ご主人は笑っていた。雪道をふと振り返れば、花びらのような小さな足跡のすぐ横に、頼もしい大きな足跡。何となく、嬉しくなって、私は黙々と足を動かす彼の横顔を見上げながら、その隣を歩き続けた。
 海を見たこともある。どこまでも、どこまでも広がる大海原に、私は例えようのない感動を覚えた。本当に世界は広かった。ご主人と出会う前の私が、どれほどちっぽけな世界を生きていたのかと思うと、喜びとも悲しみともつかぬ涙が自然と溢れてこぼれ落ちた。ご主人はそんな私を抱き上げて、いつも通りの、日向のたんぽぽみたいな優しい笑顔でそっと受け止めてくれた。その温もりが身に染みて、また泣いた。
 どれほど一緒にいたのか分からない。
 昼は色々なところを歩いたり、バトルで勝ったり負けたりを繰り返し、夜は仲間たちとご主人を取り囲み、星を数えて眠りについた。
 バトルを繰り返すうちに飛び蹴りはできるようになったけれど、まだまだ私は弱かった。仲間たちにずいぶんと助けられて手にした勝利も数多い。肝心なときに飛び蹴りを外して地面に激突し、そのまま負けてしまったこともある。
 そんなとき、ご主人はいつも私の体を労って、優しく慰めてくれた。だが、私がバトルで勝ったときなどは、とびきりの笑顔で褒めてくれた。
 まだ野生であったころに、かつての仲間が言っていたことを思い出す。人間にもいい奴と悪い奴がいる。強くなればなるほど、自分でトレーナーを選べるものだ、と。
 私は決して強くはなかったが、ご主人は優しい人間だった。ご主人が笑うと、何だか温かい心地になる。
 私は、ご主人のために強くなりたかった。
 強くなって、ご主人にもっと笑ってほしかった――



 ガタン。一際大きな揺れがしたかと思うと、それを境に音が消えた。
 どこかに着いたのか。
 揺れも収まり、しんと静まり返った世界の中で、ふいに、規則正しい足音が聞こえてきた。こちらに近づいてきているらしい。コツコツと床を叩く響きが、徐々に大きくなっていく。
 その音を聞くうちに、急に心に不安が兆した。
 だめだ。
 何も考えたくない。考えてはいけない。
 これは、全部、夢だ。
 ただの、悪い夢なんだから。
 私は目をつむったまま、必死に心の内に走る悪寒と戦っていた。
 誰かがボールの中の私を見て、蔑むような気配がした。



 その日も、私はいつものようにボールから出してもらって、ご主人の隣を歩いていた。
 近くに街があるのだろう。やたらきっちり整備された道路や、往来の多さがそれを物語っていた。
 何度かバトルも挑まれた。
 その日、私は朝から調子が良く、気持ちいいほどに飛び蹴りが決まった。一度も相手から攻撃を受けることなく、一発KOすることもままあった。

「ユイキリ、疲れてないか?」

 ずっと戦いづめだったからか、ご主人が心配そうに眉を曇らせて私の顔を覗き込んだ。

『平気だよ』

 私は元気に返事をした。
 ご主人にはきっと、キュウとしか聞こえなかっただろうけれど。それでも彼は何となく私の気持ちを察してくれる。

「そうか。なら、いいんだけど」

 あまり無理はしないでよ。ぽんと頭に手を乗せられた。
 胸の中にじんわりと温かいものが広がって、私は慕わしげにご主人を見上げた。そこで、彼の異変に気がついた。
 私の方を見ていない。ご主人は顔を上げ、どこか別の方向を威嚇するように睨んでいる。
 その視線の先を追っていくと、見知らぬ男が二人、私たちの行く先に立っているのが分かった。
 今が夜であったなら、すっかり闇に紛れていただろう。男たちは頭から爪先まで、見事に真っ黒な服を身にまとっていた。
 男たちはご主人の視線に気づくと、黒の帽子と黒のマスクの間に薄ら笑いを覗かせながら、こちらに向かって歩き出した。

「ユイ、行こう」

 ご主人は突然私の右手を掴み、前へ歩き始めた。
 今までさんざんご主人の隣を歩いてきたけれど、こんな風に手を引かれて歩くのは初めてだった。それも、そっとつまむような優しい導きではなくて、彼らしくない、有無を言わさぬ堅苦しいエスコート。
 喜びより先に、驚きのあまり私は慌ててご主人を見上げた。
 あの男たちの何がそんなにご主人を刺激しているのだろう?
 彼はきつく口を結んで、前を見据え、ずんずんと歩いていく。
 正直その慣れない歩調についていくのがやっとで、考える間なんてありはしなかった。私は何度かつまずきかけながら、遅れまいと必死になって足を動かした。
 あの黒ずくめの男たちとすれ違う、ちょうどその瞬間。一人の男がさっと手を伸ばし、ご主人の右腕を捕まえた。

「おい、待てよ少年」

 卑しい笑いを浮かべながら、男が言った。

「ずいぶんと可愛らしいお連れさんだな。一目惚れしちまうぜ」

 それを聞いていたもう一方が、下品な笑い声をご主人に浴びせた。

「いや、全くだ! なあ少年。そのコジョフー、俺の嫁に欲しいなぁ、なんて」

 言いながら、男はいやに親しげな様子でご主人の肩をぽんぽん叩いた。
 嫌な感じだ。男たちはあからさまに此方が困るのを面白がっている。

「ようし。じゃあ少年、こうしよう。俺たちとバトルして、もしお前が負けたら……」

 男は目玉をぐるりとさせて、いかにももったいつけるようにわざとらしく間を開けた。
 不意に、繋いでいた右手の圧迫感が強まった。どきりとしてご主人の顔を見上げると、彼は青ざめた顔を固く強張らせ、まるで痛みを堪えるかのごとく細かく肩を震わせていた。まるで、これから男たちに言われるであろう言葉が分かっていて、それに怯えているかのように。
 こんなご主人、見たことない。彼の不安を吸い込んでしまったように、どきどきと胸の鼓動が走り出す。痛いくらいに握られて熱のこもった手の中が、じっとりと汗ばんだ。
 男たちは、ご主人の顔を目ざとく見つめながら、歪に並んだ白い歯をにたりとさせた。

「……少年。お前のポケモンを解放してもらおう」

 それまでにたにたと笑っていた彼らの瞳に、獲物を定めた獣のような、爛々とした光が宿った。
 まずい。この男たちは、ずっと上手だ。私の直感がそう告げた。

「逃げよう、ユイ!」

 繋いだ手をぱっと離して、ご主人は腕を掴んでいた方の男に当て身を食らわせた。とたんによろける男の足下を、すかさず私が駆け抜ける。いつもの二足歩行ではなく、より早く走れるように、両手も使って。まろびながら前を走るご主人の後ろにぴったりとくっついて、ぐんぐん地面を蹴り上げた。
 男が何かを叫んでいる。よく聞こえない。聞きたくもない。
 心臓がばくばくと波打った。怖い。冷たい汗が首を伝い、肩に流れる。
 走る。ただ走る。
 今できるのは、それだけだ。
 と、不意に何かが風を切って、私の横を駆け抜けた。
 尻尾から頭のてっぺんまで、急に全身を逆撫でされたようで、怖気が走った。私は反射的に前へ向かって跳躍した。
 ご主人の驚愕した顔に、紫の疾風が凶器を振り下ろす。
 それは、一瞬の出来事だった。
 布地を裂くような音がして、真っ赤なものが飛び散った。
 ご主人は襲われた勢いのまま地面に倒れた。彼は這いつくばった状態のまま青ざめた顔を上げ、私を見つめた。その頬には、真っ赤な血がついていた。

「ユイ、キリ……」

 その声は、それまで聞いたことのないほどに弱々しく、今にも消え入ってしまいそうだった。
 赤い液体が大地を濡らす。
 ご主人は、今にも泣き出しそうな、震える声で、言った。

「ユイキリ……なんで、そんな……お前、僕を庇って……」

 私は右腕をだらりと垂らしたままぎゅっと歯を食い縛り、ご主人を襲おうとした相手を睨みつけた。
 右肩のつけ根がやけに熱い。私は流れ出るものを押し込むように、傷口に添えた左手に力を入れた。
 尋常でない痛みに気が遠退きそうになったが、今ここで倒れてしまうわけにはいかなかった。

『どうして、ご主人を狙ったの』

 目の前ですまし顔のままこちらを見据える黄色い斑模様の紫猫に向かって、私は声を低くした。

『知らない。そんなこと』

 いかにも関心のなさそうな、冷めた態度で、紫猫が言った。

『命令されたから。それだけ』

 なぜ、そんな。
 いくら命令されたとはいえ、場にいるポケモンを無視して人間を攻撃するなんて。そんな命令、普通は鵜呑みにするだろうか?
 紫猫が不敵に笑う。

『幸せなコね。世の中のこと、何にも知らないんだ』

 全身の体毛がぞっとそそけ立った。
 分かっている。気圧されているのを悟られてはならないのは。分かっている、はずなのに。紫猫の奇妙な目を見ると、胸に冷たい風が吹き抜けた。
 この紫猫は、底が知れない。身体はそこに存在しているのに、意識というか、心というか、そういったものをどこか遠くへ置いてきてしまったような、得体の知れない歪な気配を感じてしまう。
 どうしようもなく、身体の震えが止まらない。じりじりと焼けるような痛みがより一層ひどくなる。つい膝をつきたくなる。だが、ここで少しでも力を抜いたら、きっともう二度と立ち上がれない。
 私はよろめきながらもなんとか両足を踏ん張った。
 怖いけど、痛いけど。私が、ご主人を守らなければ。

「ユイ、もういい! もういいよ! 頼むから、もう、戻ってくれ!」

 ご主人が震える手で私のボールをかざしている。
 あの中に戻れば安全なのは分かっている。でも、そのときご主人は――
 不吉な思いが心に揺らいだその瞬間、男の声が冷たく響いた。

「デスマス、黒い眼差しだ」

 そのとたん、身体中に悪寒が走った。おぞましい眼光に晒されて、身動き一つままならない。

「おいおい少年。いきなり逃げようとするなんて、礼儀がなってないじゃないか」

 余裕しゃくしゃくといった様子で、男たちが迫ってくるのが見えた。
 その傍らに、小さな影のような、見慣れぬポケモンが浮かんでいる。そいつは黒ずくめの男たちに合わせたような黒ずくめの全身に、金色に輝く人の顔のような仮面を持って、小さいながらも独特の不気味な雰囲気を漂わせている。
 ゴーストポケモンだ、と直感した。
 その瞬間、私の中の微かな光が消えていった。胸の奥底に辛うじて燻っていた最後の戦意が、あまりにも呆気なく崩れ落ちていく。
 格闘ポケモンの私に、勝てる手段は、何もない。

「トレーナーなら、挑まれた勝負は断れない。だろう? 少年」

 まるで足の下に押さえた獲物を転がして、弄ぶように、男たちがにじり寄る。
 その嫌味な笑顔に吐き気を覚えた。

「デスマス、シャドーボール」

 仮面の影から放たれた黒い塊が音もなく私に向かってくる。

「ユイ! 避けろぉぉっ!」

 喉も割れんばかりの勢いでご主人が叫んでいる。それはトレーナーとしての指示というより、もはや祈りに近いものだっただろう。
 でも、無理だ、と思った。だって、もうどこも動かないもの。
 がっくりと膝をつく私の視界を、黒い稲妻が上から下へ、真っ二つに走り分けた。

「ユイキリ……」

 ご主人が、信じられないものでも見るように目を見開いた。僅かに開いた唇から、私の名前が掠れ出る。手を伸ばす。私に向かって。
 まるで夢の中にいるような、現実味のない、ふわふわとした不快な感覚。光と闇が入り混じる意識の狭間で、私はぼんやりと差し出された手を見つめていた。
 触れたい。触れたい。彼の手に。彼の温もりに。
 あるいは、それは本能的な衝動だったのかもしれない。産まれたての赤子が母の乳房を探るように、羽化したばかりの蝶が飛び方を知っているように。
 私の手は、不自然なほど自然にご主人を求めていて。それでも身体はうまく動いてくれなくて。
 辛うじて伸ばそうとした左手が、不意に誰かに引っ張り上げられる。とたんに痛みまで引き上げられたようで、私はか細い悲鳴をもらした。まるで血管と一緒に痛みの脈が走っているのではないかと思うほど、ズキンズキンと一定のリズムに乗って身体中に響き渡る。
 ご主人が何かを叫んでいる。口の動きしか分からない。きいきいと金属音のような耳鳴りがうるさくて、何も聞こえない。
 すぐ後ろで、男が何かを言った。
 指示を受けたのだろうか。あの紫猫が、しなやかな足取りでご主人に向かっていく。
 止めて、止めて。彼を傷つけないで。
 どんなに心の中で叫んでも、助けてくれる者は誰もいない。
 紫猫の長い前足が鋭く伸びて、ご主人の手から何かを掠め取る。何か。
 答えはすぐに出た。それが何を意味するのかも。

(私の、モンスターボール……!)

 それは、人間であるご主人と、ポケモンである私を繋ぐ、唯一の道具。
 あれがご主人の手にあったから、私は彼の元にいることができたのに。
 まるで身体の一部をもぎ取られたような、そして、二度と取り返しのつかないような、焦燥感と、喪失感。痛みと、絶望と、他にもいろんなものがぐちゃぐちゃになって、もう何が何だか分からない。
 紫猫が赤白二色の小さな球を咥えて悠然と踵を返し、黒ずくめの男の一人に渡した。
 男がボールを私に向け、たちまち赤い光に包まれる。
 どうしてだろう。もう何度も経験している感覚のはずなのに。
 自分のボールに戻るときは、こんなにも息苦しいものだったろうか。目が熱くて熱くて、身が引きちぎれそうなくらい悲しくて、どうしようもないものだったろうか。
 ご主人が呼んでいた。泣きながら、私の名前を。
 その声に答えたかった。彼の胸にすがりつきたかった。
 それでも、私の従わなければならない人間は、もう彼ではなくて。
 遠ざかっていく彼の声が、また悲しくて。
 私の意識は、深い深い悪夢の底へと落ちていった。



 ここはどこだろう。
 身体がぽかぽかと温かい。鉛のようなだるさも、痛みも、悪寒も、全て嘘のように消え失せている。
 ここは夢の中なのだろうか。
 誰かが私の背中をさすってくれている。毛の流れに沿うように、首の後ろから、尻尾のつけ根まで、優しく、優しく、そっとつまむような指運びで。
 この感覚には覚えがある。
 ご主人だ。ご主人が撫でてくれているんだ。
 そうか。やっぱり、あれは夢だったんだ。きっと私がうなされていたのを見て、ご主人が慰めてくれているんだ。
 こっちが本当の現実なんだ。
 何だか急にほっとしたようで、私はもう一度眠りの世界へと落ちていく。
 大丈夫。あんな悪夢を見るなんて、どうかしていたんだ。きっと少し疲れていたんだ。
 今度はいい夢を見られるさ。だって、ご主人が一緒だもの。
 大丈夫。大丈夫――



『大丈夫だ。今は、ゆっくり休みなさい』

 誰かが心に話しかけてくる。
 低く威厳に満ち溢れ、それでいて落ち着いた声だった。
 声は、私を諭すように、一言一言区切りながらゆっくりと続けた。

『傷は、きっと良くなる。だから、焦ることはない。
 目覚めた後は色々思うところもあるだろう。だが、決して自暴自棄になってはいけないよ。最初は納得いかないかもしれないが、よく周りを見て、落ち着いて行動しなさい。
 大丈夫。とにかく、今は静かに休むことだ。大丈夫、大丈夫……』

 夢の中の声に導かれるように、私は更に深い眠りの底へとついていった。
 今度はもう、夢は見なかった。ただひたすらにぐっすりと、安心し切って闇の中へと溶けていった。



 わあぁぁぁっ。沸き立つような喚声に、突如私は跳ね起きた。いつの間にか、またボールの中だ。
 やかましいほどの喚声からは、歓喜、怒声、激励など、さまざまな感情が入り混じって聞こえてくる。そして時折、地響き、雷鳴、いななき、何かと何かが激しくぶつかり合う鈍い音。
 何がどうなっているか分からぬうちに、私は突然ボールから放たれた。
 不思議だ。ずいぶんと長い間、外の空気を感じていなかった気がする。
 それを確かめるように、大きく息を吸って、吐こう、とした、その矢先。
 息と一緒に、心臓までも止まりそうになった。

「固体識別番号二三六。種類、コジョフー。性別、メス。使用可能な技は……」

 見知らぬ女性。
 何かのファイルをめくりながら、感情のない淡々とした口調で情報を告げていく。
 その様子だけでも相当不気味に思えるというのに。彼女は、夢の中に出てきたあの黒ずくめの男たちそっくりと服を身にまとっていた。
 辺りを見回して、更に混乱した。
 同じような格好をした人間が、何人も、いる。
 皆、闇夜のごとき黒服に、黒い帽子、黒いマスク、黒い手袋、黒い靴。全身真っ黒の、黒ずくめ集団。
 これは、一体何の悪夢だろう。思わず肩を抱き、目をつむる。
 ご主人、お願いだ。私を起こして。どうか、どうか、一刻も早く。この悪い悪夢から、目覚めさせて。
 わあぁぁぁっ。また喚声。
 つい目を見開くと、少し離れたところに、全身に刃をつけて真っ赤なヘルメットを被った小さな人型が、相対するように組み合っていた胴長鼠を辻斬りで一閃するところであった。
 息を呑む私をよそに、黒ずくめ集団が再び地沸くほどに声を上げる。

「固体識別番号二三一、コマタナ、認定ランクB」

 女性が、やはり抑揚のない声で言いながら紙に何やら書き込んでいく。
 地面に記された白いライン。スポットライト。広いフィールド。見覚えのあるような情景に、ここが、何をする場所なのか、うっすらと分かった気がした。
 ふと何かの視線を感じて振り向くと、白い稲妻型のたてがみを光らせながら、縦縞模様の大きな馬が此方を見つめ、いきり立つように蹄を鳴らしていた。

「行け、コジョフー」

 聞き覚えのある声にぞっとした。振り返ると、見たことのある顔の男がそこにいる。
 夢であったはずのものは、夢ではなかった。ずっと覚めることを願っていたはずなのに、目覚めた場所は、現という名の悪夢の続きで。
 私は、真っ白になった頭のまま、自分をご主人から引き離した男の顔を呆然と見つめていた。


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