マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1100] 〜3.初雪は溶けぬ 投稿者:咲玖   投稿日:2013/05/17(Fri) 17:47:58   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:PG12

 青井と別れた後、智志は真壁を探した。
 待ち合わせ場所に決めていた公園に、真壁はいない。近くをうろつき回って、公園の裏手にあるコンビニに来たところで、出しっぱなしにしていたアマテラスがうぉんと鳴いた。
 真壁さん、と声を掛けようとして、智志は黙る。
 真壁は、智志に気付いていなかった。いつもの大きな鞄を背負ったまま、茫漠と彼方を見やっていた。指を熱しそうな程短くなった煙草を持ったまま、彼は風を試すように、ひゅうと鋭く紫煙を吐き出した……今にも飛び立ちそうな鷹であった。
 智志は、自分でも気付かぬまま、両手を上げていた。自分でも何故そうしたのか分からない。しかし、両手で箱でも持つみたいにして、顔の前まで持ち上げていたのは事実だ。真壁と目が合って、智志は捧げていた手をパッと顔の前で合わせた。パンと小気味良い音が鳴る。魔法でも解けたようだった。
「八坂か」
 真壁はもう燃え尽きそうな吸殻を、携帯灰皿へ入れると、智志の方へ歩み寄った。智志は会釈して、顔を上げる。「どうだった、青井は?」そう聞かれた。
「えっと……元気そうでした」
「他の連中のことは、何か言ってたか」
「いえ……」
「そうか」
 言いながら、真壁は二本目の煙草を出した。真壁がスモーカーだとは知らなかった。智志の目に気付いたのか、真壁は付けたばかりの煙草を消す。
「事務所では吸えないんだよ。壁紙が変色するって、トビイシが煩いからな」
 それから、「海原が冷血だとか、言ってなかったか?」と尋ねた。
「いえ」
「そうか」
 ふう、と紫煙の混じらない空気を吐き出して、真壁は言った。
「青井はよく、海原のことを他人を顧みない冷血漢みたいに言っていたが。俺はむしろ、逆だと思ったよ。海原は自分を顧みない奴だった」
 智志は首を傾げた。
「思い遣り以前に、合理的なんだよ。自分も含めて損得勘定をやる。だから冷血漢みたいに言われるんだが、人に思い遣りがない奴じゃない」
 青井も、と真壁は続けた。
「あいつは如何にも豪放磊落って感じに見えるだろう? でも、あいつは気を遣う奴だよ。自分を豪放磊落に見せといた方が他人にとって都合がいいから、そうやってるんだ、あいつは」
 真壁は、不思議と嬉しそうだった。きっと、智志が青井に会ってきたという事実を通して、彼も旧友に再会しているのだと、智志は思った。それで、智志は聞いてみた。
「真壁さんはどうだったんです?」
「俺? 俺は線の細いもやしだったよ」
 真壁は笑って言う。
「それと、彼女についてはノーコメントだ」
 智志が何か言う前に、先回りした。
 智志は、青井が真壁について言っていたのを思い出した。――真壁はトリオの恋愛事情からは一歩身を引いていた。
 真実は分からない。あるのは智志の推測だけだ。ただ、真壁も、晶子が好きだったのだという気がした。
 真壁はしばらくの間、立ち止まって、ひと気のない道の向こうを見やっていた。智志も真壁に付き合って、立ち止まっていた。真壁の視線を追っても、彼が見ているものは分からなかったが。

 ――しばらくして。
 智志は唾を飲むと、「真壁さん」と切り出した。
「ん、何だ?」
「青井さんから伝言です」
 真壁の目が、すっと細くなった。
「“雪ちゃんのことは忘れろ”」
 伝言の内容も、予想がついていたのだろう、それでも。真壁は手に持ったままの煙草を、ノロノロと口に運んだ。そして、火が付いていないことに気付いたのか、それを携帯灰皿へ突っ込む。
「雪ちゃん、て、誰です?」
 智志は聞いた。
「場所を変えよう。それから」
 真壁は真新しいカートンを、智志の手に落とした。
「これを渡しておく。遅くなったが、いずれ必要になる」

 真壁の後ろに付いて、ありふれたマンションの一つに辿り着いた。エントランスの郵便受けから、苦労して鍵を取り出す。その様子を、生垣の上からニャースが見つめていた。嫌に見つめていた。真壁がやっと鍵を出して「行くぞ」と言った時に、ニャースもヒラリと身を翻して消えた。去り際、後ろ足に金色のタグが見えた。
 あの育て屋のポケモンかな。
 真壁に連れられて、階段を上る。アマテラスはボールに戻した。ドアの並びを抜け、コの字型の角にある部屋に入った。表札をチラリと見る。『遠泉』。真壁は慣れた手付きで明かりを付け、中に入る。智志も彼に続いた。
 中は恐ろしく生活感のない部屋だった。応接セットに備え付けの棚があった。それしかなかった。真壁がソファに掛けられた埃よけのカバーを取り払っている。リビングの向こうにキッチンが見えるが、そこも似たり寄ったりだろう。冷蔵庫が入るべきスペースが、ぽっかり空いていた。
 真壁はソファに座ると、智志にも座るよう、促した。会釈して、智志は真壁の向かいに腰を下ろす。低い机の上には、灰皿と、何も入っていない一輪挿し。
「友人の家だ」と一言説明を加えてから、真壁は灰皿に煙草を置いた。促されて、智志もICレコーダーを置く。レコーダーは灰皿の影で、控え目に駆動音を立てた。
「さて、どう話したもんか……」
 真壁は火の付いていない煙草を見つめ、考え込む。そして、こう始めた。
「お前を青井に会わせたのは、早すぎたかもしれないな。でも、いい。いずれは話すつもりだったんだ。
 ……お前を引き入れる気になったのも、元はと言えば、この話をする為だったかもしれん」
 真壁は目を伏せる。
 鷹の目を伏せた男は、急に老け込んで見えた。
「これは、馬鹿な男の話だ。話半分に聞いてくれていい。
 関わらなくていい事件を追いかけた、ある男の話だ」

 ずっと頭の中にこびり付いて離れない光景がある。
 それは、駅のポスターだ。ポスターらしからぬB5判で、印刷屋に頼んだらしい光沢のある紙面には、素人じみたレイアウトでこう書かれている。
『   ちゃんが行方不明です。情報提供お願いします』
 名前なんて覚えていない。一時期、ニュースでやっていた気はするけれど。
 立地と接続に恵まれた駅だったから、利用者は多かった。カントーの大都会には及ばなかったろうけれど、何千もの人々が、そのポスターの前を通り過ぎただろう。
 そう、通り過ぎただけだった。
 偶に目をやる人もいるが、すぐに自分に関係ないこととして目を逸らす。当たり前だ。一ヶ月か一年か、そんな昔の、行方不明になった子どもの手がかりなんて、持っているものか。
 そして、ポスターは日常風景の中に溶け込み、その存在は消え失せる。
 駅を、そのポスターの前を、何千何万の人々が通り過ぎる。その人々を眺めながら、ポスターは静かに黄変していく。

 そのポスターと関係があったかは分からない。ただ、その光景が忘れられなかった所為だろう。
 成長して、人並みに旅に出て、あまりうだつが上がらず早期に学業に身を投じたその男は、新聞社に就職した。文章を書くのは嫌いではなかった。
 警察の記者クラブに入れられたその男は、最初はそれなりにやっていた。が、間もなく全体と、自分の理想との齟齬を感じるようになる。
 報道はこれでいいのか。
 ニュースというのは売り物だ。そしてその売り物は、人目を引くものでなければならないし、何より新鮮でなければならない。そういった売り物を陳列棚に並べていけば、自ずと古いものは取り除かれる。
 それでいいのか。
 男の頭の中には、常にあのポスターがあった。誰も最早、気にしない事件。ニュースになったその時には、事件現場の地名も、行方不明になった子の名前も、皆言えたはずなのに。忘れられた事件。それでいいのか、と男は思った。
 それでいいんだ、と周囲は言った。人間が覚えておけるのは、バベルタワー事件や、アサギ大震災のような大きな事件だけだ。細かい事件を覚えていたら、キリがない。
 でも、と男は思う。
 男の脳裏には、古びていくあのポスターがあった。それを見て、通り過ぎていく人々があった。
 どんなに細かな事件であっても、あのポスターを貼った誰かの人生が、変わらなかったはずはないのに。
 忘れていいのか。

 少し記憶が相前後していたようだ。彼らに会ったのは、バベルタワー事件より前のことだったから。
 さっきも言ったように、男は警察の記者クラブに出入りしていた。そして、周りから爪弾きにされていた。まあ仕方ない。浮いたことを言う奴だったから。
 そんな彼だからこそ、あの人たちは声を掛ける気になったのだろう。あるいは、警察から出てきたから、一匹狼の、変わり者の刑事とでも思ったか。しかし、全くもってそれは、関わる必要のない事件だったんだろうよ。
 極端な話、彼らが二言三言話しかけてきた時点で、さっさと無視して行ってしまえばよかった。男の同僚たちならそうしただろう。
 でも、男は最後まで話を聞いた。話を聞いて、協力すると約束した。
 結局、男は約束を破った。出来もしない約束だったんだ。

 忘れもしない、初雪が舞った日のことだったよ。

 老齢の夫婦は、事件の被害にあったのだと男に語った。そして、男に事件の捜査状況について、教えられる範囲でいいから、教えてほしいと頼み込んだ。
 男は承知した。
 男は伝手を頼って、警察内を色々尋ねて回った。その結果、夫婦に知らせられるようなことは、何もないと分かった。
 捜査はもう、されていなかった。
 少し考えれば分かることで……その事件が起こってから、もう四年の月日が流れていた。その四年の間に、新たな事件が起こるし、未解決の事件も増えるだろう。証拠は古び、証言は当てにならなくなる。人員の割り振りや効率を考えて、捜査はやらない方が当然だった。
 でも、男は諦めなかった。
 警察の人間に、片手間でいいから捜査をしてくれないかと頼み込んだ。無碍に断られた。当たり前だ。警察の捜査は、組織でやるから意味がある。一人で足掻いたって、結果は得られない。他の人の協力を得ようにも、新しい事件が起こる。結局、一人を除いて、男に賛同する者は現れなかった。その一人も、十分変わり者だったが。

 とはいえ、十分な成果が得られたとは言い難い。捜査してくれるのは、たった一人だ。男は捜査なんて出来ない。そこで男は、老夫婦と交わした、もう一つの約束を果たすことにした。
 ――事件にあったあの子が、生きていた証を残してほしい。
 本を出そう、と男は言った。その子の半生と、事件で残されたあなた方の思いを、本にまとめましょう。上手く出来たら、警察だって再び動いてくれるはず。
 なんて思い上がりだったんだろうな。

 男は、本の出だしはこうするつもりだった。
『その年の初雪が舞った日に、可愛らしい女の双子が生まれた。
 彼女らは、その日の雪の美しさに因んで、初と雪と名付けられた……』
 そして、男は彼らの半生を追い始めた。

 男は足繁く夫婦の家に通っては、本を書き進めた。
 そうすることで、事件を人の記憶に残すことが出来ると、事件にあった人のその後の人生に意味を持たせられると、そう思っていた。
 事件にあった雪ちゃんの部屋は、ほとんど事件当時のまま残されていた。雪ちゃんがいつ帰ってきてもいいように、服や教科書は毎年新調していたようだった。
 言い忘れていた。彼女は誘拐されたんだ。
 下校途中に、誘拐されたらしい。雪ちゃんは日直当番で、双子の初に先に帰ってと言ったらしい。そうして、少し遅く小学校を出た彼女が、家に戻ることはなかった。
 帰りが遅いことを不審に思った両親が学校に連絡し、被害届を出した。雪ちゃんが学校を出てから、その時点で一時間も経っていなかった。しかし、手がかりとしてあがったのは不審な車一台だけ。それ以外には何も分からず、お宮入りだ。
 夫婦はそれでも、必死に雪ちゃんの手がかりを探した。チラシも撒いたし、事件に繋がる手がかりに謝礼金も付けた。それで集まる手がかりというのは、記憶違いや謝礼金目当てのものばかりだったが。とにかく夫婦は尽力した。慣れないインターネットを使って、情報を集めようともした。その一方で、男に雪ちゃんのこれまでの人生の話をした。運動会とか、ポケモンとの触れ合い会だとか、他愛のない話ばかりだったけれど、言葉の端々に、彼女にまだ生きていてほしい、会いたいというのが零れていて、その印象が強く残っている。
 それから、印象に残っている話がもう一つある。事件から大分経って、報道もパタリと消えて、情報提供を申し出る電話の数も目に見えて減っていた時の話だ。珍しく、手がかりらしき情報を、夫婦の家まで持ってきた人たちがいた。結局手がかりは意味のないものだったんだが、その人たちと、学校から帰ってきた初が、ちょうど鉢合わせた。誘拐されたと聞いていたのと、同じ年くらいの女の子がいたから、相手も驚いてただろう。夫婦は、この子は誘拐された子じゃなくて、双子の初ですと説明してから、その人たちを帰した。初が家に入り、その人たちが家を出て、扉が閉まる。閉まった途端、外から声が聞こえてきた。
 ――なんだ。もう一人いるなら、いいじゃない。
 男はその話を聞いて、義憤に駆られた。なおさら、本を書き上げなければと思った。
 男は本を書き進めた。その間に月日は流れて、雪ちゃんのいない日々の話が増える。彼女は当時七歳だったから、今年、小学校を卒業する予定だった。夫婦は旅に出る予定だったと言っていたが、子どもを授かったのが遅かったし、古い気質の人だったから、彼女がいたらどうだったか。
 起こらなかったことを考えても仕方ない。
 この頃になると、夫婦の話にも変化が生じてきた。本は雪ちゃんがいなくなった後のパートに入っていた。男はここから、雪ちゃんがいなくなった後の、家族の苦悩を書き出そうと思っていた。最初は調子よく進んでいた。いつでも雪ちゃんが帰ってこれるよう、頑張って待ってるよ、とそういう調子だった。それから、雪ちゃんがいなくて寂しい、になる。雪ちゃんがいればもっと良い事があっただろう、になる。それから、雪ちゃんがいた時は良かった、雪ちゃんがいれば、雪ちゃんなら。どんどんそういう方向にズレていった。
 男は軌道修正しようとした。でも、後悔してもしきれないんだ。そういうものだ。あの時、こうしていれば事件は起こらなかったかも、というイフを考えて、事件がなかったら、というイフを考えてしまう。そういうものだ。でも男は、どうしても軌道修正したかった。その方がいい本になると思っていたんだ。そして、夫婦が自分の思い通りにならないと見るや、今度はうんざりしはじめた。同情がなければ、夫婦の言葉はうんと暗い音楽が入った、壊れたレコードみたいなものだったからな。男は一旦、距離を置いた。そうした方がいいと思ったんだ。
 今まで、初の話をほとんどしてなかったな。
 彼女はそもそも、男にあまり協力的ではなかった。一度、インタビューめいたものはやってみたが、無理矢理書かされた作文を音読してるみたいだった。駄目だったよ。今から思えば、あの年頃の子だ。あまり自分の心情を突っつかれたくなかったんだろうな。
 それでも、男と夫婦が本を作ってるのをよく見てたし、何より夫婦とずっと暮らしてたのは彼女だ。夫婦が雪ちゃんについて話すのを、ずっと聞いてた。夫婦が、雪ちゃんを見つける為に頑張ろう、って気持ちから、どんどん後ろ向きになっていくのを、傍で見てた。男が夫婦から身を引いたのを見て、今度は自分が夫婦を支える役になろうとやってもみた。それで、あんなことになったんだろうな。
 ずっと後悔してるんだ。
 俺があの家族に手を出さなければ、あんなことにならなかった、ってな。
 でも、だからといって、なおさら、あんなことになったからこそ、手を引けなくなった。
 言い訳ばっかりだよ。情けない。

 夫婦が疲れてきて、その影響をモロに被ったのが初だった。
 それまでも、悪い予兆はあった。夫婦は、雪ちゃんがいれば初ももっと勉強できたかも、とか、雪ちゃんはいい子だったのに初は、とか言い始めてたからな。
 それでも初は頑張った。月並みな言い方だが。先に抜けた俺の穴を埋めて、夫婦に自分を認めてもらおうとしたんだと思う。雪ちゃんはいないけど、自分はいる。そういう心情だったのかな。あの頃は、夫婦は雪ちゃんのことばっかり言ってたよ。あの夫婦にそうさせたのは俺だ。
 初は今でも、俺を憎んでるだろうな。
 秋が終わって、冬の寒さが増してきた頃のことだった。初雪が、降るか、降らないか。ちょうどそんな頃のことだ。俺が久方ぶりに夫婦の家を訪れると、中から怒鳴り声が聞こえてきた。そして、扉に近付くと、触れもしないのに引き戸がガラッと開いて、中から初が飛び出してきた。妻の方が戻ってきなさい、というのも聞かず、走り去っていった。家に残された夫婦は、呆然としていた。
 諍いの内容は、家の外からでもはっきり分かった。小学校の卒業を間近に控えた初が、旅に出ると言い出したんだ。その頃は既に、旅のトレーナーには逆風が吹いていた。そんなんで食っていけるわけがないし、それにあの事件だ。雪ちゃんのことがあって、初を旅に出すわけがない。それで喧嘩したんだな。
 結局、初は両親と和解しないまま、旅に出ていった。そのまま両親を避けるように、遠い地方で結婚して、そこに腰を据えた。あの時代に旅に出た割りには、平凡な幸せを掴んだんだと思いたい。最初の幸せをぶっ壊したのは、俺だからな。
 本を作る話はまだ有効だったが、手は止まっていた。雪ちゃんがいれば、という話の次は、初がいれば、とそればっかりだったよ。俺は、もう嫌気が差していたんだ。他にも事件を追いかけてつつき回した所為で、会社にも睨まれてた。連続強姦事件の、ゼロ番目の被害者についても掘り出そうとして、しこたまブーイングを食らってた。最後の方は干されてたよ。会社にいても仕事がない。俺は会社を辞めて、家も引き払った。フリーだと都会の方が都合がいい、なんてのは建前だ。思惑通り、距離が離れれば、あの家族との縁は自然と切れた。重荷はなくなった。心は晴れなかったよ。
 それからはフリーで色々と活動した。お前も本を読んだかもしれないが、俺も多少はまともな物を書くようになった。昔手がけた事件の内、いくつかは縁があって、まだしつこく追いかけていた。途中で、もう追いかけるのをやめよう、と言われたことも何度かあった。でもまあ、双方話し合って中止を決定したんだから、マシだろう。俺なりに満足感もあった。その時、電話がかかってきたんだ。
 六年前のことだ。
 電話の主は海原だった。
 俺は忘れていたよ。海原に、事件の捜査を頼んだこと、何もかもな。
 海原は、事件をずっと追いかけていた。警察を辞めて、その時は探偵になっていたが。
 電話を受けて、俺は海原が言った場所へ向かった。雪ちゃんの事件の手がかりが見つかった、と電話ではそれだけだった。
 俺は喜んでいた。これで、あの夫婦に報告できると思った。この数年間の停滞をチャラに出来ると思ったんだ。
 俺は、何をしていたんだろうな。

 手がかりが見つかった、と言っていた山への出入り口は、全面的に封鎖されていた。登山道の入り口に、キープアウトの黄色いテープが貼ってあった。その内側にも外側にも、パトカーやら色々停まってて、海原はテープの外側に立っていた。
 俺は海原に近付いた。海原は俺を見るなり、言ったんだ。
 ――喜べるものじゃない。
 それから車に乗せられて、手がかりを見せてもらえることになった。車に乗せられた当初は、俺は喜んでいた。手がかりが何であれ、犯人逮捕に繋がるならいいことじゃないか、とな。だが、車が進む内に、海原の性格を思い出して不安になってきた。あいつが意味深な言い方をする時は、絶対何かあるんだ。外れてほしいと思いながら……車は、山道を上っていった。夏でも暗い、あの時は真昼間だったのに、寒くて、俺は幽霊パトカーじゃないかとバックミラー越しに運転手の顔を確かめた。その時は、本気で不安だったんだ。
 車は山道を上りきったところで停まった。峠道で、進むと下りになるが、山頂じゃない。右も左も鬱蒼とした山の中だった。その、暗い森の中を、警官たちが大勢、歩き回ってた。山全体の捜索をかけてたんだ。俺は車から降りて、別の車に誘導された。そこに置いてあった。
 最悪なのは、遺体だと思った。意味のよく分からない手がかりで、落胆する可能性も考えた。雪ちゃんに関係ない可能性も考えた。
 想像力が欠如していたよ。
 その車には、証拠品が集められていた。俺が姿を見せると、捜査員が頷いて、例の手がかりの情報をプリントした紙を見せてくれた。
 見つかったのは、彼女だった。足だけだった。
 そこからどうやって戻ったのか、見事に記憶がない。歩いて戻ったのは確かだろうけどな。
 俺は海原の所へ行った。そこで会話を交わした。家族には、捜査員が説明するから、お前が気に病む必要はない、そういうことを海原は言っていた。
 それから、一人で近くにあった定食屋で、ラーメンを食っていた。気付いたら、考え事をしながら麺をすすっていた。彼女の事件では、足の指紋も取れていたから、ほぼ確定だろう。あとはDNA鑑定をしてお墨付きだ。それから、生活反応のことを考えていた。彼女は生きている。そして恐らく近くにいる。足がない状態で。それが喜ばしいことなのか、悲しむべきことなのか。それ以上はもう、考えたくなかった。
 夫婦が呼ばれて、説明を受けたと思う。俺は会っていない。
 それから間もなくして、夫、妻と立て続けに亡くなった。初は結局帰ってこなかった。外国に行ってしまって、連絡もついたかどうか。他に身寄りもないしで、妻の方は俺が看取った。最期に言われたよ。「どうして本を書いてくれなかったのか」ってな。

「それで、俺は追うのを辞められなくなった。生きている雪ちゃんが見つかるかもしれない。そういう希望に縋って」
 真壁は言葉を止めた。
 そして、自動人形のように、灰皿から煙草を拾い上げると、咥えて火を付けた。
 少し一人にしてくれ。その姿が、そう言っているように思えて、智志はそっと部屋を出た。

 夜の帳はもう下りたというのに、町は不自然に明るかった。生き生きと輝く町の明かりに照らされて、智志は犯罪者になったかのように、落ち着かなかった。智志は慣れない地理で、コンビニを探した。見慣れた看板を目指し、ふらふらと入り込む。他の商品には目もくれず、一番安いライターを買うと、智志はコンビニを出た。そして、縋るような思いで喫煙所を探した。古い煙草屋の前に円柱状のそれを見つけて、智志は取る物もとりあえず煙草の煙を呑んだ。まるでニコチンの切れたニコチン中毒者のようだ、と思いながら。もうシャッターの降りた煙草屋を見ながら、乾ききった者に水を与えるようだとも思った。
 煙を呑み込むだけ呑み込んだ彼は、やっとの思いで煙を吐き出した。吐くだけ吐いて、次は空気を吸い込んだ。夜のそれは、町中らしく淀んではいたが、十分に冷たくて彼の肺を洗った。
 智志は、煙草を灰皿に捨てた。赤い一点の光は灰皿の底に落ちて、見えなくなった。
 何秒間も、智志は何も考えずにいた。何故かこみ上げてくる涙を、ただ堪えていた。

 しばらくして顔を上げた智志は、「あれ」と懐疑の声を漏らした。数メートル先の街灯の下にいる人物。首を伸ばしてよく見てみる。確認すると、小走りで近寄った。
「何やってんだ、絵里子」
 妹が、驚いたように振り返った。驚いたのは智志の方だ。こんな夜中に、こんな遠くで、何をしているのか……知らない男と。
「何だ、知り合いか?」
 知らない男が声を上げた。変な匂いがした。加齢臭か、あるいは風呂にしばらく入ってないのだろうかと智志は思った。絵里子は困ったように智志を見た。智志は絵里子を見、男を見る。
 男は、目ヤニの溜まった目で智志を睨んだ。白目が灰色にくすんでいた。頬が痩け、雑草のように髭が生えている。旅のトレーナーだろうか。その可能性が頭を過る。
「知り合いじゃないならなんだ。マスゴミか?」
 智志は一瞬、聞き違いかと思った。だが違う、確かに男はゴミと言ったのだ。
 うるせぇ蠅みたいにブンブンいいやがって、と前置きしてから、男は口に入った蠅でも吐くようにこう言った。
「刑期は終えただろ。なのに前科がどう、事件がどうこういいやがって。いいか、俺はまともに就職もできねえんだ。住む場所もねえ、トレーナーにもなれねえ。くそっ」
 男が唾を吐いた。そこではじめて、智志は男の口が臭いことに気付いた。歯磨きもできないのか、と智志は思う。
「いいか、俺はムショにいたんだ。罪を償ったんだよ。なのに世間は事件がどうこういいやがる。もう終わったんだよ。事件は終わったのに。畜生っ」
 あなたも忘れたいんですね、と智志は呟いた。智志が忘れたであろう事件の、咎人。彼らも覚えてはいられないのか。

「行くぞ」
 男が絵里子に手を伸ばした。とっさに智志が間に割って入る。途端、目の前が白く光った。気付いたら、智志は殴られて地面に転がっていた。
「通報したけりゃしろよ。どうせ前科者だ」
 男はそう吐き捨てて、去っていった。
 道端から、ひょいとガーディが姿を見せた。ガーディは横たわったままの智志を呆れたような目で見ると、男の後に付いていった。後ろ足に金色のタグが付いていた。
 ガーディと男は街灯の光が届かないところへ行った。智志は冷たいアスファルトから起き上がる。絵里子と目が合った。
「向こうが絡んできたの」
「何も言ってないよ」
 自分でも驚く程穏やかな口調で、智志はそう言った。
「旅に出るなら、気をつけろよ」
 妹は唇をきっと結んで頷くと、何も言わずにボールからヨルノズクを出して、夜空を一直線に飛んで帰っていった。
 智志は、しばらくそこに立ち竦んでいた。闇に溶けたガーディの橙が網膜に焼き付いて、離れない。
 手の平でボールを転がした。そっと地面に落とし、開く。夜闇に驚いたアマテラスが、きゅんと鳴く。智志は黙って歩き出した。アマテラスはご主人の様子を訝りながら、それでも横に付いてトコトコ歩いた。
 真壁の本に、事件を忘れないでいることに感銘を受けて、ここまでやってきたのだった。でも、事件を覚えていることがとても重くて、それでも忘れないで出せた答えが、ポケモンに法律を守ってもらうことなのだというなら。それは良い事のはずなのに、空しくて、情けなかった。
 それとも、忘れた方がいいのだろうか。
 遠くから近付く人影に、立ち止まった。疲れ切ったサラリーマンのようなその男は、「忘れ物だ」と言って、智志の手にレコーダーを握らせた。
 そのまま去ろうとする真壁に、思わず「真壁さん」と呼びかけた。
 しかし、レコーダーを握ったまま、言葉が出てこない。
「あの、……」
「慌てて答えを出さなくてもいいぞ。モラトリアム小僧」
 真壁は疲れたような、優しい目で智志を見ると、鷹が飛び立つように、夜風を切ってその場を去った。
 智志はそっと、アマテラスのたてがみを撫でる。ポケモンに法律を守ってもらうのは、悲しい。でも今は、ポケモンに傍にいてほしかった。


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