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  [No.1116] 悪徳勝法の馬鹿試合 4 投稿者:烈闘漢   投稿日:2013/06/08(Sat) 22:54:56   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

悪徳勝法の馬鹿試合
      4







チャ・ラ・ラ・ラン・ラン・ラ・ララ〜♪

ガラス張りの自動ドアが開くと、奇妙なテンポのBGMが流れてきた。
どこのポケモンセンターでも流れている、トレーナーおなじみの曲であった。

カウンターへ向かい、
ピチカ入りのモンスターボールと、
『ヤマブキ・シオン』のトレーナーカードを差し出す。
受け付けの老年の女性が受け取る。

「お預かりします」

ポケモンセンターで働く女性は、親しみやすさを込めて『ジョーイさん』と呼ばれている。
女医と獣医の混じった造語なのだろう、とシオンは勝手に決めつけていた。
しかし、よく考えてみれば受付の女性は女医でも獣医でもない。


シオンの言うことを聞いていれば、良い思いが出来る。
そう誤魔化しているからこそ、ピチカはシオンの命令に従い、闘ってくれているのだ。
にも関わらずシオンはピチカに敗北を味あわせてしまった。
嫌な思いをさせてしまった。
次にモンスターボールから出てきた時、ピチカはいうことをきいてくれるだろうか。
シオンは広い待合室の片隅に立って、頭をかかえた。
少なくともピチカとの信頼性に亀裂が入ったことは確かだった。

「くそ、俺はピチカの『おや』なのに……」

天井を見上げてつぶやく。

「じゃあ俺はさ、あの時、一体何をどうするべきだったって言うんだよ?」

天井に問いかけたところで、答えは返ってこない。
個人的には最善の選択をしてきたつもりだった。
それでもヒメリとのバトルに敗北してしまった。
何をどうすれば勝利することが出来ていたのか。
先程味わったばかり敗北を、追体験するかのように、シオンは思い返した。




シオンの目の前が真っ暗になったのも束の間の出来事だった。
すぐに何も見えなくなった視界は回復する。
朝焼けの光がシオンの目に戻ってきた。

さびれた公園。ビキニのお姉さん。巨大なドラゴン。自称審判の借金取り。
そして見覚えのない、巨大な氷のオブジェがそこには在った。
シオンの眼前で、見上げるほど馬鹿でかいクリスタルのような物体が、陽光を透して光輝いている。

「なんだこれは?」

まじまじと見つめる。
巨大な氷塊と、その中心に丸まった黄色い肉が埋まっている。
目を凝らす。
ピチカだった。

「嘘だろ……」

ゾッとするほど、信じたくない光景だった。

ピチカはにげられなかったのだ。
それどころか背を向けることすら出来ていなかった。
『れいとうビーム』を食らってしまったピチカが、氷の中に閉じ込められている。
茫然自失となってシオンは立ち尽くす。

どうしてこんなことになってしまったのか。
思えば、ヒメリはシオンよりも先に技の命令を下していた。
レベルの高いカイリューの方がピチカよりも素早かった。
「逃げろぉ!」ではなく、「でんこうせっかで逃げろぉ!」と叫んでおくべきだった。
今になって後悔した。

「……ピ、ピチカ?」

シオンは小声で尋ねる。返事がない。
きっと声が分厚い氷の奥底にまで届いていないからだろう、
と都合のよい推測を勝手に立てて納得した。

「私の勝ちね! シオン君!」

ヒメリの嫌に響く大声に、シオンは公園を見渡した。
白雲めいた冷気が周囲で、もやもやと漂っている。
いつの間にか、震えたくなるような冬の寒さが一帯を包んでいた。
全部この氷の責任だ。

「ピカチュウ戦闘不能! よって勝者、ミノ・ヒメリ!」

オウはベンチに腰かけたまま、右腕と不快な大声を上げた。
吐き気がした。

「そんなワケだから、お金払ってもらおうかな! シオン君! きっちり三千円だよ!」

審判だったオウは、にわかに借金取りに変身した。
しかしシオンに全所持金を差し出すつもりは毛頭なかった。
現実が認められなくて、敗北が認められなくて、抗わずにはいられなかった。

「まだ勝負は終わっていない!」

「……は?」

馬鹿にするような短い一言だった。
シオンは強く言い返す。

「まだ勝負は終わっていない!」

「いや、終わったよ! もう全部終わったんだ! 気に入らない展開だからって! いい加減にしなよ!」

叱りつけるような声で、オウが一気にまくしたてる。

「お金! 払いたくないだけでしょ、シオン君は!」

「誰がお前なんかに一円でも払うか!」

「お! 協会に逆らうつもりかい! 困ったな! 暴力は好きじゃないんだけどな!」

「ちょっと、待って!」

突然、ヒメリが制した。

「ねえ、シオン君! あきらめないつもりらしいけど! 無理じゃないの!」

「無理って、何が!」

「本当に! 私のカイリュー! 倒せるの!」

「倒す方法は必ずある!」

「あったとしても! 今更そんなの意味ないよ! 勝負はもう終わったんだからさ!」

と、オウが言った。

「そもそも! そのコ! ガチガチに氷っちゃって! 動けないでしょ!」

と、ヒメリが言った。

「そんなことはっ……」

と、言いかけて、戸惑い、シオンは黙り込んだ。

えっ?

えっ?

えっ?

アレ?

何だって?

今、何だって?

何かがおかしい?

なんて言った?

何が起こっている?

矛盾している?

勘違いしている?

シオンは今一度、氷の中に閉じ込められたピチカの背中を見つめる。

先程はシオンの呼び声に答えてくれなかった。
その理由は本当に、氷が分厚くてシオンの声が聞き取れなかったからかもしれない。
決して、ピチカの体が動かなかったからではなかったのかもしれない。

ゾッとした。鳥肌が立った。体が微かに震えた。
絶望はしたからではなく、希望の光が見えたからだった。
期待と喜びと興奮でシオンの体が奮えた。

「早くボールに戻したら! そのピカチュウ、窒息死するよ!」

オウの言葉がおいうちをかける。
しかしシオンに、こうかはないみたいだ。

「だったら! さっさと勝負を終わらせなくっちゃあなっ!」

シオンは腕を伸ばし、ビシッとカイリューに指を向ける。
希望を見据えて、勝ち気に叫んだ。

「行けっ! ピチカ! でんこうせっかだ!」

しんとした。
静寂が聞こえた。
『しかし何も起こらない』みたいな空気が流れた。

「ねえ! 一体何をやってるんだい!」

オウのあざけりに耳を傾けず、
シオンは一心不乱に氷漬けのピチカをにらんでいた。
内心、空回りしたみたいで恥ずかしくなっていた。

奇跡は起きてくれないのだろうか。
現実は上手くいかないものなのだろうか。
敗北を受け入れるしかないのだろうか。
シオンは勝負をあきらめかけた、その時だった。

びし!

氷塊に走った白い稲妻。
ピチカの氷に亀裂が入った。

「は?」

「何?」

「よし!」

びし!

もう一本、深いひび割れが走る。
氷塊に十字の傷痕が出来る。

「何が!」

「どうして!」

「行けるぞ」

びし! びき! ぱき! かっ!

氷塊内側を切り裂くまくって、太い亀裂の快音がうなる。
数多の枝分かれが立体的に展開し、氷塊を真っ白に染め上げる。
ピチカの姿はもう見えない。
側に立つシオンは、ひびだらけの氷が砕ける寸前なのだと感じ取った。

「一体何が起きてるんだ!」

オウがわめいた直後、氷塊の崩壊が始まった。
巨大な一つのクリスタルが、木端微塵に砕け散り、数万粒のダイヤへと形を変える。
幾千万もの砂粒が、朝陽の中で宝石のようにキラキラと煌めく。
シャラシャラなだれ込んだ冷たい微粒子は、シオンの足元まで降り積もっていった。

「カイリュー! げきりん!」

「無駄だ!」

氷塊の粉砕と同時に、ピチカは外気へ解き放たれた。
弾丸の如く、飛び立つ。

「『でんこうせっか』は! 『げきりん』よりも! 速い!」

シオンの叫びが終わるよりも速く、カイリューが微動するよりも速かった。
ピチカの小さな脳天が、カイリューの厚い首を突いている。
残像を引っ張る猛スピードで、公園の端まで飛んで行った。
「あっ」という間だった。

ぽよん、とカイリューの皮膚の弾力で、ピチカは跳ねっ返り、地面に落下していった。
棒立ちのカイリューを余所に、シオンは地べたで横たわるピチカを見つめる。
レモン色の肌ではなかった。
ピチカの肉体は光を反射して輝いている。
目を凝らす。
粉々になった氷の破片が、乾いたピチカの全身を覆うようにして密着していた。

ピチカは、カイリューの放った『れいとうビーム』の残骸を身にまとい、
ドラゴン・ひこうタイプのカイリューに思い切り突っ込んだのだった。

どがん!

短く地響きがなった。
顔を上げた先で、カイリューが倒れていた。
うめき声一つ上げずに、大地に崩れ落ちた。
土煙が舞い上がっている。
期待に胸が高鳴る。

「か……勝ったのか?」

「カイリュー!」

ヒメリが駆けだしていた。
膝をつき、横たわるドラゴンの巨体を労わるように大きく撫でる。

「そんな……たったの一撃で、私のカイリューが、『ひんし』になってる……」

茫然と目を剥くヒメリがいた。
ショックを隠しきれない様子であった。



「戻れ。ピチカ」

シオンはモンスターボールをつかむと、遠くで倒れるピチカに向けた。
たちまちピチカは半透明の赤い光に変身して、手の中のボールに吸い込まれていく。

「でかしたぞ。よくやってくれた。全く大した奴だよお前は」

握りしめたモンスターボールにねぎらいの言葉をかける。
果たしてピチカに聴こえているのだろうか。

「どうして?」

死んだ魚のような瞳で、ヒメリがシオンを見上げていた。
いつの間にかカイリューの姿が消えている。
果たしてヒメリはどこにモンスターボールを隠し持っているのだろうか。
乳とビキニの間ではないことを祈った。

「どうして……こんなことが……」

納得がいかず、ヒメリはただただ驚いている様子だった。
その時、シオンに電流走る。

ひょっとして、今、カッコつけられるチャンスなんじゃないか。

ふいに、くたくたのジーンズのポケットに手を突っ込んで、
明後日の方を見つめ、
無関心で冷めてる自分を装っておきながら、
シオンは低い声を作り、語り始めた。

「自分より強い敵との闘い。しかも此方の攻撃は通用しない。なら敵の技を利用するまでだ。
 そいつの高い攻撃力なら、そいつ自身にも通用するだろう。ってな」

淡々と語った。返事がなく、まるで独り言をつぶやいてるような気持ちになる。
心がくじけそうになりながらも、シオンは説明を続けた。

「氷属性の技。龍・飛のアイツにゃあ超効果抜群。四倍の威力に跳ね上がるってワケだ。
 それもお強い御自分が撃たれた攻撃技でございますから、
 たったの一撃とはいえ、
 間違いなく戦闘不能状態に陥ってるだろうな」

「ブツブツ、ブツブツ、うっさいわね! 何、分かりきったこと長々とほざいてんのよ! 気持ち悪い!」

「え? きもちわっ……」

シオン、動揺する。
カイリューの敗北を受け入れたからなのか、ヒメリは苛々しているようだった。

「私はね! 相手の技を利用するだなんて、
 幼稚園児でも思いつきそうな馬鹿げたアイデアを実行する愚かなトレーナーがいるとは、
 全く思わなかった!」

「え? ひょっとして俺は馬鹿にされている?」

「その上、その馬鹿げたアイデアを成功させるような、
 そんな高度な技術を持ったピカチュウが相手だったなんて……ほんっと信じらんない」

「え? 俺は馬鹿にするのに、ピチカは褒めちゃうんですか……ああ、そうですか……」

「なんでこんな馬鹿なことしちゃったんだろ?
 これじゃ、まるで、『ソーラービーム』を覚えてそうなポケモンを前に、
 『にほんばれ』使ったようなもんじゃない!
 完全に私のミス! 敵にとって都合の良い『れいとうビーム』を仕掛けてしまっただなんて!
 自分の愚かさにゲロが出るわ!」

「自分を馬鹿にしてまで俺を褒めたくないのかよ……」

我ながら賢いことをやったつもりでいたシオンは、ヒメリの言葉で大いに落胆した。
ヒメリがミスをしただけであり、
ピチカの働きが素晴らしかっただけであり、
決してシオンの行った戦術は凄くもなんともない。
自分の実力が否定されたみたいで、ショックだった。

「ねえっ。どうしてこんなことが?」

「はい? えっと……何のことですか?」

「どうして、私のカイリューがれいとうビームを覚えてるって分かったの?」

「え゛?」

「だって、そうでなきゃおかしいでしょ。
 勝機があったから君はあきらめなかったわけでしょ。
 れいとうビームがなかったら君達に勝ち目はなかったじゃない」

「いや、その、まあ、偶然なんだけど……」

「そんなわけないでしょ!
 それじゃ私が何も考えてない馬鹿に負けたってことになるじゃない!」

怒鳴られてしまった。
シオンはとことん舐められている気がしていたが、
必死な顔のヒメリを前にするとやっぱり怒りが湧いてこない。
そして納得のいくような嘘を適当にでっちあげる。

「や、まあ、狙い通りには決まらなかったけど、一応筋書き通りだったっていうか……」

「馬鹿が筋書き通りとか言ってるとホント笑えるんだけど」

「なんか厳しくなってないですか」

「で、何が筋書き通りカッコワライだったわけ?」

「……その、なんとかして『げきりん』をお返ししてやろうと狙ってたんですよ。
 ドラゴンタイプがドラゴンタイプの技を覚えていても不思議じゃないし。
 それに威力の高い技で弱点なら二倍で……」

シオンが語っている内にヒメリは、「ああ」と驚きと納得の混じった顔をしてから、
急にうずくまって頭をかかえた。
ほんとうにばかなことをした、そんな感じで自分を責めているようにみえた。


「ヤマブキ・シオン!」

大声に振り返ると、シオンの間近にオウの屈強な体躯があった。
おどおどと見上げた先には、意外なほど嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。

「やっぱり君の負けだ!」

「え? 何だって?」

「カイリュー戦闘不能! しかし、勝者ミノ・ヒメリ!」

「どういうこと?」

二人に近付いて来たヒメリが不思議がった。
シオンはまたしても絶望の淵に叩き落とされた気分になった。
恐らくオウは全てを見抜いている。
オウの笑顔が、シオンの不幸を喜ぶようなものに見えた。

「ヒメリ君! さっきのバトルで、おかしなことが起きたよね!」

「おかしなこと……そういえば、ピカチュウの氷が砕けたのって完全に予想外だった」

「いや! アレは全然おかしくない!」

たまらずシオンが叫ぶ。
露見しそうになった真実を必死で隠そうとした。
焦りで呼吸が少し荒くなる。

「でもどうして私、氷が壊れたのが予想外だって思ったんだろ?」

「僕がピカチュウは戦闘不能だ、って言っちゃったからだよ!」

「そうだった……そうでしたね。それに、かなり分厚い氷だった。
 あのピカチュウに氷を割るパワーが残ってたとは思えないんだけど?」

「おっ、俺のピチカは、見かけ以上に怪力ポケモンなんだよ! 超筋肉質ポケモンなんだよ!」

「そんなことはまったく関係ないですよ!」

オウがピシャリと突っぱねる。
何を言っても通用しない雰囲気を感じ取る。
シオンの心にあきらめムードがはびこってきた。

「じゃあ一体何が起こってたの? 氷が砕けた理由は何?
 あの状態じゃ、でんこうせっかなんて技が使えたはずないのにっ」

「よーく考えてみなよ!
 そもそもあの時のピカチュウが『こおってしまってうごけない』わけがない!」

「ん? どうして? どういうこと?」

「だってあの時のピカチュウは、『ひんし』状態だったんだから!
 『こおり』状態になるわけがない!」

「……ああ、なるほどね。状態異常は一つにしかならないもんね」

全ての秘密はいともたやすく暴かれてしまった。
ヒメリは誤魔化せていたのに、ヒメリだけが相手だったならば勝てていたのに、
オウさえいなければ上手くいっていたのに、シオンのトリックはあっさりと破られてしまった。

 大 逆 転 敗 北

空気がドッと重苦しくなるのをシオンは肩で感じた。
今度こそ本当のお終いだった。
もはや、あきらめるしか他はない。

「って、ちょっと待って! それっておかしくない?
 『ひんし』状態のポケモンだって、まともに動けるはずないんじゃないの」

「君は無知なんだね!」

「あ゛?」

「『ひんし』のポケモンに、
『そらをとぶ』や『なみのり』なんて技を使わせて何十キロも移動させる
 畜生トレーナーって結構大勢いるんだよ!」

「それなら知ってる。それじゃ『ひんし』でも技は使えるってことね」

「そうだよ! 『ひんし』のポケモンを闘わせるのは、完全にルール違反だけどね!」

「つまりシオン君は、最低のクズ野郎ってことでいい?」

「そういうことになるね!」

二人の冷めた視線が痛い。
恥ずかしさがこみ上げて来る中で、シオンは言った。

「さっきから二人して、何をありもしない妄言をのたまいてるんだ?」

この期に及んで白を切る。
自分で言ってて馬鹿馬鹿しい。
どうしてさっさとあきらめないのか、シオン本人にすら分からない。

「僕は確かに言ったはずだ! 戦闘不能! 試合終了! 君の負け!
 ちゃんと聴こえてたはずだよね!」

「さあ、どうだったかな?」

「れいとうビームが決まった地点で、決着がついていた!
 君のピカチュウは『ひんし』になった!」

「俺にはそうは見えなかったな」

「それでも君はピカチュウに攻撃の命令を下した!
 『ひんし』のポケモンを闘わせるような真似をした!
 ポケモントレーナーなのに! どうして!」

「だって……それしか勝つ方法が見つからなかったからだよ!
 勝たなきゃあならなかった!」

「でも、負けた!」

強く責められているようで、シオンはむしょうに泣きたくなってきた。
自分は喜んではならない、という罪悪感があった。
しかし、涙は流さない。
本気で悪いと思っていなかったからだ。
ピカチュウ相手にカイリューぶつけるような連中と比べれば、
自分は大したズルをしていない。そう考えていた。

シオンが黙って立っていると、オウが無言で近付いて来た。

「カネ!」

スッと差し伸べられたのは、借金取りの手の平だった。
ポケモンバトル名物のカツアゲタイムがやってきた。

「断る!」

シオンは後ずさる。
警戒しながら少しずつ後退すると、下がった分だけオウが迫る。

「三千円は全財産なんだ! 俺とピチカの飯代なんだ!
 アンタは俺達に餓死しろって言うのか! この年で借金背負うつもりはないぞっ!」

「仕方ないよ! ルールだからね! 敗北者に人権はないからね!」

張り付けた笑顔が不気味だった。
屈強な右腕が伸び、シオンの胸倉をつかんだ。
無理矢理引っ張り上げられ、足が浮き、宙づりになる。
片腕だけでシオンの全身が持ち上がっていた。

「やめろ! 触るな! 俺の飯代が! 俺の冒険が! 俺の人生がぁああ!!」

半狂乱にわめき散らした。
オウの左腕がシオンの至る所をまさぐる。
ジーパンのポケットに手を突っ込まれ、強引に財布をもぎ取られてしまった。
百円ショップで買ったマジックテープ式の財布が見えた時、シオンは必至になってもがいた。
こうかはないみたいだ。
ふいに体が軽くなって、重力がなくなったと思った途端、地べたに尻もちをついた。
顔を上げると、財布から三千円を抜き取るオウが見えた。

「やめろぉおお!!」

シオンは手を伸ばした。オウには全然届かない。
分厚い指先がシオンの全財産をつまんでいる。

そして、三枚の千円札は、シオンの目の前で、破り捨てられた。

悲鳴が声にならなかった。
価値のあった紙切れは、縦に横に何度も裂かれる。
そして紙吹雪となり、シオンの頭上に舞う。
風がさらっていく。
集める気をなくす。

「ど、どういうつもりなんだ?」

憤慨と絶望と驚愕。
借金取りかと思ってしまったのに、
カツアゲされているつもりだったのに、
そうではなかった。

「俺の金が欲しかったわけじゃないのか? 俺に勝負を仕掛けたのは、金が目的なんじゃないのか?」

シオンの声は震えていた。
原因不明の行動を前に、知的好奇心がうずく。

「アンタは一体何がしたいんだ?」

「シオン君はさ、これから一体どうやって稼いで生きていくつもりなんだい?」

「そりゃあ、ポケモンバトルで……」

言いかけて、気が付いた。

ポケモンバトルとはいわばギャンブル。
バトルの勝者が賞金を獲得できるシステムとなっている。
もしも、対戦相手が所持金ゼロ円のトレーナーであったならば、
賭け金を出してくれるトレーナーはどれぐらいいるだろうか。
一人でもいるわけがない。

すなわちシオンは、ポケモントレーナーとして稼いでいく術を失ったことになる。
脳裏に『はたらけ』の四文字が浮かんだ。寒気がした。

「何故だ。何故なんだ。一体どうしてこんなことをする。俺に何か怨みでもあるのかよ!」

怒りを吐くように一息にまくしたてる。
いつの間にか、オウから笑みが消えていた。
無表情なケッキングが、高いところでシオンを見下ろしていた。

「ポケモン協会の命令! この国の! 弱いトレーナーを殲滅する!」

「……え? ってか協会? 本当にポケモンバトルの審判だったのか」

一瞬、未知の言葉を発したのかと思った。
オウがひざを曲げ、シオンと同じ目線まで屈む。
ギラギラした眼差しと視線が重なる。

「ポケモンバトルで負けるのは、一般人と何も変わらない!
 バトルで勝てるからこそ、ポケモントレーナーだ!
 君にポケモントレーナーを名乗る資格は無い!」

嫌みを正論に仕立て上げたような説教にしか聞こえなかった。
怒りよりも強く悲しみがあふれる。
そしてオウは、シオンの肩を、厚い手の平でガッチリつかんで、言った。

「そもそも君は、ポケモントレーナーではない! ただのギャンブル・ニートだ!」

言うだけ言うと、オウは立ち上がり、シオンの側から離れて行った。
自分が駄目な人間だと証明されたみたいで、不快極まりなかった。

足音が徐々に遠ざかっていく。
用がなくなったからとっとと帰る。そんな感じだった。

「じゃ、私も行くから」

短く言い残して、ヒメリもこの場から去って行く。
仲間外れにされたような、置いてけぼりを味わったようなつもりになった。
勝負を仕掛けてきた時は、嫌になるほどしつこかったというのに、引き際は随分とあっさりしていた。

不愉快な言葉が脳裏に浮かぶ。

トレーナーを止めろ。 弱い。 資格がない。 はたらけ。 用済み。 置いてけぼり。 はたらけ。 はたらけ。

受け入れたくないくらいの重苦しい現実があった。
全財産を失い、生きる希望も見失った。
暗闇の底にいるようだった。
嫌な気持ちで一杯になった。

だが、しかし、一体それが何だというのだろうか。

この程度の現実を真に受けたぐらいで、屈するようでは、それこそポケモントレーナーの資格などない。
シオンは奮い立った。
振り返る。
小さくなった二人の背中を見据える。
叫んだ。

「次は必ず俺が勝つ! 覚えてろよ! くそどもがっ!」

二人そろって立ち止まり、振り返る。
四つの瞳が見開いていた。

「まだやるつもりかい!」

「またバトルしてくれるの!」

そろって驚嘆の声を上げる。

「当たり前だ! 俺が勝つまでが! ポケモンバトルなんだからな!」

挑戦状をたたきつける。
敗北を味わった直後だというのに、次は必ず勝利する、という異様な自信があった。

「次は借金背負ってもらうからね!」

「今度は二度と戦えなくしてあげるね!」

威勢のよい歓声が同時に返って来た。
つられてシオンは苦笑した。

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」


公園から遠のく二人の背中が見えなくなるまで見送った。
今までの熱や喧騒が嘘のように静寂が訪れ、急に寂しい気持ちになってしまった。

よく考えてみれば、
シオンがポケモントレーナーのポケモンバトルをしたのはこれが初めてのことだった。
敵はシオンよりもずる賢く、ピチカよりも強力なポケモンをたずさえていた。
もしもヒメリが至極普通のポケモントレーナーだとすると、
シオンが勝利できるほどの弱いポケモントレーナーは存在しているのだろうか。

仮にトレーナーに勝利できたとしても、
ルールと勝敗を支配するポケモンバトルの審判に認めてもらわなければ敗北とみなされる。
対戦相手ですらない審判を倒す、もしくは審判を説得する、
そんな方法が存在しているのだろうか。
ヤツはワイロを受け取った借金取りのYAKUZAかもしれないのに、
勝ちを認めてもらうなんて出来るのだろうか。

ひょっとして自分がバトルで勝てる方法なんて存在していないのではないだろうか。
どんな行動をとったとしても勝利出来ないシステムの中にいるんじゃないだろうか。

難題に悶々と頭をひねっていると、手の平に氷のような冷たさが伝わって来た。

「しまった。忘れていた」

今になって、『ひんし』のピチカを握っていたことを思い出す。
慌てて駆けだし、空の財布を拾い、ベンチの近くに置いていたリュックサックを背負い、公園の外へと走り出した。


すっかり昇った太陽が、土と木とコンクリートの街並みを照らしている。
ずらりと並んだ屋根の緑色がやけに鮮やかに見えた。
空を仰げば、澄み渡った青が広がっている。
シオンは走っていた。
ポケモンセンターはまだまだ先だ。










おわり


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