マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1118] 光の時代 #0〜#3 投稿者:咲玖   投稿日:2013/06/23(Sun) 18:28:42   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:PG12

 『光の時代 #0〜#3』には『光の時代#0〜#2』の加筆修正が含まれます。お手数ですが、こちらからお読みください。作者の力不足で、手間をお掛け致します。

 『#0』『#1』はそのままの内容となります。
 『#2』は大幅な加筆修正があります。
 『#3』は舞台が『十月』→『八月』、とある日付が『五月五日』→『四月二日』になっている他に、大きな変更はありません。
 つまり『#2』だけ読めば、はい、ごめんなさい。お手数をお掛けします。


 #0

「今日はポケモンリーグのナイターあるんだよなあ」
 カラカラと乾いた音を立てて、自転車の車輪が回る。押しているのは、歳若い、青い制服に身を包んだ男。警察官だ。
「四月になったのに、まだまだ寒いよなあ。こんな夜は、家でテレビでも見ながら」
 話を聞いていた彼のコリンクが、咎めるように一声鳴いた。
「はいはい。真面目に見回りするよ」
 一匹のニャースとすれ違う。野生だろう。男は曲がり角に来て、自転車の頭を右へと向ける。何かの足しに、と点けていた自転車のライトが、振れた折に何やら見慣れない、赤く光るモノを捉えた。
「コリンク、フラッシュ」
 男がコリ、まで言ったところで、警察ポケとして訓練を受けているコリンクは全身を発光させた。コリンクは光の向きを調整し、さっき一瞬だけ見えたモノへ百ルクスの光を投げかける。警察官は制帽の鍔を摘んで、無意識に向きを直していた。
 コリンクが作った光の円の中。茶色い動物が蠢いていた。浮浪者、と男は思う。旅に出たトレーナーが食いっぱぐれて落ちるところに落ちてしまうというのは、よく聞く話であった。「おい」と誰何しようとした矢先、茶色いモノの眼が、コリンクの作る光を見返して、真っ赤に光った。赤目現象。さっき光ったのはこれか、と結論付けると同時に、男はそれが獣の眼であることを直感する。
 自転車のスタンドを蹴って手を離す。コリンクの光度が上がって、やっとその細部が見えた。二叉に分かれた冠羽と、その下で光る大きな眼。茶色の胴には、一際濃い茶色で逆三角の模様が並んでいる。
 ヨルノズク発見、と警察官は心の中で呟く。署に一報を入れるべきか? まだ分からない。迷い込んだ野生ポケモンなら、そのまま放っておけばいずれ帰るし、トレーナーの手持ちなら持ち主を探すべき。考えあぐねている彼を促すように、コリンクが一声鳴いた。その声に諭されて、男はヨルノズクを見る。
「怪我してるのか」
 さっきから、そういえば様子がおかしかったのだ。ヨルノズクは一向に飛び立つ気配もなく、身を不自然に震わせている。風邪でもひいたのかな、最近寒かったし……。そんなことを思いながら、緊張を解いた彼が装備の傷薬に手を伸ばした瞬間、赤い光が三度、夜の町を走った。
 途端、ヨルノズクを照らしていた光が引き、消える。男の隣で、コリンクがばったりと横ざまに倒れた。男は舌打ちしながら、傷薬に伸ばしていた手を、眠気覚ましへ滑らせる。さっきの赤い光は赤目現象などではない。催眠術だ。
 茶色いモノのシルエットが、ぶわりと膨れ上がった。マントを翻したように。しかしマントではない。翼だ。ヨルノズクが飛び上がった。
 警察官は片手で眠気覚ましをコリンクに投げつつ、もう片方の手で無線機を取った。遭遇時点から催眠術を三度使用してきたヨルノズク、敵意あり。しかし、ヨルノズクの爪と無線機が激突して、哀れ無線機は冷たい道路へ投げ出された。機械は無事だが、マイクと無線機本体を繋ぐ線が今の一撃で切れた。
「くそ、コリンク!」
 しかし、通信が切れたとなれば、本署も動くだろう。それまで持ちこたえるか、あわよくば、この場でヨルノズクを取り押さえる。男がコリンクへの指示を出し終わる前に、小さな電気ポケモンは、その身に漏電から来る火花を纏わせて、地面に降りた茶色い影へと突進を繰り出していた。
 次瞬、バンと破裂音がして、警察官は自分の目を疑った。自分のコリンクが真っ茶色に染まって吹き飛ばされていく。泥かけ、という技の存在自体は聞いて知っていた。しかし、その技は、目眩ましをメインに据えて、出来ればダメージを与えようという技だったはずだ。相性が悪いとはいえ、警察ポケとして訓練されたポケモンが、飛行ポケモンの泥かけの一撃で、あんな凄まじい音を立てて飛んでいくものか?
 金属の加工工場に迷い込んだかのような不快音がして、隣に立っていた自転車が鉄くずになった。警察官は気付いた。様子がおかしい、なんてものじゃない。目の前のヨルノズクは……異常だ。
 荒々しい羽音を立てて、ヨルノズクが空に飛び上がった。コリンク、自転車と来て、次のターゲットは自分だ。引くべきか、留まるべきか、その一瞬の逡巡さえ無為だった。ヨルノズクが次に選択した技は“エコーボイス”。耳を塞ぐも空しく、不愉快な音の反響が彼の背骨を揺らす。彼はひっ、と小さな声を立てて、尻餅をついた。街灯の明かりを背に、ヨルノズクが嘴をもう一度開くのが見えた。エコーボイスは使い続けるとダメージが増える技。今度食らえばどうなるか、頭の中に最悪の可能性がちらついた。
 電柱を蹴って、小さな影が夜空へ飛んだ。夜のバトルステージに突如乱入した、三匹目。獣らしいシルエットの三匹目が何をやったのか、ヨルノズクの動きがピタリと止まる。乱入した獣は、空中でくるくると身を翻すと、華麗に地に降り立った。一声、にゃあ、と鳴く。ヨルノズクが急降下する。それを迎え撃つように、獣――ニャースが爪を出して跳びかかる。
 ヨルノズクは音もなく地に落ちた。男の目に、ニャースの足で光を弾く金色のタグが焼き付いた。


 #1

 出会いは、ありふれたポケモンカフェで起こった。
「あ」と小さな声がした。倒れてしまったアイスコーヒーが、注文を取ろうと立ち止まっていた店員のスカートに掛かる。
「すいません」
 コーヒーを掛けてしまった男性客は、おしぼりを素早く彼女に渡した。のみならず、会計の時に封筒を彼女に渡し、「じゃあ」と言って去ってしまった。封筒には金一封と、表書きに『クリーニング代』と綺麗な字で書かれていた。
 カフェの制服は洗いやすい素材だから別にいいのに、と思いつつ、店員はその男性客のことが、少し気になった。

 再会もまた、彼女が勤めるポケモンカフェで起こった。
 店員にアイスコーヒーを掛けてしまったのに厚顔かなと思いつつ、男性はそのカフェを利用していた。もっとも、それは杞憂であったが。
 アイスコーヒーを頼み、机の真ん中へ置く。そして雑誌を読み始めた男性の傍へ、封筒が差し出された。
「これ、この前のお返しです」
 封筒には、『クリーニング代 差額』と書かれていた。
 受け取って中を検めると、結構な額残っている。
「あの、すいません」
 男性は店員を呼び止めた。
「これ、迷惑料のつもりだったので、差額はそちらで使ってもらえれば」
「でも、そんなに。悪いですよ」
 封筒は二人の間で宙ぶらりんになる。ややあって、店員の方が口を開く。
「お詫びの印にすることで、真っ先に何を思いつきますか?」
「え? えっと。食事を奢る、ですかね」
「じゃあ、そうしましょう」
 店員は壁時計を見た。
「あと十五分でシフト終わりですから、それまで待っていただければ、予定を決められますよ」
 そう言って、バックヤードに下がっていく。
 男性客が、女性を食事に誘ったことに気付いたのは、彼女の姿が見えなくなってからである。思わぬ展開にドギマギしつつ、男性客はこう考える。差額をきちんと返すなんて、いい子だな、と。

 彼女と彼が話し合って決めた行き先は、そのポケモンカフェから少し遠くにある、ここよりちょっとお洒落で、ここよりちょっと値段の高いカフェ併設のケーキ屋だ。彼女と彼はそこで、お互い自己紹介していないことに気付く。
「柿崎凛子といいます。よろしくね」
「八坂智志です。よろしく」
 それから二人は互いのことを話す。好きな映画とか、手持ちのポケモンのこと。話し足りない分は、次回に持ち越した。そうして逢瀬を重ねて、手を繋いでキスをする間柄になるまで、そう時間はかからなかった。


 #2

「お前、付き合ってる奴がいるのか」
 師匠と仰ぐその男に言われた瞬間、八坂智志はコーヒーを取り落とした。コーヒーカップは幸いにも、ソーサーに受け止められて、大過なく済んだ。この前のアイスコーヒーみたいなことが、そうそうあっては敵わない。
「ちょ、ちょっと、えー……勘弁してください」
 メタグロスの赤い目が智志を見た。事務所で働くメタグロスで、名を飛石薫という。仕事に必要なのだと称して、過剰に紙を刷るのがトビイシの趣味なのであるが、何故か今に限って、印刷機が沈黙している。
 智志は片手に持ったソーサーに、コーヒーカップをきちんと置き直す。立ち上がってきた湯気を、ふ、と吹き飛ばした。
「何だかニヤニヤしてたぞ。どうなんだ?」
「うーんと、ノーコメントでいいですか?」
「ということは、いるんだな」
 窓の光を背に、嬉しそうに笑う中年男性。白髪に鷹の目、フリージャーナリストで智志が師と仰ぐ、真壁誠大である。もう二年近く前になるが、その時色々と目をかけてもらって、以来、事務所に出入りするようになった。今回は、働き始めての感想と、一年の大旅行を終えた成果の報告である。少なくとも、智志はそのつもりだったのだが。
 真壁は智志のカメラを机に下ろした。智志が旅行先で撮ってきた写真を、大方見終えたようだ。
「よし、じゃあ、吐け、若造。俺たちぐらいの年代に洗いざらい話して、それでもって恋愛のコツを聞き出すといい」
「結局自分が話を聞きたいだけですよね?」
「ばれたか。……しかし、お前が恋人とはなあ」
 肩を震わせる真壁の後ろを、智志は指差す。「ん? ああ、サイハテか。ご苦労さん」首に羽飾りを巻いた伝書ポッポが、封書の束を抱えて窓を叩いていた。
 智志はポッポを見て、嬉しくなった。ポッポが巻いている首飾りは、智志が旅の土産に買ってきたものだ。本来は魔除けの壁飾りらしいが、ああして使ってくれているだけで胸が暖かくなった。
 ポッポを事務所内に招き入れた真壁は、智志の表情に気付いたらしい。
「これか? 野生と区別するのに便利なんだよ」
 弟子の土産に対して、まるで気のない風を装っているが、本心は違うところにあるのだろう。野生と区別したいだけなら、足輪でもすればよいのだから。
「で、お前の彼女はどんな別嬪さんなんだ? さあ、言ってみろ」
「いや、それは……」
 渋っていた智志であったが、結局真壁の口車に乗せられて、自白することになってしまう。

 柿崎凛子という、同い年の女性のこと。
 名前の通り凛としていてる、ホウエン地方出身の女性。智志は引っ張られることが多い。男性としてちょっと情けないが、ついでに彼女の方がバトルも強い。
 なんでも、大学を一年休学して、父親探しのついでにポケモンを鍛えたそうだ――と、これは言わずにおいた。
 だから、彼女は去年大学を卒業して、今は父親を発見したこの地方でバイトをしながら、就職先を探しているという。こちらに根を下ろすつもりかと尋ねたら、彼女はそのつもりだと答えた。「こっちにいい人もいたし」ということだそうだ。
 意味をよく飲み込めないでいる智志に、凛子は頬を寄せた。彼女の釣り目がちな目が、焦香色の虹彩が、目近に見えた。
「あら、あたしは遊び?」
「違うよ、もちろん」
 挑戦的な目に、智志はタジタジになる。

 智志は熱いコーヒーを一口飲んで、彼女の目の幻影を振り払った。
「結婚とか、真面目に考えとくべきなんですかね?」
 智志はカップの縁についたコーヒーを指先で擦った。
「焦って考えることはないぞ。それと、結婚ってのは目標じゃない。結果であり通過点だ。それを間違えると俺みたいなことになるぞ」
 真壁はそう真面目に答えたかと思えば、
「というか、モラトリアム小僧が事を急いたりしたら、気味が悪い」
「そのあだ名、まだ有効なんですか」
 茶化す。しかし、智志もやられっ放しではない。
「真壁さんって、結婚されてたんですか?」
「離婚には成功した。これ以上は言わん」
「聞かせてくださいよ。ほら、後学の為に」
 智志のしつこい追及に、真壁も兜を脱いで、自身の結婚生活の断片を話す。しかし智志も無傷では済まず、いつかはその自慢の彼女に、結婚式の時でもいいから会わせろと、そう約束させられる。

「ああ、それから、写真も面白かったぞ。旅の話も、またしてくれよ」
 そう言って、真壁が智志にカメラを手渡した。智志の大事な品だと心得ている所為か、手付きがぎこちない。智志はカメラを受け取ると、いつも通り、首に提げた。
「ありがとうございます。あの、いいと思った写真とかって、あります?」
「俺に写真の良し悪しは分からんぞ」
 真壁はそう言ってから、鷹のように鋭い瞳をカメラに向けた。まるで、中のデータを見透かしているかのようだった。
「そうだな。一瞬ぎょっとしたけど、女の子が虫を食ってるやつ」
「あれですか」
 智志は手元のカメラを操作して、その写真を出した。
 カメラのレンズに向かって、肌の黒い女の子が、幼虫を持った手を突き出している。もう片方の手にも同じ種類の幼虫が握られ、そちらは女の子の口に運ばれている。女の子は満面の笑みで、その目は、カメラの向こうの智志に向けられている。
「この村は偶々訪れたんですけど、そこの人たちにすごく歓迎されて。虫の幼虫ってこの人たちにはご馳走らしいです」と智志は解説した。
「でもこれ、見た人皆びっくりするんですよね」
「こっちは昆虫食の文化があんまりないからな」
 真壁は穏やかに笑う。
「でも、いい写真だと思うぞ? 女の子の笑顔が。虫はちょっとグロいけどな。
 それから、その次の写真」
「それ、見た人皆に非難されました」
 智志はカメラを操作して写真を出す。もっとも、一々見なくとも内容は覚えてしまっているが。
 砂漠に砂煙が少し立っている。黒い鳥、バルジーナの影が三つ、見える。その足元には砂漠で遭難したらしい人とポケモンの残骸。バルジーナは人の骨を咥え、羽を広げて、今にも飛び立とうとしている。
 智志は力なく笑った。
「良い事も、悪い事も、全部写真にするんだろ? それを貫いてるんだ。いいじゃないか」
 真壁に励まされ、智志は背を伸ばす。
「はい」
 そのまま、頑張っていこうと思った。

 真壁は穏やかな目を智志に向けていたが、やがて笑みを浮かべると、こう言った。
「それから、後ろの方に入ってる、彼女の写真も良かったな」
「え。えっ?」
 智志は慌てて写真のデータを呼び出した。愚かなり。智志は旅行の写真を入れたメモリーカードの続きに、凛子の写真を入れていたのだ。
「いい笑顔だ。ま、結婚はゆっくり考えろ」
「ちょっと、真壁さん……」
 伝書ポッポがくるっぽ、と鳴いた。タイミングを図ったかのように、印刷機が再び動き始めた。


「ただいま、母さん」
 声を掛けたのに、返事がない。まただ、と智志は肩をすくめた。先月のはじめに帰国してからというもの、母親はずっと拗ねていた。原因は分かりきっている。子どもが二人とも、ポケモンを連れて旅に出たからだ。
 最初は智志も母親に同情的だった。彼女の夫、つまり智志の父親は、智志が幼い頃に旅に出たきり、失踪している。妹は生まれたばかりだった。乳飲み子と小学生を、一人で育て上げた母親の苦労は分かっている。子どもが旅に出るとなれば、その子たちまで行方知れずになったらどうしようと、不安に駆られるのだろうとも思う。しかし、母親の拗ねた態度も、一ヶ月近く続くと流石に嫌気が差す。そしてこう思う。母親は、単に子離れできてないだけなんじゃないか、と。
 智志は慣れた動作でネクタイを緩めた。一年の旅を終え、四月からやっとこさ智志も社会人の仲間入りをした。だから一層、子どもじみた母親の態度は気になった。
「ただいま」
 もう一度大声で言った。今日の仕事は午前中で終わりだったが、午後に真壁の事務所へ足を伸ばしたので、帰りが遅くなった。そういうのも、母親が拗ねる原因なんだろうな、と思った。智志はノックしてから、母親の部屋を覗く。案の定、母親はそこにいた。外出着に着替えている。
「智志、お母さん出かけるわ」
 母親はバッグを手に取ると、少々苛つき気味に言った。彼女がイライラしているのは、もはや通常なので、智志も相手をしなくなった。
「行ってらっしゃい」
「行ってくるわ。夕飯は勝手に食べといて」
 母親は乱暴にドアを閉めると、大きな靴音を立てて出ていった。
 やれやれ、と智志は息をついた。どうせ職場の人と食事とか、そういうのだろうに、あんなに苛ついて行かなくても。智志は自分の部屋に戻ると、部屋着に着替えて、カメラ雑誌をパラパラと捲った。しかし、間もなく放り出した。読む気にならない。次は仕事に必要だからと購入した、インテリアデザインの本を読んだが、余計に手に付かなかった。
 智志はモンスターボールを取り出すと、手の中で転がした。
「絵里子はどうしてっかな。なあ、アマテラス」
 返事などは期待せず、誰に言うでもなく、言った。
 智志の妹、絵里子は、智志と同じく一年前に旅立ってから、ろくすっぽ連絡も寄越さない。当然どこにいるかも、元気かどうかも分からない。それが母親のフラストレーションを加速させる原因になっている。仕方ないからと母親は同居している智志に当たる。就職を機に家を出れば良かった、と智志は思う。でも、母親一人置いとくのもなあ。
 アマテラスのボールが、不意に揺れた。うっかり床に落ちて開閉スイッチを押さないよう、手で支え直す。智志は思わず、「どうした、アマテラス」とボールに話し掛けた。もちろん返事は返ってこない。しかし、何かの不安を予期していたかのように、リビングの電話がコール音を叫び出す。
 智志は部屋を飛び出すと、受話器を取った。話を聞いた智志は「嘘でしょう」と叫んだ。
「すいません、すぐそちらに伺います。場所は」
 着替える時間も惜しく、智志は部屋着にコートを羽織って家を飛び出した。四月にしては冷たい風が、智志の頬を容赦なく切っていった。

 警察署。
 運転免許の更新以外で、お世話になることはないと思っていた。
 電話の内容を伝えると、すぐに奥に通された。奥も奥、警察署の広さの感覚が分からない程奥に、その部屋はあった。
「念の為、このゴーグルを着けてください。檻に入れて拘束していますが、いつ暴れ出すか分かりませんので」
 案内した警察官に従って、智志はゴーグルを着けた。少し辺りが暗くなった。「では、入ります」深呼吸しようとしたが、間に合わなかった。中途半端で止まった。いや、深呼吸なんて意味がなかった。きっと、この光景の前では。
「ご確認ください」
 ヨルノズクが眠っていた。強化ガラスの向こうで。足にはがっちりとした鉄輪が嵌められている。
「妹の絵里子さんの所持するポケモンで、間違いないですね?」
 答えるまでの時間が、こんなの長かったことはない。考えて、考えて、躊躇って、否定して、結局はじめの答えに戻る。
「はい」
 智志は掠れた声を出した。一秒が、こんなに長いことはなかった。
「では、次の質問ですが」
 警察官の声のトーンで、智志は、これは確認だったのだなと気付く。ゲットしたポケモンには、マイクロチップの埋め込みが義務付けられている。それを調べれば、妹が“おや”であることも、妹のトレーナーIDも、すぐ分かるはず。
「最後に妹さんに会われたのはいつですか?」
 落ち着いた警察官の声を聞きながら、智志は首を振った。
「去年の四月以来、連絡も取ってません。トレーナー修行の旅に出ると言って出て行ったきりです」
 警察官は頷いて、何かメモを取った。
 それから智志の名前を聞かれ、職業を聞かれ、家族構成を聞かれた。特に詰まるところもなく、正直に答えた。どういう意図で質問されているかすら、頭になかった。智志はただ、目の前のヨルノズクを見るので精一杯だった。バトルで受けた傷もそのままに、拘束されているヨルノズク。胸元に付いた引っ掻き傷が痛々しい。
「では、このポケモンの所有者である絵里子さんが六ヶ月以内に見つからない場合、」
 こんな子じゃなかった、と智志は抗弁したかった。妹はこんな状態のヨルノズクを放って逃げる奴じゃない。ヨルノズクだって、
「お母様はポケモン取り扱い免許をお持ちでないようですので、このポケモンの所有権は兄である八坂智志さんに移ります」
 真面目で、気が良くて、いいポケモンなのに。
「その際、ヨルノズクの処分の同意書にサインしていただくことになります」
 同意書にサイン。同意一択のようだ。
 ヨルノズクが目を覚ました。翼を広げ、威嚇する。しかし、足の拘束に囚われて、その場から動くことも出来やしない。ヨルノズクはそれでも、必死に抵抗していた。迫り来る運命から、逃れるように。しかしやがて抵抗も無意味と悟ったのか、再び羽を畳んで、目を閉じた。
「助けることって出来ないんですか」
 知らず、智志の口から声が漏れた。そう、それが本心だった。ヨルノズクは悪くない。助けたい。しかし、警察官は無慈悲に首を振る。
「人を襲っただけでも、酌量の余地がなければ処分対象です。その上、覚醒剤を打たれているとなれば」
 智志は警察官の制止を無視して、一歩前に進んだ。ヨルノズクへ伸ばした手は、見えない壁でペタリと止まる。
「ホー」
 名前を呼んだ。ホーホーの頃に付けた名前は今でも有効だった。ヨルノズクは、覚醒剤の影など見えない無垢な瞳で、智志をじっと見つめた。
「ごめん」
 覚醒剤なんて使う子じゃなかった。きっと旅先で悪い人に誘惑されたんだ、一時の気の迷いに違いない。そう思いたい。でも、やってしまったことは取り返しが付かないのだ。
 ヨルノズクは、じっと智志を見つめていた。智志はカメラを構える。かつての自分との約束を守る為に。


 #3

 一人の少女が、公園の桜の木からスルリと降りた。
「不安だな」
 そして、今しがた降りた木を見上げ、心情を吐露する。その顔には、子どもらしからぬ深い憂いが刻まれている。
 彼女が登っていた木には、フワンテが絡まっていた。それはそうだろう、彼女が括りつけたのだから。彼女はフワンテと、その紐みたいな腕に半ば糊付けするように絡めた封筒を見た。少々の風では落ちないことを確かめる。そして、公園にいくつかある出口の一つから道路に出た。
 少女は、ファー付きの赤いフードを目深に被る。今は八月だというのに、彼女は分厚い防寒具に身を包んでいる。突き刺さる視線が痛い。でも、仕方ない。
 少女はきっと唇を結んで、歩き続けていた。その目からは今にも涙が零れそうで、しかし頑なな程前を見つめている。白い頬に、熱を持ったように赤い唇。「私がやらなきゃ」少女が言葉を漏らす。「“光の時代”の為に、私が」
 周囲から悲鳴が上がった。その中心に自分がいることに気付き、少女は立ち止まる。クラクションの音が両耳を潰した時には、もう遅かった。ありふれた四人乗りの自家用車が、彼女に真っ直ぐ向かってくる。
 危ない、と誰かが叫んだ。自動車がブレーキを踏む。誰もが間に合わない、と思った。少女も固まる。凍りついたように。動けない。
 少女は目を閉じた。やらなきゃいけないことが、頭を過ぎった。ごめん、と念じるのと同時に、彼女の意識はホワイトアウトした。

 〜

 赤い自動車が止まった。運転手は窓から顔を出すと、キョロキョロと辺りを見回した。そして、何も被害がなかったことを悟ると、窓を閉めて、その場から走り去っていった。すわ交通事故かと立ち止まっていた人々も、三々五々散っていく。その中で、凛子たち二人は長い間立ち尽くしていた。
「ねえ、智志くん。あの子」
「うん、消えたよね」
 智志はいつも首から提げている一眼レフを持ち上げると、凛子に画面が見えるようにした。いくつかボタンをいじって操作する。先程撮っていたらしい写真が現れた。
「趣味が悪い」と言いながら、凛子はその写真を見る。
「これは……」
「消える瞬間、かな」
 智志は事も無げにそう言うと、何やらいじって、画面を拡大したり縮小したりしていた。その動きに酔いそうで、凛子は「貸して」というと写真をデフォルトサイズに戻して、睨めっこした。
「何か分かった?」
「さっぱり」
 カメラを智志に返す。智志はカメラの電源を切って、再び首に提げ直した。
 交通事故の瞬間のはずだった写真。そこには赤い自動車らしき影と、フードを被った少女と、それらの輪郭を強烈に歪めた何かが写っていた。その何かの所為で写真全体が強烈に歪められ、あの場に居合わせた人でないと、何が写っているのか分からない程だった。あの瞬間、何が起こったのだろう。車に轢かれるはずだった少女は、一体どこへ消えたのか。ポケモンのテレポートだろうか。しかし、それならテレポートを使ったポケモンが写り込んでいそうなものだ。
 デートなのに、何だか妙なことになっちゃったな、と凛子は思った。付き合い始めて、もう四ヶ月だ。そろそろキスから先に進んでもいいと思うのに、中々前へ行かない。今日こそはと思ってきたのに、何だか出鼻を挫かれた気分だ。
 立ち止まったままの凛子に智志が「行こ」と手を差し伸べて、二人は歩き出した。今日は智志が先導だ。なんでも、仕事で外回りをした時に、いい店を見つけたらしい。
「あ、そうそう」
 凛子はあわや交通事故の衝撃で忘れていた話題を思い出す。
「智志くん、クッカバラさんも“光の時代”も知らないって、ありえないって!」
 蒸し返された話題に、智志は困ったように微笑んでみせる。
「俺、その時、外国を旅して回ってたからなあ」
「帰ってきてからもニュースになってたでしょ? 知らなさすぎるよ」
「“光の時代”が旅のトレーナーたちの互助団体で、クッカバラがその代表、っていうのは知ってるけど」
「それは知ってる内に入らないから」
 鞄からタブレットを出して、クッカバラと“光の時代”の情報を検索しようとした凛子だが、智志に制された。智志が顎でしゃくった方向を見る。誰もいない公園の隅で、フワンテが一匹、木の枝に引っかかっていた。
 智志は真っ直ぐフワンテの所へ向かうと、少し背伸びして枝に絡まっているフワンテを放してやった。凛子も遅れて彼に追い付く。なんだか今日は彼が先を行く日だな、と思いながら。
 枝の呪縛から逃れたフワンテは、ハート形の手を揺らして「ぷわわ」と鳴くと、上空へ飛んでいった。
「お礼、言ってるのかな」
「そうだといいな」
 言いながら、智志は手の中の物をじっと見つめた。凛子も智志の視線に気付いて覗き込んでみた。ありふれた、茶封筒のように見える。
「何それ?」
 智志は「分からない」と言う代わりに首を傾げると、茶封筒の中身を取り出した。
「チケット?」
 凛子は解せない、と言うように声を上げた。封筒の中身は、遊園地のチケットだった。大人用が三枚。有効期限は来年の四月二日まで。
「これ、フワンテの手を糊の部分で挟み込むようにして付けられてたんだけど」
 智志はチケットを改めた。全て同じ遊園地のチケット、有効期限も同じだ。「ちょっと待ってね」と言って、凛子はさっきから手に持ったままだったタブレットをいじって、遊園地の情報を出す。「あった」凛子は検索で出した情報を読み上げた。
「ああこれ、第二のバベルタワーになるって言われてるやつだ。セキチクのサファリ跡に去年出来た遊園地。新しい観光の目玉になるって期待されてたけど、そんなに流行ってない」
「第二のバベルタワー?」
 智志が顔を上げる。凛子は去年この国にいなかった智志に、簡単に説明をした。
「バベルタワー事件以降、カントー地方で何となく観光用のタワーってタブーになってたじゃない? それがこの遊園地、バトルタワーの建設を決行してね。第二のバベルタワーだって言われているの」
「……大げさだね」
「まあ、ポケモンのデータを使った模擬バトルしか出来ないし、子ども向けの難易度で最大七連勝しか出来ないし、ってすごく不評で、経営の上でもバベルタワーだ、なんて言われてるみたいだけど」
 大げさ、と言った時の智志の目が、言い様のない暗さというか、強いものを秘めていて、思わず凛子は軽い口調でそう返した。
「ほら、バトル施設を作ると、その周辺で不法なポケモン繁殖とか廃棄とかされるって、地元の反対があってそんな仕様になったんだけど……」
「そっか。それと、チケットについて調べてくれる?」
 おかしくなってしまった雰囲気を誤魔化すように、凛子はタブレットの操作に集中した。凛子が情報を探し出した時には、智志の様子も普段通りの穏やかなものに戻っていた。
「ワンデーチケットの前売り券が、子ども四千円、大人六千円、有効期限は六ヶ月だって。多分これが三枚」
 言いかけて、智志の表情を見た凛子は口を噤んだ。そして、凛子も気付いた。
 今は八月。なのに、このチケットの有効期限は、来年四月。

 〜

 予定を変更して、安いチェーン店で食事を済ませた。智志と凛子の二人とも、未来から来たチケットが気になって、それどころではなかったのだ。
「でも、本当に未来から来たと思う? 遊園地の関係者が、融通を利かして有効期限を伸ばしてもらったとか、じゃない?」
 懐疑的なのは、凛子だ。それに対して智志は、何とも言えないと首を振る。
「あと、フワンテに絡まってたのも気になる。とりあえず、警察に届けた方がいいよ」
 そう結論を出して、二人は腹が満たす為だけの昼食を終える。どこかに交番もあるだろう、と歩き出して間もなく、凛子が新しいオフィスビルを指差して智志の肩を叩いた。
 智志は凛子の指先を追う。『古結探偵事務所』
「ね」
 凛子が言った。
「ね、じゃないよ。凛子ちゃんのお父さんじゃないんだから、普通の探偵さんはこういうの、やってくれないと思うよ?」
「ちょっと行ってみるだけ。断られたらそれでいいし。それに、お父さん以外の探偵さんも興味あるから」
 智志もまあいっか、と思ったので行くことになった。凛子の図々しさと智志のお気楽さが相まって、時々こういう風に、あらぬ方向に邁進してしまう。しかし智志にとっては、それも凛子と一緒にいる楽しさの一つだった。
 凛子は何の躊躇いもなくオフィスビルに入ると、エレベーターを使って真っ直ぐ古結探偵事務所へ向かった。
「すいません、予約はないんですが」
 探偵事務所の表書きがあるドアを開けると、案の定、数名いる職員が胡散臭そうに智志たちを見る。
「何のご相談でしょうか?」
 近付いて来たのは、いかにもやり手ですよと言わんばかりの、ひっつめ髪に三角眼鏡の女性。名札の『森本』という名前をチェックしてから、凛子が口火を切る。
「森本さん、私たちさっき、謎の物体を一つ見つけたんです。それで、最近の探偵さんは謎解きするのかなあって」
 そんな文句を、いけしゃあしゃあと言えてしまうのが凛子だ。彼女お得意のジャギーカードでもそうだが、凛子は、自分が発言することに引け目を作らない。
「森本さんは分かりますか、この謎?」
「私は探偵ではありませんので」
 森本は三角眼鏡を押し上げて言った。
「じゃあ、探偵さんに会いたいです」
 凛子は引かない。
 森本はそこで二人を帰すかと思われたが、意外なことに、「少々お待ちを」と言うと、奥に引っ込んでしまった。智志は凛子と目を見合わせた。凛子が小声で言う。
「小説に出てくるような謎解きする探偵は、実際はいないって話を聞いたんだけど、実際どうなんだろう」
「さあ」
 そこへ森本が戻ってくる。
「古結は十五分程時間がありますので、用があれば手短に」
 そう言って、さっさと歩き出す。智志たちは勿論、後に続いた。「あれ、“こけつ”って読むんだね」と凛子が再度智志に囁いた。

 古結探偵は、パーティション一つ隔てられた向こう側にいた。森本は智志たちを案内すると、自分の持ち場に戻る。
「はじめまして。急に押しかけてすみません」
「はじめまして、柿崎凛子です」
 そして、二人揃って頭を下げた。相変わらず調子の良い凛子に、クスクスと楽しそうに笑う声。
「こちらこそ、はじめまして。古結晶子です」
 二人は顔を上げる。凛子は探偵が女性なのが、ちょっと意外そうな顔をしている。智志は古結晶子を観察した。背は低い。姉にも妹にも母にも妻にもなれそうな女性。家庭的な雰囲気が付きまとうのは、人懐こい笑みと丸顔の所為だろうか。しかし、大人しいというよりは元気溌剌という感じ。足元で動き回っているエーフィは、人見知りなのか、智志たちに毛を逆立てている。
「そっちの彼氏くんは?」その聞き方が、年齢を感じさせる。
「八坂智志です」
「そう。それで、早速だけど、持ってきた謎について」
 古結晶子は、そこで一際人懐こさを感じさせる笑みを浮かべて、言った。
「もしかして、四月二日に関する何かじゃないかしら」
 智志はジャケットのポケットから茶封筒を出して、中身を出す。有効期限を確かめた。四月二日。
「当たりです」
 智志は唖然としていた。隣の凛子も、どうして分かったのだろうと首を捻っている。晶子一人が、いたずらが成功した子どもみたいにクスクス笑っている。
「あ」と智志が声を出す。
「もしかして、古結さんの物でしたか?」
「残念、違います。それと、晶子でいいわよ。こけつ、ってちょっと言いにくいのよ」
「じゃあ晶子さん、どうしてこのチケットのこと、知ってたんですか?」
 直球に尋ねるのは、やはり凛子だ。
 晶子はニコニコしながら、ちょっと考えるように頬に手を当てた。
「それを言うと、つまらない、って思うわよ」
「思いません、思いません。教えてください」
 凛子は待ちきれない、とばかりにはしゃいだ様子で言った。晶子はちょっと困ったように笑うと、
「実はね、うちの事務所にタレコミがあったのよ。四月二日に関する物について」
「あ、そうだったんですか」
 凛子はがっかり、とまではいかなくとも、ちょっぴり失望した声を出した。やっぱり、小説の名探偵みたいに、僅かな手がかりや仕草から真相を、というのを期待していたのだろう。
「つまらなくてごめんなさいね」と晶子は言った。
「いえ、こちらこそ急に押しかけたのに、お時間をいただきまして」
 頭を下げた智志に、「いいのよ」と手を振る。その声を聞くと、体面や義理ではなく、本当に許してもらえている、という気がして安心感がある。悩みのある男の人とか、イチコロだろうなあ、と智志は思った。
 三角眼鏡を押し上げた森本が、パーティションの切れ目に現れたので、智志と凛子も探偵事務所を出ることにした。
「付き合ってくださってありがとうございます」
「ありがとうございます。あの」
「なんですか?」と尋ねる晶子に、智志は胸の前のカメラを持ち上げて見せた。
「よろしければ、写真を撮らせていただけないでしょうか?」
 智志は慣れた動作でカメラを持ち上げると、「撮りますよ」と一言。手のやり場に困って、無難に前で組んで笑顔を見せた晶子の後ろで、彼女のエーフィがツンとすましてみせた。

 撮った写真を晶子に見せ、チケットは警察に届けておくようにと言われて、事務所を出た。森本女史に、「“光の時代”のことで」と言っている初老の男性がいた。予約を入れてきた人だろうか。
 二人はオフィスビルを出て、辺りをうろついた。途中、見つけた交番に封筒を届ける。それから、凛子のタブレットで地図を見て歩き、大きめのショッピングモールに入ってあちこち冷やかしてからフードコートに入った。
 智志はオムライスを、凛子はきつねうどんを頼んで空いている場所に座った。
「結局あのチケット、何だったんだろうね」
 パキン、と割り箸を割って、凛子が口を開いた。智志も先が割れたプラスチックのスプーンを手に取る。
「さあ」と智志は答えた。「あの警官の人が言うように、遊園地側のミスかもしれないし」一拍置いて、「未来から来たチケットかも」
「晶子さんに色々、聞き損ねちゃったね」
 凛子はうどんを慎重に摘み上げながら言った。汁が飛ぶのを気にしているらしい。
「タレコミの主とか、どういうタレコミだったのかとか。なんでそれを私たちに結び付けたのかとか……」
「凛子ちゃんが『謎』って言ったからじゃないかな、多分」
「あの人も、『もしかして四月二日に関係ある物』って聞いてきたよね。チケットとは言ってなかったし。うーん、本当に、どういうタレコミだったんだろ?」
 智志は黙って、カメラをいじった。
 最新の写真のデータを呼ぶ。事務所でかしこまりながら、笑顔で手を組む古結晶子の写真。
 彼はバベルタワー事件について、あの時話したことを思い出す。
 この国最悪のテロ事件。そこに居合わせながら、犠牲者を救えなかった、ホウオウのトレーナー。彼女の名前が“晶子”なのは、チケットの行き先が第二のバベルタワーを示しているのは、果たして、偶然なのか。

 〜

 少女の視界がクリアになった。一も二もなく、少女は前方に転がった。しかし、後に続くはずのブレーキ音も、衝突音も、何も聞こえない。少女は体を起こして後ろを向く。自分を轢きかけた、あの赤の乗用車さえなかった。通行人たちが、怪訝な顔で少女を見ている。少女は恥ずかしそうにフードを握ると、公園へ一直線に走り出した。
 公園に着くと、木に結んだあのフワンテがいない。公園にある時計を見る。そして、少女はホッと胸を撫で下ろすと、近くの公衆電話へ向かい、電話を掛けた。人が出た瞬間、相手が誰かも確かめずに喋りだす。
「古結晶子さん、あの悲劇の再来を止めたいと願うなら、四月二日、示された場所で」
 そこまで言って電話を切る。出来るだけ、怖そうな声を出した。これで上手くいくだろうかと、少女らしからぬしかめっ面をして……ゴミ箱に突っ込まれた新聞を見た瞬間、彼女の顔色が変わった。
「あの、すいません」
 近くにいた通行人を捕まえる。通行人は、少女の勢いにぎょっとしたように身を引いたが、相手が小さい女の子と分かった所為か、警戒を解いた。
「今日、何日ですか? あの、待ち合わせしたはずなのに、相手が来ないから、日にちが合ってたか不安になって」
 少女がさも困ったようにそう言うと、通行人は笑って今日の日付を教えてくれた。それを聞いた途端、青ざめた。「私が間違えてたみたい」と言い捨て、お礼を言うのも忘れて、脱兎の如くその場を去った。
 少女が目指したのは、空き地。四方を塀で囲まれているが、手入れする者もおらず、建っていた家も半壊状態のまま、放置されている。彼女はそこへ入り込むと、草ぼうぼうの地面に体育座りして、顔を揃えた膝にぎゅっと押し付けた。
「ばか、ばか、ばか、ばか、ばか」と一頻り呪詛のように唱えた後、分厚いコートの下から真っ白なモンスターボールを取り出した。
「あんたもばかっ。焦ってこっちに飛ぶなんてばか、ばか」
 モンスターボールが抗議するように揺れた。そうだ、この子は協力せざるを得ないから協力しているだけなんだった。なのに、こんな八つ当たり、だめだ。今回のミスは自分が早とちりしなければ……
「どうしよう」
 少女は顔を揃えた膝に押し付ける。さっきより、もっと強く。
「このミスで、全部ダメになったら。皆もパパもママも調べてくれたのに」
 緑色の瞳から、ポロポロと落ちる滴。
「私の所為で“光の時代”が」
 残りは嗚咽に紛れて消える。どうしようと言いながら、思いつめた目をして泣く少女。誰かが見たとして、ただの迷子にしか見えなかったことだろう。


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