マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1119] 光の時代 #4 投稿者:咲玖   投稿日:2013/06/25(Tue) 23:02:27   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:PG12

 お詫びと訂正
 『光の時代 #0〜#3』に『光の時代#0〜#2』の加筆修正が含まれます。お手数ですが、そちらからお読みください。作者の力不足で、手間をお掛け致します。


 #4

 女の子は、暗い箱の中で目を覚ました。
 どうなってるの。叫びは音にならない。代わりに、箱が喜ぶように揺れた。その瞬間、彼女の頭の中がクリアになって、最悪の可能性を次々に弾き出す。
 そうだ、あの男はバクーダの他にデスカーンも持っていた。でも、だからって、こんなことって。両手で蓋を叩くが、暗い箱は、意志を持ったように開かない。
 いやよ、と彼女は泣こうとするが、涙は元栓を閉じたみたいに出てこなかった。暴力を受けた箇所がまだ痛い。こんなことなら旅なんて出るんじゃなかった。死にたい、でも死にたくない。彼女は喚いた。喉が痛くなる程喚いたのに、音は一向に聞こえない。
 やっと、とうとう、彼女は泣き始めた。暗い箱の床に涙が落ちる度、箱が喜ぶように震える。彼女は理解した。死体も残さないつもりなんだ。私は行方不明になって、誰にも顧みられずに、いつの間にか死んだことになるんだ。
 彼女は自分の思考を真っ暗な闇に浸して、絶望の中に身を置いた。何も考えない。何も感じない。最後に残った自我を守るには、それだけしか出来なかった。
 しかし、その闇を割って、光が差し込んできたのだ。

 〜

 待ちぼうけを食らわされて、真壁の機嫌は良くなかった。八月の夏真っ盛り、しかもインタビューのつもりであったから、真壁はスーツ姿である。これで機嫌が悪くならない方がおかしい。
 道端に申し訳なさそうに設けられた喫煙スペースを見つけ、煙草に火を付けた。最近は煙草を吸うのにも肩身が狭い。真壁はそこまで吸う方ではないが、いざ吸いたい時には決まって喫煙所を見つけるのに手間取る。真壁は煙草の煙を吐いた。
 目の前を、若い集団がぞろぞろと通り過ぎていく。下は小学生くらいから、上は大学生くらいまで、と思ったが、三十歳くらいか、真壁と同じくらいの年回りの者もいる。皆一様に軽装だが、統一感はない。段ボール箱を運んでいる者や、旗を担いでいる者もいる。その旗を見て分かった。黒い布に、六本足の翼竜が、白で染め抜かれている。なるほど、“光の時代”の連中か。この先の大きな交差点で、演説でもするのだろう。今日の待ち合わせ相手も“光の時代”の人間だったが、その斎藤隆也という人間はどこにいるのやら。
 ここで煙草を吸ってても仕方ない、と真壁は思った。冷やかしがてら、さっきの団体のパフォーマンスを見に行くことにした。

“光の時代”の若い人間が、旗を並べたり、台座を作ったりしている。あるはずの物がないだの、配置が打ち合わせと違うだの、そこここで細かなイザコザを起こしている。寄せ集めの集団だ。真壁は思った。“光の時代”という集団の成り立ちからしてそうだ。クッカバラという大富豪が、老若男女問わず、修行の旅をするポケモントレーナーを集め、トレーナー同士の互助集団と称して“光の時代”を作った。今は金の力で保たせているようだが、それがなくなったら駄目だろうというのが、真壁の当初の見方だった。まあ、金の使い方は上手い。パフォーマンスも上手い。上手なパフォーマンスが功を成して、金を吸い上げるルートが出来たという話もある。真壁としては気に入らないが、しかし、本当に善意なのかもしれないという淡い期待もある。
 事実として、旅をやめたポケモントレーナー専用の職業訓練校は早くも成果を出してきている。それから、このカントー地方の各地に設置した、旅のトレーナー用の無料の宿。そこに籍を置かせることで就職の斡旋も容易にしているそうだが、そこは同時に“光の時代”の集会場という側面もあるそうだ。とりあえず浮浪者同然のポケモントレーナーが減って、喜ぶ住民数多である。
 お手並み拝見ってところか、と真壁は心の中で呟く。広い道に出来上がったステージに、壮年の男性が登る。これも、“光の時代”の特徴の一つ。こういうパフォーマンスの時に、必ず代表のクッカバラが出てくるのだ。
 クッカバラは一礼すると、集まった人々を見回した。クッカバラ、本名・時本瞬。クッカバラはリングネーム、つまり、ポケモントレーナーとしての登録名らしい。外国人とのハーフらしく、彫りの深い顔立ちをしている。残り少ない髪は、全て真っ白に染まっていた。老人のように見えるが、真壁と同じくらいの年代らしい。だとしたら頭部がちょっと可哀想だ。安物よりは少し上等な値段帯のスーツ。壇上のクッカバラを観察していると、クッカバラと目が合った。真壁は少し驚いた。どうやら彼は、集まった人一人一人と目が合うように、壇上から見回しているらしい。中々出来る芸当ではない。それに、見られた感じも不愉快なものではない。人間、興味を持たれると悪い気はしないものだ。
 クッカバラは話を始めた。ここでマイクを使わないのも、パフォーマンスの一つらしい。暑いのに、彼に差し掛けられる傘も天蓋もない。暑いですが、聴衆の皆さんと同じく私も同じ条件下でスピーチしますので、なにとぞよろしくお願いします、というところだろう。真壁は時折手で風を送りながら、クッカバラの話を聞いた。話自体はマスメディアに露出した分で、既に聞き飽きる程聞いたものだった。幼い頃父親に捨てられ、母親に虐待を受け、苦労したという話。家を飛び出すようにして飛び込んだトレーナー修行の旅が、如何にその後の人生に影響を与えたかという話。それは何度も聞いている。だが、話の途中でもクッカバラは、群衆を見回して、話の反応を伺うかのように注意深く見つめるのだ。いつの間にか、聴衆は魅入られたように皆、クッカバラの方向を向いている。これはちょっと怖いな、と真壁は思った。
 いよいよ話は佳境に入った。トレーナー修行の末、巡り合った妻との間に、クッカバラは一児をもうける。しかし、ある日曜日、遊びに出かけた妻と子どもが、帰ってくることはなかった。事件に巻き込まれたのだ。
「それがあの、バベルタワー事件です」
 クッカバラは今までより力を込めて言った。
「極めて遺憾な、極めて悲しい事件です。しかし、私はこうも思うのです。修行の旅に出るトレーナーへの支援制度が、もっと充実していれば、彼らに居場所があれば、あの悲劇は防げたのではないか、と。私自身、旅をしてその素晴らしさを知った身です。これからを生きる子どもたちから、旅を一様に奪って欲しくない。子どもたちに旅を、それを可能にする為の社会制度を、今一度、私は提案し、生み出していきたいのです」
 ざあ、と豪雨が地面を打つような、盛大な拍手が起こった。真壁は二、三度手を叩いたが、すぐに辞めてしまった。クッカバラに向けてフラッシュが焚かれる。それ自体は何の不思議でもなかったが、フラッシュを焚いた人間を見て、真壁は一方ならず驚いた。八坂智志。何故彼がここにいる? いや、いても不思議はない。それより、いつも穏やかで気弱な笑みを浮べている彼が、恐ろしい表情で、クッカバラを睨み付けているのが異様だった。あれは本当に八坂智志なのか。
 いつの間にか、話は終わりの部分に突入していた。独り遺されたクッカバラに、僥倖が訪れる。去年、外国の大富豪が、生き別れの息子に莫大な財産を遺して死んだ。その生き別れの息子というのが、クッカバラだったのである。クッカバラはこれを神のご意思と考え、その遺産を、ポケモントレーナーとその旅を支援する制度の確立の為に使うことに決めた――
 再び盛大な拍手が起こった。真壁は今度は手も叩かず、八坂智志の方を見た。智志はカメラに触れながら、今度はクッカバラがいるのとは別の方向を見ていた。否、睨んでいた。
 あいつは一体、何をしているんだ? 真壁は訝った。その疑念は、次に始まった質疑応答の時にも解消されなかった。
 集まった群衆の中から、選ばれたが何人かがクッカバラに質問をする。クッカバラはそれに丁寧に答える。しかし、その質問もお決まりの、事件があって悲しくないんですかとか、これからどのように制度を作るつもりですかというもので、クッカバラの回答も、形式通りのものだった。質問者はサクラか、と思った矢先に、智志が高々と手を上げたのだった。
「そこの、カメラを持ってる方」
 智志は“光の時代”の人からマイクを受け取ると、「はじめまして、八坂智志と申します」真壁が予想していたより、至極はっきりと喋り始めた。思いがけず、あいつも成長しているんだと感じた。そして、どこか置いていかれたような寂しさも少々。
 智志はハキハキとした声で続ける。
「非常に為になるお話でした。ありがとうございます。
 ところで、クッカバラさんはお話の最後の方で、“神のご意思”だという言葉をお使いになりました。クッカバラは何か特定の宗教を信仰してらっしゃるのでしょうか?」
 智志はマイクを一旦係の人間に渡すと、一礼して、顔を上げる。その表情は流石に鬼か魔物かと見まごうような恐ろしさはないものの、微妙な険しさが残っている。
 クッカバラは智志と視線を合わせて、そして、微笑んだ。それから群衆を見回し、智志に視線を戻して、話し出した。
「この国では、バベルタワー事件以降、宗教に関する一種の線引と申しますか、奇妙な誤解や、遠慮が発生していますね。ええ、私は神を信じています。特定の宗教には属しておりませんが、日々、神の恵みや、神のご意思というものを感じながら生きています」
「それはどういった場面で?」
 智志はマイクを受け取ると、今度は返さなかった。返す手間が面倒になったのだろう。
「そうですね」
 クッカバラは穏やかに笑う。
「例えば、こう言うとおかしく聞こえるかもしれませんが、妻と子をバベルタワー事件で失ったこと。それが切っ掛けで、私は旅のトレーナーを援助する道に入った。神のご意思なのだと思いますよ」
「でも、家族を亡くして悲しくありませんか?」
「それはもちろん、事件直後などは、どうしてあの日にバベルタワーに行ってしまったのか、何故妻と子どもだけで行かせたのかと、何度も後悔しました。でもね、違うんです。私の家族は、少し早く神に見初められて、天に呼ばれただけなんです」
 クッカバラは再び、あの笑みを浮かべた。じっと智志を見つめる。そして、止めを刺すようにこう言った。
「私は、今日貴方と会えたことも、神のご意思だと思いますよ。そして、神に感謝します」
 クッカバラは両手を組み合わせると、軽くお辞儀をした。クッカバラ以外にも、“光の時代”の何人かが同じ動作をするのを、真壁は見た。係の人間が、マイクを返してもらおうと手を伸ばす。しかし、智志はその手を退けると、質問を続けた。ますます彼らしくない。
「では、何があっても神の意思で、それが正しいということですか?」
 やれやれ、もうちょっと上手く質問しろよ。真壁は腹の中でぼやく。これじゃ、いきがって噛み付いてるガキじゃねえか。
 案の定、クッカバラは落ち着き、諭すような態度で答えた。
「全てが神のご意思だというわけではありません。この世界を動かす、大半が人の意志によるものです。しかし、どうにもならないこと、後悔してもどうしようもないことは、世の中にいくらでも存在します。それを神のご意思だ、神の与えたもう試練だと、自分の心の中で、理由を付けて、納得する。あるいは奮起する。そうやって心の安寧を得るとか、自身の向上を図ることは、決して悪いことではないと、私は思います」
 パラパラと、急に拍手が湧き上がって、止んだ。智志は、今度は反論しなかった。
「ところで八坂くん。時に、君にとっての神とはなんですか?」
 今までとは逆に、クッカバラが智志に質問した。聴衆がざわついた。“光の時代”の面々は、落ち着き払って、揃ってクッカバラを見つめている。多分、これもパフォーマンスの内なのだろう。
 嵌まるなよ。真壁はそう腹の中で呟いた。智志はマイクを構える。
「俺にとっての神は、ポケモンです。自然の力そのものです。人の味方にもなれば、脅威にもなる。手懐けていると思って油断していたら、噛み付かれる。伝説や神話で語られたり、神社で祀られたりしているポケモンが、俺にとっての神です。少なくとも、絶対に正しい存在ではありません」
 智志は話を終えた。
「なるほど」
 クッカバラは満足したように言った。
「私もかつては、そう考えていました」
「ありがとうございました」
 智志は一礼すると、今度こそマイクを係の人間に返した。
 ああやって、表向きは相手の考えを肯定しつつ、遠巻きに否定して、なおかつ自分の意見を盤石にするわけだ。はじめから勝ち目がなかったな。真壁はそう思った。

 真壁の鷹の目が、最初に異変を捉えた。舞台の後方に立つ旗から、煙が上がっている。
 変だと思うよりも先に、旗が炎に包まれて燃え上がった。群衆から悲鳴が上がる。我先に逃げようとした人々に、クッカバラが叫ぶ。
「皆さん、恐がることはありません。あの炎の原因はバクーダ。ただの一匹のポケモンです」
 なるほど、確かに旗を燃やしたのはバクーダだった。しかし、様子がおかしい。“光の時代”のトレーナーたちが宥めても、全く大人しくなる気配が見えず、むしろ、却って興奮しているようにさえ感じる。縄張りを侵されたポケモンなら宥め難いだろうが、町のど真ん中で縄張りもあるまい。様子がおかしいが、その原因が掴めない。暑気に熱気が加味されて、思考がうまく回らない。真壁は苛立ちのままに舌打ちを一つ。この違和感は何だ?
 バクーダから離れた位置にある旗が二本、火を噴いて燃え出した。そして更に二本。バクーダの興奮と共鳴しあっているかのように、人々のパニックが膨れ上がった。交差点の西と南、こちらには歩道が続いているが、北と東、横断歩道がある方角にまで人が雪崩れ始めた。赤信号になっている横断歩道を、しかし、パニックに陥った人々は構わず、渡ろうとする。
 その人の群れを、“光の時代”のトレーナーたちがとどめた。それぞれ屈強そうな、カビゴンやハガネールといったポケモンを出して、強引に通行止めをかけたのだ。群衆から、わっと、悲鳴とも怒号ともつかない大きな音が上がった。
「皆さん、落ち着いてください。こちらには手練れのトレーナーたちがいます」
 クッカバラは再び叫んだ。
「皆さん、水ポケモンを出してください」
 クッカバラの指示に、トレーナーたちが足並みを揃えて指定されたタイプのポケモンを出した。ジュゴン、カメックス、ニョロボン、ギャラドス、スターミー。真壁の位置から見えたのはそのくらいだったが、他にも十匹程いるようだ。
「かかれ!」
 クッカバラが腕を上げ、振り下ろすのと同時に、総勢十五匹程のポケモンたちが、息を合わせてハイドロポンプを繰り出した。太い水流が、たった一匹のバクーダを貫く。そして、あっという間に鎮火した。
 ハイドロポンプで起こった煙霧が収まった時、バクーダは目を閉じて、腹をべったり地面に付けていた。あれでは即死だろうと真壁は思った。
「では、後はお願いします」
 トレーナーたちが揃って頷いて、バクーダに近付いていく。そして、白い布をバクーダに掛けた。ポケモンの中には、燃えていた旗に水を掛けて、駄目押しの鎮火を行なっている者もいる。ポケモンたちが水を撒いた所為か、真夏だというのに、辺りは少し涼しくなっていた。あれ程騒いでいた群衆も、頭を冷やされたかのように、静まっている。
 クッカバラの去った舞台を見つめて、真壁は、これはパフォーマンスだろうか、それともクッカバラの命を狙った誰かの犯罪だろうかと考えていた。クッカバラは何かと命を狙われることが多いという話だが、あの手並みの鮮やかさから見て、パフォーマンスという可能性も捨てきれない。パニックの収まった人々は、興味津々といった様子で、早速騒ぎについて話し合っている。気楽なものだ、と真壁は思った。ポケモンが一匹、死んでいるというのに。
「おや」と真壁は小さく驚いた。智志が女の子の腕を引っ張っていくのが目に入ったのだ。それも、どう見ても嫌がっている女の子を、智志が無理矢理引っ張っている構図だ。これで、女の子が前に写真で見た柿崎凛子なら真壁は放っておくのだが、遠目に見ても明らかに違う人物なのだ。
「今日は変わった八坂をよく見かける日だな」
 独りごちる。智志と女の子の後ろを、金色のタグを付けたコラッタが尾けていくのが見えた。あの金色のタグは、真壁も関わったことのある、ある育て屋のものだ。ああして、野生ポケモンに混ざって町を警備するポケモンを育てる事業を、今は全国規模で展開している。
 とにかく、その警備ポケにも不審に思われてるぞ、八坂。
 真壁は彼らを追う足を速めた。

 先に行ったコラッタは、二人から離れた所でじっと成り行きを見守っていた。とすると、今の所は、事件性はないらしい。智志と女の子は、何やらただならぬ雰囲気で話し合っている。真壁はコラッタに習って、しばらく様子を見てみることにした。さっきの交差点からは離れているが、ここも立派に大きな歩道なのだ。人通りは多い。智志だって変なことはするまい。
 聞き耳を立てる。人通りと交通量が多い所為で、数メートル先の智志と女の子の会話が聞こえない。駄目押しのように、パトカーがサイレンを鳴らしながら、交差点の方向へ走っていった。あのまま交差点に留まっていたら、事情聴取やら何やらで面倒くさいことになっていた。警察官の友人には悪いが、真壁は面倒事を逃れられて、ホッと胸を撫で下ろした。
「だから、とにかく一旦戻ってこいって。ホーにも顔見せてやれよ」
 智志が声のトーンを上げた。“ホー”という単語に真壁の体が反応する。しかし、すぐに飛び出して“ホー”について尋ねたいという衝動を抑えて、真壁はとにかく成り行きを見守った。
 女の子が智志の手の振り切ろうとする。しかし、智志は彼女の腕をがっちり掴んで離さない。
「変わらない、じゃねえよ。俺に押し付けようとすんな」
 女の子が何か言う。いつも穏やかだと思っていた智志が、顔を紅潮させた。
「母さんは今関係ないだろ!」
 突然の大声。道行く人が、何事かと立ち止まり、振り返る。智志は女の子の腕を掴んだまま、怒鳴る。
「お前がホーの“おや”だろ。なら最後まで責任取れよ」
 女の子が顔を上げて、智志を睨んだ。中々、気の強そうな顔をした子だ。しかし、非常に幼い顔付きでもある。
「責任って何?」
 女の子が口を開いた。そこから出た声は、真壁の所まで届く程度には大きいものの、少し震えている。
「ホーを殺すことが責任? 同意書にサインしたら責任取ったことになるの? だったらサインくらいいくらでも書くよ、書けばいいんでしょ!」
「そんな話してんじゃねえだろ!」
「落ち着け」
 金色のタグを付けたコラッタが出動する前に、真壁は二人の所へ行って、言い争いを止めた。女の子の腕を握っている方の、智志の手を叩いた。
「あんまりきつくやるな。痣になんぞ」
 智志はさっと手を引っ込めた。
「どういう事情かは知らんが」
「何このおっさん」
 これ見よがしに腕を擦りながら、女の子が言った。逃げる様子はない。逃げても追い付かれると思っているのか。真壁はおっさん呼ばわりを受け流して、続けた。
「道のど真ん中で派手にやるもんじゃないと思うぜ。どっか、座れるとこ探して」
「警察に行きます」
 智志が言った。
「妹を警察に出頭させなきゃならないんで」
 そうか、と真壁はそれだけ答えた。
 智志と、彼の妹だという女の子をタクシーに乗せて、見送る。交差点の騒ぎも一段落したようだ。そういえば、結局インタビューは出来ず仕舞いだった。午後の予定に丸々穴が空いた形になる。
 どうしようかと考えて、この近くに、警察官の友人が勤める警察署があることを思い出す。そうだ、そこへ行こう。上手くいけば、さっきの騒ぎの情報を手に入れられるかもしれない。上手くいかなければ、さっきの騒ぎを手土産に、友人を冷やかすことにしよう。あいつ今閑職だし。
 真壁は午後の予定を書き換えると、早速新しい目的地へと歩いて行った。

 〜

「“光の時代”の資料、こっちに持ってきて」
「今度もクッカバラの評価を上げて終わりかね」
 バタバタと、廊下を早足で駆け回る音。大半が革靴やパンプスを履いている所為か、音が響く。忙しそうなポケモン犯罪課の連中を横目に、警備課の青井守は欠伸をする。すると、座っていた椅子ごと、タックルを食らった。犯人は分かっている。
「タックルするこたねえだろう、結城夏輝」
 青井は背もたれに肘を乗せて、後ろを向いた。
 結城夏輝、二十八歳。女性ながらしっかり鍛えた体に、警察官としての真面目さを付加するように、後ろでまとめられた長い黒髪。頭は回るし、ポケモンの育てもバトルの筋もいい彼女だが、いつまで経っても身の振り方というものを覚えない。端的に言うと上層部に反抗的で、出世できない。挙句の果てには、警備課という閑職に飛ばされる始末。“育て屋さんの警備ポケがいるから正直いらない部署”呼ばわりされる窓際である。そこでも彼女は資料水浸し事件をはじめ、もれなく問題を起こしている。
「そんなこと言って、普段の気の緩みが、いざという時に出ちゃうんですから」
「理想論もいいが、程々にしろよ」
 青井がそう言うと、夏輝は「なんでですか」とむくれた。
「理想論を言う人がいないと、組織っていうのは落ちるとこに落ちるんですよ」
「正論ばっか言ってると嫌われるぞ」
 夏輝は騒がしい刑事課の方に目をやって、青井に戻す。
「嫌われてない人もいますけど」
「クッカバラは別」
「お金ばら撒いてるから?」
「お前、やけにクッカバラに拘るなあ」
 青井は呆れた声を上げた。
「資料水浸し事件の恨みか?」
 彼女がこんなにクッカバラに敵意剥き出しになったのは、確か、資料水浸し事件の後からだ。あの時彼女が水をぶっ掛けた資料は、大半が“光の時代”に関するものだった。居残りで資料の作り直しを命じられた恨みだろうか。
 夏輝は頬を膨らますと、
「だからあれ、私がやったんじゃないですってば」と言った。
「じゃあ何だ。水を入れたバケツが勝手に飛んでったとでも?」
「そうですよ。青井さんは信じてないみたいですけど」
 そう言って、ポケモン犯罪課の、出動が掛かっていない班の方へ歩いて行った。最近、彼女はポケモン犯罪課に顔を出していることが多い。別の課というのが引っ掛かるが、夏輝が波風立てずに付き合える人たちがいるというのはいいことだからと、青井は黙って見守っている。
 まあそれに、警備課にいてもやることがない。青井は、さてどうしようかと呟いた。夏輝のお守りが終わったら、特にすることがない。どこかで雑用でも探すかと思った矢先、青井の携帯電話が鳴った。
 画面を見る。
『遠泉』
 青井は顔をしかめて電話を取った。口元を覆う。
「おい、今勤務中だぞ」
『でも、周りに人がいませんでしょう?』
 青井は周囲を見回して、窓の外に目を止めた。ヤミカラス。赤い首輪を着けたのが一匹、窓の外に停まっている。青井は窓を開けると、ヤミカラスを中に入れた。窓を閉め、ヤミカラスを机の上に置く。そして、首輪を外して引き出しの中に放り込んだ。
『あら、いけず』
「悪趣味な真似してるんじゃねえ」
『ああら、そう。次は青さんの趣味に合う首輪を探さなあねえ』
 電話の向こうで、ペルシアンの鳴き声がした。遠泉が豪奢なベッドに横たわりながら、片手でペルシアンを愛撫しつつ、片手間に電話を掛けてきているのが、目に浮かぶようだ。全く、真壁はとんでもない置き土産をしてくれた。
「巫山戯たこと言ってねえで、とっとと用件を言え」青井は出来るだけ迫力のある声を出す。もっとも、彼女には糠に釘だろうが。
『おお、恐』
 思った通り、彼女は愉快そうに笑いながら言う。「いいから用件を」とせっついて、やっと彼女は本題に入った。
『前に言われたこと、調べましたんよ』
「あ、ああ。そうか」
 青井は出来るだけ、平静に聞こえるように答えた。自分が頼んだことを思い出して、ドキリと心臓が跳ね上がる。
「で、どうだった?」
『大変でしたんよ。何せあたしが家業を継ぐ前の話でしたから』
「苦労話はいい。結果だけ早く」
 遠泉が溜め息を吐いた。艶っぽい匂いが、受話器越しに漂ってきそうな溜め息だった。
『せっかちな男は嫌われますんよ? ……まあ、ええわ。結論から申しますと、青さんが睨んだ通りですわ』
「……」
 青井は黙った。二十年前に既に察していたとはいえ、こうして友人の罪が明らかになると、言葉を失ってしまう。遠泉は、たっぷりと青井に沈黙させた後に、再び話を始めた。今度は、電話の向こうにペルシアンはいないようだった。
『それだけならあたしも青さんに電話しませんのんよ。電話したのんは』
 ここで遠泉は言葉を切って、笑う。
「おい、電話してきたのは、何だ。何とか言え」
『その前に、“光の時代”について、警察は調べてますのん?』
 青井は携帯電話を強く握りしめた。
「それが、お前に関係あるのか?」
 探るように言う。だが、すぐ躱された。
『ムニンに首輪を着けてくれます?』
 青井は舌打ちすると、引き出しから先程の首輪を取り出した。机の上にいるヤミカラスのムニンをこちらに向かせ、首輪を着け直す。ヤミカラスはカアと一声鳴くと、勝手に廊下の方へ飛んでいった。青井はそれを見送る。
「それで?」
 青井は携帯電話を拾い上げた。
「本当の用件は何だ?」
『こちらも色々調べましたんよ。そうしたら、面白いことが分かってねえ』
 遠泉は笑い、たっぷりと間を取って青井を苛立たせてから、こう言った。
『あんたの友人は時本瞬やった』
 笑い声と共に、通話が切れた。
 青井はビジートーンを鳴らし続ける携帯電話を片手にぶら下げたまま、今言われたことを反芻していた。そして、それが事実だとして、自分はどうすればいいのかを考えていた。

 〜

 警察署にやっと到着した時、真壁はタクシーを使えばよかったと後悔した。徒歩だと思いの外時間が掛かる上、スーツでこの暑さだ。しかしこれで一息つけると警察署内に踏み込んだら、冷房があまり効いていなかった。節電の煽りを食ったらしい。流石に耐え切れなくなり、鞄から扇子を出して扇いだ。そして、ようやく一息つく。
 受付の若い女性にご用件はと聞かれ、友人に用があると答えた。呼び出しましょうか、という彼女の申し出を断って、真壁は勝手知ったる警察署内を進んでいく。途中でヤミカラスのムニンにぶつかりそうになりながら、進む。真壁と違って、青井は鳥ポケモンを屋内で飛ばすような人間ではない。珍しいこともあるものだと思った。

 珍しいことといえば。
「あ、また会いましたね」
 八坂智志がこの警察署にいた。廊下に作られた休憩スペースで、自販機で飲み物も買わず、一人で座っていた。「ここ、いいか」と尋ね、返事も待たずに真壁は智志の正面に座る。日焼けすると赤くなる方らしい。智志の顔が火照っていた。
 そのまま、二人でじっと黙って向き合っていたが、ずっとそうしていても仕方ない。真壁は鞄の中をいじってから、単刀直入に切り出した。
「妹が犯罪者になっちまったんだってな」
「ええ」
 智志は答えた。その手はカメラを触っていたが、真壁の視線に気付くと、カメラから手を離した。そして、手を机の上に置いた。
「やってしまったことは取り返せないし、償うしかないと思います。弁護士のこととか、犯罪者の家族になることとか、本当はもっと色々考えなきゃいけないんですけど、あんまり頭、回らなくて。なんか、今までは妹にすごく腹立てたり、とか、後悔とかしてたり、してたんですけど」
 智志は大きく溜め息をついた。
「俺に出来ることは協力する」
 真壁はそう言ってから、質問をした。
「今日は、妹を見つける為にあの演説に出てたのか?」
 智志は下げていた顔を上げた。真壁を見て二、三度瞬きすると、「それは」と言って口ごもる。
「起こったことから、順番に話していいですか? ちょっと、そうでないと俺の頭が追い付かないので」
「ああ」と真壁は頷いた。智志も頷くと、重かったのか、首から提げていたカメラを机の上に置いて、話し始めた。

「警察から連絡があったのは四月です。ちょうど、真壁さんの事務所に行った日の夜でした。妹のポケモンが、」
 そこで、智志は一旦言葉を切る。カメラを起動してから、話を再開した。
「ヨルノズクのホーが、警邏中の警官を襲って捕獲されたって連絡が来ました。俺は急いで警察署に行きました」
 そして、智志はカメラの画面を真壁に向けた。目を真っ赤に光らせたヨルノズクが、こちらを見ていた。カメラのフラッシュが目に入って、赤目現象が発生している。自分に起こったことを、まだ受け止めきれていないような、悲しげな目で、睨み付けていた。ガラスに光が反射して、写真を撮った智志の姿がうっすらと写り込んでいる。
 ホーとは、ヨルノズクの名前だったか。ややこしい名前を付けやがる、とこれは口に出さなかった。
 智志は続ける。
「ホーは、ポケモン用の覚醒剤を打たれてるから、処分されるって話で」ここだけ、早口で言い終える。智志はまた俯いていた。
「妹も、ポケモン愛護法違反や管理義務違反で罪に問われるという話でした。でも、妹と全然連絡が取れない。困っていた時、“光の時代”の話を凛子から聞いて、もしかしたらそこにいるのかな、と思ったんです」
 ふう、と息をつくと、
「それから、色々調べて、今日の集会に行き当たったんです」と早口で話し終えた。
 話し終えると、智志は廊下の向こうを見やった。ずっと奥の方の取調室に妹がいるのだろう、と真壁は思う。
 話を聞いて、合点がいったことが一つある。智志と妹が近くの交番ではなく、この警察署に出頭した理由だ。おそらく、ヨルノズクのホーがここに保護されているのだろう。
 真壁は写真のデータを見ていた。智志は足繁くこの警察署に通っていたようだ。足枷を嵌められたヨルノズクの写真が、何枚もある。智志がカメラに手を触れたので、真壁はカメラを智志へ返した。
「今日、俺がいて吃驚しましたか?」
 智志は脱力した笑みを浮かべた。真壁は「そういう偶然もある」と答えた。智志がいたことそれ自体よりも、他に驚くべきことが多かった。真壁はその疑問を潰すように、質問をする。
「お前、クッカバラが嫌いみたいだな? 質問の時とか、最後の方、突っかかってたぞ」
 智志は笑みを浮かべた。いつもの彼らしい、気の弱そうな笑みだ。
「妹を取り返さなくちゃって気になってて、気が立ってたかもしれません」
 それから、真壁と目を合わせると、「あの質問をしたのは」と切り出した。それは、クッカバラに質問をした時と同じ、自分の意見をしっかりと持った瞳だった。
 成長したものだ、と真壁は喜び半分、寂しさ半分にそんなことを思う。つい二年前は、真壁の後ろを困ったように付いて歩いていたというのに。
「俺が旅をしてた時、クッカバラさんと同じように、何でも神のご意思だって言う人がいて、疑問を持ったんです。疑問、というか、違和感、かな。神様のご意思だから正しいとか、神様の思想だから正しいとか、そういうのに違和感を持ちました。絶対に正しい神様っていうのが、俺の中では有り得なかったんです。
 それは、俺にとって神様っていう概念が、自然そのもの、ポケモンそのもので、人間に与したり、牙を向いたりする存在だって思ってるっていうのもあるんですけど。むしろ、」
 智志はそこで息を吸う。
「神様が絶対に正しくて、神様の言う通りにすべきだっていうのは、俺にとっては思考停止なんですよ。神様の言葉に従うんじゃなくて、自分で考えて、自分で言葉にしないと、自分にとっての本当だって気がしない。それだけです。絶対に正しい、って言われて、反抗したいだけかもしれないですけど」
「いや」
 真壁はそう言って、言葉に詰まった。旅を通じて、智志は真壁が思っていたより、ずっと成長していたらしい。その予想とのギャップに面食らうだけだった。
「ただ、ポケモンを神様として敬ってたら、それでいいのかっていうとそうでもなくって」
 智志は話を続けた。カメラをしばらくいじってから、真壁に渡す。そこには、揃って同じ方角に頭を垂れる人の列が写されていた。前に一度見た写真だ。おそらく、生活レベルを同じくする村の住民なのだろう。どちらかと言えば簡素な服に身を包んだ人々が、老若男女問わず、一方向に敬意を向けている。
「旅の途中で訪れた村です」
 智志が説明を付ける。
「その村では、ネイティオが神様として祀られているんです。生きている本物のネイティオですよ。撮影お断りなので、撮ってないですけど。それで、そのネイティオが未来を見て、今年はどの作物をどのくらい植えるべきか、今日は狩りに行くべきか、それとも釣りをするべきか、今度生まれる赤ちゃんの名前は誰が付けるか。そんなことを全部予言して、村人はそれに従うんです。
 それも、俺はなんかおかしいな、って思うんです。確かにポケモンは人間より優れてる感覚も多いし、ネイティオみたいに未来を予知する種類もいますけど。でも、そういうのに頼りっきりで、ポケモンの言う事を聞いてばっかりっていうのは、おかしいと思うんです」
 智志は話を終えた。
「若造が背伸びして言ってることかもしれないですけど」と付け加える。
「いや、俺はそうは思わないな」
「そうですか」
 智志は少し笑った。それからふと顔を上げると、思いがけないことを言った。
「ポケモンに従ってておかしいっていうのは、真壁さんもですよ」
 突然そんなことを言われて、真壁はたじろいだ。いつ自分がポケモンの言う事を聞いただろう。真壁の手持ちポケモンはポッポのサイハテだけだが、彼に従った覚えもない。基本的に、付かず離れずの間柄なのだ。
「今日のことですよ」と言われ、ますます真壁は分からなくなる。智志はちょっと困ったような笑みの中に、自分の意志を曲げない頑固一徹の瞳を忍ばせて、こう言った。
「今日、俺と妹が喧嘩してた時、真壁さん、止めなかったでしょ? あれ、何でですか。真壁さんは俺の妹知らないでしょう。あの時はまだ、俺が知らない女の子を引っ張り回してるようにしか見えなかったはずですけど」
 何でですか、と言われて真壁は止まる。その時の自分の思考回路に気付いたからだ。
 ――育て屋の警備ポケが大丈夫だと判断してるから、大丈夫。
「お前、そんなとこまで見てたのか」真壁は唸る。
「知り合いが近くにいると、やっぱり見ちゃいますよ」智志はゆるゆると笑った。
「参ったな」真壁は両手を上げた。
「でも、」智志は再び目を落とす。
「そうやって、警備ポケモンたちの判断に従ってしまうことって、これからどんどん多くなっていくと思うんです。法律って難しいし、法律に違反しているかどうか、法律をよく知ってる警備ポケに判断仰いだ方が早いかもしれない」
「でも、それはおかしいんだな。お前にとって」
「ええ」
 智志は頷く。
「吃驚しましたよ。帰国したら、優吾さんがやってた警備ポケのサービスが全国展開されてましたから」
 おそらく、智志が驚いたのはそのことだけではないのだろう。きっと彼は、人々が警備ポケの判断に頼っているという現実に、驚愕したのだ。

 智志はまた、廊下の向こうを見やった。
「取り調べって、時間が掛かりますね」
「容疑者だからな」
 真壁は自販機でコーヒーを買った。智志に要るかと聞いてみると、自分で買うと答えた。真壁は席に戻ると、コーヒーのペットボトルを開ける。その時、休憩スペースと廊下の間の仕切りを叩く者が現れた。
「おい、真壁」
 警察官の友人、青井守だった。真壁が片手を上げると、青井は躊躇いも見せずにズカズカと彼らの席に近寄ってきた。
「水臭いじゃねえか。こっちに来たのに、顔も見せないなんて」
「悪いな」
 青井は真壁から智志へ目を移した。智志が「お久しぶりです、八坂智志です」と挨拶して、やっと青井はかつて会った友人の弟子の顔を思い出したらしかった。
「おお、久しぶり」
 そう言いながら、空いていた椅子に座る。
「逞しくなってたんで、分からなかったぞ」それから、真壁に顔を寄せると、「遠泉から連絡があったぞ」と囁いた。
「そうか」
「そうか、じゃねえよ。お前の女だろ。どうにかしてくれ」
「あれは誰の女でもない」
 青井の遠泉談義に付き合わされそうな予感がした。真壁は片手を上げて青井を制すると、智志に向き直った。
「さて、ちょっと真面目な話をしていいか」
「はい」
 智志は真壁を見て頷いた。真壁は鞄の中の物をそっと確認する。出来れば、こういう物は使いたくない。
「お前は、“光の時代”のことを、彼女から聞いたんだな?」
 智志は素直に頷いた。
「前々から噂は聞いてたんですけど、妹がそこにいるかも、って考え始めたのは、凛子の話を聞いてからです」
「いつ聞いた」
「二週間前の土曜です」
 真壁は頷く。自分の調子を整える意味もあった。
「それで、色々調べて、今日の集会に妹も顔を出すことを知ったんだな」
「ええ」
 ここまでは、まだ普通だ。真壁は質問を続けた。
「どうやって調べたんだ?」
「それは、」
 智志の返答が急にしどろもどろになった。やはり、と真壁は自分の印象が正しかったことを確認する。“光の時代”について調べたという話だけ、彼は妙にぼかしていた。それに、“光の時代”とクッカバラに対する異様な敵意。二週間の間に、何かあったのだとしか思えない。
「“光の時代”の人に……会ったりとか」
「誰に会った? 具体的に、名前は?」
 智志が黙った。分かりやすい、と思いながらも、真壁は追及の手を緩めない。
「警察が四ヶ月間調べて分からなかった妹の居場所を、二週間で突き止めた。だとしたら、お前は随分捜査が上手いな」
 智志の目を泳ぐ。真壁は智志をじっと見た。
「どうやったか言えないのは、何故だ?」
 智志は答えない。真壁はそうあってほしくないと思いながら、彼を詰問する。
「非合法な手段に頼ったのか?」
「違います」
 やっと、智志がはっきりと答えを口にした。真壁はひとまず胸を撫で下ろすが、肝心なことをまだ聞いていない。
「なら、俺に教えてもらっても構わないな」
「協力してもらいました。ある人に」
 真壁の問いに、智志はそう言うと、「これ以上は」と口籠った。しかし、青井が「後ろめたいんなら、いっそ吐いて楽になれ」と横から口を出して、とうとう智志は白状した。
「結城夏輝さんです」

 動いたのは青井だった。「すまんな、行くよ」と言うと、休憩スペースを出て走っていった。
 青井の足音が遠ざかってから、真壁は机に肘を付いて、智志に疑問に思っていたことを問いかけた。
「“光の時代”が関係しているかもしれないと気付いたなら、妹の事件の担当者にそう言えばいい。捜査する時に、視野に入れてくれるだろ。なのに、お前はそれをした様子もなく、関係ない結城に協力を頼んだ挙句、彼女を庇うような素振りを見せた。何故だ?」
 智志は「えっと」を繰り返した。頭を掻いて、何度か吃った後に、やっと彼は話し出す。
「凛子と話して、“光の時代”が関係してるかもって思い付いて、でも、当然警察もそういうことは捜査してるだろうと思って、言う気もなかったんです。それが」
 智志はかぶりを振る。「信じられないかもしれないですけど」と前置きした。
「あの日、ここにホーの顔を見に寄って、帰る時、偶々、居残りで資料を作り直してる結城さんに会ったんです。結城さんとは年が近かったし、俺もしばらく警察署に出入りしてて、警察官相手に気が張らなくて話しやすかったというか。とにかく」
 智志は息を整えた。
「お仕事お疲れ様です、って挨拶して、そのまま話し込んで。それで俺、“光の時代”に妹がいるかもしれないんだけど、そういう考えって警察の人に言った方がいいか、って彼女に聞いたんです。そしたら、それは警察に言わない方がいい、自分が捜査しておくって結城さんが言って。それで、頼んだら、本当に妹の居場所を探し出してきてくれたんです。その時だったかな。結城さんが、“光の時代”は怪しい組織だから信用しない方がいいって言って。それで、演説の時は、妹がそこに誘拐されたような気分になってたんだと思います」
 智志はそこまで言うと、背もたれに身を預けた。これで全部らしかった。
「そうか」
「はい」
「話してくれて、良かったよ。ただな」
「はい」
 智志が顔を上げるのを待って、真壁は言った。
「俺に一言ぐらいあっても良かったろうが。相談しにくかったのは分かるが」
「あ……いえ」
「ま、今度から困ったことがあったら言ってくれ」
 真壁は語調を努めて明るくした。
「年上の人間にはいくらでも頼れ。でもってその時どうやるか、ちゃんと見とけ。見て盗め。どうせノウハウなんざ天国には持って行けやしないんだ。だったらこっちに覚えてる人間を置いといた方がいい。勿論、自分で解決するのも大切だが、何もかも自分でやる必要はない。頼れ」
 真壁の口調で許されたことを感じたのか、智志に笑顔が戻った。知らない内に大人になったと驚いたが、こいつはまだまだ子どもでもあるのだ。

 〜

「おい、結城!」
 青井はポケモン犯罪課に走って戻ると、叫んだ。しかし、そこに夏輝はいない。残っていた警察官が、「結城さんなら取調室だよ」と青井に言った。
「くそ」
 小さく毒づき、近道を走る。遠回りのルートだと、真壁たちがいる休憩スペースの横を通ることになる。こっちが近道で良かったが、そんなことは瑣末な問題だ。
 途中でヤミカラスのムニンが戻ってきて、青井と並行するように飛んだ。ヤミカラスをボールに戻す手間も惜しく、青井は取調室に入る。
「おい、結城!」
 夏輝はそこにいた。智志の妹と思しき女の子の取り調べに、ちゃっかり立ち会っている。逃げようとした夏輝を、青井は容赦なく取調室の外に引き摺り出した。
「何ですか青井さん! 今いいとこだったのに!」
「いいとこもクソもあるか! こういうことやるなって言ってるだろ!」
 抵抗する夏輝を引っ張るようにして、青井は休憩スペースに向かう。途中で「八坂智志に会ったぞ。お前、また勝手に捜査してたんだってな」と言うと、夏輝はむくれながらも、抵抗をやめる。
「だって」
「話は後で聞く」
 それから、青井と夏輝は廊下を走り出した。ヤミカラスが、今度は彼らを先導するように飛んだ。

 青井が戻ってきた時に、ちょうど真壁と智志の話も一段落したらしかった。
「八坂、すまんかった!」
 そう言って、青井は頭を下げる。
「本来なら、上にちゃんと報告上げて捜査しなきゃならないんだ。それが、こういうことになっちまったから、お前にも色々聞いて、これから手間掛けさせると思う。全てはこいつと、こいつを監督できなかった俺の責任だ。ほら、お前も謝れ」
 そう言って、青井に引き出された夏輝は、不機嫌そうに頬を膨らませている。青井を見上げて、夏輝は「何でですか」と噛み付いた。
「困ってる人がいて、困ってる事を解決して助けたんですよ? それのどこがいけないんですか!」
「やり方が駄目なんだよ、報告も上げず他の課の事件に首突っ込んでその上勝手に捜査資料盗み見て、違法捜査じゃねえか!」
 夏輝はスーツのポケットからクシャクシャになった紙を出すと、広げて青井に突き付けた。
「これ、どういうことか分かります?」
 青井は紙を突き出されて身を引きながら、その文面を見た。しかし、すぐ夏輝に突き返す。
「分からん。とにかく」
「日付!」
 夏輝は紙を引っ張って、青井の目の前に広げる。「見えねえよ」青井が紙から離れた。「で、日付が何なんだ?」夏輝が持っている紙を、真壁も横から覗いてきた。智志と、それから青井の肩のヤミカラスも覗く。捜索願のようだ。今でも旅のトレーナーの失踪は多い。受理した日付は一月下旬、失踪した当人の名は、斎藤隆也。
 青井は声を荒げる。
「この日付がどうしたんだよ?」
「書き換えられてます!」
 夏輝が叫んだ。その言葉に、青井は飛び上がりこそしなかったが、非常に驚いた。夏輝の言葉が本当だとしたら、それは犯罪だ。
「前見た時は七月の終わりでした。覚えてますもん、私。資料が水浸しになった時、作り直す時にちゃんと見ましたから!」
「お前が間違えたんじゃないのか?」
「待ってくれ」
 真壁が二人の間に割って入って口論を止めた。それから、手帳を出してパラパラと捲った。
「結城が正しいと思う。俺は斎藤隆也と、今日、インタビューをする約束だったんだ。そのアポを取ったのが、先月の末。でもって今日は、インタビューの場所に現れなかった」
「きっと、彼の妹さんが捕まったから慌てて書き換えたんだ」
 夏輝がほら見ろ、とばかりに言った。
「さっき取調室行ってきたの。彼女から証言取れたよ。三月くらいに斎藤のバクーダとデスカーンに襲われて、それがきっかけで“光の時代”に入ったんだって。きっと、そういうことしてたのバレるとマズイから、行方不明になってたことにしたんだ」
「お前はまた、捜査に首突っ込んで」
 青井が苦虫を噛み潰したような面で言う。
「だって、仕方ないじゃないですか」
 夏輝が背伸びをした。
「この改竄をしたのが“光の時代”なら、警察に内通者がいるってことですよ! 正攻法で正々堂々と捜査なんて出来ません!」
「胸を張って言うことかそれが!」
 真壁がまた、二人の言い争いを止める為に、割って入ってきた。夏輝はむくれ、青井は渋面で、お互いを睨んでいる。「あの」と智志が声を出した。
「どうした?」
「バクーダっていうのは、もしかしてと思って」
 夏輝が「そうそれ」と声を上げた。
「今日、“光の時代”の演説してる所に、バクーダが出てきて暴れ出した事件があったんですよ」
「知ってる」
 真壁は暗い声を出した。
「俺もそこに居合わせたんだ」
「そうですか」
 夏輝は一旦静まって、それから今度は落ち着いた調子で説明を始めた。
「事件を起こしたバクーダのマイクロチップを調べたところ、“おや”が斎藤隆也であることが分かったんです」
「それで、改めて資料を見て、改竄に気付いたってとこか」
 真壁の言葉に夏輝は頷くと、再び喋り出す。
「暴力的に“光の時代”への勧誘を繰り返していたトレーナーが行方不明になって、それから時を置かずして、トレーナーの持っていたポケモンが暴れ出す。これは何かありますよ、絶対。きっと、“光の時代”に属するトレーナーの暴力行為が表沙汰になりそうだったから、始末しちゃったんですよ!」
「しかし、それにしちゃあ不手際が多い気がするな。クッカバラがそんなことするだろうか」
 真壁が疑問点を突くと、夏輝は不満そうな顔をした。「早く始末しなきゃいけなかったとか?」そう言ってはみるものの、夏輝が自分で納得していないことが分かる。
 議論が尻すぼみになったところで、智志が「あの」と声を上げた。
 智志の視線の先を見る。真壁の知らない警察官と、彼に連れられた智志の妹が廊下にいた。取り調べは終わったらしい。
「帰れるんですか」と警察官に確かめると、智志は妹を連れて一足先に帰った。
「騒がせたな。俺も帰るよ」
「ああ」
 荷物をまとめた真壁に、青井は上の空で答えた。
「歓迎できなくてすまんな」
「いつものことだろ」
 そのまま、休憩スペースから真壁を見送った。

 来客がいなくなると、夏輝が早速張り切って声を上げた。
「青井さん、こうなったら徹底的に調べましょうよ! 表に出てないだけで、“光の時代”がトレーナーを脅して入会させたり、自分たちに不利益のある会員を始末したり、そういう証拠がもっと出てくるかもしれませんよ!」
 張り切って走り出した夏輝を追う。目を離して、また好き勝手されたらことだ。夏輝の背中を追いながら、意外と足が速いと思った。それとも、青井の体力が落ちてきているのか。
「青井さん、早く行きましょうよ」
 前を行く夏輝の更に前方に、ヤミカラスが飛び出た。夏輝が資料室へ向かう。とその時、ヤミカラスが何を思ったか、廊下いっぱいの黒い霧を吐き出したのだ。
 青井ははぐれないよう、夏輝の腕を掴むと、霧から出るように後ろへ下がった。同時に、ヤミカラスに呼びかける。
「ムニン、何やってんだ、ストップ!」
 だが、ヤミカラスは一向に黒い霧を止めない。それがするべき仕事だというように、せっせと霧を生み続けている。
「ムニン、ストップ! 黒い霧、やめ!」
 青井がどれだけ言っても、ヤミカラスの黒い霧は止まらなかった。おかしい、と青井は思った。ムニンは遠泉に懐柔されてはいるが、だからといって青井の命令を無視したことなど、一度もなかったのだ。
「ムニン!」
 何度目かの呼びかけで、ヤミカラスのムニンはやっと黒い霧をやめた。そして、飛び上がると、そのまま青井の横をすーっと通り過ぎていった。
「本当にどうしたんだ、ムニン」
 夏輝の腕を引いたまま、追いかけた。資料室から十数メートル離れた、その時だった。

 爆音。

 それ自体は、鼓膜がいかれて、しっかり聞こえなかった。青井の記憶に残ったのは、むしろ爆発の副作用で窓ガラスが割れる音だった。
 青井は夏輝を庇うように肩に腕をやって、廊下に伏せた。音が収まってから、振り向く。資料室が火を吹いていた。
「火事だ!」
 誰かが叫ぶ。モンスターボールの開く音が、火の燃える向こうから聞こえた。
「ノルン」
 青井は我に返って、自分のラプラスを出した。
「消火を頼む」
 ラプラスは頷くと、狭い廊下にヒレを引っ掛けて痛そうにしながらも、口から水を吐き出した。直線的に飛ぶ水は、延焼を防ぐのには役に立ったが、部屋の中の資料を守るのには毛程の役にも立たなかった。
 熱気に混じって、肉の焼ける匂いが鼻に届いた。
「捜査資料が……」
 夏輝が悔しそうに呟く。青井は彼女の腕を押さえると、首を振った。

 消防の現場検証で、原因はバクーダの遺体だと分かった。炎ポケモンの死後、急速に腐敗して体内にガスが溜まり、炎袋で引火して爆発することが時々ある。今回の火事もそれによるものだろうと判断された。死傷者が出なかったのは、不幸中の幸いだった。バクーダの遺体が資料室の近くに運び込まれていたのは、警察の管理の不徹底としか言いようがない。
 夕方のニュースでは、そう発表されたが、しかし。
「腑に落ちねえよ」
 青井は腕に乗せたヤミカラスに話しかける。ヤミカラスのフギン。青い首輪をしている。
「わざわざあんな話をした時に限って火事になんなくてもな」
 そして、年を取ると独り言が多くなると呟いてから、こう言った。
「そういや警察署にも、“光の時代”で斡旋してもらって来た奴が、何人かいるんだよな。バクーダの遺体を運んだ中にもいたようだし。そういうの全部が、偶然かねえ」
 ヤミカラスのフギンは、カアと一言鳴いた。ヤミカラスはポケモンの中でも知能が高いと言われているが、果たしてこの話をどこまで理解しているのか。
「どうだろうな、遠泉」
 理解度は、青井も変わらない気がした。

 〜

 真壁は事務所に戻って、荷物を下ろした。
 まだ日が落ちるには早い時間帯だが、メタグロスのトビイシは先に帰ったらしい。人間のライターと一緒で、トビイシも、締め切り直前でなければ仕事を定時に切り上げて帰るのだ。今日は真壁もおらず、やることが見つからなかったのだろう。
 念の為、戸締りを確認してから、真壁は自分の椅子にどっかと座った。冷房を付け、これでもかと設定温度を下げる。だが、すぐに寒風が吹き付けてきて、設定温度を上げる。
「意のままにはならんもんだな」
 独り言ち、窓の外を見てポッポのサイハテが戻ってきそうもないことを確認してから、真壁は鞄に手を突っ込んだ。
 中から取り出したのは、新しいICレコーダーだ。前に使っていたカセットテープレコーダーがとうとうお釈迦になり、仕方なく買い替えた物だが、使ってみるとこれが中々便利だった。小ささより何より、一度録音ボタンを押すと、カセットテープを入れ替る手間がないのが良い。……盗聴にも便利だ。この録音は後で消すつもりだが。
 真壁はICレコーダーの録音を止め、再生を選ぶ。今日の智志との会話が、最初から訥々と流れてくる。智志の様子がおかしかったから、色々聞き出して、もし彼が違法な何かに関わっているようなら、この録音を出してでも止めるつもりだった。まあ、そういうことがなくてよかったと、真壁は再び安堵する。
 今日の会話を、ずっと聞いていく。智志の妹の話。智志や夏輝が、“光の時代”について疑いを抱いていること。今日インタビューするはずだった斎藤という男が行方不明で、しかも捜索願を出した日にちがいじられていた。斎藤には更に、脅迫で“光の時代”のメンバーを増やしていた疑いがある。
 早く始末しなきゃいけなかった。夏輝の声がICレコーダーから流れてくる。真壁はその言葉に引っ掛かりを覚えた。早く始末しなければならなかった理由、そこに、真壁とのインタビューが関係するのだろうか? 思えば、斎藤の方から面白いネタがあると真壁の事務所に持ち込んできたのだった。
 だが、その面白いネタが何だったかは、分かりそうにないな。真壁は背もたれに身を預けた。斎藤がやっていた悪行それ自体の話だったのかもしれない。あるいは。真壁は別の可能性を考える。斎藤は数年前のイッシュブームで、イッシュ地方に足を伸ばしている。時本瞬、すなわちクッカバラの父親もイッシュ地方出身だというから、そこで何か掴んだのか。
「妙な事件に出くわしちまったな」
 真壁は窓の外を見る。まだサイハテは帰ってこない。

 〜

 絵里子は帰り道の途中で足を止めた。智志も足を止める。
 会話はなかった。どこか遠くから、子どもの嬌声が聞こえてきた。それが二人の間に存在する音だった。
 やがて、絵里子は家とは違う方向へ体を向ける。
「おい」
 智志が呼び止める。絵里子は逃げ出しはしなかったが、智志の方を見ることもしなかった。
「友達ん所に行く」
「家に戻ろうよ」
「あの人いるから嫌」
 再び、二人の間に沈黙が降りた。
 智志は絵里子を見た。もう十七歳だ。暫く見ない間に、色々と成長して、大人っぽくなっている。旅に出る前は、色々と発展途上で、もっと子どもだった。成長の速さに驚いたけれど、それでも彼女はまだまだ子どもで、それが智志には歯痒かった。自分もまだまだ子どもだからだ。
 遠くの道を、自動車が走っていく。エンジンの音が聞こえた。
 智志は言葉を選ぶ。
「でも、いつまでも帰らないってわけにもいかないだろ」
 妹は俯いている。高いヒールのサンダルで、地面を無為に蹴っていた。
 沈黙。
 血が繋がってるから分かり合えるなんて、嘘だ。一緒にいる時間が長くなりがちだから分り易いだけで、別の人間という点では、赤の他人と変わらないのだから。
 智志はそんなことをぐるぐると考えて、また黙っていた。でも、いつまでも妹をこうやって放っておくことは出来ない。俺が兄貴なんだから、年上なんだから、しっかりしないと。
「ずっと旅を続けるわけにもいかないと思うんだ。友達の所を渡り歩くわけにもいかないだろ。いつかどっかで職見つけて、腰を下ろさないと。今回が節目だと思って、一回帰ろ。母さんともちゃんと話し合ってさ」
 絵里子はこくりと頷いた。そして、二人して家路を辿っていく。智志の言葉が、妹に通じたのかどうかは分からない。でも、ひとまずは家に帰ってくれる気持ちになってくれて、智志はホッとした。裁判のこととか、色々考えなきゃいけないことはあるけど、とりあえず、ホッとした。

 鍵を開け、家に入る。
「ただいま」
 センサーライトがパッと点灯して、二人を出迎えた。
 妹には一年半振りの家だ。智志に続いて、妹が家に上がる。「ただいま」と彼女は小さな声で言った。
「おかえり」
 智志は彼女に言った。
 絵里子は廊下を走って、自分の部屋に向かった。その途中でガラリとリビングの扉が開く。
「絵里子、帰ってたの」
 母親が現れた。絵里子は顔を伏せて、母親の前を通り過ぎようとする。だが、母親が廊下を塞いだ。
「待ちなさい」
 それから、智志の方を見る。
「智志も、ちょっとこっちに来なさい」
「でも母さん、絵里子は疲れてるから、今日は休ませたら」
 智志の言葉に反応したかのように、絵里子がまた、母親の横を通り過ぎようとした。だが、母親は絵里子を通さない。
「駄目。今話さないと」
 頑として、受け付けない構えのようだった。
 智志は大人しく母親に従った。こういう時の彼女は、本当に、梃子でも動かない。大人しく従って早めに切り上げるのが得策だと、智志は知っていた。
 智志は母親の後に続いて、リビングに入った。ゴワゴワした、肌触りの悪いソファ。低い机の上には、コップに入った麦茶が三つ、置かれていた。こちら側に二つ、向こう側に一つ。母親が向こう側に座った。遅れて、絵里子が智志の隣に座る。気不味い雰囲気を破ったのは、母親だった。
「智志。今日電話があったんだけど、どういうことかしら」
「え……」
 何の事なのか、全く心当たりがない。会社だって今日は休みだったから、あの場所へ行ったのだ。
 母親は不機嫌そうに言う。
「絵里子が、事件に巻き込まれたんですって?」
 それで智志は、ああ、と合点した。事件に巻き込まれたという言い方は好きではないけれど。
「四月の時点で連絡が来てたらしいけど。お母さん、全然知らなかったわ」
 母親は嫌味たっぷりに言った。
「心配すると思って、言わなかったんだ」
 智志が言うと、母親は鼻の穴を膨らませて「そう」とだけ言った。そして、絵里子に目を移した。
「絵里子、どうするの?」
 絵里子は話を聞いていなかったのか、顔を上げると、「何を?」と聞き返した。母親はますます不機嫌そうになりながら、言う。
「これからどうするの? 学校に戻るの、それとも就職? 今からだとどっちもきついと思うけど」
 絵里子は眉根を寄せ、唇を一文字に結んで、母親を睨み付けた。
「母さん、その話、今すること?」
「智志は黙ってなさい」
 母親の強権発動だ。癇に障ったので、智志はすかさず言い返そうとした。
 だが、それより先に絵里子が発言する。
「クッカバラさんの職業訓練学校に行く」
 智志は妹を見た。焦り半分、苛立ち半分といったところだ。彼女は“光の時代”に、脅されて入ったのではなかったのだろうか。なのに、クッカバラの作った職業訓練学校へ行くって? “光の時代”で、クッカバラに傾倒するような事でもあったのだろうか。洗脳、という言葉が智志の頭に浮かんだ。
 思い悩んで言葉に詰まった智志に先んじて、母親が口を開いた。
「それ、大丈夫なの?」
 思いがけず、母親も智志と同意見のようだった。いや、ただ単に、子どものやることは全て反対したいだけなのかもしれないけれど。
 妹は答えた。
「クッカバラさんは大丈夫」
「でも、お母さん心配だわ」
 出た、伝家の宝刀“お母さん心配”だ。これを言えば、大概の子どもは黙ると思っている。
 妹は剥き出しの膝小僧を擦った。
「そんな変な所じゃないってば。実績もあるし、今から高校行くよりマシ」
「ちょっと宗教じみてない? あそこ」
「そんなことない」
 妹は膝小僧を擦るのをやめた。
「確かにクッカバラさんは絶対神っていうの? 信仰してるし、他の人も、信じてる人いるけどさあ。そういうの、信じるのも自由だし信じないのも自由。だから大丈夫」
 母親は、納得はしていないものの、この事については引き下がる素振りを見せた。しかし、引き下がるのは宗教関係の議論だけで、妹の今後について、彼女の意志通りに運ばせる気はないのだった。
「でもね」
 母親は言う。
「お母さんはそういう新しい学校より、もっと前からある、きちんとした学校に行ってくれた方が安心だわ」
「古かったらきちんとしてるの? それどういう判断基準なの」
 妹は顔を逸らして、目だけ母親の方に向けて言った。
「古い学校とか、耐震基準問題になってるじゃん、最近」
 母親は鼻を膨らます。
 やれやれ、と智志は思った。これじゃいつもの喧嘩だ。
「智志は?」
「え?」
「お兄さんでしょ。絵里子に何か言ってやって」
 絵里子が智志を睨む。俺はいつから母親の味方になったんだ、と智志は心の中で叫んだ。
「俺は」と言い淀む智志に、絵里子が
「黙ってて」と叫ぶ。
「絵里子、お兄さんになんて口の聞き方するの」
「私の問題でしょ? 兄貴は関係ない」
「関係あるわよ、家族なんだから」
 智志自身は、母親と同じく、家族だから関係あると思っている。だが、それを先に母親に言われると話をし辛い。
「俺は」
 智志は、今度は声を大きくして言った。
「絵里子が学校行くのはいいと思うよ。“光の時代”が経営してるとこに行くのは、ちょっと不安だけど」
「兄貴まで、そういう偏見」
 絵里子は智志からも顔を逸らした。
「まあ」智志は彼女を宥める用の言葉を選んだ。
「クッカバラさんってああいう経歴の人だし、急に出てきて活躍してるから、ちょっと警戒しちゃうんだよ」
 そして、母親が何か言う前に、智志は絵里子に聞きたかったことを聞いた。
「そもそもさ、絵里子が“光の時代”に入ったのって、どうして?」
 母親が口を真一文字に結んだ。やや青ざめている。どうやら警察からも、そこまでは聞いていなかったらしい。あるいは、当然知っていると思われたのか。
 絵里子は智志をチラリと見て、そしてまた目を逸らした。彼女も口を結んでいる。そういう表情をすると、母と妹は、とてもよく似ていた。
「それこそ兄貴には関係ないでしょ」
「それ、どういうこと? 絵里子、お母さんに分かるように説明して」
 母親に火が付いたようだ。妹が答えないでいると、母親が「絵里子」と声を荒げた。
「分かってるよ。今どう答えようか考えてんじゃん」
 妹がうるさそうに言った。そして、ミニスカートの裾を、引き破りそうな勢いで撫で付けた。
「黙って聞いてよ」
 絵里子はそう前置きした。
「前に、ちょっと他のポケモントレーナーに襲われたことがあって、その時助けてくれたのが」
「襲われた!?」
 母親が素っ頓狂な声を上げた。
「襲われたってどういうこと? その時なんでお母さんに言わなかったの?」
「黙っててって言ったろ!」
 妹の雄叫びに、母親は身を引いた。だが、顔には不満と不愉快がくっきりと表れている。妹がおしとやかでないのが、気に食わないのだろう。
 母親が不機嫌を全開にして、黙る。絵里子は強いて智志に話しかけるようにした。
「私、ポケモントレーナーに襲われて、ちょっとやばかったんだけど。その時に“光の時代”の人が助けてくれて。それで、一人で旅をするより、皆で行動した方がいいよって言われて、それで“光の時代”の人と一緒に行動することになったの。時々集会場にも出入りして。結構あそこも居心地いいし」
 クッカバラが作った、トレーナー用の宿のことだろう。“光の時代”の集会場にも使われているという話は本当らしい。
「クッカバラさんも偶に見に来るし。兄貴は嫌いみたいだけど、あの人そんな悪い人じゃないよ」
「その襲ってきたトレーナーって、“光の時代”の人じゃ」
「そうじゃない!」
 智志が質問を終わりまで口にする前に、絵里子が声を荒げた。
「警察でも聞かれたけど、斎藤は“光の時代”にいなかった。あいつ、絶対“光の時代”の評価を落とす為にそういうことやってたんだよ」
 智志は口を閉じた。これは単なる傾倒で済むのか? そうあってほしいと智志は思った。
「確かに、“光の時代”は、借金で夜逃げしてきた人とか、学校とか会社でイジメに遭って旅に出た人とか、色々いるけどさ。基本、良い人ばっかりだよ」
 絵里子はそう話を結んだ。

 ややあって、母親が口を開いた。
「それで」
 智志は麦茶に手を伸ばす。いつの間にか、すっかり汗をかいていたようだ。コップも、智志も。
「絵里子は、その職業訓練校に行くっていうことでいいのね」
 絵里子も麦茶に手を伸ばして、頷いた。母親が続ける。
「その学校が始まるのはいつ?」
「いつでも」
 絵里子は美味しそうに麦茶を飲むと、機嫌良さそうにそう答えた。話は、彼女の望む方向に進んでいる。母親も絵里子の“光の時代”へのハマりっぷりを見て、引き離すのを諦めたのだろうか。あるいは、引き離したら逆効果だと思ったのか。
「いつでも?」
 聞き返した母親に、妹が頷く。
「トレーナーが旅を辞める時って、特に決まってないでしょ? だから、それに合わせて、いつでも入学できるようになってるの」
 なるほどと智志は相槌を打った。同じ理由で、今でも通年採用をしている企業が多い。職業訓練が終わった順に送り出せるから、職業訓練校も柔軟にやっているのだろう。それに対応できるくらいの人員を揃える金は、あるのだろうし。
 智志は凛子のことを思い出した。彼女も今就職活動中だが、上手くいっているのだろうか。
 母親は麦茶を飲まず、智志と絵里子の中間ぐらいの場所を見つめて、「いつでもね」と呟いた。それから姿勢を正すと、言う。
「じゃあ、明日にでも入学案内を取って来なさい」
「え?」
 急なことを言い出した母に、絵里子は驚きの声を上げる。
「そういう所なら手続きも早いわよね? あと、駅前に写真屋さんがあるから、帰りに寄って写真も撮っときなさい。どうせ要るから。入学金の振り込みは用紙がいるだろうから後で。そうね、私は明日、履歴書と筆記用具と学校に持って行けそうな鞄を見繕って買ってくるわ。それから、中学に内申書を貰わないといけないと思うけど、絵里子、自分で電話する?」
 明日の予定をあっという間に作り上げてしまった母親を、智志はただ呆然と見つめていた。頬に視線を感じて、絵里子が智志を見ていたことに気付く。絵里子も、母親のこの急激な変化には付いていけていないようだ。
「あの、裁判とかは?」
 おずおずと切り出した智志を、母親が一蹴した。
「裁判までの間にも学校通えるでしょ!」
「え、うん、まあ」
 通えるのか?
「でも、クッカバラさんの職業訓練校って遠いけど」
「電車で行けばすぐです!」
 次は絵里子が母親に一蹴されて、黙った。
 そういえばこうだった、と智志は思い出す。最近は母親の感情的な面が目に付いていたが、やると決めたら即実行という性分でもある。
 母親の決定で、今夜の会議はお開きとなった。絵里子は麦茶を飲み干すと、伸びをして、自分の部屋に戻っていった。心なしか、肩の荷を降ろしたような顔をしている。自分のいるべき場所が分かっている状態というのは、心が安まるのだろう。その点では、母親の決定力に感謝だ。
「母さん」
「裁判関係は智志がやってね」
 それも決定された。
 でも、弁護士や裁判については、智志も前々から調べていたし、それで問題ないだろう。智志は母親に頷いた。
 母親も、智志たちが帰ってきた時よりは落ち着いた様子で、今は麦茶をチビチビと飲んでいた。
「母さんはいいの? 学校」
 絵里子が出ていった後を見つめて、智志が尋ねる。母親は事も無げに答えた。
「どうせ高校行かせても勉強しないでしょうから」
「そう」
 智志は飲み終えた麦茶のコップを机に置いた。
 リビングを蛍光灯が煌々と照らしている。話し合いが終わって、蛍光灯も、どこか照らす目的を見失っているように見えた。
「智志」
「何?」
「今度から、お母さんにもちゃんと言ってね。家族なんだから」
「分かった」
 家族だから。さっきは受け付けなかったその言葉が、今はすんなりと受け入れられた。
「後は片付けとくわ」
「ありがとう」
 母親を置いて、智志も自室へ戻った。

 結局、斎藤隆也は“光の時代”の人間だったのか、そうでないのか。今日聞いたことを真壁にメールで知らせようと思って、智志は自分のノートパソコンへ向かう。
『真壁さんへ
 今日の夕方、妹が妙なことを話していました。斎藤隆也という人についてですが、妹が、彼は“光の時代”の人間じゃない、と言っているのです。僕個人としては、“光の時代”も大きな組織になってきたから、単に顔を合わせなかっただけだと思います。妹は斎藤を個人的に知っているみたいです。しかし、あまりにも強く否定するので、少し気になっています。
 八坂智志』
 何度か見直して、送信ボタンを押した。それから宛名を変えて、夏輝にも同じ内容を送る。ノートパソコンを閉じてから、風呂に向かった。妹は、今日はよっぽど疲れていたらしい。部屋のドアは開けっ放し、電気も点けっ放しで、ぐっすり眠り込んでいた。行き掛けに電気だけ消した。湯船に浸かる気にはなれなかったので、シャワーだけさっさと浴びて風呂を出た。絵里子はやはりぐっすり眠っていた。さっきのメールに、何か返信は来ているだろうか。あまり期待せずに、智志はノートパソコンを開く。
 メールが来ていた。
 封筒に入った便箋という形で、キーボードの上に、それは置かれていた。
 智志は呆然とそれを持ち上げて、ひっくり返した。差出人はなし。もう一度ひっくり返す。宛名には「ヤサカサトシサンヘ」と書かれているだけ。
「智志、もうお風呂上がったの?」
 ノックの音がした。智志は生返事をしていたらしい。母親が顔を出して、「あ、もう入ったのね」と言った。
「母さん」
「どうしたの?」
「これ、郵便で届いてたやつ?」
 智志が封筒を見せる。
「いいえ、今日は貴方には何も届いてないわよ。絵里子じゃないの」
 その絵里子は寝ていたのだ。
 母親が去った後で、智志は便箋を出した。片仮名ばかりで読み辛いが、読めないことはない。パソコンをチェックしてみるが、真壁と夏輝からの返信はない。智志は便箋に目を落とした。

『ヤサカ サトシ サンヘ
 トツゼン ノ オテガミ シツレイ シマス
 コノ テガミ ハ アトデ カナラズ ヤイテ クダサイ
 アマテラス ヲ マモッテ クダサイ オネガイ シマス』

 やはり差出人の名前はなかった。
 智志はそっと腰のボールに手を触れた。アマテラスを守れ、だって?
 手紙の指示通り、キッチンで封筒と便箋を焼きながら、智志は文面を何度も頭の中で繰り返していた。
『アマテラスを守ってください、お願いします』
 一体、何故? 俺は、アマテラスは、何に巻き込まれているんだ?

 〜

 智志の部屋の電気が消えた。
 それを見守った小さな人影が、向きを変え、八月の熱帯夜の中を歩き出す。
「ねえ」
 ファー付きの赤いフードを被った少女が、独り言ちた。
「これで良かったのかな」
 その声には、少女とは思えない、熟れきった疲労が滲み出ている。少女の手の、真っ白なモンスターボールがピクリと動く。
「もう、変わらないんじゃないかな」
 モンスターボールが抗議するように揺れた。
「うん、でも」
 少女の赤い唇が動く。
「足掻けば足掻く程、悪い方向に転がっていく気がするよ」
 今の少女には、二週間前のように思い詰めた感じはないものの、覇気もなかった。少女は行く当てもなく、ただひたすら足を動かしていた。
「あの後、資料にちゃんと水を掛けた。でもそれじゃあもう駄目だったんだ」
 モンスターボールがひとりでに宙に舞った。
 少女が顔を上げる。暗闇に半分溶けたポケモンを、緑の目が捉える。金色の棺から伸びた四本の闇色の腕。デスカーン。腕を右へ左へ、上へ下へと、酷く忙しなく動かしている。どこか、様子がおかしい。
 デスカーンは四本の腕を少女に伸ばした。同時に棺がパカリと口を開ける。少女の反応速度では付いていけない。少女は、底知れない黒一色で出来た、デスカーンの棺の中を見た。
 刹那。
 緑がかった光が辺りに散らばった。デスカーンの棺の蓋が、激しく閉じた反動でまた開く。その中には何も入っていなかった。少女も、真っ白なモンスターボールも。
 デスカーンは獲物がいないことに苛立ったようで、棺とその蓋とを激しく擦り合わせた。一頻り擦り合わせて不快音を撒き散らすのに満足すると、今度は四本の手をペタリと地面に付け、四足歩行の動物のように、這って移動した。
「おい、さっきの奴、仕留めたのか?」
 移動する先に、男の声。デスカーンのトレーナーのものらしい。男は、デスカーンに負けず劣らず苛立っていた。
「仕留めたのか?」
 男は繰り返す。デスカーンは答えず、這って距離を詰める。男はいよいよ大声を上げた。
「仕留めたのか、って聞いてんだ! いいか、あいつを消さないと、もうクスリも貰えないんだぞ。おいデスカーン、聞いて」
 棺の閉じる音。くぐもった声、そして、静寂。


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