マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1120] 光の時代 #5 投稿者:咲玖   投稿日:2013/07/06(Sat) 23:39:48   33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 #5

「信号、変わってるぞ」
 助手席に座る英の言葉で、智志は我に返った。
「すいません」
 慌ててアクセルを踏み込む。急発進で、英の頭がガクリと後ろに下がった。
「本当にすいません」
「次、左折な」
「はい」
 ウィンカーを出し、左へハンドルを回す。横断歩道の手前で止まった。歩行者はともかく、自転車が縦横無尽に飛び交っていく。その僅かな切れ間を縫って、智志の車の右横を、バイクが音を立てて通り過ぎていった。
 智志の運転する車が動き出したのは、歩行者側の信号が赤になってから、やっとだった。トロトロ発進して道に入る。業を煮やした後続車が、智志の車を無理矢理追い越していった。
「インフラが整備されても、人の心の整備までは追い付かないらしい」
 英が呟いた。
「すいません、僕、運転が下手で」
 社用車でこんな運転ばかりしていたら、査定に響きそうだと智志は思う。
「いや、構わないよ」
 英はしれっと言った。
「ただ、もう少しスピードは出してもいいかな」
「はい」
 智志はスピードメーターを睨みながら、そっとアクセルを踏み込んだ。色付き始めた街路樹が、窓の外を少し速めに流れていく。

 バクーダのことがあってから、もう一ヶ月が過ぎていた。
 会社に行っていると、日々がさも日常のように流れていく。そのことに戸惑いもしたし、安心もした。
 なんとしても連れ戻さねば。そう思って、絵里子の腕を引っ張った。あの日の記憶が薄れるのは、悪くない。別に絵里子の腕に痣なんて残っていないし、絵里子も学校で上手くやっているようで、智志にも「帰って良かった」と言っているぐらいだし、後悔すべきことは何もないはずなのだけれど。それでも時々、もっと上手なやり方があったような気がして、ドキリとしてしまう。

 目の前で車が詰まっていると思ったら、工事中か何かあるようで、智志と同じ方向に走る車が全部、ウインカーを出して右に逸れていく。前方の車が退いて、その何かが見えた。
「ガーディの遺体か。ハザード点けて止まろう」
「あ、はい」
 とっさの指示だったが、ハザードランプはすぐに灯せた。ガーディの数メートル手前で止まる。後ろからクラクションを鳴らされた。英はシートベルトを外した。
「運転を代わろう」
 そして、さっさと降りた。
 智志は「すいません」とまた謝った。サイドブレーキを引き、ギアをPに入れる。出るタイミングを何度も逃して、まごつきながら下車した。智志のすぐ横を、自動車が猛スピードで走り抜けていく。急に止まった自分も危なっかしかったが、これも危ない。智志は車に張り付くようにしながら前方を回って、英の元へ向かった。
 英は携帯電話を切った。
「今、保健所に連絡した」
「そうですね。それがいいと思います」
 何と答えていいか分からず、智志はそれだけ言ってガーディに目をやった。その目が止まる。
 金色のタグ。
「行くよ」
 英に促されて、智志は助手席に乗り込んだ。
 英は苦もなくガーディを避けると、調子良く走り出した。
「ま、運転なんて慣れだ、慣れ」
「すいません」
 気のいい先輩に、智志はまた謝った。
「そんなに謝るな。その内腰が折れるぞ」
 自動車を難なく操りながら、英は快活に笑う。智志はまた「すいません」と言いそうになるのを押さえながら、今の時期、彼女と仕事をすることになって良かったと思った。
 九月の再配属からこっち、彼女の元で働かされている。英を一言で表すなら、“有能な変人”である。もう一言付け加えるならば、“男装の麗人”あたりか。それ故長らく一人管理職をやっていた彼女と、しょっちゅう上司に真っ向から反対してしまう智志。この組み合わせは、要するに、扱いに困っているということなのだろうなと智志は思う。
「仕事には慣れてきたか」
「はい」と智志は答える。ソジー・英という女性は分かりやすい。「仕事に慣れてきたか」と問われれば、それはその通りの意味だった。彼女が笑っている時は例外なく機嫌の良い時だった。時々シルバーブルーの目を怪しく光らせることを除けば、彼女には裏表がなくて、付き合い易い。
「その割りにはミスが多い」
「はい、すいません」
 その代わり、言葉は率直だ。彼女が言うからには、ミスが多かったのだろう。ぐうの音も出ない。
「何か、仕事以外に気を取られることでもあるのか?」
 赤信号。英の運転する車は、すっと停止線に吸い付くように止まる。ブレーキペダルを踏んだまま、彼女は智志の答えを待った。
「はい」
 青信号。車はGを感じさせることなく発進した。
「そうか。建前上は、仕事をしている時は仕事に集中するのが望ましい」
 英がしかめ面で言った後、笑顔を作った。
「だが、人間である以上、常々そうもいくまい。話して気持ち整理のつくことなら、話すと良い。それから私はある例外を除いて口が固い。話すなら私にすると良い」
 智志は思わず笑った。あまりにも率直な物言い。英も笑っているということは、ここは笑って良かったのだ。
 しばらく笑って、智志は前を向いた。この道は常緑樹が植わっているらしい。緑の並木が続いている。
「話したいのは山々ですけど」
「けれど、何だろうか?」
「ある例外、って何ですか?」
 彼女の目がキラリと光った。赤信号だったはずが、もう青に変わっている。
「そうだな」
 英は車にもう一度スピードを吹き込んだ。
「一種の雇用契約と言うべきか」
「雇用契約?」
「案ずるな。会社の規約は犯していない」
 そう言って彼女はまた愉快そうに笑った。
「金銭の授受はないが、契約がまだ有効でな。その人物に奉仕の義務がある。謂わば、ポケモントレーナーとボールで捕獲されたポケモンの関係だと思って貰えればよい。で、その義務の中には情報提供も含まれていてな」
 智志は鞄の上から、そっとアマテラスのボールを押さえた。人とポケモンの関係を、そういう風に考えたことはなかった。
「アマテラスにも、あ、僕のポケモンの名前ですけど。奉仕、させてるんですかね」
 智志はポツリと零す。英は「アマテラス?」と別の所に引っ掛かったようで、目を丸くしていた。
「すいません、名前は僕が八歳の時に付けたので、あまり言わないでもらえますか」
「そうするよ」
 英は片目を閉じると、話題を戻した。
「いや、人間に奉仕するのと同等に、色々貰っているんだよ。契約とはそういうものだ」
「そうですか」
 智志の表情を読んだらしい。英が言った。
「ボールで捕獲するというその行為自体が、そのポケモンと契約できるという力量の証明なのだよ」
「よく、分かりません」
 智志は正直に答えた。今日は何だか、青信号が多い。
「分からなくとも無理はない」
 英は鷹揚に答えた。
「過去には、操り人や呪術師と呼ばれる専門職のみがポケモンを従えていた。その当時はポケモンと契約する手続きも煩雑で、儀式めいたものだった。そういう専門的な手続きをこなせる人間こそが、ポケモンを従えられるのだと、人間にもポケモンにもそう思われていたんだ。
 だが今はどうだろう。モンスターボールが高性能化して、上質なボールを使えば、そこいらの野生ポケモンぐらい、誰でも簡単に従えられる。秘密めいた、技術的、儀式的なものはなくなって、誰でも簡単にポケモンと契約できるようになった。と同時に、契約の意味合いも薄れてきた。だからだろう、人は要求される条件を満たしてポケモンを従えているのだが、それを意識しない人間は多い。ポケモンが人間に奉仕するという契約は、同時に人間がそれに値する代価を払うという契約でもあるのだが、それも忘れているね。
 ま、人間の叡智もポケモンを従える力の内さ。それに、契約が満たされていなければ、ポケモンの側から契約を破棄するものだ。だから、傍にいてくれる内は安心して良い」
 英はそこまで言って、ニッコリ笑った。智志にはまだ、理解が出来ない。
「それは、酷い扱いをしたら、モンスターボールがあっても、ポケモンは逃げるということですか?」
「例えを上げるならば、そういうことだね。逆に言えば、そんなことが起こらない内は大丈夫さ」
 また少し考えてから、智志は口を開いた。
「でも、あんまりそういう話は聞きません。ポケモンって多少の理不尽は我慢して、人間に付き合っている気がします」
「おっと」
 右折するのに、右折レーンを見逃しかけた。ウインカーを出すと同時に右車線に入り、停止する。英にしては危なっかしい運転だ。
 赤信号が変わらないのを確かめてから、英は智志の問いに答えた。
「話を聞かない、というのと、事実が存在しない、というのは別問題だ。グラエナは骨まで噛み砕く強靭な顎を持っているし、デスカーンは獲物を体内に閉じ込めたまま、百年以上開かないこともあると聞く」
 英は智志の横顔を窺って、今度は軽い調子で言った。
「ま、確かにポケモンは契約を破棄したがらない。だが、それは人間も同じじゃないか? 最近よく言うじゃないか、ブラック企業」
 右折信号が灯る。車が発進した。
「まあ」と曖昧に相槌を打って、智志は黙った。英も喋らなかった。
 静かに走る車内で、智志が考えていたのは凛子のことだった。彼女ともう長いこと会っていない。智志の方もゴタゴタしていたし、凛子も、就職先が決まらなくて落ち着いていないようだった。彼女、どうしてるかな。
「おや、目的地に着いてしまった。君の人生相談を受けられなかったな」
 言いながら、英はコインパーキングに難なく駐車した。取引先の入っているビルが、もう目の前にあった。
「仕方ない。人生相談は帰りの車の中でやろう。ま、今回は私の隣でそれっぽく頷いとけばいいから」

 この時の商談はダメ押しの確認みたいなもので、すぐにまとまった。智志は結局、敬語やビジネスマナーに気を付けながら、英の隣で頷いているだけだった。早く英のサポートぐらい出来るようになりたい、といった意味のことを漏らすと、
「サポートなどと小さいことを言わない。私の場所を奪うくらいの気持ちでやれ」
 と前半は苦味を含ませて、後半は明るい口調で、助手席の英が言った。次の営業先までは智志の運転だ。
「いつまでも、私が上司でいるわけでもないのだから」
 はい、と智志は大人しく返事をした。
 二つ目の取引先に着くまで、智志は運転に集中していて喋れなかった。取引先はハナダシティに出店予定のデパートだ。そこに会社直営のインテリアショップを出したいのだが、中々折り合いがつかない。こちらはデパート内のこの土地が欲しい、あちらはその土地を出したくない、という感じで話が平行線を辿りそうだったのだが、英の口八丁手八丁で、何とか先方にこのくらいなら出せるかも、と思わせた。
「いい感じだよ。後は同じ階にいい店が入るといいな」
 保留を貰った帰りに、英が言った。
「八坂はショップが好きなんだっけ」
「ええ、まあ」
「じゃあ将来は店長候補かな」
「そのつもりです」
 ふふ、と英が満足そうに笑った。
「私が取った場所の担当になるかもしれないな。苦労して取ってきてるんだから、潰さないでおくれよ?」
「ど、努力します……」
 それから英は店舗内のレイアウトについて少し話した後、車に戻って、今度は運転席に座った。
 さてと、と英は黄昏始めた道路に向かってロービームを投げ掛けた。そして、しばらくの間、無言で車を走らせていた。
「妹が事件に巻き込まれて」
 静寂に耐え切れなくなった頃、智志はポツリと、そんなことを口に出した。

 本社までの道のりは長く、その間に、智志はかなり色々なことを話した。
「妹が色々取り調べを受けてて。ああ、でも、弁護士さんに任せてあるし、お金以外は当分心配しなくていいんですけど。裁判がまだ先なので」
 話しただけで、心配事が一つ解消してしまった。こういう事は、よくある。
「むしろ今は、妹の行ってる学校が心配というか。“光の時代”が経営している所なので」
 ああ、と英が声を上げた。「職業訓練校?」
「はい」
 智志は頷いて、続ける。
「妹自身は、学校に行ってて楽しそうだし、いいんですけど」学費は高いけれど。「ただ、“光の時代”っていうのが」
「八坂君は、“光の時代”が嫌い?」
「嫌いというか」
 英が車をターンさせた。どこかで道を間違えたのだろうか。
「信用できない、ですかね」
「なるほどね」
 英のシルバーブルーの目が光る。いつの間にか、車は都心を離れたひと気のない道を進んでいた。
 それから智志は斎藤隆也のことを話した。その男が妹を襲い、それが切っ掛けで妹が“光の時代”に入ったこと。しかし、斎藤という男は“光の時代”にいたのに、いなかったことにされていたこと。行方不明になった日付がいじられていた話はしなかった。
 斎藤隆也といえば、あの後、夏輝からメールも届いていた。

『八坂君へ
 やあ三日ぶり。
 メールの件だけれど、それはないな! 斎藤隆也は絶対“光の時代”に所属していたよ!
 あそこには寄付制度があってね。一口千円から寄付できるそうだよ。表向きは寄付した金額によって待遇が変わることはない、って言ってるようだけれど、実際は寄付金の多い方がカースト制度の上の方、という感じだ。で、斎藤隆也の口座を調べてみたら、かなりの額が“光の時代”に支払われていたよ! これで関係がないなんてチャンチャラおかしいよね。あ、妹さんは寄付金ゼロだったよ。
 また何か分かったら連絡するよ。捜査資料黙って見たことは、青井さんには黙っててね!
 結城夏輝』

 ということは、どういうことだろう。妹が斎藤隆也を庇ったとは考えにくい。他のメンバーに斎藤隆也はここの人じゃない、とでも言われたか。出来れば後者であったほしかった。
「斎藤隆也ねえ」
 英はコンビニの駐車場に車を滑り込ませると、エンジンを切った。そして、腕を組んで、言った。
「知ってるよ」
「へっ」
 智志の驚いた声に、英が驚いて身を引いた。「吃驚した。そんな声出すなよ」そして、運転席に座り直してから、話しだした。
「斎藤隆也とは、イッシュ地方にいた時に出会ってね」
 ソジー・英はイッシュ地方出身だ。
「まー、冴えない男だったな。自分より弱い人間には威張り散らし、強い人間にはヘイコラして威光を借りるという、駄目人間の典型のような男だった。欲望に忠実で、よく女を抱きたいとほざいていたが、あの性格だからまともな女は逃げる」
 妹は、変な事を、つまり、強姦をされていないだろうか? 智志は窓の外を見た。暗く速く流れる景色は、智志の目には捉え辛い。
 英は智志の様子に気付かなかったらしく、さっきの話に付け足すように呟いた。
「あの人も、なんで斎藤みたいな男を傍に置いてたんだか」
「あの人?」
 聞き返した智志を、英は横目で見て、思いがけない答えを口にした。
「クッカバラだよ」
「えっ、あの」
「それ以外にどんなクッカバラがいると言うんだい?」
 英の口調には苛立ちが混じっていた。それは、智志に対してだろうか、それとも、クッカバラに対して?
「去年、クッカバラの相続騒ぎがあっただろう? あの時に私はクッカバラに会って、それから彼に付いてくる形でこの国に来たんだが、その時にはもう、斎藤はクッカバラの腰巾着をしてたな。金目当てのおべんちゃら使いで、いや、それにしても、寄付をするタイプには見えないな」
 智志は首をかくりと落として頷いた。高額の献金、後ろ暗い活動、そして、様子のおかしかったバクーダ。智志の中で、三つがパチリと噛み合った。豆電球が一つ点いたみたいに、頭の中が明るくなる。でもまだ、豆電球一つ分の明かりだ。
 とにかく、この思い付いた可能性を、真壁と夏輝に伝えよう。智志はそう決心して、時計を見た。
「もうこんな時間ですね。そろそろ会社に戻らないと」
「ああ、そうだな」
 英がエンジンを掛ける。車が息を吹き返した。
「すいません。お時間頂いて」
「構わない。後輩を育てるのも有能な先輩の義務さ。それに、お前には、私が開拓した店を盛り立ててもらわないと」
 英は明るい声を立てて笑った。

 智志は、二人に送るメールの文面を考えていた。どう伝えればいいだろう。シンプルに、
『斎藤はポケモン用の覚醒剤に手を出していたのだと思います』
 これでいこう。
 自動車は夜道を颯爽と駆け抜けていく。その光の照らす先には、何も憂いがないように思えた。

 〜

 星月夜。それは果たして、今夜のように月が明るい夜のことだったか、それとも星明かりが月のように明るい夜だったか。この国の言葉はややこしいな、と思いながら、ソジー・英は電話を掛けた。
 きっちりスリーコールで電話を取る気配があった。伝える必要があるのは一言だけ。
「アマテラスを見つけた」
 そして、英は電話を切った。

 英は夜を見上げた。
 自分は星月夜が、月の明るい夜である方に賭けよう。間違っていたら、その時は。
 英は口角を歪ませた。


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