マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.113] (十八)策略 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2010/11/15(Mon) 08:45:22   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





※この回から残酷表現が出てきます。
 了承の上、お読みください。








(十八)策略


 懐かしい声が聞こえた。
 金色(こんじき)の大地の上にその青年は立っていて、タマエの名を呼んだ。
 ああ、これは夢なんだ。そうタマエは思った。
 だって彼はもうこの世にはいない。三年前に他界したのだから。

「シュウイチ、よかった」

 と、彼女は言った。
 それは年経た老女のしわがれた声では無く、若い娘の声だった。
 青年は満足げに微笑む。稲がたわわに実をつけていた。
 続く凶作、焼け焦げた田、だが黄金の大地は復活した。

「一体どんな魔法を使ったの?」

 若き日のタマエはシュウイチに問う。
 ふわりと長い黒髪をたなびかせ彼女は青年に駆け寄った。

「皆、それを知りたがっておる」

 と、青年は言った。

「キクイチロウも村のもんも、絶対に信じないし、認めようとしないだろうさ。だがタマエ、お前だけに教えてやる」
「それは?」
「それはな……」

 だが、シュウイチが言いかけた時に不意に風が吹き、声は掻き消えてしまった。
 金色の野がざわりと揺れた。
 すると娘の背後に、先ほどまでは無かった何か大きな存在の気配があった。

「こうして顔を合わせるのは久しぶりだな。娘」

 声が聞こえた途端に、一人と一匹を除いた時が止まったような気がした。
 娘はゆっくりと振り返る。
 そこにあったのは白銀に青白く輝く毛皮、たなびく九本の尾、血のように赤い瞳。
 村の伝承にある炎の妖の姿だった。

「……九十九様」

 その声色には若い娘の驚きよりは、年経た老女の落ち着きがあった。

「何十年ぶりでしょうか。もっとも毎日お会いしに行っているので久しぶりという感じがしません」
「私もだ。娘よ」
「六十年前……いえ、もっと昔だったでしょうか」
「六十五年前だ」

 娘の問いに妖狐は即座に答えを返した。

「六十五年前、私に力を与えたのはお前だった。とうの昔に肉体を失って、名前だけとなった私に力を与えたのはお前だった。懐かしい声だった」
「……懐かしい?」
「お前の声も、姿も、あの子によく似ている。お前は毎日来てくれた。あの子の声で、いつも私に語りかけてくれた。故に私は力をつけることが出来たのだ。今まさに仕込みは終わろうとしている」
「仕込み?」
「そうだ」

 赤い瞳に娘を写し、妖狐は笑う。

「娘、明日の夜は舞台があるだろう」
「? はい」
「お前は毎年嫌ってゆかぬようだが、今年は見にいくがいい。すべてを見せよう。私の炎の全てをな」
「すべてを……」
「そうだ」

 そこまで言うと九十九はくるりと向き直った。
 びゅうっと再び風が吹くと、もうどこにも九十九はいなかった。

「必ずだ。必ず……」

 九十九の声だけが耳に残って、時が再び動き出した。

「カナエ? 誰かいたのか」

 と背後でシュウイチの声がする。

「ううん、何でもない」

 と、タマエは答えた。
 だが振り返った瞬間、彼女ははっと目を見開いた。

「シュージ……?」

 なぜなら振り返った先にはナナクサシュウジの顔があったからだ。
 そこにはシュウイチの姿は無かった。
 ナナクサシュウジが、シュウイチの声でしゃべっていたのだ。
 タマエの驚く表情にナナクサの顔をしたシュウイチは怪訝な顔をする。

「どうしたんじゃ?」

 タマエはぶんぶんと頭を振った。
 再び青年を見るといつものシュウイチの顔だった。

「誰じゃシュージってえのは。俺に弟がいたんならそんな名前だったかもしれんがなぁ」

 残念ながら俺ん下は女ばっかりじゃ、とシュウイチは付け加える。

「……すまん、なんでもないわ」

 とタマエは答える。
 どうしてだろう、と思った。
 たしかにナナクサはシュウイチと被る部分がある。声も容姿も似ていないけれど、雰囲気がよく似ているのだ。
 だが違う。まるで関係の無い赤の他人であるはずなのだ。
 それなのにどうしてなのだろう。どうして昔から一緒にいるような気がするのだろう。

「なあタマエ」

 タマエが物思いにふけっていると、シュウイチは再び声をかけた。

「今から俺の家に来んか」
「家に?」
「ああ」

 タマエが意図を理解できずに尋ねるとシュウイチは短く返事をした。

「家に行ってどうするん」
「いいから」

 そう言ってシュウイチはタマエの手をぎゅっとつかんだ。
 あまり強引なことをしないシュウイチにしては珍しい行動だった。
 シュウイチに手を引っ張られる形でタマエは歩き出した。
 知っていた。老婆はこの時のこの光景を鮮明に鮮明に記憶している。
 時が経って色褪せていく思い出はたくさんあるけれど、この光景だけは幾年も繰り返される田の黄金色のようにあざやかなのだ。
 よく覚えている。この後、シュウイチに手を引かれて、導かれるままにこの青年の家に行ったのだ。シュウイチの家に。

 六十五年前にはじまった祈り。
 こうして手を引かれたのが六十四年前。

「タマエ、お前だけに教えてやる」

 あの時、シュウイチは言った。
 彼女にだけ秘密を教えた。

「お前だけに教えてやる。不毛の稲が実をつけたのは、それは――」





「参拝に行かんか。コースケ」

 穴守家の朝、朝漬けのキュウリを小皿に取りながら唐突にタマエは言った。

「……参拝ですか」

 白い粒を箸の先につまんだまま、青年は顔を上げる。
 
「そうとも。歌舞伎役者なんかは縁の神社に参拝するっちゅうじゃないか。舞台の成功を祈ってな、詣でるのよ」

 ナナクサとヒスイの視線もタマエのほうに向いたのがツキミヤには分かった。
 人数が本来の三人から四人になり、いつのまにか六人にまで増えたちゃぶ台はひどく狭かった。

「それなら行きますよ」

 と、ツキミヤは答えた。
「夕方に大社に呼ばれています」と。
 すると、

「何を言っとる。おまんが行くべきはそこじゃあなかろうが」

 と、タマエは言った。

「なるほど。あっちですか」

 ツキミヤはすぐに老婆の言わんとする事を理解したらしく、そのように切り替える。
 つまり老婆はこう言いたいのだ。青年が詣でるべきは雨降の祀られているところではない、と。

「そうとも。おまんの役は九十九様じゃ。九十九様んとこば挨拶しに行かねばな」
 
 タマエはそこまで言うと味の染みたキュウリを口に放り込み、こりこりとかんだ。
 ツキミヤもご飯粒を口の中に入れると、ミョウガの味噌汁をすすった。
 これと言って断る理由もなかった。
 なによりタマエには一泊一飯以上の恩があるのだ。
 今日はもう稽古も無い。この老婆に付き合う時間くらいはとれるだろう。


 道中はタマエとツキミヤの二人だった。
 ヒスイはともかく、ナナクサがトサキントのフンになってついてくるのかと思っていたのだが、タマエがそう望んだのかもしれない。とにかく道中は二人だった。
 タマエはその手に仏花を携えていた。誰に供えるものか、それは明白だった。
 いつもナナクサ達と通っていたその道とほぼ同じルートを通って、二人は歩いた。
 山のほうからさらさらと流れる小川にかかった木板を渡って進むと、やがて墓地が見えてくる。
 タマエは墓地に入り、花を供えると、線香に火をつけた。椀に盛り付けた飯に箸を刺し、墓前に供える。
 墓標に見えるのは穴守周一の字だ。
 ツキミヤはそっと後ろで見守っていた。

「シュウイチさん、六十五年前にあんたがやった役、後ろの子がやることになってん。どうか見守っておくんなさいね」

 タマエはしわがれた声でそう言うと、しわだらけの手を合わせる。
 ツキミヤも老婆に続くようにして手を合わせた。

「ああ、それと……いつものあれ、今年は持ってこれんかった。ちょっと必要でねえ。けれんども、あんたなら許してくれると思うて。埋め合わせはそのうちするけんねえ」

 いつものもの? と、ツキミヤは閉じた瞼をそっと開いて老婆を見つめたものの、別段尋ねることはしなかった。
 墓地を出るといよいよ二人は禁域へと入っていった。





 穴守家の台所で何かがガリガリと音を立てている。
 少年が覗くと、ナナクサが暴れるミキサーを腕で押さえているところだった。
 ミキサーの中で何かが揺れている。横に置いてあるまな板の上に木の実が転がっているところを見るとおそらくは中身もそうなのであろう。ポロックでも作るつもりに違いない。
 少年は知っていた。おそらくはそれが、青年がこの家で作るであろう最後のポロックになることを。

「シュージ」

 と、彼は声をかけた。

「なんだい?」

 と、使用人の青年は答えて振り返った。
 それはいつも通りのやりとり。いつも通りのやりとりだった。

「……、…………コクマルを見かけんかったか?」

 少年は一時考えあぐねた末、いつも通りの言葉をかける。
 適切な言葉が浮かばなかった。

「コクマル?」

 ナナクサが聞き返すと少年は頷いた。
 ミキサーが止まって青年は中身をボールに移す。

「その、昨日の晩あたりから姿が見えんのじゃが」
「いつものことじゃないの」
「まぁ、そうなんじゃが……」
「またどっかをほっつきあるいて……いや、飛び回っているんじゃないのかな。ノゾミちゃんに水の石を返しちゃったから代わりの石を探しに行ったのかも」

 木の実を包丁で手早く切って、ふたたびミキサーに入れてから、ナナクサがそのように予測を述べる。
「それはそれで困るのう」と少年は言った。
 スイッチが入る。ふたたびガリガリとミキサーの音が響く。

「まーた石の持ち主に怒られてしまうわ」
「ふふ、次は何色だろうね?」
「一番はじめに持ってきたことがあったのは赤だったかのう。次は赤か青か。あるいは黄色か緑か」
「黒か白かもわからないね?」

 そこまで言うとガリガリと音を立てていたミキサーが止まった。
 ナナクサはふたたびボールに中身を入れる。
 
「お昼はノゾミちゃんと出かけるのかい?」
「ああ、約束したしのう」

 少年は再びうなずく。

「……夕方は舞台を見に行くのかい」
「そりゃもちろん。コースケも出るしのう。コースケやヒスイが毎晩練習していたのも知っとる。タマエ婆も今年ばっかりは見に来るだろうし」
「そう」

 ナナクサは短く返事をすると途端に黙って、ボールの中身をかき混ぜた。

「……?」

 少し様子が変だと少年は思った。
 てっきり絶対見に来てよね! などとテンション高めの返事をされると思っていたからだ。

「ねえタイキくん」
「なんじゃ?」
「一回しか言わないからよく聞くんだよ」

 それは低く落ち着いた声だった。
 ナナクサがたまにまじめな話をする時はこう声色になるのだ。

「いいかいタイキ君、夕方からはタマエさんの傍を離れちゃだめだよ。もしものことがあったら君があの人を守るんだ。いいね?」
「……どういうこっちゃ?」
「約束してくれるね、タイキ君。これは君を男と見込んでの頼みだ」




 タマエのゆったりとした足取りにあわせてツキミヤはすぐ後ろを歩く。
 村の者は足を踏み入れないという禁域は、静かだった。
 青年が村に入るとき歩いてきた道。途中でナナクサと初めて対面した道。
 あの時はじきに日が沈んでほとんど見ることができなかったが、深い緑に包まれた森だ。

「この村は山に囲まれていてねえ、入るんなら北か南なんよ。もっともこっちはほとんど人通りがないがねぇ。開けた南側と違って、北はほとんど整備されておらん獣の道じゃきに」

 茂る木の葉に遮られ、それでもなんとか地表にたどり着いた光が狭い道を不思議な模様で彩っている。
 道中にそれなりに年経たと思われる太い幹の木を青年は何本も見かけた。
 樫だろうか? 植物の種類にはあまり詳しくないのだが、踏みしめた落ち葉の中にころんと転がった光沢のある小さな木の実を見て、そんなことを考える。

「小さい頃、あの人と一緒にこの中さ、入ったんじゃ」

 唐突にタマエが言った。

「だが、そん時はすぐに村のもんに捕まっての。九十九様の宿る岩を見つけることはできなかった。もちろん大目玉じゃ。あん人は大社の掃除を一週間やらされたらしい」
「……なぜ、僕にそんな話を?」

 ツキミヤが尋ねると、タマエはまあ聞きんしゃい、と言って続ける。

「二度目はそれから十年程経ってからだ。今度は一人じゃった」

 昔を語りながら、老婆はゆっくりと歩みを進める。
 さわさわという木の葉のこすれる音が耳に入った。

「コウスケ、おまんはなぜ禁域さ入った」
「どういう意味ですか?」
「なぜ北側から村に入ったんじゃ」
「……特に何か目的があったわけではないですよ。たまたま歩いてきたのが北側だっただけです」

 青年は老婆の質問の意図を捉えあぐねていた。
 するとタマエが言う。

「南側は開けた道。普通の人間の通るお天道様のまっすぐ差し込む道じゃ。北側は獣の道。お天道様の光も僅かしか届かないのよ。……人が選ぶ道はその生き様そのものじゃ。そしてお前さんは北からやってきた。今までもずいぶんと大変な道を通って来たんじゃろうなぁ」
「……、…………」
「ああ、気を悪くせんでおくれね。今のは私なり労いじゃよ。わしゃお前さんのことはこれっぽっちも知らないけども、きっと苦労してきたんだろうと、そう思っただけじゃ。それはあの黒い子も同じだがね」
「……ヒスイが?」
「ああ。あれからはお前さんと似た匂いがする」

 年を取るとなそういう感覚は鋭くなるんじゃ、とタマエは続けた。

「……少々話が逸れたの。それでだ、私が子どものころには妙な噂があってねえ」
「噂ですか」
「ああ、そうだ。大社にしゃもじを供えるようにな、九十九様にしゃもじば供えると、憎い相手を呪えるっつう噂よ。禁域に入るものはおらんかったが、皆疑いなく信じておった」

 そう言ってタマエは行く先を見た。
 老婆と青年の見るその先に雨から岩を守る小さな屋根が見えていた。
 タマエは、懐から真新しいしゃもじを取り出した。

「六十五年前じゃよ。ここにはじめてしゃもじを供えたのは。それから少しばっかり間が空いたが折を見つけちゃあ行くようになった。一本ずつ、一本ずつ積み上げてきた。とても大社の数にゃあ届かんがねえ」

 たぶんそれは晴れの日も、雨の日も。
 暖かい日も、寒い日も。
 老婆はこの道を往復したに違いない。

「尤もだれぞが持っていったのか、何年か前に一度ごっそりなくなっちまったがねえ」

 心無いことをする輩がいるものだ、と青年は思った。
 人は自分と違うものに対しかくも残酷なのだ。

「だが変わらん。私がやることは変わらんよ」

 そうして、いつもそうしているように岩の前にこしらえた神膳にしゃもじを立てかけ手を合わせた。
 亭主の墓参りの時とはうって変わって、タマエは何も言わなかった。
 しばしの静寂があたりを包む。
 
「……コースケ、私はね、かつてこの村の破滅を願ったことがあった」

 唐突にタマエは言った。
 閉じていた目を開き、あわせていた手を解いて。

「コウスケ、神様はね、何もしやしないよ。真に恐ろしいのはいつだって人間の考えだ。人間ってえのはいつだって本当の望みが見えていない」

 私もそうだった、と自嘲する。

「おまんらはあそこで何かをしようとしてるんじゃろ。私はそれを止める気はないし、止める術だって持っていない。けれどよく覚えておいで。真に恐ろしいのはいつだって人間だ。人間の心なんだ」
「……」

 ツキミヤは表情を変えず、何も語らなかった。
 今、この老婆に対し、どんな面をつけて向き合ったらいいのかわからなかった。
 いや、彼女の前ではどんな面をつけても無駄なのかもしれない。
 老婆の目に見えているのはつけた仮面のその奥。青年の素顔なのだろう。
 戻ろうかい、とタマエは言って、もと来た道を歩き出した。
 さわさわと森に葉のこすれる音が響いている。
 だが、行きのように足音がついて来ない。

「コースケ、ほれ行くぞ」

 それに気がついて老婆は振り向く。

「コースケ?」

 ツキミヤは社近くに生えた古い樫の木を見上げていた。

「どないした」
「いえ、なんでもありません」

 と青年は答える。
 鴉ではなさそうだ、と呟いた。





 三つ首の鳥が地面を蹴る音。
 それも一匹ではない。十や百の単位。
 土煙が上がって、粉塵が舞い散った。
 彼らは侵入者。
 古の神が君臨するこの里を己が色に染めんとする者達。
 その彼らの行く手を阻むようにして、目指す先から炎の礫がいくつも飛んでくる。
 礫は地面に着弾し、だがそれだけでは終わらず地面を跳ね回った。
 まるで意思を持っているかのような炎は三つ首鳥の足を捕まえる。
 炎に巻かれた鳥は暴れ、騎乗の男を振り落とした。
 三つ首の機動力を失ったただの人の喉笛に、九尾の獣が喰らいつく。
 赤い飛沫が飛び散って男は地面に倒れ伏した。
 それを見た何人かは怖気づき背走した。
 それでも果敢にむかってくる者達を再び炎が迎え撃った。

「やつらに陣を組ませるな! 散り散りにさせろ」

 九尾狐の陣営の中にある一匹が吼えた。
 それはシラヌイの声だった。
 不意に、するどく尖った羽根付の礫がいくつも地面に刺さった。
 人の歩幅で千歩弱離れた距離からパシュン、パシュンという音を立てて矢が飛んでくる。
 だがシラヌイの放った炎に焼き尽くされ、飛力を失って墜落した。

「構えよ!」

 青の陣から指揮者と思しき男の声が響き、一塊に集まった何十人もの弓矢を持つ男達が再び弦を張る。
 先陣の者達はかの一陣が準備を体勢を整えるための捨てに過ぎなかった。

「あいつは!」

 シラヌイは叫んだ。
 赤い瞳が捉えたのは、以前村長の屋敷を何度も尋ねてきた男の姿だった。

「放て!」

 グンジョウが力強く叫ぶ。
 男達が一斉に弦から手を離す。
 再び矢の雨が門番達を襲う。

「無駄と云うことがわからないのか!」

 ダキニが吼える。
 六尾達が呼応して、幾本もの火柱が立った。
 それらは竜巻のようにうねりを上げて矢の雨を燃やしてゆく。

「グンジョウ様、まるで効果がありません」
「続けろ」

 弓兵は言ったが、グンジョウは冷静にそう答えただけだった。

「私や親方様がお前達に求めるのは淡々と矢を射ることだ。それ以下でもそれ以上でも無い」

 青い鎧に身を包んだ指揮官は、鋭い眼差しをただ前へ向けている。

「お前達、よく聞くがいい! 矢を射るのを止めぬことだ。今手を止めたのなら、九尾共が我々の陣になだれ込んでこよう。手を止めたが最後、お前達の喉笛はあやつらに噛み千切られることになる!」

 その目線の先には赤と金の尾獣達。
 永きに渡ってこの地の主たり続けた旧き時代の妖達。
 親やその祖母達の世代ならば、ただただ恐れるしかなかった存在。
 出会えばこちらから道を空け、大小あらば大を譲らなければならなかった。
 だから獣を従え、操ることの出来る操り人は特別だった。
 だが今は違う。
 子は知恵をつけ、孫は力と野心を持った。
 今や獣と互角以上に渡り合い、一部の獣達を従わせることさえ出来るようになった。

「恐れるな! 我らには十分な蓄えがある。今日この日の為に布陣を整えてきたのだ!」

 指揮官は部下達を鼓舞した。

「何より我らには我等が神がついている!」

 オオッと陣の者達が掛け声を上げた。
 彼らは次々に弓を取る。
 引いては放ち、引いては放って、次の矢に手を伸ばす。
 矢は存分に用意していた。"樹"には不足しなかった。

「青共よ!」

 とシラヌイは吼える。

「この雨を生み出すためにいくつの岩を削りとった! いくつの樹を斬った! 何羽の翼をむしったというのだ!」

 火柱がうねる。風に巻かれた矢に炎が燃え移る。
 生気を失った樹と羽が燃え上がって、尖った岩の残骸が火の粉と共に地面に墜ちる。
 
「ラチが空かんぞシラヌイ。あいつらの陣に割って入るべきじゃないのかい」

 ダキニが言った。
 だがシラヌイは首を振る。

「弓矢の隊列の後ろを見ろ」

 シラヌイにそう言われ、ダキニははるか後方に目を凝らす。
 矢を持たない別の男達がそこに構えていた。
 各々一人が何匹もの灰色犬と噛付犬を鎖に繋いでいる。
 犬達はぐるると唸り声を上げて、白い牙を覗かせていた。

「なんということだ」

 と、ダキニは嘆く。
 人の中に一握りだけ、操り人と呼ばれる者達がいる。だが彼らはあくまで互いを認め合った対等の仲だった。
 だが向こうにあるあの光景はどうだ。
 拘束具をはめられて、自由を奪われて。
 あれでは弓矢と同じ単なる道具ではないか。
 それでも人の下に就く獣がいるとは聞いていた。
 だが、それは能力の無いほんの少数かと思っていた。
 だが目の前に晒されたあの数はなんだ。

「グンジョウのやつめ。弓矢隊を脅しておきながら、しっかり手を打っていやがる。俺達が割って入れば、やつらの大勢を焼き殺してグンジョウの首くらいはとれるだろうさ。だが、接近戦になればここにいる何匹がかみ殺されるか。悔しいが噛み付く力だけなら犬達のほうが上だ」

 シラヌイは歯軋りする。
 本当ならすぐにでもグンジョウの首を取りに行きたかった。
 だがここで頭数を失ってしまうことは里への入り口が開けてしまうことを意味していた。
 それだけは避けなければならない。
 "門"を護る"門番"はそこにいてこそ意味がある。
 門を開け放ってはならない。門は護られなければならない。
 門番は不在になってはならない。
 敵の指揮官の首と云う餌につられて、持ち場を離れてはならないのだ。





 柱時計の短針が四の数を指して、長針が深々とお辞儀をした。
 青年は俗世の衣を捨て、演者へと変貌を遂げる。
 金の刺繍が入った赤い布地に腕を通した。

「本当にこの格好で大社に行くのか。面倒だな」

 ナナクサに帯を巻かれながら青年は言う。
 緑の毛玉がじっとこちらを見上げている。夜色の衣を纏った幽霊がぐるぐると飛びまわりながらクスクス笑っていた。

「贅沢言わないの。これも演出の一つなんだから。衣装を来た役者が続々と集まってくる。祭りのクライマックスを感じさせるだろ。これから舞台が始まるって合図でもある」
「ヒスイは?」
「向こうの部屋で着替えてるよ。覚えの悪い誰かさんと違って人の手は借りないってさ」

 ナナクサは少し意地悪そうに青年を見て言った。
「……悪かったな」とツキミヤがぶっきらぼうに返す。

「いいんだよー別に。コースケはVIP待遇だし? なんたって主役だからね」
「いいのかいそんなこと言って。主役は村長のお孫さんだろう?」
「ふふ、まんざらでもないくせに」

 帯を結び終わったナナクサは「はい、完成」と言うと軽く身を翻す。
 そうしてそそくさと部屋を出て行った。

「せっかちな奴だなあ」

 ツキミヤは軽く彼の背中を見送ると、面や扇子の入った風呂敷包みを腕に抱えた。
 その拍子に緑の毛玉が風呂敷包みに乗ってきたかと思うと、肩に飛び上がり定位置についた。
 部屋を出るツキミヤ。その背中を夜衣の霊が追う。
 廊下を渡ると既に玄関には衣装を着たヒスイが立っていた。
 足元に何やら重そうな籠が置いてある。
 思えば、褐色肌に着物というのもなんだか不思議な組み合わせだなぁ、と青年は思う。

「何をじろじろ見ているんだ」

 とヒスイが言う。

「いや、別に」

 と、ツキミヤは答えて目をそらした。
 どうしてだろう。ヒスイの容姿が中性的なせいであろうか。
 一瞬、知った顔の着物姿を想像してしまったなどとは言えなかった。

「ごめんごめんお待たせ〜」

 廊下をぱたぱたと駆けてナナクサがやってくる。

「まったく、何をやってたんだよ」
「ちょっと、新作のポフィンを焼いててさ」
「ポフィン? これから出かけるのに?」
「まぁ食べてみてよ」

 ツキミヤは呆れていたがナナクサが満々の笑みを浮かべて皿を差し出すので仕方なく一口、口に入れた。

「うん、まあいいんじゃないか?」

 と、ツキミヤが答えるとナナクサは満足したとばかりにそそくさと台所に戻ってラップをかけるとまたすぐに戻ってきた。
 ヒスイとネイティとカゲボウズが少し食べたそうな顔をしていたが、それは華麗にスルーされたようだった。
 すぐさま戻ってきたナナクサが草履に足を通す。

「タマエさんは後から見に来るって。タイキ君はノゾミちゃんと一緒にタマエさんに合流するって言ってた」

 ガラガラという音とともに玄関の引き戸が開かれた。





 山という要塞に囲まれた里は境界線の喧騒を知らされず、淡々と準備が進んでいく。
 石舞台に向かう道には等間隔で篝火が配された。
 日が沈み暗くなった頃にそれら全てに炎が灯る算段だ。
 すると舞の催される石舞台に向かい一本の道が出現する。
 闇の中に一本の道が浮かび上がるのだ。

「巫女殿、何をぼんやりとしていらっしゃる」

 村長の屋敷で帯を巻かずに雲行きを見る娘に老婆が言った。

「静かではありませんか」

 と、彼女は答える。
 はて、と老婆は首をかしげた。

「いつもはこの里に満ちている獣達のざわめきが聞こえないのです。皆どこへ行ったのかしら」

 それは彼女にとって川岸の水音、海岸の波音と同じだった。
 当然にあるもの。だがまるで海はあるのに波音が聞こえないような違和感が里を包んでいた。
 朝からシラヌイの姿も見えず、カナエは一抹の不安を覚えていたのだった。
 九尾の一族の中では一番人の近くによってくるのがシラヌイだったからだ。
 人懐こいといえば語弊があるかもしれないが、それがかの九尾の気質であるのだ。

「余計な心配をされるな巫女殿よ。日々の糧を産するがこの里人の定めなれば、獣達はこの里の門番、防人のなのです。今宵は大切な日であります故、考えがあるのでしょう」

 顔に多くの年輪を刻んだ老婆は語る。

「貴女様は貴女様の役目をお果たしなさいませ」
「はい……」

 巫女がそうのように返事をすると、それでいいのですとばかりに頷き、帯と紐を手にとった。
 老婆の邪魔にならぬよう腕を上げてその実を任すと、彼女は再び里を包む気に耳を澄ませた。
 静かだ。獣達の声が聞こえない。
 少なくとも山で囲まれた内側にはほとんどいないのではないか、そのように思われた。
 ただ里の中心に大社にひときわ大きな存在を感ずることは出来る。
 九十九だ。
 たとえ声を上げずとも、感ぜられるその存在、熱量。
 色に例えるならばそれは緋色。一瞬、黄の表情を見せたかと思えば、時折橙。それは燃え盛る炎の色だ。

「……」

 老婆の言う通りだ、とカナエは思い直した。
 自分はその為に生きることを許された。この里で、獣と人を繋ぐ橋渡しとして。
 今は舞に集中すべきだ。
 カナエは注意を外から内へと戻す。
 だがその時に妙な違和感を彼女は覚えた。

「?」

 人では無い何かの発する音。それも複数。
 内側から何かをコツコツと叩くような。

「ちょっと待っていてくださいますか」

 帯がしっかりと巻かれたのを確認して、カナエは部屋を出る。
 耳を澄まし、音の方向を探った。

 コツコツ。コツコツ。コツコツ。

 たぶん屋敷の中だ。近い。
 屋敷の廊下を歩き回りながら音の場所を探る。
 だんだんと音が大きくなる方向に近づいて、たどり着いたのは屋敷の台所だった。
 祭の支度で出払っているのだろう。人はいなかった。
 その片隅に置かれた大きな葛篭(つづら)が目に入る。

「この中?」

 おそるおそる蓋をあける。
 中に入っていたのは大量の丸い青い木の実だった。

「何かしら、これ……」

 見たことの無い木の実だった。
 山に生える木の中には実の青いものもあって、そのうちのいくつかは食したことがある。
 だが、この木の実を見たのははじめてだった。
 ひとつ手にとってみる。

 コツコツ、コツコツ。

「どういうこと? 何で中から音が……」

 不意に青い実の表皮が黒く濁った。
 次の瞬間、表皮が突き破られて、中からぬるり、と何かが顔覗かせた。


 待ち人がなかなか戻ってこないので痺れを切らした老婆は、屋敷内を歩き回り、やがて台所でぼうぜんと立っているカナエの姿を見つけることになった。

「巫女殿、なにをなさっているのですか」

 と、声をかけた老婆に彼女はやっと我に返ったらしかった。
 だがどうも言うことが要領を得なかった。

「木の実の中から、大鰌(オオドジョウ)が……」

 彼女が老婆に語ったるにはこうだ。
 葛篭の中にあった青い木の実。その木の実の表皮が急に変色したかと思うと中から大鰌が出てきたのだという。葛篭の中に数十個納まっていた木の実すべてがそうなった……と。
 そうして大鰌は木の実の中から這い出ると、跳ねたりうねったりしながら勝手口から出て行ったのだという。
 はて面妖な、と老婆はいぶかしむ。
 嘘を吐くような娘ではないが、魚の入る木の実など聞いたことがなかった。第一、大鰌ほどの大きさのある魚が拳ほどの木の実に収まるなど不可解ではないか。
 だが、娘の言う通り、台所には鰌が通ったと思しきぬめりが残されていた。
 勝手口から外に出てみる。いくばくも離れていないところに細い用水路が流れていた。おそらくはここに飛び込んだに違いない。
 あの葛篭はたしか……と、老婆は記憶を手繰り寄せる。
 他の地方で産する木の実なのか見たこともないし、食べ方が分からない、などと使用人の一人が言っていた気がする。
 たしか、ごくたまにやってくる村長の客人が土産にと置いていったものではなかったろうか。
 客人は「グンジョウ」と名乗っていたように思う。





「ここでお別れだ」

 広場にもう少しで行き着く所。
 重そうな籠を抱えたヒスイが言った。

「オーケー。じゃあ、それ、よろしく」

 ナナクサが籠を見て返事をする。

「よし。君達はヒスイについていけ」

 肩に居座る緑の毛玉とボールから出した銅鐸にツキミヤが指示を出す。

「そんな目をしたってだめだよ」

 と青年は名残惜しそうな毛玉に引導を渡した。
 カゲボウズがケタケタと笑う。それに腹を立てたのかネイティは一瞬ギロリと睨みつけたように見えた。

「行こうか。約束の時間になる」

 小高い山が見えていた。
 ヒスイと分かれた二人組は大社へと向かう。


 夢でも登った長い石段。
 道中カゲボウズが常にきょろきょろとしていた。
 わかっている、落ち着けと言わんばかりにツキミヤは彼をなだめた。

「コウスケ、どうしたの?」
「なんでもないよ」

 さっき禁域で感じたアレと同じだと思った。
 おそらく同じモノ。山を囲む木々にうまく紛れてその姿を確認することは出来ない。
 鴉といいもの好きの多い村だと思う。
 危害を加えるという様子は無い。ただ見守っているという印象だった。
 気にしないふりをして、長い長い階段を登る。じきに三分の二は登ろうか。
 夕刻。昼と夜の境目。中腹でふと村を見下ろすと、夕日に照らされた金色の野が見えた。
 それは、まるで燃えるように。

「綺麗だよね。この時間は」

 ナナクサが言う。
「そうだね」と、ツキミヤは答えた。

「僕、夕刻は好きだ。この村で流れる時間で二番目に好き」
「二番目?」
「そう、二番目」

 二番目と云う言葉がひかっかり、青年が尋ねると彼はおうむ返しにして答える。

「それじゃあ一番目は?」
「決まってるでしょ。野の火だよ」

 さらりとナナクサは言った。
 迷う様子もなく。さも当然のごとく。

「僕達はその為にここまでやってきたんじゃないか。それともコウスケ、今更こわくなったのかい?」

 芝居がかってナナクサは言う。

「は……まさか」
「今更舞台から降りるのは許されない。わかってるね」

 それは用意された脚本のように。舞台の一幕のように。
 お前はもう逃げられない、と運命を宣告するように。

「さ、行こう。もう大社は目と鼻の先だ」

 二人の青年が石段を登る。
 夕日が二人の影を長く長く伸ばしていた。
 大鳥居が見えた。時を待たずして二人が潜る。

「こんばんは、ツキミヤ君。……それにナナクサ君」

 青の衣を身に纏った恰幅のいい男が二人を迎えた。
 村長の孫、トウイチロウだった。
 赤い衣装と青い衣装、相対する色の二人が並ぶ。
 すると大社の奥のほうからすっかり見慣れた人物が現れた。

「役者が揃いましたなぁ。それにナナクサ君も」
「これは村長さん」

 ナナクサが軽く会釈をする。
 現れたキクイチロウは神社の宮司のような正装をしていた。
 馬子にも衣装――甚だ無礼とは思ったがそのような言葉を青年は浮かべたのだった。

「ナナクサ君、ひさしぶりですねぇ。しばらく姿を見かけなかったので心配していたんですよ?」
「祭の時期ですから。僕もいろいろやることがありましてね」

 村長がさぐりを入れると、ナナクサはそのように応酬した。

「せかっく来て下さったのに悪いですねぇ。別殿に入れるのは、役者と神社の関係者だけですが……よろしいですか。ナナクサ君」
「ええ、承知しております。僕は適当なところで待っていますから」

 二人はお互いの腹を探り合うようにして、けれど表面上はにこやかな仮面を被って言葉を交わす。
 こいつら仲が悪いなぁ……そんなことをお互いに思っているのが顔に出たのがわかってトウイチロウとツキミヤは互いに苦笑いをした。

「それじゃあコウスケ、行ってらっしゃい」

 てっきりナナクサは自身が入れないことに文句のひとつでも言うのかとツキミヤは思っていた。だからなんだか拍子抜けしてしまった。
 ナナクサは相も変わらず笑顔の仮面を被ったままだった。
 カゲボウズは預かっててあげる、そう言って手で行ってらっしゃいのジェスチャーを送ると、境内のどこかへ消えていった。
「それでは別殿に案内いたしましょう」

 村長がそう言って、雨降と九十九は後に続く。

「さて、ご存知の通りこの別殿は一般未公開となっておりましす。昔はね、祭の間くらいは見せていたのですが、その、ご存知の通り昨今の事情を反映しまして、未公開になったのです。ですからここで見たことは他言無用にしていただくと非常にありがたい」
「……承知しました」

 ツキミヤが了承する。
 別殿に何があるかは知らないが、人に言いふらすような趣味は無かった。

「では、履物を脱いでお入りください」

 村長は靴を脱いで先をゆく。
 二人が靴を揃え入ったことを確認すると青い色に金をばら撒いた襖を開け放った。
 ツキミヤの前に開け放たれたのは何畳も続く長い長い大広間。
 そして、その壁に「それら」は吊るされ並べられていた。

「……、…………、……」

 青年は壁に吊り下げられた「それら」を見て、しばらくの間言葉を失った。
 小さくて赤いものが何十も並ぶ。等間隔で大きい金色のものが数える程度。
 偽物……ではなさそうだった。

「最近の若い方は免疫が無いのか、はじめて入られた方はみんなそういう反応をなさいます」

 村長が言った。

「清めの儀式の準備をしますから、しばらく待っていてください」

 そう言って、村長は奥へと消えていった。
 襖の向こうに村長が見えなくなるしばしの間、青年は無言を貫いていた。

「なるほど……そういうことかい。伝説の実在を証明するものっていうのは」

 それがやがて口を開いた時に出た言葉だった。
 吊るされていたのは毛皮だった。
 頭から吊るされてだらりと複数の尾だったものが垂れ下がっている。
 それは間違いなく六尾と九尾だった。
 かつてロコンとキュウコンだったものの、抜け殻。
 胸くそ悪い、という言葉を青年は飲み込んだ。
 同時に何か邪悪な笑いのようなものがこみ上げてきたのがわかった。
 その皮だけになったものに目玉は無い。血も通わず、体温も無い。抵抗するための爪と牙を抜かれ、炎と云う名の誇りを奪われた姿。あるのはただただ残骸だけだ。
 こんな屈辱があろうか。いっそ形など残らぬほうがどれほどによかったか。

 青年は恥じた。
 これを見るまで己は真に九十九を理解してはいなかったのだ、と。

 不意に昨晩の記憶が蘇った。幼い自分が狐面を渡して云ったあの場面を。
『お前が九十九だ』
 幼き日の自分が青年に告げた。
 もうずっと何かが己を支配している。
『そうだ。それでいいんだよ……コウスケ』
 たぶんそれは衝動。
 すべてを燃やし尽くしたい、全部が炎に包まれて燃えてしまえばいいという衝動。
 今なお燃え続ける怨恨の炎。
 
「ツキミヤ君……少し昔の話をしないか」

 と、不意にトウイチロウが言うまで、青年の意識は別の時空に飛んだままだった。

「昔の話?」

 青年は意外な話題を振られて少し驚く。
 そういえばトウイチロウとは、台詞の応酬以外の会話をまともにしたことがなかった。
 倒すべき敵、そう云う意識が働いていたからかもしれない。

「おじい様に聞いたんです。貴方が穴守さんの家に泊まってるって」
「そうですか。村長さんもおしゃべりですね」

 またか、と青年は思った。
 この村の住人、とくに村長筋の人間になるとやけに穴守家の話題に関心を持つのだ。
 その昔、村長であるキクイチロウがタマエに振られて未だ根に持っているらしいという話は聞いている。
 だが、おそらくそれだけではあるまい。
 どうやらいろいろと因縁があるらしいことはツキミヤ自身も感じ取ってはいるところだった。
 すると、

「今の反応を見た限りの様子だとあの家で見てはいないようですね」

 と、トウイチロウが言った。

「見た? 何をです?」
「毛皮です。狐の毛皮。ここに並んでいるのと同じものです」

 質問の意図が汲み取れずにツキミヤが聞き返すと、トウイチロウはそのように答えた。
 まったく意味が分からなかった。

「毛皮? どうしてそんなものが穴守の家にあるんです? あそこのご主人からしてあの家にそんなものを置いておくとは思えない」

 だから青年の主張はおのずとこういうものになった。

「たしかにそうです。タマエさんなら」
「タマエさんなら?」

 意図がわからず疑問形の返しが続く。
 するとトウイチロウが話はこれからだと言いたげに続けた。

「すごく昔なんですけれど、この村とその一帯で凶作が続いたことがあったのはご存知ですか。おじい様やタマエさんが僕達くらいだった頃のことです」
「ええ、ナナクサ君から少し聞いています。だからこの村ではいろいろな米を育てているのだと」

 凶作と云う言葉に青年は聞き覚えがあった。

「周囲が凶作にあえぐ中、唯一実りがあったのが、タマエさんのご主人である穴守シュウイチさんの家だったのです。だから皆、穴守の家の種もみを欲しがりました。けれど素直に分けてくれとは言えない事情があったらしくて」
「事情?」
「……それに関してはおじい様も口を濁すんです。とにかく皆の代表としておじい様はシュウイチさんと交渉したらしい。その対価としてシュウイチさんがここにある毛皮の一枚を所望されたというんです」
「……シュウイチさんが、ですか」
「ええ。……もちろんこれらは村が守り伝えてきた財産です。だから普通なら許されることじゃなかったけれど、とにかく背に腹は替えられない。おじい様は仕方なくこの中にあった一枚をシュウイチさんに引き渡したのです」
「……」

 意外だった。
 シュウイチの信仰がどうだったかは知らない。
 だが狐の毛皮を欲しがるような男がわざわざ九十九贔屓の嫁を貰うだろうか、と青年には思われたからだ。

「僕はね、はじめてこの広間に入った時から、ずっと疑問に思っていたことがるのです」
「なんですかそれは」
「おかしいと思いません? ここにはたくさん毛皮があるけれど一番重要な色が無いんですよ」

 ツキミヤははっとした。
 もう一度大広間を見回してみる。トウイチロウの言う通りだった。
 抜け殻は赤と金。
 色が欠けている。一番重要な色が。

「……妖狐九十九の毛皮ですか」
「そうなんです。伝承によれば九十九は色違い……白銀の九尾のはずなんです。でもその毛皮は此処に無い。だから僕はもしかしたら、と思ったのですが」

 なるほど、とツキミヤは納得した。
 ここにある毛皮の一枚を村長がシュウイチに引き渡した。
 一方で、この別殿に九十九の毛皮は無い。
 だからトウイチロウはそれが穴守の家にそれがあるのではないか、という淡い期待を抱いたのだろう。

「僕はあの家で毛皮を見ていないよ」

 と、ツキミヤは答える。

「あったとしても九十九のものでは無いと思う。村長さんの性格からしてそんな重要なものを引き渡すとは思えない。せいぜい六尾の一番小さいもの一枚がいいところじゃないかな」

 するとぷっとトウイチロウが吹き出して、
「君って結構ハッキリものを言うんだね。気に入ったよ」と言った。
「どういたしまして」と、ツキミヤが返す。

「そうだよね。おじい様の性格からしてやっぱりそれはないよなぁ。そもそも九十九が色違いと云うのも伝承であって本当にそうだったのかはわからない訳だし」

 やはり世代なのだろうか、と青年は思う。
 彼は村長の孫と言えど、村長自身や村の年配者ほど信心深くはないらしい。
 トウイチロウの考え方は良くも悪くも現代に生きる若者だった。
 おそらくは立場と義理からだが、行事に付き合っているだけ律儀というものだろう。

「特別な存在というものは大きく描かれたり、誇張されたりするものだからね」

 ツキミヤも同意する。

「でもね、僕はこう思うんだ。九十九だったら僕らの眼前に哀れな抜け殻を晒すようなマネはしないんじゃないかな。たぶん雨降は九十九を打ち倒すことには成功したけれど、証を手にすることは出来なかったんじゃないだろうか。だから気をつけないと」
「気をつける?」
「彼は当然この毛皮達がここに晒されていることを快くは思っていない。どこかから機会を伺っていて取り戻そうとしてるんじゃないかって、僕にはそう思えるんだ。だから気をつけないといけないよ。すでに一枚は狐贔屓の穴守さん家にあるわけだしね」

 調子に乗って何を言ってるのだと、ツキミヤ自身も思っている。
 けれど何か予感めいたものがあった。
 これは、何かが起こるというそういった予感から来る興奮なのだ。
 あの青白い毛皮のキュウコンならば本当にそんなことを考えている気がした。

「怖いな。君の言葉はまるで九十九に会ったことがあるような口ぶりだ」
「そうだよ。僕は今年の九十九だからね……」

 トウイチロウが言うと、ツキミヤは冗談めかして意味深に笑って見せる。
 直後、長い部屋の奥で襖が開き、村長が手招きをした。

「お待たせをしました。さ、雨降様からこちらへ」
「はい」

 青い衣装を纏ったトウイチロウが進み出た。
 奥まで行くと襖がぴしゃりと閉まって静まり返ったが、少しして、祝詞らしきものが村長の声で読み上げられたのが分かった。
 時間をかけずしてトウイチロウは戻ってきた。

「じゃ、僕は一足先に行ってますから」

 そう行ってトウイチロウは足早に別殿から去っていった。

「妖狐九十九はこちらへ」

 と、声がかかる。
 抜け殻の列に挟まれた広場を通って、中に入る。
 そこには壮麗な祭壇があって、新鮮な供物が捧げられていた。
 木造の社の中にいわゆるご神体があるのだろう。

「さ、そこに座って、杯を手にとってください」

 キクイチロウは青い文様と赤い文様が刻まれた二つのとっくりのうち赤いほうを手に取ると、ツキミヤの両手にある杯の中に透明な液体で満たした。
 米は神よりの恵み、授かり物、ならばそれから造られる酒は神の飲み物だった。
 青年は杯に口づけする。
 天を仰ぐようにして一気に飲み干した。
 強い酒だった。
 しかしそれ以上に体質に合っていない酒だ、と青年は感じた。
 一瞬ぐらりとしたような気がして、村長が菱形の紙を重ね合わせた柳の枝のような棒を振り回して祝詞を唱えている間、気分が悪かった。
 清められているというよりは祓われている感じだ。
 が、詠唱も終わる頃には次第にけだるい感じがとれてきて、本調子が戻ってきた。

「村長さん、僕の顔に何かついていますか」

 詠唱を終えてしばらくの間、村長が何やら呆けた顔でこちらを見ていたので、ツキミヤが尋ねる。

「え? ああ、いいえ。なんでもありません。清めの儀式は終わりですよ」

 村長が言った。
 
「そうですか、では」

 何か妙な雰囲気を感じたが、あまり気には留めなかった。
 むしろ舞台の集合時間が気になった。
 村長もあらかじめ準備をしておけばいいものを無駄に待ち時間をとったりするものだから思ったより時間を食ってしまったのだ。
 別殿を出るとどこからか戻ってきたナナクサとカゲボウズが待っていて、青年を出迎えた。

「お疲れ様コウスケ。何も無かった?」
「おいおい、何も無かったってどういう意味だ。何かあるような口ぶりじゃないか」

 ツキミヤは怪訝な表情を浮かべる。
 さっきから何なのだ、と思った。
 村長といい、ナナクサといい何かがおかしい。

「ううん、少し遅いなって思ったから。別に何もなかったんならいいんだ」

 ナナクサはにこりと笑顔を作って言った。

「それなら早く行ったほうがいい。十八時まであまり時間が無いからね。見送るよ」

 くるりと方向を変えて、ナナクサは歩き出す。
 ツキミヤが続いた。

「見送る? 君は舞台に行かないのか?」
「そう。ちょっとね、やることが……」

 そう言い掛けて、ナナクサの足がぴたり、と止まった。

「ん? どうし……」

 ツキミヤはナナクサの視線の先を見る。
 大社の入り口である大鳥居の下で妙な者が仁王立ちしていた。

「……ラグラージ、か?」

 大きなポケモンだった。
 青い身体を横断するように巨大なヒレが走っていた。
 大きく割かれた口の両端からオレンジ色の大きなエラが左右に伸びている。
 ラグラージ、沼魚ポケモン。
 ホウエンから旅立つ初心者トレーナーが最初の一匹として奨励される三種のうちの最終進化系の一つ。
 育て上げればなかなか強力なポケモンだ。
 今そのポケモンが、身体の奥から低い唸り声を上げてこちらを見据えている。

「なんだってラグラージがこんなところに?」

 どう好意的に解釈をしてもあまり穏やかではなさそうだった。
 大きな沼魚が一歩、こちらにじり寄ったのがわかった。

「そいつの名前はヌマジローと言います」

 背後から声が聞こえて、二人と一匹は振り向いた。
 村長だった。

「だいぶ歳はとってしまいましたけど、まだまだ現役です。トウイチロウのカメジローにもひけはとらないつもりですよ。なんなら一つ手合わせしてみますかな、ツキミヤ君?」

 村長がつかつかと二人の横を通り過ぎ、ラグラージの隣に立つ。
 大鳥居の道を塞ぐように立つ一匹のポケモンと一人のトレーナー。
 その意味は明らかだった。
 ぞわっと青年の足から伸びる影がざわついた。

「本当はもっと穏やかに行きたかったのですけど……仕方ありません。おおかたナナクサ君が何か仕込んだんでしょう。神酒でツキミヤ君は眠らなかった」

 青年ははっとナナクサのほうを見た。
 ナナクサはにこりと能面に笑みを貼り付けて、

「念は入れておくものだねぇ。来る前にカゴの実ポフィンを食べさせておいてよかった」

 と、言った。

「おい、僕はポケモンか」
「そうとも。君は九十九様で、九十九様はキュウコンだ。そしてキュウコンはもちろんポケモンだ」
「……むちゃくちゃだ」

 少し呆れてツキミヤは言う。
 しかし問題は目の前にある。倒せないことはないだろう。だが、そうしていれば時間には確実に遅れてしまう。
 だがナナクサは余裕のある表情を浮かべていた。

「舞台に立てない今年の九十九の代役はおおかたタカダさんと言ったところでしょう? 三年前の九十九の。表向きははトウイチロウさんの練習のためだったんでしょうが……」
「さすがナナクサ君だ。よくご存知で」
「ええ、調べさせましたから」

 調べさせた? その言葉にツキミヤは違和感を覚えた。

「村長さん、ひとつ確かめておきたいことがあります。あなたは僕たちの練習の内容を知っていましたか」
「いいえ。私が知っているのは貴方達が夜に何かをやっていた、ということ。それだけです。だがそれだけで私には十分だった。穴守の客人が九十九になった。そして、ナナクサ君、あなたが絡んでいるというだけで、それだけで私が行動を起こすには十分だったのです」

 今年の舞台で何かが起きようとしている。
 村を統べる一人の老人にとってそれは予感という名の確信だった。
 秩序は守られなければならない。

「この舞台に面があってよかった。外面があってさえいれば皆中身が誰かなどと気にもしないでしょうよ」

 祭をかき乱されるわけにはいかない。
 それは誰にも知られずひっそりと処理されなければならなかった。
 重要な儀式があるということで人払いしてあった。
 そうでなくとも人は石舞台のほうに集まっている。大社の周りに人影はない。

「なるほどなるほど、わざわざ人払いまでしてくださって。ご苦労様です」

 ナナクサがくすくすと笑った。

「心配しないでコウスケ。村長さんの相手は僕がする。君はここを降りて問題なく舞台に立つことになる」

 ナナクサは懐に手を入れ、丸いものを取り出した。
 緑色のぼんぐりだった。

「出番だ。シラヒゲ」

 ぼんぐりの栓を抜く。
 光が現われて、ポケモンの形を成した。
 現われたのは木の葉を生やした長い鼻の小人だった。
 たぶん、村長もツキミヤも同じことを考えていた。
 いつの間に、と。そうして同じ結論に行き着いた。
 あの時だ。ナナクサがしばらく姿を見せなかった、あの時。

「ハッ、そんな捕まえたばかりの、半端な一進化ポケモンに何が出来るっていうんですか」

 キクイチロウがいきがって言った。
 シラヒゲ。コノハナごときに大層な名前をつけたものだ。
 間の前に立っているのは毛も生えぬ痩せた子どもと同様ではないか。
 いかに苦手タイプといえどヌマジローの敵ではない。
 だが、ナナクサは余裕の笑みを貼り付けたまま、

「聞こえませんか」

 と言った。
 瞬間、大社の石段を駆け抜けるようにバササッという羽音が登ってきた。
 はっとして上を見上げる。上空を舞っていたのは一羽の鴉だった。
 キラリ、と緑色に光る何かが落下した。
 落下したそれは石畳の上で弾け、砕ける。
 エネルギーの放出。新緑の色に光り輝くそれはまるで発芽し、急成長するツタ植物のようにコノハナの腕に絡み付いて、瞬く間に全身を巻き込んだ。

「よくやったコクマル! 見つけてきてくれたんだね」

 石による進化。
 小人の身体が瞬く間に成長し、白い髪と髭が全身を包みこんだ。
 そこからにょきりと伸びる長い耳と長い鼻。
 光が拡散し、楓の形の腕が覗いた時、山を鳴らす竜巻が巻き起こった。
 気がつけばツキミヤは天狗の腕に抱えられて、大社を見下ろしていた。
 大鳥居の前で対峙するナナクサと村長。二人の姿が遠ざかっていく。
 跳躍し風に乗る一人と一匹の横を鴉がすり抜けて、舞台のほうへ飛んでいった。
 ナナクサは鴉に依頼していたのだ。
 樹葉の力が宿った緑の石を見つけてきて欲しい、と。このあたり一帯を飛び回れば、もっているトレーナーも一人くらいはいるだろう。今は祭で、この村には人が溢れているのだから、と。

「コクマルに石を盗られたトレーナーには悪いけれど、これも祭を盛り上げるためさ」

 大鳥居を飛び越えた天狗とツキミヤをナナクサは満足そうに見送って言った。

「なんてことを……」

 こうなってしまっては追いつけない。
 連れ戻すことも出来ない。
 村長はやや放心気味になって言葉を吐いた。
 企みはナナクサの策略の前にあっさりと破られたのだ。
 
「ふふ、やっと二人きりになれましたね、村長さん?」

 ナナクサがいやみったらしい台詞を述べる。
 村長は空を見つめたままだった。
 目的を失って呆けたつまらない反応だった。
 だが、次にナナクサが吐いた台詞ですべてはリセットされることになる。

「久々に二人きりになったっちゅうのにそりゃあないだろう、キクイチロウ?」

 目を見開いた村長の顔がナナクサのほうを向いた。
 聞き間違い出ないのなら、ナナクサとはまったく別人の声だった。

「…………」

 この声をキクイチロウはよく知っていた。
 皮肉なことに嫌いなものほどよく覚えているものなのだ。
 それは昔から知っている声、けれど今はもう二度と聞くことはないと思っていた声だった。

「なんだよ。せっかく会いに来てやったのに」

 ナナクサの顔をした男が、別人の声を響かせている。鼓膜に残る記憶のままに。
 まさか。まさかそんなはずはない。
 想い人を攫った憎たらしいあの男は死んだ。三年前に死んだのだ。
 けれどキクイチロウは出さずにいられなかった。
 声の主の名前を出さずにいられなかった。

「……シュウ、イチ…………」

 名前を呼んではいけなかったのかもしれない。
 けれど呼ばずにいられなかった。

「久しぶりじゃの」

 ナナクサの顔が、あの男の声で肯定した。
 言葉には魂が宿る。
 目の前にいる青年が誰であれ、呼んでしまった以上それはもうシュウイチだった。
 こうなってしまってはもう引き返せない。

「なんじゃ、つれない顔しとるの。おまんはこういう場面をずっと望んでいたじゃないのか」

 すぐに後悔した。名を呼んだことを。
 老人は奥歯がカタカタと震えているのがわかった。
 冗談ではない、そう思った。

「ずっと俺と戦いたかったんだろう、キクイチロウ? けれんども俺はポケモンばもっとらんかったから、それは叶わずじまいだった。だから今叶えてやるよ。長年の望みを今ここで果たそうじゃないか」

 後ずさる。あやうく石段を転げ落ちそうになった。
 やめてくれ。こっちに来ないでくれ。

「見ろよ。今ならポケモンもこんなにいる」

 シュウイチの声の男が周りを一望するようにジェスチャーしてみせた。
 いつの間にか山の木々の上に、大社の屋根の上に何匹も何匹も葉の生えた小人達が姿を見せている。

「知っとるかキクイチロウ。かつて村を見下ろす山のその向こうにある高地を治めていたのは天狗の一族だった。山に天狗、野に九尾。彼らはある意味二神で一つだった。その山の神のその流れを汲むのがこいつらだ。ある時に長の白髭率いる一族の多くは土地を追われたが、とどまる者達もいた。雨に耐え、息を潜め、けれども決して血を絶やさず、ずっとずっとこの日が来るのを待っておった」

 ナナクサが歩み寄る。
 その一挙一動を無視することが出来なかった。

「だからキクイチロウ、お前には邪魔させん。野の火を消させるわけにはいかんのだ。『あのとき』のように消させるわけにはいかん」

 野の火、というその響き。あのときを思い出させる音の並び。
 その音がいないはずのシュウイチのの声で奏でられた時、キクイチロウは心底震え上がった。
 やめてくれ。その声で、私に語りかけないでくれ。
 ガクガクと足が震えている。

「燃えよ燃えよ、大地よ燃えよ」
「やめろ!」

 キクイチロウは叫んだ。

「その声で、シュウイチの声で詠うな。思い出させないでくれ!」

 パチンとナナクサが指を鳴らす。
 山のあちこちから木の根とも枝ともつかぬものが目にも止まらぬ速さで、ラグラージを縛り上げた。

「……しまった」

 木々の暴走は止まらない。
 まるで大社を檻の中に隠すように枝葉が伸びて、キクイチロウの退路を断った。
 ツタ植物の弦が身体に触れ、瞬く間に絡みついたかと思うと、キクイチロウは二匹のコノハナに縛り上げられていた。
 日が落ちる。夕闇を背にナナクサの顔が冷たく笑っていた。
 ほうら、ポケモン勝負も俺の勝ちだ。
 お前は俺に勝てない。勝てやしないんだ。
 そう言いたげに。見せつけるように。

「今宵、舞台の結末は変わります。暗き空に現れるのは、野の火」

 気がつけば声がナナクサに戻っていた。
 が、それは束の間だった。
 眼光が射る様に差す。
 お前は逃げられないのだ、と。

「キクイチロウ、お前に神様の作り方を教えてやるよ」

 入れ替わるようにしてシュウイチの声が告げた。








(十八) 了


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