マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1137] #2 火矢を放つ 1、2 投稿者:乃響じゅん。   投稿日:2013/08/31(Sat) 07:40:20   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 1

 レガ・タルトは、弓矢を放つ構えをした。とは言え、手に握られる弓はない。弓を持つ手を模した体勢をとっているだけだった。身体を垂直に立て、左手を伸ばし右手を引く。両の人差し指をぴんと伸ばし、動かぬ的に狙いを定める。
 これがただの「ふり」でないことは、見守る少年の誰もが知っていた。と言うより、誰の目にも明らかだった。
 レガの引いた右腕には、一本の矢が浮いていた。術によって発生した見えない張力によって、宙に浮いたまま留まっている。射撃は、タルト一族に伝わる基本的な攻撃術だ。さらに、一人前の術師になると別の術と組み合わせることもある。
 子どもたちは矢の羽根に注目した。周囲の熱が彼に吸い込まれていくかのように、一陣の風が吹く。その瞬間、羽根に橙色の火が灯った。驚きと、片時も目を離すまいとする気持ちが同時に現れ、おかしな動作をする子どもたち。そして、観客を息づかせる暇もなくレガは矢を放つ。術で浮かせた矢とは言え、その軌道、速度ともに本物の弓矢と遜色なかった。矢が正確に的の中央を貫いたその瞬間、矢の炎は消え、代わりに的が勢いよく燃え始めた。側に控えていた者が、すぐに消火する。レガが一つ息をつくと、周囲から歓声が上がった。
「十五歳までに矢を放つ。十六歳までに火矢を放つ。これが出来れば一人前だ。誰か、やってみるか」
 レガの火矢を見ていた少年達の中でも、最年長は十四歳だった。矢を放てるほどの術力を得るにはまだ少し早い。そうと知りながらもレガが火矢を見せたのは、タルトの子どもたちは十六歳で火矢を大人たちの前で披露するという、通過儀礼を受けるからだった。

「おれ、やります」
 矢に灯った炎のような、くるくると丸まった鮮やかな橙色の髪をした少年が手を上げた。
「ジャグルか。君は勇気があるな。よし、やってみろ」
 周囲が興奮に沸き立つ。ジャグル・タルト。まだ十四歳だが、一部の仲間は彼の才能を知っていた。そういう仲間は、こいつならやってくれるのではないかという期待のまなざしを向けた。ジャグルは頷き、少し下に目線を落としながらレガの方へゆっくりと歩み寄る。自ら志願はしたが、緊張を隠しきれない子どもらしさがそこにはあった。レガは矢を一本、ジャグルに手渡した。
「大丈夫。自分のペースで、焦らずやるんだ」
 レガはジャグルの背中を軽く叩いた。やがてジャグルも、意を決したように頷き、顔を上げた。
 ジャグルは的の方に顔を向け、足を前後に開いた。沸き立つ声が止み、周囲は緊張感に包まれる。両手に神経を集中させ、矢に術力を込める。矢を持つ右手を開き、術力によって右手にくっついたまま落ちないことを確かめる。親指と人差し指をぴんと伸ばすと、人差し指に矢はくっついてきた。左手も同じ形を作り、矢を構える形を取る。
 ジャグルは的を睨んだ。決して近くはない。だが、狙えない距離でもなかった。ジャグルにとって、矢を操るのはこれが初めてではない。既に何度も練習を重ねている。
ジャグルは矢に術力を込める。思わず肩に力が入った。本当は、矢を放つのに力を込めてはいけない。力が素直に伝わらず、ブレる原因にもなる。基本的なことだから、レガの注意が入りそうな気がした。
――だが、構うものか。
 矢の先端に全ての力が集まっていくイメージを浮かべる。そして、ただひたすらに先端が赤く燃えるさまを見ようとする。本当なら、今誰もきっと火矢を放つことまでは望んでいないだろう。だがジャグルは、今こそがチャンスだと思っていた。何としても手に入れたいものが、少年にはあった。この集団の中で、いち早く実力を認められ、一人前としてやっていけるようになること。それが願いだった。
 ぼっ、という音とともに、光がはじけた。矢の先端に、熱い炎が灯っている。周囲から、期待と困惑に満ちたどよめきが起こる。レガは何も言わない。見守る連中は次第にレガの沈黙の意味を悟り、声をあげるのを止めた。しんと静まったその空気に、ジャグルの心は固まる。次の瞬間、右手に集めていた非物質の張力を解放する。弦が支えを失い、その力は恐ろしいほど綺麗に伝わっていく。炎を帯びた矢がただ一点を目がけて、宙を駆ける。
 すとん、と小気味の良い音が響いた。その直後、更に大きい音を立てて、矢が的を爆破した。黒い煙がもくもくと登る。術力を込め過ぎて、燃えるどころでは済まなかったらしい。流石にジャグル本人も予期しておらず、目を丸くした。周囲の少年たちも、同じ顔をしてその場に固まっていた。
 沈黙を破ったのは、一人の手を打つ音だった。レガだった。何も言わず、ただひたすらに拍手を送っている。その笑顔の意味が称賛であると気付くまでに、時間はかからなかった。この時、ジャグルの評価は完全に決まった。歓声が上がる。誰もがジャグルを褒め、激励の言葉を投げかけ、肩を叩いた。きょとんとしていたジャグルも、皆の嬉しそうな、それでいて少し悔しそうな顔を見るうちに少しずつ笑みがこぼれ、最後は大笑いした。
――あぁ、自分は認められたのだ。これでもう誰も自分のことを疑う者はいない。一流のまじない師としての将来は、約束されたも同然だった。あとは、上り詰めるだけ。そう思うと、ジャグルは生まれて初めて、心から笑えた気がしたのだった。


 2


 火矢の一件はすぐさま大人たちの耳に入り、ジャグルは晴れて一足早い大人の仲間入りを果たすこととなった。今までの勉強に加え、レガの後輩として、大人になってからしか学べない術の数々や請け負った仕事の一部を、そばに付いて学ぶことが決まった。
 これは、異例中の異例とも言えることだった。タルト一族は、子どもと大人とで完全に生活圏を分けていた。子ども達は、教育係である一部の大人以外の成人と関わる機会を持たない。一族が共同生活を営む村は、人食いの跋扈する深い森の中にある。中途半端に術を身に付けた者が勇んで森に入れば、逆に人食いに食われてしまうからだ。人食いは術力を持つ者を食らうと、その力を増大させてしまうことがある。共同生活圏内には守りの術がかけられており、人食いが侵入することはない。だが、力を増幅させた人食いが、人間の術力を上回らないとも限らない。たった一人の勇み足が、一族の生活を滅ぼすことになりかねないのだ。だからこそ、大人達は子どもの好奇心を統制しなければならなかった。
 もちろん、ジャグルがそんな事情を知ることはない。ジャグルは目上の人間の言葉を良く聞く質で、集団に溶け込むのが上手だった。優秀で穏やかな、悪く言えば少々精神的に老成している人物であるとも言うが、大人たちの評価はおおよそ上々だった。だからこそ、ひと足早く実際のまじない師としての仕事を見る機会を与えられた。彼なら、恐らく危なっかしいことはしないに違いない。

 その日、ジャグルは大人たちの集会に混じり、これから同じ道を歩む新人として挨拶をした。大人たちは噂だけはかねてより聞いていたらしく、彼がそうか、としきりに好奇の目を寄せていた。本人の置かれている状況だけでなく、見た目も少し変わっていた。燃えさかる炎のような、橙色でちぢれた髪の毛は、タルト一族でも珍しい。橙色か縮れ髪、どちらか片方が出ることはよくあるのだが、両方の特徴を持っている者はそういない。
「これからご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いします」
 明朗な声で告げ、ジャグルは頭を下げた。
「それではジャグル。明日からこのレガの助手として、精進するといい。分かったね」
「はい」
「それでは、下がりなさい。詳しい話は後で本人と相談する時間を作るから」
 ジャグルは、ひと足先に外で待った。話し合いは思った以上に長く続き、昼一番に始めたと思ったのにもう太陽が傾きかけていた。流石に待たされるだけの身はつらい、と思い始め、少しだけ散歩をしようと決めた。
 子ども達の暮らす母屋と、大人たちの暮らす母屋は、小さな林で隔てられている。これが、大人たちと子どもたちの生活圏の境目だった。自分は今、林の向こう側に立っている――。数歩歩けば見知った風景が広がるはずなのに、まるで遠い国に来てしまったかのような感覚を覚えた。
 ふと、林で誰かが動く影が見えた。
「おーい、誰だい」
 ジャグルは呼んでみた。子ども達の生活で言えば、夕方から夕食にかけては自由時間だ。物珍しさに、年下の子が覗きに来たのかもしれない。そう思って、手を振ってみた。だが、林の方に動きは無かった。
「気のせい、かな」
 ジャグルは訝しく思いながら、会議をしていた母屋を振り返った。雑然とした声が広がる。どうやら、そろそろ話し合いが終わるようだ。大人たちが集会室から出て行き始める。すれ違いざまに、がんばれよ、とか、期待しているぜ、とか、ジャグルに激励の言葉をかけていく。ほぼ出て行き終わった後、ジャグルは中に招き入れられた。中にいたのはレガと、ルーディという初老の男だった。族長の側近で、初対面ではあったがかなり強い発言力を持っているらしいことは集会の短い時間の間でもすぐに分かった。
「では早速これからの話をしよう。ジャグルよ、お前はレガの仕事の手伝いをするとは言え、まだ正式に大人として認められたわけではない」
「分かっています」
「十六歳になるまで、寝床も食事場所も変えなくていい。仲の良い子もおるだろうからな、こっちに来るときは一緒にくればいい」
 レガはそこまで言うと、また険しい顔をしてジャグルを指差した。
「いいか、まだお前は大人として認められたわけではないんだ。将来、一族を背負っていく者として期待をかけておるんだ」
 くどくど同じ言葉を繰り返すルーディに、ジャグルは内心呆れた。要は、調子に乗るなということか。何度も言わずとも、そんなことは分かっている。咎める言葉ばかり投げられては、これから頑張ろうとしている若者のやる気を削ぐとは思わないのだろうか。そんなジャグルの思いをよそに、ルーディはレガの方を振り返る。
「レガよ、明日は依頼はあったかな」
「明日から七日ほど、近くの村々を回る予定です」
「おお、丁度いいな」
 興奮ぎみに、ルーディは相槌をうつ。
「早速ジャグルも、レガに同行しなさい。レガ、遠征の準備の仕方をこの子に教えてやれ」
「了解しました」
 ジャグルは腹の底から、妙な感情が湧き上がってくるのを感じた。いきなり、七日もの長旅か。不安と期待が入り混じったようなそれは、どちらに転ぶとも分からない未来へ馳せる思いだ。
「後のことは、レガに任せよう。くれぐれも精進するんだぞ、ジャグル」
「はい」
 ルーディがのんびりと歩いていくのを、二人厳かに見送った。
「俺たちも行こう。持って行くものは沢山ある。さあ、ついておいで」

 レガに導かれ、大人たちの暮らす母屋に立ち入った。ジャグルにとって、初めて入る建物だった。
 外から見るだけでは、五、六人程度しか寝泊まり出来そうにないほど小さな母屋。さっきちらと見た限りでは、一族の男全てがあの建物に収まり切っている。一体どれほどむさ苦しい空間なのだろうかと不安を覚えていたジャグルだったが、ひと足踏み入れてみればその考えは間違いだったことに気付かされた。一歩踏み入れた瞬間、領主の城にも引けを取らない豪華でゆとりある空間が広がっていた。天井は見上げなければいけないほど高く、正面に伸びる廊下の終わりが見えない。外から見たより、中の方がよっぽど広いのだ。
「どうだ、びっくりするだろう」
 レガはにっと笑った。ジャグルはただただ言葉を失い、頷くしか出来なかった。
「空間を圧縮させる術がかけられているんだ。二人か三人で一部屋、共同で使う」
 廊下の両側には、木製の扉が並んでいた。ドアには、部屋に住んでいる人間の名前が書かれた真鍮のプレートがかけられている。レガの部屋は左側、入り口から六番目だ。ネームプレートには、レガの名前しか書かれていない。
「だが俺は、一人で使わせて貰ってる」
「何で?」
「期待されてるんだよ」
 レガはジャグルの頭をポンと叩いた。
部屋の第一印象は、「計算されつくしている」と言う感じだった。白い壁、白い棚に、ワインレッドの本が一列に並べられている。その他、衣服も壁にしっかりとかけられ、整理整頓が行き届いていた。部屋に置かれているもの全てが、直線的なフォルムを持っている。後世の学者が見れば、幾何学的、と表現するかもしれない。レガは壁の引き出しを開け、この生活感のない部屋からは想像もつかないような、くたびれた革の鞄を引っ張り出した。
「まずは、着替え。今の季節は汗もそんなにかかないだろうから、二組あれば十分だ。紙とペンとインク。そうそう使うことはないが……。それから、これとこれと……」
 普段の生活に使うもの、仕事で使うものを分け、鞄の中に詰めて行く。ジャグルの分も、レガは一緒に用意した。
「よし、ここで揃えられるものは全て揃えた。灰は……まだあるな。これはいいだろう」
 小瓶に詰められた灰は、人間の女性の髪の毛と爪を燃やして作ったものである。女性は一般的に男性よりも強い術力を体内に秘めていると言われ、髪や爪を灰にすることで万能の術具となる。聞いてはいたが、実際に見るのは初めてだ。初めて聞いたときは、思わずうえと苦い顔をしたが、いざ目の当たりにしてみるとただの灰にしか見えない。ジャグルにとっては少し意外なことだった。具体的な使い方は、これから知ることになるだろう。
 必要な道具や、移動時の馬の乗り方など、暫く詳しい話を詰めていき、全てが終わる頃には日が暮れそうになっていた。
「今日はお疲れ様。少し早いけど、もう帰って寝るといい。明日から、長い旅になるから」
「ありがとう」
 ジャグルは手を振り、レガもそれに応じた。

 持っていくものを選別しなければと、子ども達の寝床に戻ったとき、ジャグルは異変に気付いた。所狭しと並べられたベッド。その一番奥の布団が、ズタズタに引き裂かれている。自分のベッドだ。手に取ってみると、刃物で乱暴に刺したり、引き回したりしたような跡が残っていた。目の前の無残な現実を、にわかには信じられない。
 自失茫然となっていたジャグルを現実に引き戻したのは、後ろから聞こえた声だった。
「お前、一人前って認められたくせに、まだ寝床はこっちなんだって?」
「だから何だよ、タム」
 タム・タルト。腕っぷしも強く、矢を難なく放てるくらいには術の扱いも上手いが、その性質は蛇のように陰険だった。子どもたちの間では、彼に逆らえる者は誰もいない。指導役の大人にはいい顔をして、喜ばせるコツも心得ているので、彼の悪行を報告したところで信じてもらえない可能性が高い。今だって、どうやってタイミングを計ったのか、寝床に自分と、タムの二人だけしかいない状況を作り上げた。普段なら、こんな風にあからさまに証拠を残すような真似はしない。何かあるな、とジャグルは思った。彼の脅しを受けて屈するつもりはないが、人をすくみ上がらせることに特化したような目つきとは、どうしても視線を合わせたくない。
「俺の前で勝手なことをしてると、どうなるか分からねぇぞ」
 ジャグルにしか聞こえないぼそぼそとした声。なるほど。ジャグルは理解した。こいつは、火矢の一件で自分が称賛を浴び一目置かれる存在になったことを、腹に据えかねているのだ。昼間に林に紛れてこっちを見ていた子どもも、恐らく彼だろう。
 一つ、ため息をついて、反論する。
「悔しいのか。悔しかったら、レガの前で俺より先にお前が手を挙げればよかったんだ。それだけだろう」
 その態度がすかしているように見えたのか、タムは今にも掴みかかりそうなほどジャグルに近づいた。
「おーい、メシだぞー」
 その時、誰かが二人を呼びに来たようだ。ほっとした。そういえばそういう時間だったのか。タムは舌打ちをして、入口の方へと向かっていく。全員で同じ行動を取っている間は、全員が同じ行動を取っている間は、あいつも手を出すことはない。

 夜、引き裂かれた布団に入って考える。今日は、色々なことが大きく動いた。喜びだけかと言えば、嘘になる。むしろ、戸惑いの方が大きかった気がする。明日は、長旅になると言うこともそうだが、生まれて初めて、この森から出ることになる。外の世界は、どんなところなのだろう。外の世界には、どんな人たちがいるのだろう。彼らは、まじない師のことをどんな目で見るのだろう。色々なことが頭の中を駆け巡り、ついには止まらなくなってしまった。
タムのことは腹が立つが、そのうち布団は縫い合わせればいい。今は明日に最大限備えることが何より大切だ。ジャグルは大きく息を吸い込み、思考を吹き飛ばした。これから、長旅になる。


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