マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1139] #2 火矢を放つ 3-2 投稿者:乃響じゅん。   投稿日:2013/08/31(Sat) 07:44:48   33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 非常に気分が悪かった。一人でいると、どうしてもロコ嬢の視線の意味を考えてしまう。あれはきっと、自分を非難していたのだと思う。彼女が自分を責める声が、はっきりと聞こえてくる。「あなたは未熟だ。タルト一族のなんの役にも立っていない。いてもいなくても同じだ」と。ジャグルの身支度は、誰よりも手早かった。まるで、声から逃げるかのように。
 次の日、今回の遠征最後の村を訪れる。悩みを持つ住人の話を、ラッシュ、ローク、レガの三人で分担しながら聞いていく。ジャグルはレガのサポートに回る。このスタイルを、お決まりのパターンだと思えるようになったのは、少しはこの仕事に慣れてきた証拠だろうか。
 レガは三人目にして、異様な真剣さを伴ってすがる女性に当たった。
「助けて下さい、タルト様」
 女はかすれた声で言った。
「ご婦人、今まで辛かったのですね。まずは詳しい話をお聞かせいただいても、構いませんか」
 話を聞く前に、まず相手の気持ちを救っておくこと。たとえハッタリでも、嫌な気持ちをする人間はまずいない。それが彼の編み出したテクニックなのだと、ジャグルは知っていた。
「はい」
 そして、ゆっくりと彼女は話し始めた。レガは彼女の言葉を引き出せるよう、時々頷いたり、相槌を打ったりした。さっき聞いた概要に加え、何かに見られているような感覚がある、と彼女は新たに語った。
 どうやら、彼女は不眠症を患っているらしかった。夜中、目を閉じていてもどうしても眠れない。おかげで、日中も何となく気だるい気分が続いている。それだけではない。夜中じゅう、誰かに見られているような気がするのだ。試しに起きて探しても、誰もいない。夫と一緒にベッドを共にしているが、彼はぐっすりと眠っている。何故自分だけなのか、納得出来ずに時折夫にも当たってしまうのだった。
「なるほど。分かりました。それでは早速あなたのご自宅へ行きましょうか」
 レガは促し、彼女は快く応じた。

 彼女の家に着く。レガは自分の小さな鞄を持ち出していた。レガ愛用の道具箱だ。ジャグルはこれまでに何度か見たことがある。中に入ると、男が立ち上がり、彼女とまじない師たちを代わる代わる見た。どうやら彼女の夫らしい。彼も事情は知っていたようで、どうか妻を助けて下さい、と告げた。任せて下さい、とレガ。そして、部屋全体を見回す。夕方、暗い室内はよく眠れそうにも思える。奥の扉をちらと見やり、レガは彼女に尋ねる。
「普段寝るとき、どこでどちらを向いていますか」
「え? ええと、こちらの寝室です」
「失礼ですが、見せて頂いても?」
「はい。どうぞ」
 二つのベッドを繋げて、一つにしている。愛する夫と、夜を共にしているのだろう。
「こっちを頭にして」
 窓のある方に頭を向けているようだ。朝に太陽の光を浴び、自然に目が覚めるようにしているのだろう。レガは鞄の中から小さな金属の板を取り出す。井戸水を拝借し、桶に張る。その上に金属板を浮かべた。それを見て、レガはうーんと唸った。
「南向き、ですか……」
 レガの表情に、女性はひどく不安げな顔をする。
「おそらく、夢を食らう化物に、夢を食われているのでしょう。それらは南からやってくることが多いのです」
「そうなんですか」
「一般的には、北だと思われがちなんですがね。本当は、体に良い力は、北から南に向かって流れているのですよ。枕を逆にしてみてください。よく眠れると思いますよ」
「へぇ! ありがとうございました」
 どういたしまして、とレガは落ち着き払った声で返す。知らなかった、とジャグルは少々の冷や汗をかいた。
 家を出る。ひと段落したかと思ってレガの顔を見ると、予想に反して神妙な表情を浮かべていた。訳を尋ねようとするより先に、レガはジャグルに耳打ちした。
「いいかい。この件はこれで終わりじゃない。今後の予防にはなるが、根本的な解決はまだしていないんだ」
「そうなの?」
「あぁ。人食いの仕業だ」
 人食い。その言葉が、胸に重くのしかかる。
「夢を食らう人食いが、近くにいるはずなんだ。矢、持ってるか」
 ジャグルは鞄から取り出す。よし、とレガは頷く。
「そう言えば、人食いを見たことはないよな」
「うん」
 ジャグルは頷いた。
「よし。今日で最後だし、ジャグルも一つ大仕事をしてみないか」
「大仕事?」
 聞き返すジャグルに、レガは頷く。
「ああ。お前が、人食いを退治するんだ」
 へ、と間抜けな声で返してしまった。どうやら自分は、ずっと見てばっかりで、自分でやることをすっかり忘れそうになっていたらしい。
「人食いを見つけるところまでは、俺がやろう。タイミングも、ちゃんと指示する。最後に、矢を放つのはお前だ。いけるか、ジャグル」
「……分かった」
 手が震えているのが分かる。自分に出来るだろうか。またとない機会だ。自分に出来るだろうか、と不安な気持ちを押しのけて、とりあえずやってみよう。ジャグルは気を引き締めた。

 その夜、ジャグルとレガは女性の家の南側にある広場の芝生に腰を下していた。人食いに感づかれない為に、灯りは点けない。今日は満月に近いため、月の光でよく見える。レガは女性の髪と爪を燃やして作った灰を中指から手首にかけて塗りつけた。今から使う道具の精度を高めるためだ。
「来るかな」
 ジャグルは小さく呟いた。
「きっと来るよ。あの奥さんのことを、きっといい餌場だとか何とか思ってるはずだからな。きっと油断してる。こっちから罠を張ってやらなくても、来るだろう」
 レガは手に紐を巻きつけている。その手の中で複雑に絡み合った糸は、まるで何かの模様のようだった。
「すごいな」
「この結びか? 紐に術力を与えて操作する、汎用性の高い結び方だ。今度教えてやるよ」
「本当?」
 やった、と心の中で呟く。ああ、とレガは笑った。
「レガって、本当に何でも知ってるんだな」
「そう見えるかい」
「うん」
 レガはジャグルの頭に手を置き、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。
「じゃあ、お前にずっとそう思ってもらえるよう、頑張んないとな」
「やめろよー」
 そう言って、いたずらっぽく笑う。
 レガはジャグルの指導係でありながらも、時には友達のように気さくに接してくれた。レガは今までの経験を話し、ジャグルは自分の考えや夢を話す。レガは決して、ジャグルの考えを否定しなかった。どんなに幼い考えでも、レガは大まじめに聞いてくれた。長かった七日間も、レガがこうして仲良くしてくれるから、乗り越えられたのだとジャグルは思う。きっと彼がいなければ、心細さに潰されてしまったに違いない。彼の笑顔を見るたびに、勇気づけられる自分がいる。いつか彼のようになりたい。彼のように、人に勇気を与えるまじない師になりたい。心の底から、そう思う。

「さて、来たぞ」
 ふわふわと浮かぶ、自分の体よりも大きなピンク色しただ円形の物体。これを生き物と呼ぶには、あまりにも不気味すぎる。鳥のように羽ばたくこともなく、ゆっくりと空から降りてくる。背中を丸めて眠っているのだろうが、一切体を動かす様子もなく移動する様は異様だった。ピンク色のそいつは、おでこの辺りから煙を出し始めた。煙は風もないのに一定の方向に引き寄せられていた。その先にあるのは、彼女の眠る家の窓。どうやら、あの煙を通じて夢を食べるらしい。誰が言った訳でもないが、ジャグルにも想像がついた。
「動きを止める。矢を番え。まだ撃つな」
 小さくレガが呟いたのが聞こえた。その瞬間、レガの手首から紐が伸び、ピンク色の巨体を縛り上げた。奇襲を受けたそいつは想像より大きな目を見開いた。頭から伸びる煙が方向を失ったことから、ひどく慌てているのだろう。
「お前たちに安全な餌場ってのはないんだぜ、ムシャーナ」
「どうして私の名前を」
ーー喋った、だと。
 ジャグルにはそれが意外で、思わず矢を構える意識が途切れそうになった。こいつらは、ただ強い力を持って、人間を食らうだけの獣ではないのか。
「さぁ、どうしてだろうな。ジャグル、打て」
 人間と同じように、言葉を持っている。とどのつまり、心も持っているということなのだろうか。人食いと言うのはもしや、ただ食らう対象がたまたま人間であるだけで、感情もちゃんと持っている。その辺を飛び回る虫や、歩き回る犬とは一線を画す生物なのではないか。
 それに、だとしたら、我々は、このタルト一族はーー。
「ジャグル! 今は考えるな! 火矢を放て!」
 レガの言葉にはっとして、ジャグルは矢じりに火を灯した。こいつらは人間より遥かに強大な力を持つ。いくらレガでも、動きを封じていられるのも僅かな間でしかない。生き物に向けて撃つのは初めてだということも忘れ、ただ的を狙うつもりでムシャーナに向かって火矢を放った。
 火矢はムシャーナの体に突き刺さり、小さく爆ぜた。さっきとは違い、獣の叫び声が辺りに響いた。刺さった部分が黒く焼け焦げ、肉が抉れていたが、まだ致命傷とは言い難い。今の一発でレガの紐も千切れかかっていた。ムシャーナは暴れて、必死に逃げだそうとしている。
「ジャグル、もう一発だ」
「でも、もう懲りたんじゃ」
「やらなきゃ、こっちがやられるんだ。彼女がじゃない。人間が、だ」
 レガの叱咤に目をぎゅっと閉じた。不意に、ロコの冷たい視線が浮かんだ。そして、彼女はジャグルに言い放った。「あなたは、役立たずなのね」。いや、違う。ジャグルは首を振った。目を開き、もう一度矢を構えた。おれは役立たずなんかじゃない。
「……やってやる」
 半ばやけっぱちで、ジャグルはありったけの術力を矢に込める。術力が火力に変換されたとき、既に矢は燃えるような赤い光を放っていた。もしこれが術を用いた矢でなかったならば、高熱のあまり持つことさえできないだろう。
 ジャグルは高熱の矢をムシャーナに放った。何の偶然か、矢はムシャーナの急所――おでこの煙を出す器官を貫いた。矢は大きく爆ぜた。人食いは叫び、ごろごろと地上と空中を彷徨いもがいた。だが炎は、人食いが身体を動かす度に執拗に追いかけ、焼き続けた。やがて表面は炭と化し、身体を中まで燃やし続ける。やがて声が消え、そのうち動きも止まった。今度こそ、ムシャーナの息の根を止めることに成功したのだ。
 ジャグルは手に嫌な汗をかいていることに気付いた。明らかに、火矢の熱に当てられただけのものではない。ジャグルはもがく姿の中に、自身の心を揺さぶるものを見てしまった。涙だった。炎の中で人食いの目から雫が溢れるのを、確かに見たのだ。感情を持つ生き物が自分の死に直面したときに発露する、悲しみと、憎悪と、虚無。なぜ? という、自分に降りかかった理不尽へのやるせなさ。もしかすると、人間だって同じ表情をするのかもしれない。殺される寸前の人間を見たことはなかったが、きっと同じ思いが、その瞳から伝わってくるに違いない。
 不意に、頭に何かが触れた。レガの手だった。暖かいその手が、くしゃくしゃの髪を優しく撫でた。
「よくやった、ジャグル。お前は、よくやったよ」
 レガは、自分の上着をジャグルの頭に被せた。ムシャーナの亡骸を私に見せないように隠したのだ。ジャグルも見たいとは思わなかった。頭の中に浮かぶのは、あの大きく見開かれた目。最期の最期、自分を見つめるその視線を、ジャグルはいつまでも忘れることが出来なかった。


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