マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.1256] きみを巣食うもの(三) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:42:52   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 少年の住居は町の南にあった。陽の射す時間帯であれば、谷間の駅や果てしない線路を一望出来る小高い丘の上の、二階建ての家屋である。
 ドアに鍵は掛かっていなかった。両親の死を嘆くあまり頭が回らず、掛け忘れて行ったのだとしても不思議は無い。

 玄関ドアをくぐり、アデクはシュヒのそれを脱がしてから自分も靴を脱ぎ、段差を越えた。居間や台所を一通り確認したのち、二階へと進む。その後ろを、自主的にボールから出たカブルモがついて行った。
 たちまち二階に到着し、階段から見て一番手前のドアを開けた。薄暗い中、手探りでボタンを押して照明を点すと、青と緑、茶色といったナチュラルカラーを基調にした絨毯や壁紙、クローゼット、学習テーブル等が置かれた子供部屋が照らし出された。
 その窓際のベッドにシュヒを横たわらせて、水色のシーツを胸元まで掛けてやり、すぐに明かりを落とす。カーテンの隙間から射し込むわずかな月光を頼りに、アデクは学習テーブルの頼りなげな椅子に腰掛けて、物思いに耽った。

(イッシュの人々に伝えたい想い。彼には届くのだろうか……?)

 自分の力は不要だと思った矢先の出会い。少年が『嫌いだ』と拒む存在を好きになってもらいたいと願うのは、あまりに身勝手で愚かな考えだろうか。
 使命を胸に旅を始めてから、およそ一年。彼との出会いは、旅立つ切っ掛けをくれた彼女から与えられた、試練なのかも知れない。けれど使命だとか試練だとかそういうものとは一切関係無く、それ以上に素直に、この孤独な子供を救いたいと、そのために自分に出来ることがあるならなんでもしたいと、アデクは思う。

「カル?」

 アデクの膝の上できょろきょろと部屋を見回していたカブルモが、絨毯の上に、月明かりを反射する何かを見つけた。

「どうした?」

 床に降り、一点に駆け寄ったカブルモの上からアデクが覗き込む。赤い額縁の写真立てが落ちていた。

「カブカブ……カルルカブッ!!」

 拾おうとしたカブルモがバランスを崩し、ずるべちゃっという間の抜けた音とともに前のめり、倒れる。

「あー、こらこらこらこら……」

 アデクは呆れながら写真立てをカブルモごと持ち上げ、中の写真を見た。生後間もない赤子が眠る傍で、二匹のポケモンが添い寝をしている様が映っている。

「この赤ん坊はシュヒくんだな」

 トレーナーが傍らの箪笥の上に置いた写真立てを、カブルモは涙を溜めた目で恨めしげに見る。倒れた拍子にぶつけた所を擦りたいのだが手が届かず、見当違いの箇所を触っていた。

「お……?」

 箪笥の背と接する壁にはコルクボードが掛かっており、そこにも数枚の写真が画鋲で貼り付けられていた。それらはどれも今より幼く、涙ぐんでいるシュヒと、彼を囲み満悦の表情をした二匹のポケモンが映っていることで、共通している。

「モンメンとズルッグ……」
「……ぅ、うぅ……」

 写真のポケモンの名を確認するように口にした途端、小さな唸り声が聞こえて、アデクとカブルモはそちらを向いた。

「……父さんっ……母さ、ん……」

 窓側へ寝返りを打ち、苦しげに呟くと、少年は再び寝息を立て始める。

「……シュヒくん」

 両親を失った悲痛。湧き上がるポケモンへの嫌悪。きっと頭の隅では、ポケモンに当たったところで悲しみが癒えることは無いと、解っているのだろうに。

(この子のために、わしに何が出来る?)

 上弦の月はただただ、たおやかな光を大地に注いでいた。








 明くる日。そろそろ八時になろうかという時刻に、シュヒは鼻を抜けた芳ばしい香りで目を覚ました。

「ん、…………?」

 食欲をそそる朝食の香り。これはウインナーの焼ける香りだろうか。

「母さん……?!」

 戻って来た。帰って来てくれた! もしかしたら自分はこれまでずっと長い悪夢を見ていて、今やっと目が覚めたのか。いや、どちらでも構いやしない。自分はもう独りではないのだ!
 次から次へと溢れ来る歓喜を胸一杯に満たして、シュヒは階段を駆け降りる。

「母さんっ!!」

 廊下と居間を仕切るドアを押し開ける。その向こうに待つのは出来たての温かな食事と、笑顔で出迎えてくれる、愛する両親――

「カブ?」

 ではなく、青い甲虫。

「わ……うわあああああ!!」
「!!」
「なんでポケモンがいるんだよーーーっ!!」

 食卓のカブルモを眼界に収めたシュヒは瞬間的に、飛びのくように後ずさった。対する甲虫も少年と同等に驚いて、盗み飲んでいたモーモーミルクのコップを危うく倒しそうになる。

「カブルモ?! いつの間にボールから出たんだ? 驚かれるから入っておれと言ったのに」

 コンロに向かっていたトレーナーが調理の手を止めて詰め寄ると、カブルモは申し訳無さげに頭を垂れた。

「昨日の……なんで、おれん家に」
「あ、ああ、すまんな! 朝っぱらから驚かせて。いやあ、宿が見つからんくてな、昨晩はこちらに泊めさせてもらったのだ」

 甲虫をボールに戻しながらアデクはそう返した。
 口から出たのは咄嗟の嘘だったが、事実カナワには、トレーナー用達の宿泊施設であるポケモンセンターは存在しない。町に一軒だけある宿屋は個人経営で部屋数はほんのわずか。運が悪ければ相部屋にすらならないので、宿所が見つからないと言うのも強ち間違いではなかった。
 そんな老翁の法螺は気にも留めず、シュヒはその台詞の後半部分に顔を蒼褪めさせた。

「か、勝手に……?」
「いや! 巡査と町長の許可を取ったぞ?!」

 実際の所、町長の方からは返答を貰っていないが、その後キミズから何も連絡が無いことが、つまりは問題無しという証拠だろう。
 カブルモの飲み止しのモーモーミルクを片付けて、アデクはコンロに向き直る。

「礼と言ってはなんだが、朝食を作っておるから。きみの母さんの味には到底及ばんと思うが……良ければ出来るまで待っておってくれ」

 セラミック鍋から薄く立ち上る、コンソメの香りを含んだ湯気。木杓子でその中身を掻き混ぜている男の背中に、少年は尖った声を投げつける。

「聞いたんでしょ。おれの父さんと母さんのこと。あれは全部ポケモンのせいだよ。ポケモンなんて……乱ぼうだし、何考えてるのか分かんないし……大きらいだ。父さんも母さんも、どうしてポケモンを好きだったんだろう。好きじゃなかったら……ポケモンを助けないで、死なないで、すんだのに。」

 両親がいなくなってから。同じ町に住む人々の、誰にも言わなかった――言えなかった想いが、少年の口を滑り落ちて行った。アデクは彼の言い分を黙って聞き、しばらく調理を続けたのちに開口する。

「一トレーナーとしても、なかなか耳の痛い意見だな」
「あっ」

 しまった、という声音になった。

「いやなに。気にせんでよいよ」

 煮込み終えたスープに塩と胡椒を少々加え、味見する。なんとかそれらしく出来たみたいだ。火を消し元栓を締めて、老翁は少年に振り向く。

「実はなシュヒくん。わしもつい最近、とても大切な奴を、病で亡くしたのだ」
「……!」

 驚愕と戸惑いが入り混じった複雑な相貌。随分と大人びた面持ちをするものだ、とアデクは思う。

「だからと言って、きみの気持ちが解る、などと言うつもりは無い。ただ、わしはそやつを失って初めて気づいたことがあってね。きみももしかすると、そのうち何かに気づくことが出来るかもしれんな」

 居間の入口に立ち尽くしていたシュヒを着席させて、アデクは作り立ての食事を二人分、テーブルに並べていく。トーストに野菜のスープ、ウインナーと目玉焼きに、注ぎ直したモーモーミルク。
 現在は幼子一人の家庭だ。目ぼしい食材は無いかと思いきや、冷蔵庫には惣菜の入った小鉢、新鮮な野菜や果物があった。他にも消費期限が長く設定されたパンなど一通りが揃っており、悩まずに調理が出来た。恐らくはそのどれもが、近隣の住民からの差し入れなのだろう。
 ただ、料理は久方ぶりだし得意な訳でもない。少年の口に合うかどうかだけが問題だった。
 改めて出来上がった朝食を眺め渡したアデクは、ミルクを目に留め、カブルモのことを思い出す。

「おっと、いかん。ポケモンたちにも食事をやらなければ。すまんが、先に食べとってくれるかね」
「……うん」

 シュヒが頷くのを見届けてから、アデクは洒落っ気の無い麻製の袋を担いで、そそくさと部屋を出る。ガチャ、ガチャリと、玄関ドアの開閉音が響いた。

(自分も先に食べればいいのに。変なおじいさん……)

 老翁が姿を消した場所から、ほかほかと湯気を立てる食事へ向きを戻し、シュヒは両手を合わせた。

「……いただきます」

 銀の匙でスープを掬い、一口含む。具は野菜だけ、しかも無駄にごろりと切り口が大きい。母の手料理とは全く異なるが、素直に美味しいと感じた。なにせ出来立ての食事を食べるのは久しぶりだ。
 母の手伝いをしていたとはいえ、子供がたった一人で、毎日三食を用意するのは困難である。そのためシュヒは、近所からの差し入れだけで足りない時はパンや果物など、調理する必要の無いもので凌いでいたのだった。
 匙を置き、こんがりと焼き目のついたトーストにバターを塗りながら考える。翁の言った“大切な奴”が、気になっていた。

(奥さん……、子供? 友達……かな。その人が死んで初めて気がついたことって、なんだろう)

 トーストを半分ほど齧り、目玉焼きとウインナーを二口、三口。よく咀嚼してモーモーミルクで飲み下したところで、外から聞こえてくる声に気がついた。
 窓際へ寄って硝子越しに庭を眺める。門の傍に、しゃがんだ赤髪の男の後ろ姿があった。

「こらこら、ちゃんと全員分ある。そう慌てるな!」

 老翁は袋から取り出したポケモンフーズを、三枚のプラスチック皿に盛り、自分の周りに集まったポケモンたちの前にそれぞれ置いた。
 少年の目の前に忽然と出没し驚かせてきた、青い体の甲虫。
 頭部がもこもことした体毛で覆われた、大きな角を持つ牛。
 ギザギザと角張った赤と青の肌に、翼を付けた二本足の竜。

 ぞくり。シュヒの背筋に悪寒が走る。

「よしよし。さあ食べなさい」

 自身の合図で一斉に食事にありついた三匹を、アデクは微笑ましげに見つめた。


(変だよ。ポケモンが好きなんて、ぜったい。)

 少年は目の前の光景から視線を逸らす。脚が、震えていた。
 当然だ。ポケモンを、ポケモンを愛しげに見る人間を、こんなにも近くに感じ、近くに見てしまったのだから。




 シュヒが今よりも幼い頃。駅舎の傍を散歩していた彼の頭上に、どこから現われたものなのか、小さな虫型ポケモンが乗っかったことがあった。いくら騒いでもちっとも離れようとしないそれに弱り果て、シュヒは泣き喚きながら両親の元にひた走った。

「お、シュヒはポケモンに好かれる天才か?! そのバチュル、タチバナさんでも手こずってるって聞いたぞ!」

 プラットホームで線路内の点検をしていた父親は、息子と、彼の頭に乗っているポケモンを見ても、にこやかに笑ってそう言うのみで、泣き叫ぶ息子からポケモンを引き離そうとはしなかった。

「あらあらシュヒってば、頭にバチュル乗せちゃって! あなたはポケモンに懐かれる子ね。お母さん羨ましいわ!」

 キオスクでせっせと商品を整理していた母親もまた、息子とポケモンを見るとにこにこと頬笑んで、そう言うだけ。やはり夫と同様に、息子とポケモンを引き離しはしなかった。




(父さんも母さんもポケモンが大好きだったから、おれがポケモンがいやだって言っても、助けてくれなかった。本当は……本当はおれよりも、ポケモンの方が好きだったのかもしれない)

 今まで幾度と無く推し量り、その都度そんなはずは無いと脳裏から振り払い、深くまで考えずにいたこと。

(だから……おれをおいて、死んじゃったのかもしれない)

 脚の震えは全身に広がっていた。








 シュヒは朝食を食べ終えると着のみ着のままで家を出た。
 行く当ては無い。とにかく誰にも会わずに、どこか、誰もいない所へ行きたかった。
 けれど家を出た時からずっと、シュヒの後ろをつけて来る者がいる。

「……おじいさん。なんでついて来るの」

 シュヒはぴたりと歩を止め、振り返らずに背後の人物に訊ねた。

「散歩がてら歩こうと思ったんだが、きみについて行けば、どこか絶景に出会えるかもしれんからな」

 問われた男も、その場に立ち止まる。
 キミズに懇請し宣言した以上、アデクはたとえ煩わしいと咎められても、出来る限り少年の傍にいようと、独りにさせないようにと、こうして彼について来たのである。

「そうか。まだ名乗っていなかったね、シュヒくん。わしの名前はアデクだよ」

 少年のつんけんとした態度を憂える風も無く、老翁は穏やかに笑いかける。

「……アデクさん。おれについて来たって何もないよ。どこに行ってもポケモンがいるんだもん……おれは行きたい所にも行けないんだ」
「ああ、それでこんな裏手を」

 二人が歩いて来たのは、住宅街から外れた段々畑の中の畦道だ。最も手前にある民家よりも森林の方により近く、辺り一面には収穫の時を待つ黄金の稲穂が揺れ、足下には雑草が生い茂っていた。
 町には住民と共に暮らすポケモンたちがいる。現代の人間の生活からポケモンの存在が無くなることはまず、有り得ない。少年のような、ポケモンを嫌悪する“少数派の人間”は自分たちの方から、苦痛や憤慨を要する景観から立ちのくしかないのだ。
 しかし、とアデクは周囲を見渡す。

「こういう場所はかえって危ないんじゃないかね? ほら、今にもそこの木陰から野生のポケモンが……」
「やめてよ!!」

 右手に繁茂した林を指差す老翁の、冗談混じりの発言を叫喚が掻き消した。
 少年が振り向く。眉を吊り上げてアデクを睨みつけ、己の胸中を巣食うものを、言葉に代えて曝け出す。

「それじゃあおれは、本当にどこにも行けないじゃないか! おれはずっとこの町から、家から、出られないじゃないか!! みんなみんな、ポケモンの味方で! 誰もおれのこと、守ってくれないんだっ!!」
「シュヒくん……」

 箍(たが)が外れて奔流となった激情は、尽き果てるまで枯れ果てるまで、留まりはしない。刺すような目つきを子供に突きつけられ、アデクはかける言葉を誤った、と悔いた。けれど。

「父さんも母さんもそうだよ! 本当はおれなんかより、ポケモンの方が大事だったんだ!! おれなんか、いなきゃ良かったんだ!!!」

 一度(ひとたび)そんな台詞を耳にしてしまったら。
 アデクの理性は、そう上手くは働いてくれなかった。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー