マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1257] きみを巣食うもの(四) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:46:09   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 パシィン――。
 肌と肌とがぶつかる、乾いた音。左の頬への強い痛み。何が起きたのか理解出来ないまま、少年は畦道に倒れた。

「そんなこと、誰が言ったのかね?」
「ッ……!」

 ひりひりと痛む頬を左手で押さえる。もう一方の腕で上体を支え、シュヒは自分を叩いた人物を仰いだ。

「いつ、誰が、きみのことを要らないと言ったんだ?」

 震える少年の前。片膝をついて彼を見据える好々爺はもう、それまでの穏やかな笑みは、携えてはいない。

「言われてもいないことを捏ち上げてまで……きみはポケモンを悪者にしたいのか? 自分を蔑みたいのか?!」

 眉間に眦に、幾つもの皺を刻んで、深く厳しい声でアデクは問う。

「大事なのは、きみのご両親がきみよりもポケモンを好きだったかも知れないと仮想し嘆くことではなく、二人が自分たちの命に代えてでもポケモンを助け生かした理由、その真意を探ることではないのか?」

 怯えた顔をしている少年の戦慄きを制するように、両の肩を掴み、アデクは続ける。二つの青藍はその彩の通りに冷ややかに、シュヒの目には映っていた。

「そうしたことで、きみに何かを伝えようとしたのかも知れないと……感じ取ることが、きみのすべきことではないのか?」

 そこでようやく言葉を切って、少年のセピアを見つめた。
 潤んでいる。しかしどれだけ待とうと涙は一滴も零れることは無いような、堅く張り詰めた瞳。

「……っ、」

 意識を取り戻したかのようにシュヒはさっと起き上がると、老翁の左肩を掠めて来た道を駆け出した。柔らかな草や土を踏みつける音が砂利を踏む音に変わり、数を重ねるにつれ遠退いていく。アデクはそれをすっかり無くなるまで、背中越しに聞いていた。


「……きつく言い過ぎたか?」

 赤い髪を掻きながら立ち上がって、誰に言うでもなく呟く。周りには稲穂が風にさらさらとなびく音だけが残っていた。
 頭に上っていた血が一気に冷めていく。同時に生ずる、脱力感。既にこの口が吐いた台詞を後悔していた。

(出会ったばかりの人間が言ってよいことではなかったかも知れない)

 いや、確実に言ってはならなかった。だが言ってしまったものは今更どうしようも無い。

(しかし口から出任せと言えど、あのようなことを言ってしまうほどに、ポケモンを嫌っているとはな……)






 チリン、チリン。つくねんとしていたアデクの耳に、文字に表すとそんな形の音が届いた。

「おおいアデクさん! 何しとるんだね、こんな所で」
「おお、巡査殿」

 声のした方へ目をやると、町並みから段々畑に下る緩い砂利の坂道を、キミズが黒い自転車を押して歩いて来ているのが見えた。先刻の音は彼の自転車の警鐘だったようだ。

「いやあ……わしはシュヒくんに嫌われてしまったかもしれん。トレーナーをしている時点で好意を持ってもらえるとは、端から思わんかったけどもな……」

 かも知れない、ではなく確実に嫌われたと思うのだが、事の詳細を知らないキミズにそこまで打ち明けることも無いかと、少し強がってみた。

「そうかい。やっぱりチャンピオンでも難航するか」
「だからこそ、とも言えるがなあ」

 こちらへと進む困り顔のアデクの述懐に、巡査も眉を寄せた。



「……あぁ、そうだ」

 暗くなってしまった調子を変え、巡査が切り出す。

「町長があんたさんを見たい、と言っておったけどね、私から断っておいた。事後報告で申し訳無いんだが」

 振られた話が見えず、アデクは瞬きした。町長と言えば、シュヒの面倒を見たいと申し出たことに対する返事を聞いていない。もし町長の意見が巡査と異なるなら、直談判に出向く覚悟もあった。が。

「あん人は悪い人じゃあないけど……むしろ、町の皆のことをよぉく考えてくれている、とても好い人なんだけど……町長と言っても私より若いものだからね。ミーハー……と言うのかな」
「? うむ」

 続くキミズの台詞を聞くと、これはそういう話ではないと解った。しかし相変わらず話は見えず、アデクは小首を傾げる。

「チャンピオンがカナワに来ているだなんて皆が知ってしまったら、あんたさんもシュヒくんも困るだろ? このことは口外しないようにと釘を打っておいたんだ。なんで、恐らくは……うん、たぶん……大丈夫だと思うよ」

 そこまで聞いてやっと話の筋が見えた。納得したアデクは面に笑みを刻む。

「それはありがたい。助かったよ」

 今の少年にとって良いこととは、激情を燻ぶらせることではなく、枯渇するまで吐き出させることだ。仮に自分の素性を知られたとしたら、彼はきっと遠慮をして、自分に何も話してくれなくなってしまうはず。ならば自分は、何の変哲も無い一トレーナー、通りすがりの一人の旅人と認識してもらっていた方が都合がいい。
 キミズの洞察力と機転に感謝と感心を抱く。若い頃の彼は優秀な警察官だったに違いない。

「私がこんな風に言っていたことは、町長にはどうか内密に頼むね」

 こっそりと発された言葉にアデクは、快諾の相槌と微苦笑を返した。



「みっぐぅー!」

 そこへ町の方からポケモンが一匹、畦道に佇む二人の男を目掛けて駆けて来る。茶色の体に黄色の横縞。先端の白い、長い尾を持った鼠だ。

「ご苦労さん。ミルホッグ」

 声をかけるキミズと同じ黒の警官帽を被った警戒ポケモン・ミルホッグは、巡査の業務の供であり、手分けして町中をパトロールしていると言う。主人兼、上司兼、相棒のキミズの元に辿り着いたミルホッグは、後ろ足で立って異常無しの意を込めた敬礼のポーズを取る。巡査もピシッと指を揃えた右手を額の横に添え、大鼠に応答した。

「そうそうそれと。ちょいと疑問に思ったことがあるんだけどね」

 思い出したようにそう前置きするキミズに、アデクはうん? と顔を向ける。

「あんたさん、チャンピオンなのにリーグにおらんくていいのかい」
「ああ……うむ。本来ならば一ヶ月以上の連休は、我々には認可されておらんのだが。規律を破ってでも、傍若無人に徹してでも、旅をしたいと思う理由が出来てしまって、居ても立ってもいられなくなった次第でな」

 答えたアデクは深く頷くと、真っ直ぐに空を見上げる。二人と一匹の頭上に広がる青は、夏の燦然さを儚く残す秋の空。

「旅をしたい理由?」

 巡査は不思議そうに首を傾げ、更に訊ねた。

「イッシュの人々に、今よりももっとポケモンを好きになってほしい。ポケモンと共に過ごせる喜びをもっと多く知ってほしい。それを皆に伝えるべく旅に出ようと、決意させてくれた出来事があったのだ……!」

 いずれ色づく樹木の葉の燃えるような紅を想起した時、その中心に彼女の姿を見つけた気がして、アデクは青藍を震わせた。








 抜けるような青さの秋空の下(もと)、シュヒはカナワの町中を走っていた。痛む頬に構うこと無く、擦れ違う人やポケモンに目もくれず、一目散にがむしゃらに脚を動かし、平凡な家並みを駆け抜けて行く。

 ――いつ、誰が、きみのことを要らないと言ったんだ?

 老翁の言葉が胸にこだまする。

 ――大事なのは、二人が自分たちの命に代えてでもポケモンを助け生かした理由、その真意を探ることではないのか?

 難しいことは解らない。けれど。

『シュヒくん、これ美味しく出来たから、良かったら食べてね』
『やあシュヒくん。時間がある時にでも、うちの子と遊んでやってくれよ』

 町の人は優しい。町の人は温かい。優しさや温もりは心を慰めてくれる。それがあるのは、とても嬉しくて幸せなことだと思う。

(でも、おれがほしいのは、そうじゃなくって)

 賑わう住宅街を抜けて、だんだんと人家が減っていく、丘の始まりに差し掛かる。少年は走るのをやめて、すっかりくたびれた脚を引き摺るようにして進んで行った。

 ――きみに何かを伝えようとしたのかもしれないと感じ取ることが、きみのすべきことではないのか?

 あの翁が少年に与えたのは、優しさでも温もりでもなく、厳しい叱責。悲しさと淋しさに囚われた心が求めるものとは程遠い。だからシュヒは、心に受けた痛みに苦しみ喘ぎ、彼から逃げ出した。けれども、彼の厳しさは決して自分を孤独の闇に突き落とすようなものではないということも、シュヒはどこかで感じていた。
 乱れた呼吸を落ち着かせようと胸に掌をあてがい、天を見る。

(父さんと母さんがポケモンを助けた理由。父さんたちは、おれに何かを伝えてくれてるの? ……)

 アデクが自分に言った何もかもを反芻する。

 険しく荒々しい言葉だった。だが、その中にも確かにあったのだ。闇の中で見えないけれど、真っ直ぐに引かれた、光輝へと繋がる一本の軌条。そこを正しく照らし、示してくれる導(しるべ)のような優しさ。
 力強い温もりが。




 とぼとぼと歩く内に、正面に自分の家が見えてきた。今は誰もいない家だ。ぼんやりとそちらへ進み、玄関ドアの前の段差に座り込む。

(おれがほしかったのは……)

 左の頬に触れた。まだ、じんじんと痛んでいる。だけれど不思議と、悲しくも苦しくもなかった。
 ぐちゃぐちゃな胸中を曝し、ぐちゃぐちゃな言葉を吐く。そうすることで誰かに、自分はどうしたらいいのかを訊ねたかった。助言が欲しかった。きっと自分は、その誰かを探していた。

(あの人になら訊けるかな。聞いてくれるかな)

 誰にも言えずにいた、己の過ちも。






「しかし難儀だな。ポケモンを嫌う者に、それらを伝えるということは」

 停めてある自転車の荷台にミルホッグが腰掛けるのを眺めつつ、アデクが言った。

「だねぇ。シュヒくんはポケモンを怖い生き物だと思い込んでいるから。ちょっとやそっとじゃ、揺るがないだろうね」

 巡査の台詞に耳を傾けつつ、右手で顎を持ち上げ難しい表情を浮かべて、アデクは続きを紡ぐ。

「恐れるようになった原因。それが判れば、あるいは……」
「それはあれだ。シュヒくんのご両親のポケモンたちが原因だよ」
「は?」

 予想外の返事にアデクは思わず、間の抜けた声を出してしまった。

「今は町長さんとこの、ポケモンブリーダーの娘さんが預かっているんだったかな。シュヒくんが生まれる前から、ご両親が飼っていたんだけどね。ほれ、シュヒくんの家にポケモンと映った写真がたくさん飾ってあるのを、あんたさんも見たんじゃないか?」

 言われ、はたと思い出す。幼い少年の隣に必ず映っていた二匹のポケモン、モンメンとズルッグを。

「彼らの存在が、少なからず現状に影響していると思うよ」
「ふむう。シュヒくんが生まれる前から、か……」

 キミズは自転車に手をかける。勤務先へ戻らねばならない時刻だ。視線を虚空に投げて思考する旅人に脱帽し、軽く頭を下げる。

「そいじゃまぁ、私はここらで失礼するよ」
「うむ! 引き止めてすまんかった。色々とありがとう」
「いーや。また何かあれば言っとくれ」

 そう言ってキミズは来た道を引き返し、幅のある砂利道まで自転車を押して行ってから、漕ぎ出した。ゆっくりと遠ざかって行く巡査の背中と荷台のポケモンにアデクは手を振る。ミルホッグがそれに応え、先刻の主人の真似をして帽子を脱ぐ。そしてふたりの警官を乗せた自転車はすぐに、民家と民家の影に隠れて見えなくなった。

 再び田畑の中にアデクは一人、立ち尽くす。

(生まれる前からポケモンがすぐ傍におったのに、恐れるようになったとは……)

 どうにも解せない。言葉も覚束ない頃から傍にいたのなら、怖がることなど無いはずなのだ。むしろ、通常よりも親しみが湧いたとておかしくはない。

(もう一度話せば何か判るかも知れんが。果たして口を利いてくれるだろうか……?)

 無精髭の生えた顎を擦りつつ、しばし黙考する。
 すると不意に、肩に引っ掛けていた麻袋がガサガサと音を立てて揺れ動いた。アデクはゆっくり袋を地面に下ろし、中から透明な円筒型のケースを取り出した。

「すまんすまん、おまえのことを忘れとったよ」

 ケースの底には白いタオルが敷かれている。その分厚い布の上で、子供の頭部ほどの大きさの“何か”が蠢いていた。

「よしよし。元気に育っておるようだな」

 アデクは頬笑んでケースを胸に抱く。その“何か”は、下部に燃え盛る焔を連想させる模様を持つ、ポケモンのタマゴだった。

「おまえは何を望むのだろうな? 戦いを繰り返して強くなりたいのか、誰かのために力を尽くしたいのか……」

 タマゴは男の声に返事するかのようにカタ、カタと間を置いて体を揺らす。

「うむ……! おまえが生まれて来る時を楽しみにしておるぞ。だから安心して、もう一眠りしなさい」

 言いながらケースを撫でる。容器越しに大きな掌の温もりを感じたのか、タマゴは最後にカタリと揺れると動きを止めた。ケースを丁寧にしまい直し、袋を右肩に担ぎ上げ翁は立ち上がる。
 町に戻るため、アデクは田畑の間の小さな土手から砂利の道へと移り、田園から歩み去った。








 自宅の玄関先。コンクリートの階段に腰を下ろしていたシュヒは悩み、迷っていた。
 自分のしたことを素直に人に伝えられるのか。何より、自分が生まれる前からこの町に住んでいた人々に言えなかったことを、昨日今日見知ったばかりの人に伝えていいものなのか。
 そして同時にこう思う。きっと彼にしか伝えることは出来ない。ありのままの全部を。それに自分はもう既に彼にぶつけてしまったのだ。ぐちゃぐちゃな心と、想いを。

 青い上着の、ファスナーが付いたポケットから鍵を出す。鍵穴に差し込み右へ回す。カチャリという快音と共に開いたドアを引いて、シュヒは家の中へ入った。ドアを閉じると迷わず靴箱の前へ進む。
 靴箱の上。そこにも、自室にある物と類似した写真立てが置かれていた。花畑の中央にシュヒ、その両隣に父と母。両親の足下には二匹のポケモンが映っている。写真の中の少年は薄く笑んでいた。
 写真から目を逸らし、靴箱の引き出しを開ける。求めた物は自らの手でしまった時と、全く変わらぬ状態でそこにあった。

「…………」

 引き出しからシュヒが取り出したのは、他よりも大きな額に入った、一枚の写真。
 この頃の自分に戻れるならば戻りたいと、強く願う。けれど、自分の力ではどうしようも出来なくなってしまった。ポケモンという生き物を怖い、と感じてしまう今は。間違っても言ってはならないことを言ってしまった、今では。

 写真立てのすぐ隣にある、梟ポケモンの形をした時計に目をやった。針は正午前を指している。不意に例の老翁の姿が、念頭に浮かんだ。彼は無事に今晩の宿所を見つけられるだろうか。もしかすると、今この時にも……彼はカナワを発とうとしているのかも知れない。
 そのような考えが脳裏をよぎった瞬間、シュヒは打たれたように家を飛び出した。施錠も、忘れて。




 靴箱の上に放られた写真の中で。
 幼い少年が、両腕で精一杯に二匹のポケモンを抱き締めて、無邪気に笑っていた。


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