マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1258] きみを巣食うもの(五) 投稿者:   投稿日:2015/04/15(Wed) 23:55:36   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 森を抜けて吹く風が温もった空気を涼ませ、滑らかな調べを引き連れ過ぎ去ってゆく。
 あの少年の元へ向かうべきか否か。散々迷いながら漫ろ歩いた末に、アデクは町の入口まで戻って来てしまっていた。

「…………」

 相変わらず人気の少ないプラットホームに目をやり、陸橋の欄干を背凭れに身を寛げる。若葉色のワンピースの彼女は、今日も同じ場所でフルートを奏でていた。
 昨日は優しい、と感じた子守歌の旋律が、今日は酷く哀しげに聞こえる。あの子供を優しく寝かしつけてくれる人はもう、いない。恐らくは、そうした考えが浮かんだからなのだろう。

(わしにあの子を救うことは出来ぬかも知れん。出来るとすれば……)

 彼を取り巻く環境を、少しでも心休まるものにしてやること。
 人だけでは豊かな音を奏でることは出来ないし、楽器だけではそもそも音を弾き出すことが出来ない。人と楽器の双方が合わさった時に麗しいメロディーが生まれるように、彼には彼以外の何か、誰かが無ければ立ち直ることは出来ない。そうした苦難は、齢を重ねれば多少時間が掛かろうと乗り切れないことは無いだろう。だが彼は、まだたった十ほどの子供なのだ。誰かが常に傍にいて、支えてやらねばならない。
 さすがに昨日初めて見知った者には無理な役どころであったようだが、そうかと言って諦めたくはない。直接の関与は不可能だとしても、彼の支えとなるものを見つけてやることは可能であるはずだ。
 涙する余裕すら無くした子供に力添えを。わずかでも彼に何かしてやりたいと思う気持ちに、変わりは無い。

 熟考に集中しようと目を瞑ったのはいいものの、徐々にうとうととし始めたアデクはふと、遠くに音を聞いた。

「――……ん」

 誰かを呼ぶ人の声のようだ。それだけで性別を判断するのは難しい、子供のソプラノ。陽光と微風に包まれ、半ば船を漕いでいる状態で聞くそれは、耳に心地好い、鈴の音へと変わる。

「……クさん」

 音はゆっくりと数を増し、だんだんとこちらに近づいて来る――。

「アデクさん!!」
「はっ!?」

 突然すぐ傍で鈴音、もとい子供の声が自分の名を叫ぶように呼んだので、大袈裟なほど体を跳ねさせてアデクは覚醒した。発声源を探して視線を彷徨わせると、眼界の左下で佇立する茶髪の少年と目が合った。

「こんな所で立ったまま寝ないでよ」
「シュヒくん……!」

 シュヒが呆れたような困ったような、微妙な顔でアデクを見上げていた。

「いつからそこに……」
「さっきからだよ」

 事実、少年は最初に声をかけた時からずっと、この位置で彼の名を呼んでいた。だが半分眠っていたアデクは、始めの方の控えめな声は遠くから呼ばれていたから小さく聞こえたのだと、錯覚していたのであった。
 シュヒの背後には、西に傾き始めた太陽が見える。彼を追って家を出てから、あれやこれや考え事をしながら町中をふらついている内に半日が経過していたようだった。

「さっきは言い過ぎたよな、澄まなかった。頬は痛むか? ああ、赤くなって……」
「いいよ、もう。平気だよ」

 申し訳無さそうに自身の頬へとアデクが差し伸べてきた手を、シュヒは軽く首を振ることで留めた。
 対話が途切れ、少年が視線を落とす。しばしの静寂。
 どう切り出すかと老翁が逡巡していると、シュヒがついと後ろを向いて、

「今日はおれん家、来ないの? また宿がないんじゃないの」

 少々ぶっきらぼうに、背中越しにアデクに問いかけた。

「……行ってもよいのかね?」

 驚きを隠せぬままアデクが返せば、少年は帰路への一歩を踏み出しながら、

「ごはん、作ってくれるなら」

 ぼそりと、そう言った。






「さっきは、おれも……ごめんなさい」

 謝る顔を見られたくなかったのだろう。先程まで自分の前を歩いていたアデクをシュヒは早足で追い抜いて、それから詫びの言葉を伝えた。

「おれの話、聞いてくれたのに、おれ……」

 ぽつりぽつりと家々の明かりが点り始める。垣根を越え、家路を辿る二人を微かに照らす。

「おれ、誰かにおれの話を聞いてほしかったんだ。みんな優しくて、いろいろ……ご飯を分けてもらったり……遊ぼうって言ってくれたけど……話は、聞いてもらえなくって」

 そのように細々と話す少年の小さな背中を、アデクは静かに見つめる。
 辺りに点る無数の光に誘われるようにして、周辺の街灯が道端に降り注いだ。

「では、わしで良ければ、きみの話を聞かせてもらうよ」

 背にかけられた言葉にシュヒは立ち止まり、ゆっくり振り返る。その顔には戸惑い、そして安堵の色が浮かんでいた。

「……聞いてくれる?」
「うむ。話してごらん」
「うん……」

 彼が隣までやって来たのを見計らい、翁の横に並んで少年も歩き出す。自分との歩幅の差を埋めるためだろうか、アデクの歩調はゆったりとしていた。

「あのね、おれ……本当はポケモンが、きらいなんじゃない」
「そうなのか?」
「きらいじゃ、ないよ。怖い……って、思ってるだけ……」
「そうか……」

 時折、民家から家族団欒の声が聞こえて来て、シュヒは俯いた。彼が今どんな顔をしているのか、どのような心境なのかは、わざわざ考えるまでもない。

「それに、おれ、ふたりに……」

 と、そこまで言ったところで、少年はぱたりと口を閉ざした。なんだね、と怪訝に様子を窺ってくるアデクに、少年はぶるりと首を振る。

「ううん。……まだ、だめだ」

 一度は上げた顔を再び俯かせて、シュヒは消え入りそうな声で答えた。

「ふむ。ゆっくりと気持ちを整理して、少しずつ話してくれれば、それで良いよ」

 気遣うようにそうアデクが優しく返すと、シュヒはおずおずと彼に視線を向け、

「アデクさ、……」

 中途半端な所で発言を止め、そして歩みも止めた。
 今度はどうしたのだろうか? 問いかけようとしたアデクに、シュヒは向きを彼の方に変えると、そっと口を開き。

「アデクじーちゃん。ありがとう」

 そう言って、静かに微笑んだ。

「!」

 しばし呆気に取られたアデクだったが、呼称の変化に秘められた少年の心に思い至ると、途端に頬を弛ませる。

「……ふふ」

 彼が自分を頼ろうとしてくれている。新たなその呼び名が、何よりの証だった。






「アデクじーちゃんはどうしてトレーナーになったの?」

 ピーラーと馬鈴薯をそれぞれの手に持ったシュヒが、隣り合って作業しているアデクに問う。相手は青菜を切る手を休めず、視線だけ少年に向ける。

「む? それはやっぱり、強くなりたかったからだな」
「強く?」
「ああ。ポケモンと共に強くなり、いずれは最強のトレーナーになる! 誰しも一度は夢見ることだろうよ」

 皮を剥き終えた馬鈴薯を隣に回しながら、少年はそうなんだ、と溢す。極力ポケモンと関わらずに過ごして来た彼にとっては、なかなか理解し難い解答ではあったが、翁ほどの大人がそう言うのであればきっとそういうものなんだろうな、と納得する。

「じゃあ……、アデクじーちゃんはどうしてポケモンが好きなの?」

 少年から受け取った芋に包丁を入れようとして、アデクは動きを止める。今度は顔全体を彼の方へ向けた。

「ふむ……それは簡単なようで難しい質問だ。人でもポケモンでも何でも、好きだと思う気持ちは、言葉にしなくとも自然と全身から溢れてゆくものだからなあ。強いて言うなら、人とは全く異なる生き物だから、か。わしらに出来ないことが出来る。そこが素晴らしいと思うのかもな」
「ふーん……」

 調理を終えると、アデクは卓上を片づけるようシュヒに言った。食卓に不要な物を適当な場所へと移し、絞った濡れ布巾で拭いていく。その最中、椅子に置かれてあるアデクの荷物袋から、不思議な物体が顔を覗かせていたので、シュヒは思わず見入ってしまう。
 唐突に動かなくなった少年を不審に思い、彼の目線の先を追って行ってアデクはああ、と合点する。

「そいつはポケモンのタマゴだよ」

 少年はへぇと息を吐き、初めて見た、と言って翁を見返した。小さな胸に好奇心が、静かに芽吹く。

「タマゴから生まれるポケモンって、小さいの?」
「うむ。人間と同じ、赤子だよ」
「そっか……」

 本能に掻き立てられるように、シュヒはケースにそうっと手を伸ばす。触れるか触れないかという距離まで近づいた所でしかし、突然タマゴがガタガタ震えたので、シュヒは心臓が飛び出しそうになるほど驚いた。

「ぅわあ動いたっ!!」
「はっは! 今の揺れ方だと、明日明後日孵るかもな」
「び……っくりした……!」

 バクバクと激しく脈打つ胸を押さえつけ、気を取り直し少年は作業を再開する。その横でアデクは、人知れず意味深長な笑みを浮かべていた。

(きっかけに、なるかも知れんな)








 翌日の昼下がり。シュヒは一人、庭に置かれたアイアンチェアに腰掛けていた。夏の名残と冬の気配、そのちょうど中間の最も心地好いと感じる陽射しと風とが、少年を柔らかに包み込んでいる。空は今日も高く青く澄み渡り、穏やかだ。
 しかし、今日はポケモンを全然見かけないな、とシュヒは思った。青い甲虫は勿論のこと、空にも木々にも原っぱにも。まるで少年に、平穏の時間を与えようと結託しているかのような静けさだ。
 それが少年の気持ちに余裕をもたらしたのだろうか。シュヒは隣の椅子に鎮座している、昨夜アデクが紹介してくれた筒型のケース、その中に入っているタマゴを何度も見やった。持ち主がこいつにも光を浴びさせてやろう、と言って置いて行ったものだ。ついでに変化があったら教えてくれと頼まれてしまったのだが、シュヒは嫌だとは言わなかったし、また、思わなかった。
 ポケモンが眠っているタマゴなのだから、怖くないと言えば嘘になる。実際、目の前でこれが突如として震えた時は、驚愕と同時に恐怖を覚えた。だが自分よりも小さく、何をするでもないこの命の宿を、見守るくらいなら出来るだろうと少年は思ったのだ。
 何より彼は、この命に興味を持った。ここからポケモンはどのようにして生まれ、また、生まれて来るポケモンはどのような姿形で、この世界を生きて行くのだろうかと。

 物言わぬタマゴを傍らに景色を眺めていると、何かの音が聞こえて来て、シュヒは耳をそばだてた。走ってこちらへと近づいて来る、人間の足音のように思える。

「シュヒくーん!」

 しばらくのあと生け垣の影から登場したのは、シュヒのよく知るチューリップの髪留めの少女だった。

「あっナズナさん。お帰りなさい」
「あら、そこにいたんだ。ただいま! はい、シンオウのお土産。ヨスガポフィンハウスの大人気スイーツ詰め合わせよ!」

 ナズナと呼ばれた少女は右手に持っていた紙袋をずい、と少年の前に差し出した。

「ありがとうナズナさん」

 すかさず礼を言えば、彼女はにこにこと人好きのする笑みで「いいのよ〜」と返答した。
 シュヒより七つ年上のこの少女とは、お互い今よりも幼い頃からの付き合いで、少年にとっては実の姉のような存在だ。ここ数日、シンオウ地方はズイタウンまで出かけていて、昨夜帰って来たばかりなのだと彼女は言った。
 受け取ったクリームイエローの紙袋には店のロゴと、桜花に似たポケモンのイラストが描かれており、中には菓子が詰まっているのだろう大きな四角のアルミ缶が一つ、入っていた。シュヒはそれを大切に隣の椅子に置く。
 少年の一連の動作を見守っていたナズナは、自分が渡した紙袋の手前にある物体に気づくと、目を屡叩かせて問うた。

「ねぇ。それってポケモンのタマゴでしょ? 一体どうしたの?」
「これ、アデクじーちゃんのなんだ」

 彼女が指した物に顔を向け、シュヒはそうとだけ答える。淡泊な受け答えにナズナは始めきょとんとし、それからすぐ、彼の言った名に眉根を寄せた。

「アデク……」

 呟いたとほぼ同時に玄関ドアの開く音。ナズナはシュヒよりも先にそちらに視線を走らせ、扉の向こうから現われる人物を見据えた。

「シュヒくん、タマゴの様子はどうだい」

 そして今度はアデクが、シュヒが返答するよりも前に、自分を注視している少女の姿を視界に認める。

「おお、お客さんか」
「町長さん家のナズナさんだよ」
「初めまして……。ポケモンブリーダーをしています、ナズナです」

 少年からの紹介を受け、ナズナは顔面に緊張の色を滲ませて挨拶する。

「そうか、きみが町長さんの。わしはアデクだ、よろしくな」

 非礼とも取れる彼女の面差しにしかし、翁はさもありなんと言った体(てい)でにこやかに返した。そののちシュヒへ視線を転じ、ポケモンに食事を与えるから中へ入っていなさい、と促す。
 頷き、少年が立ち上がる。タマゴのケースを胸に抱えて紙袋を手に、真っ直ぐ家へと入って行った。




「あなたが、イッシュリーグの?」

 少年がいなくなってすぐ、ナズナが訊ねた。アデクは少女を刺激しないよう柔らかく相槌を打つ。

「ああ、ポケモンリーグチャンピオンのアデクだ。初めまして」
「ごめんなさいっ!」

 と、突拍子も無く少女が思いっきり頭を下げたので、アデクは何事か咄嗟に解らないながらも、素早く面を上げるよう促した。
 曰く、父親から自分のことを聞き、巡査にも間違い無いと言われたのだがどうも信用ならず、ソウリュウシティの長に問い合わせてしまったとのこと。なるほどなとアデクが頷くと、少女は再度頭を下げた。

「いやいや、疑われてもしようの無いことだよ。それでシャガはなんと言っていたかね?」
「ええと、」

 有り体に伝えてよいものかと相手の面を窺いつつ、ナズナは電話越しに聞いたソウリュウ市長シャガの丁寧で確固とした弁を、覚えている限りの範囲で述べてみた。

「チャンピオンだからと言って、遠慮や気遣いは一切無用です。カナワの町の皆さんに多大なるご迷惑をおかけしてしまうでしょうが、飽くまでも通りすがりの一介のトレーナーと見做し、適当に面倒を見てやって下さい、と……」

 あまりにあんまりな台詞の数々だったので、強烈に脳に刻まれていたようだ。寸分狂わず再現出来てしまった。最後まで言ってから、ああもっとエルフーンの綿毛に包むような物の言い方をしないといけなかった、とナズナは後悔したのだが。

「ははははは! まあ、そうしてもらった方が、こちらとしても気楽で有り難いな」

 当の本人は怒るどころか高らかに大笑した上に甘受の意を表明したので、大いに肩透かしを食らった。

(よっぽどこの人、シャガさんに迷惑をかけているんだな……)

 ナズナはまだ見ぬソウリュウ市長に、思わず同情の念を抱いてしまうのだった。


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