[掲示板へもどる]
一括表示

  [No.1326] テトのペタペタ日記 投稿者:   投稿日:2015/10/01(Thu) 22:22:48   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ポケモンをつれて、旅に出よう。
 チャンピオンになったり、悪の組織と戦ったり、映画スターになったりはしないけど。けれどもテトには夢がある。
 そんな旅の話。

 ==
 twitterでポケモンのお題をいただいて書いていきます。全8話予定。

(2015/10/25 追記)
 完結しました。


  [No.1327] 1.グレッグル 投稿者:   投稿日:2015/10/01(Thu) 22:23:52   49clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 今日という日は、どんな少年もどんな少女もワクワクが止まらない日。
 自分さえ入りそうなリュックを背負い、おろしたてのスニーカーはマジックテープで止めて。腰のベルトには手にしやすいよう、水筒に十徳ナイフ、そしてモンスターボールが五つ。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 少年テトは、生家に別れを告げる。母親の挨拶は淡白だったが、冒険に逸る心にはそのくらいでちょうどいい。テトは今日、ポケモンをもらって旅に出るのだから。

 テトの行き先は、六年間通い続けたトレーナースクールだ。著名なポケモン博士に才能を見出され、ポケモン図鑑を渡され……なんていうのは、マンガの主人公でないとありえない。バトルコートを小中大と横切って、テトは平べったい校舎へ入っていく。中は早くに来た卒業生たちでザワザワしていて、みんなで一匹の巨大なイモムシみたく、順路にしたがってモゾモゾと進んでいた。
 廊下には一緒に旅するのかかしましく話してる人らもいれば、一人旅なのかおしゃべりを我慢するように手をぐーぱーしてる人もいる。テトも一人旅だけれど、もっぱら空想で時間をつぶしていた。最初にもらえるポケモンのこと、これからの旅の不安のこと、希望のこと。今という時間がすごく長く感じられて、でもきっと、ポケモンを受け取った途端、今の長さなんて忘れて思い出せなくなってしまうんだろうな、という予想。
 空想している内に、ポケモンをわたす部屋の入り口が見えてきた。普段は一年生の教室で使っているところだ。中も順路が決まっているらしく、出ていく人はみんな、テトから遠い方のドアを使っていた。入り口が近づく。一人入った。二人入った。三人四人。十人を超えて数えまちがえて少しして、テトの番がやってきた。

「テトくんですね」
 教室には総出で来た先生の他に、子どもが何人かいた。ポケモンをわたす儀式は思ったより流れ作業で、先生が名前を確認した順に、トレーナーカードとモンスターボールをわたしていく。簡単な注意事項もいっしょに。
「テトくんのポケモンはこの子です。“かんそうはだ”だからよく水分補給させること。あとこれがトレーナーカード。大事な身分証になるもので、キャッシュ機能もあるからなくさないでね」
 やっと受け取った宝物のようなポケモンとトレーナーカードを吟味する間もないまま、「はい次」とテトは教室から追い出された。先生は年百人に同じことをするのだ。輝きが色あせたって仕方ない、とテトなりに忙しそうな先生たちを思いやる。
 その代わり、この輝きはテトだけのものだ。
 テトはバトルコートへ出た。気の早い子たちが集まってポケモンバトルを始めていた。でもそういう人はテトの予想よりずっと少なかった。旅路を踏みたい人の方が多かったのかな。テトはゆるゆると、バトルを横目に見ながら、バトルの邪魔にならない隅っこへ移動する。そして、当初の目的を達成するのだ。
「ふふ」
 まずはトレーナーカード。一人前のポケモントレーナーの証で、ポケモンを捕まえて連れ歩いていい、いわば大人の証。
 そして、なにより。キャッシュ機能とか、スコア獲得によってランクが上がるとかお得な制度の利用とか色々あるけど、テトにとっての一番は。
「もう『危ないからダメ』なんて言われずにポケモンに触れる!」大人の証。
 そう、この日のために。
“ちょっと”触りたいから散歩中のガーディに“ちょっと”近づこうとしたり、“ちょっと”お腹の皮の薄さが気になってニョロモのいる沼の淵へ“ちょっと”踏み出そうとしたり、そのたびに
「危ないから、ポケモンに近づいちゃいけません」
 大人にガミガミ言われずに、自己責任でポケモンを自由に触れる!
 なんて素敵なんだろう。
 それが、この頃の子どもたちみんなが取る資格だとしても、この輝きはテトだけのもの。
 そして。
「出ておいて!」
 モンスターボールのボタンを押すと、赤と白に塗りわけられた部分からパックリ割れる。その隙間から小さな紫の光が飛び出し、地面に当たって急速にふくらんだ。光はテトの腰ぐらいまで膨らむと、光るのをやめて、その素肌を見せた。青紫色のかがんた姿が、手足を伸ばす。立ち上がったカエルのポケモン。目の覚めるようなオレンジ色を、中指と頬に持っていた。
「グレッグル」
 テトの、はじめてのポケモン。
 グレッグルはテトを見ると、ニコッと笑った。そして、初心者向けによく躾けられているらしく、右手をテトに向けて、まるで握手を期待するように待つ。
 テトの心臓が小さくジャンプした。テトは、その小さな手を包みこむようにした。三本ある指の、両端は黒い。黒い指を撫でるように親指を動かして、そして、真ん中のオレンジ色の指を撫でる。
 そのままぎゅーしたい衝動をこらえた。第一印象、大事。母さんも言ってた。
「あのね、グレッグル、えっと」
 グレッグルは目玉焼きの黄身の下半分みたいな目で、テトをじっと見つめた。ジト目とかって言うのだろうか。目つきが悪いポケモンらしいけど、こうしてテトの言葉を待っているグレッグルの目つきは、どう見たってかわいいのだった。
「えっと」
 落ち着け、テト。この日のためにがんばってきた。この日のために考えた台詞を、心の中で何回も練習したじゃないか。
「よろしく」
 グレッグルが目を細めた。嬉しそうに。
「ぼくはテト」
 ぷー、と頬のオレンジ色が風船みたいにふくらむ。
「グレッグルのトレーナーになりました。よろしくおねがいします」
 ペコリとテトが頭を下げると、頬のオレンジ色がしぼんて、そして、ケロケロ跳ねるような声で鳴いた。
「それでお願いなんですが、君を触らせてください」

 グレッグルは快く、非常に快くテトの頼みを受け入れてくれた。
 まず両手で握手。それから頬のオレンジ色を触る。ふくらませている時はイヤみたいだけれど、触ってもいいみたいだ。そしてお腹。グレッグルの青紫色の体にぐるりと巻きつくような白い模様を触ると、特に喜んだ。
 けれど、予想していたより、ザラザラしている。全体的に。
 もっとツルンツルンだと思ったんだけどな。テトの手のひらがグレッグルの二の腕を滑っていく。カエルのポケモンだというのに、皮膚は失敗した紙粘土みたいな感じで、ヒビ割れ、爪がかかるとポロッと。
「特性かんそうはだ――!」
 ギャー、と悲鳴を上げて、テトは裏庭にダッシュした。五十メートル走の自己新は確実なくらい、ダッシュした。

「ごめんね、グレッグル」
 スクールの裏庭にある水道でたらふく水をかけて謝ると、グレッグルはテトのことを許してくれた、ように思う。テトが触ってもいやがらなかったから、オーケーだと思う。
 水道の水をちょろちょろぱっぱとグレッグルにかけつつ、テトは反省していた。特性“かんそうはだ”。ポケモンのタイプとは別に、火に弱く、“にほんばれ”で引き起こされるような高温乾燥の環境にも弱い。そうでなくとも、人間の体温はグレッグルよりも高いのだ。気がねなしにベタベタ触ったところから、熱くなってしかたなかっただろう。
「本当にごめんね」
 グレッグルはケロケロと軽やかな鳴き声をたてて、頭をテトの胸に押しつけてきた。
「ありがとう、グレッグル」
 その頭に、水で濡らした手を置く。グレッグルのように体温の低いポケモンを触れる時には、まず、手を水で冷やすこと。ここのように井戸水を引いた水栓がある場所ならいいけれど、それがなければ市販のミネラルウォーターを使うとかして、一般の処理水は使用を控えること。
 そして、グレッグル自身もしっかり水浴びさせること。特性“かんそうはだ”のグレッグルは特に。手に溜めた水を、グレッグルの頭からかける。くすんでいた青紫色が、光をぼんやりと反射する青紫色に変化した。乾いて分裂していた皮膚が、ふくらんで間隙をつめる。オレンジ色の頬を両手ではさむ。その部分だけゴムのようかと思いきや、目を閉じれば境目がわからないほどに、他の箇所と違いがなかった。ツルリとした感触の中に、水のヒタヒタした感触。グレッグルのオレンジ色から放した手から、わずかに刺激臭がする。グレッグルのどくタイプのせいか。粘液に毒をまぜるポケモンではないから、気にするほどではない。お腹の白色を触る。
「おお」
 思わず声がもれた。内蔵を守るためだろうか、そこの皮膚は青紫色のところより、わずかだけ固い。和紙の断面みたいな固さ。毛羽立ったような凹凸があるようなないような。ひっかかりに指を当てると、そこは水をよく吸う箇所なのか、ちゅうと水が出た。そして予想以上に指が沈む。あわてて引く。
 少し離れて見てみれば、グレッグルはリラックスした様子でテトにお腹をさらしていた。ちょっとだらしないポーズだ。オレンジ色の頬袋は一定のリズムでふくらんだり縮んだりをくりかえしていて、ふくらむごとにジジジと低い振動音をたてた。
「グレッグル」
 目をぱちりと開いた。グレッグルは半身を起こすと、目玉焼きの半分みたいなジト目でテトを見つめた。
「あのね、グレッグル」
 グレッグルが頬を膨らませた。ギギギ、と低い音がする。
「こんなぼくですが、いっしょに旅してもらえますか?」
 テトは右手を差しだして、握手を待った。
 ケロケロと軽やかなジャンプみたいな鳴き声を上げ、グレッグルは水分たっぷりのヒタヒタな手で、テトの右手をとった。


  [No.1328] 2.ミノムッチ 投稿者:   投稿日:2015/10/04(Sun) 22:04:18   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 冒険に出てはじめての、野生のポケモンとのバトル。
 弱らせて、ボールを投げて、初ゲット! なんてうまくいくのは、アニメやマンガの世界の話。
「逃げられちゃった」
 そう言って頭をカキカキするのは、新人トレーナーのテト。今日旅だったばかりのなりたてホヤホヤだ。テトといっしょに頭をカキカキするのは、彼の相棒のグレッグル。
「なんでだろうね」
 と首をかしげる新人トレーナー、その足元で同じく首をかしげる相棒初心者グレッグル。端から見ていれば原因はくっきりはっきり見えるもので、いくら相手を弱らせて、捕まえやすいように“どく”状態にしたとしても、その目の前で膝をついて「すいませんが、そのお羽を触らせてもらっても」と一席ぶっていたら逃げられるというものだ。
「ポッポには逃げられちゃったけど、この近くで、もうちょっとポケモンを探したいな。いったん戻ってね、グレッグル」
 気を取り直して試合延長。旅はまだ始まったばかりなのだから。
 グレッグルには一度、モンスターボールの中に帰還してもらう。特性“かんそうはだ”のダメージが蓄積しないように、水場を確保しない内は連れ歩きは控えたい。
「さて、と」
 大きなリュックサックを背負って、再出発だ。

 コラッタ、オタチ、キャタピーに、地面によく気をつけてみればナゾノクサ。気づかなかっただけで、町の近くにもたくさんのポケモンがいる。
 悲願の「ポケモンに触らせてもらう」はまだ達成していないが、ちょうど開けた河原を見つけたので、そこを拠点に再びのチャレンジだ。
 今度はグレッグルも連れ歩き。人数が増えれば目も増える。歩き出して間もなくグレッグルがオレンジ色の中指で示したのは、木の葉にまじって枝からつり下がっているポケモン。
「おお」
 テトはグレッグルに言われるまで気づかなかった。完璧な擬態も擬態、そのポケモンは周りの葉っぱと同じ種類の木の葉を身にまとっているのだ。
 ミノムッチ。進化するまでは、周囲のものを利用してミノを作るという。頭から生えたバネのようなものが、枝にくっつき、枝といっしょにビヨンビヨンと揺れている。揺れるリズムまで合わせるなんて、ますます完璧。
 あのポケモンは、どんな触り心地がするだろう? バネのような部位は? あのミノの中身は? 気になった。触りたい。元より、ポケモンに触るために冒険している。
 テトは一歩進んで、
「ミノムッチさん、どうかぼくに触らせてください」
 作戦変更、最初に頼む。バトルの途中では逃げられることが多いから。
 ミノムッチは迷った後、バネのような部位をびよよんと伸ばして、テトのそばに降りてきた。テトは気持ちが通じたと思って、ミノムッチを歓迎する意味も込めて、笑顔になった。実際は後ろでグレッグルが“どくばり”を構えていたからだけど。

 少年テトはそんなグレッグルの粗相など気づくよしもなく。
「ではミノムッチさん、よろしくお願いします」
 ミノムッチは黒い頭を動かしてうなずいた。遠目には葉っぱで隠れて緑色だったが、本体は黒色だ。初手に本体と逸る心は抑えて、緑色、ミノの部分から。
 葉っぱだ。まごうことなき葉っぱだった。落葉樹の葉。柔らかい、この春でたばかりの新葉を使っているようだ。ところどころ、枯れてきてクシャッとなる葉もまざっている。
 枯れて割れた葉を取り除き、新しい葉っぱの向きをそろえるように撫でつけると、ミノムッチは尖った口をピクピク動かした。
「気持ちいいですか?」
 コクリとうなずくミノムッチ。テトはそれに気をよくした。
 次に触れるのは黒いバネの部分。ぐるぐる螺旋に沿って指をはわせると、ミノムッチはくすぐったそうに身をよじらせた。バネの隙間がきゅうっと詰まる。
「いてて」
 ミノムッチが申し訳なさそうにペコリ。挟んだ指をふーふーして、仕切り直しだ。
 黒い顔、ミノムッチのほっぺたの部分を撫でる。指先でカリカリかくと、ミノムッチは気持ちよさそうに目をトロンとさせた。
「ふふ」
 そのまま、指の場所を変えながらかきつづける。
 ミノムッチの触り心地はよいけれど、固い。グレッグルと違って、指で押してもへこまないというか。むしポケモンってみんな、こんなに固いのかな? プニプニな弾力を感じない体つきなのに、葉っぱのミノで擬態しているのが不思議。とりポケモンのくちばしや爪は、この皮膚よりもっと固いのだろうか。
 そのままプニプニ成分の少ない肌の、ツルツル成分を楽しみながらなぞっていって、黒と緑の境目に入る。頭の後ろを回って手前に戻って、葉っぱと葉っぱの隙間からミノの中へ。そこは、外側よりもちょっと柔らかかった。
 ガクンと落ちこむような節目があって、そしてまたぷっくりと膨らむ。丘のようなラインを行ったり来たりした。スッとのぼって、ツルンと落ちる感じ。谷の部分は薄くて柔らかい。力加減一つで破ってしまいそうなそこは早々に退散して、二つ目の節に移る。そこは一つ目の丘より、もっと柔らかかった。といってもむしポケモンらしく、皮がプニプニといった柔らかさではなくて、皮のすぐ下に体の内側を感じる、そういった柔らかさ……
 ミノムッチの頭がガクンと落ちた。

「ミノムッチのミノは、身を守るために着てるんですよ。それをまあ、いちいちミノの中に手をつっこんで突き回すとは」
 最寄りのポケモンセンターで、テトは職員さんにみっちり絞られていた。
 撫でてる途中で急にミノムッチが気を失い、今度は長距離走の自己新の勢いでテトは巣立った町に戻ってきた。そのまま放り出すようにミノムッチをセンターに預け、処置室の前で五分ほど祈り、ミノムッチに大事はなかったものの。
「すいません」
「謝罪はミノムッチにしなさい」
 テトは目を診察台の上に向ける。ピンク色のミノが、こっちに背を向けていた。
「ごめんなさい」
 ピンク色のミノから、黒い顔がちょいとのぞいた。引っこんだ。元いた場所に帰してやりなさい、と職員さんにうながされ、テトはおずおず、ピンク色のミノを抱っこしてポケモンセンターを出た。

「ごめんなさい、ミノムッチ」
 テトの何度目かの謝罪に、ホコリで集めたミノをまとったミノムッチは、尖った口をちょっとばかし上向けた。ミノムッチはテトの胸に顔を当てていたから、それがちょっとくすぐったい。
「ふふ」
 笑って、
「やっぱり、ごめんなさい、ミノムッチ」
 ミノムッチと出会った森への帰り道は、二人っきりだった。生まれ育った町のポケモンセンターに出戻る時は、外に出しっぱなしのグレッグルがいたけれども。
 だからこの時間のテトの言葉は、ミノムッチに向けるものだけ。
「ぼく、ポケモントレーナーになって浮かれてた。一人前なんだって。誰もぼくのじゃまをする人はいないって。
 違うんだね。トレーナーの試験だけ受かっても。ぼくは知らないことばっかりだ」
 ポケモンの手触りだけじゃない。触ってもいいところ、いけないところ。ミノムッチが町中ではホコリを集めて“ゴミのミノ”を作ることも知らなかった。
 ピンク色のミノは、ミノムッチ本体の手触りからは想像できないくらい、フワフワのフカフカで、砂粒でもまざっているのか、少しザラザラしていた。
「今日はありがとう、ミノムッチ」
 やっと森まで戻ってきて、テトはミノムッチを地面に下ろす。ミノムッチは、お辞儀か、うなずきか、よくわからない角度でテトを振り返って、それから森へ入っていった。しばらく、葉っぱのガサガサいう音がしていたが、ミノを作り終えたのか、じきにその音もやんだ。


  [No.1330] 3.テールナー 投稿者:   投稿日:2015/10/06(Tue) 22:47:17   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


「お願いします、どうか一度だけ!」
 少年テトは腹から声を出して頼みこんだ。広場を取り巻く人垣は、浮かれ話にニヤニヤと、事の経過だけ伺っているみたいだった。
「ダメです。それが約束だったでしょう?」
 人垣のもっぱらの関心の的、足が長くて美人のお姉さんは、テトの頼みをそっけなく断った。しかたない、といえば、しかたない。だってそれが約束だったのだから。でも。
「お願いします! どうか一度だけ」
 広場の中心には、倒れたグレッグルと、傷一つないテールナー。
「あなたのテールナーに触らせてください!」

「ポケモンバトルに勝ったら、って話だったもんね。うん、わかってる。頭では理解してるんだ」
 どこかで聞いたような言い回しで弁明しながら、机につっぷするテト。その背中をポンポンと叩いて慰めるのは、バトルの重傷からとっとと回復したグレッグル。新米トレーナーとその相棒だ。
「あ、はじまった」
 ポケモンセンターの待合室に設置された、大きなビジョンが映像を流し出す。
『ポケモンコンテスト、シード早くも決定か』
 テロップが流れる後ろに、足の長いお姉さんとテールナーが映っていた。さっき、テトとバトルしてくれた相手が、二次元の別世界で踊っていた。炎がまるでリボンのように、テールナーの持つ杖の先から自由自在に伸び縮みしていた。
 テトはポケモンコンテストの地方ルールはよく知らないが、シード枠は条件有りの早い者勝ちで、要するにこれはすごいことらしい。
 それはさておき。
「触りたかったなー、テールナー」
 あの流れるような毛並み、スラリとした曲線美を包む黒毛に、炎を内包する耳の赤毛。触ればきっと気持ちいいに違いないよ。そう嘆くテトの背中に、グレッグルの湿った手が乗った。きっとシャツに大きなシミができてる。

 失敗は成功の母という。ならば、敗北は勝利の伯母さんぐらいの続柄でも、いいはずだ。
「もう一度ぼくと、ポケモンバトルしてください」
 コンテストの出場者出口で張っていたテトに、足の長いお姉さんはちょっと距離をとりながら驚いたようだったが、
「君の熱意には負けますね。シード手に入れて機嫌がいいから、わかりました、受けますよ」
 そう言って再戦を快諾してくれた。
 場所は同じ、彼女のテールナーと戦って負けた広場だ。
 息もつかぬリベンジマッチに、一度目は見なかった顔も人垣に参列していた。
「行くよ、グレッグル」
 ケロケロ、と普段よりちょっと低い声で気合を入れる。ポケモンセンターで水をたっぷりかぶってきた相棒は、ヒタヒタの絶好調だ。
「簡単には勝たせてあげないからね。テールナー!」
 二足のキツネが、片足を軸にターンを決めた。いっしょに回る木の枝に、炎のリボンが新体操のようにクルリクルリと舞い踊る。ギャラリーがわっと歓声を上げた。

「先攻はどうぞ」
 右腕を前につきだすお姉さんに、側のテールナーもポーズを合わせて杖を構えた。さすがコンテスト界期待の星。余裕の構えだ。
「じゃあ、遠慮なく」
 テトはその余裕を、潰してやる気でいく。
 二戦目を控えて、ただ嘆いて机にほっぺたをつけてただけじゃないのだ。
「グレッグル、“あまごい”!」
 一面青とまではいかずとも、お天気雲が浮くだけだった空に、黒雲が湧き始める。ポツリとグレッグルのオレンジ色の頬に吸いこまれた一滴を先触れに、まもなくスプリンクラーの兄弟みたいな雨が降りだした。
 グレッグルは頬をふくらませ、テールナーはうっとうしそうに体を振った。炎の色のしっぽの先から滴が飛び散るが、その先からまた新しい雨が降りしきり吸収されていく。炎のリボンが短くなり、そして消えた。
「さあ、どうだ!」とテトは雨の下から叫んだ。グレッグルの特性は“かんそうはだ”で“ほのお”に弱い。しかし、“あめ”を降らせれば。
「テールナー、“ひのこ”」
 テールナーの“ほのお”技の威力は弱くなり、グレッグルは体力回復のアドバンテージを得る。
 構えた杖先から、炎の花が咲いた。一戦目で辛酸をなめさせられた技が、一戦目より威力は低い。グレッグルは“ひのこ”を難なく受け流し、わずかな焦げ跡も降りつづく雨で治癒して、オレンジと黒の指先を地面に突き刺した。
「“どろかけ”!」
“じめん”タイプの技は“ほのお”タイプのテールナーに“こうかばつぐん”。ポケモンセンターの待合室の書架で学んだ即席の攻略法だが、
「悪くないですね」
 賞賛の言葉は、バトルフィールドの向こう側から浴びせられた。テトが素直に破顔した直後、「でもね」とお姉さんが長い足で軽快に地面を蹴った。
「甘いです」
 お姉さんはターンして、指をパチンとはじく。
 バァンと空気が割れる音がして、グレッグルが地面に伸びていた。
「テールナー、“サイコショック”……でした。“エスパー”技も使えるんですよ」
 一撃。倒れたグレッグルのおしりを見ながら、テトの頭がグルグル回った。“サイコショック”は“エスパー”技で、グレッグルは“どく”“かくとう”タイプのポケモンで。“エスパー”は“どく”にも“かくとう”にも“こうかばつぐん”で。
「ああっ!」
 対策を怠ったテトにも、四倍のダメージがきた。
 テールナーは杖先を口元に当て、見えない煙でも飛ばすみたいに「フッ」と吹いた。もうすっかり、空も晴れていた。

「また今度、機会があったら触らせてください」
「機会があったらね」
 バトル後の握手の場で、テトはそう宣言した。テトの諦めの悪さに、お姉さんの顔が呆れか驚きか複雑に歪んだ。
「次こそは絶対、触らせていただきます。一目見ただけで触りたくなるくらい、それはもう綺麗でしたから」
 テトは抱負を述べただけのつもりだったが、お姉さんは誉め言葉と受け取ったのか、うつむいて、笑みを漏らした。
「そうだね」と言って。それから、顔を上げて。
「少年。せめて、『スキンシップ』って言いなさい」
 不意に頬をつつかれて、テトは目をパチクリさせた。


  [No.1332] 4.カメテテ 投稿者:   投稿日:2015/10/11(Sun) 01:32:38   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 テールナーは“ほのお”タイプ。“ほのお”には“みず”が“こうかばつぐん”。そして、“みず”タイプは水のある所に住んでいる。というわけで。
「海だーっ」
 少年テトは海辺の町へやってきた。

 砂浜を裸足で歩こうとすると、熱さに足の皮をやられそうになった。ひっきりない潮騒に慣れたあたりで、大きいのが迫ってきてびっくりする。相棒のグレッグルは海水がダメなのでボールの中で留守番だ。テトは貸し出しのサンダルを履いて、町の海岸線をずっと歩いていた。
 目的はあるといえばあるし、ないといえばない。みずポケモンを探しているが、見つからないので、ひたすら歩いている。そんなところ。
「釣り竿とか借りた方がよかったかなあ。ねえ、グレッグル」
 いないのに、思いっきりやらかす。ボールの中だったと額に手をやるテトへ、ないはずの返事があった。
 ジウンと低い弦を弾いたような声が、岩の向こうから。
 テトは周囲を見回した。来た道の開けた砂浜には何者の影も見えない。行く先には岩が多くなっていって、ビニールプールみたいに水が溜まったくぼみがいくつもある。潮が引いた時に、海水が残るんだっけ。濡れた上に藻も生えた岩場で滑らないように手をかけて、一段高い所に登る。そこのくぼみのプールに、鳴き声の主がいた。
 白い岩を浅いプールの底に貼りつかせていた。その岩から伸びる、二本の手? 爪があるから、二本の手だろう。その手のひらのそれぞれに、顔が付いている。
 変なポケモンだなあと思ったが、口には出さなかった。そのポケモンはふくれっ面で、怒ってるように見えたからだ。
「えっと。おじゃましました」
 ポケモンのテリトリーに入ってしまったのかもしれない。これ以上刺激しないよう、テトは後ろ向きに岩場を降りて、その日は退散した。

 カメテテ、ふたてポケモン。二本の手のひらの顔はそれぞれ別人格のようで、ケンカすると片方が別の岩に移ったりするらしい。挿絵を見る限り、あのふくれっ面がカメテテの“素”のようだ。みず・いわタイプのポケモンで、ほのおタイプのテールナーにはすこぶる相性がいい。
 図書館にも行ってみるものだ、とテトは思った。たいていの図書館には、その近くで暮らしているポケモンをまとめた図鑑が備えられている。テトはそういった図鑑の、四ページにわたる解説をいったりきたり読みながら、重要そうな情報を片っ端からメモしていった。結局まるまる全部写して、テトは疲れた右手を伸ばす。
「君もルギア……ああ、カメテテかあ」
 近所のお兄さんだろうか。若い男性が、テトの開いた図鑑のページを見て、そうコメントした。突然のことに、テトは首をかしげて、聞き返した。
「ルギア、ですか?」
「来月は海誕祭(かいたんさい)だから。今はまだそんなでもないけど、これからどんどん人が増えてきますよ」
 そこまで言って、男性は本棚の向こうに行った。
「かいたんさい、……ルギア」
 テトは今しがた呟いた単語を、カメテテのメモの余りに書きとめた。

 さて、カメテテだ。あのふくれっ面が怒ってなくて、するどいツメ以外は触ってもだいじょうぶと知ったテトに、死角はない。いざとなったらグレッグルもいるし、準備万端だ。
「おはようございます、カメテテ」
 岩場の淵から中のプールに向けて、そっと声をかける。二本の手にして顔がニュッと伸びた。相変わらずのふくれっ面。でも、もう怖くない。
 テトはリュックとは別に持ってきた袋を、カメテテの目に入るように持ち上げた。
「君を触らせ……スキンシップさせてくれませんか? このお菓子と交換条件で」
 向かって左、右手のカメテテの口角が上がった。左手のカメテテをつつき、我先にと手を伸び縮みさせてテトのそばに来る。
 カメテテは二本で別々の人格って本当なんだな。お菓子の袋を開けながら、テトは触る前からくすぐったくなって、笑った。きのみをミキサーして固めたお団子にかじりついたのも、右手のカメテテが先だった。遅れて左手のカメテテが首を伸ばす。二つのお団子はまたたく間にカメテテたちの口の中に消えていく。
「よし」
 カメテテが両手とも食事を終えたのを確認し、テトはまず、自分の肘から先を海水につけた。浅いせいか思ったよりも温い海水から腕を上げ、本番だ。
 まずは岩。触れてみると、岩場とびっくりするくらい同じ感触だった。ゴツゴツとしていて固いけれど、ヌルッとしていて。この岩場と同じに潮に洗われているせいかな。だとしたら、カメテテは長いこと、ここに貼りついてるんだろうか。
「ここから離れてみたいなあとか、思ったこと、ない?」
 尋ねてみたけれど、カメテテは要領えなさそうな感じで、腕を曲げるばかり。これは、首を傾げているのか。その首を触る。
「うわ」
 思わず手を離す。柔らかかった。反則なくらい柔らかかった。ツメを支える首が、まさかこんなに柔らかいなんて思わないだろう。海の中ならまだしも、固い殻もなく、地上でこんな柔らかい首をさらしているとは。触ったテトの方が遠慮してしまう柔らかさだが、気持ちよかったのか、右手のカメテテが首をすりよせてくる。
 そのリクエストに応えて。テトは触るか触らないかぐらいでスーッと撫でた。それで満足したのか、カメテテはふくれっ面の目を細める。テトもホッとして、カメテテの両手の頬をグリグリして、その日は別れた。

 次の日も、テトは海辺の岩場にやってきた。
「今日もスキンシップさせてくださいな」
 お団子を見せると、右手のカメテテの目が輝いた。左手も、喜びをあらわにはしないものの、お団子にはパクついた。
 昨日のでテトもカメテテもお互いに慣れて、今日はお団子を手ずからやりながら、カメテテの後ろ頭を撫でた。首筋と違って、固くてツルンとした貝殻みたいな手触りだ。
「ねえ、カメテテ」
 カメテテの両手とも、テトを見た。
「よければ、ぼくの旅に、いっしょに来てくれませんか?」
 カメテテの両手が互いに顔を見合わせた。テトは手を引いた。カメテテの右手が嬉しそうにうなずいた。
「君はどうでしょう?」
 対する左手のカメテテは、ふくれっ面をさらに難しそうな面にして、浅いプールの底をにらんでいた。たぶん、悩んでいるのだと思う。右手のカメテテがせっついたが、左手は頑として首を縦に振らなかった。右手が困ったようにテトを見た。
 テトは考えた。図書館で読んだ通りなら、右手のカメテテは、いざとなったら岩を乗り換えてテトといっしょに来れるかもしれない。けれど、テトからそれをうながすのは、いけない気がした。それに、今いっしょにいるカメテテの両手を、テトがそそのかしたせいで引き離すことになったら、後でテトがとってもイヤな気分になるだろう、とも思った。
 だから、テトはじっくり言葉を選んで、カメテテに話しかけた。
「両手さんともがいっしょに来ないのなら、ぼくも、ゲットを遠慮します。
 でも、気が変わったら教えてください。明日も来ますから」
 あるいは、一ヶ月後の“かいたんさい”まで。
 右手のカメテテは左手をチラチラと横目で見ながらうなずき、左手のカメテテはジウンと低い音で鳴いた。それは困惑にも聞こえたし、単なる謝罪にも聞こえたし、悲しそうにも聞こえた。つまるところ、テトには判断がつかなかった。

 左手に持ったお団子の袋が揺れる。約束した通り、テトはその次の日も海岸へやってきた。そして、いつもの岩場の前で立ち止まった。
 人がいる。
 ちょうど、赤と白のモンスターボールを持って、立ち上がったところだった。
 ふっと、足元が抜けた感じがした。頭を振って、去った血の気をむりやり呼び戻すと、テトはサンダルのかかとを引きずって、岩場に走り寄った。
「あの」
 岩場の淵に手をかけ、見上げる。男の人の足元から見上げる形になって、テトには彼が、すごく大きく思えた。
「ひょっとして、君のポケモンだった?」
 大きな男性はすぐさま身をかがめると、岩場から足を投げだして、淵に腰かける形になった。そうすると普通の人間サイズだった。
「いえ、そういうわけじゃ」
 テトの返答はしりすぼみに消えた。
 トレーナーのルールは知っている。学校で習ったことだった。ゲットされていないポケモンは、誰のものでもない。ポケモンをゲットするのは早い者勝ち。バトルして、弱らせて、ボールに入った者が勝ち。
 わかっている。けど。
 握りしめたテトの左手に何を思ったのか、男性はさっき拾い上げたボールを開いた。
「カメテテ」
 やっぱり、この岩場のカメテテだった。
 吐息がテトの口から勝手に出ていった。安心ではない。でも、確認できただけでもよかったと思えた。
「えっと、お兄さん」
 テトは、もう岩場を降りていた男性にお願いをした。
「この子とスキンシップさせてもらっても、いいですか?」

 カメテテは昨日と変わらない手触りだった。当たり前だけど。
「カメテテ、短い間でしたけど、ありがとうございました」
 お団子は男性に辞退された。もう他人のポケモンだ。テトも粘らなかった。
「君さえよければ、譲っても」
 男性の申し出に、テトは頑として首を縦に振らなかった。
「ルールですし、それに」
 テトは岩場の段差の下から、向かって右のカメテテに手を伸ばした。いつもはあまりいい顔をしない左手が、今はテトにいいように撫でられていた。
 それに、の先は言えなかった。
 左手のカメテテは、お兄さんといっしょの方がよさそうです。そのことは。
 右手はテトと旅に出たいくらい仲良しで、左手はテトと旅に出るほどの仲良しじゃなくて。友達になれても差があって、それはどうしようもない。彼らが同じ岩で生きるカメテテだから、余計に尊重したかった。
 テトの頭の上に手が乗った。大きな手だった。
「僕は海誕祭までこの町にいますから、カメテテを訪ねてきてくださいよ。あ、僕はカシワといいます。名前がわからないんじゃ、訪ねようがないですね」
「ぼくはテトです。あの、かいたんさいって?」
 図書館でもその名を聞いた。テトが男性の手をのけて見上げると、彼は不意に笑みを深めた。
「この町のお祭りです。運がよければ、祭りの夜にルギアという伝説のポケモンの姿を見られるとかで」
 ルギア。それも図書館で聞いた。なじみのないポケモンの名に、テトのボルテージがどんどん上がっていく。
「ルギア、触ってみたいです! あ、スキンシップしたいです!」
 かぶっていたネコを剥ぎ捨てた少年に、カシワは目を丸くした。カメテテの右手は吹き出し、左手は呆れたように首を振ったのだった。


  [No.1334] 5.クイタラン 投稿者:   投稿日:2015/10/13(Tue) 21:50:22   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 カメテテにあげたお団子は高かった。ポケモンセンターの宿泊費割引は、海誕祭の一ヶ月前なのでなくなってしまった。
「よし、野宿しよう」
 清流のそばに居を構え、テトの相棒のグレッグルはご機嫌である。が、テトとしては安物でもいいからベッドで寝たい。
 グレッグルがバシャンバシャンと、川の水を蹴りあげている。
「毒は流さないようにね」
 ケロケロという返事を聞き、テトは手元の端末に目を戻した。
『クイタランがいなくなりました』
『やぐら組みのお手伝い』
『みずタイプのポケモンがほしい』
 宿泊費もだが、多少なりともお金を作らないと、この先厳しい。テトはもう一度グレッグルに目をやってから、仕事情報の吟味を始めた。グレッグルはあごを岩に乗せて、清流に洗われている。特に問題なさそうだ。
『やぐら組み』――海誕祭では組んだやぐらの中に故人の持ち物を入れ、海に送り返すのだそうだ。そのためのやぐら組みだろう。住み込みでお給料もいいけれど、グレッグルは大工仕事に向いてない。残念。
『みずタイプのポケモンがほしい』テトもほしい。
『クイタランがいなくなりました』――迷子のポケモン探し系の依頼は、結構多い。でも、やるなとトレーナースクールで言われた。範囲が広い上に、通り一遍の知識で見つけられるものではないからだ。それでも引き受けるなら、僥倖に頼るしかない。
 仕事はたくさんあるけど、テトとグレッグルにできそうな仕事となると、難しい。テトはまた端末から目を上げた。
 上流からクイタランが流れてきた。僥倖だ。

 幸いダメージは大したことなかったようで、テトの手持ちの傷薬とポケモンフーズで元気になった。
 テトは迷子情報の写真と、目の前のクイタランを見比べる。土色の頭に、赤と黄色の縦縞の体。細い頭からぷっくりしたお腹までのラインは土笛みたい。ポケモンはその笛の先っちょから細い火の舌を出して、ご飯を入れたお皿をしっかり舐めていた。
「ちょっと失礼します」
 クイタランの二の腕に巻かれたリングを確認する。おや情報も、住所も、クイタラン探しの依頼と一致していた。
「クイタランさん、あなたの“おや”が心配していますよ。帰りましょう」
 驚かさないように、膝をついてクイタランの太い前腕を取った。しかし、クイタランはすっと腕を抜いた。
「帰りたくないんですか?」
 テトがそう問うと、クイタランのジト目が上流を見やった。
「上流に何かあるんですか?」
 クイタランはおずおずとうなずいた。その目は半眼で、それだけ見たら目つきが悪いけれど、同じくジト目のポケモンを連れているテトにはわかった。クイタランは今、困っている。それを放って、クイタランを“おや”のところに引っ張っては行けない。
「クイタランさん、何か困ってるなら、ぼくが手伝いますよ」
 クイタランのジト目が、ちょっと見開かれた。クイタランはテトをうかがうようにジッと見つめて、そして、うなずいた。

「その前に、スキンシップさせていただいても構いませんでしょうか」
 テトの申し出にクイタランは一歩後ずさり面食らったようだったが、ジト目はイヤがってはいない、ように思える。よし。テトは敢行した。
 まずは土色の頭に手を伸ばす。焼いた後の土のような乾いた感じと、きめの荒いザラザラした感じが手に残る。
 手を一往復させようとしたら、そっと腕でさえぎられた。どうやら頭はイヤらしい。「ごめんなさい」と謝って続行する。
 赤と黄色の縦縞部分に手を近づけた。温度を確かめつつ、前進。接触。マグマのような色合いから想像したよりは冷たいけれど、ほのおポケモンだけに、とても熱い。ずっと触っていたら低温やけどになるだろう。時々手を離しながら、しましまを撫でる。毛羽立ったザラザラで、毛の固いカーペットとか、変わった形の鉱石を触っているのに似ている。
 テトがしましまを触っていると、クイタランが両腕を突きだした。
「触ってもいいですか?」
 確認して手を取ると、クイタランが気持ちよさそうに目を細めた。
 二の腕に対して、前腕はひょうたんのように太い。頭と同じ土色のリングが腕をグルリと囲っている。リングに等間隔に空いた穴の奥で、赤い光がゆっくりと揺れている。
 リングを手で包んだ。土色の頭と同じザラザラした感触、でも、温度は体と同じで熱かった。クルクルと腕の周りを回るように撫でてやると、クイタランはますます気持ちよさそうな顔をして、火でできた舌をチロチロ出し入れした。
 クイタランの土気なザラザラの皮膚を堪能した後。
「ありがとうございます。では、出発しますね」
 クイタランが嬉しそうにうなずいた。ちょっぴり仲良くなった気がした。

 クイタランを先頭に、川をさかのぼる方へ進んだ。赤と黄色の背中を見失わないように追う内に、道は急な坂になり、すぐ横に見えていた川は崖の下になった。たった数メートルの崖だけど、足が震えた。落ちないように足場を確かめながらの行軍。夕方の早い内から雲行きが怪しくなり、その日は近くに平坦な場所を見つけて野宿を決めた。
 テントの幕を打つ雨は強く、心もとない夜となった。狭いテントの中に招き入れられたクイタランは、水滴が黒い影となってテントの表面を滑り落ちるのを、長いこと見つめていた。
「もう寝ますよ」
 明かりを落とす。クイタランは土笛のような体をのっそりと横たえた。

 朝日に自然と目が覚めた。幸いなことに雨は過ぎていて、新人トレーナーのテトも、足元に気をつければ無理なく進めそうだった。
 一方で、崖下の川の水量は増していた。昨日まではちょうどよいBGMだった川のせせらぎが、暴力的な音量で逆巻いているのがわかった。
「落ちたらひとたまりもないね。昨日もだけど、今日は余計に」
 気をつけよう、とグレッグルとうなずきあった。
 先走りそうなクイタランの太い前腕を何度も引いて、テト達は先へ、上の方へと進んでいく。

 クイタランが立ち止まった。
 テトは無言でクイタランの視線の先を追った。崖の上に立つ一本の木。その梢で黒いものがバサバサと動いた。
 双眼鏡のピントを合わせる。黒い鳥のポケモン。とんがり帽子みたいな頭と、箒みたいなしっぽが特徴のヤミカラス。
「あのヤミカラスがどうかしたんでしょうか」
 気づかれないよう息遣いだけでクイタランに話しかける。激しく首を縦に振ったクイタランを、腕に手を置いて落ち着かせた。
「何かされたんでしょうか、って言ってもぼくにはわからないや」
 テトの質問に、クイタランは腕をグルグルするジェスチャーで答えてくれたが。ポケモンの言葉がわかるのは、アニメやマンガの話。
「どうしましょう?」
 ヤミカラスが飛び去った。クイタランが走りだす。慌ててテトもクイタランに続く。クイタランはヤミカラスがとまっていた木に抱きついた。
「この木に用があるんですか?」
 テトは再びクイタランの視線の先を追った。密にしげった枝葉。特にヤミカラスの影も見当たらない。
 クイタランが木にツメを立て、登りはじめた。止めようか、止めまいか、迷っている間にクイタランは枝をいくつも乗り越える。
 カァ、と声がした。ヤミカラスが戻ってきた。黒い鳥はクイタランの鼻先をかすると、枝から枝へ駆けるように渡って、巣から何かを取りあげた。
 木漏れ日に白く光る、一連の輪。ヤミカラスのクチバシに引っかけられたそれを認めて、クイタランが怒りの気炎を上げた。
「真珠のネックレス?」
 もうテトの言葉にも答えない。クイタランは幹にグサグサとツメを突き刺し、猛然とヤミカラスを目指す。ヤミカラスはあざわらうように、クイタランの目前で飛び立った。
 クイタランはツメを幹に刺したまま、茶色の頭だけ動かして火を噴いた。が、届かない。
「グレッグル、とりあえず“どくばり”!」
 テトは迷いながらも指示を出した。もっといい方法があるかもしれない。でも、今のテトとグレッグルじゃ、これぐらいしかできない。ばらまいた“どくばり”の一本がヤミカラスの翼に当たり、ヤミカラスがバランスを崩す。崩れたバランスを取り戻そうと、ヤミカラスが木の枝を握る。そこへクイタランが猛進し、ネックレスを手に取った。
「やった!」
 ヤミカラスが弾かれるように首を逸らした。
 一連であった白の珠が、一つの線になり。まるで滴のように散らばったそれは、川の中へと吸いこまれていった。

 白い珠をハンカチにくるんだ。見つかったのはクイタランのツメに残った一つと、木の根元に落ちた二つきりだった。
 日の落ちた後の森を、クイタランの火の舌で照らして、ほうほうの体でキャンプ地まで戻った。再度テントを張る気力もなく、グレッグルと交代で夜の番をした。
 次の日はあくびを噛み殺し、固くなった体をほぐしながらの進行だった。坂が緩やかになっていくと、昂ぶっていた気持ちもようよう落ち着いてきた。
 町が近づくにつれ、テトは気持ちがはしゃいできたが、クイタランは逆に気落ちしていくようだった。なぐさめるのも謝るのも合わない気がして、テトは何も言えないまま、クイタランの“おや”の住所まで辿り着いてしまった。
 端末の表示を照らし合わせて確認する。赤茶の壁の、瀟洒(しょうしゃ)な喫茶店だ。大きくガラスの入ったドアを押すと、チリンチリンとベルの音がした。
「いらっしゃいませ」
 カウンターにいた白髪の男性が、テトの後ろを見るなり相好を崩した。
「クイタラン!」
 身をひるがえしてカウンターの小扉を抜けると、男性はクイタランの腕を両手で包んだ。と同時に二の腕のリングも確認する。
「確かにうちの子です。見つけてくださり、なんとお礼を言っていいか。すいません、お客様を立たせたままでは」
 さあ、と男性の大きな手にいざなわれ、テトは流されるままカウンター席に着いた。
「本当によかった。もう見つからないものかと思っていました。本当に」
「あの、これ」
 テトはハンカチに包んだままの真珠を、背伸びして差し出した。男性は目を細める。目元にたくさんのシワが寄った。
「すいません、ネックレス、切れてしまって」
 テトの手から、男性がハンカチを受けとった。三粒残った真珠を、丁寧に自分のハンカチへ移すと、テトのを持ち主に返して、そして。
「そうですか。そう……いえ、ありがとうございました」
 言葉尻は明るかったが、肩は落ちていた。カウンターの内側で、細い炎の舌がチロリと照った。小さなテトからは見えない位置で、男性の手をクイタランが握っているのだと思った。

「クイタランを見つけてくれたお礼に」と、テトは白髪の男性――店長さんから喫茶店の二階の一部屋を貸してもらうことができた。
「亡くなった家内の部屋でよければ」と店長さんは言っていた。
 真珠のネックレスも、彼女のものだそうだ。店長さんは一粒をカウンターの中に飾り、一粒をクイタランの二の腕のリングに飾り、一粒を自分の胸ポケットの中に入れた。
 その様子を、テトはサービスのコーヒーを飲みながら、黙って見ていた。はじめて飲むコーヒーは、ひどく背伸びした味がした。


  [No.1347] 6.タマザラシ 投稿者:   投稿日:2015/10/19(Mon) 21:56:35   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 チリンチリンと喫茶店のドアが歌う。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
「テト? 何してるんですか?」
 お客さんに言われて、テトはキョトンとした。
「バイトですよ。カウンター席でよろしいですか、カシワさん?」
「じゃ、カウンター席でお願いします」
 テトより年上の男性のカシワは、テトがよじ登らなければならない椅子に、ヒョイッと座った。
「あの、モーモーミルクの入ったコーヒーお願いします」
 カシワは店長さんとテトを交互に見ながら注文した。テトが「カフェオレ一つ」と言うのと店長さんが「では、カフェオレを」と言うのは同時だった。
 カシワが店内を見回す。
「今はまだ閑散としていますがね。祭りの前後は人だかりですよ」
 渋いウインクを決める店長さんに、カシワは「あ、いや、すいません」と頭を掻いた。
 店長さんが注いだコーヒーに、クイタランがモーモーミルクを注ぐ。ミルクポットを火の舌でチロチロと撫でながら。それがコーヒーに合う絶妙な熱さ加減を作りだす。
「おいしい」
 カシワも笑顔がほころんだ。

「ところでテト。あれからみずタイプのポケモン、ゲットしました?」
 久しぶりの歓談だ。カシワの隣の席に登ったテトは、首を横に振った。
「あ、でも、ジムバッジはゲットしましたよ」
 じゃん、とメタリックシルバーのバッジを見せる。鳥の羽根を模した形だ。「おお、すごいじゃん」とカシワにほめられ、照れた。この町のジムはみずタイプ。“かんそうはだ”なテトのグレッグルは、ジムリーダーのタマザラシ相手に大活躍だったのだが。
「でもさあ、あのジムリーダー相手に、戦いづらくなかったですか?」
 テトは首をかしげた。「ごめん、今のなしで」カシワは話題を変えた。
「そのバッジないと、“なみのり”できないもんね」
 少なくなったカフェオレをチビチビすすりながらカシワが得心したようにうなずいた。
「潮凪の海洞(しおなぎのうみうろ)に行くなら、“なみのり”は必須ですからね」
 店長さんも心得顔でうなずいた。
「しおなぎのうー……ってなんですか?」
 テトだけが首をかしげている。カシワと店長さんが同時に答え、「先輩トレーナーの方が、どうぞ」と店長さんが譲った。
「海誕祭(かいたんさい)の夜に、ルギアが姿を見せるでしょう? 潮凪の海洞っていうのは、海誕祭に備えて、ルギアが羽を休める場所と言われてるんですよ。
 ルギアをゲットしたいトレーナーたちが、祭りの前に挑んでいますが、未だ成功例はありません。
 で、いいですかね? 地元の方」
「大変わかりやすい説明でした」
 カシワの説明を聞いて、テトはポン、と手を叩いた。と同時に頬をふくらませる。
「あれですか。図書館で読んだのには、『渦潮の洞窟』って書いてありましたよ」
「それは新しいパンフレットですね」
 自分用のコーヒーを淹れながら、店長さんが答えた。
「潮凪の海洞は古い言い方なんです」
 コーヒーを一口含んだ店長さんは、おかしそうに口元をほころばせた。
「もっとも、長いことこの町で暮らしていますが。あの小島の暴れ潮が凪いだことなんて、一度もありませんよ」
 テトとカシワは顔を見合わせた。が、考えていたことは全くの別だった。
「なんでそんな名前だったんでしょう?」
「暴れ潮ねえ。じゃあますますみずポケモンが必須ですね」
 捕まえに行きましょうよ、とカシワに誘われ、テトは店長さんに指示をあおいだ。
「行ってきてください。今は私一人で回りますから」
 カウンターの下から、クイタランが腕を伸ばした。
「クイタランもいますからね」
「では、お言葉に甘えます。じゃあね、クイタラン」
 パタパタと上に戻ったテトが、グレッグルのボールと軽いセカンドバッグを持って降りてくる。
 腰に五つ、空きのモンスターボールがあることを確かめて、いざ出発だ。

「あ、ガーディ。すいません、スキンシップしてもいいですか?」
「トレーナーさん? どうぞ、どうぞ」
 許可は得た。熱のこもったガーディの体毛を思うさま撫でさする。お手の応酬をしていたら「みずポケモンを探しに行くんでしょ」とカシワに引っぱられた。
「あ、エネコロロ。すいません、スキンシップしても?」
「耳の先っぽは触らないでね」
 えりまきの飾り玉を触る。思いがけず固かった。「喜ぶから」と言われてとがった頬の揃った毛並みを堪能していたら、やっぱりカシワに引っぱられた。
「あ、トドゼルガ。すいません、スキンシップ」
 全部言い終わる前にカシワに肩をつかまれ、引き寄せられた。トドゼルガのトレーナーは、紅を差したくちびるにきれいな弧を描かせた。
「よう。テトにカシワじゃないか」
 テトはその顔を見て、目をまんまるにした。巫女服なので気づかなかったが、彼女はジムリーダーじゃないか。長いポニーテールの根本に、ジムバッジに似た銀の羽飾りが光っている。
「ジムと服が違うので気づきませんでした」
「外であれは着ないよ」
 アハハと闊達に笑いながら、ジムリーダーはテトの頭をくしゃくしゃと撫でた。豊満なたわわは、ジムと格好が違うので見えない。
「ポケモンに触りたかったら、後でジムにおいで。これが終わったら相手もできるからさ」
 親指で指した先には、大きなやぐらが組み上がっていた。くびきにトドゼルガが胴を通している。海誕祭に向けての、練習をしているようだ。
「ではまた、後でジムにうかがいます」とテトは両手を振った。

 それから数匹のポケモンに手を出してはカシワに止められつつ。向かった先は海。
 カシワの口利きで安く借りられた釣り竿を、大海に向かってしならせた。
「あそこに見えてるのが潮凪の海洞だよ。今は渦潮の洞窟か」
 思い出したように、カシワが今朝の話題を口にした。水平線に、黒い丸い影がポツンと浮かんでいる。洞窟と言うからには、中に空洞が広がっているんだろうか。
「ルギアを見た人は、少ないんですよね」
 たゆたう浮きを眺めながらテトが呟く。カメテテの調子を見ていたカシワが、顔を上げた。
「そうだね。洞窟でも見たという人は少ないよ」
「触ったという人は」
「聞かないな」
 浮きはあいかわらずの無反応だった。カメテテが腕を振る反動を使って、テトに近づいてきた。テトの脚にまとわりつく右手のカメテテを撫で、水平線を見やる。テトの視界に入る海の下で、ルギアが羽を休めている――潮騒が、ルギアの鼓動に思えた。

 最初の釣果はメノクラゲだ。プニプニしていながらも固さがあってコリコリな傘をはしゃぎながら触り、大きな目玉のような赤い結晶体の暖かさに驚いた。たっぷりスキンシップした後、モンスターボールを投げようとしたら逃げられた。
「捕まえてからスキンシップした方がいいと思うよ」
 カシワからアドバイスを受け、二匹目。
 今度はヒトデマンだった。言われた通り、グレッグルとバトルさせ、無事にゲットする。傷を治したら、メノクラゲよりさらにコリコリな五本の腕と、研磨した石のように固くてツルツルのコアを堪能した。
「じゃあ、これからよろしくね、ヒトデマン!」
 ヒトデマンの中心のコアがまばゆい光を放つ。テトが目を覆った隙に、ヒトデマンはブーメランのように回転しながら海へ帰ってしまった。
「こういうことって珍しいけど、でも、相性が合わなかっただけだと思うよ」
 カシワに慰められ、気を取り直して三匹目。テッポウオを釣りあげた。グレッグルに体力を減らしてもらい、ゲット。傷を癒やしたテッポウオの柔らかい横腹をつぶさないよう気をつけて撫でていたら、ビチンとはねて逃げだした。
 四匹目、タッツー。頭のヒレに通った骨のラインをなぞっていたら逃げられた。
 五匹目、ホエルコ。厚い皮膚の細かなシワを指先のシワと合わせていたら逃げられた。

「ぼく、才能ないんでしょうか」
 ざーん、と大きく打ちよせる波の音が、この場面にお似合いのサウンドエフェクトだった。テトは四分の一ほど砂浜に埋まっていた。砂をかけた犯人は頬を伸縮させてブースカブースカ鳴らしながら、海に背を向けていた。トントン、とカシワが砂まみれのテトの背を叩いた。
「これは仮定なんだけど」
 カシワが話しだす。テトはひじを立てた。頭から砂が落ちた。
「野生のポケモンたちは、テトの距離にびっくりするんじゃないかな。今日会ったガーディみたいに、人に慣れてて、一度きりなら、大丈夫だろうけど」
 テトは砂をかぶったまま、ゆっくりと視線をずらした。
「そうなの、カメテテ?」
 カメテテの右手が左手を見た。左手の方は、ただ砂粒を見つめるばかり。
「ぼく、迷惑だった?」
 右手が首を振る。左手がちょんとうなずいた。テトは再び砂の上につっぷした。
「ぼく、もう一生ポケモンゲットできないかもしれない」
 カシワは「ゆっくり距離をつめたら大丈夫だよ」と言ったが、彼自身、言ってみてテトにそれができるとは思っていないようだった。テトも思っていない。
 テトはどよんと落ちこんだ。落ちこみすぎて、“あまごい”できそうなくらいだった。
「こいつでも触って、元気出しな」
 後ろ頭にぐりぐりと押しつけられたポケモンを受け取り、触る。テトの暗雲がパーッと晴れた。
「タマザラシだ!」
 大きめのボールみたなアザラシに抱きつき、転がし。軽く触れた感じは水を弾く用か固めでツヤツヤ、でもギュッと力をこめるとその下はフワフワ。まんまるからピョコンと飛び出た耳は触れるといやがられた。テトは耳から手を遠ざけ、お腹に触れた。こっちは喜ぶ。固い毛の下のフワフワした毛のそのまた下の脂肪たっぷりのお腹をプニプニにぎる。
 興奮したタマザラシが短い手をバチンバチンと叩きはじめた。テトもツヤツヤ・フワフワ・プニプニの三段構えが楽しくなって、タマザラシのお腹をここぞとばかりプニプニ猛ラッシュ。タマザラシはいよいよ高速で手を叩きながら、転がりだした。
「ああっ、タマザラシ!」
 波打ち際でまんまるアザラシを捕まえて戻ると、巫女服のジムリーダーがいた。
「こんにちは、こんばんは? どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、なかなか来ないからこっちから出向いたんじゃないか」
 ジムリーダーはテトの腕の中に目を落とした。そこには高速で手叩きするタマザラシがいた。「ふむ」ジムリーダーは腕を組んだ。「テトにそいつをやるよ」
 テトはびっくりして、視線をジムリーダーの顔のところまで上げた。彼女の顔は夕日に染められていて見えにくかったけれど、じょうだんではなさそうだった。
「本当ですか?」
「ああ」
「ジム戦で困りませんか? 本当に連れてっちゃいますよ?」
「何匹も育ててるし、平気さあ」
 ジムリーダーは海に向かって歩きだす。素足の型が砂浜に押されていく。
「あんたみたいな初心者を支えてやるのも、あたしらの仕事ってね。そいつは触られんのが好きだから、あんたとうまくやってけるだろうよ。それに」
 くるぶしを波が洗う。彼女が大きく腕を伸ばして、逆光の小島を指さした。
「この町に訪れた誰かがルギア様と出会えたら、そりゃ最高だろうからさ」
 銀色の髪飾りが夕日を反射した。
 テトは腕の中を見下ろした。タマザラシが、体型と同じくらいまんまるな瞳でテトを見上げていた。
「こんなぼくですが、いっしょに来てくれますか?」
 ウギュ、と鳴いたタマザラシに、一つ残ったボールを当てる。登録解除は済んでいたらしく、タマザラシはすんなりとテトのボールに入った。
「がんばって、会いに行っておいで」
 はい、とうなずいたテトの手の中で、新しい仲間がその身を震わせた。


  [No.1348] 7.ルナトーン 投稿者:   投稿日:2015/10/25(Sun) 01:13:03   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 向かうべき水面が、ゴーグル越しでも強く光って見えた。
 新しく仲間に入ったタマザラシのガイドで浮上する。水面が割れた。
「はい、全課程終了。着替えて機材を片付けて、ジムに戻るよ」
 ふあい、と気の抜けた返事をして、テトはポケモンと自分とを結ぶ安全ベルトを外しはじめた。
 タマザラシを手持ちに加えて一週間。ジムリーダーの提案で、テトはポケモンダイビングの講習を受けていた。この地方には“ダイビング”単体のライセンスバッジはない。代わりにこの町のジムでライセンスを受けられるということで、テトは受講したのだが。
「バイト代が飛んだ」
 受講料その他。一式レンタル代もばかにならなかったし、水中でもしもの時に使うナイフも、十徳じゃ頼りにならんということで買わなければならなかったし。
「いやでも、ジムリーダーさんに『水中のポケモンにも触れるようになる』なんて言われたら。言われなかったら受けなかったよね。でもこれで水中のポケモンに触れると思えば」
「早く戻ってこい」
「はい」
 タマザラシをボールに戻し、ジムでトドゼルガの手触りを堪能して。
「素晴らしいですね、この長い牙。頭周りのこの長い白い毛もフサフサってしてますが、冬の霜柱みたいなシャクシャクした感じもありますね」
「はいはい。残りは自分のタマザラシを育てて味わいな」
 そして、ライセンス交付を受けた。トレーナーカードの隅に追加されたチョンチーのマーク。小さくて頼りないが、確かにテトがポケモンと“ダイビング”できるという印。

 海誕祭(かいたんさい)まで、あと一週間。
 祭りの夜までルギアが羽を休めている、といわれる潮凪の海洞(しおなぎのうみうろ)――もしくは渦潮の洞窟――を探索するならば、今日発たないとギリギリだ。
 短い距離とはいえ海を越え、一週間分の冒険に耐えうる準備をする。お金と、重量と、電卓をしきりに叩きながら、嵐のように荷物を作り。
「重っ」
 少し持とうか? と両手を差し出すグレッグルに断りを入れて、ボールに戻す。これから先、水も食料も貴重になる。ポケモンもおいそれとは出せなくなるのだ。
 テトはザックを背負い、部屋を見回す。ベッドはきちんと整え、自分の荷物は隅にまとめる。階段を降りる時、手すりにザックがこすれた。
「ありがとうございました」
 大きな荷物に難儀しながら、店長さんにペコリとおじぎした。店長さんは穏やかに笑う。
「いってらっしゃい」
「はい。お祭りまでには戻ってきます」
 クイタランの両手を触り、ベルの鳴るドアを押した。
 染みついたようなコーヒーの香りとも、しばしお別れだ。

 海岸は夏のビーチ並に人があふれていて、テトはびっくりした。
 テトのびっくりを勘違いしたのか、親切な人が「あの沖に見えてるのが“渦潮の洞窟”でね、今の時期はルギアがいるんですよ」と教えてくれたけれど、テトは満足な返事もできなかった。
「プライベートビーチで講習受けてたけど、こっちはこんなことになってたんだ。ねえ、グレッグル」
 いつもの癖でグレッグルに話しかけ、あちゃーと言いながら頭をかいた。聞いた人はいないと思う、多分。頭をかきながら人ごみを離れ、タマザラシのボールを手に持って「どこで着替えよう」首を伸ばして探してみると、臨時増設の着替えスペースは人ごみのど真ん中で、結局テトはまた人ごみをえっちらおっちらかき分けていかねばならなかった。
 そしてやっとのことで海に入った。スーツにブーツに手袋にゴーグル、フル装備だ。ライセンスは取ったけれど、今回は潜らないのでボンベはなし。波打ち際でザックを漬け、水が染みこんでこないか確認。タマザラシに装備させた安全ベルトを引っぱり、カラビナを自分の方のベルトに引っかける。最後にもう一度、ベルト回りの装備を確認して。
 軽く息を吸った。ポケモンに道を作るわざを命令するのは、これがはじめてだ。
「タマザラシ、“なみのり”」
 手袋ごし、タマザラシの筋肉がグヨンと動く。ギュー、と鳴いてタマザラシは波にザブンと潜る。テトは握力よりも安全ベルトの力でタマザラシに引っぱられていった。
 途中で安全ベルトを引っぱり、体を起こした。「ちょっとごめんよ」タマザラシの頭にテトの胸を乗せ、沈めたタマザラシを推進力にする形に“なみのり”の体勢を整えた。ベルトで引っぱられるのは背中が痛かったのだ。
 楽な姿勢をとり、余裕ができたテトは周囲を見渡した。テトと同じように、ルギアに挑むトレーナーたちが何人も“なみのり”している。テトがうらやむような、ラプラスという珍しいポケモンの背に腰かけて、悠々と海を渡るもの。大きなポケモンの背で“なみのり”して、それでも波をかぶって濡れているもの。テトみたいにスーツで防水しているものもいれば、陸と変わらない普段着のものもいる。でもみんな共通して、一方向に進んでいた。
 もう少し進むと風景が変わってきた。ギザギザした小島の輪郭がはっきり見えるところまで来て、たくさんのトレーナー達が立ち往生していた。止まってしまったトレーナー達は「なんだ?」「どうした?」とざわつきはじめ、遅れてやってきた人達も順次、そのどよめきに加わっていく。
 タマザラシの頭の上から、テトはせいいっぱい首を伸ばしてみる。
「見えた?」
 隣の人に話しかけられる。
「いいえ」
 長丁場になるかもしれない。テトはタマザラシの体の上にお腹を乗せた。普段着で波をかぶった人達からポツポツと、人ごみに謝りながら戻っていく。空いた場所を埋めるように、人だかりが少し進み、止まる。

 テトは最初の日のことを思い出した。トレーナーになって、グレッグルをもらった日。一塊の生き物みたいに進む人だかりの一部になって、テトは、この先にどんなワクワクが待ち受けているんだろうと、胸を躍らせていた。
「あっ」と小さな声が隣の人から上がる。声につられて、テトもそれを見た。
 海に突然現れた、轟々と唸る川。白い飛沫を上げながら、その潮流は静かな海と小島とを隔てていた。
『もっとも、長いことこの町で暮らしていますが。あの小島の暴れ潮が凪いだことなんて、一度もありませんよ』
 喫茶店の店長さんの声が、耳によみがえった。
「暴れ潮」
 果敢にも挑んだトレーナーが、あっという間にテトの右から左へと流されていく。
 群衆がざわめきたった。引き返す者、対策を練る者、反応は様々だ。
「ちょっとムリそう」
 と言って、テトの隣にいた人も列を離れた。「すいませーん」道を開けてもらう声が遠ざかり、空いた場所に別の知らない人が入った。
 今度は群衆が歓声を上げた。ラプラスに乗った少女が、悠々と暴れ潮の上を進んでいく。「うずしおだ」とどこかで誰かが解説している。この地方ではライセンスバッジもわざマシンもない“うずしお”を使いこなす少女は、別地方からの旅人か。少女とラプラスはプールを泳ぐみたいに、何の障害もなく小島の岸に降りたった。
“うずしお”の恩恵に預かろうと後ろにつけたトレーナーが三人ほど流された後。何人かのトレーナーが“うずしお”を使って小島に渡った。「よし、僕も」テトの隣の人も、“うずしお”を使って暴れ潮を渡っていく。近くで見ると、潮は暴れたままで、“うずしお”をどう使ったのかもわからない。後ろにくっついていくのはダメそうだ。
 その次には“うずしお”に頼らないチャレンジャーが現れた。大きなエイのポケモン、マンタインで滑空したかと思えば、力自慢のギャラドスが暴れ潮を強引につっきった。
 そんなチャレンジャー達の中に見知った顔を見つけた。耐水スーツに身を包んだカシワが、ガメノデスとカメックスの二匹にボートを引かせて乗り切った。二匹の力の合わせ技にまた歓声が上がる。
「すごいね、タマザラシ。カメテテ、進化したんだ」
 テトの手持ちはグレッグルとタマザラシだけ。真似できそうもない。
 ここまで残っていた人々も、そろそろ店じまいと帰る方が多くなってきた。一度ダメ元でチャレンジして諦める者、来てはみたものの、予想以上の暴れ潮の激しさに引き返す者、「明日もあるし」と苦笑いして帰る者。
 テトも、そろそろ帰った方がいいと思いはじめていた。フル装備でも、長時間水に浸かりすぎて、体が冷えてきた。戻る意思を伝えるつもりで、タマザラシをポンと叩いた。
 ギュー、と一声鳴いて、タマザラシが潜水した。

 テトは慌てて息を吸いこんだ。口元を手で押さえ、意識的に少しずつ息を吐く。鼻からもれてクルクルのぼっていく泡の粒から目を離す。状況を把握しようとして、テトは息をのんだ。
 凪いでいる。海上の喧騒がうそのように、海中は無音の静寂に沈んでいた。
 テトの青い視界の中を、海藻の切れ端や土くれがまっすぐ落ちていく。眠りにつくように落ちる黒い欠片を舞いあげて、小さなタッツーが左から泳いできた。背びれを震わせて少し進み、背すじを伸ばした反動でわずかに浮きあがる。その動きを繰り返しながら、タッツーはテトの右手側へと泳ぎ去る。
 テトとタマザラシは前進した。海をかき乱すのはタマザラシの尾びれだけだった。
 深すぎる青できかない視界に、岩の壁がぬっと出現した。手をついたところから壁は緩やかに湾曲し、小島の内部へと続いている。安全ベルトを引っぱり、タマザラシを先頭に横穴に入る。
 穴の中は、思いがけず明るかった。見上げると、何かが強く光っていた。テトとタマザラシは誘われるように、光に向かってゆっくりと浮上した。
 水面が割れた。
 テトは大きく息を吸った。空は見えず、岩の天井が濡れて光っている。屹立していた岩壁はなだらかな斜面となり、海から出て、洞窟の床となってどこかへと続いていた。テトは斜面を四つん這いでのぼった。その海水に洗われる斜面に、ポケモンが四匹身を寄せていた。
“おやき”みたいな丸くて平べったい体に、十字の目。その背中からそれぞれ二本、合計八本、コードの先につないだ電球みたいなのが光っていた。
「チョンチーだ」
 明かりの主はこの子たちだった。テトは触りたいなあと思って手を伸ばしたけれど、チョンチー達におびえられたので断念した。ポケモンフーズは貴重で、餌で釣るなんてことに使えない。
「明かりは君達だったんだね。ありがとう」
 通じるかわからないお礼を言って、テトはその近くで荷物を整理しはじめる。スーツを脱ぎ、普段の長袖長ズボンに着替え、セカンドバッグを腰に巻く。懐中電灯の動作も確認した。最後に安全ベルトをつけたままのタマザラシをボールに戻し、チョンチー達に一礼して、テトは洞窟の奥へと踏みだした。

 チョンチー達から少し離れただけで、テトの周囲が闇に包まれた。懐中電灯のスイッチをオンにして、壁を触る。岩壁にはなぜか、誰かが打ちこんだ“あなぬけのヒモ”が張ってあった。
「誰かが来てたのかな」
 テトの低い呟きは、洞窟に壁に反響して溶けた。音の溶ける先には懐中電灯の光も届かなかった。
 あなぬけのヒモのガイドに沿って進んでいくと、ところどころでチョンチーの光と出くわした。狭い穴があちこちにあるようだ。
「お腹すいてきた」
 時計を見て食事の時間を決め、チョンチー達の通路の近くに腰を下ろした。なんとなく不安で、少しでも明かりを節約したくなったのだ。
 チョンチー達の明かりで火を灯し、雑炊を作る。小さな鍋にチャック袋の中身を開け、混ぜる。それだけの簡単な夕食も、香りが立つと空きっ腹にひびいてきた。
 その時、明かりが揺れた。
 テトが光源にノロノロと顔を向ける間に、匂いに釣られたチョンチーが鍋をつつき、ひっくり返していた。
 テトは逆さまに着地した鍋を見て、やっとこさ状況を把握する。
 つまり、明かりはケチらない方がいいと。
 携行食のナッツを少し口にして、テトは寝袋を広げた。寝る前にポケモンよけのスプレーを自分に噴きかけた。さっきのチョンチーが回れ右して去っていった。

 テトはあなぬけのヒモに沿って歩き続けた。
 湿気た岩が続く。懐中電灯のスイッチをオンオフする音がやけにひびく。電池を無闇に消費することに気づいて、今度は電灯を振ってみた。蜂のように揺れる明かりに、少し気を紛らわす。
 チョンチーや、三日月型の岩のポケモン・ルナトーンは見かけたが、こちらから積極的に仕掛けない限り、向こうも襲ってこない。通路の端に寄って、音もなく浮いているルナトーンに道を譲り。無表情なルナトーンが、目からフラッシュを焚いて浮いているのはびっくりしたが。こうして避ければ、バトルというバトルもなく。
「どこまで進んだかな。このヒモを設置したのはどんな人かな」
 意図したひとりごとも、空々しいばっかりだ。進むにつれ荷物は軽くなるはずなのに、丈夫なブーツは重くなっていっている気がする。昼食に趣向を変えてパスタを茹でてみても、どうにも食べた気がしない。ずっと洞窟の中のせいか、夜になっても眠れる気がしない。それでも寝袋を広げて横になると、疲れはたまっていてアラームが鳴るまで目が覚めない。
 目覚まし代わりの端末のアラームが鳴ると、ちょっと憂鬱になった。

 三日目、朝食を食べてしばらく歩いた頃、テトの耳に流れる水の音が届いた。その音に、テトの頭の中にかかっていた暗雲も少し晴れて、歩きだす。
 だんだん大きくなる水音に、テトの足も速くなる。懐中電灯の明かりが揺れる。懐中電灯が作る光の円が、黒い川面を捉えた。その次の一歩は濡れた岩の横腹に滑り、テトの体は重い荷物に引きずられるように川に落ちた。
 痛い。歩きで温まった体に水が染みて、冷えて。流れは速い。このまま沈んだらどうしよう。淀みに引っかかったらイヤだ。見つからなくなる。テトの手が動いた。ボールを押す。出てきた丸いポケモンの体を探り、ベルトをつかむ。
 流れがテトの体を削る。自分の方が止まっている。ザックが引っかかっている。安全ベルトを握りしめる。空いた左手でナイフを抜いた。刃をストラップ紐に当て、ねじり、外側に動かす。右と腰と二箇所切って腕を抜くと、テトの体は流れにさらわれた。体を洗う水が僅かに生ぬるくなったのを逃さず、テトは渾身の力をこめて、カラビナを自分の腰に引きよせた。
 カラビナがかかる音を合図に、タマザラシが浮上した。
 息を吸うとテトは落ち着いて、ベルトを引いてタマザラシを抱きよせた。そのままタマザラシを浮き輪代わりにいくらか流れ、手探りで高低差の少なそうな場所を見つけ、上陸した。
「ありがとう、タマザラシ。またボールに戻ってて」
 ボールの出入りに伴う発光現象が収束すると、辺りはまた真っ暗闇になった。うっかりすると自分さえ行方不明になりそうな暗闇。落ち着こうと深呼吸したら、息をする音がイヤにザラザラと大きく聞こえて、効果はなしだった。テトは残ったセカンドバッグから予備の懐中電灯を出した。
 パチン、と光が差す。ふう、と息をついた。
 さっきまで歩いていた洞窟と、なんら変わりない景色に見えた。濡れた岩場、湿気た空気。ただ、近くに“あなぬけのヒモ”が見当たらない。
 上流に光を向けた。川は狭苦しいトンネルの中から、急角度で滑りでていた。着替えもあの中だ。テトは濡れた服を絞り、上にのぼる道を探した。

 夕食の時、端末が動かないことに気づいた。目覚まし時計にも使っていたテトの端末はただの黒い板となった。テトは腕時計を見た。間に合わせで買った安物のダイバーズウォッチでは、午前か午後かもわからなかった。日付はなおのこと。
「九時か。多分、三日目の午後だよね」
 携行食のナッツを食べて、空きっ腹を抱えて眠った。起きたら二時を過ぎていた。飛び起きて、ナッツをかじり、歩く。腕時計を見る。変わらない景色に、時計の針の進みも鈍い。やっと夕食の時間になった。けれど、ろくにお腹を満たすものもない。テトは寝袋を広げる気力もなく、ポケモンよけの薬だけして、膝を抱えたまま目を閉じた。

 目を覚ますと、時間は十時を過ぎていた。慌てて歩きだす。少し寒い。でもどのみち、羽織るものもない。
 懐中電灯に似た明かりが向こうから近づくたび、他のトレーナーかなと期待を抱き、やっぱりルナトーンだったとがっかりしながら道を譲った。チョンチーの姿は見かけない。チョンチーがいたら、彼らの使う穴を通って外には出られるかもしれないのに。出られないかもしれないけど。でも、チョンチー達の作る有機的な明かりが見たい。
 安物の腕時計に合わせて座り、携行食をかじる。横になるのは落ち着かなくて、座ったまままどろんだ。それでも疲れているのかひどく寝過ごして、でも寝た気はしなかった。
 灰色の岩が四方をふさぐ。壁に“あなぬけのヒモ”を打ちこんだ跡のペグはあるけれど、ヒモが見つからない。ヒモがあれば結び目で出口がわかるけれど、ペグだけでは方向がわからない。
 テトの目からボロボロ涙が落ちた。テトは袖で目をこすり、鼻をすすりながら歩いた。幸か不幸か、人の目もない。ポケモン密度の低い洞窟だったが、テトが流された先ではさらにポケモンを見かけなくなっていた。
 最初の方でもう、洞窟続きで気持ちが悪くなってたんだから、帰ればよかった。洞窟の入口に着いた時、雰囲気がパンフレットで見たのと違うんだから、引き返せばよかった。そもそもタマザラシが間違えて“ダイビング”した時に、面白そうって思わずに、ちゃんと戻れの指示をすればよかったのに。後悔のあふれるだけあふれさせて、テトは袖がグショグショで気持ち悪くなるまで、泣いた。

 泣きながら歩いて、どのくらい歩いたっけ。なんだか涙の貯蓄も切れてきた。泣き疲れて、その疲れで逆にスッキリしたような気がする。
 テトは最後にダメ押しで目尻をぬぐって、息を細く長く吐いて、平気そうな顔をして、グレッグルのボールを開いた。
 グレッグルはすわバトルか、と構えた。相手がいないことに気づくと、不思議そうに首をかしげた。
「手、つなご」
 出してみた声は、ああ全然元気じゃないや。でもグレッグルは気づかなかった風で、テトに右手を差しだした。
 グレッグルに伸ばした左手は、残念ながらすごく震えていた。
 それでもグレッグルは気づかない振りをして、同じ景色が続く洞窟の先を、熱心に見つめている。
 左手に、冷たくペタペタしたグレッグルの感触がある。
「ごめんね、グレッグル。ぼくの手、熱いよね」
 グレッグルは鷹揚に首を振って、なにやら上機嫌そうに、頬をプーと膨らませた。
 今夜は少し気分を変えて、チョコレートをかじることにした。といっても一口だけど。
「グレッグル、タマザラシ。今日は食べるといいよ。タマザラシはさっきありがとね。グレッグルも」
 二匹のポケモンが美味しそうにご飯を食べるのを見て、テトも自分の分を口に運んだ。
 今度から、日数を少なくしてポケモンの分の食事を多く持っていこうっと。
 生きて帰れればだけど。
 冷え冷えした考えから目をそらすようにテトは眠った。

「午前六時かな」
 多分、七日目。久しぶりによく眠れた気がした。夜番に立ててみたグレッグルとタマザラシはというと、こちらもしっかり眠っていた。
「襲われなかったからいいけどね」
 バトルをふっかけるのも苦労するような洞窟だけども。起きたポケモン達といっしょに食べる朝食。空になったナッツの袋をまるめて、バッグにしまう。食後はタマザラシだけボールに戻ってもらって、グレッグルと歩いた。タマザラシは水の消費が少ないけども、坂で転がって落ちたら危ないので。
「今日、海誕祭かな」
 グレッグルがグーと喉を鳴らした。
「行きたかったな」
 海辺の町は、あの日の海岸のように、人があふれているはず。
 きっと喫茶店も行列で、店長とクイタランがきりきり舞いで働いてるに違いない。
「約束、やぶっちゃうな」
 グレッグルは静かに頬を膨らませた。テトのスニーカーのギュウギュウいう音と、グレッグルの足のピタピタという音が、時々ずれたりしながら、洞窟の中の伴奏のように鳴っている。
 グレッグルの手がテトから離れる。スニーカーのゴム底の音が止んで、ピタピタという音だけ先に数歩進んだ。
「ごめん、グレッグル」
 テトはその場に座りこむ。すぐに座ってもいられなくなって、洞窟の床に、仰向けに倒れこんだ。
 ハンガーノックかな。でも、もう食べ物は尽きてしまった。
 グレッグル、ボールに戻した方がいいかな。このまま逃がすのと、どっちが助かる確率、高いかな。
 ぼんやりする頭で考えても答えは出ない。とりあえずまだ動く指先で、テトはポケモンフーズの入った袋を出した。お腹が空いたらいけないから。グレッグルの冷たい手が袋を受け取り、そして、ピタピタという足音が遠ざかっていく。
 グレッグルが離れていくと、今度はテトは心配になった。ポケモンバトルになったら大丈夫かな。この洞窟のポケモン達は厭戦的だけど、ルナトーンは相性が悪いし。もしも危なくなったら、ボールの中に逃げてくれればいい。フーズじゃなくてボールを渡すべきだったかな。
 白っぽい視界にグレッグルの顔が入った。テトはちょっと嬉しくなった。その上側に黄土色の、赤い目のポケモンが浮いていた。
 考えれば影が射すというか、ルナトーンに追いかけられて戻ってきたみたいだ。テトはボールにグレッグルを戻した。ボールの中で休眠すれば、もつはず。転がらないようボールをホルダーにパチンとはめたら、テトができることは終わり。
 ルナトーンの赤い目がテトを見つめている。テトは目を閉じた。そばにいるのが見知らぬポケモンでも、あんまり気分は悪くない。
 ああ、でも。
 ルナトーンの黄土色の、いわ・エスパータイプの体がどんな手触りかわからないのは、惜しい。
 しびれる手で触ってもあまりわからないと思うけど、この岩みたいにスベスベしていたのかな。まるで研磨した大理石みたいだ。冷たくて気持ちいい。曲面に沿って、いつまでも撫でていたくなる。撫でるたびに地面が少し震える。かすむ目を開ける。
 黄色っぽい地面の背景に、灰色の地面が鋭角な光に切り取られて流れている。どうやら、ルナトーンに乗せられているようだ。
 どうやって乗せたのかなあ、器用だなあとテトは思う。ともかく、このチャンスを逃すわけにはいかないので、テトは動ける限り、ルナトーンを触った。三日月の弧の内側はスベスベだけど、外側は細かな砂をギュッと押し固めたような、砂糖菓子みたいな感じだ。こちらも曲線が魅力的で、内側と甲乙つけがたい。月に行って寝っ転がったら、こんな感触なのかな、なんて。
 テトの視界の下の方で目が赤く光った。ルナトーンが傾いて、テトは地面に降ろされた。念力を使ったのか、ゆっくりな着地だった。仰向けになったテトの視界に、白くて大きな人のような、鳥のような姿が見えた。
 天の御使いかな。だとしたら、グレッグルとタマザラシが人里に帰れるようにお願いします。あと、ちょっと触りたいです、とそこまで考えたら、とても暖かくなってきて、白い毛布に包まれてるみたいで。テトは眠りについた。


  [No.1349] 8.ルギア 投稿者:   投稿日:2015/10/25(Sun) 01:13:33   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 死後の世界に点滴はないと思う。
「生きてるねー」
「ああ、生きてるよ」
 カシワから返事がきた。
 テトが目を覚ました時、グレッグルもいたのだが、興奮しすぎたらしくぶっ倒れてしまった。今はボールの中にいる。
「喫茶店の店長さんには連絡したから。あと、ジムリーダーさんがすっごく怒ってた」
 カシワが端末をいじりながら話す。その端末はテトのだ。でもまあいいかとテトはのんきに考えた。死後の世界には、テトの端末をいじるカシワもいないと思うし。
 ジムリーダーさんにタマザラシも怒られたらしい。ボールから出してみると、タマザラシは装備した安全ベルトからすっぽ抜けそうなほど、憔悴していた。テトはタマザラシの労をねぎらってから、戻した。これは後が怖そうだ。

 それから間もなくお医者さんが来て、今日中に退院できそうだと言われてホッとする。それと、テトがどうして助かったか聞いたりした。水辺で倒れていたのをジムリーダーさんが見つけたそうだ。
「発見が早かったんでしょうね。なんにせよ回復が速い」
 いやー若いっていいねえーと語尾を伸ばしながら、後頭部がツルリとはげあがったお医者さんは退室していった。
 テトの端末がヤァンと間の抜けた音を立てた。
「あ、メールです」
「なんでこんな気の抜ける着信音にしてんの?」
 呆れるカシワから自分の端末を受けとり、確認する。店長さんからだ。
『今は忙しいので、閉店時間後に顔を出します。それ以前に帰れるようなら別途連絡を。美味しい食事の準備がありますから』
 店長さんのまかないを思い出して、テトのお腹が鳴った。夕食前に退院して、店長さんのおいしいご飯を食べたい。
 テトはもう一度文面を読み返して、肩を落とした。『今は忙しいので』
「お祭りの日までに帰ってくるって言ったのに、約束、破っちゃいました」
「海誕祭は明日だよ」
 ぐえっ、とテトは潰れたカエルのような悲鳴を上げた。カシワは一瞬驚いて、でもすぐに笑いだした。
「午前と午後を間違えたんじゃないかな。とにかく、海誕祭は明日だよ」
 取り越し苦労で笑っていいやら戸惑っているテトに、カシワは「さっきの声、すごかった」と茶化す。
「さっきのを着信音にしとけばいいのに」
「イヤですよ、メール来るたびに自分の変な声してたら!」
 こんな調子で小競合っていたら、部屋に来たお医者さんに「そんなに元気ならとっとと退院しなさい」と怒られた。

 テトも退院したいので、素直にお言葉に従うことにした。二つのボールをベルトのホルダーにセットし、セカンドバッグの中を改める。
 携行食は食べ尽くしたので、袋だけ残っている。ポケモンフーズの袋も、なぜか入っていた。懐中電灯はまだ点く。大事なトレーナーカードも無事。
「あれ?」
「どうした、テト?」
 見慣れない、銀色の物が入っていた。バックを開けたまま固まっているテトを見て、カシワは「ああ」と手を叩いた。
「ザックはなかったらしい。テトの荷物はそのバッグだけだったって」
「そうですか」テトは何事もなかったかのようにバッグを閉めて、腰に巻いた。
 荷物を片づけると、テトとカシワは受付のある一階で並んで座った。カシワのガメノデスの話を聞いている時に呼びだしがかかった。いいところだったのに、と思いつつ、テトは支払いのためにキャッシュ機能つきのトレーナーカードを出して、
「では、お支払いお願いします」
 固まった。
「というのはウソで、トレーナーの事故保険が入りますので、お支払いはこれだけになります」
 これからは金輪際、遭難するまいと誓った。

 喫茶店は大盛況だった。
 テトの早めの帰還に、店長さんは顔をクシャクシャにして喜んでくれた。ただ、「休んでおいで」と言われても落ち着かなかったので、テトはお店を手伝った。あっちのテーブルからこの注文こっちのテーブルからあの注文とテーブルの間をクルクル回り、頭もフル回転させて働くと、洞窟をさまよっていたのがウソみたいになって、気分がよかった。
 その日の夕食は、テトの好きな『ミニバーグ乗せオムライス』だった。濃いソースとトロトロ卵とジューシーハンバーグの合わせ技をたっぷり味わって、お湯で体をきれいにして。パジャマに着替えたテトに、店長さんが来客を告げた。
「あ、着替えちゃった。ぼく、もっかい着替えてきますね」
「いや、そのままの格好でいいとおっしゃってるから」
 遅い時間だから、相手もこうなることを予想していたのだろう。パジャマのテトが一階におりると、そこにはジムリーダーがいた。
「やあ」
 彼女は陽気そうに手を振り、身振りでテーブルの正面に座るようにうながした。
 テトはいい予感がしなくて、手を組んだりほどいたりしながら、椅子についた。
 このテーブルの木目に、目みたいに黒いところがあるなあ。はじめて気づいた。なんて自分の思考がうすらさむい。
「とりあえず」
 ジムリーダーは組んだ膝に両手をかぶせた。
「怒られる心当たりはある?」
 普段と変わらない、カラッとした明るい口調で。テトは余計にギリギリ締められるような心地がした。テーブルの下で何度も手を組み直す。一刻も早くこの場を終わらせたくて、テトは細い声で答えた。
「はい。色々と」息継ぎして、「あります」
 もうちょっと具体的に、反省点を上げたほうがいいのかもしれない。そう思いながらテトは、自分の手を見るばかりで何も言えなかった。
 遠くから練習らしい、笛と太鼓が聞こえてきた。
「なら、いい」
 ジムリーダーが口を開いた。テトが顔を上げると、ジムリーダーは紅を引いた唇できれな弧を描いた。
「トレーナーカードを持ったら一人前、とも私は思わないが、滔々と説教するのは趣味じゃないんでね。タマザラシは元は私のポケモンだから、けじめをつけさせてもらったが」
 ふっと息を吐き、彼女は隣の椅子から大判の封筒を出して、テトの前に置いた。なんだろう、とテトは首を伸ばす。
「レポート用紙と封筒に切手もつけてやる。バレたらスクールに書かなきゃいけないだろう? 反省文」
 うげえ、と変な声が出た。説教がすぐに終わってラッキーだと思ったら、これもなかなか大変だ。どうせ書かなきゃいけないんだけど。
「ありがたくいただきます」
「ありがたがらなくていいよ」
 ジムリーダーが闊達に笑う。テトもつられて笑って、そこでやっと、ジムリーダーが今日も巫女服なのに気がついた。
「お祭り、明日ですね」
「そうだな」
「ルギア、見られますかね?」
「海神様の御心次第だよ」
 ジムリーダーが「そろそろお暇するよ」と言って、身を翻した。その髪に柔らかい銀色を見つけて、テトは。
「あの」
「どうした?」
 ジムリーダーの紅の唇が、にいっと引かれる。その笑みに、テトはなんだか勝てなさそうな気がして、結局、
「なんでもないです」
 と答えた。
「ああ、そうだ。忘れてた」
 ジムリーダーが大股にテトに近づいてくる。そして、テトの頭をクシャクシャと撫でた。
「よく生き延びた。じゃあね」
 テトが何か言い返そうと考えてる内に、ドアのベルが鳴った。もうドアの外には黒に塗りたくられた夜闇しかなかった。

 テトはベッドに入ると、セカンドバッグを開けた。
 中からこぼれる銀色の光を、両手ですくって取り出して。闇の中でも柔らかなその光は、羽の形をしていた。ジムバッジと同じ。でも違う。メタリックシルバーの平たい作りとは、根っから違うもの。
 テトは羽を撫でた。触れたところから溶けて消えてしまいそうなほどに、柔らかく、まるで霧に触れているように頼りない。なのに、指先に力をこめて挟むと、針のように冷たく鋭く尖って、指に跡がついた。
 テトはカーテンの隙間から空を見上げた。明日は満月だ。

 海誕祭、当日。テトは朝から喫茶店の仕事に追われた。普段は地元の人がのんびりとコーヒーを飲むのに訪れる店だが、この期間はクイタランの淹れるコーヒーを飲みたい一見さんでおおわらわだ。店長は軽食を作り続け、テトはそれを運び注文をとり、テトが洞窟の中で想像した以上のきりきり舞いだ。その店の外を、祭り囃子のゆったりした節が、近づいたり、遠ざかったりする。
 閉店の札をかけてから、テトはやっと一息つけた。疲れた手足を伸ばし、店長さんが作ってくれたサンドイッチを頬張った。
 遠くから太鼓を叩く音が一つ、聞こえてきた。
「そろそろですね。もうじき外に出ますよ」
 店長さんにそう言われ、テトは慌ててサンドイッチを咀嚼した。
 再びの太鼓の音が聞こえてきたのは、テトが最後のサンドイッチを食べ終えた後だった。
「行きますよ」
 店長さんがクイタランの手を引き、背中を押す。その時ふと、クイタランの二の腕のリングに目がいった。あの白い珠がなくなっている。店長さんにうながされ、テトは小走りで外に出た。店長さんは店の明かりを落とした。

 道いっぱいを埋めて、行列が進んでいた。
 笛の音が奏でる祭り囃子に、鈴の音が拍子をとっている。
 緩慢な太鼓が音を響かすたび、近隣の家のドアが開いて中から人が出てきた。太鼓の音に合わせたようなその動きが、テトには面白くも奇妙に感じられた。
 笛と鈴、太鼓の次に、唄が現れる。ジムリーダーだ。唄の一音一音を、テトが驚くほど長く伸ばしている。唄に意味はあるのだろうが、テトにそれを聞き取るのはムリそうだった。
 長い節回しに合わせ、一歩一歩、踏みしめるように行列が進む。
 唄の次にいるのは、トドゼルガ、そして、やぐら。トドゼルガが大きな体を動かすたび、やぐらの車輪が回り、ちょうちんが揺れる。ちょうちん紙の中で、ろうそくの炎が揺れる。燃え移っちゃいそうだ、とテトは思った。
 やぐらが過ぎた。
「さ、私達も加わりますよ」
 店長さんがテトの肩をつかみ、そのままテトを行列の中に入れた。やぐらの後ろは一般の人達で、シャツにジーンズとかラフな格好で、時々私語なんかしながら進んでいた。ジムリーダーと同じ唄を唄う人もいた。
 店長さんも唄を唄っていた。テトは話しかけようと思っていたのを諦め、黙って粛々と進んだ。片手ははぐれないよう、クイタランと握った。
 一ヶ月、この町で暮らした。
 見上げると、満月が銀に、手が届きそうなほど強く、光っていた。

 海岸もものすごい人だかりだった。警察官が立つ内側を縫って、やぐらは砂浜に降りていく。
 海辺に着くと、やぐらを中心に楽器が円陣を作り、巫女服のジムリーダーが踊り始めた。町の人達が唄をつける。行列の時より速い節回しで、それも、だんだん速くなっていく。
 テトは自分の胸を押さえた。テトの鼓動も、駆け足してる気がした。
 どんどんと、どんどんと、曲は速くなっていく。笛の指運びが間に合うのか、鈴がこれ以上速く振れるのか、テトが疑問に思うほど速く、踊りもそれに合わせ、もはや踊り狂うといった様に変遷していた。
 さらに速く、音の速さに挑みそうなほどに曲が高まると、今まで黙っていたやぐらがグイと動く。トドゼルガが囃し立てられたように、グングンと海に進み、波を立てた。やぐらも進水し、トドゼルガに引っぱられるまま、沖へ、小島へと。
 嵐が海を殴った。
 境界を定めたように、海岸線から壁のように雨が起こり、トドゼルガもやぐらも見えなくなった。
 息を呑む間もなく、刹那に嵐がやむ。テトの目に見えたのは、小島の影をバックに、煌々と燃え上がるやぐら。そしてそれが、小島の暴れ潮に巻きこまれ、沈んでいく姿。
「沈んじゃうんですね」
 思わずテトは口を聞いてしまった。テトにはわからなかった。一ヶ月以上かけて作ったやぐらなのに。
 店長さんは口元に人差し指を当て、微笑んだ。
 海辺に目を下ろすと、ジムリーダーが海に向かってひざまづき、海誕祭の締めとなる祝詞を奏上していた。
 古い言葉で、テトには意味がよくわからなかった。ふと周りを見ると、みんな目を閉じて、手を組むなり合わせるなり、思い思いに黙祷の形をとっていて、テトも慌てて真似した。
 でも、テトの近くに亡くなった人はいない。しいて言えば、店長さんの連れ合いの人、かな? お部屋を借りています、ありがとうございます。
 雰囲気がゆるんだのを感じて、テトは目を開けた。祝詞も終わっていた。パシャンと軽い音を立てて、トドゼルガが陸に上がった。
「今日は海誕祭にお越しくださり、ありがとうございました。暗い帰り道、気をつけてお戻りください」
 ジムリーダーの挨拶があり、人々は海に背を向けはじめる。もうお開きのようだ。
「ルギア、見られなかったなあ」と誰かが言うのを皮切りに、どよどよとしゃべりまじりに、潮が引くように人が引きはじめる。
「そういえば、ルギアは見られませんでしたね」
 店長さんにそう言いながら、テトは一縷の望みを抱いて、もう一度海を見た。やっぱりルギアはいなかった。
 海辺では、ジムリーダーを中心に撤収を始めている。
「あれ?」
 ジムリーダーが上を指した。近くにいた楽器の数人が上を見上げ、それから口元を押さえた。テトもつられて上を見た。
「おお」
 ルギア、なのかな?
 なんだか白い飛行機みたいなのが、月と重なって飛んでいる……遠すぎて見えないじゃないか。
 隣で店長が噴きだした。
「私も今、はじめて知りました」
 この町の海神様は、なかなか茶目っ気たっぷりのようだった。

 海誕祭の次の日は、町から出ていく人と、祭りの後片付けで、どこか忙しなかった。
 テトは喧騒を避けて一日過ごし、その次の日に出立することにした。でも、出立にあたって問題が一つ。
 テトはまとめきれていない荷物を一瞥し、銀色の羽を太陽にすかした。

 出立の日。
 ずっとお世話になった店長さんは、もう少しいてもいいと言ってくれた。それこそ、お金を工面できるまで。でも、テトは丁重にそれを断った。
「テト君がいて、にぎやかでいいと思ったんですよ」
 店長さんは本当に残念そうだった。でも、テトは旅に出ないといけない。それに、これ以上長引くと、店長さんに甘えてしまいそうだった。
「また来年、来ますから」
 だから、テトはそう言って、振り切った。
「あれも買い戻さないといけませんし」
 テトが目を向けた先、喫茶店の壁に、額に入れた銀色の羽が飾られている。テトは真新しいザックを背負い直した。
「大事に置いておきますから。待っていますよ」
 笑っていいのやらわからないという表情で、店長さんが別れの挨拶を口にした。テトはそれに答えるよう、大きく手を振った。

 町を出たところで、テトはボールを開いた。
「グレッグル、タマザラシ。これからもよろしくね」
 グレッグルは頬を膨らませ、タマザラシは手を叩いた。二匹の頭をちょっと撫でる。片方はヒタヒタ、片方はフワフワ。
「もっとたくさんのポケモンに会いに行こう」
 それから来年こそ、ルギアに触ろう。
 まだ知らないポケモン達の手触りが、テトを待っている。


  [No.1375] 完結おめでとうございます。 投稿者:レイコ   投稿日:2015/11/04(Wed) 21:50:04   27clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

テトのペタペタ日記、完結おめでとうございます。全8話お疲れさまでした。
twitterでお題募集を見かけてからずっと、どんな物語が生みだされるのか楽しみにておりました。
テールナーが美しく描写されていて、嬉しいやら大満足です。でも『スキンシップ』できなかったテトくん、残念でしたね。
テトくんが色々なポケモンにさわりたがる素直さが愛らしく、たまにムズムズして、なんだか憧れと後ろめたさの板挟みになる時もありました。出会う人たちも親切でときどき酸っぱい助言をくれたりすると、遠くから見守ることしかできないテトくんの親みたいなホッとした気分にもなりました。
そして純粋に、一度は想像したことがある夢あるポケモンの世界に飛びこんで、最後まで読み進めることができました。
テトくんとグレッグル、タマザラシの旅は、語られない白紙の向こうへとまだまだ続いていくんでしょうね。
心にすてきな気持ちが残る日記をありがとうございました。


  [No.1397] ありがとうございます! 投稿者:   投稿日:2015/11/17(Tue) 21:10:29   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

まずは何につけても感想ありがとうございます。

> テトのペタペタ日記、完結おめでとうございます。全8話お疲れさまでした。
念願の完結なのです、嬉しいです。

> twitterでお題募集を見かけてからずっと、どんな物語が生みだされるのか楽しみにておりました。
お題をもらったからには書かねば、とがんばりましたw

> テールナーが美しく描写されていて、嬉しいやら大満足です。でも『スキンシップ』できなかったテトくん、残念でしたね。
レイコさんからもらったお題のポケモンでしたね。スキンシップの件は残念でした……!

> テトくんが色々なポケモンにさわりたがる素直さが愛らしく、たまにムズムズして、なんだか憧れと後ろめたさの板挟みになる時もありました。出会う人たちも親切でときどき酸っぱい助言をくれたりすると、遠くから見守ることしかできないテトくんの親みたいなホッとした気分にもなりました。
> そして純粋に、一度は想像したことがある夢あるポケモンの世界に飛びこんで、最後まで読み進めることができました。
> テトくんとグレッグル、タマザラシの旅は、語られない白紙の向こうへとまだまだ続いていくんでしょうね。
難しいことを考えずに没入できるユートピア。そういう夢を私自身ポケモンの世界に抱いてるので、うまく表現できたかな、と思うと嬉しいです。
テトたちの冒険の続きはみなさまの心の中で……という感じですw きっと足の長いお姉さんと再戦して、タマザラシVSテールナーのカードが組まれていることでしょう、勝てるかどうかはさておき。

> 心にすてきな気持ちが残る日記をありがとうございました。
こちらこそ、読んでくださりありがとうございました。