「お願いします、どうか一度だけ!」
少年テトは腹から声を出して頼みこんだ。広場を取り巻く人垣は、浮かれ話にニヤニヤと、事の経過だけ伺っているみたいだった。
「ダメです。それが約束だったでしょう?」
人垣のもっぱらの関心の的、足が長くて美人のお姉さんは、テトの頼みをそっけなく断った。しかたない、といえば、しかたない。だってそれが約束だったのだから。でも。
「お願いします! どうか一度だけ」
広場の中心には、倒れたグレッグルと、傷一つないテールナー。
「あなたのテールナーに触らせてください!」
「ポケモンバトルに勝ったら、って話だったもんね。うん、わかってる。頭では理解してるんだ」
どこかで聞いたような言い回しで弁明しながら、机につっぷするテト。その背中をポンポンと叩いて慰めるのは、バトルの重傷からとっとと回復したグレッグル。新米トレーナーとその相棒だ。
「あ、はじまった」
ポケモンセンターの待合室に設置された、大きなビジョンが映像を流し出す。
『ポケモンコンテスト、シード早くも決定か』
テロップが流れる後ろに、足の長いお姉さんとテールナーが映っていた。さっき、テトとバトルしてくれた相手が、二次元の別世界で踊っていた。炎がまるでリボンのように、テールナーの持つ杖の先から自由自在に伸び縮みしていた。
テトはポケモンコンテストの地方ルールはよく知らないが、シード枠は条件有りの早い者勝ちで、要するにこれはすごいことらしい。
それはさておき。
「触りたかったなー、テールナー」
あの流れるような毛並み、スラリとした曲線美を包む黒毛に、炎を内包する耳の赤毛。触ればきっと気持ちいいに違いないよ。そう嘆くテトの背中に、グレッグルの湿った手が乗った。きっとシャツに大きなシミができてる。
失敗は成功の母という。ならば、敗北は勝利の伯母さんぐらいの続柄でも、いいはずだ。
「もう一度ぼくと、ポケモンバトルしてください」
コンテストの出場者出口で張っていたテトに、足の長いお姉さんはちょっと距離をとりながら驚いたようだったが、
「君の熱意には負けますね。シード手に入れて機嫌がいいから、わかりました、受けますよ」
そう言って再戦を快諾してくれた。
場所は同じ、彼女のテールナーと戦って負けた広場だ。
息もつかぬリベンジマッチに、一度目は見なかった顔も人垣に参列していた。
「行くよ、グレッグル」
ケロケロ、と普段よりちょっと低い声で気合を入れる。ポケモンセンターで水をたっぷりかぶってきた相棒は、ヒタヒタの絶好調だ。
「簡単には勝たせてあげないからね。テールナー!」
二足のキツネが、片足を軸にターンを決めた。いっしょに回る木の枝に、炎のリボンが新体操のようにクルリクルリと舞い踊る。ギャラリーがわっと歓声を上げた。
「先攻はどうぞ」
右腕を前につきだすお姉さんに、側のテールナーもポーズを合わせて杖を構えた。さすがコンテスト界期待の星。余裕の構えだ。
「じゃあ、遠慮なく」
テトはその余裕を、潰してやる気でいく。
二戦目を控えて、ただ嘆いて机にほっぺたをつけてただけじゃないのだ。
「グレッグル、“あまごい”!」
一面青とまではいかずとも、お天気雲が浮くだけだった空に、黒雲が湧き始める。ポツリとグレッグルのオレンジ色の頬に吸いこまれた一滴を先触れに、まもなくスプリンクラーの兄弟みたいな雨が降りだした。
グレッグルは頬をふくらませ、テールナーはうっとうしそうに体を振った。炎の色のしっぽの先から滴が飛び散るが、その先からまた新しい雨が降りしきり吸収されていく。炎のリボンが短くなり、そして消えた。
「さあ、どうだ!」とテトは雨の下から叫んだ。グレッグルの特性は“かんそうはだ”で“ほのお”に弱い。しかし、“あめ”を降らせれば。
「テールナー、“ひのこ”」
テールナーの“ほのお”技の威力は弱くなり、グレッグルは体力回復のアドバンテージを得る。
構えた杖先から、炎の花が咲いた。一戦目で辛酸をなめさせられた技が、一戦目より威力は低い。グレッグルは“ひのこ”を難なく受け流し、わずかな焦げ跡も降りつづく雨で治癒して、オレンジと黒の指先を地面に突き刺した。
「“どろかけ”!」
“じめん”タイプの技は“ほのお”タイプのテールナーに“こうかばつぐん”。ポケモンセンターの待合室の書架で学んだ即席の攻略法だが、
「悪くないですね」
賞賛の言葉は、バトルフィールドの向こう側から浴びせられた。テトが素直に破顔した直後、「でもね」とお姉さんが長い足で軽快に地面を蹴った。
「甘いです」
お姉さんはターンして、指をパチンとはじく。
バァンと空気が割れる音がして、グレッグルが地面に伸びていた。
「テールナー、“サイコショック”……でした。“エスパー”技も使えるんですよ」
一撃。倒れたグレッグルのおしりを見ながら、テトの頭がグルグル回った。“サイコショック”は“エスパー”技で、グレッグルは“どく”“かくとう”タイプのポケモンで。“エスパー”は“どく”にも“かくとう”にも“こうかばつぐん”で。
「ああっ!」
対策を怠ったテトにも、四倍のダメージがきた。
テールナーは杖先を口元に当て、見えない煙でも飛ばすみたいに「フッ」と吹いた。もうすっかり、空も晴れていた。
「また今度、機会があったら触らせてください」
「機会があったらね」
バトル後の握手の場で、テトはそう宣言した。テトの諦めの悪さに、お姉さんの顔が呆れか驚きか複雑に歪んだ。
「次こそは絶対、触らせていただきます。一目見ただけで触りたくなるくらい、それはもう綺麗でしたから」
テトは抱負を述べただけのつもりだったが、お姉さんは誉め言葉と受け取ったのか、うつむいて、笑みを漏らした。
「そうだね」と言って。それから、顔を上げて。
「少年。せめて、『スキンシップ』って言いなさい」
不意に頬をつつかれて、テトは目をパチクリさせた。