マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1333] きみを巣食うもの(七) 投稿者:   投稿日:2015/10/13(Tue) 21:29:20   63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 当初は夕方には帰宅するつもりでいたナズナだが、食事はどうするのかと何気無くした質問に対し、アデクに「自分が作る」と返されるや即刻予定を変更した。

(シュヒくんは知らされてないんだろうからしょうがないけど……チャンピオンに料理させるなんて、畏れ多過ぎるわ!)

 彼の身分に遠慮をするなとシャガに、そしてアデク本人にも言われていたが、それはそれ、やはり礼儀を尽くして然るべきとナズナは考える。少年に出来ない分、自分が請け負うべきだとも。
 そうした経緯で急遽ナズナが夕食を振る舞うこととなり、今晩は三人で和やかに食卓を囲んだ。後片付けも少女が名乗りを上げ、その合間に男たちは順に湯を浴びる。二人が風呂から上がりリビングに出揃う頃には、時刻は八時を回っていた。

「今日はどうもありがとう」
「ありがとう、ナズナさん」
「いえいえそんな。また明日来るね!」

 玄関先で二人に礼を言われ、ナズナはそれぞれに一言ずつ返事をした。
 日中はまだ暑さが残っているものの、この時間帯ともなると不意に吹く風が寒くすらあり、秋の深まりをひしひしと感じる。檸檬色のカーディガンを羽織った少女は、もう遅いし送って行こうかとのアデクの提案を笑んで制した。湯冷めして風邪を引きでもしたら大変だ。婉曲にその旨を伝え、三人は就寝の挨拶を交わし合った。
 庭へ続くコンクリートの階段を下る。背後の扉が閉まり、屋内から零れていた明かりが周囲の闇に飲み込まれ、みるみる細くなってゆく。しかし完全に光源が無くなろうとしていたところに再び照明を当てられて、ナズナは何かと後ろを振り向いた。そこに、眉尻を下げたシュヒが一人で立っていた。

「ナズナさん。あの……」

 言い難そうに語尾を濁して体をよじる彼に、ナズナは「なーに?」と小首を傾げて訊く。すると彼は思いも寄らぬ二の句を継いだ。

「メイテツとキューコ……元気かなあ……」

 今も彼を巣食っているはずの、ポケモンへの悪感情。その原因を作り出したとも言える二匹を少年が案じている、と取れる言葉を紡いだのだ。彼女が二匹を引き取ってからというもの今日この時まで、シュヒが彼らの名を口にすることは一度たりとも無かったのに――。
 ナズナは目を丸くし、それからすぐに胸中で嬉しい吐息を溢す。少年の、歓喜すべき心境の変化だった。

(アデクさんのお陰だよね)

 やっぱりリーグチャンピオンともなると心の開かせ方も違うんだ、と密かに感動しつつ、返事を待つ少年に満面の笑みを向ける。

「うん! もうね、元気溌剌って感じ。昼間だって、シュヒくんの家に行って来るねって言ったら大騒ぎしちゃって、大変だったんだから……」

 不安げに顰められていた少年の眉が微かに、ほんの微かにだけれど和らぐ。それに気を良くして話を続けようとしたナズナの耳に、どこか遠くから、小さな声が届いた。

「あら……?」

 それは少女の耳にようく馴染んでいる声だった。間違い無い。今は彼らも自分と同じ家で暮らしているのだから、間違えるはずが無かった。だけどまさか、まさか……。
 彼には聞こえなかったらしい。「どうしたの?」と呼びかけて来るシュヒを無視して家の前の砂利道へ出ると、ナズナは自宅がある方向の暗闇を凝視する。

(私の聞き間違いなら、いいんだけど)

 けれど彼女の淡い希望は次の瞬間、いとも簡単に裏切られた。
 ナズナの行動を不審に思い、彼女が見つめる先を眺めたシュヒは、その奥にぼんやりと現われた影に釘付けになった。見てはいけないものだと頭では解っているのに、眼は体は、縫い付けられたように一点から動かなくなった。
 カナワを覆い隠す暗幕を潜り抜け、喜色を満面に携えて、まっしぐらにこちらへと走って来るそれは。

「めぇんめえーーん!!」
「ルルッグルッグーー!!」

 見紛うこと無き、モンメンとズルッグであった。

「ひっ……!!」
「わわわわ……お、落ち着いて! テッちゃん! キューちゃん!」

 遠くに見えたと思ったのも一瞬で、あっと言う間に二匹は二人との距離を詰める。ナズナは彼らの進行を止めるべく歩み寄りながら、シュヒに家へ入るように目配せした。が、顔面蒼白でわなないている少年が合図に気づく気配は無かった。

「どうしたんだ、二人とも?」

 少年の戻りが遅いのに疑問を感じたのか、それとも少女の上げた声で異変を察したのか。家から出て来たアデクは二人が向いている方に視線を巡らせ、開眼した。

「あの二匹は!」

 瞬時に状況を整理し、アデクは腰のモンスターボールに手をかけつつ硬直しているシュヒを己の背に隠す。これから解放する自身のポケモンをも、彼の目に触れさせぬために。
 まだシュヒは、到底ポケモンを――彼らを受け容れられる状態になっていない。下手に近づけさせられなかった。

「クリムガン、バッフロン。モンメンとズルッグを足止めしてくれ!」
「りむがぁ」
「ブモォッ」

 ボールから現われた大型のポケモンたちの迫力に、モンメンとズルッグは怖じ気づいて急停止する。

「ナズナさんは二匹を出来るだけ宥めてくれるかい!」
「は、はい!」

 どうして彼らがここにいるのだろう、父は一体何をしているのか、と心中で父親を詰っていたナズナは翁の声に意識と姿勢を正し、ボールを外して宙に投げた。果たして中からゆったりと登場したドレディアへ、簡潔に指示を下す。

「テッちゃんたちに“甘い香り”よ!」
「ディ〜」

 花冠から薄紅色の帯状の光を発生させ、風に乗せて標的へと送り込むようにドレディアは円舞する。対象となった二匹をすっかり包み込むと光はふわっと弾け、そこから甘い香りが一斉に放出された。
 彼女の挿頭す大輪の花はチューリップのはずだが、季節柄だろうか。その香りは金木犀にとてもよく似ていた。

「シュヒくん、家に入ろう!」

 甘い香りにうっとりとしている二匹を確認し、アデクはシュヒを抱き上げる。強引に頭を胸元に押さえ付け俯かせ、何も目に入らぬようにして。

「めぇん?!」
「ルググ!!」

 取り囲んでいた芳香が薄れ二匹が我に返る頃には、少年を抱えた老翁は玄関に入り込み、扉を閉じようとノブに手をかけているところだった。

「ルルグゥーッ!!」
「めええぇ〜ん!!」

 鮫肌竜と頭突き牛に進路を阻まれながらも、二匹は大声でシュヒを呼んだ。あらん限りの声で必死に呼んだ。だが、少年は最後までアデクの腕の中で顔を伏せて、一目でも彼らの方を窺うことは無かった。閉まりゆく扉の向こうへ少年は恐怖に縮こまったまま、消えてしまった。
 扉の隙間から伸びていた光輝が失われ、夜の闇が、一層暗澹と濃くなる。

「………………」

 何週間か前まで自分たちも共に暮らしていた家を前に、それ以上為す術も無く二匹は立ち竦んだ。少年だけでなく、沢山の思い出が詰まったこの家にさえ拒まれているように、今の彼らには思えた。

「テッちゃん。キューちゃん……」

 彼らが悄然とした面差しをしていることは、その小さな背中を見るだけで簡単に読み取れた。ナズナはドレディアを共に、二匹に歩み寄る。途方に暮れた顔で少女に振り返った二匹の頭を、ナズナは優しく優しく、思いを込めて撫でる。

「大丈夫。シュヒくんは、あなたたちを嫌いになったんじゃないのよ」

 隣でドレディアが、主人に同意してこくんと頷いた。
 気持ちは通じたのだろう。モンメンもズルッグもややあってから相槌を返してくれたが、表情は少しも晴れず暗いままだった。

「ドレディア。ふたりを家まで送ってちょうだい」
「ディディア〜」

 跪くため落としていた腰を上げ、同じく立ち上がった相棒にそう頼む。了解し、ドレディアは二匹の手を取ると暗い道を、慣れた足取りで歩き出した。
 無言で三匹を見送るナズナとクリムガンたちの傍らへ、再度外へと出て来たアデクが寄り添う。

「……どうもありがとう、ナズナさん」
「いえ……」

 家の中で一人、恐らく震えているシュヒの心情を測り、二人はしばし一言の言葉も交わさず、カナワの冷え冷えとした闇に身を浸していた。






 真昼さながらに目映く照射されたリビングのソファに、シュヒは膝を抱え込んで腰を埋めていた。顔面は未だ蒼白、体はがたがたと揺れ続け治まる様子が無い。
 忘れようとすればするほど鮮やかに、先の光景が蘇る。二匹の姿がくっきりと眼球に焼き付いて、離れなかった。
 当然のことだ。忘却に帰すには、自分と彼らの関係は近過ぎて長過ぎた。あの巨大百足や小蜘蛛や甲虫のように、輪郭だけの恐怖に変じさせることが叶うはずも無い。
 ポケモンが嫌いな訳じゃない。その気持ちに嘘偽りは無い。けれど怖れ戦慄く心と体は真だ。自分では治しようの無い、本能みたいなもの。
 やはり無理なのだろうか。あの頃に戻りたいと願うのは、所詮は身の程知らずの高望み、儚い夢物語なのだろうか……。
 見通しの利かない真っ暗闇。終わりの見えない無限回廊。そうした暗く長い思考からシュヒを掬い上げたのは、カタカタという音と仄淡い光だった。

「……?」

 音と光の出所を追って横を向く。そこに、焔を思わせる模様に縁取られた白いタマゴがあった。
 ずっと隣に確固として存在していたのに今し方まで、元より無かったように視界から隔絶されていた命の宿。それは静かに発光し、シュヒの体の震えと比例し揺れている。その様子を見ていると、不思議とシュヒの心は落ち着いてきた。
 けれど少年が平静を取り戻したのとは対称的に、タマゴの明滅はだんだんと間隔を縮め、振動は強く激しくなってゆく。こうなってくるとシュヒも平然と見守ってなどいられず、慌てふためいて庭へと駆け出す他、仕方が無かった。






「じーちゃん! 大変だよ早く来て!!」

 バタンッ、と勢いよく開け放たれた扉から焦燥感を丸出しにした少年が踊り出て、翁らの心臓は大きく飛び跳ねた。

「ぬおお?!」
「どうしたの?!」
「タマゴ! ポケモンのタマゴが、ずっとガタガタ言ってるっ! 生まれちゃうかも!!」

 シュヒはわたわたと両の腕をばたつかせながら、半ば叫びに近い声を上げる。

「そうか! すぐ行く」

 その返事を聞くと少年は踵を返し、再び家へと走る。それを早足で追い駆けかけて――アデクは、度重なる出来事に茫然としているナズナに振り返り、微笑んだ。

「“きっかけ”に、なるかもしれんぞ」

 どういうことかと質す前に翁は身を翻して駆け出して、少女も慌てて家へと飛び込んだ。








 リビングへ戻りシュヒの示す所を目視すると、なるほど確かに、タマゴは尋常ではない震え方をしていた。
 一度はポケモンがタマゴから孵る所を目撃した経験のあるアデクやナズナならともかく、初遭遇するシュヒなら大いに動揺を掻き立てられるだろう激しさで、明滅と震動を繰り返している。

「ひびが入ってる!」

 ソファに近寄りよくよく観察すれば、頂点には薄らと亀裂が走っており、ナズナは興奮して頬を上気させた。

「もう、すぐに産まれるな!」

 アデクはケースの中からタマゴを取り出し、フローリングに胡座をかいた。ゆっくりと、落ち着かせるようにタマゴの腹を撫でさする。

「よし、よし……」

 老翁の隣に正座し、ナズナは目を輝かせてタマゴを見つめる。それから離れた所でぼうっと成り行きを眺めているシュヒに笑いかけ、手招きした。

「シュヒくんもこっちおいでよ」
「でも……」

 おどおどと視線を彷徨わせ、アデクと目が合う。翁は微笑を浮かべて、弱り顔の少年へ深く相槌した。それだけで、シュヒの心にはわずかな勇気が湧く。
 タマゴの発光は益々強まり、ひび割れが大きくなる。次第に殻がパキパキと小気味良い音を立てて、少しずつ破られてゆく。
 シュヒは足の裏を床にこすりつけるようにして、じりじりと近寄った。自分でも信じられなかったが、この歩みの遅さは、ポケモンに対する恐怖感に起因するものではなかった。
 そうしてついに、タマゴはゴトンと強く震えて辺りに殻を舞い散らせると、一際目映い輝きを放った。


 光が収まった後、アデクの腕の中には最早タマゴの跡形は無く。

「……ルバ……?」

 白い毛皮と五本の赤い角を持った、虫型のポケモンが息衝いていた。


 わあ、と感激に吐息して幼虫に見入るナズナの隣で、シュヒは生まれ出た命の、想像を越えた有り様に目を見張った。アデクの手の平と変わらないくらいの大きさの、少し力を入れたら壊れてしまいそうな、あまりに小さな体。

「可愛い……けど、見たこと無いポケモンです。何て言うんですか?」
「こいつはメラルバ。虫・炎タイプのポケモンだよ」
「メラルバちゃん、かあ!」

 ナズナは教わった種族名を声に出して反芻し、幼虫の背中にそうっと触れた。少し湿った毛皮越しにトクトクと、命の脈動が伝わってくる。
 傍から少女と幼虫とを見比べていたシュヒが、ふと思いついて開口する。

「ナズナさん、この子は男の子、女の子?」
「女の子ね!」

 シュヒの突然の問いに戸惑うこと無くナズナが切り返し、アデクは目を屡叩かせた。訊けば彼女はポケモンの性別当てが得意なのだとか。

「ほう! それは実用的かつ面白い特技だね」

 感心され、少女ははにかみ頭を掻く。曰く、彼女の鑑定はポケモンドクターなどと違い、少し見ただけで当ててしまうという手軽さのため、ナズナの元を訪ねる町民も少なくないらしい。何を隠そうシュヒ宅のズルッグ・キューコも、ナズナが一目見て指摘したことで雌だと判明したという。腕白で力自慢なので、シュヒの両親もそれまでは雄だと思い込んでいたそうだ。

(そうか。おまえも……)

 アデクはふと懐かしむ目付きになる。半世紀ほど昔に出会った相棒も、今この手の中にいる命と“同じ”だった。偶然なのか必然なのかは知りようも無いが、ほんの少しだけ、別れの日の胸の痛みが去来して、瞼を伏せた。

「ラル〜」

 感傷に浸る翁など構わぬ風に、産まれたばかりのメラルバは、抱きかかえられた腕の中で短い足を忙しなく動かしている。生まれ着いた世界を一刻も早く踏みしめたい。そう体で表現しているかのようだ。そんな小さく幼い彼女の姿が、シュヒにはとても眩しく、どこか格好良く見えた。

「そうだ! 産まれたてのポケモンには栄養満点の木の実を与えなきゃ。すぐに持って来ます!」

 そのように発して膝立ちになった若きブリーダーを、翁は胸元の幼虫に考慮して緩慢に仰ぎ見た。

「有り難い。是非頼むよ」

 ナズナも彼と同じくゆったりした動作でリビングを出て、シュヒの家を後にする。少女が居なくなると途端に部屋には静寂が戻り、少年はなんとなく所在無さげに立ち尽くした。

「ルバァ」

 活発な性格らしい、なんとかアデクの腕の中から這い出ようともがいているメラルバに、自然とシュヒの目は引き寄せられていった。アデクはそのことに気がつくと幼虫をわずかに彼の方へ向け、

「シュヒくん。抱っこしてみるかね?」
「っ、……ううん」

 訊ねてみたが、相手の返答はやはり消極的なものだった。

「そうか」

 誘いを突っ撥ねた自身の台詞にシュヒは居心地が悪くなって、視線をふたりから逸らす。俯き、両足を交差させたり交互に浮かせたりして、与えられ過ぎた暇を埋めようと試みた。
 けれども、こんなことをしている場合じゃない、という思念が不意に湧き上がり口を引き結ぶ。今を逃したら次に言える日がいつになるか、判らないのだ。
 シュヒは充分に呼吸を整えてから、アデクに声をかけた。

「あのさ、じーちゃん」
「なんだね?」

 穏やかな面持ちで、アデクは傍らに立つ少年を見上げた。彼は自分の右手の上でもどかしそうに動いているメラルバの背を、もう片方の手で撫でている。それを寂しい色をした目で見据えながら、シュヒは話を継ぐ。

「おれも……生まれた時、この子みたいにすごく小さくて……何も、知らなくてさ? 今、じーちゃんとナズナさんがこの子にしたみたいに……父さんと母さんがおれをなでてくれたり、抱きしめてくれたり……したんだよね」

 少年が言い終えるや否や、アデクは今度は至極嬉しそうに顔つきを明らめて返事する。

「そうだよ! 沢山の人が祝福してくれたことだろう。それに、」
「いなくなればいいって、言ったんだ」

 メイテツとキューコも。
 そう続けようとしていたアデクは割って入った少年の、鋭く冷たい刃物に似た台詞に、口を噤んだ。

「父さんと母さんが死んだ日に、おれ……メイテツとキューコのこと、いなくなればいいんだって」


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