マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1340] 3:小さな窓から 投稿者:Ryo   投稿日:2015/10/16(Fri) 20:26:51   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

7月2日 午後0時57分
カイトは図書室で、物語の本を読んでいました。トガリネズミのおじいさんが、若いころにした冒険を孫のネズミ達に語って聞かせるお話です。でもなんだか、読んでいる、というよりも、開いた本を両手に持っている、という方が正しいようでした。簡単な文章のはずなのに、文字が目の上でつるつる滑って、頭の中まで入ってこないのです。
カイトは同じページの同じ行を見つめたまま、しばらくボーっとしていましたが、やがてその本を棚に戻し、別な本を持ってきました。映画にもなった有名な、魔法使いの男の子の物語です。けれど、これはさっきの本にも増して、今のカイトの手に負えないものでした。魔法使いたちの楽しげな授業も華やかなパーティーも、白いページの上の黒い模様の向こう側で、カイトのことなんか構わずに行われていることでした。
それでもなんとなくこの話の筋は覚えていたカイトは、この話がどのように始まったかを思い出した途端、背筋を冷たい手で撫でられたような気分になりました。
この話は、普通の男の子だと思っていた主人公のもとに魔法の世界から手紙が届いて、地下鉄の壁を通り抜けて魔法の世界へ行くところから始まるのです。
カイトの頭の中で悪夢のように大きなてんとう虫が飛び始め、茶色いもそっとした鳥が「ぽっぽぅ!」と鳴きました。その瞬間カイトの体中に鳥肌が立ちました。そして大慌てで本を戻し、今度は何も持たずに椅子に戻り、ぐったりと机にうつ伏せてしまいました。どんな物語の世界も、もう人事と思って楽しめる気持ちではなくなってしまいました。

リンゴの樹の下でオバケを見てから、カイトは一度もリンゴの樹の側へ行くことも、その姿を見ることすらも避けていました。だから昼休みもこうして、先生に見つからないことを祈りながら図書室にいるのでした。
とん、と肩を叩かれてカイトはびくりと体を震わせましたが、なんてことはない、クラスメイトのユウイチでした。ユウイチはヒソヒソ声でカイトに聞きました。
「なあ、ニュートンの幽霊見たってマジ?」

あのリンゴの樹はどうやら「ニュートンの幽霊がリンゴのオバケを連れて出る場所」として変に有名になってしまったようでした。もちろんこれはカイトの見たものとは全然違います。外に出たがらないカイトに、ハヤタがしつこく理由を聞くので、仕方なく
「変な黄緑色の、葉っぱが生えた動物を連れた子供のオバケをいつもいる樹の下で見た」
と答えたら、それがおかしな風に広まってしまったようなのです。あの生き物はリンゴとは似ても似つかない姿だったけど、じゃあ他の何に似ているかと言うとどうとも言えず、訂正するにしてもどう説明したらいいのかカイトには分かりませんでした。
「ニュートンじゃないってば…ただの子供のオバケだよ、多分」
カイトが面倒そうに言ってもユウイチは聞きません。
「絶対ニュートンだって!今から一緒に見に行こうぜ」
ユウイチの頼みを、やだよ、と跳ね除けて、カイトは再び机に突っ伏しました。
夏休みも目の前だというのに、梅雨の雨雲の中に引き戻されてしまったような気分でした。

***
7/4 8:00 PM
ユウマは自分の部屋で、ニドランの毛を慎重にブラッシングしてやっていました。少しずつ仲良くなってきたとはいえ、ブラッシングで力の入れ方を間違えると、ニドランはすぐに怒るのです。でも、何度か失敗を繰り返し、手痛いキックを何度も受けるうち、例え怒ってもその毒の角をユウマに向けるつもりはどうやらないらしい、ということが分かってからは、ずいぶんとこのニドランに対して余裕を持って接することができるようになりました。
「チコ!」
不服そうな声をあげて、チコリータがぴょこぴょこと飛び跳ねます。自分のことも構って欲しい、という合図です。
「チコリータは後でやってあげるね」
そう言って、側にあったモンスターボール柄のゴムボールを転がしてやると、チコリータはぴょいと飛びついて、前足で転がしたり葉っぱで仰いでみたりして、楽しげに一人遊びを始めました。
無心にポケモンの世話をしていると、あの図鑑のことを忘れられます。ユウマにとってつかの間の、ほっとできる時間でした。

図鑑を持って逃げた日から、ユウマはあの図鑑を開くことはおろか、見ることすらできずに机の奥に突っ込んだままにしてしまっていました。自分は大沢君の目の前で、あの図鑑を持って逃げてしまった。そのことが重く心にのしかかって、図鑑を見るたびにあの自分を呼び止める声が頭に蘇ってしまうのです。
「あの、その図鑑、僕の…」
この声が頭に響くたび、ユウマは心がズキンと傷んで、その場で胸を抑えたくなるほどでした。
でも、忘れたいと思うことほど、ふとした瞬間に思い出してしまうものです。ニドランのブラッシングを終えて、チコリータのブラッシング―というよりほとんどブラシで軽く撫でてあげるだけのものですが―のために柔らかいブラシを取りに立ち上がったユウマは、目線の先にあったカレンダーを見た瞬間に図鑑のことを思い出して、ずんと胸が重苦しくなりました。
日付が並んでいるその上には、青い海と山吹色の砂浜に、ゼニガメがサングラスをしてベンチに寝そべっている絵。カレンダーはもう7月になっていました。そして、1つだけ赤い丸で囲ってある日付が、夏休みの始まり、つまりユウマが旅に出る日です。それは20日のことですが、もう今は7月も4日の夜です。旅に出るまで2週間ちょっとしかありません。旅に出るために必要なものだって、いくつか用意し始めています。傷薬や状態異常を治す薬一揃い、地図、モンスターボール、そういうものが机の脇にまとめて置かれていました。
つまり図鑑を返そうと思ったら、もう時間が2週間くらいしかないのです。大沢君がその間にユウマを許してくれるか、どころか、そもそもユウマと会えるかどうかも分かりませんし、もしかしたらリンゴの樹の不思議な力が突然無くなってしまうかもしれません。でも、どうしても大沢君の怯えた顔と声が頭から離れてくれません。
カレンダーを睨んだまま動かず、大きくため息をついたユウマに、放っておかれたままのチコリータが腹を立てたのか、ユウマの足元にどんとぶつかってきました。よろけたユウマの視界がぐらりと揺れました。
「いたたっ」
ユウマがその痛みで本来の用事を思い出し、慌ててしゃがんでチコリータに謝ると、チコリータは「しっかりしてよ」と言うように葉っぱを一つ振りました。ふわりと優しい香りが部屋に広がります。
その瞬間、ユウマは思いつきました。大沢君に直接会わなくても、図鑑を返して、ちゃんと謝ることのできる方法があったのです。
「そうだよ!」
思わずユウマはチコリータに話しかけました。チコリータはちょっとびっくりしたような顔をしてユウマを見返しましたが、ユウマはドタバタと足音を立ててブラシを取りに行ってしまいました。
ユウマが考えた方法は、大沢君に手紙を書いて、図鑑に挟んで「あっちの世界」のベンチの上に置いておくというものでした。チコリータのブラッシングをしながら、ユウマは一生懸命文章を考えて、それが済むとすぐさま机に向かい、机の引き出しを片っ端から開けて、居眠り中のフシギダネの絵が描いてある薄緑色の便箋を取り出し、書き始めました。

「始めまして。
図鑑を勝手に持って行ってしまってごめんなさい。
ぼくはジョウト地方のエンジュシティに住んでいる佐渡有真といいます。
本当は会ってちゃんとあやまりたかったけど、ぼくは7月20日から旅に出ないといけないので、あなたに会えないと思うので、手紙であやまります。ごめんなさい。」

ここまでで手紙は終わるはずでしたが、注意深いユウマは一度読み返してから
(もしかしたら、旅って何だろうと思われるかもしれない。ポケモンがいない世界だから、旅もわからないかもしれない)
と考え、続きを書き始めました。

「旅とは、ポケモントレーナー(ポケモンを育てている人)がポケモンを連れて、いろんな町に行ったりポケモンをつかまえたり、バトルしたりすることです」

手紙はこれで終わりませんでした。そもそもポケモンがわからないだろうし、バトルだってそうだろう、と思ったユウマはどんどん説明を付け足していきました。

「ポケモンとは、ぼくたちの世界にいるいろんな生き物のことです。ぼくたちの回りにいるのはみんなポケモンで、あなたのところにいるような動物や鳥類はたぶんいません。ポケモンはバトルをして強くなるので、みんなそうしています。うちにもいます」

ユウマは余白にニドランとチコリータの絵を描きました。絵を描いたら説明もつけたくなって、説明も付けました。なんだか永遠に終わらないような気持ちになりましたが、便箋はいつかはいっぱいになるものです。書くところがなくなれば、手紙はおしまいです。
手紙を書ききったユウマは心からほっとして、もう謝るのが済んでしまったような気分になりました。そして初めて「日本の鳥類図鑑」をゆっくり眺めようと思えるだけの余裕ができたのでした。

「日本の鳥類図鑑」を一通り読み終えて分かったことは、やはりこの図鑑の生き物とポケモンは全然違う、ということでした。分類だけでなく名前自体がポケモンと同じでも、同じなのは名前だけで、後は全然違うのです。例えば「スズメ」と「オニスズメ」は見た目も大きさも、性質もちっとも似ていません。「ハシブトガラス」と「ヤミカラス」も全く似ていませんが、ユウマは「ハシブトガラス」の方がかっこいいな、と少し思いました。
それから、やっぱりどの鳥も、とてもとても小さいように感じられます。大きいものもいるけれど、100センチを超えるようなものはほとんどいません。ピジョンやオニドリルのような、少し旅慣れたトレーナーなら一羽は連れているような鳥ポケモンが、あちらの世界では相当珍しいのかもしれない、と考えてみるとなんだか変な気持ちです。
ほとんどの鳥は、あのフェンスに止まっていた茶色い鳥―スズメのように、片手の手のひらでも余るくらいの大きさしかありません。そういう鳥が大きな鳥に進化するのかと思えば、そもそも「進化」というもの自体が図鑑のどこにも書かれていないのです。スズメは一生小さなスズメのままで、なんだか育てる楽しみも…
そこでユウマはふと、思いました。あちらの世界ではこういう生き物を育てたりバトルさせたりするんだろうか、と。そういうことに役立つ情報、例えば覚える技やタイプ、どう育てれば進化するか、など何も書かれていないこの図鑑と、小さな鳥たちの精悍な瞳とキリリと結ばれたくちばしを見ていると、なんだかどの生き物も人間なんか必要としていないように見えたのです。
ユウマは何かに突き動かされるように図鑑の「コマドリ」のページに挟んだ薄緑色の便箋をもう一度机に広げ、その隅になんとか一文書き込めるだけの隙間を見つけ、こう書き足しました。

「あなたのところでは、動物や鳥類をつかまえて育てたりしますか?」

こんなことを書いて、自分がどうしたいのか、ユウマには自分でも分かりませんでした。返事が欲しくて書いたわけではないし、のんきに文通なんかしている暇はないのです。この手紙を送ってもうおしまい、のつもりだったのです。ユウマは消しゴムでこの文章を消しました。するとまわりの文章まで一緒に消えてしまったので、それはもう一度書き直しました。
終わりまで真っ黒になったフシギダネの便箋を、ユウマはその時改めて見返しました。この世界のことや旅のことやポケモンのことを伝えようとして、いっぱいになった便箋です。
(こんなに書くつもりじゃなかったんだけど…でも)
ユウマはその文章の奥に隠された、そして自分の中でいつの間にか見えなくなっていた自分の気持ちを見つけました。ユウマは大沢君に会いたい、話したいと思っていたのです。ポケモンのいない世界と、動物のいない世界のことを。
ユウマはさっき消した質問を、同じ場所にもう一度書き直しました。それから、いろいろ考えた末に、ある一文を書き直しました。
そうして、やっと眠りにつきました。

次の朝。ユウマはズバットがねぐらに帰るより早く起きて、公園へ走ると、済んだ空気の香りがする公園から、朝日に砂がキラキラ光る校庭へ渡り、ベンチに本を置いてすぐに戻りました。

***
7月5日 午前11時
カイトがその図鑑を受け取ったのは、2時間目の終わりのことです。
担任の先生に職員室に呼び出されて、何かと思って行ってみれば、先生の机の上に、記憶の彼方へやっていたはずの「日本の鳥類図鑑」があったのです。カイトはもう、言葉も出ないほどのショックを受けました。
「2年生の子が体育の時間中にベンチの下に落ちてたのを見つけてくれたんだと、山本先生が届けてくれたんだ。いやあ、ちゃんと名札をつけてあってよかったなあ。なあカイト」
先生がそんなようなことを言っていますが、頭が真っ白で何も入ってきません。小さく返事をしながら、人形のように首を縦にふるだけです。
「あんなリンゴの樹のところで、鳥の観察でもしてたのか?さすがカイトは勉強熱心だなあ」
先生はやっぱり太陽のような笑顔をしているなあと、カイトはぼんやり思いました。こちらの調子など構わずに、百パーセントの明るさで照らしてくるのがそっくりです。
「ほら、もう無くさないようにするんだぞ」
カイトは白昼夢を見ているような気持ちで本を受け取りました。どうして返ってきたんだろう。誰が戻したんだろう。死んだ犬のゴロが突然天国から戻ってきたら、きっと嬉しいより先に同じような気持ちになるでしょう。でも、ゴロだったらきっとその後泣きたいくらい嬉しくなるけど、カイトに悪夢やオバケを見せた図鑑が戻ってきても、素直に嬉しいとは思えませんでした。きちんとした四角いフォントの「日本の鳥類図鑑」というタイトルも、表紙に写された宝石のように美しいカワセミも、どこかこの世のものでないような感じに見えていました。

ポンと手渡された図鑑を持って、ぼうっとしたまま職員室を出たカイトは、廊下の静けさの中で、途方に暮れたような気分でした。力なく左手に図鑑をぶら下げて、おぼつかない足取りで教室に戻ろうとすると、パサリと何かが落ちました。
「え?何これ…」
2つに折られたその紙を拾い上げて開き、「始めまして」の文字を一番上に見つけた瞬間、カイトは再び頭を殴られたようなショックを受けました。
(オバケからの手紙だ!!)
カイトは一瞬、怯えてその手紙を床に投げ出しそうになりましたが、職員室の前の廊下でそんなことはできません。震える指先でその「始めまして」の文字をなぞると、鉛筆の粉が指先につきました。同じクラスの友達が頑張って丁寧に書いたらこんな感じだろうな、という文字の後に、二匹の生き物の絵が描いてありました。そしてそのうちの一匹は、まさにカイトが見た、あの黄緑で頭に葉っぱがあった、あの生き物とそっくりな形です。リンゴのオバケなんかじゃない、世界の何にも似ていない謎の生き物です。絵の周りにもたくさんの文字が書いてあります。
よく見ればそれの仲間のような、背中に球根のようなものを背負ったカエルみたいな生き物が、便箋の上の方で気持ちよさそうに居眠りしている絵がプリントされています。
(どうしよう、どうしよう)
カイトは今すぐ休み時間も授業も放り出して、家に帰りたくなりました。この図鑑と手紙をどうするにせよ、とにかくまず気持ちを落ち着けることが必要でした。何せ手紙の絵はなんとか分かっても、「始めまして」から先が全く読めないくらい混乱しているのです。
恐らくそんなカイトの顔は真っ青になっていたのでしょう。3時間目の授業が始まるとすぐさま、担任の先生はカイトの顔色が酷いのを見て取り、保健室に行くよう促しました。
保健室のベッドでしばらく横になっていたカイトは、いくらか落ち着いた気分にはなりましたが、帰りたいという強い気持ちは変わりませんでした。そんなわけでカイトは保健室の先生にそう言って、慌ててやって来たお母さんの車に乗って早退したのでした。

7月5日 午後1時
「カイト、本当に大丈夫なの?熱はない?病院に行く?」
家のベッドに横になったカイトに、お母さんは心配そうに声をかけました。
「ううん、気分が悪くなっただけだから、寝てれば治るよ」
カイトはお母さんを安心させるように笑って返事をして、お母さんがそっとドアを閉めて出て行くのを見守りました。
寝転んだカイトは、自分の右手の人差し指をしばらくじっと見つめていました。家に帰ってから手をきれいに洗ったので、もう鉛筆の粉はついていませんでしたが、あの文字を指先でなぞった時の感覚が、まだ残っているようでした。
(…オバケの文字だったら、鉛筆の粉なんか、つかないよね…)
カイトは自分の手を見つめ、それを鉛筆を握るポーズにしてみました。
(そうだ、きっと僕とおんなじだ、おんなじ人間なんだ)
カイトは自分に勇気を出させるように、気持ち悪いのを吹き飛ばすようにベッドから身を起こしました。そして図鑑をランドセルから取り出して、手紙を手に取り、再び布団に潜りました。
確かに心臓が飛び出しそうなくらい緊張してはいるけれど、怖い気持ちは少しずつ薄れていました。1人で、静かに、安心できる布団の中であれば、オバケの言葉とでも向き合える気がしていました。「始めまして」の文字とあの絵の間に何が書かれているかは分かりませんが、オバケはカイトにも分かる言葉を使ってくれている。それはとても大きなことでした。それでも手紙を開く前に何度も何度も目をつむって深呼吸をしなければいけませんでしたが…

カイトは手紙を読みました。うまく分からない言葉があったので、何度も何度も、隅から隅まで、漏らさないよう読みました。

カイトは、あのオバケたちの名前を知りました。彼らがどこに住んでいるのかも知りましたが、全く聞いたことのない地名でした。カイトは佐渡有真君というその子が、ポケモンという生き物たちと、どういう暮らしをしているのか想像しようとしました。たったの10歳で出なければいけない「旅」とはどんな感じだろうと考えてみました(ゴロを連れて一人旅に出る自分を想像してみましたが、頭の中で県境を超えただけで怖くなってきたので、やめました)。佐渡君の住んでいる町や自然はどんな感じなのか、頭の中に一生懸命描いてみました。鳥も動物もいない、ポケモンという生き物だけの世界とはどういうところなのか。
ふいに、あの「悪夢」の光景が思い出されました。あの両手で抱えられそうなくらい大きな鳥たちや、ピンク色のぬいぐるみみたいな生き物や、あくびしそうな顔のてんとう虫、そしてそういう生き物たちと、まるで家族や友達のように一緒に歩いていた人々を思い出しました。
(そっか、あれがみんな、ポケモンなのか…)
あの光景と手紙にかかれた文章と絵が一つに繋がり、まるでなかなか飲み下せなかった薬が突然喉から落ちたように、カイトの頭の中にスッと入ってきました。確かにカイトにとっては見慣れない光景です。第一にあんなに大きな鳥や虫や動物があっちこっちにいたら、車も走れないし、学校に行くのだって危ないでしょう。3年生の時、隣町に山からサルが一匹降りてきて、大騒ぎになったニュースを、カイトは家で見たことがありました。でも、小さい頃からそういう生き物がそこら中にいる世界にいた佐渡君や、この「ジョウト地方のエンジュシティ」の人々にとっては、そういう生き物が身の周りにいる光景が、きっと普通なのです。
佐渡君の家にいるという、2匹のポケモンの絵には、矢印で引いた説明があちこちに書いてありました。文と文の間にまで、無理矢理に文を押し込んで、ぎっしり書いてあったので、カイトは読むのがとても大変でした。

「チコリータ オス はっぱポケモン くさタイプ(分類はそのポケモンを大まかに表すもの タイプはそのポケモンの力のもとみたいなもの)
葉っぱはいいにおいがするからおちつく
緑の点点は進化すると花になるらしい(進化とはポケモンが強くなって大きくなることです)
まだ子どもなので小さい 36センチくらい(頭の葉っぱを入れるともっと大きい)」

「ニドラン オス どくばりポケモン どくタイプ
どくなのでむらさき色 あぶない トゲトゲもいたい(毛はだいじょうぶ)
角に強いどくがあるのでキケン!!さわっちゃだめ!!
すぐおこるけどかわいい 年はなぞ(たぶん子ども) 40センチくらい」

他にも背中やらお腹やらに矢印が引いてあって「ここをさわるとおこる」やら「ここをなでるとよろこぶ」だの、はたまた「ここはブラッシングの時にやさしくしないとおこる」などなど、とにかく沢渡君がこの2匹を大切にしていることが分かるようなことがたくさん書いてありました。

カイトはニドランの説明が気になり、何度か読み返しました。チコリータの方はもう自分の目で見たことがあるから、説明と合わせれば大体分かるのですが、それだけではなく、ニドランについての文に何か引っかかるものがあったのです。
「毒なので紫色…危ない…毛は大丈夫…」
口の中でぶつぶつ呟いているうちに、
(あっ!あれだ!)
カイトは頭の中で光が閃いたようになりました。そして急いで飛び起きると机の引き出しから小さなビニール袋を取り出しました。その中には紫色の毛玉が、ぎゅっと詰められて入っています。
(これが、きっとそうなんだ…)
カイトはベッドに座り、毛玉を見つめると、穏やかなため息をついて、目を細めました。まだ本物を見たわけでもないのに、まるで懐かしい友だちに会ったような気分でした。
紫の毛玉をビニール袋ごしに撫でながら、カイトはそのボサッとした毛玉と沢渡君の描いたトゲトゲで目付きの悪いウサギの絵を見比べ、頭の中で重ねあわせてみます。生き物の毛の感触は、ビニール越しでもどうしてもゴロのことを思い出させて、本物のニドランも触った感じはゴロに似ているのかな、でも犬とウサギじゃ全然違うよな、でも本当のウサギとこのニドランもきっと違うだろうな、と想像はどんどん進んでいきました。
(…本物を触ってみたいなあ)
カイトの想像は最後にそこに行き着くと頭の中で行き場をなくし、再びため息となってカイトの部屋にこぼれました。

でも、どうすればいいのでしょう。カイトは再び最初から手紙を読み返します。どこかに「ここに行けば僕たちに会えます」というようなことが書かれていないでしょうか。「ジョウト地方のエンジュシティ」への行き方のヒントなどは書かれていないでしょうか。しかしそんなことはどこにも書いてありません。あったのは
「20日から旅に出るので、あなたに会えないかもしれないので、手紙であやまります」
というカイトの希望を打ち砕く一文だけでした。カイトはがっくりと肩を落としました。佐渡君は、カイトに会える、会いたいなどとは始めから思っていないのでしょうか。
(…待てよ)
会えないかもしれない、ということは、会えるかもしれない、ということでもあります。それにこの一文は何やら変でした。後半の「会えないかもしれない」の部分が妙に詰まったようになっているのです。
(書き直したのかな…)
無理矢理に詰め込んだようなその文字列は、元々そこにあった文章がもっと短かったということを示していました。もしかしたら「会えない」の後に無理やり「かもしれない」を書き足したのかもしれません。
わざわざそんなことをした佐渡君の気持ちが知りたくて、カイトは探るように端から端まで手紙を読んでいきました。すると手紙の隅の方に小さく、本当に小さく、こんなことが書いてありました。

「あなたのところでは、動物や鳥類をつかまえて育てたりしますか?」

カイトは首を傾げました。それは奇妙な質問に見えました。一体どうしてこんな質問を、こんなところに書いたのでしょうか。
確かに手紙の本文、真ん中辺りには「ポケモンをつかまえたり」と書いてあります。と、すると、チコリータやニドランも佐渡君が捕まえたものなのでしょうか。でも、カブトムシやカエル、頑張ってもトカゲくらいならまだ網で捕まえられそうだけど、40センチ程もある生き物を一体どうやって捕まえるのか、カイトは全く分かりませんでした。
兎にも角にも、それはカイトへ向けられた質問でした。この文字でぎっしり埋まった黒い壁のような手紙の中で、これだけがカイトの世界と佐渡君の世界を繋ぐ小さな窓のようでした。
そしてカイトは、その窓から手を伸ばそうとしました。つまり、返事を書くことにしたのです。
書きたいこと、というよりも、聞きたいことは山程ありましたが、部屋に便箋はありません。仕方がないのでもう使わなくなったノートの最後のページを破り、そこに返事を書くことにしました。

「初めまして。
図鑑を返してくれてありがとうございます。大沢海斗です。
ぼくが住んでいるのは日本の京都府というところです。ぼくのところにはニドランやチコリータのようなポケモンはいません。スズメやサルのような鳥や動物ならいますが、野生動物をつかまえて育てるということはしません。
家でかう(ペットと言います)動物はペットショップで買うか、人からもらうか、すてられたのをひろいます。うちには、近所の人からもらった犬のゴロがいましたが、去年死んでしまいました。」

そこでカイトは佐渡君の真似をして、ゴロの絵を描きました。あまり似ませんでしたが、説明もつけて一生懸命描きました。
それが終わるとまた手紙の続きです。

「佐渡君は、自分でニドランやチコリータをつかまえたのですか?どうやってつかまえたのですか?つかまえる時に、ニドランたちはいやがりませんでしたか?
ニドランとチコリータはケンカしないのですか?エサは何で、どうやって毎日世話をしているのですか?」

質問ばかりが続くので、カイトは自分でもちょっと面倒になってきました。読む側の佐渡君はもっと面倒に思うでしょう。カイトは少し考えて、自分のした、あの体験について書くことを決めました。
あの事はこれまで家族にも友達にも、誰にも言っていなかったし、自分の中でも夢だと思って心にしまい込んでいたので、手紙に書きだすのにも勇気が要りましたが、自分のことで佐渡君に向けて書くべきことがあるとしたら、何よりもまず、この出来事以外に思いつきませんでした。

「ぼくは一度、ポケモンのいる世界?に行ったことがあります。ぼくの通っている学校にあるリンゴの木のところからワープしたみたいになって、緑がたくさんある公園みたいなところに行きました。大きな鳥や虫があちこちにいました。あれは全部、人がつかまえてもいいんですか?おこられたりしないのですか?ぼくのところでは野生の動物を勝手につかまえてはいけないことになっています(虫とか小さいのは大丈夫です)」

書きながらカイトは、名前を知る前の「オバケ」の佐渡君がベンチに座ってスズメを熱心に見ていたのを思い出しました。あの時は二人とも訳がわからなくなっていたけれど、カイトが来る前はきっと、佐渡君もカイトと同じように、この世界を夢のように思っていたのかもしれません。カイトはあの時の佐渡君がスズメを見てどう思っていたのか、とても知りたくなりました。手紙の最後には、自分の正直な気持ちを書くことにしました。

「ぼくのいるところでは、ポケモンのような大きな動物や鳥と毎日いっしょにいることはむずかしいです。世話が大変だし、しつけもむずかしいです。ぼくはゴロの世話もよくサボってしまっていました。だから2匹もそだてている佐渡君はすごいなと思います。ぼくはニドランの毛のかたまりが図かんにはさまっていたのを大切にしています。いつか本物のニドランをさわってみたいです。そちらへ行ってみたいので、エンジュシティへ行く方法があったら教えて下さい(リンゴの木からワープするやつは、どういう仕組みなのか自分でもよくわからないので、ちゃんとした行き方が知りたいです)。あと佐渡君がスズメを見てどう思っていたのかも聞きたいです。
最後ですが、手紙はなるべく学校が終わったくらいの時間に置いてくれると助かります(他の人に見つかるといけないので)」

カイトは一度読みなおして、一つうなずくと、その手紙を「日本の昆虫図鑑」に挟みました。佐渡君が読むかもしれない、ということが分かると、図鑑を選ぶのも楽しくなりました。人差し指の先くらいのてんとう虫の写真を見たら、どんなに驚くでしょう。
その時、ドアを静かにノックする音が聞こえたので、カイトは机についたまま振り向いて返事をしました。ドアを開けたお母さんに
「カイト、夕ごはんができたけど、気分が悪いのはもういいの?」
と尋ねられたカイトは、笑顔で
「うん、もうすっかりいいよ」
と答え、少し早い夕食に向かったのでした。


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