マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1348] 7.ルナトーン 投稿者:   投稿日:2015/10/25(Sun) 01:13:03   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 向かうべき水面が、ゴーグル越しでも強く光って見えた。
 新しく仲間に入ったタマザラシのガイドで浮上する。水面が割れた。
「はい、全課程終了。着替えて機材を片付けて、ジムに戻るよ」
 ふあい、と気の抜けた返事をして、テトはポケモンと自分とを結ぶ安全ベルトを外しはじめた。
 タマザラシを手持ちに加えて一週間。ジムリーダーの提案で、テトはポケモンダイビングの講習を受けていた。この地方には“ダイビング”単体のライセンスバッジはない。代わりにこの町のジムでライセンスを受けられるということで、テトは受講したのだが。
「バイト代が飛んだ」
 受講料その他。一式レンタル代もばかにならなかったし、水中でもしもの時に使うナイフも、十徳じゃ頼りにならんということで買わなければならなかったし。
「いやでも、ジムリーダーさんに『水中のポケモンにも触れるようになる』なんて言われたら。言われなかったら受けなかったよね。でもこれで水中のポケモンに触れると思えば」
「早く戻ってこい」
「はい」
 タマザラシをボールに戻し、ジムでトドゼルガの手触りを堪能して。
「素晴らしいですね、この長い牙。頭周りのこの長い白い毛もフサフサってしてますが、冬の霜柱みたいなシャクシャクした感じもありますね」
「はいはい。残りは自分のタマザラシを育てて味わいな」
 そして、ライセンス交付を受けた。トレーナーカードの隅に追加されたチョンチーのマーク。小さくて頼りないが、確かにテトがポケモンと“ダイビング”できるという印。

 海誕祭(かいたんさい)まで、あと一週間。
 祭りの夜までルギアが羽を休めている、といわれる潮凪の海洞(しおなぎのうみうろ)――もしくは渦潮の洞窟――を探索するならば、今日発たないとギリギリだ。
 短い距離とはいえ海を越え、一週間分の冒険に耐えうる準備をする。お金と、重量と、電卓をしきりに叩きながら、嵐のように荷物を作り。
「重っ」
 少し持とうか? と両手を差し出すグレッグルに断りを入れて、ボールに戻す。これから先、水も食料も貴重になる。ポケモンもおいそれとは出せなくなるのだ。
 テトはザックを背負い、部屋を見回す。ベッドはきちんと整え、自分の荷物は隅にまとめる。階段を降りる時、手すりにザックがこすれた。
「ありがとうございました」
 大きな荷物に難儀しながら、店長さんにペコリとおじぎした。店長さんは穏やかに笑う。
「いってらっしゃい」
「はい。お祭りまでには戻ってきます」
 クイタランの両手を触り、ベルの鳴るドアを押した。
 染みついたようなコーヒーの香りとも、しばしお別れだ。

 海岸は夏のビーチ並に人があふれていて、テトはびっくりした。
 テトのびっくりを勘違いしたのか、親切な人が「あの沖に見えてるのが“渦潮の洞窟”でね、今の時期はルギアがいるんですよ」と教えてくれたけれど、テトは満足な返事もできなかった。
「プライベートビーチで講習受けてたけど、こっちはこんなことになってたんだ。ねえ、グレッグル」
 いつもの癖でグレッグルに話しかけ、あちゃーと言いながら頭をかいた。聞いた人はいないと思う、多分。頭をかきながら人ごみを離れ、タマザラシのボールを手に持って「どこで着替えよう」首を伸ばして探してみると、臨時増設の着替えスペースは人ごみのど真ん中で、結局テトはまた人ごみをえっちらおっちらかき分けていかねばならなかった。
 そしてやっとのことで海に入った。スーツにブーツに手袋にゴーグル、フル装備だ。ライセンスは取ったけれど、今回は潜らないのでボンベはなし。波打ち際でザックを漬け、水が染みこんでこないか確認。タマザラシに装備させた安全ベルトを引っぱり、カラビナを自分の方のベルトに引っかける。最後にもう一度、ベルト回りの装備を確認して。
 軽く息を吸った。ポケモンに道を作るわざを命令するのは、これがはじめてだ。
「タマザラシ、“なみのり”」
 手袋ごし、タマザラシの筋肉がグヨンと動く。ギュー、と鳴いてタマザラシは波にザブンと潜る。テトは握力よりも安全ベルトの力でタマザラシに引っぱられていった。
 途中で安全ベルトを引っぱり、体を起こした。「ちょっとごめんよ」タマザラシの頭にテトの胸を乗せ、沈めたタマザラシを推進力にする形に“なみのり”の体勢を整えた。ベルトで引っぱられるのは背中が痛かったのだ。
 楽な姿勢をとり、余裕ができたテトは周囲を見渡した。テトと同じように、ルギアに挑むトレーナーたちが何人も“なみのり”している。テトがうらやむような、ラプラスという珍しいポケモンの背に腰かけて、悠々と海を渡るもの。大きなポケモンの背で“なみのり”して、それでも波をかぶって濡れているもの。テトみたいにスーツで防水しているものもいれば、陸と変わらない普段着のものもいる。でもみんな共通して、一方向に進んでいた。
 もう少し進むと風景が変わってきた。ギザギザした小島の輪郭がはっきり見えるところまで来て、たくさんのトレーナー達が立ち往生していた。止まってしまったトレーナー達は「なんだ?」「どうした?」とざわつきはじめ、遅れてやってきた人達も順次、そのどよめきに加わっていく。
 タマザラシの頭の上から、テトはせいいっぱい首を伸ばしてみる。
「見えた?」
 隣の人に話しかけられる。
「いいえ」
 長丁場になるかもしれない。テトはタマザラシの体の上にお腹を乗せた。普段着で波をかぶった人達からポツポツと、人ごみに謝りながら戻っていく。空いた場所を埋めるように、人だかりが少し進み、止まる。

 テトは最初の日のことを思い出した。トレーナーになって、グレッグルをもらった日。一塊の生き物みたいに進む人だかりの一部になって、テトは、この先にどんなワクワクが待ち受けているんだろうと、胸を躍らせていた。
「あっ」と小さな声が隣の人から上がる。声につられて、テトもそれを見た。
 海に突然現れた、轟々と唸る川。白い飛沫を上げながら、その潮流は静かな海と小島とを隔てていた。
『もっとも、長いことこの町で暮らしていますが。あの小島の暴れ潮が凪いだことなんて、一度もありませんよ』
 喫茶店の店長さんの声が、耳によみがえった。
「暴れ潮」
 果敢にも挑んだトレーナーが、あっという間にテトの右から左へと流されていく。
 群衆がざわめきたった。引き返す者、対策を練る者、反応は様々だ。
「ちょっとムリそう」
 と言って、テトの隣にいた人も列を離れた。「すいませーん」道を開けてもらう声が遠ざかり、空いた場所に別の知らない人が入った。
 今度は群衆が歓声を上げた。ラプラスに乗った少女が、悠々と暴れ潮の上を進んでいく。「うずしおだ」とどこかで誰かが解説している。この地方ではライセンスバッジもわざマシンもない“うずしお”を使いこなす少女は、別地方からの旅人か。少女とラプラスはプールを泳ぐみたいに、何の障害もなく小島の岸に降りたった。
“うずしお”の恩恵に預かろうと後ろにつけたトレーナーが三人ほど流された後。何人かのトレーナーが“うずしお”を使って小島に渡った。「よし、僕も」テトの隣の人も、“うずしお”を使って暴れ潮を渡っていく。近くで見ると、潮は暴れたままで、“うずしお”をどう使ったのかもわからない。後ろにくっついていくのはダメそうだ。
 その次には“うずしお”に頼らないチャレンジャーが現れた。大きなエイのポケモン、マンタインで滑空したかと思えば、力自慢のギャラドスが暴れ潮を強引につっきった。
 そんなチャレンジャー達の中に見知った顔を見つけた。耐水スーツに身を包んだカシワが、ガメノデスとカメックスの二匹にボートを引かせて乗り切った。二匹の力の合わせ技にまた歓声が上がる。
「すごいね、タマザラシ。カメテテ、進化したんだ」
 テトの手持ちはグレッグルとタマザラシだけ。真似できそうもない。
 ここまで残っていた人々も、そろそろ店じまいと帰る方が多くなってきた。一度ダメ元でチャレンジして諦める者、来てはみたものの、予想以上の暴れ潮の激しさに引き返す者、「明日もあるし」と苦笑いして帰る者。
 テトも、そろそろ帰った方がいいと思いはじめていた。フル装備でも、長時間水に浸かりすぎて、体が冷えてきた。戻る意思を伝えるつもりで、タマザラシをポンと叩いた。
 ギュー、と一声鳴いて、タマザラシが潜水した。

 テトは慌てて息を吸いこんだ。口元を手で押さえ、意識的に少しずつ息を吐く。鼻からもれてクルクルのぼっていく泡の粒から目を離す。状況を把握しようとして、テトは息をのんだ。
 凪いでいる。海上の喧騒がうそのように、海中は無音の静寂に沈んでいた。
 テトの青い視界の中を、海藻の切れ端や土くれがまっすぐ落ちていく。眠りにつくように落ちる黒い欠片を舞いあげて、小さなタッツーが左から泳いできた。背びれを震わせて少し進み、背すじを伸ばした反動でわずかに浮きあがる。その動きを繰り返しながら、タッツーはテトの右手側へと泳ぎ去る。
 テトとタマザラシは前進した。海をかき乱すのはタマザラシの尾びれだけだった。
 深すぎる青できかない視界に、岩の壁がぬっと出現した。手をついたところから壁は緩やかに湾曲し、小島の内部へと続いている。安全ベルトを引っぱり、タマザラシを先頭に横穴に入る。
 穴の中は、思いがけず明るかった。見上げると、何かが強く光っていた。テトとタマザラシは誘われるように、光に向かってゆっくりと浮上した。
 水面が割れた。
 テトは大きく息を吸った。空は見えず、岩の天井が濡れて光っている。屹立していた岩壁はなだらかな斜面となり、海から出て、洞窟の床となってどこかへと続いていた。テトは斜面を四つん這いでのぼった。その海水に洗われる斜面に、ポケモンが四匹身を寄せていた。
“おやき”みたいな丸くて平べったい体に、十字の目。その背中からそれぞれ二本、合計八本、コードの先につないだ電球みたいなのが光っていた。
「チョンチーだ」
 明かりの主はこの子たちだった。テトは触りたいなあと思って手を伸ばしたけれど、チョンチー達におびえられたので断念した。ポケモンフーズは貴重で、餌で釣るなんてことに使えない。
「明かりは君達だったんだね。ありがとう」
 通じるかわからないお礼を言って、テトはその近くで荷物を整理しはじめる。スーツを脱ぎ、普段の長袖長ズボンに着替え、セカンドバッグを腰に巻く。懐中電灯の動作も確認した。最後に安全ベルトをつけたままのタマザラシをボールに戻し、チョンチー達に一礼して、テトは洞窟の奥へと踏みだした。

 チョンチー達から少し離れただけで、テトの周囲が闇に包まれた。懐中電灯のスイッチをオンにして、壁を触る。岩壁にはなぜか、誰かが打ちこんだ“あなぬけのヒモ”が張ってあった。
「誰かが来てたのかな」
 テトの低い呟きは、洞窟に壁に反響して溶けた。音の溶ける先には懐中電灯の光も届かなかった。
 あなぬけのヒモのガイドに沿って進んでいくと、ところどころでチョンチーの光と出くわした。狭い穴があちこちにあるようだ。
「お腹すいてきた」
 時計を見て食事の時間を決め、チョンチー達の通路の近くに腰を下ろした。なんとなく不安で、少しでも明かりを節約したくなったのだ。
 チョンチー達の明かりで火を灯し、雑炊を作る。小さな鍋にチャック袋の中身を開け、混ぜる。それだけの簡単な夕食も、香りが立つと空きっ腹にひびいてきた。
 その時、明かりが揺れた。
 テトが光源にノロノロと顔を向ける間に、匂いに釣られたチョンチーが鍋をつつき、ひっくり返していた。
 テトは逆さまに着地した鍋を見て、やっとこさ状況を把握する。
 つまり、明かりはケチらない方がいいと。
 携行食のナッツを少し口にして、テトは寝袋を広げた。寝る前にポケモンよけのスプレーを自分に噴きかけた。さっきのチョンチーが回れ右して去っていった。

 テトはあなぬけのヒモに沿って歩き続けた。
 湿気た岩が続く。懐中電灯のスイッチをオンオフする音がやけにひびく。電池を無闇に消費することに気づいて、今度は電灯を振ってみた。蜂のように揺れる明かりに、少し気を紛らわす。
 チョンチーや、三日月型の岩のポケモン・ルナトーンは見かけたが、こちらから積極的に仕掛けない限り、向こうも襲ってこない。通路の端に寄って、音もなく浮いているルナトーンに道を譲り。無表情なルナトーンが、目からフラッシュを焚いて浮いているのはびっくりしたが。こうして避ければ、バトルというバトルもなく。
「どこまで進んだかな。このヒモを設置したのはどんな人かな」
 意図したひとりごとも、空々しいばっかりだ。進むにつれ荷物は軽くなるはずなのに、丈夫なブーツは重くなっていっている気がする。昼食に趣向を変えてパスタを茹でてみても、どうにも食べた気がしない。ずっと洞窟の中のせいか、夜になっても眠れる気がしない。それでも寝袋を広げて横になると、疲れはたまっていてアラームが鳴るまで目が覚めない。
 目覚まし代わりの端末のアラームが鳴ると、ちょっと憂鬱になった。

 三日目、朝食を食べてしばらく歩いた頃、テトの耳に流れる水の音が届いた。その音に、テトの頭の中にかかっていた暗雲も少し晴れて、歩きだす。
 だんだん大きくなる水音に、テトの足も速くなる。懐中電灯の明かりが揺れる。懐中電灯が作る光の円が、黒い川面を捉えた。その次の一歩は濡れた岩の横腹に滑り、テトの体は重い荷物に引きずられるように川に落ちた。
 痛い。歩きで温まった体に水が染みて、冷えて。流れは速い。このまま沈んだらどうしよう。淀みに引っかかったらイヤだ。見つからなくなる。テトの手が動いた。ボールを押す。出てきた丸いポケモンの体を探り、ベルトをつかむ。
 流れがテトの体を削る。自分の方が止まっている。ザックが引っかかっている。安全ベルトを握りしめる。空いた左手でナイフを抜いた。刃をストラップ紐に当て、ねじり、外側に動かす。右と腰と二箇所切って腕を抜くと、テトの体は流れにさらわれた。体を洗う水が僅かに生ぬるくなったのを逃さず、テトは渾身の力をこめて、カラビナを自分の腰に引きよせた。
 カラビナがかかる音を合図に、タマザラシが浮上した。
 息を吸うとテトは落ち着いて、ベルトを引いてタマザラシを抱きよせた。そのままタマザラシを浮き輪代わりにいくらか流れ、手探りで高低差の少なそうな場所を見つけ、上陸した。
「ありがとう、タマザラシ。またボールに戻ってて」
 ボールの出入りに伴う発光現象が収束すると、辺りはまた真っ暗闇になった。うっかりすると自分さえ行方不明になりそうな暗闇。落ち着こうと深呼吸したら、息をする音がイヤにザラザラと大きく聞こえて、効果はなしだった。テトは残ったセカンドバッグから予備の懐中電灯を出した。
 パチン、と光が差す。ふう、と息をついた。
 さっきまで歩いていた洞窟と、なんら変わりない景色に見えた。濡れた岩場、湿気た空気。ただ、近くに“あなぬけのヒモ”が見当たらない。
 上流に光を向けた。川は狭苦しいトンネルの中から、急角度で滑りでていた。着替えもあの中だ。テトは濡れた服を絞り、上にのぼる道を探した。

 夕食の時、端末が動かないことに気づいた。目覚まし時計にも使っていたテトの端末はただの黒い板となった。テトは腕時計を見た。間に合わせで買った安物のダイバーズウォッチでは、午前か午後かもわからなかった。日付はなおのこと。
「九時か。多分、三日目の午後だよね」
 携行食のナッツを食べて、空きっ腹を抱えて眠った。起きたら二時を過ぎていた。飛び起きて、ナッツをかじり、歩く。腕時計を見る。変わらない景色に、時計の針の進みも鈍い。やっと夕食の時間になった。けれど、ろくにお腹を満たすものもない。テトは寝袋を広げる気力もなく、ポケモンよけの薬だけして、膝を抱えたまま目を閉じた。

 目を覚ますと、時間は十時を過ぎていた。慌てて歩きだす。少し寒い。でもどのみち、羽織るものもない。
 懐中電灯に似た明かりが向こうから近づくたび、他のトレーナーかなと期待を抱き、やっぱりルナトーンだったとがっかりしながら道を譲った。チョンチーの姿は見かけない。チョンチーがいたら、彼らの使う穴を通って外には出られるかもしれないのに。出られないかもしれないけど。でも、チョンチー達の作る有機的な明かりが見たい。
 安物の腕時計に合わせて座り、携行食をかじる。横になるのは落ち着かなくて、座ったまままどろんだ。それでも疲れているのかひどく寝過ごして、でも寝た気はしなかった。
 灰色の岩が四方をふさぐ。壁に“あなぬけのヒモ”を打ちこんだ跡のペグはあるけれど、ヒモが見つからない。ヒモがあれば結び目で出口がわかるけれど、ペグだけでは方向がわからない。
 テトの目からボロボロ涙が落ちた。テトは袖で目をこすり、鼻をすすりながら歩いた。幸か不幸か、人の目もない。ポケモン密度の低い洞窟だったが、テトが流された先ではさらにポケモンを見かけなくなっていた。
 最初の方でもう、洞窟続きで気持ちが悪くなってたんだから、帰ればよかった。洞窟の入口に着いた時、雰囲気がパンフレットで見たのと違うんだから、引き返せばよかった。そもそもタマザラシが間違えて“ダイビング”した時に、面白そうって思わずに、ちゃんと戻れの指示をすればよかったのに。後悔のあふれるだけあふれさせて、テトは袖がグショグショで気持ち悪くなるまで、泣いた。

 泣きながら歩いて、どのくらい歩いたっけ。なんだか涙の貯蓄も切れてきた。泣き疲れて、その疲れで逆にスッキリしたような気がする。
 テトは最後にダメ押しで目尻をぬぐって、息を細く長く吐いて、平気そうな顔をして、グレッグルのボールを開いた。
 グレッグルはすわバトルか、と構えた。相手がいないことに気づくと、不思議そうに首をかしげた。
「手、つなご」
 出してみた声は、ああ全然元気じゃないや。でもグレッグルは気づかなかった風で、テトに右手を差しだした。
 グレッグルに伸ばした左手は、残念ながらすごく震えていた。
 それでもグレッグルは気づかない振りをして、同じ景色が続く洞窟の先を、熱心に見つめている。
 左手に、冷たくペタペタしたグレッグルの感触がある。
「ごめんね、グレッグル。ぼくの手、熱いよね」
 グレッグルは鷹揚に首を振って、なにやら上機嫌そうに、頬をプーと膨らませた。
 今夜は少し気分を変えて、チョコレートをかじることにした。といっても一口だけど。
「グレッグル、タマザラシ。今日は食べるといいよ。タマザラシはさっきありがとね。グレッグルも」
 二匹のポケモンが美味しそうにご飯を食べるのを見て、テトも自分の分を口に運んだ。
 今度から、日数を少なくしてポケモンの分の食事を多く持っていこうっと。
 生きて帰れればだけど。
 冷え冷えした考えから目をそらすようにテトは眠った。

「午前六時かな」
 多分、七日目。久しぶりによく眠れた気がした。夜番に立ててみたグレッグルとタマザラシはというと、こちらもしっかり眠っていた。
「襲われなかったからいいけどね」
 バトルをふっかけるのも苦労するような洞窟だけども。起きたポケモン達といっしょに食べる朝食。空になったナッツの袋をまるめて、バッグにしまう。食後はタマザラシだけボールに戻ってもらって、グレッグルと歩いた。タマザラシは水の消費が少ないけども、坂で転がって落ちたら危ないので。
「今日、海誕祭かな」
 グレッグルがグーと喉を鳴らした。
「行きたかったな」
 海辺の町は、あの日の海岸のように、人があふれているはず。
 きっと喫茶店も行列で、店長とクイタランがきりきり舞いで働いてるに違いない。
「約束、やぶっちゃうな」
 グレッグルは静かに頬を膨らませた。テトのスニーカーのギュウギュウいう音と、グレッグルの足のピタピタという音が、時々ずれたりしながら、洞窟の中の伴奏のように鳴っている。
 グレッグルの手がテトから離れる。スニーカーのゴム底の音が止んで、ピタピタという音だけ先に数歩進んだ。
「ごめん、グレッグル」
 テトはその場に座りこむ。すぐに座ってもいられなくなって、洞窟の床に、仰向けに倒れこんだ。
 ハンガーノックかな。でも、もう食べ物は尽きてしまった。
 グレッグル、ボールに戻した方がいいかな。このまま逃がすのと、どっちが助かる確率、高いかな。
 ぼんやりする頭で考えても答えは出ない。とりあえずまだ動く指先で、テトはポケモンフーズの入った袋を出した。お腹が空いたらいけないから。グレッグルの冷たい手が袋を受け取り、そして、ピタピタという足音が遠ざかっていく。
 グレッグルが離れていくと、今度はテトは心配になった。ポケモンバトルになったら大丈夫かな。この洞窟のポケモン達は厭戦的だけど、ルナトーンは相性が悪いし。もしも危なくなったら、ボールの中に逃げてくれればいい。フーズじゃなくてボールを渡すべきだったかな。
 白っぽい視界にグレッグルの顔が入った。テトはちょっと嬉しくなった。その上側に黄土色の、赤い目のポケモンが浮いていた。
 考えれば影が射すというか、ルナトーンに追いかけられて戻ってきたみたいだ。テトはボールにグレッグルを戻した。ボールの中で休眠すれば、もつはず。転がらないようボールをホルダーにパチンとはめたら、テトができることは終わり。
 ルナトーンの赤い目がテトを見つめている。テトは目を閉じた。そばにいるのが見知らぬポケモンでも、あんまり気分は悪くない。
 ああ、でも。
 ルナトーンの黄土色の、いわ・エスパータイプの体がどんな手触りかわからないのは、惜しい。
 しびれる手で触ってもあまりわからないと思うけど、この岩みたいにスベスベしていたのかな。まるで研磨した大理石みたいだ。冷たくて気持ちいい。曲面に沿って、いつまでも撫でていたくなる。撫でるたびに地面が少し震える。かすむ目を開ける。
 黄色っぽい地面の背景に、灰色の地面が鋭角な光に切り取られて流れている。どうやら、ルナトーンに乗せられているようだ。
 どうやって乗せたのかなあ、器用だなあとテトは思う。ともかく、このチャンスを逃すわけにはいかないので、テトは動ける限り、ルナトーンを触った。三日月の弧の内側はスベスベだけど、外側は細かな砂をギュッと押し固めたような、砂糖菓子みたいな感じだ。こちらも曲線が魅力的で、内側と甲乙つけがたい。月に行って寝っ転がったら、こんな感触なのかな、なんて。
 テトの視界の下の方で目が赤く光った。ルナトーンが傾いて、テトは地面に降ろされた。念力を使ったのか、ゆっくりな着地だった。仰向けになったテトの視界に、白くて大きな人のような、鳥のような姿が見えた。
 天の御使いかな。だとしたら、グレッグルとタマザラシが人里に帰れるようにお願いします。あと、ちょっと触りたいです、とそこまで考えたら、とても暖かくなってきて、白い毛布に包まれてるみたいで。テトは眠りについた。


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