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  [No.1352] 四つ子とポケモン 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:35:57   68clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 どうもはじめまして。浮線綾と申します。

 メインは、四つ子トレーナーの愉快なカロス巡りの旅です。
 法律や政治制度、社会思想などの観点から、ポケモン世界を見つめ直す試みでもあったりします。

 中編連作の予定です。
 拙い文章ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
 メインキャラクターのイメージを投下していきます煮るなり焼くなり…お好きに…!

四つ子とポケモン (画像サイズ: 3000×2000 329kB)


  [No.1353] 四つ子との出会い 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:37:38   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との出会い 夕



 オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
 オレは今、ミアレシティに来ている。
 スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。ミアレガレットをモーモーミルクと共に優雅に食し、ブティックでは店員にちやほやされ、そして洒落乙なカフェでケーキを頂く。一流のエリートは一流のミアレっ子でなければならぬ。
 そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはノースサイドストリート、フウジョタウン方面即ちミアレ東部にある『カフェ・バタイユ』である。バトル好きの集まるこのモチベーションの高いカフェは、シックで落ち着いた内装ながら常に熱気が満ちており、こちらにまで闘志がみなぎってくる。くそ、せっかく午後のティータイムと洒落こんでいたのに、尊敬する師匠の情熱を見ていてはオレも最早じっとしてなどいられない。オレはプリズムタワーに向かって、夕日に向かって走り出した。


 ミアレシティ内周北東の広場、『ジョーヌ広場』。モニュメントは夕陽のごとき黄金に燦然と輝いている。
 オレは早速首を巡らせ、闘志をぶつける相手、もといバトルの相手を探した。
 そして、奴を見つけた。
 広場の真ん中に、人が倒れている。
 葡萄茶の旅衣を身にまとい、いかにも行き倒れた風である。
 その若者のすぐ傍には、これまたぐったりとした雄ピカチュウが寄り添っていた。
 そのピカチュウのトレーナーらしき人物はうつ伏せに倒れているが、黒髪、袴、ブーツ。それだけでオレはピンときた。クノエシティに大量発生する、なよなよしいジョウト地方のエンジュかぶれ共の一味だ。まああの派手派手しい一味とは打って変わってそいつは地味な配色の着物姿であったため、それに免じてオレはその行き倒れに、心優しくも声をかけてやったのだ。何せオレはエリートだから。
「おい、どうした、……大丈夫か?」
 するとそいつは、ぐりんと顔を上げた。
「目と目が合ったらポケモン勝負ゥゥゥゥゥ!!!」
「ぴっぴかちゃアアアアア!!!」
 灰色の双眸がギラギラと睨み上げてくる。鼻息も荒い。
その隣のピカチュウのドヤ顔が何故か無性に腹立たしい、そんな夕暮れの出会いだった。


 やれやれ、とんだ新人に絡まれてしまったものだ。『目が合ったら勝負』なぞというのは、ようやく野生のポケモンに勝てるようになってきた程度の新人ポケモントレーナーだけが勇ましく口にする、お決まりの台詞である。
 エリートであるところのオレは冷静に前髪をかき上げ、新人を余裕たっぷりに見下ろしてやった。
「新手のトレーナーおびき寄せ作戦か? まんまとかかってしまったよ、新人君。まあいい……オレはエリートトレーナーのトキサだ。所持バッジ数は既に八つ」
「俺はセッカだよ! バッジはいっこだよ!」
「ふ、そんなところだろうと思ったさ。……で? そのバッジ差でこのオレに挑むかい?」
「もちろん! 行くぜピカさん、今日こそ! きのみ以外のモン食わしてやっからな!」
「ぴっかっちゅアアアアッ!!」
 オレは哀れになってしまった。食事にも困っているのか、この新人は。いくらカロス地方のポケモントレーナーに対する福利厚生が手厚いからといって、確かに経験の浅いトレーナーは旅にも苦労を強いられる。半ば本気で食い倒れていたのではなかろうか。ついそこまで想像してしまうほどにその新人トレーナーの目は飢えていた。
「おらっ来いやァァァ!!」
 しかしこのセッカと名乗る新人トレーナーは、既に生意気にも賞金を見据えて戦闘態勢に入り、オレから間合いを取っている。相手との力量を推し量れないのも新人ならではの欠点だ。
 果たしてこのバトルを受けて、エリートであるオレにメリットはあるか考える。この餓えた新人からは、賞金も経験値もろくに得られないに違いない。いや、待てよ。エリートトレーナーたるもの、後進のトレーナーの成長に寄与することも立派な責務。そう、それでこそエリート、一流のミアレっ子だ。
 オレは鷹揚に頷いた。
「いいだろう、来いよ、新人。ポケモンは何体持っている?」
「よんぴき持ってるよ!」
「四体か。多くのポケモンをゲットしバランスよく育てることは大事だな。わかった、ではオレはこいつ一体で行く。バッジ数の差を考えて、ハンデだ。文句はないな?」
「いいよ! 俺、本気で行くから!」
 オレは小さく失笑しつつ、ハイパーボールを掲げた。
夕暮れのジョーヌ広場には、トリミアンを散歩させる粋な老紳士、ショッピングの休憩中らしき麗しきレディたちや、絶賛トレーナーを目指して勉強中なのであろう学校帰りの学生たちが集っている。ギャラリーとしては十分、カロスリーグに向けてのポケモンの調整のためにも、悪くない舞台だ。
 ハイパーボールを投げ上げる。高度、回転共に申し分ないスローインである。
「よし行け、ファイアロー」
 眩い光と火の粉とを纏って現れたオレのファイアローは、むやみやたらと吼えることはしない。ただひと羽ばたきで華麗に舞い上がり、天空からひよっこトレーナーを睥睨するのみである。周囲から歓声が上がる。ポケモンコンテストに出場したとしても遜色ないこの存在感、この熱気。素晴らしい。
「どうだ、これほど立派なファイアローを見たことがあるか、新人? こいつはハクダンの森で野生の群れの次期ボスにも目されていた、最高のポテンシャルを持つ個体だ」
「超かっこいい!!」
 新人は鼻息も荒く、天に君臨するオレのファイアローに見とれている。その羽ばたきごとに羽毛が熾きのように赤く燃え上がり、ああ良いじゃないか今日も燃えているな、ファイアロー。新人にお前の華麗さを見せつけてやれ。
「さあ、どうする新人? その電気タイプのピカチュウなら、飛行タイプを持つファイアローには相性がいいぞ?」
「ぴかっグ……」
「ごめんピカさん、俺ももう腹減ったよ、ピカさんは落ち着いて、な、よし、行くぜ……」
 袴ブーツの新人は肩の上のピカチュウを押しとどめ、そして袴を締める帯の上につけていたベルトから、団子サイズの赤白のボールを一つ手に取った。
新人が身につけている残り三つののボールも、いずれも安価な標準のモンスターボールである。そこからも新人であることが窺える。大したポケモンは持っていないだろう。
さて、ピカチュウを出さないとなると、最初は何で来るか。キャタピーだのコフキムシだのを出された日には泣くしかないな、なあ、ファイアロー。
 新人は視線を落とし、両手で団子大のボールを包み込むようにして持っている。緊張しているのかもしれない。
 新人が視線を上げた。オレを見据える。
いや、違う。
 違和感が脳裏をかすめた。違う、これは、新人の目ではない。
手練れの目だ。ポケモンの信頼に値する目だ。
 エリートトレーナーにも劣らぬ、自信を湛えた目。
 袴ブーツははモンスターボールのロックを解除する。それを両手で大切そうに包み込んだまま、その中で時を待つポケモンを静かに解放した。
「……さあ、行くぞ、アギト」
 そうして餓えた新人が繰り出したのは、ガブリアスの巨躯だった。


 オレは混乱せずにいられなかった。
 しかし、良質なバトルの予感に、ジョーヌ広場はにわかに色めき立つ。
 新人トレーナーの前に現れたのは、シンオウ地方のチャンピオンも主力として扱っているというドラゴンポケモン、それを探すのも育てるのも並大抵の努力では足りないと聞く。つまるところ、ガブリアスは、とても新人の持てるポケモンではない。
 オレは激しく狼狽した。
「……あ、あー、それ、知り合いのトレーナーから交換してもらった、とかか? はは、でもバッジ一個だとなー」
 こちらが言い終わらないうちに、新人はがっくりと項垂れた。
「なあおい、こっち腹減ってんだけど……もう行くよ? ストーンエッジ」
 ガブリアスは速かった。
 さすがはマッハポケモンだ。尖った岩を生み出し、空中のファイアロー目がけて放つ。指示から技の溜め、発動までが速い。やはり並みのポケモンでない。
「……ファイアロー!」
 色々な意味で予想外すぎる急襲に、オレはその名前しか叫ぶことができなかった。
ファイアローはそれが攻撃の指示か回避の指示か、判断しかねた。もちろんオレも、そのいずれかの意味を持たせてファイアローの名を呼んだわけではない。ファイアローの迷いはオレの迷いなのだ。
まさか、まさかガブリアスが、新人トレーナーの指示を素直に聞くとは思えなかったのだ。混乱した。トレーナーは迷ってはならないというのに。
 あっけなさすぎた。
 岩の塊の直撃を何発も受けて、ファイアローはオレのせいで地に落ちた。
 油断、という言葉すらすぐには頭にも浮かばなかった。


 崩れ落ちたファイアローをボールに戻すことも忘れて、オレは喚く。
「……な、なんだ今の、偶然だろう! 何だ、そのガブリアスは!」
「アギトですぅー」
「くそっ、大方ガブリアスの『ガブリ』という語感から噛みつきを連想して顎の別名のアギトって名前にしたんだろ! わかるぞ! オレはエリートだからな!」
「こいつ捕まえたとき、こいつフカマルでしたけど」
「フカマルの顎もすごい!」
「知ってるぜー」
 袴ブーツの新人は、のんびりとガブリアスを安っぽいモンスターボールに収めた。それをベルトに戻すと、次は鞄からガチャガチャと小型の算盤を取り出した。そして何やらパチパチやっている。
 そしてエセ新人はにっこりと笑って、算盤を水平にこちらに差し出してきた。
「はい、あんたがバッジ八個のエリートさんで、俺がバッジ一個の新人なんで、ポケモン協会規則に基づき、賞金はこんだけっすねー」
 それは通常の賞金のやり取りでは有り得ない、破格の金額だった。それはそうだろう。バッジ一個の新人がバッジ八個のエリートを打ち負かすなど、大金星もいいところなのだから。
 しかしとても納得がいかない。
「……詐欺だ!」
「いや、ほんとに俺が持ってるバッジは一個ですって。トレーナーカード見ます?」
 そうして袴ブーツがこちらに見せたトレーナーカードは、確かに彼がバッジを一つしかもっていないことを証明していた。オレはとうとう頭を抱えた。
「……なんで……ガブリアス……?」
「ねえ賞金くださいよーねえねえねえ」
 気づくと、ピカチュウ連れの袴ブーツは馴れ馴れしくオレの肩に縋りついている。
「ねえねえねえおなかすいたっすー!!!」
「ぴかっちゃアアアアアアア!!!」
「ええいうるさい!!」
 それが奴との出会いだった。


 それからオレは賞金を支払う代わりに、セッカと名乗るエセ新人トレーナーを、サウスサイドストリートの『レストラン ド フツー』に連れて行ってやった。
奴はさらにダブルバトルをしなければならないことに辟易していたが、それでもピカチュウとガブリアスの二体で、完璧に二手ずつで三連戦を勝ち抜きやがったのである。
 普通においしい料理を腹いっぱい詰め込み、さらにバトルの賞金とお土産のちいさなキノコを十五個も貰ってセッカはほくほくとしていた。
 その向かい側でオレはげんなりしていた。
「……今度腹減ったら、こういうとこ来いよ。お前、『リストランテ ニ・リュー』とか『レストラン・ド・キワミ』とかも行けんじゃね……?」
「おすし食べたい!」
「ローリングドリーマーか……金欠ならあそこはやめとけ……ありゃモノホンの金持ちしか行けん」
 ピカチュウとガブリアスの他にも、セッカの手持ちだというフラージェスとマッギョという何とも珍妙な組み合わせのポケモンが、おいしそうにポケモン用の料理をほおばっているのをオレは眺めた。
「……こいつらも、強いの?」
「ユアマジェスティちゃんとデストラップちゃんのこと? 強いよ、普通に」
「……すげぇ名前だな……」
 フラージェスの方はニックネームというよりかは敬称だし、マッギョの方は間抜け面に似合わぬデンジャラスなニックネームである。そしてガブリアスは『アギト』、ピカチュウは『ピカさん』だという。適当にも程がある。
 しかしライバルトレーナーのポケモンのニックネームなどはほとんどどうでもいい。
 オレはセッカの手持ちのポケモンを観察した。
 セッカの一番のパートナーらしきピカチュウは、どこにでもいそうな愛らしいぽっちゃり体型だが、先ほどの店内でのダブルバトルではなぜかすべての雷を百発百中でぶち当てていた。何をどうしたらそのような芸当が可能なのか教えてほしい。
 そして先ほど度肝をぶち抜いてくれたガブリアス。実物はテレビなどで見て想像していたより大きく迫力があった。2mくらいあるのではないか。首が太い。肩がごつい。胸筋と腹筋がやばい。鮫肌は欠けることなく鋭く整っているが、激戦の中でついたらしき幾つもの傷跡が体中で黄金色の威圧感を放っている。まさしくエース級の一体だろう。
 オレンジ色の花のフラージェスは、花弁の一枚一枚、葉脈の一筋まで瑞々しく、そう、たとえ動かぬ花でさえ一流の園芸家でなければ、これほど美しく保てないだろう。微かに芳香を周囲に漂わせ、姿勢一つをとっても気品が漂っている。
 そしてそのパーティーの中で異彩を放っているのがマッギョだった。オレもクノエシティ方面の14番道路の沼地でたまにマッギョを見かけたことはあるが、改めて見ると平たい。泥の中から見上げるような澄んだ目は茫洋としているくせに、唐突にニヤつくので怖い。
 しかし、どれもこれもよく育てられている。これは日々まじめに修業を積み続けているトレーナーのポケモンだ。畜生、何がバッジ一個だ。ブリーダーにでもとっとと転向しやがれ。
 オレは腸が煮えくり返っていたというか、未だに釈然としないでいた。普通においしい料理をフォークでつつきつつ、オレは惨めにぼやく。
「……セッカ、なんでお前さ、バッジ集めないわけ?」
「あんたみたいなトレーナーを狩るためだよ」
言いきりやがった。


  [No.1354] 四つ子との出会い 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:38:46   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との出会い 昼



 オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
 オレは今、ミアレシティに来ている。
 スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。汁屋でミラクルソーダを楽しみ、ヘアサロンで髪形をダンディに整え、美術館で審美眼を磨く。一流のエリートは一流のミアラーでなければならぬ。
 そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティは内周の南東、ベール広場の『カフェ・ツイスター』である。あの詩人の甘く切ない詩は、日々のポケモンバトルで荒み切ったオレの心を癒してくれる。
 日差しも暖かいのどかな昼下がり、オレはカフェ・ツイスターの窓際の明るい席でコーヒーの香りを楽しみつつ、ポケモンバトルの格好の相手が現れないかと、深緑のモニュメントのベール広場を観察していた。
 来た。
 そしてオレは奴と出会った。
 葡萄茶の旅衣、黒髪、袴ブーツ。
 それが二人、来た。
「……なんだ、どういう事だ? ……セッカの仲間か?」
 そう、片方は肩に雄のピカチュウを乗せた、凶悪なエセ新人トレーナーのセッカだった。
 しかしセッカと同じ服装をしたもう一人の人物は、――そいつがセッカと違うのは、頭から白緑の着物を被り、そしてその頭の上にフシギダネを乗せているという点だった。
 あの頭から着物を被るというスタイル、あれはそう、古代エンジュ時代以降、貴族やランセの女性が外出時に頭から単衣を被っていたという、被衣だ。エリートであるところのオレは、学校で購入させられた国語便覧の知識をフル動員してその解に達した。
 ピカチュウ連れのセッカと、そしてそのフシギダネ連れのトレーナーは、服装だけでなく、背格好までよく似ていた。黒髪も灰色の瞳も同じだった。目鼻立ちまで同じだった。
 それに気づいた途端、オレは勘定とチップを卓上に置くと、カフェ・ツイスターから飛び出した。
「うおおおおおい! お前ら、双子か!」
「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
 呑気に振り返ったのはセッカとピカチュウである。セッカの肩の上のピカチュウは、このオレを憐れむような目をし、鼻で笑った。
「ぺかっ」
「うっおおおおっなんだこのピカチュウは!」
 見た目の可愛らしいポケモンからあからさまな侮蔑の表情を向けられることほど、胸糞の悪いことはない。オレは知らず小鼻を膨らませて、トレーナー同様凶悪なピカチュウに鼻を突きつけた。
「昨日は騙されたんだ! 今日は手加減なしだ――」
「ああ、貴方が、昨日セッカがご馳走になったというエリートの方でしたか」
 涼やかな声が割って入った。
 その声の主は、フシギダネを頭に乗せた、緑の被衣のトレーナーだ。
 そいつはセッカと同じ灰色の双眸でオレを真正面から見つめ、そして目を細めた。
「目と目が合ったら、ポケモン勝負。受けてくれますね?」
 その笑顔は眩しいくらいに爽やかだった。新緑の風を思わせた。
 そいつの頭上のフシギダネも、これまた穏やかに満面の笑みを浮かべた。
「だねだぁね」


 ミアレシティ南東の広場、『ベール広場』。
昼下がり、深緑のモニュメントの周囲には、昼休憩中のビジネスパーソンが寛ぎ、ポケモンバトルのためのスペースは十分に確保できそうだ。
 オレは、セッカの双子の片割れであるらしき袴ブーツを見据えた。
「オレはエリートトレーナーのトキサ。バッジは八つ」
「あらら、お強いですねぇ。僕はキョウキっていいます。バッジは三つなんで、まあお手柔らかにお願いしますね」
「……三つか」
 オレは油断することなく、密かに歯噛みした。オレと、このキョウキというトレーナーとのバッジ数には五つの差がある。しかし、オレは昨日のセッカとのバトルで学んだのだ。
 バッジ数は、そのままトレーナーの実力を表すとは限らない。
 むしろ、そのバッジ数差に任せて、多額の賞金をむしり取っていく悪質な偽装ルーキーも存在するのだ。オレは黄色い悪魔を憎々しげに睨んだ。そいつのトレーナーはというと、広場の端の方まで下がってぴゃいぴゃいとはしゃいでいた。
「きょっきょ、ばんがれー!」
「うん、頑張るよ、セッカ」
 にっこりと微笑み、緑の被衣のトレーナーは頭上からフシギダネをそっと下ろした。穏やかな性格らしいフシギダネはおとなしくトレーナーの足元で丸くなった。
「では、お願いしますね、トキサさん。とりあえず一対一でいいですか?」
「構わない。バッジ三つだろうが容赦はしないぞ」
「それは賢明だ」
 緑の被衣のキョウキは一瞬小さく鼻で笑ったらしかった。オレの視界の隅では、セッカとピカチュウが賑やかしく審判のまねごとをしていた。
 キョウキが赤白のモンスターボールを取り出す。オレに向かって軽く一礼すると、両手で大切に包み込んだままボールからポケモンを解放した。
「頼むよ、こけもす」
 そして甲高い咆哮を上げて飛び出したのは、化石ポケモンのプテラだった。


「……岩と飛行のタイプを併せ持つプテラか。なら、行け、ブロスター」
 オレは相性を考え、ランチャーポケモンのブロスターを繰り出す。バッジ三個だからといって容赦する気にもなれなかった。そういう意味では、オレに慢心を教えてくれたセッカには感謝していなくもない。
 しかしそのセッカの双子の片割れが相手だからこそ、このバトルで負けるつもりは微塵もなかった。
「こっちから行くぞ! ブロスター、水の波動!」
「こけもす、躱してー」
 キョウキの指示は穏やかだが、悠長ではなかった。細身のプテラが身を翻し、岩タイプとは思えぬ敏捷さで水波の射程外へ逃げる。さすがに空中を動くものは狙いにくい。
「なら、ブロスター、波動弾だ!」
「岩雪崩。ついでに毒々」
 プテラは大量の岩を生み出し、それを波動弾からの防壁として利用した。
 しかし何だ、『ついでに毒々』って何だ。石頭のプテラにそんな指示が理解できるものか。
 しかしオレがそう思っている隙に、プテラはその石頭で岩の防壁を突き破り、そして不意にその大顎を開いて猛毒を飛ばした。ブロスターは真正面から毒を浴びてしまう。
 オレは慌てて指示を飛ばす。
「怯むな正面、水の波動!」
「躱して燕返し」
 ブロスターの真正面から猛毒をぶつけられたことによる一瞬の怯み、そして大量の水を溜める一瞬の隙、それはプテラに回避の暇を与えるに十分だった。
 一閃した。
「とりあえずもう一発、岩雪崩」
 キョウキの穏やかだが容赦のない追撃の指示が飛ぶ。
 セッカの双子の兄弟も、やはりえげつなかった。


 それから何があったかはお察しいただけるだろう。
オレはキョウキに賞金を支払う代わりに、ミアレシティ北西のオトンヌアベニューの『リストランテ ニ・リュー』に双子を連れて行ってやったのである。今日オレが負けたのはキョウキだけだが、その片割れが餓えた潤んだ目で震えながらじっと見上げてくるものだから、どうしても二人揃って連れてこないわけにはいかなかったのである。
 セッカとキョウキはトリプルバトルを四連戦しなければならないことにげんなりしていたが、セッカはピカチュウとガブリアスとフラージェスの三体、キョウキはフシギダネとプテラとヌメイルの三体で、いずれも完璧に三手で四連勝しやがったのであった。
 そして双子は二ツ星の美味しい料理をたらふく食べ、更にはバトルの賞金とお土産の大きなキノコ20個とを手に入れてほくほくしていた。
 オレは微妙に冷めた料理をつつきつつぼやいた。
「……お前ら、強いよなー……強いっつーか、ポケモンも賢いよな……」
「僕の手持ちは、基本的にご飯かバトルのことしか考えてませんから」
 緑の被衣を肩に落とし、キョウキは優雅に笑う。オレは溜息をついて、オレたちの傍らで食事にがっついているキョウキの手持ちを観察した。
 フシギダネこと『ふしやま』は穏やかにもそもそと食事をしているが、オレはつい先ほど、見てしまった。こいつはソーラービームの溜めの時間が毎回やけに短いのだ。どうしたらそんな芸当が可能なのか教えてほしい。
 プテラは身のこなしが軽すぎる。豪華な装飾品のあるレストラン内でも、危なげなく凄業の回避を見せてくれた。
「……つーかプテラのニックネームの『こけもす』ってさ……苔が“むす”と“moss”をかけてんだろ……? プテラが化石ポケモンだから、岩に苔がむすってことなんだろ……?」
「さすがはエリート、と言いたいところですが、まだ読みが甘いですよトキサさん。ご覧くださいな、このこけもすのモスグリーンの麗しい瞳」
「……すまん気付かなんだ」
 しかしこのキョウキの残り二体の手持ちも、なかなかにシュールだった。ヌメイルとゴクリンである。ニックネームはそれぞれ『ぬめこ』と『ごきゅりん』だそうである。
「何か全体的に湿っぽくって緑っぽくってイイよな……」
「でしょう」
「はいはいはい俺の手持ちは黄色統一だよ! 多分! いちおう!」
 セッカが割り込んできた。二ツ星レストラン内で大声を出すのはどうかと思ったが、今も店内のあちこちで激しいバトルの指示が飛び交っているのでオレはつい流してしまった。
「つーか、双子揃ってバトル強いってすごいじゃん、才能じゃん……」
 するとセッカとキョウキは奇妙な表情で顔を見合わせた。オレは首を傾げる。
「……なんだよ、変なこと言ったか?」
「双子といえば、ホウエン地方に双子のジムリーダーがいるそうですねぇ」
「あー、テレパシーできるっていう双子? 俺らもテレパシーできないかなぁー」
 それから双子は何やら手を繋いだり額と額をくっつけあったりして、テレパシーを試みていた。オレはそれを見ていた。
 この双子、仲がいいな。


  [No.1355] 四つ子との出会い 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:39:46   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との出会い 夜



 オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
 オレは今、ミアレシティに来ている。
 スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。ポケサロン・グルーミングでバトル用ではないトリミアンのカットを維持し、グランドホテルシュールリッシュのアルバイトでマダムをもてなし、メゾン・ド・ポルテで高級な服も即買いする。一流のエリートは一流のミアレニストでなければならぬ。
 そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはサウスサイドストレート、コボクタウン方面即ちミアレ南西部にある『カフェ・ソレイユ』である。大女優の行きつけだというこのカフェは、ケーキからして品格が溢れ出ている。スタイリッシュな人種の隠れ家にはもってこいな店だ。
 その日オレは一日の疲れを癒すべく、日没ごろからこのカフェ・ソレイユで休んでいた。しかし下手な時間に来てしまった。午後のティータイムには遅く、夕食後のティータイムには早い時間、すなわちうっかり腹が満たされて夕食が食えん。
 こういう時はポケモンバトルをするに限る。オレはミアレシティ南西の広場、『ブルー広場』に繰り出した。
 紺碧のモニュメントの周囲には、ショッピング中らしき仕事帰りのオフィスパーソンや放課後の学生たちが多く休息をとっていた。オレは視線を巡らせ、同じくバトルの相手を求めているポケモントレーナーを探した。
 そして見つけた。
 袴ブーツのトレーナーだ。
 しかしそれは、三人いた。
 葡萄茶の旅衣、黒髪、灰色の瞳、同じ目鼻立ち。
 オレは思わず叫んだ。
「おおおおお前ら、三つ子だったのか!!」
「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
「あ、トキサさんだ。こんばんは」
 笑顔で振り返ったのは、ピカチュウを肩に乗せたセッカと、フシギダネを頭に乗せたキョウキである。
 そして残る一人は、ゼニガメを両手で抱えていた。
 やはり服装はセッカやキョウキと酷似している。しかしこのゼニガメのトレーナーの特徴は、両腕に濃い青の布を絡めていることだ。そう、古代エンジュ人だか古代ヒワダ人だかの宮廷女官が袖に絡めていた、羽衣、いや違う、これは領巾というのだ。オレはエリートだからそれくらい国語便覧で読んだのだ。
 青い領巾をしたゼニガメのトレーナーが、灰色の双眸でオレを見据えた。
「……貴様か。セッカとキョウキに料理を奢ったというエリートトレーナーは」
 『貴様』。
 『貴様』だって。
 オレは面食らってしまった。いや、確かに三つ子ということで、それぞれキャラ分けも兄弟の中で必要になってくるのだろう。それにしてもどういうキャラだ。
 街灯に照らされるゼニガメのトレーナーは、無表情だった。
「いいだろう、手ほどきしてやろう。目が合ったら勝負、とも言うしな」


 新たに現れた三つ子の片割れ、青い領巾のトレーナーは、そっとゼニガメを地面に下ろした。やんちゃそうなゼニガメは拗ねてそのブーツに纏わりつく。
「ぜーに! ぜにぜに、ぜにがー!」
「だめだ。大人しくしていろ」
 ゼニガメに言い聞かせる声音は穏やかだった。
 オレは生まれて初めて見た三つ子に未だにやや興奮しつつ、名乗りを上げる。
「ええと、その、聞いてるかもしれないが、一応名乗っておくとだな、オレはエリートトレーナーのトキサだ。バッジは八個。……えっと、一対一でいいな?」
「構わない」
 青い領巾のトレーナーの返答は、それだけだった。
 セッカから黄色い声援が、キョウキから新緑の風のような応援が飛んでくる。
「しゃくや、ばんがれー!」
「がんばれサクヤ。勝てば美味しいご飯をおごってもらえるよ」
「畜生てめぇら! オレは財布じゃないぞ! ていうかサクヤっつーのか、この生意気なガキは!」
 しまった、夜間なのについ大声で叫んでしまった。ブルー広場で休憩していた人々の注目を集めてしまう。落ち着け、オレはスタイリッシュなエリートトレーナーだ。エンジュかぶれの三つ子ごときに惑わされてはならない。
 オレは余裕を装って、生意気な対戦相手を見下ろした。
「……ふ、ふん、サクヤとやら、お前はバッジはいくつ持っている?」
「五つだ」
「ほお。ほおほおほお。バッジ五つのくせして、バッジ八つのエリートトレーナーのこのオレに『手ほどきしてやろう』たあ、いい度胸してるな。はは、ははははは、後悔するなよ。むしろこのオレが手ほどきしてやろう!」
「うるさい。セッカやキョウキに負けた奴に言われたくはない。御託は要らん。始めるぞ」
 そしてこのくそ生意気な青い領巾のサクヤは、赤白のボールを両手で包み込むように持ち、ポケモンを解放した。
 現れたのは、ボスゴドラだった。


「よっしゃ、頼むぞ、ホルード!」
 オレはホルードを繰り出した。オレのパーティーの中でも二番目に古参で、オレと息がぴったり合うだけでなく、カロスリーグに向けての最終調整もあとは詰めるばかりの究極の一体だ。
「このホルードはな、もう何千戦とやっているが、聞いて驚け、その勝率は……」
「冷凍パンチ」
「くっそその手に乗るかぁぁホルード穴を掘る!」
 ホルードはその巨大な耳であっという間に穴を掘り、地中に身を潜めた。冷気を纏ったボスゴドラの腕が空ぶる。そこにサクヤの指示が飛ぶ。
「地震」
「あっ」
 ボスゴドラが鋼鉄の鎧の尾を、広場の石畳に叩き付けた。広場のあちこちで悲鳴が上がる。畜生、場所柄をわきまえやがれ。やっぱりこいつもえげつない。本気で叩きのめすしかないだろう。
「ホルード!」
 ホルードはどうにか穴を掘って地中から脱した。地震のダメージも耐えきっている。そのままボスゴドラの側面をとる。これはチャンスだ。
「アームハンマーだ、ホルード!」
「アイアンテール」
 サクヤの指示は的確だった。ボスゴドラの反応速度を知り尽くしている。ボスゴドラはただトレーナーの指示を信じ、ホルードが地中から飛び出した方向に鋼鉄の尾をぶち回すだけでよかった。
「耐えろ!」
 ホルードにその自慢の耳で受け身を取らせる。重い一撃に軽くふらつきつつも、ホルードはひっくり返ることもなく体勢を整える。
 こちらも世間体などを気にする余裕はなかった。
「ホルード、地震だ!」
 これで決める。電磁浮遊などを覚えていない限り、ボスゴドラにこの一撃は躱せない。
「詰めろ」
 サクヤのその冷静な指示を理解するのに、オレは時間を要した。
 ボスゴドラが、耳を振り抜いているホルードに思いきり距離を詰めるのを、信じられない思いで見た。
 どういうつもりだ、自ら震源に近づく真似をして。その速度では、ボスゴドラがホルード本体に何かをするにしても、地震の発動まで間に合わない。
 ホルードが耳を地に叩き付ける。
 ぐらりと揺れる。
 ボスゴドラは体勢を崩さぬよう、耐えて、耐えて、いや、鋼と岩タイプを併せ持つボスゴドラに、オレのホルードの地震を耐えきれる筈が無い。行ける。
 地震が収まる。オレはボスゴドラがくずおれるのを待った。
 サクヤの小さな溜息が聞こえた気がした。
「冷凍パンチ」
 ボスゴドラがわずかに残った体力で、ホルードに冷気を叩き込むのを、オレはぽかんとして見つめていた。
「……特性……『頑丈』」
「手ほどきになったか」
 倒れたホルードをサクヤは涼やかに一瞥し、手慣れた様子で、まだしっかと地に足付けて立っているボスゴドラをボールに戻した。


 そしてオレは、当然のごとく三つ子に三ツ星レストランまで連れて行かされた。メディオプラザの輝くプリズムタワーを横切り、ミアレシティ北東のイベールアベニューの『レストラン・ド・キワミ』に、賞金代わりに三つ子を連れて行ったのである。
 セッカとキョウキとサクヤはローテーションバトルの五連戦にげんなりしていたが、セッカはピカチュウとフラージェスとマッギョの三体、キョウキはフシギダネとヌメイルとゴクリンの三体、サクヤはゼニガメとニャオニクスとチルタリスの三体で、完璧に六手で五連勝しやがったのである。
 最高においしい料理を腹いっぱい食べ、さらにはバトルの賞金とお土産の香るキノコを25個も貰って三つ子はほくほくしていた。
 三つ子の向かい側で、オレはすっかり冷めきった料理をつつきながら惨めにぼやいた。
「……何なの……何なの」
「どうだ、サクヤはすげぇだろ!」
「ああもう凄いよさすがの一言しか出ねぇよど畜生」
 自分のことのように威張るセッカに、オレは最早溜息しか出てこない。
周囲では激しいバトルがひっきりなしに続いており、三ツ星レストラン内でもその轟音に隠れるようにして思う存分悪態がつける。しかしよくもまあ、このような落ち着かない状況で食事しなければならないレストランに三ツ星が付いたものだ。料理は冷めきっているし、ああ、それはオレのバトルの腕のせいだった。オレは自己嫌悪に陥った。
 俯きついでにサクヤの手持ちのポケモンを観察する。
 ゼニガメはいかにもやんちゃ坊主という雰囲気だが、オレは先ほど見たのだ、このゼニガメのハイドロポンプの驚異的な命中率を。何をどうすればそんな芸当が可能になるのか教えてほしい。
 ボスゴドラは巨体をほとんど動かさず、静かに食事を続けている。その鋼の鎧には無数の傷跡があり、まさしく百戦錬磨という言葉しか浮かばなかった。
 緑の被衣のキョウキが、優しくボスゴドラの鎧を撫でている。
「メイデンちゃん、お疲れ。すごいバトルだったねぇ」
「……メイデンってあれだろ、ボスゴドラの鋼タイプとかけて、アイアンメイデンってことだろ。……ニックネームに拷問器具かよ。……つーかこのボスゴドラ、雌かよ」
「失礼な、メイデンちゃんはメイデンちゃんですよ。僕が名前付けてあげたんだよ、サクヤはニックネーム付けようとしないからさぁ」
 キョウキが頬を膨らませている。そこにセッカが割り込んできた。
「ちなみにサクヤのゼニガメは『アクエリアス』、ニャオニクスは『にゃんころた』、チルタリスは『ぼふぁみ』だぞ!」
「もう突っ込まねぇ……」
 サクヤは、セッカのマッギョや、キョウキのヌメイルやゴクリンといった、いかにも癖のありそうなポケモンは所持していないらしい。ニャオニクスにしろチルタリスにしろ、一般的に高い人気を誇るポケモンだ。それにしてもこれら二体も、バトル用のポケモンとしては毛艶もよく、動作の一つ一つから気品が漂っているのは気のせいか。
「……あーもう、三つ子揃ってアホみたいに強いとか何なの、天才の家系なの?」
 オレは頭を抱えて唸った。
 三つ子からは沈黙が返ってきた。
 オレは恨みがましく三つ子を睨み上げた。
「……何とか言えよ、え? 天才の三つ子さんよ」
「三つ子っていえば、イッシュ地方に三つ子のジムリーダーがいるらしいねぇ」
 緑の被衣のキョウキがのんびりと嘯く。
「あー、赤と青と緑の三つ子だろ? それって三卵生だよな。俺らは一卵性だな!」
 セッカは何が楽しいのかぴょこぴょこと左右に揺れている。
 青い領巾のサクヤはオレをまっすぐ見つめてきた。
「何をごまかしている? エリートトレーナー」


  [No.1356] 四つ子との出会い 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:40:52   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との出会い 朝



 オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
 オレは今、ミアレシティに来ている。
 スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。タクシーの運転手はオレが何も言わずとも値を半分引き、そしてオレはトレーナープロモでばっちり男前をアピールし、レストラン・ローリングドリーマーで最高の寿司を頂く。一流のエリートは一流のミアレ☆スターでなければならぬ。
 そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはノースサイドストリート、ヒヨクシティ方面即ちミアレ北西部にあるにある『カフェ・カンコドール』である。オレがここに通い始めた頃は閑古鳥が鳴いていたものだが、スタイリッシュなオレの行きつけの店ということで、今や店は大繁盛、オレやオレの手持ちたちの好物であるクロックムッシュを無料でサービスしてくれるのだ。
 オレは朝からこのカフェ・カンコドールでモーニングを食していた。クロックムッシュにスープ、サラダ、ゆで玉子、コーヒー。スタイリッシュなオレの一日の始まりにふさわしい。
 腹ごしらえを終えると、今日もバトルの特訓だ。エリートトレーナーたるオレは日々の鍛錬を欠かさない。カロスリーグ開催は遠くはない。道路に出て野生のポケモンと戦うのもいいが、カロスリーグのことを考えると、やはりトレーナーとの対戦、それも人目のある場所で自分にプレッシャーをかけてバトルに臨むのが望ましい。
 オレはミアレシティ北の広場、『ルージュ広場』に足を運んだ。
 早朝のルージュ広場では、深紅のモニュメントが朝日を受けて燦然と輝いている。その周辺には、トリミアンの散歩をする老紳士や、早朝から出勤するビジネスパーソン、通学する学生たちが行き交っている。
 果たして、この中からバトルの相手が見つかるものかどうか。
 いや、ここで見つからなければ、黄金のジョーヌ広場にでも、深緑のベール広場にでも、紺碧のブルー広場にでも行けばいいのだ。焦ることはない。オレはただ、腹ごなし程度に食後に軽くひと汗かきたいだけなのだから、そこまで強い相手に運よく巡り会えなくてもいい。
 巡り会えなくてもよかったのだ。
 なのに巡り会ってしまった。
 袴ブーツの一団。
 葡萄茶の旅衣。
 四人。
 四人。
 四人だ。
 四人いる。
「おまっ、おまっ……おま、お前ら……!」
 言葉が喉につかえて出てこない。どうせなら何も言わなければよかったのだ。エンジュかぶれの四人が、オレを振り返ってしまった。
 新しく加わった一人は、両耳に赤いピアスをしていた。それ以外は、服装も背丈も目鼻立ちも黒髪も灰色の瞳も、残りの三人と同じだった。
「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがにっこりと笑った。
「あ、トキサさんだ。おはようございます」
 緑の被衣を被り、その上にフシギダネを乗せたキョウキも微笑んだ。
「……また貴様か」
 青の領巾を袖に絡め、両腕でゼニガメを抱えたサクヤが軽く眉を顰めた。
「ああ、あんたが」
 そしてひょいと片眉を持ち上げたのが、赤いピアスのトレーナーである。そいつはヒトカゲを後ろ向きにして小脇に抱えていた。
「かげぇ?」
 立ち止まった四人に反応して、いかにものんびり屋らしいヒトカゲが、赤ピアスのトレーナーの腕の中でもぞもぞと身じろぐ。そのトレーナーはオレを見上げ、にやりと笑った。
「ども。目と目が合ったんで、とりあえず一戦、いっとくか? ちなみに俺ら、朝飯はこれからなんで。よろしく、エリートのオニーサン」
 こいつらは四つ子だったようだ。


 オレは、どうもカツアゲされているような気にしかならなかった。
 深紅のモニュメントの台座には、セッカとピカチュウ、キョウキとフシギダネ、サクヤとゼニガメがちんまりと座っている。そして例の如くセッカがぴゃいぴゃいと騒いでいた。
「れーや、ばんがれー!!」
「レーヤじゃねぇよレイアだよいい加減に滑舌直せゴルァ!」
 オレの前に立っている、赤いピアスのヒトカゲのトレーナーが、片割れの一人を怒鳴りつける。セッカは嬉しそうにぴゃあぴゃあ歓声を上げていた。
 オレは気を取り直して、レイアという名であるらしい赤いピアスの袴ブーツを睨みつけた。
「……レイア君ね、よろしく」
「よろしく。んで、あんたはバッジが八個のエリートトレーナー。トキサ、だっけ?」
 レイアの眉間に常に皺が入っているのはデフォルトらしい。それで顎を上げて余裕たっぷりにオレを下目遣いに見るものだから、オレはすっかり腹が立ってしまった。しかしエリートらしく怒りを収め、低く尋ねる。
「じゃあまあ、とりあえず、参考までに。バッジは幾つ持ってる?」
「あー、俺? 俺は八つ」
 当然のようにそう答えるものだから、オレはなぜか馬鹿にされたと感じた。
そうだ、この四つ子はどいつもこいつも、いちいちオレを見下し、おちょくっている。そうとしか思えない。腹が立つのを通り越して、情けなくなる。
このレイアも、どうせオレのことを見下しているのだ。セッカにもキョウキにもサクヤにも勝てなかったオレが、その三人の片割れにも勝てるわけがないと、そう思っているに違いない。
 怒り、悔しさ、意地、わけのわからないもやもやした感情が渦巻いてどういう顔をしたものかわからない。ただ乾いた笑いが出た。諦めたような声音になった。
「……ふ、はは、バッジ八つか。じゃあなんだ、お前が兄弟で一番強いってことか?」
「なんでそうなる。セッカもキョウキもサクヤも、めんどくてバッジ取ってねぇだけだろ。昨日だってあんた、サクヤ追い詰めたんだろ? 俺には勝てるかもしんねぇだろうが」
 レイアの顔から険のある笑みが消えている。
「おいトキサァ……俺に勝つ気がないんなら、俺もやめるぞ? 潰し甲斐がねぇ」
 全く四つ子の最後の一人まで、揃いも揃ってえげつない。
 四つ子は同じ顔をして、一様に押し黙ってこちらを見つめている。
 オレは唸った。
「…………もう知らない」
「何が?」
 赤いピアスのレイアが軽く相槌を打ってくる。
 オレはそいつを睨んだ。
「勝とうが負けようが、もう知らん。オレは後はカロスリーグにぶつかってくだけなんだ。だから、そのための何かを学べればいいんだ。勝ち負けなんか知るか。やるぞ」
 吐き捨てて、腰のベルトからハイパーボールを一つ手に取る。
 そう、今この場で負けたって構うものか。カロスリーグの舞台で負けなければいいだけのこと。だから今は、思い切り戦う。
 オレはボールを投げた。
「デデンネ、特訓だ」
 小さなアンテナポケモンが躍り出る。オレのデデンネはかわいらしい声で鳴きつつも、闘志も露わにレイアを威嚇した。
 自分でもこいつを出すべきだったかはわからない。レイアは間違いなく強い。一方で、オレのこのデデンネは、リーグに向けて育成を始めたばかりのポケモンだ。
レイアに本気で勝とうとするなら、オレはデデンネではなく、オレの一番の相棒をバトルの場に出すべきだったはずだ。
 いや、違う、それでは駄目なんだ。
 目の前の一戦じゃない。カロスリーグの舞台で大きな勝ちを掴み取るためには、電気とフェアリーの属性を持つデデンネの育成は不可欠だ。臆してどうする。このバトルはデデンネにとってもオレにとっても、最高の経験になる。
「……っつーわけだ、オレの夢に協力してもらうぞ、レイア」
 そう息を吐ききって、ようやく胸につかえていた黒いもやもやが消え去った。
 レイアも微笑した。赤白のボールを手に取り、両手で包み込むようにして持ち、そのまま静かに解放する。
「勝つぞ、インフェルノ」
 ふつふつと地獄の業火を牙の間から漏らしながら地に降り立ったのは、ヘルガーだった。


 デデンネに指示を飛ばす。
「ほっぺすりすり!」
 この技名を叫ぶのに、気恥ずかしさを覚えなくなるのには時間がかかった。そう思って初めて、このデデンネとも相当数の戦闘を潜り抜けてきたことに気が付いた。
「寄らすな、ヘドロ爆弾。隙見て悪巧み」
 レイアは一度に複数の指示を飛ばしている。しかしヘルガーに戸惑う様子はない。その戦法、あるいは考え方にヘルガーも慣れ親しんでいるのだ。もしかするとヘドロを飛ばしつつ悪巧みをする、などという芸当も可能なのかもしれない。
 苦手なヘドロに怯え、デデンネが飛び退る。
「それならデデンネ、チャージビーム!」
「よく見て躱せ。ヘドロ爆弾」
 ヘルガーはデデンネの視線から、チャージビームの射出方向を見極めているようだった。
 いつの間に悪巧みをしていたのか、ヘドロ爆弾の規模が増大している。デデンネは浮足立つ。毒の飛沫を躱すだけで精いっぱいだった。
 周囲には毒の沼さえできて、デデンネの足場も限られる。
「オーバーヒート」
 ここで炎の大技が飛んでくる。
「走れデデンネ、じゃれつく!」
 一か八か賭けるしかない。
デデンネにもそれは伝わったようだ。ヘドロを踏むのにも構わず、高熱が放たれるよりも先に、辿り着かなければならない。
 デデンネは走り、跳び、そしてヘルガーの喉元を捉えたと思った。
 しかしヘルガーは、レイアの指示なく、己の意思でバックステップを踏んだ。
 デデンネとの距離を自身で測り、白い炎を吹きかける。


 ひどい、と周囲から女子高生らしき小さな悲鳴が上がったような気がした。オレはかぶりを振り、焼け焦げてかつ目を回しているデデンネをボールに戻す。
「お疲れ、デデンネ。……いい勉強になったよな」
 レイアは周囲の女子高生の非難がましい視線にも一向にこたえた様子もなく、軽くヘルガーを労ってからモンスターボールに戻した。そこにセッカが走り寄り、キョウキやサクヤものんびりと歩いてくる。
「れーや凄かったよ! 完璧だったよ!」
「はいはい。まあこんなバトルばっかだから、ますますモテなくなるんだがな」
 そうレイアがぼやいているのは、容姿の愛らしいポケモン相手にも容赦のないバトルをすることを言っているのだろう。ポケモンバトルを忌避する人間も多い。広場でのポケモンバトルを禁じてくれ、という要望も少なからず上がっているとの話も、もう何度も聞く。
 しかしオレにも夢があるのだ。ときに白い目で見られようが、トレーナーはポケモンを育て、戦わせ、負けたら潔く賞金を支払う。
 オレは深く息をついて、四つ子を見つめた。
「……しょうがない。四つ子様ローリングドリーマーにご招待、だな」
 SUSHIだ、とはしゃいだのはセッカだけだった。キョウキは首を傾げ、サクヤもわずかに訝しげに眉を顰め、レイアもぽかんと口を開いた。
「は? なんで? いくら何でもそこまで賞金高くねぇだろ?」
「オレがセッカやキョウキやサクヤに支払ったレストランの代金は、片っ端から全部こいつら自身に元とられちまったしよ。なんか、あんま賞金払ったことになんないかなって。だから四人ともオレの奢り。あ、もちろんばっちり元は取ってこいよ、お前ら」
 オレはエリートらしく、寛容な笑みを浮かべてやった。
 すると、ゼニガメを抱えたサクヤが舌打ちした。
「何を呆けたことを。貴様はコース代金を支払った。賞金や土産は僕らのものになった」
「あーもういいから、オレはエリートなの。ついでに言えばそこそこリッチなの。おとなしく寿司おごられてろ、この四つ子が」
 四つ子は互いをそわそわと窺い合い、そしていつまでもそわそわしていた。
 オレは肩を竦めた。
「じゃ、賞金は寿司屋、な」
「寿司だぁぁぁぁぁ!!!」
「ぴかちゅああああ!!!」
 セッカとピカチュウが躍り出した。キョウキとフシギダネはとぼけてほやほや笑っているし、サクヤはゼニガメがやんちゃに暴れるのを制しているし、レイアはにやりと笑ってヒトカゲを小脇に抱え直した。
 しかし、だ。
 オレは改めて四つ子をまじまじと観察した。
 四つ子は一様に動きを止めた。
「なに?」
「……お前ら、まさか五つ子とか六つ子とかいうオチ、ないよな?」
「ないよ! 正真正銘の四つ子だよ!」
 元気良く返事をしたのはセッカである。
 オレは頷いた。
「ならいい。寿司には連れて行ってやる。ただし……」
 オレも四つ子を見てにやにやと笑った。
「オレとお前らが、フェイマスでスタイリッシュになったら、だ!」


 騙された、とぷうと膨れる四つ子を引っ立てて、オレはカフェ・カンコドールに戻り、とりあえず四つ子にモーニングをご馳走してやった。デデンネにもクロックムッシュを食べさせると、目を回していたデデンネもすぐに元気を取り戻した。
 オレ自身はとりあえずコーヒーを一杯頼み、食べ盛りらしい四つ子がモーニングにありつくのを微笑ましく眺めていた。
「なんかいいなあ、お前らは仲も良くて、バトルも強いし。一緒に旅してんの?」
「違うよ! いつもはバラバラだよ! 今朝久しぶりに四人集まったの!」
 元気よく答えたのはやはりセッカである。
「そういやレイアは、ヒトカゲとヘルガーの他にどんなポケモン持ってんの?」
「秘密」
 オレの何気ない質問はレイアによってすげなく断られてしまった。少々面食らって顔を上げると、赤いピアスをしたレイアはのんびりとゆで玉子の殻をむいていた。
「カロスリーグのライバルに、そう簡単にパーティー教えるかっての……」
「……ああ、そうか、レイアはバッジ八つだもんな。そりゃリーグにも出るか」
 では、カロスリーグでレイアと再び対戦することもあるかもしれない。その時は、セッカもキョウキもサクヤも知らない、オレの一番の相棒で相手をするのだろう。
 オレはけらけらと笑った。
「じゃ、ニックネームだけでも教えろよ。ヘルガーが『インフェルノ』で、ヒトカゲは?」
「『サラマンドラ』。セッカが適当につけやがった。あとは……『マグカップ』と『なのです』がいる」
「……どういうポケモンかすら想像つかんな」
 日が昇っていく。四つ子の足元ではピカチュウとフシギダネとゼニガメのヒトカゲが戯れ合っていた。
 オレと四つ子の出会いはそんなものだった。


  [No.1357] 四つ子との別れ 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:41:49   58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との別れ 朝



 エリートトレーナーであるオレは、グランドホテル シュールリッシュで明け方に目を覚ました。
 心がざわつくのは四つ子のせいだ。あんなに強いトレーナーがいて、しかもその一人はオレと同じくカロスリーグに出場するつもりだと聞いて。カロスリーグ開催の日まで、もう一ヶ月ほどになろうとしている。居ても立ってもいられない。
 夜も明けきらぬ頃にオレはホテルを出て、手持ちのポケモンはボールに入れたままランニングを始めた。オレと同じように気を逸らせたトレーナーに運よく巡り合えたら、その時はバトルをすればいい。しかし今はいかんせんトレーナーであるオレ自身の心が高揚しすぎている。ただ心を落ち着かせるために、オレは早朝の静かなノースサイドストリートを走った。
 やがて川に差し掛かったところで川に沿うように進路を変えると、ローズ広場の方からポケモンバトルらしき音が響いてきた。
 やはりリーグまで待ちきれないトレーナーがオレ以外にもいたらしい。嬉々としてローズ広場の濃紫のモニュメントを目指す。
 そこにいたのは果たして、袴ブーツの四つ子だった。
 葡萄茶の旅衣を翻し、四つ子は全員でマルチバトルに興じているらしい。
 セッカと緑の被衣のキョウキ、それに対するは、青い領巾のサクヤと赤いピアスのレイア。
 ピカチュウ・フシギダネ対ゼニガメ・ヒトカゲという対戦だった。
 手足の短いポケモンたちが互いに技を繰り出し合うのは、想像以上にえげつない光景だった。ピカチュウは雷を完璧に当てる、フシギダネは異常に溜めの短いソーラービームを確実に当てる、ゼニガメはハイドロポンプをすべて当てる、ヒトカゲも大文字を正確に当てる。
つまり奴ら四つ子は、大技ばかりをぶち当て合っていた。四つ子はタイミングを計り、相手の技を相殺し、ポケモンを走らせ、片割れを相手にも容赦なく隙を狙う。
彼らを見ていて、オレはふと気になることがあった。
「んん?」
 彼ら四つ子が全員傍らにエース級のポケモン、すなわちオレが戦ったガブリアス、プテラ、ボスゴドラ、ヘルガーをそれぞれ侍らせていたのだ。
 普通に考えればマルチバトルの控えなのだろうが、ポケモンはボールの中からでも外の様子を窺うことができると聞いている。四つ子は腰にボールを付けているから、わざわざ控えのポケモンを外に出していなくても、控えのポケモンも自分が戦いに出るべきタイミングを自身で把握できると思うのだが。
 まあ精々、戦いの場の空気というものをすぐ傍で感じ取っているだけなのだろうと漠然と自分の中で納得してしまう。オレは世にも珍しい四つ子のマルチバトルを近くから観戦するために、ローズ広場に足を踏み入れた。
「にゃ」
「あ、ニャオニクス」
 一声鳴いたのは、雄のニャオニクスだった。
「サクヤの……ニックネームは何だっけ。まあいいや。どうしたんだ、お前?」
「にゃ」
 しかしニャオニクスは表情一つ動かさず、ローズ広場で繰り広げられる小さいポケモンたちの激しいバトルを注視していた。
 よく見ると、ローズ広場とメディオプラザの間にも、平たいマッギョが寝そべっている。あのマッギョは確かセッカの手持ちだ。
 そしてローズ広場とオトンヌアベニューを繋ぐ通路にはキョウキのヌメイル、エテアベニューとを繋ぐ通路にはレイアの手持ちであろうガメノデスが立ちふさがっている。
 バトルをする四体のポケモン、トレーナーに寄り添うポケモン、通路に配置されたポケモン。
 朝早く起き過ぎたせいか、その時のオレには、バトルに直接携わっていない八体のポケモンが何をしているのか全く見当もつかなかった。そしてそれがもどかしくて、どうしても四つ子にそれを尋ねたくなってしまったのである。
 折りしも四日かけて親しくなった、一卵性四つ子の、エンジュかぶれの、手練れのポケモントレーナーだ。オレは四つ子と知り合えたことを嬉しく思っていたし、もっと親しくなって四つ子の強さの秘密を知りたいとも思っていた。四つ子そのものにも興味があった。四つ子のバトルにはもっと興味があった。
 広場に数歩、足を踏み入れた。
「にゃ」
 サクヤのニャオニクスが数歩前に出て、オレを振り返り、オレの前に立ちふさがる。
「……なんだ? バトルの邪魔するなって? もっと近くで見たいんだよ、ここからじゃ、まだ指示とかよく聞こえないし……」
「にゃ」
「あ、いっちょまえにレイアの手持ちを隠そうとか考えてんのか? だからこんな時間に身内だけでバトルしてんの? つーかリーグまでの詰めの期間にすげー頑張れば、まだまだポケモンって化けるよ。なあ、ちょっとぐらい近くで見たって良いだろ」
「にゃ」
 ポケモンの言葉がわからないのを良いことに、オレはニャオニクスを相手にごねてみた。しかしニャオニクスはわずかに手を広げるようにしてちんまりと仁王立ちしたまま、オレをまっすぐ見上げてくるだけである。
 キョウキの柔らかい指示に、フシギダネが昇り出した日の光を吸収し、放出する。
 サクヤの冷ややかな指示が上がる。ゼニガメがハイドロポンプで応戦する。
 セッカが嬉々として跳ね上がり、叫ぶ。ピカチュウが雷を落とす。
 レイアが怒鳴る。ヒトカゲが大の字の炎を吐き散らした。
 圧巻だった。四つの大技がぶつかり合う。
 オレは今にもニャオニクスを軽く飛び越えてローズ広場に飛び込みそうになりつつ、それに見とれていた。ニャオニクスはそんなオレをいつまでも警戒していた。


 オレの名はトキサ。エリートトレーナーだ。
 エリートは、ポケモンを戦わせるだけではない。かといって、ポケモンの技や相性や状態異常やステータス変化などを延々と勉強している、それだけでもない。
 本物のエリートトレーナーは、多くのトレーナーが旅に出るために切り捨ててしまう、高等教育の知識も持っているものなのだ。例えば外国語、古典、地理、生物、物理、そして化学。
 だからオレは、知っていた。
 水に電気を流せば、どうなるだろう?
 そこに炎が来れば、どうなるだろう?
 ニャオニクスはひたすらオレを警戒していた。


 爆発が起きた。
 何が起きたのか分からなかったが、オレの目はガブリアスがセッカを、プテラがキョウキを、ボスゴドラがサクヤを、ヘルガーがレイアを庇うように動くのを捉えた。
 ニャオニクスが爆音に背後を振り返ったときには遅かった。
 オレは意識を失った。



 次に目を覚ました時には、オレの体は動かなくなっていた。


  [No.1358] 四つ子との別れ 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:42:51   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との別れ 昼



 四つ子のマルチバトルを見物していたら、爆発に巻き込まれて吹っ飛ばされ、打ち所が悪かったらしく脊髄を損傷し、それきり体の動かない人生とお付き合いすることになりました。どうも、エリートトレーナーのトキサです。いや、“元”エリートトレーナーというべきなのかもしれないが。
 嘘だろう?
 夢だろう?
 自問することにも飽きたので、オレはぼんやりと自分の部屋の天井を見ていた。もちろんオレは病院から退院して、自室に運び込まれた介護用ベッドに横たわっているのだ。
 色々なことがあったが、すべてどうでもいいような気がする。
 オレは立つことも喋ることも自分で食事したり着替えたりトイレに行ったりすることもできなくなった。延々とベッドに縛りつけられることになった。赤ん坊からやり直すことになった。頭や目や耳が使い物になるだけマシかとも思った。
 オレの意思疎通については、病院から借りているユンゲラーが介助してくれている。ユンゲラーがオレの脳波を読み取り、念力でコンピュータを操作し、画面にオレの考えたことを瞬時に文字化して表示してくれるのだ。
このユンゲラーがなかなか有能で、しかも気の利く奴だった。オレの手持ちたちの意思まで文字化して、オレにも読めるように画面に表示してくれるのだ。寝たきりになって初めて、オレは、自分のポケモンたちと言葉で語り合った。
一番の相棒のブリガロン。ファイアロー、ブロスター、ホルード、デデンネ。共に野山を駆け回り、野生のポケモンの急襲を潜り抜け、ライバルと切磋琢磨し、血の滲むような努力を経てジムバッジを手にし、やっとカロスリーグへの挑戦権を手に入れたと思ったのに。
こんな体では、バトルはできないだろうと思った。
何しろ、オレ自身がバトルの場に立つことすらできないのだから。
ポケモンに指示を飛ばすにしても、ユンゲラーを介するほかに手段が考えられない。ユンゲラーは病院のポケモンだから、勝手にユンゲラーにバトルの仲介をするよう訓練するわけにはいかない。なら、他にテレパシーが使えるエスパーポケモンを捕まえて、育てるか? どうやって捕まえるというんだ? 友達のエリートトレーナーに捕まえてもらえばいい。どう育てるんだ? それも友達に頼むのか? 誰がオレのためにそこまでしてくれる? たとえ誰かがそんなことをしてくれたとしても、仲間のエリートたちはみんな目の前のカロスリーグに向けて調整中なのだ。次のリーグには間に合う筈が無い。その次のリーグには? 出られるのか? どうすれば出られる?
オレはトレーナーを続けられるのか?
無理じゃないか。
じゃあこれからどうする? 残りのすべての人生を、動けないまま、何もせず暮らすのか? それでいいのか?
なんでこうなったんだ。
治る、という未来はあり得るのか?
治りたいのか?
オレは何がしたいんだろう。
どうするべきなんだろう。
ブリガロンもファイアローもブロスターもホルードもデデンネも、このままオレの傍に置いておいていいのか?
疑問を宙に投げかけては、ユンゲラーがそれを拾って文字に整える。ポケモンたちは何も言わない。トレーナーのオレの決断をただ待つだけだ。オレがそう躾けたのだ。
昼間だったが、そのうち眠くなってくるので、寝た。


 オレの身の回りの世話をしてくれるのは、主に母だ。
母は、オレの体がこうなって以来めっきり老け込んで、髪も真っ白になってしまった。力仕事はオレのブリガロンやホルードが手伝うのでそこまで負担はないはずだが、息子がこうなってしまうと、母親はどういう気持ちになるものなのだろう。母は無理にも笑顔を作って、焦ることはない、いつか治るかもしれない、大丈夫だと語りかけてくる。けれどオレより母の方が大丈夫でなさそうだ。
 父はさる企業の重役なのだが、オレが病院に運び込まれて入院している間は何かと見舞いに来てくれていたのだったが、オレが退院して家に戻ると、逆になかなか家に帰ってこなくなった。それが何を意味するのかは、考えるだけ面倒だった。
 ただ、ときどき弁護士が家に来た。親が呼んだのだろうと思う。
 弁護士が何をするのかと思えば、母はせめて損害賠償請求だけでもと考えていたらしい。その時になってようやく、オレは四つ子のことに頭が回った。
母は、四つ子を相手取って訴訟を提起することを考えたのだ。それもこれも、検察が今回の事件に関して刑事訴訟を提起しなかったためだ。
 けれど、いずれの弁護士も母の力にはならなかった。
 現在、四つ子はひと月の自宅謹慎に服している。四つ子は無事なのだ。彼らの傍にいたポケモンたちが、彼らを爆発から庇ったおかげだ。
 そして、一か月の謹慎期間が終われば、四つ子は再び自由にポケモンと共に旅をすることができるようになる。
 そのくらいの知識は、エリートであるところのオレにもあった。
他者に軽度の傷害を負わせたポケモントレーナーは、まったくの不問だ。
そして、他者に重大な傷害を負わせたポケモントレーナーは、ポケモン取扱免許を仮停止されて自宅謹慎が一ヶ月、それだけだ。謹慎期間の一ヶ月が平穏無事に過ぎれば、そのトレーナーは何の責めも帰されず、メディアに氏名や顔が公表されることもなく、まったく普通の一般トレーナーとして旅を再開できる。
 それが、この国の法だ。
 ポケモン協会と強力すぎる繋がりを持つ与党が作った法だ。
 一部の法学者や市民層から強固な批判が浴びせ続けられている、人権軽視の法律だ。
 そんな法があるから。
 そんな法が正しいという裁判所の判断は、何千回、何万回の訴訟を経ても変わらないから。
 だから弁護士も、訴訟を提起しない。
 諦めろと、母にオレに言う。
「ご子息も、トレーナーですから……ご理解いただくしか……」
「相手方は、通路にポケモンを配置していたわけでして……一般人に危害のないよう一定の配慮はしておりまして……つまり予防線的なものは張っていたわけでして」
「こちらの無過失を証明するのは……困難で……」
 つまり、見張りのニャオニクスがいたのに、あえてバトルの場に近づこうとしたオレは、それ以上近づけば危険だということを予測できたにもかかわらず、それをしなかったから、オレの方が悪い、というわけなのだ。
 しかもオレは、ポケモントレーナーだから。そのバトルがどれほど危険なものだったかは、広場の外からでも十分に把握できただろうということだ。
 当たり前だ。
 オレは、エリートトレーナーなのだから。
 その後も、何人かの弁護士がオレの部屋に現れた。
「最高裁の判例です……合憲であると」
「お役に立てず、申し訳ございません」
 どの弁護士も、ポケモントレーナーによる傷害に関する訴訟には関わろうとしなかった。勝ち目がないからだ。
 とりあえず無難な弁護士に、ポケモン協会から少額の見舞金を分捕らせた。
 それだけだった。
 オレは別に四つ子を恨んではいない。
 ただ、あの四つ子が平気な顔をして旅を続けることを思うと、泣けてくるのだ。


 あの四つ子は強い。
 その強さで、周りを不幸にする。


  [No.1359] 四つ子との別れ 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:43:57   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との別れ 夕



 やがて、自宅謹慎中の四つ子から手紙が届くようになった。
 ある日、母がそういった最初の手紙をオレの部屋まで持ってきたから、オレはその手紙を母に読み上げてもらおうとしたのだ。
 しかし母はふつりと黙った。
 どうせろくなことでも書いてなかったのだろう。母は狼狽した様子で手紙を取り落とし、オレが自分でその手紙を読めないのを良いことにその手紙を床に落としたまま、ふらふらと部屋から出ていった。
 それでも、その後日に届いた手紙は無難な内容だったとみえて、母も穏やかに、半ば虚ろに手紙を読み上げてくれた。
 申し訳ありません。たくさん反省しています。どうお詫びをしたらいいかわかりません。許してください。
 ありきたりな、そしてところどころやはり自己愛の見え隠れする、稚拙な文章だった。そんな四つ子からの手紙が、嫌がらせのように毎日届いた。それを母は毎日毎日、虚ろな声でその手紙をオレの傍で読み上げ続けた。
 だから余計に、母をひどく狼狽させた、最初の四つ子の手紙の内容が気になった。
 とある夕暮れ、カロスリーグに向けたトレーニングの合間に見舞いに来てくれた友達に、床の上に落ちた手紙を拾い上げさせ、それを読み上げてもらったのである。
 それはこんな内容だった。


『こんにちは。セッカです。この手紙はキョウキの手紙の次に読んでくだちい。(ここで友人は思わず吹き出し、オレに向かって申し訳なさそうな顔をした)
 おれたちは一か月の自宅きんしん中です。トキサが病院はこばれたときは、みんなでまっさおになりました。
 けいさつにもつれてかれました。ろうや入れられるかと思ってすごくこわかったです。でも、けんさつ(けいさつとは別のやつだそうです)もぜったいりっけんしないからとか言って、30分でかいほうされました。すごくほっとしました。おれもみんなもです。

 おれたちがつかまらないのはそういう法りつだからだ、って、知り合いのさいばん官のモチヅキって人が言ってます。
 ポケモントレーナーには、ものすごいとっけんがあるそうです。トキサもトレーナーなので、仕方ないと言ってました。おれも正直しかたないと思います。
 おれたち四人は、お世話係のウズって人にいっぱいおこられました。モチヅキさんにも、めちゃくちゃおこられました。トキサもたくさんおこると思います。だから毎日おわびの手紙を書けと言われました。でも何をおわびしたらいいかよくわかんないです。トキサなんであんな朝早くに、おれたちのバトルを見てたんですか? ストーカーなんですか?

 おれはトキサにもうしわけないと思ってます。でもお金がないので、どうにもできないので、トキサもがんばってください。おれもがんばってバトルでお金をかせぎます。
 トキサのファイアロー(ここに鳥ポケモンの絵が描いてあった)は元気ですか? トキサはもうバトルできませんか? カロスリーグに出れませんか? トレーナーやめちゃいますか? ほうりつを変えようと思いますか? ポケモンたちはどうするんですか? おれはトキサがかわいそうなので、このままじゃだめだと思ってます。だからがんばります。トキサとまたバトルしたいです。早くケガ直して(ここで友人が漢字のミスを指摘した)くだちい。』



『トキサ様
前略 サクヤです。セッカのしょぼい手紙の次に読んでください。
 僕の下らないお詫びなど読んでもつまらないだけでしょうから、この謹慎中に考えたことを書きます。
 現在この国の法制度は、ポケモンによって傷害を負った者に対する配慮というか、人権の保障が実に不完全であると感じます。僕が言えた義理ではないですが。

 僕の師であるモチヅキという方が仰っています。トレーナーカードを持つ者は特権的身分を手に入れると。
 国はポケモントレーナーを保護します。そして今回の場合は、体が動かなくなってトレーナー生命を絶たれた貴方より、僕たち四人の方が保護に値すると、国は考えているのです。実質的にはそういう事です。

 なぜ国がトレーナーの特権を保障するか、エリートである貴方には容易に想像がつくでしょう。そしてそれが国是であり、世界的潮流であり、普遍の正義であることもお分かりいただけると思います。
 ポケモンのために、人権が踏みにじられているのだと捉えることも可能でしょう。
 けれど、我々がトレーナーである限り、この国の法に保護されている限り、ポケモン協会に従っている限り、この世界は変わりません。僕はそう思います。草々』



『どうも、レイアです。サクヤの手紙の次に読んでくだち(笑)い。(ここで友人が再び吹き出した)
 悪いふざけすぎた。真面目に書く。たぶん。

 俺の知り合いに、ポケモン協会の人間がいる。そいつらから聞いた話だ。
 政府はポケモントレーナーの育成を一大政策として掲げている。まあそりゃそうだろうな、優れたトレーナーと強いポケモンがいりゃ、産業も軍事も大幅レベルアップだ。国としては万々歳でしょうよ。だから、ものすごい税金がポケモン協会に流れてる。ポケモン協会からも、たくさんの議員が出てる。そいつらが、トレーナーっつー特権身分を肯定する法律をバンバン作ってる。そういう議員の中から政府ができる。政府が最高裁の裁判官を選ぶ。すると最高裁は、人権軽視の法律も合憲だって判断ばっか下す。三権分立なんて嘘だぞ。この国のてっぺんはカネでくっついてんだよ。

 ってな具合で、今この国を牛耳ってるのは“ポケモン利用派”の連中だ。
 これ以外に、“反ポケモン派”と“ポケモン愛護派”ってのがいるらしい。

 反ポケモン派ってのは、“ポケモン利用派”によって踏みにじられてる人間の尊厳を回復しようと考えてる連中だ。トキサ、あんたみたいにポケモントレーナーのせいで被害に遭った奴や、そいつらの家族が大半を占めてる。
でも、反ポケモン派はポケモンを持たねぇから、まあ実力的にしょぼい。人間だけでデモするのが関の山ってとこだ。警察のガーディの火炎放射一発で終了。議員に立候補して選挙に出馬するやつもするが、反ポケモン派は逆にポケモントレーナーの権利を縮小しようとするから、まあポケモン協会にカネの力で黙らされやすい。そういう感じで、いくら反ポケモン派が文句を言ったところで、今の人権軽視の制度は変わんねぇよ。反ポケモン派は弱い。

 ポケモン愛護派ってのは、ポケモンを利用するのはやめようっていう、なんかズレたこと言ってる連中だ。一昔前のイッシュ地方のプラズマ団がこういうこと言ってたな。

 政府も、俺らポケモン協会の指導に服するポケモントレーナーも、それからロケット団とかの犯罪結社も、全員“ポケモン利用派”に属するんだ。俺ら個人がどう考えてようが、この国の法律に従って暮らしてるか、ポケセン利用してるか、ポケモンをボールに入れてる奴は、ポケモン利用派になる。ポケモン利用派は圧倒的多数だ。
 ついでに言うと、この国は民主主義だから、少数の意見なんて抹殺される。
 だから、うっかりトレーナーの手持ちで死傷したら、本人もその家族も泣き寝入りするしかねぇってわけだ。それがこの世界だ。

 で、あんたはどうするんだ? おとなしく泣き寝入りすんのか? それが知りたい。
 ポケモンを使ってトレーナーやってる限り、あんたみたいに損害賠償も請求できず人権を踏みにじられる人間はなくならない。でも、ポケモンを使わなきゃ何もできない。
 この問題は割と複雑らしい。まああんたのおかげで俺もちっとは勉強した。そういう意味じゃ多少は感謝してる。

 ちなみに、俺はカロスリーグまでに謹慎は明けるので、普通に出場します。イヤミとかじゃなくて、普通に報告』



『こんにちは。キョウキだよ。レイアの手紙の次に読んでね。
 レイアが難しいことをいっぱい書いてくれたので、僕は僕らの話をします。

 僕ら四つ子は妾腹です。父親はジョウト地方のエンジュシティで踊りか何かの家元をしてるそうです。母親はカロスのクノエシティの人間だけど、これが早くに死にまして、僕ら四つ子は父方から送られてきたウズっていう人にクノエで育てられてました。
 でも、父親は僕らの学費を出してくれませんで、僕ら四つ子はポケモンを貰って旅に出るしかありませんでした。で、ここで問題なのは、僕らの父親の人格じゃなくって、この国の教育制度のほうなんですよね。

 この国の無償教育は10歳までです。つまり、義務教育は短くて3年ってとこなんだよね。たった3年の教育で、水素爆発という現象の存在なんてどうやって知れっていうんだろうね? ――だからトレーナーは無罪になるんだよね。知らないことは予見して回避することができないからね。トレーナーに責任がなければ、トレーナーは罰を免れるんです。これは責任主義という考え方だそうですよ。法学部生のユディっていう友達が教えてくれました。
学ばず、ポケモンばかり育てる子供が増えるね。その中から、遅かれ早かれ優れたポケモントレーナーが現れ、強いポケモンを作ってくれるだろう。それこそが政府の狙いなのだろうけれど。

ねえ、エリートさんなら分かりますよね。政府が望んでいるものが何なのか。そしてそれが、世界の自然な流れだってことも。だからね、僕は迷うんですよ。何が正しいのか。
君は今の“ポケモン利用派”の制度を許しますか? それとも、“反ポケモン派”として人権の回復に努めますか? それとも、“ポケモン愛護派”なんてズレたことでも言ってみます? どうするのが正しいのか、僕にはわかりません。』



 友人は息をついた。
 四つ子の手紙に書いてあったのは、いずれも現在の制度に対する疑問だ。そこにお詫びの言葉はほとんど無い。
 しかしあの四つ子が社会制度についてまじめに文章をしたためるというのがどこかおかしくて、これは少し彼らの啓蒙に貢献してしまったなとオレは思った。そう、オレはエリートだから、後輩トレーナーを教え導くのも大切な責務だ。
 部屋には窓から、橙色の夕陽が差し込んでいた。
オレの友人の表情も暗い陰になっていた。
「んで、トキサ、どうすんのお前」
 友人が声をかけてくる。オレはユンゲラーに、画面上にクエスチョンマークを浮かべさせた。
「これからどうするとか、決めたのか? トレーナー、続けられんのか?」
 そんなことは毎日毎日考えてきた。
 四つ子に出会い、そしてこんなことになるなんて思いもしなかった。プラターヌ博士からハリマロンを受け取り、母に見送られて旅に出て、野宿を重ねバトルに明け暮れ、仲間と共に勉強して、夢を見て。
 こんなどん底の世界が、すぐ傍にあったとは思いもしなかった。
 ユンゲラーに頼み、ブリガロン、ファイアロー、ブロスター、ホルード、デデンネの五匹をボールから出してもらう。
 こんなトレーナーでごめんな。でも、今のオレにはカロスリーグに向かっていくだけの力はちょっとない。でも、トレーナーをやめようとも思わない。ただ、本当に復帰するかどうかもわからない。
 お前たちは、好きに決めていい。寝たきりのオレの傍にいてもいいけど、しばらくはバトルはお預けになると思う。バトルがしたいなら、友達にお前たちを預ける。オレの友達はみんなエリートだから、お前たちをちゃんと育てて、大会でもいい成績を取らせてくれるだろう。
 ユンゲラーの力でオレの意思を伝えると、手持ちたちはユンゲラーを介して返事をした。
 ブリガロンはオレの傍に残る。他の四体は、他のトレーナーについて強くなる。けれどももし、オレがトレーナーとして復帰する、その時が来たならば、必ずオレの元に戻ってこよう。そしていつか見た夢をもう一度見せてほしい。
 そう、彼らは思い決めていたように、オレに告げた。
 ブリガロンを除いた四匹のオレの手持ちたちは、ボールに戻っていった。
『頼む』
 画面に表示される。
「ああ、わかった。任せろ」
 その日暮れの時、オレは友人に、四体の仲間を預けたのだ。


  [No.1360] 四つ子との別れ 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:45:13   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子との別れ 夜



 ブリガロンが重い書籍の数々をオレの部屋に運び込む。そしてその分厚い本のページを繰るのはオレではなく、ユンゲラーである。
 この有能なユンゲラーは法学や政治学の教科書を驚異的なスピードで流し読みしては、片っ端からその情報をコンピュータに入力していった。画面上で教科書を読むことができれば、オレは本を使うよりも容易に勉強ができる。
 政治経済などは、ポケモンを育成する上で全く不要な科目だった。だから知識などはほぼ無いに等しい。だから今はひたすら吸収するしかない。
 かつての夢を諦めようとは思っていない。
 しかし、確実に夢を奪われたような、そんな喪失感がただ重い。
 もう少しだと思っていたものが遠く果てしなく遠くなり、それがあまりに遠いので少し気力が失せてしまっただけだ。だから一休みしがてら、寄り道するのだ。
 オレ以外にも、夢を希望を断たれた人間はいるだろう。そして、そういった人間を踏み台にして、のうのうと自由に大地を歩く者がいるのだろう。
それはポケモンのせいなのか、トレーナーのせいなのか、それとも国のせいなのか。知らないことだらけで、何もわからない。
 でも、あの四つ子もきっと、オレと同じことを考えて、迷いつつ進んでいくだろう。
 だからあの四つ子とオレは同志なのだ。






 テレビ画面が、カロスリーグの中継を映している。
 オレの傍らには共に夢に舞台を追ったブリガロンが、反対側には病院から借りた気さくなユンゲラーが、オレと一緒にカロスリーグの模様を眺めていた。
 驚いたことに、カロスリーグに出場した四つ子は、レイアだけではなかった。ついこの前までバッジが三つだったキョウキと、五つだったサクヤも出場していたのである。
 彼らが何を思ってこの短期間でバッジを集めたのかはわからない。しかし、彼らのバトルスタイルは変容していた。大技ばかりをぶちかますということをしないのである。
 四つ子は強さを誇示しない。
 何を考えたのだろう。
 オレには分からない。
 それにしても、バッジを一つしかもっていなかったセッカは、さすがにリーグまでのバッジ集めは間に合わなかったということだろうか。
 いや、あいつはあいつのエセ新人作戦で金を稼いでいるに違いない。あいつはいつも、飯と金に飢えているのだから。けれど、他の三人と同じく、もう力に溺れることはないのだと信じたい。
 オレはあの四つ子を信じようと思う。
だから、彼らの自由な旅を許そうと思う。
 遠い遠い夢の舞台を眺めながら、オレは別の夢を見ている。
 フェイマスな男とは、どんな男だろうか。たとえカロスリーグのチャンピオンにならなくても、そう、例えば、歴史的な勝訴をもぎ取った敏腕弁護士だとか、驚異的な判断を下した最高裁長官だとか、あるいはこれまで人知れず涙を呑んできた人々を救済した国会議員だとか。そういう男はフェイマスだと、認めてもらえるだろうか。
 いや、違う。
認めさせてやろう。この世界に。
 そしていつか、四つ子にあの店の寿司を奢ってやるのだ。


  [No.1361] 謹慎中1 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:46:28   57clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



謹慎中1



 高く結った白銀の長髪をなびかせ、桃色の裾の長いスカートを鳴らして、ウズは警察署に飛び込んだ。そして受付の署員に怒鳴りこんだ。
「――四條のもんじゃが!」
「あっ、ウズだぁー」
 鬼気迫るウズとは対照的に、呑気な声が上がった。ウズはわなわなと震えつつ、ゆらりと振り返る。そして声の主に飛びかかった。
「このド阿呆! なに人様にケガさしとんじゃボケが! あたしはんなように育てた覚えはないわぁ!」
「いたい!」
 ぴゃああと悲鳴を上げるのは、ピカチュウを肩に乗せた袴にブーツのトレーナー、セッカである。ウズの白い手に黒い前髪を掴み上げられると、セッカはみいみいと泣き出した。
「うわあああんウズ怖かったよぉぉぉぉぉ!」
 幼い子供でもないくせに臆面なく泣き面をさらすセッカに、ウズは少なからず面食らった。旅に出て数年になるというのに、幼い頃から全く変わっていない。
「……何が、怖い、じゃ! おぬし、自分が何をやりよったか分かっとんか!」
「トキサが爆発したぁぁ――っ!」
 そしてセッカは爆発的に泣き出した。その肩の上でピカチュウが激しく鳴きたてる。
「びいが! びがびぃが! びがぢゅああっ!」
「ええい、ピカさんも黙らんかい! 何を泣いとんじゃセッカ! 何があったか詳しく説明せえ!」
「あ、ウズだ」
 署内で大騒ぎするウズとセッカとピカチュウの間に、ふわりと柔らかい声が割り込む。
 ウズが怒りにわななきつつ振り返ると、そこにはセッカの四つ子の片割れの三人が佇んでいた。
 ヒトカゲを小脇に抱えた赤いピアスのレイア、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキ、ゼニガメを両手で抱える青い領巾のサクヤ。
 四つ子は、ウズが最後に見たときよりずっと背も伸びていた。
 それ自体は喜ばしい。しかし、ウズはこのような場での再会など望んでいなかった。
 ウズは深く深く息を吐く。セッカを置いて、残る三人を見やる。
そして低く唸った。
「――よくも、養い親のこのあたしに、恥かかせてくれよったな、アホ四つ子」
 フシギダネを頭に乗せたキョウキは、ほやほやと笑っていた。
「いやぁ、トキサって人が、勝手に僕らの勝負に首突っ込んだんだよー」
 ゼニガメを抱いたサクヤは、心外そうに眉根を寄せていた。
「僕が見張りに置いていたニャオニクスを無視したんですよ、あのエリートトレーナーは」
 ヒトカゲを抱えたレイアは、気まずそうな苦い表情をしていた。
「いや、トキサにゃ悪いとは思うがよ……でも俺らだってやることはやったし……」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカが、ぴゃあぴゃあと叫んだ。
「俺らは悪くないもん!」
 ウズは思わず額を押さえた。


 四つ子を引きずるようにして、ウズはクノエシティに戻った。その道中も四つ子は楽しそうだった。
「懐かしい! 俺ら四人とウズでさ、プラターヌ博士にポケモン貰いに行ったんだよな!」
「そうそう、でもセッカは四人バラバラに旅するのいやがってずっと不貞腐れてたよねぇ」
「俺、ここ通るの、くそ久しぶりだわ」
「相変わらずここは足場の悪い道路だ」
 遠足気分か、とウズは心の中で低く毒づいた。
 四つ子は今朝方、傷害事件を起こした。
 朝も早くからミアレシティのローズ広場で四人でマルチバトルをしていて、そして通りかかったエリートトレーナーをバトルの爆発に巻き込んでしまったのだ。四つ子自身もその爆発をもろに浴びたものの、各々のポケモンに庇われて、幸い四つ子は大した傷には至らずに済んだ。
 その後の四つ子の行動は、セッカはぴゃあぴゃあと泣き騒いで周囲の人間を集め、キョウキは救急車を依頼し、サクヤとレイアは負傷したエリートトレーナーの介助に努めた。その四つ子のチームワークは評価すべきであった、と現場に居合わせた人々は語った。
 しかし、その後そのエリートトレーナーの容体がどうなったかは未だ定かでない。
 四つ子はこの通り始終呑気な様子で、一方でエリートトレーナーの負傷の様子は頑なに語ろうとしない。それがなおさらウズの不安をあおった。
 エリートトレーナーの怪我が軽ければ、四つ子は一切お咎めなしだ。
 もし怪我が重ければ、四つ子はそれぞれ一ヶ月間の自宅謹慎とポケモン取扱免許の仮停止を食らう。
 最悪、そのトレーナーが死んでしまったら。四つ子はポケモン取扱免許とトレーナー資格を剥奪された上で、刑事訴追を受けることになる。十で成年とみなされることから、重い刑罰が科されるだけでなく、四つ子の氏名も素性もすべてメディアに流され、その噂は遠い未来まで忘れられることはない。
 ぞっとする。
 ウズは眩暈を覚えた。四つ子の実家であるジョウト地方はエンジュシティの宗家にも、少なからず良からぬ影響があるだろう。もし、そうなったら。
「うっわぁぁぁマッギョだぁぁぁぁぁ!」
「セッカはもうマッギョ持ってるじゃないー」
「あー、マッギョ良いよなー。俺も欲しくなってきたわ」
「確かに……いいな」
 ウズの底なしの不安をよそに、四つ子は沼地のマッギョに熱視線を送っていた。


 灰色の石を積んだ壁に、苔むした青の屋根瓦の家並み。町の木々は秋の色に染まり、小雨にしっとりと濡れている。ちょっぴり不思議の町、クノエシティ。
 四つ子の、久々のクノエへの帰還だった。
 すぐにふらふらと散歩に行こうとする四つ子をやっとの思いで束ね、ウズは我が家に四つ子を押し込めた。
「ええか、じっとするでないぞ!」
「よっしゃ散歩いこーっ!」
「間違えた! じっとしておれ! これキョウキ! レイアもサクヤも!」
 朗らかに笑いつつ、セッカは久しぶりの我が家の廊下を駆け巡った。そのあとをピカチュウが電光石火で追う。キョウキが頭上のフシギダネと共に勝手知ったる台所へ入り、茶を淹れ始めた。
 サクヤはのんびりとゼニガメを連れて家の裏に回り、雨降る庭を眺めている。やんちゃなゼニガメはすぐにサクヤの膝を飛び出して、色づく葉で彩られた庭の池に飛び込んだ。
 レイアは早々に座敷に引きこもり、乾いた布でヒトカゲの体についた水分を黙々と拭き取る。その座敷に、家中を一周してきたセッカとピカチュウが飛び込んできた。
「おうち、いいね!」
「そうだな」
 そこにキョウキとフシギダネが湯呑を盆に乗せて運んでくる。
「サクヤはどこかな。ふしやまさん、呼んできてくれるかな?」
「だねー」
 板張りの廊下をフシギダネがのんびり歩いていくのを、ヒトカゲとピカチュウが追った。
 雨音がする。
 サクヤが縁側を伝って座敷に現れると、四つ子は誰が言うともなく車座になった。
 まず口を開いたのは、赤いピアスのレイアである。
「……やっちまったな」
 緑の被衣を肩に下ろしたキョウキも、柔らかな笑顔で肯う。
「やっちゃったねぇ」
 セッカも背を丸めた。
「うぇい」
 青い領巾を袖に絡めたサクヤは嘆息した。
「大事に至らねばいいが。僕らのためにも」
 雨音がする。
 四つ子が座敷に籠っているときはウズは座敷に入らない、というのがこの養親子間の暗黙の協定である。座敷は薄暗く、ひんやりと涼しく、古い畳の匂いがする。
 四つ子はぽつりぽつりと雨だれのように言葉を発した。
「……なんでこんなことになった?」
「何があったんだろうねぇ」
「なんでトキサあそこにいたんだよ」
「僕らに付きまとっていたのか?」
「それはねぇだろ」
「っていうかあの爆発はびっくりしちゃったねぇ」
「雷とドロポンと大文字とソラビいっぺんに撃つと、爆発すんだな……」
「ハイドロポンプの水分子が、雷によって水素分子と酸素分子に電気分解され、そこに大文字の炎が来て急激な化学反応が起こる、と」
「てめぇはよくそんな難しいこと知ってんな、サクヤ」
「え、じゃあ、僕のふしやまさんのソーラービームは何なのさ?」
「そういや、ソーラービームって何なんだろうなー」
「光エネルギーじゃないか?」
「え、じゃあつまりソーラービームってレーザー光線みてぇなもんなのかよ?」
「知らなかったなぁ。目に入ったら失明するね、絶対」
「えええ! やべぇソーラービームこええ!」
「まったくだな」
 フシギダネのソーラービームは怖い、という結論に落ち着いたところで、四つ子は揃って湯呑の茶を啜った。
 そして話を戻した。
「……トキサはその爆発に巻き込まれた」
「で、爆発を起こしたのが僕らだ、と」
「だから俺ら警察に逮捕されたの?」
「逮捕はされていない。ただの事情聴取だ。30分で解放されたろう」
「で、なんで俺らはクノエに帰ってきてんの?」
「トキサさんが重傷だったら、僕ら四人はひと月の自宅謹慎だよ。トキサさんが万が一亡くなった場合は、僕ら四人は今度こそ本当に逮捕されるねぇ」
「やだあああっ生きててトキサぁぁぁぁぁ」
「奴の生命力に頼るしかないな」
 四つ子の命運は負傷したエリートトレーナーにかかっている。今はただ、病院か警察からの連絡を固唾を呑んで待つしかない。
 セッカがしょんぼりした声を出した。
「……エンジュの父さん、怒るかなぁ」
「知るかよ。元はといや、俺らをポケモントレーナーにしたあっちが悪い」
 レイアが低く吐き捨てた。
 キョウキも湯呑の中の水色を眺めつつ微笑む。
「万一の時は、父さんに責任をとってもらおうね」
「むしろそれが当然の報いじゃないのか……」
 サクヤの声は雨音に吸い込まれていく。


  [No.1362] 謹慎中2 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:47:46   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



謹慎中2



 結果的に、負傷したエリートトレーナーは重傷どまりで、命は助かった。
 そして四つ子には、一ヶ月間のポケモン取扱免許仮停止と自宅謹慎が命じられた。
 ピカチュウもフシギダネもゼニガメもヒトカゲもみんなモンスターボールに仕舞われ、そして手持ちのボールが全て取り上げられると、四つ子は同じ顔を見合わせた。
「なんかさ、意外と寂しくないね」
「そりゃ同じ境遇の片割れが三人もいりゃあな」
「そうそう、ポケモンは一人旅の友だから!」
「まあ退屈はしないだろうが」
 そのように四つ子は呑気な自宅謹慎生活を始めようとしていた。食後の茶を四人仲良く並んで啜っている。
 そこに、四つ子の養親であるウズの叱責が飛んだ。


「トキサ殿にお詫びの手紙を書かんかい!」
 それは人として当然のことのようにウズは思っていた。しかし、生意気に成長した四つ子からは一様に不満の声が漏れたのである。
「ええー、なんでー」
「トキサさんが勝手に吹っ飛んだんだよ?」
「奴は僕のニャオニクスを無視した」
「あいつの自業自得だろ。俺らは何を謝りゃいいんだよ?」
 ウズは怒りにわなないた。
 一人旅をすれば、甘えたがりで自分本位な四つ子も人格的に一回り成長するかと期待して、ウズは心を鬼にして四つ子を危険な旅路に送り出したのだ。それがどうだ。
 生きることの厳しさを覚えた四つ子は、完璧なエゴイストに成長した。
 人の痛みに共感できない人間になった。自身の安楽な生活のことしか考えなくなった。
 ウズは両の拳を握りしめ、低く低く唸る。
「……欠陥じゃ……」
「血管? ウズ、血管切れそうなの? おこなの?」
「……おぬしらは人として大切なものが欠落しておる!」
 ウズは机を拳で思い切り叩いた。しかし、すっかり図太く成長した四つ子は、眉一つ動かさずにウズを眺めていた。そして隣に片割れが揃っていることを心の支えに、口々に反抗した。
「いや、大切なものって何ですか」
「俺ら何か間違ったこと言ってんですかぁ」
「育てた奴の育て方が悪かったんじゃねぇの?」
「感情論を押し付けられても困ります」
 そして四人揃って空とぼけている。
 ウズは嘆いた。
「……本当に、育て方を間違ったかもしれんな」
 深く項垂れると、ウズの白銀の髪がざらりと流れる。ウズはのろのろと台所に赴き、長年愛用し続けてきた包丁を取り出した。
「……けじめをつけねばならぬか……」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
 四つ子は揃って息を呑んだ。ウズは包丁を構えた。
「……世間様に顔向けできぬ。アホ四つ子よ、ここで眠れ……あたしも共に死んでやる」
「ぴゃあああああウズに殺されるぅぅぅぅぅ――!!」
 まずセッカが椅子から飛び上がり、食事室から脱兎のごとく逃げだした。きゃらきゃらと笑いながら、緑の被衣のキョウキが追う。赤いピアスのレイアがそそくさと続く。青い領巾のサクヤがウズに一礼して、四つ子は逃げた。


 四つ子はブーツなど履かず、袴に裸足のままで外に飛び出した。
自宅謹慎中なのに外に出ていいものかとも思ったが、あのまま家にいても養親の無理心中に付き合わされるだけ。裸足で外を駆け回った昔を思い出しつつ、四つ子はクノエシティに繰り出す。
湿った土と草と石畳を踏みしめ、樹齢1500年という不思議な大木を目指して走る。
しかしそれを邪魔するポケモンがあった。
「がるるっ!」
「うわっ!」
 突如目の前に現れたポケモンに驚き、先頭を走っていたセッカが飛びのく。残りの三人も息を弾ませつつ立ち止まった。
「……ルカリオだ」
「じゃあこいつ……って、うわぁー!」
 四つ子の前に立ちふさがったのは、波動ポケモンだった。標準よりも小柄なルカリオは、四つ子を目にしてにっと笑んだかと思うと、セッカに向かって容赦なく波動弾を繰り出してきた。
「ちょっやばいやばいやばい人間相手に波動弾はないって!」
 セッカが悲鳴を上げる。それに対するルカリオはわざとセッカから外すようにはしているものの、凄まじい威力の波動弾を何発も放ってくる。
「おいおい、進化して波動弾覚えたからって、人に向かって撃つもんじゃねぇぞー」
 レイアが声をかけるも、小柄なルカリオはひたすら楽しそうに波動弾を撃ちまくっている。炸裂音がいくつもいくつも、のどかなクノエに響き渡った。
 たまらずセッカが悲鳴を上げる。
「……ユディ! ユディ助けて! ウズとルカリオに殺されるぅぅぅぅ!!」
「いっぺん殺されて来いよ」
 その声は、四つ子の背後からした。
その声にルカリオがおとなしく腕を下ろしたのを見届けて、四人が振り返ると、そこには淡い金髪の、緑の瞳の青年が立っている。
 セッカは涙目で青年に飛びついた。
「なんでユディ! なんで故郷に帰ってきて殺されなきゃなんないの! 俺がいったい何をしたの!」
「ミアレでエリートトレーナーに重傷負わせたんだろうが? ウズから連絡来たぞ。おとなしく自宅謹慎してろよ、アホ四つ子」
 モノクロの服装に身を包んだ四つ子の幼馴染が、ほとほと呆れ果てた表情でセッカの額を思い切り小突いた。
 キョウキは笑ってとぼけ、レイアやサクヤは鼻を鳴らす。
 四つ子をひとしきり眺めると、ユディは微かに笑んだ。
「……久しぶり。元気そうだな。……靴はどこやった?」
「おうちだよ!」
「そりゃ威勢のいいことで。帰れ」
 ユディが合図をすると、彼の小柄なルカリオはその両腕で軽々と四つ子を全員担ぎ上げた。


 ルカリオのトレーナー、ユディは四つ子の幼馴染だ。彼は十歳になっても旅には出ず、クノエシティに残って学業を続け、そして現在はクノエの大学で法学を学んでいる。
ユディのルカリオは、四つ子とユディが幼い頃に見つけたケガをしたリオルが、ユディの手によって育てられついに進化したものだった。ユディもルカリオも、今日久しぶりに四つ子に再会したのだ。
 小柄ながらもルカリオが立派に成長したことに四つ子は感心しつつ、ユディに付き添われて、ルカリオに担ぎ上げられたまま、ウズの家まで引き返した。
 するとそこには、さらに別の客の姿があった。
「ありゃ?」
「モチヅキさんじゃないですかーやだー」
「うげっ」
 玄関先では、両手を腰に当てて仁王立ちする銀髪のウズと、黒の長髪を緩い三つ編みにして垂らした黒衣の客人が、ユディと四つ子を待ち受けていた。
 ユディがルカリオに合図する。
「下ろして」
「がるっ」
 そして四つ子は無造作に落とされた。
雨で濡れた地面にごろごろと四人は無様に転がるも、誰よりも素早く起き上がったのは青い領巾のサクヤである。
「……モチヅキ様」
「……身なりを整えてこい。話がある」
 泥まみれの四つ子をモチヅキは一瞥するなり、ウズの家に入っていった。
 四つ子は予想外の来客に、半ば呆けて地面に座り込んでいた。その隣で、ルカリオを傍らに伴ったユディが苦笑する。
「相変わらずおっかないな、モチヅキさん……。というか激怒してたじゃないか。お前らのせいだぞ、アホ四つ子?」
「……何をそんなに怒ってんだか。また説教しに来たのかよ、あいつ」
 赤いピアスのレイアが溜息をつく。キョウキもセッカもサクヤもそろそろと立ち上がった。
 家の前で四つ子の帰りを待っていたウズは、四つ子を連れてきたユディを労う。四つ子の幼馴染であるユディは、やはりウズとも昔馴染みだ。
「ユディ、いつもうちの四つ子が世話になるのう」
「いいよ、ウズ。で、こいつらどうする? 風呂までルカリオに運んでもらうか?」
「ふん、庭で水浴びで十分じゃろ」
「はいよ。ほれ来い、アホ四つ子」
 ユディがルカリオに命じ、四つ子を再び担ぎ上げさせた。左腕に二人、右腕に二人。それがルカリオの剛力で細腕に締め上げられるのだから、それは四つ子にとってなかなかの拷問であった。
 ウズが裏庭へと案内し、四つ子を抱えたルカリオとユディが続く。
 それから四つ子は秋の庭でユディとルカリオによって無造作に頭から盥の水をかけられ、泥を洗い流されて、座敷に戻ってはウズが自分で仕立てた着物に着替えさせられた。
四つ子の養親のウズは、和裁士をしている。ここクノエのジムリーダーであるマーシュがデザインした着物ドレスを仕立てる仕事も、ウズは以前からたびたび請け負っていた。
四つ子の親で存命なのは父親だけだが、その父親から四つ子に与えられたのは、ウズ一人、ただそれだけだった。ウズの和裁の腕一つで四つ子は十まで育ったわけで、それだけウズの縫製の技術は高い。そのため、四つ子の着るものはすべてウズの手作りである。
 そんなウズが作った揃いの柿茶色の着物で身づくろいをし、四つ子はぞろぞろと応接間に向かった。
 不愛想な黒衣のモチヅキの説教を受けるためだ。


 モチヅキは応接ソファで足を組み、肘掛に頬杖をついてじとりと四つ子を眺めている。ウズが茶と茶菓子の栗きんとんを人数分だけ盆にのせて運んできた。
ウズとユディはモチヅキの両隣に配置された一人掛けのソファにそれぞれ腰を下ろし、そしてその向かい側の三人掛けのソファには四つ子がぎゅう詰めにされた。
 沈黙が落ちた。
 銀髪のウズは澄まして茶を啜っているし、淡い金の髪のユディは栗きんとんを黒文字で上品に切り分けて口に運んでいるし、――そしてその二人の間に挟まれた黒髪のモチヅキは、ひたすら不愛想に頬杖をついたまま四つ子を眺めていた。
 四つ子はもぞもぞした。
 モチヅキは裁判官である。華族の血筋を引き、ウズや四つ子の父親とも親交があったとかいう縁から、何かと四つ子を支えてきてくれた四つ子の恩人だ。しかしモチヅキは昔から、この通り、大変気難しい性質の人物だった。
 ウズとユディが二杯目の茶を飲み干しても、モチヅキは四つ子を凝視したまま微動だにせず、その間四つ子は茶にも菓子にも手を付けず、ひたすらもぞもぞしていた。
 一杯目の茶が冷めきったところで、ようやくモチヅキが口を開いた。
「……これだから、学のない童は好かん」
 モチヅキの暗い眼が四つ子を凝視し続けている。
 へらりと愛想笑いをしているのは緑の被衣のキョウキだけだった。
「すいませんねぇ、なにぶん学資がないもんで」
「旅路にて学べることもあろう。旅は独りでするものではない。……助け合うことの尊さ、人心を慮ることの大切さは学べなんだか」
「ええと、モチヅキさんは何が仰りたいんですか? 学のない童にも分かるように簡潔明瞭にお願いします」
「生意気な……」
 黒髪のモチヅキは、頬杖をついたまま静かに言い放つ。
その隣で、銀髪のウズがうんうんと頷いていた。
 金髪のユディもじっと四つ子を眺めていたが、彼はふと息を吐き出した。そしてユディは幼馴染の四つ子に問いかけた。
「そのエリートトレーナーに対して、お前ら、悪いと思わないのか?」
「……悪くないもん」
 幼馴染の問いに、セッカがすねたような口調で応じる。ユディは顔を顰めた。
「お前らのポケモンのせいで、その人は怪我をしたんだ。お前らは、手持ちのポケモンたちのおやだろう。ポケモンのやったことに、責任を持つべきだ」
「……責任を持つって、何すりゃいいのさ」
「まず、謝れよ。直接会えないなら、手紙を出せ。早急にだ」
「……何を謝るのさ。……何を謝んないといけないのかもわかんないのに謝ったって、トキサも困るだけじゃんか」
「お前らのポケモンが、その人にひどい怪我を負わせたことについて、だ」
「――だってさ、事故じゃん!」
 セッカが叫ぶ。
「四人で考えてみたけどさ、悪いのはトキサだもん。……俺らが謝るのは納得できない!」
 ユディも穏やかに言い返す。
「何をムキになってるんだ。変な意地張らずに、素直に謝っとけ」
「……とりあえず謝ればそれで済むのか? 謝って世間体的に穏便に済ませろってか?」
「謝るのが常識だろ」
「常識常識って、うるっさいなぁ! ウズは感情的だし、ユディはなーんも考えなしだし、もうやだ。ばーかばーか」
 セッカはそっぽを向いた。
 赤いピアスのレイアは腕を組み、青い領巾のサクヤは俯いている。緑の被衣のキョウキだけは、ほやほやとにこやかだった。
「これだから学のない者は」
 モチヅキが再び吐き捨てる。それから静かな声音で問いかけた。
「その重傷のトレーナーがこれからどのような道を歩むか、想像できるか?」
 モチヅキが視線を投げたのはサクヤである。青い領巾のサクヤは背筋を伸ばしたが、すぐに言葉に詰まった。
「……しばらく入院、……」
「病院によると、かの者は今後一生、立つことも話すことも一切かなわぬ身になるそうだ」
 四つ子は黙り込むしかなかった。
 エリートトレーナーのトキサが重傷を負いはしたが死は免れたことは、四つ子も聞き知っていた。しかし具体的にどのように重症なのかは、四つ子は今の今まで知りもしなかったし、興味すらなかったのである。
 重症と聞いても、たかだか骨折か内臓破裂か。現在の医療技術なら、時間さえかければすっかりトキサも回復するだろうと四つ子は高をくくっていた。
 まさか、後遺症が残るなどとは思いもしなかった。
 モチヅキは淡々と言い募る。
「手術、入院、介護用品には費用がかかる。しかし今の法律では、ろくな見舞金すら取れもせん。が、それだけで済む話でもない。己が力で食事も排泄もできぬのは若い者には惨めであろうな。ポケモンと共に夢の舞台に挑むことも叶わなくなったのではあるまいか」
 モチヅキはふと口を噤んだ。
 やがて再び口を開き、囁いた。
「まあ私にもそなたらにも、その者の苦痛を想像することしかできん。……そなたらの行動一つ、言葉一つが、その者を絶望に陥れることも、また救うこともある。……それは心がけておけ」
 それだけ静かに告げると、モチヅキは茶菓子を口に運んだ。なので、レイアもキョウキもセッカもサクヤもそれに倣う。ほくほくと甘い栗きんとんを味わい、冷めた苦い茶で流し込んだ。
 そしてモチヅキはさっさと席を立った。


  [No.1363] 謹慎中3 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:48:46   58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



謹慎中3



 モチヅキがウズ邸から去ると、四つ子は揃って大きく息を吐き出した。
「俺あいつ苦手だわ」
「いつも怖いよねぇ」
「怒ってたよな……」
「怒っておられたな」
 四つ子の向かい側の応接ソファでは、こちらも緊張が解けたらしいユディも姿勢を崩していた。
「ははは。……モチヅキさんは、こういう事件が特にお嫌いだからな」
「ありゃ、そうなん?」
 首を傾げるセッカに、ユディは小さく頷く。
「こないだ、法学部の刑法のゼミで『ポケモントレーナーによる傷害事件』ってテーマで論文書いた時、モチヅキさんに色々と教えていただいたんだけどさ」
「うわお、ピンポイント」
「だろ? で、まあそん時のモチヅキさんは、怖かった怖かった」
 ユディは淡い金髪を揺らして、くすくすと小さく笑う。
「現行法は人権軽視だって、そりゃあ凄みのある有り難い講釈を頂いたな。モチヅキさんって“反ポケモン派”なんだなと思ってさ。まあ裁判官やってると、そう思うのかもな」
「ジンケン……ケイシ……? 反ポケモン派?」
 セッカが首を傾げる。セッカの片割れ三人もいまいちピンと来ていない様子に、ユディはますますおかしそうに笑った。
「知らないか? ああ、想像もつかないか。お前らポケモントレーナーは“ポケモンのせいで死んでも怪我しても恨みっこなし”っていうポケモン教に憑りつかれてるって、本当か?」
「ちょ、ユディ、何が面白いんだ? よくわかんないぞ」
「ポケモン教、だよ。一種の汎神論というか、多神教というか、前近代的というか。……古代の人間は、自然やポケモンを崇拝し、自然やポケモンと調和して生きる道を選んだ。現代のトレーナーでもそういう考え方してる奴、多いよな」
 家の表までモチヅキを見送りに出ていたウズが、応接間に戻ってくる。しかしそれにも構わず、ユディは喋り続けた。
「近代では、個々の人権を尊重する考え方が生まれて、それが非合理的な身分制度を打破する力にもなった。……ん? ああ……ははははっ、そうか、なのに今は……面白いな」
「楽しそうじゃの、ユディは」
「そーなんだよウズ、ユディが面白くなっちゃった」
 セッカも眉をハの字にしてウズに気安く困惑を訴えた。
 ユディは笑いを抑えると、楽しげに四つ子を見やった。
「現代と、前近代は似ているな。そう思わないか、セッカ?」
「……んんん……?」
「現代のポケモントレーナーは、さしずめ前近代の貴族ってとこだ。そう、絶対的な特権と武力を持っている身分、そしてそういう身分制度がまかり通る社会。同じだな。だろ?」
「……?」
「近代の自由と平等を旨とした個人主義と民主主義はどこへやらだな。そうか、現代は誰でもトレーナーという特権身分を得ることができる。しかしその特権身分を持っていられるのは実力のあるトレーナーだけ。そうか、実力主義の身分制社会……」
「……おーい、ユディ?」
「平等に機会を与えて、強い者が生き残って、合理的な身分制度を可能にしたのか……? 合理的? 強い者の支配を許すという多数者の意思? 自身こそが強者であるという慢心? ――そしてその幻が破れるのは、トキサさんのようにトレーナーとしての成功の道から外れたとき、か……」
 ユディはひとしきりぶつぶつと独り言を呟くと、ふふふふふふと密やかに笑い出した。四つ子は顔を引き攣らせた。ウズは慣れっこらしく澄ました顔で、急須に新しい茶葉を入れている。
「面白いな。……これが世界の真理なのか?」
「大変だよキョウキ、サクヤ、レイア。ユディが真理を悟っちゃった!」
「さすがはユディだね」
「さすがだな」
「お前はやればできるって信じてたぞ」
 ユディは四つ子の賛辞とは無関係に、実に愉快そうだった。
「というわけだ、アホ四つ子。この現代社会では、公然と一見理不尽な差別が横行している」
 そうユディは四つ子を罵りつつ宣言した。
「ところが、差別が公然と横行できているのは、それが“理不尽”だと一般に認識されていないからだ。なぜなら、ポケモントレーナーには“誰でもなれる”からだ。誰もが特権身分に入れるなら、そのような差別も許される。大半の人間が、そう考えている」
 ユディは興奮したのか、ソファから立ち上がった。
「だが実際には、トレーナーでない人間の方が圧倒的に多い。なぜ非特権身分に甘んじる? 十未満の子供、病気の者、怪我の者、高齢の者、その他仕事などのためにポケモンの育成に時間をかけられない者。……ポケモンを育て武力を得る者が特権身分のトレーナー。トレーナー以外の人間は……それが理不尽な差別であることを普段は認識せず……差別が耐えがたい不合理なものであると感じるのは……すでに手遅れになった時……」


  [No.1364] 謹慎中4 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:49:50   57clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



謹慎中4



 四つ子がクノエシティに戻り、養親のウズの無理心中に付き合わされかけ、逃げ出したところを幼馴染のユディに連れ戻され、そして裁判官のモチヅキから説教を食らった、その翌日のことだった。
「ユディ君って、面白い子だよねー」
 そう言い放ったのは、鉄紺色の髪の、細身のポケモン協会職員だった。名をルシェドウという。
「今どきのガキにしちゃ、ポケモンバトルより勉強が好きなんて、確かに珍しいわな」
 そう朗らかに笑って応じたのは、金茶髪の壮年の大男、これもまたポケモン協会員である。こちらの名はロフェッカという。


 赤いピアスのレイアは顔を引き攣らせた。
「……なんで、俺んち知ってんの?」
「いやーここがレイアのお家だったとはね! というかエリートトレーナーのトキサ君を怪我さしたのがまさかレイアとその片割れさんたちだったとはね! いやー驚き驚き!」
 鉄紺の髪のルシェドウはテンションも高く、年若い友の背を叩きに叩きまくった。レイアが噎せる。
 ルシェドウとロフェッカの二人は、レイアが旅先で知り合ったポケモン協会員である。
レイアとこの二人は何かと縁があり、レイアも請われるままに何かと彼らの任務を手伝っているうち、いつの間にか友達とも呼べる間柄になってしまったのである。
 ルシェドウとロフェッカのポケモン協会職員としての任務は、実に多様だ。野生ポケモンの生態を調査したり、傷薬をはじめショップで販売されている道具の効果を確認したり、トレーナー同士の諍いを仲裁したりと多岐にわたり、一般トレーナーであるレイアも様々な珍妙な任務に付き合わされた経験がある。ちなみに、ルシェドウのこれまででの最大の仕事は、フレンドリィショップへのシルバースプレーの販売営業だったという。
 そのポケモン協会員のルシェドウとロフェッカは、四つ子の自宅謹慎が決まったその翌日に、四つ子の自宅たるウズ邸に現れ、応接間でのんびりと茶を啜っていた。
 ウズと四つ子もその応接間にいたが、その中でもレイアは機嫌が悪くしていた。
「……で、何の用だよ」
「いやー、ミアレシティでエリートトレーナーが重傷を負った事件で自宅謹慎になったトレーナーがいるから、その子のメンタルケアと、あとポケモンの取り扱いについての諸注意的な?」
「……俺がいるって知ったから、てめぇらが来たんだろ!」
「まっさかぁ。こういうのはね、普通は知り合いの元に派遣されることはないんだよレイア。だから何かの手違い手違い」
「てめぇらが断りゃ済んだ話だろうが!」
 軽いノリのルシェドウにレイアが激しく食ってかかる。四つ子の片割れたちは、レイアに良い友達ができて良かったとのんびり考えていた。


 傷害事件などを起こして自宅謹慎となったトレーナーの元には、ポケモン協会から職員が派遣される。
 職員はトレーナーと様々な話をし、今後はポケモンの取り扱いに気を付けることなどを訓告していく。そういう職員訪問が一週間に一度ほど、謹慎期間が明けるまで続くのだ。
 しかし、何の手違いでかそれとも確信犯でか、四つ子を訪問してきたのは四つ子の知り合いであるルシェドウとロフェッカだった。
 二人は職員としての任務を全うする気があるのかないのか、ひたすらリラックスした雰囲気でぺちゃくちゃと朝から昼までしゃべり続ける。
 こないだの仕事は虫よけスプレーの規格調査だった、フレンドリィショップに並べられているものを協会のお金で購入してありとあらゆる道路でスプレーの効果がしっかりしているか調べないといけなかった、おまけにそのついでか何か知らないけれどハクダンの森の土壌調査もさせられた。ポケモンの……から作る肥しも採集して自分で作ったり購入したりして、きのみの成長も観察した。めちゃくちゃ写真撮影の腕が上がった。云々。
 四つ子は、そのようなルシェドウの冒険譚を延々と聞かされていた。
 一方で、ロフェッカとウズは二人で世間話に花を咲かせている。
「――そうっすね、トレーナーによる傷害事件でトレーナーが訴訟を提起されるってのは近年じゃ滅多にありませんなぁ。国相手の訴訟もめっきり減りましたな」
「それも、一向に判例が覆らないからですかのう?」
「でしょうなぁ。高裁だとモチヅキ判事殿などは、随分と苦心されて被害者に有利な判決を下そうとされとるそうですが。それでも、最高裁の判断は未だかつて変わらずです」
「あたしとしてはこの四つ子が訴えられるとなっては困るんじゃが、しかしモチヅキ殿の考えられることも分からないでもなく。複雑じゃな……」
「世間の圧倒的多数は、歴代政権のトレーナー政策を歓迎しておりますしねぇ」
「これもユディが教えてくれたことじゃが、法学者の中でも近年は人権保護を強く訴える気風は薄れてきておるとか……」
「まあ何事も行きすぎは危険ってことですな。まあ我々ポケモン協会としては、トレーナー政策に頓挫されちゃあそれこそ商売あがったりって立場ですがね。まあ私個人としてはモチヅキ殿の人権保障にも共感はなくはないですよ。あくまで個人の意見ですがね」
 セッカはひたすら目を白黒させていたが、緑の被衣のキョウキと青の領巾のサクヤは何が面白いのか、そういったロフェッカとウズの間の小難しい話にも注意深く耳を傾けているようだった。


 ルシェドウのポケモン絡みの冒険譚にもひとしきり退屈し、セッカはロフェッカの難しい話も拾い聞きしていた。
そしてセッカは、ふとキョウキとサクヤに尋ねる。
「……あのさ、人権って何?」
 キョウキが答える。
「すべての人間が平等に持つ権利、だよ」
「たとえば、どんなの?」
「わかんないよ。モチヅキさんかユディに聞きなよ」
 その話に割り込んだのは、鉄紺の髪のルシェドウだった。
「人権保障はね、国家権力の支配に対抗するものだよ」
「わかりませーん」
 セッカが口をとがらせる。ルシェドウはにこりと笑った。
「人権は、国が侵害しちゃいけない個人の権利だよ。すべての人間が持つ大切な権利さ。例えば具体的には、殺されたり傷つけられたりしないための権利」
「……つまり、オレたちは、トキサを傷つけたから、その罰として自宅謹慎食らってるわけ?」
 セッカは首をひねって思ったことを述べてみた。しかしルシェドウもまた首をひねった。
「うーん、ちょっと違うかなー。まあ似たような感じだよ。人間が他の人間を傷つけるということが許されたら、世の中は大変なことになっちゃうでしょ? だから、法律で人間を傷つけた人には罰を下すように決めているんだー」
 でもね、とルシェドウは言い聞かせる口調である。
「でもね、セッカたちみたいな一ヶ月だけの自宅謹慎では、罰が軽すぎると考える人もいるんだよ。だって、トキサは一生寝たきりなのに、セッカは一ヶ月だけ家の中でおとなしくしてれば、あとは自由だものね」
「……そっか、そうだな。……釣り合わないよな」
 セッカも頷いた。
 そこでルシェドウは破顔した。
「でも、セッカ君やキョウキ君やサクヤ君やレイアが心配することは、なにもありません!」
「……んええ?」
「世の中の多くの人は、一ヶ月だけ家の中でおとなしくしていてくれればそれで十分だろう、って考えてっからねー。多くの人がそう考えてるから、そういう法律ができたわけですよ。だからセッカたちは、気にしないでよろしい!」
「え? ……えええ? それでいいのか?」
「いいんだよ。俺らやモチヅキさんみたいな実務家はそれでいーの、むしろそうしなくちゃならないの。……でもね、学者さんやユディ君みたいな学生さんは、今の法律や制度が本当に正しいのか、考えなくっちゃいけないよ。つまりユディ君はえらい!」
 そこでルシェドウは一人明るく拍手した。セッカもつられてぺちぺちと手を叩いた。
「ユディはえらい?」
「イエス! ユディ君はえらい! 無理難題の解決のため、少数者保護のため、世の中はきっとユディ君を必要としている! いけいけユディ君! がんばれユディ君! まあユディ君が頑張りすぎたら、たぶん君たち四つ子はすぐ牢屋行きだけどね。ドンマイ」
 ほお、とセッカは感心しきりで溜息をついた。
ルシェドウの隣ではなぜか金茶髪のロフェッカが吹き出すのを堪えていた。


  [No.1365] 謹慎中5 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:50:45   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



謹慎中5



 クノエでの四つ子の自宅謹慎生活は、穏やかに過ぎていった。
 ウズの手料理を食し、雨や野生ポケモンの心配をすることもなくぬくぬくと眠り、毎日温かい風呂に入る。毎日乾いた服を着る。久々にテレビを見る。
 謹慎の初日以来、裁判官のモチヅキは現れない。
 週に一度は、騒がしいルシェドウと気のいいロフェッカが押し掛け、四つ子に面白おかしい旅物語を聞かせるだけ聞かせては、去っていく。
 四つ子の幼馴染のユディは、ほとんど毎日、家の中に押し込められて退屈しきっている四つ子の元に遊びに来た。
 日々が穏やかに過ぎていく。
 ミアレシティでの一件が夢のようだ。
 けれど謹慎期間中は、四つ子は手持ちのポケモンたちのボールにすら触れることができない。テレビ番組でポケモンバトルを見ても、実際に自分たちが自分たちのポケモンで戦わなければ、おのずとバトル勘も薄れていく。
「……平和ボケする……」
 赤いピアスのレイアがぼやく。
「そうだね」
 緑の被衣のキョウキが同意する。
「この生活、確実に金かかってるよな」
 セッカは無表情だった。
「……謹慎生活を得るために犯罪に手を出すトレーナーも、いるかもしれないな」
 サクヤが呟く。


 養親のウズは毎日のように、四つ子が重傷を負わせたエリートトレーナーにお詫びの手紙を書けと口うるさく言ってくる。
 四つ子は聞き流す。
 幼馴染のユディも、そのエリートトレーナーのことが気になるのか四つ子を心配しているのか、大学で聞き知ったらしきポケモントレーナー優遇の現在の社会制度をぽつぽつと語っていく。四つ子に反省させようという目論見は、四つ子にバレバレである。
 反抗期も真っ盛りの四つ子は、ろくな関心を示さなかった。
 裁判官のモチヅキからは音沙汰ない。
 四つ子は特に気にも留めなかった。
 ポケモン協会から派遣されてくるルシェドウとロフェッカは、ひたすら呑気だった。四つ子に旅のすばらしさを吹き込み、これからも恐れず旅に飛び込んでいくことを延々と推奨しているようだった。
 四つ子は聞き流す。
 日々は平和で、単調で、すぐに四つ子の間でも話すことがなくなる。退屈を持て余し、テレビを眺め、暇つぶしに新聞を読んでは読めない漢字の多さに狼狽し、あるいはひたすら寝た。
 そうしてミアレのエリートトレーナーのことを考えた。
 四つ子は何もすることがなく、ひたすら布団に寝っ転がって、ぼんやりと考えた。
 あのエリートトレーナーも今、四つ子と同じように、何もせず、ただひたすら何かを考えて、天井を見つめているだろう。
 けれど、四つ子のこの生活はひと月で終わる。エリートトレーナーのこの生活は一生続く。
「トキサ、どうするのかなぁ」
 座敷に寝転がって、セッカは呟く。
「俺らのこと、怒ってんのかなぁ」
「彼の場合、カロスリーグに出られないことの方が辛いだろうねぇ」
 キョウキが他人事のように応えた。
「それよりも、あいつに怪我させた俺ら四人は普通に旅を続けられるってことの方が、やっぱこたえんじゃねぇの?」
 レイアも呟いた。
「どうにもならない。僕らの知ったことではない」
 サクヤが淡泊に切り捨てた。


 ウズが毎日口うるさいので、四つ子はとうとう、エリートトレーナーに宛てて手紙を書いた。
 毎日毎日、嫌がらせのように四人分の手紙を送り続けた。最初は何を謝ったらいいのか分からず、伝え聞きの拙い知識をひたすら紙上に展開した。しかしそういったものは四つ子自身には詳しくは理解できず、文字にしたためればしたためるほど混乱して、そして残ったのはただ現状への疑問と、不満と、焦燥ばかりだった。
四つ子は他にすることもないので、暇さえあれば辞書を片手に紙を睨んでいた。誰が最も優れた表現でお詫びの気持ちを表現できるかの競争に、四つ子は明け暮れた。
 早く、自由になりたかった。
 不自由は、ある意味ではあのエリートトレーナーのせいであり、ある意味ではそうでない。その葛藤を、似通った単語の羅列に込める。
 すみませんでした。許してください。早くここから出たいです。こんな生活はお金がかかります。ウズへの借金が増えます。そうしたらまた旅で貧乏暮らしをしないといけません。お金が欲しいです。バトルをして勝ちたいです。賞金が欲しいです。カロスリーグで好成績を残して賞金がたくさん欲しいです。強いトレーナーに勝ってたくさん賞金を巻き上げたいです。
 俺たち、僕たちには戦うしかないんです。
 旅をしないと生きられないんです。
 だから許してください。
 もう周りの人を不幸にしません。
 不必要に大技ばかり使いません。力を誇示したりしません。
 もっとよく考えてポケモンを戦わせます。
 がんばります。
 だからトキサもがんばってください。
 いつか、寿司を奢ってください。


  [No.1366] 夕海 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:51:46   53clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



夕海 上



 とある昼下がり。
 肩にピカチュウを乗せた袴ブーツのポケモントレーナー、セッカは、ショウヨウシティをそぞろ歩いていた。南東のコウジンタウンから8番道路のミュライユ海岸を辿って、何となく辿り着いた街だ。
ショウヨウシティにはショウヨウジムもあり、セッカはこのジムのバッジを所持していなかったが、あいにくセッカはバッジを集める気がない。セッカがふらふらとポケモンセンターを探していると、不意に肩の上のピカチュウが鋭い声を発した。
「ぴかっ!」
「ほぎゃあっ!」
 セッカは、左から来た自転車に吹っ飛ばされた。
 ピカチュウは宙で体勢を整えて地面に着地し、相棒を振り返る。
ピカチュウの相棒は、うつ伏せに潰れていた。
「……ぴかちゃあ!」
「うう……ぐううう……大丈夫だぜピカさん……」
 セッカはよろよろと起き上がり、道に座り込んだまま葡萄茶の旅衣から砂をはたき落とした。頬に擦り傷ができたらしく、じくじくと痛む。顔面も砂だらけだ。
 惨めさにセッカは涙ぐむ。
「ぴかぁ……」
 セッカの膝に飛び乗ってきたピカチュウの頭を撫でつつ、セッカは走り去っていった自転車を眺めた。一つに束ねた茶髪が夢のように風に靡いているのが目に焼き付いた。
「……ピカさん……見たか?」
「びがっ!」
 血の気の多いピカチュウはぴくぴくと耳を動かす。セッカは自転車の走り去った方角を見つめ、低く囁いた。
「……許さねぇ」
「べがちゅっ!」


 ショウヨウシティの外周には自転車コースが張り巡らされている。そこをスポーツ自転車が、風のように矢のように砲丸のように駆け巡る。町の外から訪れた旅のポケモントレーナーにとってはたまったものではない。
「……せめて信号とかつけろよ。それがだめなら踏切つけろよ。腹立つわ……ったく」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカは、道路脇の茂みに潜みつつぶつくさと文句を言う。それにいちいちピカチュウも同意してうんうんと頷いてくれる。
 その間もセッカは自転車コースの彼方を注視し続けていた。
「るるるっ」
 上空に浮いていたガーデンポケモン、橙色の花のフラージェスが、セッカに標的の現れたことを告げる。
「ありがとう、ユアマジェスティちゃん」
 標的が着実に罠に足を踏み入れつつあることに、セッカはにやつかずにいられなかった。
「くっくっく……許さねぇ」
 しょりしょりしょり、と軽やかに車輪の回る音が聞こえる。セッカは自転車が嫌いである。ついさっき嫌いになった。
 自転車が近づいてくる。
 茶髪の少女がショウヨウシティを一周して戻ってくる。そこでセッカは吹き出した。
「奴めミニスカで自転車乗ってやがる……! けしからんッ」
 自転車コース脇の茂みから、セッカとピカチュウは憎悪を込めた眼差しで少女を睨んだ。
「成敗してくれる! 行けっ今だデストラップちゃん!」
 茶髪のミニスカートがセッカとピカチュウとフラージェスの正面を通過する。
 少女は瞬時には気づかなかったに違いない。彼女の自転車が踏んでいたのが地面ではなかったことに。
何せそのポケモンは平たい。ぴり、と電流が走った。
「えっ?」
 少女は、二つの茫洋とした眼が、地表から自分を見上げているのを見た。
 マッギョはにんまり笑った。
「――きゃあああああああっ!」
 トラップポケモンの10万ボルトが炸裂した。


 セッカは大の得意で茂みの中から道路に飛び出した。
「はっはー! どーだ参ったかデブ女ぁ!」
「きゃああああっ! きゃあああああ――っ!」
 そのぽっちゃり体型の茶髪のミニスカートは、奇声を発しながら、セッカの黒い前髪をわしづかみにした。
「ぴぎぃ!?」
「きゃああっ! きゃあああああっ! きゃあああああ――!」
 そのまま少女はセッカの前髪を引きずってショウヨウシティにずんずん入っていった。セッカは痛みにぼろぼろ泣いた。
「いひゃい! いちゃい! いやっ離してぇっ」
「きゃああああああ――っ!!」
 そして茶髪のミニスカートは、人通りの多い通りまでセッカを引っ張ってくると、群衆の注目を集める中で思いっきりセッカの頬をひっぱたいた。
「痴漢!!!」
「ひどい!」
 少女はぼろぼろ泣いていた。セッカもぐしゃぐしゃに泣いていた。
「何よ何なのよもう何よ!」
「こっちの台詞よ!」
「うるさいわよこの痴漢! 警察に突き出してやる!」
「そっちこそうるさいわねっ! そっちが悪いのよっ!」
 セッカはなぜかオネエ言葉になりながら、少女の非を強く主張した。
「あんたっ、俺のこと自転車で轢いたじゃないのよ! 轢死するとこだったわよ!」
「あんたこそ、あたしのパンツ覗いたじゃない!」
「覗いてない!」
「覗いてたっ! あんたのマッギョがガン見してた! にんまり笑ったじゃない!」
 セッカは怒りにぶるぶる震えた。このミニスカートの無知蒙昧さに非常に腹が立った。マッギョが笑うのは、敵がマッギョを踏みつけにしたがために反射的に電流を流すときなのだ。マッギョの頬のあたりの筋肉が電気で引き攣るから、マッギョは笑顔になるのだ。マッギョの笑顔は獲物を捕らえた冷酷なる歓喜であり、死の宣告なのだ。
「あんたは俺のマッギョを分かってない! そもそも俺のデストラップちゃんは、れっきとしたレディーだ!」
「雄だろうが雌だろうが下着覗いたらセクハラよ! あんたのポケモンがセクハラしたらあんたがセクハラしたってことじゃない!」
 セッカの怒りのボルテージがマックスに達しようとしていた。まったく許せない、俺の大事なデストラップちゃんに冤罪を擦り付けようなどと。
「俺は悪くないもん! ばーかばーか!」
「訴えてやる! あんたのトレーナー人生お終いね!」
「ばーか! ブースブース! 大体ミニスカで自転車こいでる方が悪いんだ!」
「……人の勝手でしょ!」
「ふっとい足見せやがって目に毒なんだよ! 誰があんたの下着見て喜ぶかい! 汚いもんさらすな! ブス!」
 セッカは思いつく限りの罵詈雑言を吐き散らした。
 すると少女は黙り込んだ。
 セッカはふんと鼻を鳴らした。
「ふーんだ。ばーか。自転車で人のこと轢きやがって、ひどいよなー、なあピカさーん」
「……いや、お前さんも大概だぞ……」
 壮年の呆れ果てたような男の声に、セッカはむっとして顔を上げる。
 そして金茶髪の大男を目にし、彼は瞳孔を弛緩させた。
「うわっ、おっさんだ」
「おっさんじゃねぇ、ロフェッカだ」
 セッカはその大男を見知っている。かつてセッカが傷害事件を起こして自宅謹慎処分になった際に、彼を尋ねてやってきたポケモン協会の人間だ。セッカの片割れの一人の友達であるという話も聞いた。
 そのロフェッカが、ショウヨウシティの群集の中から一人だけ前に出て、セッカと少女の傍に立っている。
 髭面のロフェッカはどこか苦々しい顔をしつつ、セッカの頭を軽く小突いた。
「女の子にブスはねぇだろ、クソガキが」
「いだいっ」
 ロフェッカは太い指でセッカのぷにぷにした頬を思いっきりつねりあげると、少女を振り返った。そしてポケモン協会の所属を表す腕章を示し、少女に慎重に声をかけた。
「すまんな、ポケモン協会のもんだ。こっちはまあちょっと顔見知りの悪ガキでな、……良かったら、ポケモンセンターででも、詳しい話を聞かせてほしいんだが」
 少女は顔を泣きはらしていたが、渋々頷いた。


 そして三名はショウヨウシティのポケモンセンターにやってきた。
 受付のジョーイさんに一言断りを入れた上でロビーに陣取り、ロフェッカは二人の若者を向き合わせた。袴ブーツも、ミニスカートも、改めてみると双方共になかなか凄まじいボロボロ具合である。
 時間をかけて、しょっちゅう感情を高ぶらせる若者二人を宥めつつ、二人の話をすり合わせる。
 ミニスカートの少女の名はセーラといった。ことのあらましはこうだ。
まず、セーラが自転車でセッカをはね飛ばし、そのまま逃走した。セッカは復讐を企み、セーラの通り道にマッギョを配置した。マッギョはセーラに10万ボルトを浴びせ、復讐は完遂されたかに見えた。
しかし、セーラはマッギョにセクハラをされたと思い、マッギョのおやであるセッカを公衆の面前で痴漢だと非難した上、平手打ちを食らわせた。それに対しセッカは罵詈雑言を浴びせかけた。
「……どっちもどっちだな……」
 ロフェッカは苦笑して唸った。
 セッカとセーラは不機嫌も絶頂に、互いにそっぽを向いたままである。
「お互いにごめんなさいして、仲直りってことにしようや?」
「やだもん」
「絶対、嫌」
 ロフェッカの提案は双方から断固として拒否された。
 双方共に身体的にも精神的にも傷を負っているのだ、相手を許すことはたとえ大の大人であっても困難だろう。
 それはロフェッカにも理解できる。
 しかし、ポケモン協会員であるロフェッカとしては、ポケモントレーナーのいざこざは早めに解決して、複雑な訴訟事件などに発展しないようにしておくに限る。だからセッカやセーラの保護者にも連絡をせず、ポケモンセンターという公共中立の場で、本人たちの間だけで調停を試みているのだ。そもそも、十歳で一応は成年とみなされているという事情もある。
 だが、そのような大人の事情を、セッカやセーラが理解できているとは思えない。
 さてどうしたものかとロフェッカは困り果てた。偶然仕事でショウヨウシティのポケモンセンターの設置機器の点検をしに来たと思ったら、これだ。ポケモン協会員は面倒事に首を突っ込むことが義務付けられている。因果な商売である。


 結局、セーラは用事があると言って、怒り狂いながらポケモンセンターから出ていってしまった。
 残されたセッカも未だに腹を立てっぱなしである。ロフェッカはやはり苦笑しつつ、セッカにサイコソーダを奢ってやった。
「ほい、セッカ。ピカチュウにも。おっと、あの女の子には内緒な?」
「うわー、えこひいきだ。……サンキューおっさん」
 不機嫌な口調ながら、セッカは微かに笑っている。黙々と甘い炭酸をピカチュウと並んで味わっている姿はどこか微笑ましかった。
 ロフェッカも、セッカの向かい側のソファにどかりと腰を下ろした。
「……セッカお前、ほんとレイアにそっくりだよなぁ。怒って眉間に皺寄せてるときとか、ほんとそっくりでビビるわ」
「なに、そんなこと考えてたわけ? 当たり前じゃん。こっちが何年、一卵性四つ子やってると思ってんの」
「そう言う問題かぁ?」
「……レイアなら、女の子に酷いこと言わないだろうな」
 セッカは視線を伏せて、赤いピアスの片割れを思い浮かべているらしい。しかしすぐに、あいつはモテたがりだからな、と一人でぷくくと笑っている。
「キョウキならね、老若男女構わず、ものすごい毒舌だよ。すさまじい皮肉を連発すんの。……サクヤは下品なことは言わないけど、ものすごい眼で睨んで、すぐ殴りかかるな。あいつ意外と武闘派だから」
 セッカは続けて緑の被衣の片割れと、青い領巾の片割れのことも思い出している。機嫌がよくなったのか、体をぴょこぴょこと左右に揺らし始めた。
「あーあ、れーやときょっきょとしゃくやに会いたいなぁ。なあピカさん、ピカさんだってサラマンドラやふしやまやアクエリアスに会いたいよな? ずっとプラターヌ博士の研究所で一緒だったんだもんなー」
「ぴかー」
「えへへ、三人は自転車に轢かれて痴漢って決めつけられてビンタされたことあんのかな。ねぇだろ! ねぇよ! そんなことされたトレーナーは世の中に俺だけだろ!」
「ぺがっちゅ!」
「だよなぁ、そうだよなぁ、酷いよなー。分かってくれるか、ピカさんだいしゅきー」
「ぴゃあー」
 そうしてセッカは相棒としばらくいちゃついていた。ピカチュウの柔らかな毛並みを撫で回し、真っ赤な電気袋をふにふにつつき、耳の後ろをうりうりと掻いてやる。
 ひとしきり相棒と戯れると、セッカはぽつりと呟いた。
「……なんか、どうでもよくなっちゃった。ピカさんの癒し効果やべぇな。絶対マイナスイオン溢れかえってるって」
「お前さんがどうでもよくなっても、あちらさんはそうとは限らんぜ?」
 ロフェッカの指摘に、セッカは数瞬だけ黙する。
 そして、若いトレーナーは深く深く溜息をついた。
「……おっさん、俺、セーラになんか悪いことした?」
「確かに自転車に轢かれたのは、災難だったな。だが、普通はそこで復讐しようなんて考えねぇもんなんだよ」
「……だってさぁ。腹立っちゃってさあ。これはデストラップちゃんの罠にかけなきゃ気が済まねぇって……」
「目には目を、歯には歯をってか? だがセッカ、考えてみろよ。自転車の轢き逃げとマッギョの10万ボルトは、本当に釣り合ってんのか?」
「……知らないよ」
「だろ? だからどういう刑罰を科すかは、警察とか検察とか裁判所とかに任せときゃいいんだよ。そういうやつらが法律使って、正しい罰を与えてくれる。……セッカ、お前は何もするな。黙って警察行け、こういう時はな」
 うー、とセッカは唸った。背を丸めてピカチュウを抱え込む。ピカチュウはおとなしくされるがままになっていた。
「……だってさ、俺はさ、悪い奴なのにさ。警察怖いし……」
「なんだぁ、まさかまだ、あのミアレでのエリートトレーナーの事件がトラウマなのか? 意外と繊細なんだな?」
「茶化すなよ。トキサのことは本当に悪かったと思うよ、トキサは何も悪いことはしてないし。俺もあんま悪くないけど。……でも警察は……俺が警察に助けてもらうって……なんか変じゃね?」
「なに言ってんだよ。警察が守る相手を選り好みなんかできっかよ。奴らはな、場合によっちゃ犯罪者すら守らなきゃなんねぇんだよ。だからな、理不尽な目に遭ったら、迷わず周りの大人に助けを求めろ。いいな?」
「……努力しまーす」
 セッカは再びひとしきりピカチュウを撫で回すと、それから両手を振り上げてぐっと伸びをした。そして改めてその灰色の瞳でロフェッカを見やった。
「で? 俺はどうすればいいわけ?」
「おう……それなんだよ。あのお嬢ちゃんが家の人に話して、うっかり裁判沙汰になるってのが一番まずいパターンだ。……ま、もちろんお前さんのトレーナー業にほとんど支障は出ねぇだろうが、しかしセクハラで訴訟ってのは割とまずい」
「セクハラは冤罪なのに!」
「まあ可能性は低いが、万が一ってこともある。どうすっかな。……悪い、わからんわ」
「うっわ、無能」
 セッカに冷たく言い放たれるも、ロフェッカは大仰に肩を竦めるだけである。
「こっちだって知るかい。こういうのはできるだけ早めに和解に持ち込むしかねぇんだよ。もつれさせるな。特に若いポケモントレーナーは、すぐ何でもかんでも実力行使で解決しようとしやがる。この機会に学びやがれ、ガキが」
「……なんかよくわかんないけど、セーラに謝って許してもらえばいいんだな?」
 セッカは軽く立ち上がった。ぎょっと顔を上げたロフェッカに、明るく笑いかける。
「セーラ捜してくる!」


  [No.1367] 夕海 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:52:56   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



夕海 下



 セッカはピカチュウと共にポケモンセンターを飛び出すと、立ち止まった。
「どこ行こう、ピカさん」
「ぴかぁ?」
 早めに何とかした方がいいと聞き、とりあえず飛び出したはいいが、セッカには考えがなかった。
「ユアマジェスティちゃんに捜してもらう? アギトに捜させる? えー……うわー……飛行タイプ欲しいわー……」
 セッカの手持ちのフラージェスは浮遊することで空から人を捜すことは可能だが、素早さが高くないために機動的な動きはできない。ガブリアスは存在そのものがほぼ凶器であるため、セッカとしてはできるだけ人気のない場所でしか出したくなかった。
 仕方がないので、セッカは頭をひねった。
「うーんと、セーラは用事があるってポケセン出てっちゃったんだよな……。その前は、自転車でショウヨウシティをぐるぐる回ってた……。自転車はデストラップちゃんが黒焦げにして……ポケセン前に置いてて……セーラがどっか持ってっちゃった」
 あの黒焦げの自転車はまだ乗ることができたのだろうか、などとセッカは考えた。
「セーラは何か持ってたっけ? 自転車の籠とか……籠なんてなかったよな……ミニスカートで……どこへ行ったんだ?」
「ぴか、ぴかぴぃか」
「ああそうか、デストラップちゃんの電撃のせいであのミニスカも結構焼きが回った? っていうかボロボロになってたんだっけ。あんな格好で歩き回らないか。自転車で家に帰ったのかな?」
「……ぴかっ?」
「お、どうしたピカさん」
 セッカの肩の上でピカチュウが何かに気付き、激しく鳴きたてる。セッカはふらふらと通りに出た。
「ほぎゃあっ!」
 セッカは、右から来た自転車にはね飛ばされた。
 ピカチュウはまたも宙でうまく体勢を整え、地面に降り立った。そして相棒を振り返った。
「ぴかちゃあ――っ!」
「生きてる、生きてるぜ相棒……畜生……セーラめ……許さねぇ」
 セッカはふらふらと立ち上がった。
 その時だった。セッカをはね飛ばした黒焦げの自転車が大破し、それに乗っていたジャージ姿のセーラも、道路に吹っ飛んだ。
「セーラ――ッ!」
 セッカの叫びは驚愕ではなく、憤怒の雄たけびである。セッカは全身の痛みを引きずりつつ、のしのしとセーラの前に立ちはだかった。
「畜生二度までも! せっかく謝ってやろうと思ったのに! もう許さねぇ! ピカさんの神の裁きをお見舞いしてやる!」
「う……」
「どーだ恐れおののいたか!」
「……あんた……が……ふらふら……と……道路に出るからでしょうがッ!」
 セーラもよろめきつつ立ち上がり、そして勢いよくセッカに詰め寄った。
「もう何よまたあんたなの! いつもいつも何なのよ! やっぱあんたが犯人じゃない!」
「は?」
 セッカは呆けた。『やはり犯人だ』と決めつけられても困る。
「痴漢は冤罪だぞ!」
「じゃあ何よ、あたしが脱いださっきのミニスカート奪ってったのは何なのよ!」
「知るかよ! 脱ぎたてのボロボロのミニスカート奪うって、変態じゃねぇか!」
「あんたが変態じゃないの!」
「俺は違う!」
「この変態マッギョ野郎!」
「あってめぇは俺を怒らせた死んで償え全世界のマッギョに謝れひれ伏せピカさん雷!」
「待て待て待て待て!」
 セッカとセーラの間に割って入ったのは、ポケモンセンターから出てきたロフェッカである。
「おい……何が起きた!」
 完全に混乱しているロフェッカがジャージ姿のセーラに大声で尋ねると、ロフェッカやセッカには想定外の事態が発生した。
 セーラが泣き出したのである。
 セッカはひどく混乱した。
「あ……あーおっさんが泣かしたー! いっけないんだいっけないんだー!」
「うおおおおすまん! すみませんでした! ……セーラさん、とりあえずポケモンセンターに……何があったか教えてくれ……!」
 しかしセーラはしゃくりあげ続け、そのぽっちゃり体型の体を丸めて道路脇に座り込んだ。嗚咽が止まない。
 セッカもロフェッカも困り果ててしまった。泣いている少女をどう扱ったらいいものかわからず、立ちすくむ。
 そこで動いたのは、セッカの相棒だった。
「ぴぃか」
「……え……?」
 本来のワイルドで血の気の多い性格をひた隠し、セッカの最高の相棒は世界一キュートなアイドルを装った。とめどない涙で頬を濡らす少女にてちてちと歩み寄り、愛くるしいつぶらな瞳で誘惑する。人畜無害な電気ネズミは、すりすりと無邪気に少女に頬ずりをした。
「……あ……りがと……」
 セーラも少しは落ち着いたのか、セッカのピカチュウに震える指でそっと触れる。
 セッカは吹き出したいのを必死に堪えながら、相棒の奮闘を見守った。
 つい先ほど自宅でジャージに着替えてきたらしいセーラは、やがて震えながら小さな声を絞り出した。
「……家で……着替えたら……窓から、ポケモンが」
「ぴぃか? ぴかぴぃか!」
 今のピカチュウは、か弱き乙女に寄り添う妖精である。少女に同情を寄せ、少女の笑顔を取り戻そうと一生懸命に愛らしい声で励ます。セッカは面白さのあまり肩を震わせた。
 セーラは顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、愛らしいピカチュウに打ち明けた。
「……そのポケモンが、あたしのミニスカート、とって、逃げてったの……」
「よっしゃよくやったピカさん!」
 セッカが叫ぶ。セーラがびくりと肩を震わせ、セッカを見上げた。
 ピカチュウは未だに、無垢なる守護天使の役から抜け切れていなかった。
 セッカはふっと笑った。
「……わかった。ピカさん、セーラを頼む」
「おい、何かっこつけてんだ、お前?」
 そこにロフェッカのツッコミが入る。
しかしそれにはセッカは首を傾げて応えた。
「つまり、セーラが血相変えて走ってた方角に、その泥棒がいるんだろ? とりあえず捕まえてくるし」
 そしてセッカは腰からボールを一つ外し、それを両手で丁寧に包み込みつつ、中のポケモンを解放した。
「アギト」
 光に包まれて現れたガブリアスが、黄金の瞳でセッカを見つめ返す。


 セッカはガブリアスの肩に乗った。
 セッカはこのガブリアスドライブのための特製の鞍を所持している。ガブリアスの表皮は鮫肌になっているため、普通に肩車をしてもらうと股が血だらけになる。そのため、襟巻の風体をした鞍をガブリアスにつけ、その上で肩に乗るのだ。
「ポケモンを追って。東だ。ミニスカートを持ってる。デストラップちゃんが焦がした匂い。分かるな」
「ぐるる」
「おっけ、頼むぞ」
 ガブリアスは早々に匂いを捉えたと見えて、セッカを肩に乗せて走り出した。その一歩一歩は次第に大きな跳躍となり、あっという間にポケモンセンターもロフェッカもセーラも見えなくなった。
ガブリアスは通りの人々を飛び越え、ショウヨウシティの東を目指す。
そこは岸壁が立ちはだかっており、しかしそれすらもガブリアスは軽く飛び越えていく。迷うことなく崖の上を目指している。
暫く右に左に動いていたが、やがてガブリアスは一つの岩棚にぶら下がった。
「……地つなぎの洞穴?」
「ぐるるるるる……」
 ガブリアスは低く唸っていたが、鼻を鳴らすような声でセッカに合図をすると、その岩棚から跳躍した。
 ガブリアスが離れた箇所に、何かが撃ち込まれる。
 次の瞬間、打ち込まれたそれは発芽し、崖に根を張り出した。
「……宿り木の種?」
 岸壁に雨あられと降り注ぐ宿り木の種に、ガブリアスの肩の上のセッカはちらりと背後を振り返る。
 そこには切り株ポケモンのボクレーが浮遊していた。
 その小さな手に、焦げたミニスカートを持っている。
 再びガブリアスが岩壁に体を固定したところで、セッカは冷静に指示を飛ばす。
「アギト、ボクレーにストーンエッジ!」
同時にセッカはフラージェスを呼び出した。
 ガブリアスの撃った岩がボクレーを直撃する。一撃で瀕死にした。
「ユアマジェスティちゃん、サイコキネシスでこのボクレーを地つなぎの洞穴へ。ついでにミニスカートも……って、何だよその目は! 持ち主に返すだけだよ!」
 オレンジ色の花のフラージェスが、落下するボクレーと焦げたスカートをその力で受け止め、洞穴へと連れて行く。ガブリアスに合図をすると、セッカも地つなぎの洞穴に入った。
 洞穴の中は照明が取り付けてあったが、それでも薄暗く、ズバットの飛び交う微かな羽音が満ちている。
 セッカを肩に乗せたガブリアスに、瀕死のボクレーと焦げたミニスカートを念力で浮かせたフラージェスがついていく。
 ボクレーには電撃で焦げた衣類を集めるというような習性はない。そもそも、この地域にボクレーは生息しないはずだ。とすると、このボクレーにトレーナーがいる可能性は高い。
 ミニスカートを盗んだ変態はボクレーではない。ボクレーに盗ませたトレーナーだ。
 ガブリアスが迷いのない足取りで洞穴の奥へ進み、そして、とある岩陰にその鉤爪を突きつけた。ひっ、と小さく息を呑む音が聞こえた。
「あんたが、ボクレーのトレーナー?」
 セッカがガブリアスの肩の上から問う。しかしその男は岩陰から出てこようとしない。
 ガブリアスが、ざり、と岩壁を引っ掻いた。男は陰から滑り出てきた。
 痩せぎすの男だった。セッカは生まれて初めて遭遇した、使用済み少女服収集癖を持つ人種をまじまじと観察する。
 後ろめたいことをしている自覚はあるのか、男は呼吸が荒く、どこかそわそわと落ち着かなさげにしている。しかしガブリアスの黄金の瞳とフラージェスの黒水晶の瞳に凝視されては下手な手も打てないらしい。
「……とりあえず、ボクレーをボールに戻してくんない?」
 セッカの要求は受け入れられ、男は瀕死のボクレーをおとなしく自身のボールに収めた。
「じゃあ、ユアマジェスティちゃん、ちょっと重いだろうけどサイコキネシスでポケセンまで、この方をお連れして」
 項垂れている男を尻目に、セッカはガブリアスに引き上げを命じた。


 すでに夕刻となっていた。
 日が海の向こうに沈みかけ、空と海が緋色に染まる。
 ショウヨウシティのポケモンセンターの前には警察官が二人ほど来ており、ガブリアスの肩の上のセッカは彼らの注目を集めてびくりと身を縮めた。ミアレシティの事件以来、不必要なまでに警察の前で挙動不審になってしまい、それがさらに警官の不信を集め、そうしてますます警察が苦手になるという悪循環がセッカの中で成立している。
 しかし、警官と共にポケモンセンターの前に出ていたロフェッカは、セッカに向かって陽気に手を振った。
「よう、お疲れさん。大手柄だな」
「ううー……?」
 セッカは警官二人の物珍しげな視線に怯えつつ、そろそろとガブリアスの肩から降りた。ガブリアスは凝りを解すように肩を回し、そしてその腕の巨大な刃が振り回されるので、フラージェスのサイコキネシスによって宙に捕縛されている男が悲鳴を上げた。
 ロフェッカが片眉を上げる。
「この御仁か? セッカ」
「えっと……セーラのミニスカをポケモンに奪わせた人だよ」
「というわけです。このトレーナーが見事、犯人を捕まえてくれました」
 ロフェッカがセッカの肩に手を添えつつそう告げたのは、二人の警察官である。セッカは微妙にロフェッカの陰に回るようにしながら警官を観察した。ベテランと新人の二人組らしい。
 “ミアレシティでエリートトレーナーに後遺症の残る重傷を負わせた四つ子のトレーナー”。セッカはその一人であり、警察署にも30分間だけだがお世話になった。警察ならば、セッカの顔格好も知っているかもしれない。あるいは知らないかもしれない。
 しかし、若い警官はセッカに向かって笑顔を見せた。
「すごいですね! ありがとうございます」
「……は、はひ」
 セッカはロフェッカの陰でもじもじする。ところがそこにベテラン警察官の指摘が上がった。
「おい、まだわからん。この男が犯人だという確かな証拠は?」
 ロフェッカに促され、セッカはおずおずとこの男を捕まえた経緯を白状した。
「……ボ、ボクレーが。ボクレーが焦げたミニスカートの匂いして……ああアギトが嗅ぎ分けました! でででで、それで、ボクレーはこの男のポケモンです……」
「ほう」
 セッカの説明を受けて、ベテラン警察官はボールからラクライを出した。そしてラクライに、フラージェスがサイコキネシスで浮かしている焦げたスカートと、男が持つモンスターボールのにおいを嗅ぎ分けさせる。
 ラクライの反応に、ベテランの警察官は小さく頷いた。
「……そうか、正しいか。犯人逮捕にご協力いただき感謝する、若きトレーナー君」
 ベテラン警官は不愛想だった。その鋭くまっすぐな眼差しにセッカが挙動不審になっていると、その頭をロフェッカにぐりぐりされた。
「ありがとうって言われたら、どういたしましてって返すんだよ。んなことも知らねぇのかぁ、このガキは?」
「い、いでで、あ、『ありがとう』とは言われてないし……!」
「これはすまなんだな。ありがとう、若きトレーナー君」
「ありがとうございます。いやぁ、強そうなガブリアスとフラージェスですね!」
 ベテラン警官が目元を緩め、若い警官もいつの間にか手早く痩せぎすの男に手錠をかけながら朗らかにセッカを褒め称えた。
「……ふ、ふおお」
「ほれ、どういたしましては?」
「どぅお、どぅおういたすぃますぃとぅえ」
「おう、お疲れ、セッカ」
 ロフェッカに軽く肩を叩かれ、ポケモンセンターの中へと促される。セッカは振り返った。
 二人の警官はセッカの視線に気づくと、再び小さな会釈をくれた。セッカは小さく肩を竦めるようにやり過ごすと、何でもないかのようにガブリアスとフラージェスをボールに収めた。


 ポケモンセンターのロビーには、サイコソーダの瓶を手に、すっかり泣き止んだジャージ姿のセーラがいた。その膝の上にはセッカのピカチュウがいたが、これもかわいいマスコットキャラクターには随分と飽き飽きという感じであった。
「……おかえり」
「……おかえりって、なんか違くないっすか……」
 微妙に敬語になりつつ、セッカもロビーのソファに腰を下ろす。セーラと正面から向かい合う形ではなく、90度の角度で配置されたソファに沈んで、ちらりとセーラの方をセッカが見やると、耐えかねたピカチュウがセッカの肩に戻ってきた。
「ぴかっちゃ!」
「ピカさん、お疲れ。立派だったぞ、お前の雄姿……ぷ、ぷふふ」
「ぴ! ぴかぁぁっ! ぴかちゅうっ!」
 からかわれたピカチュウはムキになってセッカの頬をぺちぺちと小さな掌で叩く。セッカはえへへへと笑い、ソファの背もたれになだれかかる。目を閉じた。
 ガブリアスの肩に乗って走り、高速で空を飛ぶのは楽しいが、ひどく疲れる。特に今回のように崖登りをすることは、セッカの場合今までも数度あったことなのだが、ひどく上下に揺れるせいか三半規管がやられる。
 ロフェッカがもう一本、セッカにサイコソーダを奢ってくれた。しかしセッカは飲む気にもなれず、それを低い机の上に放置する。
 セーラは警官と一緒に署へ向かうなどということはせず、黙ってソファに浅く座っていた。自転車から落ちたためか体中のあちこちに絆創膏が張られていたが、セッカのマッギョが放った10万ボルトのダメージも含め、特に問題はなさそうだった。
「……あ、あの」
 セッカは低いソファの背もたれの上に頭を寝かせていたが、軽く目を開けて下目遣いで少女を見やった。眠かった。
 セーラもセッカの疲労は分かっているのか、そのような態度は気に留めず、ぼそぼそと言葉を繋ぐ。
「え、ええと、マッギョに覗かれたり、自転車を黒焦げにされたり、ブスって言われたり、あんたのせいであんたにぶつかって自転車から吹っ飛んだり……そういうことと、この変態泥棒の件は関係ないんですけど」
「そっすね。……俺はあんたに轢き逃げされたし、大勢のギャラリーの前で痴漢だって言われてビンタされたし、そのあともっかいあんたに自転車で吹っ飛ばされたし。まあそれとこの変態泥棒の件は関係ないし」
 セーラは言葉に迷うようだった。セッカは冷淡だった。
 沈黙が落ちる。
セッカはソファに沈みつつ、重い頭で考える。何だろう、なんか今、俺は今、少しだけかっこいい。体を張って、少女を困らせた変態を捕まえたのだから。しかしセーラを困惑させたいわけではない。
「なんかさー……」
 セッカもぼそぼそと言葉を発する。
「どうでもよくなった?」
「……変態泥棒のせいでうやむやにされた気しかしないのだけれど」
「どうせその程度だったんですよ。俺と貴方の間の情熱はね」
 セッカは茶化してそのように言ったつもりだった。しかし疲労のせいで言葉に元気が入らず、なんとも痛い発言となって空気に広がった。
 沈黙が落ちた。
「うー……」
 セッカが唸る。
「あの……とりあえずご迷惑をおかけしました。すみませんでした。ありがとう。おやすみ」
 それだけ言い捨てると、セッカは眠りの中に逃避した。


 ショウヨウシティでセッカが学んだことは、下手な復讐など企まない方がいいということだ。復讐は時に、相手の様々な予想外の心理的要素が絡まって、奇妙な方向へ飛んでいく。
 そして、問題を起こせば割とすぐに警察は飛んでくる。
 警察とは関わるものではない。
 おとなしく、清く正しく生きよう。
 そう思い決めたところで、セッカは瞼を開いた。
 夜のポケモンセンターは微かな豆電球を残して照明が落ちている。夜中に駆け込んでくる急患もあるためシャッターなどは下ろさず受付にも人があるが、ロビーは暗くセッカ以外に人もいない。
 セッカはソファに横たわっていた。顔のすぐ横には相棒のピカチュウが丸くなり、すやすやと寝息を立てている。
 セッカの体にはジャージの上着がかけられていた。
「………………」
 どう反応したらいいのか分からない。ソファの前の低い机には、セッカが飲まなかったサイコソーダの瓶が放置してある。腰のモンスターボールは外されて、これもまた机の上にあった。いずれも赤白の、標準のモンスターボール。バッジを一つしか持たないセッカが買えるボールはこの一種類だけだ。
 セッカがもぞもぞと身じろぎしていると、ピカチュウが目を覚ました。
「いま何時……?」
「ぴかー?」
 受付から、夜の11時です、と返事があった。
「あー、そうですか……」
 お礼を言うのも忘れてセッカは身を起こし、ぼんやりと他人の匂いのするジャージの上着をつまむ。
「ここで黙って消えたら、一番かっこいいんだろうなぁ。……レイアならそうするな。ふくく、ポケセン以上にいい宿なんてないのに、かっこつけちゃってさ」
 暗いロビーの中で、セッカは囁く。ピカチュウはまだまだ寝足りないと見えて、ふにふにとセッカの膝に両手と頭を置くと、むにむにと膝頭に毛づくろいでもするように顔を押し付け、そのまま寝入った。
 ピカチュウがこんなでは、格好をつけて夜中のうちに出ていくことはできない。なにしろ、受付の人という目撃者がいたのでは意味がない。こういうときは誰にも知られずに出ていくのが鉄則なのだ。だから逃げられない。
 ジャージの上着を返すときにセーラに何を言われるか、わかったものではないけれど。


  [No.1370] 明雪 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:38:29   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



明雪 上



 青い領巾が風にあおられ、舞い上がる。
 両手で抱えたゼニガメは風に目を細める。
 綿毛舞い飛ぶ風の町、フウジョタウンにサクヤは辿り着いた。すでに夕刻、辺りは闇に沈みかけて一層寒い。
 15番道路のブラン通りの終わりがけで綿のような雪が降り始めたため、慌てて町に入ったのだ。ポケモンセンターを見つけたときには、サクヤの相棒のゼニガメは寒さを嫌って甲羅の中に籠ってしまっていた。この寒い中でモーモーミルクを売り歩いていた人間はとても正気の沙汰とは思えない。
 暖房のきいたポケモンセンターに辿り着くと、じんわりと手足の指先に血が通い始める。まっすぐ受付に向かって、疲労の溜まっていたポケモンたちを預けた。ゼニガメをボールにしまおうとすると、いつの間にか甲羅から頭と手足を出していたゼニガメが勢いよく腕の中から飛び出し、勝手にどこかへ走って逃げた。仕方がないのでサクヤはゼニガメだけは預けず、そのまま素早くゼニガメを追って再び両手で捕まえた。
 そして痛む足を休めるべくロビーに向かって、サクヤは立ち止まり、眉を顰めた。
 しかし相手は、こちらに気付いた。
「あれ? えっ? ちょっ、えっ! サクヤ?」
「……貴様は」
「ルシェドウちゃんっで――すっ!」
 ロビーのソファから立ち上がり、両腕を広げてサクヤに歓迎の意を示したのは、鉄紺色の髪のポケモン協会職員、ルシェドウだった。
 サクヤの片割れの一人、赤いピアスをしてヒトカゲを相棒とするレイアが、旅先でこの人物と幾度となく出会っては協会の任務に付き合わされるのだと嘆いていた。
つい先だっての自宅謹慎の折には、そのレイアがいると知って、このルシェドウはわざと協会の任務を請け負って四つ子の元に現れた。
常識が欠如しているというか、職業人意識が薄いというか、とにかく頭の軽いこのようなタイプの人間はサクヤは苦手としている。
 しかしルシェドウはサクヤのそのような控えめな態度など意にも介さず、人懐っこく構い倒してきた。
「久しぶりじゃん、クノエ以来じゃん! 最初はまーたレイアかと思っちゃったよ! 任務先でレイア以外の四つ子ちゃんに会うの、初めてなんだよね実は! わーいサクヤだサクヤだゼニガメちゃんだぁ! かわいいなぁーよしよーし」
 ルシェドウがテンションも高くサクヤの頭に向かって手を伸ばしてきたので、サクヤは反射的にその手を叩き落とした。
 乾いた高い音がした。
 ルシェドウは一瞬目を瞬いたが、すぐに満面の笑顔になった。
「大好き」
「なぜそうなる」
 サクヤがあからさまな嫌悪を表情に表しても、ルシェドウの態度は改まらなかった。サクヤを半ば強引にソファに座らせ、遠慮なく自分はそのすぐ隣に収まり、馴れ馴れしくサクヤの肩に腕を回す。そしてサクヤの耳元で囁いた。
「サクヤくーん、アルバイトしてみない?」
「断る」
「あっちゃー、つれない!」
「僕は用事がある。他を当たれ」
「やだっ! やだやだやだ! 絶対サクヤ君と一緒に仕事するのぉっ!」
「うるさい」
「バイト代弾むから! あっそうだケーキ奢る! ケーキセット奢っちゃう! 高いとこのでもいいよ、ホール買ってもいいよ! ポケモンたちの分もきのみケーキ買ってあげるよ! サクヤ君甘党なんでしょ! ねえねえねえねえ」
「うるさい」
 サクヤは冷静にはねつけた。サクヤがこのフウジョタウンに来たのは、モチヅキに呼ばれたからだ。待ち合わせは二日後だが、それまでしばらくポケモンセンターでゆっくりすると決めたのだ。サクヤが甘党なのは真実だが、ケーキよりもモチヅキとの約束の方がサクヤにとってはずっと大切だった。
 しかし、ルシェドウは諦めが悪かった。
「もう、サクヤ君たら困ったちゃん! あ、あれっしょ? どうせモチヅキさんと待ち合わせでもしてるんっしょ?」
「……ふん」
「わお、当たっちゃったー! サクヤ君って本当にモチヅキさんのこと好きなんだね、レイアから聞いたし。ねえサクヤ君は、モチヅキさんとレイアだったら、どっちが好きなのっ!」
「黙れ」
「ねー、一日で終わるからさ!」
「うるさい」
「ほんっと冷たいねー。レイアはいっつもなんだかんだ言って手伝ってくれんのに!」
「知るか」
「モチヅキさんも、人助けもしないようなサクヤのことは嫌いだと思うよー?」
 サクヤはそこで、むつりと黙り込んだ。
 ルシェドウは明るくサクヤの肩を叩いた。
「ただの人捜しだからさ! 頼むよ相棒!」
「誰が相棒だ」
 サクヤは舌打ちした。
 このルシェドウというポケモン協会職員は、サクヤをせいぜいレイアの代わりとしか見なしていない。
これまでの人生を四つ子の片割れとして生きてきた中で、様々な人間やポケモンから、他の片割れたちと混同されてサクヤは生きてきた。だからなおさら、ルシェドウのような仕打ちが腹立たしい。
しかしそのようなサクヤの怒りなどつゆ知らず、サクヤの腕の中のゼニガメはいつの間にか、ルシェドウと意気投合してしまっていた。ゼニガメはルシェドウとハイタッチなどして、がぜん乗り気である。
 ゼニガメはきらきらと輝く瞳でサクヤを見つめた。サクヤは唸る。
「……アクエリアス」
「きゃーゼニガメちゃんかわいいっ! アクエリアスっていうの? 洒落た名前だよね、ていうかむしろ……駄洒落?」
「黙れ。キョウキが付けた名だ」
「ぶはっキョウキ面白れぇ!」
「いちいちうるさいな」
 サクヤはルシェドウの隣の席から軽い動作で立ち上がった。青い領巾がふわりと靡く。
 ルシェドウは寛いだ様子でサクヤを見上げた。
 サクヤの腕からゼニガメが飛び出したかと思うと、腹の甲羅でルシェドウの顔面を勢いよく圧し潰した。
「おぶぇっ」
「……預けた手持ちを受け取ってくる」
 サクヤは踵を返した。ルシェドウはゼニガメを膝に乗せ、ゼニガメとにんまりと笑い合うと、サクヤに向かってひらひらと手を振った。
「行ってらー」


 雪は止んでいた。
空の雲もいつの間にか吹き払われ、夜空には満天の星が輝く。
 サクヤはルシェドウを引きずるようにして、フウジョタウンの北を目指していた。
 コートを着込んだルシェドウはにやにやと笑った。
「張り切ってんね、サクヤっ」
「一日で終わらす」
「うんうん、俺も早く終わらせたいよっ。でもサクヤーっ」
「僕の協力が欲しければ、僕の言う通りにしろ」
「あれっ? 依頼したのは俺のほうなはずなんだけどなーっ?」
 サクヤの行動力に面食らいつつ、ルシェドウは機嫌よく北のフロストケイブを目指した。道すがら軽い調子でサクヤに話しかける。
「じゃ、とりあえず俺の手持ちを共有しとくね。俺が持ってるのは、バクオング、オンバーン、ペラップ、ビリリダマの四体です!」
「騒がしいパーティーだ」
「パーティーは楽しく騒ぐもんっしょ?」
 ルシェドウの洒落をサクヤは無視した。葡萄茶の旅衣をかき合わせて寒さをしのぐ。
「サクヤの手持ちも教えといてもらいたいんだけど?」
「ゼニガメ、ボスゴドラ、ニャオニクス、チルタリス」
「寒色パーティーなんだ。炎タイプいねーの? レイアなんて手持ちの四分の三は炎タイプなのに」
「あいつの好みなど知るか」
 フロストケイブの入り口に辿り着いたところで、ルシェドウとサクヤは立ち止まった。
 ルシェドウが、ボールから手持ちのオンバーンを出す。そしてサクヤを振り返った。
「人捜しなんで、オンバーンで辺りを探りながら、とりあえずフロストケイブの奥を目指します! 俺らが捜すのは、アワユキって名前の二十代の女性トレーナー。白いコートを着てるんだってさ」
 サクヤは鼻を鳴らしただけだった。
 ルシェドウは微笑み、ランプを点灯した。そして二人は、暗く寒い洞窟の中に足を踏み入れた。


 ルシェドウのオンバーンに導かれ、ルシェドウとサクヤはフロストケイブの洞窟内を進む。
 遭遇する野生のポケモンは、ほぼすべてオンバーンが退ける。ルシェドウはいかにも楽しそうに叫ぶ。
「爆音波! 爆音波! ばっくおんぱぐっ」
「うるさい」
 あまりの煩さに耐えかねたサクヤの手刀が、ルシェドウの脇腹に突き刺さる。ルシェドウは大きくのけぞった。
「いったぁ――い!」
「貴様がうるさいせいだ!」
 サクヤは肩で息をしつつ、こらえきれずに怒鳴る。
 ルシェドウが手持ちのオンバーンに命じる攻撃技は、もっぱら爆音波のみであった。それをこの狭い洞窟内で連発されるのだから、同行しているサクヤとしてはたまったものではない。ゼニガメもすっかり甲羅の中に引きこもり、サクヤも耳を押さえているだけで疲れてしまった。
 しかしルシェドウに反省の色はなかった。
「あっははっ、サクヤ君の今の顔、レイアに超そっくりー」
「僕の話を聞け!」
「聞いてる聞いてる。そう怒んないの。こうして騒がしくしてれば、アワユキさんもこっちに気付きやすいでしょー」
 ルシェドウはへらへらと笑った。サクヤの怒りも意に介さず、勝手に先へと進んでいく。
 サクヤは眉を顰めていたが、特に何も言わなかった。今回のルシェドウの任務についてはいくつか疑問があったが、何となくこのふざけたポケモン協会職員に質問をするというのはばかばかしい。
 サクヤが知っているのは、ルシェドウがポケモン協会の任務でアワユキという名の女性を捜しているということだけだ。
 その女性のみに何があったのかは、サクヤには分からない。
 サクヤの前を歩くルシェドウが、サクヤを振り返らないままくすくす笑った。
「サクヤって天然?」
「……は?」
 サクヤの短い吐息にも怒気がこもる。ルシェドウはなおも笑って歩く速度を落とし、サクヤの隣に並んだ。
「サクヤって意外と、間抜けだよね」
「…………」
 サクヤは立ち止まった。警戒心も露わに、ルシェドウから距離をとる。そして固い声音で言い放った。
「貴様、何を企んでいる……」
「何も? ただ、サクヤって俺のこと嫌ってる割には、俺のこと信じてこんなとこまで来てくれてるよな?」
 ルシェドウは肩を竦めた。そして気安げにサクヤの傍まで歩み寄ると、サクヤの肩を押して再び共に先へ進み始めた。
「サクヤは俺のこと嫌いだよねー。なぜなら、俺とモチヅキさんが仲悪いから。……なのに、サクヤは俺のこと信じてるよねー。なぜなら、俺とレイアが友達だから。違う?」
 サクヤは黙っていた。ルシェドウの言うことは正確ではなかったが、あながち外れてもいない。
「まあ、今はどうでもいっか。そろそろだと思うしねー」
「……そろそろ?」
「オンバーンの反応を見る限り、もうすぐアワユキさんに会えると思うよ」
 ルシェドウはまっすぐ前を、洞窟の暗い果てを見つめていた。
 サクヤは沈黙を守る。
 ルシェドウが歩きながらぼやく。
「ほんとさ、ポケモン協会って人使い荒いんだよねー。行方不明のトレーナーを捜しに行くとかさ。大概、まったく別の町とかでひょっこり生きて見つかんだよね」
「…………」
「でも、たまに森とかにトレーナー捜しに行かされるときとかは、俺も覚悟しなくちゃなんないんだよ。だって、自殺なさってる時とかあるんだもん」
「…………」
「普通に野生のポケモンに襲われてご遺体、ってパターンもよくあるよね」
「…………」
「自殺とか事故とかじゃなくて、他殺って場合もあるしさー。そうそう、その件の裁判で俺とモチヅキさんは因縁の間柄になったんだっけ。まあその話はいずれまた」
「…………」
「でも死体ならまだいいよね。本当に怖いのは、生きてる人間だよ。つくづくそう思う」
 ルシェドウは立ち止まった。
 サクヤも闇に目を凝らした。腕の中のゼニガメがそわそわと周囲を気にしている。
 オンバーンが微かに唸っている。洞窟内のやや開けた空間に出ていた。
 ルシェドウの持つランプ一つでは、辺りはほとんど確認できない。
 女の囁くような声が聞こえた。
 周囲に、より強い冷気が吹き渡る。
 ルシェドウが鋭く叫ぶ。
「――オンバーン、避けろ!」
 音波によって周囲の状況を探ることに長けた音波ポケモンは、ひらりと広い空間に飛び立つ。ルシェドウは咄嗟にサクヤの体を押し、一つの岩陰に共に身を潜めた。
 凄まじい冷気が辺りを覆う。
 ルシェドウは半ばサクヤを抱え込むようにしながら、くすくすと笑い、密やかな声でサクヤに尋ねてきた。
「サクヤ、見たー?」
「……何を」
「アワユキさん。まだ小さい娘さんを人質にしてたよ……」
 ルシェドウが何故か楽し気な声音でそう耳元で囁くものだから、サクヤはひどく顔を顰めてルシェドウから身を引き離そうとした。それを押しとどめられる。
「だめだめ。危ねーぞぉ……絶対零度が飛んでくる」
 ルシェドウのオンバーンは、暗闇の中でも危なげなく宙を動き回り、敵の攻撃に備えている。
 ルシェドウがランプを消すと、周囲は闇に閉ざされた。
 完全な暗闇に怯えたらしい。幼い子供の泣き声が、響いた。
ルシェドウが再び、サクヤの耳元で囁く。
「アワユキさんの娘さんだよ……。アワユキさん、娘さんと一緒にフロストケイブに入ってって、そのまま出てくるのが確認されてなかったのさ……」
「おい、貴様……いったい」
「アワユキさんの考えてることなんて知らねーよ……でも娘さんは保護しないと、な?」
 そしてルシェドウはのうのうとサクヤに向かって、手伝えよ、と嘯いた。


 遭難したトレーナーの捜索ではなかった。
 トレーナーの手によって危険な場所に連れ込まれた一般人の幼い子供の保護こそが、ルシェドウの第一目的だった。いや、ルシェドウ自身もまさかそれが最優先事項になるとは思いもしなかったかもしれない。ポケモン協会から与えられたルシェドウの任務は、フロストケイブで消息を絶った母子の捜索、ただそれだけだったのだから。
 子供の泣き声を遮るように、女性の鋭い叫び声が上がる。
「ソルロック、フラッシュ!」
 周囲に眩い光が満ちるのと同時に、サクヤはポケモンを解放した。
「アイアンテール」
 こちらも光と共に現れたボスゴドラが、鋼鉄の鎧の尾をソルロックに向かって振り回す。不意を突かれたソルロックがはね飛ばされ、洞窟の壁に叩き付けられる。
 ソルロックが女性の傍へふらふらと戻る。女性はもう一体のポケモン、トドゼルガを伴っていた。
 ルシェドウも、オンバーンに指示を飛ばした。
「爆音波!」
「トドゼルガ、地割れよ――!」
 女性の悲鳴にも似た指示が上がる。
 トドゼルガが、上体をのけぞらせる。
 大地を割る。
 飛行タイプを持つオンバーンや、頑丈の特製を持つボスゴドラはそのダメージを恐れることはない。しかし、アワユキの狙いは敵対する二体のポケモンを戦闘不能にすることではない。
 地面が隆起し、断層を生み出し、ルシェドウやサクヤ、そして地に立つボスゴドラの足場を崩す。物理的な距離を広げる。
 サクヤは瞬時にボスゴドラをボールに戻した。チルタリスを繰り出す。
「滅びの歌」
 オンバーンのトレーナーであるルシェドウが青ざめるのを無視し、サクヤはチルタリスにおぞましい歌を歌わせる。
 ルシェドウはアワユキに向かって、岩陰から緊張を削ぐような調子で話しかけた。
「アワユキさんですよねー? 娘さん、こちらに引き渡して頂けますかー?」
 白いコートの女性の足元には、十にも満たない幼い少女が小さく蹲っていた。その娘の硬直した様子が不自然で、そしてルシェドウやサクヤはすぐ、娘にはソルロックのサイコキネシスがかけられていることに思い至った。
「アワユキさーん、ソルロックのサイコキネシスを解いてあげてくださーい。娘さんが苦しそうですよー」
「……ううう煩いうるさい出てって出てって出てけよっ! こいつ殺すぞ!」
 白いコートのアワユキが怒鳴る。
 ルシェドウは肩を竦めた。
「言ってる傍から、貴方のソルロックもトドゼルガももう戦闘不能ですけどねー?」
 チルタリスが仕掛けた、滅びのカウントダウンがゼロになったのだ。アワユキを守るように立ちはだかっていたソルロックとトドゼルガが、同時に沈む。そしてまた、ルシェドウのオンバーンとサクヤのチルタリスも崩れ落ちる。
 再び闇が落ちた。サクヤがニャオニクスをボールから出した。
「白コートの女を捕縛しろ」
 ニャオニクスのサイコキネシスが、アワユキを捕らえる。しかし、女の口まで止めることは叶わなかった。
「……離せ離せ離せ! こいつ殺すよ!」
「出来るものならばやってみろ」
 サクヤは言い放ったが、アワユキは耳障りな音を立てて笑った。
 幼い娘の悲鳴が上がる。
 ルシェドウがランプを点けると、いつの間にアワユキが繰り出したのか、キリキザンが娘の体を持ち上げ、その細い首に刀刃をあてがっていた。
「あちゃ、詰んだ?」
 ルシェドウが緊張感のない声を出した。サクヤのニャオニクスの念力は、悪タイプを持つキリキザンには通じない。キリキザンを止める手立てがこちらにはなかった。サクヤも歯噛みする。
 アワユキは白いコートを翻し、狂ったように笑った。
「あははははははははははははキリキザン? ニャオニクスにハサミギロチン!」


  [No.1371] 明雪 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:40:20   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



明雪 中



 赤いピアスが風にあおられ、ちりりとなる。
脇に抱えたヒトカゲの尻尾の炎も風に揺れる。
 綿毛舞い飛ぶ風の町、フウジョタウンにレイアは辿り着いた。すでに夕刻、辺りは闇に沈みかけて一層寒い。
 15番道路のブラン通りの終わりがけで綿のような雪が降り始めたため、慌てて町に入ったのだ。ポケモンセンターを見つけたときには、レイアは両の腕で相棒のヒトカゲをしっかと胸に抱き込んでいた。この寒い中でモーモーミルクを売り歩いていた人間はとても正気の沙汰とは思えない。
 暖房のきいたポケモンセンターに辿り着くと、じんわりと手足の指先に血が通い始める。まっすぐ受付に向かって、疲労の溜まっていたポケモンたちを預けた。ヒトカゲをボールにしまおうとすると、『ここが暖かいから自分はもう必要ないのか』とでも言いたげなヒトカゲの潤んだ瞳に出会った。仕方がないのでレイアはヒトカゲだけは預けず、再び脇に抱え直した。
 そして痛む足を休めるべくロビーに向かって、レイアはぎょっと身を竦ませた。
 しかし相手は、こちらに気付いた。
「……レイアか」
「うげぇ……モチヅキ」
 レイアからは苦々しい声音しか漏れない。
 ロビーで紅茶のカップを手に寛いでいたのは、漆黒の長髪を緩い三つ編みにした裁判官、モチヅキである。
 モチヅキは、レイアたち四つ子の父親の知り合いだとかで、四つ子は幼い頃から面倒な諸々の手続きはこのモチヅキに任せっぱなしにしてきた。養親のウズに次いで二人目の養親とでもいうべき相手なのだが、レイアはこの人物が苦手であった。
 モチヅキの黒い眼が、レイアを凝視してくる。
「……サクヤは」
「やっぱサクヤ待ちかよ。知らねぇよ。あいつ、ここに来んの?」
 適当に吐き捨てて、レイアはモチヅキから離れようとした。しかし、青い領巾の片割れを彷彿とさせるようなモチヅキの涼やかな声が、レイアを追ってきた。
「約束の刻限を過ぎても、現れぬ」
 それはもちろん、サクヤのことを言っているのだ。
 レイアは溜息をついた。
 レイアの片割れの一人、青い領巾のサクヤは、四つ子の中でも特にモチヅキに気に入られている。それがなぜかはレイアも知らない。しかし、モチヅキの前に出るたび、モチヅキがレイアを通してサクヤしか見ていないことに気付かされるのである。
 レイアは首だけ回して、モチヅキを見やった。
「あんたさぁ、ほんとあいつのこと好きだよな?」
「…………あいつとは?」
「あーうっぜぇ、マジうぜぇそういうの。サクヤなんか知るかよ。どっかの洞窟でも探検してんじゃねぇの。そんな気ぃする。そんだけだ。言っとくが、ただの勘だからあてにすんな。俺はサイキッカーじゃねぇんだよ」
 そう矢継ぎ早に言い捨てて、本当にレイアはモチヅキの傍から離れた。


 しかし、レイアがポケモンセンター内の食堂で夕食を終え、階上にとった部屋に戻ろうとするところで、彼は再びモチヅキに呼び止められた。
「そなた」
「…………」
「サクヤが来ぬ」
「……知らん」
「今日の正午にはここに来るよう、伝えていた」
「……知るかよ」
「そなたら、連絡は取り合わぬのか」
「……取らねぇよ」
「先ほど、あれは洞窟にいる気がすると申していたな。洞窟の中で遭難しているのではないか。そういう事は分からぬのか」
「……ああああああ――知らねぇっつってんだよ! そんなにサクヤが恋しけりゃ捜しに行きゃいいじゃねぇか! それとも一人じゃ怖くて無理ってか? つまり俺に捜して来い、と? それこそ意味分かんねぇ!」
 レイアは耐え切れずに怒鳴った。
 しかしモチヅキは小さく鼻を鳴らした。
「そこまでは言っておらぬ」
「じゃあ、何だよ!」
「私を、ヒャッコクシティまで連れて行け」
 モチヅキは黒い瞳でまっすぐレイアを見つめていた。
 レイアは黙り込み、そして眉間の皺をますます深く刻んだ。ヒトカゲがもぞもぞとレイアの腕の中で動いている。
 ようやくレイアの口から漏れた声は低い。
「……どういう意味だ。……そうか、俺がサクヤの代わりか。あいつが時間通り来ないから、オレに代わりを勤めろと? ……サクヤを置いてか?」
「そうだ」
 モチヅキはあっさりと認めた。
 それがひどくレイアの勘には障ったが、あまり長くモチヅキと議論している気にもなれなかった。旅慣れたレイアは一つの方法を思いつくに至った。
「……あんた確か、ムクホーク持ってたな?」
「バッジなど私は持っておらぬ」
「俺は持ってる。『空を飛ぶ』の秘伝マシンもある」
 レイアは眉間に皺を寄せたまま、低く応えた。そして提案する。
「まず、あんたのムクホークと俺のポケモンを交換する。次に、あんたのムクホークに『空を飛ぶ』を覚えさせる。ムクホークなら俺とあんた二人ぐらいヒャッコクまで運べるだろ。ヒャッコクに着いたら、ムクホークとあんたに預けたオレのポケモンをもう一度交換する」
 レイアは最も簡潔と思われる手段を提示した。
 モチヅキは黙り込んだ。
 レイアは肩を竦めた。
「おい、どうなんだよ」
「……簡潔だな」
「たりめぇだろうが。マンムーロードをあんたと二人仲良くマンムー並べて雪山越えするとでも思ってんのか。それとも何だ? いつもサクヤにお供させてるときは、二人で楽しくピクニックでもしてんのかよ?」
 モチヅキも眉間に皺を寄せ、レイアを睨む。レイアも負けじと睨み返す。
「あんたのムクホークがどんなもんだか知らねえが、二、三時間も飛びゃヒャッコクには着く。……時間の許す限り、サクヤ待ってりゃいいじゃねぇか」
 モチヅキは小さく鼻を鳴らした。レイアの機転にそれなりに満足したらしい。
「一つ質問しておく」
「……何」
「雪の中、それくらいの時間を飛ばせても問題ないのか。飛行タイプは寒さに弱いと聞くが」
「……それができるから、『空を飛ぶ』ってのは秘伝技なんだよ」
 レイアは言い捨てて踵を返した。モチヅキはサクヤのことは全く心配していない様子だった。
 レイアにはそれが腹立たしかった。
 それほどまでにモチヅキの信頼をサクヤが勝ち得ているのだと思えば、なおさら腹が立った。


 翌朝、レイアは寝ぼけているヒトカゲをカイロ代わりに小脇に抱えて起き出すと、ポケモンセンターのロビーには既にモチヅキがいた。
「おい貴様」
 そしてレイアはモチヅキに呼び止められた。レイアは不機嫌に応える。
「何」
「正午には発つ」
「あっそ」
 つまり、正午までモチヅキは、この待ち合わせ場所であるポケモンセンターでサクヤが現れるのを待ち続けるのだ。
 本来ならば昨日の正午に現れるはずだったサクヤは、今朝になってもフウジョタウンに辿り着いていないらしかった。レイアがポケモンセンターの宿帳を確認しても、そこに片割れの名はなかった。
 レイアの脳裏を、暗く寒い光景がよぎる。それを振り払って、レイアは熱いコーヒーを買い求めた。センター内に備え付けてある雑誌を一つ手に取り、いつでもモチヅキとのポケモン交換に応じられるようにモチヅキの近くに席をとった。
 サクヤは現れない。
 雑誌には興味をそそられなかった。
 気づくと、モチヅキに何かを問いかけられていた。レイアは無意識のうちに反応していた。
「……貴様はここで、何をしている」
「あんたにゃ関係ねぇよ」
「何の目的もなく、彷徨っているのか?」
「ポケモンを探す。鍛える。食えるもんを探す。そんだけだよ」
 モチヅキは小さく鼻で笑った。
「まったく、原始的だな」
「……あのよ、あんたは俺らのことを学がない学がないって馬鹿にすっけど、じゃあどうしろってんだよ。学校行くにも本買うにも金がかかる。んな金、ねぇんだよ」
 モチヅキの物言いには毎度のことながら腹が立ったが、朝から怒鳴る気にもなれず、雑誌を眺めながら思ったことを吐き出していく。
「こういうあったかいポケセンでのんびり雑誌とか読んでさ、野生のポケモンに襲われる心配とか、雨が降ってくる心配とかもせずにすんで。ポケセン出るとき、旅のトレーナーがどんだけ辛い思いしてるかわかるか? ポケセンの宿だって、どんだけのトレーナーが旅が嫌になっていつまでも部屋占拠してると思ってんだよ」
「つまり、何が言いたい?」
「あんたはいいご身分だなってことだよ。そのくせ、学がない学がないって人のこと馬鹿にしやがって。あんたは俺をどうしたいんだ? 俺らに何になれっていうんだ? 俺らが旅しなくちゃなんねぇのは父親のせいじゃねぇか」
 朝のポケモンセンターのロビーは静まり返っている。レイアやモチヅキの他にもロビーには人間やポケモンはいるのだが、レイアとモチヅキの間の雰囲気に呑まれでもしたか、他の話し声はひどく密やかだった。
 モチヅキはポケモントレーナーではない。
 モチヅキもポケモン取扱免許を取っており、そして手持ちのポケモンを持ってはいる。しかしトレーナーカードは所持しておらず、ポケモンセンターに立ち入ることはできてもセンター内の設備を利用することはできない。
 レイアのようなポケモントレーナーと、モチヅキのようなトレーナーでない者の間には、何か差のような、溝のようなものが存在する。
「……ああ、そういやあんた、ポケモントレーナーはたくさんの特権が許された特別な身分だって考えてんだよな。こないだ、ユディから聞いたぞ」
 レイアはモチヅキから目を逸らしたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「俺らからすりゃ、恵まれてんのはあんたの方だ。トレーナーにならずに済むあんたらの方が、ずっと恵まれてんじゃねぇか。……ポケモンセンターは福祉施設だ。行き場のない、家のないトレーナーのための場所なんだ。……あんたの場所じゃない。――出ていけ」


 しかしモチヅキは出ていかなかった。周囲のトレーナーからちらちらと視線を向けられても、ひたすら泰然としてロビーで分厚い本を読んでいた。
 レイアは昨日預けていた手持ちのポケモンたちを受け取り、そしてこれ以上はモチヅキの傍にいるのも気づまりなので、ふらふらと町に出た。正午まではまだ数時間ある。
フウジョタウンはその日も粉雪がちらつき、空は一面雲で白く閉ざされ、道も至るところで凍結している。
 レイアは葡萄茶の旅衣を体に巻き付けて、ヒトカゲをカイロ代わりに抱きしめて歩いた。甘えたがりのヒトカゲもそれが嬉しいらしく、先ほどからきゅうきゅうと幸せそうな声を漏らしている。
 レイアは北へ向かった。
 凍った坂道や階段に気を配りつつ、フウジョタウンの北へ登っていく。
 フウジョタウンの北東には、フロストケイブがあった。氷河に閉ざされた山脈に穿たれた洞窟だ。
「……寒い」
 レイアが独りごちると、胸に抱えたヒトカゲが尻尾の炎の火力を上げた。
「かげ」
「ん? ああいや、温かいよ、大丈夫だ。……ただ……暗い、寒い……」
 レイアの矛盾する独り言にヒトカゲは混乱しているが、それも知らずにレイアはフロストケイブへの道を辿る。
「あいつ、炎タイプ持ってねぇだろ……」
 ぼやきつつ、レイアは腰のモンスターボールを一つ外した。
「……インフェルノ……」
 ヘルガーを呼び出す。ダークポケモンは首を巡らせ、深紅の瞳で主を見やった。
「……ここにサクヤがいるか?」
 レイアが問いかけると、ヘルガーは頭を振って注意深く周囲のにおいを嗅ぎだした。レイアは片端から奪われる体温を補おうと足踏みしつつ、暗く寒い予感にかぶりを振る。
 この世の中には、波動なるものが存在するという。それは人やポケモン、自然物すべてに宿り、そして個々に異なるものである。
 しかし、一卵性多胎児ならば、その波動はひどく似通っているか、あるいはまったく同一なのではないだろうか。同じ周波数の波は共鳴し、高まり、通じ合う。古代からわずかに存在したという波動使いの才能が、もし、自分たち四つ子にも少しでも備わっているならば。この暗く寒い予感はもしかしたら、本物なのかもしれない。
 ヘルガーが軽く駆け出した。
 レイアものろのろとそのあとを追う。フロストケイブの入り口で、ヘルガーは立ち止まる。匂いをかぎ分けるときも主であるレイアから離れすぎないようにとのレイアの躾けの賜物だ。
 ヘルガーがゆらりと鞭のような尾を振った。
 レイアは白い息を吐き出した。瞑目した。
「……ここにいるのか、サクヤ」
「それは真か」
 涼やかな声に、レイアは若干むっとしつつも、振り返らずに背後に向かって言い放ってやった。
「……足手まといにはなるんじゃねぇぞ」


 ヒトカゲの尾の炎とヘルガーが嗅ぎ分けるにおいとを頼りに、レイアは穴抜けの紐を道々に残しつつ、モチヅキを従えてフロストケイブ内を進んだ。
 ヒトカゲの炎の光と熱に驚き飛び出してくる野生のポケモンは、すべてヘルガーに追い払わせる。ポケモン除けのためのゴールドスプレーを使用してもいいのだが、今はヘルガーにサクヤの匂いを追跡させている最中だ。ヘルガーの嗅覚を鈍らせるようなことはしたくない。
 曲がりくねり、岩が突き出てひどく悪い足場を、ヘルガーと二人は黙々と越えていった。
 意外にもモチヅキはなかなか体力があった。呼吸一つ乱さず、ぴったりとレイアについてきている。そのことにはレイアも多少はモチヅキを見直した。
 間もなく洞窟内に出現するポケモンのパターンが把握され、そういったポケモンを追い払うヘルガーにレイアがいちいち指示を下す必要もなくなってきた。
 しかし進めば進むほど、レイアの胸の中に嫌な感じが広がる。それを紛らわすため、そして背後のモチヅキの所在確認も兼ねて、レイアは背後に話しかけた。
「そういや、何でモチヅキあんた、ポケモン持ってんの?」
「……なぜ、とは」
「言葉通りの意味だよ! なんでポケモン持ってんだよてめぇは! 普通に答えろよ!」
「護身用だ」
 モチヅキは淡々とそのように回答した。レイアは振り返りもせずに続ける。
「ルシェドウが言ってたぞ。あんた、反ポケモン派なんだってな」
「……反ポケモン派、とは何だ?」
「知らねぇよ! てめぇの方が詳しいだろ! いちいち聞き返すんじゃねぇよインテリ野郎が!」
 レイアはモチヅキに対して怒鳴った。レイアの脇に抱えられているヒトカゲは、レイアが元気そうであるのが嬉しいらしく、きゅっきゅっと機嫌よく鳴いている。
 モチヅキは煩そうに鼻を鳴らした。
「反ポケモン派などという語は知らぬ。俗語だろう。……おおかた、トレーナー政策に反対票を投ずる者、という意味で用いられているのであろうが」
「へー。そうなん?」
「……あのポケモン協会の者が、私を反ポケモン派と断じた、と?」
「うっす」
「であろうな。学のない者はすべて白黒はっきりつけたがる。若い者は尚更」
「モチヅキ、あんた今、歳いくつだよ?」
 その問いには返答はなかった。とはいえ、モチヅキがこの程度で腹を立てはしないことをレイアは知っていたので、レイアも特に気にしなかった。
「俺も、あんたはトレーナーってのが嫌いなんだと思ってた。ほら、あんた、俺らがミアレでエリートトレーナーに怪我させた時、過去最高にブチ切れてただろ?」
「トレーナー自体に、どうという感情も抱かぬ。ただ、虐げられる者を哀れに思う」
「その虐げられる者ってのが、トレーナー以外の一般人ってことになんだろ?」
「そうとも限らぬ。あのエリートトレーナー然り。……トレーナーが悪いのでもない。ポケモンが悪いのでもない。……悪いのは」
「悪いのは?」
「利権にしがみつく者どもだ」
 レイアがモチヅキを振り返ると、司法に携わる者は静かに瞑目していた。
 レイアはさっさと前を向いた。
「面白そーだな」
「ふ。興味を持つのか」
「今、馬鹿にしたのか」
「まさか」
 とぼけるモチヅキに、レイアは軽く鼻で笑った。
「まあいいわ。俺は今、自分が生きるだけで精いっぱいだけどさ。……あんたみたいに、高尚な目的のために生きられたら、幸せだろうな」
「私はお前たちを哀れに思う」
「はっ、サクヤびいきの奴に言われても説得力ねぇよ」
 その時、ヘルガーが小さく唸った。
レイアとモチヅキは立ち止まる。
 洞窟の奥から、微かに幼い子供のすすり泣く声が聞こえてきていた。
 レイアの背筋が凍る。
「う、うおおお、うおおおおおおおおおおお――」
「落ち着け」
 モチヅキが冷静に叱咤する。レイアは胸にヒトカゲを抱え直しつつ、ヘルガーの傍にぴったり寄った。
「お、おあ、い、いや、別にお化けとか思ってビビってんじゃなくてだな、……ほら、ウズがムウマ持ってんだろ、ムウマの声に超そっくりでやべぇビビる」
「結局ビビっているのではないか」
「うっわ、モチヅキがビビるとか言ったぞ激レアじゃん。サクヤに聞かせてやりてぇわ」
 レイアは子供の泣き声にびくびくしつつ、そろそろと前に進みかけた。しかしすぐに立ち止まった。
「……なんで、こんな洞窟の奥に、子供がいるんだよ……。やっぱムウマじゃねぇの……?」
「先ほどから時折ゴーストは出現しているようだが」
「はいそうっすね」
 レイアはヘルガーに先を行かせた。ヘルガーは主を気にかけつつも、臆した様子もなく暗闇へと歩みを進める。
 子供の泣く声は、確実に近づいている。
 そして、洞窟の奥から光が漏れているのが見えた。レイアはぎくりとする。
 奥から冷気が吹き込んでくる。光が見える。子供の泣き声がする。
「人がいるな」
 モチヅキが背後で平然と、しかしレイアの先を行く気配は微塵も見せず、そのようにのたまった。レイアは腹を決めて、ヒトカゲを抱え、ヘルガーと共に走った。
 寒く、しかし明るい空間に踏み込んだ。
 絶句する。
 幼い女の子が、キリキザンに抱えられながらすすり泣いている。その傍らで白いコートの女が、レイアやモチヅキに背を向けて乾いた声で笑っていた。
 女が従えるのは、さらにトドゼルガとソルロック。
 ソルロックが眩く輝き、空間を光で満たしている。その空間は、氷漬けにされていた。
 白いコートの女の視線の先に、氷漬けになった片割れと友人の姿を認めて、レイアは全身の血液が逆流したように感じた。
 空が崩れて、地面がひっくり返りそうな。


 自分が何と叫んだか、レイアは把握していなかった。
 まともな言葉になったかわからないが、その激情を汲んだと見えて、ヘルガーが白い炎を噴く。しかし白いコートの女の背後には輝くソルロックが回りこみ、女を炎から守った。
 熱に、白いコートの女がレイアを振り返る。その顔は飢えている。
「……あんたも邪魔するの」
 その恨みがましい女の言葉が途切れる前に、ヘルガーの悪の波動がソルロックを襲う。空間を満たしていた光が弱まった。
 女は目をひんむく。金切り声を上げる。
「やめろ! こいつを殺すぞ!」
 女が言っているのは、キリキザンに捕らわれた幼い娘のことだった。娘の首にはキリキザンの刃があてがわれ、そしてこのキリキザンの眼は獰猛に輝き、幼い命を屠ることにも何の躊躇いも持っていないことが窺えた。
 しかしレイアには娘など見えなかった。
「知るか!」
 独断で悪巧みをしていたヘルガーが、娘とキリキザンを無視して、煉獄を巻き起こす。それは熱い脂肪を持つトドゼルガすら焼き尽くし、キリキザンの刃をも溶かす。
 娘が熱さに泣き叫ぶ。白いコートの女も業火に怯んだ。
 レイアは女たちを無視して、ただ奥の結氷だけを睨んでいた。
 空間内はヘルガーの炎にあぶられ、ひどく暑くなっていた。洞窟を覆っていた氷がじりじりと融けている。レイアは焦れて、ガメノデスを繰り出した。
「爪とぎ、シェルブレード」
 一度に二つの指示を出し、ガメノデスに奥の巨大な氷を砕かせる。
 レイアの片割れと友人の二人が、どさりと洞窟の床に転がった。レイアは、炎の体を持つマグマッグをボールから出し、腕に抱えていたヒトカゲと共に、二人の介抱に向かわせる。
 そして、ヘルガーとガメノデスと共に、白いコートの女に向き直った。
 地を這うような声で唸る。
「……よくも」
 地獄の業火に怯えていた白いコートの女は、炎の勢いが衰えるにつれてレイアを凄まじい目つきで睨んだ。
「もう怒った! もう殺す! 殺せキリキザン!」
 レイアはキリキザンを見やった。そしてこの時になってようやく、サクヤとルシェドウを助け出したと思って気が緩んでようやく、キリキザンに捕らわれていた幼い娘のことに考えが至った。
 遅すぎた。
 息を呑む。
 ヘルガーの炎はだめだ、娘が巻き込まれる。
 直接攻撃を専らとするガメノデスでは、この距離では間に合わない。
 女のキリキザンが、鋭い刃を躊躇なく動かした。

 レイアは息を詰めてそれを見ていた。
 白いコートの女が、泣きながら、狂ったように笑い転げている。
 しかし、それを遂げたはずの当のキリキザンは、戸惑うそぶりを見せた。

 洞窟の壁際に佇んでことを見守っていたモチヅキが、嘆息する。
 幼い娘をモチヅキの傍まで運んで保護したムクホークが、翼をたたんでモチヅキの傍に寄り添っていた。
 モチヅキは娘をそっと抱き寄せると、不機嫌も露わにぼそりと呟く。
「ゾロア、騙し討ちだ」
 キリキザンの懐の中にいたゾロアは、幻影を解除すると悪戯っぽく笑い、キリキザンの喉元に一撃を叩き込んだ。


  [No.1372] 明雪 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:42:08   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



明雪 下



 レイアもモチヅキも、不機嫌だった。
 赤いピアスをしたレイアは、青い領巾をしたサクヤを背負っていた。そして先ほどまで氷漬けにされていたサクヤを少しでも回復させるべく、レイアのヒトカゲがさらにサクヤにぴったりとはりついている。
 しかし問題なのは、レイアとサクヤが共に四つ子の片割れであることだった。顔かたちも同じならば、身長体重もすべて同じだ。背負いにくいのはもちろん、自分と同じ体重の片割れを運ぶのは骨が折れる。
 モチヅキの手持ちのムクホークは、ルシェドウと、こちらも同様にルシェドウの体温を守るためのマグマッグを背負っている。こちらもムクホーク自身の体重をはるかに超える重荷を背負うはめになり、ムクホークにはフウジョタウンに帰るまでに随分と難儀させた。
 レイアのガメノデスは、白いコートの女のアワユキを捕らえていた。アワユキはうわ言のように呪詛を吐き散らし、それがますますレイアとモチヅキの気を滅入らせる。
 極めつけは、モチヅキが抱きかかえる少女であった。
 そのようにして、一行はどうにかこうにか穴抜けの紐を辿り、フロストケイブから脱出し、綿雪の舞うフウジョタウンに帰り着いた。


 フウジョタウンにつき次第、モチヅキは救急と警察の手配をした。さっさとサクヤとルシェドウとアワユキの娘を救急に、そしてアワユキを警察にとそれぞれ引き渡す。
 しかし、それで解放、とはやはり相ならなかった。
 サクヤのルシェドウの瀕死となっていたすべての手持ちを、彼らの代わりにポケモンセンターに預ける。それが済めば、今度は慌ただしく警察署に呼ばれる。ポケモン協会からも人間が来て、警察にしたのと同じ話をもう一度最初から最後までする羽目になった。
 ようやくレイアとモチヅキが解放されたのは、深夜だった。
 レイアはふらふらとポケモンセンターに戻る。
 なぜか、モチヅキもレイアについてきた。レイアがそれに気付いたのは、彼がロビーのソファに倒れ込んだ時だった。彼はモチヅキの姿を認めると、文字通り跳び上がった。
「ぎゃあ!!!」
「うるさい」
 モチヅキは漆黒の瞳で、じいとレイアを見下ろしている。その傍には、やや疲れた様子のムクホークがおり、モチヅキの腕の中には悪戯っぽく笑うゾロアがいた。
 レイアは眉間に皺を刻み、ただ首を振った。赤いピアスが微かに音を立てる。
 モチヅキは無言で、近くのソファに腰を下ろした。ムクホークがおもむろに羽繕いを始め、ゾロアがレイアの傍に飛び移ってきてはレイアのヒトカゲにちょっかいを出し始めた。
「かげぇ……」
「くきゃきゃっ」
「かげぇぇぇぇ」
 ヒトカゲはゾロアの悪戯を嫌がり、レイアの陰に隠れる。ゾロアがレイアの腹だの肩だのを踏み越えてヒトカゲを追いかける。レイアは顔を顰める。ヒトカゲはなおも逃げる。ゾロアの尻尾がレイアの腕をくすぐる。
 やがてヒトカゲは涙目になり、きゅううきゅううと鳴いてレイアに助けを求め出した。レイアは黒い毛玉をむんずと片手で掴み、モチヅキに投げつけた。
「躾けぐれぇちゃんとしろよ」
「すまぬ」
「ほんっと、誰かさんのゼニガメみてぇなゾロアだな」
「私もそう思う」
 モチヅキは黒い毛玉に掌を乗せ、押さえつけた。そのままモチヅキの指がゾロアの耳の後ろを掻くと、ゾロアも大人しくされるままになっている。
 レイアは大きく溜息をついた。
「……あんた、ゾロア持ってたんだったな。完全に忘れてた。……マジで肝が冷えたわ」
「つまらぬものを見せた」
「……幻影ったって、あれはきついっつの。あんたああいうの、見たことあんの?」
「裁判の証拠類で、死体の状況の写真を見ることは多々ある」
「うわあ。うわあ」
 レイアはそれ以上は聞き出すのをやめた。その代りにヒトカゲに目いっぱい構う。ヒトカゲの背中を優しく撫でてやっていると、ヒトカゲはうつらうつらとし出して、やがてレイアの膝の上で丸くなった。レイアから知れず笑みが漏れる。
 そしてレイアは何気なくモチヅキを見やって、そこで大声を出しかけた。思いとどまったのは、ヒトカゲが寝入ろうとしていたためだ。
「おい、モチヅキあんた、ヒャッコク行かなくてよかったのかよ……!」
 モチヅキは、今頃気づいたのかとでも言いたげに鼻を鳴らした。
「事件に巻き込まれたのだ。致し方なかろうが」
「あー……事件、ねぇ……」
 レイアは静かに囁く。
 実際のところ、レイアには何が起きていたのか、何も分かっていなかった。白いコートの女が、幼い娘を捕らえて、そしてサクヤとルシェドウと氷漬けにしていた。レイアに分かるのは、レイア自身が目にしたことだけだ。
「……あの女、結局、何がしたかったんだろうな?」
「さあ。詮無い憶測ならいくらでもできる」
「例えば?」
「口を閉ざせ。かの女や、あの娘の人生に関わることだ。軽々しく申すな」
「……あーへえへえ、すんません」
 しかしモチヅキは言葉を継いだ。
「あのポケモン協会の職員、十中八九、かの女に関わる用事でフロストケイブに向かったのであろう」
「ルシェドウが?」
 モチヅキは軽く頷いた。その膝元では、こちらもゾロアが体を丸めて眠りかけていた。
「そのルシェドウとやらの用事に、サクヤもまた巻き込まれたというところであろう」
「あー……」
「友は選べ」
「ひでぇな。……俺もここまでやばい事件には関わったことねぇよ。サクヤには悪いことしたな」
 フウジョタウンの病院に運ばれたサクヤとルシェドウの二人は昏睡状態に陥っている。どちらも命に別状はなく、かつ治療を受ければ万全の体調に回復するということだったが、いずれにしても肉親や友人がそれほどの傷を負うというのはレイアにとっては初めての経験だった。
 もし、サクヤが、目覚めなかったら。
 目覚めたとしても、一生動けないような体になっていたら。
 レイアはここにきて、ぞっとした。そして、かつて自分たちのポケモンがミアレシティで傷つけたエリートトレーナーの、その両親や友人たちも、今の自分と同じ気持ちになったかと思うと、どうにもやるせなかった。
 目を閉じる。
声に出さず、口だけで呟いてみる。トキサ。
 それはレイアにとって、ひどく重い戒めだ。白いコートの女、アワユキがサクヤとルシェドウを傷つけたというならば、レイアもまたアワユキを傷つけようとした。ガメノデスの硬い爪で引き裂き、ヘルガーの業火で焼き払うことを当然のごとく思い描いていた。
 そこではたと思い至った。
 あそこでレイアが思いとどまったのは、意外にもモチヅキがアワユキのポケモンにとどめを刺したからだ。もし、あの時のモチヅキの決定打がなければ。レイアは、トキサの時と同じことを繰り返そうとしていた。
 そのことに気付いて、レイアは呆然とした。
 レイアの心を読んだかのように、モチヅキが冷やかに言い放った。
「確かに、前回は事故と言いえたやもしれぬな。そして今回は、正当防衛であったと言い逃れができたかもしれぬ」
 レイアはわずかに顎を上げた。モチヅキの言葉は続いていた。
「怒りに我を忘れたか。だが、そなたは力で解決してはならぬ。哀れなことだが」
 つまり、サクヤやルシェドウが痛めつけられていたとしても、レイアはアワユキ本人にポケモンの力によって危害を加えてはならなかったと、モチヅキはそう言うのだ。
 レイアは俯いて、穏やかに寝息を立てるヒトカゲを見つめている。その尾の炎が温かく、優しく揺らめいていた。
「ポケモンの力は守る力。裁く力ではない」
「自力救済は禁止、ってやつか?」
「左様。ポケモンの世界に善悪はない。裁きを与えるのは人の業だ」
 モチヅキはそのように応えた。


 その翌日は、明け方から雪が舞っていた。
 サクヤもルシェドウも、無事に病院で目を覚ました。
 見まいに来たレイアは病み上がりの彼ら二人に、拳骨を一つずつお見舞いした。そしてモチヅキに窘められた。
 ポケモンセンターで回復していた二人の手持ちが、それぞれのおやの無事を確かめる。サクヤは何事もなかったかのように憮然としており、ルシェドウもいつものように朗らかに笑っていた。
「えっ! じゃあ、モチヅキさんが、アワユキさん捕まえちったってこと?」
 ルシェドウは病室で目を剝いた。しかしモチヅキは澄まして腕を組んでいた。仕方がないので、レイアが肯定してやる。
「おー。モチヅキのゾロアがあの小さい女の子に化けてて、俺はマジで女の子の首が切られたって思ったんだが、それはゾロアの幻でさ。ゾロアがキリキザンの急所に騙し討ち叩き込んで、終わり」
「すっげぇ! えっ、モチヅキさん、いつの間に娘さん助け出してたんすかっ?」
「…………」
「あー……多分俺のインフェルノがオーバーヒートとか煉獄とかぶっ放してる間に、ムクホークがうまい具合に女の子とゾロアすり替えたんじゃねぇかな」
「すっげぇ! モチヅキさんやべぇ! 超見直したぜ!」
 鉄紺の髪のルシェドウは惜しみない賛辞を贈るが、モチヅキは無反応だった。ルシェドウは頬を膨らます。
「ちぇー、せっかく人が褒めてるってのにこれだよ。すましちゃって、大人げないわねー」
「貴様、なぜサクヤを巻き込んだ」
 モチヅキが冷やかな声で、ルシェドウに尋ねる。レイアとサクヤは同時に顔を上げ、そして互いに顔を見合わせた。
 ルシェドウは明るく笑った。
「だって、俺一人じゃ心細かったんだもーん!」
「これらはまだ未熟なトレーナーだ。二度とこのような危険に巻き込むな、協会職員」
 モチヅキの言葉は棘を含んでいるどころか、それ自体が刃のようだった。ルシェドウはさすがにきまりが悪そうに笑った。
「いやぁ、裁判官モチヅキ殿の大のお気に入りのかわいいサクヤちゃんに怪我さしたのは、悪いと思ってるよー」
「貴様」
「やだぁ怒んないでよ、モチヅキさん。若いトレーナーたるもの、たまには痛い目を見るのも大事。でしょ?」
「取り返しのつかぬこともある」
「そんときゃ大人が守ればいいのよん」
 モチヅキは鼻で笑った。
 ルシェドウも大きくふんぞり返った。
 そして二人は睨み合っていた。
 赤いピアスのレイアと、青い領巾のサクヤは再び顔を見合わせた。そして二人でこそこそと話し出した。
「……お前、もう大丈夫なわけ?」
「……ああ」
「……なんつーか、ルシェドウが悪かった。次からはこいつ無視していいから」
「言われなくてもそうする。もうこりごりだ」
「あと、お前に少しでもなんかあると、モチヅキがうざくてかなわん。だからお前は無事でいてくれ」
 レイアがそのように言うと、サクヤはふと黙り込んだ。ゼニガメが不思議そうにサクヤを覗き込む。ヒトカゲも不思議そうにレイアを覗き込む。
 サクヤはレイアを睨み上げると、毅然とした態度で言い放った。
「おい、今のはまさか、デレたのか?」
 レイアは大声を出した。
「はあ? なんでそうなんだよ!」
「僕に怪我をするなと言った」
「ああ言ったよ確かに言ったよ! で、てめぇには文脈理解能力がねぇのか?」
「モチヅキ様に事寄せて、お前は僕を労ったな」
「そうですね確かに労りましたね! で! だから何!」
「デレたな、お前、いま」
「今のどこがデレなんだよ!」
「何かあったのか?」
「てめぇが死ぬかと思ったんだよ!」
「ああ、またデレたな」
「だから何で!」
 レイアが激しく怒鳴る。サクヤはレイアの腹に、ゼニガメのロケット頭突きをお見舞いした。レイアはくずおれた。
 サクヤは憮然として片割れを見下ろした。
「うるさいぞ」
「……誰かさんが……意味不明なこと口走るから……」
 蹲って呻くレイアに、涙目のヒトカゲが寄り添う。レイアはヒトカゲに大丈夫だと囁き、なおも腹部の痛みに呻いた。
 ドヤ顔をするゼニガメを両手で抱き上げ、サクヤは病室の寝台から立ち上がった。呻吟する片割れを一瞥し、それからモチヅキに向き直ると頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけしました」
「構わぬ」
 モチヅキはやはり澄ましていたが、その声音はサクヤに対してだけは随分と穏やかである。
「……遅くなりましたが、ヒャッコクへ、お送りしましょうか」
「体は大事ないか」
 サクヤは微かに笑んだ。
「マンムーでの雪山越えくらい、何でもありません」


 サクヤとモチヅキの穏やかなやりとりを、床の上のレイアと寝台の上のルシェドウは微妙な面差しで眺めていた。
「マジでなんで、サクヤのチルタリスとモチヅキのムクホークで、空飛んで行かねぇんだよ」
「え、一緒にマンムーに乗る時間が楽しみなんじゃねーの?」
「二頭を並べるどころか、一頭をシェアか……」
 レイアは大仰に溜息をつく。
「……まあ、これがこいつらの間の空気だ」
 ルシェドウもくすくすと笑った。
「ほんと、入る隙もねぇなー」
「だからてめぇも、二度とサクヤにちょっかい出すなよ」
 レイアがくぎを刺すと、ルシェドウも飽きずにけらけらと朗らかに笑う。
「レイアって、ほんとブラコンだよな!」
「はあ?」
「モチヅキさんに嫉妬してるー!」
「はあああ?」
 ルシェドウの指摘に、レイアは瞬きを繰り返した。
そして思ったままを口にした。
「……え、そうなんか? 嫉妬するにしても、サクヤにするもんだと思ってたわ」
「え、それこそなんで?」
「だって、モチヅキがサクヤばっかえこひいきするから」
「いやいや逆っしょ。レイアは、モチヅキさんにサクヤが篭絡されて悔しいんだよ! だからモチヅキさんに苦手意識持っちゃってんだよー!」
「へえ……」
「へえって言われた!」
 レイアは友人から指摘された己の新たな一面に関心を覚えた。ふうんと鼻を鳴らして、無心にサクヤとモチヅキの二人を眺める。
 ルシェドウが吹き出した。
「おい、四つ子ってまさか全員、天然じゃねーか?」





 それからほどなくして、レイアとサクヤはエイセツシティで再会した。
 明け方にレイアが起き出して、例の如くヒトカゲを脇に抱えてロビーに下りてくると、そこには夜のうちに到着したらしき、ゼニガメを連れたサクヤがいたのだ。
 ヒトカゲとゼニガメが勝手にじゃれ合い始めるので、トレーナーの二人はろくな挨拶も交わさないまま自ずとロビーの近くの席を占めることになる。
 もちろん待ち合わせをしたわけではないが、ひどく早い再会だった。
 外は夜明け前から雪が降りしきり、しんと静かだ。二人を除いてトレーナーの姿はなく、センター内も静まり返っていた。ヒトカゲとゼニガメの戯れ合う声ばかりが高く柔らかく響いている。
 特に話をするでもなく、レイアとサクヤはぼんやりとセンター内のテレビをつけ、ニュースを眺めていた。
 そして、娘を人質にフロストケイブに籠っていたトレーナー、アワユキに関するニュースを目にしたのだった。
 署内で自殺。
 ニュースキャスターの淡々とした声音が、さっさと次のニューストピックへと流れていく。レイアとサクヤは無言のまま、視線を交わした。
 あのアワユキに何があったかはわからない。それは大人がこれから地道に調べを重ねていくことになるのだろう。
 しかし気がかりなのは、残された幼い娘だ。
 四つ子は、実の母親をほとんど覚えていない。ただ、母親代わりに慕った養親は二人ほどいるから、もしその親に命を脅かされ、そしてその親がいなくなってしまったらと想像してみれば、どうにもつらかった。
 娘は母子家庭だったと続けてニュースで報じられる。ということは、母親を失った娘は施設か何かに預けられ、学校に通い、そして十歳となった暁には、奨学金などを得ない限り、自分のポケモンを持って一人で旅立つことを余儀なくされるのだろう。
 帰るところないまま。
――哀れだと思う。
 モチヅキの言葉が思い出された。
 レイアは、青い領巾の片割れに軽く頭突きをした。サクヤも、赤いピアスの片割れに本気の頭突きで応えた。
 明け方の街に、雪が降りしきる。


  [No.1373] 昼涙 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:43:48   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



昼涙 上



 頭には緑の被衣、その上にさらにフシギダネ。
 石畳をブーツで踏み越え、袴が微かに衣擦れの音を立てる。
 キョウキはクノエシティが好きだ。曇りや雨の多い湿気がちな気候、秋になれば美しく色づく木々。家々の屋根は苔むし、鮮やかな色の茸がぼこぼこと顔を出している。
 何より、ここは四つ子が育った街だ。
 多くの道に、片割れたちと共に走りまわった記憶がある。甘い感傷に浸りつつ、フシギダネを頭に乗せたキョウキは、クノエのポケモンセンターに向かっていた。
 ポケモンセンターの自動ドアがキョウキを迎え入れる。とりあえずキョウキは足を休めるべくロビーへと向かった。
 そして、急な怒鳴り声に首を縮めた。
「うるっせぇな! あっち行けぇ!」
 しわがれた男の声が、ポケモンセンターのロビーから聞こえてきていた。男はひどく気が立っているらしく、下手に関われば暴力沙汰になりそうな気配である。
 キョウキはフシギダネを乗せた頭を僅かに傾け、こだわりなくロビーを覗き込んだ。
 ポケモンセンターを守るジョーイが、男を宥めにかかっている。
「他のトレーナーの皆さんのご迷惑になります、落ち着いてください」
「うるせぇ! ほっとけや! あっち行きやがれ!」
「お願いします、タテシバさん」
 男の喚き声に混じって聞こえてきた青年の声に、キョウキはおやと思った。そして視界に、小柄なルカリオを認めた。
 小柄なルカリオを連れて、喚く男に相対しているのは、キョウキたち四つ子の幼馴染であるユディだった。
 淡い金髪のユディは、ロビーのソファで寝転がりながら怒鳴る男に向かって、何かを頼み込んでいた。
「少しお話を聞かせてくださるだけでいいんです」
「うっせぇ! あっちゃ行けよ! 潰すぞ!」
 ソファに寝転がっていた男の足が、ユディの腹を蹴り飛ばす。
「うわっ」
「がるっ!」
 小柄なルカリオがいきり立つ。その両手を構え、波動のエネルギーを小弾に込めようとした。ユディが顔を引き攣らせ、ジョーイがだめ、と叫ぶ。
 キョウキは穏やかに、頭上のフシギダネに頼みごとをした。
「ふしやまさん、ルカリオ押さえてー」
「ふっしー」
 フシギダネが一瞬で蔓を伸ばし、ルカリオを絡めとる。ルカリオが集めかけていた波動を霧散させた。
 小柄なルカリオは暴れかけたが、キョウキのフシギダネは正確にルカリオの重心を捉え、完全に抑え込む。ぽかんとするユディの前に、キョウキはのんびりと歩み寄った。
「ユディ、久しぶりだねぇ。ルカリオも」
「……キョウキ……! ……悪い」
 ユディは相変わらず、モノトーンの服装で全身を固めていた。キョウキはユディの様子がいつも通りであることを認めると、それからソファに横になっている男を見やった。
 帽子にコートに、持てる限りの衣服を身につけているらしく、男はすっかり着膨れている。壮年から老年であろう、髭は伸びっぱなし、肌も垢で薄汚れている。
 キョウキは淡泊に男から目を逸らし、幼馴染の肩を押した。
「ユディ、行こっか」
「キョウキ」
「行こう行こう」
 キョウキはユディを連れ出すことによって、その場を収めようとした。しかし、事をそう簡単に終わらせてくれなかったのは、先ほどからあっちへ行け、放っておいてくれと喚いていたはずの男だった。
「何見とんだゴラァ! 見てんじゃねぇぞ!」
 ユディは男を振り返るが、キョウキは無視してユディを外へと押しやる。
 男の怒声が、ユディとキョウキを追いかけてきた。
「行けぇっ、ニダンギル! 叩っ切れ!」
「ポケモンセンター内でのバトルは、やめてください!」
 ジョーイが叫ぶ。しかし浮浪者然とした男の投げたボールからは、すでにギラギラと殺意をみなぎらせた刀剣ポケモンが現れている。
 ユディの小柄なルカリオがそれを見て、フシギダネの蔓に捕らえられたまま再び暴れ出した。
 キョウキはふうと溜息をついた。緑色の被衣を手でさらりとかき上げ、ちらりとニダンギルを見やる。
「ふしやまさん。眠り粉」


 緑の被衣のキョウキは、黙々とユディの背を押し、ポケモンセンターから遠ざかる。蔓でルカリオを捕らえたフシギダネもそれに続く。
 秋の湿った空気と紅葉を楽しみつつ、二人と二体はクノエの北東の高台にあるカフェに向かっていた。二人でテーブル席をとり、それぞれが紅茶とモモンのケーキのセット、そしてポケモン用のモモンのクッキーを頼む。
 蔓から解放された小柄なルカリオはユディの隣の席に収まり、フシギダネはキョウキの隣に背の高い椅子を用意されてそこに収まった。
 キョウキは改めてユディを見やり、ふわりと笑んだ。
「やあ、ユディ」
 ユディもそこで、くすりと笑った。
「……ああ。キョウキも元気そうだな。カロスリーグ、お疲れ」
「予選敗退だけどねぇ」
「ひと月のブランクで、そこから一週間足らずでバッジを五つ集めただけでも大したもんだろ」
「まあ、そういう事にしておくかな。ありがとね」
 紅茶やポケモンのためのクッキーと共に、冷えた甘いケーキが運ばれてきた。キョウキは早速フォークでケーキを切り分けつつ、穏やかにユディに話しかける。
「ユディ。さっきの、大丈夫だった?」
「……ああ。つまり、俺が何をしてたのか、訊いてるんだよな?」
「言いたくなけりゃ、別にいいけど」
「別に隠すもんでもないし。大学のサークル活動で、ちょっとポケセンのトレーナーにインタビューしてたんだよ」
「へええ」
 キョウキの隣では、フシギダネがもそもそと甘いクッキーを食している。キョウキは目を細めてそれを見守った。
「で、ユディは一体何を尋ねたのさ。それとも、あのおじさんに話しかけただけでああなっちゃったのかな?」
「話しかけただけっていうか、多分俺が他のトレーナーに尋ねて回ってたのも、タテシバさんは聞いてたと思うんだ。それが気に障ったんじゃないかと俺は思ってる」
「何を、尋ねて回ってたんだい?」
「トレーナー優遇の刑事罰制度について、どう思うかとか」
「そりゃあ君ね、質問が悪いよ」
 キョウキはけらけらと笑った。ユディも苦笑した。
「いや、もちろんいくつか段階的に、軽い質問からするさ。でも、本質的に重要なのはその質問だよな」
「一体何だい、そのサークルは。法学部のサークル? 現代社会の闇を糾弾するサークルとかなわけ?」
「まあ、そんなもんか?」
「あははははは、おっもしろいねぇ。左翼じゃん」
「なんでそう決めつけるんだよ」
 日々穏やかな大学生活を送っているユディは、キョウキの端的な決めつけにも特に動じなかった。甘いケーキを口に運び、飲み込んでから口を開く。
「まあ確かに、サークルの中にはトレーナー政策に反対してる人もいるけど。俺はただ単純に現状を理解して、その理解を世間一般に伝えたいと思ってるだけだよ。別にトレーナーとかポケモンとかが嫌いなわけじゃあない」
「ユディはそうだろうけどね。でも、ルカリオ連れておきながらそんないかにも左翼的な活動されたら、トレーナーも引くよね」
「そうなのか?」
 ユディは目を輝かせて、身を乗り出した。キョウキは愛想笑いを浮かべる。
 ユディも薄ら笑いを浮かべていた。
「……ああ、そうか、つまり俺は反ポケモン派の差し金だと受けとられてたのか。なのにルカリオを連れてるから、そこで変に思われてた。疑われてたのか」
「そゆことちゃいます?」
「なるほどな。ありがとう、キョウキ。すごく勉強になった」
 キョウキは適当に相槌を打っていた。
 そのあたりで、ユディが話題を変えた。
「レイアやセッカやサクヤは、元気か?」
「……んー、カロスリーグで会ったきりだからなぁ。元気なんじゃない?」
「クノエに帰ってきて、ウズには会ったのか?」
 クノエシティには、四つ子の養親であるウズの家があった。四つ子が十歳まで育った家だ。
 しかしキョウキは首を振った。
「会ってないよ。会うつもりもないし」
「なんで? ウズとはもともと、親戚なんだろ?」
「親戚だろうが養親だろうが、十を過ぎても世話をされるのはもうこりごりだよ……」
 渋い表情を作るキョウキに、ユディは目を丸くした。
「まさかトキサさんのこと、まだ気にしてるのか? 意外だな」
「意外って何さ。とにかく、もうウズに子ども扱いされるのはまっぴらってこと」
「反抗期」
「うるさいよ」
 幼馴染の二人は笑い合う。ケーキを完食し、温かい紅茶を口に含んだ。
 キョウキがほうと息をついた。
「……さて、どうしよっかな。ウズの家には帰りたくないし、かといってポケモンセンターにはあのタテシバさん? がいるし」
「俺んち、泊まる?」
「うわお。最高だよ」
 キョウキがにこりとフシギダネと笑み交わした。ユディのルカリオも、泊り客ができて機嫌よさげに喉を鳴らしている。


 ポケモンセンターにはしばしば、家のない者が宿を求めて集まってくる。
 自治体がそのような人間に具体的にどのような対応をとっているのか、キョウキは知らない。しかし、いかにも路頭に迷った風の人々が明るいポケモンセンターのロビーの一角を占めているのは、若いポケモントレーナーの教育上よろしくないのではないかとキョウキは思っている。
 十歳になってミアレシティでプラターヌ博士からフシギダネを受け取り、それからしばらくはフシギダネだけを伴に旅をしていて、初めてポケモンセンターでそのような人々を見たときは、それが何を意味するのか全く分からなかった。
 その意味をいつの間にか知ったときには、自分も旅ができなくなったときは、あの一団の中に入ることになるのだと悟った。
 旅をし、野戦や公式戦で賞金を稼がなければ、キョウキは食べることすらできない。怪我や病気などをすれば、貯金はすぐに底をつく。ポケモンすら時には治らぬ病に侵されることもある。どのみち、いつか年老いたときには旅はできなくなるだろう。
 十歳からポケモンを育てる以外のことを教えられなかった人間は、旅を続けるしかない。
 旅ができなくなったら、ポケモンセンターの隅に蹲るしかないのだ。帰る家もなく、やがてタテシバのような大人になる。
 ユディの家の、ユディの部屋に招き入れられたキョウキは絨毯に寝転がりつつ、ぼやいた。
「……まともに就職するなら、せめて中等教育は修了しないと、なんだよねぇ」
「勉強すればいいじゃないか」
 階下からジュースを持ってきたユディが、こともなげにそう言う。キョウキはあのように見えても先ほどまで微かに気を張っていたのだが、幼馴染の部屋では素直に、恨みがましげに緑蔭から幼馴染を睨み上げた。
「……そんなお金ないもん」
「俺の小中高の教科書と参考書、貸そうか?」
「荷物重くなるじゃん。あとそんな暇ないもん」
「一日に一時間くらい勉強すれば、中卒資格くらい取れるだろ。通信教育とかもあるしさ」
「ユディ」
「なに?」
「辛い」
 絨毯の上は温かかった。キョウキのフシギダネは窓際の日なたで丸くなり、体を休めている。ユディのルカリオは庭に出て、何やら一匹で鍛錬をしていた。
 ユディはテーブルにジュースのペットボトルと二つのグラスを置くと、ジュースをグラスに注ぎ始めた。
「キョウキ、旅が辛いのか?」
「辛いよ。……辛いよう。めんどくさいよう。絨毯やソファで、思い切りゴロゴロしたい。誰の目も気にせず、手足を伸ばしてのんびり眠りたい……」
 そのままキョウキはユディの部屋の絨毯の上をごろごろと転がり、うつ伏せに潰れた。
 ユディの静かな声が降ってくる。
「なら、しばらく休めばいい」
「休めないよ。今、手持ちのお金、一万円もないもん。……あと一週間も何もしなかったら路頭に迷う……」
「二、三日、ウズの家とか俺の家とかに居候でもすればいいだろう。ウズはお前の養親だし、俺はお前の友達だ。そのくらいする。キョウキ、しばらく休め」
「休めないよ。休めないんだよ。バトルの腕が鈍るだろ……?」
 キョウキはうつ伏せのまま、呪詛を吐いた。
「何もしないと、弱くなる……。バトルに負ければ、賞金を支払うのはこっちだ。……休めないんだよ。毎日ぎりぎりの思考で、命を懸けてポケモンを戦わせる。僕、もうきっと、まともじゃない……」
「キョウキ」
「人間らしい暮らしがしたい……ああ、僕だけじゃない、レイアもセッカもサクヤもそう思ってるよ……旅をやめたい。でも、ポケモンたちがいる。……ポケモンたちがいるから」
 そこでキョウキはがばりと起き上がった。緑色の被衣が頭から滑り落ち、黒髪を露わにする。
 キョウキは何事もなかったかのように、灰色の双眸を細めた。
「なんてね。愚痴聞いてもらう相手もいなかったからさ、ごめんねユディ。旅は楽しいよ。だけど、レイアやセッカやサクヤが帰ってきた時も、よかったら愚痴聞いてやってくれ」


 その晩、キョウキはユディの家で夕食をご馳走になり、風呂を借り、ユディの寝間着を借り、そしてユディのベッドを借りて眠った。旅の疲れが溜まっていたらしく、ろくに夜も更けないうちにキョウキは寝入った。
 そしてその翌日、キョウキはユディに、クノエの大学へと連れ出されていた。
 相変わらずモノトーンの服装に身を包んだユディに手を引かれ、袴ブーツに緑の被衣にフシギダネを頭に乗せたキョウキは、朝からぼやく。
「……ユディ、何だい、何なのさ、ねえユディー」
「大学の本屋に行くぞ、キョウキ」
「なんで? きょっきょちゃん、ユディのお家でゆっくりしたいよー」
「勉強したいって言ったの、どの口だよ」
「別に勉強したいだなんて、言ってないよ」
「いいや、お前は学問に飢えている。お前ら四つ子は基本的に物覚えもいいし、絶対に勉強を始めるべきだと思う」
 この四つ子の幼馴染は、こうと決めたら意地でも引かない。手持ちのルカリオと同じく、不屈の心を持っているのだ。
 キョウキは仕方なく、ユディについていった。
「勉強したところで、すぐに仕事に就けるわけでもなし。どうせなら専門教育とか受ける方がいいなぁ」
「何にしろ、初等教育の知識がないと無理だろ」
「やだなぁ、掛け算割り算くらいできるよー」
「なるほどな。じゃ、基礎数学の教科書と計算ドリル漢字ドリルとノートだな、とりあえず」
「ユディちゃんユディちゃん。きょっきょ、えんぴつも持ってない」
「マジか。筆箱から揃えなきゃか。下敷きもか」
「ユディちゃんユディちゃん。雨に降られたら、ノートとか濡れない?」
「カッパも買うか」
「ユディちゃんユディちゃん。きょっきょのお小遣い無くなる」
「……大学の生協で揃えるから。学生が購入すると割引されるから。無利子で貸し付けといてやるよ」
 ユディはキョウキを振り返ることもなく、早口でそのように口走った。
 キョウキはその後ろで微笑む。
 結局ユディは、キョウキに教材一式と文房具一式、そして電子辞書を買い与えた。
キョウキはずしりと重いそれらを受け取り、真顔になった。
「負債超過だね、これは」
「いいや、まじめに何度も繰り返して勉強すれば、必ず元は取れる。これは財産だ、キョウキ。これがお前の未来を切り開くんだ」
「……ふふ、未来かぁ」
 新品の教材、真新しいノートやペン。高価であろう軽い電子辞書。義務教育時代の胸のときめきがなんとなく思い出されるようだった。
 キョウキはふふふと笑った。
「早くこの中のこと覚えて、レイアやセッカやサクヤにも貸してあげなくちゃ」
「ああ、そうしてくれ」
「そしたら、四人で分割してユディにお金払えばいいもんね。えへへ。そしたら四人で一緒に中学卒業証明書貰うんだ。えへへへへへへ」
 いつになく上機嫌のキョウキを、フシギダネが不思議そうにのぞき込む。キョウキは勉強道具を荷物の中にしまうと、頭の上からそっとフシギダネを下ろして抱きしめた。
「えへへへ、ふしやまさん、僕ね、新しいこと始めそうだよ」
「だーねー?」
「僕、最近ちょっと鬱っぽかったもんね。これで心機一転。もう大丈夫だよ、ごめんね。……ユディ、ありがとね」
「ああ。どういたしまして」
 ユディも穏やかに笑った。そして悪戯っぽくキョウキに声をかける。
「俺、このあと講義あるんだけど。キョウキ、お前も潜り込むか?」
「ええ? 大学の講義なんて無理だよ」
「いや、数学とかわかんなくても大丈夫だし」
「いや、いいよ。僕はのんびりするって決めてるの」
「あっそ。まあいいや、俺んち戻ってていいから。俺も夕方には帰るし」
「うん。じゃあね、ユディ」
 そして大学構内で、キョウキとユディは別れた。


 日が傾く。灰色の雲の切れ間から橙色の光が差し込んでいた。
 その日の授業をすべて終えて、ユディは黙々と家路を急いでいた。脳裏には、キョウキの緩い笑顔が浮かんでいる。
 ユディは思えば、四つ子の笑顔と共に育った。
昔からユディは、揃ってやんちゃで甘えん坊な四つ子を取りまとめ、四つ子の喧嘩を仲裁し、そして四つ子を様々な遊びに連れ出し、ときには四つ子に勉強を教えたこともある。そして、今はルカリオに進化したかつてのリオルに出会えたのも、四つ子がいたからだ。
 しかし、四つ子は十歳に近づくにつれて、次第に笑顔が減っていったのだった。
 自分たちの不安定な身の上を悟り始めていたのだろう。量の少ない勉強にもますます身が入らず、四つ子はすぐに学校を抜け出し、裸足でクノエを駆け回り、ときには何もない空き地でひたすら四人は、虚ろな目で空を見つめていた。
 ポケモンなんて嫌いだ、と泣いて旅を拒絶したこともある。あの時は四人で寄ってたかってユディのリオルを虐めようとしたものだから、ユディは厳しく四人を叱った。この四つ子にポケモンと一緒に旅をすることなど、あの時は不可能としか思えなかった。
 しかし今、四つ子は順調に旅をしていた。
 ポケモンと力を合わせ、約一名を除いてはカロスリーグへの挑戦権も手に入れた。
 もう四つ子については、何も心配することはないと思っていたのに。なのに、キョウキは旅が辛いと打ち明けた。レイアもセッカもサクヤも同じだとそう言った。
 どうにかしてやりたい。ユディはそう思う。
 ユディは自宅に帰り着いた。
 ところが、家にはキョウキはいなかった。ユディの両親も仕事に出たまま家を空けており、ユディの自宅はがらんとして静かだった。
 しかし、キョウキはクノエを去ったわけではないらしい。ユディの部屋にはキョウキの荷物はなかったが、今朝キョウキが部屋に置いて出てきた葡萄茶の旅衣は、元のままユディの部屋に放置してあったのだ。
 ユディはそろそろと家を出ると、そっと正面玄関に鍵をかけた。そしてモンスターボールを手に取った。
「……ルカリオ」
 ユディはボールから、相棒を呼び出す。小柄なルカリオは、これもまたどこか不安そうな目でユディを見つめ返してきた。
「……キョウキは、どこだ?」
「がるる」
 ルカリオはすぐに四つ子の片割れの波動を感知したらしく、弾かれたように走り出す。ユディはルカリオに遅れないよう全力で走った。
 外は暗くなりかけている。
 ぽつりと、雨垂れがユディの頬を打った。


  [No.1374] 昼涙 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:45:44   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



昼涙 下



 緑の被衣を頭から被ったキョウキは、のろのろとブーツでぬかるみを踏み分けていた。
 その頭上のフシギダネは一身に雨を受けて、きょろきょろと暗いクノエの林道を見回している。
「……いたかい、ふしやまさん」
「だぁね」
「だめか」
 キョウキは荷物を持っていなかった。手ぶらで、葡萄茶の旅衣もユディの家に置いたまま、ふらふらと冷たい雨の中、14番道路を歩きまわっている。
 ユディと大学で別れた後、機嫌よくユディの家に帰ろうとしたのだ。
 しかしキョウキは、途中で荷物を盗まれた。
 十中八九、ポケモンに盗まれたのだろうと思う。泥棒か、トリックか、すり替えか。違いはどうでもよかった。
 荷袋の中には、財布やトレーナーカードは入っていない。それだけは救いだった。しかし、バッジケースやその他冒険のために必要な道具類はすべて、荷袋に突っ込んである。そして何より、先ほどユディに買ってもらったばかりの教材が入っていたのだ。それらがすべて奪われて、キョウキは内心ではややむかっ腹を立てていた。
「見つからなかったら、どうしようねぇ」
「だねー? だねだね」
「そうだよね。旅を続けるだけだよね。大丈夫だよ。続けるよ」
 フシギダネの鳴き声を適当に解釈して、キョウキは暗い林道を歩きまわる。荷物を盗まれたのは、ユディの家のすぐ近く、クノエもだいぶ南端のあたりだった。黄昏時、周囲には人気はなく、犯人が逃げ込むなら道路だろうと見当をつけて、何となく勘で乗り込んだ。
 しかし、犯人の気配もない。
「まあ、見つかるわけないよねぇ」
 キョウキのプテラが、きょええと甲高い声で鳴きながら上空を旋回している。キョウキは特に期待もせずプテラを見上げた。
「どうだい、こけもす?」
 プテラのモスグリーンの瞳が光る。キョウキは瞬きした。
「ありゃ、見つかったのか。さすがだよ、こけもす」
 キョウキが手を差し伸べてプテラを呼び寄せると、プテラは速度を落として地表すれすれまで降りてきた。フシギダネを頭に乗せたキョウキはひらりとプテラの背に飛び乗り、プテラの案内するに任せた。


 雨で全身がぐっしょりと濡れる。
 プテラは沼地を越え、そして間もなくキョウキを地上に下ろした。そして尾を微かに揺らしつつ、のしのしとぬかるむ草地を歩き、林の中に入っていく。
 湿った落ち葉に覆われた林の中は、プテラにもキョウキにも足音を立てさせない。色づいた葉が雨に洗われ、秋の林は水の世界に閉ざされ、そしてプテラはキョウキにそちらを顎で指し示した。
「……ありがとう、こけもす」
 小声で囁いてから、キョウキは雨を苦手とするプテラを静かにボールに収めた。木陰からこっそりと様子を窺う。
 いかにも古そうな黒い傘を差した男が、キョウキの荷物を漁っているのが見えた。
 その傍らにいるのは、カラマネロ、そしてニダンギル。男の周囲を警戒しているらしい。そうした状況を見ただけで、キョウキは失笑した。
 ポケモンセンターのロビーのソファを占拠していた男、タテシバだ。
 キョウキの荷物を奪ったのは、カラマネロのすり替えの技だろう。もう一方のニダンギルには昨日ポケモンセンターでお目にかかったばかりだ。
 タテシバはキョウキの荷袋の中から、新品の教材やノートを引っ張り出し、ぬかるみに捨てた。そして電子辞書を取り出すと、それだけは放り投げずにしげしげと眺めている。そして当然のように、着膨れた服の中にそれを押し込んだ。それからさらに荷物を奥まで引っ掻き回す。
 キョウキはただただ、溜息をついた。
 虚脱してしまっていた。
 真新しい本が泥に落ちる音が、キョウキの耳には残っている。今や参考書もノートもすっかり雨水を吸って、もはや使い物にならないだろう。そして電子辞書は、男の薄汚い懐に収まった。
 キョウキは雨の中、頭上のフシギダネに向かってぼやいた。
「ふしやまさん。あんな大人にはなりたくないね」
「ふーしゃー」
 フシギダネもまた、タテシバのそのような行為を見ても穏やかな表情と声音を崩さなかった。とはいえ、フシギダネはけして頭が悪いわけではない。むしろとても賢く、思慮分別に富み、そしてキョウキが本気で望めばその意図を汲んで全力を尽くしてくれる。
 しかしキョウキはあえて視線を伏せて、雨音の中で呟いた。
「ふしやまさん。このまま目撃証言だけ持って、警察にいこっか」
「だねだねー」
 キョウキはあくまで穏便に事を運ぼうとした。


 ところが、またも事は穏便には済まなかった。ニダンギルがキョウキに感付いたのだ。
 二振りの刀剣が、辻斬りを仕掛けてきた。
 戦闘に持ち込まれては、致し方ない。キョウキは鼻を鳴らし、二つのボールを解放した。
「ニダンギルって、これで二体って数えちゃ駄目なのかなぁ。ぬめこ、守る」
 現れたのは、ヌメイルとゴクリンの二体だった。
 ヌメイルが防壁を張り、ニダンギルを弾き飛ばす。
「ごきゅりん、カラマネロに毒々。ぬめこ、濁流だよ」
 間髪入れず、頭に浮かぶままゴクリンとヌメイルに指示を飛ばした。ようやくこちらに気付いたカラマネロにゴクリンが猛毒を浴びせる。そして雨の力を受けたヌメイルの濁流が、タテシバに、カラマネロに、ニダンギルに襲い掛かる。
「ごきゅりん、カラマネロにヘドロ爆弾。ぬめこはニダンギルに竜の波動」
 濁流に呑まれたタテシバが体勢を立て直すのも待たず、キョウキは非情に次の指示を下した。
 先に仕掛けてきたのはあちらだ。それに、トレーナーは狙うつもりもない。トレーナーに重傷さえ負わせなければ、キョウキは何もかもが許される。
 キョウキは笑った。トレーナーの罪を被るのは手持ちのポケモンだ。思う存分、恨みを晴らしてやる。キョウキは哄笑しながら、ゴクリンとヌメイルに指示を下す。
今回はトキサの時とは明らかに違うのだ。キョウキはタテシバを傷つけるつもりは毛頭なかった。だから、キョウキも良心の呵責に苛まれることはない。ポケモンはいくら傷つけても構わないと、キョウキはそう学んだし、そう思っている。
 キョウキは嗤った。
 ゴクリンとヌメイルは、手早くカラマネロとニダンギルを戦闘不能にまで追い込んだ。すっかり泥水にまみれ、ぽかんと呆気にとられているタテシバをキョウキは剣呑な目つきで見下ろした。
「……おい、まだやんのかよ」
「う、おおおおおおおおおっ」
 タテシバはやけになったか、さらに三つのボールを投げた。しかしボールが開く前に、ゴクリンが何気ない顔でヘドロ爆弾を吐きかけた。ボールが壊れ、中に封じられていた三体のポケモンが現れる。おやとの絆を断たれた三体のポケモンはきょろきょろと戸惑っていた。
「あー、ボール壊すとああなるんだ? 一応潰しとくか。ぬめこ、濁流」
 状況を掴めていない三体のポケモンも、容赦なく泥水で押し流す。更に追撃を命じる。
 手持ちを全て瀕死にしたタテシバの元に、フシギダネを頭に乗せたキョウキはにじり寄った。そして愛想笑いをしようとして、凶悪な笑みが出来上がった。
「……タテシバさん」
「すすすすすすいませんでしたここここれ拾いました拾っただけですえっと」
「言い訳は署でしてください。ふしやまさん、お願いね」
「だぁね」
 フシギダネの蔓が伸び、タテシバを捕らえる。
 キョウキは泥だらけになった荷袋をとりあえず指先で拾い上げ、目を閉じた。
 小柄なルカリオに連れられてユディがようやくそこに辿り着いたのは、その時だった。


「あ、ユディ――」
 キョウキはユディの姿を認めて、微笑もうとした。
 しかし、ユディはキョウキの頬を殴り飛ばした。
「えっ」
「キョウキお前バカ、ここまでやるか!」
 キョウキはきょとんとして、瞬きを繰り返した。
 幼馴染のユディが激昂している。ここまで激しく怒られたのは、四つ子の片割れたちと一緒にユディのリオルを虐めた時ぐらいではなかったか。キョウキは呆ける。
「え、なに? 僕、何かした?」
「だから! タテシバさんのポケモンになんてことするんだ!」
「え?」
 キョウキは首を傾げる。タテシバを蔓で捕らえていたフシギダネは、ぴょんとキョウキの頭上から飛び降りた。キョウキは疑問を口にする。
「え、でもタテシバさんは怪我させてないよ? ポケモンならポケモンセンターに行けば一瞬で治るじゃない。何言ってんのさ、ユディ」
「そう言う問題じゃなくてな、明らかにやりすぎだろう!」
 叫ぶユディに、捕らえられているタテシバがそうだそうだと同調した。しかしキョウキがタテシバを睨むと、タテシバは黙り込んだ。
 キョウキはふうと溜息を吐く。
「だってねユディ、トレーナーに重傷さえ負わせなければ、何をしたっていいんだよ?」
「確かに法律ではそうだ。だが、だからって何もかも許されるわけじゃない!」
「ユディ。おちついて。僕は規範の話なんてしちゃあいない」
 キョウキはぬかるみに半ば沈んでいる、ひどく痛めつけられたカラマネロやニダンギル、また他のタテシバの手持ちたちを一瞥した。そして鼻で笑った。
「おやを見る目のなかった、あいつらが悪いのさ」
 キョウキは死に瀕しているポケモンを嘲笑する。
 ユディは無表情になった。
そしてユディは踵を返し、冷たく言い放った。
「なるほどな。――ならキョウキ、お前の不幸はすべて、父親を見る目のなかったお前の責任に起因するんだな」


 その晩、キョウキは思い切りふて寝した。


 翌日の昼になった。
 タテシバからは、何も返ってこなかった。
 雨や濁流に洗われた教材や文房具類、そして電子辞書は、もう役には立たない。その分の代金すらも、帰っては来ない。タテシバは一銭の財産も所持していなかったからだ。
 持たない者からは、相当の額を返してもらうことすらできない。
「こればっかりは、たとえトレーナーだろうとどうしようもないさ。……少額だし、ポケモン協会からの見舞金なんてのも下りない」
 ユディの部屋に戻った後、ユディはそのようにキョウキに声をかけた。二人とも、昨日の喧嘩のことなど綺麗に忘れている。ユディとキョウキは、かつては文字通り血で血を洗うような大喧嘩を幾度も繰り広げてきたものだ。それに比べれば昨日の喧嘩は可愛いものだった。
キョウキは床の絨毯で胡坐をかいたまま、目を閉じて黙り込んでいた。フシギダネはやはり窓際の日なたに丸くなり、これもまた穏やかに目を閉じている。
 何が、少額、だ。キョウキにとって数千円の出費がどれほど大きいか。
 どれほど、希望を託していたか。
 キョウキはただ低く呟いた。
「やっぱ、だめだね」
「……確かに紙だと、旅には向かないな」
「そう。そういうこと。すぐに雨でぐちゃぐちゃになるし。やっぱ勉強は諦めよう」
 キョウキは唸り、ごろりと転がった。せっかくユディのお金で買ってもらったのに、財産は消え、借金ばかりが増えた。キョウキは舌打ちする。
 しかし怒りが静まってみれば、ただただユディの善意が無駄になったことが胸を締め付ける。旅の中で図太い神経を手に入れたと思っていたのに、まだキョウキの心には繊細な部分が残っていたらしい。
 キョウキは消え入りそうな声で謝罪した。
「……ごめんね、ユディ」
「しょうがないさ。カラマネロのすり替えを予防するのなんて、ほぼ不可能だろ。気にするなよ」
「……お金、いつか返すから」
「いつでも、返せたらでいいから。何なら踏み倒してくれても、別に怒んないから。そんなに思い詰めるな、キョウキ」
 キョウキは絨毯にうつ伏せになる。
 新品の教科書やノートを買ってもらって、ぴかぴかの新入生のように心を躍らせていた昨日の朝の自分が愚かしい。旅をする身では、勉強などままならない。
 ウズに嘆かれ、モチヅキに馬鹿にされ続けるような、無学の者に甘んじるしかないのだ。キョウキたち、四つ子は。
 それもこれも、父親が四つ子を捨てたから。
 キョウキが密かに歯噛みしたところで、ユディの穏やかな声が聞こえてきた。
「キョウキ、そんなに勉強したいのか?」
 ユディの問いかけに、キョウキは不機嫌も露わに応える。
「別に。もうユディには迷惑かけないから、いいよ」
「いや……俺ももう、俺の小遣いを貸して教科書やノートを買ってやる以上のことは、お前らにはしてやれない。……ごめん」
 ユディの手が、キョウキの頭にぽんぽんと触れた。
「でも、なにか分かった気がする。お前ら四つ子が、歳とってもタテシバさんみたいなことをせずに済むように、何をするべきか」
「へえ。どうするの?」
「……今の俺じゃどうにもならないけど。例えば、トレーナー政策のためにかかってるとんでもない額の税金を、無償教育の整備の方に振り向けるとかさ」
 ユディはベッドにもたれかかって、キョウキの傍に座り込んでいるようだった。そしてとめどもなくつらつらと語った。
「政府は、トレーナーの育成しか考えてない。そのために、立場の弱い人間を利用してる。でも、親がいないとか、お金がないとか、そういう立場の弱い人間だって、トレーナー以外の道を選ぶ権利はあるんだ。きっと」
「…………」
「政府はトレーナー政策を公共福祉だって言ってる。でも、職業選択の自由は守られてしかるべきだよな。そういうことだよな」
 キョウキは黙ってそれを聞いていた。
 ユディはぼそりと呟いた。
「だから、いつかお前たち四つ子を、トレーナー業から解放してやるよ」
 ユディはキョウキを見ていた。キョウキは緑の被衣の陰から横目でユディを見やった。灰色の瞳が、ぎゅうと細められた。
「……やれるもんなら、やってみろよ」
「……やってやるさ」
 ユディは笑って、幼馴染の挑発に乗ってやった。


  [No.1376] Re: 昼涙 下 投稿者:レイコ   投稿日:2015/11/05(Thu) 20:59:33   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

はじめまして。レイコと申します。昼涙 下 まで読ませていただきました。
感想は完結を待ってしかるべきかと思いましたが、どうにも我慢できませんでしたので……
いやあ面白いです。四つ子とポケモン。さいごまで一気に読みきってしまいました。
イメージイラストも素敵ですね。すんなり頭にビジュアルが浮かぶことで読む楽しみも倍々増です。
さて、個性豊かな四つ子とトキサとの交流にほのぼのさせられていた矢先の『転』。
白状しますと、かなりショックを受けました。先に面白いと言いつつこの段階で相当凹みました。
法律、政治等のキーワードは頭にインプットされていたはずですが、つくづく心構えが足りていなかったなあ、と。
ミアレの魅力を余すところなく伝えてくれるトキサのエリート節、好きでしたのに。
それら全部ひっくるめて、面白い、とこの小説にむかって声を大にして言いたいのですけれども。
ポケモンのゲームにせよアニメにせよ、ぬるま湯の世界観を享受しつつも頭の片隅から離れない矛盾や疑問がいざ取沙汰されると、こんなにキツいものかと思い知りました。
なかなか自力で足を踏み出せなかったテーマにふれることができて、いい経験をさせていただいた気がします。
もっと素直な言い方をすれば、恐いもの見たさでこういった小説を一度読んでみたかったんです。
ようこそお待ちしておりました! と、申し上げたいくらいの不安と期待が渦巻いています。
まだまだお伝えしたいことはありますが、きりがないので今回はここまでにさせていただきます。
執筆お疲れさまです。続きを楽しみにしております。


  [No.1378] Re: 昼涙 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/05(Thu) 22:46:46   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 レイコ様、はじめまして。浮線綾です。
 拙作をお読みいただき、ありがとうございます。さらにはすてきなご感想までいただいてしまい、幸せで呆けています。
 そして、完結を待っていただかなかったことに、大変安堵しております。なにしろ、四つ子の心の赴くまま、完結など全く考えずの連作ですので。

 法や政治といったテーマが堅苦しく、またどうしても殺伐となりがちなので、楽しんでいただけるかという不安が当初からありました。ただ、私自身も面白おかしく書いておりますので、面白いと思っていただけたなら、幸福の極みです。
 これからもカロスの色々な街や、メインキャラクターの人柄や、ポケモンや、ポケモンの世界を表現できたらと思います。

 しばし私生活が込み入るので、執筆はのんびりになると思います。が、このような温かいご感想を心の糧にして、またのんびりと続きを描いていけたらと思います。
 自分勝手で我儘放題な四つ子しかおりませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

 それでは改めて、ご感想を本当にありがとうございました!


  [No.1381] 宵闇の挽歌 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:02:38   51clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



宵闇の挽歌 上



 二本牙ポケモンの背に乗って深い雪を渡りに渡り、そうして昼前には雪のない場所に辿り着いた。
 サクヤはゼニガメを片手で抱え直すと、青い領巾を引きつつモチヅキの手をそっと取り、マンムーの背からモチヅキが下りる手助けをする。豪雪地帯のマンムーロードを抜け、ようやく二人はヒャッコクシティに辿り着いたのだ。
 星巡る時告げの街は、半ば湖の上に張り出すようにして築かれている。
 マンムーに別れを告げてゲートを抜ければ、特徴的な日時計はすぐにサクヤとモチヅキの視界に入った。晴天にそびえる日時計は、ギラギラと淡紅に輝いている。
 サクヤが遠目に日時計を眺めていると、モチヅキの手が葡萄茶の旅衣の肩に触れた。サクヤは慌てて顔を上げ、モチヅキを見上げる。
「苦労をかけた。ここまででよい」
「はい、……あの」
「午後六時にはポケモンセンターで落ち合おう」
「はい」
 サクヤはゼニガメを両手で抱え、背筋を伸ばす。
 黒衣のモチヅキは微かに目元を緩めたかと思うと、颯爽と踵を返し、観光客の多い人混みに紛れてヒャッコクの街の中へ消えていった。
 サクヤはモチヅキの姿が見えなくなるまで、ぼんやりとそれを見送っていた。
 そして、大きく溜息をついた。
「……ああ……」
「ぜに? ぜにぜに? ぜにぜにぜにが!」
「……なんだ? アクエリアス」
 サクヤの抱えるゼニガメが、何やら満面の笑顔でたいへん上機嫌に鳴きたてている。サクヤは軽く眉を顰めた。
「なんだ、僕はそんなに浮かれていないぞ」
「ぜーに、ぜにぜに! ぜにゃーっ!」
「こら」
 ゼニガメがぴょんとサクヤの腕から飛び出し、短い足でしたたたと街道を走る。サクヤは速足でそれを追った。
 ゼニガメは街道脇の柵を短い手足で器用によじ登ると、青く澄んだ湖に飛び込んでしまった。
 サクヤは嘆息した。湖面からゼニガメが顔を出し、サクヤに向かって水鉄砲をしてきている。サクヤも湖に飛び込めと、そう言っているのか。そんなことができるわけがない。サクヤは仕方なく、ゼニガメの姿を確認できるベンチに腰を下ろした。日時計の綺羅綺羅しいピンク色が、嫌でも目に入る。
 サクヤはあの派手な日時計は好きではない。誰が作ったものだか、はたまたどこからやってきたものだか知れないが、まるでプラスチックでできた玩具のピンククリスタルをそのまま巨大化させたような品の無さがある。もしあの日時計をかつてのカロスの貴族が造ったのだとしたら、サクヤはその貴族の品性を疑う。


 さて、サクヤがその好かぬ日時計を拝む羽目になったのは、モチヅキをフウジョタウンからこのヒャッコクシティまで護衛してきたからであった。そのモチヅキはヒャッコクでの用事を済ませに行った。そうなると、サクヤは夕刻まで暇である。
 ヒャッコクに来たのは、この街のエスパータイプのジムに挑戦した時以来だった。
 しかし、サクヤにはこの街ですることが特にない。わざわざこれ以上あの悪趣味な日時計の近くに行く気にもなれない。そもそも観光客の人混みは嫌いだ。
 ヒャッコクには有名なブティックもあるが、古趣味な養親に育てられたサクヤは流行の衣服というものにもとんと興味がない。
 この街のジムリーダーであるゴジカの占いもとかく有名だが、やはりサクヤは、興味がない。
 ゼニガメは楽しそうに湖の水を跳ね上げている。
 サクヤがベンチに座り込んでゼニガメをぼんやりと眺めていると、ベンチの隣に、年配の女性が腰を下ろしてきた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
「今日も湖は綺麗ねぇ」
 老婦人はただ一人、趣味の良い服装をしているがどこかへ出かける風でもなく、ただ目を細めてサクヤの隣に座っている。そして柔らかい声でサクヤに話しかけてきた。
「あの元気の良いゼニガメさんは、貴方のお友達なのかしら?」
「……ええ」
「今日もいい天気ねぇ。もしかして、フウジョの方から雪山を越えて?」
「ええ、マンムーに乗って参りました」
「吹雪の中、大変でしたでしょう。もしかして、クノエのお方?」
「ええ、そうです」
「そう、やっぱり。クノエのマーシュさん、素敵よねぇ。おとりまきのお嬢さんたちも華やかで」
 老婦人は日差しのように、のんびりと語っている。
「貴方のお着物も、マーシュさんがデザインなさった?」
「いえ、これはジョウト出身の養親が縫ってくれまして……」
「あら、本場じゃない。マーシュさんもジョウトの出身だそうだけれど」
「ええ、僕の父方の実家もジョウトのエンジュで。僕は生まれはクノエですが」
「あらあら、じゃあマーシュさんともお知り合い?」
「養親は、そうですが。僕はジム戦に挑ませていただいた他は……特に……」
 サクヤが控えめに答えると、老婦人はふと口を閉ざした。
 しかし老婦人はすぐに笑顔になり、サクヤに向き直った。
「お会いしたばかりなのに、急に色々とごめんなさいね。私はミホ、タテシバミホと申します。いつも日時計を眺め暮らしているだけの、ただのおばあさんですけれど」
「いえ……僕はシジョウと申します」
「シジョウさんね、シジョウさん……お名前?」
「いえ、シジョウのサクヤと申します」
「そう、サクヤさん。もしお暇なら、おばあさんの話し相手になってくれるかしら?」
 サクヤはミホを見つめた。そして特に断る理由もないので、頷いた。
「僕でよろしければ。……用事があるので夕刻には失礼しますが」
「十分よ」
 そしてミホは、サクヤをカフェに誘った。
 湖面のゼニガメが騒ぐので、サクヤはゼニガメをボールに戻すことでゼニガメを手元に戻した。しかしゼニガメは勝手にボールから飛び出してきたので、サクヤはそのままゼニガメを両手で抱えた。


 ヒャッコクシティの北端、湖を望む洒落たカフェの窓際のテーブルに、サクヤとミホは席をとる。サクヤは膝の上にゼニガメを下ろし、そして二人はそれぞれランチを頼んだ。
 ミホはやんちゃなゼニガメを見つめ、ますます目を細める。
「ゼニガメちゃん、かわいいわねぇ」
「大変ないたずら者ですが……」
 サクヤは表情を変えず、静かに応じる。膝の上に乗せたはずのゼニガメは、いつの間にかサクヤの肩の上に這いあがり、サクヤの髪をぐいぐいと引っ張っていた。
 ミホはくすくすと笑った。
「ね、サクヤさん。緊張なさってる? おばあさんとランチなんて初めてかしら」
「初めてですし、戸惑っていないと言えば嘘になりますが……」
「私、貴方の笑顔、好きよ?」
「……僕が、いつ、笑いました?」
「貴方が、長い黒髪を三つ編みにした方を、お見送りしているときに」
 サクヤはきょとんとした。
 てっきりこのミホという老婦人が、以前にサクヤの片割れの誰かの笑顔を見たことがあるとでも答えるものと思っていたのだ。サクヤは一卵性四つ子の片割れであるため、レイアの険のある笑顔も、キョウキの貼り付けたような笑顔も、セッカの馬鹿さ丸出しの笑顔も、ある意味ではそれらすべてがサクヤの笑顔ともいえる。
 しかしミホは、サクヤがつい先ほど、モチヅキを見送る時に笑っていたという。
 サクヤはわずかに眉を顰めた。
「……笑っていましたか……」
「ああサクヤさん、どうぞ気を悪くなさらないで。私、こんな歳だけれどとても目がいいのよ。貴方の表情を見て、素敵な方だと思って、私、貴方に一目ぼれしたの」
 ミホはくすくすと笑う。笑い方の可愛らしい老婦人だった。背筋もまっすぐ伸びており、所作の一つ一つに気品が漂っている。
 サクヤも小さく笑い、軽く会釈した。
「若輩者ですが」
「嬉しい。じゃあ、食後のティータイムまでお付き合いいただきましょうね」
 パンとスープとサラダ、魚料理といった軽食が出される。そこでミホは、またもやくすくすと笑った。
「なんだか、お着物をお召しの方に申し訳ないわね。お寿司屋さんにでもお連れすればよかったかしらね」
「いえ、いつものことですので」
「そう。ねえ、私も若い方とお食事しながらお話するのなんて、久しぶりなのよ。恋バナとかしましょうか?」
「ミホさんも恋なさるんですか?」
「もうやだ、私はサクヤさん一筋よ、分かってるくせに」
「冗談ですよ」
 小さく笑いつつ、スープを飲む。ミホは笑いを含ませた声で囁いた。
「ね、サクヤさんはあの三つ編みのお方にぞっこんなんでしょ?」
「あの方は、僕の師であり、親でもある方です」
「つまり恋愛などではなく、親愛であると、そうおっしゃりたいのね」
「当たり前ですよ。あの方に恋など、それはもう恐れ多くて」
「崇拝していらっしゃる。それとも、憧れ、かしら」
「モチヅキ様は、素晴らしい方ですよ」
「モチヅキ様、ね」
 ミホは拗ねたような口調を作った。パンを小さくちぎる。
「そのモチヅキ様は、どういった方なのかしら?」
「裁判官をしておられます。僕ら兄弟を、実の親に代わり長く面倒を見てくださっています」
「裁判官様が……。それはさぞ心強いでしょうねぇ。サクヤさんは、兄弟は何人お持ちなの?」
「三人です、四つ子の片割れが」
「まあ、四つ子」
 ミホはちぎったパンの欠片を皿に取り落とした。サクヤは澄ましてスープを掬って飲んだ。
「よくそのような反応を頂きます」
「まあまあまあ。よくサクヤさんに似ておいでで?」
「顔かたちも声もすべて同じです。ミホさんのお気に召すのでは?」
「あらもうやだ、ひどいわね、私をそんな女だとお思いなの?」
 そしてひとしきり二人は軽く笑う。
「そう、そうなの。モチヅキ様が貴方がた四つ子を育ててくださったのね。ご両親はお忙しい?」
「母は昔に亡くなりました。父はジョウトで忙しくしているのでしょうが、顔も知りません」
「ごめんなさい。……お寂しくはない?」
「いえ、騒がしい片割れたちがおりましたから、寂しいということは。今は一人旅の身ですが、ポケモンたちもいますし。モチヅキ様のお役にも立てます」
 そうなの、とミホは溜息をついた。
「ごめんなさいね、サクヤさんのことばかり根掘り葉掘りお伺いして。ここは公平に、私の素性もお明かししておきましょうね。私はね、夫に先立たれて、息子夫婦と孫がいる……いた……のよ」
 ミホは静かな声音で、やや早口に、自分の話をした。
「つまらない話ですけど、許してね。私には孫が二人おりました。けど、この孫の兄の方が大変な悪さばかりしましてね、……孫娘は何年前かしら、亡くなりました。私もつい熱くなって、息子と離縁してしまいましてね。なんて」
「……それは」
「だから私も、今はポケモンだけが心の支えなのよ。トレーナーではないけれど。……貴方のゼニガメさん、とてもすてきね」
 ミホは寂しそうに笑い、スプーンをそっと空のスープカップに置いた。
 そしてサクヤも昼食を終えているのを確認すると、明るい笑顔を作った。
「それじゃ、食後のデザートを頼みましょうか」


 紅茶とロールケーキと共に、サクヤはミホと軽い冗談を時折交えつつポケモンの話などをした。
 湖を臨む席は絶景で、ケーキも美味しく、そしてミホは話を聞くのが上手かった。
 ポケモンだけを共に旅をしていると、自然と口数は減る。サクヤも手持ちのポケモンたちに普段から話しかけはするものの、ポケモンは共に問題に立ち向かうべき旅の仲間であって、悩みを打ち明けるべき相手ではない。
 サクヤは初めはミホに請われるまま旅の話や片割れたちの話をしていたが、旅先での苦労の話はどうしてもしやすかった。
 それに気付いてサクヤはふと口を閉ざした。
「……すみません、どうも愚痴っぽくなってしまって」
「いいえ、こんなに才能ある四つ子さんを放っておくお父様もお父様だわ。いっぺんガツンと言ってやればいいのよ」
「ですが、連絡先も分かりませんし……」
「そんなの、養親のウズさんや、それこそモチヅキ様にお伺いすればいいじゃない。父親でしょう、何を遠慮することがあるの。サクヤさん、ご兄弟と力を合わせて、頑張って」
「……でも、父にいったい何を……」
「せめて顔でも見せに来いと、言っておやりなさい。そしてエンジュの美味しいお菓子をお土産にねだりなさい。それからお会いして、ゆっくり家族でお話をするの。戸惑うかもしれないけれど、大丈夫よ、きっと……」
 しかしそう言っているミホ自身も、寂しい表情になっていることにサクヤは気づいた。ミホもまた家族の離別に苦しんでいるのだ。
「……ミホさんも……その、失礼ながら、息子さんやお孫さんとは」
 久しぶりに人と話をして、気が大きくなっていた。サクヤはそのように言いかけ、はっとして口を噤んだ。
しかしミホの表情はこわばっていた。
「そうね、そうよね。偉そうなこと言えないわよね、ごめんなさいね」
「いえ、そういうわけではなく……」
「……私も分かってはいるのよ。戸惑っているの。……息子夫婦はどうしているかわからないし、梨雪もこんなことになって……ああ……」
 老婦人は動揺した様子を見せ、とうとうハンカチで目頭を押さえた。サクヤは失言だったと冷や汗をかいた。
 その時、それまでサクヤの膝でまどろんでいたはずのゼニガメが飛び出した。
「あらっ」
 ゼニガメはサクヤの膝からミホの膝に飛び移り、にこにこと愛想よくミホを見上げている。ミホもつられて笑顔になる。
「まあまあ……慰めてくれてるの? いい子ね、優しいわねぇ。ありがとう。……サクヤさん、ごめんなさいね。おばあさんが取り乱したりして、困らせてしまって。……最近気が弱ってしまって困るわ」
 ミホはそう取り繕い、そっとゼニガメの甲羅を撫でている。そして未だにやや震える声でサクヤに頼みごとをした。
「ごめんなさい……すぐ終わるわ、私の話を少しだけ、聞いてくださる?」
「構いません、僕の方もつい甘えてお話を聞いていただいたので」
「本当にごめんなさいね。つまらないお話なので、すぐ忘れてちょうだいね」
 老婦人はゼニガメの煌めく瞳を覗き込み、微笑した。そして静かに話し始めた。


  [No.1382] 宵闇の挽歌 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:03:55   53clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



宵闇の挽歌 下



「すべて、アブソルの運んだ災いだわ」
 老婦人はサクヤのゼニガメを膝に乗せ、背筋を伸ばすと、初めにそう言い放った。
 ミホは毅然とした態度で、そしてそれまでより固い声音になっている。
 サクヤはそれを正面から受け止めていた。
「私の孫がアブソルを捕まえたことが、すべての始まりなの。それまで優しかったあの子は、どこかへ行ってしまった。乱暴になり、勝手に家を出て、悪さばかりして。そしてとうとう――」
「とうとう?」
「あの子は……自分の妹を…………榴火は梨雪を殺したのよ……」
 ミホは目を伏せ、言葉を震わせた。
 サクヤは予想外の話に、顔を強張らせる。なるほど話しにくい内容ではある。
 ミホは空になった紅茶のカップを両手で強く握りしめていた。
「榴火は捕まったわ。そして裁判になった。でも、事故ということになったわ。だってそうだもの、アブソルの災いで梨雪を殺したんだもの」
 そこでサクヤは眉を顰めた。
 ひと世代昔の人間は、アブソルに関する迷信を信じていることが多い。つまり、アブソルが災いをもたらすと考えているのだ。しかし現在の研究によると、アブソルは災害を感知するだけであり、アブソルそのものに災いをもたらす力などはない。
 しかしこの老婦人は、アブソルが災いをもたらしたと信じているのだ。
 そのことに気付き、サクヤはより慎重になった。
 ミホの話は続いている。
「アブソルで、梨雪を殺したのよ、榴火は。……でも、私の息子は、榴火を庇った。だから私は、息子と離縁したの。息子夫婦が今、どこでどうしてるかは私にも分からないわ」
「……そのお孫さんは」
「知らないわ。何の罰も受けずに、のうのうと今もどこかで旅をしているのよ」
 ミホは固い表情で言い捨てた。
 それをサクヤも、俯いて聞いていた。
 ミホの話を聞いた限りでは、そのミホの孫に妹を殺す気があったのか否かは判断できない。ミホの孫に対する愛憎入り乱れる感情も、ただのミホ一人の誤解に基づくものかもしれない。
 けれどミホの視点に立ったとき、サクヤには何も言うことができない。
 罪に見合うような罰を受けず、のうのうと自由に生きているのは、サクヤも同じだからだ。ミアレシティで四つ子が起こした事件については、サクヤはミホに伝えていなかった。伝えなくてよかったと、サクヤは心から思った。もし話していたら、ミホは心からサクヤを憎んだだろう。
 しかし、それはつまり、自分はミホを騙したことになるのではないだろうか?
 確かに、ミアレシティでエリートトレーナーに重傷を負わせた事件では、四つ子が完全に悪かったと言い切れるわけではない。それでも、エリートトレーナーは生涯にわたる傷害を負い、四つ子はひと月の謹慎で許された。それで許されて良かったのか、サクヤは今も悩んでいる。レイアもキョウキもセッカも、悩み続けているだろう。
 けれど形式的に許されてしまっている以上、サクヤもまた、自分と同様に社会から許されているミホの孫を、責めることはできない。
 だから、サクヤは、ミホに同調することはできない。
「……息子や孫を思い出すから、トレーナーは嫌いだったわ……」
 ミホの静かな声に、サクヤは顔を上げた。
 老婦人は小さく項垂れながらも、ゼニガメの甲羅を優しく撫でている。愛情のこもる手つきだった。
「でも、ポケモンは好きだから……さっきゼニガメを大切に抱いて微笑んでいるサクヤさんを見て、素敵だなと思ったのよ……素敵なトレーナーさんもいるんだって、思ったの」
 ミホは顔を上げて、潤んだ瞳でサクヤを見つめた。サクヤも見つめ返した。
「サクヤさん、貴方はきっと、人にもポケモンにも優しいトレーナーなのでしょうね。きっと誰を不幸にすることもなく……いいえ、きっと周りの人を幸せにしてくれる、そういうトレーナーなんだわ」
 サクヤは何も言えなかった。
 ミホはもう一度ハンカチで目元を押さえると、今度こそ柔らかいすっきりとした笑顔になった。
「今日は本当にありがとう、サクヤさん。おばあさんの悩みを聞いてくれて、ありがとうね。ゼニガメちゃんも」
「……ミホさん」
「お昼とデザート、奢らせてもらうわね。さ、おばあさんの愚痴なんて忘れちゃって。旅も大変でしょうけど、四つ子のご兄弟やゼニガメちゃんたちと一緒なら、大丈夫」
「……すみません、ありがとうございます。……ごちそうさまでした」
 サクヤは俯いていた。
 ミホは立ち上がり、サクヤにゼニガメを返した。立ち上がってゼニガメを受け取っても、サクヤは頭を下げるように床しか見ることができない。
 ミホはすまなそうな声音になった。
「いやな話を聞かせてしまって、ごめんなさいね」
「いえ……身に染むようなお話でした。……僕もよくよく気を付けます」
「サクヤさんなら大丈夫よ、だから、ほら、ね、笑って。おばあさんはサクヤさんの笑顔に惚れたんだから。素敵な笑顔を見せてちょうだい」
 サクヤはゆっくりと顔を上げた。
 サクヤには、ミホの前で堂々と笑顔になる資格などなかった。サクヤもまた周囲を不幸にするトレーナーであったからだ。ミホが憎む、災いをもたらすトレーナーだからだ。
 ここでミホに笑いかけたなら、サクヤは最低の道化だ。
 けれどミホに笑いかけなければ、ミホはサクヤを苦しませた罪悪感を抱き、そのため余計にミホを苦しませることになるだろう。
「…………すみません」
 サクヤはひどく逡巡した末に、頭を下げるしかできなかった。
 ミホも寂しげに笑った。
「いいのよ、サクヤさん。……良い旅を」
 あるいはミホも、サクヤが何者なのかを見抜いていたのかもしれない。


 青い領巾のサクヤはとぼとぼと、夕暮れのヒャッコクを歩き回っていた。
 老婦人と別れてから、落ち着きなく日時計の近くへ行ったりポケモンセンターまで行ったり、ひたすら考え事をしながら街の中をあちこち歩いて、気付いた時には日が沈んでいた。
 とうとう疲れてポケモンセンターのロビーのソファに座り込み、サクヤは相棒のゼニガメを見つめ、溜息をつく。
「ぜに? ぜにぜにぜにっ?」
 ゼニガメはサクヤの膝の上でもぞもぞと暴れ、ぴょんと飛び出し、いつものように勝手にどこかへと走り出した。サクヤはのろのろと立ち上がり、ゼニガメの行方を視線で追う。
 そして、ポケモンセンターに入ってきたばかりの黒衣の人物が、屈み込んでゼニガメを拾い上げるのを見た。
 サクヤは慌てて背筋を伸ばし、モチヅキに駆け寄った。
「モチヅキ様、お疲れ様でございます」
「……そなたも、随分と疲れた様子だな。ゼニガメに振り回されでもしたか」
 サクヤのゼニガメを抱き上げたモチヅキは、どこか面白がるような声音だった。サクヤは苦笑する。
「あ、いえ……今日はそこまでは」
「何かあったか。昼は食べたか」
「はい……」
 ゼニガメをモチヅキに奪われてしまい、サクヤは手持ち無沙汰に青い領巾を指先で弄る。するとモチヅキのゼニガメを抱えていない方の手が、サクヤの黒髪を撫でた。
「……夕飯にするか。……おいで」
 サクヤははにかみつつ、伸ばされたモチヅキの手を取った。仲の良い親子のように手を繋ぎ、夜闇の外へと歩き出す。モチヅキがここまで幼子のように扱うのは、サクヤぐらいだろう。なぜかモチヅキはサクヤだけを特別に甘えさせてくれた。
 星空の下、二人はヒャッコクの街を歩いている。
「……モチヅキ様、僕は悪いトレーナーでしょうか」
「無論そうだ。何しろ学がない。無知は罪だ」
 モチヅキは普段よりも数段柔らかい声音ながら、言うことは容赦なかった。しかしそれはサクヤも慣れっこである。繋いだ手の温かさに目を閉じる。
「モチヅキ様、タテシバという方をご存知ですか?」
「……それは」
「兄のアブソルが妹を殺したかもしれない、という事件があったそうですね」
 モチヅキの夜空のような黒い瞳が、サクヤを見やる。サクヤも夜の雲のような灰色の瞳でモチヅキを見つめ返す。
「今日お会いしたんです、その兄妹の祖母という方に。色々お話をしたのですが、僕がモチヅキ様の名を出したとき、少々不自然な様子が見られたので、そうかと思ったのですが」
「……何が言いたい、サクヤ」
「モチヅキ様、タテシバ兄妹の事件の裁判を担当なさったのでしょう?」
 頭上では満天の星が瞬いていた。
 サクヤの手を引くモチヅキは、ふと息を吐くように笑った。
「……その通りだ。……そしてその時、かのルシェドウとか申すポケモン協会職員にも出会った」
「そのタテシバ兄はいかがなさったのです」
「無罪よ」
「やはり」
 サクヤも嘆息した。
 モチヅキは裁判官だが、ポケモントレーナーによる傷害事件に関する訴訟においては、比較的トレーナー側に対して辛い点を付けがちである。その訴訟の関係で、モチヅキは一人のポケモン協会職員と因縁とも呼べる間柄になった。
 それが、ルシェドウである。サクヤの片割れの一人のレイアの友人でもある。
 モチヅキはルシェドウをおそらくは嫌っている。基本的に人間関係に淡泊なモチヅキがそこまで嫌う人間ならば、おそらく裁判関係で、モチヅキの意に沿わぬ判決を下すことを余儀なくされた相手なのだろう。
 ルシェドウは、ポケモントレーナーであるタテシバ兄を擁護したのだ。
 そしてモチヅキは、ポケモントレーナーであるタテシバ兄に無罪判決を下すことになったのだ。
 サクヤとモチヅキは、レイアとルシェドウとは、今朝方フウジョタウンで別れたばかりでもあった。ようやく別れられたと思っていたのに、思いがけず夜になって再びその存在を思い出す羽目になっている。
 モチヅキの気分を害したかもしれないと思い、サクヤは恐る恐るモチヅキの顔を窺った。
 しかし予想に反して、モチヅキは笑みを浮かべていた。
「……モチヅキ様?」
「いや。そのタテシバの祖母殿には、さぞや私は憎まれておろうと思ってな」
 モチヅキはどこか自嘲的に、くつくつと笑っている。サクヤは慌てて声を上げた。
「そんな……そんなことをおっしゃるならば、僕だってそうです。罪に見合う罰を受けず、のうのうと旅を続けている」
「そうだ、サクヤ。……私たちは憎まれている……」
 街灯に照らされたヒャッコクの街は明るかった。輝く夜景は湖の上から岸辺にかけて続き、地上に星を散らす。
「私がいくら、傷つけられる者を護ろうとしたところで、救えぬものは救えぬ。この世界の仕組みを変えなければ。……私にそれができるだろうか。そなたにそれができるか?」
 モチヅキの夜風のような声を、サクヤは好いている。モチヅキは星を観るように、常に遠くを見ている。
 サクヤは俯きつつ、ゼニガメが手元にいないおかげで空いている両手で、そっとモチヅキにくっついた。案の定、サクヤにだけ特別に甘いモチヅキは特に何も言わなかった。
「モチヅキ様」
「何だ」
「お願いがあります」
「申してみよ」
「僕らの父親に会ってみたい……です」
「……そうだな。そなたの世界はまだ狭い。社会制度どころか、親という壁すら乗り越えられんようではな」
 モチヅキは酷薄に鼻で笑った。サクヤはモチヅキを見上げる。
「タテシバ家の不幸は、家族のすれ違いによるものではないのですか。僕ら四つ子の不幸は、父親に起因するものではないのですか。……自ら幸せになれなければ、他者を幸せにすることなどできないと、教えてくださったのはモチヅキ様でしょう?」
「確かにな。しかし私の一存では決められぬ」
「……つまり?」
「そなた一人だけ、そなたの父に会わせるわけにはゆかぬ。片割れどもと、よくよく話し合うことだ。そしてそなたら四人で、私ではなく、ウズ殿に願い出ることだ」
 モチヅキは遠くを見つめていた。そしてふとサクヤを見下ろすと、再びサクヤの黒髪をくしゃくしゃと撫でた。サクヤは呆気にとられる。
「……モチヅキ様、いかがなさいましたか」
「なに、ようやく父親を意識するようになったかと思うてな」
「…………なるほど」
「ふふ、まったく……ようやく、反抗期か……」
 モチヅキが軽く声を上げて笑っている。つられてモチヅキの片腕の中のゼニガメもきゃっきゃと笑っている。
 サクヤはモチヅキの腕に張り付きつつ、密かにむくれた。


  [No.1383] 午後の騒擾 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:05:33   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



午後の騒擾 上



 とある暖かい日和の午後。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカと、緑の被衣ごとフシギダネを頭上に被いたキョウキは、クノエシティの北で待ち合わせていた。
「きょっきょ――会いたかったよぉ――!」
「きょっきょもセッカに会いたかったよ!」
 そして四つ子の片割れの二人は、しっかと抱擁を交わした。セッカの肩に乗っていたピカチュウと、キョウキの頭に乗っていたフシギダネが、その反動で頭をごっつんこした。
「ぺかっ! ぴがぢゅう!」
「だぁねぇー?」
 セッカにかフシギダネにか激しく文句を言うピカチュウに対し、フシギダネはのんびりと満面の笑顔を浮かべて、共に研究所で育った幼馴染との再会を心から喜んでいる風である。
「きょっきょ、だいしゅき!」
「きょっきょもセッカのこと大好きだよー!」
そしてそのような相棒たちの額の痛みなどつゆ知らず、セッカとキョウキは頬をすり合わせて兄弟愛を確認し合っていた。
「きょっきょ、ほんとに大好き!」
「きょっきょもセッカのこと大好き……ねえ、もういい加減このくだりやめない?」
「ひどい!」
 感動の再会コントに先に飽いたのはキョウキであった。


 キョウキは片割れの肩に両手を置いたまま片割れから身を離し、セッカと共にクノエシティに現れた金茶髪の壮年に向かって、にこやかに笑いかけた。
「やあ、ロフェッカ」
 ロフェッカはにやにやと笑っていた。
「お前さんら、仲良いなぁ」
「そうだよ、僕とセッカは相思相愛なんだよー」
 そしてその頃になってようやく、セッカもまた、キョウキと共にこの場にやってきた幼馴染に気が付いたのだった。
「あっ、ユディだ!」
 モノトーンの服装に身を包んだ淡い金髪の青年は、軽く笑いつつ拳骨を軽くセッカにぶつけた。
「気づくの遅いわ。キョウキしか目に入ってなかったのか、お前は?」
「あっ、ユディ怒った? きょっきょに嫉妬した?」
「誰がキョウキなんかに嫉妬するか、馬鹿セッカ」
「ユディが怒ったー! 怒ったー!」
 セッカはきゃっきゃと幼く笑う。
 クノエシティの北の外れに揃ったのは、セッカとピカチュウ、キョウキとフシギダネ、ロフェッカ、そしてユディである。
 そしてそこからさらに北に行けば、カロス地方で使われるすべてのモンスターボールを製造する、ボール工場がある。
 ポケモン協会員の壮年は、北を振り仰いだ。
「んじゃ、ガキども、工場見学行くかぁ?」
「よろしくお願いします、ロフェッカさん」
「ピカさん、ボール工場だぞ!」
「ぴかっ!」
「楽しみだねぇ、ふしやまさん」
「ふしゃー?」
 そして四人は、ボール工場の石造りの塀に向かって歩き出した。


 ボール工場は、モンスターボールのモニュメントが立ち並ぶ以外は、何の変哲もない工場である。しかしカロス地方で使用されるすべてのモンスターボールを製造する場所とあって、見学に訪れる者は後を絶たない。ボール工場はいつしかクノエシティの一つの名所ともなっていた。
 セッカもキョウキも、けしてボール工場そのものに興味があるわけではなかった。それが何故ロフェッカとユディと一緒に工場見学に向かっているのかというと、ひとえに、ただの息抜きである。
「ポケモンばっか育ててると、残念な頭がさらに残念になるからな」
 四つ子の幼馴染のユディはにやにやと笑っている。
「せいぜい知見を増やせ。モンスターボールの起源とか、構造とか、何か旅に役立つことが分かるかもしれないし」
「えー、そんなの役に立つかなぁー」
「役に立つ、立たないで物事をすべて判断してはいけないぞ。一見ムダな寄り道に思えるものが、あとあと大きな財産になることだって多々あるんだからな」
 ユディは言いつつ、セッカの頭を拳でぐりぐりしている。ユディとセッカが会ったのは、いつぞやの謹慎期間以来である。双方ともにその時からほとんど変わっていないものの、ユディとセッカは昔から特に仲が良かった。セッカもユディに頭をぐりぐりされつつ、けらけらと笑っている。
「ユディの頭も、ムダに思えるけど役に立つもんなー?」
「そうだな、役に立つといいな! おら」
「ぎゃー!」
 ユディは頭でセッカの頭をぐりぐりした。セッカも悲鳴を上げながら負けじとぐりぐりとやり返す。セッカの肩の上のピカチュウが先ほどからバランスを崩し、ぴゃいぴゃいと文句を言っている。
 ユディは年相応に笑っている。セッカも更に精神年齢を退行させて笑っている。
 ロフェッカとフシギダネを頭に乗せたキョウキの二人は、微笑ましく彼らを見守っていた。
「平和だな」
「平和だね、ロフェッカ」
「で、キョウキ、お前さんはボール工場に興味あんのか?」
「ないよ」
「おう……」
 キョウキは緑の被衣をなびかせつつ、にこにことセッカとユディを見つめている。
「でも、セッカとユディが幸せそうにしているのは、見る価値がある」
「お前さんも、ブラコン?」
「なんで揶揄するかなぁ。大切な人の笑顔を楽しみにすることが、そんなにおかしい?」
「ははっ、すんませんっした!」
「ロフェッカ、次にふざけたこと言ったら、すり潰すからね?」
「やべぇ何こいつ怖え!」
 ロフェッカは大仰に震えあがった。キョウキはフシギダネと共に、にこにこと笑顔であった。


 一行の最年長であるロフェッカは、ポケモン協会の職員である。
 彼の職員としての任務は非常に多岐にわたり、ポケモンセンターの機器の管理点検、各道路の標識の管理、ジム戦が適正に行われているかの調査、行方不明となったトレーナーの捜索など、ポケモントレーナーに関わるような仕事はおよそ何でも、ポケモン協会から遂行するよう指令が下される。
 そして今回のロフェッカの任務は、ボール工場の種々の点検だった。少なくとも、セッカやキョウキやユディはそう聞いていた。
 立ち並ぶモンスターボールのモニュメントの間を四人でのんびり通り抜けながら、セッカは機嫌よくキョウキに話しかけている。
「もうさー、このおっさんとはショウヨウで会ってから、コボクとミアレとクノエまで、ずぅーっと一緒だったわけ。分かるかなぁきょっきょ、寝ても覚めても視界におっさんが入るこの気持ち。ピカさんがいなかったらグレてたぞ、俺!」
「ひでぇ言われようだな……」
 ロフェッカがぼやく。キョウキとユディは吹き出していた。
「え、ロフェッカと二人旅なんて楽しそうじゃない」
「よかったな、セッカ。いい勉強になったんじゃないか?」
「よくねぇよ! おっさんったら、リビエールラインじゃひたすらきのみ畑で肥しを混ぜ繰り返してたし、ベルサン通りじゃひたすら速度違反のローラースケーターをいちいち捕まえて説教してたし、クノエの林道じゃひたすら迷子のトレーナーを捜して迷子になったし!」
 セッカはぷりぷりと怒り、その肩の上のピカチュウもパチパチと全身で火花を弾けさせている。ロフェッカはそれを豪快に笑い飛ばし、キョウキもユディもにやにやしながら話を聞いていた。
 そうこうしているうちにも四人は工場前の階段を上りきり、ボール工場そのものが見えてくる。
 工場の敷地の周辺には、数十人の人間が集まっていた。
 四人はそれを横目で見ながら、工場の敷地に入っていく。
「……こいつらも観光客なんかな?」
「ボール工場って、意外と人気なんだねぇ」
 セッカとキョウキがこそこそと話すのを、ロフェッカは軽く笑い飛ばしていた。


 ポケモン協会の職員の訪問は工場側ももちろん承知しており、ロフェッカ率いる四人は工場の担当者によって案内された。
 ロフェッカはさらに他の担当者と一緒にどこかへと去り、そして残された若い三人は、案内係に引き連れられてボール工場を見学することになる。
 轟音を立てて工場の機械が唸り、動く。ごうんごうん、ぷしゅー、がららららららら、ごとん、がちゃん、がちゃん、がちゃん、ごっごっごっご。
「うるせぇ――!!」
 セッカは叫んだ。キョウキは笑っていた。ユディと案内係は苦笑していた。
「……うるっ……っせぇ――!!!」
「わかったから」
 ユディがセッカの頭を殴る。セッカは更にぴゃいぴゃいと叫んだ。
「ひどい! ユディのせいで、いま馬鹿になった!」
「元から馬鹿だろう。問題ない!」
 セッカとユディはぎゃんぎゃんと工場内の轟音に負けじと声を張り上げる。案内係の説明などほとんど聞いていない。
 よくわからない機械から球体が出てきて、ベルトコンベヤーで流れていき、外面に色が付けられる。すると途端に、ショップで売っているようなモンスターボールに早変わりする。
 ラインごとに、別の種類のボールが流れていることが分かった。赤白の標準のモンスターボール、青赤白のスーパーボール、黒黄白のハイパーボール。他にも、緑や黄色や青や桃色のボールがぞろぞろと流れている。
「……ユディ、いま俺は大変なことに気付いてしまった」
 セッカが流れるボールを見つめながら深刻そうな表情で呟く。辛うじてそれを聞き取ったユディが聞き返した。
「なんだ? トイレか!」
「違うもん! モンスターボールって、紅白でおめでたいよな!」
「おめでたいのはお前の頭だ!」


 勝手に工場内をちょろちょろするセッカとピカチュウ、その主従を制御するため奔走するユディ、そしてボール工場ではなく連ればかりを幸せそうに眺めているキョウキとフシギダネ。誰もろくに案内係の説明を聞いていない。
 工場の案内係は冷や汗をかいていた。
「はい……このように、たくさんのボールがコンベヤーで流れてますね……。こんな感じでカロスのボールが作られてます……」
「見れば分かるっす!」
 セッカは元気良く返事をすると、案内係はびくりと跳び上がった。どうせ自分の説明など彼らの耳に入っていないだろうと高をくくっていたのである。
 案内係は愛想笑いを浮かべて取り繕った。
「……そ、そうですね、でも、これ以上詳しくお見せしたり説明したりすると、企業秘密の漏洩になるんですよね……」
「見学に来た意味がないっす! 俺らに何を見て、何を学べってゆーんっすか!」
 セッカは工場内の轟音に負けじとぴゃいぴゃいと騒ぐ。その隣でキョウキはほやほやと笑みを浮かべ、また逆隣ではユディが苦笑していた。
 案内係はぎこちなく笑うと、工場の隣の静かな空間に三人の若者を導いた。
 壁面に額に入れられた大きな写真や、説明文のパネルが並べられていた。偉そうな人物の肖像もある。
「えーと……まあ工場の設備は見てもよく分かんないかもしれませんね……。この展示室では、わが社の歴史や理念などをご紹介してます」
「文字と白黒写真ばっかりっすねー。俺、漢字ほとんど読めないんだけど……」
 ぶうと文句を垂れつつも、セッカは勝手に展示室へとふらふらと繰り出していった。残された案内係は軽く呆気にとられ、キョウキやユディもまた仕方なく、ふらふらと退屈そうな展示室内を巡ることにする。
 ボール工場の理念はこうだ。
『ボールで、すべてのポケモンとなかよくなる!』
「なるほど」
 セッカはもっともらしく頷いた。肩の上ではピカチュウが首を傾げている。セッカは相棒に向かって語りかけた。
「ピカさんよ、俺らはボールによって仲良くなったのだな?」
「ぴかぁ?」
「そう……思えば俺たちが出会ったのは、プラターヌ博士の研究所であった……。あのとき俺はピカさんのボールを受け取り、ピカさんのトレーナーとなったわけだ」
「ぴかちゃ?」
「アギトも、ユアマジェスティちゃんも、デストラップちゃんも、俺がボールを投げて捕まえたから、仲良くなれたのだな」
「そう、その通りです!」
 突然に割り込んできた案内係の声に、セッカはびくりと肩を跳ねさせた。そしてぷるぷると震えながら背後に立っていた案内係を振り返り、ぴいぴいと文句を言った。
「うるっさい! 俺はピカさんに話しかけてんの!」
「す、すみません!」
「……でも、ピカさんは最初から俺と仲良くしてくれてたけど、アギトやユアマジェスティちゃんやデストラップちゃんは、ゲットした後もしばらく俺のこと嫌ってたみたいだった」
 セッカは腕を組み、首をひねる。手持ちのガブリアスとフラージェス、マッギョのことを思い出しているのだ。
 彼らをゲットした当初は、彼らはそれほどセッカに懐いてはいなかった。それもそのはず、彼らの縄張りにのしのしと踏み込んできたセッカに一方的にピカチュウをけしかけられ痛めつけられ、そして気付いたらセッカに捕らえられていたのだから。
 もっとも、ガブリアスもフラージェスもマッギョも、今はセッカによく懐いている。
 案内係は笑顔を浮かべ、握り拳を作って力説した。
「でも、今はトレーナーさんに懐いているんでしょう? なら、ポケモンたちと仲良くなれるきっかけを作ったのは、モンスターボールですよ」
「そうなんかなぁ。……ボールで捕まえたから、アギトもユアマジェスティちゃんもデストラップちゃんも、俺のことが嫌いでも俺から逃げられなかったんだよ……。三匹と仲良くなれたのは、ボールのおかげじゃなくて、俺の努力のおかげだよ」
 セッカは案内係に反駁した。
 ボール工場の案内係は、負けじと胸を反らせた。
「見解の相違ですね。確かに、ポケモンと仲良くなれるかは、トレーナーの技量にかかっています。しかし、ポケモンと仲良くなれないようなトレーナーは、そもそもボールを投げたところでそのポケモンを捕まえられやしないのですよ。力量不足ですからね!」
「……んん?」
「つまり、ボールでそのポケモンを捕まえられれば、確実にそのポケモンとは仲良くなれるのですよ!」
 案内係はそのようにのたまった。
 セッカとピカチュウは揃って首を傾げていた。案内係の話の内容が難しすぎて、途中からまったく理解できていなかったのである。
 混乱しているセッカに声をかけたのは、幼馴染のユディだった。
「セッカ。今の話、嘘だぞ」
「えっ、マジか!」
 ユディはそのように簡潔に、案内係の主張を全否定した。
 工場の案内係が戸惑ってユディを見やると、ユディはさりげなく視線を逸らした。
「『ボールはポケモンと仲良くなるためのものだ』ってこいつらは言ってるが、そんなのはただの建前だよ」
「なんだぁ。嘘ついたな、あんた?」
 セッカは案内係を睨みつける。
 セッカにとって、幼馴染のユディの言うことは絶対である。なにしろ、ユディはクノエの偉い大学生様である。そこいらの大人よりもよほど学があるのだ。そのユディの言うことならば、正しいはずである。
 ユディは早口で、自分の考えをまくし立てた。
「人間が『ポケモンと仲良くなろう』なんて考えを持つ方が、本来は異常なんだ。考えてみろよ、古代から人間はポケモンを恐れてきた。その恐ろしいポケモンを手懐けるための道具が、モンスターボールなんだからな」
「へえ」
「『ポケモンと仲良くなろう』なんてぬるいことをほざけるのは、人間がボールという強力な道具を手に入れた現代だからさ」
「なるほど」
「ボールは本来、荒ぶる神を封じる道具。自然の驚異を人の武力に変換する装置なんだよ。こいつらの言う『仲良くなる』は所詮、手懐けるという意味に過ぎない。人は自然の脅威を克服した上で、それを武力として持つに至ったわけだ」
「ユディ、なんか、よく分かんなくなってきた」
「だからモンスターボール産業は、強い。世界各国で必要とされる。そしてボール産業を手がけるのはただ一社のみ。考えてみろよ、世界各国でボールの規格は同じじゃないか。……ボールを作れるのは一社だけなんだ」
「ユディー……?」
「ボール会社は、兵器商人なんだよ……。なのに、何でもない顔をして、世界各国で同じ色や形をしたボールを作って。ポケモン協会と組んで各国の政権を牛耳って。……何を考えているやら、だな」
「おーい、ユディー?」
「その気になれば、ボール会社は各国政府を操って、各国で戦争を仕掛けさせることすら可能だろうさ。そうなれば、戦うのはボールに囚われたポケモン。そしてボールを持つトレーナー。各国はさらなる武力を求め、さらにポケモンをボールに収める」
「ユディー……」
「戦争で、ボールはさらに売れる。そういうことなんだろうが?」
 いつの間にか、ユディはその鮮緑の瞳で、工場の案内係をまっすぐに見据えていた。
 若い学生に持論を展開された案内係は、不意打ちもいいところで、あたふたとしている。
 セッカは、ユディと案内係との間の微妙な空気に、ひたすら目を白黒させていた。


 そこに、柔らかい笑い声が響いた。
「――面白いね、ユディ」
 声を上げたのは、キョウキである。
 緑の被衣を被り、さらにその上に穏やかな表情のフシギダネを乗せたキョウキは、人好きのする笑みを浮かべてユディと案内係の間に割り込んだ。
「ユディの言ってること、筋が通っていて正しい気がするよ。でも、場所柄をわきまえた方がいいと思うよ」
 キョウキはユディの肩に手を置き、軽く押す。
 ユディはふと我に返ったような表情をして、愛想笑いを浮かべて案内係に謝罪した。
「あ、すみません、急に妙なことを申し上げて……」
「なあユディ、今の話、何だったんだよ? ボール工場は、戦争がやりたいのか? カロスは戦争をするのか? 大昔みたいに?」
「セッカ、静かにして」
 ボール工場の展示室には、セッカやキョウキやユディの他にも数人の観光客がいる。キョウキは片割れを軽く諌めると、案内係に柔らかな笑顔を向けた。
「すみません、休憩室はどちらでしょうか」


  [No.1384] 午後の騒擾 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:07:10   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



午後の騒擾 中



 他に人の姿もないボール工場の休憩室に、セッカとキョウキ、ユディは入った。
 備え付けられているベンチにセッカがどすりと腰を下ろし、その肩からピカチュウが跳び下りる。セッカは大きく伸びをした。
 セッカの隣には、先ほどとは打って変わって寡黙がちなユディが静かに腰を下ろす。
 さらにキョウキが、自動販売機で買ったサイコソーダを二人に配ると、キョウキもソファに腰を下ろした。そして頭上のフシギダネをそっと膝の上に下ろすと、穏やかに楽しげに話し始めた。
「さっきのユディ、楽しそうだったねぇ」
「……いや、キョウキの言う通り、場所柄をわきまえない発言だったと反省している……。思ったことを何でもかんでも喋る癖、直さないとな」
「僕はユディが楽しそうなら、それでいいけどね。僕もあの案内係さんの言い分は変だと思ったし」
「……俺も、自分が言ったことは間違ってはいないと思うけど。いや、でも、場所を選ぶのって大事だよな……」
 ユディはサイコソーダのボトルを握りしめ、軽く項垂れていた。セッカはその隣で、ピカチュウと分け合いつつサイコソーダをちびちびと舐めている。
 キョウキのフシギダネが、その伸ばした蔓でサイコソーダの蓋を開けたところで、休憩室にはロフェッカが戻ってきた。


 大男は朗らかな声をかけてくる。
「おうガキども、お疲れさん。工場見学は楽しかったかぁ?」
「ぜんっぜん。見てもよく分かんなかった! ユディと案内係さんは口喧嘩始めちゃうし、もうよく分かんない!」
「ありゃまぁ……そりゃ災難だったな?」
 ぷうぷうと文句を言うセッカに、ロフェッカも苦笑するしかない。キョウキはロフェッカに笑いかける。
「ロフェッカもお疲れ。もう仕事は終わったのかな?」
「おお。あとはお前らがいいっつーまで付き合おうかと思ったんだが、なんかもう既にだいぶ退屈してるみてぇだな。……どうする? 帰るか?」
 そしてロフェッカとキョウキが振り返ると、ピカチュウにサイコソーダを飲ませているセッカは、いかにも退屈そうに足をぷらぷらと前後に揺らしていた。ユディはサイコソーダを口につけたまま思考に沈んでいるようだった。
 ロフェッカとキョウキは顔を見合わせた。
「帰るか」
「そうだね」
 そしてロフェッカとキョウキは、セッカとユディを立ち上がらせようとした。


 しかしその時、休憩室に工場の職員が飛び込んできた。まっすぐロフェッカに歩み寄ってくる。
「ロフェッカさん、少々問題が」
「お、なんだ?」
「あの……その、工場外でデモと言いますか、暴動と言いますか……」
「暴動だぁ?」
 職員が告げた内容に、ロフェッカが眉を上げる。
 セッカもキョウキもユディも顔を上げた。
「……さっき、工場の外にいた奴ら?」
 すぐにそれを思い出したセッカに、キョウキがぽんと手を打ち、ユディも頷いた。
「あ、そうだったね、そんな人たちが外にいたね」
「観光客じゃなかったのか……」
 工場の職員は慌ただしく休憩室から立ち去っていく。ロフェッカは、ベンチに腰を下ろしている若者三人を見下ろした。
「っつーわけだ、今は外に出るのは危険だ」
「なあなあおっさん、暴動って何? 何が起きてんの? 見てきちゃだめ?」
 セッカが非常事態に、目を輝かせてロフェッカに詰め寄る。
 ロフェッカは渋い顔をした。
「だぁめだ、セッカ。暴動起こしてんのは“反ポケモン派”や、“ポケモン愛護派”の連中よ。そんな奴らの前に、工場の中からポケモントレーナーが出てってみろや、あっちゅー間に金属バットだかバールだかで撲殺されっぞ」
 諭すロフェッカに、セッカは頬を膨らませる。
「ちょっとだけだもん。アギトに乗って見に行くもん。っていうか、早くおうちに帰りたい!」
「落ち着け、セッカ」
「やだもん! おうち帰るもん!」
 セッカは緊張感もなく駄々をこね始めた。
 ロフェッカとユディは顔を見合わせ、キョウキは静かに溜息をついた。
「……工場の裏口から、こけもすに乗って脱出とかできないかな?」
「そう、そうしよ! きょっきょのこけもすで飛んで逃げよう!」
 セッカは目を輝かせた。キョウキのプテラは非常に強い力を持っている。四人全員を同時にというわけにはいかないが、二、三人ずつならば、人力では届かない上空を通って、ボール工場から抜け出せるかもしれない。
 ユディも困り果てたように、ロフェッカを見やった。
「どうしましょう、ロフェッカさん。危険ではないでしょうか」
「……今、警察や警備隊が暴動を食い止めてるとこなんだよ。下手に刺激はしたくねぇんだよな。俺はおとなしくここに残るって方に賛成だ」
「おっさん、コイルとドクロッグしか持ってないからなー」
 セッカがロフェッカを鼻で笑う。ロフェッカを、自力では脱出もできない駄目な大人とみなしているのである。
 しかし、キョウキもプテラでの脱出にはそれほど乗り気ではないようだった。ほやほやとした笑みを浮かべつつも、ベンチから積極的に動こうという気配は見えない。
 ユディは嘆息した。
「俺も、ルカリオとジヘッドしか持ってないよ。それに、ロフェッカさんに工場に連れてきていただいたのに、ロフェッカさんに迷惑かけるようなことはしたくないし。セッカ、おとなしく状況が収まるまでここにいよう?」
 セッカは顔を歪める。セッカにとってユディの言うことは絶対だ。ユディが否というならば、おとなしくしている方が賢明なのだろう。
 セッカは不貞腐れ、ピカチュウを抱え込んで背を丸める。
 とりあえずセッカの暴走は免れた気配に、キョウキもロフェッカもユディも息をついた。


 ボール工場の周辺では、暴動が発生している。静かな休憩室で耳を澄ますと、慌ただしく走り回る数人の足音、そして微かな唸り声のような喧騒が響いてきた。
「……なんか、すげぇ怒鳴ってる……?」
 セッカは目を閉じている。その腕の中でピカチュウが神経質に耳をぴくぴく動かしていた。
「怒ってるなー……なんで怒ってんのかな?」
「ここがボール工場だからよ」
 ロフェッカもまた大きな体躯をベンチの上に休めていた。手を組みつつ、にやりと髭面で笑んでセッカを見つめている。
「暴動を起こしてんのは、“反ポケモン派”と“ポケモン愛護派”の連中だ。反ポケモン派はポケモンを保護するボールなんかぶっ壊しちまえと考えてるし、ポケモン愛護派はポケモンを捕まえるボールなんかぶっ壊しちまえと考えてる」
「……要は、ボールが嫌いな人たちが外で騒いでんだな?」
「おうよ」
 セッカはふんふんと頷いた。
 ロフェッカは退屈を紛らわすように、何やら呟いている。
「ボールって何なんだろうな? 初めは、凶暴なポケモンを取り押さえるための道具だったかもしれねぇ。現代だと、気に行ったポケモンを仲間にするための道具って言えるのかもな」
「しかし、反ポケモン派はポケモンを保護する道具だと考えてますし、ポケモン愛護派はポケモンの自由を奪う道具だと考えてます」
 ユディが相槌を打つ。キョウキはのんびりとそれを聞いている。セッカは既に話についていけず、ぼんやりと宙を見つめていた。
「ボールを通したポケモンの関わり方なんて、人それぞれなのにな」
「ボールによる捕獲はただの手段であり、目的ではありませんよね。なのに彼らは、ボールを使うこと即ち悪しきことと考えています。……まあ、トレーナーのせいで絶望に陥った方々には、そう思われるのもやむを得ないかもしれませんが」
「そうさな」
「やはり、今の制度では限界があるんです。不満が膨張して、そのたびにポケモンの力で鎮圧していては、いつか破綻します」
 騒ぎが一段と大きくなったような気がした。
 ユディはそれに気付かないかのように、床を見つめたまま、早口だった。
「せめて、無償教育の拡充を。そして社会制度の見直しを。反ポケモン派のような人々の意見も受容しつつ、ボールの使い方というものを若いトレーナーにも広く考えさせて……」
 その時だった。
 工場内のスピーカーから、放送が響き渡った。
『緊急事態です。工場外の暴徒の一部が、工場内に突入してきました。工場内のお客様は、係員の指示に従い、避難してください』
「おっと、やべぇ。逃げるか」
 ロフェッカは軽い調子で立ち上がった。
 セッカとキョウキとユディもそれに倣った。


 どこからか、叫び声が聞こえてくる。
 警告の放送が流れては、休憩室にいたセッカもキョウキもロフェッカもユディも、これ以上はのんびりとしているわけにもいかない。正面玄関から遠い方へ、展示室の方へと移動する。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがぼやく。
「なんだよもう……ボール工場って物騒なとこだなぁ」
 フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキが笑う。
「まあ、ボール工場なんて、まさに反ポケモン派やポケモン愛護派にとっては、諸悪の根源たる施設だよねぇ」
 “反ポケモン派”は、そもそもボールでポケモンを捕まえるくらいならばポケモンを絶滅させるべきだという過激な思想にも発展しうる、極左の団体である。
 そして“ポケモン愛護派”は、ポケモンをボールで捕らえることそのものに反発し、ポケモンは自然のままにすべきだと考える団体である。
 反ポケモン派とポケモン愛護派は、互いにも激しく対立しあう勢力ではある。
 しかし、『ボール工場』という施設に対する嫌悪感という点では、この二つの勢力は結束し得た。
 ボール工場は、モンスターボールを作る。モンスターボールを使用するのは、ポケモントレーナーである。
 そしてポケモントレーナーを支援しているのは、現政権、そして“ポケモン利用派”とでもいうべき右派団体。必ずしも文字通りに『ポケモンを利用しよう』と考えている必要はない。現行法に従い、ポケモンセンターを利用し、モンスターボールでポケモンを捕獲する者は、全員“ポケモン利用派”である。
 だから、セッカもキョウキもロフェッカもユディも、“反ポケモン派”や“ポケモン愛護派”の敵たりえた。
 “ポケモン利用派”を代表するポケモン協会の職員であるロフェッカには、前途あるポケモントレーナーを守る義務がある。非常事態に動揺する若者三人をとりまとめ、ボール工場の裏口へと導いた。
「おら、ここだ!」
「ロフェッカ、ボール工場に詳しいね」
「ったりめぇだ、ポケモン協会の大のお得意様だかんな!」
 口調はのんびりとしているキョウキの背を押し、開錠された非常扉へと押しやる。
 キョウキは扉を押し開けた。西向きの非常扉は、橙色の斜陽を投げかける。
 突如、奇声が襲い掛かってきた。
「うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
「――ふしやまさん!」
 さすがに顔を強張らせ、キョウキが叫ぶ。フシギダネが咄嗟に蔓を伸ばし、キョウキ目がけて振り下ろされた金属バットを受け止めた。バットはキョウキの額すれすれで止まった。
 キョウキは目を見開いたまま、固い声で反射的に指示を飛ばす。
「ふしやまさん、眠り粉」
「ふしー」
 フシギダネが、夕日に煌めく眠り粉を背中の種から噴射する。キョウキに襲い掛かってきた金属バットの男をふらつかせ、そして眠りに陥れた。
 キョウキは動悸の激しいまま、眠り込んでいる男を見下ろす。
「……ああ……びっくりした……」
「きょっきょ!」
「大丈夫だよ、セッカ……いや、大丈夫じゃなさそうだよ」
 キョウキの背後の非常扉から、セッカとピカチュウがひょっこりと顔を出す。そして、セッカはぎょっと目を見開いた。
フシギダネを頭に乗せたキョウキも、ふうと溜息をつく。
「……完全に包囲されてるじゃないか、ロフェッカ」
 ボール工場の裏には、それぞれ旗だの弾幕だの鈍器だのを手にした、揃いのTシャツの群集がいた。非常口に目をつけ、そこから飛び出してくる工場の人間を待ち伏せにしていたのだ。
 彼らは口々に叫ぶ。
「トレーナーだ!」
「トレーナーだ!」
「ぶちのめせ!」
「傲慢な野蛮人だ!」
「未開人!」
 口々に、キョウキとフシギダネ、セッカとピカチュウを罵る。
 二人は呆気にとられてしまった。
ぼんやりと言葉を発する。
「セッカ、僕、こんな風に罵られたの、初めてかも。野蛮人、だって……」
「おお……俺もだよ、キョウキ」
「トレーナーって、こんなに嫌われる職業だったんだねぇ。初めて知ったよ」
「俺も……」
 セッカが口を噤む。キョウキも口を噤む。二人は思い出した。
 嘘だ。
 自分たちは嫌われてしかるべき人間だ。
 ミアレシティのローズ広場で、爆発に巻き込まれて吹っ飛んだエリートトレーナーの姿が、脳裏にまざまざと思い出される。
 トレーナーは、憎まれるべき存在だ。
 なぜなら、今も、四つ子は、自由に、のうのうと、旅をしている。


「キョウキ、セッカ! 大丈夫か!」
 茫然としていた二人を現実に呼び戻したのは、幼馴染の声だった。
 我に返ったキョウキが、背後のユディの状況を伝える。
「……ユディ、ロフェッカ。裏口も駄目だよ、囲まれてる……」
「プテラでも逃げられないのか!」
 緑の被衣のキョウキは笑みを消して、怒れる群衆をまじまじと見つめていた。ユディの問いかけもほとんど耳に入っていない様子である。
「……なんかこの人たち、すごく殺気立ってる、って言ったらいいのかな……」
「……俺ら……ここから逃げちゃっていいのかな?」
 セッカが俯いてぽつりと呟く。
 ユディは幼馴染の四つ子の片割れたちを叱咤した。
「今さら何を言ってんだ! お前らがアホなのは知ってたが、ここまでとはな! 何のためにポケモン持ってんだ、お前らは! 自分の身を守るために戦えよ!」
「でもユディ……この人たち、ポケモン持ってないよ!」
 セッカが言い返す。周囲の喧騒の中、声を張り上げる。
「ポケモン持ってない人を、ポケモンで攻撃しろっての!?」
「ならセッカ、お前は金属バットでも持ってんのかよ!」
 ユディが激しく怒鳴る。その怒声にセッカは小さく身を縮めた。
 ユディは声を落とし、ゆっくりとセッカとキョウキに言い聞かせる。
「重傷さえ、負わせなければいいんだ。大丈夫だ。威嚇して、隙見て逃げろ。……大丈夫だから、セッカ、キョウキ」
 そう、いつもの穏やかな声で語りかける。
 キョウキは息をつくと、意を決したように群衆を睨んだ。そしてフシギダネに静かに指示する。
「……ふしやまさん、眠り粉」
 フシギダネが、さらに大量の眠り粉を発する。群衆は手にしていた弾幕を振り回すなどして眠り粉を避けようとしたが、細かい粒子は人々を逃がさない。
 キョウキは続けて、プテラをボールから出した。プテラの羽ばたきが、非常口の周囲から眠り粉を吹き払う。
「こけもす……ウズの家に連れて行ってくれ」
 そう声をかけつつ、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキは、ピカチュウを肩に乗せたセッカに手を伸べ、二人で息を合わせてプテラの背に飛び乗る。
 さらにキョウキは声を張り上げた。
「ユディ、ロフェッカ!」
 その声に、学生とポケモン協会職員も非常口から姿を現す。
 眠り粉を吸い込んだ群衆の意識は朦朧として、動くこともままならなかった。
 上昇したプテラは、ユディとロフェッカを両足の爪で捕らえると、四人のトレーナーを空に攫った。そして翼を広げ、大きく羽ばたき、南下した。


  [No.1385] 午後の騒擾 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:08:30   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



午後の騒擾 下



 セッカとキョウキ、そしてユディとロフェッカの四人を招き入れたウズは、ひどく渋い顔をしている。
 ほうほうの体で空から現れた四人は、慌ただしい逃避行に疲れ果てていた。
 その四人のためにとりあえず茶を用意してやりつつも、四つ子の養親であるウズの、セッカやキョウキに対する口調は刺々しい。
「また、何かしおったんじゃあるまいな……」
「今日は俺ら、何もやってないもん!」
「本当だよ、ウズ。本当にたまたま巻き込まれただけだよ」
 ピカチュウを膝に乗せたセッカとフシギダネを膝に乗せたキョウキが、口々に養親に釈明する。
 セッカとキョウキ、ユディ、ロフェッカは食事室に招き入れられていた。大きな分厚い天板の木のテーブルの上で、茶托に乗せられた緑茶の湯呑が温かい湯気を上げる。
 ウズは、ユディとロフェッカには干菓子を出した。
 しかし、キョウキとセッカの二人には菓子は出されなかった。
「ウズ! 俺もお腹空いた!」
「黙りゃ!」
 ウズに一喝され、セッカがぴいと首を縮める。めそめそするセッカをキョウキがよしよしと慰める。向かい側の席に着いたユディとロフェッカはどうにも菓子を食べづらかった。
 銀髪のウズは自分の椅子に腰かけても、ひたすら不審げな視線をキョウキとセッカに向けていた。
「まったく、いつもいつもロフェッカ殿やユディに迷惑をかけおって……。まったくこのアホ四つ子は、帰ってくるたんびに問題を起こしてきよる。あたしの家は隠れ家ではないぞ!」
「でもウズ、この家はもともと、僕らの母さんの家だよ?」
 キョウキが口を挟む。
 すると、顔を顰めていたウズの表情が消えた。
「あっ」
「ひっ」
 キョウキとセッカが同時に息を呑み、互いに身を寄せ合う。
 ユディとロフェッカはむしろそのような二人の様子に不安を覚えた。そして、恐る恐る、表情のないウズを見やった。
 ウズは、キョウキとセッカを無表情に見つめ、淡々と言い放った。
「確かに、この家はそなたらの実母殿のご実家。しかし、今やこの家の所有者は四條家であり、あたしじゃ。立場をわきまえよ。そなたらは所詮は四條家の庶子ということ、ゆめ忘れるな」


 四つ子の父方の親戚であるウズは、年若いながら昔気質の人である。
 そしてウズが不機嫌になればなるほど、ウズは四つ子の親戚や養親であることを置いて、昔ながらの価値観をかざし、四つ子を威圧した。
 ウズは怒ると、まずは激情する。手を上げることもある。
 しかしそこからさらに本気で怒らせた場合、ウズはひたすら冷淡になるのだった。
 十歳を過ぎた四つ子も、もう一人前として扱われるべき人間ではある。しかし肉親の情に飢えた四つ子には、冷淡に扱われることが何よりもこたえた。ウズは婚外子であるという理由で四つ子をなじり、冷酷にあしらう。
 四つ子には、どのような親の間に生まれたかなど、どうしようもないというのに。
 四つ子は生涯、ウズに愛されることはないのだと、ときどき思い知らされる。


 心なしか落ち込んで互いに寄り添いつつあるキョウキとセッカを、ユディやロフェッカは何か見てはいけないものを見てしまった心持ちで眺めている。
 ウズは澄まして茶を啜った。
「いやはや、ロフェッカ殿、ユディも、この阿呆どもがお世話になりんした。本当にいかにしてお詫びをせんにゃら」
「いえ、私がセッカやキョウキをボール工場の見学に誘ったもんでして。このような事件に巻き込まれたのは、ひとえに私の責任です。どうぞ若いもんを責めないでください、ウズ殿」
 ロフェッカがちらちらとキョウキとセッカを気にしつつ、ウズに向かって頭を下げる。キョウキが何を考えているかは全く読み取れなかったが、セッカは心なしか小さく震えていた。
 ウズもロフェッカに向かって小さく頭を下げた。
「ロフェッカ殿の広いお心、しかと承り申しました。しかし、このアホ四つ子には少々強い薬が必要でござりまする。まったく、これらもいつまでも幼い童のつもりか、一向に落ち着きがない。はて、カロスの母親の血かのう?」
「…………ウズぅー…………」
 セッカがめそめそとし出している。ピカチュウがもぞもぞ動き、セッカの腕の中からウズを睨みつけて低く唸り出した。
 ウズは鼻で笑った。
「ふん。あたしも随分とこりごりじゃ、おぬしらのような童の面倒をみるのはのう。悔しければ、はように道を極め、あたしから独立してみせんしゃい。さすれば御父上殿もおぬしらを認めようて」
 セッカはキョウキの肩に顔をうずめた。
 キョウキはセッカを慰めるようにその肩を軽く叩く。ピカチュウはウズに向かって唸り続けている。
 キョウキもフシギダネも、表情もなく、何も言わなかった。


 日が暮れた頃になって、セッカとキョウキはふらふらとウズの家を出た。ユディとロフェッカも一緒である。
 やっとのことでウズの説教から解放されたセッカは、激怒していた。
「もうやだ! ウズの馬鹿! ウズなんて大っ嫌いだ! もう家に帰るもんか!」
「びが! びがぢゅうっ!」
「なあそうだよなぁピカさん! 酷いよなぁ!」
「びががっ! びがびがぁ!」
 ウズの家の真ん前で、セッカとピカチュウは吼えている。もちろん中にいるウズに聞かせているのだ。キョウキとフシギダネはほやほやとした笑顔でそれを聞き、ロフェッカとユディは苦笑しきりである。
 セッカは怒りに震えつつ、唸った。
「絶対許さねぇ……ウズめ……絶対、母さんの家、取り返してやる……!」
「でもセッカ、ウズは僕らを自立させるために、わざと僕らに厳しいことを言ったのかもしれないよ?」
 緑の被衣のキョウキがそのように声をかける。
 セッカは一瞬キョウキを見やり、ひどく顔を歪め、地面に向かって吐き捨てた。
「そんなの、ただの自意識過剰だし!」
「ウズはいつもは優しいじゃない」
「そうかもしれないけど! そうだとしても! 酷いよ……!」
「そうだね、酷いね、ウズは」
「……ウズの馬鹿ぁぁ……っ」
 セッカは嗚咽し、黄昏時の往来の真ん中で泣き出した。
 相棒であるピカチュウも、こうなるとどうにもセッカを慰めようがなく狼狽えている。
 緑の被衣のキョウキは、優しく片割れを抱擁した。
「よしよし。ウズは酷いね。いつか見返してやろうね……」
「もうやだぁぁ……レイアに会いたい……サクヤに会いたい」
「そうだね。しばらく二人で、あの二人を捜そうか。愚痴を聞いてもらわなくちゃね」
 キョウキはセッカの頭を優しく撫でつつ、そしてそれまでの柔らかな笑顔を一瞬だけ削ぎ落した。
 その眼でちらりとロフェッカとユディの二人を見やると、キョウキは苦しげに笑った。
「僕がウズの家に帰りたくないって言ったの、分かるだろ?」
「……なんかすげぇ修羅場に居合わせた気がしたんだが……」
「ウズも、なにもロフェッカさんや俺の前で、あんな露骨なこと言わなくてもな」
 ロフェッカもユディも困り果てていた。それでもキョウキはセッカの頭を撫でつつ、いつも通りの笑顔を浮かべた。
「ウズにはウズの考えがあるんだろうさ。でも、これでさすがに数年は帰る気を無くしたな。ねえユディ、セッカと一緒に泊めてくんない?」
「そう来るだろうと思ったよ」
 ユディは肩を竦めた。そしてロフェッカを振り返った。
「ロフェッカさん、今日はありがとうございました」
「いや、こっちこそ面倒に巻き込んで、すまんかったな。俺はポケセンなんで、じゃ。元気でな、ユディ坊、セッカにキョウキも」
「はい、お元気で」
「またね、ロフェッカ」
 ロフェッカはクノエのポケモンセンターへとのんびりと暗い道を歩き去っていった。
 そしてロフェッカを見送ると、ユディとキョウキは、未だにめそめそしているセッカの腕をを両側から掴んだ。
「ほら、行くぞセッカ」
「元気出して、一緒にユディのおうちに行こうよ」
「……うー……ユディのおうち行く……」
 セッカは鼻をぐすぐす言わせながらも、幼馴染と緑の被衣の片割れに連れられて、静かな日暮れのクノエの道を歩いていく。


  [No.1386] 暁闇の呪詛 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:12:08   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



暁闇の呪詛 上



 時は夜明け。
 空は白み、東の山々の端は朱色に染まっている。
 エイセツシティとレンリタウンを繋ぐ19番道路、ラルジュ・バレ通り。広い谷と沼地、そして崖ばかりの道路である。
 レイアとヒトカゲは、崖の上で一人のポケモントレーナーと相対していた。

「死ねよ」
 荒れ狂う風に赤髪を振り乱し、少年は哂った。
 誰が、とレイアは唸る。風に赤いピアスが鳴る。ヒトカゲの尻尾の炎も激しく風にあおられるが、けれど興奮状態のヒトカゲの炎はますます熾然に、猛火を吐き散らし、荒れ狂う大気に立ち向かう。
 ねじくれた角を持つ大型の、紅色のアブソルが、吼えて、空気を切り裂いた。
 火の粉を散らし、本性をむき出しにしたヒトカゲがするりと地を滑る。
 ヒトカゲはアブソルを寄せ付けない。傷を負えば負うほど動きは鋭く、吐く炎は青白く、じりじりと色違いのアブソルを炙る。

 レイアと彼が出会ったのは、つい先ほどだった。
 ヒトカゲを抱えたレイアが早朝の空気の中、沼を挟む崖の傍を歩いていた、その時。激しい突風が吹き付け、枯葉と泥が飛び散り、沼を波立たせる。
 そしてレイアに襲い掛かってきたのは、紅いアブソルだった。
 死神の鎌を思わせる片角は、通常のものよりねじくれておぞましい。そして血塗られたように、紅い。
 咄嗟に辻斬りを避けたレイアは、腕の中のヒトカゲを投げ上げた。宙に飛び出したヒトカゲが間髪入れず、白い炎を吐く。
 紅いアブソルを退ける。
 そこに笑い声がかぶさった。レイアは不機嫌も露わに言い放つ。
「随分と物騒なバトルの申し込みじゃねぇか……」
「あはっ、ギャハハハハッ、えっ、ええっ、そっすか――?」
 いつの間にかレイアの背後に立っていた赤髪の少年は、耐えきれないと言った様子でゲラゲラと笑い出した。レイアはそちらに半身を向け、地に降り立ったヒトカゲにアブソルを警戒させる。
 赤髪の少年は吹き出した。
「えっ、バトルの申し込みって……えっ? えっ? ええっ? バ、バトルの申し込みって……ぶははっ、ギャハハハハハハッ」
「頭おかしいのか」
「いや、だってバトル申し込んだつもりね――し」
 赤髪の少年はきょとんとした。
 その赤い髪は肩ほどまで伸び、そして日に焼けた上体は裸である。裾の広い袴に似たズボンは擦り切れてボロボロで、両手の爪は長く伸びている。
 姿勢が悪い。背を丸めて顎を突き出し、ゲラゲラと笑う。
「……っなのにさぁ、なに、バトル? え、バトルしてーの? え、すればいーじゃん」
 水色の瞳が真ん丸に見開かれた。
「オレは、しねーけどな」
 紅いアブソルが動く。赤髪の少年が笑う。
 レイアは舌打ちし、ヒトカゲに鋭く指示を飛ばす。アブソルの放つ鎌鼬を炎の勢いで打ち消し、さらに近寄らせない。大きな体躯を持つアブソルは、軽々と崖を登り、ヒトカゲの上をとり、襲い掛かる。ヒトカゲは飛びかかるアブソルを焼き払う。
 アブソルは風を身に纏って、炎を受け流す。
 アブソルが再び鎌鼬を撃つ。
 それはヒトカゲとまったく別の方向に飛んだ。レイアは息を呑んだ。
 紅いアブソルが狙っていたのは、レイアだった。
 赤髪の少年がゲタゲタ笑う。小さく何気なく呟いた。
「死――ね」

 アブソルが鎌のような角を振りかぶり、打ち下ろす。レイアの頬や腕にも痛みが走る。
「いっ……てぇ」
「ギャハハッ」
 赤髪の少年が楽しくてたまらないとでもいうように笑った。
 レイアは怒りも露わに怒鳴る。
「ってぇんだよ! 潰すぞ!」
「潰してみろや!」
 ヒトカゲの咆哮、赤髪の少年の哄笑。紅色のアブソルだけが無口に、崖を飛び回り、ヒトカゲだけを見据え、ねじくれた角を振るう。
 レイアはあえて少年を無視し、緑眼のアブソルだけを睨みながら、遠い昔のことを思い出していた。
「……なにが、白い毛赤い眼黒い角、だ」
 舌打ちする。



 遠く、懐かしい昔。
 幼い四つ子はそれぞれ黒髪を腰まで伸ばし、見分けのつきやすいようにという理由で色違いの着物を着せられ、四人で毎日のようにクノエシティを走り回り、転び、泣き、そして飽きずに遊び回っていた。
 梅の香の漂う日。
 レイアとキョウキとセッカとサクヤ。小さい四つ子が、銀髪の養親のウズにまとわりつき、静かな座敷でウズの針仕事の手先を眺めている。
 ウズの滑らかな白い指先が銀の針を操り、色鮮やかな布地を縫い合わせ、仕立て上げるのを四人は息を詰めて見つめる。大切な布地や鋭い針の周りで暴れでもすれば、四つ子はウズに容赦なく庭の池に投げ込まれる。けれどおとなしくさえしていれば、ウズは仕事を見せてくれた。そうして、様々な地方に棲む様々なポケモンの話を聞かせてくれたものだ。
 暖かな春の日だった。
 ウズは手先を休めず、幼い四つ子に語りかける。
「白い毛並みと黒い片角のアブソルを見つけたら、追うてはいかんよ」
 なんで、と声を上げたのはレイアかキョウキかセッカかサクヤか。なんにせよ、ウズは手先の針と布地しか見ていない。誰が声を上げても、ウズにはそれが誰の発言かわからなかっただろう。四つ子は声まで同じなのだ。
「アブソルは災いを連れてきよる。土砂崩れや落石に遭うたり、津波や洪水に遭うたり、竜巻や落雷に遭うたりとさまざまじゃ。じゃからな、鎌のような角を持った赤い眼のポケモンに出会うたら、おとなしゅうして逃げんしゃい」
「たたかうもん!」
 そう鼻息も荒く跳び上がったのは、黄色い着物のセッカだったと記憶している。
 ウズは軽く笑った。
「セッカが戦うんかえ」
「ポケモンでたたかうもん!」
「そうじゃな、おぬしらも十になったらばポケモンと共に旅に出ねばならんな。じゃがな、ポケモンでもどうにもできんことはあるんよ」
「ウズ、ポケモンでも、どうにもできないことがあるの?」
 のんびりと問いかけたのは、緑の着物のキョウキだった。
 ウズは頷いた。
「ポケモンには人にない力がある。が、たとえポケモンであったとしてもじゃ、所詮は大自然に生きる儚き命。岩に潰されれば死ぬ、溺れれば死ぬ、車に轢かれれば死ぬ」
 やだぁ、とセッカが半泣きになり、青い着物のサクヤに縋りついた。サクヤは嫌そうに顔を顰めてセッカの頭をぐいぐいと押しやり、そしてウズに尋ねた。
「つまり、ポケモンでも、アブソルの引き連れてくる災害には勝てないのですか?」
「サクヤは察しがええのう。その通りじゃ。神話に語られるようなポケモンでもなくば、大自然の脅威に対抗するのは難しかろうて」
 ――じゃから、アブソルに会うたら、迷わず逃げんしゃい。これからおぬしらと共に旅をするポケモンたちを守るためにもな。
 ウズはそう幼い四つ子に語った。
「うん、わかったぁ!」
 セッカが笑顔になって、ぴょこんと膝で跳ねる。今にも暴れ出しそうなセッカをウズはひと睨みでおとなしくさせてから、手元に視線を戻した。
「……忘れてはいかんよ、白い毛赤い眼黒い角、アブソルに会うたら逃げんしゃい。ポケモンがおっても逃げんしゃい、ポケモンと一緒に逃げんしゃい……」
 歌のように、あるいは呪いのように、ウズは繰り返し四つ子に言い聞かせた。
 赤い着物を着たレイアは、ただ黙って、ウズの白い横顔を眺めていた。
 そんな記憶がある。



「……なにが白い毛赤い眼黒い角だ、ふざけんな」
 鋭い風の刃が、葡萄茶の旅衣を断つ。
 さながら、ウズの操る裁ち鋏のように。
「くそ」
 レイアは毒づいた。先ほどから、色違いのアブソルの操る空気の刀が、ヒトカゲではなく、ヒトカゲのトレーナーであるレイアを狙ってきている。
 ねじれた角、大きな体躯。そして紅色の毛並み。その通常の個体とは異なる姿のアブソルの、そのトレーナーである赤髪の少年は、レイアが傷つくのを見て楽しそうに笑っていた。
 レイアは怒鳴る。
「……笑ってんじゃねぇよ! さっきからどこ狙ってんだてめぇ!」
「ああ? くく、ルシフェルに言えって」
 ルシフェルというのは、赤髪の少年のアブソルのニックネームなのだろう。
 アブソルの攻撃でレイアが怪我を負っても、少年は反省の影すら見せなかった。くすくすと笑ってとぼけている。その隙にもアブソルは自身の意思で次々と攻撃を放ち、レイアのヒトカゲはするりするりとそれらを躱す。
「アンタ知ってるか? アブソルは災いを運ぶポケモンなんだぞ?」
 赤髪の少年がレイアに話しかける。レイアは怒鳴った。
「知ってるよ!」
「じゃあ分かるよなぁ?」
「何が!」
 赤髪の少年は、呆れたように溜息をついた。
 そしてにっこりと微笑むと、崖の淵に佇むレイアに向かって、明るく手を振った。
「良い黄泉路を!」

 ぐらり、と地面が揺れた。
 レイアは息を呑み、足元を見る。重心が崩れる。
「サラマンドラ!」
 ヒトカゲを呼び、咄嗟にその小さな体を抱きしめた。けれど、崖は崩れる。
 体が宙に投げ出される、浮遊感。
 東の山々の向こうから白い太陽が昇ってくるのが見えた。
 青空が見える。
 赤髪の少年の笑顔と、紅色のアブソルが見える。
 血のような色が視界を掠める。
 ヒトカゲを抱えたレイアは、崩れた崖ごと、谷底へ転落した。



 遠い、懐かしい昔のことを思い出す。
 四つ子の片割れたちと一緒に四人で遊んでいて、クノエシティの外れの崖の上でポケモンバトルごっこをしていた。
 もちろん幼い四つ子はポケモンを持つことはできなかったし、養親のウズも幼い四つ子には頑として自分のポケモンを貸し与えることはしなかった。だから、四つ子のポケモンバトルごっこは主に空想から成り立っていた。空想のポケモンでマルチバトルに興じる。あるいは、二人がトレーナーになりきり、もう二人がポケモンになりきって、仲良く楽しく大喧嘩に明け暮れるのだ。
 ある夏の日。
 そのときは緑の着物のキョウキと、青の着物のサクヤがトレーナー役をやっていた。キョウキのポケモン役は赤の着物のレイア、サクヤのポケモン役は黄の着物のセッカである。
「そこでセッカのでんこうせっかー! きゅうしょにあたった! れーやにこうかはばつぐんだーっ!」
「当たってねぇよバカ! それにノーマルタイプの技が効果抜群になるわけねぇだろ!」
 セッカがぴゃあぴゃあと叫びながらレイアに組み付いてくる。レイアはセッカのめちゃくちゃな設定に怒鳴る。
 サクヤが顔を顰め、キョウキはにこにこと笑っていた。
「セッカ、勝手にでんこうせっかするな」
「今だよレイア、しっぽをふるー!」
「しっぽなんかねぇよ! どうやれってんだよキョウキ!」
 キョウキのめちゃくちゃな指示にも、レイアは噛みつく。そこにセッカがぴゃいぴゃいと叫びながら殴りかかってきた。
「とりゃーっ! 今の、破壊光線ね!」
「いってぇ! 思いっきり直接攻撃じゃねぇかバッカじゃねぇの!?」
「レイア、今だよ、あまえるー!」
「嫌だよふざけんなよキョウキィ!」
「いいぞセッカ、その調子でハサミギロチンだ」
「はさみぎろちんーっ!」
「いてぇよ!」
 ぼかすかとレイアとセッカはもみ合い、それをキョウキとサクヤが笑いながら囃し立てる。
 そのとき、殴り合っていたレイアとセッカはバランスを崩した。
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
 四つ子の声が綺麗にハモった。
 黄色い着物のセッカが、その状況の中で思いきりレイアの腹を押しやった。急に強く急所を圧迫され、レイアは激しくむせながら草の上に転がる。
「……ってぇな何すんだよ!」
「セッカ!」
 キョウキが叫ぶ。サクヤもまたレイアを放置して、セッカを追っていった。
 レイアがむっとしつつ体を起こすと、そこにセッカの姿は見えなかった。
 慌ててキョウキとサクヤの傍に行き、小さな崖の下を覗き込む。
 黄色い着物を泥だらけにして、セッカが目を閉じていた。頭から血が流れている。
 ひっ、と息を呑んだのは三人同時だった。


  [No.1387] 暁闇の呪詛 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:14:49   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



暁闇の呪詛 下



 崖から落ちたはずのレイアは、頭の痛みに呻いた。
 地面が揺れている。それどころかレイアの全身も揺れていた。
 その暖かく、生き物じみた感触にレイアはびくりと目を開く。
「……な」
「あ、レイア起きた? おはよ」
 その呑気な声音は、レイアのよく知っているものだった。友人に背負われていることに内心ぎょっとしつつも、レイアは激しい頭痛の波に歯を食いしばる。
 鉄紺色の髪のルシェドウはレイアを負ぶって、ラルジュ・バレ通りを北へのんびりと歩いていた。朝の陽射しが降り注ぎ、紫色の花畑が風にそよいでいる。
「……なにが」
 レイアが低く唸ると、ルシェドウは軽く笑った。
「レイア、ヒトカゲと一緒に崖の下の沼に浮かんでたんだよ。マジでビビったし」
「……サラマンドラ」
「ヒトカゲは瀕死だったから、レイアのボールにしまっといた」
「……そうか」
 ルシェドウの背で揺られながら、レイアは身じろいだ。
「下ろせ」
「だめだ。頭ケガしてるもん、レイア」
「歩けるから……」
「馬鹿言うな。それより、何があったか話せ」
 ルシェドウは前を向いたままである。普段よりも、心なしか声のトーンが低かった。
 レイアはむっとした。
「なに怒ってんだよ、てめぇ」
「誰が怒るか。むしろ広い心で助けてやってんじゃねーか」
「偉そうに。誰も助けてくれなんて言ってねぇよ」
「レイア、いい加減にしてくれ。負傷したトレーナーを保護するのも、事情を聴くのも俺の仕事なんだ」
 そう言うルシェドウはやはり正面を向いたままであるし、その口調は静かでどこか刺々しい。
 レイアはさらにむっとした。
「てめぇこそ、なんで通りかかってんだよ」
「仕事でレンリタウンに行く途中だったんだよ」
「……何の仕事だよ。俺、今度は手伝わねぇかんな」
「誰も手伝えなんて言ってねーよ。そもそも怪我人に手伝わせやしねーよ」
「……なあ、マジでなんで怒ってんの? 俺がお前の仕事を増やしたからか?」
 レイアは図々しくルシェドウの肩のほうに体重をかけ、ルシェドウの顔を覗き込んだ。辛うじて見えたルシェドウの横顔は、大層な仏頂面であった。
 ルシェドウは文句を言った。
「ったり前だろ。沼に浮かんでて怖いし汚いし重いし、散々じゃねぇか、レンリでの仕事前に俺まで着替えなきゃなんなくなったじゃねーか、ふざけんなレイアの馬鹿」
「あー……悪い……」
「ほんとなんで俺、こんなにしょっちゅうレイアに会う羽目になるんかな。しかも大体会うたんびに面倒なことに巻き込まれるし」
「そりゃこっちの台詞だ!」
 レイアがルシェドウの耳元で怒鳴ると、ルシェドウは体を震わせた。
「うるっせーなー……。ミアレじゃ傷害事件起こされるし、フロストケイブじゃサクヤと一緒に死にかけるし、今度は何。俺をどんな面倒事に巻き込んでくれるんすかね?」
「俺も巻き込まれたんだ!」
「あーはいはい。耳元で叫ばないでくださいな。それで? レイアも巻き込まれたんだ?」
 レイアは痛む頭を抱えつつ、思い出した。
 赤髪の少年と、紅色のアブソルを。
「……夜明け前くらいにエイセツ出て、レンリに行こうとしたんだよ」
「うん」
「そしたらいきなり、紅いアブソルに襲われて」
「色違いか」
「そのままなし崩し的にバトルになったんだが」
「相手のトレーナーの名前とか、分かる?」
「名前は知らん。赤髪の男だった、俺と同い年くらいの」
 レイアが腹立ちまぎれに吐き捨てると、ルシェドウは悲哀を込めて嘆息した。
 それがあまりにもルシェドウらしからぬ所作だったため、レイアは眉を顰めた。
「……ルシェドウ?」
「ああ、いや、うん。切ねーなー」
「……何の話だ?」
「俺、そのトレーナーと知り合いだわ」
 ルシェドウはぼそぼそと呟いた。
するとレイアは再び怒鳴った。
「おい、どこのどいつだ! ぶっ潰してやる!」
「ああもう、うるせーな。……駄目だレイア、関わるな。潰すって何だ? トキサさんの時と同じこと繰り返すのか?」
 ルシェドウに諌められ、レイアの頭がいくぶんか冷える。
 ついこの間、フウジョタウンでモチヅキにも諭されたばかりだった。たとえ悪に遭っても、レイアはポケモンの力で解決してはならない。悪を裁くのは大人であり、レイアではない。
 あの赤髪のトレーナーのことも、ルシェドウをはじめとした大人に任せるしかないのだ。
 レイアは歯を食いしばる。
「くそ……我慢しろってのか……!」
「そういうことだ。辛いだろうが、俺に任せてくれ」
「……てめぇに任せたら、あの野郎はどうなんだよ?」
 レイアが低く尋ねると、ルシェドウはまたもや溜息をついた。
 そしてルシェドウは、口の達者なレイアをそっと地上に下ろした。レンリタウンはもう近い。周囲では紫の花々が風に揺れ、微かに滝の音が聞こえてくる。
 レイアは軽くふらつきつつも、しっかりと立った。ルシェドウを見上げる。
 レイアの友人は、何ともいえない寂しげな眼でレイアを見つめていた。
「……どうにもならない」
「は?」
 レイアは聞き返す。ルシェドウの発言の意味が解らなかった。
 ルシェドウは低い声で補足した。
「だからな、そのレイアに怪我させたアブソルのトレーナーは、せいぜい注意されるだけだ」
「…………まあ、そうか。俺の傷も軽いもんな」
 レイアも頷いた。
 レイアの頬や腕や足にはアブソルに傷つけられた痕があり、それらに泥が入り込んで熱と痛みを持っている。頭も痛い。
 けれど、けして重傷ではない。
 軽傷だけならば、人に怪我をさせたとしてもトレーナーは全くお咎めなしなのだ。
 ルシェドウは肩を竦めた。
「まあ、それもあるがな。でもそれだけじゃない。……それが、そのトレーナーの恐ろしいところでもあるんだよな」
「……どういう意味だ?」
「レイア、崖から落ちただろう? そのアブソルに攻撃されて落ちたのか? 思い出してみな」
 レイアはルシェドウを見つめ、顔を顰めた。
「いや……崖が勝手に崩れて」
「だろうな。そんなことだろうと思ったさ。なあレイア、レイアが崖から落ちて、もし、仮に死んでしまったとしても、そのトレーナーは罰せられない」
「……おい、どういう意味だ」
 レイアが顔を顰めて尋ねると、ルシェドウはレイアの両肩を掴んだ。真正面から見つめ合う。
「――榴火は、アブソルの災害感知の能力を利用して、人を災害に巻き込む」
 ルシェドウはレイアをまっすぐに見つめ、低く囁いた。
 レイアは重い舌で繰り返した。
「……榴火……」
「そう。名前だけは教えとくよ。俺はお前を信じてる。……レイア、榴火には関わるな。いいな。――殺されるぞ」
 ルシェドウの鋭い眼差しに、レイアは数瞬たじろいだ。
「だから生きててくれてよかった」
 そう早口にぼそりと呟くと、レイアがその一言の意味を理解する前に、ルシェドウはいつもの人好きのする笑顔を浮かべた。それから元気良くレイアの片手を掴み、ずんずんとレンリタウンへのゲートに向かって歩き出す。
「さっ、じゃあ早いとこポケセンに行かなくっちゃなー! レイアこのあと暇? っつーかもうお昼なんだよなー、どこで何食いたい?」
「……ルシェドウ」
「ルシェドウさん食っちゃ駄目っしょ!」
 ルシェドウはけらけらと明るく笑い、戸惑うレイアをゲートに引っ張っていった。
 そしてゲートを抜けると、二人は滝の音に包まれた。


 ポケモンセンターに手持ちをすべて預けると、レイアはシャワーを借りて全身の泥を洗い落とし、衣服も洗濯に出す。レイアが予備の紺縞の浴衣に着替えてロビーに現れると、先に着替えだけ済ませてソファに腰かけていたルシェドウは吹き出した。
「うわっめっちゃクール!」
「なんだそりゃ……」
「いやーさすがはエンジュの名家のお坊ちゃん。さて、お怪我の手当てをさせていただきましょうねー」
 ルシェドウはレイアをソファに座らせ、レイアの頭や腕や足についた諸々の切り傷を一つ一つ手当てしていった。消毒の痛みにレイアは唸る。
「はい我慢我慢。泣かないのよー」
「泣いてねぇ!」
「俺だってレイアが泣いたらドン引きするわ」
 ルシェドウは軽く笑って、手早く手当てを終えた。そして痛みに顔を顰めているレイアの手を掴んで自分だけ立ち上がった。
「じゃ、お昼食べに行こっか!」
 レイアはソファに座り込んだまま、眉を顰めてルシェドウを睨む。
「……お前、仕事は」
「いいのいいの。いいから。お腹すいたっしょ? なんか食べれば元気になるって!」
「…………悪い、お前だけで行ってくれ」
 懸命に外へ誘い出そうとするルシェドウに断って、レイアはそろりと立ち上がった。軽くぽかんとしているルシェドウの隣をすり抜け、ポケモンセンターの病室の方へゆっくりと歩いていく。
 すぐにルシェドウが早足で追いついてきた。
「……ヒトカゲ?」
「当たり前だ。相棒だぞ」
「……そうだったな。ごめん」
「別に」
 レイアは広い病室に並べられた病床の中に、相棒の姿を求めた。
 それはすぐに見つかった。
 ヒトカゲが白いシーツの上で、ぐったりと丸くなって眠っていた。
「……サラマンドラ」
 レイアは囁く。
 ルシェドウもその傍に歩み寄り、静かに呟いた。
「俺が見つけた時、体が沼に浸かってて体温がだいぶ奪われてたんだ。尻尾の炎もかろうじてって感じで……でも、もう大丈夫みたいだな……」
「…………」
 レイアは黙っていた。立ち尽くし、ときどき微かに喘ぐヒトカゲをひたすら凝視している。
 ルシェドウはレイアをちらりと窺った。
「……レイア」
「……るせぇな。分かってるよ。……何もしねぇよ、しなけりゃいいんだろうが」
「レイア、俺でよければいくらでも愚痴でも何でも聞くから」
「うるさい。……うるさいな」
 レイアは押し殺した声で呻いた。ルシェドウはそれきり口を閉ざしたが、病室を出ていくことはしなかった。
 レイアとルシェドウはずっと、ヒトカゲを見下ろしていた。


 日が暮れても、レイアのヒトカゲは目を覚まさなかった。
 二人はとうとう昼食は食べ損ねたが、夕食はポケモンセンター内の食堂でとった。その後もヒトカゲの様子を見に行ったが、ヒトカゲの衰弱は激しいらしく、呼びかけても目を覚まさない。とうとう深夜になり、レイアとルシェドウは病室から追い出された。
「……レイア、俺、寝るけど」
 結局その日じゅうレイアの傍にいたルシェドウが、そのように声をかける。ロビーのソファにぼんやりと沈んでいたレイアはちらりと視線を上げ、すぐに目を伏せた。
「勝手にしろ」
「レイア、ヒトカゲなら大丈夫だ。ジョーイさんもそう言ってただろ。もう遅いから、休め」
「ほっといてくれ。いちいち構うな鬱陶しい」
「分かった。おやすみ。……夜更かしはやめろよ、ろくなことを考えないからな」
 ルシェドウはそれだけ静かに告げ、ロビーから出ていった。
 夜も更け、ロビーのトレーナーの姿はまばらだった。ソファに寝転がったまま寝落ちしている者、本を読み耽っている者、夜行性のポケモンの遊びに付き合っている者。
 レイアは目を閉じた。ヒトカゲ以外のポケモンもラルジュ・バレ通りでひとしきり戦闘を重ねていたため、レイアの手持ちは現在すべてポケモンセンターに預けてある。
「……丸腰」
 モンスターボールを一つも身につけていない状況を、レイアはそう評してみた。しかし、この表現だとあたかもポケモンたちをただの武器か何かとしか見なしていないように思われる。
「…………独り」
 レイアはぼんやりと、ポケモンセンターの外を見つめた。明るい内側に対して外は暗闇、窓の向こうは何も見えない。
 しかし、不意にレイアの目の前の窓ガラスに、べたりと、赤いものが張り付いた。

「…………――っ!」
 レイアは思わずびくりとして立ち上がった。赤いピアスが鳴る。
 動悸が激しい。
 レイアは窓に張り付いたそれを、凝視する。
 赤髪の少年が、ポケモンセンターの窓に、外からべたりと顔面を張りつけて、にんまりと笑っていた。
 レイアを見て、嗤っている。
 レイアはたじろいだ。
「…………な」
 窓ガラスにべたりと貼りついた榴火が、目を笑わせ、口だけを動かしている。
――し。ね。
 レイアは思わず後ずさる。それを見て榴火はけたけたと笑い、外の夜闇に消えていった。
 笑われた。
 否、嘲笑われた。
 死ね、と、そう呪われた。
 レイアの脳裏に、ぐったりと眠るヒトカゲの姿が甦る。
 榴火のアブソルが狙っていたのは、レイアだった。けれどアブソルの予知した崖崩れで、レイアとヒトカゲは崖から落ち、そしてレイアはどうにか軽傷で済んだが、ヒトカゲは目を覚まさない。
「……なんで……」
 ここまであからさまに悪意を向けられた記憶は、レイアにはない。
「なんであいつ…………」
 怖気が走る。なぜ、レンリにいる。いつレイアを見つけた。なぜレイアを呪った。
 ルシェドウは、榴火に関わるなと言った。
 なのに、向こうはレイアを見つけて追ってくる。嘲笑う。命を狙う。災いをもたらす。
 怖い。
 今、レイアのポケモンたちはレイアの傍にいない。レイアは独りだった。
 養親や三人の片割れたちと別れ、一人旅を始めてから、少なくとも相棒のヒトカゲがレイアの傍にいない夜はなかった。あの甘えたがりのヒトカゲは毎晩のようにレイアの腕の中に潜り込み、きゅうきゅうと甘えた声を出しながら丸くなって、柔らかな灯火で温かく優しい眠りに誘ってくれた。なのに今ここにはいない。
 傷ついて眠り込んでいる。
 榴火と、紅いアブソルのせいで。
 血の色がちらつく。
 怖い。
 腕や足についた切り傷が痛む。
 レイアはふらふらと、ロビーのテレビの傍に行った。
 他にもテレビを見ている人と適度な距離を保ちながら、明るい画面の傍に寄った。画面の向こうの呑気で陽気な空気に混じろうと、努力した。
 けれど、目を閉じれば、赤がちらついて、怖い。



 遠く、懐かしい昔を思い出す。
 四つ子は崖の上でポケモンバトルごっこをしていて、そしてセッカが小さな崖から頭から落ちた。
 レイアとキョウキとサクヤは、泣きながら、騎馬戦の要領でセッカを運び、ウズのいる家に連れて帰った。
 四つ子の養親のウズが顔を真っ青にして、病院に連絡し、必死にセッカの傷の応急手当てをし、そしてセッカは病院に運ばれた。
 あの夏の日。セッカは深夜になっても目を覚まさず、レイアとキョウキとサクヤは病室から追い出された。
 三人は泣きながら家に帰った。
 セッカが死ぬかと思った。
 三人で泣きながら眠れぬ夜を過ごした。
 しかしセッカは翌日の朝にはけろりとして目を覚まし、寝不足かつ泣きはらしたせいで物凄い不細工になっていたレイアとキョウキとサクヤを見て、爆笑した。
「ぎゃ――っはははははっはははははははっはっははっはははっげほっげほブフォッ」
「おいてめぇ、ふざけんな!」
「セッカぁぁぁぁー心配したよぉぉぉー……っ」
「馬鹿」
 そして片割れの三人に三方向からくっつかれたセッカは、幸せそうにえへえへと笑っていた。
「あ、そうだ。れーやは無事だった?」
「レイアは無事だったよ。もう。セッカじゃなくてレイアが落ちればよかったのに。絶対レイアの方が丈夫だもん」
 緑の着物のキョウキがむくれながら、優しくセッカの頭を撫でる。青い着物のサクヤも鼻を鳴らした。
「まったくその通りだな。これ以上セッカが馬鹿になったら困るのはこっちだからな」
「しゃくや酷い!」
 セッカはサクヤの減らず口にぷぎゃぷぎゃと怒っていた。しかしセッカは赤い着物のレイアを見つめると、へにゃりと笑った。
「……えへへへへ」
「……なに笑ってんだよ」
「いやぁ、レイアが泣いてんの、久々に見たなぁと思ってさ」
「殴るぞ……」
「だめだよレイア、セッカがこれ以上お馬鹿になったらどうするのさ!」
 キョウキが笑いながらレイアとセッカの間に割り込む。
 セッカの寝台に腰かけたサクヤが、レイアを見やって鼻で笑った。
「こいつは昨日の夜も、一晩中めそめそしていた」
「いやてめぇもな」
「僕もセッカが死んじゃったらどうしようかと思って、ずっと泣いちゃってたよ。セッカが無事でよかった」
 キョウキがふわりと笑い、セッカを抱きしめる。セッカもぎゅうとキョウキを抱きしめ返し、そしてレイアを見つめてにこりと笑う。
「俺はれーやが無事でよかった」
「……いや、こっちこそ」
「れーやは強くて頭いいけどさ、俺たちとおんなじだもんな。えへへへ」
「どういう意味だ」
「俺たちは、一緒だよ」
 セッカは柔らかな風の中で綺麗に笑っていた。
 不細工な顔のレイアとキョウキとサクヤは同時に吹き出した。
「馬鹿」
「馬鹿」
「馬鹿」
「なぜだ」



 ポケモンセンターのロビーのソファで眠り込んでいたレイアは、朝の光に目を覚ます。
 上階の宿に泊まっていたトレーナー達が起き出し、ロビーに集まってきつつあった。ポケモンのブラッシングをする者、ポケモンと共にランニングに出る者、さまざまである。
 ソファで眠ったために凝ってしまった肩を回しつつ、レイアは立ち上がる。
 そして、恐る恐る、件の窓を見やった。
 美しい青空と、のどかな街並みだけが見えた。
 レイアが病室に行くと、ヒトカゲは目を覚ましていた。
 ヒトカゲは得体の知れない場所で目覚めてひどく戸惑ったらしく、病室の中、涙目できょろきょろしていた。しかしレイアの姿を見つけるなり、大ジャンプしてレイアに飛びついた。きゅううきゅううと鳴いて尻尾を振り、元気に火の粉を振りまいている。
 レイアもヒトカゲを抱きしめ、笑った。
「あ、ヒトカゲちゃん起きたんだ!」
 背後から聞こえてきたルシェドウの明るい声に、レイアとヒトカゲは振り返る。すると、なぜかルシェドウはがっかりした声を出した。
「ちょ、レイア、なんで反射的に笑顔消したのさ」
「は?」
「レイアの笑顔はヒトカゲ限定なわけ? ずるい!」
「何言ってんだてめぇ!」
 レイアとルシェドウがぎゃあぎゃあ朝から騒いでいると、ジョーイに病室から追い出された。


 預けていた他の手持ちたちも受け取り、着替えも済ませ、そして旅支度を済ませたレイアはヒトカゲを小脇に抱えた。
 レイアと共にポケモンセンターを出ながら、ルシェドウが肩を竦める。
「もう行くの? レンリでゆっくりしてけば?」
「嫌だ。もう二度とここには来ねぇ」
 不愛想に言い捨てたレイアに、ルシェドウはにやりと笑った。
「なに? お化けでも出た?」
「ああああああ――知らん知らん知らん。とにかくもう嫌だ。もう行く。さっさと行く」
「あっそー。レイアって意外とビビりなんだぁ」
「…………」
 ヒトカゲを抱えたレイアは沈黙し、無表情でルシェドウを見つめた。するとルシェドウはなぜか慌て出した。
「えっ何なに? どしたのほんとにここ……出たの?」
「赤いのがな」
 ぎゃー、とルシェドウは叫んだ。スプラッタは無理とか言っている。
レイアは苦笑する。
「……マジで頼むぞ、ルシェドウ」
「えっ?」
 呆気にとられるルシェドウを置いて、滝の音を聞きながら、ヒトカゲを抱えたレイアは北西を目指して歩き出す。
 レンリタウンに用事があるというルシェドウはレイアを追うに追えないらしく、レイアの背後でぎゃあぎゃあと何やら騒がしかった。
 レイアはそそくさとゲートを越えてレンリタウンを出つつ、レイアの腕の中でおとなしくしているヒトカゲに話しかける。
「なあ、サラマンドラ。次アブソルに会ったら、逃げるぞ」
「かげぇ?」
「もうまっぴらだ。……独りは」
 ゲートを抜け、18番道路のエトロワ・バレ通りに足を踏み出す。
 朝日が眩しかった。
 眼裏にちらつく赤を振り払い、レイアはヒトカゲを抱え直すと、北西を目指して歩き出した。


  [No.1392] 四つ子と、双子かける四 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/13(Fri) 21:53:00   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子と、双子かける四 夜



 カロス最北の町クノエシティ。
 日が暮れ、街は蒼い闇に閉ざされる。
 ピンポーン、とインターホンのチャイムが家中に響き渡った。
 居間で大学の語学の課題を黙々とこなしていた淡い金髪のユディは、椅子から立ち上がり、モニター付きのインターホン親機で応答した。
「おー」
 ユディはにやりと笑う。
 モニターの画面の正面には、フシギダネを頭に乗せた緑色の被衣のキョウキが、門灯に顔を照らされ微笑んで立っていた。そしてキョウキと画面の枠の間の隙間を、ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴょんぴょんと跳ねまわっている。
『ユディ、ただいまー』
『ユディ! 開けて! 入れて! 早く! ユディ! 開けて!』
 キョウキとセッカが、街中の散歩から帰ってきたのだ。散歩と言いつつ、クノエシティのフェアリータイプを専門とするジムで、ジムトレーナー達や挑戦者たちとバトルの一戦や二戦もしてきたのかもしれない。そうでもなければセッカのテンションの高さが説明できない。
 何にせよ、ユディ宅に居候中の幼馴染たちの機嫌のよさそうなのに、ユディは心の平和を感じていた。インターホン上では適当に応えておいて、ユディは玄関の開錠へと向かう。
 錠を回し、扉をガチャリと押し開けた。
 果たして玄関前に立っていたのは、キョウキとセッカだけではなかった。
 ユディは目を瞬いた。
「……………………」
「よう」
「どうも」
「ただいまー」
「わっしょい!」
 キョウキはいつもより笑顔が眩しく、セッカはドヤ顔で胸を反らしている。
 その二人の間に挟まれて、ヒトカゲを抱えた赤いピアスのレイアがにやにやと笑い、ゼニガメを抱いた青い領巾のサクヤが無表情でユディを見つめていた。
 ユディは数瞬黙っていた後、玄関のドアをばたりと閉めた。

 そしてさらに数瞬の後、四人分の手により、激しく玄関のドアが叩かれた。
「おいユディてめぇゴラ開けろや! なに勝手に閉めてんだふざけんなァ!」
「ねえねえユディ、開けてよー」
「ユディ! 開けて! お願い! 入れて! ユディー!」
「おい、開けろ。ふざけるな」
 どんどんドガンドガンどごんバンバンバンバンバンバンがんがんがんがん。
 ユディはドアを、再び思い切り開いた。すると、ドアに取りついていた四つ子がまとめて吹っ飛んだ。
「ぐっ」
「きゃー」
「ぴいっ」
「うわ」
 相棒たちと共に尻餅をついた黒髪と灰色の瞳と袴ブーツの四つ子を、ユディは剣呑な目つきで見下ろす。
「…………いつの間に分裂した…………」
「そりゃお前」
「母さんの」
「おなかの中に!」
「いたときだ」
 四つ子は見事なチームプレーで、ぬけぬけとそう答えた。


 そのようにしてユディは幼馴染の四つ子を全員、家に上げることになった。
 仕方なく食事室の椅子に四つ子を座らせ、ユディはぼやく。
「……さっさとウズと仲直りして、帰れよ……」
「やだもん!」
 頬を膨らませて反駁したのは、ピカチュウを連れたセッカだ。ヒトカゲを連れたレイアと、ゼニガメを連れたサクヤが同時に首を傾げた。
「あ? 何、こいつらウズと喧嘩してんの?」
「また何かやったのか」
 それにはフシギダネを連れたキョウキが笑って答える。
「何もやってないのに、何かやったと思われたから、喧嘩になってるんだよ」
「あっそ。ま、自業自得だわな」
 レイアが鼻で笑う。セッカが叫ぶ。
「レイアもサクヤも同罪だけどな!」
「まあ、違いないな。いいだろう。……仕方ない、家出に付き合ってやる」
「待て待て待て、レイアとサクヤまで家出したら俺の家の居候が増えるんだが!」
 偉そうに鼻を鳴らすサクヤに、すかさずユディが突っ込んだ。
 二人くらいの食客ならば問題はないだろう。しかしユディは両親と三人家族、そこにユディの手持ちを含めた五匹ほどのポケモンたちという所帯である。そこに四人もの育ち盛りに加えその手持ちたち計十六体が増えるとなると、食費的にも空間的にも不便を被ることこの上ない。
「四人でここに居候するなら、家賃を払え! それができなけりゃ、ポケセンに泊まれ! あるいはウズと仲直りしてウズの家に帰れ!」
「あそこはウズの家じゃない」
 低い声で答えたのは、キョウキだった。ユディは面倒くさそうな気配に、反射的に顔を顰めた。
 レイアとセッカとサクヤは、興味深そうに緑の被衣の片割れを眺めている。
 キョウキはいつもの柔らかい愛想笑いを潜め、毒々しげに吐き捨てた。
「……何がウズの家だ。調子に乗るなよユディ。何も知らない癖に、好き勝手言いやがって……」
「……いや、それと俺んちに居候することは関係ないからな? なに逆切れしてるんだ、キョウキ」
 ユディは穏やかにキョウキを諌める。
 キョウキは鼻を鳴らした。
「ウズの話はするな。お前には関係ない。これ以上うるさく言うなら、こっちから出ていく」
「おー、出てけ出てけ」
 売り言葉に買い言葉だが、四つ子がユディの家から出ていくこと自体にユディには何のデメリットもない。そして四つ子が心を開ける友達というのもほとんどユディしかいないのだから、四つ子がどれほど背伸びしたところで四つ子はユディから離れられない。
 ユディは気楽に突き放した。
「いいさキョウキ、気に入らん奴からは逃げればいい。ま、それだから、いつまで経ってもお前らには友達も恋人もできないし、父親とも仲直りできないんだがな?」
「……ねえ。いちいち苛つかせるのやめてくれる、ユディ」
「幼馴染の特権ってやつだ。俺以上にお前ら四つ子のこと理解してやれる人間なんて、いない。俺は間違ったことは言ってない。だろ? いつまでも子供みたいに怒ってるなよ、キョウキ」
 今やキョウキはすさまじい形相でユディを睨んでいた。キョウキの頭上のフシギダネの穏やかな表情とかなり対照的である。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカは、キョウキとユディの間の険悪な雰囲気にあたふたとし出している。
 いつの間にか食卓の椅子に勝手に座っていた赤いピアスのレイアと青い領巾のサクヤが、はあと溜息をついた。
「キョウキ、いい加減にしろ」
「家賃を支払おう」
 旅で疲れた様子のレイアとサクヤがそのように言うと、ユディはこだわりもなく頷いた。
「わかった。そうしよう」


 そのままユディと四つ子は、パンと野菜たっぷりのトマトスープと白身魚のムニエルという、質素ながら美味しい夕食を黙々と食べた。四人のそれぞれが四体ずつの手持ちを庭やテラスに解放し、これらにも食事をとらせる。
 四つ子は、雛鳥のような見事な食べっぷりを見せた。
 早々に食事を終えたフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメ、ピカチュウは先ほどから食事室や居間を駆け回り、遊びまわっている。そこにユディの手持ちである小柄なルカリオが嬉々として加わった。
 小柄なポケモンたちが食卓や椅子の足にぶつかるたびに、食卓上の皿が揺れる。しかし四つ子は気にもとめず、黙々と料理を口に運んでいる。
 ユディは小さいポケモンたちを諌めた。
「……お前ら、庭で遊べ!」
「ぴぃか!」
「ぜにぜにー!」
「かげぇ」
「だぁねぇー?」
「がるっ」
 遊び盛りのポケモンたちが騒々しく食事室から去ると、ユディは溜息をついた。
「躾がなってないぞ、お前ら」
 しかし返答はなかった。四つ子は必死に食べ物を胃に詰め込んでいた。
 他に庭にいるのは、ユディのジヘッド、レイアのヘルガーとガメノデスとマグマッグ、キョウキのプテラとヌメイルとゴクリン、セッカのガブリアスとフラージェスとマッギョ、サクヤのボスゴドラとニャオニクスとチルタリス。それぞれポケモンフーズを食べたり、食後のうたた寝をしたり、久々に会った相手と挨拶を交わしたりと、思い思いに過ごしている。
 そうこうしているうちに、四つ子は大鍋に作ったスープを完食した。ユディの両親の分はすでに皿に注ぎ分けてあったため、ユディも四つ子の暴食を許したのである。
「よく食ったな」
「あー……生き返った……ここんとこずっと一日一食だったから……」
 赤いピアスのレイアが食卓にぐったりと倒れ込んでいる。
 ユディは苦笑した。
「それは摂取カロリー的にも少なすぎるだろ、レイア。……金欠か?」
「そうでもねぇけど。ここんとこ食欲無くてさ、メシ抜きがちだったんだよな……」
「大丈夫か? 病気か何かか?」
「いや。気色悪い奴に会っちまって。それで食欲なくした。そんだけ」
 ぐでぐでとしているレイアは、なるほど以前会った時よりもやつれている。サクヤが軽く眉を顰め、セッカがいきり立った。
「……気色悪い奴、だと?」
「何それ! レイア、ストーカーに遭ってたのか? なんだそいつ、許さねぇ!」
「いや、そうでもねぇけど。別にもう大丈夫だし。お前らいれば、まあ落ち着いて寝れるだろ……」
 寝不足も加わっていたらしく、レイアは既にうつらうつらとし出している。セッカとサクヤは顔を見合わせた。
「……レイア、大丈夫かな。……サクヤは大丈夫だったか?」
「ああ。問題ない。お前とキョウキは、何かあったのか」
「うん! ユディとおっさんと一緒にボール工場見学に行って、逃げてきたよ!」
「わからん」
「でさでさ、ところでさ、なんでサクヤは帰ってきたんだ?」
「お前らと話し合いたいことがあったんだが。まあ、レイアもこんな様子なら、明日に延ばすか……」
 すると、それまで黙って空の皿を見つめていたキョウキが、首を傾げた。
「…………サクヤ、話し合いたいことって何かな?」
「今のお前に話すことなどない」
「……あ、そう。分かった、お家絡みの話ってわけだ」
 キョウキは冷ややかに笑い、再び俯いて黙り込んだ。
 サクヤも黙ったまま、セッカに視線を向ける。セッカは何も言われなくても、サクヤの求める説明をした。
「えっとね、俺らこないだ、ウズにひどいこと言われたんだよ。えっとねぇ、偉い人間にならないと父さんも俺らを認めてくれないし、ウズも母さんの家を俺らに返してくれないんだってさ」
「……ふん、なるほどな。大方読めた」
 サクヤは呟き、目を閉じる。ひどく眠そうであった。
 レイアは食卓に突っ伏して、静かに寝息を立てていた。
 キョウキは不機嫌そうに俯いている。
 セッカだけは、ぴょこんと椅子から立ち上がった。幼馴染のユディに笑いかける。
「ユディ、お皿洗い、お手伝いするー!」
「……なんか今めっちゃセッカが眩しいわ」
 ユディは苦笑しつつ、セッカと共に空になった食器類を片付け始めた。



 ユディは自宅の和室を四つ子に貸した。客用布団が二組しかないため、一組の布団に二人ずつ押し込める。ポケモンたちは夜の庭でそれぞれ気の合う者同士でくっつき合って眠り、そしてフシギダネとヒトカゲとゼニガメとピカチュウは相棒たちと同じ和室で丸くなった。
 しかし、翌朝のことである。
 和室から、フシギダネとヒトカゲとゼニガメとピカチュウの困惑した鳴き声が聞こえてきた。
 ユディが不審に思って和室に入ると、四体の小さいポケモンは次々にユディに戸惑いを訴えた。
「ぴぃか、ぴかぴか? ぴかちゅ? ぴかぁっ?」
「ぜーに! ぜにが? ぜにが? ぜにぜにー!」
「かげぇぇぇ……? かげぇぇぇ? かげぇ……?」
「だぁーねぇー?」
 小さなポケモンたちが、布団でいぎたなく眠る四つ子をつついて回っている。
 ピカチュウは取り乱して四人の足の間をせわしなく走り回り、ゼニガメは四人の黒髪を次々に引っ張り、ヒトカゲはほとんど半泣きで四人を揺り起そうとし、そしてフシギダネだけは泰然とユディを見上げている。
 日が昇ってもぐっすりと眠っている四つ子は、赤いピアスも緑の被衣も青い領巾も着けていない。髪型もぼさぼさに乱れ、寝顔は互いによく似ていた。四人でくっつき合って、仲良く眠っている。
 それ自体はいい。
 しかし問題はそこではない。
 レイアとキョウキとセッカとサクヤの区別が、つかない。
「……久々に見せつけられたな、四つ子クオリティ」
 ユディは真顔で呟いた。


  [No.1393] 四つ子と、双子かける四 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/13(Fri) 21:55:06   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子と、双子かける四 朝



 四つ子の雛に給餌し、一人ずつ着物を着つけてやり、それぞれ四体ずつの手持ちのポケモンを持たせると、ユディは四つ子を家の外に引っ張り出した。
 四つ子はまだどこか寝ぼけながらぶつぶつとユディに文句を言う。
「ねみーんだけど……」
「ねえユディー……今日は何ー」
「ぷう」
「ふぎゅ」
 ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは、今度こそ自分の相棒を見失うまいとぴったりとトレーナーにくっついている。相棒たちの今朝の戸惑いも知らず、四つ子は互いに手を繋ぎ、寝ぼけて互いにぶつかり合い、そのたびごとにぷぎゅぷぎゅ言っていた。
 ユディは、数珠つなぎになった四つ子を引っ張っていた。
「今朝メール来て、大学の友達がトレーナー探してんだと。ちょうどいいから、お前ら連れてくって言ったから」
「……意味が……解らねぇ……」
 クノエシティの石畳を五人で歩き、池を橋で渡り、北の大学を目指す。
 広い構内の木々はことごとく金や紅や褐色に色づき、煉瓦造りの風情ある校舎の数々を彩っている。そしてユディは四つ子をクラブハウスへと連れて行った。
 がらりと、部室の一つの戸をユディは開けた。そして中に声をかける。
「よ、連れてきた」
「おおおおー! あざっすユディ先輩! マジで助かるどころじゃねぇ助かります!」
 クラブハウス内でユディと四つ子を迎えたのは、ユディの大学の後輩らしき、四つ子と同年代の少年だった。なぜか腕に大きなタマゴを四つ抱えている。
 その四つのタマゴを目にするや否や、目をとろんとさせていた四つ子が覚醒した。
「うおおおお――ポケモンのタマゴじゃねぇか!」
「ほんとだタマゴだ。本物かな?」
「すっげぇぇぇぇ!」
「実物を間近で見たのは初めてだ」
 ぴゃいぴゃいと騒ぎながら、四つ子はユディの後輩を一斉に取り囲み、にじり寄る。その少年は四つ子の勢いにたじろぐ。
「お、おお……相変わらずだな四つ子」
「あ? てめぇ俺らのこと知ってんの?」
「知ってるっつーか、お前らが十歳になるまで小学校一緒だったじゃんよ……って、覚えてねーか。お前ら実質小二までしかガッコ来なかったもんな」
 四つのタマゴを抱えた少年は笑う。
「四つ子のうち三人がこの前のカロスリーグ出てたってんで、同小の奴と結構盛り上がってたんだぞ。ユディ先輩もリーグ中継ケータイで部室で見てましたしね。結構いいとこまで行ったじゃん、俺らこっそり応援してたし。すげぇよ」
「あー……マジか……」
「つーかお前ら、でっかくなっても顔おんなじなんかー」
 どうやらタマゴを抱えた少年は、小学校の時の四つ子の同級生だったらしい。しかしろくに学校に行かなかった四つ子には、生憎その少年に見覚えがなかった。それも少年は仕方がないと笑い飛ばす。
 ユディも軽く笑いつつ、少年に向かって本題を切り出した。
「で、そのタマゴか? 問題なのは」
「そう、そうっすよ! なあ四つ子、ポケモンのタマゴ、貰ってくんない!?」
 タマゴを抱えた少年は四つ子に向かって身を乗り出す。
 四つ子は呆けた。
「え、貰っていいわけ?」
「え、急にどうしたの? お金とるの?」
「わあああい! ありがとぉぉぉ!」
「何のタマゴなんだ」
 四つ子に同時に口々に何かを言われた少年はたじろぎつつ、ユディに促されて、腕の中の四つのタマゴの由来について話した。
「……えっとー……このタマゴ、うちのポケモンが持ってたんだけど、四つも隠しててさ……。俺んち、もうこれ以上ポケモン飼えないんだよね。俺がうっかりおやになっちゃう前にトレーナーに貰ってほしいんだよね」
 四つ子は納得して頷いた。
 ポケモンの世話をするにはお金がかかる。ボールの中に入れておけば衣食住の世話までする必要はなくなるが、それではポケモンを持つ意味がほとんどない。大抵の家庭ではポケモンを持つと、しっかりとポケモンの寝床を用意し、食事を与え、検診を受けさせ――とにかくポケモンを持つと、諸々の費用がかかるのだ。
 それに、ポケモンは身近な存在と言えど、人間の手には負えないほどの破壊力も秘めた生き物である。ポケモンを持つ者が皆トレーナーカードを持つとも限らない。トレーナーでない者が手持ちのポケモンで事件を起こせば、それはまたトレーナーが事件を起こした時とは違い、様々な不利益を被る羽目になる。
 そのため、ポケモンの管理が行き届くようにするために、飼えるポケモン数に制限を設けている家庭は多かった。
「ってわけなんだけど……どう? 四つ子全員一つずつ、タマゴ貰ってくんない?」
 四つ子は顔を見合わせた。四人の現在の手持ちは、全員四体である。タマゴが孵って手持ちが一体増えたところで、特に差し支えはない。
 四つ子を代表してレイアが頷いた。
「ありがたく貰うわ」
「うわーマジか! ありがと四つ子ー! ほんと頼むな、もうなんかタマゴ動き出してて、もういつ孵るかわかんなかったんだよ! はい! ほい! へい! はい!」
 少年は歓喜にむせび泣きながら、四つ子に一つずつ、大きく温かなポケモンのタマゴを手渡した。
「何が孵るかは孵ってからのお楽しみってことで。ま、フシギダネやヒトカゲやゼニガメやピカチュウかわいがってるお前らなら、気に入ると思うし!」
 タマゴを受け取った四つ子は、感慨深くタマゴを撫でている。それぞれの相棒であるヒトカゲやフシギダネやピカチュウやゼニガメも、恐る恐ると言った表情でタマゴをつついた。
 すると、タマゴがひとりでに揺れた。
 四つ子は歓声を上げる。
「うおおおおおおおお」
「揺れたねぇ」
「揺れた! 生きてる!」
「当たり前だ」
 四つ子は顔を輝かせている。少年とユディは笑った。
「あーほんと、もうすぐで孵っちまうとこだった。マジ間に合ってよかったー。ユディ先輩、ほんとありがとうございます」
「いや、こっちこそ。んじゃ、また今日の五限後からだな。お疲れ」
「うっす! お疲れさまっす!」
 そして後輩に別れを告げると、タマゴを抱いて騒いでいる四つ子をユディは引っ張っていき、クラブハウスを後にした。


 大学構内を歩く四つ子は、大変な上機嫌ぶりである。道行く人々が振り返り、その微笑ましい光景を見てはニヤニヤしている。
「うっわぁマジでタマゴ貰っちまった……!」
「すべすべしてるね。壊れちゃいそう」
「めっちゃ大切にする!」
「何が孵るんだろうな……」
 四つ子は相棒たちと一緒にそれぞれタマゴばかり食い入るように見つめて、ろくに前を見もしない。それが四人横に並列して歩くものだから、通行の邪魔である事この上ない。
 ユディに引っ張られるようにして、そして大学の正門前まで、戻ってきた時だった。
 四人の抱えるタマゴが、それぞれ同時に大きく揺れたかと思うと。
 コツコツと中から音がし。
 タマゴに、ぴしりとヒビが入った。

 四つ子は顔を見合わせた。
 腕の中の大きな、温かいタマゴを見た。
 タマゴがもう一度、揺れた。
 タマゴに、さらにヒビが入った。
 ぴしり、ぴしり。ぱき。
 四つ子は絶叫した。

「うわああああああああああああ!! 孵るマジで孵る!!」
「ひゃああああああ孵っちゃうすごい孵っちゃう? すごいすごいすごい」
「やっべぇぇぇぇぇぇ孵る孵る孵るタマゴ孵る!! やべぇぇぇぇぇぇっ」
「おおおおおおおお……タマゴが孵る……!」
 四つ子は正門前で悶絶した。
しかしタマゴを放り捨てるわけにはいかない。大切に抱える。タマゴが大きく揺れている。
 タマゴ孵化の瞬間らしいと、周辺を歩いていた人々も思わず四つ子の近くに覗き込みに来る。
 ひとしきり叫び終えると、四つ子はタマゴから孵るポケモンに自分こそをおやと認識させるべく、タマゴの表面の亀裂を覗き込んだ。
 ヒトカゲもフシギダネもピカチュウもゼニガメも、一声も漏らさずに息を詰め、四つ子の肩によじ登り、四つ子と共にタマゴをまじまじと見つめる。
 ヒビが広がる。
 そして、四つ子の抱える四つのタマゴの中から、それは誕生の光と共に、二方向ずつ飛び出した。

「ぷい!」
「ぷい!」
「ぷい!」
「ぷい!」
「ぷい!」
「ぷい!」
「ぷい!」
「ぷい!」

 四つ子と、八匹。
 計二十四の瞳が見つめ合った。刷り込みは無事に完了した。
 四つのタマゴからそれぞれ孵った、双子のイーブイかける四組は、それぞれのおやに突撃した。

 周囲から歓声が上がる。拍手が上がる。指笛も上がる。
 ノリのいい男子学生が、叫んだ。
「いま! このとき! 新たな命がタマゴから孵ったのでェェェ――す!」
 おおおお、とどよめきが周囲に広がる。正門前の拍手がさらに広がる。
 正門の警備員も、案内所の職員も、拍手をしている。年老いた教授も若い学生も院生も、委託された清掃員も、構内の自動販売機の製品の補充に来た作業員も、皆がいい笑顔になっている。
「皆さまッ、盛大な拍手を! 新たな生命の誕生に、祝福をォォォ――!」
 さらに件のノリの良い学生が扇動し、拍手がさらにさらに盛り上がる。女子学生が数人で声を合わせて、「おめでとー!」と祝福を投げかける。携帯電話のシャッター音がいくつも鳴り響く。
 群衆が四つ子を取り巻き、タマゴから孵ったばかりの八匹のイーブイの誕生を祝った。
 四つ子ではなく、ユディが拍手や歓声に手を振って応えている。

 一方で、それぞれが双子のイーブイに顔面に飛びつかれた四つ子は、呆然と突っ立っていた。
 何が起きたか、わからない。
 今、タマゴから小さい生き物が二匹飛び出して、今も顔面に張り付いている気がするのだが、これはどういうことだろうか。
 視界が茶色い。温かく、ほのかに湿っている。
 もにょもにょ動く。ふわふわである。
 四つ子は何も考えずに、なめらかな毛並みの柔らかい腹の感触を顔面で楽しんだ。
 顔に張り付いた二匹の小さな生き物は、うごうごとうごめき、ぷいぷいと声を上げている。
 四つ子は、恐る恐る、それを顔から引き剥がした。
 二対の黒い瞳と視線がぶつかった。
 そして、四つ子は完全に落ちた。
「うおおおおおお可愛いじゃねぇかァァァァァァ」
「かっ……可愛い可愛い可愛いっ」
「キャアアアアアアアかわいいいいいいいっ」
「……かわいい。かわいい。かわいい」
 四つ子はそれぞれ両手に小さなイーブイを掴み悶絶した。
 それぞれの相棒であるヒトカゲもフシギダネもピカチュウもゼニガメも、初めてポケモンのタマゴの孵化に立ち会ってぽかんとしていたが、四つ子の肩にくっつき、双子のイーブイを見つめて、新たな仲間との出会いに表情をほころばせた。


 ようやく拍手が鳴りやむと、四つ子の周りには続々と女子学生が集まってきた。
「すごーいかわいい!」
「超やばい! かわいいー!」
「えっ、これってぜんぶ双子ちゃんってこと!?」
「すごい、タマゴから双子のポケモンが孵ることってあるんだね!」
 生まれたばかりの八匹の小さなイーブイは、それぞれのおやにぴたりとくっつき、おっかなびっくりといった様子で女子学生を丸い黒々とした眼で見つめている。
 ユディが軽く笑いつつ、女子学生を押しとどめた。
「ほら、イーブイたちがびっくりしてますんで、落ち着いてください。大きな声を出さないで」
 女子学生は囁き声で、かわいいかわいいと繰り返す。携帯電話でフラッシュを焚かずに写真を撮りまくる。動画を撮る学生もいる。
 四つ子は四つ子で、改めて互いの腕の中に収まっているそれぞれの双子のイーブイを見つめた。
 赤いピアスのレイアの腕の中に二匹。
 緑の被衣のキョウキの腕の中に二匹。
 セッカの腕の中に二匹。
 青い領巾のサクヤの腕の中に二匹。
 小さなイーブイが合計八匹、きょろきょろと自分のおやと、そのおやにそっくりな顔をしたおやの片割れたち三人と、そして自分と同じタマゴから生まれた自分の片割れ一匹と、自分とは違うタマゴから生まれた自分の兄弟六匹を、何もわからないまっさらな頭で見比べている。
 そして、イーブイたちは見たままを飲み込んだ。愛くるしい笑顔を浮かべる。
「ぷい!」
「ぷいい」
 小さなイーブイは本能的に、おやに甘えかかった。四つ子はよろよろとした。周囲からも歓声が上がった。
 そのとき周りの群集の中から、ゴーゴートを連れて肩にエリキテルを乗せた一人の女性が、四つ子の傍まで歩み寄ってきた。ふわりと良い香りが漂う。
「すごい! すごいわ! ねえねえ、このイーブイたちの誕生を記事にしてもいい!?」
 美女による突然のそのような申し出に、四つ子は相棒と双子のイーブイと共にきょとんとする。
 前髪の特徴的な女性は、笑顔で自己紹介をした。
「私、ポケモンルポライターのパンジーっていいます。ミアレ出版で働いているの」


  [No.1394] 四つ子と、双子かける四 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/13(Fri) 21:56:21   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子と、双子かける四 昼



 ユディは講義があると言って、そのまま大学に残ってしまった。
 ヒトカゲ、フシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメを連れた袴ブーツの四つ子は、それぞれが双子のイーブイを抱えながら、クノエシティのカフェで、生まれて初めての雑誌の取材を受けていた。
 ルポライターのパンジーはヘッドセットを起動し、四つ子に笑いかける。
「まあまあ、気楽にね。イーブイちゃんたち、ご誕生おめでとうございます!」
「お、おお……」
「ありがとうございます、パンジーさん」
「えへ、えへえへえへ」
「ありがとうございます」
 ヒトカゲを連れた赤いピアスのレイアは顔を引き攣らせ、フシギダネを連れた緑の被衣のキョウキはにこにこと愛想笑いを浮かべ、ピカチュウを連れたセッカはもぞもぞし、ゼニガメを連れた青い領巾のサクヤは背筋を伸ばして無表情である。
 五人はソファの設えられた広い席で、コーヒーとポケモンのための木の実クッキーを頼み、そしてコーヒーの香りの中、一対四で向かい合っていた。
 パンジーが軽く苦笑する。
「ごめんなさい、そっち側ちょっと狭い?」
「いえ、慣れてますので」
 慣れた様子で笑顔で答えるのはキョウキである。四つ子は三人掛けのソファにぎゅう詰めになり、膝に小さなイーブイたちを乗せていた。
 ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは、パンジーの連れているエリキテルにちょっかいをかけ始める。怯えるエリキテルをヒトカゲとピカチュウとゼニガメが上機嫌で追い回し、フシギダネはそれを笑顔で見守っていた。
 エリキテルがパンジーの肩の上に逃げ込み、そしてそれを追おうとパンジーの足にくっついたゼニガメを、サクヤがすばやく拾い上げる。
「ゼニガメが失礼をしました」
「ううん、いいのよ。ごめんなさいね、この子、ちょっと臆病なの」
 パンジーはエリキテルを指で優しく撫でる。ゼニガメはさっさとサクヤの手の中から逃げ出し、ヒトカゲやピカチュウと一緒に今度はパンジーのゴーゴートに構い始めた。やはりフシギダネはにこにこと目を細めて丸くなっている。
 一方、四つ子の膝の上の小さな八匹のイーブイは、生まれて初めてのコーヒーの香りを興味深げに嗅いだり、走り回る四つ子の相棒たちに目を白黒させたり、四つ子の肩によじ登ったりと思い思いに動いていた。
 四つ子は小さなイーブイをつまんでは膝に戻しつまんでは膝に戻し、ようやくパンジーに話しかけた。
「えーと、それで何話せばいいんすか」
「そうそう、あのね、私もタマゴから双子のポケモンが孵るなんて、見たことも聞いたこともなかったのよ。なのに、あなたたちの持っていた四つのタマゴからはすべて、双子のイーブイが生まれた。これってすごいことよね?」
「そうですね」
 キョウキが穏やかに笑顔で答える。パンジーも笑顔で深く頷いた。
「そうそう、そうなのよ。だから是非お話を聞きたいの。じゃあ、そうだなぁ、まずトレーナーさんの経歴から聞こうかな? ねえもしかして、四つ子さん……なの?」
「うす。俺はレイアっす。で、こっちからキョウキ、セッカ、サクヤ」
「わあ、四つ子さんが、タマゴから双子のポケモンを四組孵したのね。イーブイたちが生まれた時、まずどんな気持ちでした?」
「わけわかんなかった」
「正直にびっくりしました」
「ぴゃーって感じだったっす!」
「純粋に驚きました」
 なるほど、とパンジーは微笑む。四つ子の貧相なボキャブラリーが早々に露呈したが、四つ子は勝手に這い回っている小さなイーブイを膝に戻すのに忙しい。
「イーブイのタマゴはどのような経緯で手に入れたの?」
「今朝、幼馴染の大学の後輩が」
「家のポケモンがタマゴを持ってしまったらしくて」
「自分ちじゃ飼えないからトレーナーに渡そうと思ったんだって!」
「そういう縁で僕らの元にタマゴが来ました」
「ふんふん、なるほどね。これまでにタマゴを孵したことは?」
「ねぇっす」
「だから余計に、双子が生まれたときにはびっくりしちゃったんですよね――」


 そうして四つ子はパンジーに尋ねられるがままに話をした。
 パンジーはさすがルポライターとあって、話を聞くのが上手い。気付けば四つ子は語りに語り、昼時にもなってしまった。
「あ、じゃあ取材のお礼ということで、お昼は奢らせてもらうわね。サンドイッチとかでいい?」
「わあ、恐縮です。ありがとうございます」
 キョウキは人好きのする笑顔を浮かべて受け答えした。うっかり機嫌を損ねさえしなければ、最も人当たりのいいのはキョウキである。
 昼食が席に運ばれたところで、パンジーはヘッドセットの電源を切った。そしてリラックスした雰囲気で伸びをし、人懐っこく四つ子に微笑みかける。
「ふふ、本当にありがとう。これでとっても良い記事が書けるわ」
 四つ子はサンドイッチをぱくつきつつ、めいめい小さく会釈を返す。パンジーもコーヒーカップを口につけて、四つ子に微笑んだ。
「じゃ、ここからは別に記事にはしないけれど、せっかくお会いできたんだから四つ子さんのお話が聞きたいなぁ。四人は仲が良いの?」
「悪くはねぇけど」
「とっても仲良し!」
 セッカが手を上げて元気よく叫ぶ。耳元で怒鳴られたサクヤが、セッカの頭をぺしりと叩いた。パンジーはこらえきれずに笑い出す。
「ふふふ、本当に仲が良いのね。……ああ、そうだ。四つ子さんがトレーナーだって話をさっき聞いたけど、ハクダンジムのバッジはもう持っている?」
 すると、レイアとキョウキとサクヤの三人は、一斉にセッカを見つめた。
 一同の注目を集めたセッカはぴしりと背筋を伸ばし、ぴゃあぴゃあと叫ぶ。
「なに! バッジいっこは持ってるって言ったじゃん! ビオラさんには勝ったし! バグバッジだけは持ってる!」
「なんだ、ハクダンのジムは行ったのかよ」
 レイアがにやにやとしている。セッカはぷうとむくれた。
 パンジーは耐えられないといった様子で笑い、コーヒーカップを下ろした。
「ふふ、あはは、セッカ君って面白いわね。そっか、じゃあ四つ子さんはみんな、ビオラには勝ったのね?」
「そゆこと! ビオラさんには勝ったもん! 他のバッジだって取ろうと思えば取れるもん! わざと取ってないだけだもん!」
「そう、ならハクダンジムに来てもらえて光栄ね。ビオラは私の妹なの」
 ぴええ、とセッカは目を見開いた。
「うわあ、美人姉妹じゃん!」
「光栄の極みです。でもそうかぁ、じゃあビオラに聞いたら、四つ子さんのこと覚えてるでしょうね。四つ子なんてそうそう会えないもの」
「それこそ光栄ですね」
 キョウキが微笑んで応じる。
「ビオラさんは、お元気ですか?」
「もちろん! 毎日、朝早くからあちこち歩き回って写真ばっかり撮ってるわ。ああ、最近はバトルシャトーの方にもちょくちょく顔を出してるみたい。四つ子さんは爵位を持ってる?」
 四つ子は首を傾げて顔を見合わせた。
「爵位?」
「爵位?」
「バトルシャトーで用いられる称号よ。バロン、ヴァイカウント、アール、マーキス、デューク、そしてグランデューク。カロスリーグのチャンピオンや四天王、ジムリーダーたち、それにカロスリーグに出場するようなエリートトレーナー達はみんな爵位を持ってるわ」
 四つ子は顔を見合わせた。
「俺ら、持ってない」
「そうなんだ……。でも、リーグに出るほどの実力があると見込まれれば、ジムリーダーの誰かに推薦してもらえば称号は授与されるわよ? ビオラに頼んでみましょうか?」
 パンジーの申し出に、四つ子はさらに顔を見合わせる。
「……爵位っての、要るか?」
「わからないよ。そもそもバトルシャトーってのがどんなにえげつない所かわからないしね」
「なんでも、高額の賞金がやり取りされるバトルの社交場らしいわよ?」
「行こう!」
「やめないか。はしたない」
 セッカが目を輝かせる。サクヤがそれを嗜めた。


 膝の上でイーブイたちを遊ばせながら、四つ子は美女との会話を楽しんだ。
 パンジーは生まれたての小さなイーブイを四つ子から借りて、愛情をこめて撫でている。イーブイが気持ちよさそうに鳴くと、パンジーはますます笑顔になった。美女を喜ばせることができるのは四つ子にとっても光栄なことである。
 思わず長話をして、秋の短い日は早くに傾く。
 そのまま午後の茶まで付き合って、そして何かの弾みにパンジーはふと口を噤んだ。
 そして何かを思い出したように、四つ子をしばらく見つめた。
「……何ですか」
 サクヤが口を開くと、パンジーは慌てた風に手を振る。
「あ、ううん、何でもないの。これはあまり言わない方がいいことね、きっと」
 その一言に四つ子は少なからずショックを受けた。そしてパンジーをさらに慌てさせた。
「あああ、ううん違う、違うわ、別になにか悪いわけじゃなくって! えーと、うーん、そう……気を悪くしたらごめんなさいね、私の同僚が四つ子のトレーナーの話を聞いたことがあるっていうのを……思い出しただけ」
 セッカは首を傾げる。レイアは小さく鼻を鳴らし、キョウキはふわりと愛想笑いを深くした。
 サクヤがぽつりと呟く。
「貴方は、ミアレ出版の方でしたね」
「ええ、そうだけれど……ううん、ごめんなさい、やっぱり忘れて!」
「構いません。一度起きたことは、そう簡単には忘れ去られませんから」
 無表情のまま、サクヤはパンジーを見据えて囁いた。
 パンジーは困り果てた表情をした。
「本当にごめんなさい、ミアレの…………ううん、私も事故だったと思っているわ。だから四つ子さんのことは、本当に……。……いやなことを思い出させたかしら」
「いいえ。僕らにとって大事な話ですから」
 青い領巾のサクヤは椅子の上で屈み込み、足元に走り寄ってきたゼニガメをそっと抱き上げる。ゼニガメを追うように、レイアのヒトカゲ、キョウキのフシギダネ、セッカのピカチュウがそれぞれの相棒の足元に寄り添う。残る三人も相棒を抱き上げた。小さなイーブイが八匹、ソファの上を転がるように這い回る。
 レイアの赤いピアスが揺れる。ヒトカゲを抱えたレイアは顎を上げて、ルポライターに問いかけた。
「あんた、エリートトレーナーのトレーナー人生を奪った奴のこと、どう思う?」
 パンジーは表情を引き締め、背筋を伸ばした。
 まっすぐ、四つ子に向き合う。新緑の瞳で四つ子を見据える。
「……私は、貴方たちは悪くないと思うわ」
「ある意味、模範解答ですね」
 フシギダネを抱えた緑の被衣のキョウキが、間髪入れず口を挟んだ。口元には密やかな笑みが湛えられている。
 レイアが思い切りキョウキの脛を蹴り上げ、その巻き添えを食らったセッカがぴゃああと情けない悲鳴を上げ、サクヤは一人さっさと立ち上がった。
 四つ子は手に手に小さなイーブイを二匹ずつ掴んだ。
 そして、カフェでパンジーと別れた。


  [No.1395] 四つ子と、双子かける四 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/13(Fri) 21:58:50   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子と、双子かける四 夕



 四つ子は、相棒たちと、小さなイーブイとを連れて、とぼとぼとクノエ南のユディの家に戻る。
「ほんとキョウキてめぇは、口が悪いっつーかなんつーか……」
「ありがとう」
「褒めてねぇよ!」
 レイアが文句を言う。美女を困惑させたのは全くの不本意だった。
 とはいえレイアもキョウキもセッカもサクヤも、別に女性が好きというわけではない。男性が好きというわけでもない。そもそも自分の性別が男か女かすら、四つ子はろくに認知していない。十歳から命懸けの厳しい旅を続けてきた四つ子は情緒が未発達であり、ただなんとなく見眼麗しくかつ性格の良い人間に惹かれるだけである。
 日の傾く中、クノエの石畳を歩きながら、四つ子は沈黙する。
 ミアレ出版社に努めるルポライターのパンジーは、四つ子がミアレシティで起こした事件を聞き知っていた。そして、四つ子は悪くないと、そう言った。
 ある意味、社交辞令であろうとは四つ子は誰もが思う。四つ子はまだ人間として未熟であり、そしてよく知りもしない大人から詰られればそれは精神的に大きな傷になるだろう。だから、パンジーがあそこで四つ子を責めるという場面はどうしても考えられなかった。
 頭にフシギダネを乗せ、両手で双子のイーブイを抱いたキョウキが酷薄に笑う。
「でも、わかってて尋ねたレイアもレイアだよね」
「……確かにな」
 ヒトカゲを片手で抱え、もう片方の手で双子のイーブイをわしづかみにしているレイアは頷いた。キョウキがさらに嗤う。
「お前は何がしたかったのかな。口先だけの慰めが欲しかったとしか、僕には思えないのだけれど」
「ぐうの音も出ねぇわ。その通りだ、キョウキ」
「素直だねぇ」
「俺、お前ほどひねくれてねぇから。確かに俺は、俺らが悪くないって言ってほしかっただけだ。だってそうだろ、ウズもユディもモチヅキも、俺らが悪いとしか言わない」
「……ウズもユディもモチヅキさんも、正しいよ」
 ピカチュウを肩に乗せ、双子のイーブイを両手で抱いたセッカがぽつりと呟いた。
「あの三人は、正しいことを言ってたと思うよ。でも、だからこそ、俺らの味方になってはくれなかった……」
 ゼニガメを片手で抱え、もう片方の手で双子のイーブイを掴んだサクヤが、小さく嘆息した。
「モチヅキ様も、ウズ様も、ユディも、所詮は僕らの身内ではないからな」
「身内、ね」
 レイアが息を吐き出す。
 四つ子は、見たことすらないジョウトのエンジュシティの父親を思った。四つ子の、互いを除いた唯一の家族である。
 四つ子の養親のウズは、機嫌がひどく悪くなると四つ子を『庶子』と罵った。四つ子なりに辞書を引き、大人に尋ね、そうしてようやく四つ子にわかったのは、どうやら四つ子の父親には『正妻』と『嫡子』というものがいるらしい、ということだ。
 きっと父親は、四つ子よりも、『嫡子』の方を愛しているのだろう。
 だから、四つ子を気にも留めない。四つ子の味方にはなってくれない。四つ子を愛することはない。
 四つ子には、お互い以外に味方はいない。
 ゆっくり、ゆっくりと歩き過ぎて、いつの間にかクノエの街は橙色の夕日に染まりかけていた。
 サクヤが静かに囁く。
「……お前らは、僕らの父親に興味はないか」
「……会ったところで、何にもならねぇ」
「何を期待してるんだい、サクヤ」
 レイアとキョウキが低く応える。セッカだけはやや能天気な声を発した。
「俺は気になるけどな。どんな顔してるのか。エンジュにいる奥さんってのはどんな人か。俺らの兄とか姉とかはいるのか、とか」
「調べりゃわかるだろ、そんなもん。四條家ってわりと名家らしいぞ……」
 レイアが低く囁くと、セッカは黙り込んだ。
 調べて分かるようなことなど、四つ子にとってほとんど価値はないのだ。
――名家と呼ばれる家柄の人間なのに、父はなぜ、四つ子を捨てたのだろう。母はどんな人だったのか。どのように母と出会ったのか。なぜ四つ子は生まれたのか。なぜ愛してくれないのだろう。ウズだけを寄越して、四つ子に何をせよというのだろうか。
「大人になったら、分かるのかな」
 セッカが呟く。
 四つ子の腕の中では、幼い四組の双子のイーブイが、何も知らずにぷいぷいと鳴いている。




 大学でのサークル活動を終えたユディが自宅に戻ると、我が家は阿鼻叫喚の巷と化していた。
「待て! 待って! ちょっどれがどれだ分かんねぇぇ!」
「おいサクヤてめぇ、それはちげぇぞ! そいつは俺のだ!」
「どこを見ている。先ほどじゃれ合った際に見失ったのだろう」
「どの子もかわいいねぇ」
 ユディが居間に駆け込むと、今は混沌としていた。
 小さな茶色い毛玉が八つ、ぴょこんぴょこんと跳ねまわっている。それ自体が軽いせいで居間のインテリアに被害はほぼないが、ソファのクッションはあらぬ方向に落ちており、本棚は位置が斜めにずれている。四つ子の奮闘が窺えた。
 そして四つ子は、小さなイーブイをうっかり踏みつけてしまわないように苦心しつつ、イーブイを捕まえようとしているのだった。
 しかし、この八匹のイーブイというのが、まったく区別がつかない。
 イーブイの方は、四つ子のそれぞれの髪型や装飾品、そして性格などの微妙な違いによって、完全に四つ子を見分けているらしかった。そして、四つ子が自分たちの見分けをつけられないのを良いことに、八匹でじゃれ合い、四つ子を惑わせている。
 四つ子は肩で息をしていた。ユディが帰宅したことにも気づいていない。
「……くっそ……おちょくりやがって……」
「レイア、赤ちゃんに怒っちゃだめだよー」
「マジで足腰たくましい赤んぼだなぁ……」
「まったくだな。生まれたてとは思えない」
 そして四つ子は視線を交わし、頷き合った。ユディは四つ子が何をしでかすかと興味深く見守っていた。
 四つ子はまず、ピアスだの被衣だの領巾だのを放り捨てた。
 次に、互いの髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。それから四人で輪になって回り出した。八匹のイーブイが興味津々といった様子で、四つ子を見上げている。ユディも面白おかしく、四つ子の円舞を見つめている。
 そしてぼさぼさの黒髪の四つ子は、四揃いの灰色の双眸で、無表情で小さいイーブイどもを見下ろした。
「だーれだ」
「だーれだ」
「だーれだ」
「だーれだ」
 八匹の小さなイーブイは硬直した。
 四つ子はなおも言いつのった。
「散々馬鹿にしてくれたな、イーブイたち」
「調子に乗るなよ。こっちだって四つ子だ」
「本気を出せば、私たち自身にも見分けがつかない」
「さあ、イーブイたちよ。お前のおやはどれなんだ」
 小さなイーブイは戸惑ってぷうぷうと鳴き出した。のんびりとソファの上に退避していたヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは、いかにも訳知り顔で気の毒そうにイーブイたちを見守っている。
 ユディもまた、四つ子を判別しようと試みていた。
 しかし、四つ子は表情筋への力の入り方まで同じだった。普段は髪型が違っても、髪の長さは同じだった。姿勢まで同じだった。呼吸や瞬きのタイミングまで揃っていた。
 ユディはモンスターボールから、相棒の小柄なルカリオを出した。
「ルカリオ、四つ子の区別つくか?」
 小柄なルカリオはろくに試みようともせずに、首を振った。ユディは唸った。
「……なるほど、一卵性多胎児は波動も同一なのか……」
「左様」
「私たちはかつて一つだったもの」
「見分けることは不可能」
「調子に乗るな、子イーブイ」
 八匹の子イーブイはおやを見失い、ぷうぷうと盛んに鳴いている。
 四つ子は胸を張った姿勢を崩さない。八匹の悪戯好きなイーブイを少々懲らしめる心づもりらしい。大人げないことこの上なかった。

 ユディは一人でのんびりと隣の部屋へ行き、ごそごそと目当てのものを探した。母が集めている色とりどりのリボンを持って、居間に戻ってくる。
 そしてユディは、戸惑って立ちすくんでいる子イーブイを一匹ずつ捕まえると、その耳にリボンを結わえつけた。
 薄色、桃色、青色、黄色、赤色、緑色、水色、濃色。
 おやを見失って茫然としているイーブイにリボンを結ぶのはひどく簡単だった。そしてユディは、未だにふんぞり返っている四つ子を見やった。
「……なあ、いつまでやってるんだ?」
「ユディ、お前には私たちの見分けがつくか?」
「……いや、つかないけど。時間の無駄だろ。生まれたばっかの双子四組に、なに張り合ってんだ、アホ四つ子」
「ユディ、私たちを区別できないなら、今後一切、私たちに偉そうな口を利かないことだ」
「……なんで?」
「お前がレイアだと思っているのはレイアではないかもしれない。お前は、一生本物の私たちに会えなくなるのだ」
「……それ、俺に何かデメリットある?」
「お前は、目の前のまやかしがまやかしであることに気付かぬまま、一生を終えるのだ」
「……人生なんて大概そんなもんだろ。お前ら、いつまでもそうやって遊んでるんなら、俺がこのイーブイたちに名前付けるぞ?」
 四つ子は揃って首を傾げた。
 その無言を拒否でないと受け取ると、ユディはイーブイを一匹ずつ指さして、名付けた。
「薄色は真珠。桃色は珊瑚。青色は瑠璃。黄色は琥珀。赤色は瑪瑙。緑色は翡翠。水色は玻璃。濃色は螺鈿」
 そのように、リボンの色におよそなぞらえ、宝石の名をイーブイに与える。
 四つ子はぽかんとしていたが、口調を戻してそれぞれ頷いた。
「……あ、いいんじゃねぇの」
「お洒落だねぇ」
「なんかかっこいいな」
「悪くはないだろう」
 そして四つ子の口調が元に戻るや否や、おやを見分けた小さなイーブイたちは、それぞれのおやに思い切り飛びついた。
 レイアの元には、薄色の真珠と、桃色の珊瑚。
 キョウキの元には、青色の瑠璃と、黄色の琥珀。
 セッカの元には、赤色の瑪瑙と、緑色の翡翠。
 サクヤの元には、水色の玻璃と、濃色の螺鈿。

「よし、これでいい。次からは耳のリボンで見分けろ。自分のイーブイのリボンの色、忘れるなよ」
 ユディは澄まして四つ子にそのように言った。
 四つ子はこくりと素直にうなずいた。そして互いに顔を見合わせた。
「……手持ち六体、埋まったな」
「そういえばそうだね。イーブイかあ。進化ポケモンだね」
「えっ、なにその期待させる分類名! めっちゃ進化楽しみなんだけど!」
「……イーブイには現在、八種類の進化の可能性が確認されているな」
 四つ子は八匹のイーブイを見比べ、それから互いの顔をまじまじと見つめた。
 そして、何も言わなくても四つ子は悟った。自分たちが取るべき道を。
 互いに囁き合う。
「……お前ら、分かってんな? 進化はやり直しできねぇ」
「おっけー。全力で調べるよ」
「俺もたまには空気読むしぃー」
「まったく……頼むぞ」
 そして四つ子の間に、暗黙の協定が築かれた。
 ユディはそんなことも知らずに、夕食の調理に取り掛かっていた。
 八匹の小さなイーブイは、自分たちの未来が定められたことも知らず、ぷいぷいと四つ子の腕の中で機嫌よく歌っていた。

四つ子と、双子かける四 夕 (画像サイズ: 3148×2260 369kB)


  [No.1398] 時津風 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:18:38   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



時津風 朝



 たった今、目覚めた。
 そっと瞼を押し上げると、座敷の天井は赤々と照らされていた。
 縁側は鎧戸で閉ざされ、朝日は差し込まない。それでも視界が利くのは、俺の相棒のヒトカゲが枕元で丸くなって眠っているためだ。その尻尾の先の赤い炎が揺らめき、座敷の天井に色と影とを投げかけている。
 ゆっくりと上体を起こす。
 両隣に、温かく柔らかい感触がある。
 俺の両隣とその向こうにさらに一人、計三人、俺が眠っていた。
 こうしてみると、自分でもあまり四つ子の片割れたちの見分けがつかなかった。こんなにじっくり片割れたち三人の寝顔を眺めるのは、何年ぶりだろうか。旅立ちの日の朝以来か。腰まであった髪は短くなっても前髪は鼻にかかっているし、顎は大分すっとして、投げ出された手の指は長い。きっと俺もこいつら三人と同じ姿をしているだろう。
 何となく自分の右隣がキョウキで、左隣がセッカで、その向こうにいるのがサクヤであると見当をつけた。まったくの勘だが。
 顔かたちはそっくりだが、なぜか四つ子の中で朝最初に目覚めるのはいつも必ず俺であり、鎧戸を開けて朝日を座敷に入れるのもいつも必ず俺であり、片割れの三人の布団を引っぺがすのもいつも必ず俺である。そして、鎧戸の勝手が慣れたものと違って――ああそうだ、今はウズの家でなく、ユディの家にいるのだった。
 朝日が、畳の上に差し込む。
 窓を開ければ、風が部屋に吹き込む。
 風の中をのしのしと、これもまた丸くなって眠っているヒトカゲやフシギダネやピカチュウやゼニガメをまたぎ超え、片割れたちの枕元に立った。三人は朝の陽射しの中ですやすやと寝息を立てている。
 片割れたちをくるんでいるふわふわの綿布団を掴み、引き剥がす。そして見ると片割れ三人の浴衣は見事に着崩れていた。肌蹴た胸や腿が涼しい風にさらされている。この三人も、それを見る俺も慣れっこだ。
「……起きろー」
 セッカと思しき片割れを、軽く蹴る。セッカはふみふみ言いながら転がっていき、キョウキに引っ付いた。
 面白くなってキョウキを蹴る。キョウキはセッカごと転がっていき、サクヤに引っ付いた。
 サクヤを蹴る。
 するとサクヤが、思い切り不機嫌な面でぱちりと目を開いた。そして俺の足首をすさまじい握力で掴んできやがった。思わずにやにや笑ってしまった。
「起ーきーろーやー」
 爪先でサクヤの柔らかい腹をぐりぐりすると、そいつは跳ね起きた。
 俺は笑いながら、咄嗟にそこら辺に寝ていたキョウキだかセッカだかをひっつかみ、楯にする。サクヤの拳がめり込んだのは、果たしてキョウキだったのかセッカだったのか。俺は知らん。
 とにかくサクヤの攻撃を俺は免れると、未だに眠っている相棒のヒトカゲを拾い上げ、脇に抱えて、廊下の突き当りの洗面所へのんびりと歩いていった。サクヤが起きたのだから、あとの二人もじきに起きるだろう。ざぶざぶと顔を洗い、赤いピアスを身につける。飛沫が跳ねたか、ヒトカゲが文句を言いながらもぞもぞと目覚めた。
 キョウキのフシギダネも、セッカのピカチュウも、サクヤのゼニガメも、あくびをしながら目を覚ました気配である。寝起きの良い彼らは、さっそく自分たちの相棒の眠気を吹っ飛ばしにかかった。
 フシギダネはキョウキにくしゃみを誘発する粉をふりかけ、ピカチュウはセッカに電気ショックをお見舞いし、ゼニガメは賑やかしく喚きながらサクヤの髪を滅茶苦茶に引っ張る。キョウキがくしゃみを連発し、セッカがぴゃああと悲鳴を上げ、サクヤが静かに毒づくのを、俺は座敷に戻ってにやつきつつ見ていた。ほんとこいつら、アホだよな。
 座敷の隅に置いていた大きな籐編みの籠というかバスケットの中の、八匹の子イーブイたちは、その中の数匹は目覚めてぷうぷうと鳴いていた。バスケットの底に毛布を敷いて、その中で八匹を眠らせていたのだ。
「ぷいー」
「ぷいい?」
「おはよ」
 覗き込んで声をかけてやると、小さなイーブイたちは目覚めたものから順にバスケットから飛び出してきた。畳の上を走り回り、それぞれのおやに突進していく。
 今日やらなければならないのは、このイーブイたちのための調査だった。


 風の強い日だった。
 ユディの家の庭木が風にそよいでいる。ざわざわと葉擦れの音が零れてくる。
 庭にいた手持ちのポケモンに朝食を出す。このショップで購入できる茶色いポケモンフーズは、ポケモンのタイプごとに様々な種類がある。俺ら四つ子はお世辞にも裕福とは言えないため、ポケモンたちに与えられるのは最も安価なポケモンフーズだけだ。それに加える形で、道中で収穫したきのみ類。食べられる野草。水道から汲んだ地下水。鉱石を食すものには石なども。
 ポケモンにとってつましい食事だが、それでも野生で暮らしている時よりは量的にも味的にも栄養バランス的にも恵まれているのだろう。ポケモンたちは文句を言わず、黙々と朝食をとっている。
 俺ら四つ子の手持ちの二十四匹、そしてユディの家に暮らす五匹のポケモンたち全員に食事を配り終えたころには、人間のための朝食も整い始めていた。食事室にはぼんやりとしたキョウキとセッカとサクヤがちんまりと椅子に収まっている。
 ユディの母親に促されるまま、俺も食卓についた。
 そして、ぷいぷい騒ぎながら朝食にがっついている八匹の子イーブイをそれとなく見やった。生まれたばかりのイーブイは、人の目の届きやすい食卓の近くで食事をさせているのだ。
「タマゴから孵ったばっかのポケモンも、普通に食うんだな……」
「生まれた直後から戦えるからね、ポケモンは。なんにせよ健康そうで助かるよ」
 緑の被衣を頭から被ったキョウキが、ほやほやと笑いながら答える。こいつのこの胡散臭い笑顔はデフォルトだ。五分ほどこいつと会話を続けていれば、いかにこいつが下衆かがわかる。表面上は人当たりが良くても、キョウキの性格は最悪だ。
 とはいえ、別に俺もセッカもサクヤも、キョウキが嫌いなわけではない。むしろその下衆さを好んでいる。いわゆるあれだ、俺らにとても言えないことを平然と言ってのける、そこに痺れる憧れる――というわけでもないが、ある意味でキョウキは俺たちの一つの理想の具現化なのだ。だからキョウキも道化に甘んじている。
「ブイちゃんたち、ほんと癒されるよなー」
 セッカが行儀悪く食卓に頬をぺたりとつけて、生後一日の八匹のイーブイを見つめている。そのセッカの黒髪を、青い領巾を纏ったサクヤが無言のまま掴んで引っ張る。
 サクヤはサクヤなりに、セッカの行儀の悪さを嗜めているのだろう。しかしいかんせん無言である。セッカにその行動の意図を正確に理解できるわけがねぇだろ、サクヤ。
 セッカがぴゃあぴゃあと騒いだ。
「いたい!」
「当然だ」
 サクヤが澄まして答える。セッカはなおも文句を言った。
「なんなの! サクヤ、今朝も俺のこと殴ったし! 俺に何の恨みがあるの!」
「さっきはレイアを狙った。そいつがお前を楯にしたんだ。文句ならそいつに言え」
「レイア酷い!」
 セッカの怒りの矛先がこちらに向いてしまった。
 ここは軽くいなそうと試みたが、怒ったセッカが身を乗り出して俺の髪を引っ張ってくる。むしり取る勢いだ。たまらず怒鳴った。
「ってぇな禿げるだろうが!」
「レイアのハーゲ! 禿げちまえ! 禿げろ!」
「うるせぇ叫ぶな食卓ではおとなしくしろよ!」
「れーやの方がうっさいもん! あとで勝負な! 負けた方が禿げな!!」
「やだよ! 誰がんな勝負すっかよふざけんな! っつーかレーヤじゃねぇよレイアだっつってんだろこの舌っ足らずが!!」
 そして俺は、今度こそサクヤに殴り飛ばされた。そしてセッカも本日二度目のサクヤの鉄拳制裁を受けた。
 食卓の傍で食事をとっていた八匹の子イーブイが、唖然としてこちらを見ている。
 ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは馴れきった様子で、悠然と朝食にがっついていた。
 キョウキがにこにこと笑っていた。


 セッカは馬鹿だ。
 こいつについては、この一言で十分だ。こいつは自他ともに認める馬鹿だ。普段の表情から発言から行動から、救いようのない馬鹿さがにじみ出ている。もちろん、セッカはそれでいい。俺やキョウキやサクヤが馬鹿にならずに済んでいるのは、セッカが馬鹿だからだ。
 そして、サクヤは四つ子の中で比較的常識を持った存在である。
 いつもは冷静に周囲を観察していて、かと思えば気に入らないことがあればすぐ素手で殴りかかる。つまるところただの電波で天然なツンデレなのだが、とりあえず暴走しがちな他の片割れのストッパーとしては有能といえるだろう。

 キョウキとセッカとサクヤ。これが俺の片割れたちである。
 さて、この下衆と馬鹿とツンデレに囲まれ、俺がどのような労苦を強いられているかは想像に難くないだろう。
 俺は四つ子の中で、良心を司っている。そして最も常識的でまともなトレーナーだ。まじめに日々向上を目指して目標を立て、たゆまず勉強し鍛錬し、一つずつ成果を積み重ねている。地道な苦労人なのである。
 俺たち四つ子はユディと共に、トーストと目玉焼きとベーコンとサラダ、野菜スープという非常に健康的な朝食を口に運んだ。ベーコンが何の肉で目玉焼きが何のタマゴかは、俺の知ったことではない。
 俺はたどたどしく銀のナイフとフォークとスプーンを操りつつ、ぼんやりと思う。
 箸で、白米を食いたい。
 味噌汁が恋しい。
 むしろ醤油を飲みたい。
 こうした料理は、俺たち四つ子の養親であるウズの家でしかなぜか味わうことができなかった。カロスのどこの飲食店に行っても、ほぼパンと油脂しか出てこないのだ。
 ああ、ウズの家の味が懐かしい。けれどキョウキとセッカの二人がウズと喧嘩をしてしまったせいで、俺まで帰れない。片割れたちを責める気はないが、いかんせん脂っこい料理には辟易する。


 俺たち四つ子は基本的に、ポケモンに関しては放任主義だ。
 つまり、ポケモンに何でもかんでも指示を与えるわけではない。もちろん、彼らの野生時代とは全く異なる生活環境を強いることになるため、様々な環境でどのように振舞うかはいちいち教え込まなければならない。けれど、結局どうするのがそのポケモンにとって最もいいかは、ポケモン自身にしかわからないことだと思う。
 ポケモンは、俺たちが生きていくためには必要なものだ。
 俺たちはポケモンを戦わせることで生きている。
 だから、俺たちの手持ちは戦うことが義務付けられている。ポケモンは基本的に戦うことに特化したものが淘汰されているから、大抵のポケモンは何気なくゲットしても、バトル続きの生活には順応してくれる。
 俺たちが手持ちに教えるのは、敵との相性と、敵の急所と、戦略と、そして自分で反省することだ。
 六匹もの手持ちを隈なく管理することは難しい。六匹すべてを鍛え抜くには、トレーナー一人ではどうしても力不足なのだ。だから、ポケモン自身に考えさせる。なぜ負けたのか、どうすれば勝てるのか。
 また、一連の戦略をトレーナーの指示が無くても実行できるよう、毎日反復して練習させる。まず一つの軸を築き上げ、実戦ではその軸から外れない程度にトレーナーが指示を下すようにするのだ。ポケモンは機械ではないから、ある程度の決まったパターンを決めておいた方が、トレーナーの指示からポケモンの行動までに戸惑う隙が生まれにくい。
 そうすれば、自ずとトレーナーごとに、バトルスタイルというものは生まれる。
 強いトレーナーには、型があるものだ。
 なるほど臨機応変なバトルをするのも重要だが、それにはよほどトレーナーと心の通い合った無垢で純真で無茶でアホなポケモンが必要だ。トレーナーの咄嗟の思い付きをポケモンが瞬時に理解するか、あるいは何も考えずに馬鹿正直に指示に従うかしなければ、変態型のバトルはすぐに詰む。
 型に忠実なトレーナーは強い。
 ちなみに俺は、十歳になり旅立つ日が来る前に、テレビ番組で研究に研究を重ねてその解に達したのである。そしてキョウキとセッカとサクヤにそれをレクチャーしたのも俺だった。
 だから俺たち四つ子は、戦闘のスタイルも、ポケモンの鍛え方もほぼ同じだ。


 庭では、子イーブイを除く十六匹のポケモンたちが、それぞれ自主的に模擬戦闘を始めていた。
 俺のヘルガーがぶつかっているのは、キョウキのプテラだった。
 ガメノデスはニャオニクス相手に、接近戦に持ち込もうと奮闘している。
 マグマッグとヌメイルは何となく形状の似た者同士、ぬるぬると戦っている。
 ヒトカゲは相性の悪いゼニガメからわたわたと逃げつつ、猛火を吐き散らしていた。
 ピカチュウはフシギダネの背中の植物にはりついて電流を流し込む。
 フラージェスとチルタリスが空中戦を繰り広げる。
 ゴクリンとマッギョが彼らなりの戦いなのか、ぼんやりと睨み合っている。
 ガブリアスとボスゴドラが、互いに怪獣らしい咆哮を上げながら激しくぶつかり合っていた。
 ポケモンたちの技がぶつかり合い、あちらこちらで爆風を巻き起こす。


 八匹の子イーブイは庭で繰り広げられる乱闘に、縁側で目を白黒させている。俺は縁側に歩み寄ると、その中の薄色と桃色のリボンをした二匹の首筋をつまみあげた。
「どうだ? ……バトルは怖くないか?」
「ぷい?」
「ぷいい」
 薄色のリボンの真珠と、桃色のリボンの珊瑚に問いかける。しかし子イーブイたちには伝わらなかったらしい。小さなイーブイたちはぷいぷいと機嫌よく歌って、庭のポケモンたちを応援している。
 青色のリボンの瑠璃と、黄色のリボンの琥珀を摘み上げるのは、キョウキである。
「ブイちゃんたちには、バトルなんてまだ早いよねぇ」
「ぷいいい」
「ぷう」
「さっきと言ってること違わねぇか? ポケモンは生まれた直後から戦えんだろ?」
「レベルの差があるってことさ」
 キョウキはくすくすと笑い、腕の中の小さなイーブイに指先で構っている。

 そこにセッカが縁側に勢いよく飛び込んできたかと思うと、そのセッカの顔面に、赤色のリボンの瑪瑙と緑色のリボンの翡翠が飛びつく。
「ぎゃあ!」
「ぷいいー」
「ぷやああー!」
 セッカはけらけらと笑って小さなイーブイたちを高い高いしている。
「かわいいー! イーブイ超かわいいー! こんなかわいい子をバトルに出したら、ピカさんみたいにワイルドになっちゃうかもな! まあいっか! 育て!」
「もったいなくない?」
「俺、かわいーのも好きだけど、ちびマッチョも大好きだから!」
「なんだそりゃ」
「ワンリキーとかドッコラー的な!」
「てめぇ、格闘タイプにでも進化させる気かよ……」
 セッカの手持ちになった子イーブイ二匹が小さい体躯にムキムキの筋肉を蓄える日を思って、俺は戦慄した。

 サクヤも静かに縁側までやってきて、残されていた水色のリボンの玻璃と濃色のリボンの螺鈿を拾い上げる。サクヤはセッカとは違い、極限まで毛づやを磨き上げそうだと俺は思う。
 はしゃぐ二匹のイーブイを見つめつつ、サクヤは囁いた。
「……なんにせよ、僕らの手持ちとなったからには、戦ってもらわなくてはならない。体を痛めないよう注意を払いつつ、少しずつ鍛え始めなければ」
「野山を走り回ればいいと思う!」
 セッカが元気よく叫ぶ。
 キョウキはうーんと唸った。
「でもさ、このブイちゃんたちは野生じゃなくて、僕らという人の手で孵ったポケモンなんだよね。そのブイちゃんたちに野生を取り戻させるって、難しいと思うんだよね」
「野生を取り戻す必要はないって! 要は体力つけるだけだって!」
「早いところ戦力になるに越したことはない。戦力が増えれば、ポケモンセンターのいち利用当たりの戦闘数は稼げる。戦えないポケモンはタダ飯食らいだからな」
 サクヤが、生まれたばかりの無邪気なイーブイを見下ろして淡泊に呟いている。しかしサクヤはそういう奴なので、キョウキもセッカも俺も気にはしない。
 それに、俺たちにとって、この子イーブイたちに一刻も早く戦力となってもらうことは、誇張でも何でもなく死活問題だった。サクヤは間違ったことは言っていない。
「……サクヤの言う通りだわ」
「僕も賛意を示すよ」
「きょっきょが三位? しゃくやが二位ってこと? じゃあ一位は俺で、れーやはビリな! ――じゃ、レッツゴー!」
「落ち着け。転ぶぞ」
 俺たち四人は申し合わせたように、子イーブイたちだけを連れて、ユディの家を出た。
 外は、風が強かった。


  [No.1399] 時津風 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:20:56   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



時津風 昼



 風の強い日だった。
 木々の色づいた葉を容赦なく洗い落とし、乾いた枯葉が石畳の上を転がる。
 日は高いらしい。周囲は昼なりに明るいけれど、クノエシティは今日もふわふわと曇って気持ちが良かった。この街の気候は優しい。
 僕は、片割れのレイアとセッカとサクヤと一緒に、小さなイーブイ八匹を連れて、クノエの図書館を目指している。もちろん、調べ物をするためだ。
 ユディの家にはパソコンがあるけれど、あいにく僕ら四つ子はたいへん機械に弱い。インターネットなんてとても使えない。
 僕らはポケモンセンターのボックスすらまともに使えず、モンスターボールの使い方を習得するのにすら難儀したくらいだ。けれどだからこそ、イーブイの双子たちを最後に、僕らはもう新たなポケモンをゲットすることはないだろう。
――手持ちのうちの誰かが、死なない限りは。
 そう思ってしまってから、僕はついつい苦笑した。
 悪い癖なのだ。僕はどうしても物事を悪い方へ考え、ひねくれた物の見方をしてしまう。けれど、レイアもセッカもサクヤもまっすぐで純真すぎるから、僕くらいはすべてを疑ってかからなければならないのだ。そうでなければ、そうと知れない仮面をかぶった悪意に、僕たち四つ子は殺されてしまうからだ。
 ポケモンは生き物だ。いつかは死ぬ。トレーナーよりも長く生きるとは限らない。
 昨日生まれたばかりのイーブイたちだって、数年後、十数年後、数十年後には死ぬだろう。その時、僕は泣くだろうか。イーブイだけじゃない、僕のフシギダネもプテラもヌメイルもゴクリンも死ぬ。レイアのヒトカゲもヘルガーもガメノデスもマグマッグも死ぬ。セッカのピカチュウもガブリアスもフラージェスもマッギョも死ぬ。サクヤのゼニガメもボスゴドラもニャオニクスもチルタリスも死ぬ。
 僕ら四つ子も死ぬ。
 生きている者はみんな死ぬ。
 でも、死ぬまでの生き方くらい選ばせてくれてもいいだろう。いつか死ぬから、生きていると言えるのだ。それが生命の在り方であり、ゼルネアスとイベルタルの伝説を受け継ぐカロスの思想。
 だから、僕らは自分で決めたように生きよう。


 僕が一人でにやにやしながら哲学に耽り、レイアのあとをぼんやりとついていっていると、レイアは勝手に図書館へと導いてくれた。相変わらずまじめでいい子だ。
 セッカがおっかなびっくりといった様子で、サクヤは堂々とどこか馴れた様子で、図書館へ突入していく。僕も本のにおいに少しだけ心惹かれながら、図書館に入った。
 風がやむ。図書館の中は温かく、空気がよどみ、においで満ちていた。
 さて、本の探し方なんて知らない。
 片っ端から探すしかないだろう。
 セッカはふらふらと平仮名につられて、児童書コーナーへ入っていった。
 青い領巾のサクヤは、何かあてでもあるのか、新聞コーナーの方へ歩いていった。
 赤いピアスのレイアは暫く逡巡した結果、受付の司書に質問をしに行った。相変わらずレイアは要領の良いことだ。
 さて、僕はどうしようか。

 そこで僕が決めたのは、連れてきた子イーブイたちに決めさせることだった。二匹のイーブイをそっと図書館の床の上に下ろすと、好奇心旺盛な小さなイーブイたちはとことことどこかへ歩き出した。
 僕はイーブイたちをのんびりと追いつつ、書架に視線を走らせる。
 カロスの歴史。地理。地史。文化。衣服図鑑。食事図鑑。グルメマップ。料理本。服の作り方。インテリア。――あまりポケモンには関係なさそうだ。
 けれど、イーブイに任せることにした以上、文句は言えない。お菓子作りの本を何気なく抜き出して眺めていると、足元の瑠璃と琥珀がぷうぷうと鳴いて僕の足にくっついてきた。二匹を抱き上げると、二匹は本の中のきのみタルトに興味津々とみえた。
「……こんな高価な材料のもの、買えないし、作れないよ」
 けれど僕の言葉はイーブイたちには通じない。僕は問答無用でおいしそうな内容の本をぱたりと閉じ、本棚に押し込んだ。ぷうぷうと文句を言うイーブイたちを無視し、僕は真面目に本を探し出す。
 カロスの伝説。神話。おとぎ話。伝説のポケモン。幻のポケモン。珍しいポケモン。ポケモンのゲットの仕方。ボールの使い分け。ボール工場。ボールの歴史。ポケモン協会の歴史。
 そのとき児童書コーナーの方から、セッカの間抜けな声が聞こえてきた。なにやら、子供のための朗読スペースで絵本か何かを音読しているらしい。思わず笑ってしまった。セッカは相変わらず無垢で純粋で素敵だ。僕はそんなセッカが大好きだ。
 一冊ずつ背表紙を確認しているというのに、全然目当ての本は見つからない。


 正午を過ぎ、片割れたちと一緒に図書館を一度出て、昼食をとった。けれど、誰も目当ての本を見つけられてはいなかった。レイアはポケモンの進化の本の壁にぶち当たっているし、サクヤはなぜか新聞のバックナンバーをひっくり返して止まらなくなっているし、セッカに至っては小さなお子様たちにせがまれて紙芝居を読んでいるのだという。
 僕は片割れ三人を鼻で笑ってあげた。
「やる気ないだろ?」
「てめぇに言われたかねぇよ!」
「マジでそれな!」
「全員、もっとまじめに探そう」
 サクヤの冷静な一言で、僕らは渋々と図書館へ戻った。


 けれど数時間たっても、誰も収穫はなかった。イーブイたちは退屈しきっているし、レイアはいつの間にか漫画を読みだしているし、サクヤは新聞の山に埋もれているし、セッカは延々と紙芝居を読み上げている。
 そうこうしているうちに、だいぶ午後も回ってしまった。
 僕も完全に飽きてしまった。
 なので、そこら辺の面白い本でも読んで時間を潰そうと思ったのだ。たぶん僕が何もしなくても、レイアかサクヤが閉館までに目当ての本を見つけてくれるだろうと期待して。真面目な作業は彼らに任せるべきだ。
 僕は『カロスの伝説』という本を手に取った。
 さて、図書館は本を借りる場所だと聞いている。本を借りなければと思う。
 僕は基本的には社会のルールを尊重して生きているので、まじめにその本を持ったまま受付に向かった。
「これ、借りたいんですが」
「カードをお願いします」
 カード、とは何のことだろうか。僕はキャッシュカードだとかクレジットカードだとかいうものは持っていない。そもそも銀行すら使ったことがない。困り果てて、身分証代わりのトレーナーカードを提示した。
 すると受付の人間は、軽く困った顔をした。
「えー……っとー……カードをお作りしましょうか?」
「あ、これとは別に作るんですか」
「はい、えっと……」
 受付の人はアルバイトだったらしい。他の人に聞きながら、何やらバーコードのついたカードと記入用紙を差し出した。僕はペンでそれにサインをしたりトレーナーIDを記入したりした。
 そしてようやく、その本を借りることに成功した。
「ありがとうございます。これでやっと本が読めます」
 にっこりと万人受けする愛想笑いを浮かべてお礼を言ったのだが、なぜか受付の人はどこか困ったような顔をした。しかしもう心底どうでもよかったので、僕は閲覧室の方へ行くべく、踵を返した。
 そして、鮮烈な赤に、目が眩んだ。

 真っ赤なスーツ。
 真っ赤な髪。
 真っ赤なサングラス。
 僕はふらりと眩暈を覚えて、古代エンジュの姫君の如く眉間を押さえ、穏やかな色の緑の被衣で視界を覆った。
 その真っ赤な男は、僕のすぐ後ろに立っていた。それもそれで不躾なのだが、何よりその恰好がダサすぎる。品がない。自己主張が強すぎる。目に痛い。自然に悪そうだ。毒々しい。視界に入れたくない。
 しかしその真っ赤な男は、こともあろうか僕に声をかけてきた。
「……おいお前、その本を寄越せ」
「……はい?」
 僕は緑の被衣で視界を覆ってその真っ赤人を視界に入れようにしつつ、手にした分厚い本を軽く振った。
「これですか? 今借りたばかりなんで、ちょっと」
「いいから。寄越せ。今すぐ返却してオレに寄越せ」
「嫌です」
 僕は目元を緑で覆ったまま、その場を立ち去ろうとした。
 すると真っ赤人はついてきた。
「こら! その本は、泣く子も黙るフレア団の参考書なんだぞ! 借りれないと買わなきゃなんないんだぞ!」
「知りませんがな」
「おい待て! フレア団に逆らうのか!」
 真っ赤人が僕の肩を掴む。お触り貰いました、罰金いただきます。

 僕は、真っ赤人の真っ赤なサングラスをむしりとった。
 真っ赤人が悲鳴を上げた。
「うおおおお――いッ!!」
 真っ赤なサングラスの下からは、ヒャッコクの湖面のようなコバルトブルーの美しい瞳が現れた。次いで僕は、その男の真っ赤なカツラを引きちぎる。
 真っ赤人が絹を裂くような悲鳴を上げた。
「ひぎゃアアアアア――っ!!!」
 そのカツラの下からふわりと現れたのは、いかにも品のよさそうなプラチナブロンドである。
 金髪碧眼の貴公子が、真っ赤なスーツに身を包んでいるのである。
 僕は失笑した。
「はっ……似合わねー」
「貴様ああああっ!!」
 図書館の中で騒ぐ金髪碧眼真っ赤スーツの貴公子は、僕の胸ぐらをつかんできた。どうにか真っ赤の面積が減ったので、僕は彼の顔面だけはようやく直視できるようになった。
「いやあ、見たところ、いかにも血統のよさそうなカロスのお坊ちゃんじゃないですか。そのスーツ、似合いませんよ。本ぐらいお屋敷の書斎にないんですか。なくても買えばいいでしょう?」
 貴公子は地団太を踏んだ。
「屋敷の書斎にあるのは貴族が教養をひけらかすための特に意味もない装飾ばかり立派な分厚い本や今では特に意味のない昔の法律書やなんかだ! それにオレは今、小遣いを500万使い果たして金欠だ!」
 司書の刺々しい視線にも気づかないらしく、育ちのよさそうな真っ赤スーツの貴公子は怒鳴り散らしている。僕は着物の衿首を掴まれたまま、ほやほやと笑う。
 小さなイーブイ二匹が怯えていないかが若干心配だったが、旅をしていれば面倒事に巻き込まれることは多々ある。今のうちに人間社会の面倒さを知るのも悪くない機会だろう。
 真っ赤な貴公子は、手に提げていたケースを開いた。そこにはモンスターボールが収められていた。
「貴様、勝負だ。オレが勝ったらその本を渡せ!」
「嫌ですよ。僕、いま生まれたてのイーブイしか持ってませんもん」
 穏やかに拒否したが、真っ赤な貴公子は聞く耳を持たなかった。むしろ、これは好都合とばかりににやりと笑った。
 真っ赤な貴公子が、真っ赤なボールを投げる。ああ、目に痛い。
「行け、デルビル」

 そして彼は非常識もいいところに、図書館の中で、炎タイプを持つポケモンを繰り出した。さすがに受付にいた司書が慌てて飛び出してくる。
「炎タイプは館内で出さないでください! 館内でのバトルは禁止です!」
「うるさい!」
 真っ赤な貴公子は聞く耳を持たない。
 僕は嘆息した。頼りになる手持ちたちは、ユディの家の庭に置いてきてしまった。今の手持ちは、昨日生まれたばかりのイーブイが二匹。レイアもセッカもサクヤも、イーブイを二匹ずつしか持っていない。
 ポケモンを一匹も連れていないよりはましなのだが、困ったことに、僕らはイーブイたちの使える技を確認していなかった。鳴き声か、尻尾を振るか、体当たりくらいならできるだろうか。タマゴから生まれたポケモンはたまに親の技を引き継いでいるが、そういうことはないのだろうか。
 僕らはイーブイのことは何も知らない。
 けれど、今朝の乱闘を見て奮起していたのか、僕の小さなイーブイたちは果敢にデルビルの前に立ちはだかった。細い四本の足が、微かにぷるぷる震えている。ダークポケモンの唸り声一つにもいちいちびくびくしている。
 そして、僕はのんびりと思った。
――ああ、かわいいなぁ。
 震えているくせに、二匹で頑張って戦おうとしている。おやである僕を守ろうというのか。健気なことだ。小さきものは、うつくしい。
 でも、無理だろう。デルビルに噛みつかれ、ふわふわの毛並みを焼き払われることを、この幼いイーブイたちには全くイメージできていないはずだ。
 まだ、バトルは早い。
 あまりに無残に傷つけられれば、イーブイたちはバトルを忌避するようになるだろう。
 そうなれば、イーブイたちは戦力外だ。
 タダ飯食らいの、お荷物だ。
 そうなったら、僕は幼いイーブイ二匹を捨てるだろう。


 僕はぼんやりと立ち尽くしていた。
 低く唸るデルビル、踏ん張る小さな二匹のイーブイ。
 勝利を確信してほくそ笑む、真っ赤なスーツの貴公子。
 さて、どうするか。
 面倒くさいなぁ。
 バトルしたくないし、醜く足掻きたくないし、――というか、本を渡せばいいんじゃないか!
 それを思いついて、僕はにこりと笑った。
 手にしていた重い本を貴公子に差し出した。
「はい、どうぞ」
「えっ」
 真っ赤人は目を剝いた。僕は思わず首を傾げる。
「え、これが欲しいんでしょう? 僕はイーブイたちを戦わせたくありません。なので、これは貴方に差し上げます」
「えっ」
 真っ赤人は拍子抜けしたらしく、ぽかんと口を開いている。
 戸惑って僕を振り返る小さな二匹のイーブイを優しくつまみあげ、僕はデルビルの横をすり抜け、貴公子に『カロスの伝説』の本を差し出した。
 真っ赤な貴公子はまじまじと本を見つめ、僕を見やり、そして複雑そうな表情をした。僕は根気よく笑顔を作った。
「先ほどは失礼しました。お詫びします。この本はお渡しします」
「……えっと」
「なので、この場は収めてください。デルビルもボールにしまってください。図書館の本に火がついたら大変でしょう」
「……あー……」
 しかし、貴公子はまだ何か僕に用事があるらしく、デルビルをしまいもせずにもじもじしていた。僕は嘆息する。
「何か用があるなら、外でお聞きしますので。とりあえず、貴方がこの本をお借りすればいいじゃないですか」
「……だ、だがな、お前、売られた喧嘩は買えと……。つまり……バトルで……」
「僕、バトル嫌いなんですよ」
「……うううるせぇ! さっき散々馬鹿にしといて、本渡しゃ済むなんて思うなよ! ふざけてんなよ、世の中そんな甘くないんだよ!」
 真っ赤な貴公子は、白い顔まで真っ赤にして怒鳴り出した。せっかくサングラスとカツラをむしり取ったというのに、まったく見苦しい。
 僕はいい加減、面倒くさくなっていた。
 そろそろブチ切れたくなっていた。


  [No.1400] 時津風 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:23:18   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



時津風 夕



「そうして、ゴチムちゃんは、ぶじに、おうちにかえることができました。めでたし、めでたし」
 俺は息を吐いた。うまく読めた。
 そう思った瞬間、パチパチパチパチと拍手が起こった。いつの間にか俺の周りに集まってきていたちびっ子たちは、俺の紙芝居をお気に召したらしい。俺の足元で俺と向かい合わせになってお座りしていた、二匹の小さなイーブイたち、瑪瑙と翡翠もぷいぷいと喜んでくれている。
 ポケモン紙芝居なんて、読んだことなかった。うまくできるかとても不安だったけれど、うまくいったらしい。よかったよかった。
 けれど、なんだか入口の方から怒鳴り声が聞こえてきた。
 無視しようかと思った。
 だって、また面倒事に巻き込まれると、ウズが怒るから。
 ウズは嫌いだ。わけのわからないことを言うから。よく分からないけれど、本気で怒った時のウズは、本当にひどいことを言う。その昔、俺はよく分からなかったけど、ウズに怒られてレイアも泣いたし、キョウキも泣いたし、サクヤも泣いたから、俺もつられて泣いた。三人は俺にとって一番大切な存在だ。だから、三人を泣かせるような言葉は嫌いだ。
 ウズを怒らせたくない。
 でも、大切なのはそれではないのだ。俺にとって一番大切なのは、片割れの三人を守ることだ。
 俺は紙芝居をケースにしまうと、続きをねだってくるちびっ子どもを振り払い、瑪瑙と翡翠を拾い上げて、入口の方へそそくさと戻った。俺がばんがって紙芝居をしている間に、レイアかキョウキかサクヤが目当ての本を見つけたかもしれない。


 受付の前で、キョウキが、真っ赤なスーツの人間と向き合っていた。受付の司書も立ち上がって、不穏なふんいきである。
「きょっきょ?」
 緑の被衣のキョウキに声をかけると、だいぶイライラが溜まった様子のキョウキがにこりと笑いかけてきた。
「やあ、セッカ。ごめんね。ちょっと面倒に巻き込まれちゃったみたい」
「れーやとしゃくやは?」
「分かんない」
 キョウキが首を振るので、俺は声を張り上げた。
「れーや――! しゃくや――! 助けて――っ!!」
「うるせぇ!」
「黙れ」
 タイミングを計らっていたかのように、漢字がいっぱいの本の方から、赤いピアスのレイアと青い領巾のサクヤが飛び出してきた。
 片割れたちが揃うと、俺たち四つ子は、真っ赤なスーツの金髪碧眼を取り囲んだ。真っ赤スーツは戸惑って、俺たちをきょろきょろと見回している。いい気味だ。俺たちが四人で包囲すると、大体の人間はこういう反応をする。
 俺は息を吸い込み、声を張り上げた。
「お前はぁ、完全にぃ、ほーいされているぅ!」
「ちょっとセッカ。レイアもサクヤも。……なんで事を面倒にするのかな?」
 だいぶ苛立った様子のキョウキが、毒々しげに笑っている。これはさっさとけりをつけなければならなそうだ。
 真っ赤なスーツの男は、デルビルを出していた。バトルの気配だ。
 しかし、そこで俺は気づいたのだ。
 ピカさんもアギトもユアマジェスティちゃんもデストラップちゃんも、ユディの家に置いてきたことにだ。
「あっ」
 俺は思わず声を漏らした。キョウキが小さく鼻を鳴らしている。そうか、そういうことか。今の俺たちには、昨日生まれたばかりの小さなイーブイしかいない。相手がデルビル一匹でも、イーブイたちではとても歯が立たないだろう。
 これもまた小さなイーブイを抱いたレイアが、顔を顰めて真っ赤なスーツの男に問いかけている。
「てめぇ、何モンだ」
 すると、真っ赤なスーツの男は胸を張った。
「オレはフレア団だ!」
 俺は首を傾げた。
「……エビフライ団?」
「フ・レ・ア・だ・ん、だッ!!」
「……フレアダンダ?」
「フレア団ッ!!! てっめぇおちょくりやがってもう焼き尽くしてやる!」
 しかし俺の方を向いて顔を真っ赤にしていた男は、気付かなかった。
 青い領巾を引いて、サクヤが男の懐に飛び込んでいたことにだ。
 サクヤのブーツの踵が、男の鳩尾に食い込んだ。

「ぐぼぉっ……!」
「うるさい」
 両手に二匹の小さなイーブイ、玻璃と螺鈿を抱いたサクヤが、蹲る男を冷やかな表情で見下ろしている。そして冷たい声を投げかけた。
「公共の場で騒ぎ立てるな。どういう教育を受けている?」
「ぐぅ……っ!」
 ほとんどまったく教育を受けていない俺たちがそれを言うのもどうなんだろうと思ったけど、真っ赤なスーツの男の精神にダメージを与えることはできたらしい。俺はすかさずサクヤに便乗する。
「そうだそうだ、バーカバーカ!」
「てめぇに馬鹿とは言われたくねぇわ!」
 レイアにツッコミを入れられてしまった。レイアは両肩に小さなイーブイを二匹、真珠と珊瑚をくっつけている。そしてレイアは片手に、俺が思っていたよりも厚みのない本を持っていた。
 俺は嬉しくなって叫んだ。
「あーっ、れーやが見つけたんだー! さっすがれーや!」
「……セッカお前、ちょっと空気読め?」
 レイアに諭され、俺は口を噤む。そうだ、俺はイーブイたちのために、ちょっとは空気を読むことにしたのだ。俺はお口をフワンテちゃんにした。メタグロスちゃんでもいいけど。
 レイアが男を睨んでいる。
「フレア団か。最近たまに見かけるな。……うちのキョウキに何か用か?」
「やっだぁレイアったら、うちのキョウキだなんて! きょっきょ照れちゃう!」
「てめぇはなに上機嫌になってんだよ!」
 レイアはキョウキの茶々にもツッコミを入れている。キョウキも、レイアやサクヤや俺が加勢したことでだいぶ機嫌を直したみたいだ。よかったよかった。
 俺たち四人にくっついている八匹の小さなイーブイも、俺たちが男とデルビルを取り囲んで気を強くしているみたいだ。ぷいいぷいいと激しく鳴きたてて威嚇している。ちっちゃくてやっぱり、とってもかわいい。
 さて、男は多勢に無勢だ。どうする?

 サクヤに腹を蹴られて蹲っていた真っ赤なスーツの男は、よろりと立ち上がった。
 その眼がギラギラと光っていた。
 危ない眼だな、と思っていたら、男は叫んだ。
「……デルビル、火炎放射!」
 急に、そう叫んだのだ。俺もレイアもキョウキもサクヤもびっくりしてしまった。
 でも、男のデルビルはお利口さんだったらしく、いきなりの指示にも戸惑わず、忠実に大きな炎を吐いた。
 熱風が頬を掠めた。
 ごう、と大きな凶暴な音がする。
 その火炎は高く長く吹きあがり、本棚を舐め、本に触れた。火の粉が散る。焼き切れた頁が舞い上がる。焦げたにおいと熱気が、一気に満ちる。
 悲鳴が上がる。
 まずい、と思った。生まれたてのイーブイたちに、火炎放射を防ぐ手立てなどない。いや、違う。この火炎放射は。
 図書館の本を狙っている。
 真っ赤な炎が上がる。
 図書館の、乾いた空気に広がって、熱が嘗め尽くす。ちりりと音がした。
 焦げるにおいがする。炎のにおいがする。
 イーブイを八匹しかもっていない俺たちには、どうしようもなかった。
 本が燃える。
 図書館が燃える。
 次からは、ちょっと出かけるだけでも、ちゃんと戦えるポケモンを連れてこようと思った。
 でも、反省しても遅かった。
 俺たちの目の前では、建物が、書架が、業火に呑まれていたから。


 俺はパニックになって叫んだ。
「ぴゃああああああ――っれーやきょっきょしゃくやどーしよーっ!!」
「うるせぇよ! どうにもできるか!」
 怒鳴ったのはレイアである。サクヤも微かに焦りを滲ませて早口で囁く。
「図書館の人間が、既に警察を呼んである。消防も呼ぶだろう。逃げるぞ。イーブイたちは大丈夫か」
 俺は手の中のイーブイたちを確認した。レイアもキョウキもサクヤも、イーブイの無事を確かめる。俺たちは慌てて出入り口に逃げた。イーブイたちをしっかりと手の中に掴んで、殺到する人混みにもまれながら、外に逃げる。煙がくさい。熱い。熱い。
 悲鳴が上がる。怒鳴り声も上がる。小さな子供も、お年寄りも、怯えて叫んで混乱して。出口に殺到する。足を踏まれる。痛い。体を押されて痛い。
 熱い。
 怖い。
 真っ赤なスーツの男は、デルビルと共に目を光らせて、周囲の人を避けさせていた。燃える図書館の中で、ぼんやりと立っていた。俺はちらりと振り返って、それを見た。
 だから俺は、片割れ三人と一緒にどうにか図書館の外に避難したところで、キョウキにイーブイたちを押し付けた。キョウキが目を見開く。
「どうしたの」
「あの兄ちゃん、連れてくる!」
「なんで?」
 キョウキが緩い口調で問いかけてきた。俺は焦れて叫んだ。
「大丈夫だから!」
 図書館は、既に窓から炎が溢れている。中にいた人々はほぼ避難を終え、図書館の外には、よろよろと倒れる老人を庇う人、大泣きする子供をあやす人、パニックになって走り回るポケモンたち。
 俺は黒い煙の中に走り込んだ。
 レイアの怒鳴り声が後ろの方から聞こえる。けれど構わず、意を決して熱の中を走り抜ける。
――だって、あの人が死んだら嫌じゃないか。
 さっき炎の中で、ぼんやり突っ立っていた。あのままでは死んでしまう。
 ウズは、面倒事を起こすなと言っていた。もし、あの真っ赤な男の人が死んでしまったら、またウズは怒ってひどいことを言って俺たちを泣かすし、警察は来るし、悪いことずくめだ。
 だから、走った。

 ほとんど目も開けられない中で、俺は受付前のうろ覚えの位置に突進した。
 デルビルの唸り声が聞こえる。俺は咄嗟にデルビルの首筋のあたりを思い切り掴み、ほぼ強引に直感で、デルビルを従わせた。俺が素晴らしいトレーナーであることを感じたのかもしれない。デルビルは俺に攻撃もしかけてこなかった。
 俺はそこら辺に落ちていた男の腕だか足だかをむちゃくちゃに掴み取ると、デルビルの首筋を掴み、デルビルに出口へ先導させた。
 男は気を失っているらしかった。とても重いが、文字通り火事場の馬鹿力で引っ張った。
 煙に咳き込み、泣きながら、どこか朦朧とする意識を必死に保ち、デルビルの首筋は離さず、風が、流れている。
 熱い。
 熱い。
 風が。
 紅い風が見えた。



 ひゅう、と鋭い紅い風が切り裂いた。

 ぴりりとした痛みに、はっとしてぼんやりしていた意識を取り直す。
 黒々とした煙が風に吹きはらわれ、視界が熱く紅くなる。
 鎌鼬。
 きゃうん、と悲鳴を上げて、俺を導いてくれていたデルビルがどうと横倒しになった。鋭い風の刃に斬られたのだ。
 俺は熱さを堪えて、深紅の、血塗られたような鎌を持つ、アブソルを見た。
 褐色の肌の少年が、炎を背景に突っ立っている。その赤髪が炎の勢いに、鋭い風に巻き上げられて、揺れていた。
 その口元がにいいと笑ったかと思うと、吐き捨てた。
「……死ねって言ったのになァ!」
 けたけたと炎と風の中で嗤っている。深紅の色違いのアブソルが、こちらににじり寄ってきている。
 アブソル。
 アブソルはだめだ。ウズが、アブソルを見たら逃げろと言っていた。人もポケモンも、殺されてしまうから。
 逃げなければ――。
 けれど、デルビルが倒れてしまって、方向が分からない。というか、この赤髪の少年の立ち塞がっている俺の正面の方が、出口のような気がしてならない。
 炎は館内に広がって、天井近くまであぶって、焦げて、煙が酷い。
 目も頭も、痛い。
 このままだと俺も焼け死んでしまう。
 ああ、そうか。
 アブソルが来たから。

 通常のものより大きな体躯をした、色違いのアブソルが、のそりのそりと歩み寄ってきて、ねじくれた奇妙な形の角を俺に突きつける。
 殺される。
 俺が熱い頭でぼんやりしていると、少年は笑った。
「え? なにオマエ、フレア団でもねーのにフレア団助けよーとしてんの? 頭おかしくね? ほっとけほっとけ、弱い奴はいらねーからよ」
 俺の手が汗で滑って、掴んでいた男の腕を取り落としてしまった。すると少年は面白そうに笑う。
「そーそー見捨てろ、蹴落として生きな。ま、どんだけゴミが足掻こうが、オマエラは死ね」
 アブソルが鋭い鎌を押し付けてくる。
 怖い。
 その鎌は血塗られたように紅かった。
 赤髪の少年はしばらく俺を観察していたみたいだったが、何かを思い出したかのようにふと手を叩いた。
「あ――そっか、オマエラは、四つ子か…………糞ルシェドウがレンリで言っていた…………なるほどなァ…………オマエが…………オマエラが」
 少年が下卑た笑みを浮かべながら、背を丸め、嘲笑う。
「オマエラが母ちゃんを殺したんだなァ?」
 そしてなぜか楽しそうに笑っていた。しかし俺は熱さと、アブソルに紅い鎌を突きつけられているための恐怖で、それに構うどころではない。
「あっはは、あーよくやってくれたよ、オマエラがやらなかったらオレがフロストケイブ乗り込んでたし? まあいいや。アハハハハッ、よくもママンを殺しやがって、とか言って……ギャハハハ――…………死ねよ」
 俺は少年の話なんて、聞いていなかった。
 ただ、死にたくはなかった。死ぬわけにはいかなかった。レイアとキョウキとサクヤが悲しむからだ。

 俺は夢中で、アブソルの角の根元を掴んだ。
 災いを運ぶとかいう不吉なポケモンに触れるのもおぞましかったが、何も考えられなかった。ただ、いつものように、手持ちのガブリアスを手懐けた時のように、先ほどデルビルに手助けをさせたように。直感でポケモンをねじ伏せる。
――従え従え従え。
 俺を誰だと思ってる。
 てめぇの主人も相当いかれた奴だが、俺だって何度も旅の中で死にかけた。この程度の炎と風で、てめぇなんぞに屈するものか。従え。
 角を掴んだまま、メェークルやゴーゴートにでも乗るように、俺は巨大なアブソルの背に飛び乗る。この時は真っ赤なスーツの男の存在も忘れていた。
 アブソルが首を振るが、俺はその角を握りしめた手を緩めない。大きな胴を足で締め付け、狼狽えるアブソルを軽く宥める。
 赤髪の少年がぽかんとしている。
「おいこら……ルシフェル?」
「――跳べ!」
 思い切り恫喝した。

 紅色のアブソルは、赤髪の少年の頭上を飛び越え、風を巻き起こしながら、燃える図書館から飛び出した。


  [No.1401] 時津風 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:25:17   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



時津風 夜



 風の強い日だった。
 夜の雲は風に吹きはらわれ、星々が瞬く。
 僕とレイアとキョウキの三人は、ユディの家からポケモンたちを連れて夜道を辿り、クノエの病院に戻ってきた。そう、かつて幼いセッカが崖から落ちたときにも世話になった病院だ。
 ピカチュウが忙しく僕らを急かす。レイアの腕の中でヒトカゲが落ち着かなげにもぞもぞと動き、キョウキの頭の上のフシギダネは今日も泰然として、僕の腕の中のゼニガメはそわそわと手足を甲羅から出したり引っこめたりしている。八匹の子イーブイの面倒までは見られないので、イーブイたちはモンスターボールにしまってある。
 セッカの手持ちたちもすべてボールに入れて、僕が預かってきている。この赤白のボールもすべてカタカタと小刻みに震え、おやであるセッカの身を案じているようだ。
 僕ら三人は早足ではあるけれど、焦燥に駆られたり憔悴したりしているわけではない。
 セッカは無事だ。


 燃え盛る図書館の中から不意に一人だけ飛び出してきたセッカは、意識がはっきりしていた。
 煤けて真っ黒になった顔で、目を閉じて、朦朧とした意識の中、アブソル、アブソルと、うわ言のように繰り返した。
 アブソル、というその言葉が何を示すのかは正確にはわからない。炎の中で見たのか。この火事が、アブソルのもたらした災厄とでも言いたいのか。
 ばかばかしい。
 ヒャッコクシティで出会った老婦人に対しても思ったことだが、アブソルは災いを感知こそすれ、災いを招くことはしない。養親のウズの昔に語ったことを律義に信じているとすれば、セッカはやはり馬鹿だ。
 馬鹿すぎる。
 あのフレア団と名乗る男を、助けるために、燃える図書館の中に単身戻った。
 セッカが何をしたかったのか、僕にはわからない。
 そう、ポケモンさえいれば、どうにでもなっただろう。
 セッカのガブリアスなら炎をかき分けて人を捜すこともできただろうし、フラージェスならその念力で炎の壁を分けることもできただろう。でも、あの時セッカは、幼いイーブイ二匹の他は何も持っていなかった。そのイーブイたちすらキョウキに押し付け、一人で炎に飛び込んだ。


 なぜだ。
 馬鹿が。
 僕はすっかり腹が立っていた。ここまで腹が立つのは自分でも珍しい。けれどあまりに苛立って、無性に何かを殴りたくてしょうがなかった。
 病室の引き戸を、僕は開ける。
 寝台の上で身を起こしていた、包帯だらけのセッカが、僕を見てふにゃりと笑った。そのセッカの胸に、ピカチュウが飛び込む。
「ちゃああっ!」
「ピカさん!」
 セッカは満面の笑みを浮かべ、ピカチュウを抱きしめる。背中の毛並みを撫で回し、ひとしきり相棒との再会を喜んだ。
 その間に、僕はつかつかとセッカの傍に歩み寄った。
 セッカが僕を見上げる。
 僕は間髪入れず、セッカの両頬を片手で掴んだ。憎悪を込めて見下ろす。
「ぶにゅ……しゃくや」
「お前は馬鹿か」
 アヒル口になったセッカの間抜け面を、怒りを込めてねめつける。
「せいぜい思い知れ。トレーナーは一人では無力だとな。火事の建物の中に戻る、だ? 正気か? お前の頭は、飾りか?」
 思うまままくし立てた。レイアもキョウキも僕の背後に突っ立ったまま何も言わない。
 セッカは頬を潰されたまま、ぽそぽそと謝罪した。
「しゃくや、ごめんて……」
「謝れば済む話か。どれだけこちらが肝を冷やしたと思っている。挙句の果て、何だ。あの男を助けられもしないで。格好をつけるな、この馬鹿」
「あ、そうだ。そうだよ! あの人、どうなった!?」
 セッカは僕の右手を両頬から引きはがすと、前のめりになって叫ぶ。
 寝台脇の椅子にのんびりと腰を掛けたキョウキが、ほやほやと笑う。
「死にかけてるよ」
 セッカの肩が、びくりと震えた。


 腹が立つ。
 自らの手持ちのデルビルで図書館に火を放った張本人であるフレア団の男は、火事の図書館から逃げようともせず、大火傷を負った。馬鹿だ。どいつもこいつもただの馬鹿だ。
 なぜそのような愚かな男を、助ける必要があるのだ。
 僕は不満をぶちまけた。疑問を込めて詰った。
「お前は本当に馬鹿だ。何を考えているんだ。あの男のために死にに行くようなものだ。お前は死ぬ気だったのか? それとも、本気で助け出せるとでも思ったのか? 頼むから考えて行動しろ。命がいくつあっても足りない」
 セッカはぼんやりと、僕の顔を見ている。
 それがまた、腹が立つ。
「おい、聞いているのか!」
 恫喝すると、レイアが割り込んできた。
「おい、ちょっと落ち着けよ、サクヤ」
 その腕の中のヒトカゲが僕に対して怯えている。僕がヒトカゲを睨むと、ヒトカゲはきゅううと鳴いてレイアの陰に頭を隠した。僕のゼニガメが、そのようなヒトカゲの様子を見てけらけら笑っている。
 レイアはいつものように眉間に皺を寄せ、そして穏やかな声を発した。
「やめろ。セッカはまだ疲れてんだ。ぎゃんぎゃん喚くな」
「お前は黙っていろ」
「てめぇが黙れよ」
「僕は身内としてセッカに忠告してやってるにすぎない。僕は、お前やキョウキのように甘くはない。この馬鹿にはきつく言い聞かせる必要がある。まったくこいつは、なぜこうも面倒を起こすんだ」
「それは俺らが言えた義理じゃねぇだろ?」
 レイアは病室にいるという遠慮もあってか、この日は怒鳴ってはこなかった。セッカを庇うように立ち、僕を穏やかな目で見つめてくる。
 なおさら、腹が立った。
「偉そうに。セッカを庇うことで、自分が優しいということを誇示でもしているのか?」
「あんなぁサクヤ……話をずらすな。お前はなにイラついてんだ。俺だって、セッカの馬鹿さ加減には腹立つし、今はそれすら通り越して虚脱してるとこだわ」
 レイアは深く溜息をつく。赤いピアスが揺れる。
 緑の被衣のキョウキは、頭にフシギダネを乗せたまま、気色悪い笑みを浮かべつつ僕らを傍観していた。
 セッカはぼんやりとしていたが、ピカチュウを抱いたまま不意に微かに笑んだ。セッカらしくない、弱々しい笑顔だった。
「ありがと、サクヤ。サクヤが俺のこと心配してくれてんの、分かったよ」
「……勝手な」
「サクヤもレイアもキョウキも優しいの、俺は知ってる。だからさ、あのエビフライ団の人が死んじゃったら、お前ら三人はショック受けちゃうだろ? だから俺はあいつ助けようと思ったの。馬鹿だったよな。ごめんな。死ぬつもりはなかったから全力で逃げてきた」
「……でも、結局お前は怪我のし損だ」
「そうだよ。馬鹿だった」
 セッカは微笑んで俯き、包帯の巻かれた手でピカチュウの背を撫でた。

「ポケモンの力に酔ってた。俺自身のトレーナーとしての力量に酔ってたのかも。強いのはポケモン、戦ってくれるのはポケモンたちなのに、俺自身が強いと思い込んでた」
 それは、トレーナーとして軌道に乗ったものが誰もが抱く幻想だ。
 ポケモンの力に慣れたものは、一日でどの町にでも行けると確信し、無闇に凶暴なポケモンの棲み処を踏み荒らし、油断を抱いて危険な洞窟に入る。そして傷つくのはトレーナーだけではない、その手持ちのポケモンたちも、時には周囲の人間までもが傷つく。
 傲慢なトレーナーは、周囲を不幸にする。
 災厄を撒き散らすのだ。
 セッカは囁く。
「ね、俺、トキサのことがあってからさ、バトルで必要以上に強い技使うのやめたんだよね。でも、だからこそ安心だった。切り札をとっておけるから……」
 セッカに撫でられるピカチュウは幸せそうに目を細め、喉を鳴らしている。ヒトカゲがもぞもぞと動き、フシギダネも首を傾げ、ゼニガメはじたばたと手足を動かした。レイアもキョウキも僕も、それとなくセッカにつられてそれぞれの相棒に構う。
「……でもさ、強力な技をとってあるって思ったら、なんかいつの間にか、結局自分には何ができて何ができないのか、わかんなくなるんだよね……。何も考えず、とりあえずやってみようと、思ってしまう。今まで割とそれで、なんとかなっていた」
「だが、あの時お前には、ピカチュウもガブリアスもフラージェスもマッギョもいなかった」
「そうだよ。ずっと一緒にいるのが当たり前だった。あいつらがいることを、微塵も疑わなかった。だからさ、つまり俺は馬鹿だけど……いっぱしのトレーナーだよな?」
「ふざけるな」
「――ちょっと前の俺なら、エビフライ団なんて助けようとも思わなかったよ。……サクヤは昔の俺の方が好き? レイアは? キョウキはどう思う?」
 セッカの視線は相変わらず、ピカチュウに注がれている。

 僕がレイアに視線をやると、そいつは肩を竦めてセッカに言い放った。
「お前がやろうとしたこと自体は立派だよ。最高にダサいけどな、今のお前は」
「うん」
 セッカは顔をほころばせている。
 キョウキがわずかに首を傾げた。
「僕はね、見捨ててもいいと思ってたんだよ。最悪、あのフレア団の人が死んでしまったとしても、僕は何も感じないと思うな。ウズからはまたうるさく言われるだろうけど、ウズはウズだし」
 そのキョウキの言葉には、セッカは表情を曇らせた。
「きょっきょは、助けられたかもしれない人が死んでしまっても、なんとも思わない? トキサが爆発しても、なにも思わない?」
「セッカが何かを感じるなら、お前はそれを大切にすればいいと思うよ。ただ僕に関しては、僕はちょっとしたひねくれ者だから、そう簡単に他人に共感はしないことにしている」
 キョウキは微笑を浮かべてそう言い切った。セッカはうんと頷いた。
 そして、セッカの視線が僕に注がれる。
 僕は苛立ちを抱えながら、呟いた。
「他者を助けようとする行動は、一般的には評価されるだろう」
「うん。で、サクヤは、どう思う?」
「僕は世間一般よりも、お前の方が、比較的重大な存在だと認めている」
「えっと、もっとわかりやすく」
「……人を助けるなら、お前自身は怪我をするな」
「そうしよっと」
 セッカは笑った。
 僕はセッカを見下ろし、そいつの膝の上に、預かっていたそいつの手持ちのボールを投げ落としてやった。


 セッカは入院とはならず、その夜のうちにユディの家に戻った。
 治療費については、公的な補助金が下りるため、窓口での支払いは少額だった。請求すれば、ポケモン協会からもさらに見舞金を受け取れるだろう。昨今のトレーナー政策のおかげでトレーナーの保護は手厚い。
 養親のウズは、来なかった。それがセッカを怒らせた。
「ほんっと、血も涙もないよなー」
「本気で愛想を尽かされたのかもねぇ」
 キョウキが緩く笑っている。
 僕らは四人でユディ宅の居間の絨毯の上に座って、レイアが図書館から持ち出してきた『イーブイの進化方法』の本を覗き込んでいた。
 僕ら四人はこの本を探して、はるばる慣れない図書館を訪れたのだ。
この本は結局、貸出手続きは済ませていない。しかし図書館の状況が状況なので、どこに返却するというわけにもいかず、この本は僕らの手元にある。
 レイアが最初に読み上げる。
「シャワーズ、水タイプ。水の石を使う。……サンダース、電気タイプ。雷の石を使う。……ブースター、炎タイプ。炎の石を使う」
 キョウキが引き継いだ。
「エーフィ、エスパータイプ。懐かせて光の中で育てる。……ブラッキー、悪タイプ。懐かせて闇の中で育てる」
 セッカが賢明に読み上げる。
「リーフィア、草タイプ。苔むした岩の傍で育てる。……グレイシア、氷タイプ。凍り付いた岩の傍で育てる」
 僕が最後を引き継いだ。
「ニンフィア、フェアリータイプ。仲良くなり、育てて妖精の技を覚えさせる」
 そして僕ら四人は、ボールから八匹の子イーブイを出した。
「ぷい」
「ぷい」
「ぷい」
「ぷい」
「ぷい」
「ぷい」
「ぷい」
「ぷい」
 八匹のイーブイはボールから出されると、おとなしくお座りしている。僕らは両手で、自分のイーブイたちをつまみあげた。
 レイアのイーブイのリボンの色は、真珠の薄色、珊瑚の桃色。
 キョウキのイーブイのリボンの色は、瑠璃の青色、琥珀の黄色。
 セッカのイーブイのリボンの色は、瑪瑙の赤色、翡翠の緑色。
 僕のイーブイのリボンの色は、玻璃の水色、螺鈿の濃色。
 そして、そのリボンの色と、『イーブイの進化方法』に乗っていたイーブイの進化形態の図とを見比べる。そうすると、答えは自ずと浮かんできた。
 僕らは互いに目くばせした。
「いいな。確認したな?」
「おっけー。とりあえず僕はミアレの石屋に行こうかな」
「……俺も行く!」
「僕とセッカは行くべき方向が違うと思うんだが、その認識で合ってるな?」
 僕らは互いに頷き合った。
 イーブイの進むべき道は決まった。なら一刻も早く、イーブイたちを育て上げなければならない。
 戦いに満ちた旅の生活が、待っているから。


  [No.1402] 不知火 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:27:38   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



不知火 朝



 朝の太陽が高くかかり出したころ、四つ子はミアレシティに辿り着いた。
 袴にブーツ、葡萄茶の旅衣。それが四人、ぞろぞろと14番道路方面のゲートから現れる。そのまま半円状のノースサイドストリートを西へ。
 普段は観光客でにぎわうメディオプラザも人の姿はまばら、トリミアンと共に朝の散歩をする老紳士や、ランニングに励む学生、颯爽と自転車で駆け抜けるビジネスマンの姿が見える。屋台の準備をする焼き栗売りの姿、朝のミアレを描こうとカンバスに向かう画家の姿もあった。
 四つ子もとい葡萄茶色の旅団は、ガレット屋の前で立ち止まった。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカが、身を乗り出す。
「ミアレガレット、四個ください!」
「はい、ミアレガレットを四つ。四百円です。モーモーミルクとご一緒にどうぞー」
「ありがと、おねーさん! とっても美人だよ!」
 焼きたての円いガレットとよく冷えたモーモーミルクを受け取り、四つ子はまずガレットの一部をむしってそれぞれの相棒、ヒトカゲ、フシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメに分け与える。相棒たちがガレットの欠片にかぶりつくと同時に、四つ子も残りのガレットにがっついた。
 さくさくとした歯触り、芳醇なバターの香り、甘じょっぱい味わい。焼きたてのあつあつ。
 朝食代わりとしてはいささか重いが、それはそれで菓子としては十分美味い。さすがはミアレ名物である。美味しいだけでなく、ポケモンの状態異常まで治すというのだから体にいいこと間違いなしだ。
 相棒たちと分け合いつつモーモーミルクを飲み終え、その空き瓶はガレット屋に返した。
 未だ体のあちこちに絆創膏を張り付けているセッカが、満面の笑みを浮かべる。
「おいしかった! 俺の火傷も治った気がする! ごちそーさま!」
「ぜひまたどうぞー」


 糖分と油脂分と水分とカルシウムを摂取したところで、四つ子はミアレシティの北の外半円、ノースサイドストリートをさらに西へ向かった。川に差し掛かると、ミアレの中央部へ向かう形で曲がる。
 じきにローズ広場に辿り着いた。
 濃紫のモニュメント。
 四つ子は一瞬立ち止まる。ローズ広場の人通りは多く、観光客やビジネスパーソンで賑わっている。ポケモンと共にストリートパフォーマンスを行って喝采を浴びている芸人もいるし、ポケモンバトルに興じている若いトレーナー達も、それらを眺めている人々もたくさんいる。
 四つ子はそのポケモンバトルに視線を注いだ。
 ヤンチャム対ビビヨン。宙を優雅に舞う花園の模様のビビヨンの方がやや優勢といったところか。
 ヤンチャムはまだレベルが高くはないらしく、直接攻撃の技しか持たないようだった。濃紫のモニュメントの上に跳び上がり、必死に宙のビビヨンを捕らえようとするも、ことごとく躱される。
 結局ビビヨンの起こした風にヤンチャムは吹き飛ばされ、そのまま目を回した。勝負はついた。
 四つ子は黙ってそのバトルを見守っていた。
 四つ子なら、あのヤンチャムのようなバトルはしない。遠距離攻撃の術も、空にある敵を捕らえる術も数種類用意してある。あらゆる敵に対応できなければ、トレーナーは勝負に負ける。そして負けたら賞金を支払わなければならない。
 ヤンチャムのトレーナーらしき少女は、バトルに負けて泣きながら、相手のトレーナーの少女に賞金を支払っていた。ビビヨンのトレーナーは複雑そうな表情をしつつも、ヤンチャムのトレーナーを慰めながら、賞金をしっかりと受け取っている。
 賞金で食いつなぐトレーナーは、負けてはいけない。
 自分のために一生懸命戦ってくれたポケモンが、それでもあえなく傷ついて瀕死になって倒れて、そしてトレーナーは一人きりになる。それは辛いことだし、大切な手持ちのポケモンに対してもやりきれない思いを抱えることになる。負けるのは辛い。何より、金銭的に更に困窮することを思えば、バトルでの敗北による精神的な圧迫感は計り知れないのだ。
 だからトレーナーはポケモンを強く育てて、バトルに勝たなければならない。
 ポケモンに強い技を覚えさせれば、大抵の相手に勝てる。
 けれど強い技は往々にして、不必要に周囲に被害をもたらす。四つ子は瞑目した。この場所だった、あの事件が起きたのは。
 セッカがボールから、橙色の花のフラージェスを繰り出す。
「ユアマジェスティちゃん、お花が欲しいんだ。きれいなやつ」
 セッカが静かに頼みごとをすると、ガーデンポケモンはその力で赤や黄や橙や白の美しい花々をセッカの手の中に生み出した。
「ありがと」
「るるる」
 セッカは腕いっぱいの花を、レイアとキョウキとサクヤの分も合わせて、濃紫のモニュメントの前に供えた。そして四つ子は静かに手を合わせた。
 周囲のどこか気まずげな視線も気にせず、四つ子はローズ広場を後にした。町の中心部を目指して歩き出す。


 四つ子はメディオプラザに最も近いポケモンセンターに足を運んだ。
 ポケモンを預けることはせずに、そのままロビーに向かってソファに足を投げ出す。四人は早朝に故郷のクノエシティを出て、14番道路のクノエの林道を通ってミアレにやってきたのだ。
 道中は静かだった。四つ子は特に会話をすることもなく、飛び出してきた野生のポケモンに各々で応対し、抜きつ抜かれつそれぞれのペースで道路を超えてきた。危なげのない道路越えだった。レイアもキョウキもセッカもサクヤも、十歳の時から数年間一人旅を続けてきたのだ。今さら野生のポケモンに脅かされることはほとんど無い。
 ときどき出会ったポケモンレンジャーやオカルトマニアやメルヘン少女から賞金を巻き上げつつ、大きなロゼルの木から大喜びでたくさんの実を収穫し、迷子になることもなく淡々とミアレに辿り着いた。ブーツにこびりついた泥を拭うのも億劫で、さすがに痛む足を休める。
 四つ子にとってミアレは別れの街だ。十歳になった春も、クノエからミアレにやってきた四つ子は別々の四つの街に向かって旅立った。そして先だっても、知り合ったばかりのエリートトレーナーと別れる羽目になった。
 ポケモンセンターのソファの背もたれに崩れながら、セッカがぽつりと呟く。
「……なあ、今度はさ、一緒に行こうな?」
「セッカとサクヤは行く方向が別々じゃない。二手に分かれない?」
 セッカの隣に座る緑の被衣を頭に被ったキョウキが、フシギダネの頭を優しく撫でながら応じる。セッカは僅かに身を起こし、頬を膨らませた。
「……だって」
「だっても何もないよ。イーブイの進化方法は多岐にわたる。目当ての進化形態があるなら、早めに進化させた方がいい。セッカは20番道路の迷いの森へ行きなよ。サクヤはフロストケイブだ」
「……れーや、一緒に行こ」
 拗ねた様子のセッカは、赤いピアスの片割れにくっついた。足を組んでいたレイアは、特に文句を言わなかった。
「わかった。じゃ、俺はセッカと一緒に行くから。キョウキはサクヤと一緒に行くのか?」
「なぜ」
 不満げに鼻を鳴らしたのは、腕を組んでソファに腰かけていた青い領巾のサクヤである。キョウキがにっこりと笑ってサクヤにくっつく。
「いいじゃない、一緒に行こうよ。サクヤお前、ルシェドウさんに丸め込まれたあげく二日間氷漬けにされたんだって? 本当、お間抜けさんだなぁ」
「うるさい」
「ね、今度ルシェドウさんに会ったら、僕が潰してあげるからさ」
「させるか。僕が潰す」
 サクヤはさらに不機嫌に鼻を鳴らし、一方でキョウキはにこにこと笑っている。ソファの足元では、ピカチュウとゼニガメとヒトカゲが走り回っていた。フシギダネはキョウキの膝の上でのんびりと目を閉じている。
 セッカはレイアの腕にしがみついたまま、ぼそぼそと呟いた。
「……でもさ、今日くらいはみんなで一緒にいよう。ねえそうしようよ」
「セッカは甘えっ子さんだなぁ」
 キョウキが緩く笑い、セッカの頭を撫でる。
「大丈夫だよ。離れていても、僕らは一緒さ」
「きょっきょ意味分かんない」
「セッカはミアレで何かしたいことでもあるの? 何もないなら、早くここを発った方がいいと思うのだけれど」
「……したいことはないけど」
 セッカがうじうじと駄々をこねていると、ポケモンセンターに新たに二人の人間が入ってきた。カメラを持った男性と、きちんとしたスーツに身を包んだ女性の二人組である。

 その二人組はロビーに目を向け、そして四つ子の姿を認めると早足で近づいてきた。
 それからその女性が唐突に四つ子に声をかけてきたのである。
「あのっ、まさか四つ子さんですか?」
 青い領巾のサクヤがぴくりと眉を顰め、赤いピアスのレイアは眉間に皺をよせた剣呑な表情のまま顎を上げ、緑の被衣のキョウキは愛想笑いを浮かべて振り返り、セッカはぽかんと間抜け面を曝した。
 女性はそそくさと名刺を差し出す。
「あの、私、ミアレ出版の者です。弊社の記事で、双子のイーブイを四組もタマゴから孵した四つ子トレーナー、というのがやられてまして……その写真と同じ四つ子さんですよね?」
「……あー」
「ええ、そうです。クノエで、ミアレ出版さんのパンジーさんという方の取材をお受けしました」
 口ごもるレイアの一方で、キョウキがすらすらと淀みなく応える。そして記者の女性が表情をほころばせて何か言おうとするのを遮るように、キョウキはたたみかけた。
「取材ならお断りします」
「えっ……なぜですか! 五分、いやいやえーっと十分だけでも!」
「どうせ貴方がた、ろくなこと尋ねてこられないでしょう。双子のイーブイのことなら洗いざらいパンジーさんにお伝えしました。それとも、四つ子のトレーナーがそんなに珍しいですか。世の中には一卵性の五つ子くらいいますよ。何なら六つ子でも七つ子でも八つ子でもいるでしょう」
「えっ……でも」
「ねえ、帰ってください」
 キョウキはにこりと笑ったまま、片手で追い払う仕草をした。
 若い女性記者は困り果てた表情になり、しかしなおも食い下がった。
「……お願いします、ぜひ取材させてください! お礼はいくらでもしますので!」
「そうですね、これから僕ら四人が死ぬまで毎日、ローリングドリーマーにご招待くださるならば、考えてもいいですよ」
「……それは……ええと……うーん……あの、他のレストランで今日の昼食くらいなら!」
「馬鹿にしないでください」
 キョウキは笑顔のままだが、少しずつキョウキが苛立ちつつあることにレイアとセッカとサクヤは気づいていた。

 キョウキは雑誌記者を追い払おうとしている。その理由は、レイアもセッカもサクヤもなんとなく分かっていた。ここはミアレシティだ。ミアレのスターとも謡われたエリートトレーナーをローズ広場で大怪我をさせた例の事件は、大きく報道はされずともミアレで噂ぐらいにはなっただろう。ましてや、一卵性の四つ子という特徴的すぎる特徴を持った加害者のトレーナーは、人々の記憶にもとどまりやすい。
 今、ここでその話を蒸し返されるわけにはいかない。
 トレーナーに反感を持つ人間が増えれば増えるほど、旅はしにくくなる。四つ子についての悪い噂が広まれば広まるほど、四つ子とポケモンバトルをしようと考えるトレーナーは減るのだ。それは即ち、四つ子の収入の減少を意味する。

 キョウキは歯を見せてそれとなく記者を威嚇した。
「僕らはね、見世物のために生きてるわけじゃない。なぜなら、バトルの賞金だけで生きているからです。バトルができなくなれば、僕らは死ぬしかない。だから、取材をお受けするなら、僕らが旅をしなくてもいい生活を保障して頂くほかないのです」
「……ええと、なぜバトルができなくなるんですか?」
 女性記者の質問に、キョウキはとうとう舌打ちした。
 四つ子の片割れ三人はキョウキを見つめる。キョウキも片割れの三人をちらりと見やって、低く唸った。
「――ああ、もう限界だ。お前ら適当に応待しろよ」
「お前、気ぃ短すぎだろ……」
 レイアが苦笑している。キョウキはふんと鼻を鳴らした。
「レイアに言われたくはないね。僕はお前らよりは寛容だよ。僕はレイアみたいに怒鳴らないし、セッカみたいに喚かないし、サクヤみたいに殴りかからない」
「いや、現にブチ切れてんじゃん。そう怒んなって」
「……ああ、腹が立つ。まさか僕らのこの言動も全部録音されてんじゃねぇだろうな……。ああ、そうだ、バトルしませんか、ミアレ出版のお姉さん? カメラのお兄さんでもいいですけど。僕ら四人に勝てたら、取材をお受けしますよ?」
 キョウキは投げやりに質問を投げかけた。
 女性の記者は戸惑ったようにカメラの男性を見やり、男性もまた困ったように女性を見やった。
 キョウキは興に乗ったのか、楽しげに笑い出す。
「あはっ、あははは、そうですよ。トレーナーはポケモンと共に戦うもの。いわばバトルはトレーナーにとっての挨拶です。トレーナーに必要なのは戦いです。つまり、戦えもしない人間なんて、トレーナーにとって話をする価値もない」
「あの……私、バトルは……」
 声を小さくする女性記者を、キョウキは嘲笑う。
「ほんと、礼儀がなってませんよね。貴方がたもバトルの賞金だけで暮らしてごらんなさい。三日で飢え死にだ。でも貴方がたはそうならない。なぜ? 貴方がたが恵まれているから。面白おかしいニュースだけを求めて楽しんでいれば生きられるから」
 キョウキは実に楽しそうにまくし立てている。
 セッカは、キョウキが楽しそうなので良かったと思っている。
 レイアとサクヤは我関せずと言った風に、キョウキと記者たちのやり取りと眺めていた。
 それでもソワソワするばかりの記者たちに、とうとうキョウキは歯を剥き出した。
「…………次来たら潰すぞ…………」
 記者たちは謝罪を繰り返しながら、ポケモンセンターから出ていった。


  [No.1403] 不知火 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:29:34   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



不知火 昼



 キョウキは不機嫌だった。フシギダネを膝の上に乗せ、フシギダネの背中の植物を弄っている。フシギダネはされるままになっている。
 セッカはキョウキの肩に無邪気にしなだれかかった。
「ねえ、きょっきょー……」
「なに」
「おなかしゅいたぁー……ごはん食べよぉー……」
「レイアとサクヤと、食べておいで」
「きょっきょもいっしょに行くのぉー……」
 セッカがいやいやと駄々をこねると、キョウキはとうとう溜息をついた。セッカにデコピンを食らわす。
「セッカ。僕はミアレが、本当に嫌いだ」
「俺も好きではないけど。でも、お腹すいたもん」
「僕はここを早く出たい。お昼を食べたらすぐ、僕はサクヤと一緒にフウジョタウンに向かってもいいかな?」
 するとセッカは目を見開き、小鼻を膨らませた。キョウキの肩を揺すってぴゃあぴゃあと叫ぶ。
「今日は一緒にいようって言ったじゃん!」
「でも、ここだと休めない。本当に腹立つことばかりだ……」
 キョウキは両腕をセッカの首周りに回した。優しくセッカを抱きしめつつ、ぼやく。
「本当に、なんで、ただポケモンを育てて戦うばかりの生き方しかしてないのに……。どうして騒ぎ立てられるのかなぁ。世の中にはトレーナーはたくさんいるのに……」
「……きょっきょ?」
「セッカ、僕はね、怖いんだよ。たぶんね」
 セッカは瞬きした。睫毛がキョウキの頬をくすぐり、キョウキは軽く笑う。
「ちょっと、くすぐったいから目ぇパチパチしないで。……あのね、僕は人が怖いんだ。特に怖いのはマスコミだね。メディアだ」
「マスコミ? ……メディア?」
「新聞とか雑誌とかテレビとかさ。特に最近は、ホロキャスターなんてものがあるから……」
 キョウキがふうと溜息をつく。
 セッカはキョウキにくっついたまま、ひどく深刻そうな表情になった。
「――滅びの……キャタピー…………?」
「ホロキャタピーか。かわいいね。ホロキャタピーはフラダリラボの製品だよ。受信したホログラムの映像データをいつでも観れる装置さ」
 キョウキはセッカに腕を回したまま、ロビーいた他のトレーナーを顎で示した。
 メェークルを連れた女性のトレーナーが、機械から立体映像を出してそれを覗き込んでいる。電話でもしているようだ。映像だけでなく、音声も出せるらしい。
「セッカも見たことくらいあるよね」
「あ、あるかも。滅びのキャタピー!」
「あんまり他人のホログラムメールをじろじろ見ないんだよ」
「あい」
 セッカはおとなしく首を縮め、キョウキにすりすりと頬ずりした。キョウキもまんざらでもなさそうにしている。レイアとサクヤはロビーのテレビで、ぼんやりとニュースを眺めていた。
 キョウキは静かに囁く。
「僕はホロキャタピーは嫌いだな。キャタピー……じゃなかった、キャスターのお姉さんがね、怖いからね」
「キャタピーのお姉さんなんて超かわいいと思うけどなー」
 セッカはのんびりと呟いた。


 ポケモンセンター内の食堂でそそくさと食事を済ませ、四つ子は再びミアレの街に出た。
 メディオプラザを通り過ぎ、南のプランタンアベニューに入る。
 不思議なにおいのする漢方薬局で、四つ子はそれぞれ力の根っこと復活草を購入した。
 ここはバッジを一つしか所持しないセッカでも効果の大きい薬を購入できる、貴重な店である。店中の壺や瓶にいっぱいの乾燥した葉や根などが詰められており、ミアレでも特に面白い趣の店だ。
 レイアの小脇に抱えられたヒトカゲは嫌がって身をよじり、レイアの腕に爪を立てる。キョウキの頭の上のフシギダネは無表情になっている。セッカの肩の上のピカチュウはセッカの頬をいやというほど引っ張って拒絶を示している。サクヤの両手に抱えられたゼニガメは大騒ぎし短い手足でじたばたと暴れまわる。しかし四つ子は有無を言わさず、とても苦い漢方薬を購入した。
 続いて、漢方薬局の隣の石屋に四つ子は入った。
 キョウキが歌うように注文する。
「水の石、雷の石、炎の石を一つずつくださいな」
「6300円、頂戴します」
「高っ」
 セッカが呟く。漢方薬局でも多額の出費を強いられたと思ったら、進化の石も大概である。
 店の奥の棚の中には、キラキラと輝く色とりどりの進化の石が並べられていた。宝石のように美しいのに、ポケモンに力を与えるエネルギーを秘めている。いや、エネルギーを秘めているからこそ、美しい色彩を放って輝くのか。
「お買い上げになりますか?」
「買います。セッカ、2100円出して。僕が4200円だ」
「あううー……はい……」
 セッカは渋々と財布から大金を取り出し、キョウキに渡した。キョウキを経由し、店員に手渡される。
 そしてキョウキは三色の進化の石を手にした。泡沫の湧き出る水の石、稲妻の走る雷の石、灯火の揺らめく炎の石。
 キョウキは炎の石をセッカに渡した。
「はい、セッカ」
「うん。これで進化できるな、イーブイたち」
 セッカは離れていった大金のことはさっさと忘れて、にこりと笑った。そして店内で、ボールから赤色のリボンを耳に巻いたイーブイを出した。
「瑪瑙、出といで」
「瑠璃、琥珀」
 キョウキも二匹のイーブイをボールから出す。青色のリボンのイーブイ、黄色のリボンのイーブイである。
 それぞれのリボンの色に応じた進化の石を近づける。
 小さなイーブイはその美しい煌めきに惹かれるように、細い前足を伸ばした。

 石に触れる。
 三匹の小さなイーブイが、眩い光を放った。
「しゃう」
「さんっ」
「しゅたー」
 小さなシャワーズの瑠璃、サンダースの琥珀、ブースターの瑪瑙が、きょろきょろと自分たちの変わった姿を見回している。
 四つ子は久々に目の当たりにした進化に、表情を輝かせた。
「うおおおおっ、超いいじゃん!」
「ああもうかわいいかわいい――可愛さの中にかっこよさがにじみ出ているね!」
「超いかす! もふもふ! もふもふもふもふ!!」
「ああ、随分と頼りがいのある見た目になったな」
 キョウキは両腕でシャワーズとサンダースを抱き上げる。セッカはブースターを抱き上げる。そして再びひとしきりきゃあきゃあと騒いだ。
「わああシャワーズちゃんつるっつる! ほんとすべすべお肌! 潤いやばいね! サンダースちゃんは滑らかでぴしぴしで鋭い感じ! なのにふわふわ!」
「あったかブースターちゃんやっべぇもふもふもふもふもふもふ!!!」
 はしゃぐキョウキとセッカの二人をまじまじと見つめ、レイアとサクヤの二人は、早く自分のイーブイ二匹も進化させようとひそかに心に決めた。


 プランタンアベニューの突き当りに、ポケモン研究所が見えてきた。
 つい先ほど進化によって思いっきりテンションを上げていた袴ブーツの四つ子は、途端にテンションを下げた。
 真顔になったのは四つ子のトレーナー達だけである。四つ子のそれぞれの相棒であるヒトカゲ、フシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメはかつて育った研究所を目にして、逆にそわそわしだした。
「……んだよ、博士に会いてぇのかよ……?」
 レイアが歩きながら、脇に抱えたヒトカゲに問いかける。ヒトカゲはうんうんと頷いた。
「プラターヌ博士かぁ。旅立ちの日以来、お会いしてないなぁ」
 頭にフシギダネを乗せたキョウキがほやほやと笑う。フシギダネも笑顔である。
「会いたいかも。でも……博士、ミアレでの事件のこと、絶対知ってるよなぁ……」
 肩にピカチュウを乗せたセッカは、思わず肩を縮めてピカチュウに文句を言われている。
「それに、博士から頂いたまさにこのゼニガメたちで、事件を起こしたからな。……何と思われているやら、だな」
 はしゃぐゼニガメの甲羅を両手で抑えるサクヤが、静かに囁く。
 四つ子はプランタンアベニューの中ほどで、一瞬立ち止まった。
 そして何も言わず、四人揃ってそそくさと早足になった。
 プランタンアベニューの突き当りに近づくほど騒がしくなるヒトカゲとピカチュウとゼニガメを押さえ、泰然としているフシギダネだけはそのままで、四つ子は素早くサウスサイドストリートになだれ込み、滑らかに右折した。西へ向かう。
 プラターヌ博士の研究所が、背後に遠ざかっていく。
 ヒトカゲはきゅうきゅううと涙声で鳴き、フシギダネは珍しく僅かに低い声で鳴き、ピカチュウは怒り心頭でセッカに電撃を浴びせ、ゼニガメは喚きながら手足を思い切りばたつかせた。
 しかし四つ子は、旅立ちの世話をしてもらった研究所には、近づかなかった。


  [No.1404] 不知火 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:32:01   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



不知火 夕



 漢方薬局に寄って、石屋で目当てのものを手に入れた。
 あとは四つ子は、イーブイの進化のために特定の場所へ行かなければならなかった。正確にはそれを要するのはセッカとサクヤの二人なのだが、レイアとキョウキはそれぞれに付き合うと決めている。
 すなわち、もうこれ以上はミアレシティには四つ子は用はなかった。
 しかし、そこでごねたのがセッカである。
「ね、今日だけ四人でいさして。お願い!」
 そう往来の真ん中で片割れの三人を拝み倒し始めるのだから、残る三人としてもセッカを宥めないことにはどうにもならないと判断せざるを得なかった。
 ぴゃあぴゃあと人目も憚らずに喚くセッカを引きずり、ミアレシティ南西の、カフェ・ソレイユに入店する。
 そしてレイアとキョウキとサクヤは、瞬時にしまったと思った。セッカは目をぱちくりさせた。
 逆に、ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは、それぞれの相棒から離れて飛び出し、大喜びで鳴きながら、その人物に駆け寄る。
「かげぇ! かげぇ!」
「だーねー?」
「びがぁ! ぴかちゅう!」
「ぜにぜにぜにぜに! ぜにぜにぜーに!」
「おおう、久しぶりだねぇー! 元気だったかい?」
 四つ子はカフェ・ソレイユの入り口で、呆然と立ち止まった。

 四つ子の相棒の四匹が駆け寄った人物は、カフェ・ソレイユの隅で超絶美貌の女性と相席していた。
 普段研究所では身につけているはずの白衣を脱いでおり、外出の最中だったようだ。
 プラターヌ博士である。
 博士はひとしきり、研究所でかつて暮らしていたヒトカゲ、フシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメの四匹との再会を喜んでいた。相席の女性も微笑み、そして四つ子に視線をやった。
「…………あら」
 純白の衣装に身を包み、ペンダントを胸元に煌めかせ、ブラウンの髪を上品に結いあげた、カリスマ性あふれる女性。その女性が四つ子に目を留め、小さく嘆息する。
「四つ子さんね?」
「そうだよカルネさん! この子たちがボクの研究所の誇る、四つ子のトレーナー達だよ!」
 プラターヌ博士が、傍らの女性に紹介する。カルネと呼ばれた美貌の女性は、この世のものと思えない慈愛に溢れた笑顔を四つ子に注ぎかけた。


 さすがの四つ子も、言葉が出なかった。
 何という気品、何というプレッシャー。住む世界が違う。
 ああ、そうだ。この人と関わり合いになるべきではなかった。
 四つ子はそわそわと、この眩しいカフェを後にしようとした。しかしヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメはプラターヌ博士の全身にまとわりついてしまって、そう簡単には引き剥がせなさそうだ。
 四つ子はたいへん戸惑い、店内でもじもじしていた。店じゅうの客の視線を集めている気がする。それはそうだ、四つ子はたった今、世界的な大女優に微笑みかけられているのだから。
 その女性の美しさに、称賛の溜息しか漏れない。
 四つ子は目が眩んだように、もじもじと俯いた。床しか見ることができない。
 ここまで住む世界の違いを思い知らされる人間が、世の中には存在するのだ。
 四つ子は立ったまま、どんどん卑屈になっていった。駄目だ、自分たちはこの女性の視界に入るべき存在ではない。無視してほしい。どうか無視しろ。無視してください。

 しかし、大女優は心優しくも、無視してはくれなかった。輝かんばかりの美貌をさらに明るくし、眩しいばかりの笑みを零す。
「貴方たちのポケモン、とってもすてきね。ね、そんなところで立っていないで、どうぞこっちにお座りなさいな」
「そうそう、そーしなよ! いやぁ、旅立ち以来じゃないか! 元気そうだね、レイア君!」
「僕はサクヤです」
 プラターヌ博士に肩を叩かれ、青い領巾のサクヤがやや不機嫌に応じる。プラターヌ博士は眉を上げ、きょろきょろと見渡した。そして緑の被衣の片割れの肩を叩いた。
「えっと、キミがレイア君だったかな?」
「僕はキョウキですよ、博士」
 キョウキはにこりと微笑む。プラターヌ博士は赤いピアスの片割れに目をやった。
「あ、じゃあ君がレイア君だ!」
「違うっすよ」
 本物のレイアは意地悪く笑った。
 プラターヌ博士はあたふたと取り乱し、セッカの両手を掴んだ。
「すまない! 本当にすまない、レイア君!」
「いや、俺セッカっすけど」
「なに! じゃあキミがレイア君か!」
 プラターヌ博士はわたわたと、顔のそっくりな四つ子を順に見回した。
「サクヤだと、申したはずです……嘘っす俺がレイアっす」
「嘘ですよ博士、その子は……だって俺がレイアだかんな!」
「ふざけんなよ俺がレイアだよ!」
「お前らいい加減にしろよ! 博士、俺がレイアなんで、覚えてください!」
 四つ子は寄ってたかって、プラターヌ博士に自分こそがレイアであると主張した。
 博士は目を白黒させ、そしてとうとう大きく笑い出した。
「ははっ、こりゃやられたなぁ! ……そうだそうだ、思い出したよ! キミたち、十歳の旅立ちの時もそうやって、ボクのことからかったよね?」
 四つ子はにやにやと笑う。その四つ子のそれぞれの装身具を見分けて、ヒトカゲはレイアに、フシギダネはキョウキに、ピカチュウはセッカに、ゼニガメはサクヤに飛びついた。プラターヌ博士はにやりと笑う。
「そうそう、臆病なヒトカゲのトレーナーがレイア君。穏やかなフシギダネを貰っていった子がキョウキ君。勇敢なピカチュウを連れて行ったのがセッカ君。やんちゃなゼニガメを選んだのがサクヤ君、だ」
「そうっす」
「当たりです」
「だいせーかい!」
「よく覚えていてくださいました」
 四つ子はプラターヌ博士に向かって笑いかけた。博士も目を細め、そしてその隣の大女優もくすくすと面白そうに笑っている。
「ふふ、ふふふ……面白いのね、四つ子さんって。ねえ、この前のカロスリーグにも出てらしたわよね?」
 席に着いた四つ子に向かって、カルネが問いかける。セッカが大きな声で答えた。
「はい! きょっきょは予選、しゃくやは本選行きました! そしてそして、なんとれーやはベスト4です!」
「そうそう、貴方、ガンピ君を倒したでしょう? ズミ君には負けてしまったけれど」
「……あ、それは単純に、当時の俺のパーティーが炎タイプ中心だったためだと思ってて……」
 ヒトカゲを抱いたレイアが、ぼそぼそと答える。カルネはうんうんと大きく頷いた。
「そうそう、色々なタイプのポケモンを育てるのって案外難しいのよね。あるタイプのポケモンを育てると、同じタイプの他のポケモンも育ててみたくなっちゃうの」
「あ、そうっすね、確かに……」
「そのうちそのポケモンに愛着が湧いちゃって、パーティーから外すに外せなくなってしまうのよねー」
「あ、そうそう、そんな感じっすね」
 レイアも頷いた。
 そこでプラターヌ博士が両手を広げた。
「四つ子ちゃん、何か食べるかい? いい機会だ、カロス地方のチャンピオンのカルネさんに色々伺うといいんじゃないかな。今日はカルネさんも夜までこちらでゆっくりされるそうだよ!」
「いえ、僕らがいるとカルネさんもごゆっくりできないのでは?」
 フシギダネを抱いたキョウキが卑屈に笑う。するとカルネは悪戯っぽく笑った。
「もう、そんなこと気にしないの。あたし、四つ子さんなんて見たの、初めて。それもガンピ君を倒した子がいるんだもの。四人揃って強いなんて、すっごくわくわくしちゃう。いつかあたしの育てたポケモンたちとバトルしてほしいな」
 そう絶世の美女に笑いかけられるのだから、もう四つ子はしどろもどろになった。カルネと平然と相席しているプラターヌ博士も相当の人物なのだということを思い知った。
 セッカがぽそぽそと呟く。
「……博士、すごい人だったんすね……」
「え? なんでだい?」
「何つーか、遠い世界の人だったんすね……」
「それは違うよセッカ君!」
 プラターヌ博士は大仰に手を広げ、身を乗り出して朗らかに笑う。
「確かに大女優のカルネさんは、庶民のボクらにとっては遠い存在に感じられるかもね。でもね、ポケモンというつながりがあるから、ボクらは様々な人と仲良くなれるんだ!」
「そうそう。あたしもお芝居の関係以外に、ポケモンバトルを通じて、本当に色々な大切な人に出会えたもの」
 カルネも微笑んでいる。
 彼らのその言葉に、それぞれの相棒を膝に乗せた四つ子は視線を伏せた。


 カルネが軽く首を傾げ、プラターヌ博士もまた机に肘をついてやや深刻そうな表情になった。
「なにか、心配事でもあるのかい?」
「……ポケモンを持っていたせいで、人を傷つけちまったら、どうしますか?」
 赤いピアスのレイアが静かに問いかける。
 プラターヌ博士とカルネは同時に言葉を発した。
「謝ればいいのさ」
「謝ればいいのよ」
「おおっと、これは失礼」
「いえいえ」
 カルネの言葉に自分の言葉をかぶせてしまった事態にプラターヌが笑顔で謝る。カルネも笑顔で応じる。実に優雅な雰囲気の二人だった。
 セッカが小さい声になる。
「でも、謝ったくらいじゃ済まないかもしんないっす」
「貴方たちは、本当にその方に申し訳ないと思っているのね?」
「俺らはほとんど事故だと思ってました。でも、相手はどう思ってるかわかんなくて。……本当はトキサ、俺らが旅してカロスリーグに出てるの、嫌なのかもしれないなって」
 セッカがその名を出すと、プラターヌ博士は真顔になった。
 博士の様子をちらりと見た四つ子は、一様に全身を緊張させた。カルネが首を傾げる。
「博士、どうなさったの?」
「……トキサのことは……残念だよ」
 プラターヌ博士は手元のカップを持ち上げ、ゆっくり静かにコーヒーを飲んだ。
 カップをソーサーにそっと戻す。
 博士は、寂しげに微笑んでいた。
「トキサは四つ子ちゃんたちより前に、ボクの研究所からハリマロンと共に旅立っていった。エリートトレーナーの事務所に勧誘されてね、学業でも優秀な成績を収め、このミアレでもそのスタイリッシュさで有名になってねぇ……」
「すみませんでした」
 レイアが固い声で謝罪する。キョウキとセッカとサクヤは俯いたまま、黙り込んでいる。
 プラターヌ博士は寂しげな表情ながら、四つ子に語りかけた。
「それで四つ子ちゃんはボクの研究所に寄りづらかったのかな。ボクもあの事件というか、事故のことは聞いたし、トキサのお見舞いにも行ったよ。……そうだ、四つ子ちゃん、トキサから伝言があるんだった」
 四つ子は緊張した目で、プラターヌ博士を見つめた。博士の隣でカルネは背筋をまっすぐ伸ばしたまま、静かに目を伏せていた。
「――“寿司を奢る約束、忘れてない”、だってさ」
 プラターヌ博士はわずかに瞳を潤ませていた。
 それを見てしまった途端、四つ子までどうにも切なくなり、体裁を保つのに難儀した。



 それから、カフェ・ソレイユで、四つ子はプラターヌ博士とカルネと暫く談笑した。
 四つ子の旅の話、故郷で学生をしている幼馴染の話、養親の話、気難しい裁判官の話、愉快で呑気なポケモン協会の職員たちの話。
 四つ子がクノエシティでタマゴから孵した四組の双子のイーブイのことを、プラターヌ博士とカルネは知っていた。
「そうそう、ミアレ出版の雑誌で有名になってたよねぇ!」
「ええ、あたしも見た! ビオラちゃんのお姉さんの、パンジーさんの記事だったよね」
「今、そのイーブイたちを進化させようとしているところなんです」
「現在イーブイの進化系は八種類確認されていますので。八匹をそれぞれ違う形態に進化させようと思ってて」
 キョウキとサクヤが説明する。それが面白いのか、プラターヌ博士とカルネは笑顔をほころばせた。
「いいねぇ、面白いねぇ! あ、じゃあさてはミアレの石屋に、進化の石を買いに来たんだね?」
「そういうところです。シャワーズとサンダースとブースターにはもう進化させまして。これから二手に分かれて、リーフィアとグレイシアに進化させに行こうかな、と」
「うんうん、苔むした岩と凍り付いた岩だよね。捜すのちょっと大変かもしれないけど、頑張って!」
 カルネが声援を送ると、さすがの性悪のキョウキまで心洗われたような笑顔になった。
 しかしレイアが苦い表情で、プラターヌ博士に尋ねる。
「で、そこまではいいんすけど……。博士、“懐く”と“仲良し”って、どう違うんすかね……?」
「ああ、エーフィとブラッキーは懐き進化で、ニンフィアは仲良し進化だと言われているねぇ!」
 プラターヌ博士はうんうんと大きく頷いた。
「そうそう、その違いが難しいんだよね。一般的には、ブラッシングやマッサージなんかをしてあげると“懐いて”、一緒に遊んであげると“仲良くなる”そうだよ」
「……違いが分かんねぇ!」
 レイアは頭を抱えた。カルネが笑いかける。
「そうね、エーフィやブラッキーに進化してほしい子は、あまり瀕死にはさせないこと。道具を使ってあげて、漢方薬は与えないように気を付けてね」
「……うっす」
 レイアは頭を抱えたまま頷いた。


  [No.1405] 不知火 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/20(Fri) 11:34:40   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



不知火 夜



 そしてカルネが刻限になったと言ってカフェ・ソレイユを出たのは、日暮れごろだった。
 それをきっかけに、プラターヌ博士も四つ子もカフェを出る。メディオプラザのプリズムタワーの点灯を見て、そして研究所前で博士と四つ子は別れた。
「これからは、ちょくちょく顔を見せてくれると助かるな。ポケモンのことでも、人間関係の悩みなんかでも、ボクでよければ相談に乗るからね。じゃ、四つ子ちゃん、良い旅を!」
「どうも」
「ありがとうございます」
「ありがとーございましたー!」
「では、今日は失礼します」
 街灯に照らされたミアレの街を、四つ子は歩き出す。


 ピカチュウを肩に乗せたセッカが、のんびりと囁く。
「博士、いい人だったなー。カルネさん、超美人だったなー」
 四つ子は思いがけず美女に遭遇できて、ほくほくしていた。とはいえ、四つ子は女性が好きというわけではない。単に、外見と内面の両方の美しい人間が大好きなのだ。プラターヌ博士と再会して話をできただけでも、四つ子は随分と心を癒されていた。
 ヒトカゲを脇に抱えたレイアも息をついている。
「ほんと、トキサのことで責められたらどうしようかと冷や汗かいたけどな。……ふつーにいい人たちで助かったわ」
 フシギダネを頭に乗せたキョウキは爽やかに笑っていた。
「ま、博士はたくさんの若いトレーナーを見てるし、カルネさんは女優だし。演技は得意だと思うよ。やっぱり本心ではどう思ってるかはわからないね。まあ僕らの知ったことではないけど」
 ゼニガメを両手で抱えたサクヤが溜息をつく。
「なんにせよ、イーブイの進化のことで収穫があったのは、喜ばしいことだろう」
 四つ子は観光客たちの間を縫って、プランタンアベニューを北上していた。メディオプラザで西北西へ向かい、ローズ広場の傍のポケモンセンターに戻ろうとして、セッカがキョウキの袖を引っ張った。
「ねえねえ、あのカフェ気になる!」
 四つ子は立ち止まり、ローズ広場の向こう側に会ったカフェを見つめた。
 真っ赤なカフェだった。
 キョウキは眉を顰める。
「……え、趣味悪くない?」
「目に痛え店だな」
「あんなところで休めるか」
 いやそうな顔をする片割れ三人を尻目に、セッカはぴょこぴょこと跳ねるように、真っ赤なカフェに入っていった。
「ふら……だ……れ……カフェ?」
「フラダリカフェ……」
 サクヤが看板を見つめて囁く。セッカは真っ赤な外装のカフェに突入していった。
「こんちは!」
「いらっしゃいませ……」
 そのカフェは内装まで真っ赤だった。床も壁も深紅に塗られている。店内は静かだがぽつぽつと客があり、コーヒーの香りが漂っている。
 四つ子はきょろきょろしながら、奥へ入った。
 そして、カフェの奥に、目立つ人物が席についているのが、四つ子の目に入ってしまった。

 四つ子は思わず立ち止まった。いや、足が竦んだと言った方が正しいか。
 先ほど、カルネに会った時とは、同じようで、どこか違う。
 太陽のごときカリスマ性とでもいうべきものは似ている。けれど、まったく違う。
 カルネが蒼穹に天高く輝く白銀の太陽だとすれば、その人物はあたかも暗黒宇宙の深遠で燃え滾る太陽の紅焔。
 同じもののはずなのに、こうも印象が違う。
 燃え盛るような真っ赤な髪と髭、銀灰色の瞳。黒いスーツに包まれた大きな体躯。カエンジシのような印象を与える男だった。
 その男が、カフェの奥の席から、四つ子をまっすぐ見つめてきていた。
 四つ子は痺れたように、動くことができなかった。


 その男は不意に相好を崩した。低い声で、四つ子に声をかける。
「そう怯えないで。こちらに来たまえ」
 獰猛な獣の牙の奥に誘い込まれているような、錯覚がした。しかしその男の声の力に引きずられるように、四つ子は素直に従い、男の傍まで歩み寄ってしまう。
「私はフラダリ。このカフェのオーナーだ」
「……カフェに自分の名前付けてんすか……」
「いや、ラストネームだが」
「あ、あー……」
 最もプレッシャーの影響を受け付けないセッカが間抜けな質問をして、どうにか凍り付いたような空気を砕きかける。
 フラダリが自分の傍の席の椅子を引く。その有無を言わせぬ様子に、四つ子はもう後戻りできずに席に着いた。店内からちらちらと視線を投げかけられている気がする。
 四つ子はおっかなびっくり、フラダリの傍で縮こまった。
 レイアの膝の上のヒトカゲはあからさまに男に怯えている。キョウキの膝の上のフシギダネは無表情になっている。セッカの膝の上のピカチュウはわずかに低く唸っている。サクヤの膝の上のゼニガメは甲羅の中にすっかり引っこんでしまった。
 フラダリが四つ子に話しかける。
「私の傍だと、緊張してしまうかね。どうもいつも、私は周りに圧迫感を与えるらしくてね……太ったのかな?」
 緊張感の薄いセッカが、たまらず吹き出す。
「えっ、フラダリさん超体格いいじゃないっすか。脱いだら筋肉やばそう。太ってる体型じゃないっすよ!」
「はは、これでも鍛えているからね。ポケモンと一緒に」
 フラダリは四つ子の分のコーヒーを、店員に持って来させた。四つ子は熱いコーヒーをありがたく受け取る。
 フラダリは目を細めた。
「四つ子のトレーナー。噂は聞いているよ」
 その低い声にこもった感情が読めず、四つ子は沈黙した。
 レイアは軽く眉間に皺を寄せて腕を組み、キョウキもいつもの愛想笑いを浮かべず、セッカは落ち着かなげにもぞもぞし、サクヤは俯いている。
 そうした四つ子の様子を見て、フラダリはさらに声を低めた。
「……もちろん、このカフェの目の前のローズ広場で起こしたこともな」


 四つ子は一斉に顔を顰めた。
 もちろん、それは触れられたくないことだ。忘れ去ってほしいと願っていることだ。
 だから、四つ子にとってこの男は敵だった。
 がちゃん、と高い音がする。四つ子が一斉にコーヒーのカップを床に叩きつけたのである。
「すんません」
「つい」
「手が」
「滑りました」
 陶器のカップは砕け、熱いコーヒーが湯気を上げながら紅い床に飛び散った。
 四つ子は警戒心も露わに、フラダリを睨みつける。
 フラダリは愉快げに笑った。
「はははは、そう怒るな。確かに私は君らが嫌いだが」
「俺らのこと嫌いな連中に、にこにこ笑えってか?」
 レイアが顔を顰め、低く唸る。フラダリは四つ子を嘲るように笑う。
「……君たちが、哀れだな」
「なぜです」
「奪うことしか知らない、愚かな子供たちよ……」
 フラダリは席から立ち上がった。椅子に座ったままの四つ子を見下ろしてくる。
「我が友人、プラターヌから受け取ったポケモンたちを、破壊の道具にして。未来ある有望なエリートトレーナーの夢を奪った。それだけでない、そのエリートトレーナーの両親の夢も、友人たちの夢までも奪った」
「だからなんだよ!」
 セッカが立ち上がり、叫ぶ。
「悪かったと思ってる! だから傷つけないように、あれからバトルも工夫してる! だから、なんで、今さらあんたにそんなこと言われなきゃなんないんだ!」
「私はフラダリラボの代表をしている」
 フラダリは突拍子もなく、そう言った。混乱するセッカを見て面白がるかのように、笑いながら続ける。
「ラボでは、ホロキャスターを始めトレーナーのための様々な製品を開発している。そしてその利益の一部を、トレーナーのために寄付しているのだ。私は与える者だ。だが、私の与えられるものには、限界があるのだ!」
 フラダリは演説ぶり、紅い床の上を歩き出した。
「際限なく奪う者がいるのだ。それが、君たち四つ子のような、欲深いトレーナーだ! 私はそれを容認できない、君たちのようなトレーナーを許すわけにはいかない」
 今やレイアもキョウキもサクヤも立ち上がり、セッカと共に、フラダリを強く睨みつけていた。
「……欲深いだと? どういう意味だ」
「君たちは、『我唯足るを知る』という言葉を知らないか。他者から与えられる物を取れるだけむしり取り、決して満足することがない。そうして奪い合うから、餓える者が減らないのだ」
「――何も知らないくせに!」
 セッカが絶叫する。
「そんなの、金持ちの奴らに言えよ! 何もしないでものうのうと生きていける、そのくせポケモンバトルが野蛮だとか何とかうるさいこと言ってる奴に言えよ! 俺らは、こうしないと生きてけないんだよ!」
「愚かな、哀れな子供たちだ」
 フラダリは鼻で笑った。
 そしてフラダリは店員を呼び寄せ、店員の持ってきた盆の上に乗っていた、四つの小型の機械を手に取った。
 その機械を、四つ子に差し出す。
「受け取りなさい」
 低い声で、四つ子に命じる。
 四つ子はフラダリを睨んだまま、警戒して動かない。
 フラダリはにわかに声を和らげた。
「受け取りなさい。君たちの気分を害したお詫びだ。わがラボの誇る製品、ホロキャスターを贈ろう」
 四つ子はまじまじと、フラダリの手の中の卵型の機械を見つめる。そして、一様に首を振った。
「俺ら、機械は無理なんで」
「すいませんねぇ、なにぶん愚かな子供たちなので」
「滅びのキャタピーとかいらねぇよ!」
「受け取りかねます」
 レイアもキョウキもセッカもサクヤも、後ずさった。ヒトカゲもフシギダネもピカチュウもゼニガメも、今や瞳を敵意に燃やし、フラダリを睨みつけている。
 フラダリは笑顔を消した。
「なら、立ち去りなさい」
 四つ子はさらに、後ずさった。
 フラダリを警戒しつつ、出入り口まで下がる。
 フラダリはすぐに再び柔らかい笑顔になり、カフェから出ていこうとする四つ子に最後に優しい声をかけた。
「トキサ君はまだ生きている。……花を現場に供えるような真似は、よしなさい」
 四つ子は、逃げた。



 四つ子は走る。
 夜のミアレを走る。街灯や店から漏れる光で街は照らされ、夜空の星々は煌めき、プリズムタワーは煌々と輝いている。
 ただ、街は色あせて見えた。
 あの真っ赤なカフェにいたせいで、四つ子の色覚が狂っているのだ。あの頭のおかしいオーナーにとっても、この世界はこれほど色あせて見えているに違いない。
 あんなカフェの傍にはいられない。忌まわしいローズ広場を数秒で走り抜け、ポケモンセンターに飛び込み、息をつく。
 ヒトカゲやフシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメが、心配そうにそれぞれの相棒を見つめている。
 レイアとキョウキとセッカとサクヤは、苦々しい顔を互いに見合わせた。
「――何なんだよ、あのおっさんは!」
 レイアが叫ぶ。赤いピアスが鳴る。
 大声を出したレイアを諌めるように、緑の被衣のキョウキは声を低めた。
「確かに、わけわかんない人だったね……」
「いきなり説教とか! マジ勘弁っつーか、非常識だよな!」
 セッカがぴゃいぴゃい怒る。
 サクヤは神経質に青い領巾を弄る。
「……まったく、あのような大人もいるのだな」
「マジでそれな! もう、せっかく博士とカルネさんに癒されてたのに!」
 セッカがサクヤに便乗して騒ぐ。それを黙らせようとサクヤがセッカの前髪を引っ張ると、セッカは尚更ぴいぴい泣き騒いだ。
 レイアとキョウキは苦笑する。
「……ま、いろんな考えの大人がいるっつーことで」
「そうだね。フラダリラボの代表があんな人とはね。……あんな人がホロキャタピーを作ってるとか、恐怖でしかないね……」
 キョウキは溜息をついた。レイアとセッカとサクヤの三人は首を傾げる。
「恐怖って?」
「あの人、絶対やばいよ。思い決めたら、何でもやりそうな気がする。……ああいう人こそが周囲の人々を不幸にするのだと、僕は思うけれど」
 そしてキョウキはちらりとポケモンセンターのロビーを見やった。
 多くの人間が手元の機械を使って、ホログラム映像に見入っている。フラダリラボのホロキャスターを使っているのだ。
 ホロキャスターはインターネットにも接続できる。メールの送受信はもちろん、調べ物や友達との手軽なやり取りや、動画を閲覧することも可能だ。そしてそれを手軽なコミュニケーションアプリで拡散していく。
「…………怖いよね」
 キョウキは囁いた。
 レイアもセッカもサクヤも、ロビーでホロキャスターに心を奪われているトレーナー達を、ぼんやりと見つめた。

 フラダリラボは、カロス最大の通信事業者である。ホロキャスターで一大成功を収め、またホログラムメールを利用したニュースを放映するというように、マスコミ産業にも進出した。現在カロスで最も注目を集めるメディアなのだ。
 国もまた、フラダリラボに巨額の補助金を与えている。
 それは、フラダリラボがトレーナー政策に大きく貢献しているためだ。
 政府与党とつながりの深いポケモン協会の財源の一部も、フラダリラボからの寄付金によって占められている。それだけでなく、フラダリラボは政府与党そのものにも政治献金を行っている。
 政府とポケモン協会とフラダリラボと。
 政治と財界とメディアが結びつく。
 それほど恐ろしいことはない。

 けれど、その本当の恐ろしさを認識している人間はほとんどいない。なぜなら、ほとんどの人間は政府与党のトレーナー政策を歓迎しているからだ。
 そして、その与党に対抗できる力を持つ野党もいつまでも成長しないから、政権は替わることはない。何も変わらないから、人々は政治に興味をなくす。
 そうすれば、監視の目を失った国の上層は、自然と腐敗するだろう。

 けれど、この国の人々の大半は既に政治から興味を失っている。ただ漫然とトレーナー政策をよしとしているから、この国は何も、変わらない。
 権力とカネと情報が結びついた恐ろしさを孕んだまま。
 人々はまだ何も、知らない。


  [No.1407] 一朝一夕 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:23:42   49clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



一朝一夕 上



 ミアレシティ南東にのびる4番道路は、パルテール街道とも呼ばれる。
 平らな石畳、丁寧に刈り込まれた生垣、そして黄赤の花々が咲き乱れる花壇のすべてが美しく管理されているこの道路は、カロスの庭園と呼ぶにふさわしい。パールルとタッツーを模したペルルの噴水は清冽な水を湛え、心地よい音を立てて空に虹を架ける。
 朝日さす中、庭園の中を散策でもするように、レイアとセッカはのんびりと南東へ向かって歩いていた。いつもは彼らにそれぞれくっついているヒトカゲとピカチュウも、食料集めにいそしむミツハニーやレディバを二匹で追いかけまわして遊んでいる。
 のどかな、暖かい日だった。
 ところで、大抵の観光客はミアレシティに来ると、この南東の4番道路ではなく南西の5番道路へ向かってしまう。コボクタウンのマナーハウスや、パレの並木道の先にあるパルファム宮殿の観光が特に有名なためだ。
 そういうわけで、そのパルファム宮殿の前庭ともいうべきパルテール街道は、多くはミアレシティやハクダンシティの地元の市民によって楽しまれている。それが早朝となればなおさらだった。
 朝のパルテール街道に見られるのは、散歩をする人、ランニングをする人、ハクダンシティからミアレシティへ通勤通学をする人。人の流れはやはり、大都市ミアレへ向かう動きが大半だ。
 そうした通勤通学の者の流れに逆らって、四つ子の片割れの二人はただただのんびりとハクダンシティを目指す。
 セッカがぼやく。
「ここ、すげぇ綺麗だよなー。とても道路とは思えない」
 レイアが大きな欠伸をする。
「ふあぁ……観光客誘致のためじゃねぇの……ハクダンシティも頑張るよなー、観光客がみーんなコボクに流れっから」
 セッカは、花畑で戯れる数匹のフラベベを目で追っている。
「ハクダン? ここハクダンシティだっけ?」
 レイアは雲の切れ間から差した朝日に目を細める。
「絶対ハクダンが管理してるだろ、ここ……。カロスの町ってのはだいたいどこも観光都市だかんなー。町同士で観光客の取り合いになってんだと……」
「うひゃあ。えげつないなー」
「アサメとかメイスイはぶっちゃけ何もねぇけどな、森の向こうだし。ハクダンは街の美化に努めてるが、ジムやスクールもあってトレーナー育成にも力を入れてんな」
 レイアは特に何も考えず、友人であるところのポケモン協会員たちからいつの間にか吹き込まれていた知識を片割れに披露する。
「ハクダンはポケモンを始めるのに適してる。ジムリーダーのビオラさんも優しいしな。初心者トレーナーの育成の場になった暁には、トレーナーを標的にして観光アピールしてんだと」
「あー、俺もハクダンは好きだぞ」
「街をトレーナーに気に入ってもらえれば、旅をするトレーナーが旅先やホロキャスターなんかでハクダンを持ち上げる。そうすっと、口コミで観光客が増える」
「なるほど」
「ってわけで、地域振興のためにジムを誘致したがる街は多いらしいぞ」
「うん」
「ま、どんだけ初心者トレーナー集めたところで、そのトレーナーはその直後にコボク方面に行って宮殿とかに感動すっから、結局はそっちに観光客とられんだがな……」
「むなしー」
「観光しか産業のねぇほうが悪いんだよ」
 ハクダンシティはトレーナー政策の恩恵を多く受けているのは事実だ。新人トレーナーをターゲットとした人集めに力を入れている街だからである。
 しかし、実はそれだけではない。緑豊かで花々の咲き誇るハクダンは、住みやすい街としてミアレで働き学ぶビジネスパーソンや学生たちを惹きつける。ハクダンはトレーナーのための観光地であると同時に、一般人を対象にした閑静な高級住宅地でもあるのだ。
 先ほどからの南東から北西への人の流れが、それを物語っている。さらに日が高くなればこのパルテール街道はさらに多くの通勤通学者で埋め尽くされるだろう。
 ヒトカゲとピカチュウが、笑いながらトレーナー二人を追い越して走っていく。
 レイアとセッカは並んで歩きながら、それをぼんやりと眺めていた。
「セッカお前さ、観光とかしてんの?」
「え。しないし。トレーナー狩りしてるし。れーやはすんの?」
「そりゃ、有名なとこは一応見るけどよ」
「ふーん。どっかオススメある?」
「え……ミアレのプリズムタワーだろ、コボクのショボンヌ城、パルファム宮殿、コウジン水族館、輝きの洞窟……10番道路の列石だろ、セキタイの変な岩、現身の洞窟、シャラのマスタータワーに……メェール牧場、アズール湾に」
「あ、あ、もういいわ。俺、興味ないわ」
 セッカは頭の後ろで腕を組み、淡泊に首を振った。話を遮られた赤いピアスのレイアは眉を顰める。
「――んだよ! てめぇが言えっつったんだろうが!」
「いやぁ俺、そういう建物とか自然とか、心底どうでもいいわ……」
「んじゃ、てめぇは何に興味あんだよ!」
「食いもんだなー、やっぱなー」
 セッカはのんびりと嘯いた。レイアががっくりと項垂れる。
「……あー、そうだな、お前はそうだったな」
「トキサに奢ってもらったミアレのレストランとか、カフェのクロックムッシュは美味かったなー。ミアレガレットとモーモーミルクも美味かったなー、マジで俺の火傷まで治っちまったしな。あ、シャラサブレも美味かったなー。あー腹減ってきたなー」
 などとは言いつつも、二人はミアレのポケモンセンターで朝食を済ませてきたばかりである。昼時まではまだまだ時間があった。
 セッカは腹を抱えた。溜息をつく。
「はあ……ひもじいなぁ。外食のし過ぎでお金ないし、しばらくノーマルタイプ用ポケモンフーズ生活かぁ……」
「――てめぇいつもそんなモン食ってんの!?」
 レイアが怒鳴る。
 セッカはびくりと肩を縮め、レイアを睨んだ。
「うるさいもん! ポケモンフーズはおいしいもん!」
「そういう問題じゃねぇだろ! 人とポケモンじゃ必要な栄養素は違ぇんだぞ!」
 片割れ同士の二人は立ち止まり、朝からぎゃんぎゃんと正面から喚き合った。
「でも、きのみだけより、よっぽどマシじゃんか!」
「ああああああ頼むからまともなもんを食え!」
「金ないもん!」
「真面目に稼げ!」
「ばんがってるもん! 外食しすぎてお金ないだけだもん!」
「真面目に金稼いでパンとか肉とか野菜とか食えよ! 進化したブースターの炎で加熱とかできるだろうが!」
「あっそうか。瑪瑙がいるのかぁ」
 セッカは能天気にぽんと手を打った。
 現在のセッカの手持ちの中には、イーブイを炎の石で進化させたばかりのブースターがいた。セッカにとっては初めての炎タイプである。
 レイアはセッカの両肩をしっかと掴み、その顔を覗き込んだ。
「いいかセッカ、炎タイプはものすっごく、便利だ。肉に火を通せる。湯も沸かせる。あったかいもんが食える。寒い日はカイロ代わりになる」
「うん! ばんがる!」
「今までのお前の手持ちって、電気にドラゴンに地面にフェアリーか……ほんと燃費の悪い手持ちだな」
「ブースターの炎タイプは、燃費いいの?」
「――いいわけねぇだろ! いいかセッカ、食費浮かしたけりゃ草タイプだ草タイプ! 草タイプは光と水さえありゃ生き延びる!」
 レイアに両肩を掴まれ、そして正面から顔を覗き込まれていたセッカは、瞳を輝かせて大きく頷いた。
「うん! くしゃタイプ!」
「そうだ。草タイプだ」
 レイアも片割れをまっすぐに見据えたまま、大きく頷いた。赤いピアスが揺れる。
 ゆっくりと、穏やかな声になってセッカに言い聞かせた。
「いいなセッカ、お前のもう一匹のイーブイは、草タイプに進化させるぞ」
「うん! くしゃタイプ!」
「リーフィアなら、ブースターとも相性いいだろ。いいか、俺らは20番道路の迷いの森へ行く。まずハクダンへ行って、東の22番道路、21番道路を通って、エイセツシティだ。いいな?」
「おっけ! くしゃたいぷー!」
 セッカは朗らかに笑い、くるりと身を翻してレイアの手から逃れ、南東へとハクダンを目指して走り出した。ピカチュウが元気よく駆け出し、相棒のセッカを追いかける。
 レイアはうまく片割れを焚きつけることに成功し、小さく息を吐いていた。観光の話からなぜ草タイプの話に飛んだのかはレイア自身にもよく分からなかったが、ここぞというタイミングを捉えて馬鹿なセッカをうまく扇動する術に、四つ子の片割れたちは長けている。
 ヒトカゲがぴょこぴょこと走ってきて、レイアの足元に飛びついた。
 レイアも相棒を拾い上げて脇に抱えると、小走りになって片割れを追う。


 それから間もなくレイアとセッカの二人はハクダンに到着し、とりもなおさずポケモンセンターに向かった。
 ハクダンシティの家々は、緑色の瓦で葺かれている。そしてすべての家の扉や窓は、ことごとく美しい花々で飾られていた。
 閑静な高級住宅地である。洒落たカフェも多く、街の中心広場では、ロゼリアを象った噴水がのどかな陽光に煌めいている。
 ハクダンシティの南東に、その街のポケモンセンターはあった。
 新人トレーナーの多く集まるハクダンのポケモンセンターとあって、センター内には年若いトレーナーや小柄なポケモンの姿が多く見られた。ここまでポケモンセンターの利用者に特徴がみられるのも珍しい。
 トレーナーズスクールに通うスクールボーイやスクールガール、高い声の園児たち。そして短パン小僧やミニスカートの姿も多い。いずれもまだ旅に出ておらず、ハクダンでポケモンの基礎を学んでいる最中のトレーナーだ。でなければ、短パンやミニスカートと言った怪我をしやすい格好はしないはずである。
 そういった新人トレーナーの中でも異彩を放っているのが、ホープトレーナーの面々だった。
 彼らホープトレーナーは、旅を始める前からそのバトルの才能に期待され、金銭や物資を給付されている、いわばエリートトレーナー候補生なのだ。白地に青線の入った制服に身を包んだ彼らは、ポケモンの知識が豊富なのはもちろん、他の新人トレーナーに対してもどこか居丈高である。
 ホープトレーナーとして援助を受けられれば、旅の間の金銭面について苦労をすることはほぼない。支給される金銭や物品はおよそ返済の必要がないためだ。国やポケモン協会、そしてエリートトレーナー事務所が総力を挙げてホープトレーナーを支援しているのである。
 四つ子も、ホープトレーナーとして認められていたなら、現在のような苦労はなかっただろう。
 けれど、ホープトレーナーに認定されるには、ポケモンの専門教育を受けられるような学費の高い学校で、好成績を収める必要があるのだ。金銭の乏しい四つ子は、当然そのような学校には入れない。そこに入学するためにさらに奨学金を得る必要が出てくるが、四つ子の養親のウズも、また小難しい手続きについて四つ子を助けているモチヅキも、四つ子のためにそこまですることはなかった。
 そして、四つ子は貧乏な旅暮らしを余儀なくされている。
 そのような事情もあり、四つ子はホープトレーナーが大嫌いである。そして、多くホープトレーナーの中から輩出されるエリートトレーナーも、基本的には大嫌いであった――金銭を惜しまず四つ子に食事を奢ってくれた、彼を除いては。

 そうしたわけで、レイアとセッカの二人は、ホープトレーナー同士で群れている少年少女を無視しつつ、ポケモンセンターのロビーの一角のソファを占領した。
 そしてレイアはモンスターボールからイーブイを二匹、セッカもイーブイとブースターを繰り出した。
 セッカはイーブイとブースターを撫で回す。
「瑪瑙は炎タイプになって、あったかいなぁ。翡翠も待ってろよ、すぐに草タイプに進化させちゃうからなー」
「しゅたぁ?」
「ぷいい?」
 ブースターと緑のリボンのイーブイは首を傾げている。
 レイアは二匹の小さなイーブイを両膝に乗せ、薄色のリボンのイーブイを右手でブラッシングしつつ、桃色のリボンのイーブイには左手でポケじゃらしを操って構ってやる。
「ぷいいー」
「ぷいーっ! ぷいー、ぷいっぷいっぷいっ、ぷやぁぁー!」
 薄色のリボンの真珠はうっとりと目を閉じ、一方で桃色のリボンの珊瑚は興奮してソファの上を走り回る。こうすることにより、真珠を“懐かせ”、珊瑚と“仲良くなる”ことが可能になるらしい。ちなみにレイアに『懐き』と『仲良し』の違いはさっぱり分からない。分からないが、カロスを代表するポケモン博士であるプラターヌ博士の直々の教えには素直に従うほかない。
「……もう既に、つーか生まれた時から、懐いてるし仲良しなんだと思うがな……。真珠はそろそろバトルに日中だけ出すか……。で、珊瑚もフェアリータイプの技を覚えるまで育てて……いや、それまでにエーフィかブラッキーに進化しちまったら困るから……あー」
 レイアは右手でイーブイを撫で回し左手でイーブイに構いつつ、一人でしばらくぶつぶつと呟いた末に、両手を止めて自分の荷袋の中を漁り出した。
 セッカが声をかける。
「れーや? 何やってんの?」
「……『懐き』と『仲良し』は違う…………エーフィに進化させたい奴には道具を使って、ただし漢方薬は与えないように気を付ける……」
 そのように、カロスの誇る大女優にしてカロスリーグの現チャンピオンであるカルネの直々の教えをレイアは復唱した。
 そして、ミアレの漢方薬局で買ったばかりの力の根っこを取り出し、その端を小さくちぎった。
 漢方薬を知らないレイアのイーブイたちは、力の根っこに興味津々である。
 レイアは桃色のリボンのイーブイを見下ろした。
「珊瑚、口を開けな」
「ぷや?」
 信頼するおやに言われて、いとけないイーブイは、その小さな愛らしい口を開いた。
 レイアはすかさず、桃色のリボンのイーブイの小さい口の中に、力の根っこの欠片を押し込んだ。
 たいへん苦い漢方薬を飲み込まされ、泣きながら悶絶するイーブイを、レイアはひたすら抱きしめていた。
「許せ珊瑚……お前が俺に懐かなくなったとしても、俺とお前は仲良しだ……っ!」
「ぷううう、ぷううううー……っ」
「れーや、ひでぇー」
 セッカがけらけらと笑っていた。
 白い制服のホープトレーナーの群れは、そうしたレイアとセッカのイーブイたちとのやり取りや奮闘を、ときに面白がりときに批評しつつ、楽しげに眺めていた。そしてそれぞれホロキャスターを出しては、しきりに何かを入力している。
 ポケモンバトルを他人に見られることに慣れっこのレイアとセッカは、彼らホープトレーナーの視線をひたすら無視した。
 更には機械のことなど何もわからないから、ホープトレーナー達がホロキャスターを使って何をしているかなど、レイアとセッカの知ったことではなかった。


  [No.1408] 一朝一夕 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:25:28   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



一朝一夕 中



 ポケモンセンターのロビーには、様々なものがある。
 旅で疲れたトレーナー達が足を休めるためのソファは幾列にも連なり、広い面積を占めている。低いテーブル、観葉植物、テレビ、新聞や雑誌、パソコン、公衆電話。掲示板には、ポケモンリーグの告知や、ポケモンのための各種コンテストの案内、トレーナー向けの種々の企画の案内やアルバイト情報などが掲げられている。
 しかし、その日の掲示板では、類似するポスターが目立っていた。
 スーツを着込んだ若い男性が、翼を広げたウォーグルと並んで、笑顔でガッツポーズを決めている。そしてその男性の名前が大きい文字で示されている。
 他にも、エネコを上品に抱いて微笑む年配の女性のポスター、貫禄のあるヤドキングを伴った知的な男性のポスター、等々。
 いずれもスーツ姿の人間が、ポケモンと共にポスターに載っている。そして、人間の氏名が大きく書かれている。そうした趣向はいずれのポスターも共通する。
 そのようなポスターが、掲示板を埋め尽くしているのだった。ポケモンの姿のないポスターは、ない。
 セッカはソファに座ったまま、それらの目立つポスターをなんとなく眺めていた。
「トレーナーかな?」
「……ちげぇだろ。選挙だよ」
 レイアが呆れたように口を挟んでくる。セッカは首を傾げた。
「選挙?」
「……お前、行ってねぇ――よな。……俺も選挙行ってねぇわ」
 レイアが小さく溜息をつく。
 この国では現在、十歳で成人とされ、選挙権も持つことになる。
 判断力の十分でない青少年に選挙権を与えることは、ときに危険である。力を持った大人が青少年に、特定の政党への投票を強制し、青少年の権利を害することが考えられるからだ。
 しかし、成年と見なされる以上、選挙権を認めなければ逆に国が権利を奪うことになる。だから十歳以上の国民には、選挙権があった。
 レイアはポスターを見つめている。
「……議員を選ぶんだよ、こいつらの中からな」
「よくわかんない! 俺、政治とか無理!」
「――ですよねぇ」
 レイアはへらりと笑った。トレーナー仲間の間でも、真面目に選挙に行って票を投じているという話はほとんど聞かない。
 そもそも選挙に行ったところで意味はないのだ。なぜなら、現在この国の与党政権――より厳密には、トレーナー政策が崩壊する可能性など、万に一つもないからだ。
 ポケモンセンターの掲示板に掲げられるポスターも、すべてトレーナー政策を一様に掲げる政党の候補者ばかりだ。トレーナー政策に反対するポスターなど、一枚もない。

 それはそうだ。
 トレーナー政策に反対している“反ポケモン派”の野党は、弱い。
 人材的にも、金銭的にも弱い。トレーナー政策に反対するから、そもそもの話、支持層も薄い。更にいうならば、トレーナー政策の恩恵をまさに受けているトレーナーの集まるポケモンセンターに選挙ポスターを掲示したところで、まったくの無意味なのだ。
 逆に与党は、強すぎた。
 この国のほとんどの人間は、与党のトレーナー政策を歓迎している。つまり万人からの支持を受けているのだ。
 今や、政権を握ろうとする政党は、“反ポケモン派”の政党を除いては、こぞってトレーナー政策を支持するようになっている。それだけトレーナー政策の支持は厚い。
 もちろんトレーナー育成以外にも、国家のとるべき政策は山積している。各政党が争うのは、ほとんどトレーナー政策以外の争点となってしまっている。どの政党を選んだところで、トレーナー政策自体は変わることがない。
 即ち、トレーナー政策の恩恵を受けているトレーナーとしては、どの政党が勝利しようが、どうでもいいのだ。
 だからトレーナーは選挙に行かない。

 レイアはセッカの隣で肩を竦めた。
「ま、どうせ選挙とかお前、行く気ねぇだろ?」
「ないなぁ。……なあレイア、どの人が好き? ポケモンでもいいけど」
 セッカはポスターをまじまじと眺めていた。旅の中でこのようなポスターは幾度も見てきたはずだが、改めてじっくりと眺めてみると、なかなかうまく撮られたいい写真ばかりである。
「なんか、鳥ポケモンとか格闘タイプとか多くね?」
「タイプやポケモンごとのイメージってのがあるからな。知的な奴はエスパータイプ、行動力が取り柄の奴は格闘タイプ、爽やかなイメージの若手は飛行タイプ、ぶっちゃけ顔で売ってる女はフェアリータイプ、ベテランだとドラゴンタイプとかな……」
「へえ」
「逆に、悪タイプとか毒タイプとかゴーストタイプとかと一緒に写ってる奴はいねぇだろ」
「確かに、怖い感じするしな」
 セッカはレイアの講義を聞きながら、ポスターを順に眺めていった。
 そして、一つの与党のポスターに目を留めた。
「あ、この人、美人だわ」
「あ?」
「これこれ。ロズレイドとシュシュプ連れてる、このお姉さん」
 セッカはソファから立ち上がり、そのポスターを指し示した。
 茶髪を短く切り、眼鏡をかけた、真面目そうながら美人の女性だった。真っ赤な口紅、大ぶりの金色のイヤリング。
 見事なロズレイドと背中合わせに、凛々しい立ち姿だった。さりげなくシュシュプを伴っている。
 レイアはそのポスターを見て、一言評した。
「貴族趣味だな」
「ほげぇ?」
 セッカは間抜けな声を出した。レイアが肩を竦める。
「ロズレイドとか、光の石なんてどんだけ貴重だと……。極めつけはこのシュシュプだ。シュシュプだぞお前。いったいいつの貴族だっての……」
 そう呆れたように言い捨てる。
 しかしセッカには光の石の貴重さも、シュシュプを連れていることの意味も分からなかった。分からなかったが、片割れには同調してうんうんと頷いておいた。
 そうしたら、セッカはレイアにデコピンをお見舞いされた。
「分かったふりすんな」
「むぎゅう」
「確かに美人だが、俺は気に入らねぇ。……ローザ、っつーのか……」
「れーやが美人を嫌うなんて、超珍しい! あ、でもそのくせ名前を確認してるってことは、やっぱ気になってるわけ?」
「うっせ黙れこの」
「むみぃ!」
 レイアはセッカの頭をぐりぐりした。
 セッカは笑顔でえへえへ言っていた。



 そのまま二人はポケモンセンターで昼食をとり、東の22番道路、デトルネ通りに向かう。
 ヒトカゲとピカチュウはハクダンシティまでの道中で遊び疲れ、今やそれぞれの相棒にくっついて、二人の移動するままに任せていた。
 レイアは小さなイーブイ二匹を出し、草むらの野生のポケモンたちと戦わせた。尻尾を振ってから体当たり、という単調なバトルを何度も繰り返し、やがてイーブイたちが砂かけの技を習得したところでレイアは二匹をボールに戻して休息をとらせる。
 ここ22番道路は、新人トレーナーの修行場でもある。チャンピオンロードから下山してきたベテラントレーナーやエリートトレーナーとの交流の機会もあって、そうした先輩トレーナーから様々なことを教わりつつ、新人トレーナー同士で腕を磨き合い、そうしていずれはハクダンジムに挑むことになるのだ。
 四つ子もかつてはこの道を通った。
 四つ子は独学ながら、旅立つ前にポケモンの鍛え方についてある程度の準備はしていた。そのためこのハクダン周辺で世話になった期間は短かったが、ひたすら自分と同じような新人トレーナーとのバトルに明け暮れ、金銭のやりくりに窮したかつての日々は懐かしく思い出される。

 そうしてチャンピオンロードへとつながる、バッジチェックゲートにレイアとセッカが差し掛かったところだった。かの場所を守るエリートトレーナーが二人を呼び止めた。
「待て。今は通行止めだ」
「バッジなら八つあるっつの……通せよ」
 ヒトカゲを脇に抱えたレイアが、エリートトレーナーを睨んで低く唸る。そしてバッジを一つしか所持していないセッカも、片割れに便乗してうんうんと頷いた。
 しかしそのエリートトレーナーは慌てたように両手を振り、弁明した。
「……い、いや、だめだ、21番道路のデルニエ通りは今、落石で道が塞がれているんだ。ポケモン協会の方が今、ホルードで岩の撤去作業中だ」
「ポケモン協会? またおっさんかな?」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカが呑気に首を傾げる。レイアが首を振った。
「いや、ねぇだろ。おっさんもルシェドウもホルードは持ってな…………あ」
 レイアが21番道路方面を見つめたまま、硬直した。その脇に抱えられたヒトカゲがもぞもぞと動き、そちらを見ようと足掻く。
 セッカは肩の上のピカチュウごと、びくりと肩を跳ねさせた。
「ぴゃあ。しゃくやは、いません!」
「尋ねておらぬ。……そのルシェドウだかロフェッカだかも、ここにはおらぬ」
「こっちこそ、なんにも、訊いてねぇがな」
 レイアは苦々しげに吐き捨てた。
 セッカも心なしかびくびくしつつ、レイアの陰に隠れる。
 黒衣に身を包んだ、黒髪のモチヅキが、相変わらずの仏頂面で二人を見下ろしていた。

 モチヅキは無言である。
 レイアはますます顔を顰めた。
「……どーも、フウジョタウン以来じゃねぇですか」
「左様」
「……サクヤなら、フウジョタウン行ったぞ」
「何故」
「……あ――ああああああうっぜぇ! やっぱうぜぇわこいつ! グレイシアだよ! イーブイを進化させるために凍り付いた岩探しに、モチヅキ様の可愛い可愛いサクヤちゃんはフロストケイブに行きました! 以上!」
「また、フロストケイブ、だと?」
 モチヅキが剣呑に目を細める。
 レイアは赤いピアスをちりちり鳴らしながら怒鳴った。
「あーそうですよ止めませんでしたよ! なあ、あいつもガキじゃねぇんだよ! しかも今はキョウキも一緒ですしぃ! モチヅキ様様がご心配することはなんもねぇよ!」
「キョウキ、だと?」
 その名を聞いたモチヅキは、ますます眉を顰めた。
 レイアは大きく溜息をついた。
 呆れたように顔を歪め、言い捨てる。
「……あんたさ。キョウキのこと、嫌いだね?」
「あれは特に好かぬ」
 モチヅキは鼻を鳴らした。レイアはますます笑った。
「で、サクヤのことは特に好いてらっしゃるってわけだ?」
「そうとは申しておらぬ」
「――申してなかろうが仰ってなかろうが態度でバレバレなんだよ!!」
 レイアは喚いた。ああ、と嘆いて頭を抱える。
「マジで何なの。なんでこいつ、会うたんびにますますサクヤのこと好きになってんの? もう結婚すれば!?」
 そこにセッカが呑気に口を挟んだ。
「えっ、しゃくやとモチヅキさん、結婚すんの?」
「うるせぇよ黙れよセッカァ! 誰が、あいつを、こんな奴に!」
「れーやってほんとブラコンだよなぁ……」
「そなたら、男兄弟だったのか? 姉妹ではなく?」
「ちょっと黙っててくれませんかねぇ!」
 レイアは吼えた。セッカの頭を腕に引っかけ、ぴいぴいと泣き騒ぐセッカを引きずってモチヅキから遠ざかり、バッジチェックゲートの隅に寄る。
「……おいセッカ、お前、もうモチヅキの前でサクヤの話はすんな。キョウキの話もするな」
 ヘッドロックを決められているセッカは、呑気に尋ねる。
「なんで?」
「てめぇは本物の馬鹿か! めんどくせぇからに決まってんだろうが! もうやだあいつ、口を開けばサクヤサクヤサクヤ。キョウキに関してはもはや名前を耳にしただけでブチ切れやがる!」
「なんでモチヅキさん、きょっきょのこと嫌いなんすか?」
 セッカは能天気に、当のモチヅキにそのまま話題を振った。そしてますますレイアに締め上げられた。
 モチヅキは不機嫌そうな表情をそのままに、レイアとセッカを見つめていた。
「あれは性根が腐っている」
「きょっきょはいい奴ですよ。きょっきょの仮面を三回剥がしたら、しゃくやみたいなツンデレになるんですよう!」
「あれは悪意の塊だ」
「違うっす! きょっきょは俺らを守ってくれてんですよ! 俺らが馬鹿だから!」
 セッカはぴゃあぴゃあと叫び、キョウキを擁護した。
「きょっきょはそりゃ怖いけど、いい奴なんすよ! 俺ら四つ子は心は一つ! だから、きょっきょのこと、嫌いにならないであげてくださいよぉ……」
「私は、あれに次いで、そなたが気に食わぬ」
 モチヅキの不機嫌そうな声音に、セッカは目を見開いた。
「えっ、じゃあモチヅキさん、……しゃくやの次に、れーやのことが好きなんすか!?」
「えっ、マジで!? なんで!? どこをどうしたらそうなんだよ説明しろやモチヅキ!」
 モチヅキはひたすら不機嫌そうに二人を見下ろしていた。
 レイアとセッカの二人は、モチヅキの趣味趣向についてひどく混乱していた。
「えっ、俺、マジで分かんねぇ。なんで? モチヅキのやつ、サクヤが好みなら、なんで次点が俺なわけ?」
「頭いいからじゃねぇの? ん、でも、れーやよりきょっきょの方が賢いしなぁ。ていうか、きょっきょはしゃくやより賢いぞ?」
「つまり賢さは基準じゃねぇんだ。……なんだ? 電波なとこか? モチヅキはツンデレが好みなのか? ――俺のどこが電波でツンデレだ!」
「いい加減にしろ」
 モチヅキはとうとう鼻を鳴らし、一人でハクダンシティの方面に歩いていった。
 レイアとセッカは慌ててモチヅキに追いすがった。
「おい待て、てめぇ、俺のどこが好きなんだよ!」
「好いても嫌ってもおらぬ」
 モチヅキは振り返らなかった。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカが鼻息を荒くする。
「マジすか! じゃあモチヅキさん、俺のどこが駄目なんすか!」
「愚かなところだ」
「頭悪いって意味かよ!」
 ヒトカゲを抱えたレイアが早足でモチヅキを追いつつ吐き捨てると、セッカはショックを受けた。
「ひどい! じゃあ、なんでモチヅキさんは、きょっきょのことは嫌いなんすか!?」
「下衆な点が」
「だから、きょっきょは下衆じゃないもんっ」
 セッカは涙目になりつつも、早足のモチヅキを追いかける。
 レイアが息を切らしながら、最後に尋ねた。
「じゃあ、サクヤの、どこがいいんだよ!?」
「素直なところが」
 モチヅキは素直に返答した。
 レイアとセッカは、立ち止まった。デトルネ通りに立ち尽くした。
 モチヅキは凄まじい早足で、ハクダンシティに入っていった。二人はその後姿を見つめていた。
 モチヅキの姿が見えなくなった。
 レイアとセッカは視線を交わした。
「誘導尋問」
「――大成功!」
 そして二人はげらげら笑い出した。ヒトカゲとピカチュウは不思議そうにしている。
「ぎゃっははははサクヤが素直だぁ? サクヤが素直なのはてめぇに対してだけじゃねぇよ!」
「サクヤなんてツンデレすぎて、ツンツンしてる時点で俺らにとっちゃデレも同然だもんな!」
 レイアとセッカはハイタッチする。とても仲良しである。
「もうさ、今度あいつに会ったらサクヤの物真似してやろうぜ」
「そうしよそうしよ。よっしゃ、モチヅキさん捜そう、れーや!」
「行くかセッカ!」
 そして二人は意気揚々と、ハクダンシティに舞い戻った。


  [No.1409] 一朝一夕 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:28:05   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



一朝一夕 下



 日は高く昇りつつあった。
 迷いの森を目指すという当初の目的はどこへやら、レイアとセッカは、黒衣のモチヅキをハクダンシティの中で捜している。
 そうしてハクダンの中央広場から聞こえてきた大音量に、二人は同時に首を竦めた。
『ハクダンシティの皆様、こんにちは! 与党候補のローザ、ローザでございます!』
 スピーカーによって拡大された音声が、ポケモンセンターのあたりからでもよく聞き取れる。
 セッカは、耳を押さえるピカチュウを支えつつ、あ、と声を上げた。
「れーや、ローザってあれだよ、さっきのロズレイドとシュシュプの人だよ! ポスター!」
「あー……貴族趣味……」
 レイアも小さく頷く。そしてセッカと視線を交わした。
 大音声は続く。
『本日は、次回の選挙に向けまして、この場をお借りして、皆様に、わたくしローザからのご約束を、述べさせていただきます! ぜひとも、ローザ、ローザをよろしくお願いいたします!』
 一言一言を区切ってゆっくりと話される。聞こうとしなくても勝手に耳に入ってくる言葉だった。
 セッカはちらりとレイアを見やった。
「なあなあれーや、美人さん見ていく? 見ていく?」
「え……いや、別にいらねぇよ、うるさいし……」
「――あ、モチヅキさん見っけ!」
 セッカが明るい声を発し、その示す方向にレイアが首を伸ばすと、モチヅキは当の中央広場にいた。

 ハクダンの中央広場にそびえる、ロゼリアを模した噴水。その噴水の一辺を陣取り、政治家による街頭演説が始められていた。
 マイクを手にする女性は、短い茶髪、メガネ、真っ赤な口紅、大ぶりの金のイヤリング。薄紅色のスーツを着込み、そして傍らにはロズレイドとシュシュプを伴っている。
『本日は、わたくしの大切な仲間である、ロズレイドと、シュシュプを、連れて参りました。この子たちは、わたくしと共に旅をした、大切な相棒です。わたくし、バトルシャトーでも侯爵、すなわちマーショネスの爵位を、持っております!』
 朗々と演説を行うローザの周囲には、聴衆が集まってきていた。

 そしてその聴衆に混じるとはいかないが、中央広場に面するカフェのテラス席に、長い黒髪を三つ編みにしたモチヅキが腰かけている。
 モチヅキはテーブルに頬杖を突き、件の胡散臭そうな目つきでローザの演説を眺めているのだった。
『わたくしもかつては、トレーナーとして旅をし、傍にいてくれるポケモンたちや、トレーナーを支えてくださる、多くの方々の親切なおもてなしに、いたく感動をいたしました。ですので、今度は、わたくしが、若きトレーナーの皆さまを、お支えしたいと、思います!』
 ローザが言葉を切ると、傍らに立っていたロズレイドが花咲く腕を振り、薄紅色の花吹雪を華麗に巻き起こした。
 拍手が起こる。
 ありがとうございます、とローザの声が繰り返す。
 レイアとセッカはモチヅキの方へ歩み寄りつつ、それを見ていた。
「すっげぇ!」
「ポケモンコンテストかよ」
レイアが苦々しげに囁く。セッカが鼻をひくつかせる。
「いいにおいだな。シュシュプかな?」
「……おいモチヅキ、これも全部あの女のパフォーマンスか?」
 レイアがぞんざいに声をかけると、モチヅキはじろりと視線だけを二人に寄越した。そしてすぐに演説するローザに視線を戻し、その演説の声と噴水の音に紛れてしまいそうな低い声で囁いた。
「……あの女のパフォーマンスに決まっておろうが」
「この匂いもか?」
「嗅覚は記憶と密接だ。香りを振りまき、印象付ける……政治家としては利口なポケモンの利用法であろう」
 噴水広場では、ローザのロズレイドが優雅に一礼していた。一般人だけでなく、その美しいロズレイドと芳香を放つシュシュプに惹かれてポケモントレーナー達もローザの周りに集まってきている。
 ローザのロズレイドとシュシュプは、実際によく育てられていた。戦い慣れた身のこなしをしていることが、やはり戦い慣れたレイアやセッカには分かる。
 ローザは両手でマイクを包み、そして聴衆の一人一人と視線を合わせて語りかける。
『わたくし、ポケモントレーナーの育成を、第一に考えております。才能あるトレーナーの、育成。これは後々、産業の発展に、大きく貢献します。具体的には、優れたトレーナーが、頭の良いポケモンを、育成しますと、このポケモンは、新たな技術の開発に、携わることもできます。人をはるかに超えた、ポケモンの知能を、こうした研究分野にも、応用することで、産業発展は、加速します!』
「一般人向けの演説だ」
 モチヅキが淡々と言葉を挟む。
『優れたポケモンが、国を発展させます! 景気が向上し、かつ暮らしを豊かに、より安全なものにいたします! ポケモンは、我々の生活に、なくてはならない存在です!』
 レイアとセッカは、ぼんやりとローザの街頭演説を聞いていた。
 曰く、ポケモンの育成は重要だ。そのポケモンを鍛えるトレーナーの育成が、国家にとって最重要事項である。具体的には、すべてのポケモントレーナーについて毎月3万円の金銭給付を行い、トレーナーがよりポケモンを育てやすくなるように、トレーナーの生活をより手厚く保障していく。云々。
「さんまんえん!」
 それを聞いて、セッカはぴゃあと跳び上がった。ピカチュウもよく分からないながら、上機嫌に鳴いている。
 ローザを取り囲んでいた聴衆の中で、トレーナーは盛んに拍手している。
 ヒトカゲを抱えたレイアは、ちらりとモチヅキを窺った。
 頬杖をついたモチヅキは、じろりとレイアを睨んだ。
「何か?」
「え、いや……あんた、あれ、どう思う?」
「月々三万の給付のことか。どこからそのような金をひねり出すか、聞きたいものだ」
 モチヅキは軽く鼻で笑っている。
「そなたらにとっては良い知らせであろうが。あの女に投票してはどうだ?」
「……いや……なんで」
「何が給付だ。所詮ただの人気取りに過ぎぬ。……無知な若いトレーナーに付け込んで票を狙う者が、近年増えた」
 モチヅキは感情のこもらない声でそう言い捨て、席から立ち上がる。そのまま立ち去った。



 21番道路へのゲートが封鎖されているということで、レイアとセッカもハクダンシティで足止めを食らうほかなかった。仕方なくポケモンセンターに部屋をとり、手持ちのポケモンの特訓に繰り出す。
 手っ取り早い方法は、ハクダンジムに行くことだ。
 レイアもセッカも既に、ハクダンジムのジムリーダーであるビオラには勝利し、バグバッジを手に入れている。しかしかといって、その後ジムに出入り禁止となるわけではない。ジムはトレーナーの修行の場だ。トレーナーとバトルし、ポケモンを鍛えつつ、そして賞金を稼ぐにはうってつけの場所である。
「どーも」
「こんちは」
 レイアとセッカがそれぞれ六匹の手持ちを連れてハクダンジムに入ると、休憩していたジムトレーナー達の注目を集めた。初心者向けのジムであることもあって、まだまだ初々しそうな短パン小僧やミニスカートが多い。
「ビオラさん、いる? ジムリーダーに稽古つけてほしいんすけど。賞金ありのバトル」
 セッカが彼らに声をかけると、ミニスカートが走ってジムの奥に走っていった。
 間もなく、肩からカメラを提げ、ブロンドをバレッタで留めた女性が、ジムの奥から走ってでてきた。

「はいはいはい! お待たせしましたー……って、四つ子ちゃんじゃない! ……の中の二人? だよね?」
 ビオラは朗らかに笑いながら、レイアとセッカの前まで歩み寄る。レイアとヒトカゲ、セッカとピカチュウもビオラに挨拶した。
「どうも、ご無沙汰してるっす」
「ども!」
「双子のイーブイの記事見たよー! あと姉さんから聞いたわ、君たち爵位持ってないって? もったいないなぁ、あたし推薦するよ!」
 ビオラはにこにこと笑いつつさっそくファインダーを覗き込み、レイアとヒトカゲとセッカとピカチュウの写真をぱしゃぱしゃと数枚撮った。レイアとセッカは一枚目を撮られるや否や、真顔になった。
 ビオラが頬を膨らます。
「こら、もう、笑ってったらー。……むー。君ら写真嫌いなわけ? 姉さんの記事ではいい顔してたのにさぁ!」
「……なんかパシャパシャ鳴ったり、光ったりすると、身構えるっつーか……」
「んーうんうん慣れだよ慣れ! さ、バトルでしょ、ポケモン出して出して! シングル? ダブル? トリプル? ローテーション? それともマルチ?」
 そう自信ありげに微笑むビオラは、つまりどのルールのバトルでもレイアやセッカと渡り合えるほどのパーティを用意してきたのだ。
 レイアとセッカは一瞬だけ顔を見合わせた。
「せっかくなんで、俺ら二人でダブルで。ビオラさんの方はお一人でもお二人でも」
「オッケー! じゃあ私一人でやったろうかな!」
 ビオラは笑いながらリストバンドを直した。そして、セッカとレイアがそれぞれボールを構えると、ビオラは待ち構えていたかのようにカメラを手にして、写真を撮りまくる。
「ぎゃあー!」
「うわっ」
「うん、いいんじゃない、いいんじゃないの! 強くなったんだよね、四つ子ちゃん! じゃあ前とは違うとこ、見せてもらおうかしら!」
 ビオラはボールを二つ手に取ると、同時にそれらを高く投げ上げた。
「シャッターチャンスを狙うように、勝利を狙っていくんだから! アメモース、ビビヨン!」
「行くぞ、アギト」
「がんばれ、真珠」
 そしてセッカはガブリアスを出した。
 レイアは、薄色のリボンを耳に巻いた、小さなイーブイを出した。

 小さなイーブイを、ジムリーダーとのバトルの場に出した。

 小さなイーブイが、てちてちと細い足で、おっかなびっくりといった様子でバトルの場に立った。
 あら、とビオラが表情を崩す。
 セッカは顎を落とし、そして赤いピアスの片割れに詰め寄った。
「なんで!? ねえなんで!!?」
「サポート頼むぞ、セッカ。とりあえずアギトに地震撃たせたら、シメる」
「ダブルじゃ撃たないけども! ねえ、なんでイーブイなの!? どうして!!?」
 セッカは涙目になるも、レイアはどこ吹く風である。
 ビオラが笑顔でパシャパシャと小さなイーブイの写真を撮ると、イーブイはとうとう足をぷるぷると震わせた。
 大勢のジムトレーナーの注目を集めていることもあるし、また目の前の二体の蝶形のポケモンはえもいわれず恐ろしい。花園の模様のビビヨンの羽ばたきはイーブイにとって十分威圧的であったし、何よりアメモースの目玉模様の触角にイーブイは怯え切っている。
 セッカは絶叫する。
「――ほらぁっ、ろくに立てもしないじゃあああんっ」
「ようし、そろそろ始めましょ! アメモース、銀色の風! ビビヨンは蝶の舞!」
「真珠、手助け!」
「ああもうっ、アギト、真珠を庇って! ストーンエッジ!」
 ビオラがいち早くアメモースとビビヨンに指示を飛ばす。二体の虫ポケモンは宙を華麗に舞い、そしてアメモースは鱗粉を乗せた暴風を巻き起こした。
 セッカのガブリアスが、レイアのイーブイの前に立ちはだかる。銀の突風からその巨躯でイーブイを庇った。
 そのガブリアスの尻尾に飛びつくように、イーブイが手助けの力を流し込む。ひどく緊張はしていたが、レイアの声に励まされてどうにか動けたというところであった。
 ガブリアスが跳躍する。その尻尾に、イーブイが吹っ飛ばされてころころ転がる。
「ビビヨン、シャッターチャンス!」
 ビオラが鋭く叫んだ。
 花園の模様のビビヨンが、暴風を巻き起こす。ガブリアスをその複眼で捉え、押し戻す。
 しかし、イーブイの力を得たガブリアスは、暴風に吹き飛ばされつつも怯むことなく岩を生み出し、黄金の瞳で敵を見定めると、風速や敵の動きを読んで岩を打ち出した。
 数多の尖った岩が、アメモースを巻き込みつつ、ビビヨンをも吹き飛ばす。
 ビオラが唖然とした。
「……あ……っと、暴風の中でそんな」
「真珠、尻尾でも振っとけ」
「アギトまだだぞ、ドラゴンクロー!」
 レイアはイーブイの緊張を解すためにも適当な指示を下し、セッカは油断なくガブリアスに追撃を命じる。
「――アメモース、冷凍ビームよ!」
 地に着き、再び大きく跳躍したガブリアスに、体勢を立て直したアメモースが照準を合わせている。
 ガブリアスが早いか、アメモースが早いか。
「ビビヨン、イーブイにフォーカス! サイケ光線!」
 ビオラはアメモースを信じ、もう一方で体勢を整えていたビビヨンに攻撃を命じる。
「砂かけ」
 小さなイーブイが硬直する間もなく、レイアは短く、しかしはっきりと指示を下した。
 イーブイは死に物狂いで、後ろ足で砂を巻き上げた。砂煙がもうもうと立ち上る。
 一方では、アメモースの放った強い冷気が、ガブリアスを飲み込む。
 ビビヨンの複眼が、砂煙の中にイーブイを一瞬見失う。
 凍り付きながらも、ガブリアスの跳躍の勢いは止まなかった。
 イーブイはとうとうへたり込む。
 ガブリアスが宙のアメモースを叩き落とし、自身が地に下りる勢いでビビヨンを爪にかけ、そして地に叩き付けた。


 二体の蝶形のポケモンは、地に伏し目を回している。
 ああ、とビオラが息をついた。小さく項垂れる。
「…………あたしの負け、か。……お疲れさま、アメモース、ビビヨン」
 そしてレイアとセッカも、大きく息をついた。
「ああ、あっぶねー……!」
「ほんと、やばかった……!」
 体の大半を氷漬けにしながらも、ガブリアスがのしのしとセッカの傍に戻ってくる。セッカはガブリアスの鮫肌も気にせず、飛びついた。しかしさすがにピカチュウはセッカの肩から飛び降りた。
「アギト、かっこいいよー! ほんと大好き!」
「ぐるるるる」
「お疲れさん、真珠」
 薄色のリボンのイーブイは、まだフィールド上でぺたりと座り込んでいた。それにレイアが近づき、ひょいと両手で背後から抱え上げる。
 くるりと小さなイーブイを反対向きにし、正面から向き合った。レイアは笑顔を浮かべてやる。
「真珠、いいバトルだったぞ。よくやった。この調子で頼むな」
「……ぷい!」
 小さなイーブイが笑顔になり、小さく頷く。
 そしてその小さな体が、レイアの手の中で白い光を放ちだした。
「あ――」
「進化だぁ!」
 セッカが笑顔で叫ぶ。ビオラが息を呑んでカメラを構え、シャッターを切る。
 レイアの手の中の温かく柔らかい感触は、光に包まれ、変わらないような、分からないような。ただ輝く影は形を変え、ハクダンジムの天窓から射す光を吸収した。
 そして真珠は、エーフィに姿を変えた。
「……ふぃい?」
「…………おお」
 レイアは嘆息した。
 ビオラが笑顔で拍手をすると、ハクダンジムのトレーナー達もそれに倣って拍手し、進化を称える。
セッカがガブリアスの腕の中で飛び跳ねて喜ぶ。
「エーフィだ! どうれーや、ふわふわ? ふにふに?」
「ふわふわ……だ……」
 エーフィの毛並みは、朝の東雲のような薄紫色である。額には太陽を思わせる赤い結晶。濃紫の瞳は神秘的に深く透き通っている。
「…………うおお……おめでとう、真珠」
「ふぃいい?」
 エーフィは暫く、長く細く伸びた自分の尻尾をゆらゆらと振って首を傾げていたが、やがてレイアの胸に頭をこすりつけた。
 セッカも、ビオラも笑顔になる。
「やったーっ!」
「おめでとう、レイア君! あたし、エーフィに進化するとこ初めて見たわ!」
 ビオラは胸元でカメラを大切そうに抱える。
「今日は来てくれてありがと。いい写真がいっぱい撮れて、すっごくよかった! あなたたち、ポケモンたちともサイコーのコンビだし、あなたたち二人もサイコーのコンビだよね!」
 レイアとエーフィ、セッカとガブリアスは照れたように笑う。その表情をすかさずビオラはカメラに収めた。
「今日は負けちゃったけど、次は四つ子ちゃんのコンビに負けないようバトルの腕を磨いてるわ。バトルシャトーにもぜひ寄ってね!」
「うす」
「ありがとーございます!」
「はい、二人に賞金。シャトーでもいいけど、絶対にまたバトルしてよね! もうすっごく悔しいんだから!」
 ビオラはレイアとセッカに笑いかけると、レイアの腕の中のエーフィに小さく手を振った。
「おめでとね、エーフィちゃん。じゃあ四つ子ちゃん、次までには写真に慣れておいてよね! 元気で!」
 レイアとセッカはビオラに会釈し、ジムから出ようとした。
 しかし踵を返したところで、一人分の拍手が鳴り響いた。
 二人は目を点にする。

 ハクダンジムの入り口近くに立っていたのは、噴水広場で演説を行っていた女性政治家、ローザだった。ロズレイドとシュシュプを連れている。
 シュシュプの芳香が辺りに漂う。
 ローザはコツコツと靴音を響かせながら、笑顔でレイアの前に立った。ヒールのある靴を履いているせいかもしれないが、背の高い女性だった。
「先ほどのバトル、最後だけでしたが見ていましたよ。小さなイーブイも強敵を相手に素晴らしい健闘ぶりで、さらにはエーフィへの進化。本当におめでとうございます」
「あ……どうも」
 レイアは気まずげに応える。てっきり、エーフィへの進化の祝福は先ほどひと段落ついたとばかり思っていたのだ。
 ローザは政治家らしく、よく通るしっかりとした声をしていた。
「わたくし、政治家をしております、ローザと申します。エーフィへの進化をお祝いして、わたくしからもほんの気持ちです。どうぞ受け取ってください」
 短い茶髪の女性はそう言うと、手にしていたバッグから封筒を取り出した。レイアが何気なくそれを受け取ると、それは随分な厚みがある。
 レイアが奇妙な顔になる。レイアの足元にいたヒトカゲが、不思議そうにレイアを見上げてきゅうきゅう鳴いた。レイアはしゃがんでヒトカゲも片手で抱き上げる。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカも、それを覗き込んだ。息を呑み、唾をごくりと飲み込む。
「……まさか……お金?」
「セッカ……!」
 両腕にヒトカゲとエーフィを抱えたレイアが眉を顰めて諌めるが、ローザは小声で笑った。
「ええ、ほんの気持ちです。素晴らしいバトルでした。よかったらポケモンセンターまでご一緒しても構いませんか? 才能あるトレーナーさん」
 ローザは眼鏡の奥で、美しい笑みを湛えていた。



 レイアとセッカ、そしてローザはポケモンセンターの食堂で、夕食を共にした。
 そしてローザはまずセッカに向かって頭を下げた。
「ピカチュウを連れた貴方は、セッカさん、ですね。妹が無礼をしました」
「へ?」
 セッカはぽかんとして首を傾げる。レイアも何事かと目を白黒させている。
 するとローザは苦笑した。
「ショウヨウシティの、セーラを覚えておいでですか? わたくしの妹です」
「え? ええっ!? セーラのお姉さんっすか!!?」
「はい、セーラの姉です」
 ローザがにこりと微笑む。
 セッカは一人でぴゃああと騒ぎだし、レイアがその頭を小突いた。
「おいてめぇ、説明しろや」
「ああうん、セーラはね、セーラは……うん、好敵手……かな」
「は?」
「俺はセーラを認めてはいる!」
 セッカはガッツポーズを作った。食卓にあることも忘れて語る。
「奴とは自転車や10万ボルトやビンタや罵詈雑言、そして痴漢逮捕、ジャージの上着……によって語り合った、因縁の間柄だよ」
「んだよセッカお前、セクハラしたのか?」
「してないもん!」
 セッカがぴゃあと叫ぶ。喧嘩の始まりそうなレイアとセッカの間に、ローザが割って入った。
「ええ、セッカさんの仰ったことは真実です。セッカさん、セーラは深く反省していました。どうか妹をお許しください」
「え、いや、まあ過ぎたことっつーか」
 セッカは頷き、その件については気にしていない意を示した。
 レイアが軽く首を傾げる。
「ああ、じゃああんた、それでセッカのこと捜してたわけだ? この金にセッカへの謝礼も含まれてる?」
「いえ。こちらはセッカさんと話をしてから、お渡ししようと考えていました。遅くなってすみません。どうぞ、セッカさん」
 そしてローザは、セッカにもレイアと同様の厚みを持った封筒を差し出したのである。
 セッカは唖然とした。
「……え?」
「妹が、大変ご迷惑をおかけしました」
「え、だから、いいって……」
 セッカが突然降ってわいた大金に戸惑っていると、ローザは話題を変えてしまった。
「エイセツシティ方面へのゲートが封鎖されているそうですね?」
「あ、そうっす。落石だそうで、俺らも足止め食らってて……」
 レイアがそう相槌を打つと、ローザは溜息をついた。
「……そうですか。実は、わたくし、とあるホープトレーナーとこの街で待ち合わせをしていまして。そのホープトレーナーがエイセツシティの方から来る予定で。このままだと……」
 ローザは苦笑していた。セッカは無頓着に疑問を投げた。
「ローザさんは、トレーナーと仲良し?」
「そうですね。そのトレーナーは、両親に見放されてしまったのです。なので、わたくしが後援しているエリートトレーナー事務所に掛け合い、ホープトレーナーとして援助を受けられるよう働きかけた子でして……」
 セッカは既にローザの話についていけなくなっていた。
 レイアが溜息をつく。
「つまり、ローザさんが面倒を見ているホープトレーナーが、このままではハクダンに来れねぇ、と」
「そうなのです。しかもあの子、今時ホロキャスターも持たない……というか、持たせてもすぐ壊してしまいまして、連絡も取れません。……21番道路の落石に、巻き込まれていなければいいのですが」
 レイアとセッカは、今時のトレーナーはホロキャスターを所持するのが当たり前であるらしいことにショックを受けていた。古風な養親に育てられたためか、どうにも四つ子は世間知らずな部分があって、旅先でたびたび困惑することがある。
 しばらく三人は、黙って夕食を口に運んでいた。
 ローザは、ほぼ見ず知らずの相手にもポンと大金を渡せるような人間だった。そのような人間に支援してもらい、さらにはホープトレーナーに認定してもらえるなど、幸運の極みだろう。
 レイアもセッカも、そのホープトレーナーが妬ましかった。
 四つ子も、両親から見放されたようなものだ。養親のウズや、細々としたことについて面倒を見てくれるモチヅキはいても、この二人は四つ子に肉親の愛情を注いでくれることはない。四つ子に、厳しく貧しい旅の暮らしを強いているのだ。
 同じ見放された子供の中にも、不平等は存在する。
 そのことが、レイアとセッカには辛かった。ローザから何気なく受け取った大金が重かった。

 しかし、二人がシンクロして気落ちしかけていたときである。
「あら?」
 ローザが腰を浮かせた。
 レイアとセッカも顔を上げる。
 ポケモンセンターの食堂に、少年がのろのろと入ってくる。
 赤髪。褐色の肌。水色の瞳。裸の上半身にホープトレーナーの制服を申し訳程度に引っかけ、裾の広いズボンはボロボロである。
 びくりと、レイアとセッカの二人は同時に肩を揺らした。
 深紅のアブソルのねじくれた鎌が、二人の脳裏によぎる。
 ローザが赤髪の少年に近づき、明るく声をかけた。
「よかった、――リュカ」
「ああ?」
 リュカ――榴火はのんびりと首を巡らせた。顔を上げ、ローザを凝視した。そしてヒトカゲとピカチュウをそれぞれ膝に乗せた互いにそっくりな二人のトレーナーを認めると、彼は目を閉じた。
 そのまま何も言わず、くるりと振り返って食堂からさっさと出ていった。
 それだけだった。
「どうしたの、リュカ」
 ローザが心配そうな声音で、少年を追う。レイアとセッカを振り返る。
「ごめんなさい、わたくしはリュカを。……本当にすみません! お支払いは済ませておくので、どうぞごゆっくり」
 それだけ言って、薄紅色のスーツの女性は、勘定を済ませるなり、赤髪の少年の後を追って食堂から出ていってしまった。
 レイアとセッカは、呆気にとられていた。
 ヒトカゲとピカチュウが不安そうに鳴いて、ようやく二人は、互いに同じ顔をしていることに気が付いた。


 レイアは、崖から落ちる時に見たあの顔、夜の窓ガラスに張り付いたあの顔を思い出している。
 クノエで四つ子の片割れたちと再会して、ようやくまともに食事が喉を通るようになり、安眠できるようになった。二手に分かれても、いつも二人は一緒だ。独りは怖いからだ。
 セッカは、燃え盛る図書館の中で見たあの顔を思い出している。
 禍々しい、色違いのアブソル。あれに出会うと、災厄に巻き込まれる。人も死ぬ。ポケモンも死ぬ。
 遠く懐かしい昔、ウズが、逃げろと言っていた。
 セッカは早口で囁いた。
「レイア、逃げよ」
「……セッカ」
「逃げよう。早く逃げよう。アブソルだぞ」
 セッカはレイアの手を握る。
「21番道路の落石だって、どうせあいつのアブソルがやったに決まってるんだ……。なあ、レイア、ローザさんがあいつ捕まえてる間に、行こう、今なら大丈夫だから」
「でもセッカ、もう日が暮れる」
「逃げる、んだ」
 セッカはぐい、とレイアに詰め寄った。
 レイアは顔を歪めた。
「……お前、あいつ、嫌な感じするか?」
「レイアが思ってんのと同じだよ。さ、行こう。猛ダッシュでエイセツに行こう」
 そう言い切ると、セッカは夕食はしっかりと最後までかきこんだ。レイアとヒトカゲとピカチュウを急かし、立ち上がる。
 レイアの手を引っ張るように、さっさとポケモンセンターにとっていた部屋を解約して、荷物を持ってハクダンシティを出た。
 日が沈み、月が昇る。
 ヒトカゲを脇に抱えたレイアと、ピカチュウを肩に乗せたセッカは、手を繋いで夜の道路を渡る。野生のポケモンは無言のうちにヒトカゲやピカチュウが追い払い、ただひたすら二人は東を目指す。ゲートを守るトレーナーはいなくなっていた。21番道路のデルニエ通りに出る。
 月明かりを頼りに、整備された道を下り、橋で川を渡る。一切の寄り道をしなければ、一、二時間も歩き続ければエイセツシティには着く。
 雪。
 ブーツで雪を踏んだ。きしきしと音がする。
 寒かった。
 レイアとセッカは逃げるようにして、とうとう夜のエイセツに辿り着いた。


  [No.1410] 日進月歩 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:29:46   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



日進月歩 上



 ミアレシティ北東にのびる16番道路は、トリスト通りとも呼ばれる。
 ミアレ近郊に存在する釣りの名所として、知る人ぞ知る有名な道路である。特にバスラオがよく釣れるのだ。
 フロストケイブから湧き出た水は、フウジョタウン、15番道路を経由してこの16番道路に流れ込み、湖を形成している。フロストケイブで生まれたバスラオが川を下り、この16番道路の湖に辿り着くころには、若々しく力強い魚ポケモンに成長しているというわけである。
 咲き誇る黄色の花畑、流れ落ちる滝、そして湖上に架け渡された桟橋の上で穏やかに釣り糸を垂れる釣り人。また、色づいた木々の林は分厚い落ち葉の絨毯を作り、その林の中を散策するだけでも楽しい。
 フシギダネを緑の被衣ごと被いたキョウキと、青い領巾を袖に絡めた腕でゼニガメを抱えたサクヤは、二人並んでこのトリスト通りを北東に向かっていた。日は高く、空気も暖かく、歩くのが気持ちいい日和である。
「釣りというのは、バスラオばかり釣るものなのか?」
 サクヤが尋ねる。
「まあ、フロストケイブ系の川で釣れるのはほとんどバスラオじゃないかなぁ」
 キョウキがのんびりと答える。
 サクヤがなおも疑問を投げかける。
「バスラオには青筋と赤筋がいるそうだが、何か違うのか?」
「さあ。僕ら人間に白い肌と黒い肌があるってくらいの意味じゃないの?」
「筋の色ごとに群れを作り、違う色の群れとはいがみ合うらしい」
「人に似てるかもね。同じ種族なのに、違いが許せないのかな。……よく分かんないな。僕らは同じだからね」
「お前の言う“人”とは、僕ら四人のみを指すのか?」
「少なくとも僕には、僕ら四人だけで十分だとしか思えないよ」
 フシギダネはのんびりと目を閉じ、キョウキの頭の上で日向ぼっこをしている。
 ゼニガメはやがて飽きて、川に飛び込んだ。見事な滝登りを見せている。キョウキとサクヤはゼニガメを追うような形で、北東へと川岸の林中を歩いていた。
 川面には色づいた木の葉が散り、水上に錦を織りなし、これもまた風情ある景色である。
 サクヤはキョウキに問う。
「ならお前は、世の中に人間は僕ら四人だけになればいいというのか?」
「どうだろう。食料を作ってくれる人がいると便利かな。服も。家も」
「四人だけの世界か。どんなものだろうな」
「僕はよく想像するよ。山奥に、僕ら四人だけで隠遁するのさ」
「今の旅の生活と何が違う? どうせ金銭を求めてバトルをするほかないのに?」
「ただの幻想さ。何者にも脅かされない、静かな世界……」
「お前は結局、人が嫌いなだけか」
「人は嫌いだよ。でも、レイアやセッカやサクヤのことは大好きだよ」
「知っている」
「うん」
 そこで二人はふと黙り込んだ。
 キョウキがふとうっとりとした声を出す。
「……ふふ、俺俺組はうまくやってるかなぁ」
「あいつらのことか」
「僕らは僕僕組だよね」
「そういうことになるか」
「なんで僕らの一人称って、こんな風になったんだろうね?」
「昔は四人とも、モチヅキ様やウズ様と同じ『私』という一人称だったはずだが」
「そうだ、ユディに釣られたんだよ。ユディが昔自分のことを『僕』って言ってたから、あの時僕らは四人とも一人称が『僕』になったんだよ。やがてユディがイキって『俺』を使い出すようになって、レイアとセッカだけ釣られたんだ」
「釣りの名所だけにな」
 キョウキは吹き出した。呆れて、サクヤに向かって苦笑する。
「……ナンセンスだね?」
「黙れ」
 キョウキとサクヤは、ゆるゆると会話を続ける。
 キョウキは柔らかな笑みを浮かべ、サクヤは澄ました表情ながら、言葉は流れる川の水のように淀みない。
「昔は一人称も『私』だったし、髪の毛も伸ばしてたから、女としか思われなかったよね」
「そうだな。一人称を変えて、髪も切った後は、割と男だと思われるようになったな」
「で、結局どっちなんだろうね」
「何が」
「僕らの性別さ」
 キョウキとサクヤは一瞬だけ顔を見合わせた。しかし足を止めることなく、すぐに前を向く。
 サクヤが呟く。
「……胸はないな」
「でも髭も生えてこないし、声も変わらないし」
「かといって、女に来るものもない」
「サクヤ、ちょっと下世話なこと尋ねてもいい?」
「却下だ。お前に有るものは有るし、無いものは無い」
「よくわかんないな。僕らって男なのかな、女なのかな」
「レイアとセッカと同じだろう。以上」
「ねえサクヤ。よく考えてみたらさ、僕、ウズやモチヅキさんやルシェドウさんの性別も、知らないんだよね……。サクヤは知ってる?」
「……いや」
 そこで二人は黙り込んだ。
 なぜ自分たちの身内や知り合いには、こうも性別不明が多いのだろうかと大いに悩んだ。
 しかし自分たちの性別さえ分からないのだから、どうでもいいかとも思った。
 川岸の林を遡っているうちに、いつの間にか15番道路のブラン通りに入ったらしい。
「もうすぐフウジョタウンかな」
「だろうな。廃墟が見えてきた」
「いわくつきのホテルかぁ。不良のたまり場になってるし、早く撤去すればいいのにね」
「所有権云々の権利が絡んで、そう強制撤去もできないんじゃないか」
「それより、何か呪いがかけられたりしてるとか」
「面倒だな。ゴーストタイプは本気を出すと何をしでかすかわからん。厄介だ」
 言い合いつつ二人は荒れ果てたホテルを素通りし、フウジョタウンに入った。


 フウジョタウンは涼しく、空は快晴である。南のポケモンリーグから吹き降ろす風は強く、街のシンボルである北の風車はゆったりと大きく回転していた。
 街の南には畑が広がり、冷涼な気候でも育つ穀物や野菜が育てられている。フウジョの土壌は肥沃で、昔から多くの作物がとれた。乾燥した気候において草ばかりが生え、その草が枯れる冬は寒冷であり、有機物の分解が進まない。そうした年月を重ねて肥沃な黒土が生まれるのだ。
 フロストケイブから流れ込む水がまた豊かな作物を作り、下流の森林を育んでは豊富な燃料や肥料をもたらした。フウジョは穀物を作り、それを風車を動力とした臼で挽いて粉にし、日々の糧たるパンを焼く。伝統ある営みだ。
 フウジョで作られた作物は、多くが近郊の大都市ミアレシティへ出荷され消費されることになる。フウジョは大都市、あるいはカロス全体を支える重要な穀倉地帯である。
「なんかさぁ、僕、フウジョって好きなんだ。こう、穀物畑が一面に広がって」
 緑の被衣のキョウキが、ポケモンセンターの近くで立ち止まり、穀倉地帯を見つめている。青い領巾のサクヤも頷いてやった。
「……他の都市は、観光とトレーナー誘致にばかり力を入れているからな」
「そう。自然や建造物といった観光資源も、それは確かに美しいよ。でもだよ、やっぱりこう、農業って、命に直接繋がってるって意味で、美しいよね」
「……きのみ畑とかメェール牧場とか好きそうだな、お前」
「うん。やっぱり、モノに飢えてるからかなぁ。物資の豊かな農業牧畜には憧れる」
「移動型の狩猟民族より、定住型の農耕民族になりたいというわけか……」
「それが人類の歴史だよね。ほんとトレーナーなんてさ、時代に逆行してるよ。原始的で、特権的で」
「確かに、まったく前近代なことだ。……もういいか」
 サクヤはさっさとポケモンセンターに入っていった。キョウキもそれに随った。

 そこでサクヤは、正面から大男とぶつかった。
「……っ」
「うおっと、すまんすまん!」
 サクヤとぶつかったのは、金茶髪の髭面の大男である。ポケモン協会の腕章をつけたロフェッカは、キョウキやサクヤに気付かないかのように、慌ただしくポケモンセンターから出ていった。
 フシギダネを頭に乗せたキョウキが小さく首を傾げ、ゼニガメを抱えたサクヤは鬼の形相になる。
「ロフェッカ、だったね?」
「…………あの野郎…………」
「まあまあサクヤ、ロフェッカなんかに構うことないよ。ちょっと一休みして、午後からフロストケイブに行こう」
 キョウキは微笑みながら、酷いしかめっ面のサクヤの肩を押した。



 二人はフウジョのポケモンセンターで足を休め、温かい茶を飲み昼食をとった。
 サクヤはポケモンセンターのロビーでフロストケイブの大まかな地図を見つけ、凍り付いた岩の位置を調べてきた。
「洞窟に入って左の階段を上がり、川を渡って今度は階段を下った先だ」
「わかった」
 そしてキョウキとサクヤは午後、粉雪の舞い出したフウジョタウンを歩く。
 フシギダネは寒さが苦手であるので、いつもとは違ってキョウキの黒髪の上に直接乗り、フシギダネの上からキョウキは緑の被衣を被って雪を凌いだ。サクヤの腕の中のゼニガメも、寒さを嫌って甲羅の中にこもっている。
 二人が大きな石橋で川を渡ると、渡った先の川岸には雪が積もっていた。もう一本細い川を木橋で渡るとき、フロストケイブ内から流れ落ちる滝が、左手の方向にいくつも見えた。
 川面に淡雪が吸い込まれて見えなくなる。
 川岸には、雪を戴いた針葉樹林が広がっている。
 そしてさらに北東を見やれば、万年雪に固められた山脈が連なっている。
 フロストケイブは、その山の一つに穿たれた巨大な洞窟だ。氷タイプのポケモンの重要な生息地でもある。
 そして洞窟が見えてきたところで、キョウキとサクヤは立ち止まった。

 大男のロフェッカ、そしてコートを着込んだ老婦人、そして白いコートを身につけた少女。三人がフロストケイブの前に立ち尽くしていた。
 サクヤがひどく顔を顰める。
 しかしキョウキはのんびりと三人の方へ歩み寄った。三人に何か声をかけるつもりはなく、ただ本来の目的を達成するため洞窟に入ろうとしたのである。
 ところが三人の中のロフェッカは目ざとくキョウキを見つけ、声をかけた。
「おう、四つ子の」
 キョウキはほやほやとした笑みを浮かべた。
「やあ、ロフェッカ」
 ロフェッカにつられて、老婦人と少女がまた顔を上げる。
「あら」
 老婦人が、ゼニガメを抱えた青い領巾のサクヤを見つめ、どこか寂しげな微笑を浮かべる。
「……サクヤさん。またお会いできましたね」
「……ミホさん」
 サクヤは固い声で呟いた。すると、少女と手を繋いだミホはそれきり沈黙し、俯いてしまう。


 どうにもこの三人を無視できなさそうな雰囲気に、キョウキは微かに嘆息した。
「ロフェッカ、僕ら、用事があるんだけど」
「フロストケイブにかぁ?」
「そう。だから失礼するよ」
 そう淡泊に言いやって、キョウキは面倒を避けるべくロフェッカの隣をすり抜けた。
 サクヤもキョウキの後を追おうとしつつ、しかし後ろ髪を引かれるように、老婦人と、そして白いコートの少女を見つめる。
 ミホは、サクヤはヒャッコクシティで出会った老婦人だ。
 そして、老婦人の孫娘らしき白いコートの少女は。サクヤには、この少女もまた見覚えがあった。
 暗く寒い記憶が蘇る。
 この少女は、キリキザンに刃を突きつけられて泣いていた少女、アワユキの娘ではないか。
「サクヤ」
 キョウキが声をかける。サクヤは半ば混乱して、老婦人と少女を見比べていた。
――どういうことだ。
 以前、フロストケイブに来た時のことをサクヤは思い出す。あのときはポケモン協会員のルシェドウにうまい具合に丸め込まれて、行方不明になっていた女性トレーナーを捜していたのだ。そして見つけたのがアワユキというトレーナーと、その幼い娘。
 アワユキは自分の娘を人質にしたが、様々な経緯を経て、無事にアワユキは警察に連行され、アワユキの娘も保護された。
 そして、そのあと。
 アワユキは署内で自殺した、というニュースを見た。
 残されたアワユキの娘がどうするのか、サクヤは一瞬だけでも案じていたはずだ。
 そのアワユキの娘が、ミホと一緒にいる。
「サクヤ」
 キョウキが再び、サクヤの名を呼んだ。
「寒い。行こうよ」
 キョウキの声音は穏やかで緩やかだったが、暗に面倒事に巻き込まれたくないという意思を込めているのが片割れのサクヤには分かった。
 サクヤが混乱を振り切るようにミホをちらりと見やると、老婦人は沈痛な面持ちで少女を見つめていた。
 少女は、まっすぐにフロストケイブだけを見つめていた。
 サクヤが戸惑い、キョウキが立ち止まっていると、ロフェッカが口を開いた。
「あー、いいから、行けよガキども」
「――あたしもいく」
 幼い娘の声がした。
 白いコートの少女だ。
 黒髪を美しく切りそろえた色白の少女は、サクヤの顔をまっすぐに睨みつけていた。
「あたしもつれてって」
「リセちゃん……」
 ミホが困り果てたように、孫娘を宥める。
「いけませんよ、人様にご迷惑をおかけしては……」
「いや。うるさい。あたしもおかあさんのとこ、いくの」
「だめよリセちゃん!」
 ミホが悲鳴のような声を上げる。ミホは屈み込み、孫娘の肩をそっと抱いた。
「おばあちゃんが一緒よ。一緒に、ヒャッコクに行きましょう。ねえ、お願い、リセちゃん」
「いや」
 少女は祖母の手の中から駆け出し、サクヤに向かって突進した。
 リセ、という名らしい少女は、不貞腐れた様子でサクヤの袴にしがみつく。ロフェッカが苦笑し、ミホはすっかり狼狽し、キョウキは音もなく舌打ちし、サクヤは混乱していた。
 五人は雪の中、立ちつくしていた。


  [No.1411] 日進月歩 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:31:14   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



日進月歩 中



 フロストケイブの中は寒い。
 それだけではなく、警戒心の強いポケモンが多く潜んでいる。
 トレーナーとして旅をしているキョウキやサクヤや、ポケモン協会員のロフェッカはまだしも、一般人であるミホやその孫のリセにとっては危険な場所だ。その二人を下手にフロストケイブに入れるわけにはいかない。
 サクヤは困り果てて、ゆっくりと雪の上で屈み込んだ。少女と視線を合わせる。
「……貴方のお母さん、とは、アワユキさんのことか」
「おかあさんのとこ、いく」
「……貴方のお母さんは、ここにはいない」
「――いくったらいくの!」
 少女は悲鳴を上げた。ミホがはらはらし、ロフェッカも苦い顔である。おそらく先ほどからこの少女は、フロストケイブの中に行くと言い張ってずっと駄々をこねていたのだろう。
 キョウキが寒そうに足踏みをしている。
 サクヤは根気良く、少女に質問することにした。
「なぜ、お母さんがここにいると思う?」
「おかあさんが、ここは『せいいき』だって。いのちのかみさまにささげるばしょだっていってた」
 少女は真剣に、サクヤにそう訴えかける。
 サクヤは戸惑い、老婦人を見上げた。少女の祖母は小さく嘆息した。
「サクヤさんには、ヒャッコクで私の家族のこと、少しお話ししましたね。……本当にお恥ずかしい話ですが」
「いえ。……ミホさん、いったい何が?」
「リセは、私の三番目の孫なのです。私もつい先日、ポケモン協会の方から、この子のことで連絡を頂きましたの……」
 そしてそこから先は、ミホも言いにくそうにしている。
 キョウキが退屈そうに雪を蹴っている。
 サクヤは困惑した。フロストケイブに用があるのは自分であり、キョウキはそれに付き合っているだけだ。キョウキのために、早く用事を終わらせたい。しかし、どうにもミホとその孫娘――アワユキの娘を放っておけそうな状況ではない。
 ロフェッカも困ったように顎を触っている。
 ミホも泣きそうな顔になり、そしてリセはサクヤにしがみついたまま離れようとしない。

 とうとうキョウキが口を開いた。
「ねえリセちゃん。面倒だから、僕、厳しいこと言うね」
 サクヤは溜息をついた。とうとうキョウキが出しゃばってしまった。それは即ち、キョウキが随分と苛立っているということである。苛立ったキョウキは老若男女問わず誰に対しても毒舌だ。
 けれどサクヤにもこの状況はどうにもしようがないから、キョウキを黙らせることはできなかった。
 サクヤにしがみついたまま黒い瞳でじっとキョウキを見上げる少女を、キョウキも真顔で見返した。
「君のお母さんは、頭がおかしい」
 そう端的に、キョウキは言い放った。
 あまりの言いように、サクヤは額を押さえた。
 以前クノエで四つ子全員が集まった際に、フロストケイブでの出来事はキョウキやセッカにも共有していた。そのためキョウキも事情は知っている。そして間接的に知っているだけだからこそ、キョウキは平然とこのようなことを言う。
「フロストケイブで死ぬ? 命の神の聖域? 命の神ってゼルネアスかな。ゼルネアスに対する生贄ってこと? ねえ、リセちゃん、君のお母さんは間違ってるよ」
 キョウキは笑顔を浮かべていた。
 少女は顔色を失っていた。
「……お、お、おかあさんは、かみさまにいのちをささげて、すくわれるって。だからリセ、おかあさんといっしょに……。そしたら、このひとがじゃまして。このひとがわるいの!」
 そう叫んで少女は、屈み込んでいるサクヤの肩を小さな拳で叩いた。
 少女の小さな手で殴られ続けるサクヤは、戸惑い、ただ少女を見つめる。
 するとますますキョウキは笑みを浮かべた。
「ほんっと、くだらない。神様って何。ただのポケモンだろ」
「かみさまに、いのちをささげれば、しあわせになれるの!」
「ミホさん、貴方の息子のお嫁さんとその娘さん、頭おかしいですよ? 母子揃ってメルヘン少女なんですか? それともまさか、三世代揃ってメルヘン少女なんですかね?」
 キョウキはけらけらと笑い、老婦人に陽気に話しかけた。
「ねえ、ポケモンに命を捧げて何になるんです。くだらない。くだらないくだらない。前近代的ですね。宗教とか。迷信とか。そういうのってほんとくだらない」
「キョウキ、いい加減にしろ」
 さすがにサクヤが口を挟む。キョウキがやっているのは、ただの人格の否定だ。
 ロフェッカも顔を顰め、ミホとリセの二人はすっかり蒼白になっている。
 しかしキョウキは口を閉ざさなかった。
「そういうくだらない思い込みに、他人を巻き込むな。迷惑なんだ。ねえリセちゃん、そういう思い込みが、人を不幸にするんだよ。リセちゃんは、リセちゃんの幸せのために、僕らを不幸にするの?」
「……ち、ちが、ちがうもん」
「キョウキ」
「リセちゃんはわがままです。そんなに死にたがらなくても、百年後にはリセちゃんも確実に死んでるから大丈夫! 心配しなくていいよ。――じゃ、サクヤ、行こっか」
 それだけ言い捨てると、キョウキはさっさと洞窟の中に消えていった。
 少女は泣き出している。ミホも辛そうな顔をしていた。
 サクヤは頭を下げた。
「すみません。キョウキがたいへん失礼なことを」
「いえ、いえ、サクヤさん、早くご兄弟のあとを追って差し上げて。早く」
 ミホは震える早口で、サクヤを追い払うようにそう言った。
 ゼニガメが甲羅から顔を出し、首を傾げ、サクヤを見上げる。
 サクヤはロフェッカを見やった。けしてこの男を頼りにしているわけではないが、これも彼の仕事なのだろうから、任せてもいいだろう。サクヤもサクヤで、これ以上キョウキを怒らせるわけにはいかない。
「……貴様」
「行けって。ったく、だから早く行けっつったのによ……。お前さんも随分な間抜けだな、サクヤ?」
 ロフェッカは片眉を上げて苦笑した。サクヤはむっとした。
「黙れ」
「もういいから行けって。お前はさっさとキョウキの機嫌直しといてくれ」
 サクヤは仕方なく、老婦人と少女から逃げるように、そそくさと洞窟の中に入った。



 洞窟内で、すぐにサクヤはキョウキに追いつく。
 キョウキはにこりと笑ってサクヤを振り返った。
「おつかれ」
「……お前な」
 サクヤからは溜息しか出なかった。
 キョウキは飄々として、左手の階段を上っている。
「ねえ、サクヤは伝説とか信じる?」
「命を与えるゼルネアスと、命を奪うイベルタルのことか?」
「そう。神様っているのかなぁ」
「ポケモンとしてなら存在するのではないか」
「ポケモンを神様って崇めるのって、どうなんだろうね」
 キョウキは白い息を吐く。
「ゼルネアスは他の生き物に命を与えると、長い休息の眠りにつくらしいよ。僕、ゼルネアスの命を捧げる感じの宗教の話、聞いたことあるかも。ゼルネアスの復活を早めるため、自分の命を捧げるっていう」
「……アワユキさんも、その宗教にのめり込んで?」
「でも、フロストケイブってのはないなぁ。確かに幻想的な空間だけどさ、一応は観光名所なわけだし? そんなところで自殺とか、やめてほしいな」
 キョウキはぼやきながら、階段を上っていく。凍り付いてすべる床の上をよろよろと歩き出した。
 サクヤも慎重にその後に従いつつ、息を吐く。
「……そうか、生贄か。それでアワユキは娘を連れてフロストケイブにこもり、そして僕も殺されかけたわけだ」
「そうそう。サクヤも危うく無駄な生贄にされちゃうとこだった。で、結局そのアワユキさんは『聖域』でも何でもない薄汚い牢屋の中で自殺しちゃったんだよね。はてさて、それでゼルネアスの復活は早まるのかなぁ?」
 キョウキはそう言いながら、凍った床の上をつるると滑っていった。サクヤもその後を追うと、フロストケイブの奥から、深い藍色の水が流れ込んでくるのが目に入った。
「危ない。川に落ちるとこだったね」
「さて、この川を渡ればいいのか」
 とはいえ、キョウキもサクヤも波乗りを使えるポケモンを所持していない。仕方がないのでキョウキはプテラに乗り、サクヤはチルタリスに乗って、急流の上を超えた。
 道なりに進み、慎重に階段を下ると、より一層冷気が強まった。
 凍り付いた岩が見えた。
 サクヤは黙って、モンスターボールの一つから、水色のリボンを付けた小さなイーブイを出した。
「玻璃」
「ぷい? ……ぷいいっ」
 急にボールの中から出されたイーブイは、寒さに縮こまる。サクヤはイーブイを叱咤した。
「大丈夫だ、すぐに慣れる。バトルだ」
 サクヤの視線の先には、氷に覆われた岩がある。そして、その冷気に惹かれるのか、岩にはバニプッチの群れがくっついていた。
 状況を察したイーブイが威勢よく鳴いて宣戦布告をすると、バニプッチの群れは一斉に岩から離れ、臨戦態勢に入る。
 キョウキがサクヤにのんびりと声をかけた。
「手伝うよ」
「当たり前だ」
「それ行け、ぬめこ、濁流だよ」
 キョウキはボールからヌメイルを出し、すかさず指示を下した。
 ヌメイルが、泥水をバニプッチの群れに叩き付ける。
「玻璃、体当たり」
 サクヤが指示を飛ばす。泥水を被って右往左往するバニプッチの一体に、小さなイーブイが思い切りぶつかり、はね飛ばした。
「いいぞ玻璃、他のバニプッチにも、続けて体当たりだ」
「ぬめこ、玻璃が危なくなったら竜の波動でサポートね」
 ヌメイルが先制してバニプッチの体力を大幅に削り、イーブイにとどめを刺させる。以心伝心の連携により、群れバトルを制する。
 最後のバニプッチを沈めたイーブイが、得意満面で氷に覆われた岩の上に飛び乗った。
 キョウキもヌメイルを労ってボールに戻す。
 そしてキョウキとサクヤは、改めてイーブイに近寄った。
「さて」
「よくやったな、玻璃」
 サクヤが水色のリボンのイーブイを撫でてやると、イーブイは誇らしげに頬をその手にすり寄せる。そしてイーブイが一声鳴いたかと思うと、その体が眩い光を放った。
「おお」
「……来た」
 イーブイは冷光を放った。

 凍り付いた岩の冷気を吸い込み、吐息のように放出する。
 そして光の収まった後、そこにはグレイシアが佇んでいた。
「しあぁ」
 すっかり寒さも平気になったグレイシアが、サクヤを見つめて微笑んでいる。

 サクヤも笑い、腕の中のゼニガメを肩までよじ登らせると、青い領巾を引きつつ腕を伸ばし、そっとグレイシアを抱き上げた。グレイシアの寒さを防ぐ毛並みは密で、固いけれどしなやかな手触りをしている。
「進化おめでとう、玻璃」
「しあ」
 一回りしっかりした体つきになったグレイシアが、誇らしげに尾を振る。
 キョウキも笑いながらグレイシアを軽く撫でると、笑顔のまま歩き出した。サクヤもそれに続く。
 フロストケイブでの用事を済ませ、二人は並んで歩いた。洞窟の出入り口に向け、引き返していく。
「やったね、サクヤ。あとはブラッキーか」
「そうだな。夜に育てれば、螺鈿もすぐにでも進化するだろう」
 四つ子がタマゴから孵したイーブイは、生まれた直後からたいへん四つ子に懐いていた。育てる時間帯さえ間違えなければ、ブラッキーへ進化させるのは難しくはない。
「レイアがエーフィとニンフィア、だよね。二匹とも光り輝くイメージのポケモンだね。あいつに合ってる」
「で、お前がシャワーズとサンダース。お前のパーティは全体的にじめじめしてるな」
「ちょっと、じめじめはなくない? 雨パとお言い」
「で、それに対してセッカが、ブースターとリーフィアか。晴れパか?」
「そうだね。そして、サクヤがブラッキーとグレイシア。うん、暗いイメージだね。お前に合ってる」
「暗いか?」
「暗いっていうか、闇を背負ってて冷静で、みたいな。ふふふ」
「何を笑ってるんだ」
 キョウキもサクヤも、無事にグレイシアの進化が済んで機嫌がよかった。四つ子のイーブイ進化計画は着実に進みつつある。
 キョウキのシャワーズとサンダース、セッカのブースターは、既にミアレの石屋で購入した進化の石で進化を遂げた。
 残る五種類のイーブイの進化方法はややこしい。特に、エーフィとニンフィアに育て分けることを目標としているレイアは大変だろう。けれどレイアも馬鹿ではないので、うまく目標を達成できると片割れたちは信じている。
 二人は静かながら上機嫌に、フロストケイブから出た。


  [No.1412] 日進月歩 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:32:33   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



日進月歩 下



 キョウキとサクヤがフロストケイブを出ると、日は随分と傾いていた。
 空の雲は転々とし、微かに色づいている。
 ロフェッカとミホとリセの姿は見えない。そのことに心なしか安堵しつつ、キョウキとサクヤはまっすぐ、フウジョタウンのポケモンセンターへ戻った。
 しかし、そのポケモンセンターの中にこそ、ロフェッカとミホとリセの姿はあった。

 キョウキは三人の姿を認めると、咄嗟ににこりと笑った。
「娘さんは、くだらない自殺を思いとどまりましたか?」
「おいこらくそガキ、ちっと黙れや」
 開口一番に毒を吐いたキョウキを、ロフェッカが軽く小突く。
 老婦人とその孫娘は、暖かいポケモンセンターのロビーでソファに腰かけ、疲れたように背を丸めていた。
 サクヤは進化したばかりのグレイシアを腕に抱えたまま、そっとミホの傍へ寄った。
「……ミホさん、大丈夫ですか」
「……ああ、サクヤさん。ごめんなさいね、大丈夫ですよ。……ただ、急に、いろんなことが起こったものだから……」
 帽子とコートをとったミホは、グレーのスーツに身を包み、上品に背筋を伸ばしていた。銀髪も綺麗に結いあげられているが、その顔に刻まれた皺は苦悩を映している。
 サクヤはゆっくりと、ミホの隣のソファに腰を下ろした。
「……僕は、アワユキさんに、お会いしたことがありまして」
 サクヤはソファに座ると、静かにそのように切り出した。
 ミホも小さく頷く。
「ええ、リセのことをポケモン協会から伺った時、あのフロストケイブで何があったかはお聞きしましたわ。……私の娘が、本当にご迷惑をおかけしました」
「……ええと、息子さんの奥様なんですよね、アワユキさんは?」
「ええ、そうです。……私が息子夫婦と縁を切った後に、離婚したみたい」
 ミホは疲れているのか、笑顔は薄かった。けれどかつてヒャッコクシティでサクヤと話をしたということもあってか、比較的容易に事情を打ち明けてくれた。
「私はこのリセのことは、つい先日までまったく知らなかったのよ。息子夫婦の離婚後に生まれたんでしょうね……」
「リセさんをヒャッコクに引き取られるのですか?」
「そのつもりよ。息子とは連絡が取れないし、この子の家族は私だけ……だもの」
 ミホはそっと孫娘の肩を抱いた。少女は泣いていたのか顔を腫らしていたが、いつの間に眠っていたものかそのまま祖母の膝の中に倒れ込み、寝息を立てる。
 ミホは孫娘を見つめて、小さく笑みを漏らした。
「……可愛いわ。リセが帰ってきたみたい」
「――はい?」
「梨雪よ。もう5,6年前に亡くなった、私の孫娘」
 サクヤは何も言わなかった。
「リセって、同じ名前よね。アワユキさんは、梨雪がいなくなってショックだったのかしらね。……離婚したなら、いえ、離婚したって、私のところへ来てくだされば良かったのに……。そうしたら、リセを置いていかせなどしなかったのに……」
 ミホは孫娘の黒髪を優しく撫でている。
 サクヤは俯いたまま質問した。
「……失礼ですが、リセさんやアワユキさんは、宗教にこだわっているように見受けられますが……」
「そうね。きっと梨雪がいなくなって、アワユキさんは、ゼルネアスの伝説に縋ったんだわ。……きっとそうよ」

 アワユキは娘を亡くしたから、ゼルネアスの力でその娘を生き返らせるべく、自分やもう一人の娘であるリセの命を捧げようとした。
 サクヤの腕に鳥肌が立つ。フロストケイブの深奥で聞いた、アワユキの耳障りな叫びが蘇る。
 愛娘を生き返らせるために、もう一人の娘や自分の命さえ捨てるのか。
 そんなことは、間違っている。
 娘の命はもちろん、自分の命すら、時には自分の思うままに処分してしまっていいとはいえないのだ。アワユキはリセのためにも、もちろんリセを殺してはならなかったし、また自分自身をも殺してはならなかった。
――でも、愛する娘が死んでしまったから。
――そして、命を与える力を持ったポケモンがいると知ったから。
 サクヤなら、もし片割れの誰かが急に死んでしまったら、命を与える伝説のポケモンを求めはしないだろうか。ゼルネアスでも、そして父方の故郷であるジョウトはエンジュシティで語られるホウオウでも、その力を求めて彷徨わないだろうか。そして自分の命を投げ出すことを躊躇うこともないのではないか。
 大切なものを失うのは、つらいことだ。
 アワユキが梨雪を求めたように、リセもアワユキを求めることになる。そうなれば、最悪、不幸は連鎖する。
――神話や伝説を信じることが、人の不幸に繋がるのか。
――それとも。

 ミホは黙ったまま、リセの髪を優しく撫で続けている。何も事情を知らない者がこの光景を見れば、ただ微笑ましいばかりの祖母と孫娘のふれあいに見えるだろう。
 けれど、この家族には欠落がある。
 ミホの息子であり、リセの父親である人物は行方不明だ。
 そして、梨雪を死なせて一家を不幸に叩き落とした人物は、罰せられることもなく、今も世界のどこかを自由に旅している。
「……アブソルの呪いだわ」
 ミホが小さく呟いた。
 キョウキがロビーのどこかで、鼻で笑った。


「…………たいへん申し上げにくいんだが」
 ロフェッカの苦々しげな声が降りかかり、キョウキとサクヤ、そしてミホが顔を上げる。
 ロフェッカはホロキャスターを懐にしまいつつ、キョウキとサクヤの二人を落ち着かなげに交互に見やった。
「お前ら二人さ、ミホさんとリセさんのお二人を、ヒャッコクまで送って差し上げてくんね?」
「はい?」
 緑の被衣のキョウキが、笑顔のまま目を剝いた。サクヤも訝しげに首を傾げる。
 キョウキの凶悪な威嚇顔に、ロフェッカは慌てて手を振った。
「いやいやいや、ちゃんと謝礼はする! 俺、急用が入ったの! 緊急事態なの! 頼むこの通り!」
 ロフェッカが手を合わせてキョウキとサクヤを拝む。キョウキが困った顔になった。
「いやだなぁ、僕、ミホさんにもリセちゃんにも嫌われてるんだけど」
「自業自得だろう」
 サクヤが鼻を鳴らす。キョウキは笑った。
「僕は嫌われててもいいんだよ。でも、僕のことが嫌いなミホさんやリセちゃんは、僕と一緒にマンムーロード越えなんて嫌なんじゃないかと思っただけさ」
「……そもそも、本当に急用なのか」
 サクヤがロフェッカを睨むと、ロフェッカは焦ったように頷いた。
「ほんと! マジ! 相方が死にかけてんの! 今すぐミアレに戻って電車でレンリ行かねぇと!」
「相方って、ルシェドウさんですか?」
「ああもう誰でもいいわ! とにかく俺は行くから! んじゃな、よろしく!」
 ロフェッカは慌ただしく手を振った。そしてミホに何やら細々と挨拶をすると、本当に慌てたようにポケモンセンターを出ていってしまう。
 キョウキとサクヤとミホは、ぽかんとロフェッカの背中を見送っていた。
「……行っちゃったよ」
「……そうですねぇ、びっくりしましたわ……」
「ミホさん、僕らでよければ、ヒャッコクまでお送りしますが……」
 サクヤが遠慮がちに尋ねると、老婦人はサクヤに向かってちらりと微笑んだ。
「そうね。私はバトルはできないから、トレーナーさんに守っていただかないと、ヒャッコクには帰れないわね」
「分かりました。このキョウキについては無視してくださって構わないので。こいつは一人だけ空飛ばせるんで」
「あっ、その手があったか」
 キョウキがぽんと手を打つ。
「なるほどね。僕だけ空を飛んでいけば、ミホさんもリセちゃんも僕を視界に入れずに済むよね! なるほど妙案だよ、サクヤ!」
「ああ、いえ、違うのよキョウキさん、よかったらぜひご一緒に――」
「大丈夫です、ミホさん。どうぞこいつのことは無視なさってください」
 サクヤがキョウキを押しやる。キョウキは剽軽に頬を膨らませる。
 ミホはくすりと笑みを漏らした。
「……サクヤさんの四つ子の片割れさん、本当にサクヤさんによく似てらっしゃるけど、本当に個性があるのね」
「そうですね。一人は意地っ張り、一人は気まぐれ、一人は能天気、一人は冷静ですねぇ。ただし、四人とも血の気は多いですが。――つまり正確には、性格はバラバラでも、それぞれ個性に違いはないですね」
 キョウキが口を挟むのを、サクヤはまたもや押しやった。
「本当に、こいつはただの下衆野郎なので、無視なさってください。こいつは有害生物です。あと二人の片割れはまだマシなので、ミホさんにもいずれご紹介できたらと思います」
「そうなの。楽しみにしていますわ」
「やだっミホさん今、僕のこと完全にディスった!」
「お前いいかげん黙れよ」
 くすくすと笑うミホを置いて、サクヤはキョウキの首に腕を回して引きずって行った。


 キョウキとサクヤは、ポケモンセンターの階上にとった二人部屋に入った。
 フシギダネとゼニガメを放し、トレーナーの二人もそれぞれのベッドに腰かける。
 キョウキはそのままごろりと横になった。
「サクヤ、面白いね、タテシバ家」
 キョウキはごろごろと転がりながら、そのようにのたまう。サクヤはぼんやりと、確かミホの名字はタテシバというのだったと思い出していた。
 そして眉を顰めた。
「面白いなどと、不謹慎な。ミホさんはお孫さんを一人と、息子さんの奥様を亡くされているんだぞ」
「だって面白いじゃない」
 キョウキは仰向けになり、くすくす笑う。
「僕ね、ミホさんの息子さん――つまりリセちゃんのお父さんのこと、たぶん知ってるんだ」
「……なんだと」
「たぶん今頃、クノエの刑務所にいるんじゃないかな、窃盗罪で」
 そしてサクヤの見下ろす前で、キョウキはけらけらと笑った。
「そんな父親に、たぶんリセちゃんは育てられないし、ミホさんも許せないと思うなぁ。でもよかったじゃない、リセちゃんにはミホさんがいたんだ。あと一つ心配事があるとすれば、ミホさんがどのみち老い先短いことかな?」
「……お前な」
 サクヤは嘆息した。相変わらずのキョウキの毒舌に呆れ果てる。
 キョウキは寝転がったままもぞもぞ動き、サクヤのベッドの方まで這い寄ってきた。
「でも、アワユキさんがリセちゃんを殺そうとしたり自殺しちゃったりしたのは、確かに、納得いったかも」
「……へえ」
「僕も、もしサクヤやレイアやセッカが死んじゃったら、アワユキさんと同じことをしないとも限らないなぁって」
「ブラコン」
「お前もだろ?」
 キョウキはサクヤの膝まで這い寄り、上目遣いでサクヤを見つめてにやりと笑っている。
 サクヤは、キョウキの前髪を思い切り掴み上げた。
「しゃくや、いちゃい」
「勝手に死なすな」
「死なせないさ。僕が」
「ふん」
 サクヤはキョウキの前髪を離した。やがて日が暮れ、夜が来る。
 夕食前にひと眠りすることにした。
 サクヤがごろりとベッドに転がると、頭をキョウキの頭に思いきりぶつけ、二人は仲良く悶絶した。


  [No.1413] 朝過夕改 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:34:06   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



朝過夕改 上



 衣擦れの音に、セッカは目を覚ます。枕元で、相棒のピカチュウが伸びをしている。
 レイアが着替えていた。
 縹に蘇芳の着物を重ねて、袴を着け、黒い被布を着る。身支度を整えると、レイアはぺたぺたと裸足で床を歩いて、セッカの顔を覗き込んだ。
「……んだよ、起きてんじゃん」
「起きてるよ。外、雪、すごくね?」
「まったくな」
 セッカはのんびりと寝返りを打つと、寝台の上で肘をつき、窓の外を覗き込む。
 空は一面灰色だ。
 そして大きな雪片が幾万も幾億も、音もなく降り注いでいる。
 エイセツシティの早朝は、静かだった。
 音が雪に呑まれる。
 ポケモンセンターの宿は温かい。セッカは降りしきる雪を見つめながら、贅沢に布団の中でもぞもぞしていた。するとレイアに布団を剥ぎ取られた。
「起きろや」
「やだエッチ!」
「知りません。全裸で同じ子宮に一緒にいた仲でしょうが。起きなさい」
「むう」
 セッカは仕方なく、のろのろと起き上がった。
 レイアとセッカがエイセツシティに来たのは、セッカのイーブイをリーフィアに進化させるためだ。つまりこの街に用事があるのはセッカだけで、レイアはそれに付き合ってくれているだけなのである。
 レイアはさっさとポケモンセンターのベッドを適当に整え、セッカの分まで荷物を整理している。セッカはもそもそと着替えを済ませた。
 そしてセッカはふとぼやいた。
「……なあレイア、なんで俺ら、お揃いの服着てんだろな?」
「知らねぇよ。ウズが量産しただけだろ」
「……だってさ、昔は四人を見分けやすいように、れーやは赤、きょっきょは緑、俺は黄、しゃくやは青の着物を着せられてたわけですよ? なんで今はお揃いなんすかね?」
「俺ら四人の性格がバラバラになって、ウズが見分けやすくなったからじゃね?」
「そういうもんかぁ」
 などとどうでもいい会話をしつつ、レイアとセッカは階下へ降りていった。


 エイセツシティは、年中凍り付いた街だ。
 長年この街でジムリーダーを務めているウルップの人柄に頼んで、ポケモンジムから漏れる冷気のため凍り付いたなどとのユーモア溢れる噂もまことしやかに語られているが、それはもちろん冗談である。フロストケイブ方面から流れ込んできた湿った空気が、17番道路のマンムーロードを通り抜け、谷間を抜けてこのエイセツシティにじかに流れ込み、この街を氷雪で覆っているのだ。
「でも実際、ジムの近くが一番寒くね?」
 セッカが朝食の温かいスープを、味噌汁の如く音を立てて啜りながらぼやく。レイアもパンをちぎりつつ答えた。
「いやお前、よく見ろよ、ジムって窪地にあるじゃねぇかよ。冷たい空気は下の方に溜まるから、ジムが寒いのは当たり前だ」
「そっかぁ。街で一番寒いところをジムにしてあげたんだな。ウルップさん超かっけぇ」
「だろ。ウルップさんはメチャクチャかっけぇんだぞ」
「他にはどこがかっこいいわけ?」
「そりゃお前、あれだよ…………これだよ!」
「わからん」
 セッカはハクダンジム以外のジムには挑戦していないため、ビオラを除いたジムリーダーの人柄は知らない。
 レイアは、はああと呆れたように大仰な動作で溜息をついた。
「お前、もうバッジ集めれば?」
「やだもん。貰える賞金減るし、支払う賞金増えるもん」
「大会に出れば、トレーナーから貰うよりも多額の賞金を貰えるだろうが」
「集めたくなったら集めるもん」
 セッカは取り合わなかった。ジムに世話にならずにここまでポケモンを強く育てたことは、セッカにとって誇りでもある。セッカにとってバッジを持つことは、人並みであるも同義なのだ。
「……あっそ。まあ好きにしな」
「うん、好きにするもん」
 セッカは気分を害したようだった。
 四つ子にとって、バトルに勝利し賞金を得ることは死活問題だ。一般的には各地のバッジを集め、ポケモンリーグに挑戦し多額の賞金を懸けて戦うようになる。そうしてバトルだけで十分生活できるようなトレーナーを目指すのだ。
 しかしセッカの金稼ぎ法は、特殊だった。ある意味では合法に実力を偽り、合法に多額の賞金をむしり取る。慣習という観点からみれば詐欺ともとれるような行為を、セッカは行っているのである。
 そのような稼ぎ方をするトレーナーを四つ子もセッカ以外に知らないから、それがおよそ一般的な方法ではないことはわかる。しかし、慣習的には詐欺ともとれるこの行為は、いつかポケモンリーグからも是正勧告が出されるともしれない。
 レイアがその可能性を示すと、セッカは鼻を鳴らした。
「バッジ制度なんて、ポケモンをバランスよく育てるためのものなのにさぁ。なんでそんな理由でバッジ取らされなきゃなんないのかねぇ」
「トレーナー間の公平を期すためだろ。真面目にトレーナーやれよ」
「へいへい。真面目真面目」
「……セッカお前、実はそんなに、バトル、好きじゃねぇのか?」
 レイアが問いかけると、セッカはパンをごくりと飲み込んだ。
「そだね」
 短くそう答えた。
レイアが目を見開く。
「マジか。……え、そうなんか」
「だって疲れるじゃん。ポケモンたちが傷つくのは見てて辛い。できるだけ仲間を傷つけないように考えつつ、相手を傷つける。俺のハートは傷だらけよ?」
「でも、ポケモンは戦い、強さを望む生き物だ。俺らはその習性を利用してるんだ」
「わかってるよ。俺はピカさんたちがいるから、戦うんだ。だから、俺自身のためには戦わない。……俺はピカさんたちのついでに生きている。いわゆる寄生生物なの」
 セッカは生パセリをもさもさと咀嚼した。
「パセリうめぇ」
「……よかったな」



 朝食を終えると、レイアとセッカはエイセツの南の20番道路、迷いの森の入り口に立った。道路と言いつつも自然のままにほとんど手が付けられていないから、道はあってないようなものであるし、頭上を樹冠に覆われた道は暗い。
 けれど森の中は温かく、ヨルノズクの声を聞きながら、二人はのんびりと森に入った。
 そして朝のうちに、見事に道を誤り、迷った。
 昼まで歩き続けて披露した二人は倒木に座り込む。
「ゾロアークに化かされてんじゃねぇの」
「あー、かもなー。どこだよ苔むした岩ー」
 レイアに抱えられていたヒトカゲと、セッカの肩に乗っていたピカチュウがぴょんと倒木から飛び降りる。
 二匹のポケモンが草むらをかき分け、木々の向こうに跳ねていくのを、レイアとセッカはぼんやりと眺め、それからそろそろと立ち上がって二匹を追いかけた。
 道とは思えないほどの細い道を通り、枝葉をかき分け、小さな空き地に出た。

 そこには、大男が屈み込んでいた。水色の上着を肩に掛けた、恰幅のいい壮年の男性である。
 レイアは早足になり、男に駆け寄った。
「……ウルップさん? 大丈夫っすか!」
「ん? ああ、あれだよ」
 レイアの声に、壮年の男はのんびりと屈んだまま振り返った。
 銀髪に銀の髭、そして上着の下はタンクトップである。豊かな腹のせいで屈み込むのがきつそうだった。
 ウルップはレイアを見上げた。
「ええとね、あれ、あれだよ。これだよ」
 セッカが焦れて叫ぶ。
「――どれっすか!」
「タマゲタケだな」
 ウルップは視線を戻した。レイアとセッカもウルップの大きな体の向こうを覗き込み、息を呑んだ。
 巨大な樹木が根こそぎ倒れ、タマゲタケの群れが押しつぶされていた。


  [No.1414] 朝過夕改 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:35:37   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



朝過夕改 中



 倒木の下に潰されたタマゲタケを目にし、セッカが唸る。
「……ひでぇ」
「うん、あれだ、助けてやらんとな。ユキノオー」
 ウルップがモンスターボールからユキノオーを繰り出す。ユキノオーはその太い腕で大木を抱えると、凄まじい怪力で大木を持ち上げ、動かした。
 大木の下では、五匹のタマゲタケの群れがいずれも目を回していた。レイアとセッカは困ったように目を見合わせる。タマゲタケはいずれも瀕死で、早く治療を受けさせなければ命にかかわる。しかし、四つ子が持つ復活草は貴重だ。野生のポケモンにおいそれとは使えない。
「ほら、これだよ」
 屈み込んだウルップは、ポケットから元気の欠片を五つ取り出すと、惜しみなくタマゲタケに与えた。その外見だけでない太っ腹さに、レイアとセッカは敬服した。
「……さすが」
「ウルップさんかっけぇ!」
「ん? ああ、あれだよ、まあありがとうな」
 元気を取り戻したタマゲタケは、ふらふらしつつも三人のトレーナーを恐れて、飛び跳ねるように茂みの奥へ逃げ込んでいった。ウルップはそれを見届けると、のしのしと立ち上がった。
「……あれだな、近ごろ森が騒がしいな」
「騒がしい?」
「お前さんらもあれか、ポケモンを捕まえに来たのか?」
「いや、苔むした岩を探してるんすけど!」
 セッカが訴えると、ウルップはセッカを見つめて、唸った。
「苔むした岩か。それはあれだな、エイセツの近くだな。うん、まああれだ、送ってやるから、ちょっとおれに付き合いなよ」
 ウルップはユキノオーをボールに戻し、草をかき分けて、慣れた様子で森の奥へと進んでいった。
 道に迷っていたレイアとセッカも、エイセツジムのジムリーダーと巡り合えたのをこれ幸いに、ウルップにぴったりくっついて歩いていく。ヒトカゲとピカチュウも、それぞれの相棒の体によじ登った。


 ウルップはのんびりと歩いていたが、一歩一歩が大股で、レイアとセッカは自然と早足になった。ウルップはのんびりとした口調で話しかけてくる。
「お前さんら、あれだろ、四つ子だろ。ピカチュウの奴には初めて会ったがな」
「そうっす、俺はセッカって言います!」
「よく覚えていてくださいましたね」
「あれだ、ジムリーダーってのは、チャレンジャーをよく覚えてるもんだよ。なぜって、負けたらそりゃ悔しいからな」
 セッカはウルップの口癖がお気に召したらしい。上機嫌でウルップに話しかける。
「それじゃああれっすね、何千人って数のチャレンジャーの顔覚えてんっすか?」
「そうだよ、あれだ、うん、強いトレーナーはさすがだと思うし、未熟なトレーナーはこれから強くなってほしいって思うよな」
「あれっすか、ジムリーダーって、記憶力よくないと務まんないんすか?」
「いやあ、あれだよ、自然と覚えるもんだよ。なぜってあれだよ、ジムリーダーはバトルが好きだからね。好きなバトルの相手は好きになるだろ」
 セッカは息をついた。
 ポケモンが好きな人間、バトルが好きな人間、そしてバトルを仕事とする人間は多いが、そのいずれも兼ね備えている人間はそう多くはない。
 セッカはしみじみと語る。
「……なんか、いいっすね、ウルップさんは好きなことを仕事にできて」
 ウルップは前を向いたまま、僅かに首を傾げた。
「うん? お前さんは、トレーナーやっててつまんねえか?」
「俺ら四つ子は、生きるためにはバトルするしかないんすよ。そういうプレッシャーがあるせいか、たまにすごく疲れるんすよ……」
 セッカがそう言うと、ウルップはふうむと考え込んだ。
「お前さんな、あれだよ、確かにおれはポケモンバトルが楽しいけどな。でもやっぱり、バトル以外にも生き甲斐ってもんは見つけたほうがいいぞ?」
 その言葉に、レイアとセッカは立ち止まった。
 ウルップは振り返り、にっと笑みを浮かべる。
「あれだろ、チャンピオンのカルネさんだって女優さんだろ。プラターヌ博士もバトルはするが、普段は研究なさってるだろ。おれ以外のジムリーダーも、あれだよ、ジムリーダーの仕事以外に色々と好きなことやってるだろ」
 レイアは、こくりと頷いた。
「ビオラさんは写真、ザクロさんはロッククライミング、コルニさんはスケート、フクジさんは庭いじり、シトロンさんは機械、マーシュさんはデザイン、ゴジカさんは占い……っすね」
 ウルップはゆっくりとレイアとセッカの二人の前まで戻ってくると、同時に二人の肩をぽんぽんと叩いた。
「バトルばっかじゃあ、確かに薄っぺらな人間になっちまう。だからあれだよ、ポケモン以外のことにも目を向けてみな。いろんなトレーナーが、どんなことに興味を持ってるか、ようく見てみなよ」
 そしてウルップは再び森の奥を見据え、のそのそと歩き出した。
「あれだよ、ポケモンと関わらない生き方もあれば、ポケモンと一緒にバトル以外の道を探ることもできるんだな。ま、あんま余裕ねえかもしれねえが、ときどきひと休みして周りを見てみることも大事だよ」
 レイアとセッカは、密かに感動していた。
 今後ウルップを人生の師として仰ごうと決心した。



 ウルップは若い袴ブーツのトレーナー二人を連れて、森を抜けた。
 迷いの森をエイセツの向こう側へ抜けた記憶のないレイアとセッカは、思わず目を瞠った。
 日は傾き、山吹色の陽光に照らされ、黄色の一面の花畑が涼しい風に一斉にそよぐ。
 思わず感嘆のため息が漏れた。
「……すげぇ」
「さて、どうかな」
 ウルップは風の中でぼやいた。歩き出す。
 森の向こうの花畑は、静かだった。ウルップは花々を腹で押し分け、ずんずんと歩いていったかと思うと、花畑の中に設置されていたゴミ箱を開けてみるなどしている。
 セッカがその後を追いつつ、質問した。
「どうしたんすか?」
「あれだ、静かすぎるんだよ……」
 ウルップは立ち止まり、俯いて何かを考え出した。
「……ここはあれだよ、ナイショの村、ポケモンの村だよ」
「ポケモンの村って……どうしてもたどり着けないっつー村っすか」
 レイアが確認すると、ウルップがんーと唸った。
「まあ、ここは悪い連中に酷い目に遭わされたり、心無いトレーナーから逃げ出したポケモンの場所だよ。心配でな、ときどき様子を見ているんだが」
 そう言って東屋の下などをうろうろと暫く歩き回ったが、ポケモンの村という割には、ポケモンの気配はなかった。
 ウルップはふむふむと唸りながら、ずんずん南へ歩いていった。坂を上がると、川が滔滔と流れていた。
「出てこい、クレベース。波乗りだ」
 ウルップは川の中に氷山ポケモンを繰り出した。背中の平らなポケモンが川面に浮かぶ。
 ウルップは四つ子の片割れの二人を見やった。
「まああれだよ、乗りなよ。座ったら少し尻が冷えるかもしれんが」
 そう言いつつ、ウルップはクレベースの背中に立つ。レイアとセッカは互いに手を繋ぎ、恐る恐る、流氷のように揺れるクレベースの背中に足を踏み出した。
 クレベースはゆったりと、けれど流氷とは異なり、力強く川を遡上した。ウルップは腕を組んだまま仁王立ちしているし、レイアとセッカは立ったままだとふらふらするのでとうとうクレベースの背中の上に座り込んだが、やはりウルップの言った通り、クレベースに尻をつけると二人の体は芯から冷えた。
 やがて滝の近くまで来たところで、三人はクレベースから降りる。
 そのままウルップは崖沿いに歩き、そして一つの洞窟の前で立ち止まった。

 その洞窟の奥は、闇だった。
 それを覗き込み、レイアとセッカは知らず唾を飲み込む。
 中に、何かがいる。
 ウルップも息を吐くと、二人を振り返った。
「ここにいるのは、あれだ、強すぎて孤独になったポケモンだ。こいつは無事らしいな」
 ウルップは気負った様子もなく、ずんずんと名無しの洞窟へと入っていく。
 レイアとセッカはびくびくしつつ、それに続いた。ヒトカゲが落ち着かなげに動き、ピカチュウが微かに唸る。
 ウルップは慎重に歩き、そしてやがて立ち止まった。
「……お前さん、あれ、他のポケモンたちを知らないかね」
 そのポケモンは、ゆっくりと振り返った。

 白い体が闇に浮かび上がる。
 濃紫の瞳。二本足で立ち、人型をしているが、長く太い尾をゆらりと揺らし、細い首を巡らせ、三人の訪問者をじろりと見やる。
「………………」
 そのポケモンは、三本指の腕をついと洞窟の一辺へ伸ばした。そしてゆらりと指を動かすと、幻が消え去り、何もいなかったはずの空間に大勢のポケモンの姿が現れる。
 トリミアン、ニャスパー、ヤヤコマ。ゴチミルやプリン、カビゴン、ゾロアークなどもいる。
 ウルップは顔をほころばせ、白いポケモンに向かって礼を言った。
「そうかあれだな、お前さんが助けてくれたんだな。ありがとうな。騒がしくしてすまんかった。ほらお前ら、出るぞ、もう安心だ」
 ウルップは隠されていたポケモンたちを引き連れ、ぞろぞろと名無しの洞窟から出ていく。
 レイアとセッカは、名前も知らない白いポケモンをじっと見つめていた。
 白いポケモンは、無言のまま二人を見つめ返している。
 ヒトカゲとピカチュウが唸り出すが、レイアとセッカはさっさと踵を返した。
――このポケモンには敵わない。
――何より、戦うことがこのポケモンのためにならない。
 二人が戦いを挑めば、そのポケモンも諦めて応じただろう。けれどそれは無意味な争いに過ぎない。レイアもセッカも、強いポケモンを倒すことそのものに興味はないし、強いポケモンを捕まえることに関心はあっても戦う気のないポケモンを戦わせるつもりもない。
 だから、立ち去った。
 闇の奥に佇む白い影は、二人を見送っていた。


  [No.1415] 朝過夕改 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:37:59   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



朝過夕改 下



 迷いの森を引き返しながら、ウルップは呟く。
「この前、21番道路でも事故があっただろ。最近あれだな、騒がしいな」
「騒がしい?」
「あれだよ、ポケモンが暴れてるんだよ。あるいはトレーナーが暴れてるんだな」
 ウルップの声音は深刻そうではなかった。のんびりと大股に森を歩いている。
 レイアとセッカは同時に首を傾げた。
「分かるんすか? 自然災害じゃないって」
「そうだな。あれは、あれだ、人の仕業だ。でなければ村のポケモンたちがああまで怯える筈がねえからな」
「ふうん……」
 群れで襲い掛かってくるオーロットを、レイアのヒトカゲが炎で脅して追い払う。レイアはまた、腕の中に桃色のリボンをしたイーブイを抱えていた。
「珊瑚、つぶらな瞳」
 小さなイーブイは瞳を輝かせて、襲い掛かってくるすべてのポケモンを見つめ続ける。レイアは首を傾げた。
「……効果あんのかね? っていうか、ちゃんと習得できてんのか、これ?」
「あれだな、たしかに鳴き声とか尻尾を振るとか、変化技ってのは効果が分かりにくいよな」
 ウルップも唸る。
「だが、まああれだよ、たぶんできてるってことでいいと思うよ」
「ジムリーダーさんが仰るならそういう事で」
 レイアは小さなイーブイの頭をよしよしと撫でてやった。イーブイはぷうぷうと喜んでいる。
 襲い掛かってくるオーロットの群れを、レイアはヒトカゲとイーブイに次々と撃退させた。イーブイは相手をつぶらな瞳で見つめ、あるいはヒトカゲを手助けするばかりなのだが、バトルの場に出るだけでも経験値は得られる。
 そうして、何匹目かのモロバレルを追い払った時だった。
 ついにつぶらな瞳を完全に習得したイーブイが、眩い光を放ち始める。
「あ――っ、れーや! れーや! れーや!」
「うるせぇ。分かってる……」
 ぴゃいぴゃいと騒ぐセッカを制し、レイアはイーブイの進化を見守った。
 光の中、長いリボンのような触角が伸びる。
「ふぃあ!」
 光が弾け、桃色のリボンを巻いていたイーブイの珊瑚は、ニンフィアに進化していた。


 レイアは拳を握りこんだ。うまく二匹のイーブイをそれぞれエーフィとニンフィアに進化させることに成功したのだ。
「やったぞ珊瑚! おめでとう。やったな」
「ふぃあふぃーあ!」
 ニンフィアもふわりと軽やかに跳んで、レイアに飛びつく。ヒトカゲも笑顔でそれを見守っていた。
「しゅごい! れーやしゅごい! 完璧だ!」
 セッカも興奮して鼻息を荒くしていた。ウルップもうんうんと頷く。
「あれだよ、進化おめでとうだな」
「ありがとうございます、ウルップさん」
「うん。大切にしてあげるんだよ」
「もちろんっす」
 レイアはニンフィアを抱えて笑った。
 セッカも気合を入れる。
「俺もばんがって進化させないと! 出といで翡翠!」
 セッカもボールから緑のリボンのイーブイを繰り出す。
「いいかぁ翡翠、翡翠は草タイプに進化するんだぞ!」
「ふむ、いいタイミングだな。そろそろあれだよ、苔むした岩だよ」
 ウルップが指さす。
 セッカは大喜びで駆けだし、森の奥の苔に覆われた大岩に飛びついた。苔はひんやりとして柔らかい。
「よし、翡翠、ここでバトルやるぞ! 珊瑚に続け!」
「ぷい!」
 緑のリボンのイーブイは、苔むした岩の周りの草むらを音高く駆け回り、バトルの相手を探す。
 そして、草むらが揺れた。

「た!」
「ま!」
「げ!」
「た!」
「け!」

「……あっ……お前ら――!」
 セッカとイーブイの前に飛び出してきたのは、五体のタマゲタケの群れである。先ほど大木に潰されていたところをウルップに助けられた五体だった。
 セッカは途端に涙目になった。
「……だめ! 逃げて! お前らはもう、ゆっくり休んで……!」
「た!」
「ま!」
「げ!」
「た!」
「け!」
 しかしセッカの言葉に耳を貸さず、タマゲタケの群れは戦闘意欲を燃やしている。
 セッカは涙を拭いつつ、声を震わせた。
「だって俺……お前らには何もしてやれなくって……復活草だって出し惜しみして……っ」
「た!」
「ま!」
「げ!」
「た!」
「け!」
 五匹のタマゲタケは盛んに鳴きたて、イーブイを威嚇している。そしてセッカはとうとう顔を上げた。
「……わかった。お前らの気持ち、無駄にはしない! 行くぜ翡翠、ピカさんもアシスト頼む!」
「ぴかっちゃ!」
「ぷいい!」
 茶番は終わった。
 戦闘に集中したセッカは、ピカチュウとイーブイに指示を下し、容赦なくタマゲタケを追い散らす。
「はっはー! どーだタマゲタケども!」
 そして戦闘直前までのしおらしい態度はどこへか、セッカは胸を張って勝利を宣言する。その後ろでレイアとウルップはにやにやとそれを見ていた。
 緑のリボンのイーブイは初めての激しいバトルに息を切らし、苔むした岩の上でへたり込んだ。
 柔らかい苔にイーブイが頬ずりしたとき、イーブイは光を放ちだした。
 セッカがガッツポーズをする。
「来たっ! 来た来た来たぁ――っ! 行けぇ翡翠――!」
 木漏れ日が揺れる。
 木々がざわめき、緑のにおいが立つ。
 そうして緑陰に、リーフィアが降り立った。

 セッカは相好を崩した。
「やったよ翡翠――っ」
 進化したてのリーフィアにセッカが抱き付く。瑞々しい緑のにおいがする。
 セッカは満面の笑顔で、片割れとウルップを振り返った。
「やったよレイア! ついにやりました! ウルップさんも見て見て見てぇぇリーフィアだよぉぉぉ――」
「おー、やったなセッカ」
「うん、おめでとな。いいじゃねえか、お前さんもあれだ、そのうち、おれとバトルしに来なよ。楽しみだ」
「そのうち! 気が向いたら!」
 二人からの祝福を受け、セッカはリーフィアとピカチュウと一緒に、苔むした岩の周りを踊り狂った。


 それから間もなく、ウルップの案内で無事に迷いの森を抜け出し、ウルップと別れてレイアとセッカは機嫌よくポケモンセンターへ戻った。
 分厚い雲の上で太陽はほとんど沈みかけているらしく、世界は深い青に染まっていた。雪は止むことなく、街を白に閉ざしている。
 そうしてレイアとセッカが震えながらポケモンセンターに駆け込むと、そこには黒衣の仏頂面の人間が、ロビーのソファで膝を組んで二人を待ち受けていた。
「えっ」
「あれっ」
 裁判官のモチヅキだった。
 二人は目を点にした。

 モチヅキとは昨日、ハクダンシティで会ったばかりだ。
 レイアとセッカを追いかけてきたのだろうか。
 二人は混乱して、ポケモンセンターの入り口で立ち止まってしまっていた。
 モチヅキは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「無礼な。じろじろ見るな。座れ」
「……モチヅキさん、お一人で、ハクダンからエイセツに来たんすか?」
 セッカがぽかんとしつつ、そう尋ねる。
 モチヅキは自身の座っているソファの向かい側を顎で示した。
「いいから座れ。今日は一人で来た」
「……なんで」
 大人しく二人くっついてモチヅキの正面に腰を下ろしつつ、ぎこちなくレイアとセッカは視線を彷徨わせる。モチヅキがレイアとセッカの二人を追いかけてきたらしい事実に、二人とも違和感しか覚えない。
 珍しいことに、モチヅキはぶつぶつと文句を言った。
「まったく、勝手に消えおって。……まあいい」
 モチヅキは普段よりも早口だった。
「そなたら、暫し自粛せよ」
「何を?」
「――旅だ」
 レイアとセッカは目を見開いた。
「は?」
「えっ、なになに、何すかいきなり?」
「問題が生じた。……そなたら、妙なトレーナーに付きまとわれておろう。色違いのアブソルの」
 モチヅキは静かに、まっすぐ二人を見据えたまま呟く。
「なぜ知っている、などとは訊かぬことだ。簡単なこと、例のふざけたポケモン協会員が報せてきた」
「……ルシェドウか」
 レイアが唸る。セッカはあたふたとレイアとモチヅキを見比べていた。
「ねえ、ねえ、何なの? 俺ら、アブソルに付きまとわれてんの?」
「そういうことだ。だから暫し、カロスをうろつくのは自重してもらう。……レンリへ行け。電車でミアレを経由し、キナンに籠っておれ」
 突然のモチヅキからのそのような話に、レイアとセッカは戸惑っていた。
「……え、な、なんで? マジで、なんで? なんで急にそんな話になってんだよ?」
「黙れ。レンリにウズ殿がおられる。キナン行きは決定事項だ。従え」
「だから、なんで!」
「そなたらが問題にばかり巻き込まれるからだ」
 モチヅキは有無を言わさぬ、強い口調でそう言った。
 静かな声だったが、レイアもセッカも虚をつかれて一瞬黙り込む。
「ウズ殿は、そなたらを心配しておられる。ウズ殿はユディとかいう学生から、アブソルのトレーナーに付きまとわれるそなたらの話を聞き、随分と心配しておられた」
「……なんで」
「確かに、現在の研究によってアブソルが災いをもたらすというのは迷信に過ぎぬことが証明されてはいる。しかし、そなたら、少しはウズ殿の心労も和らげるよう努めよ」
 そうモチヅキはいつの間にか、いつものような説教口調である。
「私とて、今さらそなたらを幼き童として扱うのはどうかとも思う。しかし、今回だけは、大人しゅう従え。それは私も、かのポケモン協会員も同意見だ」
「ルシェドウか?」
「左様」
 モチヅキは早口に言い捨てた。
「詳細は協会員に聞くがいい。私からは話しとうない。……まったく」
 ルシェドウのことを思い出すだけで腹が立つのか、モチヅキは眉を顰めた。この黒衣の裁判官が感情をあらわにすることが珍しいので、レイアとセッカはにやついてそれを見ていた。
 モチヅキは二人を睨む。
「キョウキとサクヤの二人にも、レンリに来るよう言え。よいな。……しかと申し伝えた」
 そうしてモチヅキはさっさと立ち上がり、腹立たしげに足早に去っていった。


 レイアとヒトカゲ、そしてセッカとピカチュウは、ぼんやりとモチヅキの後ろ姿を見送った。
「なあセッカ、やっぱモチヅキってさ、サクヤと一緒にいる時以外、いっつもキレてね?」
「あ、れーやもそう思う?」
 まずはそうのんびりと感想を漏らした。
 それから二人は顔を見合わせた。
「レンリに来い、だってさ。どうする、れーや?」
「……俺、レンリにゃ行きたくねぇんだけど」
「どしたん。お化けでも出た?」
「赤いのがな」
 レイアがにやりと笑ってそう言い放ってやると、セッカはぴゃああと悲鳴を上げた。スプラッタは無理とか言っている。レイアはぼんやりと、セッカとルシェドウは似ているなと思った。
 だから、ルシェドウと友人になったのかもしれないとも思った。
 レイアはルシェドウとは、レンリタウンで別れたきりだ。そしてあのアブソルのトレーナーのこともルシェドウに任せたはずだが、なぜかクノエでもハクダンでも、そのトレーナーと遭遇してしまった。
 レイアはがしがしと頭を掻いた。
「……あー、わけわかんね」
「ねえねえれーや、どうすんのさ? これ、レンリ行かなかったらウズに無理心中されるパティーンだよね?」
 セッカはそわそわと、ウズの怒りを気にしている。
 レイアもぼんやりと頷いた。
「んだな。しゃーねぇ、行くか。レンリ」
「……い、いい行くの? ……赤いのが出るのに?」
「ばっかお前……俺がついてるだろ」
「ちょっやべ惚れる」
 セッカは笑ってレイアにくっついた。
 レイアもしばらく思考に耽っていたが、すぐにそれを放棄し、セッカの頭に軽く頭をぶつけた。


  [No.1416] 昼想夜夢 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:39:32   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



昼想夜夢 上



 サクヤは、また見てしまった、と思った。
 ピンク色の、派手派手しい日時計をである。それはギラギラと高い太陽の光を受けて輝いていた。青い空と青い湖面の中でいやに目立つ。
 サクヤが目を細めてヒャッコクの日時計を眺めていると、プテラに乗って空を旋回していたキョウキが、ゆっくりと下降してきた。
「よっ……と」
 キョウキがプテラの背から飛び降り、ボールをプテラにかざす。
「ありがと、こけもす」
 フウジョタウンからここヒャッコクシティまで空路を運んでくれたプテラを労い、キョウキはプテラをボールに戻した。そして笑顔で片割れのサクヤと、サクヤがマンムーに乗せて護衛してきたミホと、その孫娘であるリセ、この三人を見回す。
「――さて、どうします? 護衛はここまででいいですか?」
 すると上品な老婦人のミホは、笑顔になって頭を下げた。
「ありがとうございました、サクヤさん、キョウキさん。……そうですね、まずはリセを家に連れて帰りたいと思います。ぜひお礼をしたいので、今日のお夕飯などご一緒なさらない?」
「わあ、ありがとうございます。僕は何もしてませんけど、ありがたくあやかろうかな」
「いえいえ、そんな。では、サクヤさん、キョウキさん。午後六時に、日時計の前で」
 そう言って、ミホは孫娘を連れて、観光客であふれかえるヒャッコクの街並みの中に消えていった。


 その姿が見えなくなると、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキは唐突に鼻で笑った。
「素敵なおばあさんだね」
「とてもその言葉通りに思っているとは思えないんだが?」
 青い領巾を袖に絡めてゼニガメを両手で抱えたサクヤは、溜息をつく。
 キョウキはふふふと愉快そうに笑った。
「サクヤって、ああいう人、好きそうだね」
「逆にお前は、どんな人間も嫌いそうだな」
「そうだね。僕はサクヤとレイアとセッカ以外の人間を信じないからなぁ」
「いつかお前にも、僕ら三人以外に大切な人ができればいいな」
 サクヤが小さく鼻を鳴らし、歩き出す。
 するとキョウキは拗ねたように、サクヤの腕にくっついた。
「……ねえ、なんでサクヤ、そういうこと言うの? 僕にはお前らだけいればいいのに」
「お前はヤンデレか。お前もいつか、兄弟から自立しなければならないだろう」
「どうして? サクヤはいつか、僕らから自立しちゃうの?」
「僕だけじゃない。セッカも、レイアも、そしてお前も変わる。キョウキ、変わるんだ」
 サクヤがそう淡泊に言うと、サクヤの腕を掴むキョウキの手の力が強くなった。
 サクヤは顔を顰め、立ち止まる。
「おい。痛い。離せ」
「……それは、嫌だなぁ」
 キョウキは項垂れていた。フシギダネがキョウキの頭の上から飛び降り、石畳に着地する。ゼニガメがサクヤの腕から飛び出し、フシギダネに飛びついた。そのままフシギダネとゼニガメがじゃれつき出す。
 キョウキの顔は、緑の被衣に隠れて見えない。
 サクヤはますます顔を顰めた。
「なんだ。泣いているのか」
「――んなわけないじゃん?」
 キョウキはぱっと顔を上げた。確かにいつものほやほやとした笑顔である。
 キョウキとサクヤは繋いだ手をぶんぶんと前後に振りながら、並んで歩き出した。キョウキがサクヤに文句を言う。
「サクヤにはさ、モチヅキさんっていう大切な人がいるからいいよね。レイアも、ルシェドウさんやロフェッカみたいな友人がいる。セッカはユディと一番の仲良しだ。でも、僕には誰もいないんだよ?」
「……知ったことか。友人でも恋人でもいくらでも作ればいい」
「こんな性格の奴と、誰が付き合いたがるの?」
 キョウキは自嘲的に笑った。サクヤは嘆息する。
「それは、自業自得だ」
「僕のこの性格がお前らを守るためなの、分かってるよね? 僕ら四人は、互いを補完し合って生きてきた」
「つまり、お前の人間嫌いは、僕ら三人のせいだ、と?」
「僕はね、お前ら三人だけを信じているよ」
 キョウキは湖上の輝く日時計を見つめている。
「……たとえ、セッカがサクヤやレイアが僕の知らないどこかへ行ってしまったとしても、三人は僕のことを忘れないって僕は信じてる。でも、もし僕を忘れたら……僕はお前らを殺しに行こう」
「やはりヤンデレか。知ってたが」
「ふふ。アワユキさんに影響されたかな」
 二人はのんびりと、暖かいヒャッコクの街を仲良く歩いていた。



 キョウキとサクヤが向かったのは、ヒャッコクジムだった。
 二人とも観光やショッピングに興味がないので、ミホたちとの約束の時間までポケモンを鍛えるしか特にすることがなかったのだ。
「ここ、いつもすごいよねぇ」
「いったいこのジムは何がしたいんだろうな」
 ヒャッコクジムの中は、宇宙空間のようになっていた。重力がめちゃくちゃで、純粋なアトラクションとしては楽しめるのだが、ここで平静を保ってバトルをするにはかなりの精神力を要する。
 エスパーポケモンがサイキッカーたちを宙に浮かし、そしてサイキッカーたちは瞑想している。
 天には幾万もの星々が煌めく。
 キョウキとサクヤは案内のジムトレーナーに導かれ、奥のバトルフィールドまで来た。
 黒いドレスに銀のマントのジムリーダー、ゴジカが、宙に浮遊してキョウキとサクヤを迎えた。
「……これは、儀式」
「ああ、これまでを振り返りつつ――」
「これからの道を決めるもの、ですね」
 キョウキとサクヤはさっそくモンスターボールを手にしつつ、浮遊するジムリーダーを見据える。
 ゴジカは星形の耳飾りを揺らし、くすりと笑った。
「――そう、ポケモン勝負。いざ、始めるとしましょう」
「いつも話が早くて助かります」
「どうぞよろしくお願いします」
 ゴジカは、キョウキとサクヤの二人が訪れることを予見していたらしい。ジムトレーナー達は既にバトルのための空間を空けて待機しているし、キョウキやサクヤが何も言わなくてもゴジカはバトルの用意を整えている。
 ゴジカは二つのボールを浮遊させ、解放した。シンボラーとゴチルゼルが現れる。
 キョウキの頭に乗っていたフシギダネが跳び下り、サクヤの腕の中にいたゼニガメが飛び出す。
「頼むよ、ふしやまさん。アクエリアスも、よろしくね」
「ふしゃー」
「ぜにぜにぜにが! ぜにぜにーっ!」
 キョウキのフシギダネはのそのそと不思議な空間に足を踏み出し、サクヤのゼニガメは短い両腕をぶんぶんと振り回して気合十分である。
「では……」
 ゴジカのその一言を合図に、キョウキとサクヤはそれぞれ指示を飛ばした。
「ふしやまさん、シンボラーに眠り粉だよ」
「アクエリアス、ゴチルゼルに威張る」
「シンボラー、エアスラッシュ。ゴチルゼルは瞑想」
 フシギダネが背中の植物から噴き出した眠り粉を、シンボラーの巻き起こした風が吹き払う。
 一方では、ゼニガメが傍目にも鬱陶しく威張るのを、瞑想するゴチルゼルは軽く受け流した。
「シンボラー、ゴチルゼル。サイコキネシス」
「アクエリアス、ふしやまごと、守る」
「ふしやまさんはその隙に、宿り木の種だよー」
 二匹のポケモンから放たれる念動力をゼニガメが防ぎ、その背後で身をかがめていたフシギダネが距離を測り、宿り木の種をシンボラーとゴチルゼルの両方に素早く植え付ける。

 その後もフシギダネが眠り粉をばらまき、ゼニガメが威張り、そしてシンボラーやゴチルゼルの攻撃をゼニガメが庇ってその陰でフシギダネが工作をする、という流れがもう一巡繰り返された。
 とはいえ、フシギダネの振りまく眠り粉はシンボラーの風に阻まれ、威張るゼニガメは冷静なエスパーポケモンたちには完全に無視されているようにしか見えない。
 一方では、向こうからの攻撃もゼニガメが全て防ぎ、宿り木の種で相手の体力も少しずつ削ってはいる。
 状況は、様子見の段階を終えようとしていた。
「工作はそろそろ諦めようか、サクヤ?」
「仕方ないな。もう面倒は見ないぞ、キョウキ」
「お前もな」
 早口でそれだけ意思疎通をすると、二人はばらばらに指示を出した。
「――ふしやまさん、ゴチルゼルにギガドレインだよ!」
「アクエリアス、シンボラーにハイドロポンプ!」
「シンボラー、光の壁。ゴチルゼルはフシギダネに、サイコキネシス」
 本格的な攻防の火蓋が切って落とされた。
 フシギダネは強力な念力にねじ伏せられつつ、奪われた体力をその分ゴチルゼルから吸収する。更にゴチルゼルに絡みついた宿り木から養分を吸収し、回復を間に合わせた。
 シンボラーが壁を張るその直前に、ゼニガメの吹き出した水流がシンボラーに叩き付けられる。
「アクエリアス、ロケット頭突き」
「ふしやまさん、身代わりで耐えて」
 ゼニガメは甲羅に籠り、そして光の壁を打ち破ってシンボラーにぶつかっていく。シンボラーがふらつく。ゴチルゼルの念力を、フシギダネは身代わり人形の陰でしのいだ。
 ゴチルゼルの動きに隙が大きい。ゼニガメの威張りは多少効果があったのか、そのゴチルゼルの隙を突いてフシギダネはさらにギガドレインで体力を吸い取る。
 シンボラーが、リフレクターを張る。
 二つの壁と、瞑想と。宿り木の種と、身代わりと、守ると。

「もうやだ、持久戦とかめんどくさいよー」
「嫌なら最初から悠長に工作などするな」
 ぼやくキョウキを、サクヤが叱咤する。
 相手が瞑想を積むたびに、相手の特殊攻撃力は増し、同時に特殊防御力も増す。更には、光の壁とリフレクターもあり、こちらのすべての攻撃の威力は半減する。
 宿り木の種のおかげで、常に一定量の体力をゴジカのポケモンからは奪うことができるが、決定打にはならない。
 ゴジカも、キョウキも、サクヤも、しばらく指示を控えて、四体のポケモンたちに彼らの思うままに戦わせていた。とはいえ、どのポケモンも攻撃の隙を窺って守りに回るばかりである。
 キョウキはなおもぼやいた。
「はあ……サクヤと組むと、いっつもこれだ。ふしやまさんもアクエリアスも、割と耐久型だからさぁ」
「レイアのサラマンドラや、セッカのピカさんがアタッカーだからな……」
「レイアとセッカの二人が相手だったら、勝手に自滅してくれるんだけどなぁ。ふしやまさんの眠り粉宿り木身代わりギガドレ構成と、アクエリアスの威張る守るで完封なのにさ」
「やはり、ジムリーダー相手にはアタッカーが必要だな…………というか、ふしやま、ソーラービーム忘れさせたのか?」
「うーん、ギガドレインが必要なさそうなら思い出させようと考えてる。やっぱり今のままじゃ、火力不足気味なんだよなぁ……。アクエリアスの技はあと二つ何なのさ?」
「ハイドロポンプとロケット頭突きだ」
「あ、じゃあこっちの技構成は、全部ゴジカさんにばれてるねー」
 戦闘は膠着状態に陥りつつある。ゴジカの方も特に事態を打開するでもなく、挑戦者であるキョウキとサクヤに考える時間を与えてくれているようであった。
 キョウキとサクヤはぼそぼそと相談する。
「確認しようか。シンボラーの技は、光の壁、リフレクター、エアスラッシュ、サイコキネシス」
「ゴチルゼルは、サイコキネシス、瞑想……あとは未来予知か何かじゃないのか。あれはアクエリアスでも守れない」
「あー、ゴジカさんの十八番かぁ。絶対、とどめさす用に残してるよ……」
「どうする?」
「さあ。宿り木の種でだいぶ向こうも消耗してる。来るならそろそろじゃないかな。未来予知が現実になる前に決着つけるか、一か八か耐えるか」
「面倒だ。もう終わらせるぞ」
「そうしよっか」
 二人の相談が終わるのを待っていたかのように、ゴジカは静かに指示を出した。
「ゴチルゼル、未来予知」

 キョウキとサクヤは、間髪入れず叫んだ。
「行くよふしやまさん、ゴチルゼルに眠り粉!」
「アクエリアスはシンボラーに、ハイドロポンプ!」
 ゼニガメがシンボラーを水流で弾き飛ばす。その隙に、未来に攻撃を予知するゴチルゼルに、フシギダネが眠りへと誘う粉を振りかける。
「――ゴチルゼル、寝言」
 ゴジカは静かにそう命じた。
 眠りについたはずのゴチルゼルが、腕を掲げた。キョウキが、うげっと妙な声を出す。
 フシギダネが、ゴチルゼルのサイコキネシスをまともに食らう。
 どうにか耐えきり、フシギダネから深緑の力が立ち上る。
 キョウキとサクヤは、同時に息を吐いた。
 詰みだ。
「頑張れふしやまさん、ギガドレインだよ」
「アクエリアス、シンボラーにロケット頭突き」
 フシギダネが力を振り絞り、ゴチルゼルから体力を吸い尽くした。
 一方では、ゼニガメがシンボラーをとうとう撃ち落とした。
 未来に予知されていた攻撃が、次元の狭間で消滅するのが、なぜかキョウキにもサクヤにも分かった。


  [No.1417] 昼想夜夢 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:41:22   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



昼想夜夢 中



 ゴジカが静かに、シンボラーとゴチルゼルとモンスターボールに戻す。
 そしてゴジカは浮遊したまま、激戦を制したフシギダネやゼニガメをそれぞれ労っているキョウキとサクヤの方へ近づいてきた。宇宙を裏打ちした銀のマントが緩く翻る。
 重々しく口を開いた。
「これは、光。――フシギダネとゼニガメ、あなたたちに心を開き従った、見事なバトルでした。そう、あなたたちの力」
 それぞれフシギダネとゼニガメを抱き上げたキョウキとサクヤは、ぽかんとしてゴジカを見上げた。
「あー……えっと……?」
「これからの道をもう一度見定めることは、できましたか」
 ゴジカは目元を緩ませ、うつくしい笑みを湛えている。
 緑の被衣のキョウキと、青い領巾のサクヤは、顔を見合わせた。
「……これから、どうするか?」
「まず、このあとは用事があって、その後ブラッキーに進化させて……さらにその後、という意味ですか?」
「そうです。これは、道標。過去に迷い現在に失われた者を、未来へと導くもの。そう、占い。――あなたたち、未来を占いますか」
 え、とキョウキとサクヤは声を揃えた。しかしキョウキの腕の中でフシギダネはにっこりと笑って穏やかに鳴き、サクヤの腕の中でゼニガメは元気よく鳴きながら手足をばたつかせる。二人は相棒を見下ろす。
「どうしたの、ふしやまさん。占ってもらえって?」
「だぁーねぇー?」
「……お前たちは占いに興味があるのか?」
「ゼーに、ぜにぜにぜーに、ぜにーっ!」
 ゼニガメはサクヤの腕の中から勝手にぴょんと飛び出したかと思うと、床の上でぴょんぴょんと跳ねて、宙に浮遊しているゴジカの纏う不思議なマントに飛びつこうとしている。サクヤはすぐにゼニガメを拾い上げた。
「失礼しました。……ええと、ゴジカさんは、会社のビジネス戦略も恋占いもぴたりと的中させてしまうとか」
「どなたの未来も、視るわけではありません。だからこれは、異例。あなたたちの未来、その断片を知れば、これからの道が開けるかも。そう、スペシャルサービス」
「つまり無料で占ってくださる、と」
 キョウキが笑顔で確認した。ゴジカは浮遊したまま、二人についてくるよう促し、ジムの裏へと入っていく。
 ゴジカの声はゆったりと深く、思わず聞き惚れるような艶やかさを持っている。
「これは、使命。ジムを預かる者は、それに挑戦する者の道程を量り、これからの道を指し示すもの。そう、ジムリーダーの役目」
「僕らのバトルの中で、何か読み取られましたか?」
「……疑問。不安。不信。未来への、怯え」
 ゴジカはそう告げた。


 そうしてキョウキとサクヤの二人がゴジカに連れられたのは、華やかな舞台の裏側に期待してしまうような寒々しい殺風景な楽屋裏ではなかった。
 その占い部屋は、やはり天幕に星座が象られ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。ゴジカが占い師として運勢を見る際に使う部屋だろう。
 テーブルの傍には椅子が三つ。ゴジカは、二人をこの占い部屋に連れてくることも予見していたというのだろうか。
「どうぞ、お座りなさい」
 促されて、キョウキとサクヤはおずおずと腰を下ろした。丸テーブルを挟んで、ゴジカと向かい合うように座らされる。二人とも占いなどにまったく興味は持っていなかったので、このような場でどのようにふるまうべきか全くわからない。
 四つ子は、現実主義者である。基本的には科学的に証明された理論を信じるし、感覚的なものは妄信することはない。しかし、現実として直面したものはそのまま受け入れる用意はあった。
 この世界には、奇妙なものがたくさん存在する。
 ポケモンの存在然り、水ポケモンがどこから水を出すのか、岩ポケモンがどこから岩を出すのか、ゴーストポケモンがどこから来るのか、エスパーポケモンの能力の正体は何なのか。何一つ分かってはいない。
 そして、ポケモンだけではない。人間の中にも、霊感のある人間やら、サイコパワーを持つサイキッカーやら、波動なるものを操る波動使いやらが実在するのだ。
 さらにはこのゴジカには、万人に認められる確かな実績もある。いくら現実主義者のキョウキとサクヤでも、強いて説明のつかない摩訶不思議な現象を全否定しようとは思わない。
 ゴジカに促されるままに、二人は手を伸ばす。
 ゴジカの右手がキョウキの手を、左手がサクヤの手を取る。二人の手が、ゴジカの腕輪を通る。
 その腕輪は、テーブルと垂直に立っていた。まるで異世界へ繋がっているかのような。
 この腕輪に手を通すと、ゴジカにはその者の未来が見えるという。
 つまり、腕輪のこちら側とあちら側では、空間的に仕切られているのだ。それが現実と未来という隔たりなのか、物質と精神という隔たりなのかは、二人には分からない。占いとは、時空を超えるのか、心を見通すものか。
 ゴジカはしばらく二人の手を同時にとって、じっと何かを感じ取るかのように瞑目していたが、やがて息をついた。
 フシギダネとゼニガメが興味津々といった風に見守る中、キョウキとサクヤは恐る恐る手を引いた。
「え、えーと……いかがですか」
「これは、信頼。すべてのポケモンたち、あなたたちに心を開き従う。そう、それが八つのバッジの光」
「それは、ジムバッジを八つすべて集めた際に分かっていたことだと思うんですけど」
 キョウキが口を挟むと、ゴジカはくすりと笑った。
「そう。だから、どうしても人を信じられないとき、傍の仲間に頼りなさい」
 フシギダネがにっこりとキョウキに笑いかけている。キョウキもどこか釈然としない表情ながら、相棒のフシギダネの頭を撫でた。フシギダネが気持ちよさそうに、キョウキの手に頭を摺り寄せる。
 サクヤもゼニガメをしっかり抱え、そしてそのゼニガメに黒髪をぐいぐい引っ張られつつ、ゴジカに尋ねた。
「……つまり今後、人が信じられなくなるということでしょうか? すべての人間が信じられなくなるのですか?」
「信じる信じないは、道そのものではなく、道の歩み方の問題。だから、その問いには答えられません」
「……では、お聞きします。今後、僕らは面倒事に巻き込まれるのでしょうか? 大きな事件に巻き込まれることはありますか? 僕らは、無事に旅を続けられるのでしょうか?」
 するとゴジカはテーブルに両の肘をつき、両手で頬を支えて、どこか悪戯っぽく微笑んだ。
「あなたたち、旅を続けますか?」
「えっ」
「えっ」
 虚を突かれ、二人は瞠目して占い師を見つめた。ジムリーダーからそのように言われて、どうしようもなく動揺する。
「……え、ど、どういう意味です? 旅、やめた方がいいんです?」
「これは占い。未来を示唆し、進むべき方角を想起させるもの。そう、可能性。助言ではありません」
 旅をやめるべきと言っているわけではない、とゴジカは告げる。
 キョウキとサクヤは占いの解釈に頭をひねった。
「うーん、えーと、じゃあ、旅をやめることも考慮に入れろってこと……? でも、ポケモンは信じるんですよね? つまり、トレーナーをやめるというわけではない……? 定住してトレーナーを続けろと?」
「そもそも、僕は事件に巻き込まれることがあるのかとお尋ねした。それに対して、旅を続けるかとのご質問を頂いたんだぞ。それはつまり……厄介なことが起こる可能性があるということか……?」
 頭を抱えている二人のそっくりなトレーナーを、ゴジカは微笑んで見つめていた。
「では、最後に一つ。あなたたち、滝を見にお行きなさい」
 キョウキとサクヤはますます眉を顰めた。
「……レンリタウンに行け、ということでしょうか?」
「なぜですか。その未来は決定事項か何かなんですか?」
「これは助言。あなたたち、レンリに行くべきです。なぜなら、そこに大切な人がいるから」
 ゴジカは目を伏せている。
 キョウキとサクヤは一瞬だけ視線を交わした。
「大切な人? レイアとセッカってことかな?」
「さあ……しかしあいつらとは別れたばかりだし、会おうと思えばいつでも……いや、これは占いではなく、助言とのことだぞ」
「え、つまりいま会いに行かなきゃレイアとセッカが危ないってこと?」
「分からない。しかし、未来を予知なさるゴジカさんの助言だ、無視するのは怖すぎる」
 そう早合点すると、フシギダネを抱えた緑の被衣のキョウキと、ゼニガメを抱えた青の領巾のサクヤは、素早く椅子から立ち上がった。
「ありがとうございます、ゴジカさん。ちょっくらレンリタウンに行ってきます」
「お世話になりました」
 ゴジカはゆったりと頷いた。
 そして腕輪に通した手をすっと伸ばし、二人の背後の天幕を指す。すると、天幕がひとりでに割れ、占い部屋の外へと通じた。
 キョウキとサクヤはゴジカに会釈し、占い部屋を出ようとした。
 しかし、そこで逆に占い部屋に入ろうとした客と、鉢合わせした。
 キョウキが愛想笑いを浮かべる。
「……おやおやおや」
「ミホさん、リセさんも……」
 サクヤも軽く眉を上げた。
 そして、少女を連れて占い部屋に入ってきた老婦人は、口元に手を当てた。
「あら、サクヤさん、キョウキさん。貴方がたも、占いに興味をお持ちでしたの?」
 キョウキとサクヤと入れ替わりに占い部屋に入ろうとしたのは、二人がフウジョタウンからこのヒャッコクまで護衛してきたミホと、その孫娘のリセだった。



 フシギダネを頭に乗せたキョウキと、ゼニガメを抱えたサクヤは、ヒャッコクの北辺、湖畔に佇むカフェに腰を落ち着けていた。
 日は天頂を回り、暖かい陽気の中、湖面は凪いでいる。
 キョウキはクッキーを貪りながら、にこにこと毒々しい笑みを浮かべていた。
「ほんっと、腹立つよね」
「何がだ」
 サクヤは澄ましてストレートの紅茶を啜る。キョウキは小さなクッキーを両手で持って、デデンネか何かのように前歯でかりかりとそれを齧り取っていた。
「あのおばあさんとその孫の女の子に、占い好きだって思われたことがさ。ああ、僕、占いなんて別に信じないのに!」
「だが、ゴジカさんの占いはすべての客層から定評がある。テレビや新聞でも運勢占いを担当されているぞ」
「そういうことじゃなくてさ! ミーハーだって思われたくないの!」
 キョウキはかりかりかりかりとクッキーを貪り食らった。さながら音で苛立ちを表しているようでもある。
 サクヤは呆れたように目を細める。
「お前は、意外と古い人間だな」
「お前もね。ついでに言えば、レイアもセッカも相当古いよ。ウズの作った着物を旅立ちからずっと大切に着続けて、ブティックにも一切寄らないし」
「それはお前、金が無いからだろう」
「そうだよ! マネーがないんだよマネーが! だから占いなんて無駄っぽいことに使わないんだよ! 今日はたまたまゴジカさんがスペシャルサービスしてくださっただけなんだよ!」
 キョウキはぴゃあぴゃあと喚いた。少しだけ、四つ子の中でいつもは賑やかしを担当するセッカの真似をしているようだ。
 キョウキは大声を出したことに気付いたように、逆にぼそぼそと低い声になった。
「……ほんとさ、占いとかしてもらいに来る人って、暇っつーか、裕福だよねぇ……。ほんと羨ましい。そんなお金あるのに、どんな悩み事があるってんだい……」
「お前は情緒不安定か。……人の悩みは尽きない。金銭はもちろん、人間関係、将来のこと、果ては明日の天気まで」
 キョウキはぐったりとテーブルの上で項垂れた。
「ほんと最悪。早くレンリ行きたい。――あ。もうやだ、忘れてたよ……僕ら、あのおばあさんと晩御飯食べなくちゃじゃん。……めんどくさいよう」
「なら、お前だけ先にレンリに行けばいい」
「やだ。せっかくタダでご飯食べれるチャンスだもん。よし、食えるだけ食ってこう」
「卑しいぞ」
「ねえサクヤ。いい子ちゃんぶるのって、疲れない?」
 キョウキが肘をついて、いつの間にかにっこり笑ってサクヤを見つめている。さながら甘い囁きをする悪魔のようである。
 サクヤは顔を顰めた。
「お前がどう思おうが、僕自身も聖人君子を装っているつもりはない。僕は僕なりに、自分の思いに素直に行動しているだけだ。それが、ひねくれたお前の眼には、僕までひねくれているように見えるだけだ」
「そうなんだろうね」
 キョウキははあ、と大きく溜息をついた。
 サクヤは片手で青い領巾を押さえつつ、片手を伸ばして、キョウキの被っている緑の被衣を頭から取り払ってやった。そうして、キョウキの黒髪をぞんざいに撫でてやる。
「お前は不器用だ」
「……ええ? そうかな? かなり気を配って立ち回っているつもりだけれど」
「お前はぱっと見、いい奴だ。そして五分も話せば、ただの下衆だと分かる。――だがな、生まれた時からずっとお前と一緒にいれば、お前が本当に優しい奴だということくらい、分かっている」
 キョウキは項垂れて頭を撫でられながら、ちらりと上目遣いにサクヤを見やった。
「……今、デレたね、サクヤ」
「うるさい。ツンデレなのは僕ではなくレイアだ」
「お前は本当に、素直だよ」
「お前は本当に、愚図だな」
 サクヤがキョウキの髪をわしゃわしゃと掻き回しているその足元で、やんちゃなゼニガメは甲羅の上に穏やかなフシギダネを乗せて、喧しくお馬さんごっこをしていた。


  [No.1418] 昼想夜夢 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:43:10   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



昼想夜夢 下



 老婦人のミホと、その孫娘のリセと共に、キョウキとサクヤはレストランで夕食をとった。
 幼いリセは上機嫌に、ゴジカの占いで教えてもらった内容や、祖母に買ってもらった神秘的なお守りをキョウキやサクヤに披露していた。キョウキの下衆さを綺麗に忘れ去ってしまったような少女の振る舞いに、キョウキは少なからず面食らっていた。
「あのねー、このピンクのクリスタルねー、コスモパワーがつまってるの! きれいでしょー!」
「なるほど」
 サクヤはぎこちない微笑を浮かべつつ、真面目に少女を見つめて頷いた。キョウキが面白さに肩を震わせていた。
 少女は満面の笑みを浮かべて、隣の席の祖母に人懐っこく甘えかかる。
「だからね、リセね、ピッピちゃんがほしいなぁー。ねえいいでしょ、おばあちゃーん」
「そうねぇ、リセちゃんがおばあちゃんのところに来てくれたお祝いに、ピッピちゃんにもおうちに来てもらいましょうねぇ。楽しみに待っててねぇ」
 ミホもまた幸せそうな笑顔を浮かべて、孫娘を甘やかす。
 席の反対側では、キョウキがこそこそとサクヤの耳元で囁いていた。
「……ピッピって、やっぱりピッピ人形かなぁ? それとも本物を捕まえるのかなぁ? ねえねえ、カントー地方じゃピッピって、ゲームコーナーの景品らしいよ?」
「お前ちょっと黙れよ」
 サクヤはキョウキの脛を蹴り飛ばした。
 ミホとリセは、とても仲がよさそうだ。ミホからも幼い孫娘が可愛くてしょうがないという雰囲気があふれ出ているし、リセも優しい祖母によく懐いている。
 この家族は悲劇に見舞われたが、この祖母と孫娘なら、幸せな暮らしを得られるのではないかとサクヤは思っている。ミホは見るからに裕福そうな身なりをしているから、リセにも十分な教育を受けさせ、そして幸せな将来を保証するだろう。
 ミホに任せれば、きっとリセは、母親のアワユキや、父親や、あるいは兄や姉のようにはならないだろう。
 サクヤは満足していた。幸せそうな人間を見ていると、心が温かくなる。
 一方でキョウキは、やはりくすくすと揶揄していた。まるでサクヤの心の中を読んだような口ぶりだった。
「……いやあ、どうだろうねぇ。一緒に占いに行くようなおばあさんとその孫だよ? 何かうまくいかなくなったら、絶対すぐスピリチュアルなことにのめり込んじゃうんだ、そしてアワユキさんと同様、変な宗教にハマっちゃうんだよ、きっと」
 キョウキはサクヤの耳元で、ぼそぼそと楽しげに呟いている。
「……リセちゃんはやっぱりメルヘン少女志望だね、フェアリータイプのピッピをご所望なところを見るに。で、思春期が来るとミホさんのことをババァって言うようになって、ミホさんもそういうの慣れてないから厳しくなっちゃって、で、結果リセちゃんはグレますね」
「お前な……」
「……リセちゃんの将来は奇抜なヘアースタイルのバッドガールか、オカルトマニアと見た」
「お前、もう黙れ」
 サクヤは隣の席のキョウキにヘッドロックを決めた。
 キョウキの呟きは耳に入っていなかったらしいミホが、二人を見て朗らかに笑う。
「仲がよろしいのね」
「ええとても」
 サクヤが笑顔でそのように取り繕う傍で、キョウキが懲りずにくすくす笑っている。
「……ミホさんって耳、遠いよね……」
 サクヤは無言でキョウキの首を本気で締めにかかった。


 そのような暖かく、一辺では薄ら寒い夕食を終え、四人はヒャッコクの日時計を見に行った。
 午後八時から、日時計は光を放つ。
 それが有名で、またこの謎の建造物が日時計と呼ばれる所以でもある。
 ヒャッコクに暮らすミホは、毎日自宅からその輝きを眺めるという。そしてその孫のリセは、今日初めて、輝く日時計を見ることになる。
 キョウキとサクヤは、彼女たちから数歩後ろに下がって、日時計を、あるいは彼女たちを見守った。
 夜の街は、寒かった。
 夜空には星々が煌めき、湖面は暗く静かに凪いで、深紅に沈んだ日時計は湖に眠っているように見えた。
 一条の光が差す。
 観光客から歓声が起き、シャッター音が上がる。
 リセが、わあ、と小さく声を漏らす。その隣で祖母のミホは微笑んでいる。
「綺麗でしょう?」
「うん、ミホのピンククリスタルみたい!」
「ほんとに、そうね。今日から毎日、日時計がリセちゃんを見守ってくれますからね」
「うん、おばあちゃん!」
 白いコートのリセが、祖母のスカートにくっつく。眠いらしく、そのままうつらうつらとし出した。
 燦然と輝く日時計を背景にして、ミホはキョウキとサクヤの二人を笑顔のままゆっくりと振り返った。
「今日は本当に、ありがとうございました。フウジョからヒャッコクまで連れてきていただいて」
「いえ。お役に立てたなら嬉しいです」
 サクヤは返事をする。
 キョウキが愛想笑いを浮かべて、何を考えたのかミホに申し出た。
「リセちゃん、寝ちゃいそうですね。ご自宅までお送りしましょうか?」
「いえ、大丈夫よ。私のポケモンに手伝ってもらうから……」
 ミホは微笑んで、バッグに入れていたモンスターボールを解放した。
 マフォクシーが現れる。
 キョウキが歓声を上げた。
「おお、びっくりしちゃいました。ミホさんって、トレーナーではないんですよね? それにしたって、見事なマフォクシーですねぇ」
「ありがとうございます。孫の……梨雪のポケモンなのよ」
 ミホはしみじみとそう語った。
 リセの姉にあたる、ミホの二番目の孫、何年も前に亡くなったという少女は、ポケモントレーナーだったのだろうか。梨雪のマフォクシーは戦い慣れた瞳でじっと数瞬キョウキとサクヤを見つめていたかと思うと、ミホのスカートに縋りついてうとうとしていた少女をそっと抱き上げた。
「では、失礼いたしますわ。サクヤさん、キョウキさんも、良い旅を」
「お気をつけて」
 ミホと、リセを抱き上げたマフォクシーは礼儀正しい会釈を残し、市街地の方へ戻っていった。



 キョウキとサクヤは、輝く日時計を二人並んで見つめている。
 周囲には観光客が絶えない。
「やたらカップルが多いね」
 頭にフシギダネを乗せたキョウキが、日時計から目を離さないまま呟く。
「そうだな」
 ゼニガメを両手で抱えたサクヤも相槌を打った。
 キョウキはくすくすと笑い出す。
「確かに、おっきくってピンクで固いって、なんか、やらしいよね」
 サクヤの手刀がキョウキの脇腹を抉った。

「ぐおおおおおお…………」
 キョウキはしゃがみこみ、悶絶する。
 サクヤの腕の中で、ゼニガメが爆笑している。
 先ほどの勢いでキョウキの頭上がら落ちてしまったフシギダネが、呑気に鼻先でキョウキの膝をつついていた。
「だぁーねぇー?」
「……痛いよう」
「貴様は、本当に、変態だな。変態。この変態が……」
 サクヤは冷ややかな眼差しでキョウキを見下ろす。キョウキは蹲ったままにやにやとサクヤを見上げた。
「え、サクヤちゃん、まさか今ので照れてんの? うっわぁ純情だね。さっすがモチヅキさんのお気に入り」
「どういう思考回路だ。公共の場で卑猥な発言をするな」
「はいはい。――ねえサクヤ、勝負しない?」
 キョウキからの突拍子もない申し出に、サクヤは半身を引いて、ますます眉を顰めた。
「……何の勝負だ……」
「やだなぁ、夜の勝負とかじゃないよう」
「ふざけるな……」
「だいたい、自分と同じ顔した奴に劣情を抱くほど自惚れちゃいないし。バトルだよ、バトル。ポケモンバトル」
 キョウキは軽く笑いながら立ち上がった。袴に着いた砂を叩き落とし、サクヤを見つめてにこりと笑う。
「バトルしませんか」
「なぜですか」
「胸糞悪いから」
「ますますわけがわからん」
 キョウキは笑顔のまま、二つのモンスターボールを取り出し、シャワーズとサンダースを繰り出した。数日前に進化させたばかりのキョウキの手持ちだ。
 緑の被衣の下で、レイアにそっくりな顔でにやりと笑った。
「バトルすっぞ」
「……キョウキ、お前いま、あの戦闘狂と同じ顔してるぞ」
「同じ顔してんだよ。はよポケモン出せや」
 レイアの物真似が興に乗ったらしく、キョウキは険のある笑みを浮かべている。
 サクヤは溜息をつき、素直にグレイシアとイーブイを繰り出した。
「……仕方ない。この機会に進化させるか」
 輝く日時計の前の広場で、二人は距離をとった。観光客がスペースを空ける。
 キョウキはへらりとした脱力した笑顔に戻った。
「行くよ、瑠璃、琥珀。……まず、瑠璃は玻璃に体当たり。琥珀は螺鈿に体当たり。それ行け!」
 そう、丁寧な指示を下す。
 進化したて、さらにいえば生まれてから一週間も経たないシャワーズとサンダースは、キョウキのゆっくりとした聞き取りやすい指示を受けて、とてとてと走り出した。
「玻璃は右、螺鈿は左に、躱せ」
 サクヤも指示し、グレイシアと、濃色のリボンを耳に巻いたイーブイは走り出した。
 すると、シャワーズとサンダースは、走るグレイシアとイーブイを、走って追いかけだした。
「しゃうー!」
「さんっ」
「しあぁ」
「ぷいー」
 そして間もなく、体当たりとそれを躱す、というただそれだけだったはずの一連の動作は、ただの鬼ごっこに早変わりした。
 キョウキとサクヤは互いに顔を見合わせる。
「……真面目にやってよ」
「……お前もな」
 そして、四匹のポケモンに視線を戻す。
「瑠璃、琥珀に手助け! 琥珀は玻璃に体当たり!」
 キョウキの指示を受けて、シャワーズがサンダースに力を分け与え、その力を得たサンダースが加速し、グレイシアに向かって突進した。先ほどまでと勢いが違う。
 サクヤも、グレイシアとイーブイにそれぞれ命令した。
「玻璃、琥珀に砂かけ! 螺鈿、瑠璃に尻尾を振る!」
 グレイシアが、突進してきたサンダースの顔面に砂をかける。サンダースは砂が目に入ったらしく、体当たりの勢いはどこへやら、きゃうきゃうと騒ぎつつ前足で目をこすっている。
 その一方で、イーブイがシャワーズに向かって尻尾を振り、シャワーズが戸惑いを見せる。

 それは稚拙な戦闘だった。
 体当たりと、尻尾を振ると、鳴き声と、手助けの応酬。
 何が技で、なにがそうでないのか、よく分からない。次第にシャワーズとサンダースとグレイシアとイーブイはおやの命令も待たずに、勝手に取っ組み合いを始めてしまった。もはやただの喧嘩になっている。
 キョウキとサクヤは、呆れ果てて同時に溜息をついた。
「この子たち、まだまだ弱いね」
「弱いし、頭も悪いな」
「経験がないからねぇ」
「明日からは、他のポケモンたちと模擬戦闘させるか」
 そして二人は、四匹のポケモンたちによる低レベルな争いを眺めた。
 シャワーズがイーブイの耳に食いつき、イーブイはぴゃいぴゃいぴいぴいと喚いてじたばたしている。サンダースはひたすらグレイシアを追いかけ、この二匹で先ほどからひたすら円を描いていた。
 埒が明かない。
 しかし面倒になったので、キョウキとサクヤは指示を出すのをやめて、二人仲良く広場の縁へ歩いていき、生垣の縁石に腰を下ろした。
「かわいいねぇ」
「かわいいな」
「ふしやまさんやアクエリアスも、昔はああだったよねぇ」
 言いつつキョウキが頭上からフシギダネを抱えて膝の上に下ろすと、フシギダネはのそのそとキョウキの膝の上で向きを変え、キョウキの顔を見上げてにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「だぁーね」
「ぜに! ぜにぜにー! ぜーにぜにっ!」
 一方でサクヤのゼニガメは、サクヤの腕の中から今に飛び出しそうな勢いで、四匹の稚拙な戦いに野次を飛ばしている。サクヤはゼニガメが乱闘に加わるのを防ぐため、しっかりとゼニガメの甲羅を両手で捕まえておいた。
「……あれから随分と時が経ったな」
「僕ら、あんなへなちょこトレーナーだったのに、今は随分バトルできるようになったよね」
「まったくな。慣れとは恐ろしいものだ」
「死に物狂いで、毎日バトルに明け暮れたからねぇ」
 ポケモンを貰って旅に出て、初めはトレーナーに勝負を挑んでも、負け続けだった。新人トレーナーだから、勝率は自然と五割を切る。すると金銭的に窮する羽目になる。
 仕方がないので、安くで生活できるポケモンセンターに籠るようになる。そして、自分よりも経験の浅い新人トレーナーを集中的に狙い、勝負を仕掛ける。
 本当に狩りをしている気分になった。そう、この世界は弱肉強食なのだ。狩らなければ、狩られるだけだ。
 そして勝てるようになってくると、調子に乗って格上のトレーナーにも勝負を仕掛けたりして、そして再び惨敗する。またもや金に困る。強さが必要なのだと、実感する。
 賞金の出ない野生ポケモンとの戦闘を地道に積み重ね、手持ちのポケモンに新たな技を習得させ、固い地面に横になりながらイメージトレーニングをして、そして開き直ってやけになってバトルをする。絶叫するように指示を飛ばす。そうするとだいたい相手トレーナーが怯むから、そうした心理戦も交えて、敵を狩る。
 夢中だった。
 夢中で、立ちはだかる敵を狩り続けた。
 いつしか、トレーナーである自分自身までポケモンであるような錯覚を覚えるようになった。
 ポケモンと心を一つにするとは、こういうことだろうか。命を懸けて戦う。生きるために戦う。バトル以外のすべてを捨てて、ただ食べて、寝て、戦って。
 およそ文化的でない生活を潜り抜け、気付いたら、今ここにいる。
「そりゃあ、疲れるわけだ……」
 サクヤと同じことを考えていたキョウキがぼやいた。
 シャワーズとサンダースとグレイシアとイーブイは、いつの間にか疲れ果てて潰れていた。四匹の体が日時計の輝きに照らされている。この四匹は、まだまだ弱い。これから命を懸けて戦うことをその弱い体に叩き込み、完全に叩き潰さないように注意しつつ、それでも強く鍛え上げなければならない。
 夜空に満月が架かりつつあることに、キョウキとサクヤは気がついた。東に巨大にそびえる日時計のせいで、月が見えなかったのだ。
 満月は、日時計の鮮やかな輝きを嘲笑うかのように、冷酷に皓皓と輝いている。
 月光を浴び、濃色のリボンのイーブイの体が輝き出した。
 キョウキもサクヤも、植え込みの縁石に座ったまま、黙ってそれを見ていた。

 イーブイは月の光を集め、そして次いで闇を吸い込んで、ブラッキーに進化した。
 黒々とした毛並みの中で、金の輪が輝く。進化によって体力を得たブラッキーは軽い動作で立ち上がると、とてとてとサクヤの方に駆け寄ってきた。
 潰れていたシャワーズ、サンダース、グレイシアが首を持ち上げ、きゃうきゃうと祝福を投げかける。
 サクヤの足元に寄ってきて、その膝頭に頬を擦り付けるブラッキーの頭を、サクヤは撫でた。
「おめでとう、螺鈿」
「きぃ」
 喉を鳴らすブラッキーの顎の下を掻いてやる。キョウキが声を出して笑った。
「さて、進化計画、こっちは完了だね」
「あいつらもうまくやっていればいいが」
「レンリに行けば会えるんじゃないかな?」
 キョウキは機嫌よく、体を左右に揺らしていた。
 サクヤがブラッキーを撫でていると、ずるいと思ったか、シャワーズやサンダースやグレイシアも元気に立ち上がって駆け寄ってきた。二人はそれぞれのイーブイの進化形を撫で回す。
 日時計が、宇宙の下で眩く輝いていた。


  [No.1421] 滝の音の聞こえる場所1 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/27(Fri) 16:57:51   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



滝の音の聞こえる場所1



 ウズの記憶の底にあるのは、轟轟と流れ落ちる滝音だった。
 目を閉じれば、思い出す。


 その次の記憶は、貧しい海辺の村――胆礬。
 白銀の髪を持つ童子は、白銀の毛皮の海獣によって滄溟の彼方から送り届けられてきたのだった。その童子が銀色の羽根をその小さな掌に握りしめ、そしてその首には、かつて海神に嫁いだ胆礬の娘の持っていった海鳴りの鈴が掛けられていたことから、この童子は海神の子であると胆礬の島人は断じた。
 海神は胆礬の遠い沖、渦潮の島に棲み、胆礬の島に海の恵みをもたらすが、時折気まぐれに荒ぶっては、胆礬の島に津波だの高潮だの竜巻だのを叩き付ける。だから島人はそのたび海神の怒りを鎮めるため、乙女を差し出した。乙女は海神の妻となり、生贄となり、海を鎮める。島人は海神を畏れ敬い、祀ってきた。
 白銀の髪の童子は、海神と、捧げられた乙女との間に生まれた子なのだ。
 そうしてウズは幼い頃から、神子として、胆礬の社で勤めることになった。
 いつしか渦潮の島をもじり、ウズの名で呼ばれるようにもなっていた。


 胆礬での暮らしは貧しいながら、穏やかなものだった。
 海の恵みを糧に、月の巡りを目当てに祭りを催し、細々と島人は互いに助け合い生きてきた。
 ウズは海神の社で、その島人達の暮らしを見てきた。
 神子といわれても、ウズには神通力も何も備わっていなかった。ただ生まれつきの銀髪を敬われ、島人達が運び込んでくる海の幸を食って生きてきた。父だという海神からの便りも遣いも一切無かったが、それでも信心深い島人はウズを海神の子だと信じて疑わなかった。
 そうして、島に災厄は訪れた。
 ――疫病である。

 前兆はあった。
 渦潮の島の祭りの最中に、不吉な魔獣が現れたのだ。
 白い毛皮、黒い片角、紅い眼。
 その魔獣が渦潮の島に現れると、地が揺れ、津波が村を呑み、病が流行ると古くから伝えられている。
 大人たちが慌てて追い払ったが、実際に、災いは胆礬の島を襲った。

 多くの島人が死んだ。神子として崇められるウズも、島人に請われて、父なる海神の救済を願ったが、海神は依然として腐った魚しか島に贈りつけなかった。余計に病は広がる。
 神子と敬われたウズには、何もできなかった。
 だから、島人はウズを殺すことにした。
 表向きは、ウズを渦潮の島に送って父なる海神に直に慈悲を乞わせよう、という話であった。
 しかし本音は、そうでもしなければ島人の怒りは収まらないというところだった。
 神子と敬い、島人が総出で大切に養ってきたのに、いざ島が危難に見舞われても神子が何もしないなど、ありえない。何のための、海神の子か。否、真に海神の子だというならば、父神にその願いを叶えさせ、島を救ってみせよ。それができぬならば、ただの海の藻屑と消えるがいい。生贄の一人でも送れば、海神も気をよくするやも知れぬ――。
 そうしてウズは、重石をつけられ、崖から海に突き落とされた。




 次にウズが気が付いたのは、浅葱の浜辺だった。
 傍らにはやはり、白銀の海獣がいた。海獣はウズの気の付くのを見定めると、ウズの傍に食べられる貝やら腐っていない魚やら、美しい大粒の真珠やらを残して、渦潮の島へと去っていった。
 ウズは貝や魚で食いつなぎ、海藻のように垂れさがるぼろぼろの衣を引きずり、あてどなく陸地をさまよった。海獣に与えられた真珠が市でひどく高値で売れて、それがきっかけでいつの間にか美しい着物を着た人々に見初められ、そうしてウズはどういう経緯でか『ちはや』という家に奉公に勤めることになった。
 ウズは『ちはや』の屋敷に招き入れられた。
 美しい衣を着た男女が、座敷で踊りの稽古に励んでいる。
 『ちはや』の家は芸事の家らしく、踊りの他にも茶やら花やら、多くの弟子が出入りして、ひどく賑やかだった。ウズも下働きをするうち、そのうち当主に気に入られて芸事を習った。ウズの裁縫の腕がひどく重宝され、当主の寵愛いよいよめでたく、やがては『ちはや』の家の子女の養育を任されるまでになった。

 けれど、ウズは年老いることがなかった。
 あるいは海神の子というのは真実だったのかもしれない。『ちはや』の当主が没し、その子が当主となってやはり没し、さらにその子が老年で没しても、ウズは神子の頃の若い姿を保ち続けたのである。
 ――人魚ではあるまいか。
 そのような噂が立った。ウズは恐れられ、しかし人魚の血肉を食らえば不老不死を得られるなどという話も手伝って、奇怪な連中が『ちはや』の家のあたりをうろつくようになった。
 そうして『ちはや』の何代目かの当主の判断があり、ウズは屋敷の奥に閉じ込められることとなったのだ。



 『ちはや』の家の人魚は、座敷牢に軟禁されていた。
 日に三度の食事は届けられる。
 その代わり、繕い物も届けられる。ウズは日々針と糸を操り、着物を仕立て続けた。
 庭にあつらえられた、小滝の音を日々聞きつつ。
 ウズは時折、障子を細く細く開けては、座敷で行われる踊りや茶や花の稽古を見ていた。美しい色とりどりの着物を着た男女が、華やかな芸事を嗜む。男女は年月とともに色衰え、新たな蕾や花が現れ、やはり趣深く枯れていっては、新たな花の中に埋もれ、露のように果ててゆく。
 人魚は、それを見つめていた。
 小滝の音の中。
 幾百、幾千もの花が開いては枯れ落ちるのを見てきた。
 そして芸事にばかり興じることのできる平和な世も、永遠には続かなかった。
 『ちはや』の家は栄華を極めたが、頂点に花開くほど欲は深くなり、醜い権力闘争に血道を上げることとなった。父子兄弟は互いに憎み合い、『ちはや』の家は分かたれる。
 そしてとある夏の日、当時の当主の四男坊が、ウズの閉じ込められていた座敷牢の格子をぶち破り、ずかずかと牢に踏み込んできた。
「……人魚。共に来やれ」
「……不躾な」
 ウズは目を潜め、まだ若く色白な四男坊をじとりとねめつける。それでも針を持った指先は勝手に動き続ける。すると四男坊は、ウズから縫いかけの着物をむしり取った。
 ウズの腕を掴む。
「そなたのためじゃ。兄上や我が弟どもは、そなたという人魚の血肉を上様に献上し、官位を得んとしておるぞ。そなたがまこと人魚か甚だ疑わしいが、醜き争いの贄となるのも詮無かろう」
「あたしが人魚や否やは、あたしも知りませぬ。されど、あたしは抗うに飽いたのじゃ。ただ泡沫の如く、浮世の流れに身を任せるまで」
 ウズは淡泊にかぶりを振る。
 すると、四男坊は強引にウズを掴んで立たせると、背負った。
「流れに身を委ねるというならば、大人しゅうするがよい」
 ウズもその通りだと思った。なるように任せるしかないならば、このまま四男坊に連れてゆかれるままにする他ない。
 滝近くの山奥の里に逃げ込んだ四男坊とその家族と、そしてウズは、そこで陰謀や戦乱を避けつつ、芸事を伝え続けた。
 『ちはや』――千剣破家は消え去った。百磯城、十束、一條、二條、三條、四條、五條、六條、七條、八條、九條の家に分かれ、そうしてその中のいくつもの家が破れていくのを、ウズは四條の家から見ていた。
 ただ、世の流れに身を任せ、そして四條の当主が芸事に励む傍ら、ウズはもはや座敷牢に囚われることもなく、ただ四條の子らの養育に努めた。着物を縫い、当主の若き妻らに奥方の心得を説き、代々の当主に助言を与え続ける。
 四條の家を護ってきたのは、ウズなのだ。
 時代は流れる。
 四條家はみやこへ戻り、いくつもの戦火を潜り抜け、そうして踊りを伝え続けた。戦なき平和な世をもたらす霊鳥を招く舞を。
 ウズはそれをすべて見てきた。





 ウズは跳ねるスーツケースを宥めつつ、曇天の下、クノエの石畳を歩いている。
 地図は頭に入っていた。見事な紅葉には趣を感じつつ、ただ慣れない土地の水でうまく暮らしてゆけるか、漠然とした不安はあった。ウズは現在に至るまで、ジョウトの地から出たことはなかったのだ。
 なぜ、このようなことになったのか。
 ウズは歯噛みする。
 自分は、四條の家を古から守り続けてきた。次期当主を養育し、芸事の稽古もつけ、華やかな衣装を縫ってやる。それがウズのすべてだった。
――それがまさか、庶子の面倒まで見させられるとは。
 ウズは何度目か、不機嫌に鼻を鳴らす。
 現在の当主とその息子は、ウズを奇怪な人魚か、あるいは便利な子守人形としか見ていない。しかしウズもそれに不満を唱えたわけでもない。ただ、不気味な人魚として、あるいは無害な人形として、振舞い続けてきた。四條の家以外に、居場所を見つけられそうになかったから。
 ウズが向かっているのは、現在の四条家の当主の息子の妾の家だった。
 当主の息子には、既に嫡子が数人ある。現代では子供が急死することなどほとんど見込めない。であれば、ウズにとって庶子など、まったくどうでもよかった。庶子など、いてもいなくても、四條家の存続にほとんど影響はない。それどころか、昨今の平等だとかいう言論に勢いづいて、四條家の安寧を脅かしかねない。近年にも非嫡出子の相続分が嫡出子と同じとするとかいう、ウズの価値観では理解できない法改正がなされたばかりだ。
「……なぜ、あたしが、妾の子などを……」
 矜持を引きずり、ぶつぶつと毒づきながらも、ウズはその家の前に立つ。帯の間から鍵を取り出し、錠を開けた。
 スーツケースを玄関の中に入れ、ウズは下駄を脱ぎかけた。
 その家は存外、洋風の造りではなく、エンジュの歴史ある家のような造りをしていた。当主の息子が普請し、妾に与えたものだろうか。とりあえず、居住空間ではカルチャーショックを受けることはなさそうだと、ウズは僅かに息をつく。


 間もなく、一人分の足音が玄関まで、ウズを迎えに来た。
「ウズ殿。失礼しております」
「……モチヅキ殿か」
 ウズはわずかに顔を上げ、その人物の姿を認めた。
 腰ほどまでの黒髪を緩い三つ編みにし、ブラウスにスキニージーンズを身につけた大学院生のモチヅキが、両腕に何かを抱えて立っている。
 ウズは重い鞄を抱えて、上がり框に足袋の足を踏み出した。
 そして、モチヅキの両腕に抱えているものに目を留めた。
「……それは」
「この家の、四つ子です」
 よく見ると、モチヅキの右腕に二人、左腕に二人、子供が抱えられていた。
 両手両足を投げ出し、その身は痩せこけ、黒髪はぼさぼさ、灰色の眼は虚ろである。
 ウズは、どさりと荷物を取り落とした。
 開いた口が塞がらない。
「……四つ子、じゃと?」
「はい。……もしや、ウズ殿はご存知ではありませんでしたか」
「……――あのアホ息子」
 ウズは歯噛みした。
 四つ子などと、聞いていない。ただ当主の息子から、愛人が亡くなったからその子供の面倒を見てほしいと、本当にそれだけ聞かされたのだ。
 小さな四つ子は、大人しくモチヅキに抱えられていた。ウズを見ることもなかった。


  [No.1422] 滝の音の聞こえる場所2 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/27(Fri) 16:59:34   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



滝の音の聞こえる場所2



 四つ子を両腕に抱えている所為で廊下を塞いでいるモチヅキを、ウズは片手で追い払う。
 そしてモチヅキを先に行かせてウズが食事室に入ると、そこには果物の缶詰が開けられ、四本のスプーンが食卓の上に散らばっていた。
 ウズは黙って、缶詰を見下ろす。
 その傍で、モチヅキは小さな四つ子を、一人ずつ椅子に座らせていった。小さな四つ子はワンピースのようなものを着せられていた。そして四人とも三、四歳ではあろうに、首もすわっていないかのように、椅子や食卓になだれかかる。
 行儀の悪いことこの上ない。
 いや、それ以前の問題だった。
 モチヅキもまた椅子に腰を下ろし、小さいスプーンの一つを手にとっては、缶詰の中の果物の切れ端を掬って、四つ子の一人の口に運ぼうとしていた。
 ウズは重々しく口を開いた。
「……モチヅキ殿、おやめくだされませ」
 モチヅキが振り返り、手を止める。口を開きかけていた四つ子の一人が、ぼんやりと宙を眺めていた。
 ウズは片手を振る。
「……いかに庶子といえど、四條家の者に、かような物は食わせられませぬ」
「缶詰は、駄目ですか」
「既製品はなりませぬ。米と調味料は運んで参った。暫しその子供には我慢させましょう」
 ウズは息を吐きつつ、鞄の中から米の袋や、各種調味料を取り出し、台所の方へと歩いていった。
 ウズの予想した通り、炊飯器も、もちろん釜もない。しかし鍋はさすがにある。
 鍋さえあれば、米は炊ける。
 ウズは馴れきった手つきで、目測で米を鍋の中に流し込んだ。そして、水道の蛇口をひねった。
 しかし、水は一滴も出てこなかった。
 モチヅキが早足で台所に入ってきた。
「申し訳ありません、ウズ殿。水道も電気もガスも止まっておりまして」
「…………何じゃと」
「四つ子の母親は、料金を滞納していたようでして。先ほど、私の携帯で再契約の申し込みを行ったところです」
 モチヅキが頭を下げる。
 ウズはますます鼻を鳴らした。
「…………あのアホ息子の甲斐性を疑うわ。……モチヅキ殿、そのようにお手を煩わせてしまい、こちらこそ申し訳ありませぬ」
「いえ」
 つまり四條家の当主の息子は、妾を囲っていたにもかかわらず、妾とその子供の面倒を見ていなかったのだ。そして、ウズに何も知らせないまますべてを押し付けた。そういうことなのだ。
「……コケにしおって」
「ウズ殿、いかがいたしましょう。果物が食べられないとなると、四つ子の食事は……」
 モチヅキに言われ、ウズは食事室を振り返ると、椅子に座らされた四つ子は無気力に食卓に脱力してもたれかかっていた。
 ウズは眉を顰めたまま、四つ子を見下ろす。
「病気かなにかかえ。ものは申しませんのか?」
「私が今朝がた家に入ったとき、四つ子は奥の座敷でぼんやり寝ていました。数日間ものを口にしていなかったようです。言葉は、一言も発しません」
「知恵遅れか。……医者か……いっそ警察を呼んで児童養護施設にでも送るか」
「おそれながら、ウズ殿。……四條さまのご意向で、四つ子はウズ殿と養親子関係になっております。児童養護施設行きにはできないかと存じます」
 ウズは胡散臭そうに顔を上げた。長く伸ばした銀髪が肩を滑る。
 黒髪のモチヅキは、黒い双眸でウズをまっすぐ見つめていた。


 モチヅキは現在、法科大学院生である。しかし学部在籍中に司法書士試験に合格しており、現在は院に通う傍ら司法書士事務所にも勤務するという、いわゆる秀才だった。
 その親に連れられる形で、モチヅキはかねてから四條家とも交流があった。現在の四条家当主の息子はそのような若い秀才と懇意にし、そして自分の婚外子に関する諸々の手続きをさせていたのだ。
 そのモチヅキが、淡々と語る。
「四つ子の父君によって、養子縁組契約が整えられまして、現在四つ子の保護者はウズ殿でございます」
「…………訳が分からぬ」
「ウズ殿は、こちらへ何をなさりに来られたのですか?」
 ウズは鷹揚に頭を振った。
 むろん、この家に残された妾の子供の面倒を見るためだ。養子縁組だろうが何だろうが、ウズには関係ない。ただ四條家の子供を、四條家にふさわしい大人に育て上げることが、ウズの使命だ。
 ウズは改めて、幼い四つ子を見やった。
 四つ子の豊かな黒髪は、肩の下まで伸びている。けれどもう何日間その髪は洗われず梳られていないのか、傍目にも汚らしく乱れていた。
 手足は哀れなほどまでに細い。
 茫洋と見開かれた灰色の瞳は、母親譲りのものか。クノエの曇り空のように、無為といえば無為で、無垢といえば無垢な瞳だった。
「……まず、体を洗うか」
「水も湯も出ませぬが。早くても、明日までは……」
「出湯に浸からせる。風呂屋は近くに?」
「調べましょう」
「食事処もな」
「承知いたしました」
 モチヅキが食卓の上に置いてあった地図を広げ、風呂屋と食べ物屋を探し始めた。ウズは若い者を働かせつつ、四つ子を放置して、自分は家の中をゆっくりと見て回る。
 家はさほど広いというわけではないが、母親と子供四人という所帯では不便しないほどの空間が整えられていた。庭には池と、小滝まである。住む家を与えるだけ与えておいて、父親は母子を放置したのか。土地と家を持つだけで金がかかるということを当主の息子は知らなかったのか。なんにせよ、甲斐性なしに違いはない。
 ウズは瞑目して、暫し小滝の音に耳を澄ませていた。



 モチヅキに家の手入れをさせておいている間に、ウズは幼い四つ子を風呂屋へ連れて行った。
 しかし、四つ子は歩くことはおろか、立つことすらできないようだった。
 仕方なくウズは風呂屋まで汗をかきながら四つ子を抱えて連れて行き、そして苦労してワンピース然とした服を脱がすと、四つ子は下着を着ておらず、ウズはそのことに酷くぎょっとしつつも、脱衣が楽であることに安堵した。
 四つ子は立つことはおろか、座ることすらできないようだった。
 風呂屋の床に寝転ぶ四人に湯を浴びせ、石鹸を付ける。泡立たない。まったく泡立たない。
 どれほど体が皮脂で汚れているのか、想像するだにウズは怖気が走った。とはいえ、ウズの生まれた島でも石鹸などなかったのだから、考えてみればはるか昔の暮らしも今からすれば相当不潔だったはずだ――。そのようなことをぼんやりと思いながら、一人の体につき三回洗ってゆすいでを繰り返し、そしてまだあと三人、汚れた子供が残っている。
 湯船に浸からせるのは、危険すぎてできなかった。
 四つ子を一人ずつバスタオルにくるむようにして手早く水気をふき取り、浴衣を着せ、そして再び四つ子を抱えてひいひい言いながらウズは食事屋に行った。
 油脂分の多いリゾットを渋々と注文し、これまたテーブルにだらしなく突っ伏している四つ子の口に、スプーンで掬ったリゾットを差し出す。
 すると、ウズが息を吹きかけて冷ましたはずのリゾットがまだ熱かったのか、その四つ子の一人が急に泣き出した。
 そして、それにつられて、他の三人も泣き出した。
 四人で一斉に泣き出した。
 それは煩いどころの話ではなかった。道路工事もあわやという騒音である。先ほどまでのぼんやりとしていた子供のどこにそのようなエネルギーがあったのか、四つ子は暴れ、椅子から落ち、床でぎゃんぎゃん泣き喚いた。
 さすがのウズも狼狽するしかなかった。
 周辺の人に眉を顰められてしまいつつも、近くの席にいた婦人たちが四つ子を宥めに来てくれて、その場は何とか乗り切った。


 ――と思ったら、それ以来、四つ子はウズに抱き上げられると、ひたすら泣き騒ぐようになった。
 立たない、喋らない、座らない。
 寝るか食べるかだ。
 それも、ウズでは無駄だった。ウズが傍にいると四つ子は眠らないし、食事もとらない。
 大学院に通う傍ら事務所でも働いているモチヅキが、暇を見つけてウズの元を訪れ、そしてモチヅキが四つ子をあやすと、ようやく四つ子は落ち着くのである。モチヅキが食べさせると、四つ子はよく食べた。しかしウズが同じことをやっても、四つ子は頑として粥を口にせず、むしろ癇癪を起こしてスプーンや椀を床にはたき落とす。
 四つ子は、モチヅキにばかり懐いている。
 それはウズに罪悪感を抱かせたし、もちろんウズの矜持を傷つけもした。今まで四條家の子女を何十人何百人と面倒を見てきたウズは、いわば子育てのベテランである。四つ子の食事や着物を用意することにかけては、ウズ以上の適材はなかった。なのに、四つ子はウズの思い通りにはどうしてもならない。
 母親の血のせいだ、とウズなどは思う。カロスの女の血が混じったから、四つ子の気性は醜いのだ。
 モチヅキは四つ子の世話をする時間をとるために事務所を辞め、院の授業がない時間帯はほとんど四つ子の面倒を見に来た。そうして一方では司法試験にも合格しつつ、果たしてどうやったものか、モチヅキはとうとう幼い四つ子をまっすぐに座らせ、立たせ、歩かせ、言葉を教え込んだのである。
 なるほどモチヅキは秀才なのだろう。
 けれど、四つ子のねじくれた心根を矯正することはできなかったようだ。
 走り回るようになり、様々な言葉を覚えた四つ子は、ウズを嘲る。

「ウズのばーか! しーね! ぶーす! ぎゃーははははは」
 最も攻撃性の強いのは、レイアである。ウズは自身への警告の意も込めて、レイアに赤い着物を着せている。

「ウズってさぁ、優しいけど、けっきょく僕らのこと馬鹿にしてるよね? そうだよね?」
 いつも笑顔で、時折さらりと毒を吐くのは、キョウキである。しかしウズにとっては作り物のその笑顔だけでも癒しに感じられるので、キョウキに緑の着物を着せている。

「ぎゃー! ウズだーっ! にげっ……ぴぎゃあああっ――おでこ打ったぁぁぁぁ――痛いよぉぉぉぉぉ――っ!!」
 ぴゃいぴゃいとひたすら喧しく、物覚えの悪いのは、セッカである。これはとても朗らかで無邪気だが、そのぶん馬鹿なことを素でやらかしがちなので、ウズは自身の注意を引くように、セッカに黄色の着物を着せている。

「モチヅキさま、モチヅキさま、まってください」
 そして、モチヅキを特に慕っているのは、サクヤである。モチヅキにばかりくっつき、そしてウズをほとんど無視している。その冷淡さを表し、ウズはサクヤに青の着物を着せている。



 四つ子はウズの作った温かい食事と着物と、そしてモチヅキの世話によって、すくすくと育った。
 ユディという友達もでき、四つ子はクノエを駆け回って遊ぶ。
 しかし、ウズはどうしても四つ子が好きになれなかった。
 四つ子は成長しても、ウズに素直な笑顔を見せることはない。四つ子はウズの前では、嘲笑しか見せなかった。ウズを嘲り、殴り、悪戯を仕掛ける。
 四つ子は身勝手なのだ。
 その四つ子も、間もなく十歳を迎える。
 四つ子の将来を問うべく、ウズはエンジュの四條家に手紙を送った。
 ――しかし、返事はなかった。


  [No.1423] 滝の音の聞こえる場所3 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/27(Fri) 17:01:47   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



滝の音の聞こえる場所3



 四つ子の誕生日は陰暦四月一日、陽暦では四月二十五日である。
 現在の慣習では陽暦が使われることから、四つ子は四月末に旅立つことになる。
 四條家が、四つ子に学業を続けさせようと考えない限りは。


 無視された、と感じた。
 四條家は四つ子を、否、ウズを無視している。
 ウズは焦った。
 今まで半ば守り神のような心持で、四條家を見守ってきた。それが、この扱いは、何だ。四條家はウズに庶子の面倒を見させ、そのまま本家から追い出そうというのか。ウズとこのまま縁を切ろうというのか。
 しかし一方では、いつかこうなるような気もしていた。
 ウズは化け物だ。もう何百年、あるいはもう千年以上もか、生き続けている人魚、海神の子なのだ。
 そんなもの、家に置きたくないに違いない。


 四つ子は実家からは見放された。
 四つ子自身もその事はウズが何も言わないまでも分かっていたのか、旅立ちの日が近くなると、その顔は生気を失っていった。
 ある日、四つ子は火のついたように四人で泣きながら、友達のユディのリオルをひどく虐め、そしてユディをこれまでにないくらい激昂させた。そして四つ子はますます泣いた。
 それをきっかけに、四つ子は笑顔を失った。
 赤の着物のレイアは、ひたすらテレビに張り付き、ポケモンバトルを観察し、ぼそぼそと一日中何かを呟いている。
 緑の着物のキョウキは、ウズが四つ子のために作ってやったポケモンのぬいぐるみをすべて鋏で切り裂き、ゴミ屑にしてしまった。
 黄色い着物のセッカは、夜中まで一人で街中をうろつくようになった。
 青の着物のサクヤは、ますますモチヅキに張り付くようになった。
 そして時々、四つ子は何もない空き地で四人揃ってぼんやりと、宙を見つめている。まるでウズが四つ子と出会ったあのときのように。

 四つ子が感じ、考えていることは、ウズにも分からないではないのだ。
 遠い、遠い遥か昔、胆礬の島人の手で重石に繋がれ、崖っぷちで背中を押されるあの感覚。
 ただ一人、浜辺に打ち上げられた時の感覚。
 そして、その誕生から見守ってきた人間が、何十人、何百人と年老いて死んでいくのを、見守る感覚。
 孤独。

 けれど、ウズには四つ子の感じる孤独に寄り添ってやることはできない。
 なぜなら、四つ子は四人だからだ。四つ子が孤独を感じていても、所詮彼らは四人なのだ。彼らは四人で、ウズを嘲り、そしてウズを孤独に貶めてきたのだから。
 永い、永い四條家との時の中で、ウズは忘れていた。
 四つ子がウズに思い出させた。
 自分が独りだということを。



 四つ子は旅に出た。
 ウズは、四條家の与えた家でただ一人、微睡む。
 静かだった。喧しい四つ子はもういない。この家はウズのもの。
 ふと、ここは牢獄ではないかと思った。
 あの『ちはや』の座敷牢と同じ。

 ウズは知れず繰り返しているのだ、終わらない生の中で同じ事を何度でも。
 養い育てた四條家のものを世に送り出し、自分は永遠に繋ぎ止められる。
 四つ子は旅立った。大人になり、そして老い、死んでいくだろう。ウズを置いて。
 ただ独り牢獄の中で、ウズは朽ち果てていく。今度こそ何もできずに。



 だから、つまるところ、ウズは四つ子がどうなろうと興味はなかった。
 四條家の子女を育てることにもはや何の感慨もなかったし、誇りも刺激されることはなかった。四つ子は庶子に過ぎないから、必要とされない子供を育てたところで何になるわけではない。だからウズにとっても四つ子は必要ない。
 マーシュに依頼される新しいデザインの振袖を、座敷で縫い続ける。
 マーシュの存在は、ウズにとって天佑だった。ウズの和裁の腕はこのカロスの地では埋もれがちだったが、何年か前にクノエにやってきたこの若い女性デザイナーのおかげで、ウズは安定した収入を得られた。
 もはや四條家のことは忘れて、針だけで生きていこうか。
 そう思っていた矢先、四つ子は事件を起こした。


 四つ子はミアレで、エリートトレーナーに重傷を負わせた。
 自宅謹慎となった四つ子は、養親となったウズの家に転がり込んできた。
 四つ子は相変わらずウズを嘲り、自分勝手で、自己中心的だった。謹慎が明けて四つ子は再び旅に出たが、やはりたびたび問題を起こしては、味を占めたのかウズの家に入り浸るようになる。
 ウズの平穏な生活は奪われた。
 四つ子はウズを搾取する。
 四人で寄ってたかって、ウズを孤独に陥れるのだ。
 だから追い出した。
 四つ子の母親の家? ――この建物を与えたのは四條家だ。そして四條家を護ってきたのはウズだ。だからここはウズの場所なのだ。
 どこへなりと勝手に行くがいい。お前たちは所詮四人なのだから。本物の孤独など知らないのだから、四人でどこへでも行くがいい。四人なら何でもできるだろう。
 キョウキとセッカを手ひどく追い出した後日、ウズは欝々として暮らしていた。
 そこに、ユディが現れた。


 ユディは法学部生だ。そこまでの経歴はモチヅキと似ているが、ユディはモチヅキのような実務家を目指しているわけではなく、学者志望のようである。
 身勝手で乱暴な四つ子とこの歳まで付き合い続けることのできた子供は、このユディだけだった。ユディの両親もまた懐の深い人物で、四つ子をユディ宅でのお泊まり会に招くことで、どれほどウズの負担を和らげてくれたものかわからない。
 一応ウズは四つ子の養親なのだが、四つ子がウズの名をそのまま呼び捨てるものだから、ユディも幼い頃のならいでウズを呼びつけにする。ウズがとても『おじさん』『おばさん』などと呼べるような容貌をしていない所為でもある。
「ウズ、なに怒ってるんだよ」
 ユディは苦笑していた。先日までユディ宅に居候していた四つ子がいなくなり、手持ち無沙汰になったのか、ウズの家に遊びに来たのだ。
 こうしてみると、ユディはウズのことを『四つ子の親』としてではなく、『四つ子の兄姉』として見ているようなのだった。ユディは四つ子よりいくつか年上だから、そうすると自然にウズと同年代のような錯覚に陥るのだろう。
 もちろん、ウズはユディに己の齢のことなど話したことはない。ユディだけではない、四つ子にも、モチヅキにも、ウズは自分の由来を語ったことはなかった。
 とにもかくにも、ユディはウズに対しても友人のように振る舞った。ウズも伊達に長い時を生きていないので、今さらそのような扱いにいちいち目くじらを立てることもない。むしろ、気安い話し相手として歓迎した――主に四つ子の愚痴を言う相手として重宝していた。
「……また、四つ子が世話になったようじゃな」
「いいって。それより最近お前、かりかりしてないか?」
「しておらぬよ」
「でも、こないだなんて俺やロフェッカさんの前で、キョウキやセッカに、庶子だとか何とか言っただろ?」
 ユディは茶を啜りつつ、面白がるような口調である。まるでウズの兄にでもなったようだ。なじる口調ではなく、ただの軽口のようだった。
 ウズは溜息をついた。
「あのアホ四つ子に、もう少し落ち着きがあればのう」
「ウズ、四つ子いなくなって寂しいのか?」
 ユディは笑顔でそのようなことを尋ねた。
 ウズは眉を顰め、額を押さえる。
「冗談じゃないわい……。ようやくおらんくなって清々しとったんに、ぴょこぴょこと問題を引き連れて騒ぎよる……」
「四つ子はウズに甘えてるんじゃないか?」
「あたしはあれらの親ではないぞ……」
「でも、あいつらはウズを親だと思ってるんじゃないか? ウズはあいつらの、何になりたいんだ?」
 ユディは笑顔だった。笑顔でそのようなことを偉そうに尋ねるユディに、ウズは少しずつ腹が立ってきた。
「何になりとうも何もない。あたしはただ、言われてあれらの面倒をみとったまでじゃ」
「じゃあ、あいつらに何かあっても、どうでもいいのか?」
「知らぬな」
 ウズは鼻で笑い、羊羹を黒文字で切った。ユディもそれに倣う。
 しっとりと甘い羊羹を二人は味わった。
 苛立ちをとろかすような甘さだった。
 ユディがぼそりと呟く。
「……あのアホ四つ子はさ、そりゃお互いには頼れるけど、お互いしかいないんだぞ」
「それが何か。きょうだい間で助け合えるなら幸福なもんじゃろうが」
「親が恋しいんだよ。きっと。あいつらは頼れる大人や、安心して休める家に飢えている」
 ウズはぎろりとユディを睨んだ。
「――なんじゃ。あたしにあれらの親になれと申すか。何ゆえそこまでせねばならぬか」
「ウズって子供だよな」
 そのユディの言葉は、ウズにとって少なからず衝撃的だった。
 ウズが言葉に詰まっている間に、ユディが茶を啜りつつ何気なく言い放った言葉が、さらにウズには衝撃的だった。
「四つ子の身勝手って、割とウズ譲りだと思うんだけど、俺」
「…………は?」
 ウズは大声を出した。
 ウズの急な珍しい大声に、ユディも目を見開き、きょとんとして湯呑を置いた。
「え、変なこと言ったか?」
「…………いや……?」
 ウズは顔を顰めてしまった。その表情を面白がるように、ユディは深緑の瞳を細めている。
「なあウズ。あいつら、今ちょっと困ってるんだよ」
「……また面倒事か?」
「アブソルを連れた妙なトレーナーに付きまとわれてるらしいんだ」
 ウズは顔を顰めた。
 アブソル。
 ウズはアブソルを憎んでいる。
 赤い眼、白い毛、黒い角。
 渦潮の島の祭りに現れ、胆礬の島に災厄をもたらした忌むべき魔獣だ。
 死と、孤独の使者。そのアブソルに、四つ子が付きまとわれている。不吉だ。不吉なことこの上ない。ウズは思った通りを苦々しげに吐き捨てた。
「……不吉な」
「そうなんだよな。色違いのアブソルを連れたトレーナーなんだ。で、俺もそいつのこと調べてみたんだけどさ、なんか割とやばそうな噂のある奴なんだよ」
 ユディによると、その色違いのアブソルのトレーナーは、インターネット上では何やら不吉な噂が飛び交っているらしかった。人を殺したとか、野生のポケモンを殺したとか。機械に疎いウズには、そのようなことは調べようがないので、ユディの話を鵜呑みにする他ない。
「まあ、たぶんそいつも今は普通のトレーナーとして過ごしてるから、ポケモン協会側の圧力で確かな情報は見つからないんだけどな。でも、四つ子がやばい奴につけ狙われてるかもしんないってんで、一応報告」
 ユディは肩を竦めて、早口でそう言った。本当はこのことをウズに伝えるために、今日ウズの元を訪れたのかもしれなかった。
 ウズは湯呑の中の茶を睨んでいた。
 四つ子が、災いをもたらす魔獣につけ狙われている。それが何を意味するのか、ウズの中でははっきりしていた。
――四つ子が殺される。
 しかし、だからといってウズが何をすべきだというのだろうか。
 ウズを見捨てた四條家など、もうどうでもよかった。ましてやその四條家の庶子など、ウズには何の関係もないはずだ。四つ子は出会ってからずっと、ウズを嘲り、孤独に陥れてきた。もう、忘れてしまえばいいだろう。
「いいのか?」
 ウズが顔を上げると、ユディの深緑の瞳と目が合ってしまった。
 ウズが声もなく密かに狼狽していると、ユディは淡い金髪を微かに揺らして首を傾げた。
「ウズ、お前、アブソルのこと嫌いなんだろ? アブソル連れた危険なトレーナーに四つ子が狙われてても、お前、何もしないの?」
 そのようにユディは、ウズが四つ子のために何かするのが当然とでもいうような口調である。
 ウズは息を吐いた。
「……あたしに何ができる。あれらはもう童ではない」
「傍にいてやればいい。あいつらを見守ってやれる大人になれよ」
「……もう無理だろう」
「そんなことないって。キョウキとセッカなんて、あの後もずっとウズのこと未練たらしくぐちぐち言ってたし、レイアとサクヤなんて、俺んちでずっと、ウズの白米食いたい味噌汁食いたい醤油飲みたいってぼやいてたぞ?」
 ユディはけらけらと笑った。
 ウズもその伝え聞きに思わず苦笑を漏らす。
「醤油を飲む、じゃと……高血圧で死ぬ気か」
「な、四つ子はちょっと反抗期なだけだって」
「反抗期か……ふふ」
 ユディとウズはひとしきりくすくすと笑い続けていた。
 ウズは遠く懐かしい昔を思い出す。
 ウズが座敷で布地を縫っているとき、いつの間にか四つ子が揃って抜き足差し足で、背後から近づいてきていた。――そういう時はウズは気づかないふりをしなければならない。四つ子はウズを驚かすべく忍び足になっているのではなく、ウズの気を散らさないように忍び足になっているからだ。
 そのような四つ子の真意をウズが知り、そして信じられるようになるまで、時間がかかった。
 ウズが四つ子の忍び足をどうにか容認すると、四つ子は息を詰めて、ウズの針仕事を見つめている。
 そう、ウズが一心不乱に仕事をしていると、四つ子はおとなしくしていた。そしてウズが針を動かしている間だけ、四つ子はウズの話をよく聞いた。その中でいつか、アブソルに近づいてはいけないということを話した気がする。
 あるいは、小さな崖から落ちたセッカの血の色を思い出す。
 ウズは崖が嫌いだ。背後から突き落とされる手の感覚が、未だに残っているためだ。セッカも崖から落ちる瞬間、どれほど恐ろしかっただろう。それを想像するだけで、ウズは自分のことのように胸が締め付けられる。
 そして、アブソル。
 アブソルは不幸をもたらす。人にも。ポケモンにも。
 ユディが笑っていた。
「ま、あいつらももうちょっとで反抗期乗り越えると思うから、もう少し気長に面倒見てやってよ。俺もできる限り手伝うし」
 ウズも笑みを浮かべた。
 顔を上げ、年若い親友を見つめる。
「――仕方ないのう」



 思えば、カロスでウズが知っているのは、ミアレとクノエだけだった。レンリの大滝が有名だということは知っていても、まさか見に行こうなどと思いもしなかった。
 駅に降り立ったウズは、目を閉じ、滝の流れ落ちる音を聞いている。
 懐かしい響きと、重なり合う。


  [No.1428] 滝の音の聞こえる場所4 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/30(Mon) 20:28:15   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



滝の音の聞こえる場所4



 窓の向こうは明るかった。
 滝の音が聞こえる。開け放された窓から外からの風が、病床の枕元まで滝の音を運んできているのだ。
 病床で目を覚ましたルシェドウは状況を確認するよりも先に、ベッド脇に置いてあった自分の荷物からホロキャスターを手探りで取り出した。しかしそれが私用のものだったので、それを放り出してもう一つの協会支給のホロキャスターを左手で探し当てる。
 現在ルシェドウが己の意思で動かすことができるのは――無事だったのは、どうやらこの左手だけのようだった。右手と両足は動かせない。とはいえ、命があっただけましであったし、さらに利き手である左腕が無事だったことは、ルシェドウにとってはただ僥倖としか思えなかった。
 左手だけでのろのろと協会支給のホロキャスターを操りつつ、ルシェドウはぼんやりと考える。

 ここは、レンリタウンだ。
 もう何日前だろうか、もしかしたら数週間が経っているのかもしれない。ルシェドウは19番道路の沼に浮かんでいたレイアとヒトカゲを救助し、そのまま北上してカロス最東の町レンリタウンにやってきて、そして自身の野暮用を済ませようとし、――このざまだ。
 ポケモン協会からのホログラムメールが数件届いている。ルシェドウはそれらにすべて目を通した。相方がここに来るらしい。そしてさらに、いくつかの指示もある。
 ――四つ子のトレーナーの保護。
 ミアレシティで大きな事件を起こして以来、ルシェドウの知り合いである四つ子は、ポケモン協会からマークされている。要注意人物としてだけではなく、保護対象としてもだ。
 事件を起こしたトレーナーは、必ずといっていいほど世間の誹謗中傷の対象とされ、そして場合によっては、トレーナー人生を奪われるまでにそれはエスカレートする。
 そのような事態は、ポケモン協会にとってけして望ましくはなかった。そういう理由により、ポケモン協会は四つ子を世間から守っている――具体的には、政府を経由し、メディア各社に働きかけを強めて報道を規制したり、IT企業各社に働きかけて四つ子関連のネット上の記事や投稿動画や掲示板の書き込みを削除させたり。そうして四つ子に関する言論を消し去り、人々の目に触れさせないようにして、忘れさせる。
 トレーナーの権利は、一般人の表現の自由の権利を上回るのである。
 歴代与党政府は憲法をそのように解釈しているし、国会はそのような政府解釈に則った法律を既に多数成立させているし、最高裁判所もそれらをすべて合憲だと認めている。何も問題ない――実務上は。
 さて、ルシェドウからの中間報告と、そして今回ルシェドウが巻き込まれた事件とを受けて、ポケモン協会からはさらに四つ子の保護レベルを引き上げる旨の指令が来ていた。
 四つ子をキナンシティに押し込めるのだ。
 そしてその間に、色違いのアブソルのトレーナーである榴火との接触を、再度試みる。

 ルシェドウは嘆息した。
 自分は失敗したのだ。
 榴火を信じ、そして甘く見ていた。何年か前の裁判で榴火を擁護して以来、ルシェドウは彼を見守り続けてきた。だから、榴火も当然にルシェドウに対しては心を開いてくれるものと思っていた。甘かった。
 赤い髪、そしてすれた瞳。家族から捨てられた少年を、ルシェドウはそのきっかけとなった事件の当時から守り、優れたトレーナーになるよう指南を続けてきたつもりだった。
 なのに今になって、榴火は、四つ子の片割れであるレイアを傷つけた。
 そして、ルシェドウがそのことについて、ここレンリタウンで榴火に注意すると、驚いたことに榴火はルシェドウをも殺そうとしたのだった。
 今も思い出すだけで、ルシェドウの背筋を怖気が走る。
 榴火の殺意に満ちた眼差し。
 榴火の絶叫が、耳にまざまざと蘇る。
――オマエも、オレより、アイツを選ぶんだ。
 “オマエ”とは、果たしてルシェドウなのか、それとも榴火自身の祖母や母のことか。
 “アイツ”とは、果たしてレイアなのか、それとも榴火自身の妹のことではないのか。
 榴火には、絶対的な信頼を寄せられるような大人がいない。
 ルシェドウは例の事件以来、榴火のために、自分がそのような存在になろうと努めてきた。けれど、なれなかった。結果的にはルシェドウも、榴火よりレイアを選んだからだ。
 そしてルシェドウは榴火に殺されかけた。
 仕方ない。ルシェドウはポケモン協会の職員だ。所詮は指示されたように働くことしかできない。
 けれども、ルシェドウが榴火を裏切ったことに違いはない。
 とはいえやはり、榴火が四つ子を傷つけるなら、ルシェドウは榴火と敵対してでも、被害者である四つ子を守らないわけにはいかない。


 ルシェドウは横たわったままぼやく。
「…………利益相反じゃねぇか。……もう、いやだ……」
 ポケモン協会もポケモン協会だ。
 ルシェドウにあくまで榴火の味方をさせたいのならば、ルシェドウを四つ子などに関わらせるべきではなかったのだ。――否、それは無理だ。四つ子がミアレで事件を起こした時、榴火と四つ子の接触はなかったからだ。そのような配慮などしようがなかっただろう。
 ならば、いっそのこと今後について、ルシェドウに榴火と四つ子の双方から関係を断たせるべきなのだ。それがポケモン協会のすべきことではないか。
 なのに、ポケモン協会は、今後も榴火の説得に努めよと、そうルシェドウにホログラムメールで指示してきていた。
「頭、おかしいんじゃ、ねーの…………」
 ホロキャスターを握った左手を額に当て、呻く。
 なぜ、こんなことを命じる。ルシェドウは確かに四つ子を守りたくはあったが、一方では榴火を傷つけたくもないのだ。なのになぜ、このようなことを指示して、ルシェドウを苦しめるのか。


 そのことをポケモン協会に訴えてみようかと考えながら、ルシェドウは欝々と寝台の上でまどろんでいた。両足と右腕は骨折しており、当分ルシェドウは動けないというような説明を医師から受けた。
 しかし翌日の日の暮れた後になってルシェドウの病室に現れた、ルシェドウの相方のロフェッカは、若い相方の訴えを聞いても苦笑しただけだった。
「……確かに、つれぇわな」
 金茶髪の大男は、慰めるようにルシェドウの鉄紺色の髪をぽんぽんと撫でる。
「でも、榴火の担当はお前さんだけだったろ。だから、協会としても、お前さんに榴火をなんとかしてもらう以外、手はねぇと考えたのさ」
「…………なんで? なんで俺じゃないと駄目なんかね?」
 ルシェドウは相方に気安く文句を言う。
「……協会も、まだ実力行使はしたくねぇんだろ。……お前さんが榴火との間に築いてきた信頼関係を、まだ保ちてぇっつーか……利用したいと協会は考えてんだよ」
 そう壮年の男は、ポケモン協会の意思を代弁した。
 そしてルシェドウに語りかける。
「お前さんは確かに、四つ子と榴火の間で板挟みになってる。でも、だからこそお前さんには、榴火を説得して回心させる可能性があるんじゃねぇか。……お前さんなら、四つ子と榴火の両方を守れんだ。タブンネ」
 ロフェッカはニッと笑った。
 ルシェドウは横になったまま吹き出した。
「タブンネかよ。はあ……。……俺に、んなこと、できっかなー」
「できるだろ。四つ子のことは俺に任せといて、榴火のことだけ考えときな」
 ルシェドウは左手で眉間を揉み解した。
 ぼやいていても仕方がない、面倒な作業はまだ残っている。寝たきりでもできることはあるのだ。
「……四つ子、とりあえずレンリに集めないとなー」
「そだな。俺、ウズ殿に連絡入れとくわ」
「……ごめんな、ロフェッカ」
「気にすんなや」
 ロフェッカは笑顔で病室から出ていった。四つ子の養親に連絡を入れるためだ。
 ルシェドウも、私用のホロキャスターを手に取った。


 ルシェドウはモチヅキを呼び出す。
 夜だった。
 病室の窓から見える登りかけの月は、じきに満ちる。窓ガラス越しに、微かに滝の流れ落ちる音が聞こえてくる。
 何も考えずに電話をかけたが、呼び出し音は数秒とも続かず、モチヅキが応答した。
『何か?』
 さっそく、そのような不機嫌な声が漏れてくる。立体映像として映し出されるモチヅキの顔も相変わらずの仏頂面だ。ルシェドウは密やかに笑った。
「……どもー、モチヅキさん。フウジョタウン以来っすねー」
『何用だ』
「モチヅキさんさぁ、四つ子と連絡つく?」
『無理だ』
「……一瞬、『無論だ』って仰った気がしたけど、気のせいかー。……え、じゃああんた、いつもどうやってサクヤと待ち合わせしてんだよ?」
『切るぞ』
「ごめん待ってちょっと待って」
 ルシェドウは寝台に横たわったまま唸る。
「……あのさ、タテシバのこと、謝るからさ、ちょっと四つ子をレンリに集めてくんない?」
『意味が分からぬ。まともに話せ』
「――俺、榴火に殺されかけた。いま、病院」
 ルシェドウが一息でそう言い切ると、モチヅキからは沈黙が返ってきた。
 そよ風のような、微かな溜息が聞こえてきた気がした。立体映像が微かに揺らぐ。
 モチヅキが低く、穏やかな、憐れむような声音になった。
『……あの子供には、哀れなことだ』
「だよね。だから、モチヅキさん、頼むから頑張って四つ子をレンリに集めてください。あいつらには俺が全部話すから。ポケモン協会の指示で、四つ子にはミアレ経由でキナンに籠ってもらうことになった」
 モチヅキは嘆息しつつ、捜してみよう、と映像の中で頷いた。
 ルシェドウも静かに礼を言う。
「どうもすみません、お手数をおかけします。……だからさ、モチヅキさん、ほんと色々ごめんそしてありがとう」
『まともに喋れぬのか。頭を打ったか』
「頭は無事なはずなんだけどなー。……今は俺、榴火のこと、何とかしなくちゃだから。四つ子のことは頼みます」
 それから二言三言、ルシェドウとモチヅキはホロキャスター越しに言葉を交わし、通話を終えた。
 一仕事終えて、ルシェドウはぽんとホロキャスターを投げ出した。寝台の上で目を閉じる。
 滝の音が聞こえる。
 傷ついた赤髪の少年を思う。
 もう、レンリを出てしまっただろうか。
 彼は今、アブソルと共に何をしているのだろう。
 相変わらず居場所を求めて、彷徨っているのだろうか――。





 ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスのレイアと、ピカチュウを肩に乗せたセッカの二人がレンリタウンのポケモンセンターに入ると、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキと、ゼニガメを両腕で抱えた青い領巾のサクヤの二人が、ロビーで二人を出迎えた。
 四つ子のミアレシティ以来の再会である。
「よう」
「ああ」
「きょっきょ――しゃくや――会いたかったよぉ――っ!!!」
「うるさい」
 四つ子の再会は、約一名やポケモンたちを除いて淡泊なものだった。
 ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメの四匹は床に降り立って再会を喜び、さっそくじゃれつき合っている。
 彼らのトレーナーである袴ブーツの四つ子は、四人ともロビーに円になって立ったまま、同じ顔を見合わせた。
 通信手段を一切持たない四つ子には、離れて旅をする片割れたちの動向など掴みようがない。しかし掴みようがないにもかかわらず、なぜか四つ子は、片割れたちに会いたいと思いながら気の向くまま移動すれば、必ずその通りに片割れたちに会うことができた。これは四つ子七不思議のひとつである。
 だから、今さらいちいち再会を喜び合うことはない。
 しかし、なぜ今ここで再会に至ったのかは誰にもわかっていなかった。
 赤いピアスのレイアが腕を組み、唸る。
「……で?」
 緑の被衣のキョウキが笑顔で首を傾げる。
「えっと、僕僕組はイーブイ進化計画は完遂したよ」
 セッカが元気よく飛び跳ねながら手を挙げる。
「こっちも全部うまくいったよ! あのね、モチヅキさんに言われてレンリに来たよ!」
 青い領巾のサクヤがわずかに顎を上げた。
「…………こっちは、ゴジカさんの占いで、レンリに来た」
 四つ子は顔を見合わせる。一斉に首をこてんと傾げた。
「あ?」
「ん?」
「へ?」
「は?」
「おーい、大丈夫か、ガキども」
 大男の呑気な声に、四つ子は揃ってポケモンセンターのロビーの奥を見やった。
「よっ、四つ子」
 金茶髪の髭面のロフェッカである。ポケモン協会の腕章をつけた手を軽く挙げ、にやにやと笑って四つ子を見ていた。
 四つ子は目を剝いた。
「おっさん……!」
「やあ、ロフェッカ」
「きゃ――っおっさんよ――っ!」
「セッカうるさい」
 レイアが顔を顰め、キョウキがほやほやと笑い、ぴゃいぴゃいと騒ぐセッカをサクヤが小突く。
 ロフェッカはソファから立ち上がり、四人の前までやってきた。肩を竦める。
「ルシェドウに呼ばれて来たんだろ? 長旅ごくろーさん。これ、差し入れな」
 ロフェッカは四つ子にそれぞれ一本ずつ、おいしい水のボトルを差し出した。四つ子は素直にそれを受け取り、蓋を開けるとそれぞれの相棒にボトルを渡した。ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメが美味そうに喉を鳴らして水を飲む。
 それを微笑ましく見守ってから、四つ子は顔を上げた。
「ルシェドウが呼んでんの?」
「おう――って、知らんのかい! どうやってお前らレンリ来たんだよ……。まあいいわ。あいつ今、ホテル・レンリにいるから。あと、ウズ殿もいらっしゃる。ポケセンでの用事が済んだら、ルシェドウんとこ連れてってやるが」
 四つ子は顔を見合わせ、四人とも首を振った。レイアが代表して口を開く。
「用事は特にねぇが」
「おっしゃ、じゃあホテル・レンリに行くか」
 そうして四つ子は、おいしい水を飲んでいる相棒をそれぞれそっと拾い上げると、ロフェッカに連れられてポケモンセンターから出ていった。
 セッカがポケモンセンター内の掲示板に、セーラの姉である政治家のローザのポスターを見つけてはぷぎゃぷぎゃと騒いでいた。


 レンリの名物である瀑布を左手に眺めつつ、美しく澄んだ川を橋で渡り、ロフェッカと四つ子はホテル・レンリに辿り着いた。
 ロフェッカはホテルのフロントを素通りしてエレベーターに乗る。そこで、ピカチュウを肩に乗せたセッカが質問した。
「ウズは? ウズは?」
「ウズ殿もここに部屋をとってらっしゃる。が、まずはルシェドウだ」
「ルシェドウかぁ。俺はトキサの謹慎期間以来だなぁ、ルシェドウに会うのは」
 セッカがぼやくと、フシギダネを頭に乗せたキョウキも頷いた。
「僕もそうだな。レイアとサクヤは、そのあとルシェドウさんに会ったことあるんだっけ?」
「俺とサクヤはフウジョタウンと、あと俺は、最後にこのレンリでも会ったな。例のアブソルの件で」
 ヒトカゲを抱えたレイアが苦々しげに吐き捨てる。そのまま黙り込んだ。
 他の片割れたちが軽く戸惑っていると、エレベーターが停止した。
「ほれほれ、ついてこい」
 ロフェッカは四つ子をとある一室の前まで連れて行った。そして懐から鍵を出し、シングルルームの扉を押し開けた。


  [No.1429] 滝の音の聞こえる場所5 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/30(Mon) 20:29:50   35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



滝の音の聞こえる場所5



 ロフェッカに連れられて四つ子がホテルのシングルルームにぞろぞろと踏み込むと、ベッドの上に、鉄紺色の髪を下ろしたルシェドウが横たわっていた。
 ルシェドウは相方と四つ子の計五名を枕の上から見上げると、にこりと笑う。
「はい、お疲れー。ようこそレンリへ」
「……いや、お前、何してんの?」
 呆れたように言い捨てたのは、ヒトカゲを脇に抱えたレイアである。顔を引き攣らせ、横になったままのルシェドウをまっすぐに見下ろした。
 ぞろぞろとルシェドウを取り囲むように四つ子がポジショニングを定めると、フシギダネを頭に乗せたキョウキがほやほやと笑った。
「あちゃあ。これは重傷ですね、ルシェドウさん」
「ほんと、どーしたの、ルシェドウ!? 怪我したの!? ミアレガレット食ってモーモーミルク飲むと、マジでめっちゃ治るぞ!!? 俺もそれで火傷治したもん!!」
「セッカうるさい」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴゃあぴゃあと騒ぐのを、ゼニガメを抱えたサクヤが窘める。
 ルシェドウはそれを聞いて頬を緩めた。ロフェッカに向かって甘えたような声を出す。
「ミアレガレットとモーモーミルク、食いたいなぁ」
「……いや、俺は確かにこれからミアレに行きますけどね。でもそこからキナン直行なんすけどね」
 ロフェッカが頭を掻いた。
 そしてルシェドウは四つ子を見やった。
「はい、茶番おしまい。――ってわけで、四つ子にはキナンシティへ行ってもらうぞー」
「おい……待てよ」
 しかしレイアが遮るのにも構わず、寝台の上に横たわるルシェドウは、四つ子に今回のキナン行きの概要を淀みなく説明した。
「色違いのアブソルを連れたトレーナー……榴火っていうんだけど、四つ子はどうもそいつに付きまとわれてるみたいなんだ。その榴火がちょっと危険人物だから、四つ子には、しばらくキナンでゆっくりしてもらう。ウズさんやロフェッカも一緒だ」
 サクヤが眉を顰める。
「どの程度の期間だ」
「一、二ヶ月間くらいかな。まあ、キナンにはバトルハウスもあるし、飽きることはないと思うよ。その間の生活費は、特別にポケモン協会が支給するし。バトルの盛んな場所だから、いい稼ぎ時にもなるんじゃねーかなー」
 そうルシェドウは緩い口調で、キナン籠りの利点をプレゼンした。しかし横になったまま喋っているので、いつもより声に張りがない。
 キナン行きの話は、四つ子にとってほとんど寝耳に水だった。しかしそのように利点を挙げられれば、強いて否やを唱えることもない。キョウキとセッカとサクヤの三人は顔を見合わせ、そして誰からも不満が漏れないのを確かめ合った。
 しかし三人は、唯一視線の合わなかった片割れを見つめた。


 レイアは、横たわる友人をその枕元でじっと睨みつけていた。
 ルシェドウが剽軽に眉を上げる。
「……なに。怖いな」
「キナン行きなんざどうでもいい。……お前、何があってそんなことになってんだよ……」
 その眉間には深く皺が刻まれている。近年稀に見る、レイアの最高のしかめっ面だった。
 キョウキとセッカとサクヤの三人は、どうにもレイアの機嫌が悪いらしいことを見て取った。そして、それほどまでにレイアがルシェドウのことを大切に思っているらしいことからレイアの情緒の成長が感じられたため、三人は微笑ましく赤いピアスの片割れを見守っている。
 そのような片割れたち三人の生暖かい視線にも気づかず、レイアは傷ついた友人に詰め寄る。
「……何だ、その怪我は。……俺とこの前レンリで別れた後か? ――榴火、なのか?」
 ルシェドウは歯を見せ、にへらと笑ってみせた。
「レイア。前に俺は言ったはずだよ。何もするな、と」
「だから何だ。やっぱり榴火がやったのか」
「違うよ。“たまたま”崖崩れがあって、俺は“たまたま”それに巻き込まれたんだ」
 レイアが歯を剥き出す。
 憤怒の形相で恫喝した。
「――んな“たまたま”があってたまるか!」
 さすがのルシェドウやロフェッカも思わず目を見開き、びくりとする。
 片割れのキョウキとセッカとサクヤは涼しげな眉で、激昂するレイアを眺めていた。
「……おかしいだろ? 変だろ? なんで何もできない!?」
「できることはあるよー。これからどうにかするさ、レイア」
「何をどうするってんだ!」
「それを考えるのはてめぇじゃねーよクソガキが」
 ルシェドウも笑顔を消し、冷淡に言い放った。
 青筋をこめかみに浮き立たせたレイアがルシェドウの喉元に手を伸ばしかけるのを、慌ててロフェッカが止める。
「おい馬鹿やめろレイア! なに熱くなってんだ阿呆!」
「……腹が立つ」
 レイアはルシェドウを見下ろしながら、毒々しく笑み、吐き捨てた。
「……てめぇはクズだな。てめぇの任務に付き合わされたせいで、俺はこれまで何度も危ない目に遭ってきたし、サクヤだっていっぺん死にかけた……」
「レイアって情に篤いよなー。つまり『俺とお前は運命共同体だから、今回の榴火の件でも手伝わせてくれ』ってか? そんなの、なおさら駄目だよ。だって今回は、本当に、死んでしまうかもしれない」
「……違ぇよ」
「じゃあ何? レイアは俺に何をしてほしいの? お前は何がしたいのさ?」
「……俺は、てめぇが、信用できない」
 レイアは瞠目して、ルシェドウを睨み続けている。
 そのレイアの言葉に、ルシェドウは顔を顰めた。
「レイアの信用なんか知るかよ。そうだよ、俺はね、榴火のことも助けなくちゃならないんだ。だからレイアには悪いけれどね、俺は最後まで榴火の味方をするよ。なぜならそれが俺の責任だから」
「だから違ぇっつってんだろうが! てめぇの立場なんざ、俺だって知らねぇよ!」
「なにが言いたいんだよ、レイアは?」
「――てめぇには無理だ」
 赤いピアスを揺らし、レイアは凄絶な笑みを浮かべていた。
「無理だ。また失敗する。てめぇじゃ力不足だ。てめぇが今、榴火のとこ行ったって、何にもならねぇよ。あいつも、お前も、不幸に、なるだけだ……」
「何それ? 何の根拠があるのさ?」
「知るか!」
 レイアは吐き捨てて、大股でシングルルームから出ていった。ドアがばたんと大きな音を立てて閉められる。
 部屋の中に残されたルシェドウとロフェッカ、そしてキョウキとセッカとサクヤは首を縮めた。


 レイアの片割れの三人は肩を竦めて顔を見合わせる。
 ポケモン協会職員の二人は、大きく嘆息した後で、困り果てたように若い三人を見やった。
「……今のレイアの、どーゆー意味?」
「ああ、たぶんあいつ、ぜんぶ直感で喋ってましたね」
 フシギダネを頭に乗せたキョウキが、ほやほやとした笑みを浮かべながら答えた。
「ねえルシェドウさん。僕ら四つ子には、貴方は信用できません。貴方の能力も、人柄も、立場も、いずれも信頼に値しない」
「厳しいねー」
「でしょうね。で、貴方の榴火を守らなければならないという立場について言うならば、もちろん僕らは、榴火というトレーナーを守るよりも罰してほしいと考えている。でもね、勘違いしないでくださいね」
 そこにセッカとサクヤが順番に付け加える。
「榴火も家族に捨てられたんだって? なら、まだ俺らにも、同情の余地はあるっつーか」
「違うぞセッカ。……貴様のような甘い人間に、榴火を変えられるとは到底思えん。レイアが言いたいのはそういうことだ」
 その片割れたち三人による解説を受けても、ルシェドウはまだ枕の上で顔を顰めていた。
「……よくわかんないな。俺じゃ何が駄目だって? 能力? 人柄? それとも立場?」
「貴方は、貴方の能力や人柄に見合った立場に立ててないんですよ。――だからねぇ、ルシェドウさん。貴方はなぜ、榴火を守りたいんですか?」
 キョウキが笑顔でルシェドウの顔を覗き込んでいる。
 ルシェドウはちらりと視線を相方に投げた。
 ロフェッカは黙っていた。
 ルシェドウは視線を戻し、溜息をつく。
「……榴火を裁判で庇ったの、俺だし、それ以来あいつを見守ってきたのも俺だから」
「所詮ただの立場だろうが。動機も。目的も」
 ゼニガメを両手で抱えたサクヤが、冷ややかな声で言い放つ。その声音はモチヅキのものにも似ていた。
「貴様が榴火というトレーナーにどういう感情を負っていようが、同情だけではどうにもならない。感情で動けば、榴火と同じく、周囲のすべてを滅ぼすぞ。貴様が立場を弁えず、その人柄のために榴火を庇うなら、それだけで周囲の多くの者が傷つく。貴様にその覚悟があるかと、訊いている」
 そこにさらに、ピカチュウを肩に乗せたセッカが軽く付け加えた。
「榴火と同じとこに落っこちずに榴火を助けんのは、すっげぇ大変だと思うぞ。たぶん」
 ルシェドウは唸る。
 相手をただの友人だと思って喋った。
「……でも、榴火に必要なのは、心から信頼できる大人なんだ。仕事だって割り切ってちゃ、榴火は助けられないんだよ?」
「――だから、ルシェドウさんには無理なんですよ」
「レイアは、ルシェドウが榴火と同じになるなんて、耐えられねぇもん」
「貴様がレイアを切るなら、こちらもお前を切らせてもらう」
 キョウキとセッカとサクヤが言い添えた。
 ルシェドウはぐああと呻き、相方に気安く訴える。
「マジで利益相反なんだけど! ねえ、やっぱり俺、この件から降りたいんだけど!」
「はははは。ドンマイ」
「もうやだぁぁぁぁ……」
 ルシェドウは左手で頭を抱えていたが、ふとその左手を伸ばし、サイドテーブルからチケットケースを取った。
「……はい、とりあえずこれ。四つ子ちゃんとウズさんとロフェッカの分のチケットね。レンリ・ミアレ間の切符と、ミアレ・キナン間のTMVパス」
「おおー! てぃーえむぶい!」
 セッカが感動に打ち震えつつ、チケットケースを受け取る。
 ルシェドウはひらひらと左手を振った。
「分かった。お前らの言い分は分かった。……分かったけど、やっぱり仕事は仕事なので、ルシェドウさんに仕事さしてください。……もう仮病使おうかな。一ヶ月で右手と両足の骨折治せとか、無茶だもんな。うん、仮病使うから、お前らもキナンの旅、楽しんどいで」
「ありがとうございます」
 キョウキが笑顔で応じ、するりと部屋から出ていった。セッカとサクヤもそれに続く。
 ロフェッカは苦笑しつつ、横たわるルシェドウを見下ろした。
「マジで、仮病使うのか?」
「仮病じゃねぇだろ……マジで重傷なんだぞこっちは……」
 ルシェドウは呻いた。
 ロフェッカは相方の苦悩にひどく同情しつつ、部屋を後にした。




 キョウキとセッカとサクヤの三人は、ホテル・レンリを出ていた。一人だけどこかへ行ってしまった片割れのレイアを探すためである。
 しかし、ホテルを出たところでセッカのピカチュウが走り出し、サクヤのゼニガメが飛び出して川の流れに飛び込んでしまったため、トレーナーの三人はあてもなくのんびりと二匹のあとを追うことにした。
 ピカチュウが走り、ゼニガメが泳ぐ。
 間近で滝を眺められる高台に三人は登った。
 高台のベンチに、ヒトカゲを抱えたレイアが座り込んでいた。空間には滝の流れ落ちる音が満ちている。三人の足音もまた、滝の音に飲み込まれる。
 ピカチュウがベンチに飛び乗り、水から上がったゼニガメがそれに続いてレイアのブーツによじ登り始めたところで、ヒトカゲを抱えたレイアはのろのろと背後を振り返った。穏やかな普段の表情に戻っている。
「……ああ」
「やあ」
「れーや見っけ!」
「話は終わったぞ」
 そして片割れ三人は、有無を言わさずベンチに割り込んできた。
 四人で座ると、ベンチは狭い。四つ子は仲良く尻を寄せ合い、ぎゅう詰めになる。
 キョウキとセッカが、左右からレイアの肩に腕を回した。両側から賑やかしく話しかける。
「やあやあ、おにーさんおにーさん。お姉ちゃんでもいいけど。元気してるかい?」
「……きょっきょうぜぇ……」
「れーや見て見てー、てぃーえむぶいだよ! たとえば・まさかの・びくとりー!」
「意味がわからないぞ、お前ら」
 鬱陶しくレイアに語りかけるキョウキとセッカを、サクヤが窘めている。いつもの光景だ。
 フシギダネを膝の上に下ろし、キョウキがにこにことレイアに話しかける。
「ルシェドウさんなら大丈夫。両足と右手を骨折してるから、しばらく何もできないよ」
「……いや、そういう問題じゃ」
「なんならもっと痛めつけてくるし!」
「……やめてやれよ……」
 鼻息を荒くしたセッカにレイアがのろのろと首を振ると、セッカは素直に大きく頷いた。
「うん、やめてやる! れーやは、いい友達できてよかったな!」
「……あれが、いい友達、か?」
「知らないけど、レイアがあんだけ怒れる相手が、俺ら以外にできてよかったね」
 セッカはにこりと笑った。
 レイアは眉を顰めた。それから、一人で考えていたらしいことを吐き出す。
「…………俺らがキナンにいる間に、榴火がおとなしくなると思うか?」
「ルシェドウさんに任せてる間は無理じゃないかなぁ。あの人には無理だろう。勘だけど」
 キョウキがフシギダネの頭を撫でながら答えた。
 レイアもヒトカゲに構いながら、ぼそぼそと呟いた。
「あいつさ、榴火さぁ。こないだハクダンでも会ったんだよ。女の政治家と一緒にいた。ホープトレーナーの制服とか持ってた。……あいつ、何者なんだろうな」
「タテシバ家の長男だろう。父親はクノエの刑務所、母親は自殺、すぐ下の妹は何年も前に“事故死”、もう一人の妹は祖母と共にヒャッコク在住」
 黒髪を引っ張ろうとするゼニガメを押しのけつつ、サクヤが静かにまとめた。
 そこにキョウキが笑顔で口を挟む。
「でもさぁ、それって僕らが気にするようなことじゃないよね? 榴火は殺人鬼かもしれない。それは大人がどうにかする。僕らにできることはないし、むしろ僕らは何もするべきではない。それだけだよ」
「そーそー。大人の言う通り、キナンに籠ってればいいんだって」
 セッカが欠伸をしながら、キョウキに追随した。いかにも眠そうに、ピカチュウの毛並みを片手で撫でさすっている。
 レイアもそのセッカの欠伸に眠気を誘われながら、なおもぼそぼそと呟く。
「……大人に言われるまま、従ってていいんかな。大人の言うこと、鵜呑みにしてていいのか? ……俺は榴火に殺されかけたんだ。あいつが何をしたいのかとか、俺には知る権利があるんじゃねぇの?」
「知って何になる?」
 キョウキが気だるげに呟く。これもまた眠気を催しているようである。
 なおもレイアはぼそぼそと反駁した。
「……だって、何も知らないのは気色悪いっつーか、もやもやすんだろ。――なぜアワユキは娘を殺そうとした? なぜアワユキは自殺した? ……そういうこと考えるのって、そんなにくだらねぇことか? むしろ、大事なことなんじゃねぇの?」
「どうしてさ。他人は他人だ、関係ない。むしろだよ、そういうただの好奇心が、その人の領域を侵害して、その人を不幸にするんだよ?」
 キョウキがやんわりとレイアに再反論した。
 そこにセッカが疑問を投げた。
「確かに、好奇心で何でもかんでも覗き込むのは駄目だけどさ。でも、その人を正しく理解してあげるのって、悪いことか?」
「わあ、セッカがまともっぽい意見を言ったことに、きょっきょは感動しています」
「ありがと、きょっきょ」
「――でもね、セッカ、世の中に『正しい理解』なんてものは存在しないんだよ。なぜなら、人の主観によって認識は歪められるからね。その人ごとの様々な価値観とか先入観とか、そういったものが邪魔して、真実の姿なんてものは見つからないんだ」
「だが、自分にどのような偏見の傾向があるのかということを知るのは、大事だろう」
 さらにサクヤが静かに口を挟む。
 セッカはさっそくキョウキとサクヤの抽象的な話についていけなくなり、ぼんやりと流れ落ちる滝を眺めていた。
 キョウキが欠伸をした。
「……話が逸れたね。僕の意見を言うよ。榴火のことは無視すべきだ。とりあえずルシェドウさんのお手並み拝見、ってことで」
 レイアもセッカもサクヤも、そのキョウキの意見自体には特に異論を述べなかった。これから四人は、キナンに行くのだ。四人には榴火の件について何もしようがない。
 レイアがぼんやりと口を開く。
「……キナンで……何する?」
「まず、イーブイの進化形たちを育てなくちゃ。あの子たちはまだ原石だからね」
「向こうじゃ生活の心配しなくていいんだもんな。バトルしまくって、お金溜める? それとも、何もしない?」
「トレーナーが多く集まる場所だ……バトルハウスで他人のバトルを研究するとか……」
 しかし、四つ子はそれ以上は耐えられなかった。
 四つ子は暖かい日差しの中、滝の流れ落ちる音に包まれて、すやすやと全員で昼寝を始めた。


  [No.1430] 滝の音の聞こえる場所6 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/30(Mon) 20:31:33   26clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



滝の音の聞こえる場所6



 滝の音が聞こえる。クノエの家の庭の小滝よりも、もっと大きな音だ。
 けれど、ウズの声が聞こえる。ここはクノエだろうか。
「……これ、このような場所で寝るでない、アホ四つ子……」
 そして四つ子は一斉に覚醒した。
 そして目の前に、羽織袴姿の銀髪の養親の姿を認めて、一斉に跳び上がった。
「ぎゃあ!」
「うひゃ」
「ぷぎゃ!」
「うわあ」
 ベンチにぎゅう詰めになって惰眠を貪っていた四つ子は、口の端から零れかけていた唾液を手の甲で拭いつつ、膝の上でまどろんでいたそれぞれの相棒を抱きかかえてよろよろと立ち上がった。
 四人でまじまじと、正装をしたウズの姿を眺める。
 ウズは滝を背後に、スーツケースを足下に置き、片腕に大きな風呂敷包みを抱えて、四つ子を眺めていた。ホテルからのチェックアウトは既に済ませてきたようだ。その傍らに、大男のロフェッカが笑いながら立っている。
「おうガキども、お目覚めかぁ? いい寝顔だったなぁ、つい写真撮っちまった」
 そう笑うロフェッカの手の中には、確かに撮影機能付きのホロキャスターがあった。顔を顰めたレイアが大股でロフェッカに近づき、ホロキャスターをむしり取ろうとするも、ロフェッカは笑って逃げる。
「やめろやめろ、お前さん絶対ホロキャスター壊す気だろ!」
「滝壺に沈める!」
「やめんかい! っていうかもう遅いぜ、ルシェドウとユディ坊とモチヅキ殿のホロキャスターに、画像送信しちまったからなぁ!」
「――ざっけんな!」
 レイアが怒鳴って大男に掴みかかる。大柄なロフェッカは笑って軽くそれを受け流した。


 銀髪のウズは、無表情で四つ子を眺めていた。
 ウズと喧嘩別れをしたきりのキョウキとセッカは、さりげなく視線を滝に流した。
 小さく嘆息して、ゼニガメを抱えたサクヤが、ウズに軽く頭を下げる。
「……ウズ様。クノエからわざわざ来られたのですか。僕らのために?」
「当たり前じゃ。ロフェッカ殿がわざわざ連絡を寄越されたので、仕方なくのう」
 ウズもつんと澄ましてそのように言った。
 そっぽを向いていたセッカが、すねた口調でぼそりと呟く。
「……嫌なら来るなよ」
「当然じゃ。嫌なら来ぬ」
 ウズはそう鼻を鳴らした。
 四つ子は一斉に動きを止め、顔を上げた。
 するとウズは、片腕に抱えていた風呂敷包みを、無表情のまま四つ子に差し出した。
「ほれ、食うがいいわ。カロスの食い物は油脂分が多くて難儀するじゃろうが」
「えっ……」
「ウズ……」
「まさか」
「これは」
 四つ子はそわそわと四人で同時に手を伸ばし、風呂敷包みを解く。ヒトカゲもフシギダネもピカチュウもゼニガメも、そわそわとそれを眺めている。ロフェッカがにやつきながら私用のホロキャスターで動画を撮影していることにも、機械音痴の養親子は全く気付いていない。
 風呂敷の中から現れたのは、大きな弁当箱に詰め込まれた、大量のおにぎりだった。
 ウズもまた弁当箱の中身を覗き込みながら、一つ一つ真面目に説明する。
「これがおかか、これが昆布、これが梅、これが青菜の炊き込み……」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁウズ大好きぃぃぃぃぃ――!」
 セッカが絶叫した。
 ウズの説明が終わらないうちに、四つ子はそれぞれ勝手に手を伸ばしておにぎりにかぶりつき出した。ウズは呆気にとられて、四つ子のために大きな弁当箱を支えてやりつつ、おにぎりにがっつく四つ子を眺める。
 四つ子は相棒たちにもおにぎりを分けてやりつつ、ろくに噛まずに久々の米と海苔の味を楽しんだ。
「あああああ米だ米だ米だやべぇ」
「この味、ほんと懐かしいよねぇ」
「マジでなんでウズの料理でしか食えないんだろーな! おにぎり!」
「すごく……食べたかったです……」
 そして四人揃って漬物を指でつまみ、ぽりぽりぽりぽりと齧っている。
 四つ子はとても幸せだった。ウズと喧嘩していたことなど、頭から吹き飛んでいた。四つ子はウズの料理が大好きだ。
 あっという間に、大きな弁当箱に詰め込まれていた大量のおにぎりは消えた。
 それをウズは半ば感心して眺めていた。ロフェッカはホロキャスターを覗き込みながら、これは良い動画が撮れたと会心の笑みを漏らしている。
「……相も変わらず、ええ食いっぷりじゃのう……」
「ウズ、次は味噌汁作ってくれください。マジで頼みますこの通り」
「煮物とか焼き物とか酢の物とか、うどんとか蕎麦とか、天麩羅……」
「ひややっこ! ひゃーやっこがいい! しょうが! ねぎ! しょうゆ!」
「白いご飯も食べたいです……あと納豆」
 四つ子は意地汚く指を舐めつつ、ウズにそのようにリクエストを飛ばした。
 ウズはとうとう苦笑した。
「……材料は注文してある。キナンで作ってやろう」
「やった――っ!」
 セッカが踊り狂う。ピカチュウやヒトカゲやゼニガメも上機嫌であたりを走り回った。フシギダネはウズを見上げてにっこりと笑みを浮かべる。
 ロフェッカは撮ったばかりの動画を、慣れた手つきでルシェドウとユディとモチヅキのホロキャスターに送信した。そしてその三人の反応を想像しては、さらににやにや笑いを浮かべる。
 ウズが水筒に入れてきていた熱い緑茶を、四つ子は少しずつ分け合ってコップを回して飲んだ。緑茶の優しい香りも味わいも、ひどく懐かしい。
 セッカがうふうふと幸せな声を漏らしながら、走ってきたピカチュウを持ち上げ、高い高いをする。
「ピカさん、生き返ったー!」
「ちゃあー!」
「ピカさんもウズの料理好き?」
「ぴかぁー!」
「だよなぁー!」
 レイアもヒトカゲを、キョウキもフシギダネを、サクヤもゼニガメをそれぞれ抱き上げ、懐かしい料理の味にほっこりと笑みを浮かべ合う。
 人心地ついた四つ子を、ウズは目を細めて眺めていた。
「……ほんに、元気そうじゃの」
「ウズ、あんたもな」
「キョウキとセッカと喧嘩なさったと聞いて、ひやひやしておりましたが」
 レイアとサクヤも落ち着いて笑みを浮かべる。ウズは肩を竦めた。
「まったく。今回もロフェッカ殿から連絡を頂いて、また何ぞしでかしたかと思ったわい」
「もう、何もやってないったらー……」
「アブソルに付きまとわれてるんだもん!」
 口を尖らせたキョウキとセッカにも、ウズは軽くはいはいと頷いた。
「よくよく存じとります、ロフェッカ殿に耳にたこができるほどそう聞かされました。まったく、妙なもんに好かれたのう。……まあ、ルシェドウ殿やモチヅキ殿も、おぬしらにはゆっくりせえとの仰せじゃ。大人しゅうしてもらうぞ」
「キナンに籠ってりゃいいんだろうが? キナンならバトルし放題だし、別に問題ねぇよ」
 レイアがヒトカゲの口まわりについた米粒を取ってやりながら応じる。

 キナンシティは、カロス南部の代表的な都市だ。バトルハウスが有名で、各地から腕に覚えのあるトレーナーが大勢集まってくる。ポケモンを鍛える上では文句の付けどころのない場所だろう。
 だから、四つ子は一都市に押し込められると聞いても、そこがキナンならば特に文句はなかった。衣食住はポケモン協会が保障し、そしてウズの手料理を食せるならば、ひと月といわず何ヶ月でも何年でも住み着きたいくらいである。
 しかし、当然そうはいかない。
 四つ子はこの機会を利用し、ポケモンを育て上げ、賞金を稼いで貯金することを考えていた。お金があれば、バトル以外に好きなことができる。ショッピングに外食に、勉強したりゲームをしたり、様々な趣味の扉を開くことが可能になるのだ。
 バトル以外の道を見つけるためにも、キナンにいる間はバトルに打ち込む心づもりである。昼寝をしている間に、四つ子の野望はどういう原理でか共有されていた。これもまた四つ子七不思議のひとつである。
 ウズは笑った。
「腹が落ち着いたら、そろそろキナンへ行くかの?」
 四つ子は頷きかけ――そこでセッカがレイアに向かってぴゃあと叫び出した。
「れーや! れーやれーやれーや!」
「なっ……なんだよ」
「ルシェドウはあのままでいいの!?」
「あっ…………」
 セッカの指摘にレイアが顔を歪める。先ほどホテルでルシェドウに怒鳴るだけ怒鳴り散らし、そしてレイアはホテルを飛び出してきたきりだったのである。
 それにはロフェッカがにやりと笑った。
「いや、どうやら大丈夫っぽいぞ」
 にやにや笑いながら、大男は四つ子の方にホロキャスターを差し出した。一件のホログラムメールを映し出す。
 ルシェドウからのメッセージが入っていた。
『おにぎりを一心不乱に食ってる四つ子、超かわいかったです。これからも、一日に、いち四つ子ください』
「っつーわけでキナンにいる間に俺、四つ子の成長記録、毎日撮ってくから」
 そのように笑うロフェッカに、レイアの激しい怒鳴り声やら、キョウキの笑顔での罵声やら、セッカのぴゃあぴゃあ喧しい喚き声やら、サクヤの無言の肩パンが襲い掛かったのは言うまでもない。
 しかしロフェッカの次なる一言で、四つ子は完全に沈黙した。
「ちなみに、ユディ坊とモチヅキ殿からも似たようなメール来たから」


 そして高台にあるレンリステーションの改札を通り、六人は列車に乗り込んだ。
 実は四つ子にとっては、生まれて初めての列車だった。座席に膝をつき、窓に張り付く。
 電車は揺れ、西へ向けて滑り出す。
 滝の音が遠く離れていった。


  [No.1434] 優しく甘い 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:29:20   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



優しく甘い 夕



 葡萄茶の旅衣を纏った袴ブーツの四つ子は、きらきらと目を輝かせてそれを見上げた。
 ミアレシティ東端に位置する、広大な石造りのミアレステーション。その西側の窓から差し込む眩しい橙色の西日によって、その構内は燦然と輝いている。
 その夕陽の中に停車しているのは、キナンシティへ向かう超高速鉄道――TMVだ。
 赤白の車体に、青のライン。洗練された流線型。
 レンリからの列車から降りたばかりの四つ子は、TMVを見上げては、ほおと感嘆の溜息ばかりを漏らす。
 セッカのピカチュウも、キョウキのフシギダネも、サクヤのゼニガメも、レイアのヒトカゲも、それまで列車の中で散々ふざけ回っていたのが嘘かのように、夕暮れの中で輝くミアレステーションとTMVにまじまじと見入っていた。


 四つ子はつい先ほど、列車というものに生まれて初めて乗って、このミアレに到着した。駅という場所にも生まれて初めて来た。そして、今、四つ子は人生で最高速度の移動を体験しようとしている。
 四つ子の周囲でも、観光客らしき人々がTMVの写真をカメラやホロキャスターで盛んに撮影していた。ポケモントレーナーらしきポケモン連れの人々も、南の街キナン行きのTMVに続々と乗り込んでいる。そして四つ子も彼らと同じく、キナンへ向かうのだ。このTMVに乗って。
 四つ子の養親であるウズは、黙ってTMVをどこか胡散臭げに眺めていた。観光客がウズの羽織袴姿をちらちらと気にするのにも全く構わず、泰然と仁王立ちしている。
 一方で、彼ら養親子に同行するポケモン協会職員のロフェッカは、黄色い打刻機で六人分のTMVパスに打刻してきた。
 金茶髪の大男は、笑って養親子に声をかける。振り返った拍子に、その笑顔に橙色の夕陽が落ちた。
「ほい、んじゃ、さっそく乗りますか」
「てぃーえむぶい!」
「ぴかぴっか!」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがいち早く飛び出す。TMVに突進した。
 キョウキとフシギダネ、サクヤとゼニガメ、レイアとヒトカゲがそそくさと続く。
 金茶髪のロフェッカとウズが、大きなトランクを引きずりながら続いてTMVに乗車した。


「いきます! TMV! ――たたいて・むしって・べじたぶる!」
「なるほど。胡瓜を叩いて白菜をむしって、これからお漬物を作ろうという心意気が伝わってきますねぇ」
 さっそくTMVに乗り込んだセッカが機嫌よくあいうえお作文をし、それにキョウキが笑顔で解説を付け加える。
 TMV内の座席は、通路を挟んで左右に一列ずつ並べられていた。四つ子は向かい合わせの左右二列ずつの計四席のスペースを陣取る。進行方向に向かって右列にはセッカ、キョウキ。左列にはサクヤとレイアが向かい合って座る。
 発車のチャイムが駅構内に流れ、TMVがゆるりと動き出した。セッカとピカチュウが歓声を上げる。
「動いたぁ! 動いたよピカさん、すっげぇなーっ!」
「ぴぃか! ぴかちゅ!」
「セッカ、ピカさんも、静かにね」
 フシギダネを膝の上に乗せた緑の被衣のキョウキがやんわりと注意すると、セッカは抱きしめたピカチュウと顔を見合わせて、にへにへと笑った。TMVが加速する。しかし一方では、ゼニガメが素早くサクヤの腕の中から飛び出している。
「ぜにーっ!」
「こら…………おいキョウキ、ふしやまに捕まえさせろ」
 サクヤの要請に、キョウキのフシギダネが笑顔のまま素早く蔓を伸ばした。他の車両へ駆け出しかけていたゼニガメを蔓が捕らえ、そしてサクヤの膝の上にゆっくりと戻す。
 ゼニガメは喚き、文句を言った。
「ぜぇに! ぜにぜにぜにーっ!」
「痛い」
 さっそく連れ戻されてしまったゼニガメは、癇癪を起こしてサクヤの黒髪を引っ張りまくった。サクヤは顔を顰めるが、目を閉じ、黙って耐えている。サクヤの凶暴さを身をもって知っている片割れたち三人は、そのようなサクヤの精神的な成長に思わず我が目を疑った。
 その三人の不躾な視線に気付いたサクヤが、ゼニガメに頬をつねられつつますます眉を顰める。
「なに?」
「……いやぁ、人って成長すんだなぁ」
「言っておくが、僕はポケモンには暴力は振るわないぞ」
 ヒトカゲを膝の上に乗せてにやにやと笑っている赤いピアスのレイアを真正面に見据え、サクヤは不機嫌にそう言い放つ。
 レイアは窓枠に肘をついてけらけら笑う。
「サクヤってしっかりしてると思いきや、割とアクエリアスとか躾けきれてねぇよな? 甘やかし過ぎじゃねぇの?」
「こいつには何を言っても無駄だと学んだだけだ」
 言いつつサクヤは、顔面からやんちゃなゼニガメを引き剥がしている。ゼニガメは短い手足を思い切り振り回し、全力の抵抗を示している。レイアの膝の上のヒトカゲが、それを見てきゅきゅきゅと笑う。
 サクヤが鼻を鳴らす。
「おいアクエリアス、サラマンドラにも笑われてるぞ。恥ずかしくないのか」
「ぜぇーにぃ! ぜにぜーにぃっ!」
「ぴかぁーっ、ぴぃーかぴかぴかっ」
「だぁーねぇー?」
「……ほら、ピカさんやふしやまにも笑われてるぞ、アクエリアス。おとなしくしろ」
「ぜにが――っ!!」
 サクヤはその後もしばらく、青い領巾を引っ張りまくるゼニガメと格闘していた。
 レイアは膝の上で丸くなるヒトカゲの背を優しく撫でつつ、車窓からの景色を静かに眺めている。赤いピアスが微かに揺れる。
 ピカチュウを膝に乗せたセッカは、あいうえお作文を懸命に捻り出していた。
「TMV! てぃー・えむ・ぶい! たえきれず・もっこり・びでお!」
「やだぁもう、セッカったら」
 フシギダネを膝に乗せたキョウキが、セッカの正面で上品に笑っている。
 サクヤが全力で投げつけたゼニガメが、セッカの顔面の右半分をその甲羅で圧し潰した。



 四つ子はTMVでキナンに向かう間、矢のように流れる景色に目を瞠ったり、また別車両に設けられたバーに行ってソフトドリンクとバゲットサンドといった夕食をとったり、ゆったりとした座席に埋もれて眠ったりしていた。座席に座りやすいようにするためという理由もあって、腰につけていたモンスターボールはすべて外し、窓際に並べてある。四つ子のすべての手持ちのポケモンたちにも、車窓からの景色は見えているだろう。
 夕映えの景色は飛ぶように流れる。
 四つ子の後ろの席で、ウズは頬杖をついて静かに車窓を眺め、ロフェッカはリラックスした様子で本など読んでいる。四つ子が騒いでもやがてぷうぷうと寝息を立て始めても、二人は我関せずといった態度だった。これから一、二ヶ月も四つ子と関わり続けていくことになるのだ。少々のことにいちいち動揺していてはとても身がもたない。
 太陽が沈みゆく。
 列車は大河を辿り、平原を駆け抜け、青々と一面に広がる葡萄畑や牧場、数多の草原や荒野を見晴るかし、東にチャンピオンロードの山脈を眺め、谷川を越え、深い森の間を抜けて。
 世界は赤から青へ染まり、星々が瞬き、夜に沈む。超高速鉄道は南東目がけて駆け抜ける。
 景色は移ろう。
 窓の外はすっかり暗くなった。
 時折見えた街の光もとうとうまばらに、夜空には満天の星。TMVは宇宙を駆けているようだ。たまに目を覚ました四つ子は、明るく暖かい車内でそう思う。あれほど騒いでいたピカチュウやゼニガメもおとなしく眠り込み、フシギダネもヒトカゲも寝息を立てている。
 欠けた月が昇り始める。
 いつの間にか、TMVは山の間にあるようだった。
 夢うつつに、アナウンスが流れる。四つ子の頬には、座席のシートの感触が馴染み切っている。
 ロフェッカが、自分とウズの二人分のトランクケースを引っ張り出してくる。
 そしてロフェッカは、うつらうつらとしている四つ子に声をかけた。
「おら、キナンに着くぞ。そろそろ起きやがれ」
 膝にそれぞれの相棒を乗せた四つ子は、もぞもぞと動き出した。


 六人は黙々とTMVから下車し、キナンステーションから出た。
 途端に感じられたのは、冷たく吹きすさぶ夜の山の風。――しかし、そのような一抹の寂寥は瞬く間に蒸発した。
 四つ子は言葉を失った。
 光が、熱が、何もないと思われた山間に満ちている。

 キナンシティは、一大高原リゾートである。
 ポケモンセンターやバトルハウス、フレンドサファリといったトレーナー向けの施設も、ポケモントレーナーの間では有名ではある。しかしそういったトレーナー向けの施設だけではない。バトルハウスでのポケモンバトルを観戦に来た一般人観光客向けのリゾート施設が、キナンには揃っているのだ。
 高級別荘地、大型ホテルはもちろん、大型アウトレットモールとショッピングモールを兼ね備えた商業施設がそれらに隣接している。
 また、映画館、ゲームコーナー、文化ホール、ロープウェー、屋内外の大型テーマパーク。バトルスタジアムやコンテスト会場、ミュージカル劇場。ポケモンと触れ合える大動物園、貴重なポケモンの保護も兼ねた巨大な植物園、等々――山間に拓かれたリゾート都市、キナンにはエンターテイメント施設が充実しているのである。
 トレーナー誘致を観光の柱とはしているものの、一流のトレーナーによるバトルハウスでのポケモンバトルをさらに呼び水に、一般観光客をも広く集めようという魂胆である。
 キナンステーションから臨んだ“優しく甘い極上の街”は、夜の山間に、眩くそして幻想的にライトアップされていた。
 四つ子はただただ圧倒され、息を呑む。
 ミアレの夜景とはまた違った、ここは熱気に溢れた夢の街。
 これが、カロス最南端の街。

 道端にはリゾート気分を覚えさせる南国の植物。
 通りは街灯で明々と照らされ、様々なポケモンを連れた様々な人々が、夜もまだまだこれからと活気にあふれ、混み合う道を行き交う。それは保養に訪れたトリミアン連れの優雅な老夫婦であったり、エネコロロとサーナイトを伴った幸せそうな家族であったり、チラーミィとプリンとマリルとピチューを抱えた華やかな女子学生の集まりであったり、トロピウスやギガイアスやヒヒダルマを連れた腕自慢のトレーナーの集団であったり。
 少し広場に出れば、大道芸人が見物客を集めている。
 チャーレムやアサナンといったエスパーポケモンが大量の水を念力で固定し、空中に生まれた巨大な球のプールの中を、ミロカロスやサクラビス、アズマオウ、トサキント、ネオラント、チョンチー、パウワウ、ラブカスといった水ポケモンが華麗に舞い踊り、水中ショーを見せている。
 四つ子はそのショーに目を奪われた。まさかこのような場所で、美しい水ポケモンたちの舞が見られようとは。
 かと思えば、広場で視線を転じれば、すぐさまキレイハナやドレディアやマラカッチによる花吹雪が人々の目を引き、美女が魅惑的なダンスを披露する。
 他にもマルマインに乗りつつタマタマでジャグリングをする危険極まりない者、バリヤードと共にパントマイムに明け暮れる者、オタマロの軍勢を指揮して合唱させる者、数匹のミネズミにダンスを踊らせる者。時に息を呑むほど圧巻で、ともすれば思わず笑ってしまうほど滑稽だ。
 まるで祭だ。
 四つ子は互いにはぐれないように仲良く手を繋ぎ、広場を渡り歩いた。通りにはポケモンも食べられる料理や飲み物の屋台が並び、食欲をそそる音や香りを辺りに振り撒いている。クレープ、焼き栗、林檎飴、チュロス、アイスクリーム。甘味の屋台が多かった。
 街の至る所には色とりどりの花々や緑が飾られ、花火や爆竹の音が山間の星空に時折響く。道は昼間のように明るい。
 きょろきょろと落ち着かずに目を輝かせつつも、四つ子が多言語で表示された看板を辿ってとうとう立ち止まったのは、バトルハウスだった。


 黄金の装飾の施された、大理石の豪邸。
 お祭り騒ぎに囲まれて、けれどキナンシティの主でもあるかのように、その屋敷は荘厳に鎮座ましましていた。
 ここがバトルハウスに間違いない。
 小奇麗な服装に身を包んだポケモントレーナー達が、ひっきりなしにそのバトルハウスに出入りしている。他にも観客であろうか、タキシードとイブニングドレスの二人連れなど、美しく着飾った人々がその邸宅に集っていた。どうもただのバトル施設ではなさそうだ。
 四つ子は躊躇した。
 四つ子の服装はお世辞にも小奇麗とは言いがたい。十歳の時にウズから譲り受けた旅衣装の丈を調節して、現在まで着続けているのである。葡萄茶の旅衣やブーツなど擦り切れてボロボロだ。このような格好で、果たしてこのような屋敷に入ったものか。
 しかし、四つ子のあとに続いてきていたロフェッカがこともなげに首を傾げた。
「なんだぁお前ら、入んねぇのか?」
「……え、入っていいんか」
「たりめぇだろが」
 そして普段着に身を包んだロフェッカは、気負うこともなく豪邸にずかずかと踏み込んでいった。四つ子もきょどきょどしつつ、その後を追う。
 そして玄関ホールの眩い内装に目が眩んだ。赤い絨毯。ロフェッカはやはり何の気負いもなく、ずかずかと重厚な赤い絨毯を踏んで荷物を預け、階段を上がっていった。受付に話しかけている。
 受付の女性は一行を見やると、笑顔で言い放った。
「お一人様につき、入場料を1500円頂きます」
「えっ、お金とるの!?」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴゃあと叫び、その頭をロフェッカが小突く。
「うるせぇ、たりめぇだろうが。今日はさすがにお前らはバトルは無し。バトルせずに観るだけの客は、入場料払うんだよ。ほれ、それでも観るってんなら金出せや」
「ロフェッカが払ってよ」
 そう微笑んでロフェッカを見つめるのは、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキである。
「ほら、ロフェッカの代わりに、フウジョからヒャッコクまでミホさんとリセちゃんを送ってあげたじゃない。謝礼はするって、君、言ったじゃないか?」
 ロフェッカはぐうの音も出なかった。
 そしてロフェッカが渋々と全員分の入場料を支払い、四つ子は意気揚々と玄関ホール正面の大扉をくぐった。ウズが静々とそれに続いた。


 紫の大広間に出る。
 その幻想的な空間に、四つ子はまず一瞬度肝を抜かれた。
 次いで、正面の階段の踊り場で繰り広げられるシングルバトルに、四つ子は目を瞠った。
 バンギラス対ゼブライカ。
 激しい咆哮が上がり、激しい砂嵐が舞い上がり、紫電が散る。
 二階の観客席は超満員だった。どうやら観客席や内装は、エスパーポケモンの張った壁などで安全に防護されているようだ。二体のポケモンがぶつかり合うたびに、大きな歓声や拍手が起こる。
 既に勝負は終盤に差し掛かっていたらしく、バンギラスがゼブライカをかみ砕いてとどめを刺した。

 バトルの決着がついたところで、からんからんとベルが鳴る。
「……うし、終わったな。おら、こっちだ」
 ロフェッカは立ち止まっていた四つ子の背を押し、そのバトルが終わったばかりの正面の大階段を上がり始めた。そのまま二階の客席に上がる。
 バトルに負けたばかりのゼブライカのトレーナーも、二階の客席に上がっていった。敗れたトレーナーは、そのまま二階の観客に混じることもあれば、再びバトルに挑むべく出場選手の控室に戻ることもあり、はたまた挑戦や観戦に飽きればそのまま大階段を下りてバトルハウスを出ていくこともある。何にせよ、敗者は踊り場から去るのみだ。
 そして一方のバトルに勝ったバンギラスのトレーナーは、大階段の踊り場の手すりにもたれかかって小さなサンドイッチなどを齧り、小休憩を入れている。勝者は、次々と訪れるトレーナーと勝ち抜き戦を繰り広げることになる。
 また、観客が大階段を行き来する。新しくバトルハウスを訪れた者は上がり、十分に観戦を堪能した者は下りていく。一階にあつらえられた丸テーブルの軽食コーナーで、ポケモンと共に軽く食事をつまんでいく者の姿もある。


 四つ子は二階の観客席から、紫の大広間をきょろきょろと眺めまわした。
 紫の壁や柱は幻想的だ。豪華なシャンデリアや立派な燭台が煌々と広間を照らし、敷き詰められた絨毯は密である。しかしただ豪華絢爛なだけでなく、そのデザインには遊び心が散りばめられていた。金属光沢の華やかなリボンが欄干に飾られ、紫の壁紙は水玉模様やストライプである。
 手に汗握るような激しいバトルを、軽い気持ちで観に来ることができる。バトルハウスはそのための場所なのだ。
 そして、観客席の薄暗い一角では、何やらテーブルに集まってコインのやり取りをしている数人の紳士がいた。踊り場でのバトルでどちらが勝つかで、賭けをしているのか。四つ子は珍しげにその賭博の様子を眺めていたが、そこで養親にまるで見るなとでも言うように肩を叩かれた。


 ざわついた休憩時間は、五分ほどだったか。
 からんからん、と再びベルが鳴る。
 休憩時間が終わったのだ。次のバトルが始まる。
 四つ子は薄暗い賭博の様子より、すぐに階下に気を取られた。

 正面の大階段に残っていた人々がはける。踊り場に残されたのは、先ほどのバトルに勝利したバンギラスのトレーナーだけ。このトレーナーはもたれかかっていた手すりからそっと身を離し、階上を見上げた。
 二階から、次のバトルの相手が駆け下りてくる。エリートトレーナーの女性だった。相対した二人のトレーナーは握手をして何事か挨拶を交わしているが、ざわめく二階の観客席まではその言葉は届かなかった。二人のトレーナーがそのままバトルのための距離をとる。ボールからポケモンを出す。
 一斉に拍手が巻き起こった。
 階上の客席から降り注ぐそれが静まるまで、二人のトレーナーと二体のポケモンは睨み合う。スワンナ対ブーバーンだった。
 しんと、一瞬客席が静まり返った、その刹那。
 次の勝負が始まる。
 わあ、と歓声がバトルハウスに満ちた。


  [No.1435] 優しく甘い 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:31:30   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



優しく甘い 夜



 バトルハウスでの勝ち抜き戦は、四つ子にとっては、慣れない雰囲気だった。
 カロスリーグともまた違う、この空気。屋内であることによる密閉感、圧迫感、観客との近さ。
 リーグよりも、まさに見世物の色が強い。
 ある意味では、カロスリーグよりもプレッシャーは強いかもしれない。
 であるからこそ、大階段の踊り場に上がるトレーナーはいずれも一流だということが窺い知れた。トレーナーは指示のミスなどしない。そしてポケモンの指示に対する反応も的確だ。凡ミス、というものがないのだ。
 余裕の見られるバトルだった。
 トレーナー達は簡単そうに、状況を見極め、冷静に指示を出す。ポケモンたちも、ごく当たり前のように戦い続ける。
 簡単そうに見えるが、的確な指示と動作というトレーナーとポケモンの一連の動き、それはとても難しい。レイアもキョウキもセッカもサクヤも、立ったまま観客席の手すりを握り、無表情で階下のバトルを睨んでいた。無心にバトルを観察していた。ここで繰り広げられるのは、まさしく極上の試合だった。

 あのようなバトルが、レイアやキョウキやセッカやサクヤにもできるだろうか。
 カロスリーグで戦い抜く実力がある四つ子ならば、できるかもしれない。
 踊り場には、様々なポケモンが繰り出された。
 ドードリオ、ギルガルド、ネンドール、ノコッチ、デスカーン、クチート、ドリュウズ、メガニウム、レントラー、ブルンゲル、カイリュー、ピクシー、ルチャブル、ヌオー。
 そういったポケモンが現れては、技を繰り出し合い、勝利の咆哮を上げ、あるいは力尽き、入れ代わり立ち代わりボールの中から現れる。
 四つ子の初めて見るポケモンも大勢出てきた。そういったポケモンの名前やタイプ、特性などは、ロフェッカが教えてくれた。初めて見るポケモン、初めて戦うポケモンといきなりバトルの場で相対したとき、果たして四つ子は冷静に正しい指示を飛ばせるだろうか。
 そう、出場しているトレーナーは皆、知識が豊富だった。どのようなポケモンが出てきても、そのポケモンのタイプが何で、弱点が何で、どのような技を使ってくるのか、すべて知っているようなのである。そしてすべて予定調和だとでもいうように、当たり前のように勝ち進み、当たり前のように敗れ去る。そこに新人トレーナーのような感情の浮き沈みはない。
 だから、観客も安心して純粋にバトルだけを楽しめる。
 ここはバトルのための施設。何年もここに入り浸り、毎日のように戦いに明け暮れる猛者もいる。そのようなトレーナー相手に、ぽっと出の四つ子がどこまで戦い抜けるか。
 四つ子は、黙ってバトルを睨んでいた。
 ヒトカゲもフシギダネもピカチュウもゼニガメも、四つ子の腕の中に納まって、じっとバトルを見下ろしていた。



 何時間、経っただろうか。
 夜もだいぶ更けたはずだ。
 バトルごとに挟まれる五分間の休憩時間に、何度かウズやロフェッカがそろそろこの場を後にしたいと言い出した。しかし四つ子は何かと理由をつけてだらだらと居残っていた――次にフェアリータイプが出てきたら終わりにするから。あと三十分。お願い、あと一試合だけ見さして。
 そうして、四つ子はクイタランとライボルトのバトルを見ていた。
 双方のトレーナーの、いずれも最後のポケモンである。時間的にももうこれ以上は粘れない。四つ子の後方では椅子に腰かけた養親のウズが居眠りをしかけ、ロフェッカがそろそろ無表情になってきている。クイタランかライボルトか、いずれかが倒れたら、四つ子はもうバトルハウスを出なければならなかった。
 クイタランに食いついたライボルトを、クイタランが腕で押さえつけ、至近距離から高熱の炎を吹きかける。ライボルトが悲鳴を上げる。しかし悲鳴を上げつつも、なかなか気を失わなかった。
 それは長く続いた。
 さすがの四つ子も揃って顔を顰めた。四人は性格はバラバラでも、ポケモンを大切に思う気持ちは同じだ。――何をしている、ライボルトはもう戦えないはずなのに、なぜクイタランはライボルトを早く倒しきってしまわないのか。周囲の観客も眉を顰めたり、顔を背けたりしている。
 たまに、こういうことがあった。
 バトルハウスで繰り広げられるバトルは激しく、厳しい。敗れ去るトレーナーは数多くいる。そうなると誰に対して恨みを抱いたものか、嫌がらせのようなバトルをするトレーナーが現れる。
 バトルハウスは、観戦を楽しむための場所でもある。しかし、バトルを行うのはほとんどが一般のトレーナーだった。サービス精神などというものはほとんど望みえない。あまりに度が過ぎたバトルはバトルハウスの運営側がさすがに止めに入るが、まれにこのような、洒落にならない残酷な戦いをする者が踊り場に現れるのだ。
 このバトルでも、さすがに、審判が動きかけた。
 その審判の動きを見てか、クイタランが火力を強め、ライボルトを沈めた。それは見るも無残な焼け焦げの姿だった。
 紫の大広間が、しんと静まる。白けた、とでもいうのか。
 クイタランのトレーナーである中年の女性トレーナーは、まったく悪びれた様子がなかった。当たり前のようにクイタランをボールに戻している。
 審判がクイタランのトレーナーに近づきかける。しかし、一歩遅かった。
 踊り場に、闖入者があった。

「――このっ、鬼畜が!!」
 二階の観客席から転がるように降りてきた長身の青年が、クイタランのトレーナーにつかみかかる。クイタランのトレーナーが悲鳴を上げる。慌てて審判が二人を引き離そうとした。
 観客席では戸惑いのざわめきが広がり、大きくなる。
 短い茶髪の青年が、踊り場で喚いている。
「……このっ、お前のようなトレーナーが! お前みたいなトレーナーがいるから! ポケモンが傷つくんだ! トレーナーやめろ! ポケモンはみんな解放しろ!!」
 しかし、その青年の声に対して、観客席からさらにヤジが飛んできた。
「うっせぇ! 反ポケモン派は出てけ! ポケモン愛護団体は出てけ! バトルハウスに来んなっ!!」
 そのトレーナーによる激しいヤジに、周辺にいたトレーナーたちがそうだそうだと同調する。
 先ほどまでは、惨いバトルを見せたクイタランのトレーナーへの非難が空気を支配していたというのに、あっという間に非難の矛先は青年に向いてしまっている。
 四つ子には訳が分からない。
 騒ぎの中を、こそこそとクイタランのトレーナーは抜け出そうとしているし、踊り場の長身の青年に向かって怒り狂った熱狂的なトレーナーが群がっているし、バトルハウスの広間は混乱の様相を呈していた。
 四つ子は困り果てて、後ろのウズとロフェッカを振り返った。
 ウズは眠そうな目をこすっており、ロフェッカは肩を竦めただけだった。バトルハウスから出ようにも、階下へ降りるための大階段は暴徒に占領されている。
 喧騒はバトルハウスを揺るがし、人々とポケモンはもみくちゃになり、混沌と化す。


 その時、二階の奥の大扉が、バンと開かれた。
 一般のトレーナーのための控室ではない。四つ子が観戦を始めてからは、今まで開かれたことのない扉だった。
 大扉の中から、緑、赤、青、黄のドレスを纏った女城主が現れる。
 途端に、踊り場に殺到していたトレーナー達の中からいくつもいくつも、熱狂的な声援が飛んだ。
「うおおおおおおっ、ルミタン様ァァァァ――っ!!」
「ラジュルネ様ぁぁあああおおおおおおおお」
「ルスワール嬢っ! ルスワール嬢のお出ましじゃああああ――っ!」
「ぐっほぉぉぉぉぉラニュイた――ん! ラニュイたんこっち向いて――ッ!!」
 待ってましたとばかりに、太い男の声がいくつも響く。
 ルミタン、ラジュルネ、ルスワール、ラニュイ。それぞれ緑のドレス、赤のドレス、青のドレス、黄のドレスを身にまとった、このバトルハウスの支配者然とした彼女たちの名だろう。

 緑のドレスを纏った長女のルミタンが、ふわりと微笑む。
「こんばんは。皆様、本日もバトルハウスばご贔屓くださり、ありがとうございます」
「ルミタン様も今日もありがとぉぉぉぉ――!!」
「感激じゃ、感涙じゃああああ!」
 男たちが叫んだ。

 赤のドレスを纏った次女のラジュルネが、眉を顰める。
「まったく、何の騒ぎかしらっ!? このバトルハウスに乱闘はご法度だと、ご存知!!?」
「申し訳ありませぇぇんラジュルネ様ぁぁっ」
「踏んでくださいっ」
 男たちが叫んだ。

 青のドレスを纏った三女のルスワールが、もじもじと手指を弄ぶ。
「あっ、あの……えっ、えと、そのう……みっ、皆さん仲良くしてくださぁいっ!! ……あ、あうぅ」
「了解ですぞルスワール嬢!」
「ルスワール様こっち見てェェェェッ!」
 男たちが叫んだ。

 黄のドレスを纏った四女のラニュイが、きゅるんとポーズを決めた。
「ぺろぺろりーん! ラニュイだよー! あんねー、ケンカしたらあかんよー!」
「はいもうケンカしませんっ」
「ラニュイ様の仰せのままにィ――!!」
 男たちが叫んだ。

 魅惑的な四姉妹が奥から登場しただけで、大広間にいたほとんどのトレーナー達の統制がとれてしまった。
 ぼろぼろになった、最初にクイタランのトレーナーにつかみかかった長身の青年が、よろよろと人混みの中から抜け出す。しかし、ドレス姿の四姉妹の登場に心を奪われたトレーナー達は気にも留めない。青年はとぼとぼと大広間を抜け出した。
 ロフェッカが四姉妹を見つめたまま、にやりと笑う。四つ子の肩を順に叩いていった。
「……ほれ、よく見とけ。あのお嬢さん方がこのバトルハウスの主、バトルシャトレーヌのご面々だ」
 ヒトカゲを抱えた赤いピアスのレイアも、フシギダネを抱えた緑の被衣のキョウキも、ピカチュウを抱えたセッカも、ゼニガメを抱えた青い領巾のサクヤも、言われるまでもなくその四姉妹を見つめていた。
 華やかな四姉妹だった。
 微笑を浮かべているルミタン、まなじりを吊り上げているラジュルネ、オドオドしっ放しのルスワール、自由奔放なラニュイ。
 そのバトルの腕だけでなく、華やかな外見や人柄によって多くのトレーナーを引きつける。まさにキナンの華。
 その魅力で、バトルハウスというこの狭い空間すべてを味方につけてしまう。
 恐ろしい、と四つ子は思った。
 彼女は半ば見世物として生きている。その中で輝く強さを誇っている。
 しかし四つ子が四姉妹に見入っていると、ロフェッカに背中を押され、四つ子はそそくさと階下へ降り、バトルハウスから抜け出させられた。



 バトルハウスの外は、冷えていた。さすがに夜も遅いのか、喧騒は静まっている。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがぷぎゃぷぎゃと語る。
「バトルシャトレーヌって四姉妹なんだな。でもみんな髪と目の色が違ったな。四卵性かな?」
 フシギダネを頭に乗せたキョウキが小さく笑う。
「彼女たちは四つ子じゃないから、四卵性なのは当たり前だよ」
「俺らは一卵性の四つ子だもんなー!」
 セッカがえへへと笑ってキョウキにくっつく。
 キョウキもまんざらでもなさそうにセッカにくっつかれながら、ヒトカゲを脇に抱えたレイアと、両腕でゼニガメを抱えたサクヤとを振り返った。
「どうだった? 二人はバトルハウスで勝ち抜けそう?」
「……まだ厳しいかもな。一人じゃ」
「シングル、ダブル、トリプル、ローテーションは一人で挑戦するらしい。だが、二人でマルチに挑戦することもできるようだ」
 レイアが苦々しげに吐き捨て、サクヤがいつの間にか仕入れてきた知識を披露する。すると、キョウキにくっついていたセッカが元気よく叫んだ。
「じゃあさ、まずはマルチに挑戦しよう! ブイちゃんたちが強くなったら、一人ずつで戦うの!」
 四つ子の手持ちには、タマゴから孵って間もないポケモンが二匹ずついた。その二匹を育てない限り、あのような厳しい勝ち抜き戦には耐えられないだろうという結論に四つ子は達する。
 セッカが鼻息を荒くする。
「――んで、めっちゃ稼ぐ!」
「……気合入ってるとこ悪いが、バトルハウスじゃ賞金は貰えねーぞ?」
 そこにロフェッカが苦笑しながら口を挟んだ。
 せっかく意欲を燃やしかけていた四つ子は、急激に意気消沈した。燃え尽きた灰のような顔になった。
 しょんぼりとする四つ子に、ロフェッカは慌てて取り繕う。
「い、いや、何も貰えねぇわけじゃなくて――ああもう、説明は後だ、あと! ウズ殿が眠りかけてる!」
 そこで四つ子はようやく、キナンまでついてきてくれた養親の存在を思い出した。
 銀髪のウズは、ロフェッカにもたれかかってうつらうつらとしていた。ロフェッカが苦笑する。
「んじゃ、もう今日はお前らがこれから暮らす家まで案内して、それで寝るから。キナンの事なら何でも明日話してやるから、な?」
 そう適当に言いやって、ロフェッカはウズとウズの荷物を引きずりつつ、居住区の方へと歩いていった。
 レイアのヒトカゲも、キョウキのフシギダネも、セッカのピカチュウも、サクヤのゼニガメも、興奮しすぎたせいか疲れて目をとろんとさせている。四つ子自身も眠くなってきた。
 四つ子は互いに手を繋いで、ふらふらとロフェッカのあとを追う。



 居住区に立ち並ぶ別荘の一つの前で、ロフェッカは立ち止まった。なにやら鍵を懐から取り出して、別荘の扉を開けようとしているのだった。
 四つ子は眠い頭の中で、まさか別荘に滞在することになろうとは思わなかった、とぼんやりと思った。しかしもう眠い。今朝レンリに辿り着き、そしてレンリからミアレまで列車に乗り、ミアレからキナンにTMVでやってきて、そして何時間も激しいバトルを観戦して。疲労は溜まりに溜まっている。
 ロフェッカに世話を焼かれつつ、四つ子は夢うつつで歯を磨き、軽くシャワーを四人まとめて浴び、そして二階のダブルベッドに四人でダイブした。仲良くくっつき合って眠る。
 四つ子はひどく眠かった。
 だから、二階の部屋の窓のカーテンの隙間から、男がその部屋の中を覗き込んでいることに気付いても、無視して眠った。一晩眠れば忘れてしまうであろう程に、まったく気にも留めなかった。


  [No.1436] 優しく甘い 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:33:50   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



優しく甘い 朝



 翌朝。
 一番に目を覚ました赤いピアスのレイアは、朝の陽射しを別荘の二階の寝室に招き入れるべく、窓のカーテンを開け――絶叫した。
「ぎゃああああああああああああああああああああ」
 ベランダに、短い茶髪の長身の男が倒れ込んでいたのである。
 レイアはよろよろと後ずさりした。
「……ぎ、ぎ、ぎ、ぎ」
「どうしたの、レイア……。ギギギギアルでも出た?」
 レイアの絶叫を聞いて最初にむくりと起き上がったのは、キョウキであった。いつも頭から被っている緑の被衣はそこら辺の床に落ちたままで、キョウキは珍しくも黒髪を朝日に露わにしている。
 レイアは絶叫してキョウキに飛びついた。
「ぎゃああああああああああああああああああああ」
「きゃあ。何だい、レイア」
 柔らかい声で笑う寝起きのキョウキに、レイアはぶるぶると震えながらベッドの上でしがみつく。キョウキは内心では大喜びで、そっとレイアを抱きしめ返した。
「朝だよ、お化けなんて出ないよ?」
「……いたんだよ……ベランダにいたんだよ……!」
「何がいたのかな?」
 そのキョウキの問いにはレイアは答えなかった。怯えて小刻みに震えている。
 キョウキは怯え切った片割れを安心させるべく、レイアに思う存分に頬ずりをした。このような機会でもなければ、この意地っ張りな片割れはなかなかスキンシップを許してくれないためである。
 そうこうするうちに、セッカとサクヤももぞもぞと起き出してきた。朝からベッドの上でぴったりと抱き合っているレイアとキョウキの二人を見つめ、二人ともきょとんとしている。
「……らぶらぶ?」
「そうだよセッカ。起きたら、なんかレイアがラブラブだったんだよ」
「……何があったんだ」
「何かが、ベランダにいるらしいよ」
 キョウキは残る二人の片割れに、そう教えてやった。
 セッカとサクヤは二人並んで仲良くベッドから降り、裸足でぺたぺたとベランダに近づいた。
 そしてセッカは絶叫した。
「もぎゃああああああああっ」
「…………な……これは」
 サクヤまでもが言葉を失う。セッカはぷぎゃあと悲鳴を上げた。
「変な人が凍死してるよぉぉぉ――!!!」
 セッカはボロ泣きしながら、傍らのサクヤの肩を掴んだ。がくがくがくがくと揺さぶる。
「しゃくやぁ、しゃくやぁぁぁっ、変な人が死んでるよう――っ!!」
「…………落ち、着けっ」
 サクヤはひどく顔を顰め、ベランダを視界に収めないようにしながら、ベッドの上でレイアと抱き合っているキョウキを見やった。唯一現場を目撃していないキョウキは、いつものようにほやほやと笑っていた。
「ベランダに誰かいるのかい?」
「……男だ……男が寝ている」
「まあ、夜這い目当てだったのかな。とりあえず、ロフェッカとウズを呼んでこようか。レイア、起きてー」
 キョウキは自分にくっついているレイアの体を揺する。しかしレイアは腕が硬直したかのように、がっちりとキョウキに組み付いていた。先ほどからうんともすんとも言わない。
 キョウキは幸せそうにサクヤに笑いかけた。
「レイアが僕にくっついちゃった。えへっ」
「えへ、じゃない……」
 顔を顰めるサクヤも、セッカにぴったりとくっつかれているのである。セッカはサクヤに抱き付いて、サクヤの胸の中ですんすんと鼻を鳴らしている。可哀想なほどまでにすっかり怯え切っていた。
 レイアとキョウキはベッドの上、セッカとサクヤは床に立ったまま、それぞれ膠着状態に陥っている。特に俺俺組の動揺が激しい。
 やがて、四つ子の声で目が覚めたか、ベッドの枕元でそれぞれ丸くなっていたヒトカゲ、フシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメが伸びをして起き出してきた。そして四匹揃って、二人ずつくっついている四つ子たちを見て目を白黒させた。
 キョウキはにこりと彼らに笑いかけた。
「サラマンドラ、ふしやまさん、ピカさん、アクエリアス。一階にいるウズとロフェッカを呼んできて」
 寝ぼけた四匹は、その髪型の崩れた発言者がレイアなのかキョウキなのかセッカなのかサクヤなのかいまいち判別しかねていたが、とはいえそのような指示を下したのが四つ子のうちの誰かであることから、おとなしくその指示に従った。
 ぴょこぴょこと跳ねるように、ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは別荘の階段を下りていく。



 その青年は、エイジと名乗った。
 椅子に座らせたエイジを、四つ子は抜け目なく包囲した。赤いピアスのレイアが背後から青年の首に腕を回し、緑の被衣のキョウキが青年の右腕をとり、セッカが食卓の下にうずくまって青年を睨み上げ、青い領巾のサクヤが青年の左腕をとる。
 エイジは困り果てたように苦笑した。
「ええと……すみませんでした……?」
「すみませんで済む話じゃねぇだろ!」
 レイアが鋭く怒鳴る。青年はひいと間抜けな声を上げながら首を縮めた。
 キョウキがほやほやとした笑顔を浮かべて詰問する。
「エイジさん、貴方は確か昨晩、バトルハウスで、クイタランのトレーナーに突っかかっていかれましたよね?」
 そのキョウキの指摘に、レイアとセッカとサクヤは軽く目を瞠り、改めてその青年を見やった。
 四つ子に包囲されている短い茶髪の長身の青年は、気弱そうな、それでいてどこか食えない笑みを浮かべた。
「はは……そうです、あのクイタランのしたことは許せなかったので……」
「あんた、ポケモン好きなの?」
 セッカが猜疑心に満ちた声音で、テーブルの下から問いかける。あながち確信からずれた質問と言えなくもないのだが、四つ子はエイジの人柄をまったく知らない。大勢の観客の前であれだけ目立ったことをするほどの度胸を持った人間だ、何をしないとも分からない。
 エイジはにこりと笑った。
「そうですね……。自分、ポケモン愛護団体に所属していたことがありまして、その名残でつい……」
「ポケモン愛護団体?」
「ええ……。自分、元はただの一般人でして。訳あってトレーナーになり、ドロップアウトして、ときどき反ポケモン派として活動したり、ポケモン愛護団体に入ったりしてました。今はただのミアレ大学の学生やってます……」
 エイジは笑顔でそのように経歴を披露した。しかし具体的なことは何もわからない。
 サクヤが青年をねめつけ、低く尋問する。
「なぜ、ベランダにいた?」
「ここね、元は自分の家だったんですよ……」
 エイジはそのように答えた。
 四つ子は無言のまま先を促した。


「いやね、この家にそのまま住んでたってわけじゃなくてですね、別の家が建ってて、そこに住んでたんですが……かなり昔に、ポケモンにその家を壊されましてね……」
 事故だったという。
 トレーナーのポケモンバトルに巻き込まれ、ある日突然、エイジの家は破壊された。
 エイジの幼い頃のことだった。
 当時の制度でもトレーナーに損害賠償は請求できず、またポケモン協会からの見舞金は少額だった。その少額の見舞金を貯蓄と合わせても、新たに家を建て直すことは不可能だった。壊されたその家は新築で、ローンの返済もまだこれからという段だった。
 一家は、狭いアパートに越した。
 エイジの父親は、反ポケモン派の活動にのめり込むようになった。一家の幸せな暮らしを奪ったトレーナーに、簡単にいえば復讐するためだろう。幼いエイジもまた、父親に連れられて反ポケモン派の活動を行った。
 しかし、反ポケモン派の活動を行ったことを理由に、エイジの父親は勤めていた企業を解雇された。しばらくは反ポケモン派の仲間の援助を頼っていたが、ローンの返済や、また反ポケモン派の仲間内での裏切り行為等によって援助が打ち切られたことなどが積み重なり、エイジの家計は火の車。そのような中、エイジの父親は、妻子を置いて失踪した。
 母一人子一人。借金を背負い、とてもやっていけない。仕方なくエイジは、元手の不要なトレーナーの道を選んだ。トレーナーのせいで、トレーナーになることになったのだ。皮肉な話である。
 しかし、エイジはポケモントレーナーとして、どうもぱっとしなかった。エイジは優しすぎたのだ。ポケモンが好きすぎて、ポケモンに傷つき傷つけるよう命じることに躊躇いがあった。そうなると、どうしてもバトルに勝つことはできない。
 貯金尽き、ポケモンセンターの片隅の物乞いになりかけた。
 その時、それまでの不運の反動かのようにエイジは凄まじい幸運に見舞われ、エイジは奨学金を受けて学校に通えることとなった。そしてポケモン愛護団体に加入もしつつ、大学まで進学している。チャンスをものにして懸命に猛勉強したおかげで、どうにか将来の展望が開けそうだ。母親にはまだ窮屈なアパート暮らしをさせているが、幸いなことにこれも健在だ。これから改めてやり直していこう。
 そう希望を持てたところで、エイジは久々に故郷に戻って来てみた。が、故郷のキナンはリゾート都市として再開発されてかつての面影もない。懐かしい家のあったところは別荘地になっていた。
 ――という話である。

 四つ子は黙って、青年の話を聞いていた。
 また、食卓の向かい側では、ポケモン協会職員のロフェッカも黙ってその話を聞いていた。
 そこに、ウズが粥の入った土鍋を運んできた。
「むつかしい話は後じゃ。とりあえず朝餉にするかの」
「あさごはん!」
 セッカが食卓の下から飛び出しかけ、思い切り食卓の角に頭をぶつけた。


 エイジはスプーンで熱い粥を一口啜り、人好きのする笑みをふわりと浮かべた。
「やさしい味ですね。……母の作ってくれたオートミールを思い出す……」
「俺はオートミール、嫌いだなー」
 たんこぶを頭に作ったばかりのセッカが、何も考えずに自分の好みを主張した。
 普段ならば、ここでレイアかサクヤあたりが、怒鳴るなり拳なりでセッカの不遜な発言を諌めただろう。しかし、この日はレイアもサクヤも、突如として食卓に闖入したエイジに対して不信感しか抱いていなかった。そのため、わざわざエイジのためにセッカの発言をフォローする気にもならなかった。
 キョウキがそのような心配りと縁ないのは言わずもがなである。
 その結果、食卓には微妙な雰囲気が流れた。ウズとロフェッカ、エイジの三人が、ただただ困ったような白々しい笑顔を浮かべているだけである。
 レイアは澄まして粥を口に運んでいる。
 キョウキは澄まして粥を口に運んでいる。
 セッカは澄まして粥を口に運んでいる。
 サクヤは澄まして粥を口に運んでいる。
 彼らの足元では、ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメが脇目もふらずにポケモンフーズにがっついている。
 四つ子は機嫌が悪かった。朝一番で死ぬほど驚かされ怯えさせられ、さらにはその不審者と朝食を共にとることになっているのだから。つまり、エイジの簡単な身の上話を聞いた上でも、四つ子のエイジに対する不信感は拭い去られていなかった。むしろ、どこかお涙頂戴のエピソードを図らずも語られてしまってげんなりしている。
 白けた空気に耐え切れず、ロフェッカが口を開く。
「いやぁ、さっきの話聞いてたが、色々と大変だな。……まあ、ポケモン協会の人間にそうゆうこと言われたかねぇとは思うが」
「そんなことありませんよ、ロフェッカさん。仕方ないんです、そういう法律ですからね……」
 エイジは礼儀正しく応じた。ウズも口を開く。
「ベランダに上がったというのはどうにも不審じゃが、そのご様子だと、もしや宿に困っておられますのか?」
「ええ、実は……。ベランダに上がってしまったこと、申し訳なく思っております……。あの、空き家だと思って、休めるかと思って、ちょっと中を覗こうとしたんです。そうしたら皆さんが来られて、出ていくにも出ていけず……そのままうっかり眠り込んでしまいました」
 その空き家があればそこで休もうという発想が、どうもポケモントレーナーらしかった。しかしエイジは既にトレーナーカードを返却してしまい、ポケモンセンターに泊まることはできないのだという。一般人向けのホテルに宿泊するような金銭的余裕はない。けれど、できればまだしばらくキナンを見ていきたい……。
 四つ子は顔を顰めた。
「何が言いてぇんだ。つまり、ここに泊めろってか?」
「泥棒にしては随分と図々しいですねぇ」
「っていうか、変態かもじゃん」
「まったくどういうつもりだ……」
 四つ子が一斉に身を乗り出して詰め寄ると、エイジは慌てて両手を振った。
「い、いえ、いいえ、滅相もない……! 皆さんはトレーナーでしょう、大勢のポケモンがいますから、泥棒なんて出来っこありませんよ……」
「だが、てめぇは元トレーナーだ」
「だから、自分、落ちこぼれなんですってば……」
 気弱げな長身の青年が、四つ子を相手に必死に弁明する。
 不信感をあらわにする四つ子に、とうとう養親のウズが溜息をついた。
「……アホ四つ子。困ったときはお互いさまと申すじゃろうが」
「――おい、ウズ! マジでこいつここに泊める気かよ!?」
 レイアが激しく怒鳴る。
 ウズはそれを冷やかに一瞥した。
「こことて、あたしらの家ではない。ポケモン協会様にお貸し頂いておる別荘じゃ。そして元はこのエイジ殿のご実家。エイジ殿のお心に沿えば、快く受け入れるが筋じゃろう」
 そしてウズはちらりとロフェッカに視線をやる。ロフェッカもにやにやと笑って四つ子を眺めながらも、頷いた。
「ポケモン協会的にも、ここに他の客を泊めたところで問題はないと思いますぜ。むしろ、このエイジには協会的にもいろいろと苦労をかけさせてるしな、ちっとは大目に見るべきじゃねぇの?」
「ロフェッカまで。……もう」
 愛想笑いを浮かべつつ、キョウキが文句を垂れる。
 セッカが頬を膨らませる。
「せっかく、四つ子水入らずで過ごそうと思ってたのにぃ!」
「……ウズ様や協会職員がそのように仰るなら、そのようになされば良いでしょう。しかしそれならば、僕らとしても無断でポケモンセンターなどに外泊するやも知れないこと、あらかじめお伝えしておきます」
 そう静かに言い放ち、サクヤが気分を害したように箸を置いた。つまり、得体の知れない人間と同じ屋根の下で暮らすことに嫌悪感を覚えると、そう言っているのだ。
 エイジが慌てて、四つ子に向かって頭を深く下げた。
「すみません、本当にすみません……! お詫びになるかわかりませんが……よろしければ、四つ子さんの家庭教師のようなことをさせていただきます!」
「家庭教師、ですって?」
 そう声音を作ったのはキョウキである。緑の被衣を被り、にこにこと毒々しげにエイジを睨む。
「それってつまり、僕らに学がないとそう仰ってるんですよね? 僕らが馬鹿だから啓蒙してやろうと、そう仰るわけですよね? 確かにお偉い学生様からすれば事実そのようでしょうが、それにしたって思いあがりも甚だしいというか、礼儀に欠けると思いませんか?」
「これ、キョウキ」
 毒を吐くキョウキを諌めたのは、やはり銀髪の養親だった。
 ウズはこちらも大仰に、エイジに向かって深く頭を下げたのである。
「――勿体ないお申し出。エイジ殿、ぜひ、このアホ四つ子に学を授けてくださりませ」
 四つ子は言葉を失った。
 ロフェッカも苦笑している。
 エイジは当の四つ子をちらちらと気にしつつも、ウズと何やら挨拶を交わしている。居候と家庭教師の契約の話か何かか。


 四つ子は顔色を失っていた。
 ウズは、四つ子の養親だ。しかし、四つ子は十歳を過ぎており、法的には既に成人として扱われるのだ。ウズの親権には服さない。教育についても、今更、ウズにとやかく言われる筋合いはない。
 なのになぜ。
 なぜ今更。
「――ざっけんな!!」
 食卓を殴ったのは、赤いピアスのレイアだった。ヒトカゲがびくりとして顔を上げる。
 レイアはウズに向かって怒鳴り散らした。
「ウズてめぇ、マジでふざけんなよ! 俺らを馬鹿にすんのも、大概にしやがれ! 何でもかんでも勝手に決めやがって、俺らの親でも気取ってんじゃねぇよ!」
 ぎらぎらと敵意に輝く瞳でウズを睨む。
 緑の被衣のキョウキも、セッカも、青い領巾のサクヤも、レイアに同調するようにウズをまじまじと見つめる。
 四つ子に揃って睨まれて、ウズは息を吐いたかと思うと、穏やかな眼差しで四つ子を見回した。
「……差し出がましい真似と、思うであろうな。じゃが、あたしはそなたらに世界を広げてほしいと思うとる。……それだけじゃ」
 ウズはそれだけ言った。
 ロフェッカもエイジも、慎重に沈黙を守っている。
 ふとキョウキが笑みを浮かべた。足下からフシギダネをそっと抱え上げ、レイアを見やる。
「レイアレイア。とりあえず、お試し期間ってことで、エイジさんの話を聞いてみようよ」
「……キョウキ」
「エイジさんがくだらない人間だと思ったら、即刻エイジさんを叩き出せばいい。もし、エイジさんが僕らが師と仰ぐにふさわしい人間だと思ったなら、エイジさんから搾り取れるだけ知識と知恵を搾り取ればいい。それが双方にとって合理的だろ?」
 キョウキはにこにこと人のいい笑みを浮かべていた。その腕の中のフシギダネも、人の心を癒すような緩い笑顔である。
 うまくレイアを収めたキョウキの手腕に、ウズやロフェッカやエイジは息をつきかける。
 そこに四つ子は冷ややかな声を放った。
「だがてめぇらが次にふざけた事をしやがったら」
「僕ら、キナンを抜けますからね?」
「そんなの、おっさんも困るよな?」
「僕らは請われて仕方なくここにいるんですから」
 四つ子は灰色の双眸を眇め、ウズとロフェッカとエイジを脅した。
 そして四つ子は、それぞれの相棒と手持ちのポケモンたちを連れて、そそくさと別荘から出ていった。


  [No.1437] 優しく甘い 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:36:32   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



優しく甘い 昼



 キナンシティの別荘地は、実にのどかだった。
 白い壁、橙色の屋根。そのコントラストが青空に映えて美しい。
 別荘の窓際には色とりどりの花々が飾られ、統一された街並みを彩る。四つ子は並んでのんびりと歩き出した。今日から本格的に、キナンを巡ることになる。
 とはいえ、四つ子のやることは決まっている。
 ヒトカゲを脇に抱えた、赤いピアスのレイアが呟く。
「とりあえず、イーブイの進化形たちは育てる」
 フシギダネを頭に乗せた、緑の被衣のキョウキが軽く首を傾げる。
「バトルハウスに挑戦するつもりだったけど、賞金は貰えないらしいねぇ?」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴょこぴょこ跳ねる。
「でもさ、でもさ、トレーナーはたくさんいるから、そいつらに野戦仕掛ければいいんじゃね?」
 ゼニガメを両手で抱えた、青い領巾のサクヤが囁く。
「賞金が貰えなくとも、何かしら代わりとなるものは得られるだろう。でなければ人が集まらない」
 そこに、四つ子の背後から青年の声が追いかけてきた。
「バトルポイント――BPが貰えるんですよ……」
 四つ子は同時に立ち止まり、軽くむっとして背後を振り返った。
 そこには、茶色い短髪の長身の青年、エイジが肩で息をしながら立っている。別荘から走って四つ子を追いかけてきたようだ。黒のパーカーにジーンズを身につけた青年は、人懐こい笑みを浮かべる。
「ね、自分案内しますよ……。バトルハウスはこっちです」
 そう笑いながらエイジが一人でどこかへ向かうので、四つ子は無視しようかとも考えた。
 四つ子が無表情で道中に立ち止まっていると、エイジは子犬のようにいそいそと四つ子の元まで律義に戻ってきた。そして困ったような顔をして首を傾げる。
「あの、もしかして、自分のことまだ疑ってます……?」
「たりめぇだろ」
「エイジさんって、得体が知れませんもの」
「なんかあんた怖い」
「貴様はこのキナンで何をするつもりなんだ」
 四つ子は警戒心も露わに、エイジを睨みつける。エイジはぱたぱたと両手を振った。
「ああ、じゃあ自分のこと、もっと詳しくお話ししましょうか……。――ああいや違うな、じゃあ……四つ子さんにいいものをお聞かせしましょう」
「いいもの?」
 四つ子は揃って首を傾げ、長身の青年を見上げた。
 エイジは咳払いをすると、朗々と歌い出した。
「おヒマやったら寄ってきんしゃい♪ 退屈やったら見てきんしゃい♪ 思う存分戦いんしゃい♪ 勝負するなら♪ バトルハウス♪」
 四つ子は目を点にした。

 四つ子は、青年を、まじまじと見つめた。

 青年は咳払いした。
「…………おヒマやったら――」
「いやもういい」
「ありがとうございます」
「あんた割と歌うまいな」
「もう出てけよ」
 四つ子は冷淡に言い放った。


 エイジはわたわたと両手を振り、どこかへと歩き去ろうとする四つ子の前に立ちふさがった。
「すみません! 本当にすみません……!! 今のは、バトルハウスの公式キャンペーンソングなんです……」
「知らねぇよ」
「あの、次はちゃんと役立つ話をしますから……ね?」
 四つ子は胡散臭そうな目で青年を見上げた。
「役立つ話……?」
「さっきも言いましたけど……バトルハウスでバトルに勝利すると、賞金ではなく、BPが貰えるんですよ」
 エイジはバトルハウスへと歩き出しながら、そう説明を始めた。四つ子も仕方なくついていく。
 BPはバトルハウス独自の通貨のようなもので、BPと引き換えに様々な役立つ道具を得ることができる。
 何でもかんでもBPによって得られるわけではないが、トレーナーにとって貴重な道具と交換できるので、BP目当てにバトルハウスを訪れるトレーナーは多い。
 また、バトルに負けたとしてもBPが奪われるというようなことはない。そこが通常の賞金をやり取りするバトルとは違うところだ。また、一戦ごとにポケモンは全回復され、ポケモンが使用した持ち物も補充される。すなわち、いくらバトルに負けても損失がないということだ。
 とはいえ、あまりにも無様なバトルを繰り返すと、バトルハウスの運営側から注意を受けることがある。バトルハウスはただトレーナーの技術を磨き上げるために、無償で貸し出されているわけではないのだ。上質なバトルによって観光客を誘致しなければならない。基本的にバトルハウスでバトルに興じることができるのは、一地方のバッジを八つすべて集めた者だ。
 エイジはそこまで、すらすらと説明した。
 そこでセッカが顔色を失った。
「……俺、バッジいっこしか持ってない!」
「えっ……」
 エイジが絶句した。
 セッカはぴゃあぴゃあと騒ぎだした。
「うわああああどうしよぉぉぉぉ俺だけバトルハウスに挑戦できないよぉぉぉぉ――!」
「だからさっさと集めろっつったのによ……」
「セッカの実力は僕らと同等だから、普通に戦っていけると思うんだけどねぇ……」
「困ったな。どうにかこいつの実力を見せつけて、特例を認めさせるしか……」
 口々に喚き合いつつ、そうこうしているうちにバトルハウスの前に着いてしまう。
 セッカだけ挑戦できないというのは、どうにも気分が悪い。ヒトカゲを抱えたレイアは、勢い込んで玄関ホールを駆け上がり、受付に詰め寄った。
「おい! バッジ一個しか持ってねぇ馬鹿は、どうしても挑戦できねぇのか!」
 受付の女性は目をきょとんとさせた。そしてレイアの隣にやってきたキョウキ、セッカ、サクヤに視線を滑らせる。
「トレーナーカードをご提示ください」
 女性の笑顔に促され、四つ子は全員トレーナーカードを差し出した。
 受付の女性は四人分のトレーナーカードを、次々と読み取り機に通していく。
 そして笑顔で四人にカードを返却した。
「はい、レイア様、キョウキ様、セッカ様、サクヤ様の出場登録を受け付けました。どうぞお好きなバトルルールをお選びいただいた上で、各控室にお進みくださいませ」
「えっ」
 声を漏らしたのは、ピカチュウを肩に乗せたセッカである。
 ヒトカゲを抱えたレイアが受付にさらに詰め寄る。
「おい、マジで!? マジでいいのか、こいつは!? バッジ一個だけども!!」
「はい。セッカ様については、ポケモン協会の方から特例を認める旨のご連絡を頂いておりますので」
「てめぇかポケモン協会ィィィィィィィィ!!」
 レイアは絶叫した。
 キョウキとサクヤは、セッカの両肩をそれぞれ軽く叩いた。
「よかったね」
「出られるぞ」
「なんかよくわかんないけど、俺ってすごいな!」
 セッカはふんぬと鼻を鳴らした。



 紫の大広間は、今日も朝からバトルが続けられていた。
 アーボック対チラチーノ。一般トレーナー同士のシングルバトルだが、客席も埋まり、大変な盛況ぶりである。
 バトルの最中は、二階の観客席な選手の控室に移動することはできない。丸テーブルの上の軽食をつまむ四つ子に向かって、エイジが笑顔で解説する。
「ほら、こっちに別館への渡り廊下があるんですよ……。シングル以外にも、ダブル、トリプル、ローテーション、マルチといったルールで戦っているところがありますからね」
「……んむ、そうそう! 俺ら、まずはマルチで挑戦しようとしてたんだっけ!」
 胡瓜のサンドイッチを飲み込んだセッカがぴいぴいと騒ぐと、同じく胡瓜のサンドイッチをほおばっていたレイアとキョウキとサクヤが顔を見合わせた。それぞれの相棒のヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメも顔を見合わせ、首を傾げる。
 エイジが慣れたように解説した。
「マルチバトルなら、一人二匹ずつで、二人一組での挑戦ですね……」
 四つ子は顔を見合わせた。
 赤いピアスのレイアと、緑の被衣のキョウキの視線が合う。
「……やるか?」
「うん。よろしくね、レイア」
 セッカと、青い領巾のサクヤが互いを見やる。
「わぁい、しゃくやとタッグだぁ!」
「頼むぞ」
 組分けは数瞬で終了した。
 エイジの案内で、四つ子はマルチバトルを行う広間へと向かった。






 四つ子はキナンシティの巨大ショッピングモールをぶらついていた。
 その後を、長身の青年、エイジが追う。
 エイジは四つ子の荷物持ちをさせられていた。両手いっぱいに紙袋を提げている。四人分のリボン付きプルオーバーだの、エスニックカットソーだの、ジョッキーブーツだの、ベルトアクセントバッグだの、下着だの、靴下だの。
 重い荷物を抱えて、エイジはにこにこと笑った。
「四つ子さんて、クノエのブティックとかお好きなんですか? っていうか、レディースばっかお買い上げですけど、やっぱり女性なんですか? それとも女装趣味ですか?」
 袴ブーツ姿の四つ子は、青年の問いかけをすべて無視した。そのままドーナツ屋を見かけて四人で突進する。四人揃ってチョコレートのたっぷりかかった大きなドーナツを一つずつ注文し、それぞれヒトカゲやフシギダネやピカチュウやゼニガメに分けてやりつつ、歩きながらかぶりつく。
 そしてドーナツを飲み込んでしまうと、四つ子はアイスクリーム屋を見つけてそれに突進していった。四人揃ってミントアイスを注文し、やはり相棒と分け合いつつせっせと口に運んでいる。
 エイジは、この四つ子はやけ食いをしているのかなぁ、とぼんやりと思った。


 しかし実際のところ、四つ子はバトルに関していえば、特に問題を感じていなかった。
 レイアとキョウキ、そしてセッカとサクヤという二人組に分かれてマルチバトルに挑戦し始め、もう数日経つ。
 ただ、たったの数日で四つ子はバトルハウスに嫌気がさしていた。
 その理由としてまず一つには、観客との距離が近い。周囲を観客に取り囲まれた大階段の踊り場では、そのざわめき一つ、ヤジ一つがトレーナーの気を散らす。
 また、バトルハウスには様々な人間がいた。
 バトルに勝つなり、相手に偉そうに押しつけがましくアドバイスをするトレーナー。
 バトルに負けるなり、心無い暴言を吐き捨てていくトレーナー。
 入れ代わり立ち代わり、様々なトレーナーが踊り場に現れる。
 さらには、近い観客席から時折ヤジが飛んでくる。薄暗い片隅で賭博をしていた人々のうち、自分が賭けたトレーナーが負けてしまったために賭けに負けたのだと思われる者からも、たびたび暴言が飛んでくる。それらは直に吐きかけられても、また傍から聞いていても、とても気持ちのいいものではなかった。
 優雅だと思われた屋敷の中は、割と放埓だった。粗野なトレーナーもいれば、粗野な観客もいる。ルールで規律されたバトルの聖地と思われた踊り場は、今や賭け事の舞台だった。大広間の隅のテーブルでひたすら多額の金がやり取りされている。
 バトルハウスとは、ただの賭場ではないか。
 次第に四つ子は吐き気を催した。
 人間臭い。
 バトルハウスの中は、においがこもっている。香水の匂い。煙草の臭い。アルコールのにおい。様々な人のにおい。
 確かに繰り広げられるバトルは一流だ。
 しかし、不健全だ。
 ここではバトルは見世物だ。賭博の対象だ。ここは誰のための場所なのだろう。
 紫の大広間が紫煙に霞む。
 強さを値踏みしてくるギャンブラーたちの視線が、不躾で、嫌らしくて、気持ち悪い。

 レイアもキョウキもセッカもサクヤも、そこまで人が好きではない。
 それは四つ子の友達と呼べるような存在が、ユディやルシェドウやロフェッカぐらいしかいないことからも窺える。自分たち以外のトレーナーは、四つ子にとっておよそ狩りの対象でしかなかった。そしてトレーナー以外の人間は、およそいてもいなくてもどちらでも構わなかった。
 しかし、たまにトレーナーを利用しようと近づいてくる、小賢しい人間がいた。
 それは無学なトレーナーを搾取する詐欺商人であったり――おいしい水やコイキングでぼったくりを行う悪徳商法は有名だ――、バトルを賭け事の対象にするギャンブラーであったり。彼らにとってトレーナーとは盲目の奴隷であり、愚かしい愛玩動物に過ぎなかった。そのような人間はトレーナーの無知につけこみ、トレーナーから簒奪し、トレーナーを弄ぶ。
 そうした汚い大人がこの世界にははびこっている。だからこそ、四つ子はそれぞれ一人旅をする中で利己主義者になり、懐疑主義者になったのだ。
 そして、そうしたトレーナーを搾取せんとする汚い大人の巣窟が、まさにこのバトルハウスだった。
 四つ子は汚い大人を嫌悪した。
 バトルハウスに唾棄した。
 そしてマルチバトルで連勝中だった挑戦を途中で切り上げ、さっさとその場を後にしたのである。それきり、バトルハウスには寄っていない。


 仲良くミントアイスを舐めている四つ子に、エイジはにこにこと機嫌よく話しかけた。
「大丈夫ですよ……。バトルハウスは途中で抜けても、連勝記録は続きますからねぇ。多分十年くらい時間を空けなければ、記録も消されませんって……」
 四つ子は無視して映画館に入った。
 レイアが封筒から万札を取り出し、適当なチケットを購入する。四つ子は先ほどからショッピングモールでひたすら買い物に明け暮れていた。その資金は、レイアとセッカがハクダンシティで女性政治家のローザから受け取った大金だ。
 四つ子は、山のような荷物を持ったエイジを一人だけ放置し、四人で映画館に入った。
 レイアはヒトカゲを膝に乗せ、キョウキもフシギダネを膝に乗せ、セッカもピカチュウを膝に乗せ、サクヤもゼニガメを膝に乗せた。そして映画『ハチクマン』を鑑賞した。
 そして四人で号泣した。
 ハチクマンは日常では人情味あふれる、実に愛嬌溢れるいいキャラクターだった。ヒロインとの出会い。陰謀の芽生え。憎らしい敵役。繰り返される、迫真のポケモンバトル。ハチクマンは決めるところはしっかり決める。格好いい。クールだ。セリフにもいちいち痺れる。細かい演出もまたにくい。そして、別れ。ハチクマンは冷静に、これからも孤独に、戦い続けていくのだ。
 レイアは目を片腕で覆って震えている。
 キョウキは美しく微笑みながらはらはらと零れる涙を緑の被衣でそっと押さえている。
 セッカは鼻水を垂らしてエンドロールの間じゅうおいおい泣いた。
 サクヤはスクリーンをまっすぐ見つめたまま、堂々と涙の落ちるに任せていた。
 ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメも、終始おとなしく映画を眺めていた。
 四つ子は袖を絞った。ポップコーンの塩味がただ心に沁みた。
 そして四つ子はハチクマン人形を迷わず四つ、お買い上げした。すべてポーズが違うやつである。



 それから数日間、四つ子はイーブイの進化形だけはきっちりと毎日特訓をしつつ、遊び呆けた。バトルハウスには足が遠のいたどころの話ではない。とっくに愛想が尽きている。
 買ったばかりの流行の衣装を身につけ、キナンの誇る遊園地であるポケパークにも遊びに行った。ギャロップやゼブライカの回転木馬に乗り、鳥ポケモンのフリーフォール――もちろん技ではなくアトラクションだ――に乗り、渦巻島のぐるぐるカップに乗り、アルトマーレの大ゴンドラに乗り、裂空のジェットコースターに乗り、星空の空中ブランコに乗り、そしてそれらのアトラクションを二、三周して、チュロスや林檎飴を四人でもさもさと貪り、大観覧車に乗った。
 楽しかった。四つ子にとって着物以外のいわゆる洋服を身につけたのは初めてだったし、遊園地で遊ぶのも生まれて初めてだった。ミアレシティも夏には公園に移動式遊園地が来るという。所持金に余裕があれば行ってみたいと思った。遊園地がこんなに楽しいものだとは思いもしなかった。
 観覧車はゆっくりと上昇する。地上に放置してきたエイジが点になる。
 赤いピアスのレイアがぼやく。その膝の上ではヒトカゲがびくびくしながら窓の外を覗いている。
「カネの力ってすげぇな」
 緑の被衣のキョウキがほやほや笑う。その腕の中のフシギダネも満面の笑顔である。
「来れてよかったね」
 セッカがえへえへ笑う。ピカチュウはせわしなくゴンドラの中を駆け回っている。
「また、みんなで来たいな」
 青い領巾のサクヤが静かに呟いた。ゼニガメは暴れないようしっかりと押さえつけられていた。
「そうだな」
 それから四つ子は観覧車が一周するまで、飽きることなくしゃべり続けた。バトルハウスはけしからん、ショッピングモールをもっと見ていきたい、キナンじゅうの屋台巡りをしてみたい、ゲームコーナーも気になる。
 幸せだった。政治家のローザから与えられた金はまだたくさん残っている。新品の色鮮やかな服も心を浮き立たせる。
 そして、エイジの存在を無視しつつ、四つ子は別荘に帰った。


 夜ももう遅い。
 その日は遊園地でチュロスや林檎飴を夕食代わりにしてきた四つ子は、帰ってきた別荘の居間で、ウズとロフェッカが何やら深刻そうに向かい合っているのを目にした。
 そして面倒事に巻き込まれるのを嫌って、そそくさと四人は二階に上がろうとした。
 しかし、ウズに低い声で呼び止められた。
「――待たんか、アホ四つ子」
「……うす」
「なぁに、ウズ」
「なんだよー」
「いかがいたしましたか」
 仕方なく、ヒトカゲを抱えたレイアと、フシギダネを抱えたキョウキと、ピカチュウを抱えたセッカと、ゼニガメを抱えたサクヤは立ち止まった。ほぼ半日中、四人で遊びまわっていたせいで、ひどく疲れている。ショッピングも遊園地もとても楽しかったが、いかんせん人の多いところでずっと過ごしていたため、疲労は大きい。
 ウズは、四つ子の洋装を見て眉を顰めた。
「……服を買ったのか」
 その呟きを四つ子は無視した。
 ウズは和裁士だ。着物を仕立てることにかけては一流の腕を誇り、クノエのジムリーダーであり有名デザイナーでもあるマーシュとも懇意にしている。四つ子はこれまで、ウズの仕立てた着物以外を身につけたことはなかった。しかし今は、アウトレットモールで購入したばかりの洋服で着飾っている。
 ウズは四つ子の洋服を黙って睨んでいる。
 四つ子はもぞもぞした。四人揃ってエスニックな洋服を選んで図らずも四つ子コーデというものになっているのだが、ウズにとっては何か納得のいかないファッションなのだろうか。そもそもウズはファッションに聡い人間なのだろうか。それすらもわからない。
 四つ子はウズのことをほとんど知らなかった。
 ところが、ウズは無言で睨んでいた割には四つ子の服装については何も述べず、ただ冷淡に言いやった。
「話がある。まあ今日は遅いで、明日の朝にするかの」


  [No.1438] 陽 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:38:25   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



陽 上



 そして翌日、朝食を終えた後。
 話がある、と昨晩ウズに言われていた。そのため、四つ子はもそもそと居間の三人掛けのソファにぎゅう詰めになった。実は四つ子は、狭い場所に四人でぎっちり詰まるのが大好きである。
 エイジもまた、にこにことソファの一つに腰かけた。いっそ鬱陶しいくらいに爽やかな笑顔だった。
 銀髪の四つ子の養親と、金茶髪の大男もソファに腰を下ろした。
 四つ子。そして、ウズ、ロフェッカ、エイジ。
 現在ポケモン協会から貸し出されたこの別荘に住んでいるのは、この七名だ。


 四つ子は、女性政治家のローズから与えられた大金で日々遊びまわっている。それにいちいち同行するのは、ここキナンで出会ったばかりの長身の青年、エイジだった。
 エイジは四つ子の家庭教師に任じられていた。エイジはキナンシティに詳しかった。バトルハウスだけでなく、ショッピングモールや遊園地の案内までこなし、四つ子の荷物持ちを買って出て、そして一日中遊び歩いて疲れ果てた四つ子を、毎晩正しくこの別荘まで連れて帰ってくれる。
 家庭教師というよりも最早ただの子守然と化しているが、子供のように遊びまわる四つ子にとって、この父親あるいは兄のような年上の男性というのは、非常に便利な存在だった。
 ただ、便利である。それ以上でもそれ以下でもない。
 エイジは別荘の居候だった。滞在料の代わりに、エイジは四つ子の我儘に付き合う。四つ子も遠慮なく、エイジを我儘で振り回す。エイジはそれをすべて笑顔で受け止めてくれる。
 それが数日続いても、エイジは幼い子供を見守る優しい兄の如く、文句ひとつ言わず、笑顔を絶やさず、四つ子に付き合っているのだった。
 さすがに四つ子も、このエイジという青年の器の大きさを認めないわけにはいかなかった。たとえ本物の兄でも、あるいは雇われた熟練のベビーシッターでも、エイジほどの働きはなかなか出来ないと認めざるを得なかった。自分たち四人の我儘が相当のものであることも四つ子自身も意識はしていたのである。
 エイジは朗らかで、物静かで、四つ子をどこまでも甘えさせてくれた。

 いつの間にかエイジは、ウズやロフェッカともすっかり馴染んでいた。
 エイジは一日中四つ子に振り回されても、毎朝早起きをして、ウズの家事をせっせと手伝う。別荘の家事を仕切っていたウズにとってそれは大変ありがたかった。大量の洗濯物を干しては取りこんで畳み、大量の食器を洗い、四つ子の計二十四匹のポケモンに食事を用意し、そして日中は四つ子の面倒を見る。
 文句の付けどころのない主夫ぶりをエイジは発揮した。

 そのように家の内外の用事にエイジは引っ張りまわされ続けていたから、比較的エイジとロフェッカの接点は少ないだろう。
 ポケモン協会職員のロフェッカが毎日何をしているのかは、毎日外出する四つ子にはほとんど知りようがなかった。朝に新聞を読み、日中はポケモン協会の関係でどこかへ出かけているようだ。
 本来なら、キナンで遊びまわる四つ子を見守るのはロフェッカの役目だったはずだ。その役目をエイジにとられてしまったロフェッカがその暇によって何をしているのか、四つ子には分からないし、また興味もない。


 朝の光が眩しい。
 無表情の銀髪のウズ、なぜかにやにや笑っている金茶髪のロフェッカ、そしてにこにこと日々の疲労の様子も見せずに微笑んでいる長身のエイジ。
 その三人に黙って見つめられ、別荘の居間のソファで四つ子はもぞもぞした。買ったばかりのエスニックな洋服は洗濯に出してしまったので、四つ子はウズの作ったいつもの和服姿である。四つ子のそれぞれの膝の上では、ヒトカゲやフシギダネやピカチュウやゼニガメがまだ寝ぼけてうつらうつらしている。朝食を腹いっぱい食べて再び眠くなっているのだ。
 四つ子の養親のウズが、重々しく口を開く。
「……このところ、バトルハウスには行っておらぬようじゃな」
 その最初の一言に、緑の被衣のキョウキが首を傾げる。
「だから何?」
「挑戦して、バトルの腕を磨かんか。遊び呆けよって。童でもなかろうが」
「バトルハウスには行きたくないよ。それにさ、人生で一度もショッピングも遊園地も経験してない人間って、そもそも現代人としてどうなの?」
 キョウキがすらすらと反駁する。
 四つ子の中で最も達者に大人に対応できるのはキョウキだった。普段の調子で言葉が口からついて出る。他の片割れ三人にはこうはいかない。レイアとサクヤは口数の多い方ではないし、セッカはひたすら馬鹿だからだ。
 キョウキの反論に、ウズは溜息を吐いた。
 そして穏やかな声で尋ねた。
「バトルハウスに行きたくない、か。その理由を聞かしてもらえるかえ?」
「あそこじゃ、僕らはただのギャンブルの対象だ。バトルに勝てないことはないけど、勝ったら勝ったで、嫌なことを周りの知らないおじさんから言われる。それって気分がいいことではないよね」
 ピカチュウを膝に乗せたセッカが、キョウキに同調してうんうんと頷く。ヒトカゲを膝に乗せた赤いピアスのレイアと、ゼニガメを膝に乗せた青い領巾のサクヤは、特にリアクションも示さなかったが、それでもキョウキの発言の正しさを裏付けるかのようにウズをまっすぐ凝視している。
 ウズはロフェッカに視線をやった。
「確かにあのバトルハウスでは、バトルを対象とした賭博が横行していたようじゃな。ポケモン協会殿もそれを認めておられるのですか?」
「……そっすね。一応は腕利きのトレーナーしか来れないので、子供の立ち入りは少ないだろうってことで、バトルハウスでのギャンブルは政府にも公認して頂いてますね」
 ロフェッカが肩を竦めて肯定する。さりげなくポケモン協会の直接の関与については言及していないが、もちろんポケモン協会も一枚噛んでいるのだ。
 ウズはさらに嘆息した。
「……ギャンブルは確かに問題じゃな……」
「あんたは俺らに、何かバトルハウスに挑戦させたい理由でもあんのかよ?」
 尋ねたのは、赤いピアスのレイアだった。
 その隣で緑の被衣のキョウキが笑顔のまま小さく舌打ちしたが、レイアはキョウキを宥める。レイアは四つ子の中でも良心的だ――ウズの気持ちも尊重しようという心配りを見せている。ピカチュウを膝に乗せたセッカなどは、レイアの敏さと心優しさに敬服した。
 レイアが軽く肩を竦める。
「……ま、おおかた俺らが遊んでばっかなのを、どうにかさせたいってとこだろ?」
「よう分かっておいでじゃな。が、それだけでもない」
 ウズは微かに笑んだ。レイアの気配りがお気に召したようである。
「バトルシャトレーヌの四姉妹じゃが、彼女らのご両親は、そなたらの実家の四條家とも交流があっての」
 そのウズの一言に、四つ子は一斉に気色の悪い笑顔を浮かべた。正確には、レイアとセッカとサクヤの三人がキョウキの笑顔を真似たのだ。
「……おい、おいおいおい。親の縁ってか?」
「親同士が仲が良いから、子供同士も仲良くしろ、とでも言うのかな?」
「どっちも四人きょうだいだからってか? 笑えねぇなー」
「何故そのような理由で、賭博の食い物になることを強制されねばなりませんか?」
 口々に四つ子がそう言うと、ウズはソファの足元に置いていた紙袋の中から、そっと何かを取り出した。


 それは木箱だった。しかしウズはその木箱を開けないまま自身の膝の上に置いて、四つ子を見据えた。
「そなたらのお父上からじゃ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
 四つ子は揃って息を呑んだ。まさかここで父親の話題が出るとは。
「えっ、俺らの父親って、エンジュの?」
「僕らを生まれた時から無視し続けてきた、あの?」
「エンジュにも奥さんと子供がいるのに?」
「今さら、何ですか?」
「……落ち着きんしゃい」
 ウズは静かな声で四人の養子を嗜める。
「そなたらの父親は、それはもうクズのボンクラでのう――」
 そして唐突に四つ子の実父を貶し始めた。四つ子は目を白黒させた。四つ子の父親をぼろくそに言うこの若く見える養親が、本当は何歳なのかについて、四つ子は酷く頭を悩ませた。
 ウズは静かに、一息に言い切った。
「――つまり、そなたらの父親は、シャトレーヌ四姉妹の親と、賭けをした」
「……はあ?」
「そなたらがキナン滞在中にシャトレーヌ全員を撃破すれば、そなたらの父親の勝ち。それが叶わなければ、四姉妹の親の勝ちじゃ。……親同士で、子を使って、そのような賭博を始めおった」
「……はああ?」
「あたしもその神経を疑った。しかし、四條家からはこのような褒美を預かっておる。――アホ四つ子よ、シャトレーヌ四姉妹は優れたトレーナーじゃ。修業と思うて、不躾な視線にも耐え、勝ち抜いてきんしゃい。さすれば、これをそなたらに授けよう」
 ウズは言いながら、その木箱を指先で撫でた。
 四つ子は絶句した。
 エイジをこの別荘の居候に認めたときよりも、さらにひどい話だった。



 レイアはヒトカゲを脇に抱え、閑静な別荘地で吼える。
「――ふざっけんなクソ親父! どういう神経してやがんだ!?」
「ほんと、頭おかしいんじゃないかな。……まあ、そういう恥ずかしい話をロフェッカやエイジさんの前でするウズもウズだと思うけどね」
 フシギダネを頭上に乗せたキョウキも、毒々しく微笑んでいる。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカは、呑気にこてんと首を傾げた。
「……でもさ、父さんさ、一応は俺らのこと、子供だとは認めてくれてんだな?」
 その呑気な一言に、セッカの片割れ三人は沈黙した。
 ゼニガメを両腕で抱えたサクヤが、ぼそりと呟く。
「…………褒美、とは、何だろうな」
「だよな! それな! サクヤも気になるよな! 俺も気になるっ!」
 セッカはサクヤの肩を掴み、喜びを分かち合った。がくがくと揺する。揺さぶられるサクヤは軽く顔を顰めてセッカの前髪を全力で掴み上げつつも、小さく溜息をついた。
「……僕らの父親は、今まで何もしてこなかった。でも、今回は……。僕はそれが気になる」
 それにはキョウキが笑顔で食ってかかった。
「サクヤって実はファザコンなの? 会ったこともない父親のことが気になるの?」
「……違う」
「サクヤって確か前もクノエで、父親のことが気になるとか言ってたよね。サクヤは僕らの父さんに会いたいの? 今までずっと放置されてきたのに? 今さら僕らに何をしようっていうの? 僕らの父親もタテシバさんと同じ、屑野郎に違いないのに」
「キョウキてめぇ、ちょっと黙れや」
 饒舌に毒を吐くキョウキにストップをかけたのは、レイアだった。レイアは眉を顰め、キョウキの首にヒトカゲを抱えていない方の腕を回す。するとキョウキは嬉しそうにきゃぴきゃぴ笑った。
「わあ、どうしたのどうしたの、レイア最近スキンシップ激しいね」
「てめぇマジで黙れよ」
「レイアも、パパからのご褒美が気になるの? ウズのただの演出かもしれないんだよ? 本当に僕らの父親があれを用意したとは限らないんだよ?」
 キョウキは緑の被衣の中でにんまりと笑んでいる。心なしか、父親に興味を示す自分以外の片割れたちを軽蔑しているようにも見える。
 赤いピアスのレイアは溜息をついた。
「……俺はどっちかってーと、退屈だ」
「退屈?」
「買い物も遊園地も、確かに楽しーですよ。でも俺はバトルが好きなんだ。バトルハウスも割と楽しみにしてた。ま、いくらか幻滅はしたが。……でも、強い奴とはやり合いたいし、四姉妹のバトルにも興味ある」
 レイアはぼそぼそとそう呟いた。
 キョウキとセッカとサクヤは、赤いピアスの片割れを凝視した。
「戦闘民族なの?」
「れーやって、脳みそ筋肉?」
「この戦闘狂が」
「――うるっせぇよ! 黙れよ!! ああそうですよどうせバトル馬鹿ですよ、でも俺には毎日のほほんと遊んで暮らすなんて無理なんだよ!」
 レイアは怒鳴った。三人の片割れは首を縮める。
 しかしレイアは本気で怒っていた。片割れたちのことを思うために、怒っている。
「なあ、遊ぶ金だっていつか必ず尽きる! 俺らは戦わないと生きてけないだろ!? 忘れたのかよ、てめぇらはよ!」


 四つ子は真顔になった。真顔で沈黙し、互いを見つめ合った。
 四つ子はまだ弱いイーブイの進化形だけは、毎日怠らずに少しずつ鍛えている。
 しかし、バトルハウスの挑戦を中断して以来、他のポケモンたちの特訓は怠りがちだった。
 バトルをしなければ、勘は鈍っていく。トレーナーも、ポケモンもだ。毎日ぎりぎりの思考で命をかけた戦いを続けなければ、平和ボケする。四つ子は思い出す。一ヶ月の謹慎が命じられた時のことを。
 一ヶ月間、ポケモンに触れることすらできなかった。その間は生活が保障されているということもあって、どうにも緊張感が抜け、バトルの勉強や研究も怠ってしまった。その一ヶ月間のブランクを取り戻すのが、どれほど苦しかったか。ひと月ぶりのバトルでは思い通りに動けない。勝てない。自分はこんなに弱かっただろうか――?
 そうした苦しい思いを乗り越えて、ようやく元の力を取り戻して、ほとんどぶっつけ本番でレイアとキョウキとサクヤの三人はカロスリーグに臨んだ。苦しい挑戦だった。後悔が残った。謹慎期間中、ポケモンに触れあえないまでも、何かできることがあったのではないか、と。
 つまり四つ子が謹慎で学んだのは、ポケモンを育てるには日々の積み重ねが重要だということだ。
 確かに、ショッピングや遊園地にうつつを抜かしている場合ではない。
 レイアは片割れたちを見回した。
「メンタル強化にもなんだろ。まずマルチだ。その後、一人ずつで挑戦すっぞ」
 キョウキは溜息をついた。
「面倒くさいなあ。……人生ってのは、面倒くさいもんだね」
 セッカはぴょこぴょこと飛び跳ねた。
「分かった! ちょこっとだけやる気出てきた!」
 サクヤがセッカを見やり、溜息をついた。
「お前はバネブーか」


  [No.1439] 陽 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:40:16   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



陽 下



 バトルハウスで一番楽なのは、18戦目と19戦目だ。
 それは、バトルシャトレーヌの登場を心待ちにする観客がこぞって連勝中の挑戦者の応援をしてくれるためだ。どうせ20戦目となれば手の平を返したように挑戦者側を攻撃するに決まっているのだが、広くはない会場で満場の応援を受ければさすがに心強い。
 勝負の相手もどこかやる気がない。熱狂的な観客の分かりやすすぎる空気を読むならば、ここは負けなければならないのだ。
 19戦目はただの前座に過ぎなかった。
「……あーほんと、やる気ねぇ奴を相手にするほど、つまんねぇことはねぇよな」
「ほんと頭が戦闘民族だね、君は」
「ま、その分、次は楽しめそうだがな」
「楽しいどころか、厳しいだろ。なにせ会場全体が敵なんだからさ……」
 赤いピアスのレイアと緑の被衣のキョウキは、ろくにポケモンに指示も下さずのんびりとぼやき合っているだけで、19連勝を果たした。ヒトカゲがレイアの腕の中に飛びつき、フシギダネがキョウキを見上げてにこりと笑う。二匹ともろくに体力を削られていなかった。
 レイアがにやにやと笑いながら肩を竦める。
「19連勝、か」
「だねぇ。次が大本命だ」
 キョウキもふわりと微笑む。
 からんからんとベルが鳴り、休憩時間に入る。マルチバトルの会場である大広間のざわめきはいよいよ大きく、他のルールのバトルが行われる広間からもさらに客が集まってきている。
 次のバトルに、バトルシャトレーヌが登場するためだ。


 そして赤いピアスのレイアと緑の被衣のキョウキは、大階段の踊り場の手すりにもたれかかって休んでいる。軽食をつまむこともできるが、そのような気にはならない。ここで負ければ、またこの雰囲気の悪い賭場で19戦もしなければならないのだ。二人とも集中していた。
 バトルハウス内は相変わらず、騒がしい。
 相も変わらず煙草臭いし、昼間からどことなく酒臭いし、コインをやり取りする音が休憩時間ごとにいやに耳につく。
 そして暑い。静かに座って見物しているだけの観光客にとってはちょうどいい室温なのだろうが、踊り場で激しい戦闘に指示を下すトレーナーにとっては暑くてたまらない。室温からも、この施設が誰のためのものなのかが窺い知れる。
 そして今や、その熱気はさらに高まりつつあった。
 19連勝。
 もちろん、19回ものバトルを連続で行ったわけではない。数日間にわたって挑戦を続けた結果、通算で19連勝をしただけのことだ。
 レイアは額の汗を拭う。キョウキもぱたぱたと手で顔を仰ぐ。
「あー、周りの人間すべてが敵って、こういう状況かよ」
「いわゆる四面楚歌だね。レイア、緊張してる?」
「わかんね。緊張する気も失せたわ」
「やる気あるのかい?」
「実を言うとあんまない」
「なんで。次の相手は美人なのに」
 キョウキが笑顔で問いかけると、レイアが溜息をついた。
「……俺はさぁ。女は清純派、男は爽やか系が好みなわけ」
「ほうほう。知ってた」
「でもさぁ、ぶっちゃけ、シャトレーヌって、なんか違くね?」
「お前の好みじゃないってわけだ」
「あざといっつーか……自分を見世物にしてるような女だぞ? どういう神経してんだよ。俺にはマジで無理」
「あんま大きい声では話せないね……」
「アイドルとして偶像崇拝の対象にすんならまだ分かるけどよ。ああでも分かんね、シャトレーヌってどういう気持ちでバトルやってるわけ?」
「彼女たちはきっと、純粋にバトルを楽しんでるんだよ。そして見られることを楽しんでもいる」
 キョウキは囁いた。回復の終わったフシギダネを受け取る。
 レイアもヒトカゲを脇に抱えつつ、顔を顰めた。
「……変態か」
「常人ではないってことさ。並ならぬ精神力だ。彼女たちから得るものは大きいだろう」


 20戦目。
 アナウンスが響き渡る。その瞬間、しんと大広間が静まり返った。
「バトルシャトレーヌ、ルスワール様&ラニュイ様、コンビの登場です!」
 広間奥の大扉が、開かれる。
 男たちの絶叫が響き渡った。
「うおおおおぉぉぉぉっ、ルスワール様ァァァァァァッ!!」
「ラニュイたぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
 青と黄のドレスを纏った二人の姉妹が、登場とともにくるくると回転しポーズを決める。男たちの歓喜にむせび泣く声が聞こえてきた。
「ああっ、ついにルスワール殿を拝めるこの日が来たのかっ」
「ラニュイたん超絶かわいいハアハアハアハア」
 レイアとキョウキは、大階段を下りてくる二人のバトルシャトレーヌを苦笑して見つめていた。
「……やべぇ、勝てる気がしねぇわ」
「……僕はどちらかというと、勝っても嬉しくないかも」

 青いドレスのルスワール、黄色いドレスのラニュイが二人の前に現れる。
「ぺろぺろりーん! ラニュイだよー! ようこそ! バトルハウスへー! ……んー、えっとー、なんやっけー、ルスワールおねーちゃん?」
「じ、じっ、自己紹介ば、せんと……」
「バトルシャトレーヌ四姉妹の末っ子! ラニュイばいー! いつもはシングルバトルを担当しとるよー! でも今日はー、ルスワールおねーちゃんとマルチバトルしちゃうばいー!」
 ラニュイが元気いっぱいに自己紹介する。
 しかしその隣のルスワールは、いつまでももじもじしていた。ラニュイが首を傾げる。
「あれー? ルスワールおねーちゃんは、自己紹介せんのー?」
「ご、ごっ、ごめんね……ラニュイちゃん……あっあの、うちはルスワールです……。よっ、四人姉妹の三番目で……ふっ、普段はダブルバトルの担当しとります……」
「――ってスキありー!! てやーっ!!」
 ラニュイがルスワールの自己紹介に割り込み、モンスターボールを放った。レイアとキョウキが自己紹介をする暇もなかった。
 ラニュイの投げたボールから、プクリンが現れる。
 妹に置いていかれたルスワールはかわいそうなほど戸惑っていた。しかし思い切ったようにボールを投げる。パチリスが現れる。
 男たちの歓声はひときわ高い。
 レイアとキョウキは、げんなりした顔を見合わせた。同時に肩を竦め合う。
「……デジャヴっつーの? この、下二人っつー不安感がさ……」
「確かに、この黄色と青っていう配色を見てると、誰かさん二人を思い出すというか」
 そのとき、二階の観客席から黄色い声援が飛んできた。
「れーや――! きょっきょ――! ばーんーがーれ――っ!!」
 その素晴らしいタイミングに、レイアとキョウキは同時に吹き出した。空気を読まずにぴゃいぴゃいと騒ぐセッカが、周囲の観客からリンチされなければいいが。いや、どうせその隣にいる青い領巾のサクヤがどうにかするだろう。
 レイアとキョウキは、ルスワールとラニュイを見据えた。
「頼むぞ、サラマンドラ」
「ふしやまさん、お願いね」
 ヒトカゲとフシギダネが、踊り場に降り立った。


 先に動いたのは、シャトレーヌ側だった。
 ルスワールのパチリスが光の壁を張り、ラニュイのプクリンがチャームボイスを放つ。
 フシギダネとヒトカゲは、その急襲を耐えた。
 そして怯まずフシギダネが素早くパチリスとプクリンに宿り木の種を植え付け、牙を剥き出したヒトカゲがシャドークローでパチリスに襲い掛かる。
 大広間は、バトルシャトレーヌへの声援だか悲鳴だかわからない絶叫に包まれていた。
「ああああああうっぜぇ!」
「集中集中」
 レイアとキョウキは慎重に戦闘を眺めた。プクリンの気合玉が飛んでくる。フシギダネはそれを軽く躱し、プクリンに眠り粉を仕掛けた。プクリンがそれを吸い込み、ふらりと眠気によろける。観客席から絶叫が上がる。
 プクリンが眠って動かない間、ヒトカゲとフシギダネ、パチリスはじりじりと睨み合った。宿り木の種がじわじわと相手の体力を奪う。その睨み合いはレイアとキョウキにとっては時間稼ぎだった。
 光の壁が切れるのを見計らって、レイアが叫ぶ。ヒトカゲが大文字を繰り出す。フシギダネも続けてソーラービームを見舞う。宿り木の種のダメージも相まって、プクリンは眠ったまま倒れた。
 これで、残るポケモンは四対三。バトルシャトレーヌ側に対し、一歩リードしている。
 パチリスがボルトチェンジをフシギダネにぶつけ、ルスワールの元に戻っていく。次いでペルシアンが現れた。
 ラニュイの二体目はブーピッグ。
 現れざまに放たれたブーピッグのサイコキネシスを、フシギダネは身代わりの陰で耐える。
 ペルシアンの滑らかな猫騙しで、ヒトカゲが怯んでしまう。その隙にペルシアンはパワージェムを繰り出した。
 耐え切れず目を回したヒトカゲをすぐボールに戻し、レイアはそれを労う暇も惜しんでヘルガーを場に出した。観客の歓声などもう気にならない。空気を読んでやる気などない。
 残りポケモンは三対三だ。
 フシギダネが、ラニュイのブーピッグに眠り粉を振りかける。しかしブーピッグが眠りがけに放ったサイコキネシスを躱すことができなかった。フシギダネもまた崩れ落ちる。
「お疲れ、ふしやまさん。はあ……強いなぁ」
「知ってるっての。面白いじゃねぇか……」
 キョウキはふうと息を吐いた。すぐに次のポケモンを繰り出そうとしないため、バトルに小休止が入る。

 ラニュイがぴょんぴょんと跳ねて早く早くとキョウキを促しているし、ルスワールは落ち着かなげにそわそわしている。
 これで二対三、挑戦者側が一歩不利だ。バトルシャトレーヌの二人はそれぞれ相手を見定めて、あたかもシングルバトルが二つ行われているようだった。
「シャトレーヌはマルチをやる気がねぇのか?」
「ラニュイさんは普段はシングル担当だそうだね。ルスワールさんはあんな感じだし、コンビネーションはほぼ無いものと思っていい」
「お前も大概えげつねぇな」
「勝つためだもの。――さあ頑張れ、こけもす。インフェルノも頑張って」
 キョウキがプテラを繰り出し、ヘルガーと共に鼓舞する。
 そしてプテラに先手を取らせ、大規模な岩雪崩を起こさせた。ラニュイのブーピッグと、ルスワールのペルシアンの二体を巻き込み、同時に怯ませる。その隙に悪巧みを積んだヘルガーが、悪の波動でブーピッグを吹き飛ばした。
「こけもす、ペルシアンにフリーフォール」
 キョウキのプテラはルスワールのペルシアンを上空へと連れ去った。
 ラニュイのブーピッグは、ヘルガーに向かってパワージェムを撃ってきている。
「もう一方にオーバーヒート!」
 レイアが早口に叫ぶ。
 その抽象的な指示を瞬時に理解する、レイアのヘルガーは知能が高い。
 ヘルガーはパワージェムを躱した。更にブーピッグを飛び越え、プテラが地面に勢いよく叩き付けたばかりのペルシアンに容赦なくオーバーヒートを浴びせる。
 ルスワールのペルシアンはそのまま目を回した。客席から悲鳴が上がる。
 ルスワールは再び、パチリスを繰り出す。これで二対二だ。
 パチリスが光の壁を張る。
 プテラが岩雪崩を起こす。
 一発目に岩雪崩を繰り出す、これもまたキョウキのプテラの中に定まった流れ。ラニュイのブーピッグがサイコキネシスで岩雪崩を押し戻す。
「そこだ」
 そのブーピッグ自身が作り出した岩の隙間を狙って、レイアのヘルガーがブーピッグに悪の波動を撃ち込む。ブーピッグを仕留め、首を回してパチリスを睨む。悪巧みをさらに自身の判断で積んでいる。
 シャトレーヌ側のポケモンの最後の一体となったルスワールのパチリスは、ヘルガーに怒りの前歯を突き立てるべく駆けた。
 レイアは息をついた。
 キョウキは微笑んだ。
「はい、こけもす、とどめだよー」
 その背後から迫っていたプテラが、パチリスの死角からドラゴンクローを決めた。


 うおおおおん、と観客席から男たちの嘆きが聞こえてきた。ブーイングも飛んでくるが、レイアとキョウキはそれらを華麗に無視し、それぞれヘルガーとプテラを労ってボールに戻す。
 青いドレスのルスワールもどこか頬を上気させて、瀕死のパチリスをボールに戻した。そしてぺろぺろりーんとしている黄色のドレスのラニュイと共に、レイアとキョウキの傍に小走りに駆け寄ってきた。
「あっ、あの、お疲れさまでしたっ!」
「ラニュイ、ほんとーはシングルバトル専門やもーん! やけん、トレーナーしゃん、シングルバトルで待っとるけんねー! ぺろぺろりーん!」
 そう舌を出して、ラニュイは階上へと駆けあがっていった。レイアとキョウキは呆気にとられてそれを見送っていた。男たちの歓声がラニュイを追いかける。
 そして踊り場に取り残されたルスワールは、ひどくそわそわしていた。それでもバトルの余韻があるのか、興奮した様子で二人を称えてくれた。
「そっ、その、お客さま方は、ばり強かったとですっ!」
「どーも」
「ありがとうございます」
 レイアとキョウキが礼を言うと、ルスワールは自分が大きな声を出したことに気付いたか、途端にもじもじと小さな声になった。その声が聞き取りづらく、レイアがいつもの癖で顔を顰めると、ルスワールはさらに身を縮こめる。キョウキがレイアの頬をむにと引っ張った。
「こらこら、威圧しないの」
「ひてねぇよ」
「……あ、あ、あっ、あの、ウチは普段はダブルバトルば担当しとります、ので……こっ、今度はウチ、もっと頑張るけん……でっ、ですからお願いです……また絶対挑戦しに来てください……」
 それだけどうにか言い切ると、ルスワールは小走りで二階へと駆けあがっていった。やはり男たちの歓声やら嘆き声やらに迎えられている。
 レイアとキョウキは踊り場で顔を見合わせた。
「なんつーか」
「彼女たちはまったく本気ではなかったね。ま、こんなもんじゃないの」
「……あー、疲れた」
「緊張したかい?」
「いや、そうでもねぇな」
「一人になれば、緊張するさ」
「そんなもんかね」
「そうだろ」
 緑の被衣の下でキョウキが微笑む。回復を終えたフシギダネをボールから出し、そっと抱きしめた。フシギダネは微笑んでキョウキにそっと頬ずりした。
 レイアも回復したヒトカゲをボールから出すと、先ほどのバトルを労って頭を撫でてやった。ヒトカゲはきゅうきゅうと甘えた声を出す。
 二人はとりあえず挑戦を中断し、大階段を上がっていった。



 そこで、ピカチュウを肩に乗せたセッカと、ゼニガメを抱えた青い領巾のサクヤと大階段の途中ですれ違った。
「……おー、おつかれ」
「じゃ、頑張ってね」
「うん! れーやもきょっきょもお疲れ! しゃくやと一緒にばんがる!」
「やるだけやるさ」
 セッカとサクヤは踊り場へ降りていった。


  [No.1440] 陰 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:42:12   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



陰 上



「ピカさん、おつかれ! アクエリアスもおつかれ!」
「ぴぃか!」
「ぜにぜーにっ、ぜにぃ!」
 ピカチュウが元気よく相棒に応え、ゼニガメが元気いっぱいとばかりにサクヤの腕の中で暴れる。
 順調だった。
 セッカも、また青い領巾を袖に絡めたサクヤも、当然という顔をしている。レイアとキョウキにできるならば、セッカとサクヤにも必ずできる。その自信があるから、周囲の声援もヤジも気にならない。四つ子にとって何より信頼できるのは、同じ四つ子の片割れたちだからだ。
 だいぶ午後も回っている。外の様子はわからないが、もうじき日没だろう。休憩を挟みつつ、二人はここまで連戦を重ねてきた。
 セッカは、ミックスオレを飲むピカチュウを微笑ましく見つめている。サクヤは、ミックスオレを飲み干したゼニガメの口の周りを拭いてやっている。二人は完全にリラックスしていた。
 セッカがサクヤに話しかけた。
「あのさー、サクヤ」
「何だ」
「次、シャトレーヌだね。なんか美味そうな名前だよな」
「お前、やる気あるのか」
「実を言うとあんまねぇなー」
「僕もだ」
 そう、図らずもレイアやキョウキと同じような会話の流れになる。
 セッカはぼんやりと眩いシャンデリアを見つめて、ぼやいた。
「……あのさ、さっきのれーやときょっきょのバトル観てて思ったんだけどさ。シャトレーヌ、マジでやる気ねぇよな」
「そうだな」
「なんでだろ。マルチが本分じゃないから? だから手ぇ抜くの? こんなに観客いるのに、よく平気でんなこと出来るよなぁ……って、俺はちょっとさっき感動したよ」
「実力を量られているんじゃないか」
 サクヤは腕を組み、静かに答える。
「確かに、マルチは彼女たちの専門ではない。どうせただの見世物だ。しかし、僕らがどのようなポケモンを使いどのように戦うのか、彼女たちは見ているのでは?」
「ふーん。じゃ、マルチで勝って、その後が本番ってわけか」
「今も負けるわけにはいかない。負けたらまた19戦だからな」
「はいよ」
 からんからん、とベルが鳴る。
 大階段を行き来していた人々が会場に階下に消え、セッカとサクヤの二人だけが踊り場に取り残された。
 しかしざわめきは消えない。この日二度目のバトルシャトレーヌの登場。
 アナウンスが響き渡る。
「バトルシャトレーヌ、ルミタン様&ラジュルネ様、コンビの登場です!」
 広間奥の大扉が、開かれる。
 男たちの絶叫が響き渡った。
「ルミタン様ぁ! ルミタン様ぁぁ!! ルミタン様ぁぁぁ――!!!」
「ラジュルネ様ッ、サイッコ――ッ!!!」
 緑と赤のドレスを纏った二人の姉妹が、登場とともにくるくると回転しポーズを決める。男たちの歓喜にむせび泣く声が聞こえてきた。
「感動じゃ感動じゃあ、とうとうルミタン殿が降臨なされたっ」
「本気でラジュルネたんに本気で踏まれたい」
 セッカとサクヤは、大階段を下りてくる二人のバトルシャトレーヌをまじまじと見つめていた。
「……ボインだ」
「どこを見ているんだお前は」


 緑のドレスのルミタン、赤いドレスのラジュルネが二人の前に現れる。
 ルミタンがふわりと微笑んだ。そして柔らかい声で歌い出した。
「おヒマやったら寄ってきんしゃい♪ 退屈やったら見てきんしゃい♪ 思う存分戦いんしゃい♪ 勝負するなら♪ バトルハウス♪」
 セッカとサクヤは目を点にした。
 すると、ルミタンの隣に立つラジュルネが口を開いた。
「今の歌は、バトルハウスの公式キャンペーンソングでしてよっ!」
「あ、なんかどっかで聞いたことあるっす……」
「どうもはじめまして、バトルシャトレーヌのお二方。僕はサクヤ、そしてこちらはセッカと申します。本日はよろしくお願いします」
 ゼニガメを抱えたサクヤがいち早く一礼した。セッカが慌ててそれに倣って頭を下げる。
 ルミタンはふわりと微笑み、ラジュルネは胸を反らした。
「本日はバトルハウスに、ようお越しくださいました。ウチはバトルシャトレーヌ四姉妹の長女、ルミタンと申します」
「そしてわたくしの名はラジュルネ! バトルシャトレーヌ四姉妹の次女よっ!! マルチバトルに挑むなんて、その度胸褒めてあげる!」
「妹ともども、真心ば込めて精一杯おもてなしさせてもらうけん、よろしくお願いしますね」
「ではっ、貴方がたの力の程、直々に量ってやりましょうっ!!」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカはぽかんと口を開いて、傍らの片割れにこそこそと呟いた。
「……なんかさ、この上二人っていう安心感がさ、デジャヴってゆーの……?」
「確かに、赤と緑という配色はどこかの誰かさんたちを思い起こさせるな」
 そのどこかの誰かさんたちも、階上の観客席からこのバトルを見ているのだろうか。男たちのひっきりなしの声援ばかりが響いてきて、その存在は定かではない。
 一も二もなく、ルミタンとラジュルネがそれぞれモンスターボールを放る。
 ルミタンが繰り出したのはマンタイン、ラジュルネが繰り出したのはエルフーン。
 セッカとサクヤも目の前のバトルに瞬時に頭を切り替えた。
「ピカさん、頼むな!」
「ぴかちゃあ!」
「行け、アクエリアス」
「ぜーに!」
 それぞれピカチュウとゼニガメが踊り場に躍り出た。
 大広間は拍手と歓声に包まれた。

 悪戯心を持つエルフーンが、素早くセッカのピカチュウに宿り木の種を植え付ける。
 しかしセッカはそれにも構わず、嬉々として叫んだ。
「ピカさん、ぶっ放せ――!」
 ピカチュウが落雷をマンタインに落とした。
 マンタインは弱点をついた攻撃を受け、一瞬で焼け焦げ、目を回した。
 観客が一瞬静まり返った。
 ルミタンがあらあらと笑う。
「ソクノの実も持たせとったんけどねえ?」
「ピカさんの特攻は鬼っすから!」
 セッカとピカチュウが笑う。セッカのピカチュウは何も道具を持っていないように見えて、その実、ある日うっかり飲み込んだ電気玉を腹の中に隠し持っている。その隙にゼニガメがラジュルネのエルフーンに向かって威張り散らし、エルフーンを動揺させた。
 ルミタンはメブキジカを繰り出す。
 エルフーンが半ば混乱しつつも、素早く味方のための追い風を巻き起こす。ピカチュウとゼニガメは強い向かい風を受けてたじろいだ。
 そこにウッドホーンで猛スピードで突っ込んでくるルミタンのメブキジカに、ピカチュウは目覚めるパワーを飛ばす。
「ピカさん、電光石火だよー!」
 目覚めるパワーの炎を頭から浴びつつ、メブキジカは突っ込んだ。ピカチュウは加速し、それを避ける。
「アクエリアス」
「エナジーボールよっ!!」
 ゼニガメがロケット頭突きでラジュルネのエルフーンにぶつかっていくも、エルフーンのエナジーボールがゼニガメの正面に迫る。そこにピカチュウが電光石火で割り込み、仲間のゼニガメを吹っ飛ばした。
 甲羅に籠っていたおかげで防御力の高まっていたゼニガメには、ピカチュウの電光石火のダメージなど痛くも痒くもない。逆に軌道が変わったおかげで、エルフーンのエナジーボールを躱すことに成功する。
「アクエリアス、守る」
 続けてめちゃくちゃに飛んでくるエナジーボールを、ゼニガメがピカチュウの前に出て守る。
 追い風を受けたメブキジカが、まっすぐゼニガメに向かっている。ウッドホーンだ。ゼニガメの背後から飛び出したピカチュウが、メブキジカに炎の目覚めるパワーをぶつけた。ゼニガメもハイドロポンプを撃つ。
 間髪入れず、混乱して隙の大きいエルフーンに向かって、ピカチュウは目覚めるパワーをぶつけた。
 ラジュルネのエルフーンが焼け焦げ、崩れ落ちる。
 ピカチュウは宿り木に体力を奪われつつも、力強く吼えた。セッカも鼻を鳴らす。
「これで四対二! どーだ、ピカさんなめんな!」
「ふん……なかなかやるじゃない!」
 ラジュルネが続いて繰り出した二体目のポケモンは、レアコイルだった。
 ラジュルネのエルフーンが残したシャトレーヌ側の追い風はまだ吹き続けている。レアコイルはゼニガメに向かって10万ボルトを飛ばす。
 しかしその10万ボルトは、ピカチュウに引き寄せられていった。電気を吸収したピカチュウがにやりと凶悪に笑む。
 そこでセッカはぴゃいぴゃいと狂喜乱舞した。
「ぎゃははははははははピカさんの特性は避雷針で――っす! 電気ご馳走様でーっすピカさん雷!!」
 ピカチュウがメブキジカに、さらに威力の増した雷を落とす。
 メブキジカが膝を折る。しかし倒れはしない。ピカチュウに植え付けられた宿り木から体力を吸い取っているのだ。ピカチュウもまたふらつく。
 ゼニガメはレアコイルのラスターカノンから身を守り、レアコイルの放つ金属音にひどく顔を顰めつつもハイドロポンプを放った。レアコイルがそれを躱そうとし、水流がその身を掠ったためバランスを崩した。
 セッカはサクヤと顔を見合わせた。
「しゃくや、どーする?」
「倒せる方から倒せよ」
「じゃあ、ピカさんばんがれ! 雷だよー!」
 セッカはぴょこぴょこと跳ねまわりつつ、ピカチュウに続けて雷を落とすよう命じる。大広間が何度も何度も閃く。いつの間にか風は止んでいる。轟音が満ちる。


 メブキジカとレアコイルが沈む。
 完封されても、緑のドレスのルミタンはのほほんと笑っていた。
「お二人ともお疲れさまでした。ラジュルネとウチのコンビネーション、お楽しみいただけたでしょうか?」
「全然! だって俺まだ全然本気出してないよ!」
 セッカがぴゃいぴゃいと騒ぐと、ラジュルネがぎりりと歯を食いしばった。
「くっ……なんね……わたくしの本分はトリプルバトル……そしてお姉様が得意とするのはローテーションバトルですわ!!」
 青い領巾のサクヤがゼニガメを拾い上げつつ、何でもなさそうにぼやく。
「敗北の言い訳ですか。……果たしてそれが言い訳になるのだろうか」
「そうそう! なんてゆーか、つまんなかった! あんたらさ、ほんとにやる気あるわけ? 昼間のレイアとキョウキの相手してた二人もだけどさ、こんな大勢のファンの前でさ、よくそんな適当なバトルできるね?」
 ピカチュウを肩に飛び乗らせたセッカがぬけぬけとそう言い放つと、さすがにサクヤの手が伸びてきてセッカの頬をむにとつねった。幸いなことに大広間は男たちの嘆きで埋め尽くされていたため、彼らの耳にはセッカの失礼な発言は届かなかったようである。
 ルミタンは笑顔を張り付けているし、ラジュルネは怒りに顔が赤くなっているも必死に何か言うのを堪えようとしている。
 サクヤがぼそりと呟く。
「……次はもっとまともに戦っていただきたい」
「……お客様、誠に申し訳ありませんでした。これに懲りず、どうかどうかまたバトルハウスば来てくんしゃい」
 ルミタンが申し訳なさそうに、丁寧に頭を下げる。セッカとピカチュウはふんとふんぞり返って鼻を鳴らすが、ゼニガメを抱えたサクヤは深いお辞儀を返した。
「いえ、こちらこそ失礼なことを申し上げました。次はまた別のルールにて挑戦させていただきます。その際はまたよろしくお願いします」
 ラジュルネは苦い顔をしていたが、ルミタンに促されて頭を下げた。
「クッ……わたくしたちのコンビネーションを打ち破った程度で、調子に乗りませんことよ……見てらっしゃい……」
「ではお客様、これで失礼いたします……」
 緑のドレスのルミタンと赤のドレスのラジュルネは、階段を上っていった。
 からんからん、と休憩時間開始の鐘が鳴る。しかし大広間は未だに、男たちの阿鼻叫喚で埋め尽くされていた。
 セッカとサクヤ、そしてピカチュウとゼニガメは顔を見合わせた。



 そしてセッカとサクヤがとぼとぼと大階段を下りると、丸テーブルについて夕食代わりの軽食をつまんでいるレイアとキョウキ、そしてエイジを見つけた。二人はエイジを無視して、二人の片割れのところへまっすぐ歩いていった。
 ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスのレイアが、苦笑する。
「よう」
 フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキが、ほやほやと笑った。
「酷いバトルだったね」
「俺はばんがったもん!」
「うんうん、セッカは確かに頑張ったよ。でもサクヤなんて守ってばっかで実質何もしてなかったし、お相手なんてなおさらお粗末なバトルだったねぇ」
 ゼニガメを抱えた青い領巾のサクヤは、不機嫌に鼻を鳴らす。
「アクエリアスの威張るでエルフーンの動きを抑制したろうが」
「でもピカさんの一人舞台だったじゃない」
「……とりあえず出ようぜ。ここは空気が悪い」
 レイアに促され、四つ子の片割れたちとエイジはバトルハウスの大広間から出た。四人にバトルシャトレーヌを倒されたことに怒りを覚える熱狂的なファンたちの殺気立った視線が、背中に突き刺さって痛かった。
 玄関ホールを抜け外に出ると、山間の夜の風が吹き抜ける。四つ子は息をつく。
 バトルハウスの中は空気が悪かった。そして暑かった。
 煙草の臭いや酒の臭いや男たちの下卑た歓声に日々さらされて、バトルシャトレーヌは疲れないのだろうか。むしろ疲れて、あのようなバトルをしたのではないだろうか。ついそう思ってしまう。エイジは四つ子の後ろでにこにこと爽やかに微笑んでいる。
「……帰るか」
「そだね。一応これでバトルシャトレーヌは全員倒したことにはなるしね」
「なんか超拍子抜けなんですけど。19連勝する方がまだ大変だったしさー」
「これでシングルやダブルやトリプルやローテーションに挑む意義があるか、疑問だな」
 四つ子はどこか悄然として歩き出した。今日という一日に意義があったのか分からない。BPはたくさん手に入れた。しかしあの空気の悪いバトルハウスには戻りたくない。BPショップはまた後日寄ることに四つ子はしていた。誰もそうとは口にしていないが、互いの顔を見れば同じことを考えていることが分かる。
 そして夜のキナンをぶらついて、突然レイアが立ち止まった。
 キョウキが笑う。
「あれ、もしかしてレイア、迷った?」
「……いや、なんでだよ。俺はお前らについてきてたんだけど」
 四つ子は道に迷った。
 別荘地を目指すべく坂を上っていたのだが、この通りには四人ともまったく覚えがなかった。四つ子はきょろきょろと辺りを見回した。確かにここは別荘地のようだが、四つ子やウズやロフェッカが借りている別荘はどこだろうか。まったく見当もつかない。
 四つ子は顔を見合わせた。
 そしてレイアがボールからヘルガーを出した。ヘルガーがのんびりと首をもたげる。レイアがそれを見つめ返す。
「……悪いインフェルノ、ちょっと俺らのにおい辿って、俺らの別荘見つけてくんね?」
「がう」
「あ、やだ、ちょっと待ってくださいよー……」
 そこで口を挟んだのは長身の青年だった。四つ子はエイジの顔を見上げ、黙って凝視する。それまで無言でにこにこと四つ子のあとについてきていたエイジは、困り果てたような顔で両手を振った。
「いやぁ、道案内させるために四つ子さんが自分に声かけてくれるの待ってたんですけど……酷いじゃないですかー」
 そうぬけぬけとのたまう。
 四つ子は黙って、街灯に照らされるエイジの姿を見つめていた。
 するとなおさらエイジは激しく両手を振った。
「ね、四つ子さん、ちょっとだけ寄り道しましょうよ。……ヘルガーさんを戻してください」


  [No.1441] 陰 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/04(Fri) 20:43:47   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



陰 下



 四つ子がエイジに連れられてやってきたのは、さらに坂を上った先、高台にある池のほとりだった。
 山の中、空気はひやりとして、街灯が周囲の地面に光を投げかける。
 夜空は晴れ渡っていた。月はまだ登らない。星ばかりが瞬いている。
 夜風が池のおもてを撫ぜる。
 エイジは、池のほとりにあったベンチに四つ子を座らせた。そして自分はそのベンチの前に立ったまま、にこにこと喋り出す。
「いやぁ、マルチバトルお疲れさまでした……。素晴らしいバトルだったと自分は思いますよ」
 四つ子は無言で青年を見返す。落ちこぼれのトレーナーにそのように称賛されても、誇らしくもなんともない。
 青年は困ったように笑う。
「……四つ子さん、まだ自分のこと疑ってるんですか? なんでですか? 道案内も荷物持ちもしたのに」
「うさんくせ……」
「貴方、家庭教師っていう名目だったでしょうに。いつの間に僕らの従僕になったんです」
「役に立つからほっといたけどさ。あんた、けっきょく何者なのさ?」
「もうずっと貴様と行動を共にしているが、貴様が何をしたいのかさっぱり分からない」
 四つ子はそれぞれの膝の上に乗せたヒトカゲ、フシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメを撫でつつ口々にそう言った。するとエイジは、困ったように首を傾ける。
「だって、四つ子さん、自分のこと無視して、なんにも訊かないじゃないですか……」
「俺らのせいかよ。甘えてんじゃねぇよ、言いてぇことあんなら主張しろよ」
 レイアが不機嫌そうに言いやる。ヒトカゲの尻尾の炎にその顔が赤々と照らされている。
 エイジはくすりと笑った。
「……ねえ、四つ子さん。今日のシャトレーヌは、本調子じゃなかったんですよ。このところご多忙でしたからね……」
「へえ?」
「原因は三つほどあります。一つ目は、四天王の来訪。二つめは、反ポケモン派やポケモン愛護派の攻撃。三つめは、フレア団です……」
 四つ子が黙っていると、エイジは勝手に話し出した。
「四つ子さんが遊び呆けてらしてる間にね、カロスリーグの四天王がバトルハウスに来られたそうです……。まあポケモンリーグも休閑期というか、まあとにかく今はリーグ関係者様にとってもバカンス日和なんですね。というわけで、四天王の皆さまもキナンに遊びに来られているようです」
 サクヤが片眉を上げる。
「――で? 四天王の相手で疲れたから、シャトレーヌ四姉妹は本気が出せなかった、と?」
「まあ、四天王の皆皆様のおもてなしに追われたのは事実でしょうねぇ……」
 しかしそれだけではありません、とエイジは楽しそうに続けた。
「反ポケモン派とポケモン愛護派の攻撃ですよ。まず、ポケモンバトルを対象に賭博をするなどけしからん、若いトレーナーの教育上、非常によろしくない。そのような賭博行為に国民の税金を投入されるのはまっぴらだ。ギャンブル依存症等の社会問題への対策をしろ、それができないならバトルハウスを取り壊せ――。……とまあ、バトルハウスで行われている賭博に対し、訴訟まで提起されかねない勢いでして」
「格好の攻撃材料だな」
 サクヤは鼻を鳴らす。
「というわけで、若くしてバトルハウスのオーナーを務めていらっしゃるバトルシャトレーヌ様方は、大変苦労なさっているわけです。……そう考えると、今日きっかり皆さんの20戦目のタイミングでバトルの場に現れたことすら、驚くべきことですよ」
 エイジはそう語った。
 四つ子には、オーナーという立場の人間が何をするものなのかは全くわからない。しかし、バトルハウスは何やら面倒事に巻き込まれており、そのためにバトルシャトレーヌはバトルに集中できていないということらしかった。
 それからエイジは嬉々として、バトルハウスの危機を語った。


 バトルハウスはキナンシティの目玉だ。
 上質のバトル、そして何より、それを対象とした大規模なギャンブル。実は賭博に興じていたのはあの大広間の二階にいた客たちだけではない、バトルハウスの別室ではその数十倍、数百倍もの客が大画面でのバトルの中継を楽しみつつ金銭を賭け合っていたのだ。一回で数十億単位の金銭がやり取りされるVIPルームなども用意されているという。
 バトルハウスでの賭け事を楽しみにキナンを訪れる観光客は、かなりの数に上る。富裕層も多く引きつけられる。そうなると多額の入場料がバトルハウスに入り、バトルハウスを後援しているポケモン協会にも多くの利益が流れ、また国にも多額の税収がある。
 バトルハウスはキナンの各施設の、稼ぎ頭なのだ。そしてバトルハウスを訪れた観光客がホテルやその他の施設に足を運び、キナン全体を潤す。そういう構造になっている。
 だから国家も、ポケモン協会も、バトルハウスを潰すわけにはいかない。
 一方で反ポケモン派やポケモン愛護派の人々は、バトルハウスを潰すことを目的としている。その手段として、そのような賭博に目をつけただけだ。
 そのようなバトルハウス閉鎖に向けた運動に対抗するため、国家やポケモン協会は総力を挙げている。メディアに圧力をかけ、バトルハウスに関するきな臭い動向を秘し、また弁護士会に圧力をかけてそのような訴訟に協力しないよう迫る。
 国家やポケモン協会による威嚇は、ときにカネだけでなく、実力行使も伴う。
 ときにその地方で暗躍する犯罪組織と結託して、意に沿わぬ集団を潰すのだ。

 例えば、カントー地方のロケット団などもそうだ。
 ロケット団はゲームコーナーによって資金を集め、人のポケモンを奪ったり非人道的な研究を繰り返したりしているという噂がある。国家も、表面上はそれら犯罪組織による違法行為を取り締まっている。しかしそれは表面上に過ぎない。
 国家も裏では、犯罪組織を利用する。
 なぜなら、国家もロケット団のような犯罪組織も、所詮は同じ“ポケモン利用派”だからだ。
 その目的である『強いトレーナーを育て、強いポケモンを保持すること』は共通している。そのやり方が合法か違法かの違いだ。
 現代は自由民主主義社会だから、国家は表向き国民の望むような施策をしなければならない。ギャンブルを規制し、非人道的な研究を禁じなければならない。けれど、国家はわざと法に抜け穴を作り、犯罪組織を泳がせ、そして『国家の本当にやりたいこと』を犯罪組織にやらせるのだ。
 確かに、国家が国民を傷つけるなどということは許されない。
 しかし、犯罪組織が国民を傷つけたところで、国家の威信は傷つかない。
 どの国も同じだから、国際的な地位にも変化はない。
 どの国も、国の暗部たる犯罪組織を飼っている。
 公然の秘密だ。
 ただ国民はそれを知らない。

「――だから、ここにはじきにフレア団が来るんです。邪魔な反ポケモン派やポケモン愛護派を、潰すために。国の意向でね」
 エイジは笑顔でそう言った。


 いきなりそのような話を延々と聞かされても、四つ子も困る。
 国だの、犯罪組織だの。
 眉を顰めたのは、ゼニガメを抱えたサクヤだ。
「なぜ貴様はそれを知っている」
 サクヤは顔を強張らせて、エイジを睨んでいた。レイアやキョウキやセッカにはまだエイジの話がつかみ切れておらず、そのような話を聞かされてもそうかとしか思えないのだが、サクヤだけはエイジを警戒し出していた。
 エイジは両手を振る。
「いや……自分は以前反ポケモン派やポケモン利用派に属していたから、そういった後ろ暗いことも知れたんですよ……。あ、これ、内緒にしてくださいね、でないと自分もフレア団に消されますから」
 そして本当にエイジは声を低めた。
 夜の池のほとりは、無人だった。風の鳴る音ばかりが聞こえてくる。
 サクヤの声はまだ固かった。
「なぜ、そのような話を僕らにした?」
「よくぞ訊いてくださいました」
 エイジは微笑み、そして屈み込んだ。蹲り、ベンチに座っている四つ子をエイジが見上げる形になる。
「……こういう後ろ暗いことはね、まず、国民に広く知らせることが大事なんです。本当に、それが大事なんです」
 エイジは寂しげに笑った。
「でも、メディアは国やフレア団に牛耳られています。告発しても、テレビも新聞も報道しない。むしろ告発した人間をマスコミが探し出して、こっそり当局に引き渡すんです。そして、司法という正当な手続きを踏んで刑罰が科される――と思いますか? とんでもない……闇の中に葬られるんですよ」
 四つ子はまじまじとエイジを見つめて、その話を聞いていた。何か恐ろしい話を聞いているような気がした。
「フレア団にね、消されるんです。行方不明になるんです。そのまま見つからないから、死んだことにされるんですよ……」
 蹲ったエイジは、四つ子の足元を見つめている。
「うっかりそういった後ろ暗い処分が表沙汰になって裁判になってもね、ポケモン協会が口裏を合わせるんですよ。そして、裁判になってもフレア団の人間を無罪にするんです。検察も、弁護士も、裁判官も、みんなして口裏合わせて、弱者を虐げ――」
「あの方はそのようなことはしない!」
 鋭い声に、エイジは顔を上げる。
 ゼニガメを抱えたサクヤが、鬼気迫る表情で立ち上がっていた。
「……そのような事が、あるはずがない!」
「サクヤ、落ち着いて」
 穏やかな声をかけるのはキョウキだ。フシギダネも柔らかい声で鳴き、サクヤの緊張感を解す。
 サクヤは顔を歪めてキョウキを睨んだ。エイジを顎で示す。
「こいつは嘘つきだ。でたらめを言っている。無視するぞ」
「ちょっと、サクヤ、落ち着いて。確かにモチヅキさんは、エイジさんが言うような人でない――と僕も思うよ。でも、モチヅキさん一人じゃ、やっぱり国やポケモン協会やフレア団といった巨大な組織には対抗できない。そういうことでしょ?」
 キョウキは普段よりも早口にそう言った。サクヤが口を挟む暇もなかった。
「そうだろ、サクヤ? モチヅキさんは正しかった。でも、一人ではどうにもできなかったんだ。ねえ、サクヤ、そういうことなんだよ……」
 さらにキョウキはそう言い募った。
 サクヤが息を吐く。
 セッカもサクヤに声をかけた。
「俺もモチヅキさんはいい人だと思うよ! モチヅキさんは、悪いことには加担しないよ! モチヅキさんの周りにいる奴がみんな悪かったんだよ!」
「……セッカ」
「だからさ、サクヤはモチヅキさんのこと信じてればいいと思うよ。俺もサクヤを信じるし、サクヤと一緒にモチヅキさんを信じてるからさ!」
 ピカチュウを膝に乗せたセッカがにこりと微笑んでいる。膝の上のピカチュウも力強く笑って頷く。
 やや肩の力が抜けたサクヤは、溜息をついた。
「……言う事だけは、立派だな」
「なにおう!」
「あー、セッカ落ち着け。サクヤも落ち着いたかよ?」
 ヒトカゲを膝に乗せたレイアが口を開いた。
 ゼニガメを抱えて立ったままのサクヤは目を閉じる。
「……わからない。急にそのような妙な話を聞かされても困る。…………今日はこのくらいにしてくれ」
 その言葉は、長身の青年に向けられたものだった。
 エイジは微笑んだ。
「わかりました。……今日の授業はこのくらいにしますか」
 四つ子の前にしゃがみ込んでいたエイジは、にこりと笑って立ち上がった。
 四つ子は街灯によって逆光になったその長身の家庭教師の顔を、見上げた。


  [No.1444] 鉄と味 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:25:31   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



鉄と味 昼



 食事時にテレビがついていると大変だ。
 なぜって、食べるのと喋るのとテレビを見るのとで忙しいからだ。俺たち四つ子は昼の食卓につき、お箸で納豆をねりねりしながら、テレビを見ていた。
「TMVが、止まった?」
 レイアが少し大きな声を出した。ニュースがそう言ったのを繰り返したのだ。
 なんだか俺らから距離をとったエイジが、鼻をつまんだまま鼻声を出した。
「……ええ、昨晩お話ししたじゃないですか。バトルハウスに抗議するため、このキナンに反ポケモン派やらポケモン愛護団体の人々がTMVに乗って詰めかけてきたんですよ……。それで国家は慌ててTMVを止めて、そういう人たちの流入を食い止めてるんですっ」
 そこまで言い切ると、エイジは苦しそうに口でハアハアと大きく喘いだ。
 俺は高速で納豆をねりねりしながら首を傾げる。
「エイジ、どしたん? 息の根止める練習?」
「……違いますよ……誰がそんな練習するんですか…………四つ子さんは、よくそんなニオイの物を食べれますね……」
「なっとぅーのこと?」
「そうです……」
 エイジは食卓に着きながらも、ずっと左手で鼻をつまんでいた。右手にはスプーンを持っている。エイジはお箸が使えないので、ご飯もスプーンやフォークで食べるのだ。
 確かに、カロス地方のどこに行っても納豆は見かけない。ちなみに、お箸を使っている人もいない。だから俺たち四つ子は、旅先にマイお箸を持参している。外食先でお箸を使っているとたまに驚かれるぞ。
 どうやらエイジは、納豆のにおいが苦手みたいだ。
 レイアがにやりとして、キョウキがにこりと笑った。二人が機嫌がいいので、俺も嬉しくなって笑った。サクヤも微笑した。
 俺たち四つ子は納豆パックを持ってねりねりしつつ立ち上がり、エイジに詰め寄った。
 そして超高速で納豆をねりねりした。
「おら納豆うめぇぞ」
 赤いピアスのレイアが悪い笑みを浮かべて納豆をねりねりしている。エイジが鼻をつまんでいない方の手で頭を抱えた。鼻声で呻く。
「うわああああやめてください……来ないで……」
「こうやって練ると、粘りが出てさらにおいしくなるんですよ」
 緑の被衣のキョウキも笑顔で納豆をねりねりしている。エイジが鼻声で嘆いた。
「なんで糸引いてるんですか……なんで糸引いてるもん食べるんですか……っ!」
 俺も納豆をねりねりしながらエイジに詰め寄った。
「なっとぅーはうまいぞ! ほれエイジも食べてみ? はい、あーん」
「……や……やめてください……!」
「僕らの納豆が食えないのか」
 青い領巾のサクヤが納豆をねりねりしながら迫った。
 俺たち四つ子は練りに練った納豆を同時に箸でつまみ、四人でエイジに差し出した。
 するととうとうエイジが発狂してしまった。
「……来ないでっつってるでしょうが――ッ!!!」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
 思い切り立ち上がったエイジの手によって、俺たちが持っていた納豆パックがはたかれ、宙を舞った。
 エイジは頭から、たっぷりねりねりされた納豆を、四人分かぶった。

 いつの間にかホロキャスターで動画を撮っていたらしいロフェッカのおっさんにめちゃくちゃ笑われた。
 台所から飛んできたウズにめちゃくちゃ怒られた。
 俺たちの足元で昼ご飯を食べていたサラマンドラとふしやまとピカさんとアクエリアスにめちゃくちゃ笑われた。



 お昼ご飯を食べ終わった午後、納豆まみれのエイジを風呂場で丸洗いした後の午後。
 俺とサクヤは二人でキナンシティの外れに行き、イーブイの進化形たちの特訓をしていた。俺はブースターの瑪瑙とリーフィアの翡翠、サクヤはブラッキーの螺鈿とグレイシアの玻璃だ。
 それぞれ新しい技をいくつか習得して、だいぶバトルらしいバトルができるようになってきた。今はピカさんが一匹で瑪瑙と翡翠の二匹の相手をし、サクヤのアクエリアスが一匹で螺鈿と玻璃の二匹の相手をしている。
 俺のピカさんやサクヤのアクエリアスは、とても頭がいい。自分のことだけでなくて、他の手持ちのポケモンたちの戦い方まで分かっている。そうでなくちゃダブルバトルをするときなんかに困るから、当たり前といえば当たり前で、大事なことなんだけど。
 ピカさんやアクエリアスがそれぞれ何を言っているのかは分からないけれど、しっかり先輩として瑪瑙と翡翠と螺鈿と玻璃の四匹を指導しているようだ。とても頼もしい。俺やサクヤの出る幕はない。
 そこはキナンの市街地から離れた、山の中だった。
 林の中、少し開けた場所で、六体のポケモンが特訓に明け暮れている。
 俺とサクヤは少し離れた地面の上に座ってポケモンたちの特訓を見つつ、くつろいでいた。――いや、違った。エイジもいた。
 背高のっぽのエイジは、俺たち二人からさらに数歩下がったところで、にこにことポケモンたちの特訓を眺めていた。お昼ご飯の時に頭から納豆をかぶって大惨事になったのに、そんなことを既に忘れてしまったかのように今はもう爽やかな笑顔だ。エイジってほんとはただの馬鹿なんじゃないのかな、俺と同じで。
 サクヤは背筋を伸ばして、自分のポケモンたちを注意深く観察している。俺はサクヤの青い領巾をつまんだ。
「ねえ、しゃくやー」
「なに?」
「ひまー。遊びにいこー」
「シャトレーヌを再度撃破してからにしよう」
 サクヤは俺の方を見ずに淡々とそう答えた。俺はむくれる。


 俺たち四つ子はこないだ、バトルハウスのマルチバトルに挑んで、バトルシャトレーヌに圧勝した。しかし、バトルシャトレーヌの方は色々なごたごたが重なって、まったく本気を出していなかったのだ。だから、バトルハウスのごたごたが収まったときに、バトルシャトレーヌにもう一度挑もうという話になったのだ。
 そのために、俺たちはイーブイの進化形たちを育てている。
 でも正直、ピカさんやアクエリアスに任せていれば大丈夫そうだ。二匹とも面倒見はいい。俺たちが何も言わなくても、自然とピカさんやアクエリアス自身と同じようなバトルスタイルを仕込んでくれるから、トレーナーである俺らとしてもやりやすい。新入り達がピカさんやアクエリアスをパーティーのリーダーとして慕ってくれるのも嬉しいことだ。
 そう、手持ちのポケモンの中には序列があるのだ。
 その基準はトレーナーと一緒にいる期間の長さであったり、強さであったり、トレーナーの可愛がりようであったり、あるいはそれらの複合だったり。
 そして手持ちの中には、それぞれの役割も芽生える。他のポケモンたちをまとめるポケモン、バトルで大活躍するエースのポケモン、移動を手伝ってくれるポケモン、探し物や食料集めや料理なんかを手伝ってくれるポケモン。そうした手持ちの中での役割分担は、ポケモンたちが勝手に見つけていくのだ。トレーナーはそれを見極めて、役割に応じたポケモンに仕事を頼むことになる。もちろん、全員がバトルに出て十分に戦えることが前提だけれど。
 とにかくそんなこんなで、俺のパーティーの中で一番偉いのはピカさんだ。俺の一番の相棒だし、たぶん一番強い。ガブリアスのアギトと勝負をさせればさすがに勝つのは難しいけど、それは単に相性の問題だし、バトルの経験が多いのはピカさんだ。
 今のうちに瑪瑙や翡翠には、ピカさんのすばらしさを知ってもらわなければならないのだ。そうでないと、俺がピカさんにばかり食べ歩きの料理を分け与えることなどについて、嫉妬を覚えたりするからだ。
 俺はピカさんに特別扱いを許している。それはレイアのサラマンドラ、キョウキのふしやま、サクヤのアクエリアスにも言えることだ。仕方ないのだ、六匹の手持ちすべてに平等に構うのは難しい。手持ちが増えると、ポケモン同士の関係にも気を配らないといけないので大変だ。トレーナーがポケモンのご機嫌を取るわけにもいかないし、かといってポケモンに愛想を尽かされるのも困る。
 とにかくトレーナーは大変なのだ。
 しかしそれはつまり、独りではないということの裏返しなのです。

 そんな中で、俺たち四つ子はうまくポケモンたちをマネージメントできてる、と思う。レイアのサラマンドラはいつもは大人しいけどバトルとなるとポケモンが変わったように怖くなるし、キョウキのふしやまはその知能の高さでは他のポケモンを寄せ付けないし、俺のピカさんは優れた熱血指導者だし、サクヤのアクエリアスは兄貴分として他のポケモンたちの信頼を集めることに長けている。
 だから俺たちトレーナーのすることはない。
 暇だ。
 太陽は傾いている。
 林の地面に日差しが斜めに落ちる。
 俺はくああと欠伸をした。ふとちらりと横を見たら、サクヤも目を閉じている。
 息を切らせて座り込む瑪瑙、翡翠、螺鈿、玻璃に、ピカさんやアクエリアスが何かを叫んでいる。だいぶきつそうだ。今日の特訓もそろそろ切り上げるか。
 山の地面がひんやりと冷えてきている。風が林の木々を鳴らす。
 すると、それまで黙って座っていたエイジが立ち上がって、俺たちの方に歩いてきた。
「セッカさん、サクヤさん」
「なぁにー?」
 俺は返事をした。サクヤはエイジの方も見ず、ひたすらポケモンたちばかり見ている。
 エイジは、地面に座り込んでいる俺とサクヤの真ん中に歩いてきて立ち止まった。
「そろそろ特訓はお終いですか? ちょっと、面白いもの、見に行きません?」
「面白いもの?」
「すぐ近くですから」
 そうエイジが悪戯っぽく笑う。しかし実際には、そのエイジの笑顔を見るには俺はものすごく顔を上げないといけない。俺は座っているのに対し、背高のっぽのエイジは立っているのだ。
 俺はさっさと立ち上がり、大きく伸びをした。サクヤは座ったままだ。
「面白いなら、見に行くー。……あ、でもエイジ、もし面白くなかったらまた納豆かけるからな?」
「……納豆は……勘弁してください。というか、食べ物をそんなふうに扱うと罰当たりますからね……」
 俺は鼻を鳴らした。



 俺とサクヤは、イーブイの進化形たちをモンスターボールに戻して休ませてやった。そしてまだ元気の有り余っているピカさんを俺は肩に乗せ、アクエリアスをサクヤが両手で拾い上げる。
 そしてどこか胡散臭そうな顔をしているサクヤの手を取って、エイジのあとを追って山を登った。
 手入れなどほとんどされていない山だ。道などない。落ち葉の積もった坂道は滑りやすい。けれど俺もサクヤも旅のトレーナーだし、エイジも元はトレーナーだった。三人とも山歩きには比較的慣れている。
「こっちです」
 だいぶ山を登ったところで、エイジは俺とサクヤを崖っぷちに連れてきた。とはいえ、よほどの事がなければその崖から転落することはない。茂みが柵のように俺たちを守ってくれていた。
 茂みの向こうがやたら開けていたのだ。灌木の枝の間を透かして、崖の下が見えただけだ。
 俺とサクヤとエイジは、茂みに隠れるようにして崖下を覗く格好になっていた。
 エイジが声を潜める。
「静かにしててくださいね。面白いものが見れますよ……」
 崖の下は谷川があった。小川がさらさらと流れる音がする。
 大小の岩石がごろごろ転がった川原が見える。珍しいポケモンでも現れるのだろうか? 俺は期待に胸を膨らませた。ピカさんも興味津々で川原を覗いていた。


 しかし川原に現れたのは、人間だった。
 グラエナ、マルノーム、レパルダス、ズルズキンを連れた、真っ赤なスーツの集団。
 そしてその真っ赤な集団に引っ立てられるようにして、川原の石に蹴躓きつつ歩いてくるのは、目隠しをされ、後ろ手に拘束された、二、三人の人間だった。
「……フレア団」
 サクヤが乾いた声で呟く。あの真っ赤なスーツの集団だ、俺も見覚えがあった。クノエの図書館で暴れたエビフライ団の仲間だ。
 そのときエイジが微かな息で、しっと言った。静かにしろと言うのか。これから面白いことが起きるのかもしれない。しかし、怪しい集団と拘束された人間がどのような面白いことをするのか、俺には想像もつかない。これは、何かの劇の練習か何かなのだろうか。
 せせらぎの音の中、拘束された人たちは川原に一列に並ばされた。目隠しをされているからか、ふらふらしている。よく見ると、声も出せないよう猿ぐつわをかまされているようだ。
 それから起きたことに、俺は目を疑った。

 悲鳴が出なかったのは、サクヤの手で口を塞がれたからだ。
 サクヤもよく咄嗟にそんなことができたものだ。
 サクヤに抱え込まれるようにして、茂みから転がるように後ずさった。
 せせらぎの音しか聞こえない。
 ピカさんとアクエリアスが這うようにして俺たちの方へやってくる。
 嘘だ。
 嘘。
 震えが止まらない。サクヤの手で強く口を塞いでくる。その手の力が凄まじくて苦しかった。
 けれど、拘束された人間に飛びかかった、フレア団のグラエナのやったことが、目の奥にまざまざと焼き付いて離れない。飛び散ったように見えた赤が気のせいならいいのに。
 悲鳴は聞こえない。
 せせらぎの音しか聞こえない。


 エイジの面白がるような囁き声が聞こえてきた。
「どうです? 面白いでしょう?」
 耳を疑った。エイジは崖っぷちの茂みの傍で、座り込んだままゆっくりと振り返って、にこりと微笑んでいる。
「昨晩、お話しした通りです。……反ポケモン派の人間を、フレア団が処理しています。行方不明に見せかけて殺すんです。グラエナやレパルダスやズルズキンが始末して、マルノームの消化液で溶かして、骨は山奥にでも埋めるんでしょうかね……」
 そうエイジはなんでもないことのように言った。つまりあれは処刑現場だったというのか。処刑? 何だそれは?
 俺の口を塞いだままのサクヤの手が震えている。いつもは落ち着いているサクヤも、どうしようもなく狼狽しているのだ。
 ということはつまり、あれは、本物なのだ。
 殺しの現場。


「セッカさん、サクヤさん。これがこの社会の現実ですよ……。国にとって邪魔な人間は、犯罪組織が消してしまう」
 俺もサクヤも何も言えなかった。
 ただ目の前の青年が恐ろしくてたまらない。なぜ平然としているのか、やはりあれはただの演技ではないのか、俺たち三人に見せるための大掛かりな演劇。俺とサクヤを騙すための。そうとしか思えない。そうでなければ、なぜ、エイジはこのような事が起きると知っている?
 エイジは俺たちに何をさせたいのだろうか。
 せせらぎの音が聞こえる。
 エイジがそっと立ち上がった。サクヤが俺を抱えたまま、警戒して身を引く。ピカさんとアクエリアスがエイジを警戒している。
 エイジは人のいい笑みを浮かべていた。
「今日の授業です。反ポケモン派について」
「…………は?」
「反ポケモン派は、トレーナー政策に反対する者です。ところでお二人は、国の税金の何割がトレーナー政策に使用されているか、ご存知ですか? 名目上は二割です。ただし、実質的には何だかんだで、全体の歳出の七割超がトレーナー政策に関わっていると言われます」
 そしてエイジは語りだした。俺もサクヤも何も聞いていないのに、わけのわからないことを言い出した。

 反ポケモン派の主張は様々だ。――トレーナーの起こした事件の被害者の保護を手厚くしろ。ポケモンが嫌いな人間やアレルギーの人間を尊重しろ。貧しい子供たちに、トレーナー以外の職業の道を選べるようにしろ。
 反ポケモン派の人々は、国民の税金をトレーナー政策以外のことに使うよう要請する。
 しかし、それは現在の与党政府にとっては困ることなのだ。なぜなら、トレーナー政策に使用されるお金の中には、ポケモン協会や、ポケモン協会と密接なつながりのある者への補助金といったものが多く含まれているからだ。トレーナー政策に多額の予算がつかないと、与党政府はポケモン協会に見放される。協会に見放されれば、協会からの献金で成立している与党政府は活動を続けられない。だから与党政府は反ポケモン派を封じ込める。
 その封じ込める方法について。
 反ポケモン派の団結や集会を、法令で禁じる。違反すれば罰する。ニュースや新聞では国家の反逆者としてあげつらわれ、その家族までが極右派からのバッシングを受ける。行政からでなく、社会的にも罰せられることを印象付けて、反ポケモン派を『社会の悪』とし、活動を委縮させるのだ。
 危険人物は容赦なく消す。それは国家が手を下すのではなく、犯罪結社に委託するのだ。もちろん、面と向かって頼むことはしない。ただ国家にとって邪魔な人間はフレア団にとっても邪魔な人間だから、国家が放っておいてもフレア団が勝手に始末するのだ。国家はフレア団を野放しにしておきさえすればいいのだ。
 フレア団にとっても反ポケモン派は邪魔な存在だ。反ポケモン派の攻撃対象には、与党やポケモン協会だけでなく、フレア団も含まれる。反ポケモン派は国家にフレア団を取り締まれとも主張する。けれど国家はフレア団を利用している面があるから、そのような反ポケモン派の“まっとうな”主張は国家にとっても耳障りで仕方ない。フレア団としても、反ポケモン派の“まっとうな”主張は国家も受け入れざるを得ないことを理解しているから、反ポケモン派を処理してそもそも“まっとうな”主張ができないようにするしかない。
 そうして国家とフレア団の利害が一致する。
 国家とフレア団がどれほど癒着しているかは、さすがに知りようがない。フレア団は莫大な財力を持った秘密結社であり、確実にカロスの複数の大物とのつながりはあるだろう。しかし、フレア団がどれほど政治や経済やマスコミに深く根を張っているかはわからない。
 とはいえ社会的には、国家はフレア団をテロ組織として指弾している。国家とフレア団のつながりなど表沙汰にならないだろう。たとえ多少表沙汰になったとしても、政府やポケモン協会からの圧力によって簡単にもみ消される。ニュースにもならない。裁判にもならない。
 だからこんなことになっているのだ。

 エイジはそのような事を延々と語っていた。


  [No.1445] 鉄と味 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:27:03   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



鉄と味 夕



 僕はセッカを抱きかかえるようにして、山の中を後ずさった。
 セッカのピカさん、そして僕のアクエリアスもじりじりとそいつから距離を取り、唸る。
 エイジとかいう、胡散臭い家庭教師が口を噤む。
 そいつが山中でこっそりと僕らに見せたのは、まるで映画のワンシーンのような処刑だった。
 フレア団の連中が、拘束した無抵抗の一般人をポケモンで始末しているところだった。あれはおそらく本物だった、と思う。たとえ本物でなくても、『それを見せた』という事実がそのまま、この男の何かしらの後ろ暗さを露呈させているのだ。
 セッカは震えている。叫びやしないかと押さえていたセッカの口から僕がそっと手を放しても、セッカが腰が抜けたように座り込んで何も言わない。――いや、違う。何にせよこれ以上セッカを刺激すれば面倒だ。
 セッカの動揺した様子が、逆に僕を落ち着かせてくれる。


 僕は男を睨んだ。男はへらへらと笑っていた。 
「……貴様は何がしたい」
「え、そりゃあ授業ですよ……。だって自分、四つ子さんの家庭教師しないと、追い出されちゃうじゃないですか……」
「ふざけるな。何を教えたつもりだ。反ポケモン派のことをくだくだと説いて、それで何だ? フレア団による反ポケモン派の始末の様子を見せて、僕らに何を教えようというんだ」
「ですから、四つ子さん。……自分は四つ子さんには、世の中の歪みを正しく知っていただきたいんです」
 男は己の胸を手で押さえ、どこか芝居がかった動作でがくりと項垂れた。
「自分はかつて反ポケモン派の一員として活動し、その結果父は職を失って、経済的にも困窮し、一家離散の危機に直面しました……。自分は恐れています。この国の今後を憂えているんですよ……」
「……だから?」
「四つ子さんは、世の中がこのままでいいんですか……? 強い者が弱い者から奪い続ける、そんな世界を放っておくんですか…………?」
 男は下卑た笑みを浮かべて、僕らを見ていた。虫唾が走るような汚らしい笑顔だった。キョウキの作り笑いの方がまだ愛嬌がある。
 そいつは粘っこい声ですり寄ってきた。反射的に半歩下がる。
「政府がやっているのは、思想弾圧ですよ。……トレーナー政策に反対する者は、非国民なんです。犯罪結社を秘密警察みたく使って、政府に反対する者を消すんです。それを何というかご存知ですか? ……全体主義、ファシズムと言うのですよ」
 僕はセッカを支えたまま、男を睨んだ。
「……それも貴様の思想に過ぎない。今の話が真実ならば、貴様自身もすぐにフレア団に消されるだろう。……貴様がフレア団に消されたときは、今の話を信じることにする」

 そういうことだろう。
 この男がやっているのは、国家に対する批判だ。犯罪結社であるフレア団を容認する国家を、この男は非難している。それは即ち、この男は反ポケモン派であるも同義だ。
 そしてこの男の言う通り、国家が反ポケモン派を弾圧するというならば、この男自身も国家によって消されなければ、筋が通らない。
「……僕の言ったことは間違っているか?」
 そう確認すると、男はへらへらと笑って溜息をついた。
「いえ、確かにそうです。……自分は死に物狂いで逃げたんです、フレア団から。そしてフレア団の監視の目を潜り抜けて、どうにか世間に、この国の歪みを伝えようとしているんです。……そのためには死んだらお終いです……」
 そして男は顔を上げ、言い放った。
「だから自分はフレア団には消されません」
 埒が明かない。
「……元トレーナーだか何だか知らないが、よくここまで一人で無事に来れたものだな。そして何だ、僕らに同様の思想を刷り込み、僕らを反ポケモン派に引き入れて道連れにしよう、と? ――それが反ポケモン派の考えか?」
「こうするしかないんです……。地道に、理解を求めるしか。……こうするしかないんですよ」
 男は寂しげに笑った。
「ねえ、四つ子さん。……この崖の下で、反ポケモン派の人間が、たった今、殺されました」
 せせらぎの音が聞こえる。崖の下を流れる小川のせせらぎの音だ。
「自分も、お二人も、何もできませんでしたね。ポケモンがいるのに。何もしなかった。……何もしないでいいんですか? 四つ子さんはもう自分の話を聞いてしまいました。この国がおかしいということを理解してくださったと思います。……だから、もうね、四つ子さんも反ポケモン派なんですよ……」
「違う。貴様の話など誰が信じるか。この嘘つきめ、すべて貴様のでたらめだろう」
 僕はこの男の話を信じるわけにはいかなかった。
 崖の下で起きたことはきっと幻だろう。人に幻を見せる力を持ったポケモンなど山ほどいるのだから。
 セッカの震えは止まっていたが、セッカは僕の腕の中で沈黙していた。
 僕はセッカを掴んで、立った。足元のアクエリアスとピカさんを見やる。
「――戻るぞ、二匹とも」
「待ってください、お二人とも……」
「貴様の話は懲り懲りだ!」
 強い口調で言い放つと、男の足音は止まった。
 僕はセッカを抱えたまま、ピカさんやアクエリアスに元来た道を辿らせ、その後に続いて戻った。



 セッカは自分の足で歩いた。滑りやすい山道を慎重に歩いている。その顔を覗き込むと、セッカは無表情だった。
「……セッカ、大丈夫か」
「…………ん」
 微かに頷きが返される。
 背後を振り返っても、男の姿はない。暫くその方向の山林を睨み、そして僕は再びセッカを支えてキナンシティの市街地に向かってのろのろと山の中を戻った。
 セッカは黙っている。こいつは普段が喧しいだけに、こう静かだとこちらまで不安になってくる。
「セッカ、あの男、叩き出すか?」
「…………わかんない」
 セッカはぼそりと呟いた。
 空は朱色に紫に藍色に染まっていた。もう日が暮れる。市街地は人が行き交う。
 僕とセッカは通りの真ん中で立ち止まった。項垂れたままのセッカを見やる。
「僕はあの男を追い出したい。これ以上訳の分からないことを吹き込まれたくない。こちらまで頭がおかしくなる」
「…………サクヤ、エイジの言ってたこと、嘘なのかなぁ」
「すべて嘘に決まっている」
「なんで?」
 セッカが顔を上げた。その顔には表情がなかった。まっすぐ僕を見つめてきた。
「…………サクヤはさ、モチヅキさんのこと信じすぎてさ、他のことを見れてない気がする。一つの事だけが正しいんじゃないよ。そして何かが全て間違ってるなんてこともねぇの。……真実のどこかに、嘘が紛れ込んでんですよ」
 セッカは無表情でそう言った。
 セッカは稀にこうなる。道化の皮がはがれたように悟ったような目をして、普段のこいつからは想像もつかないことをつらつらと並べ立てる。
 僕は嘆息した。
「……じゃあ、何が嘘で、何が本当なんだ?」
「たぶんさ、エイジが言ってたことはだいたい本当だと思うよ。エイジは俺らに、反ポケモン派に加担してほしがってる。でも、エイジは、俺らに『世界の歪みを正す』ことなんて求めてない……気がする」
「どういう意味だ?」
「エイジは諦めてる。この世界の歪みはどうしようもないと思ってる。なのにエイジは、俺らにあんなものを見せ、あんな話をした……」
「そうだな」
「――だからサクヤ、これは罠だわ」
 セッカは無表情にそう言い放った。
 僕は腕の中のアクエリアスと一緒に首を傾げるしかなかった。
「罠、だと?」
「そう、罠。エイジは俺ら四つ子を反ポケモン派に取り込んで、そのまま俺らを破滅させようとしてる」
 セッカは僕を見つめたままそう言うと、すぐに通りの先に視線を転じて歩き出した。僕もその隣に並んで歩く。
 ピカさんを肩に乗せたセッカは低い声で続けた。
「エイジがどんな奴か、俺にもまだ分かんない。エイジが個人的に俺ら四つ子のことを恨む理由はないと思う。だから、エイジが俺たちの傍に来た理由は、まだよく分かんない。……でも俺はエイジを信用はしていない。キョウキもしてないと思う」
「……僕もしてないぞ。レイアはどうかは知らんが」
「レイアのことはキョウキが守るよ。だからサクヤは俺と一緒にいよう。……エイジは胡散臭いけど、間違ったことは言わないと思う。もうちょっとだけ泳がしとこ」
 セッカは無表情にそう言った。
 僕は深く溜息をついた。ときどきこの片割れが分からない。
「……お前は何なんだ? 洒落にならないものを見て頭がおかしくなったのか?」
「ある意味、そう。この非常事態で馬鹿はやれない」
「普段のお前は演技か?」
「……あのさサクヤ、俺がお前に言うのもあれなんだけどさ、茶化してる余裕なんてないからね。俺らの今の状況、くそやばいからね。――つまりお前、ふざけんな」
「……確かに、セッカに言われるのは屈辱だな」
「だろ。俺、エイジのことは最高に警戒するわ。しゃくやもそのつもりで、お願いね」
 そう言ってセッカはピカさんに頬ずりしている。


 そして前を見ないままキナンの通りを歩いていたセッカは、鋼鉄の鎧にぶち当たった。
「もぎゃん!!」
「ぴぎゃぶっ」
 セッカとピカチュウが同時に間抜けな悲鳴を上げる。
 すると、鎧を着込んだ男性がガシャガシャと音を立てつつ、慌てて身をかがめてきた。
「おっと、これは申し訳ない、若者よ! ――……ぬ?」
 その鎧の男性は、潰された鼻を押されるセッカと、そして僕とをまじまじと見比べていた。どうせ『お前たちは双子か』などというリアクションを貰うのだと見当をつける。
 しかし鎧の男性は軽い動作で飛び退った。
「ぬぬぬ、貴殿は、我が好敵手ではないか! ここで会ったが百年目……カロスリーグでの雪辱、今ここで果たさせてもらおう!」
「えっ」
「えっ」
 僕もセッカも思わず首を傾げた。
 その男性はカロスの四天王の一人――ガンピだった。前回のポケモンリーグでレイアに敗れたのだ。
 そしてどうやら、ガンピは僕かセッカのどちらかを、因縁の相手であるレイアだと勘違いしているらしかった。戦闘前の儀式の如く、大声で名乗りを上げる。
「我こそは四天王の一人にして鋼の男、ガンピ! 我と我の自慢のポケモンたち、持てる力を惜しみなく発揮し、正々堂々相見えること、ここに誓おう!」
 そしてガンピが見据えているのは、ピカチュウを抱えたセッカだった。
 セッカがぴいと悲鳴を上げる。ぴょんと挙動不審に跳び上がった。さっきまで自分で『馬鹿やってる暇はない』とか言っていたのはどこへ行ったんだ。
「ええええええ! 俺っすか――!!?」
「『ばんがれ』、セッカ」
 僕は適当に声援を送ってやった。
「ではでは、いざ! いざ!! いざっ!!!」
 そしてセッカは四天王の一人との勝負に突入していった。


「正々堂々と一本勝負でゆくぞ! 参れ、ダイノーズ!」
「ぴゃああああお願いアギト! 助けてー!」
 急に強敵とのバトルに突入したとき、セッカが頼るのはガブリアスだ。もちろん相性を考えて繰り出しているのだろう。
「ぬう、我との再戦を睨んでガブリアスを育てておったか……。しかし臆するなダイノーズ、ラスターカノン!」
「アギト、地震! 頑丈かもしんないからドラゴンクローで追撃!」
 ガブリアスは速かった。
 ダイノーズの打ち出した光線を躱しつつ地面に力を叩き付け、市街地を揺るがす。
「ダイノーズ、大地の力で対抗せよ!」
 ガンピのダイノーズは大地の力で足下を味方につけ、ガブリアスの地震を相殺する。そして襲い掛かるガブリアスのドラゴンクローをその鋼の体でしっかと受け止めた。
「今ぞダイノーズ、ラスターカノン!」
「アギト、ストーンエッジで防いで! 炎の牙!」
 ダイノーズが光線を打ち出す。
 ガブリアスの生み出した岩石が、それを防御する。
 ガンピが叫んだ。
「すぁ――すぇ――るぅ――ぬぁぁ――っ!!」
 その激励に力を得たか、ダイノーズの光線が岩石を打ち破った。ガブリアスは跳躍し、ラスターカノンの直撃は免れる。そして音速で敵の背後をとったガブリアスが、炎を纏った牙でダイノーズにかぶりつく。
「ぐぬう、ダイノーズ、背後に大地の力!」
「アギト跳べ! 戻れ! 地震!」
 セッカが絶叫するように指示を飛ばす。ガブリアスがダイノーズから離れ、高く跳躍し、その勢いでセッカの前に戻り、地震を撃つ。
「ダイノーズ、耐えよ――っ!!」
「潰せ!!」
 ガブリアスの起こした地震に、ダイノーズが巻き込まれる。
 先ほどのドラゴンクローで、ダイノーズのその頑丈さはわずかに損なわれていたようだった。
 大地の揺れが収まったとき、ガンピのダイノーズはバランスを崩し、ぐらりと倒れた。


  [No.1446] 鉄と味 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:28:45   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



鉄と味 夜



 いきなりおっちゃんとバトルをさせられて、俺はぼへえぼへえと肩で息をした。
 それから思い切りぴゃいぴゃいと怒ってやった。
「――もう! なんなの、おっちゃん! 俺はれーやじゃないもんっ!」
「なんたること! これはいかなることだ!?」
「俺たち四つ子! 俺はセッカ! こっちはしゃくや! れーやは、いません!」
 アギトをモンスターボールにしまうのも忘れて、俺はぷぎゃぷぎゃと怒った。いきなり現れたガンピのおっちゃんは、目を回しているダイノーズをモンスターボールに戻しつつ、堂々とした足取りで俺とサクヤの前に戻ってきた。
「これは失礼した。レイア殿の片割れ殿であったか。ふむ、そうだ確か、カルネ殿から貴殿ら四つ子の話は伺っておったぞ」
「えっ」
「いやはや、申し訳ないことをした。詫びに夕食にご招待いたそう。なに、我が戦友のズミ殿の料理だ、味の保証は致すぞ」
「うひゃあ! ズミさん!?」
 大女優のカルネさんが俺らのことを覚えていたこともびっくりだけど、有名シェフのズミさんの料理が食べられることにはもっとびっくりだ。思わずピカさんやアギトと一緒に踊り出してしまった。
「しゅごい! ごはん! おいしい! ごはん! れーやときょっきょ呼んでもいいすか!?」
「ほう、我が好敵手と相見えることができるとは。うむ、遠慮せず呼ぶがよいぞ」
「だってさ、しゃくや! れーやときょっきょ呼ぼう!」
 サクヤを振り返ると、サクヤはガンピのおっちゃんに向かって丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。では片割れたちを呼ばさせていただきます」
「うむ」
 サクヤはボールから、ニャオニクスのにゃんころたを出した。にゃんころたの念力で、遠く離れたレイアやキョウキにも意思を伝えることができるのだ。俺たち四つ子の中でこうした連絡手段を持っているのはサクヤくらいだ。エーフィに進化したレイアの真珠も、育てればこういうことができるようになるのかもしれないけど。
 一方でガンピのおっちゃんは鎧のどこかからホロキャスターを取り出して、誰かと連絡を取っていた。ズミさんに俺らのことを連絡しているのかもしれない。急に客が四人増えたら大変だと思うんだけど、大丈夫だろうか。
 サクヤはにゃんころたから顔を上げた。その頃にはガンピのおっちゃんもホロキャスターを再び鎧のどこかにしまっていた。
「こちらの位置は随時、二人に連絡できます。ご案内をお願いしてもよろしいでしょうか」
「承った!」
 ガンピのおっちゃんは全身の鎧をガシャガシャと鳴らしながら歩いていった。俺はアギトをボールに戻し、ピカさんを肩に飛び乗らせると、アクエリアスを抱えてにゃんころたを引き連れたサクヤの手を取った。手を繋いでガンピのおっちゃんのあとを追う。
「ところで、おっちゃんはなんで、鎧着てるんすか?」
「うむ、我は騎士にして公爵であるからな。常に鎧姿にて戦に備えねばならぬのだ」
「いくさって、バトルっすか?」
「うむ。ポケモンバトルは現代の戦なり。万全の備えにて望むが、騎士の心がけであるぞ」
「確かに、バトルしてて急に爆発とか起きたら危ないっすもんね!」
「左様。用心は怠らぬようにな」
 つまりガンピのおっちゃんは、いつバトルで爆発しても安全なようにしているのだ。さすがだ。トキサもおっちゃんみたいに鎧を着てればよかったのに。



 俺がおっちゃんとバトルをしているうちに、日は暮れてしまっていた。辺りはすっかり暗いけれど、キナンの市街地は街灯に照らされて明るい。
 俺とサクヤはおっちゃんに連れられて、別荘地まで戻ってきた。その頃、ヒトカゲのサラマンドラを抱えたレイアと、フシギダネのふしやまを頭に乗せたキョウキと合流を果たした。
「やあセッカ、サクヤ。いやぁ、おいしい晩御飯をゲットするなんてやるじゃない」
「お。ガンピさん、どうもご無沙汰っす。リーグ以来っすね」
「ぬおおレイア殿! 先ほどは貴殿の片割れ殿を貴殿と見誤ってしまったぞ!」
「あー、そりゃ申し訳ないっす」
 それからレイアはガンピのおっちゃんと何やら楽しくおしゃべりしていた。どうやら再戦は、次のポケモンリーグでの公式戦に持ち越すことにしたようだ。やはり私闘ではなく正々堂々と、などとおっちゃんが述べている。
 この昼間、レイアとキョウキも、それぞれイーブイの進化形たちを育てていたはずだ。レイアやキョウキやサクヤの三人は何もしなくてもズミさんの美味しい料理が食べられるから、ずるいと言えばずるいんだけど、三人が幸せになれば俺はそれで幸せです。サラマンドラもふしやまもアクエリアスも、美味しい料理が食べられると聞いて機嫌がとてもよさそうだ。もちろん俺のピカさんも。


 おっちゃんに連れられてきた別荘は、俺たちが借りている別荘よりもさらに大きい別荘だった。庭に大きなプールまでついていて、強そうな水ポケモンが寛いでいるのが高い塀の隙間からちらりと見えた。ズミさんのポケモンだろう。
 俺はおっちゃんに声をかけた。
「まさか四天王って、みんなで別荘をシェアハウスしてんすか?」
「はははは、まさか。我の別荘は別にあるぞ。ここはズミ殿の別荘で、チャンピオン殿や我が同胞たる四天王、そしてジムリーダー殿たちは時折食事に招じられるのだ」
 そう言いつつおっちゃんが別荘の門扉の前まで行くと、驚いたことに門扉が勝手に開いた。俺たちはびっくりして声を上げてしまった。自動ドアだ。
 お出迎えの凄そうなおじさんが、俺たちを別荘へ案内してくれた。
 そこはもう訳の分からないくらい、立派な別荘だった。別荘ってピンキリなんだな。というか四天王ってお金持ちなんだな。――そう呟いたら、キョウキがこそこそと笑った。
「違うよ、お金持ちが四天王になる蓋然性が高いってだけさ」
「ほえ? が……がいぜんせー?」
「お金持ちは小さいころからポケモンの教育を受けてる。衣食住の心配をせず、ポケモンの育成に打ち込める。高価な道具だっていくらでも使えるし、いいボールで強いポケモンを捕まえられるし、傷薬を贅沢に使ってポケセンに行かずいくらでも連戦できる。貧乏よりお金持ちの方が強くなれるのはある意味当然さ……」
 俺は唸ってしまった。世の中不公平だ。強いトレーナーはたくさん大会に出て賞金を稼ぐ。四天王もたくさんの賞金を稼いでるはずだ。元々お金持ちなのにさらに稼ぐなんてずるい。
 トレーナーは貧しい人でもなれるけど、トレーナーでたっぷり稼げるのはお金持ちだけだ。貧しいトレーナーは貧しさから抜け出せないのだ。ずるい。ずるすぎる。


 何だかんだで俺たち四つ子とガンピのおっちゃんは、ズミさんの別荘の大きな食事室に招かれていた。そこにシェフ姿のズミさんが現れた。
 俺は初めてまともにこの四天王の一人を見たけど、どうも目つきが悪くて怖そうな人だ。俺がこっそりサクヤの陰に隠れてこそこそしていたら、ズミさんは俺たちに向かって頷くように微かに会釈した。
「お待ちしておりました。急なお招きにもかかわらず足を運んでいただき、ありがとうございます」
 笑ってズミさんに応じたのはやっぱり、サラマンドラを抱えたレイアだ。レイアだけはズミさんともポケモンリーグでバトルをした仲だから、話しやすいのだと思う。
「どうも、ズミさん。リーグ以来っすね。こっちこそ急に来てすんません」
「いえ。お久しぶりです、レイアさん。本日は料理に全身全霊を打ち込ませていただきます。片割れさんがたも、今日はごゆっくりお楽しみいただければと存じます」
「ご丁寧にどうも。はじめまして、キョウキです。この子はふしやまさんです。それから、セッカとピカさん、サクヤとアクエリアスです」
 そんな形で俺たちはズミさんと挨拶をして、なんだか豪勢なテーブルに着いた。純白のテーブルクロスが掛けられ、卓上には花々が飾られている。いきなり俺たち四つ子が押し掛けてきたのに、全く問題ないという風にご案内されてしまった。

 レストランにいるかのように、給仕された。
 ガンピのおっちゃんは席についても、鎧を着たままだった。そのくせナイフやフォークを操る手つきは滑らかだったし、一つ一つの動作が優雅だった。
 ズミさんの料理が次々と運ばれてくる。前菜。サラダ。スープ。パン。魚料理。ソルベ。肉料理。チーズ。フルーツ。デザート。コーヒー。プチフール。おしまい。言ってしまえば簡単だけど、言っておくととても大変だった。なにしろ俺たち四つ子は普段はお箸で食事をするから、ナイフとかフォークとかはうまく使えないのだ。マナーなんかもまったく知らない。ウズに聞いてもウズも知らないと思う。モチヅキさんなら知ってるだろうか。
 ただ、そもそも俺たちの服装が薄汚れた着物に袴ブーツだから、ズミさんもガンピのおっちゃんも、俺たちに上品なお食事というものは期待はしてなかったと思う。
 それでも何というか、薄汚い格好で来てごめんなさいと思った。場違いなところに来てしまったと思った。そう思い始めるとなかなか料理を楽しめなかった。とても美味しくて量もたっぷりあったのだけれど、ズミさんやガンピのおっちゃんに嫌な思いをさせてやしないかと気が気でなかった。ガンピさんの挙動をまねつつも、一口ごとにびくびくしていた。
 俺が思ったことは大体、レイアやキョウキやサクヤも思っている。三人ともどこか縮こまっていた。ただ、俺たちの愛する相棒であるサラマンドラやふしやまやピカさんやアクエリアスは、マナーなんてお構いなしに、運ばれてくる料理にがっついていた。ああ、俺もポケモンになりたい。マナーとかに煩わされない自由な生き物になりたい。レイアやキョウキやサクヤも同じことを考えているはず。
 お食事会は緊張した。
 ズミさんが料理の説明を丁寧にしてくれるのだけれど、まったく頭に入らなかった。本当に申し訳なかったと思う。
 でも料理は確かにおいしかったです。
 食事が終わって俺たち四人が手を合わせて「ごちそうさまでした」をすると、ズミさんやガンピのおっちゃんは変な顔をした。俺たちが重いスープ皿を持ち上げて口をつけてスープを啜った時や、フォークを右手にナイフを左手に持った時や、耐え切れずマイお箸を取り出した時と同じだ。
 本当に、ウズの教えてくれたことはどうしてこう、世間で通用しないんだろうな。
 ウズが炊いた白いご飯を食べたい。納豆ねりねりしたい。納豆ご飯にするの。
 たいへんいたたまれないです。



 ごうせーなでぃなーが終わった。
「お楽しみいただけたでしょうか」
 ズミさんはやっぱり目つきが悪くて怖かった。俺たちはにっこりと愛想笑いをした。
「うす」
「ええとても」
「超おいしかったです」
「見た目もとても美しかったです」
 そう俺たち四人が賛辞を投げかけると、ズミさんはやはり微かに会釈をした。
「ありがとうございます。どうも四名様は緊張なさっていたようなので、料理人たるもの、寛いで料理をお楽しみいただくべく更なる精進を重ねなければと思いを新たにいたしました」
「いや、俺らが悪いんで……」
「ズミさんやガンピさんには、ご不快な思いをさせてしまったかもしれません」
「すんません、ちょっと俺ら、マナーとか分かんなくて……」
「ご無礼をいたしました」
 口々にそう言って俺たちは悄然と頭を垂れた。
 するとズミさんは考え込んだ。
「困りましたね……我が料理人としての使命は料理を楽しんでいただくこと……しかし料理が芸術たるにはやはり、それを食すものにも一定の――何か――が要求されるのだろうか」
「一定の何かに達してなくてすんませんっした」
「申し訳ありませんでした」
「ほんとすみませんでした」
「僕らはズミさんの料理に見合う器ではありませんでした」
 俺たちは口々に謝罪して、もそもそと立ち上がった。しょんぼりして退室しようとした。
「お待ちください」
 しかしズミさんの涼やかな声が俺たちの足を止めさせる。
 ズミさんは俺たちの前までつかつかと歩み寄ってきた。そして真顔で俺たちに言い放った。
「――勉強なさい」
「はい……」
「そうします」
「出直してくるっす」
「失礼します」
 四人で項垂れると、ズミさんは頷いたみたいだった。
「――ええ。お待ちしております」
 俺たちはそそくさと退室した。


 俺たちが学んだのは、教養というものがないと、いつなんどき恥をかくか分からないということだった。俺たちはポケモントレーナーで、ポケモンという接点がある限り、うっかり大女優のカルネさんとカフェでお茶をすることもあるし、すんばらしい別荘でフルコースを頂くこともあるのだ。
 恥をかくと、もうどうしようもなく自分が情けなくなる。今まで大きな顔で出歩いていた自分が恥ずかしい。
 でも、勉強するのって面倒くさい。
 マナーなんて教科書を読んで身につくものでもないと思うし、俺たちの養親のウズはきちんと「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶と箸の正しい使い方を教えてくれた。それだけでは足りないのだろうか。何が足りないのだろう。
 俺たちが恥をかくのは、俺たちが悪いのだろうか。社会の方が変なのかもしれない。
 でも、かといって俺たちには社会を変える力なんてない。
 だったら、社会に順応するべく努力するしかないのではないか。
 なんでそんなことをしなければならないのだろう。
 俺たちはカロス人にならなければならないのだろうか。
 カロス人にならないと、消されでもするのだろうか。


  [No.1447] 鉄と味 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:30:27   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



鉄と味 朝



 サラマンドラを脇に抱えたレイアと、ふしやまを頭に乗せたキョウキと、ピカさんを肩に乗せたセッカと、アクエリアスを両腕で抱えた僕。
 四人で夜の別荘地をふらふらと歩いていた。案内係がいないから、レイアのインフェルノ――このヘルガーはとても嗅覚が鋭い――に僕ら自身のにおいを辿らせ、僕らの別荘へと戻っていった。
 案内係。
 その顔を思い出すだけで胸がむかむかする。エイジ、という名前だった。
 セッカはもう少しあの男を観察するつもりだと言った。普段がぴゃいぴゃいと喧しいばかりのセッカのどこに人間を観察する暇があるのか分からなかったが、セッカは僕ら四つ子の中で最も得体の知れない、いわば最終兵器だった。セッカに任せておけばどうにかなる。
 だから僕はあの男を無視することにした。


 しかし、案内係がいないことに気付いた赤いピアスのレイアと緑の被衣のキョウキが、こちらを振り返ってきた。
「でさ、エイジはどうしたよ? 今日はお前らの方についていってただろ?」
「いないといないで不便だよね、あの人。喧嘩でもしたの?」
 レイアとキョウキの方からあの男の話が出されたことに、僕はほとんどどうでもいいような、しかし確かな焦燥感を覚えた。――あの男はいつの間にか、レイアやキョウキの心の中に入り込んでいる。
 僕はあの男を無視することに決めたから、黙っていた。
 するとセッカが口を開いた。
「れーや。きょっきょ。俺は今から、真面目な話するね」
「どしたよ、マジでケンカしたんか?」
「ケンカっつーか。あのね、俺は隙あらばエイジを潰そうと思ってる」
 その能天気な声音に運ばれた物騒な内容に、レイアとキョウキは顔を見合わせた。どうやらセッカの様子がいつもと違うことにようやく気付いたらしい。
 僕ら四人は夜道の真ん中で立ち止まった。

 キョウキがのんびりと笑う。
「潰す、かぁ。追い出す、じゃなくて?」
「潰すよ。潰す。俺はあいつだけは信じない。あいつは悪い奴だよ。俺たちを殺すつもりだよ。ね、俺が真面目に考えた結果やっぱりそう思ったから、れーやときょっきょにも言っとく。絶対だよ、絶対あいつのこと信じちゃだめだからな?」
 そうセッカはレイアとキョウキの二人の顔を覗き込んで無表情に言い募った。
 普段が間抜け面のセッカが無表情だと、確かに怖い。二人はややたじろいだように僕の方に視線をやった。
「……どういうことだ。何でセッカはここまでキレてんだよ?」
「……もうちょっと詳しく説明してくれるかな、サクヤ?」
「僕は知らん、そいつが考えたことだ。……あの男は、嘘はつかないらしい。しかしあの男は隠し事をしている。だから、あの男の言うことを鵜呑みにして一人合点し突っ走ってはいけない」
「そういうこと。エイジは、反ポケモン派とかポケモン愛護派とかフレア団とか国家とか、いろんな話をしてくると思う。……でも、絶対にあいつの話に共感するな。共感したらあいつの思うつぼ。フレア団に始末されるから」
 セッカはそう断言した。
 レイアとキョウキは素直にこくりと頷いたが、僕は思わず首を傾げた。
「……フレア団に始末される……か」
「うん。まだ断言はできないけど、たぶんエイジはフレア団の回し者じゃねぇかな。ポケモン協会ではない。協会からはロフェッカのおっさんが来てるから」
 セッカはピカさんを両手で抱え、無表情で地面に向かってぶつぶつと呟いた。
 キョウキが口元に手を当てる。
「……いや、そもそもなんで、『エイジさんはただの反ポケモン派の人じゃない』って結論になったの?」
「そこが確信が持てないから、保留中なの」
「……そうなの」
「何にしたって、俺らはポケモントレーナーなの。反ポケモン派とは相いれません。どれだけ社会が歪んでたって、トレーナーばかりが優遇されてたって、それが何さ。俺たちは貧しい、奪われる側の人間だ。俺らが優遇されるのは当然だろ?」
 セッカはそう言い切り、無表情のまま首を傾げた。
「だからさ、レイアも、キョウキも、サクヤも。どんなに社会がおかしくたって、俺らに社会を変えられるなんて思わないで。何も変わらないから。それどころか、俺らが何もしなくても社会はよくなってるじゃん。だって、俺らはトレーナーとして生きていられる、トキサを傷つけても旅を続けていられる。――そうだろうが?」



 夜の別荘地は静かだった。
 レイアとキョウキは何やら考え込んでいた。
「……なんで、エイジは俺らを狙ってんだと、お前は思う?」
 レイアが見やったのはセッカだった。セッカはピカさんを抱えたまま唸った。
「間違ってたらメンゴ。――たぶん、榴火絡み」
「……ここで榴火か」
「エイジは榴火を守ろうとしてるんじゃないかな。わかんないけど」
「……なんでそう思ったんだよ?」
「榴火はフレア団だよ。これは間違いない」
 セッカは夜の風の中、無表情にそう告げた。
 僕ら三人は無言で先を促した。
「俺がクノエの図書館の火事の中で榴火に会った時さ、あいつ、フレア団の男に向かって『弱い奴は要らない』っつってた気がすんの。だから榴火はフレア団」
「……へえ」
「榴火はレイアを襲った。でも、レイアにはフレア団に襲われるようなことなんてないと思うんだ。考えられることといえば俺らがミアレで起こしたあの事件だけど、ほとんどどうでもいいよね。榴火はあんな性格だから、ほとんど何も考えなしにレイアを襲ったってのが俺の仮説ね」
 レイアは茶々を入れたいのを我慢しているようだった。僕だって、セッカに向かって『お前は誰だ』と言いたい。これほど頭のよさそうなことを言っているセッカは未だかつて見たことがない。
 しかし、これがセッカの本気なのかもしれない。本気を出させるほどに追い詰めた。僕やレイアやキョウキが間抜けだったのだ。
「でさ、エイジは榴火の尻拭いのためにキナンまで来て、わざわざバトルハウスで目立ってフラグ建てた上で、俺らの別荘に忍び込んだんじゃねぇかな。そんくらいの因縁がないとさ、俺らの我儘にああまで付き合えなくね? エイジのお人好しさは不自然すぎる」
「……だったらセッカ、フレア団はなんでそこまで、榴火一人の尻拭いをしてぇんだよ?」
「榴火がレイアを襲ったせいで、榴火はルシェドウまで大怪我させることになったし、ポケモン協会が榴火に目を付けるようになったから。榴火は、俺らがいる限り、フレア団としては動けないんだよ。たぶん」
「……なんかさ……そうなの? よくわかんないよ、セッカー」
「つまり、俺らがいる限り、ポケモン協会は榴火を牽制しないといけないってこと。エイジの話だと、国とポケモン協会とフレア団は助け合ってる。フレア団は、国と利害が合致したときしか、今のところは活動しない。でも今、俺らのせいで、ポケモン協会とフレア団が互いに抑制し合うはめになって、お互いに動けなくなってる」
「……それは……フレア団にとっては困ること……なのか?」
「俺ら四つ子の存在が、国とフレア団のつながりを露呈させるきっかけになってる。――それを、国もフレア団も恐れてんじゃねぇの」
 セッカの口調は淀みなかった。
 僕もレイアもキョウキも混乱していた。まさか三人ともセッカに後れを取るとは。果たして僕ら三人がセッカ以上に馬鹿なのか、あるいは単純にセッカの説明が下手くそなのか。折衷案で、両方ということにしておいてやる。
 つまり僕らは全員馬鹿だ。


 そこでレイアがわたわたと口を挟んだ。
「……あ、待て、ストップ。……ポケモン協会とフレア団が助け合ってる……っつったな?」
「そだよ。ルシェドウだって、榴火のこと味方しようとしてたっしょ」
「……いや、そういう事じゃなくって。…………ええと」
 混乱するレイアを落ち着けるように、セッカは暫く黙っていた。
 けれどレイアの混乱は解けず、レイアは何も言わなかった。それを見て取ると、セッカは一段と声を低めた。
「だからさ、レイア、キョウキ、サクヤ。……ロフェッカのおっさんも信用できない」
 レイアとキョウキはただ溜息をついた。
 セッカがぼやく。
「仕方ないよ、仕方ないけどさ。ロフェッカのおっさんもフレア団と繋がってる可能性、ある。ルシェドウもそう。……あのポケモン協会の二人が、あくまで“榴火に味方する”なら、間違いない。二人は俺らの敵」
「……怖いね」
 キョウキが肩を竦める。
 セッカはうんうんと頷いた。そして僕ら三人を見回した。
「フレア団は敵。ポケモン協会も、俺ら四つ子よりもフレア団を選ぶんなら、そのときは敵になる。だから、俺たちは絶対に、常に、善良なトレーナーでいなくちゃダメ。国やポケモン協会に、俺らを裏切る口実を与えちゃダメ。……忘れるな。――俺からは以上です」
 セッカはぺこりと一礼した。



 それから僕は、セッカの発言の補足をさせられた。
 まず、あのエイジという男から聞いた話について。
 国家もフレア団も、同じ“ポケモン利用派”だ。だから、国にとってもフレア団にとっても、“反ポケモン派”や“ポケモン愛護派”は鬱陶しくてたまらない。国家は法律を使い、フレア団はポケモンを使って、鬱陶しい連中を排除する。
 国と、ポケモン協会と、フレア団。
 三つは繋がっている。
 現在僕たち四つ子は、フレア団にとって厄介な存在になっている。それは、僕たちのせいで、ポケモン協会がフレア団の榴火を警戒することになったからだ。
 ポケモン協会とフレア団が牽制し合わなければならなくなり、フレア団は活動がしにくくなったのだ。フレア団が何を目指しているのかはわからない。
 けれど、その『活動がしにくい』という事実がそのまま、『国とフレア団の癒着』を露呈させるきっかけになっている。フレア団は犯罪組織なのだ。もしその癒着が露呈すれば、国はフレア団を取り締まらざるを得ず、フレア団はさらに活動しにくくなる。
 だからフレア団は、そのきっかけとなった僕ら四つ子を消そうとする。
 そして場合によっては、ポケモン協会もが僕ら四つ子の敵になり得る。レイアが慕っている二人の協会職員、ルシェドウとロフェッカというあの二人も、僕らの敵になり得る。
 そして、エイジに見せられた崖の下での出来事。国とポケモン協会とフレア団と、この三つを敵に回せば、僕ら四人もああなる。
 セッカが言いたいのはそういうことだ。


 そんな話を、僕らは夜の市街地でこそこそとしていた。
 辺りに人の気配はなかったが、実はこうして道中で話しているのも危険ではないかと思う。いつどこで誰に話を聞かれているかわからない。もし、本当に、フレア団やポケモン協会が僕らの敵になるならば、このようなことはすべきでないのではないだろうか。
 静かだった。
 周囲は闇だった。
 話を終えて、僕らは四人で顔を見合わせる。
 四人しかこの世にいない錯覚。
 もしかして、自分たち以外、何も信じられないのではないか。
 ポケモン協会の目は至るところに行き届いている。ポケモンセンターも、ジムも、トレーナーの訪れる街、道路、森や洞窟、すべて。すべてポケモン協会の監視下だ。もし、ポケモン協会が敵になったら。逃げ場がない。逃げようがない。
 そして別荘に帰れば、ロフェッカという協会職員がいる。あの職員も、敵なのだろうか。僕らが“ポケモン利用派”に仇なすことがないか、目を光らせているのだろうか。
 キョウキがふと微笑んだ。
「……ゴジカさんの占い通りになったね。周りが信じられない。……ポケモン協会か、とんだ伏兵だったよ」
 レイアが苦々しげな表情になる。
「……で、どうすりゃいいんだよ。エイジは追い出さずに置いとくのか? なんで? 怖くね?」
 それにはセッカが無表情で答える。
「エイジは裏の事情まで知ってて、それらをすべて俺らに教えてくれる。俺らのことをどのみち始末するつもりだから。フレア団の思いがけない弱点とか喋ってくるかも」
「……なんかセッカお前、怖えぞ……」
「我慢して。俺も恐いから。――俺としては、れーやが心配。れーやは優しいから、うっかりエイジの話に流されそう。だからさ、れーや。エイジやロフェッカのおっさんのことは、ひとまず置いておいて。俺たちだけを信じて。れーやと同じところにいるのは、きょっきょと俺としゃくやだけなんだから」
「……分かってる。お前ら以上に信じてる奴はいねぇよ」
 レイアは苦い表情ながら、素直に頷いた。本気のセッカに逆らうつもりもそれだけの知恵もないようだ。
 そこに、苦笑したキョウキが口を挟む。
「ねえねえ、ちょっと怖いんだけどさ。……今の僕らの話がエイジさんとかに聞かれてたらホラーだと思わない?」
 その言葉に、僕らは口を噤んだ。
 そろそろと周囲を見渡した。
 人の気配はない。周囲は闇。街灯に照らされた、別荘の間の道ばかり。
 ここまでの話は、すべて囁き声で交わされていた。サラマンドラやふしやまやピカさんやアクエリアスの感知できない場所から僕らの聞き取るのは難しいだろう。けれど、ポケモンの技を工夫すれば、盗み聞きなど容易そうだ。
 怖い。
 おちおち話もできない。

 僕は溜息をついた。
「……次からは、手持ちのポケモンたちにあの男を監視させて部屋のあちこちをきちんとチェックさせたうえで、布団の中にこもってこそこそと情報交換をするしかないな」
「そうだね。そうしようか。レイア、あんま不必要にびくびくしちゃだめだからね?」
 キョウキがレイアに笑いかける。レイアがサラマンドラを抱きしめる。
「俺はもうキョウキとセッカに任せるわ。……くそ、ルシェドウと榴火のことも気になるが、これじゃロフェッカのおっさんにも話しかけづれぇな」
「今のとこはポケモン協会は俺らを保護しないといけないから、そう怯える必要はねぇよ。エイジについては……納豆の洗礼で」
 そう無表情でぼやき、セッカは歩いていった。レイアとキョウキと僕もそれに随った。僕らの別荘は近い。



 翌朝、のうのうと食卓に現れたエイジに、僕らは練りに練った四人分の納豆の洗礼を浴びせた。


  [No.1448] 虹と熱 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:32:29   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



虹と熱 朝



 朝から雨が降っていた。
 別荘の居間のテレビがついている。俺とキョウキとセッカとサクヤは、それぞれサラマンドラとふしやまとピカさんとアクエリアスを抱え込むようにして居間の絨毯の上に胡坐をかき、四人でぼんやりと『なるほどニュース』を眺めている。
 ワザガミが画面の中で、ゲストや画面のこちら側にパネルを見せつつ喋っていた。
『本日は、水の波動について学んでいきましょう。そもそも水の波動はどんな技なのかといいますと、水の振動を相手に与えて攻撃する、思いのほか健康的な技なんですよね』
 ゲストが質問を投げかける。
『どのくらい振動するものなのでしょうか?』
『いいねぇ、いい質問ですよぉ……。実はね、相手を混乱させることもあるほど激しいんですね』
『なんだか日常でも使えそうな技ですよね?』
『そうですね、例えば……お父さんが大変くたびれて帰ってくる時がありますでしょ、そんなときこの技を使うと、ある意味でぐっすり寝かせることができるわけですね』
 ふしやまを抱えたキョウキが俺の隣でくすくすと笑っている。
「僕、もう、ワザガミさん大好き」
「お前好きだよな、こういうブラックユーモアっつーの?」
 ワザガミはキョウキの大のお気に入りだ。


 続いて『特性戦士 ポケンジャー』が始まる。こちらはセッカの大のお気に入りで、ピカチュウを抱えたセッカはポケンジャーのテーマソングを声を大にして歌い出し、みょこみょこと踊り出す。
『連続バンドデシネシリーズ、特性戦士ポケンジャー! 第14話――怪奇! 鱗粉男!』
「かいりき! りんぷんおとこ!!」
 ご機嫌なセッカが叫ぶ。鱗粉男が怪力使ってんだがそれはまあ。
 ポケンジャーも画面の中で叫ぶ。最初からクライマックスだ。
『出たなーっ、悪の特性怪人!』
「でた、とくせーかいじん!!」
 のしのしとポケンジャーの前に現れたのは、モルフォンのようなドクケイルのような模様の、翅のついた怪人だった。
『チキチキキ! アチキは鱗粉男でゲス! 鱗粉は相手の攻撃技の追加効果を一切受け付けないでゲス! 火の粉で火傷になったり、電気ショックで麻痺にならない、スバラシイ特性でゲス!』
『じゃあ、電磁波で』
「行っけぇーポケンジャー、でんじはぁぁー!!」
 セッカが叫んだ。それに応えるように、画面の中のポケンジャーが電磁波を放つ。鱗粉男は絶叫した。
『キイイイー! 鱗粉でも変化技の効果は受けてしまうでゲス! シビれるうううう――っ!』
「シビれるうううう――っ!!」
 セッカがぴゃいぴゃいと大喜びしている。
 ナレーションが入り、番組をまとめる。
『ポケンジャーは見事なアイデアで鱗粉男をやっつけた! 負けるな戦えポケンジャー! 変化技だよポケンジャー!』
「超かっこいい!!」
 そしてセッカはエンディングも元気良く歌い、ピカさんと一緒にぴょんこぴょんこと居間を踊りまわった。
 ロフェッカのおっさんがにやにや笑いながらホロキャスターを構えてこっち見てんだが、まさかまた俺らの動画撮ってんじゃねぇだろうな。


 お子様向けのテレビ番組が終わると、カロスの伝説特集などという番組が始まった。10番道路の列石やセキタイの謎の岩、ヒャッコクの日時計、メレシーの突然変異、異次元と繋がっているらしき宙に浮いた謎の金環。そして。
「あ、ゼルネアスとイベルタルですね……」
 そして背後から聞こえてきた男の声を、俺たちは無視した。
 エイジだ。先ほど朝食の席で四人分の納豆の洗礼を浴びて、ひいひい言いながらシャワールームに駆け込んでいった。そこから平気そうな声音で出てきたところを見るに、どうやらネバネバとニオイは消えてしまったらしい。俺ら四つ子はエイジを見ないまま同時に舌打ちした。
 長身の居候は、俺らに納豆をぶっかけられたことも忘れたように気安く俺らの傍まで寄ってきて、俺らのすぐ後ろに胡坐をかいた。微かに石鹸の匂いが漂ってくる。
「ああそうそう、生命を与えるゼルネアスは樹となり、生命を奪うイベルタルは繭となって、このカロスのどこかで眠りについているそうですね……」
 俺らは無視した。
 エイジは楽しそうに俺らに話しかけてきた。
「ねえ四つ子さん、知ってますか? なぜゼルネアスとイベルタルが眠っているか」
「……回復するためじゃねぇの」
 ぼそりとセッカが答えた。先ほどまでポケンジャーを見ていた時とはすさまじいテンションの落差だった。エイジも、発言したのがセッカではなく俺だと思ったんじゃねぇだろうか。
 そのセッカの声にエイジは機嫌よく頷いたようだった。
「ええ、確かにゼルネアスはその通りです。……ゼルネアスは活動中、自らのエネルギーを他者に分け与えてしまいますからね、眠っている間は活動のためのエネルギーを蓄えているんですよ。満たされると目覚める」
「……イベルタルは? 違えの?」
「イベルタルは逆です。眠るために、活動してるんです。……イベルタルは活動中、他者からエネルギーを奪っていますからね、眠っている間は活動中に得たエネルギーで生きていけるんですよ。餓えると目覚める」
 そうエイジはすらすらと答えた。
 キョウキがのんびりと笑った。
「ゼルネアスとイベルタルは対の存在なんですね?」
「ええ。けれど、他者と生命をやり取りして生きるという点ではとてもよく似ている。……いつか四つ子さんも二体に出会えるといいですね」
 俺たちは返事をしなかった。



 俺たちはエイジを信じないことにしている。
 セッカの考えによると、エイジは反ポケモン派のふりをしたフレア団の人間だ。
 エイジは俺たち四つ子を扇動して政府に反抗させ、俺たちを『国家の敵』に仕立て上げてポケモン協会からも孤立させて、そしてこっそり始末するつもりだとセッカは言う。
 俺たちはフレア団にとって厄介な存在らしい。
 なぜなら、俺らが色々と騒ぎ立てたせいで、フレア団の榴火がポケモン協会の監視下に入ることになったからだ。現在はフレア団とポケモン協会が牽制し合っており、どちらも思うように動けないのだ。だから、その原因となった俺たちが、邪魔なのだ。

 そこまで考えると、そこまでフレア団にとっては榴火の存在が大きいものかと疑問に思う。
 考えてみれば奇妙なことだ。榴火は俺らと同い年くらいのトレーナーで、確かにあの色違いのアブソルは強いが、情緒不安定で、組織に従うなんて難しいのではないか。
 だから疑問なのだ。なぜフレア団は、榴火一人のために、エイジを俺らの元に送り込んで俺らを反ポケモン派に扇動するなどという、回りくどい手段をとるのだろう?
 その疑問を昨晩、布団に潜った中でこそこそと呟いた。するとセッカから淡々と言葉が返ってきた。
「じゃあフレア団はどうすべきだってのさ。俺らを始末すればフレア団にとっても簡単に済むのにってか? そうはならないよ。だって俺らは今、ポケモン協会の保護対象だもん」
 同じく布団の中に潜り込んだキョウキからも、意見が漏れた。
「……フレア団は、あくまでポケモン協会とは対立したくないんだねぇ。……フレア団は、国家や協会と利害が一致したときしか、活動できないんだ。今のとこ」
 サクヤがぼそぼそと唸っていた。
「……だから、あの男は僕らを反体制派に誘導しようとしてくるはず。僕ら四つ子が『国家の敵』となった暁には、フレア団が僕らを始末しても、国家は何も文句を付けないからな」
 俺は布団の中で頭を抱えていた。
「……俺らはフレア団の敵なのか? なんでだ? 榴火に狙われたから? なんで俺ら、榴火に狙われてんの?」
「榴火の事は分かんない。……大事なのは、俺らの存在が、『国家とポケモン協会とフレア団の間の連携』を崩してるってこと。そして、それは国家やポケモン協会やフレア団にとっては困ったことなの。――俺らは、『国と犯罪組織の癒着』を露呈させるきっかけになってる」
 セッカはそう、夜道での話を繰り返した。
 暗い布団の中では、セッカの顔は分からなかった。
 国家と、ポケモン協会と、フレア団。
 フレア団の事は分からない。けれど、これら三つの組織はいずれも巨大な力を持っているのだろう。
 これら三つをすべて敵に回したら、俺ら四つ子に勝ち目はない。消される。誰にも頼れない、ポケモン協会が敵になれば、ロフェッカもルシェドウも、エイジも、ジムリーダーたちも、四天王たちも、チャンピオンも、博士だって敵になる。ポケモンセンターすら使えない。あらゆる街に、道路に、監視の目が張り巡らされている。
 そうなったらおしまいだ。どこにも逃げられない。
 セッカがぼやいていた。
「だから、キナンにいる間、ロフェッカのおっさんには絶対服従ね。国とポケモン協会を敵に回しちゃお終いだから。あと四天王の皆さんにも媚売っとこ」
 普段のあいつらしからぬ打算だった。
 キナンにいる間、俺らは下手なことはできないのだ。



 そんなわけで、いやあまり関係は無いのだが、外では朝から雨が降っていた。
 雨の中ではポケモンの特訓はできない。イーブイから進化したばかりの手持ちたちはまだ幼い。シャワーズに進化したキョウキの瑠璃には問題ないが、他の奴らが万一雨に濡れて風邪でも引いたら困る。何より、俺の相棒のサラマンドラは雨が苦手だ。今日は特訓は休みにするしかない。
 エイジを背後に、俺ら四つ子は一階の居間でテレビを見ている。居間には絨毯が敷かれ、ソファや低いテーブルが並べられ、観葉植物の植木鉢がある。ポケモンたちが走り回れる広さもある。
 居間は食事室と繋がっており、食事室では食器を洗い終えたウズが熱い紅茶を淹れている。また食卓でロフェッカのおっさんは新聞を眺めていた。
 緑の被衣のキョウキがふと食事室を振り返り、ロフェッカに声をかけた。
「ロフェッカは今日はお休み?」
「……ん? んああ? お前らは休みなわけ?」
「外が雨だから、今日は久々に特訓はお休み。でさ、ロフェッカって、ここんとこ何してんのさ?」
 キョウキはテレビの前から立ち上がり、ふしやまを抱えたままのんびりとソファに横向きに座り込んだ。片側の肘掛に両の肘をつき、リラックスした姿勢で食事室のロフェッカのおっさんを眺める。
 おっさんは新聞を睨んだまま生返事をした。
「エイジがお前さんらのお守りしてっから、楽さしてもろてますよ?」
「え、じゃあ、食っちゃ寝食っちゃ寝ってわけ? いいご身分だね。太るよ?」
「うっせぇ」
「――ロフェッカ殿は、日頃はポケモン協会のご用事で出かけておられるぞ」
 キョウキとロフェッカの会話に、俺らの養親のウズが口を挟む。ふわりと紅茶の香りが辺りに漂った。俺はぐるりと身をねじった。
「ウズ、俺も紅茶」
「取りに来やれ」
「ねえねえロフェッカ、ポケモン協会の用事って何? 楽しい? ねえ楽しいの?」
「別に楽しくはねえ」
 ウズも、またおっさんも淡白だった。俺は仕方なくサラマンドラを抱えたまま立ち上がり、キョウキとふしやまの傍を通り過ぎて台所まで行く。カップを手に取り、食事室でポットから紅茶を注いだ。
「……おっさんさ、マジであんた最近、何やってんの?」
 俺はカップに熱い紅茶を満たしながらそう何気なく尋ねた。紅茶のポットを食卓に置き、カップの紅茶をストレートで啜る。俺ら四つ子は全員、紅茶はストレート派だ。ちなみにコーヒーは苦手だ。
 おっさんはなぜか溜息をついた。新聞をめくり、のんびりと適当に答えてくる。
「ほんと下らねぇことばっかやってますよ。キナンのポケセンの視察とかね」
「バトルハウスとかは?」
「あー、バトルハウスも仕事で行ったな。そんときゃお前さんらはおらんかったが」
「バトルハウスでこの頃ごたごたがあるって、マジかよ?」
 俺が鎌をかけると、おっさんはばさりと新聞を食卓の上に置いた。何気なくおっさんの顔を見やると、相変わらずの髭面だった。おっさんは苦笑している。
「……どこで聞いた?」
「マルチでバトルシャトレーヌ四姉妹と戦ったんだが、あいつら全然本気じゃなかったっつーか、弱かった。それにTMVも止まってたしよ。ここ、何か起きてんじゃねぇの? つーか何が起きてんの?」
「お前さんらはなんも心配しなくてもいい」
 そこにキョウキが笑顔で甘えたような声を出した。
「ね、ロフェッカ。お仕事、連れてって」
 俺もにやりと笑った。
「連れてけや。社会見学社会見学」
 セッカがぴょこんと飛び跳ねた。
「俺も! 俺も行く!」
 サクヤが鼻を鳴らした。
「連れて行かないとシメるぞ」



 というわけで俺らの威嚇に屈したロフェッカのおっさんは、俺ら四つ子とエイジを連れて、雨の中バトルハウスに向かっていた。
 別荘には傘が用意してあった。エイジはウズの傘を借りて、総勢六名の傘を差した集団がぞろぞろとバトルハウスへ向かう。
 雨の別荘地は静かだ。
 商業区に近づくと、雨の中でもキナンは賑わっていた。広場では水タイプのポケモンを繰り出してバトルが行われている。
 しかし道すがら、エイジの奴がひたすら、ポケモン協会について立て板に水のごとく喋りまくっていた。
「ポケモン協会はね、総務省所管の特定独立行政法人です。……その目的は『トレーナーの育成』です。その業務はポケモンリーグの運営、ポケモンバトルの普及・振興、またそのための助成や投票、検定、研究、金融、保険、年金、学校――」
「分かんねぇよ!」
 俺は思わず怒鳴った。
 するとエイジは傘を傾け、にこりと笑った。
「そうですね。……トレーナーカードを発行しているのも、ジムリーダーを認定しているのも、ポケモンリーグを開催しているのも、ポケモンセンターを開いているのも、ショップの道具を開発して売っているのも、著名なポケモン博士にトレーナーの旅立ちの世話をさせているのも、民間のトレーナープロダクションを援助しているのも、企業にポケモンを使った技術開発を促しているのも、災害復興を手伝うのも、トレーナーによる事件の被害者に見舞金を交付するのも、与党政権を支えているのも……すべてポケモン協会です」
 サクヤが不機嫌そうに疑問を発した。
「行政法人のくせに、政権を支えているのか?」
「ええ、それがポケモン協会の面白いとこなんですよ……。ポケモン協会は微妙に行政から独立してるんですよね……」
 当のポケモン協会の職員であるロフェッカのおっさんでなく、この若い家庭教師がそういった話をしているのは滑稽だった。おっさんは黙々とバトルハウスに向かっている。
「というのも、ポケモン協会は、独自に財界と強いパイプを持ってるんです。……ポケモン協会が研究したポケモンの技術を財界に提供することで、独自の莫大な資金を得る。または、ポケモンを利用する企業に金融を行い、さらに投資を行って利益を得る。……そして多額の政治献金供与を行う――という、なんとも独立色の強い組織でして」
 そのような話をされても、俺にはあまりよくわからなかった。ちっとも具体的でない気がする。想像できず、ピンともこない。キョウキやサクヤには分かるのだろうか。もしかしたらセッカも分かっているのだろうか。
 けれど俺がそう思ったところで、セッカが水溜りを跳ね散らかしつつ、間抜けにぴゃあぴゃあ叫んだ。
「わかんないもん!」
「昨今のトレーナー政策はすべて、ポケモン協会が与党政府に働きかけているものだということです」
 エイジはそう簡単にまとめた。そしてすぐに他のことを思い出したらしく、ぽんと手を打つ。
「ああそうだ、あと、現在は一応ジムリーダーは公務員ということになっているのですが、もうほとんど公務員ではないですねぇ。……だって考えてみてくださいよ。公務員って原則、副業禁止ですよ?」
 それは守秘義務や信用の維持、民間との癒着防止――といった観点から、通常なら公務員には要求されることらしい。
 キョウキが失笑する。
「確かに。でも僕、ジムリーダーや四天王、チャンピオンって、公務員というよりかはプロのスポーツ選手みたいなイメージなんですけど」
「微妙な線引きですよね。大会に出て賞金を狙うプロのトレーナーも、またジムリーダーなんかと別にいるでしょう。民間のプロダクションに所属するトレーナーと、ジムリーダーとの区別が曖昧になってきてます。……ポケモン協会は、ほとんど自分が行政法人だと意識してないんですよ……」
 サクヤが口を挟んだ。
「法には問われないのか?」
「ああ……それは問題ないでしょう。ポケモン協会法というのがあって、まあこの法律はポケモン協会の意のままに変動します。すなわちポケモン協会は何だってやりたい放題です」
 エイジの話を聞けば聞くほど、わけがわからなくなってきた。


 ポケモン協会はよく分からない。ポケモンに関わることなら、何でもかんでもやっているようだ。
 トレーナーカードの交付、ジムリーダーの認定、リーグの開催。このくらいはまだイメージしやすい。
 ポケモン博士に研究費を交付する。その代り、新人トレーナーの世話をさせる。
 ポケモンを利用する企業を支援する。シルフやデボンといった会社に融資したり、投資したり。
 または独自に、ポケモンを利用した技術を開発する。その技術を企業に売ったりする。
 農林水産、厚生労働、金融、保険、研究、教育、芸能、各種メディア、医療、観光、気象、運輸、災害対策、治安維持、軍事、政治、外交。
 聞けば聞くほど、ポケモン協会はなんでもやっている。ポケモンに関わることはすべて。
 むしろ、二つめの政府ではないかというぐらい、何でもかんでもやっている。
 政府は、自身から生まれたこの二つめの政府に、半ば呑み込まれかけているのではないかとさえ思う。


  [No.1449] 虹と熱 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:34:12   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



虹と熱 昼



 エイジさんのポケモン協会講座が終わったころ、僕ら四つ子とロフェッカとエイジさんの計六名は、バトルハウスに着いた。
 ロフェッカがバトルハウスにお仕事なのだ。僕ら四つ子はそれを見学する。
 エイジさんはなぜかついてきた。昨日セッカとサクヤに人殺しの現場を見せたエイジさんが、平然とついてきた。ほんとこの人は僕らのストーカーなんじゃないかってぐらいどこにでもついてくる。それを僕らの養親のウズは大層都合のいい子守みたいに思っていて、エイジさんに信頼を寄せている。腹が立つ。


 広々とした玄関ホールに入り、傘を預けたかと思うと、ロフェッカは大広間には入らず、バトルハウスの人の案内を待った。僕はロフェッカに話しかけた。
「ねえねえ、何をするんだい?」
「……ん? ああ、いや、ちょっとな」
「何さ、『ちょっと』じゃわからないよ?」
「あ――もう、うぜってえガキだな! 何もない。もう終わる。ただの後始末だ」
「何の後始末なのさ」
「騒動のだよ」
 玄関ホールで待たされているのをいいことに、僕は駄々をこねた。
「ねえ何の騒動? ねえねえねえねえ」
「あーホラ、反ポケモン派だよ。ここんとこ、何かとバトルハウス閉鎖しろ閉鎖しろうるさかったんだよ。ま、それも収まったから、もう大丈夫だと思うんだが」
「どれくらいうるさかったの? なんで収まったの?」
「いや、抗議の手紙とか電話とか色々。警察沙汰になったが、TMV止めたりして、まあ何とかなったんだろ。以上。終わり」
 ロフェッカは面倒くさそうに僕を適当にあしらった。まったく、ロフェッカのくせに腹が立つ。
 それにしても、ということはやはり、ロフェッカはこのところバトルハウスのごたごたを処理していたのだ。TMVを止めたのも、ロフェッカが関わったのかもしれない。
 そしてそのごたごたは、既に収束した。
 でも、僕らは言われなくてもなんとなく分かっていた。――十中八九、セッカとサクヤが見せられたという、処刑のせいだ。おそらく反ポケモン派の偉い人を、フレア団が処分してしまったのだろう。だから、反ポケモン派による反バトルハウス活動は尻すぼみになってしまった。
 セッカとサクヤは、僕の視線に気づいても肩を竦めるばかりだ。
 セッカとサクヤはずっと落ち着いていた。凄まじいものを見てしまったのは昨日で、二人はズミさんの美味しい肉料理をどうしても食べることができなかった。だからこっそりレイアと僕が二人の代わりにお肉を食べてあげたのだ。また、夜の間じゅう、セッカとサクヤは悪夢にうなされていた。だからレイアと僕が、二人を真ん中に挟んでぬくぬく眠ったのだ。少しでも二人が安心できるように。



 本当に、腹が立つ。
 ロフェッカは、セッカとサクヤが昨日何を見せられたかを知らない。僕らは結局、誰にも話さなかった。たぶんエイジさんも、僕ら四つ子の間でしか昨日の出来事は共有されていないと思うだろう。事実、その通りだ。
 ――昨日の夜のぬくぬく布団の中でのことだ。僕らは四人で仲良く頭から掛け布団を引っ被って、布団ドームの中で大会議を開催した。
 レイアは唸った。
「やっぱエイジの奴、こっから追い出そうぜ」
 僕は別の意見を述べた。
「ていうか、僕らがもうキナンから抜け出さない?」
 するとセッカがさらに別の意見を出した。
「いや、俺はこのまま様子見続けたいな」
 さらにサクヤが別の意見を言った。
「馬鹿か。大人に助けを求めるべきだろう」
 そう、僕らは意見が真四つに分かれてしまったのだ。

 レイアが布団の中で怒鳴る。
「なんでだよ! なんで追い出さねんだお前らバッカじゃねぇの!? 人殺し見せてくるような変態だぞ!? もう嫌ださっさと追い出してぇあいつがここにいるの怖すぎる!!」
 僕はレイアに反論した。
「確かに、ロフェッカにありのままを話してエイジさんを追い出すことは可能だよ。でも、そんなことをしたって、榴火と同じ事じゃない。僕らはフレア団にさらに疎ましがられることになるんだよ。エイジさん追放は一時しのぎにしかならない、このままじゃジリ貧だ」
 セッカが口を挟んできた。
「でもさ、俺らがキナン出てったって何も変わんないよな? 確かにこのままじゃジリ貧だよ、だからこのままエイジの奴の様子見ようって。フレア団の弱点とか見つかるかもしんねぇだろ?」
 サクヤが不機嫌に鼻を鳴らす。
「お前らは馬鹿か。僕ら四人で何ができる? 必要なのは、大人の助けだろうが」
 それから、僕らは布団の中で大激論を戦わせた。

「助けを求めるって誰にさ? ロフェッカ? ロフェッカはポケモン協会の人間だよ、フレア団と繋がってるかもしれない。むしろロフェッカがエイジさんを呼び入れたのかもしれない」
「んなこた分かんねぇだろ! キョウキが言うみてぇにキナン出てくのも危険すぎる、俺らフレア団に狙われてんだぞ!? ここならポケモン協会が守ってくれんだろが!」
「れーや、そのポケモン協会が敵だっていう可能性があるんだぞ? ロフェッカのおっさんには頼れない。だからここは、ちょろくて馬鹿な四つ子を装って、エイジから話聞き出しまくって、何か解決策を考えようぜー」
「そんな悠長なことができるか。相手は大人の集団だぞ。ポケモン協会ができになる可能性があるのなら尚更、その可能性を潰すべきだ。殺人など完全な犯罪行為だろうが。その証言を持っていけば、ポケモン協会はフレア団を切らざるを得ない」
「でもさサクヤ、そんなの、僕ら四人を始末すればお終いじゃない。ポケモン協会は、フレア団と僕ら四つ子の、どっちを選ぶと思う? そんなの火を見るより明らかじゃない?」
 とにかく、僕とセッカが、ロフェッカには頼れないという点を譲らなかった。
 すると、レイアとサクヤが布団の中で顔を怒らせるのが雰囲気で分かった。
「てめぇらがどうだろうと知ったことか。俺は人殺しの連中と一緒にいるなんて耐えられねぇぞ。おっさんには言う。てめぇらが言わなくても俺が言う」
「勝手はやめて。レイア一人の問題じゃないんだよ。僕ら四人の命がかかってる、だから慎重に考えなきゃだめだって」
「慎重に考える余裕がどこにある? あのポケモン協会職員に話をするのは最善手ではないかもしれない、しかし最悪の手ではない」
「最悪かもしんないじゃん。エイジをどっかに追いやったところで、もっと頭のいいフレア団が俺らを嵌めに来る。そうなったら俺にもどうしようもないからね? そん時サクヤが守ってくれるわけ?」
「僕らにはどうしようもないと言っている。だから大人に助けを求めるべきだ!」
「だから、助けを求めるって、誰にさ。ウズなんて論外でしょ、戦えないし、四條家からもほとんど放置されてるし、ただのご隠居じゃん。他には誰? 四天王? ジムリーダー? 博士? みんなポケモン協会の人ですけど?」
「だから何で、そこまでてめぇはポケモン協会を既に敵視してんだよ! ポケモン協会は、今んとこは、表面上にしろ、俺らの味方なんだろ? その今んとこの味方をなんでわざわざ切る真似するんですかね?」
 こんな感じで、ちっとも埒が明かなかったのだ。
 ほとんど喧嘩腰になって、それからみんな揃って眠くなったから、仲良くぴったりくっついて寝た。
 レイアとサクヤは今日の朝食の席からロフェッカに話をしたがっていたけれど、食卓には何でもないような顔をしたエイジさんがいたから話を切り出しにくかったんだろう。空気を読めるようになったのは偉いけど、二人は腰抜けだ。
 ただ、エイジさんへの怒りは共通していたから、僕らは四人でねりねりした納豆をエイジさんに浴びせたわけだ。
 エイジさんは、僕ら四つ子にぴったりついてくる。ここまでくると、やっぱり見張られているような気分にしかならない。あるいはエイジさんは、僕らがロフェッカに余計なことを言わないように無言で威圧しているつもりなんだろうか。
 レイアとサクヤの気持ちも分かる。周囲の大人を信じて、助けを借りて逃げ切ろうとしている。
 でも僕やセッカは、周囲をすべて切り捨てて、自分たちだけを信じて戦い抜こうと考えている。
 どちらが正解なのだろうか。
 違いは、『ポケモン協会を信じられるか否か』、この点に尽きる。
 だからそれを見極めるという目的もあって、とはいえ半ば漫然と、僕ら四つ子はロフェッカに付きまとっているのだ。
 そしてこの状況である。



 ロフェッカはバトルハウスの人に案内されていった。
 オーナー、すなわちバトルシャトレーヌとお話をするそうだ。僕らも行きたいと駄々をこねてみたけれど、部外者との一言で一蹴されてしまった。ほんと、ロフェッカのくせに腹が立つ。
 仕方がないので、僕ら四つ子とエイジさんはバトルハウスの観戦に行った。もちろんエイジさんに全員分の入場料を支払わせた。
 バトルハウスは、このキナンで密かに繰り広げられていたごたごたも知らないで、相変わらず酒臭くて煙草臭くて、賭博が溢れていた。放蕩と放埓のにおい。
 そして今まさにバトルの行われている大階段の踊り場に視線を転じて、あれ、と思った。
「……四天王のドラセナさんじゃねぇか」
 レイアが呟く。
 ドラセナさんのクリムガンが、相手のポケモンをちぎっては投げちぎっては投げ、見事な完全勝利を披露していた。ドラセナさんは、戦うクリムガンを見つめて楽しそうだ。僕らのみている前で、さらに三人のトレーナーを打ち負かしたけれど、全然疲れた様子も見せずに微笑んでいる。とてもパワフルな人のようだ。
 ドラセナさんはクリムガンをモンスターボールに戻すと、とりあえず満足したのか挑戦を切り上げ、大階段を下りてきた。
 そして僕らに目を留めた。
「あらまあ」
 ドラセナさんは疲れた様子もなく、にこにこと僕らの方に歩み寄ってきた。
「こんにちは。いらっしゃいなのよ。四つ子さんでしょ? カルネさんから聞いたもの」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
 ドラセナさんは思いがけず僕らのことを知っていた。レイアもドラセナさんとは対戦していないはずなのに、というかカルネさんたら、なんで僕らのことを四天王にお話ししてるんだろう。仲良しなのかな。
 ドラセナさんはにこにこと僕らを見回した。
「ね、あなたたちお強いでしょ? お話は聞いているのよ。だから、ね、遊んじゃいましょ?」
 僕らは顔を見合わせた。
 しかしなぜかレイアとセッカとサクヤが三人揃って僕を見てきた。
 え。なんですか。僕ですか。
「もう嬉しい。シャトレーヌちゃんたちも忙しいみたいだし。強い相手と遊ばないと、ポケモンたち育たないもの」
 ドラセナさんはマイペースに、降りたばかりの大階段を上り出している。あの、ええと、先ほど挑戦を終えたばかりじゃないんでしょうか。
「ほら、早く!」
 ドラセナさんは階段の踊り場でこちらを見下ろし、チャーミングに微笑んでいる。まるで少女だ。そしてすさまじいマイペースだ。
 バトルハウスの人が困っている。
 とはいえ四天王には逆らえないらしく、既に次のバトルに備えかけていたトレーナー達がそそくさと二階に戻っていく。
 そして、片割れ三人の無言の視線を受けて、なぜか僕が踊り場に上がることになってしまった。ほんとに、もう。わけがわかんない。
 仕方がないので、ドラセナさんに微笑みかけた。
「こんにちは。はじめまして、キョウキと申します」
「あたしはドラセナなのよ。さ、始めましょ」
 そして休憩時間の終わりを告げるベルが鳴るのも待たずに、ドラセナさんはクリムガンを繰り出している。バトルハウスの人があわあわしている。しかし僕はバトルハウスの人よりドラセナさんの方が大事なので、おとなしく屈み込んで頭上のふしやまさんを床に下ろした。そしてモンスターボールを手に取る。
 本当はぬめこやごきゅりんも育てたいのだけれど、ドラセナさん相手に本気を出さないのは失礼だ。
「頼むよ、こけもす」
 モスグリーンの瞳が美しい、化石ポケモンが現れる。


「行って!」
 指示を飛ばす。僕のこけもすは翻り、クリムガンに向かう。そして猛毒を吐いた。
「あらら」
 ドラセナさんは笑っただけだった。クリムガンは猛毒を甘んじて受ける。
「クリムガン、ドラゴンテールなのよ」
「寄せ付けるな――岩雪崩!」
 クリムガンはその巨躯で跳躍した。凄まじい跳躍力だった。その頭上目がけて、僕のこけもすが岩石を降らせる。位置関係的にはこちらが有利だ。
「クリムガン、リベンジよ」
「こけもす、フリーフォール!」
 岩石のダメージを受けたクリムガンは奮起し、先ほどにましてすさまじい勢いをつけて飛びかかってきた。
 こけもすは高度を下げる。そして跳び上がったクリムガンとすれ違うように、その下まで下降した。
 そして跳躍のエネルギーの残るクリムガンを下から掬い上げるようにして、その足の鉤爪で捕らえ、空に攫った。
「クリムガン、ドラゴンテールよー」
 けれどクリムガンは捕らえられながら、その尾を振るう。こけもすの腹にそれがめり込む。
 こけもすは息を詰まらせ、クリムガンを放してしまう。そして滑空した。位置エネルギーを運動エネルギーへ。その勢いを利用する。
「ドラゴンクロー!」
「ドラゴンテール」
 クリムガンは落下の途中だ。空中で尾を振るってもしっかり反動は付けられない。
 こけもすが上からクリムガンを抉る。地に叩き付ける。フリーフォールはとりあえずは完遂したと言えるかもしれない。
「こけもす、岩雪崩!」
「耐えて、クリムガン」
 まさか、と思った。ドラゴンクローを食らい、猛毒もあり、岩雪崩をさらに耐えるのか。
 まさか。
 僕は鼻で笑った。
「こけもす。続けて。階段を潰す勢いで。埋めろ」
 岩をいくつも落とす。クリムガンが岩石に呑まれ、見えなくなる。そして猛毒にその体は蝕まれている。いつまで耐えられるか。
 ドラセナさんが声援を飛ばす。
「頑張って、クリムガン。リベンジよ」
「こけもす、ドラゴンクローだよ。沈めて」
 こけもすが宙を回り、勢いをつけて急降下する。岩を押しのけたばかりのクリムガンを再び抉り、弾き飛ばした。


 クリムガンはしぶとかったけれど、空中を自在に動くこけもすには敵わなかった。
 ゆっくりとシャンデリアを迂回し、こけもすが僕の傍まで戻ってくる。着地して喉を鳴らすこけもすの顎を撫で、労ってボールに戻した。係員にそのボールを預ければ、数瞬でこけもすの体力を回復してもらえた。
 ドラセナさんもクリムガンをボールに戻しつつ、にこにこと笑って僕の傍まで歩み寄ってくる。
「もう終わっちゃって……。ごめんね、よければまた遊びましょ。あなたとポケモン、チャーミングすぎるもの」
「ありがとうございました。こけもすにも僕にもいい経験になりました」
 バトルハウスに拍手が満ちる。一対一の、しかも記録にも残らない勝負だったけれど、四天王のポケモンを破ったのだ。とりあえず称えられてしかるべきだろう。
 僕がふしやまさんを再び頭の上に乗せてドラセナさんと一緒に大階段を下りると、ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴょこぴょこと飛び跳ねた。
「きょっきょ! しゅごい! 強い!」
「ありがと、セッカ」
 とりあえずお礼は言ったものの、僕はまだよくわかっていなかった。なんで僕、ドラセナさんといきなりバトルする羽目になったんだっけか。


  [No.1450] 虹と熱 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:35:40   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



虹と熱 夕



 それから俺らは、なぜかバトルハウスを出て、昨日の夜来たばかりのズミさんの別荘にお邪魔していた。
 ロフェッカのおっさんは知らん。それどころじゃなかった。
 キョウキと一戦交えたドラセナさんは、俺ら四つ子を引っ張るようにしてずんずんと別荘地を行き、そしてズミさんの別荘に俺らを連れてきた。そして例の如く門扉が自動で開き、執事めいた人がドラセナさんと俺ら四つ子と、そしてちゃっかりついてきていたエイジの野郎を案内する。
 昨晩と同じ食堂に連れてこられた。確かに昼時ではあるが。
 なぜか昨日と同じく、ガンピさんがいた。
 ドラセナさんが何の連絡もなく俺ら四つ子――とおまけ一名――を連れてきたにもかかわらず、食堂には俺らの分の席も用意されていた。
 そしてズミさんが現れるまで、俺らはきょどきょどしていた。大変だ。マイお箸を持ってきてねぇ。


 ズミさんが厨房から現れたので、俺らは慌ててそれぞれの相棒を抱え直した。
「……ど、ども」
「はい。こんにちは。昨晩ぶりですね」
 ズミさんは相変わらず目つきが悪かった。俺がカロスリーグで勝てなかった目だ。
「本日もまた急なお招きにもかかわらず、足をお運びいただいて光栄です、四つ子さん。本日の昼食はジョウト料理で揃えさせていただきました。お口に合えば幸いです」
 そして俺らとドラセナさんは食卓に着かされてしまった。ちゃっかりエイジも席についている。お前の席ねーからと言いたかったが、仕方ない。納豆の洗礼を浴びせてやりてぇが、仕方ない。ズミさんとガンピさんとドラセナさんに免じてこの場は見逃してやる。
 ドラセナさんがにこにこと笑っている。
「あたし、ジョウトのお料理って初めてなの。お寿司かしら?」
 ガンピさんも興味深く頷いている。相変わらず鎧姿だった。
「我もであるぞ。あと、手を合わせて『いただきます』と『ごちそうさま』であったな。お箸を使うのだろう? あれはどうやっているのだ?」
 純白のテーブルクロスの上には、箸置きと箸が並べられた。湯呑や、ジョウトの焼き物の器も置かれる。醤油まで用意される。
 これはどういうことかと、片割れたちと目くばせをした。
 緑の被衣のキョウキがふわりと笑って首を傾げ、セッカも首をひねり、青い領巾のサクヤはわずかに肩を竦めた。それだけで通じ合った。――ズミさんは昨日のお詫びにと、俺らにとって馴染みのある昼食を用意してくれたのではないだろうか?
 凄まじく都合のいい考えだが、どうもそうとしか思えない。
 昨日の夕食は、ズミさんの作ったカロス料理だった。しかし俺らがテーブルマナーを知らないばかりに、同席するガンピさんや料理人のズミさんにまで妙な思いをさせてしまった。にもかかわらず、この心遣い、気配り。
 負けた。
 さすが俺をカロスリーグで打ち破った男だ。ズミ、侮れない奴だ。
 テーブルの向こうでは、セッカがガンピさんとドラセナさんにばんがって箸の使い方を教えていた。
「こう! 一本目はペンを持つようにして、二本目は親指の付け根と薬指で支えて――ああもう、こう! 普通にここにこう、ぷすーて差すの!」
 そしてガンピさんとドラセナさんに箸を持たせている。
「んで、下の一本は固定して、上の一本を、ペンを動かす要領で動かす! はい、いちにっ、いちにっ」
「ぬ、ぬうう、おお?」
「あらまあ、難しいわねえ」
 テーブルの隅にはもう一人箸を使えない長身の男がいるのだが、そいつには誰も、箸の使い方を教えようともしなかった。


 そしてランチに供されたのは、炊き込みご飯に澄まし汁、肉や魚の照り焼き、豆腐ステーキ、野菜や根菜の天麩羅。
 なんというか、さすがズミさんだと思った。完全にジョウトの、ウズの味だった。醤油の味がした。しかしあえて言うならば、醤油味の料理が多いということだ。味噌味の物とか酢の物とかをつけるといいんだぞ。
 ガンピさんやドラセナさんの方を見ていると、やはり箸の使い方には悪戦苦闘して、早々にナイフとフォークとスプーンに切り替えていた。不思議そうな顔をして醤油味の料理を口に運んでいる。
 ズミさんが無表情に、俺らの傍にやってきた。
「――いかがでしょうか」
「すげぇ美味いっす!」
「とても美味しいです。彩りも綺麗で」
「ほんと、ウズより料理上手かも!」
「お出汁の味が素晴らしい」
 そう口々に俺らは心から称賛した。
 ガンピさんやドラセナさんもそっと口元を拭い、頷いた。
「うむ、さすがはズミ殿。ジョウトのお味もなかなかである」
「不思議なお料理ねえ。おもしろいのねえ」
 それがその二人にとってどの程度の褒め言葉なのか俺らにはよくわからなかったが、ズミさんは澄まして頷いた。
「それはよかった。では食後はこのズミもご相伴にあずかりましょう」


 食べ慣れた料理、そして俺らとは逆に目を白黒させているガンピさんやドラセナさんとの話も弾み、昼食は長引いた。
 料理の話、ポケモンの話。昼飯に何時間もかけるなんて初めてだ。午後を大幅に回っている。
 そして食後のデザートには、生クリームの乗った抹茶のロールケーキと紅茶が出された。
 さすがとしか言いようがなかった。まさかズミさんて、パティシエでもあるのか。
 さすがにロールケーキは小さなフォーク一本で口に運ぶ。とろけるおいしさにセッカが耐え切れずみょこみょこと動いた。
「うんま――!」
「セッカ、セッカセッカ。お行儀悪いよ」
 キョウキが窘める。すると席に着いたズミさんがごく僅かに目元を緩めた。
「食事も終われば味の記憶は薄れゆく。そこに全身全霊を打ち込むことこそ芸術なのです。であれば、料理を口にするその一瞬の時を楽しんでいただくことこそ、料理人の生き甲斐」
「ほらきょっきょ、ズミさんは気にしてないって! うんめえ――!」
 セッカは幸せそうにロールケーキをほおばっている。見ればドラセナさんなども割と食べ方が奔放だ、ロールケーキのクリームの部分をわざと残して最後にまとめて食べている。
 そうだ、料理は食べたいように食べればいいのだ。美味しければいいし、楽しむことが料理人のためになる。のではないでしょうか。いや、やっぱ最低限のテーブルマナーってもんはいるかなぁなんてちょっとは思いますけど。
 それぞれケーキを食べ終え、紅茶を飲んで一息つく。
 そこでズミさんが話を切り出した。


「ところで四つ子さん。近頃バトルハウスが騒がしいこと、ご存知でしょうか」
 俺とキョウキとセッカとサクヤは、同時に紅茶のカップを下ろして顔を上げた。エイジもテーブルの隅で顔を上げた。
 ガンピさんが腕を組んで唸る。
「またこのごろ、このキナンでもフレア団と名乗る怪しき輩が目撃されておる。近年目立つようになったな」
 ドラセナさんもにこにこと口を開いた。
「最近どうも、騒がしいのよねえ。お若い方がね、ポケモンは自然で遊ばせるべきだとか言うのよ?」
 三者三様に別々のことを喋っていた。
 ズミさんの言うバトルハウスは反ポケモン派の仕業だろうし、ガンピさんが言っているのはフレア団の話だし、ドラセナさんが言っているのはおそらくポケモン愛護団体のことだ。
 しかしいかんせん別々のことを話されているので、俺らとしても誰にどのように返事をしたものかわからない。四天王って仲が良いように見えて、全員割と自由奔放なんだな。
 ズミさんも自身でそれを感じ取ったのか、小さく嘆息した。
「いかような団体にせよ、私に感じられるのは、若者の行き場のない不安感というか、余裕のなさですね。実に品のない、痴れ者が巷に溢れている」
「し、痴れ者っすか……」
「四つ子さん。貴方がたの箸づかいからも伝わる。たとえようのない不安が」
 箸づかいからっすか。
 ズミさんは食事の終わったテーブルに肘をつき、俺ら四人をじろりと見やった。
「四つ子さん。貴方がたにとって料理とは、ポケモンバトルとは何ですか。ただ胃袋にモノを詰め込む、それだけの作業ですか。――そうではない」
 ズミさんにとっては、料理はポケモンバトルと同じようなものらしい。ジムリーダーがポケモンバトルから挑戦者の生き様を読み取るように、ズミさんは食事を通じて食べる者の心を読むようだ。
「勝敗の記憶すら薄れゆく、その勝負に全身全霊を打ち込む。それはこちらの四天王ガンピや四天王ドラセナにしても同じです。食うためだけのバトルなど、何の価値もない」
「よくわからないです、ズミさん」
 キョウキがフォークを置き、笑顔のまま首を傾げる。緑の被衣が揺れる。
「僕ら四つ子が旅を始めたのは、生きるためです。それ以上の目的なんてありません。僕らはいやいや旅してるんですよ。ですから、生き甲斐を見つけるとしたら、バトル以外に見つけたいです」
「それは拙い言い訳に過ぎない!」
 ズミさんに一喝され、キョウキが小さく肩を竦めた。
 ガンピさんが口を挟んだ。
「ズミ殿よ、口を挟むこと許してくれ。四つ子よ、人生は戦であるぞ。しかし大義なき戦ほど、不毛で虚しきものはあるまい」
 ドラセナさんも悪戯っぽく笑った。
「ね、バトル以外に好きなこと見つけるのも、素敵なのよ。でもね、ポケモンたちと一緒に遊ぶの、楽しいもの。あなたたちも自分の遊び方を見つければいいと思うのよ」
 四天王の話は難しかった。
 迷いの森でエイセツのジムリーダーのウルップさんは、バトル以外の生き甲斐を探してみろと言った。
 しかし四天王の三人は、ポケモンバトルにも生き甲斐を見出せと、そう俺らに求めている。
「――そんな余裕、ねえっすよ」
 ぼそりと呟いたのはセッカだった。
 無表情に、ズミさんとガンピさんとドラセナさんを見つめていた。
「あんたらはお金持ちだから、そんなこと言えるんだ。無責任だ。ひどい。ひどすぎる。そんなに言うなら、守ってくださいよ。毎日こんなおいしいもの食べて。広い別荘に住んで。ずるい。ずるすぎる」
 セッカは無表情で呪った。
「格差だ。ずるい。おかしい。……あんたらがそんなだから、俺らみたいな、不満を持った、憎悪に溢れた、不安に満ちた奴が増えるんだ……。フレア団とかいうテロ組織が、街を襲い、人を襲い、さらに人々を不安に貶めて。……今のカロスで起きてることって、それだろ?」
 セッカは顔を歪めて笑った。
「俺には、フレア団の気持ちが分かるよ?」



 セッカはなかなかの爆弾発言を残していった。
 俺らはズミさんの別荘を後にして、のろのろと別荘地を歩いている。
 食事会はとても楽しかった。セッカが最後に落とした爆弾も差し引きでプラスになるほど、収穫の多い昼食の席だったと思う。
 ズミさんはいい人だった。ガンピさんもいい人だった。ドラセナさんもいい人だった。四天王の三人はジムリーダーたちと違ってそこまで面倒見はよくないけれど、ポケモンバトルというものに対する真摯な姿勢はやはり並みのトレーナーのそれではない。ポケモンに対する接し方、考え方などには学ぶところが多かった。
 話を楽しみ過ぎたのか、時はもう夕方に近い。
 雨は上がり、虹が出ていた。けれどセッカはそれには気づいていないようだった。
 セッカはなぜか頬を膨らませていた。マジでこいつのテンションの浮き沈みは読めん。
「なんかさ、幻滅しちゃったなー。四天王って自己中なんだな。っていうか、あと一人もあんなんなんかな?」
「ま、似たようなもんですね……」
 例の如く俺らの後ろについてきていたエイジが、すり寄るような声音で割り込んでくる。俺らは誰も振り返らない。けれどエイジは勝手にしゃべり出す。
「残る四天王の一人パキラさんは、他の四天王やチャンピオンとはあまり休暇を共になさらないようですね。まあホロキャスターのニュースキャスターとして忙しくされていることもあるのでしょうが……」
 俺らは無言でエイジを追い立てるようにして、俺らの別荘への道を辿らせた。


  [No.1451] 虹と熱 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:36:58   31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



虹と熱 夜



 僕ら四つ子はズミさんの別荘でお昼ご飯を食べた後、別荘に帰ってきて昼寝をした。
 ロフェッカはバトルハウスから帰ってこないし、四天王のうちの三名様とお食事もして何となく精神的に疲れたし、あとはもう今日はこれ以上エイジさんに付きまとわれたくないというのもある。
 僕が昼寝から醒めた時、日はすっかり暮れていた。ちらりの傍らを見ると、僕の片割れが三人、暖かいベッドの上で思い思いに転がっている。僕の大切な片割れたち。
 どうすれば守れるんだろう。
 フレア団に狙われているというのが、ただの自意識過剰、ただの被害妄想ならいいのに。
 ポケモン協会まで敵に回ってしまうかもなどと、考えずに済めばいいのに。


 僕は喉が渇いていたので、水を求めるべく、そろりと寝台から降りた。レイアとセッカとサクヤは起きているのか寝ているのか分からない。サラマンドラとふしやまさんとピカさんとアクエリアスは、その枕元で丸くなってのんびりと眠っている。
 ゆっくりと、足音を忍ばせて、階段を下りる。
 居間は無人で、どうやらウズは買い出しにでも出かけているようだった。ロフェッカもいない。
 エイジさんは、いる。

 エイジさんは食事室のテーブルについて座り、ホロキャスターを点けていた。何やらホログラムメールを見ている。立体映像はなかったけれど、何かしらの音声データをごく微小な音量で聞いているようだった。
「エイジさん」
 階段の上から声をかけてみると、エイジさんは素早くメールを閉じた。ホロキャスターを握りしめ、笑顔で僕を振り返る。僕も階段の上で立ち止まったまま、笑顔になって爽やかに声をかけた。
「どなたからですか?」
「いやあ、友達と……」
「お友達なのに、立体映像なしでお話するんですね?」
「いやぁあいつ、カメラとかそういうの、一切嫌いなんですよ……。だからホロキャスターで話をしてても、映像なしのただの電話になってしまって……」
「ねえエイジさん。あんな小さな音にしなくていいんですよ?」
 僕は緑の被衣をなびかせ、一歩ずつ、ゆっくりと階段を下りる。食事室に入り、そして笑顔で立ったまま、椅子に座るエイジさんを見つめて、片手をついと伸ばした。
「ねえエイジさん。僕ね、ホロキャスター、興味あるんです。見せてもらえますか?」
「えー……、いやあ駄目ですよやっぱり、プライバシーが詰まってますから……」
「ロックというものを掛けられるんでしょう? ねえ、ちょっと触るだけですから」
「……壊さないと約束するなら」
「分かりました。壊しません」
 エイジさんはどこか慎重に、テーブルの上に置いていたホロキャスターを、僕に手渡した。僕は笑顔でそれを受け取った。
「ありがとうございます」
 エイジさんのホロキャスターはストラップ型の赤いものだった。ホロキャスターには他にも様々な色があり、腕時計型のものや、首からさげるタイプもある。
 手にとって、色々な角度からしげしげとエイジさんのホロキャスターを見つめる。
 そのとき、とてとてと、階段の上から僕の相棒のふしやまさんが下りてきた。
「だぁーね?」
「ああ、おはよう、ふしやまさん」
「おはようございます、ふしやまさん……」
 僕はエイジさんのホロキャスターを手に持ったまま、笑顔でふしやまさんを振り返った。
 そして笑みを深め、ふしやまさんに気を取られた風を装って手指の力を抜き、ホロキャスターを指先から零した。
 その刹那、ふしやまさんのソーラービームがそれを撃ち抜いた。
 その光は居間の窓ガラスを突き抜けてゆき、庭木に微かな焼け焦げを残しただけだった。


 さて、エイジさんには何が起きたか分からなかったのではなかろうか。
 居間に一瞬、閃光が満ちただけなのだから。
「きゃあ」
「わっ!」
 そして僕はその光に驚いてホロキャスターを取り落としたように装う。
「あ、わ、わ、落としちゃいました。え、今の雷ですかね?」
「そ、そうですかね……」
「エイジさん、すみません、落としちゃいました。絨毯の上だったので、大丈夫だと思いますけど」
 そう何事もなかったかのようにホロキャスターをエイジさんに返す。エイジさんはそれを慌てて手に取った、ように見えた。そして素早くホロキャスターを覗き込み、何やらボタンを押して操作を試みている。
 エイジさんは、何度もホロキャスターの同じボタンを押している。
 僕は固い声音を作った。
「……え。大丈夫ですか」
「…………動かない……動きませんね……」
「え、嘘でしょ。絨毯の上に落としただけで壊れるほど、脆いんですか、ホロキャスターって……」
「……いや、そんなはずは……旅のトレーナーの必需品ですよ……まさかさっきの落雷が……――?」
 エイジさんは深刻そうな表情でホロキャスターを覗き込んでいる。さて、これが演技だったらそれこそホラーなわけだけど。
 僕は足元に寄ってきたふしやまさんをそっと抱え上げ、ふしやまさんをそっと撫でつつ肩を竦めた。
「……直りますか、エイジさん」
「……どうにも……画面が真っ暗で」
 エイジさんはしきりにホロキャスターを指先で弄っている。
 僕はそろそろ手持ち無沙汰になったので、ふしやまさんを抱えたまま居間のソファに腰を下ろした。立ったままのエイジさんを見上げる。
「ねえねえエイジさん。ホロキャスターって、トレーナーはみんな持ってますよね。そんなに便利なものなんですか?」
 エイジさんは半ば心ここにあらずといった風に、それでも僕の質問に答えてくれた。
「便利ですよ、そりゃ……緊急時の避難情報とか連絡とか、いざという時に役立ちますし。ネット接続で調べ物だってできますし、電話もメールもSNSもニュースもこれ一機で……」
「高いんですか?」
「まあそうですね……ポケギアやポケナビ、ポケッチ、ライブキャスターなんかがありますけど、ホロキャスターほど高機能高性能なものはなくって……ああ、値段ですか……ホログラム映像を使用した小型通信機は現在フラダリラボが市場を独占しておりますので、まあ市場原理的には高価ですよね……」
 エイジさんはぶつぶつと呟いている。その指を必死に動かしている。
「でもまあ通信事業は、周波数帯の関係で政府の規制もありますし、あとインフラということもあるので、通信費なんかはちゃんと国が高くなりすぎないように管理していて……」
「ねえねえエイジさん。僕がお尋ねしているのは、一機あたりのお値段なんですけど?」
「え……いくらだったかな……」
 エイジさんはそう問われても、およその数字すら、すぐには出せなかった。あれほど、国家やポケモン協会や反ポケモン派の事には詳しかったのに、だ。
 僕はたたみかけた。
「そんな高価な機械の値段を、覚えてないんですか? エイジさん貴方、失礼ですが、けして裕福な家庭ではないですよね? お父様が失踪なさって、エイジさん自身もトレーナーにならざるを得なくて、なのに高価な出費を覚えてないんですか? というか、よくもまあホロキャスターを購入できましたよね? 本当に値段、覚えてないんですか?」
 するとエイジさんは顔を上げた。その頬に微かに朱が差している。羞恥か、怒りか、焦燥か。まあなんでもいいけど。エイジさんが動揺しているのは確かだ。
 少しは可愛げがあるじゃないか。
 エイジさんはぼそぼそと呟いた。
「……あの、これは頂き物でして……」
「へえ、羨ましい。どなたに頂いたんです?」
「フラダリラボの、代表の方、です……」
「あ、フラダリさんですか。へえ。なるほどね。……ふうん」
 繋がってしまった。
 セッカの、エイジさんがフレア団の者だという仮説が正しいなら。
 フラダリラボは、フレア団と確実につながりがある。というか、これってつまり、トップからずぶずぶってことじゃないか。
 フラダリラボは、カロス地方のポケモン協会が支持する企業のナンバーワンだ。ポケモン協会はフラダリラボに多額の融資や投資を行っているし、フラダリラボはポケモン協会に多額の資金供与を行い、政治への足掛かりをつけている。
 ああ、ずぶずぶだ。
 ぐちゃぐちゃだ。
 ぽわぐちょだよ、もう。
 ポケモン協会は、フレア団に逆らえない。
 フレア団に逆らえば、フラダリラボがポケモン協会から造反する。そうなれば、ポケモン協会には大打撃だ。そして、そのポケモン協会から支援されている現政権も危うくなる。
 政権よりも、ポケモン協会の方が強い。
 そしてポケモン協会よりも、フレア団の方が強い。
 さて、このカロス地方でフレア団の敵になって、勝ち目はあるのか?



 僕はふしやまさんを抱えてソファに座り込んだまま、ついつい瞑目した。エイジさんは故障したホロキャスターにかかりっきりだ。おそらく大事な物なのだろう、十中八九フレア団との関係において。
 そこにウズが買い出しから帰ってきた。
 おいしい晩御飯を食べよう。
 そして寝よう。
 バトルハウスに再挑戦しよう。戦って、強くなろう。
 強く。
 強くなればいい。
 僕はそのような単純な解答に行きついた。そこに至って、妙に胸がどきどきする。ますます喉が渇く。暑い。ふしやまさんを抱え直し、その腹に顔を埋め熱を逃がす。ふしやまさんはおとなしくしてくれていた。大好きだ、僕の相棒。
 恐ろしい敵と、それに対抗するための唯一の策。それは、ポケモントレーナーとして強くなること。
 もうポケモン協会には頼れない。自分しか。自分のポケモンたちしか。自分の片割れたちしか。
 もう、信じられない。


  [No.1452] おはよう 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/10(Thu) 20:50:02   32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



おはよう



 ぼくは、サラマンドラです。
 むかし博士のところにいた時は、ぼくはただのヒトカゲでした。博士のとこには他にも何匹かヒトカゲいました。
 でも、ぼくはご主人様に出会えたので、もうサラマンドラです。
 ご主人様は、ちょっと変わった服装の、黒髪に灰色の瞳のひとです。でもそっくりな人が他に三人いるので、慣れないとちょっと困ります。
 ぼくのご主人様はレイアという名前です。お耳に赤いピアスをつけていて、前髪はいつも鼻にかかっていて、ちょっと目つきは悪くて、歩き方は大股でちょっぴり猫背で、鋭い大声を出して、でも普段はとっても優しい、ぼくの相棒です。それがレイアです。


 レイアと出会う前は、ぼくはサラマンドラじゃなくて、ふしやまもふしやまじゃなくて、ピカさんもピカさんじゃなくて、アクエリアスもアクエリアスじゃなかったです。
 博士の研究所には、ぼく以外にヒトカゲは何匹かいましたし、ふしやまじゃなかった頃のふしやま以外にもフシギダネは何匹かいましたし、ピカさんじゃなかった頃のピカさん以外にもピカチュウは何匹かいましたし、アクエリアスじゃなかった頃のアクエリアス以外にもゼニガメは何匹かいました。
 でも、ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスは、ずっと一緒でした。それぞれの仲間より、四匹で一緒にいる方が楽しかったのです。四匹で探検隊を結成して、博士の研究所を探検して、こっそり外の街にも探検しに行って、博士の助手の人に何度も連れ戻されました。とても楽しかったです。
 あの頃の楽しかったことを思い出していると、どうにも、ぼくは昔からサラマンドラで、ふしやまは最初からふしやまで、ピカさんはずっとピカさんで、アクエリアスはいつもアクエリアスだったような気がします。
 だから、ぼくたち四匹は、ご主人様に名前を貰って初めて、命を始めたのだと思います。


 もう少し、思い出していきます。
 博士は、新人トレーナー用のポケモンのお世話をしていて、そういうポケモンは新しく旅をするトレーナーに貰われていきます。
 ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスも、そうでした。
 僕ら四匹も新人トレーナーのために育てられてました。
 ほんとはぼくらと違う、ハリマロンとかフォッコとかケロマツの三匹が手渡されることが多いです。なぜかというと、ハリマロンとフォッコとケロマツというのはこのカロス地方だけで生息する、いわばカロスの文化を代表するポケモンとされているからです。なので、カロスのトレーナーを育てるために、このカロスに愛着を持ってもらえるようにと、新人トレーナーにはカロスのポケモンを渡すんです。
 で、ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは、カロスのポケモンではないみたいです。
 なのになぜ博士がぼくらを育てていたかというと、やっぱり新人トレーナーのためです。新人トレーナーが最初に渡されたポケモンだけでは、どうしてもポケモンのタイプが偏ってしまって、バトルで不利になるのです。なので、補助的に、もう一匹別のポケモンを与えることがあるみたいです。
 博士の研究所にいた頃は、ポケモンのタイプとか相性とか全くわからなかったので、ぼくらがなぜここにいるのか、これからどうなるかなんて全く考えてなかったです。
 ただ、ある日博士がにこにこ笑って、ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスを集めて、ぼくら四匹のご主人様が決まったと言ってきたので、そうかと思っただけです。
 これからは、自由に探検できます。
 でも、ふしやまやピカさんやアクエリアスと離れ離れになるのはさみしいなあと思って、ちょっと泣きました。
 ふしやまはよく分かんなかったですけど、ピカさんは「変なトレーナーに貰われてくぐれぇならミクダリハン突きつけて出てってやるわ」とか息巻いてましたし、アクエリアスは毎日癇癪を起こして泣き喚いて、とてもたいへんでした。


 で、ぼくら四匹が引き合わされたのは、そっくりな四人の人間の子供でした。
 みんな腰まで黒髪を伸ばしていて、曇り空みたいな灰色の瞳で、そして裾とか袖のたっぷりした変わった服を着ていました。お香みたいな、甘い不思議なにおいも漂ってきました。
 赤い着物の人、緑の着物の人、黄の着物の人、青の着物の人。
 四人は仲良さそうに手を繋いでましたけど、なんだか不機嫌そうに俯いてました。でも、ぼくとふしやまさんとピカさんとアクエリアスを見たとたん、四人はぱあっと顔を輝かせて飛びかかってきました。
 びっくりしました。
 赤い着物のレイアは、迷うことなくぼくを拾い上げました。
 ふしやまは緑の着物の、キョウキという人におとなしく抱き上げられました。
 ピカさんは、黄の着物のセッカという人に思いきり頬ずりされて、ぽかんとしてました。
 アクエリアスは、青の着物のサクヤという人に拾い上げられ、ただただその人と見つめ合ってました。


 そのそっくりな四人は、きょうだいなのです。一つのタマゴから孵ったきょうだいなんだそうです。だからそっくりなんですって。
 そういうわけなので、別々に貰われていったぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスも、これっきり会えないのではなくて、ときどき会えるみたいだということが分かりました。
 なのでちょっとさみしかったですけど、ぼくは赤い着物のレイアと一緒に旅を始めました。
 ぼくが小さくて足が遅いので、レイアはぼくを脇に抱えて歩きます。寒いときはぼくを抱きしめてくれます。寝るときも一緒です。ぼくの尻尾の炎で木の実やパンを炙って一緒に食べることもあります。ぼくとレイアはいつも一緒です。
 レイアは色々なことを教えてくれました。色々なポケモン、そのタイプ、相性、技のタイプ。他にもきのみなんかの道具の使い方も教えてくれました。レイアはとても物知りで賢いです。レイアの言う通りに戦えば、大体バトルで勝てました。
 レイアはモンスターボールで仲間を増やして、何だかんだで今はぼく以外に、ヘルガーのインフェルノ、ガメノデスのなのです、マグマッグのマグカップ、そして新入りさんのエーフィの真珠と、ニンフィアの珊瑚。全員で六匹体勢でレイアを守ってます。
 ぼくはレイアの手持ちのリーダーです。
 何しろ一番レイアのことを知ってますし、バトルもたくさんやってますし、何より強いです。ぼくはインフェルノにも、なのですにも、マグカップにも、真珠にも、珊瑚にも負けたことはありません。
 ヘルガーのインフェルノはおとなしい性格で、なかなか物わかりのいい奴です。
 ガメノデスのなのですは頑張り屋さんの女の子で、レイアのためにものすごく頑張るいい奴です。
 マグマッグのマグカップは呑気で、何を考えてるかよくわからない食えない奴です。
 エーフィの真珠は割と冷静で、でもまだまだ甘いです。
 ニンフィアの珊瑚は無邪気な子で、でも双子の兄と同じでまだまだ甘ったれです。



 ぼくたちは今、キナンシティに来ています。
 ふしやま、ピカさん、アクエリアスも一緒です。それぞれの相棒も一緒です。
 みんなで広いお家に住んで、真珠や珊瑚や瑠璃や琥珀や瑪瑙や翡翠や螺鈿や玻璃を毎日鍛えています。
 そしてレイアは、バトルハウスに挑戦しました。
 前はマルチバトルをキョウキと組んでやっていたのですが、今はローテーションバトルにお熱みたいです。
 ローテーションバトルでは、三体のポケモンをバトルの場に出し、あと一体を控えにできます。四対四のバトルなんです。
 前衛として技を繰り出せるのは一体だけ、場に出ている残りの二体は後衛なので行動はできません。シングルバトルとあまり変わりないですね。
 シングルとの違いは、実際に戦う前衛のポケモンの交代に手間がかからないことと、どのポケモンが前衛に出るかの読み合いが高度になることです。


 ぼくはレイアに抱えられたまま、ニンフィアの珊瑚の戦いぶりを見ています。
 ムーンフォースが決まりました。相手のサザンドラが倒れます。
 なかなかいい戦いでした。ここ数日で随分と力をつけたようですね。ぼくもうかうかしていられません。
 ぼくはマネージャーみたいに、ずっとレイアに寄り添っていました。
 ここのところ、レイアは様子が変です。レイアだけじゃない。そっくりさんのキョウキも、セッカも、サクヤも、どこか余裕がないみたいなんです。
 今日の夜明け前も、そのことでふしやまとピカさんとアクエリアスと相談をしていました。
「ねえ。なんだか最近のご主人様たち、切羽詰まってる感じしない?」
 ぼくがそう尋ねると、ふしやまが穏やかに答えてくれます。
「確かに。おそらく、ピカさんとセッカさん、そしてアクエリアスとサクヤさんが見たモノが影響しているのでしょうが」
 ピカさんが息巻いています。
「ほんと胡散臭えぜ、あの背高のっぽ……。ポケモンに人殺し命じるなんざ、正気の沙汰じゃあないってもんだ」
 アクエリアスは呑気に首を傾げてます。
「なんであんなことするんだろうなー? あの真っ赤な人たちはさ」
 ふしやまがそのアクエリアスの疑問にも答えます。
「フレア団、ですね。セッカさんが話していたでしょう、あの背高のっぽのエイジ氏は敵です。わたくしたちはそれぞれの相棒を、エイジ氏をはじめとしたフレア団から守らねばなりません」
「敵が家の中にいるの? それでご主人たちは困ってるの? なんで追い出せないの?」
「ふん、当たり前だぜサラマンドラ。そりゃ、あの髭面のおっさんが邪魔だからよ」
「じゃあなんで、サクヤ達はこっから出てかないんだ? なんでなんだ?」
「いいですか、アクエリアス。今のわたくしたちに必要なのは、逃げることでも、敵を消すことでもない。強くなることです。それだけを考えて、バトルハウスで戦っていればよろしい」
 ふしやまはあっさりそう言い切ってしまった。
 ピカさんも腕を組んで唸っている。
「確かにおれらにできんのは、戦ってセッカたちを守ることぐれえよ。おれらには役目ってモンがある。パーティーをまとめ、いつ敵と戦う羽目になっても六体一丸となって全力で主を守る。それが相棒ってもんだろが」
「ピカさん、変わったね」
「ほんとほんと! ご主人たちに会う前はあんなにトレーナーのこと嫌ってたのにさ!」
 ピカさんの成長に、ぼくやアクエリアスが笑います。
 ピカさんは怒り出してしまいました。
「うるさい! おれは自分の運命を受け入れる覚悟があるだけだわ!」
「そうですね。我らの主と命運を共にする覚悟、それが無くば今回の敵は退けられません。サラマンドラ、アクエリアスも、気を引き締めて。新入りさんたちの指導、しっかりとお願いします」
「うん。がんばるよ」
「やってるよ! サクヤを守れるよ!」
 そうして登り始めた朝日の中話し合っていますと、そのうちにぼくたちのご主人様たちが目を覚ますのです。


 ご主人様たちは、毎晩布団の中で何やら激しく言い争いをしています。
 ご主人様たちは四つ子で見た目はそっくりですけど、性格はバラバラで、意見が合わないことはしょっちゅうあります。
 なので、ご主人様たちの間の喧嘩そのものはぼくらも慣れっこなのですけれど、今回はちょっと問題ありです。
 いつもなら、二人が喧嘩をすれば残る二人がそれを仲裁し、三つ巴の喧嘩となれば残る一人がそれを収める――そういうふうに、ご主人様たちは互いの喧嘩を収めていました。
 けれど、今回は、四人の中で意見が真っ二つに分かれてしまっているのです。そうなると、人間のよく使う多数決も使えません。
 毎晩、布団の中に潜って、言い争いをしています。
 ぼくの相棒のレイアが怒鳴ります。
 ふしやまの相棒のキョウキが、何やら笑っています。
 ピカさんの相棒のセッカが、喚いたり冷たい声を出したりしています。
 アクエリアスの相棒のサクヤが、ぼそぼそと何かを呟いています。
 ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスは、ベッドの枕元で丸くなって、ご主人様たちの言い争いを聞いていました。難しい話で、ほとんど理解できません。ポケモン協会を信じる信じられないだの、そもそもフレア団は敵か否かだの、いわゆる水掛け論になっています。
 月明かりの中。
 ふしやまが微かに溜息をつきます。
「こうして主たちが不毛な論争を繰り広げていることこそが、主たちを消耗させている気がしてなりません」
「そうだね。これこそがあのエイジって人の作戦なのかもしれないよね?」
 僕が考えたことを行ってみますと、アクエリアスがうんうんと頷きました。
「うん、おいらもそう思ってたとこ!」
「嘘つけや」
 ピカさんが尻尾でアクエリアスの頭を軽くはたきました。アクエリアスはむくれて手足を甲羅に引っこめ、文句を言います。
「でもさぁ、ご主人たちがお互いのこと信じられなくなったら、それが一番怖いと思うんだぞ?」
「そりゃそうだろ。セッカの仲間はレイアとキョウキとサクヤだけだ。それだけでも追い詰められてんのに、これ以上孤立しちまったらお終いだ」
「群れからはじき出されたポケモンの生存率も低いことですしね」
 ぼくもついつい溜息をついてしまいました。
「ご主人たち、喧嘩してほしくないなあ」
 両親の喧嘩を見る子供は、こういう気持ちなのでしょうか。いやいや、ぼくたちはレイアたちの相棒なのです、支える仲間なのです。ご主人たちを信じなくてどうするのですか、ぼくたちは守られてばかりの子供じゃない。
 たとえご主人たちが喧嘩別れしてしまった時でも、それでも寄り添い続ける。それがぼくたちにできることです。
 ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスはそれを確かめ合って、目を閉じました。
 ご主人たちも言い争うのに疲れて、眠ってしまったようです。



 レイアは鬱憤を晴らすように、ローテーションバトルを繰り返します。
 勝ちます。ときには負けます。勝負を繰り返します。何度も。何度でも。
 ぼくたちは、ご主人たちを裏切りません。強さでもって、勝ちでもってご主人たちに応えます。
 フレア団なんぞ吹き飛ばしてやりましょう。
 フレア団の手の届かない高みへ、共に行きましょう。
 ご主人たちは人間ですから、色々なものが見えているかもしれません。
 でも、強さだけで物事を見ればいいんです。
 強くなればいいんですよ。
 ヘルガーのインフェルノが、ラフレシアを焼き払います。
 ガメノデスのなのですが、カバルドンを仕留めます。
 マグマッグのマグカップが、ヘラクロスに岩を落とします。
 エーフィの真珠が、ローブシンを倒します。
 ニンフィアの珊瑚が、ヤミラミを沈めます。
 そしてぼくが。ケンホロウを、ヤドランを、フワライドを、フライゴンを、プクリンを、エレキブルを倒しました。もっとたくさん倒しました。ぼくはパーティーのリーダーです。誰よりも強くなければ。


 レイアの手が伸びます。ぼくは迷わず飛びつき、すると姿勢をかがめていたレイアが背筋を伸ばし、ぼくを胸に抱えます。
 レイアの視線を追いました。
 バトルハウスの二階に、緑のドレスの女の人が姿を現しています。物凄い歓声です。
 レイアが呟きました。
 僕は応えました。

 その緑のドレスの人のバトルを、僕は知っていました。
 ピカさんとセッカ、アクエリアスとサクヤがマルチバトルで挑んだ相手です。でも、あの時は本気ではなかった。きっと今日は真面目に戦ってくるでしょう。
 ぼくは仲間のポケモンたちを叱咤しました。
「ここで負けるわけにはいかない。この人を倒すことがレイアの目的だから」
 モンスターボールの中の仲間たちがかたりと動きます。ぼくを無視したらぼくが制裁を下すから、ちゃんと返事をするのです。
 ぼくはインフェルノを、なのですを、マグカップを、真珠を、珊瑚を順に見つめました。
「無様な戦いしたら、許さないから」
 インフェルノはゆったりと座ったまま首をもたげ、小さく火の粉を吐きました。
 なのですは思い切り気合を入れています。
 マグカップはメラメラしています。
 真珠と珊瑚は相変わらずぼくにびくびくしてました。威圧してるつもりはないのですが、この二匹にはぼくに怯えないほどの自信を、いつかつけてほしいですね。


 敵は前衛にクレッフィ、後衛にマンタインとマルノーム。
 レイアは前衛にエーフィ、後衛にマグマッグとニンフィア。
 ぼくはレイアに抱えられたまま、客観的にバトルを見つめます。敵のクレッフィが金属音を放ち、こちらのエーフィが瞑想します。
 レイアはエーフィを後衛へ下げさせ、マグマッグに鬼火を撃たせました。その鬼火を受けたのは、敵のマンタインでした。マンタインは水のリングを纏い、火傷のダメージを吸収してしまいます。
 マグマッグが岩雪崩を撃ち、それを受けつつ敵のマンタインは熱湯を放ちます。
 度忘れしたレイアのマグマッグは熱湯を耐えきり、さらに岩雪崩。マンタインを苦しめます。
 その隙にレイアはマグマッグを温存して、ニンフィアを前衛へ。
 ニンフィアのムーンフォースで、敵のマンタインが倒れます。これで残りは四対三で、一歩リードです。

 敵の前衛にはクレッフィが出ます。後衛の空白はメブキジカが埋めました。
 敵のクレッフィのラスターカノンが、こちらのニンフィアを撃ち抜きました。
 たまらず目を回したニンフィアをレイアは労う間も惜しんでマグマッグを前衛へ、火炎放射。すかさず敵のクレッフィも倒します。これで残りは三対二、まあ順調な進行でしょう。
 レイアは四体目に、ガメノデスを出しました。エーフィと共に後衛に並び、前衛のマグマッグの脇を固めます。
 敵は前衛をマルノームに、後衛をメブキジカ。
 レイアはマルノームを仕留めるべくエーフィを前に出しましたが、敵のマルノームは後衛に下がってメブキジカが出てきてしまいました。
 敵のメブキジカのメガホーンを受け、たまらずエーフィは倒れます。残りは二対二。
 レイアはマグマッグを前衛に出しました。火炎放射でメブキジカの体力を削りましたが、敵のメブキジカの捨て身タックルで倒れてしまいました。これで一対二ですけれど、マグマッグの炎の体は、敵のメブキジカに火傷を残しました。いい働きです。

 レイアの最後の一体、ガメノデスが前に出ます。メブキジカを睨みます。
 敵が火傷の痛みに怯む隙を逃さず、ガメノデスの毒づきが、体力残り少なかったメブキジカを容易く沈めました。
 残るは互いに一体ずつ。
 最後に残った敵はマルノームのみ。
 マルノームの毒々を受けつつ、ガメノデスは爪とぎをします。そしてシェルブレードで斬りかかりました。
 敵のマルノームは身を守ります。絶対防御の術です。
 レイアのガメノデスは続けざまに斬りかかります。鋭いシェルブレードがマルノームに襲い掛かりますが、すべて耐え切られてしまう。
 マルノームが地震を撃ちました。
 ここが正念場です。地面タイプの技は、ガメノデスには効果は抜群です。耐えてください。でないと負けだ。
 ガメノデスは、揺れる大地を踏みしめました。そして跳びました。
 地面にへばりついている敵のマルノームに、振りかぶり、とどめを刺しました。


 ぼくはレイアを見つめます。
 どうですか、ぼくの仲間たちはここまで戦えるようになりました。
 だからレイアは何も心配しなくていいんです。
 でも、観客席の悲鳴や怒号の中で、レイアは無表情でした。
 レイアの考える事は分かります。こんな見世物に付き合わされたって仕方がないと考えているんでしょう。
 レイアの欲しいものはこんなものではなかったと、レイアも気づいたんです。
 ぼくはレイアの求める場所についていきます。


 ぼくの仲間たちがすっかり回復すると、レイアはぼくを抱えて歩き出しました。今日のローテーションバトルは終わりみたいです。
 そしてどこに行くのかと思うと、そこはトリプルバトルの会場でした。
 レイアと僕がその広間に入った途端、そこは急にわあっと盛り上がりました。
 何かと思って背伸びして覗き込んでみると、大階段の踊り場に、緑の被衣のキョウキとふしやまが現れたところでした。


  [No.1453] こんにちは 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/10(Thu) 20:51:37   31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



こんにちは



 わたくしは、ふしやまと申します。
 頭から被った緑の被衣がチャーミングな、キョウキという方の相棒をしております。
 キョウキの頭の上がわたくしの定位置です。ひじょうに見晴らしがよい。
 わたくしの主について、もう二言三言申し上げておきます。キョウキは素直で純粋な、優しい子です。わたくしはキョウキを研究所で一目見た時から、それを見抜いておりましたよ。


 では続いて、わたくしと共にキョウキを支える仲間をご紹介しましょう。
 プテラのこけもすは真面目で、化石から蘇った方ですけれど古代の記憶などはなく――秘密の琥珀に残されたDNAから彼のプテラという種の肉体を復元しているのみで、化石の本体そのものを復活させることはできないそうです――うまく現代にも馴染めているようです。
 ヌメイルのぬめこはやんちゃな方で、たびたびキョウキの荷物をぬめぬめにしますが、とても愛嬌のある素敵な女性です。
 ゴクリンのごきゅりんはうっかりやさんで、キョウキが苦労して集めたきのみをうっかり大量消費してしまう困りものですが、こちらもまたたいへん愛嬌溢れる方です。
 シャワーズの瑠璃は、生意気なお嬢さんです。わたくしとしてはいささか嗜虐心をそそられるのですが、まだまだ瑠璃が若いということもあって自重させていただいております。
 サンダースの琥珀は、意地っ張りなお坊ちゃまです。双子の姉の瑠璃と共謀して他の仲間たちに喧嘩を吹っ掛けることしばしば、まったくもって困ったものです。



 わたくしはキョウキと共に、レイアさんのローテーションバトルを高みの見物と洒落こんでいました。
 あいにくサラマンドラはバトルの場に出ませんでしたが、レイアさんのパーティーのリーダーである彼と、エースであるヘルガーの彼なしでバトルシャトレーヌに勝利するとは、あっぱれです。とはいえ、バトルシャトレーヌもまだまだ本気ではなかったようです。
 キョウキもレイアさんと同じく、バトルハウスに挑戦しています。セッカさんもサクヤさんも、それぞれ別のルールで挑戦を行っています。
 レイアさんはローテーションバトル。
 わたくしの相棒キョウキはトリプルバトル。
 セッカさんはダブルバトル。
 サクヤさんはシングルバトル。
 ご主人たちは打ち合わせをすることなく、別々のルールのバトルに挑戦されました。さすがは四つ子、息がぴったりとお褒め申し上げるべきでしょう。
 そのようなわけで、わたくしたちキョウキチームはトリプルバトルに挑戦していました。
 トリプルバトルは、一度に三体ずつポケモンが戦うルールです。
 六対六のいわばフルバトルであり、一試合の時間も長いのですが、その分挑戦者は多くありません。そして手持ちの六体をすべてしっかり戦える程度まで鍛え上げるのは、並のトレーナーにはできません。だからキョウキは素晴らしいトレーナーなのです。


 わたくしを頭に乗せたキョウキが、レイアさんの勝利を見届けると、回廊へ出てゆきます。トリプルバトルの会場へ戻るのでしょう。
 そのトリプルバトルのための広間は、超満員と化していました。キョウキが戻るのを待っていたのです。
 キョウキは19連勝しておいて、次がいよいよバトルシャトレーヌの登場だというところで挑戦を中断してしまう、お茶目な人です。先ほど終わったばかりのローテーションバトルの会場からも続々と人が流れ込んできています。とはいえそういった人は、トリプルバトルを担当するバトルシャトレーヌ専門のファンというわけではありませんので、ファンの間の静かなる抗争では弱い立場にあります。
 キョウキが大階段を下りていきます。
 わたくしを手に取り、そっと頭の上から下ろしました。わたくしはキョウキを見つめます。
 キョウキは微笑んでいます。疲れたような笑顔でした。
 どうしましたか。
 おそらくキョウキは、バトルに飽いているのでしょう。キョウキがポケモンバトルにほとほと嫌気がさしていること、わたくしには分かっております。
 ですからキョウキが不意の気まぐれでわたくしたちに指示を下すのをやめたとしても、わたくしが貴方の代わりとなり、仲間たちに指示を飛ばしましょう。
 ですからどうか、バトルの場に立ってください。
 キョウキ。貴方には力が必要なのでしょう?


 階上から赤いドレスの女性が駆け降りてこられます。踵のある靴でご苦労様です。
 一も二もなくバトルが始まりました。わたくしはキョウキの足元でそれを見ていました。
 お相手の最初の三体は、イノムー、ドラミドロ、エルフーンです。
 キョウキが最初に出したのは、シャワーズ、サンダース、ヌメイル。雨パです。

 まずはお相手のエルフーンが、こちらのヌメイルに素早く宿り木の種を植え付けてきました。一方ではこちらのシャワーズが雨乞いで、バトルハウス内に大雨を降らせます。
 こちらのサンダースが、雷を、敵のエルフーンに。直撃です。運よく相手を痺れさせました。
 敵のドラミドロが影分身。
 こちらのヌメイルが、ドラミドロに竜の波動を飛ばすも、これは躱されてしまいます。
 敵のイノムーが、地震を撃ってきました。敵のドラミドロとエルフーン、そしてこちらのシャワーズとヌメイルは地震を耐えきりましたが、こちらのサンダースは倒れてしまいました。
 双方の一手目は終わり、残り五対六。

 キョウキがサンダースの代わりに中央に繰り出したのは、エースのプテラ。
 敵のエルフーンが追い風を起こします。せっかくサンダースが痺れさせたのに、これではエルフーンの悪戯心をくすぐらない技も先制されてしまいます。
 続いて敵のドラミドロが、シャワーズにポイズンテール。またまた運よく、毒は浴びませんでした。
 向かい風に押し戻されつつ、こちらのプテラが岩雪崩を起こします。相手のイノムーを怯ませたところに、シャワーズが熱湯を浴びせます。イノムーは火傷を負いますが倒れません。
 こちらのヌメイルが敵のドラミドロに、再び竜の波動を撃ちますけれど、やはり外れてしまいます。

 キョウキが苛立ってきています。
 それでもプテラ、ヌメイル、シャワーズに淡々と指示を下しています。
 敵のエルフーンが、こちらのシャワーズにエナジーボールを撃ちます。シャワーズまで倒れてしまいました。これで残りは四対六、形勢不利です。
 敵のドラミドロは、プテラに滝登りを仕掛けてきました。それを掬い上げるようにプテラはフリーフォールでドラミドロを空中に連れ去ります。
 敵のイノムーがこちらのヌメイルを吹雪で狙いますが、これは大雨にあおられて外れました。
 ヌメイルが濁流を起こします。プテラに上空に連れ去られたドラミドロには当たりませんが、エルフーンとイノムーに泥水が叩き付けられます。火傷のダメージもあって、ようやくイノムーが倒れました。
 これで四対五。

 キョウキはゴクリンを、お相手はレアコイルを新たに繰り出しました。
 敵はドラミドロ、エルフーン、レアコイル。
 こちらはプテラ、ヌメイル、ゴクリン。
 敵の起こした追い風はまだ続いています。
 敵のエルフーンのムーンフォースが、こちらのヌメイルを襲います。麻痺しているくせによく動きます。しかしここはヌメイルが上手く身を守りました。
 こちらのプテラが、行動不能だったドラミドロを地に叩き付けますが、ポイズンテールをお見舞いされ、毒を浴びてしまいました。
 さらに敵のレアコイルが10万ボルトでプテラを襲います。毒のダメージも加わります。エースのプテラが、耐えきれずに倒れてしまいました。
 けれどゴクリンのヘドロ爆弾が敵のエルフーンを襲い、仕留めます。
 三対四です。

 さあ、とうとうわたくしので番まで回ってきてしまいました。
 敵が繰り出したのはマグカルゴです。ドラミドロ、レアコイル、マグカルゴ。
 対してこちらはわたくしフシギダネ、ヌメイル、ゴクリンです。
 敵のドラミドロのポイズンテールがヌメイルを襲います。ヌメイルは身を守ろうとしますが、続けての事なのでうまくいきません。弾き飛ばされ、さらには毒を浴びてしまいます。
 敵のレアコイルがわたくしに向かって金属音を響かせます。とてもうるさいです。
 そして敵のマグカルゴの大地の力が、ゴクリンを襲いました。ゴクリンが倒れてしまいます。
 雨が上がりかけたところでヌメイルが火炎放射をぶつけ、敵のレアコイルを倒します。けれどヌメイルは毒のダメージが辛そうです。
 わたくしも追い風に押し戻されそうになりながら、身代わりを張ってその陰で風を凌いでいました。
 残るは、二対三。

 相手の最後の一体は、キリンリキでした。やれやれ、よりによってわたくしの苦手なエスパータイプです。
 相手はドラミドロ、マグカルゴ、キリンリキ。
 こちらはヌメイルとわたくし。
 しかしその時、追い風がやみました。
 わたくしは身代わりの陰から素早く、キリンリキに眠り粉を仕掛けます。そしてヌメイルがすかさず竜の波動を、ようやくドラミドロにしっかと当てることができました。ドラミドロをようやっと沈めることができました。
 敵のキリンリキは眠って動けません。
 敵のマグカルゴが、のしかかりでヌメイルを倒してしまいました。
 キョウキが溜息をついています。
 これであとはわたくしだけ。敵は、いつ目覚めるかわからないわたくしの苦手なエスパータイプのキリンリキと、そしておめめぱっちりのわたくしの苦手な炎タイプのマグカルゴの二体です。

 私は再び身代わりの陰から、素早くマグカルゴに眠り粉を仕掛けました。
 そして先に目覚めるであろうと思われるキリンリキに、ソーラービームを当てます。けれど倒れません。
 二発目を溜めているところに、キリンリキが目覚めてしまいました。
 しまった。早起きの特性です。
 キリンリキのサイコキネシスで、わたくしのかわいい身代わりが壊れてしまいます。しかしそのための身代わり人形なので仕方がありません。キリンリキをソーラービームで倒しました。
 まだ目を覚まさないマグカルゴに宿り木の種を仕掛け、そして三発目のソーラービームのため光を吸収しました。

 マグカルゴが目覚めます。
 オーバーヒートを放ってきます。レアコイルの金属音を受けていたせいで心がくじけそうです。わたくしは光の吸収を中断し、二度目の身代わりを張りました。高熱を凌ぎます。
 しかし敵のマグカルゴは、持っていた白いハーブで能力値を元に戻してしまいました。
 再びオーバーヒートが飛んできます。わたくしも三度目の身代わりを慌てて張ります。だいぶ体力が辛くなってきました。相手から体力を吸収できる宿り木だけが頼みの綱です。
 けれど、今度こそ相手の技の威力も下がっていきます。
 わたくしは身代わりを張り、オーバーヒートを凌ぎ、宿り木で体力を回復し、そして壊れた身代わりを張り直します。
 敵も宿り木で体力が削れているはずです。そしてオーバーヒートの威力も収まってきました。
 とうとう敵は特殊攻撃に見切りをつけ、のしかかりを仕掛けるべく飛びかかってきました。
 わたくしは身代わりの陰でにやりといたしました。
 キョウキも緑の被衣の陰でにやりといたしました。
 光を吸収します。
 敵のマグカルゴが、身代わりをのしかかりで潰します。
 わたくしはソーラービームで、マグカルゴを撃ち抜きました。


 どうにか勝利できました。
 わたくしは審判が判定を下すのをきっちりと見届けてから、後ろを振り返り、相棒を見上げました。
 お疲れさまです、キョウキ。最後までよく諦めず、わたくしに指示をくださいました。
 貴方は結局、わたくしたちを裏切れないのですね。
 どれだけ面倒だろうと、バトルが嫌いだろうと、貴方はわたくしたちに頼るほかない。かわいいひとです。
 キョウキの手が伸びてきて、わたくしを抱き上げます。そして頬ずりしてきました。

 瀕死になったわたくしの仲間たちも、すぐに回復してもらえました。
 そしてキョウキはわたくしを緑の被衣を被った頭の上に乗せ、回廊を歩いてゆきます。途中でサラマンドラを脇に抱えた赤いピアスのレイアさんにお会いしました。お二人は並んで歩きます。
 サラマンドラが話しかけてきました。
「見てたよ。すごいバトルだったね、ふしやま」
「まったく、大変でしたよ。君は良いですね、シャトレーヌ戦も何もせず傍観でしょう?」
「いや、負けたら容赦しないって釘さしておいたからさ」
「怖い子ですね、君は」
 わたくしはついつい笑ってしまいました。サラマンドラは臆病なくせに、レイアさんやバトルのこととなるとポケモンが変わったように冷酷非道になるのです。


 レイアさんとキョウキは、次の広間に出ました。
 ダブルバトルの会場です。こちらも超満員でした。
 ピカさんを肩に乗せたセッカさんが、大階段の踊り場の手すりにもたれかかり、干された布団のようにだらりと伸びています。……大丈夫、でしょうか。


  [No.1454] こんばんは 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/10(Thu) 20:53:20   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



こんばんは



 おれは、ピカさんだぜ。
 呼び捨てでいい。ピカさんさんなんて呼ばれた暁にはサンパワーになっちまう。おれの特性は避雷針だ。だからただのピカさんでいい。
 セッカの相棒やってる。
 セッカは良いやつだ。元気で楽しい奴だし、一緒にいて飽きねえ。それにあいつはああ見えて割と頭は切れる。でなけりゃ、おれらをここまで育てられないだろ。


 てわけで、愉快なメンバーを紹介します。
 ガブリアスのアギト。こいつすげぇ腕白。たまにおれの尻尾に食らいついてそのまま炎の牙ぶっぱしてくんのはやめてほしい。
 フラージェスのユアマジェスティちゃん。慎重な女王様ね。橙色の花背負ってていい香りする。
 マッギョのデストラップちゃん。頑張り屋な踏まれたい系女子。ユアマジェスティちゃんといい感じにSM気質がぴったり来てていいコンビだと思うわ。
 ブースターの瑪瑙。寂しがりなまだまだ甘いぼんぼん。ま、まだまだこれから。
 リーフィアの翡翠。呑気なレディ。ま、この双子は頭は悪くねぇから期待はしてる。



 おれの相棒セッカは、ぐったりと大階段の踊り場の手すりに伸びていた。おれはその手すりの上に乗って、そんなセッカを見つめていた。
 どうしたよ、相棒。
 最近元気ないな。
 分かってる。悩み事だろ。
 でもおれはポケモンだから、悩みなんざ相談しちゃもらえないし、されたところで困る。おれには人間は分からねえからな。
 おれにできるのは、パーティーの奴らをまとめて、最高のバトルができるようにすることだけだ。
 ここまでずっとダブルバトルをしてきたが、勝ってばっかだ。さすがだぜ、おれ。アギトもユアマジェスティちゃんもデストラップちゃんも瑪瑙も翡翠もおれが育てた。
 だからさ、セッカ。てめぇはてめぇの心配してな。


 青いドレスを着たお嬢ちゃんが現れる。バトルシャトレーヌだ。セッカはこいつに勝ちたがっている。
 だからおれが勝ってやる。
 セッカがのそりと手すりから身を離した。無表情だった。考え事してる時の顔だ。
 相棒が考え事をしてんのは稀だが、ここんとこずっとこんな顔をしている。はてさて、バトルのことを考えてんのか他のことを考えてんのか。他ごと考えてんなら邪魔だぜ、引っこんでなセッカ。バトルのこと考えてんならよし。
 ダブルバトルが、互いに二体ずつポケモンを出し合うルールだってのは有名な話だ。このバトルハウスで行われるのは四対四のバトル、ポケモン同士のコンビネーションが鍵を握る。
 最初の敵は、オコリザルとペルシアンだった。
 セッカはブースターとリーフィアを繰り出す。双子コンビだ。さあ双子ども、おれの訓練の成果、見してやんな。

 敵のペルシアンが、ブースターに猫騙しをした。
 早速のコンボ崩しだ。リーフィアの日本晴れからのブースターの炎技、というパターンをおれは教え込んでやっていたのだが。
 戸惑うリーフィアにセッカが鋭く指示を飛ばす。さすがだぜ相棒。リーフィアが剣の舞を使う。
 怯んだブースターに、オコリザルのストーンエッジが襲い掛かる。リーフィアがブースターをどついて逃れさせた。
 続いてリーフィアが日本晴れで、強い日差しをバトルハウス内に取り込む。ようやく双子コンビの調子が出てきた。
 ブースターがフレアドライブでオコリザルに突っ込む。強い日差しでバトルハウスの空気は干上がっており、炎の勢いが増す。攻撃の反動は大きいものの、敵のオコリザルを一撃で倒した。やるじゃねぇか。
 と思った瞬間、ペルシアンのパワージェムがブースターに直撃した。哀れ。お疲れ。
 残りは三対三。

 敵はペルシアンとパチリス。
 こちらはリーフィアとフラージェスだ。この女子コンビも、なかなかダブルバトルでは活躍していた。フラージェスの特性のフラワーベールが、リーフィアを状態異常や能力変化から守るためだ。
 敵のパチリスが光の壁を張る。フラージェスのムーンフォースの威力が半減してしまったが、リーフィアのリーフブレードは通る。
 敵のペルシアンは急所に一太刀浴びつつ、悪の波動をリーフィアに浴びせた。
 相打ちになった。ペルシアンとリーフィアが崩れ落ちる。
 一進一退。残りは二対二。

 敵はパチリスとネオラントだ。
 そしてこちらの二体は、フラージェスとマッギョ。SM女子コンビだな。
 怒りの前歯で襲い掛かる敵のパチリスを、フラージェスはサイコキネシスで動きを止めた。
 敵のネオラントの冷凍ビームに、マッギョが10万ボルトで対抗する。
 しかし相手には光の壁がある。押し負けた。
 セッカが叫ぶ。フラージェスはリーフィアの残した強い日差しを浴びて光合成で体力を回復する。
 そしてマッギョが、地割れを撃った。
 凄まじい地響きが起こり、大地の割れ目がパチリスを飲み込んだ。一撃必殺の恐ろしい技だ。会場も静まり返ってやがる。
 敵は残り一体、ネオラントのみ。

 敵のネオラントは雨乞いをし、強かった陽射しを陰らせ、大雨を降らせた。そして大規模な波乗りをかます。
 マッギョが10万ボルトを水流に向かって放つ。フラージェスが花弁の舞で迎え撃つ。しかし敵を守る光の壁のために、大した威力にならなかった。
 マッギョとフラージェスが大波に飲み込まれた。
 マッギョがなおも放電する。あいつって結局魚なんかな。水流にもまれながらにやにや笑いながら、10万ボルトを放つ。フラージェスの方まで痺れかけてんだが、フラージェスはフラージェスで狂ったように花弁の舞を続けていた。
 水が散る。
 火花が散る。
 花弁が散る。
 美しかった。
 水が引く。
 ネオラントは踊り場に横倒しになっていた。


 ナイスだぜ。
 セッカの肩に乗ったおれは、セッカの顔を覗き込む。しかしセッカは無表情だった。さっきからずっとこれだ。いや、さっきまでは、バトルシャトレーヌに勝つまでは浮かれないとセッカは決めてんのかと思っていたのだが。その目標を倒したのに、この沈黙。
 らしくない。
 どうしたよ、セッカ。
 セッカはフラージェスとマッギョをボールに戻すと、傷ついた仲間たちを回復してもらった。そしてそれを受け取って、ようやくセッカはおれを見た。
 ああ。
 そうか。
 さてはてめぇ、飽きたな?
 分かる、分かるぜ。ルールに縛られたバトル、それは確かに公平だ。
 でもそこには命の燃え滾るような熱さがない。食らい合い、殺し合うような冷酷さが足りない。てめぇの求めてんのはそれだろ? 欲求不満抱えちまってんだろ? 生きてる証が欲しいんだろ?
 誰かに認められようとするよりも、てめぇの信じた道に応えろよ。
 何を迷う。飛び出せセッカ。いつだってそうやってきただろうが。
 てめぇが望むなら、レイアもサラマンドラも、キョウキもふしやまも、サクヤもアクエリアスも置いてっちまえ。おれたちはてめぇだけについてってやるからよ。


 ――おれはそのような事をセッカに言ってやった。しかしセッカがおれの言葉をすべて理解できたとはとても思えない。
 セッカは手を伸ばして、おれの頬をふにふにした。ちょ、ばか、やめ……気持ちいい…………。
 おれがぼんやりしているうちに、セッカはおれを肩に乗せてふにふにしつつ、どこかへ移動する。
 ふにふには良いものだ。勝手に喉が鳴る。
 たまらずうっとりしていると、サラマンドラとふしやまの声が聞こえてきた。
「あ、ピカさん。おつかれー……って、何もしてなかったけどね」
「凄まじいアホ面ですね、ピカさん」
 目を開けると、回廊の中ほどには、サラマンドラを抱えた赤いピアスのレイアと、ふしやまを頭に乗せた緑の被衣のキョウキが立っていた。セッカとおれを待っていたようだ。
 サラマンドラがレイアに抱えられたまま、笑っている。
「早く早く。シングルバトルやってるよ」
「サクヤさんですね。アクエリアスは戦っているのでしょうか」
 ふしやまもキョウキの頭の上で、微笑んでいる。
 おれを肩に乗せたセッカは、レイアとキョウキと連れ立って歩き出した。
 けれど三人は言葉少なだった。おれとサラマンドラとふしやまの話し声の方が大きかった。


  [No.1455] おやすみ 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/10(Thu) 20:54:29   23clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



おやすみ



 おいらは、アクエリアスだよ。
 サクヤの相棒をやってるよ。サクヤっていうのは、青い領巾を袖にくるくるだらりんした人のこと。そっくりさんがなんと三人もいるから、ちゃんとよく見て見分けてくれよな。
 サクヤはいっつも落ち着いてて、でも熱いハートを秘めた、とっても強い奴だぞ。ミアレの路地裏のギャングもその拳一つで制圧したぞ。サクヤと戦ったら、サクヤはおいらより強いかもしんない!


 じゃあ、そんなおいらとサクヤの仲間を紹介するぞ。
 ボスゴドラのメイデン。図太くってとっても強いお姉ちゃんだぞ。
 ニャオニクスのにゃんころた。真面目なインテリ系。なんかふしやまを思い出すけど、普通にいい奴。
 チルタリスのぼふぁみ。控えめだから、好きなだけもこもこをモフモフさせてくれるぞ。
 ブラッキーの螺鈿。気まぐれ。協調性が皆無だぞ。
 グレイシアの玻璃。陽気だけど、双子の兄貴と同じで協調性が皆無だぞ。



 そんなおいらたちは、現在バトルハウスで絶賛シングルバトル中です。
 三対三。
 お相手は黄色いドレスの女の子。ぺろぺろりーん、だってさ。
 相手の一体めはブニャットだった。
 サクヤが最初に繰り出したのはブラッキーだ。がんばれ。
 敵のブニャットが催眠術を仕掛けてきた。ブラッキーが身を守る。危なかった。
 ブラッキーがバークアウトを使う。まくし立てるように怒鳴りつけて相手の特攻を下げる技だぞ。
 敵のブニャットはどうにかして催眠術でブラッキーを眠らせてこようとするけど、サクヤの的確な指示のおかげでブラッキーはすべてうまく防いでいる。やっぱりサクヤはすごい。
 敵のブニャットが輪唱を使ってきた。けれどブラッキーのバークアウトのおかげか、その歌声は聞いていてもずいぶん楽だ。
 ブラッキーがイカサマをする。ブニャットの攻撃力を利用し、倒した。やっぱりサクヤはすごい。

 敵の二体目はプクリンだった。
 ブラッキーはバークアウトを使ったけれど、プクリンの恐ろしい気合玉を受けて倒れてしまった。一進一退だ。
 サクヤが繰り出した二体目は、グレイシア。氷の礫で先制した。
 敵のプクリンのチャームボイスを受け、グレイシアがミラーコートで跳ね返す。やっぱりサクヤの指示が的確なんだ。
 けれどそこに、恐ろしい気合玉が飛んできた。グレイシアも頑張ったけど、どうにも耐えられない。
 これで残りは一対二だ。ちょっと危なくなってきたかも。

 サクヤが最後に繰り出したのは、チルタリスだった。もこもこ。
 チルタリスは流星群を放ち、プクリンを倒す。こいつ、控えめなくせして、なかなかやりおるぞ。
 敵の最後のポケモンはブーピッグだった。
 そしてサクヤがチルタリスに命じたのは、パワースワップ。
 これは自分と相手の特殊攻撃力を入れ替えてしまう、びっくりな技なのだ。チルタリスがさっき放った流星群の反動で下がってしまった特攻を、敵のブーピッグに押し付ける。
 そのおかげで、敵のブーピッグのサイコキネシスは痛くもかゆくもなかった。
 敵のブーピッグの特殊攻撃力を手に入れたチルタリスは、再び流星群を放った。
 そして勝った。楽勝楽勝。
 と思ったら、バトルシャトレーヌのやつ、懲りずにまた本気出してなかったみたいだ。なんなんだ。



 大階段の上から、サラマンドラを抱えた赤いピアスのレイア、ふしやまを頭に乗せた緑の被衣のキョウキ、ピカさんを肩に乗せたセッカが下りてくる。
 レイアの腕の中のサラマンドラが笑っている。
「すごいや、ぼくたちみんな、バトルシャトレーヌ倒せたね!」
 キョウキの頭の上のふしやまも満足げに微笑んだ。
「当然です。わたくしたちの仲間ですよ」
 セッカの肩の上のピカさんもにやにやした。
「おれらが修業つけてやったおかげだな」
 床の上のおいらは、三匹を見上げてひっくり返りそうになりながらも反論してやった。
「すごいのはご主人たちだよ」
 そう言っているところを、おいらはサクヤに後ろから拾い上げられた。青い領巾を袖に絡めたサクヤの腕が、おいらを抱える。視点が高くなっていい気分だ。
 サクヤは、レイアやキョウキやセッカと見つめ合っていた。どうした? どしたどした? 見つめ合っちゃって、フォーリンラブか? いいのか、あんたら四人、同じタマゴから生まれたんだろ?


 それからサラマンドラとふしやまとピカさんとおいらは、レイアとキョウキとセッカとサクヤに連れられ、バトルハウスを出ていった。
 途中の受付でばとるぽいんととかいうものを色々な技マシンや道具と交換していた。
 そして玄関ホールに来たところで、背高のっぽのエイジを見つけてしまった。
 ご主人たちが立ち止まる。
 サラマンドラは全身を緊張させ、ふしやまも無表情になり、ピカさんは微かに唸り、おいらは手足を甲羅に引っこめる。エイジは悪いやつだ。
 なのにエイジはへらへらと笑って、ご主人たちを褒めているみたいだった。ご主人たちはそれを無視し、エイジを追い立てて別荘へと案内させる。悪い奴をうまくこき使うご主人たち、かっこいい。
 外に出てみると、もう夜だった。お腹が空いた。朝からずっとバトルハウスでバトルを続けていて、昼ごはんも軽いサンドイッチとかだけだったからお腹が空いた。
 別荘に帰ると、ご主人たちは四人で、銀髪のウズっていう人を取り囲んだ。そして四人で寄ってたかって、バトルシャトレーヌを撃破した“ご褒美”をウズから奪い取った。ふしやまが溜息をついている。
「……こういうの、カツアゲというんですよ」
「バトルシャトレーヌをちゃんと倒したんだから、別に当然だろ!」
 ピカさんはご機嫌に笑っている。


 ご主人たちは“ご褒美”を持って二階の寝室へ上がると、四人でベッドの上で車座になり、四方向から“ご褒美”を覗き込んだ。サラマンドラとふしやまとピカさんとおいらもそれを覗き込んだ。
 “ご褒美”は、ただの木箱みたいだった。
 レイアがそれを開ける。
 木箱の中にはさらに四つの紙箱が入っていた。それぞれにご主人たちの名前と、小さなメモがついている。
 ご主人たちはそれぞれの紙箱を拾い上げ、開けた。
 中から現れたのは、ご主人たちの片手で握り込めそうな、球体だった。
 サラマンドラとピカさんとおいらが首を傾げる。なんか、どっかで見たような。
 ふしやまが呟いた。
「……メガストーン?」
 その単語にも、サラマンドラとピカさんとおいらは首を傾げるしかなかった。それは宝石みたいに、ご主人たちの指先でキラキラと輝いていた。
 レイアのは、薄紅色の球の中に、黒と赤が揺らめいている。
 キョウキのは、薄紫色の球の中に、紫と黒が揺らめいている。
 セッカのは、紺色の球の中に、黄と赤が揺らめいている。
 サクヤのは、灰色の球の中に、銀と黒が揺らめいている。
 不思議な色に煌めいてとても気になるけれど、おいらたちよりその宝石が気になる奴らがいるみたいだ。
 ご主人たちは何やら小さなメモを覗き込み、首を傾げ、互いに何やら話し合っていた。
 そしてその不思議な宝石を、大事そうに懐にしまった。


 それからたっぷり晩御飯を食べ、ご主人たちは歯を磨き、お風呂に入り、そそくさと二階の寝室に戻ってきた。
 けれど、お寝間着に着替える様子はない。寝るつもりがないみたいだ、しっかり着物を着て袴にブーツ、さらには葡萄茶の旅衣まで着こんでいる。
 サラマンドラとふしやまとピカさんとおいらは顔を見合わせた。
「お出かけかな?」
「違うでしょう。主たちはキナンを出るつもりなのです。これまではどこに出かけるにしろ、旅衣まではご着用でなかったでしょうが」
「あー、そっか。バトルシャトレーヌも倒してご褒美もなんかよく分かんないの貰って、もう用済みだしな」
「あ、じゃあまたあのすっごい速いやつに乗るのかな?」
 おいらたちはわくわくとご主人たちを見上げた。
 ご主人たちはそれぞれモンスターボールを六つ、きちんと袴の帯の上のベルトに装着して、荷物も持って、そして赤いピアスのレイアはサラマンドラを、緑の被衣のキョウキはふしやまを、セッカはピカさんを、青い領巾のサクヤはおいらをそれぞれ拾い上げる。
 そして足音を忍ばせて、おいらたちを抱えたご主人たちはベランダに出た。二階からこっそり脱出するのだ!
 すごくわくわくする。
 サラマンドラも楽しそうだし、ふしやまも満足げに笑っているし、ピカさんもワクワクして飛び跳ねそうな勢いだし、おいらもサクヤにしっかり捕まえられてなきゃ踊り出したいよ。
 みんな、退屈してたんだ。だってご主人たちと出会って旅を始めてから、同じとこに何週間もいるなんて、これまでなかったもんな。
 新入り達は、シャトレーヌのポケモンとも渡り合えるほどまでに強くなった。おいらたちもさらに強くなれた気がする。
 だからもう、きっと、フレア団とかいうのが来ても大丈夫なのだ。
 そういうことだよな。


 サラマンドラを抱えたレイアと、ふしやまを抱えたキョウキの二人は、キョウキのプテラ――こけもすの背に乗った。ピカさんを抱えたセッカと、おいらを抱えたサクヤの二人はサクヤのチルタリス――ぼふぁみの背に乗った。
 そして二組に分かれ、そっと別荘のベランダを離れた。
 ウズとか、ロフェッカとかいうおっさんとか、エイジの野郎は驚くかな?


 キナンシティの夜景がおいらたちの下に広がっている。
 きらきらと輝いて、まるで宝石をちりばめたみたい。そして空を見上げれば、こちらも見事な星空だった。
 駅を目指して、飛ぶ。
 そこから列車に乗って――この山奥の牢獄からようやく抜け出せるんだ。
 そしてまた、自由な旅を。


  [No.1456] (幕の合間の覚書) 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/10(Thu) 21:01:36   25clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



(幕の合間の覚書)



 こんにちは。浮線綾と申します。
 キナン編がひと段落つき、またいつの間にか登場キャラクターが倍増して相関関係がややこしくなったりポケモンの特性や技が覚えきれなくなったりしたため、ここまでに出てきた?情報をまとめた覚書を挟ませていただきます。
 本編は既に長くなっておりますが、四つ子が巡っていない土地を見る限りまだまだ伸ばせそうな気がします。ただしオリジナルキャラクターはよほどのことがない限りこれ以上は増やしません。

 国家とポケモン協会について補足です。
 作中で、国は協会に補助金を交付し、逆に協会は国に政治献金を行っていると表現しています。これは税金の還流であり、補助金が献金への返礼となっているため、税金の使途として不適切です。実社会で行われていたら批判すべきだと思います。よ。
 というわけで、国がポケモン協会を支えているのではなく、ポケモン協会が国を支えている構造です。
 ポケモン協会という機関についてはポケットモンスタースペシャルからの借用ですが、かなり創作が加えられています。作品全体の世界設定としては一応は原作準拠です。





四つ子とポケモン 人物録(計18名)


●四つ子
 主人公×4。
 クノエ出身の一卵性四つ子。性別不明・黒髪・灰色の瞳・個性:血の気が多い。
 十歳からトレーナーとして旅をしている。クノエ出身の実母とは幼少時に死別。四條家の実父・義母・異母兄姉はジョウト地方のエンジュ在住。
 縹に蘇芳の着物、黒い被布、葡萄茶の旅衣、袴ブーツ。
 自己中心的。無学。成長してください。
 片割れたちのことが大好き。狭いところに四人で仲良く納まってぷうぷう言うのも大好き。

・レイア(四條黎鴉)
 口調サンプル:「クソうぜぇマジでふざけんな」
 特徴:脇に抱えたヒトカゲ、赤いピアス
 性格:意地っ張り
 普段は穏やかだが、すぐにブチ切れて怒鳴る。親しい人々をからかって遊ぶというお茶目な一面も。良識ある戦闘狂。情に篤い苦労人。
 朝方に活発化する。
 →養親のウズ・幼馴染のユディとはそれなりに良好な関係。
 →ポケモン協会職員のルシェドウ・ロフェッカとは友人。
 →裁判官のモチヅキのことが苦手。理由:モチヅキがサクヤを贔屓する/サクヤがモチヅキに懐いている
  ヒトカゲ♂(サラマンドラ) 臆病、猛火、大文字・竜の波動・燕返し・シャドークロー
  ヘルガー♂(インフェルノ) 大人しい、貰い火、オーバーヒート・悪巧み・悪の波動・ヘドロ爆弾
  ガメノデス♀(なのです) 頑張り屋、硬い爪、爪とぎ・シェルブレード・辻斬り・毒突き
  マグマッグ♂(マグカップ) 呑気、炎の体、火炎放射・岩雪崩・大地の力・度忘れ
  エーフィ♂(真珠) 冷静、シンクロ、サイコキネシス・マジカルシャイン・朝の陽射し・瞑想
  ニンフィア♀(珊瑚) 無邪気、メロメロボディ、ムーンフォース・破壊光線・電光石火・瞑想


・キョウキ(四條喬晷)
 口調サンプル:「うふふふふーきょっきょちゃんだよー」
 特徴:頭に乗せたフシギダネ、緑の被衣
 性格:気まぐれ
 普段は穏やかだが、すぐにブチ切れて毒吐く。常にほやほやとした愛想笑いを浮かべている下衆。かなりのマイペースで面倒くさがり。
 昼間に活発化する。
 →養親のウズ・幼馴染のユディ、ポケモン協会職員のルシェドウ・ロフェッカ、裁判官のモチヅキら五名については、いずれも信用していないし、信用されてもいない。
   フシギダネ♂(ふしやま) 穏やか、深緑、ソーラービーム・眠り粉・身代わり・宿り木の種
   プテラ♂(こけもす) 真面目、石頭、岩雪崩・ドラゴンクロー・フリーフォール・毒々
   ヌメイル♀(ぬめこ) やんちゃ、潤いボディ、竜の波動・濁流・火炎放射・守る
   ゴクリン♂(ごきゅりん) うっかりや、ヘドロ液、毒々・ヘドロ爆弾・度忘れ・大爆発
   シャワーズ♀(瑠璃) 生意気、貯水、熱湯・雨乞い・冷凍ビーム・電光石火
   サンダース♂(琥珀) 意地っ張り、蓄電、雷・ボルトチェンジ・電磁波・甘える


・セッカ(四條夕禍)
 口調サンプル:「ばんがるもん!」
 特徴:肩に乗せたピカチュウ
 性格:能天気
 普段は穏やかだが、すぐにブチ切れて喚く。自他ともに認める馬鹿。朗らかなムードメーカーだが、本性は道化。ただし本人も演技をしている気はなく、常に本気でばんがっている。
 夕方に活発化する。
 →養親のウズ・幼馴染のユディに強い信頼を寄せている。
 →ポケモン協会職員のルシェドウ・ロフェッカ、裁判官のモチヅキにもそこそこ懐いている。
   ピカチュウ♂(ピカさん) 勇敢、避雷針、雷・電光石火・目覚めるパワー(炎)・草結び
   ガブリアス♂(アギト) 腕白、鮫肌、地震・ストーンエッジ・ドラゴンクロー・炎の牙
   フラージェス♀(ユアマジェスティちゃん) 慎重、フラワーベール、ムーンフォース、サイコキネシス、花弁の舞、光合成
   マッギョ♀(デストラップちゃん) 頑張り屋、静電気、10万ボルト・濁流・欠伸・地割れ
   ブースター♂(瑪瑙) 寂しがり、貰い火、フレアドライブ・ニトロチャージ・シャドーボール・電光石火
   リーフィア♀(翡翠) 呑気、葉緑素、日本晴れ・リーフブレード・剣の舞・シザークロス


・サクヤ(四條朔夜)
 口調サンプル:「この屑野郎…………」
 特徴:両手で抱えたゼニガメ、青い領巾
 性格:冷静
 普段は穏やかだが、すぐにブチ切れて暴力を振るう。天然なツンデレ、やや電波。態度が尊大。しかし四つ子の中では誰よりも漢らしい。
 夜間に活発化する。
 →養親のウズ・幼馴染のユディとはそれなりに良好な関係。
 →ポケモン協会職員のルシェドウ・ロフェッカのことが苦手。理由:二人がモチヅキに嫌われている
 →裁判官のモチヅキにひどくたいへん驚くほど凄まじく懐いている。
   ゼニガメ♂(アクエリアス) やんちゃ、激流、ハイドロポンプ・ロケット頭突き・威張る・守る
   ボスゴドラ♀(メイデン) 図太い、頑丈、アイアンテール・地震・冷凍パンチ・岩石封じ
   ニャオニクス♂(にゃんころた) 真面目、悪戯心、サイコキネシス・神秘の守り・光の壁・リフレクター
   チルタリス♀(ぼふぁみ) 控えめ、自然回復、流星群・パワースワップ・コットンガード・滅びの歌
   ブラッキー♂(螺鈿) 気まぐれ、シンクロ、イカサマ・月の光・守る・バークアウト
   グレイシア♀(玻璃) 陽気、雪隠れ、冷凍ビーム・氷の礫・ミラーコート・シャドーボール





○四つ子の愉快(犯)な仲間たち
 養親、幼馴染、ポケモン協会職員×2、裁判官――以上5名。
 5名が5名とも四つ子を楽しみつつ生暖かく見守っているが、それぞれ悩みは尽きない様子。


・ウズ(四條雲珠)
 口調サンプル:「ここで遊ぶなゆうたじゃろがボケがぁ――!」
 慎重な性格、負けん気が強い。銀髪、桃色の瞳。
 和裁士。その正体は、千年以上生きている化け物。
 →四つ子は四人とも養子で、ひどく手を焼いている。可愛さ余って憎さ百倍。
 →ユディ・ルシェドウ・ロフェッカ・モチヅキとは茶飲み友達。
   ムウマ♂ 生意気
   ジュゴン♀ 冷静


・ユディ
 口調サンプル:「いいか、アホ四つ子。敵意ってのはな、人口の過剰を痛感することだ」
 真面目な性格、辛抱強い。淡い金髪、緑の瞳。常にモノトーンの服装。
 法学部生で、学者志望。知性と志とガッツの溢れる若者。細っこい見かけによらず腕っぷしが強い。
 →四つ子の幼馴染で、気のいい兄貴分。
 →ウズとは友達。
 →ルシェドウ・ロフェッカ・モチヅキの教え子のような存在。
   ルカリオ♂ 腕白
   ジヘッド♂ 穏やか


・ルシェドウ
 口調サンプル:「ブハッやっべー四つ子ちゃん食べちゃいたいよーこっち向いてっ!」
 陽気な性格、物をよく散らかす。鉄紺色の髪と瞳。黒コート。細身。
 ポケモン協会職員。レイアの友人。とてもうるさい。やたらテンションが高い。
 →四つ子が大好き。
 →ウズ・ユディとは茶飲み友達。
 →ロフェッカの相方。
 →モチヅキとは因縁がある。犬猿の仲。
   バクオング♀ 照れ屋
   オンバーン♂ やんちゃ
   ペラップ♂ 頑張り屋
   ビリリダマ 冷静


・ロフェッカ
 口調サンプル:「……ま、やんちゃもほどほどにな?」
 図太い性格、粘り強い。金茶の髪と褐色の瞳。
 ポケモン協会職員。レイアの友人。お調子者の髭面のおっさん。いいひと。
 →四つ子を見て楽しむのが好き。
 →ウズ・ユディとは茶飲み友達。
 →ルシェドウの相方。
 →モチヅキとは互いにあまり関心なし。あんまルシェドウのこと嫌いにならないでやってください。
   コイル 素直
   ドクロッグ♂ 寂しがり


・モチヅキ(望月)
 口調サンプル:「――謝罪ですべて済むなら、私は失業するわけだが?」
 冷静な性格、抜け目がない。黒の長髪の三つ編み、黒い瞳。
 裁判官。常に仏頂面でかなり不機嫌そうだが、なぜかサクヤに対してだけはやたら甘い。
 →四つ子の育ての親その2。四人をそこそこ関心を持って見守っている。
 →ウズ・ユディとは茶飲み仲間。
 →ルシェドウとは険悪な関係。
 →ロフェッカにもそこそこ不信感あり。
  ムクホーク♂ 穏やか
  ゾロア♂ やんちゃ





○四つ子が旅先で出会う人々
 スタイリッシュ☆エリートトレーナー、姉妹、タテシバ家の人々、謎の男――以上9名。
 いつの間にか出張っていたサブキャラクターたち。
 中編連作の予定だった本作が長編じみているのはこいつらのせい。


・トキサ
 頑張り屋な性格、食べるのが大好き。
 ミアレ出身の誇り高きエリートトレーナー。スタイリッシュ。だがまだフェイマスではない。
 →四つ子のトレーナー観や世界観を変えた偉大な人物。いつか四つ子にSUSHIを奢ってくれると四つ子は信じている。
   ブリガロン
   ファイアロー
   ウデッポウ
   ホルード
   デデンネ
   (ユンゲラー)


・セーラ
 素直な性格、ちょっと怒りっぽい。茶髪のポニーテール。
 ショウヨウ出身の、ぽっちゃり体型のミニスカート。趣味はサイクリング。
 →ローザの妹。
 →セッカに痺れさせられた。


・アワユキ(淡雪)
 せっかちな性格、物音に敏感。黒髪、白コート。色白。
 レンリ出身のトレーナー。ゼルネアスを信仰する宗教の熱狂的な信者。
 →タテシバの元後妻で、榴火の継母、梨雪とリセの母。
 →サクヤを凍らせ、レイアに焼かれた。
 →ルシェドウやモチヅキのことを覚えている。
   ソルロック
   トドゼルガ
   キリキザン
   その他


・タテシバ(立柴)
 頑張り屋な性格、昼寝をよくする。灰色の髪、無精髭。
 ヒヨク出身のトレーナー。しかし様々な問題を抱えた末にドロップアウトし、クノエのポケセンに拠点を張る。バツ2。
 →アワユキの元夫で、榴火と梨雪とリセの父。
 →ユディのことを鬱陶しいと思っている。
 →キョウキに洗われた。
 →ルシェドウやモチヅキのことを覚えている。
  ニダンギル
  カラマネロ
  他三体


・ミホ(立柴美帆)
 おっとりな性格、ちょっぴり見栄っ張り。
 ヒャッコク在住の優雅な老婦人。一人暮らしだった。
 →タテシバの母で、榴火と梨雪とリセの祖母。
 →サクヤのことがお気に入り。キョウキのことは若干苦手。
 →ルシェドウやモチヅキのことを覚えている。
   マフォクシー ……おやは梨雪
   その他、梨雪から譲り受けたポケモンたち


・榴火
 生意気な性格、暴れることが好き。赤髪、水色の瞳、褐色の肌。
 レンリ出身のホープトレーナー。
 愛称は“リュカ”。本来は“リュウカ”。
 →タテシバの実子で、アワユキの義理の息子、梨雪とリセの異母兄。
 →ルシェドウやモチヅキとは旧知の仲。
 →四つ子に対しては、愛憎そして無関心が入り混じったよく分からない感情を抱いている。
  アブソル★(ルシフェル)
  クレッフィ
  ドラミドロ
  シャンデラ
  フリージオ
  ガラガラ


・リセ
 大人しい性格、考え事が多い。黒髪、水色の瞳、色白。
 レンリ出身の幼い少女。母親の思想にやや傾倒している。
 →タテシバとアワユキの娘で、榴火と梨雪の妹。ただし両親の離婚後に生まれたため、父(タテシバ)や異母兄(榴火)や姉(梨雪)との面識はない。
 →ヒャッコク在住の祖母であるミホのもとに預けられる。
 →サクヤ・ルシェドウ、レイア・モチヅキ、キョウキは恩人?


・ローザ
 勇敢な性格、とても几帳面。茶髪、真っ赤な口紅。
 ショウヨウ出身。与党の若手政治家。元トレーナーで、バトルシャトーの侯爵。
 →セーラの姉。
 →榴火の後見人。
 →レイアとセッカに大金を与えた。
   ロズレイド
   シュシュプ
   その他


・エイジ
 素直な性格、力が自慢。茶色の短髪、長身の青年。
 キナン出身の元トレーナー・元活動家。ミアレ大学の工学部生。キナンの別荘の居候。
 →四つ子の家庭教師を務める。
  ゲッコウガ
  メレシー
  パンプジン
  ハガネール
  テッカニン
  コジョンド

(幕の合間の覚書) (画像サイズ: 3000×2000 302kB)


  [No.1460] 残照遊ぶ 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/16(Wed) 20:46:26   40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




残照遊ぶ 上



 何が見えただろう。
 木、草、花、空、雲、海、風、土煙。
 必死でしがみついたガブリアスは、大地の匂いがした。乾ききった辛い砂地で出会ったガブリアスは今や、苔むすような甘い土壌や、埃立つような洞穴の酸い砂埃や、泡立つような海辺の苦い砂礫のにおいを纏った。複雑な土の匂い。カロスの地を知る音速の竜。
 しかし主人に首に纏わりつかれては、おちおち音速も出せぬ。
 ガブリアスは主人を肩車していた。そのまま疾走していた。主人が振り落とされるや否やは主人の腕力のみにかかっている。しかし剛力で首を締め上げられればさしものガブリアスも首が締まる、当然のこと。その上怪力で纏わりついたらば、ガブリアスの鮫肌にて主人の腕が傷つきかねない。
 すべてはガブリアスが速度を落とせばおよそ解決する話なのだが、そうは問屋が卸さない。
 ガブリアスと主人は、猛牛の群れに襲われていた。
 ケンタロスの大群である。


 この昼下がり、ガブリアスの呑気な主人がぽてぽてと草地を歩いていたところ、うっかりタマタマを踏み潰し、怒り猛ったタマタマの念力が草地を根こそぎ薙ぎ払い、その神通力の猛威たるやたちまち天候をも変転させ、静穏たる晴天は黒々とした暗雲に呑み込まれ、波濤の崖に激しく打ち付け白き飛沫の舞い上がること泡雪の如く、青嵐尽く木々を薙ぎ倒し哀れな花弁を無残に散らす。滝の如く降り注ぐ大雨、長閑なる12番道路はフラージュ通りを水幕の如く覆い、青草をみなひれ伏さす。
 落雷ひっきりなしに大気つんざき、その稲妻一つ、草原にて眠る猛牛の鼻先をぴしゃりと打った。はてさてその性質は暴れ牛、敵に喧嘩を売られたとあらば破滅しつくすまで追い立てる。
 ケンタロスの咆哮一つ。その傍に眠る同胞も一斉に目覚め立ち上がる。
 大雨暴風落雷止まず。
 猛牛たちの目にとまったのは、むべなるかな、否、運悪しくもタマタマを蹴飛ばしたガブリアスの主人である。
 ガブリアスの主人はぴゃあああと間抜けな声で絶叫し、困ったときのガブリアス頼み。モンスターボールの光から現れ出でたガブリアスの肩に颯爽と飛び乗り、ガブリアスに遁走を命じた。
 主人はカロスの闘牛士でない。ただの若きポケモントレーナーに過ぎぬ。
 逃げるほかなかった。これほど多勢に無勢とならば、いかにガブリアスといえどその地震をもってしてもすべて仕留めきれる自信はない。――逃げてぇぇぇ! トレーナーは号泣しつつ命じる。ポケモンは従う。応、逃げねば。行動をもって応える。
 ガブリアスは疾走した。
 何が見えただろう。
 木、草、花、空、雲、海、風、土煙。
 背後から追い来るもの。――怒り狂った猛牛たちの唸り声。大地を踏み鳴らす原始の踊り。
 濡れそぼりぬかるんだ草地くたされ、爪に蹄にかけられて泥沼と化し、あとには草の芽すら残らなかった。冒涜、凌辱、無比冷酷なる暴虐。彼らの通った後には破滅しかもたらされず。
 篠突く雨に途切れない。暗雲おどろおどろしく轟き、ガブリアスにしがみついた手を傷だらけにした主人がおらぶ。
「ピカさん、雷――!」
 ガブリアスの肩に乗った主人、その主人の肩に乗ったピカチュウ。
 ピカチュウが跳ぶ。その顔は凶悪に笑んでいた。天の雲間に電気の満ちることこの上なく、ピカチュウはただ微かなきっかけを与えてそれを導くだけで宜しかった。不満溢れる嵐雲は勇んでその怒りを雷の魔獣に委ねた。
 白い閃光。
 炸裂音。
 千々に分かたれた稲妻の舌先が、次々とケンタロスをバッフロンへと変えてゆく。
 とはいえ、突進する猛牛たちの勢いがそれで急に殺がれたわけではない。
 アフロブレイク。と呼んで差支えなかろう。



 植物というのは、たくましいものだ。
 すっかりしなだれたと思われていたものも、環境さえ整えばたちまち生気を取り戻す。
 午後の光が差している。
 雲は白く風に吹きはらわれ、元の如く太陽が顔を出していた。草原の影は払われた。
 草原のあちらこちらでは、濡れそぼったバッフロンが横倒しになり目を回している。
 首をもたげた草の一筋に、露の玉がゆらゆらと煌めいて揺れ、緑から零れる。
 雫ははたりと、その頬を打った。
 黒い睫毛が微かにふるえ、吐息にけむり、ようようその瞼が押し上げられる。灰色の瞳は青草を銀の鏡のように映した。
 その傍らに座り込んでいたガブリアスが息を吐き、ピカチュウがその顔面に飛びつく。
「……ぐるる」
「ぴかちゃあっ!」
「おむっ」
 ピカチュウの黄金色の柔らかな腹に窒息させられかけたセッカは、両手でピカチュウを顔面から引きはがした。寝転がったままピカチュウを高く掲げる。そしてふわりと微笑んだ。
「……ピカさん。アギト」
 セッカは腹筋を使って、濡れた草の上からのっそり起き上がった。
 そしてガブリアスを見やって、目を点にした。
「……おま……何食ってんの? ナナシ?」
 ガブリアスは片手にナナシの実を持ち、その固い皮を容易にむしむしと食い破っていた。酸っぱそうな顔をしている。
 セッカの口中に途端に唾が湧いた。
「……え? 何それ? ちょ、お前ばっかずるいって」
「……お前もこの実を食べるのか?」
 その背後から聞こえてきた男のしわがれたような声に、セッカは跳び上がった。
 そして慌てて背後を振り返って、ますます度肝を抜かれた。
「ぎゃああああ……ああ……あ……あ…………?」
 その男は、凄まじい長身だった。
 3mはあろうか。


 セッカは草地に座り込んだままぽかんと口を開けて、ほとんど後ろにひっくり返りそうになりながら大男を見上げていた。そしてひっくり返った。
 ピカチュウが笑いながらセッカの顔面に飛びつく。
「ぴぃーかちゃあ?」
「おむっ」
 大男は無言だった。セッカはピカチュウを顔面から剥がし、腹筋で起き上がりつつも、大男をまじまじと見つめていた。人として有り得ない身長だ。ガブリアスの1.5倍くらいある。巨人だ。何がどうしてこうなった。
 老人だった。その白髪は長く垂れさがり、肌は浅黒い。その体に合う衣服がないと見えて、袖や裾は別の布で継ぎ足されている。胸もとに古びた鍵を提げていた。
 巨大な老人は両手にナナシの実を数個抱えていた。そして無言でセッカを見下ろしていたかと思うと、ゆっくりと自分も濡れた草の上に座り込んだ。
「……食べるか」
「あ、あい……どぅ、ども」
 大男に差し出されたナナシの実を、セッカはおっかなびっくり受け取る。そしてナナシに歯を突き立てながらも、目を真ん丸にして男を見ていた。
 ガブリアスはすっかり寛いだ様子で座り込み、大男にも警戒を見せることなく、濡れた草地を眺めている。
 ピカチュウはセッカの膝に両前足を乗せて、ナナシの実の中身をねだる。セッカは苦労して歯で皮を剥いたナナシの汁をピカチュウにも吸わせてやった。その間も、大男から真ん丸に見開いた目を離さなかった。
「……じーさん、でけーなー……」
 ようやく漏れたのは、およそ無礼な驚きの声だった。大男は特に返事もせず、残りのナナシの実を袋に詰め込んでいる。
「あんた、誰?」
「……ただのオトコだ」
「見りゃ分かるっす。異常なオトコだってことは」
 セッカもまたナナシの果肉を啜り、酸っぱさに顔を引き攣らせた。しかし能天気な性格のゆえにか、この酸っぱさはたまらない。ナナシの実はセッカの大好物である。
 きゅっと酸っぱいナナシの実をもしゃもしゃもしゃと咀嚼し飲み込んでしまうと、セッカは勢い良く立ち上がった。しかしそれでも座っている大男の視線の高さとほとんど変わらなかった。
 セッカは目をきらきらと輝かせて、老人に両手を突き出した。
「ねえねえ。じーさん、だっこして!」
「……抱っこ、だと?」
 戸惑う老人にセッカは掴みかかる。
「おんぶして! だっこにおんぶ! 高い高いして! 肩車してぇ――!」
「……なぜ」
「背ぇ高いもん! アギトよりでっかいもん! ねえ肩車してよねえねえねえ――っ」
 セッカがテンション高く老人を拝み倒すと、老人は無表情のままのそりと立ち上がった。そして巨大な掌でセッカの腰をがっしりと掴むと、機械的に持ち上げる。セッカは大喜びである。
「しゅごい! 高い! ねえびゅーんって飛行機して! ひこーき!」
 そして老人とセッカは、風になった。


「ぎゃははははははははぎゃっはははははははやべー! たけー!」
 老人は高く掲げていたセッカの体をそろそろと下ろす。体は巨大でもやはり老人なりに疲れたものか、僅かに肩で息をしていた。
 セッカは興奮で顔を赤くしながら、鼻息も荒く老人に詰め寄る。
「たけー! すっげー! たけー! あんたのこと、竹取の翁って呼ぶわ!」
「……オキナ……?」
「あんた竹取物語も知らねぇのかよ! このカロス人が!」
「……お前は」
「俺は半分ジョウト人の半分カロス人ですぅ! 畜生このカロス人め竹取物語も知らねぇとか! この竹取の翁が!」
 セッカは勝手にぷんぷんと怒り出した。なぜウズから教わった昔語りを、こうもカロスの人々は知らないのだろうか。モモン太郎とか、エイパムクラブ合戦とか。
 仕方がないのでセッカはどすりと草原に再び腰を下ろし、老人にも座るよう促す。
 それから竹取物語をした。
「昔々、本当に遠い昔、竹取の翁とかぐや姫がいました! とても愛していました!」
「…………そうか」
 セッカは巨大な老人を相手にせっせと竹取物語を語ってやった。
 のどかな青空、ここはメェール牧場だった。北東遠くにアズール湾の青が見える。
 すっかり雨は上がり、メェークルたちも草原に出て草を食み、あるいはうとうとと昼寝を始め、メェークル同士で無邪気に遊びまわるものもある。
 雨露に濡れた草地は太陽に光にきらきらと輝き、風に撫ぜられるたび玉の飛沫を跳ねかす。
 青い草原の只中に、セッカと大男は向き合い、若き者が老いたる者に対して物語をしている。ピカチュウがセッカの膝の上で丸くなり、ガブリアスもその傍らで黙然として目を閉じる。
 風が眩しかった。
 セッカの話は、適当だ。元が昔話とあって理論構成もあったものではない。
「……そんでかぐや姫は月に帰っちゃって、不死の薬だけが残りました。でもショックだった帝は、その不死の薬をシロガネ山のてっぺんで焼いちゃったんだって。お終い!」
 勢いで語り終え、セッカはふんぞり返る。クノエの図書館でさんざん子供相手に読み聞かせをしたため、語りには自信はある。これでカロス人にもまた一人竹取物語を知る者が増えたのである。


 老人はすべてを黙って聞いていた。巨大な体を窮屈そうにかがめて、老亀のように静かに、動かずに耳を傾けていた。セッカの話が終わっても何の反応も寄越さない。
 風が草原を渡っていった。
 微かに潮の香りを運んできた。
 セッカは首を傾げた。
「ど、どしたん?」
「……なぜミカドは、不死の薬を焼いたのか」
「え? な、なんでって」
「……不死の薬で生きていれば、カグヤヒメにいつか会えるかもしれないのに。カグヤヒメは永遠の時間を彷徨うのだろう……?」
 老人はそこに目をつけたらしかった。まさか昔話の内容に指摘を入れられると思わなかったセッカはわたわたと慌てる。
「い、いや、ほらよくあるじゃん、あれじゃん? 不死の薬ってことは年老いておじいちゃんになっちまうんすよ。おじいちゃんの姿で姫に会ったってしょうがなくね?」
「なぜ? なぜ永遠のヒメはミカドの元を去った? 私がミカドなら不死を選ぶ、かもしれない。会えない日々が続き……いつしか心を失っても……どうにかして会いたいと…………」
 セッカは腕を組んでうんうんと頷いた。
「ふんふん、ロマンチックっすね、リソウシュギっすね。姿形が変わっても会えればそれでいい、と。――甘いぜ竹取の翁! 恋愛ってのはそう甘かねぇんだよ!!」
「私はオキナではない。ミカドだ……」
「うっひょぉぉ陛下を自称しますか! やるな竹取の翁! そのクライマックスはなかなかだぜ!」
 セッカは興奮して笑いながら立ち上がった。しかしそれでもやっと視線の高さは蹲る老人とほぼ同じである。
「かぐや姫には会えない! かぐや姫は永遠の女性なの! だから竹取の翁も帝ももうかぐや姫には会えないの! それが分かってたから不死の薬を焼いちゃったの!」
「いや、同じく永遠の時を彷徨うなら、会えるはずだ!」
 老人は鋭い声を発した。そこには威厳が、傲慢が潜んでいた。
 セッカは顔を顰める。
「ムキになっちゃって、何さ。だいたい不死なんて生命に対する冒涜だし。それにたった一人の女性ばっか思い続けて彷徨うなんて、迷惑以外の何物でもない」
「意味が分からない」
「さっさと諦めて次の女探せってこと」
 セッカがそう言うと、巨大な老人はのそのそと立ち上がった。
 男の影の瞳が、セッカを見下ろす。
「……何も知らぬくせに」
 セッカはひっくり返りそうになりながらも大きく胸を張った。
「ああ何も知りませんよーだ! でも、あんたみたいな狂ったような目をしたオトコに追いかけられたいなんて思う女なんて、いませんよーだ。ねえあんたってストーカーなの? 絶対ストーカーだよな?」
「……私とて生きたくて生きているわけではない」
「うっわぁこりゃその女を探し出して無理心中するパティーンだわ」
「そういう意味ではない」
 老人は無表情だった。
「私の名はAZ。とあるポケモンを捜しているだけだ」
 セッカは顎を上げたまま瞬きした。そして深刻そうな顔になった。
「…………クローゼット?」
「AZだ」
「……エージェントダ? エージェント戸田さん?」
「エーゼット、だ」


  [No.1461] 残照遊ぶ 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/16(Wed) 20:49:19   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



残照遊ぶ 下



 その老人は異様に目立つ。
 ガブリアスの1.5倍もの身長、長い白髪。首にかけた古い鍵。特徴的すぎる。
 セーラはすぐにその大男の姿を認めた。そして木陰に隠れつつそちらを窺う。
 老人の傍に立っている、その老人との比較のせいでやたら小柄に見えるトレーナー。ピカチュウを肩に乗せ、ガブリアスを侍らせて。
 間違いない。セッカだった。
 セーラは頭を抱える。


 セッカとはショウヨウシティで別れたきりだ。自転車で轢いただの、痴漢呼ばわりだの、泥棒騒ぎだの。その果てにそれらの翌朝セッカはなんでもないような顔をしてセーラにジャージの上着を返却し、まったく普通の顔をしてショウヨウを後にした。
 何のときめきも、何の発展の兆しも無かった。その時その傍にいたポケモン協会の職員の髭面の男が言っていた。
「ま、気にすんな。そもそもあいつ男か女か、俺も知らねぇもん」
 その言葉の含んだ意味、想定された前提、すべてをセーラが把握するには時間がかかった。
 そしてセーラはその職員の男に掴みかかった。
「ちょっとそれどういう意味よ! まさか、あ、あたしがあああの変態野郎に何か!?」
「え、違うんか。ま、いいじゃねぇか女同士でも、普通にアリだわアリ」
 だからどういう意味なんだ。セーラは職員の向う脛を思い切り蹴飛ばした。

 またセーラは、姉のローザから、ハクダンシティでセッカに会ったとの連絡を貰っている。ホログラムメールが届いたのだ。
『ねえセーラ、ハクダンでセッカさんとその片割れさんに会ったわよ』
「え、セッカと……片割れって何?」
『知らないの? セッカさんは四つ子よ?』
「ええええええ何それ知らないなんで言わなかったんだあんちくしょ――!」
『ふふ、セーラはセッカさんに興味があるの?』
「ちょ、ちょっとお姉ちゃんまで変なこと言わない! 四つ子なんてび、びびびっくりしただけ!」
 そのような会話のさらにその後、姉から再び連絡があった。
 しかしそれはセーラの私用のホロキャスターへの通信ではなかった。
『ショウヨウシティで目撃情報あり。セーラ、彼を確保するまで追って』
「了解」
 セーラはきちんと制服に着替え、四つのハイパーボールをボールケースに収納し、拠点とする建物を出た。


 そして追って、追い続けて。
 何度かバトルを挑んだが、セーラはAZに逃げられ続けていた。
 バトルでは有利なのだ。しかしAZはいつもバトルの最中に隙をついて逃げてしまう。普段は隠れもせずその長身を日にさらしているというのに、なぜかAZは逃げ隠れが病的に上手かった。
『おそらく長い時の間にやはり気味悪がられて、身を隠す術でも覚えたのでしょうね』
「でもお姉ちゃん、あたし、一人でできるか不安になってきたよー」
『出来るわ。貴方のポケモンなら』
「“あたしなら”出来る、とは言わないのね。もう」
『ああ、そうだセーラ。四つ子がキナンから脱走したらしいわ。もう何日も前に』
「……何それ、今のあたしに何か関係あるわけ?」
『ないわね。お仕事集中して頑張ってちょうだい』
「余計なこと言わないでよね、お姉ちゃん」
 ショウヨウから列石の間を通ってセキタイ、映し身の洞窟を抜けてシャラ、そしてこののどかなメェークルの鳴き声響く12番道路。
 セーラはここ数日間AZを見失っていた。一度来た道を引き返す理由はないだろうと、それだけ見当をつけてメェール牧場で待ち伏せしていた。するとやはり、AZは現れた。セーラが追跡を中断した結果AZも身を隠すのをやめたのだろう、のんびりとメェール牧場を歩いていたのだ。
 しかし、AZは牧場の只中で立ち止まった。セーラも目を凝らした。
 それは、四つ子の片割れの一人だった。


 セーラは歯噛みする。
 折角AZを見つけたのだ。姉にも先ほど連絡を入れたから、応援を送ってくれるはずだ。どうにかここで足止めしておきたい。
 しかしまたバトルを挑めば、逃げられてしまうかもしれない。セーラは既に二度ほど、バトルの最中にAZに逃げられているのだ。何度も同じことを繰り返すことほど馬鹿馬鹿しいことはない。
 ここはおとなしく潜伏を続け、AZの行方を確実に追い続けるべきなのではないか。
 AZはセッカと何やら談笑している。
 セーラはおよそセッカそのものには、今のところ興味はさめきっていた。確かにショウヨウで助けられた時には一瞬心がときめいたが、改めて冷静に考えればあれは吊り橋効果というやつであったし、またセッカの事件翌朝のおよそ冷淡な態度にセーラは幻滅もした。やはりセッカはセーラが夢見たような彼氏にはなりえない。そもそも男か女かもはっきりしないのだ。
 ただ、セーラは四つ子のトレーナーを厄介だとは思っていた。
 セッカの傍にのんびりと寛いでいるガブリアス。ショウヨウで見た時はセッカを乗せてすさまじい跳躍を見せ、あっという間に街を飛び越えていった。おそらく並みのポケモンではないだろう。
 けれど、今のセーラには、強い手持ちのポケモンがあった。
 セッカとバトルをしてみたい、という気持ちはある。一方的に傷つけられたり守られたりという関係ではなく、対等な場所に立って戦ってみたい。

 セーラはAZの様子を窺っていたはずが、いつの間にかそのような事を考え出していた。はっとして思考を切り替える。
 AZとセッカはメェール牧場から動きそうにない。その話し声はセーラの元までは届かない。
 AZを追うか。しかしそれではおそらく、セッカとは行き違いになる。
 かといってAZの追跡以上に優先すべきことはない。
 しかし、ここで別れればセッカとバトルする機会などもう無いかもしれない。
 順当に行けばAZはこのまま東のヒヨク、南東へ13番道路を通ってミアレへ向かうはずだった。AZがミアレに辿り着くまでにセーラは仲間と一緒にAZを確保すればいい――。
 セーラはそう算段を立てた。であればここで、セッカにちょっかいを出してもいいのではないかと考えた。
 算段を立てはしても、セーラの心は平静ではなかった。
 セッカとバトルをする。それはセーラにとって非日常で、まるで新人トレーナーがとうとう初めてのジムに挑戦するような、そのような高揚感と緊張、麻痺した神経にセーラは侵されていた。まともな判断などできなかっただろう。けれどいちいち標的を襲撃する際に姉に連絡を入れるなど、普段の彼女にあっても考えられなかった。常に自身で考えて行動することが求められていたからだ。
 セッカは。海辺のショウヨウシティで。セーラにマッギョの10万ボルトを浴びせ、さらにはブスだのなんだのと罵詈雑言を浴びせかけた。そのような仕打ちをセーラにしたのは後にも先のもセッカだけであろう。そのことを静かに想起すると、何となくセッカを許してはならないような、当時うやむやにしてしまったことへの漠然とした違和感が首をもたげる。
 そう、けじめをつけると思って、今ここで正々堂々と勝負をすればいい。
 それきりセッカのことなど、きれいさっぱり忘れてしまえばいい。
 セーラは草原に足を踏み出した。カツラとサングラスを取り去る。これを身につけていれば素性を隠すことはできるけれど、セッカにはセーラだと認識してもらえないから。
 空は青い。
 大地は緑。
 その中でセーラはただ一人、赤い。



「ちょっと、セッカ」
 少女に声を掛けられ、ぼんやりと草の中に座り込んでいたセッカはぼんやりと体をねじった。今まで同い年ほどの少女に名を呼ばれたためしなどない。セッカにとっては非日常も甚だしい出来事であった。
 そして緑の大地と空の青の中で鮮烈に自己主張する少女を視界に入れ、セッカは思わずその色彩の激しさに瞬きした。目に痛かった。毒々しい色だった。
 赤いスーツを纏った、茶髪のポニーテールの少女。
「うげぇ……ペンドラーかっての……」
「誰がペンドラーよ!」
「あんたが」
「ひどいっ」
 そう戸惑いなく毒づいてくるその声の調子に、セッカはふと首を傾げた。
「あ、まさかセーラ?」
「そーよそうですよ、あたしがセーラよ!」
「……ショウヨウから私を追ってきていたな」
 AZが座り込んだままぼそりと呟く。
 するとセーラは立ったまま笑顔で、座り込んでいる老人を見下ろした。
「今日は貴方はいいわ。あたしが用事があるのは、こっちのセッカだもの」
「え、俺?」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがぽかんと口を開く。セーラはそちらに目を向けて笑った。
「そうよセッカ。あたし、ショウヨウでの恨み、忘れたわけじゃないの。せっかくここで会えたんだから、バトルできっちり決着つけようと思って」
「お前、ポケモントレーナーだったんか……」
「うるっさいわね! 馬鹿にしないでよ! 前のあたしとは違うんだから! 見てなさいよ!」
 セーラは怒鳴ってケースを開き、ハイパーボールを一つ取り出した。高く放り投げる。
「行って、デデンネ!」
 ボールの中から、長い尾をしならせてデデンネが躍り出る。それは草陰に潜み、ぎりりとセッカとピカチュウ、そしてガブリアスを睨む。


 そのデデンネを見て、セッカは顔を顰めた。
「…………どういうことだ」
「どういうことも、こういうことよ! ねえセッカ、あたしはこの子たちでバトルしてみたいの。ちょっと相手になってちょうだい」
 セーラは鼻高々であった。
 セーラはバトルが好きだった。バトルをするのも見るのもどちらも好きだ。バトルをすることがセーラにとって最高の祭の演出であった。
 セッカもポケモントレーナーなら、バトルには喜んで応じるはずだ。トレーナーはバトルばかりする存在だからだ。セーラをただの自転車好きのミニスカートとしてではなく、好敵手として認めてくれる。セッカはセーラをより鮮烈な存在として認めるだろう。
 それだけを望んだ。
 けれどセッカはいつかの朝のように、どこかセーラの望んだものと違う動きをした。
 ただ、冷淡に問いかけた。
「……いやさ、あのさ、バトルすんのはいいけどさ。セーラ、いくつか質問していい?」
「何よ」
「セーラ、エビフライ団だったんだ?」
 セッカはセーラの制服を見つめていた。
 真っ赤なスーツ。セッカに認識されるためにカツラとサングラスは外しているが、それもただ足元に置いているだけだ。
 セーラは怒鳴った。
「エビフライ団って何よ、そのお子様ランチみたいな名前は! フレア団よ!」
「ああそうそう、それ。で、セーラってエビフライ団だったんだ?」
「フレア団だって言ってるのに……。あたしはフレア団員よ、悪い?」
 いや、悪くはねぇけど、とセッカの返事は歯切れが悪い。
 そのままセッカは狼狽したように首を振った。セッカらしくない動作にセーラは眉を顰める。セッカらしくないといっても、セーラはセッカとは半日ほどの付き合いしかなかった。それでもこれほど意気地のない人間だったなら、ますます興ざめだ。
 セッカが額を押さえていた手を下ろし、顔を上げた時、セッカは無表情になっていた。
 灰色の眼差しがセーラを射抜く。
 反射的に肘が跳ねた。
「じゃあさセーラ、もう一つ訊くけどさ、もう一つ訊いてバトルに入るけどさ」
 セーラは無意識のうちに固唾を呑んだ。
「……な、何よ」
「そのデデンネどこで手に入れた」


 セッカは目を見開き、無言のままガブリアスを駆けさせる。
 ガブリアスは草をかき分け、デデンネに踊りかかったかと思うと、その爪をデデンネではなく大地に叩き付けた。
 地面が揺れる。セーラは悲鳴を上げた。牧場のメェークルたちがパニックになって走り回ったり地に伏したり。
 AZは座り込んだまま、唐突に不意打ちのように始まったバトルを眺めている。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカは無表情に立ち尽くしている。
 小さなデデンネが揺れる地面に翻弄され、目を回す。
 セッカは舌打ちした。
「何これ」
「デ……デデンネ、戻って! お願いホルード!」
「ああくそマジで腹立つ。アギト適当に潰して」
 セーラが続いて繰り出したホルードに、ガブリアスは容赦なくドラゴンクローを振り下ろす。ホルードはそれを巨大な耳で受け止めた。睨み合う。
「ホルード、穴を掘る!」
 セーラが叫ぶと、ホルードは軽くガブリアスを受け流し、その脇で地中に飛び込んだ。
 すると再びセッカが不機嫌も露わに舌打ちした。
「……あのさ、ホルードもホルードっつーか、そのパターンでサクヤのボスゴドラに潰されたの忘れてるわけ?」
 ガブリアスが再び地震を撃ち、ホルードを地中からあぶり出す。そこにドラゴンクローを見舞う。不意を突かれたホルードがバランスを崩し、草の上をざざと滑っていく。
 セーラはホルードを戻しもせず、残り二つのハイパーボールを掴んだ。
「い、行って、ブロスター、ファイアロー」
「ああ……ほんと、ほんとに…………」
 セッカが片腕を持ち上げた。肩にいたピカチュウがバチバチと紫電を閃かせつつ、その腕の先に駆け寄る。
 ピカチュウを投げ上げる。
 青天の霹靂。
 微かに湿った空気に、ばちりと弾ける音が満ちた。



 セッカは無表情ながら、半ば混乱していた。
 目を回すホルード、ブロスター、ファイアローをそのままにして草地に座り込んでいる、赤いスーツ姿のセーラの元に歩み寄る。ややぽっちゃりした体形にスーツがきつそうだ。しかしそれは間違いなく、フレア団の制服だった。
 乱れたポニーテールの茶髪が揺れる。
 セーラはセッカを見上げ、その顔の無表情なのに僅かに怯えたらしかった。
「……いや、ほんと、なんでお前さ」
 セッカはピカチュウを肩に乗せたまま、セーラの正面に屈み込んだ。真面目な顔を作って覗き込む。
「ファイアローとブロスターとホルードとデデンネ、どこで手に入れた?」
「……あ、あたしは、た、ただ受け取っただけで」
 セーラは胸の前で手を握りしめている。まるでセッカとの間に壁を作るかのように。
「受け取った?」
「ふ、フレア団の幹部に」
「あー、お前なんで、フレア団なんかに入っちまったの?」
 そこにピカチュウの鳴き声が割り込んだ。
「ぴぃか、ぴかぴか」
「……何、ピカさん」
「ぴかちゅ、ぴぃか!」
 ピカチュウはセッカと何かを相談すると、途端に愛くるしい妖精の顔つきになってセーラの膝にてちてちと歩み寄った。セッカの無表情に怯え切っていたセーラの心をほぐす作戦である。
「ぴかぁーっ」
「ほら、ピカさんも応援してるぞ。セーラ、なんでフレア団に入ったの。俺に何の用?」
「……ち、ちが、これはあたしが勝手に」
「そういう言い訳信じると思ってる?」
 より一層セッカの声が冷やかになるのに反比例して、ピカチュウはセーラを元気づけるかのように甘えた声を出している。飴と鞭を用意したものの、使い分けずに同時に使っていた。
 セーラはとうとう涙ぐみながら叫んだ。
「違うって言ってるでしょ! あたしが追ってきたのはそこのおじいさん! あんたなんか関係ない!」
「関係なくはないだろ」
「なんで」
 セーラが反射的に問うと、セッカは双眸を見開いた。
「てめぇが持ってたのが、トキサのポケモンだからだろうが」


 セーラはぽかんとした。
「トキサって……誰?」
「あ、そう、知らないのね。まあそれならそれでもいいわ。あーくそ、マジでどうしよっかなー」
「ねえ、このポケモン、フレア団から支給されたのよ。だから」
「あのさセーラ、お前なんでフレア団なんかにいるわけ」
 そのセッカからの再三の質問に、セーラはふと口を噤んだ。
 しまった。今は仕事中だった。なのにセッカのガブリアスに完封されセッカに威圧されて、セーラは混乱していた。
 しかし自身が混乱していることを認識してもなお、頭は沸騰したままだった。何も考えられない。自分は何を喋った。なぜセッカとバトルをする羽目になった。なぜセッカがここにいる。自分はAZを確保しなければならないのに。
 セーラはつと立ち上がった。セッカの視線がそれを追う。
「どしたん、セーラ」
「……あんたには関係ない」
「関係なくはないってさっき言ったばっかだろ」
「この子たちのおやの事なんて知らないわよ! あたしがなんでフレア団に入ったかなんてあんたにはどうでもいいことじゃない! あんたとあたしは敵なの! だからもう、構わないでよ!」
「俺とお前が敵?」
「そうよ! そうじゃない!」
「あっそう。……セーラ、お前やっぱ喋りすぎだわ」
 茶髪のセーラはぎょっとして、袴ブーツのトレーナーを見下ろした。すると屈んだままのセッカの顔が上がって、また灰色の双眸と目が合ってしまった。
 セーラは少なからず怯んだ。
 セッカの目が、上目遣いにセーラを睨んでいた。
「よく分かったわ。俺らとフレア団が敵だってこと」
「……ちょっと、あんた」
「あーあ、セーラのこと好きだったのになー。お前まで敵じゃ、仕方ないよなー!」
 セッカはにやりと悪い笑みを浮かべた。そしてピカチュウに合図を送った。
「ほらピカさん」
「……ぴぃーか……」
「おらなに渋ってんだピカさん。俺とフレア団のどっち取るんだよお前よ」
 そのようなやり取りの後、意を決したようなピカチュウがセーラに飛びついた。
「きゃっ!」
「ぴぃーか……ぴかー」
 ピカチュウは渋々ながらセーラのスーツの内外を調べまくった。セーラはくすぐったさに思わず笑ってしまう。ピカチュウはセーラの財布とホロキャスターを見つけ出し、従順にセッカに手渡す。
「……ああうん、まあ財布は返すわ」
 セッカはセーラに財布を投げ返す。そして追い払うように、セッカはセーラに向かって手を振った。その手にはまだセーラの赤いホロキャスターが握られている。
 セーラはいきり立った。
「ちょっとどういう意味!? あたしのホロキャスター返しなさいよ!」
「どーせタダで支給されるんだからいいだろ……。バトルで壊れたっつっとけよ。賞金代わりだって、こんなの」
「ひっ……ひどい……それが無いと何も報告できないのに」
「取り返したけりゃ実力でどうぞ。ま、俺の手持ちはまだ六体ともぴんぴんしてるけどな?」
 セッカは涼しげな表情で、セーラのフレア団から支給されたホロキャスターを片手で弄んでいる。
 しかしそのように言われてしまえば、セーラにももうどうしようもない。泣き寝入りをするしかないのだ。トレーナーの中にも、手持ちすべてを瀕死にさせられたことに付け込まれ、不法に有り金全部や高価な機械を奪い取られるという事件は後を絶たないという。
 セーラもそれに巻き込まれたのだ。
 セッカは違法者だったのだ。そのことに気付きセーラは歯噛みする。失望どころではない。セクハラされたのも、暴言を吐かれたのも可愛いものだった。セッカがセーラに向けているのは、純粋な敵意だった。
 なんで、なんでなんでなんで。セーラには理解できなかった。なぜ悪意を向けられなければならない。
 セーラはフレア団としてではなく、ただのトレーナーとしてのバトルを仕掛けたつもりだったのに。意味がわからない。セッカは頭が固いのだ。
 こんな非道な人間など、どうなっても構うものか。
 茶髪の少女は泣き喚いた。
「許さない! 許さない許さない! 今度会ったら、ぎたんぎたんのけちょんけちょんにしてやるから! 覚えてなさいよ!」
 セーラは捨て台詞を残し、返却された財布とボールケースと、赤いカツラとサングラスを抱きしめながら、シャラシティへと走り去っていった。



 セッカはセーラから奪い取ったホロキャスターを握りしめたまま、溜息をついた。
 その足元のピカチュウも、傍らのガブリアスも、沈黙してセーラの真っ赤な後姿を眺めていた。
「……なんだかな」
「随分な悪党ぶりだったな」
 セッカの背後からかけられたAZの言葉には、どこか冷笑が含められていた。セッカは軽く舌打ちする。
「あんただって、フレア団に追われてたくせに」
「……お前はいったい、何をした?」
「わかんない。わかんないんだよ。あんたはこれからどうするんだ?」
 セッカはそろりと老人を振り返った。
 大柄な老人は先ほどから少しも動かず、草の中に泰然と胡坐をかいていた。眉一つ動かさずに、セッカを見つめている。こうして見ていると、セッカの遠近感は狂っていくようだった。AZの周囲だけ縮尺がおかしいのである。
「私は、カグヤヒメを捜し続ける」
「まだ言ってるのね。フレア団のことはどうするつもりかって訊いてんだけど?」
「なるようにしかならない。……そのような事で見失ってはいられない。私には時間がない」
 AZは瞑目し、のそりとたちあがった。そして目を開き、染まる空を眺める。その視線が何かを探し求めるかのように流れる。
 いつの間にか傾いていた陽が、その顔の皺に、長い白髪に苦悩の陰影を刻む。
 セッカはひっくり返りそうになりながら、ピカチュウとガブリアスと共にそれを見上げている。
「……あんた、時間がないのか」
「お前が思っているよりは、たっぷりとあるがな」
「どれぐらい?」
「あと百年ほど」
「長っ」
「そのぐらいも経てば、さすがにこの体にもガタがくる」
「魔王みたいなこと言っちゃって……」
 セッカは吹き出した。風が吹き抜け、牧場には呑気なメェークルたちの姿がまたしても戻り始めている。黄金色の光の中で草を食み、昼寝をし、遊びまわる。
 セッカは嬉しかった。この世の中には自分たち四つ子以外にもフレア団に狙われている者がいると思えば、仲間が増えたような、心強い気がした。竹取物語も知らなくて、そのくせメルヘンな思考回路の異常に長身な老人だけれど。
「……百年後なら俺もあんたみたいな爺さんになってんなー。俺が死ぬまでに、あんたの姫に会えるといいね」
「私もそれを望んでいる」
 セッカは肩を竦めた。赤いホロキャスターをきつく握りしめながら。
「じゃあね。陛下」
 AZは返事をせず、大股で牧場の草を踏み越えていく。
 追いすがるフレア団など羽虫ほども気にしないという風に。
 夕暮れの映る広大な背中が、セッカには少し羨ましかった。蜃気楼のように遠ざかって。
 倒れたセッカを見つけた時も、彼はこのようなゆったりとした足取りで現れたのだろうか。最初から最後まで同じ歩調で。瞬きごとに視界の中に、愛する姫を求めて。


  [No.1462] 深更漂う 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/17(Thu) 20:50:40   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



深更漂う 上



 ヒヨクシティの西に、ことさら青く澄んだ、穏やかな海がある。
 アズール湾、と呼ばれている。
 高級リゾート都市のヒヨクを訪れた観光客が訪れる、カロス有数のビーチ。それも夜となればさすがに人の気配はわずかだけれど。


 黒髪と袖に絡めた青い領巾を静かな潮風になびかせ、潮の香りを肺いっぱいに吸い込む。ゼニガメを両手で抱えたサクヤは静かに夜の浜辺を歩いている。ブーツの底で砂を蹴るたび、貝の死骸の欠片を踏む。打ち寄せる波の音は絶え間ない。
 海を見るのはとても久しぶりだった。このところマウンテンカロスばかりに籠って山ばかり見ていたせいだ。ましてや遅い夜の海など。
 夜空には星が輝き、月が浮かぶ。
 闇の大海は月光を散り敷き、網の上に小魚を揺するように光を波間に弄ぶ。その中で海中に漂うように見える微かな灯火は、チョンチーかランターンか。潮騒に紛れ、遠く、微かに、歌のようなものが聞こえる。ラプラスだろうか。
 昼間は騒がしいキャモメはすっかりねぐらで寝入ったか。けれど観光客は、夜のアズール湾にはまだあった。チョンチーの淡黄の光や浅瀬で赤く揺らめくラブカスの群れを夜の海に見出し、ラプラスの歌に耳を傾けようと。
 そうした観光名所に群がる観光客を、サクヤは好かなかった。夜闇のおかげで砂浜を踏み荒らした足跡が良く見えないのがせめてもの救いだ。
 誰かが行くから自分もそこに行く――そのことに楽しさを覚える精神が、サクヤには理解できない。わざわざ人混みの中に飛び込んでいって、忙しい人の流れに従って、レンズ越しの風景ばかり覗いて写真ばかり撮って、ネット上で見せびらかして。
 それでは何一つ本物の美しさを見れていないと、サクヤは思ってしまう。
 行くことが目的となっているがための、行って何をするのかという実質の空虚さ。美しいものを見るには独りに限る。他者がいれば、そちらにまで気を遣わなければならないから。もちろんサクヤも家族や恋人同士で旅することを全否定はしないものの、それはあくまで彼らの間の関係を深めるための旅であって、美しきものを愛でるための旅とはならないだろう。そう思っている。



 サクヤは人けのない浜辺へ向かって歩いていた。寄せる波に濡れた細かな砂浜は、それすらも粒々と月明かりを映して輝く。
 より人の少ない場所へと。人嫌いの性のためか。
 サクヤだけでない、四つ子は人が嫌いだった。特に大勢の人間が嫌いだ。あからさまに嫌悪感を示すキョウキだけでなく、一見人懐こいセッカも、そして常に機嫌悪そうに眉間に皺を寄せているレイアも、サクヤと同様に人混みを避ける性質がある。野山にこもり、一日じゅう人と話さず、ポケモンだけを愛して。
 それは四つ子が利己主義者だから。他者に興味などないから、まず関わりを避ける。
 関われば傷つけることすらある。ミアレの事件以来、四つ子はさらに他者に対して神経質になった。キナンでの滞在以来、四つ子はさらに他者に不信感を抱くようになった。
 確かに、他者に対して無関心ではなくなった。けれど関心を持てば持つほど、避けずにはいられない。
 かつては、他者に興味がなかった。
 現在は、他者を嫌悪している。
 それが良き変化なのか悪しき変化なのか、四つ子は判断しかねている。何はともあれ、生きづらくはなった。
 それは辛い旅だった。生きていることが苦しかった。
 フレア団やポケモン協会の敵になったというのが、すべて四つ子のただの妄想であれば良いのに。それであればもう少し、歩きやすく均された道路を堂々と歩けるのに。
 けれど歩きやすい開けた道を外れてわき道にそれ、迷い込んだからこそ、サクヤは今この美しいアズール湾に辿り着いていた。


 蒼い。
 月までもが海に染まったかのように青白い。
 波の寄せては返す音が、一定のリズムで繰り返される。静かに、静かに。
 サクヤがそろそろと砂浜に腰を下ろすと、腕の中のゼニガメが元気よく飛び出し、海の浅瀬に飛び込んでしまった。やんちゃなゼニガメは気持ちよさそうに波間にたゆたい、そしてサクヤを振り返って水鉄砲をしてきている。サクヤも入ってこいと、そう言っているのだろうか。そんなことできるわけないのに。
 波打ち際で膝を抱える。穏やかな夜の海風を全身に浴びる。
 波が寄せては返す。寄せては返す。静かに、ただ静かに。

 サクヤは一人だった。
 片割れたちはここにはいない。
 山間のキナンシティをTMVであとにして、大都市ミアレに着いた後、共に西のシャラシティで用事を済ませてきた。そのあと。四つ子はバラバラになった。
 誰が言い出したわけでもない。自然とそうなった。
 サクヤたち四つ子は仲が良い――この歳になっても同じ布団の中でくっつき合って眠ることにまったく抵抗感を覚えないどころか高揚感と安心感しか覚えない程度には。だから今回の別離も、特に諍いに起因するものではない。
 フレア団やポケモン協会の目をくらますには、別々に行動する方がいいのではないかと考えただけだ。四人全員や二人ずつで行動していると、とかく目立つのである。それも四つ子の自意識過剰、被害妄想である可能性も無きにしも非ずではあったが。
 一人旅でも別段、心細くはない。手持ちの六体のポケモンたちがいるから。いざとなったら彼らに頼ればいい。彼らを育てたのはサクヤだ。サクヤは自分を、ポケモンたちを信じている。
 サクヤの心は目の前に広がる夜の大海のように、静かだった。キナンを出、ミアレからシャラを辿った後も、フレア団との接触はない。フレア団が四つ子を狙っているというセッカの仮説は本当は誤りなのではないかと疑ってしまうほど、何事もなかった。
 この夜の海のように、あまりにすべてが平穏無事で。
 一人でもなんとかなるような気がしていた。それは楽観なのだろうか。
 フレア団に狙われている、という話が未だに現実味を持たなくて、サクヤの不安は宙づりになっている。


「ぜにー!」
 サクヤが思考に沈んでいたとき、海の中でゼニガメが悲鳴を上げた。サクヤははっとして顔を上げる。
 ゼニガメが海面から飛び上がっていた。飛沫が月光に散る。
 ゼニガメの影を穏やかな海から叩き出したのは、純白の角、白銀の体毛を持った海獣――ジュゴンだ。
「ぜぇにーっ! ぜにがー!」
「あおおお?」
 ジュゴンはその角でゼニガメの甲羅の一点を支え、ゼニガメを器用に頭上でくるくると回して遊んでいる。まるでタマザラシを鼻先で回して遊ぶトドグラーのようだった。ゼニガメは渦潮にでも巻き込まれたように目を回している。
 サクヤは更にはっとして周囲を見渡した。
 その瞬間、サクヤは後頭部をはたかれた。

「ひっ」
「サクヤか。このド阿呆!」
 鋭く怒鳴られ、背後から頭をぐりぐりされる。そうなると反撃のしようがない。
 サクヤは従順に、その人物に苦痛を訴えた。
「……い、いい痛いです……ウズ様」
「当たり前じゃ! レイアとキョウキとセッカの居場所を吐かんかい!」
 サクヤの背後から、ひどく嗅ぎ慣れた懐かしい甘い香の匂いが漂ってきた。潮の香と混じってえもいわれぬ薫香を醸し出す。サクヤはどうにか養親の両手を押さえ、そろそろと背後をふりかえった。
 長い銀髪を高い位置で結わえ、きちんと着物を身につけた若い外見の人物が、鬼の形相で仁王立ちしてサクヤを見下ろしていた。懐中電灯を手にして、草履に足袋で夜の砂浜に立っている。
 サクヤたち四つ子の養親、ウズである。


「……ウズ様、なぜここに……」
「勝手にキナンを抜けおったおぬしらを捜しとるに決まっとるじゃろうが! まったく、ロフェッカ殿にも大層ご迷惑をおかけしよってからに! エイジ殿もひどく心配しておられたぞ、このアホ四つ子が! ポケモン協会様も、おぬしらを捜しておる!」
「……なぜ」
「おぬしらが協会様のご指示ご厚意を無視して、キナンを出たからじゃろうがぁ!!」
 ウズはぷりぷりと若々しく怒りながら、サクヤの隣の砂浜にどさりと腰を下ろした。興奮した神経を鎮めるかのように、静かな夜の海と、沖でゼニガメを回して遊んでいるジュゴンを眺めている。このジュゴンはウズの手持ちであり、実はどのような人間よりも長くウズに寄り添い続けたウズの伴侶でもあった。

 サクヤは眉を顰めて、ポケモン協会が自分たち四つ子を捜しているという、たった今聞き知った事実について思案していた。
 四つ子がひと月かふた月ほどキナンに籠っていたのは、ポケモン協会の指示によるものだ。
 にもかかわらず、キナンから出てもいいという協会からの指示を待たずに、四つ子はキナンを飛び出してしまった。だから協会に捜されている。
 なぜ捜されているのか。
 保護のため、なのか?
 ポケモン協会の管理から外れた四つ子を、警戒しているのではないか?
 協会から逃げれば逃げるほど、四つ子は自ら協会の敵となってしまうのではないか?
 それは望ましいことなのか?
 フレア団に対抗するためには、協会とは敵対しないようにすべきではないのか?
 協会を信じていいのか?
 わからない。
 キナンで片割れたちと一緒に四人で考え続けても、とうとうわからなかった。今さら一人で悩んだところで、分からないだろう。


 そのようなサクヤの惑いも知らず、ウズはサクヤの葡萄茶色の旅衣の肩を軽く掴んだ。
「まったく、おぬしら四つ子は昔っから、面倒事を絶やさぬ童どもじゃのう。いかなる凶星の下に生まれたか。なして大人のゆうことを聞かぬ? モチヅキ殿に尻を引っ叩いてもらわねば言うことを聞けぬのか?」
 ウズがモチヅキの名を出したのは、サクヤが特にモチヅキを慕っているのをわざわざ揶揄する意図もあっただろう。
 サクヤはそっぽを向き、肩からウズの手を外させた。
「……僕ら四つ子はもう子供ではありません。とっくに十も過ぎ、立派な成人です。ウズ様に子ども扱いされる筋合いはないかと存じます」
「童でないというならば、問題を起こすでない」
「……僕らが問題を起こしたのではありません」
「では、なぜ無断でキナンを出た?」
「……貴方に断る理由などない」
 サクヤは澄まして冷淡だった。
 ウズは鼻を鳴らして、遠く夜の海を眺めた。サクヤは昔からこうだった。ウズに対しては冷淡で慇懃無礼。頭は良く手はかからないけれども、養親のウズよりも、たびたびクノエを訪れてくるだけのモチヅキの後ばかり頬を赤らめて追う。まったく可愛げのない子供だった。
「…………おぬしは、あたしではなくモチヅキ殿になら、打ち明けたか?」
 ウズがぼそりと呟いた。サクヤは首を振る。
「……片割れたちと相談して決めます」
「あたしに何も言わなかったのも、おぬしら四つ子が下した決定じゃ、と?」
「……そうですね。ウズ様に打ち明けたところで何にもならないだろう、と」
「…………つまり、あたしでは力不足か…………」
 波に飲み込まれそうな声だった。
 気まずくなり、サクヤは改めて膝を抱える。波が白く浜に打ち寄せる。


 確かに、四つ子はけして、この養親を高くは評価していない。料理や和裁の腕は認め重宝してはいる。けれどウズは一切ポケモンバトルをせず、したがって“実力がある”かどうかも分からない。学問に通じているわけではない。芸事の心得はあるが、滅多に披露もしない。そしてたびたび腹を立てては、四つ子を庶子だと理不尽に詰る。
 四つ子には、この養親がよく分からないのだった。四つ子が何をしてもけして四つ子の心には寄り添おうとしない、遠い存在――それがウズだった。四つ子がウズを無邪気に慕おうにもそれを許さない、一定の心の距離をウズは常に取っている。
 父親に捨てられ、母親に先立たれた自分たちを根気強く養い育ててくれたことには感謝している。けれど、ウズにそれ以上のことができるとはとても思えなかった。
 ウズには四つ子を守る力などない。だから四つ子もウズを頼ることはできない。
 養親はサクヤの隣、浜辺で胡坐をかいたまま、寄せては返す波ばかりを見つめている。波の音に耳を傾けているようにも見える。
 サクヤは恐る恐る口を開いた。
「……ウズ様」
「何か」
「……僕らのことは構わず、どうぞクノエにお帰りください」
 するとウズが流し目でサクヤを睨んだ。
「あたしが邪魔かえ」
「……そのような……」
「いつもそうじゃな。おぬしら四つ子は、昔からあたしを邪魔者扱いして。おぬしらに食事や服を与えたあたしを、四人で寄ってたかっていじめよる。ひどい扱いじゃ。親不孝者めが」
「……僕一人に言われましても」
「シャラには寄ったか」
 ウズは唐突に話を変えた。
 サクヤは半ば呆気にとられつつも、養親の機嫌を損ねないようにすべく素直に頷いた。
「……はい。マスタータワーには四人で寄りました」
「認められたか」
「……ええ」
「ふん、まあよろしい。ではその力、見せていただこうかの」
 ウズは音もなく立ち上がった。薄紅の裳裾がさらりと流れ、香が甘く薫り立つ。
 白皙や背を流れる銀髪が月に照らされ、そこにはいかにも人間離れした物凄さがあった。
 サクヤはそれを呆然と見上げていた。ウズは何をしようと言うのだろう。

 どうどうと、滄溟が鳴る。
 ウズは頓着なく、浅瀬に草履の足を踏み出した。
 着物の裾が海水に浸かるのにも構わず、ウズは自らの手持ちのジュゴンの方へと歩み寄る。するとそれまでサクヤのゼニガメで遊んでいたジュゴンが、ゼニガメを放り出し、するりとウズの傍に寄り添った。ウズはその純白の毛皮に手を当て、慎重な緩やかな動作でジュゴンに横乗りになる。ジュゴンが尾で一つ海面を叩いた。
 ウズは月のような白い顔で、海のような青い領巾を被布の袖に絡めたサクヤを振り返った。
「随うて来やれ。海からでも、空からでも」


  [No.1463] 深更漂う 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/17(Thu) 20:52:56   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



深更漂う 下



 ウズはジュゴンに乗り、サクヤはチルタリスの背に跨って、夜の海を越えた。
 北へ。
 雷の轟くような海鳴りが聞こえる。二人の向かう沖は天気が悪いのか。
 夜中に沖に出る観光客は、さすがに無かった。海上のただ中は静かだった。純白の海獣は黒い海面を気持ちよく切り裂き、空色の綿竜は夜空とそれを映す海に見惚れて歌う。
 黒々とした海の中にウズが懐中電灯の光を投げ、方向を示す。
 いくつもの海面に突き出た尖った岩に囲まれるように、その島は鎮座している。
 ジュゴンが浅瀬の中ほどで泊まり、その背から降りたウズが草履の足を海水に浸しながら砂浜に立ち止まる。月明かり、星明りを吸い込んだように砂浜は白く輝いている。
 チルタリスも砂上に舞い降りた。
 島の中央の岩山を横目に見ながら、ゼニガメを抱えたサクヤも軽く砂を踏む。跳び下りた勢いのまま数歩進んで、チルタリスをモンスターボールに戻し、白銀の養親を見やった。


 ウズはいつの間にか、その白い指先に青鈍色の鈴を提げていた。
 暫しその古びた鈴に視線を注いでいたが、ちらりと養子の一人に視線をやる。底知れぬ瞳だった。
「サクヤ。これをご存知かや」
 その若々しい声は玲瓏として、島を取り囲む波音によく馴染んだ。指先がゆらりと揺らぎ、鈴が転がる。それは思いのほか、海鳴りのような鈍い音を発した。
 ゼニガメを抱えたサクヤは訝しみ、首を振る。
「……存じ上げません。ただの鈴と違うのですか」
「さて。あたしが赤子の時分、故郷の漁村に流れ着いた時、あたしの首にかかっておったとか。それ以来あたしと共にある」
「……流れ着いた?」
「おそらく母の形見であろうな。あるいは父の」
 ウズは袖からモンスターボールを取り出すと、浅瀬に留まっていたジュゴンを戻した。
 そして鈴を揺らしながら、サクヤを見据えた。
「こちらは海神の穴と呼ばれておるとか。――ではサクヤ。ここで存分に、シャラで得た力を見せてもらおうかの」
「……あの、先ほどから話が見えないのですが」
「このウズの頼るに値せぬとおぬしらが断じておる事は、分かった。思い上がった子童に少々灸を据えることにする」
 ウズがさらに鈴を振るう。何かを招くように。
 海の遠くから聞こえてくる、海鳴りがそれに呼応している。それに気付いたゼニガメが、サクヤの腕の中でもぞもぞと暴れ出した。サクヤはそれをしっかと押さえる。
 ウズは細波のように囁いた。
「サクヤよ、そなたら四つ子のお父上殿がどのような仕事をしておいでか、ご存知かえ」
「……いえ」
「そなたらの祖先、古く『ちはや』と呼ばれた家は代々舞踊の家系での。まあそれが戦乱に権力闘争に色々重なり、多くの分家流派に分かたれ、歌舞伎を主とする家やら、現代の子女に舞踊を伝えることを主とする家やらが出てきたわけじゃ」
 ウズは手慰みのように鈴を揺り鳴らしながら、海鳴りを島に招じ入れているようだった。
「して、そなたらの四條家はそのような分派の中、花柳界にて発展を遂げた。したがって、古より続く神の鳥を招き入れる踊りを芸妓舞妓に伝えるは、四條の家」
「……神の鳥……」
「左様。神おんみずからの遣わした証たる羽根と、人の中より選ばれ出でし証たる鈴。そして舞妓の踊り。それらにより、神の鳥を降臨させる。そなたらのお父上殿の守っておられるは、そうした一連の儀式じゃ」
 ただしあたしは少々特別での、とウズは夜風の中で笑った。海からの風に巻き上げられた銀髪が月光のように煌めく。
「踊りも見様見真似でできんこともないが、そこまでせずともあたしは顔が利くでな」
 その時、正面の海が山のように盛り上がった。

 サクヤの腕の中で暴れていたゼニガメが、ぽかんと口を開いてそれに見とれる。
 ぬるりと、膨らんだ海面は月を映し込んだ。
 青く輝いた。
 余波が津波のように浅瀬に押し寄せる。けれど不思議とサクヤやウズの立つ浜辺には細波しか立たなくて、砂浜に打ち上げられる水ポケモンなども無い。ただ湿った空気と地面が微かにふるえた。畏れるように。
 銀の飛沫が、滝のように降り注いだ。
「海神のご降臨であるぞ。いやはやお久しゅうございますな、お父上」
 ウズは呑気な声音であった。そのままどこか狡い笑顔でサクヤを振り返った。
「では、海神様と勝負なされよ、サクヤ。ぐっどらっく」
 ゼニガメを抱えたサクヤは、呆気にとられて銀の神鳥を眺めていた。



 ルギア。
 深海から現れた。
 羽ばたきの一つ一つもいやにゆっくりで、それは体を宙に保つためでなく、海風を叩き付けることによって人を威圧させんとするためのものでないかと思われる。
 海水に濡れた銀の羽根は煌々と刃のようで、立ち上る海霧は神々しくほのかに月彩に染まる。
 その両翼から滴り落ちる濃い滴は、生々しい原初の命のにおい。
 血潮の香りを纏った海神が、サクヤを見下ろしていた。


 知らず半歩後ずさりそうになるサクヤに、ウズが声をかけた。
「ほれほれ、シャラで得た力を見せてみや。せっかくそなたのためにご降臨下すった海神様を失望させるでない」
「……ウズ様……これは一体」
「あたしは腹が立っておる。あたしの怒りは海神様のお怒り。少々灸を据えてやると申したじゃろうが」
 その時、ルギアが咆哮した。突風が巻き起こる。ゼニガメを抱えたサクヤごと吹き飛びそうであった。
 ばたばたばたと、海面から飛び散った飛沫が、砂浜を穿つ。
 サクヤは膝をつき、浅瀬の上空で威圧感を放つルギアを睨んだ。ルギアの瞳は黒々と夜の海のよう。――これを、倒せ、と? 倒せるのか? 無理ではないか? そもそも、まさかウズにこのような切り札があったとは。
 いつの間にか海上は急速に暗雲に包まれつつあった。海鳴りと思われたものは今や雷雲の呻き、砂浜を打つ飛沫と思われたものは今や大粒の雨。
「……雨乞いか」
 ルギアもまたサクヤの見知った技を使うことを認識すると、途端に頭が切り替わった。相手はポケモンだ。力が上回れば、いくら海神とても倒せよう。

「アクエリアス、ハイドロポンプ」
 大雨に大喜びしていたゼニガメに低く命じると、ゼニガメは勢いよくサクヤの腕の中を飛び出し、大雨を味方につけて大量の水を吐き出した。その水流が銀の大鳥にぶつかると、ゼニガメはそのまま頭と手足を引っ込め、回転しながら甲羅の中から勢いよく水流を発する。
 海水に濡れたルギアは、それを悠然とその翼で受け止めていた。そしてゼニガメの水の勢いが弱まると、くわと顎を開いた。
「アクエリアス、守る」
 ざん、と鈍い音がした。
 ルギアのハイドロポンプは、ゼニガメのものを完全に上回っていた。水量、水勢、水圧、何をとっても敵わない。それはもはや水流ではなく、鋼をも断つ水の刃だった。それを見て取り、サクヤの背筋を冷や汗が伝う。ゼニガメは甲羅にこもって完全にそれを受け流しているが、まともに食らったら物理的に耐え切れないだろう。
 仕方がないと嘆息する間もなく、サクヤは続けてモンスターボールから、チルタリスとニャオニクス、ボスゴドラの三体を繰り出した。
 そこにウズの言葉が飛んでくる。
「サクヤよ、確か一度に四体出すのは、ルール違反ではないのかの?」
「不意打ちでチートなやつ召喚した方には言われたくありません」
 サクヤは冷淡に応じた。
 ルギアの追撃が来る前に、ニャオニクスに光の壁を張るよう命じる。チルタリスに流星群を撃たせ、その直後にパワースワップでルギアの特殊攻撃力を奪う。これでルギアの驚異的な破壊力はだいぶ制限できたはずだ。
 この雄のニャオニクスはサポート型だ。ゼニガメにはそのニャオニクスを守ってもらう。チルタリスには上空からルギアの動きを制限させる。
 そしてボスゴドラには。
 サクヤは帯に挿していた簪を引き抜いた。その飾り部分は蜻蛉玉ではない――キーストーン。シャラシティのマスタータワーで手に入れたものだ。
 それが、ボスゴドラが手に持つメガストーンと共鳴する。こちらはキナンシティで、ウズから受け取ったもの。
 サクヤはメガシンカのこの派手さが好きではない。未だ慣れていない所為というのもあるが、キーストーンとメガストーンから伸びた眩い七色の光が結びつくという演出からして、実に騒がしい。繋がりとは、これほど派手なものでなくてもいいのに。


 七色の光を打ち破ったメガボスゴドラは、海水打ち寄せる浜辺にその巨体の四肢を突き立て、宙に神々しく佇むルギアを睨んだ。
「メイデン。アイアンテール」
 巨大な尾を振り回す反動で、メガボスゴドラは砂浜から跳躍した。
 ゼニガメのハイドロポンプ、ニャオニクスのサイコキネシス、チルタリスの流星群によって追い立てられ、ルギアは海面すれすれまで下降していた。その横っ面にメガボスゴドラがアイアンテールを叩き付ける。
 しかしルギアは一瞬の怯みもなく、凄まじい大気の刃をメガボスゴドラにお見舞いした。
 そのような技をサクヤは知らない。
 チルタリスやニャオニクスの種々の工作の上でも、ルギアのその攻撃は、メガボスゴドラを砂浜の上で大きく後退させるほどの威力があった。もはや化け物レベルだ。
「冷凍パンチ」
 メガボスゴドラが、砂を踏んで猛烈な勢いで突進する。
 冷気を纏った拳をルギアの腹に叩き付けるも、またもや急所に攻撃を受けたにもかかわらず、ルギアは怯むことなく至近距離から、今度は大雨の力を得たハイドロポンプ。メガシンカによってボスゴドラの岩の属性は打ち消されているから効果は抜群とはならないものの、それでもやはりゼニガメのハイドロポンプを凌ぐ威力。
 更には、ルギア本体には未だに、全くダメージを負ったような気配はない。
 否、そうではない。サクヤは息を呑んだ。
「……自己再生か」
 ルギアはダメージを負っても、その片端から体力を回復しているのだ。元々防御に優れた能力を持つのだろう、戦闘を始めた時からほぼ変わりのない余裕、神聖さ、威圧感。
 ルギアの威圧感は半端なかった。潮の香りの満ちた夜の空気が重々しい。
 サクヤのポケモンたちも知らず全身に余分な力が入っている。普段ならばゼニガメのハイドロポンプもチルタリスの流星群もまだ何発も放てるはずなのに、既に疲れ果てて荒い呼吸を繰り返している始末。
 そしてルギアは、海と天を自由に飛翔する。海中に潜まれてしまえば手の出しようがなく、空中に逃げられてしまえば主力のメガボスゴドラの技が届かない。
 どうする。
 このまま続けても、ポケモンたちの技を出す力が尽きる方が先だろう。ジリ貧だ。サクヤは早々にそう見切りをつけた。
 こういう時のための奥の手をサクヤは用意している。
 ゼニガメ、メガボスゴドラ、ニャオニクスを次々とボールに戻す。
 岩山の岸壁に寄り掛かってバトルを眺めていたウズがひょいと片眉を上げた。
「降参かえ?」
「まさか」
 サクヤはチルタリスを見上げた。
「――滅びの歌」


 そしてチルタリスが力尽きる前に、サクヤはきちんとチルタリスをボールに戻し、交代という形でゼニガメをボールから出した。ゼニガメはぴょんと飛び跳ねてサクヤの腕の中に飛び込む。
「こら。まだバトルは終わっていない」
「ぜにぃー?」
 サクヤとゼニガメは、未だ宙に留まっているルギアを見つめた。
 体力はほとんど削られず、生命力に満ち、月光に輝く銀の海神は、それでも滅びの歌を聞いたからには一定時間後には倒れる羽目になる。
 ルギアは、サクヤとゼニガメを見下ろしていた。
 サクヤは思わず言い訳じみたことを口走った。
「……なぜ貴方は、ウズ様の招きで僕らの前に現れたのですか」
「そなたらの力を確かめるためじゃとゆうておろうが」
 ざくざくと砂を踏みながら、腕を組んだウズが不機嫌そうな声を出す。
「滅びの歌とは何じゃ、滅びの歌とは! あたしはメガシンカの力を見せよと申したはず」
「メガシンカしたメイデンでも勝てそうにありませんでした。それでもなお勝ちをとろうとした結果です」
「海神様に勝つことなど、求めておらなんだ」
「なら、僕の手持ちが全て瀕死になるまで、足掻き続けよと? くだらない。傷つくのは僕ではなくて、僕のポケモンたちなのに? よくもウズ様はそのような非情なことを仰れますね」
 その時、海鳴りのような、笛の音のような、不思議な唸り声がした。サクヤとウズを宥めるような、海神の声だった。
 二人は反射的に顔を上げ、息を吐いた。
 その穏やかな声を聞いていると夜の渚に佇んでいるような、心安い気持ちがした。絶対的な安心感がそこにはあった。ルギアの瞳は夜の海、光差さぬ海底の色。冷たく重く柔らかい。
 ウズはちらりと海神を見やったかと思うと、心から残念そうに挨拶した。
「ありがとうござんした。気を付けてお帰りくださんせ」
 ルギアはウズに視線を合わせ、銀の背をねじり、青鈍色の羽を背に畳んだかと思うと、とぷりと思いのほか静かに水面下に消えた。月影の中、海底へと泳ぎ去っていった。
 サクヤはやはり、この養親の得体の知れなさに改めて内心冷や汗をかいていた。
 まさか、神と呼ばれるようなポケモンと顔なじみだったとは。
 これではやはり、頼りにならないというレッテルを改めざるをえないのではないだろうか。



 海神の洞穴の前で、二人は月光に輝く砂浜を歩いた。
 ウズが伸びをしながら心底つまらなそうにぼやく。
「ほんにつまらん童じゃ。ちいとも思い通りにならぬ。まあ、これで分かった」
「何がですか」
「お父上殿は、おぬしら四つ子にお会いになろう」
 そのウズの言葉に、ゼニガメを抱えたサクヤは思わず立ち尽くした。
「…………は?」
「ゆうたじゃろうが、四條家は神の鳥をお招きする踊りを伝える家じゃと。その家のもんが、海神様に認められた。これほど四條家にとって名誉なことはあらぬよって。あたしが証人になる。それにな、ほれ」
 そしてウズが得意満面で取り出したのは、ホロキャスターだった。サクヤが目を見開くと、ウズはますます得意げに慣れた手つきで機械を操る。そして立体映像を表示し、サクヤの目の前に突きつけた。
 それは先ほどの、ルギアとサクヤのバトルの様子だった。その器用な所業に、サクヤは思わず唾を飲み込んだ。
「どうじゃ、このホログラムメールも先ほどプラターヌ博士に送信したぞ。すぐに映像が本物と保証して頂けよう。高名な博士のお墨付きとあらば、四條家も認めざるを得んじゃろうて」
「……ウズ様……いつの間に機械に精通なされて……」
「ふん、あたしがキナンで遊んでばかりじゃったと思うたか。あの機会にロフェッカ殿やエイジ殿に教わり、一通りの機械類の扱いはマスターしたわ! どうじゃ、畏れ敬えアホ四つ子!」
「……はあ」
 この前まで四つ子と同じく機械音痴だった養親が、いつの間にか情報強者の仲間入りをしていることにサクヤは戦慄した。これでまた一つ、養親にアドバンテージを許してしまったわけだ。つい先ほど養親にはどうやら海神の加護があるらしいことを知らしめられただけに、今さらながら養親の底知れなさを思い知ったサクヤである。
 ウズは自慢げに、真新しい青鈍色の渋いホロキャスターを器用に操って、様々な機能をサクヤに紹介しようとしていた。そこに慌ててサクヤは口を挟んだ。
「……それで? 四條家に認められると、僕らはどうなるんです?」
「さて。ジョウトはエンジュシティの四條家のご面々にご挨拶にでも向かうかのう。これからはお父上殿やお義母上殿、異母兄姉殿にもなんぞ遠慮することはない。実家からの援助もいただけよう」
「……えっ」
 サクヤはぽかんとするほかなかった。まさか先ほどのルギアとの戦闘にそれほどの意味があったとは。
 父親が四つ子を認める。やっと顔を見ることができる。四つ子を援助してくれる。
 想像してみても、サクヤにはさっぱり現実味が湧かなかった。フレア団に狙われているという話と同様に。
 けれどもし、ジョウト地方に逃れることが出来たなら、フレア団の追跡も振り払えるのではないか。父方の実家ほど、四つ子にとって頼れるものはないのではないか?
 サクヤは知らないうちに砂浜に立ち止まって考え込んでいた。
 腕の中のゼニガメが無邪気にもぞもぞと動き、笑いながらサクヤの唇をいじり出す。サクヤは噛むぞと脅した。ゼニガメが笑いながらサクヤの頬をぺたぺた触ってくる。サクヤは文句を言った。

 それからボールから三たびチルタリスを出して、その背に乗った。星月夜の空に舞い上がらせる。
 ホロキャスターを懐にしまったウズもまた、ジュゴンの背に乗り、夜の海へと泳ぎ出している。銀髪流れる人の背中にジュゴンの尾――どことなくその後姿が、サクヤには白銀の人魚のように見えた。
 空高くから海を見下ろす。海面から微かに、幻想的なチョンチーやランターンの光が見える。また、この海底のどこかには海神がいる。ウズに招かれた海神はジョウトの海へ帰るのだろうか。四つ子の父親のいる場所。
 フレア団のことについてどうしようもなくなったら、海を越えて庇護を求めてみようか。
 サクヤは夜風の中で、目を閉じた。何は何でも、片割れたちに相談してみなければ。
 ラプラスの歌が聞こえる。
 それに呼応するように、チルタリスが歌う。
 海神の歌声が、海鳴りのように響いた気がした。


  [No.1464] 東雲映す 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/18(Fri) 20:49:42   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



東雲映す 上



 シャラシティの南西には、映し身の洞窟が存在する。
 レイアもそれを初めてテレビで見た時はぎょっとした。そこに初めて実際に入ったときは、観光客の多さにまた別の意味でまったくぎょっとした。
 そして今回も何度目の来訪かはわからないが、相変わらずの盛況ぶりにレイアはげんなりした。

 映し身の洞窟は、巨大な水晶窟である。それもただの水晶ではなく、何やら洞窟の暗闇の中で自ら光る。おかげで照明要らず、エコな観光地である。
 洞窟内には無数の透き通った水晶柱が立ち並び、また鏡のように滑らかな壁面も広がっている。水晶のアーチも、天然のミラーハウスもある。見て歩くだけでも十分面白いし、雰囲気もいい。気温も年中涼しくて過ごしやすい。
 そのような映し身の洞窟を訪れる国内外の観光客は、一年を通して非常に多い。家族連れにもカップルにも凄まじい人気だ。入場料を取らないという手軽な点も相まって、年間動員数はパルファム宮殿ともいい勝負である。映し身の洞窟はシャラシティに多くの恩恵をもたらしている、カロス有数の天然観光資源だった。


 ヒトカゲを抱えた赤いピアスのレイアは、観光客を避けつつ黙々と映し身の洞窟を進んでいた。北東のシャラシティから入り、南西のセキタイタウンへと抜けるためだ。
 大股に僅かに背を丸めて、天然の鏡に見入っている観光客の背後をすり抜ける。
 シャラシティ側の入り口付近は特にすさまじい人混みとなっていた。天然の鏡面を生かした写真撮影が流行っているらしく、水晶にべたべたと張り付いている人間がいる。そうしてわいわいがやがやきゃあきゃあぴいぴいと、洞窟内にこだまして喧しい。
 レイアは嘆息した。――ここは遊園地か何かか。
 映し身の洞窟そのものはレイアも好きだ。しかし、そこに群がる観光客は嫌いだ。ごみを散らかすし、うるさいし、人くさいし。
 カロスには観光名所が多い。そしてそれら観光資源を活かした観光業を一大産業として国が大いに振興を促しているから、年を追うごとに各地の観光客が増加するのはもはや逆らいえない流れだ。
 しかし一方ではやはり、映し身の洞窟に暮らす野生のポケモンたちや、洞窟内に産する貴重な水晶の保護にも力を入れてもらわなければならない。
 カロスは美しい。その美しさから搾取しようとする者は必ず現れる。――天然の水晶を削り取って非合法に売りさばく。また、暗闇の奥でひっそりと暮らしていたポケモンたちを不必要に脅かし追い回し、その結果ポケモンに返り討ちにされて大怪我をする。いずれも近年カロスにおいて観光業の発展に伴い顕在化しつつある社会問題だ。
 レイアに言わせれば、何もかもが阿呆らしかった。
 観光で儲けたい者。観光のせいで破壊される環境や生態系、その保護を訴える者。聖地として崇め奉り、宗教活動を行う者。洞窟内の水晶を盗掘する者。洞窟に棲むポケモンを乱獲する者。それらに便乗するポケモン利用派、反ポケモン派、ポケモン愛護派。
 彼らは議論するでもなく互いを批判し合い、新聞紙上で意見を戦わせるでもなく互いを叩き合い、広場で殴り合いの蹴り合いの、挙句の果てデモにテロに抗議自殺。何でもありだ。不毛な闘争を繰り広げている。
 レイアにしてみれば、まったくもって阿呆らしい。
 レイアたち四つ子は平和主義者である。そして利己主義者であった。
 面倒な言い争いに興味はない。他人と関わらなければいいだけのこと。意見なんて持つ方が阿呆らしい。


 レイアはそのような事をつらつらと考えながら相棒のヒトカゲを脇に抱えて黙々と歩き、観光客の背後をすり抜け、段差を跳び下り、11番道路への近道をした。
 セキタイタウン方面になると、観光客の姿は減る。
 映し身の洞窟を訪れる観光客は、大抵はミアレシティから北西のヒヨクシティ、シャラシティを経由して、ここにやってくる。そのまま映し身の洞窟をセキタイ側まで抜ける観光客というのは比較的少数で、そのため洞窟のセキタイタウン側はちょっぴり寂れたことになっている。
 それでももちろん、観光客の姿は無いことはなかった。
 レイアは横目に、鏡の前に座り込んでいる幼い少女と、その祖母らしき老婦人を見やった。その二人にレイアが目を留めたのは――正確にはその二人に付き添っているマフォクシーに気を取られたせいだった。
 毛並みのいいマフォクシーが、鏡面に見入るでもなく、背筋を伸ばしたまま、通り過ぎようとするレイアとヒトカゲを凝視していたのだった。

 そうしていると、レイアは鏡越しに幼い少女と目が合った。レイアの腕の中のヒトカゲが少女に向かって小さく手を振っているのを、レイアにも壁面の鏡の中に認めた。
 白いコートを着た幼い少女が、鏡の中で目を真ん丸にする。その水色の瞳もまたまるで澄んだ水鏡のようだった。
 少女が息を吸い込む。
「あっ!」
 ばっ、と白いコートの少女が背後のレイアを振り返る。その頬は見る見るうちに赤く上気していく。その腕の中にはピッピを抱えていた。本物のピッピだ。
「……あら」
 その隣の、マフォクシーを伴った品の良い老婦人もまたレイアを振り返る。
 レイアは軽く会釈をして、老婦人と少女の傍を何気なく通り過ぎようとした。鏡越しに目が合ったくらいで騒ぎ立てるのは大げさだろうと考えた。
 ところがそのレイアを、老婦人は慌てて呼び止めた。
「待って、待ってください。あなた、もしかしてサクヤさんとキョウキさんの……」
 その二人の名を出して呼び止められたことに反応したのはヒトカゲである。レイアは、一瞬だけこのまま無視して通り過ぎようかと考えた。しかしすぐにどきりとし、思い直した。白いコートの少女に見覚えがあったのだ。
 それはアワユキの娘だった。


 レイアは覚えている。暗くて寒いフロストケイブの奥で、母親の手で命を脅かされていた幼い少女。
 その後、サクヤやキョウキが、祖母に引き取られた彼女に会ったという。
 レイアは思わず立ち止まり、少女をまじまじと見る。
 ところがレイアは通常運転で、眉間に皺が寄った大層な悪人面である。そのいかにも不機嫌そうな、着物に袴という妙ちきりんな成り立ちのトレーナーが、じっと無表情に見下ろしてくるのだからたまらない。少女はか細い足を生まれたてのシキジカのように震わせた。
 一方ではマフォクシーを連れた老婦人は、機嫌よくレイアの傍まで歩み寄ってきた。
「四つ子さんの、初めてお会いする方ですわよね。私はミホ、こちらは孫娘のリセです。サクヤさんとキョウキさんにはお世話になっておりますわ」
 レイアはちらりと老婦人と少女を眺めて、僅かに嘆息した。
「ども。レイアっす。うちのキョウキとサクヤの方こそ、世話になってます」
 レイアがおざなりに会釈を返すと、ミホは目元を緩めた。
「サクヤさんから、色々とお話は伺っておりますわ。リセのことで、四つ子さんにはたいへん感謝しておりますもの。……レイアさん、ヒトカゲちゃんも、お会いしたかったわ」
 ミホは礼儀正しく、レイアの抱えるヒトカゲにも挨拶した。レイアのヒトカゲは小首を傾げた。
「ねえおばあちゃーん、疲れたー」
 そのときであった。リセがマイペースに疲労を訴え、祖母の足に纏わりつく。ミホが困ったように微笑み、レイアは再びまじまじと無表情無言で少女を観察した。
 アワユキの娘。
 祖母のもとで養育されて、一緒に観光旅行までして、幸せそうに祖母に甘えている。
 レイアは軽く肩を竦めた。
「……お二人は、今日はどちらにお泊まりっすか」
「ああ、ええと……セキタイタウンのホテル・マリンスノーというところに予約をしておりますわ。それが何か?」
「あー……その、なんだ……俺もこれからセキタイ行くんで、そこまで送りましょうか?」
 レイアの良心的な申し出に、ミホは表情を輝かせてそっと手を組み合わせた。
「まあ、ありがとうございます。やはりサクヤさんやキョウキさんと同じで、お優しい方なのね」
「……サクヤは分かるっすけど、キョウキが優しかったっすか?」
「ふふふふ、なぁに、キョウキさんって片割れさんたちの中ではそういう御扱いなの?」
「あいつ、そういうキャラなんで」
 レイアは言いつつ、11番道路への出口へさっさと歩き出した。後ろ向きに抱えたヒトカゲが、旅の道連れができたことにきゃっきゃと喜び、リセの抱えるピッピに挨拶している。
 リセもまたレイアのヒトカゲに興味津々で、レイア本人にはびくびくしつつもその後を追った。ミホも微笑しつつそれに続く。ミホのマフォクシーだけは、レイアと同じような無表情だった。



 映し身の洞窟を抜けると、11番道路、ミロワール通りに出た。
 右手には太陽が遠く西の水平線のはるか上にある。まだ午後も真っ盛りだが、これから幼い少女と共に山脈の麓まで山道を下ることを思えば、寄り道などせずまっすぐセキタイに向かうべきだろう。
 西の空には雲一つない。青磁色の、滑らかな天幕を張ったような空。
 リセは運動靴は履いていたものの山歩きには慣れていないらしく、早々に音を上げた。するとミホの連れているマフォクシーが無言で、ピッピを抱えたリセを抱え上げるのだ。するとリセは母親に甘えかかるように、マフォクシーのあたたかな毛皮に頬を埋める。
 その祖母のミホはところどころ息を切らして休憩を挟みつつ、それでも自力で山を下りた。道中の雰囲気をよくするためか、レイアにせっせと話しかける気配りも忘れない。
「ね、レイアさんはよく、山歩きなさるの?」
「まあ、最近はずっとマウンテンカロスに籠ってましたからね」
「私もね、マウンテンカロス暮らしですけど、はあ、久々にコーストカロスに、来ましたわ」
 北はヒヨクシティから南は輝きの洞窟までは、西海岸沿いのコーストカロスに属する。大洋と海風のおかげで、カロスの中でも特に年中穏やかな気候の過ごしやすい地域である。マウンテンカロスとはその気候も全く違うことから、そちらの人々が休みに海岸沿いを訪れることはままある。
「ヒャッコクのあたりは年中、雪が積もってて、ふう、そうそう山歩きもできませんし、ねぇ」
「あー、そうっすね。マンムーで雪山越えするくらいっすもんね」
「そうそう、フウジョでリセを引き取って、そこからヒャッコクまで、サクヤさんとキョウキさんに、野生のポケモンから守っていただいたのよ。……ええちょうど、今のレイアさんみたいに」
 レイアのヒトカゲは先ほどから、山道で一行の前に立ちふさがるニドリーノやスカンプー、ダゲキやナゲキといったポケモンを追い払っている。
「やっぱり、トレーナーさんが一緒だと、心強いわねぇ。マフォクシーやピッピはいるけれど、私はバトルなんてとても、怖くて怖くて」
「……でも、そのマフォクシーなんて、かなりバトルに慣れてそうじゃないっすか」
 レイアはちらりと、少女とピッピを抱きかかえたマフォクシーを見やる。
 一声も漏らさないマフォクシーは深紅の瞳でじろりと、レイアとヒトカゲを睨み返す。始終この調子だった。レイアは肩を竦めた。
 このマフォクシーはかなり戦闘慣れしている。たとえミホが指示をしなくても、独自の判断で十分野生のポケモンなど追い払ってくれそうだ。
「いや、そんなこと言ってミホさん、絶対バトル超強いっしょ……。そのマフォクシー見てりゃ分かるっすよ」
「……このマフォクシーはね、孫のポケモンなのよ。バトルじゃ私の言うことを聞くより、自分で戦った方が、ずっと強いわ……」
 そこでミホは疲れたように立ち止まった。マフォクシーもレイアを睨んだまま止まる。
 レイアは溜息をついた。おそらくこの話題――マフォクシーのおやの話題は地雷だ。
 雰囲気が悪くなると、余計に体力が削られるものだ。レイアは振り返って肩を竦めた。
「……ここらで休憩しますか、ミホさん。マフォクシーも」


 ミロワール通りの山道も半ばまで降りてきたところで、三人は休憩を入れた。開けた林の中。
 リセとピッピは、すっかりマフォクシーの胸にもたれかかって眠ってしまっている。山の冷えた空気の中でマフォクシーの高い体温は、幼いひとには有り難いだろう。
 マフォクシーは淡々と少女を抱きしめて倒木に腰を下ろしたまま、沈黙していた。どこまでも無口なマフォクシーだった。レイアやミホが話しかけても睨み返すばかりで、鳴き声すら漏らさない。
 日もだいぶ傾いている。ヒトカゲの尾の炎が存在感を放ちだしていた。
 レイアは手ごろな岩に腰かけ、乾燥させたマゴの実を齧る。ミホにも数切れ手渡した。
「どぞ。よかったら」
「ああ、ありがとうね。いただきます」
 レイアは軽く頷いただけで、無言のままドライフルーツを咀嚼している。基本的にレイアは無口で、沈黙を悪いこととは捉えない。ミホに疲労があることも相まって、斜陽差し込む林の中に静寂が下りた。
 ヤヤコマやムックル、ムクバードがねぐらに帰るべく、梢を渡っている。その澄んだ喧しいさえずりが林の木々にこだまし、橙色の木漏れ日がこぼれ、山林の間を風が吹き下ろす。木々の影が既に色濃かった。
「……晴れてて、良かったっすね」
「ええ、本当に」
「お孫さんと旅行っすよね。どちらまで?」
「これからセキタイに泊まって、10番道路の列石を見て……ショウヨウシティね、そこからコボクタウンに行って、パルファム宮殿を見てから、ミアレに戻るつもりよ」
「うわお。コーストカロス満喫っすね」
「コウジン水族館と輝きの洞窟は見れませんけどね。まあ、それは次の機会にいたしますよ」
 ミホはそう言って上品に微笑んでいる。そして首を傾げた。
「ねえ、レイアさんはいつもお一人で旅を?」
「まあ、大体は。たまたま片割れに会ったら、一緒に行くこともありますけど。今は別々に」
「レイアさんが旅をご一緒なさるのは、片割れさんたちだけなのかしら?」
 そのミホの問いかけに、レイアは眉を顰めた。疑問を覚えた時の癖であるが、いかんせん人相が悪くなる。ミホは慌てて付け加えた。
「あの、お友達と一緒、って意味よ。よくあるそうじゃない? ホープトレーナー同士とか、スクールの先輩後輩とか、エリート仲間ですとか……」
「あー、確かにそうゆうのも聞くっすね」
「ごきょうだいと一緒も心強いでしょうけど、トレーナーのお友達と連れ立って旅をするとかは、レイアさんはなさらないの?」
 レイアは首をひねって真面目に考えた。
「……一人のほうが楽っすよ。好きな時に好きなもん食べて、好きなとこに行って、好きなだけ寝れますから」
 レイアは孤独を満喫している。
 その回答に、ミホは苦笑した。
「お友達は、お嫌い?」
「友達……?」
 レイアはますます顔を顰めた。膝の上で丸くなっているヒトカゲの尾の先で揺らめく灯火を睨む。


 レイアの友人。
 思い浮かぶのは、ポケモン協会の職員である二人の顔。金茶髪の髭面のロフェッカと、鉄紺色の髪の騒がしいルシェドウだ。
 何の弾みでか、うっかり彼らの任務を手伝って以来、なぜか狙ったように旅の先々でレイアは彼ら二人に出会うようになり、そのたびに彼らのしょうもない仕事に付き合わされてきた。ひと月に一度は、彼らの用事を手伝ってきたか。そしてそのたびに謝礼と称して、彼らはレイアにちょっとした食事を奢ってくれたりしたものだ。
 けれど、そのような手伝いもこのところ、ぱたりと止んでいる。
 いつからだろうか。
 レイアたち四つ子がミアレシティで事件を起こして以来、ではないだろうか。あのときから、レイアはルシェドウやロフェッカの仕事を手伝っていない。
 たまたま巡り合わせが悪かったのか。
 それとも、まさか避けられているのか。
 いや、レイアが二人を避けているのか。
 四つ子はポケモン協会を警戒している。四つ子を傍から観察してきたであろうルシェドウやロフェッカもまた、四つ子による警戒の対象だ。二人は、フレア団の味方となり得る。四つ子の敵となり得る。
 そのことが分かったとき、レイアは迷わず、二人の友人に疑いの目を向けた。
 レイアにとって、片割れであるキョウキとセッカとサクヤ以上に大切な存在などない。三人の片割れたち以上に信じられるものなどない。だから、その三人が敵とみなした者はすべて敵だ。当たり前だ。至極当然に、敵なのだ。
 それでいいのだろうか?
 ふと胸によぎった疑念は、レイアにとって最も危うい疑いだった。
 片割れたちのことは、無条件に妄信していていいのか?

 キョウキもセッカもサクヤも、学があるわけではない。性格や性向は異なっていても、基本的な素地はレイアと何も変わらない。そのような均質な人間が四人集まって知恵を絞ったところで、解決策は浮かんでいないのではないか。
 あるいは逆に、異なる意見がぶつかり合う結果、結論が出ないこともある。キョウキは疑り深い。セッカは思慮深い。サクヤは聡い。そしてレイアには良識がある。それぞれの視点の違いが、意見を分かつ。
 ポケモン協会を信じるか? 信じないか? ――結局、その問いへの一致した見解は得られなかった。
 片割れたちを信じると言いつつも、何を信じるべきなのか、よく分からない。自分たち四つ子は一体だと言いながら、内部に矛盾を抱えたままだ。その曖昧な内部を放置しておくのか、あるいはあえて刃を突き立てて解剖してみるのか。
 レイアが選んだのは前者だ。キョウキも、セッカも、サクヤもそれを選んだのだ。だから今、四人はバラバラに旅をしている。
 逃げた。
 四つ子は意見の不一致から逃げた。
 一体である自分たちを、自ら切り裂くような真似は四人にはどうしてもできなかった。片割れを互いに疑い合うくらいならば、いっそ意見の不一致をそのまま内部に飲み込んで、外部に気を逸らした方がまだましだ。
 これ以上一緒にいると、傷つけ合う。
 互いを信じられなくなったら、すべてがお終いだった。
 だから四人はバラバラになった。
 友人と旅をするどころではない。


  [No.1465] 東雲映す 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/18(Fri) 20:51:52   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



東雲映す 下



 日が暮れる。
 レイアはヒトカゲに尾の炎の勢いを強めさせ、足元を赤々と照らしながら慎重に山道を下った。ミホ、そしてリセとピッピを抱えたマフォクシーがそれに続く。
 ミホが、沈黙に陥りがちな空気を何とか和ませようと、せっせとレイアに話しかけてくる。レイアから話を引きだし、気持ちよく話をさせようとする。レイアの旅のこと、レイアの友人のこと。
 なるほどミホは他者に話をさせるのが上手かった。サクヤが気に入った人物なのだから相当器の大きい人物だろうとはレイアも見当をつけていたが、旅の道中でどうしても胸の内に一人でしまい込まなければならない思いを遠慮なく誰かに伝えられるというのは、確かに心地よかった。
 そして、案の定、レイアが友人としてルシェドウの名を出した途端、ミホの口調が僅かに強張った。
「…………そう。ルシェドウ、さん、ね…………」
 そうミホが固く呟いても、レイアは足元を見ながら、ただ、やはりこうなったか、とだけ思った。


 サクヤから話は聞いている。
 ミホは、孫娘を既に一人亡くしていた。何年も前のことだ。その殺人の容疑者に挙げられたのが、これまたミホの孫にあたる、榴火というトレーナーだった。
 ミホや、その義理の娘にあたるアワユキは、榴火の処罰を願っていたという。それもそれで切ないことだ。孫娘のためにもう一人の孫の処罰を求め、娘のために息子の処罰を祈ったなどとは。
 その裁判で榴火を擁護したのが、ポケモン協会職員のルシェドウだった。
 そのルシェドウの主張を受け入れて、榴火に無罪判決を下したのが、裁判官のモチヅキだった。
 ミホやアワユキはおそらく、ルシェドウとモチヅキのことを、榴火と同様に憎んでいるだろう。
 だからレイアは、ミホの前で友人の名はあまり出したくなかったのだ。


 とはいえ、ミホの方は、レイアが榴火に関わる裁判の人物関係を知っているなどとは想像もしていない。そのため何事もないかのように振る舞っているが、けれどルシェドウの名に引きずられている。
 ミホは、未だに榴火を許せていないのだ。
 そう思うと、レイアにはどこかミホが仲間のように思えた。榴火やポケモン協会を敵とみなしている。それは現在のレイアたち四つ子の立場にも相通ずるものがある。
 榴火のせいで、ミホの家族はバラバラに引き裂かれた。
 榴火のせいで、レイアたち四つ子は周囲を信じられなくなった。
 その符合の一致。それを認識してレイアの心が震える。――仲間だ。仲間がいた。
「……ミホさん」
「何かしら、レイアさん?」
「……多分サクヤは話してないと思うんで、付け加えさせてください。アワユキさんのことで」
 麓のセキタイタウンは間近だった。坂道はなだらかになっており、セキタイタウンの入り口を示す巨大なメンヒルが見えている。
 太陽は沈み、西の空は朱紅が残っているけれど、東の山脈の上は藍色に包まれている。星が輝き出す。
 レイアはセキタイタウンを背に道の真ん中に立ち止まり、ミホと、リセを抱えたマフォクシーとを見つめた。
「フロストケイブでリセを人質に取ってるアワユキを、止めに行ったの、ルシェドウです」
 そう静かに告げた。
 ミホは真顔で、それを静かに聞いていた。
「ポケモン協会の仕事で、行ったんすよ。サクヤがそれに巻き込まれました。……俺とモチヅキがサクヤを助けに行って、結果としてはアワユキが逮捕されて、リセとサクヤとルシェドウを救出したんす。……それがフロストケイブでのすべてです」
 そこまで言い切って、レイアはちらりとマフォクシーの腕の中ですやすやと眠っている少女を見やった。キリキザンの腕の刃を首に突きつけられ、泣いていた少女。母親の宗教に付き合わされ、何もわからないままに命を奪われかけ、その結果母に先立たれ、今や祖母だけが頼りだ。今は幸せそうに見えるけれど、その心には消えようのない傷が残っているに違いない。
 レイアがミホに、フロストケイブでの事件にかかわった人物の関係を詳しく語ったのは、ただただ、一方的に身近に感じたこの老婦人に、当時の詳しい状況を正しく知ってもらいたかったためだ。その事実を告げたところで、ミホの中にどのような情動が起こるかは何も予想していない。レイアの中に打算はなかった。ただ己の良識に従って、思うままに事実を告げただけだった。
 ミホの顔は、セキタイタウンからの光に僅かに輝いていた。そして寂しげに微笑み、首を傾げた。
「……そう。だから、どうなの?」
 レイアは面食らった。
「いや、どうってこともないっすけど……」
「リセの前で、アワユキさんの話はしないことにしました」
 そう柔らかくもきっぱりと告げられる。
 やはりレイアの発言は失言だったらしい。リセがマフォクシーの腕の中で寝入っていたのが不幸中の幸いであった。
 ミホはゆっくりと歩き出し、レイアの隣を通り過ぎ、セキタイタウンの入り口のメンヒルをくぐる。その影を潜る。
「……過去は忘れることにしますわ。モチヅキさんも、ルシェドウさんも、榴火も。梨雪も。アワユキさんも。息子のことも。……私はリセのことだけを思って、生きてゆくことにします」
「それでいいのかよ」
 レイアは思わず追いすがっていた。
 ミホはわずかに背後を振り返り、レイアを見つめ、さらに寂しげに笑みを深くした。
「リセのためには、それが一番よ……」
「だからって、あんたまで何もかも忘れていいのか」
「……時間が必要なのよ。しばらく忘れさせておいて頂戴」
 それきりミホはもう振り返らなかった。リセとピッピを抱いたマフォクシーが、流し目でレイアとヒトカゲを睨みながらミホに続く。
 ヒトカゲを脇に抱えたレイアは、セキタイタウンの入り口に立ち尽くし、ぼんやりとそれを見送っていた。



 レイアはポケモンセンターの一室のベッドに転がっている。
 ポケモンセンターはポケモン協会の管轄だ。けれど街中で野宿するわけにもいかず、今からわざわざ道路に出ていくのも馬鹿馬鹿しい。四つ子は四人だと目立つが、一人だとそうでもない。ポケモンセンターを利用しないトレーナーは逆に悪目立ちする――それはシャラシティに入る直前に再会した、幼馴染のユディから指摘されたことだった。
 ポケモン協会の目のあることなどはしばし忘れて、レイアは暖かいベッドに転がっている。
 枕はヒトカゲに占領されていた。
 そのヒトカゲの尾の光を見つめて、レイアはぼんやりと考える。暗くて寒いフロストケイブでのことを。

 今日出会ったミホは、ルシェドウとモチヅキのことを知っていた。ならば、フロストケイブの奥で出会ったアワユキも、ルシェドウとモチヅキのことを見知っていただろう。
 逆もまた然りだ。
 ルシェドウはどのような気持ちで、フロストケイブの中へアワユキを捜しに行ったのだろう。フロストケイブの深奥で娘を人質に取っているアワユキを見た時、モチヅキは何を思っただろうか。
 あの時は、レイアもサクヤも何も知らなかった。
 けれど今なら分かる。
 ルシェドウがアワユキの捜索の任務を受けたのは、十中八九、ルシェドウがポケモン協会の職員として榴火と関わりがあったためだ。そして四つ子もそれに巻き込まれた。
 アワユキがフロストケイブの奥であのような凶行に及んだのは、元はといえば榴火のせいだ。タテシバ家の不幸の元凶は、すべて榴火のせいだ。
 四つ子がフレア団やポケモン協会に目を着けられるようになったのも、榴火のせいだ。
 そこでレイアはふと気づいた。
 自分たちはいつから、榴火と関わり始めていたのだろう。
 思い出す。
 フロストケイブでの事件の後、エイセツシティでアワユキの自殺のニュースを見て、それからその東の19番道路――ラルジュ・バレ通りで。レイアは、榴火の色違いのアブソルによる襲撃を受けた。
 四つ子が、アワユキに関わったことが、榴火に四つ子への接触の機会を与えたのか?
 分からない。少なくともレイアの前では、榴火は手掛かりらしきことは言っていないはずだ。なぜ榴火が四つ子に付きまとうようになったのか。
 未だに、榴火は四つ子に固執しているのだろうか。
 なぜ、榴火は四つ子の敵に回ったのか。
 榴火を守ると言ったルシェドウは今、何をしているのだろうか。
 そう、ルシェドウだ。
 ルシェドウは榴火の味方をすると言った。
 ならやはり、レイアの友人は、もうレイアの敵ではないか。



 そのまま寝入って、そして眠っていた間は一瞬のように感ぜられた。
 レイアは半ば釈然としないながらもまだ暗い室内で伸びをし、相棒のヒトカゲを起こして着替え、そそくさと朝食を済ませてポケモンセンターを出た。早朝である。ロビーに起き出したトレーナーはまだ少なかった。
 セキタイタウンは、石しかない。正確には、石しか見るべきものがない。
 街の中央にそびえ立つ、三本の爪のような、正確に均等に並べられた三つの巨石。
 なるほど自然物ではないだろう。しかしそこまで崇め奉るべき要素があるとも思えない。
 とはいえ凝視していると、いかにも調和のとれた、安定感のあるモニュメントとも捉えられなくもない。このような無意味なものをあえて作った人間の無意味そうな心意気を慮るに、つまりこの三つの巨石は、虚無の象徴なのであろうとレイアは結論付けた。この石には意味がない。意味がないことに意味があるとしても、そのような意味もない。意味などないのだ、この石には。レイアは一人合点した。ヒトカゲが首を傾げていた。

 東の山脈の向こうから、日が昇る。
 ホテル・マリンスノーからミホとマフォクシー、そしてピッピを抱えたリセが、レイアと同様にセキタイの象徴たる石柱を身にやってきた。レイアは肩を竦めるように挨拶した。
「ども」
「おはようございます、レイアさん、ヒトカゲちゃんも。ほらリセ、朝のご挨拶は?」
「……おはよう、ございます」
「うす」
 リセはレイアに怯えているらしく、抱えたピッピの陰に顔を隠すようにしている。
 腕の中のヒトカゲに窘められ、レイアは渋々と腰を落とす。屈み込み、リセより視線を低くした。そして穏やかな表情を意識して、リセの水色の瞳を見つめた。
「リセ。俺のこと、怖い?」
「……ううう」
「お前さ、俺のこと、覚えてんの?」
 そう何気なく問いかけてしまってから、レイアは今の質問が失言であったことに気が付いた。ミホに昨日の別れ際に、リセの前でアワユキに関わる話はするなとやんわりと釘を刺されたばかりだった。しかし一度口に出てしまったものは撤回しようがない。
 レイアは密かに冷や汗を垂らしつつ、ミホやマフォクシーの方を見ない方にしつつ、少女だけを見つめていた。
 少女はしばらくレイアの顔を凝視していたかと思うと、こくんと頷いた。
「……どうくつで、おかあさんと、バトル」
「あああああああごめん思い出さなくていいから。ごめんマジですいませんでした」
「いいよ、べつに」
 少女は澄ましてそう応え、レイアの黒髪をむしむしと握った。普通に痛かった。実はそこはかとなく怒りがこめられているのだろうか。
 リセはその手を放し、くるりと踵を返して祖母の足元にくっついた。ミホは苦笑している。
「……まだリセには、何があったか理解できないでしょう。この子が大きくなったらお話しますから。ごめんなさいね。それまでは私に任せてちょうだい、レイアさん」
「いえ、つい余計なことを言いました……すいませんっした」
 レイアが恐縮して頭を下げると、ミホはくすりと笑った。
「ほんと、サクヤさんやキョウキさんにそっくりね」
「……うす」
「……昨日はごめんなさいね。フロストケイブでのこと、教えてくれたことに感謝します」
「……いえ」
 リセを足に纏わりつかせたミホは、じっと三つの静かな石を見つめている。その背筋はまっすぐで、とても老いを感じさせない。なるほどサクヤの好みそうな、美しい人だ。キョウキなら、この美しい人の心の内部に汚い部分を見つけるのに躍起になることだろう。レイアはそうぼんやりと想像した。
 ミホが静かに囁いた。
「……榴火のこと、ですけれどね」
「……は」
「あの子だけは、アワユキさんの子供じゃないのよ。私の息子の、最初の奥さんとの間に生まれた子なの。だからアワユキさんも、実の子でない榴火を心から愛せたというわけではないと思うの」
 レイアは慌てて、ミホの足元に纏いついている少女を見やった。しかし幼いリセは、祖母の話を理解できているようにはとても見えなかった。両手で抱えたピッピと遊んでいる。
 そこから視線を上げると、ミホの寂しげな水色の瞳と目が合った。リセや、榴火と同じ色の瞳だった。
「今になって思えば、私もアワユキさんも、榴火には悪いことをしたと思うわ。……でも、やっぱりリセには、しばらく榴火のことは話しません。……彼は今、どこで何をしているんでしょうねぇ。……呪われたアブソルと、まだ一緒なのかしらね」
 ミホは溜息をついた。
 その隣に佇むマフォクシーの深紅の瞳に憎悪が渦巻いているのにレイアは気づき、思わずぞくりとした。


 このような眼をするポケモンがいるのか。愛する者を奪われ、そしてまた、その憎き仇を擁護する者への怒りに燃えている。このマフォクシーは、榴火のアブソルが殺した少女のポケモン。榴火を未だに赦してはいない。むしろ、榴火を見かけたら殺しかねない勢いだった。
「マフォクシー……」
 ミホの手がそっとマフォクシーのものに重なる。マフォクシーが視線を落とし、ミホの手を見つめた。
 ヒトカゲがレイアの腕の中でもぞもぞ動き、レイアの顔を見上げた。
 レイアは榴火を知っている。彼がホープトレーナーとして、とある政治家の庇護を受けていることも。どうやらフレア団としても活動しているらしいことも。ルシェドウがポケモン協会職員としてどうにか榴火の心を開くべく奮闘していることも知っている。
 しかし、どこまでそれをミホに話すべきか。むしろ話さない方がいいのか。
 そう、ミホとリセは、平和を享受する一般人だ。ポケモントレーナーですらない。
 フレア団の関わることに、巻き込んではならない。
 レイアは顔を上げた。
 ミホとマフォクシー、そしてリセは、レイアたち四つ子と同様に榴火の敵であるだろう。
 けれど彼女たちは、トレーナーではないのだ。か弱き保護されるべき対象であり、戦うということはしない。アワユキや榴火やルシェドウやモチヅキのことなど忘れて、ミホとリセは平和に幸せに暮らすべきなのだ。
 レイアは頭をがしがしと掻いた。そしてマフォクシーを睨む。
「……お前さ、今はミホさんとかリセのことだけ考えてろよ。変なこと考えんじゃねぇぞ」
 すると、マフォクシーは瞳に再び憎悪の炎を燃やしてレイアを睨んだ。
 その念力でか、レイアの脳裏にその思いが叩き付けられる。

――忘れろと? 何もするなと? 何もしないでいいのか? 許せと言うのか?
 突然のことにびくりとしたが、レイアはマフォクシーを見据え、毅然と言い張った。
「あいつのこと、どうにかしようと頑張ってる奴らがいる。お前の今の主人はミホさんとリセだろうが。いつまでも過去に囚われるんじゃなくて、未来を見てみようや」
――それができたら苦労はしない。お前も同じくせに。あいつが憎くてたまらないくせに。
 そのマフォクシーの指摘に、レイアは思わず首を傾げた。
 自分は榴火を憎んでいるだろうか。
――私は知っているぞ。友に裏切られ、世界に裏切られ。すべてあいつのせいだろう。
「でもあいつ一人がいなくなったところで、それで全部解決ってわけにはいかないだろ」
――その後のことなど知るか。私はあいつを消す。そうしなければ、私は死んでしまう。
 マフォクシーは怒り狂っていた。胸が焼き切れそうなほどに、絶望していた。別れがあったのはもう、何年も前のはずなのに。
 レイアにはそれ以上何とも言いようがなかった。四つ子は、おやを奪われたマフォクシーほどには、榴火を憎んではいない。榴火以外にも巨大な敵の存在を感じているためだ。


 レイアをじっと見上げていたリセが声を上げる。
「ねえねえ、マフォクシーとおしゃべりしてるの? リセとはおしゃべりしてくれないんだよ。いいなぁ」
「……ほらマフォクシー、あんたが守るもんって今はこいつだろうが。変なこと考えるより、リセと話をしてやれよ」
 そのレイアの言葉に背を押されたように、白いコートのリセはマフォクシーの足に組み付く。マフォクシーは戸惑って少女を見下ろしている。
 レイアは欠伸をした。それにつられてヒトカゲもくああと欠伸をする。
「んじゃ、ミホさん。俺そろそろ行きますわ」
「……あらレイアさん、マフォクシーとの話は済みましたの? この子、私とも一度もお話してくれないんですよ。レイアさんを気に入ったのなら、ぜひこの子の話し相手になってほしいんですけれど……」
 ミホもミホで、無口なマフォクシーのことを案じていたらしい。マフォクシーはどうやら、おやの祖母であるミホや、おやの妹にあたるリセに対しても心を開いていないらしかった。
 レイアは肩を竦めただけだった。
「マフォクシーはまだ榴火のこと、忘れられないみてぇっす。……よくよく気を付けて見てやってください。……リセのことだけじゃなくて、マフォクシーのことも大事にしてやってくださいな。ポケモンって、意外と繊細なんで」
 レイアはそれだけ言うと、彼女たちに会釈してセキタイタウンの南へと広場を抜けた。



 ポケモンは繊細な心を持っている。人と同程度には。
 トレーナーを失ったポケモンは傷つく。親を失った子供のように。あのマフォクシーも同じだ。
 レイアは脇に抱えたヒトカゲを持ち上げた。ヒトカゲが首を傾げる。
「……俺の手持ちもさ、なんか俺に不満持ってたりすんのかな」
 ヒトカゲは首を傾げていた。レイアの手持ちのポケモンたちをまとめる存在ではあるが、かといって他の五体について全責任をレイアに対して負うべき立場にはない。
 手持ちのポケモンの心身状態を管理するのは、あくまでトレーナーの責任だった。
 それにしても、トレーナーによってはポケモンも、あのマフォクシーほどにまで追い詰められることがあるらしい。トレーナーであるレイアには身につまされるような思いがした。あのマフォクシーから伝わってきた思いに、胸が痛んだ。

 トレーナーには、捕まえたポケモンを幸せにする義務があるのではないだろうか。
 そのような法律など世界じゅうどこにもないだろう。
 けれどポケモンセンターのボックスの中に半永久的に放置されたポケモンがいるなどという話を聞くにつけ、それはトレーナーとしてやっていいことなのかとレイアも疑問に思うことはある。ポケモンを、他者を不幸にするトレーナーは、害悪ではないか。どれほどポケモンを強く育てることに長けていたとしても、それでいいのだろうか。
 人には幸せになる権利があるという。
 ポケモンにはそれはないのか。
 ないがしろにされているのは、トレーナーでない一般人だけではない。この国は、ポケモンをも軽視しているのではないだろうか。
 リセがミホに心を開いているように、あのマフォクシーも、ミホやリセにいつか心を開けるようになればいい。
 レイアはヒトカゲを抱え直し、そしてもう片方の手で腰につけた五つのモンスターボールを順に撫でるように触れてみた。五つのボールはいずれも微かにあたたかい。僅かに一つずつ、頷くように揺れた。
 朝日の中、ヒトカゲが甘えるようにきゅうと一声鳴いた。


  [No.1466] 照日萌ゆ 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/19(Sat) 19:50:39   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



照日萌ゆ 上



 緑の被衣を頭から被り、キョウキはハクダンの森でまどろんでいた。
 キョウキの眠る木陰には、さみどりいろの木漏れ日がやわらかく揺れる。
 涼しくて、風はあまくて、とても気持ちがいい。
 すぐそばには、フシギダネ。こちらは寄ってくる虫ポケモンなどをそれとなく追い払って、キョウキの心やすい眠りを約束してくれていた。
 柔らかな草の中にうずもれて。葉っぱは肌につめたい。土はしっとりしている。
 ごろりところがれば、木々の枝が差し伸べられ、裏葉が天を覆う。
 体ぜんたいが重力に甘えかかって、指先を動かすのすらおっくうになった。
 森の木々のざわめき、緑陰のにおい。響きわたるヤヤコマのさえずり。ここは平和そのもの。


 キョウキはフシギダネの鼻先につつかれて、そろりと緑色の夢からさめた。
 そのままフシギダネに唇に口づけされて、キョウキは目をぱちくりさせる。なかなか情熱的な目覚めだった。
 キョウキはきょろりと目玉を動かす。フシギダネに口を塞がれたまま、周囲の音を探った。
 草むらを踏み分ける足音。
 しかしそれ以上に鮮烈な印象を与えたのは、甘ったるい香水の香りだった。
 少しずつ近づきつつある。匂いが濃くなる。
 キョウキはフシギダネの耳元を撫で、了解の意を示した。フシギダネが口元から離れると、キョウキもふわりと微笑む。フシギダネも柔らかく笑む。
 キョウキはゆっくりと、葉擦れの音も立てないほどにこっそりと身を起こした。さらりと緑の被衣が草の上に落ち、黒髪が露わになる。
 人嫌いの身としては、こんなに美しい森の中ではあまり人に会いたくない。何をしに来た人だろうか。ポケモンを探している風には聞こえない。それにしては、歩調がゆっくりで単調だ。まるで散歩しているかのようだ。
 それにこんなに香水をつけて、緑のにおいが台無しだ。キョウキは鼻に皺を寄せた。人嫌いの四つ子が憎むもの――喧騒。くさい香水。ぶつかってくる肩。えとせとら、えとせとら。
 その足音と甘ったるいにおいは、まっすぐキョウキの方へ向かってきていた。キョウキが立ち上がる間もなく、薄紅色のスーツを身にまとい、鞄を手にした茶色の短髪の女性が、木陰から現れた。
 真っ赤な口紅、大ぶりの金のイヤリング。
 香水だと思っていたのは、その女性が従えていたシュシュプの発する匂いだった。
「あら」
「……どうもー」
 相手に認識されてしまったので、キョウキも笑顔を作って無難に返事をする。
 スーツ姿の女性はのんびりとキョウキの傍まで寄ってきて、そっと屈み込んだ。シュシュプは甘ったるい香りを振りまきながら、ふわふわとそのあたりに漂う。フシギダネの視線がシュシュプを追う。
 女性はくすりと笑った。
「森の奥の、眠り姫かしら?」
「王子様はフシギダネですねー」
「口づけによって人間になったケロマツの童話も伺いますけれど?」
「でも僕は目覚めましたよ」
 キョウキは大きく伸びをすると、緑の被衣を拾い上げて頭から被る。甘ったるいにおいと女性の視線を拒絶するように。
 スーツ姿の女性は体ごと向きを変え、正面からキョウキを見つめた。
「四つ子さんのお一人ですね。こんなところでお会いできるとは、光栄ですわ」
「貴方は一つ子さんですか? こんなところでお会いするなんて、奇遇ですね」
「わたくし、政治家のローザと申します。あなたの片割れのレイアさんやセッカさんとは既に顔見知りでしてよ」
「ああ、貴方が。お噂はかねがね。僕はキョウキといいます」
 キョウキが丁寧に頭を下げると、ローザは声を上げて笑った。
「ジョウトの方って、本当によく頭を下げられるわね」
「よく僕がジョウトの人間だと分かりましたね? カントーでもホウエンでもシンオウでもなく」
 キョウキが微笑みながらそう答えると、ローザはほほほと笑った。
「レイアさんやセッカさんからお聞きしましてよ」
「ジョウト出身なのは、父親と養親だけですけどね。ローザさん、僕らは生まれも育ちもずっとカロスですけどね」
 ローザはおほほほほと笑った。
 キョウキもあははははと笑った。

「……で、ローザさんは僕に何かご用ですか?」
「用というほどのこともありませんけれど。わたくし、次の選挙の関係でアサメタウンやメイスイタウンに出ておりまして。ハクダンシティに戻るところで、たまたまキョウキさんをお見かけした次第でございますわ」
「なるほど」
 キョウキは柔らかく受け答えしつつも、内心では舌打ちしていた。
 どうやらローザはキョウキの傍を離れるつもりはないらしい。スーツが汚れるのにも構わず、森の地面にすっかり落ち着いてしまっている。
 キョウキの膝の上で、フシギダネが大きく欠伸を一つした。シュシュプは何の気兼ねもなく香りを振りまきつつ漂う。頭上の木々の間を、バタフリーがひらひらと飛んで行った。


 キョウキが笑顔を硬直させたまま黙っていると、ローザはキョウキの方に小さく身を乗り出した。そのスーツに染み込んでいるらしい甘ったるい匂いが濃くなる。
「キョウキさんは、片割れさんたちとはご一緒に旅をなさらないの?」
「してるときもありますけど」
「ご連絡を取り合ったりとかは?」
「しませんね。一切。ホロキャスターも持ってませんし」
 キョウキがそう答えると、ローザはどこか大仰に驚いてみせた。
「まあ。まあまあまあ。それは大変。ハクダンまでご一緒なさらない? わたくし、地方遊説の道すがら、出会ったトレーナーさんに何かしらの支援をさせていただいておりますのよ。四つ子さんたち全員分のホロキャスターを、ハクダンで用意して差し上げてよ」
「いえ。どうせ僕ら四人とも、機械音痴ですので」
「それくらいわたくしが使い方をお教えしますわ。すぐに覚えられます。ね、そういたしましょ。そうと決まれば早速、ハクダンに向かいましょう」
 ローザはパワフルな女性だった。
 のんべんだらりとしているキョウキの腕を引っ張り、どうにか立ち上がらせる。キョウキはやる気なさげに、ぐねぐねだるんだるんとしていた。
「……ええー……いいですってぇ……要りませんってぇ……」
「そう仰いなさんな、ホロキャスターは現代トレーナーの必需品。ホロキャスターを持たぬトレーナーはトレーナーにあらずと申しても過言ではありません。わたくしがホロキャスターを差し上げます。ご心配なさらないで、ほらキョウキさん、歩いて」
「……貴方は僕の母親ですか……」
 キョウキがぼやくと、先に立って立ち上がっていたローザは甲斐甲斐しく腰に両手を当てた。
「わたくしはもちろん、あなたの母親ではありませんわ。ですからしゃんとお立ちなさいな。お若いくせに、しゃんとなさい。ホロキャスターも持たないで、トレーナーとして恥ずかしくありませんの?」
「……余計なお世話ですよ……」
「キョウキさん、わたくしはあなたを心配申し上げているのですよ」
「……それがお節介だと言っている……」
 キョウキは緑の被衣の下でとうとう笑みを消した。上目遣いにじとりとローザを見やった。
「お忙しい政治家さんに、僕一人にかまけている暇があるんですか。放っておいてください。関わらないでください。そんなに四つ子が珍しいですか。面白いですか。本当にいい迷惑だ」
「……いいでしょう、こちらも言わせていただきますわ。わたくしローザは、政治家としてポケモントレーナーの育成に力を入れていきたいと、世間に公約しておりますの。すべてのトレーナーが安心してポケモンを育てられる、そんな社会をわたくしは作りたい」
「そんでトレーナーに強いポケモンを育てさせて、徴兵して軍隊にしようってんですよね?」
「まさか。ポケモン育成、トレーナー育成は産業を活性化させるのでございます。この国がさらに豊かになるためには、まずトレーナーを育てることが第一なのです。そのためにはトレーナーに文化的生活を保障して――」
「非文化的で悪うございましたね。でも僕はホロキャスターなんて要らない。要らないんだ。善意の押し付けなんて、ほんと鬱陶しいだけなんですけど」
「確かに鬱陶しく思われるかもしれませんわ。ですけれど、これは大事なことなのです。キョウキさんのためなのです。キョウキさんも大人になったとき、ああホロキャスターがあってよかったなぁと思うことになること請け合いです」
「ああああああ鬱陶しいなぁ、そういうパターナリズムっていうの? 子ども扱いしないでくださいよ。僕は、成人、なんですよ。ああほんと腹が立つ。――この偽善者が」
 ハクダンの森の柔らかい木漏れ日の中、両者はやや声を荒らげて言い合いをしていた。
 ローザが目を剝く。
「偽善者、ですって? それは聞き捨てならないわ。わたくしはわたくしなりに最善を考えて、政策をご提案しているのです」
「貴方の最善って何? それはトレーナーを“支える”政策じゃないでしょう、どうせトレーナーに“うける”政策でしょうが。だからアサメとかメイスイとか、若者がトレーナーになるしかないようなあんな田舎町までわざわざ遊説に出るんだろう。選挙のために。権力を得るために」
「権力を得ることは、悪ではありませんわ。権力がなければ、何も変えられないのです。権力は必要なのです」
「だが、権力は暴走する。腐敗する。僕は、権力を得たがる人間を、信用しない」
「わたくしは違いますわ」
「違うといえる根拠がどこにある?」
「わたくしは、トレーナーのためになる政策を積極的に打ち出していきます」
「トレーナー政策を拡充してくださるわけだ? そりゃあ有り難いね。で、その財源はどこから捻り出すんです? 一般人からの税金徴収を増やすんですか? それとも、ポケモン協会からの献金に頼るんですか? それとも、フレア団からの裏金を使うんですか?」

 そこまで言ってしまってから、キョウキはしまったと思って口を噤んだ。いま喋ったのは、すべてキナンで、胡散臭い家庭教師のエイジに吹き込まれた知識だった。
 セッカは、エイジのことを信じるなと言った。けして同情するな、とも。それはつまり、エイジの考えていることにまったく同調してはならないということなのだろうか。そういうことだったに違いない。
 キョウキがフレア団に対抗するには、未来の政府を担うであろう政治家には、おもねるべきなのではなかったか。フレア団に対抗するには、ポケモン協会あるいは国を味方につける以外に方法はないのだから。
 なのにみすみす、与党候補者に食ってかかってしまった。
 まんまとエイジの罠にかかった。ついエイジの意見を、キョウキ自身のものとしてしまったのだ。
 キョウキは政府与党の批判者――敵になっている。
 今さら、子供の言うことだからだからという言い訳は通用しない。つい先ほどキョウキ自身の口で、自分は成人だと宣言してしまったのだから。
 もし、今のキョウキの発言が全て、録音されていたら。
 どうする。


 ローザは微笑んでいた。噎せ返るような甘いにおいを漂わせながら。
「……まあ、そのように疑ってかかる方もおられますわね。反ポケモン派やポケモン愛護団体の方々などは、特に」
 キョウキは無表情ながら、背筋に冷や汗が伝う。強い匂いのせいで、気分が悪い。
 しかし同時に、ローザの口調に違和感を覚えていた。まるでキョウキが罠にかかったことを喜んでいるような。
「でもキョウキさんは、ポケモントレーナーでいらっしゃいますわ。そのような反ポケモン派やポケモン愛護派の考えとは相いれません。あなたのようなお若い有望なトレーナーさんには、ポケモンセンターやジムやリーグなど大いに活用して、ポケモンを強く育てていただかなければなりませんもの」
 そうして強く育てられたポケモンを、国は何に利用するのだろう。
 キョウキにはそれでもやはり、キナンでエイジによって教えられたことが真実だとしか思われない。国はポケモンを利用する。トレーナーを利用する。そして、役に立たない一般人や弱いトレーナーや、ポケモンを搾取するのだ――。
 そういう反ポケモン派やポケモン愛護派の理論は、正しいはずだ。
 けれど、そのような正論をもって政府に反抗することは、悪なのだ。
 政府は、裏でつながりのある犯罪組織に、国家の敵を始末させる。
 四つ子も“国の敵”になればフレア団に殺される。はず。だ。
 キョウキはローザを睨んだ。
「…………僕に、何をしろと?」
「キョウキさんのお気に障ることを申し上げて、申し訳ありませんでした。選挙でわたくしに票を投じてくださらずとも構いません。けれど、わたくしが当選した暁には、わたくしが公約した政策をキョウキさんもご享受なさって構いませんわ。これからもトレーナーとして精進なさってください……それが四つ子さんのお仕事ですもの」
 つまり、これまで通り旅をすることを、ローザは四つ子に求めている。
「キョウキさん。お金のことは心配なさらないでいいのですよ。キョウキさんたち四つ子の皆さんは、トレーナー政策の恩恵を受ける方。だからどうか、あまり難しいことを考えないで、ポケモンのことだけ考えていらっしゃればいいの。ジムリーダーや四天王、チャンピオンの方々と同じようにね」
 シュシュプの甘ったるいにおいがする。
 ローザのその言葉に甘い毒が隠されている。
 ジムリーダーも、四天王も、チャンピオンも。ポケモンを育てて戦うことしか考えていない。
 強いポケモンを操る彼ら優れたトレーナーも、所詮は政治やカネの動きから隔絶された仮想のユートピアで踊らされる人形に過ぎないのか。
 そしてほとんどのトレーナーが、そうだ。
 何も考えないお人形だけが、保護されるのだ。ここは箱庭の世界。
 森閑とした空気の中、キョウキは失望した。


  [No.1467] 照日萌ゆ 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/19(Sat) 19:52:11   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



照日萌ゆ 下



 ざくざくと、草を踏み分ける音がした。
 薄紅色のスーツ姿のローザと、緑の被衣を被りフシギダネを胸に抱えたキョウキはそちらを振り返る。シュシュプも、フシギダネも。
 先ほどのローザと同じくのんびりと散歩するような足取りで現れたのは、ルシェドウだった。癖のある鉄紺色の髪を首の後ろで結って、黒いコート姿で、のっそりと現れた。

 ルシェドウは森の真ん中でローザとキョウキの姿を認めると、一瞬瞳孔を開き、それから破顔した。
「あ、ローザさん、いたー! なぜかキョウキもいたぁーっ!!」
 それからぴょんぴょんと跳ねるように二人の傍までやってくると、ルシェドウはまずローザの方に一礼した。一瞬だけ鼻をひくつかせつつも笑顔になる。
「あーよかった、見つかってようござんした! もうローザさんったら全然ハクダンにいらっしゃらないから、事務所の方々が心配なさってましたよ! もう俺、森の中に人を捜索しに行くのトラウマなんすから、やめてくださいよ! ローザさんが自殺してたらどうしようかと思っちゃったじゃないっすか!」
「もう、ルシェドウさんったら。大丈夫、こちらのキョウキさんが守ってくださいますわ」
「……僕がいつ貴方を守ると言った……」
 テンションの高いルシェドウ、微笑んで応じるローザ、警戒するキョウキ。
 それからルシェドウは機嫌よくキョウキを覗き込んだ。
「うっはぁ久しぶりじゃん、レンリ以来じゃん!? ルシェドウさんはもうすっかり元気になりましたよ! っつーか、うっわぁホゲェェェェ旅先でレイアとサクヤ以外の四つ子ちゃんに会うの、これが初めてだわ! キョウキだキョウキだフシギダネちゃんだぁ! 可愛いなぁーよしよーし」
「……相変わらずうるさい人だな……」
 キョウキがフシギダネを抱えたまま舌打ちすると、そちらに手を伸ばしかけていたルシェドウはその手を止めた。その手を顎に当て、にやにやしながら首を傾げる。
「ん? んんんー? どしたんキョウキ、機嫌悪くね? いつもなら愛想笑いから入ってくれるよね? ――あー、分かっちゃったぁ、ローザさんに愛想尽かしたばっかってトコだな? このこのぉー、美人さんの前でブッサイクな面さらしやがって、贅沢者め!!」
 ルシェドウはすさまじいテンションの高さで、キョウキの首に遠慮なく腕を回した。それから忙しなくローザにも顔を向ける。
「いっやぁすみませんねぇローザさん! このきょっきょちゃんはですね、四つ子の中でもサイッコ――のひねくれ者なんっすよ! もう大好き! この嫌がってる顔! レイアやサクヤにそっっっくり!!!」
「もうやだ本当にルシェドウさんうざい」
 キョウキは嘆いた。フシギダネは笑顔で主人を見上げている。
 ルシェドウはキョウキの耳元で爆笑していた。
 ローザはくすくすと笑って、キョウキとルシェドウを見ていた。



 それからキョウキは、ローザとルシェドウと共に、ハクダンシティへ行く羽目になった。半ば強制連行である。
 道中もルシェドウは騒がしかった。ローザは香水くさかったが、ルシェドウのせいで加えて一行は騒がしくなった。キョウキはレイアのように眉間に皺を寄せっ放しだった。
「いっやぁ大変だったんすよ、聞いてくださいよローザさん! 俺ったら今回は崖から落っこちて、両足右手骨折! いっやぁ榴火ってマジで怖いっすね!」
「まあルシェドウさん、リュカは悪くありませんわ。手持ちのアブソルの習性として、災害を感知してしまうだけですもの。ご存知のくせに」
「いっやぁ、にしても骨を三本折るとこまで行ったのは初めてっすわ、もう何年かの付き合いっすけどねー」
「そうまでしてリュカに付き合ってくださるのは、ルシェドウさんくらいですわ。本当に有り難いことでございます。あの子も内心ではルシェドウさんの事を慕っているはずです」
「いやぁ、榴火は愛情表現がハードボイルドっすね! まあでも当たって砕けろがモットーなんで、この位でしょげてちゃポケモン協会の名が廃るってもんっすよ。ローザさんも榴火のこと支援してくださって、ほんとこれ以上ないくらい感謝してます、協会一同」
「いえいえ、わたくしが個人的に行っていることですもの。それに協会様には多額のご支援も頂いておりますし、わたくしが出来ることなんてリュカをホープトレーナーに推薦する程度しかありませんでしたわ」
 キョウキはフシギダネをしっかと胸に抱えて、その二人の話を聞きながら、黙々と二人に従って歩いていた。

 これが、与党候補者とポケモン協会の親密さである。しかもその話題の中心が、フレア団員の榴火ときた。
 なぜこのような話を聞く羽目に陥っているのか、キョウキにもよく分からなかった。
 二人はわざとこの話をキョウキに聞かせているのだろうか? 二人は、キョウキが榴火がフレア団員であることを知っている、ということを把握しているのか? そもそも二人は、榴火がフレア団員であることを知っているのか?
 何の意図があって? あるいは本気でただの世間話のつもりなのか?
 そのあたりがはっきりしない今、キョウキにできることといえば、敵と敵による敵についての話に注意深く耳を傾けることだけだった。


 ルシェドウとローザは、キョウキが後ろからついてきていることを忘れたかのように談笑し続けている。
「ほんと最近の榴火は、ちょっとやんちゃが過ぎるっていうか。まさかミアレのギャング共とでも仲良くなっちまったのかしらー……俺の監督不行き届きで……すみません」
「確かにホロキャスターを与えても与えてもすぐに壊してしまうのは、困ったことですわねぇ。エリート候補のホープトレーナーとしても望ましくはありませんね」
「ああそうそう、そこのきょっきょちゃんたち四つ子の中にも、榴火とバトルしてる中でちょっと怪我した子がいましてね。そんで四つ子ちゃんには保護のために、こないだまでポケモン協会の指示でキナンシティに籠っててもらってたんすよー」
「あら、そうでしたの。キョウキさん、リュカのせいで窮屈な思いをさせてしまって、すみませんでした」
 ローザがキョウキを振り返って小さく頭を下げたが、キョウキは無視した。
 ルシェドウが気にせず続ける。
「いっやーその四つ子ちゃんがさぁー、あまりの窮屈さに耐えかねたか勝手にキナン飛び出しやがったんですよね、そんでポケモン協会は四つ子捜し中なんすよー。あーでもこれでやっと一匹目をゲットっすね! ほんと四つ子、ホロキャスター持ってくれよー……」
「わたくしも先ほどキョウキさんにホロキャスターをお渡しすることを申し出たのですが、すげなく断られてしまいましたわ。善意の押し付けがましいのも逆にご無礼ですわね」
 そのローザの言いようにキョウキは無性に腹が立ったが、何も言わなかった。
 ルシェドウが大げさに溜息をつく。
「にしても榴火もかわいそう。四つ子ちゃんにも嫌われちゃって、家族にも嫌われちゃって。ホープトレーナー仲間の中でもなんだか浮いちゃってるっぽいし……。敵が多いのって辛いよなー」
 それはこっちの台詞だ、とキョウキは思ったがやはり何も言わなかった。
 それにしても、ルシェドウは以前は四つ子に『危険だから榴火には近づくな』などと言っていたくせに、なぜ今は榴火のことをこうも擁護しているのか。ローザの前だからだろうか、とキョウキは内心首をひねる。


 突然、ルシェドウがキョウキを振り返った。
「四つ子ちゃんが榴火の友達になってあげればいいのに!」
「はああ?」
 キョウキは目を剝いた。何かとんでもなく笑えない、最低の冗談を聞いた気がした。
 しかしルシェドウはキョウキを振り返ったまま、悪戯っぽく笑んでいる。
「同い年ぐらいだし、どっちも家族運ないしー?」
「ちょっと、僕らに失礼ですよルシェドウさん。……あんな危険な奴と友達になれ、と? 正気の沙汰とは思えない」
 キョウキは真面目に反論した。
 するとルシェドウも真面目な顔になった。
「キョウキ。レイアやセッカやサクヤにも話してみてよ。……榴火はさ、ほんとは寂しい奴なんだ。構ってくれる友達がいたら、あいつもきっとおとなしくなる。……なあ、これ割と本気なんだけど」
 キョウキは開いた口がふさがらなかった。顔を引き攣らせたまま、ルシェドウとローザの二人を見やる。甘ったるい匂いのせいで胸が悪い。
 ローザも深刻そうな表情で、軽く頭を下げた。
「キョウキさん、わたくしからもお願いいたしますわ。あの子、ちょっと乱暴で、同じホープトレーナーの子たちにも少々怖がられているようなのです。他のホープトレーナーたちはやはり裕福な家庭の子が多いので、なかなかリュカの境遇も理解してもらえなくて……」
「四つ子ちゃんもお母さんがいないし、お父さんとは会わせてもらえないんだよな? だからさ、榴火の寂しさ、四つ子ちゃんにはよく分かると思うんだよ。だからきっと、ちゃんと付き合ってみたら気ぃ合うって。な?」
「…………境遇が似ているから、何ですか? 傷の舐め合いにしかならない」
 キョウキが吐き捨てると、ルシェドウはキョウキの正面まで戻ってきて、そっと地面に片膝をついた。キョウキの凄まじく嫌そうな顔を、目を細め、甘い笑顔で覗き込む。
「ローザさんも俺も、榴火のこと支えるから。四つ子と榴火には仲良くなってほしい。お互いいろんな話もできるだろ、ポケモンバトルだってできる。お互いにとって良いことだと思うんだ。だから、四つ子ちゃんの方から、ちょっとずつ榴火にアプローチかけてみてほしいかなー、なんて……」
 さらにキョウキの顔が引きつった。
 ――反吐が出る。
 キナンシティでエイジを勝手に家庭教師にされたときや、実の父親の賭けの対象にされたときと同じ、気持ち悪さに胸がむかむかする。
 “お前のためだ”。そのような建前でどれほど年長者の都合を押し付けられ、その結果四つ子は傷ついてきたか。
 ルシェドウもローザも、四つ子のことはおろか、榴火のことすらろくに考えていない。
 実現性の欠片も無い、ふわふわした理想を歳若い者に押し付ける。そんなことで、すべての人間が幸福になると、本気で信じているのか。ただ楽な案に縋っているだけだろうに。


 しかしキョウキはそこであえて、榴火と親しくなった際のメリットを考慮してみた。目の前にいるローザとルシェドウの二人は、榴火の唯一ならぬ唯四の友達である四つ子を守らなければならなくなるだろう。四つ子のおかげで榴火の情緒が安定すれば、それはフレア団にとってもメリットなのではないか。――いや、そもそもそういう問題なのか?
 キョウキは首を振った。
 榴火は四つ子を認めないだろう。直感でそう悟った。
 少なくとも、打算で近づいているうちは。
 キョウキがこのルシェドウとローザの申し出に嫌悪感を覚えたように、榴火の方とて四つ子と仲良くなるなどまっぴらごめんだろう。それこそミアレのギャングなどとつるんだ方がまだ榴火にとって有益なのではないだろうか。四つ子は人嫌いなのだ。友人になったところで何も楽しいことがあろうはずもない。
「無理ですね」
 キョウキはそう答えた。
 ルシェドウとローザは失望したような目になった。
 キョウキこそ、その二人に心から失望した。



 失望したキョウキは、モンスターボールからプテラを出した。これ以上くだらない話に付き合ってはいられなかった。プテラの力強い羽ばたきが、ローザの甘ったるい匂いを、ルシェドウの騒がしい声を清々しく吹き払う。
 大人の言うことに唯々諾々として従うことは簡単だ。けれども、大人の言うことを丸ごと素直に受け入れられるほど、もう四つ子は無垢でも愚かでもないのだ。利用されることには反発を覚える。搾取されることを警戒もする。
 ローザとルシェドウの二人が、間抜け面をして、プテラの背に乗り上昇したキョウキを見上げていた。その顔に唾を吐きかけてやりたい。
 そう剛毅でありつつも、キョウキはプテラの背でフシギダネを抱きしめながら、やってしまったなと思った。
 まんまとエイジの仕掛けた罠にかかった。
 セッカは怒るだろうか。――きょっきょのお馬鹿、あれほどエイジのこと信じるなって言ったのに。この国が歪んでることについては諦めろって言ったのにぃ! きょっきょったら、れーやより馬鹿なの!? ばーかばーか! ふーんだ!
 そのようにセッカに罵られることを想像してみると、自分自身でも気色悪いことに頬が緩んだ。フシギダネが不思議そうな顔をしているが、嬉しいものは嬉しいのだから仕方がない。キョウキは片割れたちが好きだ。片割れたちに罵られるのも大好きだ。
 プテラが樹冠の上に出る。ハクダンの森が眼下に緑の塊に見えた。
 今になって思えば、エイジは四つ子――主にキョウキの知識欲、ひねくれた性格を狙い撃ちにしていたような気がしないでもない。綺麗事ばかり言う政府の裏の汚い事情、それこそキョウキが舌なめずりしそうな後ろ暗い情報だった。
 そして、四つ子がフレア団側につくことも、不可能だった。こちらはまさかローザとルシェドウの罠だったのだろうか。それはさすがに深読みのし過ぎか。何にせよ、今さら四つ子はフレア団には入れないし、国の体勢にも疑問を持つ危険分子ということになったのだ。
 それも、ただの反ポケモン派やポケモン愛護派とは違う――四つ子にはポケモンがいる、武力を持っている。であれば、ともすればテロリスト扱いされかねない。

「……とりあえず、ローザさんは敵と見ていいよね」
 プテラは輝く太陽の下、空をぐるぐると旋回している。キョウキが行き先を指示していないためだ。
 キョウキもどこへ行くつもりもなかった。
 どこへ行けばいいかもわからなかった。


  [No.1468] 四つ子とメガシンカ 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/20(Sun) 19:00:12   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子とメガシンカ 夕



 ヒヨクシティの西の12番道路、フラージュ通りをルカリオが疾走する。四つ子の波動を追って。
 朝の光を背に受け、西へと。シャラシティを目指して駆ける。
 メェール牧場の草原で微睡んでいたメェークルたちが首をもたげ、干し草のひときわ香り立つのに柔らかく瞬きをし、そして小さく欠伸をした。一陣の風が通り過ぎていった。
 陽射しは燦燦と降り注ぎ、空気は暖かい。光る草原を風が撫でる。
 北東に青きアズール湾は銀の波を幾億も煌めかせる。長閑なキャモメの声。
 ルカリオはそのようなのどけきフラージュ通りを疾風の如く駆け抜ける。
 小柄な若いルカリオだ。軽々と段差を飛び越え、つややかな草花を踏み越え、そうして河口の岸辺に辿り着くと速度を落として、ようやく立ち止まった。
 はるか南東のキナンシティを源流とし、カロスの大都市ミアレシティを貫いて流れてきた大河、その河水の海に注ぎ込む場所。カロスの南東の果てからもたらされた砂泥が川岸に堆積し、なめらかな砂浜を作っていた。淡水と海水の混じった濃いにおいがする。
 ルカリオは滔滔と流れる大河を前にして途方に暮れ、立ち尽くし、指示を求めるべく主人を振り返る。そしてぎょっと目をむいた。
 彼の主が、小柄なライドポケモンの背に乗って疾走してきたのだ。
「がるっ?」
「……何を驚いてんだ、ルカリオ。俺が自分で走ってお前について来れるはずないだろ?」
 メェークルの角を握った彼は巧みにメェークルを巧みに操り、浜辺に立ち止まらせ、そして砂の上に軽やかに降り立った。
 ルカリオの主人は金髪に緑の瞳、モノクロの服装に身を包んだ青年。ユディという名だ。


 砂浜に立ったユディが角から手を放すと、メェークルはおとなしく緑のメェール牧場へと戻っていった。それを見送り、ユディは小柄なルカリオに視線を戻す。
 ルカリオは困ったように、ユディに河口を指し示し、唸った。
「……がるる」
「……こりゃ、渡れないな。アホ四つ子はこの先なのか?」
「がる」
「参ったな、コボク経由で来るべきだったか……いや、それもそれで遠回りすぎるが」
 ユディは困り果てて、砂浜に座り込んだ。小柄なルカリオもその隣でちんまりと正座する。
「まったく、交通が不便なんだよな」
 ユディは片膝を抱えてぼやいた。
「まあポケモンの生息地を守らないといけないし、あと野生のポケモンのせいで道路も鉄道も管理がかなり困難だっていうのもあるか。……にしたって不便だ」
 これほど各地の交通の便が悪いくせに、よくもまあここまで各都市が発展してきたものだと思う。都市ごとにそれぞれの産業を育成し運輸で産物を分配することが経済的に最も効率のいい方法だが、果たしてフウジョタウン産の小麦やこのメェール牧場産の乳製品、そしてカロス南部産の野菜や果物や葡萄酒はいかようにしてカロス全国に流通しているものか。
「……まさかまだ、ポケモンの背に乗せて? ……前近代の貿易商か」
 ユディは唸った。アホなことを考えるのはやめよう。もちろん陸上貨物はトラックが運送しているのだ。したがって、トラックが走るための大都市間をつなぐ高速道路がいずこかに存在するに決まっている。しかし徒歩の人間が果たして高速道路の恩恵にあずかり、ヒヨクからシャラに辿り着けるというのか。
 ユディは頭を振った。



 結局、ユディは暫くルカリオと共にぼんやりと砂浜に座り込んでいた。
 もちろん、日が暮れるまで立ち往生していたわけではない。自身と同様にヒヨクシティ方面からやってきたトレーナーの所持するラプラスの背に同乗させてもらうことにより、ユディとルカリオはシャラシティ側の岸へと渡った。街の外で困ったときはポケモントレーナーに頼るに限る。謝礼として千円ほどをそのトレーナーに手渡し、無事にシャラシティ側に渡り終えたユディは息をつく。
 大河という最大の難関を超えて、小柄なルカリオが再び意気揚々と西へと駆け出した。四つ子の波動を追って。
 しかし、そのままシャラシティに入ることはなかった。急に左折して、平らな道を外れたルカリオはフラージュ通りを南下し、遠目にも見えるナナシの大木の根元を目指して走っていく。
 ルカリオは走りながらにっと笑ったかと思うと、唐突に両腕を曲げて掌に波動を溜め始めた。その後ろをユディもついて走りながらにやりとした。――見つけた。
 ルカリオは、ナナシの大木の傍らにあった茂みめがけて、波動弾を撃ち出した。

 茂みが爆発する。
 悲鳴が上がった。
「ぎゃあ――!!!」
「ぴかちゃあ――!」
「うわっ……」
「かげぇぇっ、かげええええ」
「きゃあー」
「だーねー」
「……あの野郎……」
「ぜーに! ぜにぐぁあー!!」
 もうもうと立ち上る土煙の向こう、茂みの中から四人と四匹分のうめき声が漏れてくる。
 茂みの中から人の声が「危ないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声にユディは聞き覚えがあった。彼は咄嗟に思い当たって叫んだ。
「その声は、我が友、アホ四つ子ではないか?」
 茂みの中からは、しばらく返事がなかった。忍び泣きかと思われる微かな声がときどき漏れるばかりである。
 ややあって、低い声が答えた。
「いかにも俺らは」
「クノエの四つ子である」
「ちょっマジで死ぬかと思った」
「貴様、僕らを殺す気だったのか……」
 ユディとルカリオがその茂みの中を覗き込むと、なるほどそっくりな顔をした四つ子が小さく蹲ってこちらを恨めし気に睨み上げている。
 ユディは失笑した。
「おい……何やってんだ、アホ四つ子?」
「――こっちのセリフだもん! ひどいもん! 痛いもん!」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカが、涙目でぴゃいぴゃいと叫んだ。
「ユディごらてめぇ何してくれてんだ潰すぞ!!」
 ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスのレイアが、涙目で怒鳴った。
「もう、ルカリオったら酷いよう」
 フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキが、ほやほやと笑いながらもルカリオに文句を言った。
「……ルカリオに僕らの波動を読み取らせたな?」
 ゼニガメを両手で抱えた青い領巾のサクヤが、恨みがましげにユディを睨んでいた。


 揃いの黒髪に灰色の瞳、袴ブーツ、葡萄茶の旅衣。それが四人、茂みの中。
 四つ子はユディの幼馴染だ。
 ユディの手持ちのルカリオもまた、四つ子とは昔からの顔なじみだった。そのため、ユディルカリオは四つ子の波動を遠くからでも容易に感じ取ることができる。
 一斉にすさまじい顔つきで睨んでくる四つ子に、ユディは苦笑した。
「……なんだよ。睨むなよ。俺はただ、ロフェッカさんからお前らがキナンから消えたって連絡を頂いて、お前らに何かあったんじゃないかと心配してだな……」
「ロフェッカの差し金?」
 緑の被衣のキョウキが毒々しげに笑う。その眼は笑っていない。
 ユディはふと真顔になった。
「……お前ら、キナンでロフェッカさんと喧嘩でもしたのか?」
 四つ子は一斉に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ユディは再び苦笑する。ユディの前で子供らしく振る舞うところは、昔から全く変わっていないようだった。

 四つ子は先日まで、カロス最南端のリゾート都市キナンに籠っていたはずだった。
 ポケモン協会の指示でそうしていたのだ。四つ子の養親のウズと、また協会職員のロフェッカと共に、優雅で快適な別荘暮らし。さらには家庭教師も雇ったということも、ユディはウズからの手紙やロフェッカからのメールによって知っていた。
 キナンでは四つ子は衣食住が保障され、勉強もでき、そして毎日思う存分ポケモンバトルに打ち込める。金銭的にも文化的にも、これ以上ないほど恵まれた機会だったはずだ。
 なのに、四つ子はキナンシティから脱走した。ポケモン協会の保護から自主的に脱したのだ。
 ユディには単純に、疑問だった。キナン以上に四つ子にとって望ましい環境などないはずだった。旅が辛いと嘆いていた四つ子は、それでも旅枕になければ生きていけないのか。まさか旅中毒なのか。

「ロフェッカさん、心配なさってるんだぞ? お前らが勝手に夜中に家出したから……」
 ユディは苦笑しつつそう言ってみたものの、四つ子はユディの言葉など聞いてもいなかった。茂みの中に潜んだまま、何やら四人でこそこそと相談し合っている。
「……だから……ルカリオが……」
「……波動……俺ら……追ってくるぞ……」
「……厄介だ……いっそのこと……」
「……ここで潰すか……」
「誰が、何を、潰すって?」
 茂みの外に屈み込んだままユディは緩く笑ってやった。
 茂みの中に蹲っている四つ子は、そろりとユディを見やり、そして一斉にモンスターボールを掲げた。
「悪ぃな」
「ユディ」
「許せ」
「――おいちょっ……待っ……、アホ四つ子…………何する気だよお前ら!?」
「ごめんね、ユディ。ロフェッカにはうまく言っておいてね。……僕らは今ね、ロフェッカの指示で動いている君を信じるわけにはいかないんだよね……」
 キョウキがうへへへへへへと笑っている。
 茂みの中で四つ子は殺気立っている。その並々ならぬ雰囲気にユディはわたわたと手を振った。
「分かった! よく分からんが分かった、ロフェッカさんにはお前らのことは言わない! それでいいんだろが、俺はロフェッカさんと連絡とらない、それでいいか!?」
「本当か。約束すんのか?」
「ああ、約束する。ロフェッカさんよりお前ら四つ子の方が、まだ俺にとっちゃよく知ってるやつだからな……つまり俺はロフェッカさんよりお前らの味方だ! 神に誓って!」
 ユディが必死に言い募ると、茂みの中の四つ子はそろそろとボールを掲げていた手を下ろした。にもかかわらず、ヒトカゲもフシギダネもピカチュウもゼニガメも未だに全身を緊張させ、凄まじい形相でユディとルカリオを警戒している。
 そのただ事でなさそうな様子に、ユディはようやく表情をまじめに改めた。


 ユディは屈み込んだまま背筋を伸ばし、茂みの中の幼馴染四人に問いかける。
「……なあ、アホ四つ子。俺はさ、ポケモン協会ともウズとも関係ないただの一般人だからさ、そこは信じてくれていい。……何があった?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 四つ子はそっくりな顔で、茂みの中からユディを睨み上げている。
 不信に満ちた、冷たい、荒んだ眼差しだった。四人が十歳になる前、トレーナーとして旅立つことをひたすら拒絶していた頃と同じ目をしている。
 ユディのルカリオがその四人の視線に怯え、後ずさる。このような四つ子の眼はルカリオにとってはトラウマだった。神経質に全身を強張らせるルカリオの肩に手を置いてやりながら、ユディは毅然と言い放つ。
「シャラのポケモンセンターに行かずにこんなところでこそこそしてんのも、何か理由があるんだろ。ポケモン協会と何かあったんだな?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「あのな、お前ら、トレーナーのくせにポケモン協会を敵に回しちゃお終いだろ。っつーか逆にさ、何をやれば協会と敵対できるんだよ」
「ユディてめぇ、どこまで知ってる?」
 茂みの中でレイアが低く唸った。赤いピアスが揺れる。
 ユディは肩を竦めた。
「何も知らん。俺はただ毎日ロフェッカさんからのホログラムメールで、お前らがキナンで呑気に暮らしている映像を、面白おかしく観てただけだ。お前らが何かに困ってる様子なんて分かんなかったし、多分それは、俺と同じメールを受け取ってたモチヅキさんもルシェドウさんも同じじゃないか?」
 ユディがそう言うと茂みの中の四つ子は一斉にぷくぅと膨れっ面になったので、ユディは思わず吹き出した。
「え、知らなかったか? んなことないよな、毎日撮られてりゃそりゃ知ってるよな?」
「……毎日か……」
「気付かなかったよ……」
「まあいいわ、話を戻すぞ……」
「おいユディ。ポケモン協会の連中に僕らのことを話したら、シメるぞ……」
 四つ子は茂みの中に屈んだまま、怒り狂った四匹のチョロネコのようにユディを威嚇していた。茂みの中で怯える四匹のチョロネコを想像して図らずも和んだユディは、緩い口調になった。
「ウズは、お前らがここにいるって知ってるのか? モチヅキさんは? その二人にも教えちゃ駄目なのか?」
 ユディが言葉を発するごとに、四つ子はどこか戸惑うように黙り込み、互いに顔を見合わせる。
 風に林の木々がさわさわと鳴る音を聞いていた。
 青空をゆったりと、白い雲が海から大陸へと流れていく。ユディは顎を上げてぼんやりとそれを眺めた。


 茂みの中で小さくなっている四つ子は、ひたすら、ただひたすらに沈黙を守っていた。どうやらユディを関わらせる気はないらしい。
 ユディはまあそれでもいいかと思った。四つ子ももう子供ではない。ユディが兄のように、ウズやモチヅキが親のようにいちいち保護してやらなくても、四人で切り抜けることで四つ子は成長するだろうと判断した。
 なのでユディは特にこだわりなく、茂みの中に向かって頷いた。
「……分かったよ。何も聞かねぇよ、このアホ四つ子。だが、アドバイスしておく。――お前ら、四人で行動してるとかなり目立つぞ」
 すると茂みの中で、そっくりな顔をした四つ子がぱちくりと瞬きした。
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「気づいてなかったのか?」
 ユディは真顔で忠告してやった。
「まず、その葡萄茶の旅衣は普通に目立つ。あと、着物も袴も目立つ。四人お揃いでぞろぞろ歩かれちゃ、さらに目立つ。それによく見たら四人とも同じ顔で、なおさら目立つ」
「なにそれ! れーやときょっきょとしゃくやと一緒にいちゃ駄目ってことぉ!?」
「目立つっつっただけだよ。いちゃ駄目ってことはない。……あとお前ら、ポケセンは普通に使えよ。ポケセンに寄らないトレーナーも悪目立ちする」
 ユディの指摘に、四つ子は茂みの中に縮こまったままこくこくと素直に頷いた。
 ユディは最後に質問した。
「んじゃ、俺はお望み通り、このまま適当にどっか行くわ。何か手伝えることある?」
 茂みの中の四つ子はぷるぷると首を振った。そして頭を下げた。
「悪いなユディ。おっさんやルシェドウのことはうまくやれよ」
「ごめんねユディ。ウズやモチヅキさんについてはお前に任せるよ」
「ごめんユディ。俺らはこれからシャラのマスタータワーに行くから」
「すまないユディ。メガシンカを身につけたらもっと用心して行動する」
 口々に謝罪の言葉を口にする四つ子に成長を感じ、ユディは爽やかに笑った。ルカリオと共に四つ子に向かって手を振る。
「分かった。とりあえずお前らが元気そうで安心したよ。気を付けてな」
 四つ子は茂みの中に潜んだまま、揃ってこくりと頷いた。そしてユディとルカリオの背中を、茂みの中から凝視していた。ルカリオが落ち着かなげにちらちらと背後を振り返っていた。


  [No.1469] 四つ子とメガシンカ 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/20(Sun) 19:01:44   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子とメガシンカ 夜



 潮騒の聞こえる、海割れの道を四つの影がそろりそろりと渡っていった。溺れそうな海のにおいがした。
 シャラシティは夜の海に抱かれている。
 並の崖に打ち寄せる音が、夜のしじまに轟く。
 光源は空の月、雲の切れ間の微かな星明り、そして四人の先頭を行くレイアの抱えるヒトカゲの尾の灯火ばかり。それも闇を払うには不十分で、キナンの光溢れる祭の空気に慣れた四つ子にはまどろっこしい。五間ほど先は闇。ただ海の先にそびえる砦だけはその威圧感も露わに、海のように立ちはだかっている。
 湿った砂をブーツの底で踏み、夜の海を眺めながらシャラシティの北へ。海は闇だった。砕ける月光を飽き足らず飲み込み、四つ子の足元へ黒い波を投げる。
 波。
 砕けた波の音。
 湿った砂を踏む四人の足音。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカがのんびりと呟く。
「なんかさー、すげぇなー」
「何が」
 無感動に返事をしたのは、ヒトカゲを抱えたレイアである。
「だって、シャラにこんなとこがあったなんてなー」
「てめぇは本気でシャラサブレにしか興味なかったんだな……」
「そーそー。前に来たときは、こんな塔があるなんて気づきもしなかったもんなー」
「……マスタータワーは、ポケモンのメガシンカに関わりのある建物らしい」
「ポケモンの目が進化?」
 セッカがのんびりと聞き返すと、ゼニガメを抱えたサクヤは顔を顰めた。
「メガシンカ、だ。進化を超えた進化。プラターヌ博士の研究テーマだろう?」
「僕らもメガシンカのために、今マスタータワーに向かってるんだよ? セッカは何をするかも分からないままここに来たの?」
「れーやときょっきょとしゃくやが行くから、俺も来ただけだもん」
 セッカはぷーと頬を膨らませる。そして急にぐりんと、フシギダネを頭に乗せたキョウキを振り返った。
「俺らも目が進化すんの!?」
「メガシンカするのは僕らじゃなくて、僕らのポケモンだよー」
「えっ!」
「えっ?」
「なに茶番やってんだよ、お前らはよ……」
 レイアが振り返り、呆れたような声を出している。ヒトカゲもその腕の中できゅきゅきゅと笑っていた。
「キナンでバトルシャトレーヌ倒して、んでウズから巻き上げたのが、どうもメガストーンぽいって話になったろうがよ」
「ねえれーや、目がストーンってどういうこと!? この石って目なの!!?」
「――目が石なわけねぇだろうが! ほんっとどういう目と耳してんだてめぇはよ! 病院に突っ込んだろうか!! 海に突っ込んで海水で洗浄するぞてめぇ!!」
「ぴゃあああー! やめてぇー! いじめないでぇー!」
「静かにしろよお前ら」
 サクヤの冷静な一言によってレイアとセッカは口を噤んだ。サクヤに従わないと拳や蹴りが飛んでくるのだ。
 海上の砦には巨大なアーチ状の門、その先には広大な階段が広がっている。ポケモンリーグに劣らぬ威厳。
 海の中に構えられた壮麗なその砦は、マスタータワーだ。赤茶の煉瓦造り、大理石の装飾。いくつもの尖塔。正面の巨大な塔の装飾はどこか時間を司る神の爪に似ている。
 マスタータワーは闇に沈んでいた。外壁に灯り一つ掲げていない。四つ子の訪れた時間が遅すぎるためかもしれないが。
 黙々と大階段を登りつめれば、正面の巨塔内のホールには光が満ちていた。
 四つ子はそこに足を踏み入れた。
 その時だった。

「……あっ」
 少女の声がした。
「あ――?」
「わあ――」
「ぴぎゃあああああああああ――!」
「わっ――」
 四つ子はローラースケートに次々とはね飛ばされていった。


 セッカがよろよろと床に手をついたまま、ぴゃいぴゃいと泣き叫ぶ。ピカチュウも床に降り立って盛んに鳴きたてた。
「いったぁぁぁい! 痛いもんっ! ひどい!!」
「ぴぃかー! ぴかぴかーっ!!」
「ああああああ、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいっ!」
 そして死屍累々とする四つ子の前に、ローラースケートの少女が手と膝をついた。
 さらに老人の怒号が響く。
「こらあコルニ! だから前をよく見いとあれほどゆっとるだろうがー!」
「ごめんなさいおじいちゃん!」
 ヒトカゲが涙目でレイアの肩を揺すり、フシギダネがキョウキの頭を鼻先でつつき、ゼニガメがサクヤの黒髪を引っ張りまくっている。レイアは腹部を押さえて床に倒れたまま呻き、キョウキはうつ伏せに床に潰れたまま微動だにせず、サクヤは床に座り込んで深く項垂れている。
 セッカはボロボロ泣きながら、ローラースケートの少女に向かって喚いた。
「ひどいもん! 死ぬかと思ったもん! 弁償しろ!」
「ごめんなさい! ……って、あれ? あなた、レイア……だっけ? あれ……キョウキだっけ……あれ、サクヤな気も……?」
「俺はセッカ! れーやはあっち! きょっきょはそれ! しゃくやはこいつ! 俺たち四つ子!」
 セッカはずびしずびしとそれぞれの片割れを指さした。そして痛みをこらえ、ぼろぼろ泣きながら立ち上がって喚きまくる。
「もうなんで、目が進化するかと思ったのに、なんで撥ね飛ばされなきゃなんないわけ! 何なの修業なの!? 俺らに何をさせたいの!」
「メガシンカ、じゃと? ほう、どこでそれを耳にした」
 その老人の声に、セッカは泣きながら顔を上げた。
 眉毛の特徴的な老人が、ホール中央の巨大な銅像の台座に作られた部屋の中から歩み出てきていた。
 セッカは嗚咽し、洟を啜り上げる。老人を涙目で睨んだ。
「……じーちゃん、誰……?」
「人呼んで、メガシンカおやじ。こっちのシャラシティジムリーダーのコルニは、わしの孫じゃ」
 メガシンカおやじはそう言いつつ、傍らのローラースケートの少女の肩を軽く叩いた。
 セッカは涙も拭かずに、じとりとその少女を見やる。
「……あんた、ジムリーダーのくせに、俺らのこと轢き殺しかけたんだね?」
「ごめんなさいってばぁ!」
「ごめんじゃすまないもん! ジムリーダーならさ、あれだよ、ウルップさん見習えよ!」
「うう……だってぇ……謝ったじゃん、許してくれたってよくない?」
「ごめんで済んだら世界は平和だもん! ふーんだ! ひどいもん! ジムリーダーのくせに、若いトレーナーいじめるんだ!」
「ちょっと、何それ!? 言いがかりもほどほどにしてよ!」
「言いがかりじゃないもん! そっちが悪いんだもん! 俺らが怪我したんだもん!」
「ぐう……」
「こらコルニ、そのぐらいにせい。この者の言う通り、お前が客にぶつかっておいた上に、お前はジムリーダーなのだ。ジムリーダーたるもの、他のトレーナーの模範たるべく……」
 セッカとコルニの口喧嘩の間に、コルニの祖父が割り込んでコルニに説教を始める。威厳のあるお爺さんだとセッカは思った。
 コルニは不満そうに眉根を寄せた。
「だっておじいちゃん、あたしは何度も謝っ……」
「言い訳するでない!!」
 老人の怒鳴り声に、コルニはおろかセッカまでも、ぴいと首を縮めた。
「大事なのは言葉ではない、心! 本当に申し訳ないと思う心があるならば、そのような幼い言い訳もせんはずだ!」
「ううー……」
「コルニのじーちゃん、こええー……!」
「……でしょ? だよねだよね、なにもここまで怒んなくてもいいよね?」
「ほんとコルニのじーちゃんこええな!」
「でしょ!」
「マジでそれな!」
 そしてメガシンカおやじが怖いという点で、セッカとコルニは意気投合した。


 マスタータワーの内部は、巨大な吹き抜けになっている。
 その中央にそびえるのは、これまた巨大な銅像。コルニがそれを見上げ、セッカの視線を導く。
「この像がメガルカリオだよ。昔この地にやってきた人がルカリオを連れていて、そこでキーストーンとメガストーンを発見して、初めてのメガシンカが起こったんだ!」
「……目がルカリオ? え? え? どういう意味?」
「ちょっとセッカ! メガルカリオは、メガシンカしたルカリオでしょ!」
「……目が進化したルカリオが、目がルカリオなの? え、何も変わってなくね?」
「ぜんっぜん違うに決まってるじゃん! メガルカリオって、すぅっごく強いんだよ! くうー、あたしも早くルカリオをメガシンカさせたい!」
 コルニとセッカの話はまったく噛み合わなかった。
 その二人をよそに、ようやく起き上がった緑の被衣のキョウキが、フシギダネを腕に抱えてメガシンカおやじにようやく挨拶した。
「はじめまして、メガシンカおやじさん。僕はキョウキ、そしてこちらがレイア、この子がサクヤ、そしてお孫さんとすっかり意気投合しているあちらの馬鹿がセッカです」
 メガシンカおやじはキョウキに視線を合わせてゆったりと頷き、その挨拶に応えた。
「ふむ。こんばんは。では、このマスタータワーを訪れた要件を伺おう」
「メガシンカについてお伺いしたいのですが」
 起き上がったサクヤがそう問うと、メガシンカおやじはそちらを見やり、鷹揚に頷いた。
 威厳を称えた老人はどうやらこのマスタータワーの管理者であるらしい。朗々とした声で、求めに応じてメガシンカについて語りだした。
「――ポケモンの持つメガストーン、トレーナーの持つキーストーン。ポケモンとトレーナーの絆の力によって二つの石が共鳴するとき、ポケモンは進化を超えた進化、メガシンカを果たす」
 そう重々しく語る。
「我が一族は代々このマスタータワーにて、メガシンカの秘密を守ってきた。心悪しき者に利用されぬよう、正しき者にのみ二つの石を授けてきた」
「つまり、メガシンカするためにはここで何かしらの審査を受けねぇとだめってことかよ? ここはポケモン協会の一機関か何かか?」
 ヒトカゲを抱えたレイアが用心深く問いかける。
 すると老人はレイアを見やり、鼻で笑った。
「ポケモン協会などと。あのような青い組織に組み込まれるほど、我らは軽くはないぞ」
 レイアとキョウキとサクヤは顔を見合わせた。メガシンカおやじはその三人を鋭い眼差しで見据え、語り続ける。
「我が一族は古来より独自に、マスタータワーを訪れるトレーナーの素質を見極め、そして心正しき者にのみメガシンカの極意を伝えてきた。……どうじゃ、興味が出てきたか? おぬしらもポケモンをメガシンカさせたいか?」
 そうにやりと笑って、レイアとキョウキとサクヤの顔を覗き込んでくる。
 三人は再び顔を見合わせた。
 四つ子は現在、メガストーンと思しき石を持っている。ウズから貰ったものだ。
 どうやらメガストーンというのは、このマスタータワーの外でも手に入れることができるものらしい。おそらくキーストーンもだ。
 メガストーンとキーストーンは、自然発生したもののようだった。進化の石のような。
 メガシンカおやじの話を聞く限り、四つ子は後はキーストーンだけを手に入れれば、メガシンカを扱えるようになるのかもしれなかった。
 サクヤが老人に尋ねた。
「……キーストーンは、どこで手に入りますか」
「さてな。山奥からひょっこり見つかるかもしれん。我が一族は長い時をかけ、野山を巡り、二種類の石を探し求めてはこのマスタータワーに収めてきた。……すなわち、このマスタータワーにもキーストーンはいくつか収められておる」
 レイアとキョウキとサクヤはメガシンカおやじを凝視する。
 メガシンカおやじは三人の目を覗き込み、ますます笑みを深めた。
「ポケモンをメガシンカさせたいか。ふむ……その様子じゃと、メガストーンらしきものは既に手に入れたというところか? ふむふむ……強さを欲しとる目だな?」
 マスタータワーの守護者の目は確かのようだ。ほんの数分で四つ子の望むもの、この場を訪れた目的を見定めてしまった。
 その観察眼は、確かに尊敬に値する。
 レイアとキョウキとサクヤは改めて継承者を見つめ、素直に囁いた。
「……俺らは、狙われてんだ」
「僕らは何も悪くないのに、僕らを傷つけようとしてくる敵がいるんです」
「その敵を退けるために力を求めることは、間違っていますか?」
 その三人の訴えを、老いた継承者は目を伏せて頷きながら聞いていた。そしてじろりと四つ子を眺めまわし、口を開いた。重い言葉が漏れる。
「自力救済は現代において、望ましいことではない。……しかし確かに、善悪は正しく見極めねばならんな」
 メガシンカおやじは巨大な銅像を背に、そう静かに告げた。
「それでもじゃ。――おぬしたち自身の幸せだけを願ったところで、それではフレア団と何も変わらぬということを、よくよく心に留めおくがいいぞ。四つ子のトレーナーよ」
 一方のセッカとコルニは、未だにメガシンカの見解の相違について恐慌をきたしていた。



 夜も遅いということで、四つ子はマスタータワー内の客室を与えられた。吹き抜けの外縁の坂を上るさなかの一部屋に四つ子は入った。
 ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメがようやく四つ子の手から解放されて、思い切り部屋を走り回る。もう夜もだいぶ更けたというのに元気なことだ。
 四つ子は室内を検分した。簡素な四つのベッド、机、鏡、椅子、本棚。ガラスの嵌められた窓からは、果てしない滄溟と、マスタータワーから南に伸びる道、そして夜空の下で輝くシャラシティが臨めた。
 それから四つ子はベッドに腰を下ろす。走り回る相棒たちを眺める。
 キーストーンを求めた四つ子に対するメガシンカおやじの反応は、非常に曖昧だった。このマスタータワーにキーストーンの用意があることを明言しつつも、四つ子にそれを授けるかについては茶を濁していた。そしてもう夜も遅いと諭され、客室に押し込められたのだ。
 メガシンカおやじの孫のコルニは、まだメガシンカを極めるための修行の途中であるらしく、彼女自身も未だにメガシンカは使えないという。なのでキーストーンを授けるか否かの決定権はコルニにはないのだ。
 メガシンカおやじに認められなければ、四つ子はメガシンカを扱うことはできない。
 四つ子は、メガシンカを、一応は望んでいる。
 それは一つには、キナンでウズから与えられた、実家の父親からの生まれて初めての贈り物だというそれが、メガシンカの鍵を握るメガストーンだったからというのもある。
 また、フレア団やポケモン協会に狙われている恐れがあるからというのもある。
 他にも、単純にバトルで強くなれば、賞金を稼ぎやすくなるからというのもある。
 四つ子にとって一番重要なのは何だろうか。一つめの理由はほとんど四つ子にとっては重大な価値を持たなかった。二つめと三つめの理由は四つ子にとって大事な問題だったが、わざわざメガシンカに頼らずとも安全と金銭は贖えるようにも思われる。どうしてもメガシンカにこだわることの理由にはなっていなかった。
 心からメガシンカを欲する気持ちは、四つ子にはない。
 だからなぜメガシンカが必要なのかと問われると、どうにも答えられなかった。

「コルニはさー」
 セッカがベッドにごろりと転がって呟く。
「ポケモンと一緒に強くなるのが嬉しいって言ってたよ。グッとくる、ってさ」
「……メガシンカはトレーナーがいなければ不可能だ。確かにメガシンカをすれば、ポケモンから必要とされているような感覚には浸れるだろう」
 青い領巾を袖に絡めたサクヤもまたごろりと転がる。続いて緑の被衣を頭から被ったキョウキもころんと転がった。
「自己承認欲求は満たされるかも、だね」
「ポケモンに認められて、そんなに嬉しいもんかねぇ」
 赤いピアスのレイアが最後にどさりと倒れた。
 四つ子はぎしぎしいうベッドの上をごろごろ転がった。
「俺らのポケモンは俺らのこと認めてくれてる。なら、これ以上特別な絆とか要るかね?」
「正直、僕、特に何も考えずにここ来ちゃったんだよね。コンコンブルさんもなんだか、あんまりすんなりとはキーストーン渡してくれそうにないし。僕らには素質とやらがないのかもね」
「……こんぶ?」
「コンコンブル。先ほどのご老体の名だ」
「昆布の佃煮食べたい!」
「ま、メガシンカ使えるトレーナーは少なくって、そんだけ特別ってこった。ジムリーダーでもメガシンカできないらしいぞ? チャンピオンとか四天王級だとよ」
「僕らがジムリーダー級に甘んじるなら、メガシンカは不要だ、と」
「え? え? ……四天王と渡り合うには目が進化した方がいいってこと?」
「セッカさっきからアクセントおかしい」
 ここでようやく片割れたちはセッカに、メガシンカとは目が進化することではないこと、メガシンカのメガはメガドレインのメガだということを教え込んだ。
 セッカは勢いよくバンと簡素な寝台を叩いた。
「――なるぴよ!」
「なんでまた、んな基本的なとこを勘違いするかねぇ」
「でさ、でさでさでさ! なんで佃煮じいさんは俺らにキーストーンくれないわけ?」
「コンコンブルの原形すら留めてねぇな。……それがわかりゃ苦労はしねぇっつーか、このままキーストーン貰うのに時間かかるんだったら、マジで時間の無駄なんですけど。地道に山で野生のポケモンと戦ってる方がまだ強くなれるわ」
「コンコンブルさんは僕らに何を求めてるんだろうね。渡すことすら確約しなかったところを見るに、僕らにはまだ何かが足りないんだよ。たぶん」
「要は、メガシンカ使いたるに相応しいか、ということだろう」
 うーん、と四つ子は唸った。

 コンコンブルは何かヒントのようなことを言っていたかと頭をひねった。
「善悪が何とかかんとか」
「自分のことだけ考えてたら、フレア団と何も変わらないとか何とか」
「どうだセッカ、何か閃いたか」
「ピカさんのこと? ピカさんはいっつもぴかぴか、元気でちゅう!」
 駄目だこれは、とレイアとキョウキとサクヤは溜息をついた。セッカは枕元に飛び込んできたピカチュウをキャッチして、きゃっきゃうふふと頬ずりしている。今日のセッカは馬鹿モードだ。およそ頼りにならない。
 レイアもまた飛びついてきたヒトカゲを抱きしめてやり、その頬をうりうりする。ヒトカゲが幸せそうな声を漏らす。
 キョウキもフシギダネを腹に乗せて微笑む。
 サクヤは頬をつねってくるゼニガメに文句を言った。その甲羅を両手で掴み、リーチの差でゼニガメの悪戯を完封する。ゼニガメはサクヤの顔面に軽い水鉄砲を見舞った。サクヤが鬼の形相になった。ゼニガメは頭を甲羅の中に引っこめた。
 メガシンカとは何なのだろう。
 相棒や、そのほかの手持ちたちとも四つ子はうまくやれている。指示と技とがかみ合い、あらゆる敵を退け、賞金をとる。
 今のままで十分ではないか。
 十分なのだろうか。
 四つ子はどこまで強くなるべきなのだろう。
「……これ以上強くなったらさ、またトキサみたいなことが起きる確率も上がるわけじゃん?」
 セッカが囁いた。
「でも、敵がどれだけ多いかもわからないんだよ。というか、正当防衛なら、トキサさんみたいなことが起こったってしょうがないし、僕らの責任じゃないと思うの」
 キョウキが囁いた。
「どうとも言えねぇな。メガシンカの強さも、敵の規模も分からん。そもそも、フレア団が俺らを狙ってるってのもただの被害妄想かもしんねぇ。何一つ確実じゃない」
 レイアが囁いた。
「その中で何かしらの覚悟を決めるのは難しい。何をしたらいいかすら分からないのだから」
 サクヤが囁いた。
 そこで四人は目を閉じた。夜も遅い。
 微かに波の音が聞こえていた。


  [No.1470] 四つ子とメガシンカ 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/20(Sun) 19:03:02   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子とメガシンカ 朝



 翌朝目を覚ますと、マスタータワーの南の道が消えていた。
 昨晩四つ子が歩いてきた海中の道が、青い海に没してしまっていたのである。現在いる場所とシャラシティの方角とを何度も見比べてみるけれど、やはり道がない。あったはずの道が消えている。
 窓辺に立ってそれを見下ろすレイアに、セッカが飛びつく。
「しゅごい! 帰れない! れーや、どーしよー! 閉じ込められちゃったぁー!」
「いてぇっ……嬉しそうだな。潮の満ち引きで、道が消えるんだと」
「四つ子ちゃーん、おっはよー!」
 そこに客室に飛び込んできたのは、シャラシティジムリーダーのコルニである。朝も早くからローラースケートで室内に踏み込んできた。
 呆気にとられるレイアとセッカ、そして未だにベッドの上で微睡んでいるキョウキとサクヤを見回して、コルニはあっけらかんとして笑った。
「ごめん! どれが誰だかわかんないや!」
「ビオラさんやウルップさんは覚えててくれたのにぃ!」
「うー、ごめんってばぁ! あたしまだまだジムリーダー初心者だから? あんまり挑戦者さんのことまで見れてないっていうかさー……」
「それって、ジムリーダーとしてどうなんですかねぇ」
 むくりと起き出したキョウキが微笑している。
「ジムリーダーたるもの、挑戦者の強さと個性を見極めたうえでバッジを渡して頂かないと――というのがポケモン協会の建前ではないのですか?」
「……キョウキ、お前、朝からうるさい……。コルニさん、何の御用ですか」
 サクヤが目をこすりながらもぞもぞと動き出した。
 コルニは機嫌よくローラースケートで客室内を動き回る。
「えっと、それが、おじいちゃんがね、四つ子を呼んで下でバトルさせろって言っててさあ」
「バトルっすか」
「そ。おじいちゃんも凄腕のトレーナーだから、そうやって四つ子ちゃんの実力を見極めようとしてるんだと思うよ。あたしが認めたトレーナーなんだから、強いのは当たり前なのにねー」
 コルニは明るく笑い、四つ子に向かって親指を突き立てた。
「うん、四つ子ちゃんならメガシンカ使えるよ、あたしが保証するって! ま、あたしもまだメガシンカ使えないけどねー! あははっ、まあまあ、気にせずがんばって!」
「うん! ばんがる!」
 セッカが勢い良く鼻を鳴らした。


 客室を出て最初に視界に飛び込んでくるのは、巨大なメガルカリオの像だ。
 螺旋状の坂を、転ばないように慎重に四つ子は下りた。その傍をコルニが猛スピードでローラースケートで駆け下る。
 メガルカリオ像の正面で堂々と仁王立ちしていたのは、メガシンカおやじ――もといコンコンブル。老齢とは思えぬほど背筋をまっすぐに伸ばし、階上から現れたコルニと四つ子を強い視線で見据えた。
「おはよう。朝早くからよく来てくれた。コルニからも聞いたとは思うが、これから私の前でおぬしらのバトルを見せてもらおうと思う」
「あっ、コルニや昆布爺さんと戦うんじゃなくて、俺らの間で戦うんすか!」
 四つ子は顔を見合わせた。片割れたちとの間でポケモンバトルをするのは久々だった。
 コンコンブルは四つ子を順に見つめ、よく響く深い声で告げる。
「トレーナーよ。戦う理由は人それぞれ。しかし、果たしておぬしらのポケモンはおぬしらの想いを理解し、まことおぬしらの心に寄り添うて戦っているか? わしが見たいのはそれじゃ」
 コンコンブルの隣ではコルニがうんうんと頷いているが、どうにも少女が祖父の言葉の内容を理解できているとは思えなかった。
 四つ子は真面目にコンコンブルの言葉に耳を傾ける。
 コンコンブルは四人に向かって、手を差し出した。
「おぬしらが得たメガストーンを、見せてみよ」
 四つ子はそれぞれ懐から一つずつメガストーンを取り抱いた。四つ子の指の間にあるそれをコンコンブルは目を細めて見やり、頷いた。
「確かに。ヒトカゲを連れたおぬしのものはヘルガナイト、フシギダネを連れたおぬしのものはプテラナイト、ピカチュウを連れたおぬしのものはガブリアスナイト、ゼニガメを連れたおぬしのものはボスゴドラナイト。いずれも本物と見定めた」
 専門家の鑑定を受けて本物であることが証明され、四つ子はほっと息をつく。もしこれが偽物であったとしたら、あるいは見当違いのポケモンに対応したメガストーンであったりしたら、ウズや四つ子の父親を笑いものにしても足りない。
「では四つ子よ、メガシンカを望むポケモンを」
 コンコンブルの求めに応じ、四つ子はモンスターボールを一つずつ手に取り、解放した。
 レイアのヘルガー、キョウキのプテラ、セッカのガブリアス、サクヤのボスゴドラ。
 四体をコンコンブルは注意深く眺め、やはり頷いた。
「……良かろう。では、メガシンカを扱うにふさわしいかを見定めるべく、これより試験を始める。わしが認めた暁には、おぬしらにキーストーンを与える」
「試験内容は」
「そう急くな。良いか……わしが知りたいのは、おぬしらのポケモンがおぬしらと覚悟を共にしてあるかということ。ゆえにこれより……トレーナーの指示なしで、ポケモン自身の意志決定のみによって、この四体の間でマルチバトルを行ってもらうこととする。では準備を」
 コンコンブルの告げた試験内容に、四つ子は視線を交わした。
 一も二もなく、四体に間合いを取らせた。


 ヘルガーとプテラ、ガブリアスとボスゴドラがマスタータワーの吹き抜けで睨み合う。
 ポケモンの意志だけでのバトル。トレーナーの指示は不要ということで、四つ子自身はコンコンブルの傍に控えている。
 コンコンブルが声を張り上げた。
「――始め!」
 レイアのヘルガーは首を優雅にもたげ、四本の足でしっかと立っている。尾をゆらりと振る。
 キョウキのプテラは羽ばたきし、高い位置で滞空している。
 セッカのガブリアスは片手片膝をつき、いつでも飛び出せる状態にある。
 サクヤのボスゴドラは四肢を静かに床について、砦のごとき構えの姿勢をとっていた。
 四体とも、勝負を始める合図があっても、動かない。
 ただ睨み合う。いつでも動けるよう全身に緊張は走っているが、いずれもぴくりとも動かない。
 いつ技の応酬が始まってもおかしくない張りつめた空気の中で、四体とも動こうともしない。
 四つ子も黙って立っている。その隣でコンコンブルは腕を組んだまま、黙って四体を睨んでいる。
 マスタータワーの吹き抜けに、静寂が落ちた。
 四つ子もコンコンブルも微動だにせず、何も言わない。四体は睨み合ったまま動かない。
 コルニだけがそわそわとその四体の様子を伺い、ちらちらと四つ子やコンコンブルを見やった。そして恐る恐る口を開いた。
「…………えっと、あのー」
「静かにしておれ、コルニ」
「はいごめんなさい……」
 祖父に窘められ、コルニは小さく肩を竦めた。
 再び、静寂。
 ヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラの間の睨み合いには、一瞬の隙も無い。どの一体がいつ動き始めてもおかしくないような緊張感に満ちている。しかし、四体とも行動するのを静かに我慢しているように見えた。誰がいつ動き出すかわからない。ポケモンの本能に従うならば、自分が先手を取り流れを掴むべき局面。
 けれど四体は本能を抑え込んで動かない。
 トレーナーの指示がないことは既にわかりきっている。四つ子はただただ四体に視線を注いでいる。ヘルガーもプテラもガブリアスもボスゴドラも、それぞれの主に指示を仰ぐような視線を送りもしない。ただ睨み合う。睨み合う。
 沈黙が続いたのは、五分ほどだったか。それはひどく長い時間に思われた。
 とうとうコンコンブルが、腕を組んだまま低くよく通る声を発した。
「――やめ」
「えっ、終わり? 今のがポケモンバトルだったわけ?」
 驚いて口を挟むコルニをコンコンブルは睨んだ。
「たわけ。これがこの者たちの間での勝負であったというだけだ」
 混乱するコルニを置いて、コンコンブルは四つ子に向き直った。ヘルガー、プテラ、ガブリアス、ボスゴドラは全身の緊張を解き、それぞれ楽な姿勢をとっている。四つ子は真面目な姿勢でコンコンブルに向き直った。
「……今、俺らの間でマルチバトルすると、こうなるっすけど」
 赤いピアスのレイアが囁くと、コンコンブルは組んでいた腕を解いて頷いた。
「よく分かった。つまりおぬしらの間で争っている場合ではない、とな。ふむ……ポケモンたち自身もおぬしらトレーナーの事情をよくよく理解していると見た。ポケモンとの対話を怠らぬ心がけ、見事である」
 コンコンブルは笑顔だった。四つ子にはその表情にいい感触を覚えた。
「おぬしたちなら、メガシンカを使いこなせよう。よかろう、キーストーンを授ける」
「うっひゃあ! ほんとっすか!」
「ほんともほんとじゃ。が、しばし待つがいい。キーストーンを使いやすくすべく加工せねばならんからな……」
 そしてコンコンブルは四つ子の全身をじろりと眺め、それからヘルガーやプテラやガブリアスやボスゴドラを見やって、もう一度大きく頷いた。
「うむ、力に驕らぬ生き様、見せてもらった。これからもその強さの使い道、たがえぬように心せよ」
「うす」
「はい」
「ばんがります!」
「どうもありがとうございます」
 四つ子はコンコンブルに向かって頭を下げた。コンコンブルは踵を返し、メガルカリオ像の台座部の小部屋に入っていった。


 そうして四つ子とコルニはマスタータワーの一階のホールに取り残された。
 コルニは腕を組み、首を傾げている。
「なんか、あたしにはよく分かんなかったなぁ。あんなのがバトルなの?」
「……確かにマルチバトルしろとは言われたけどよ、俺らは実際、俺らの間でバトルやってる場合じゃねぇんだよ。それをこいつらも分かってたってだけだ」
 レイアがヘルガーの首を撫でながら答えるも、コルニは納得できていない。
「よく分かんないよ。あれじゃあヘルガーやプテラやガブリアスやボスゴドラの強さが分かんないじゃん。強いか分かんないのにメガシンカ使ってもいいだなんて、おじいちゃんは何考えてんだろ。全然分かんないよ」
 そのままコルニは腕を組んで唸っていた。コルニはまだメガシンカを扱うための修行中の身であるためか、祖父の意図を理解しないらしかった。
 しかし四つ子にもコンコンブルの考えをすべて理解できているわけではない。四つ子がやったことといえば、ただヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラを信じたことだけだ。その四体の行動が、たまたまコンコンブルの意に適っただけとしか考えられない。
 セッカが頭の後ろで手を組み、メガルカリオ像の台座部を見つめた。
「……で、ここで待ってりゃ、キーストーンってのは貰えるわけ?」
「うーん、今はキーストーンを職人さんに加工してもらってるんだと思うよ。トレーナーによってはキーストーンを腕輪につけたり、ペンダントにつけたり、指輪にしたりピンにつけたりアンクレットにしたり、色々あるからね」
 そう答えてコルニはぱんと手を打った。
「そうそう、キーストーンを渡すのって、マスタータワーの頂上だった! ついてきてよ四つ子ちゃん、そこでおじいちゃんを待とう!」
 そう叫び、コルニはローラースケートで勢いよくマスタータワーの吹き抜けの外縁に作られた螺旋状の坂を駆け上がっていった。
 四つ子は顔を見合わせ、それぞれヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラをモンスターボールに戻すと、のろのろとコルニのあとを追った。
 マスタータワーはものすごく高かった。それを延々と頂上まで、吹き抜けの外縁に作られた螺旋状の坂道を登っていくのである。非常に、疲れる。かといって、キョウキのプテラやサクヤのチルタリスの背に乗って吹き抜けを上昇するのも、なんだか憚られるのだった。
 コルニはよくもまあローラースケートで頂上まで楽々と向かえるものだと、四つ子は素直に感心した。


  [No.1471] 四つ子とメガシンカ 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/20(Sun) 19:04:52   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



四つ子とメガシンカ 昼



 風が吹き荒れる。ピカチュウを肩に乗せたセッカは縁まで走り寄り、遥か下方の海を見下ろした。
「うっわー! たっけー! 海ひれー!」
「空を見てると心がふわっとして……ポケモンもあたしも何でもできそうで……好きなんだ、ここ!」
 コルニはセッカとは逆に、水平線のほか遮るものの無い蒼穹を見上げて、大きく息を吸い込む。
 ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスのレイア、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキ、ゼニガメを両手で抱えた青い領巾のサクヤが続いてマスタータワーの頂上に足を踏み出した。三人もまた海上の風に包まれる。
 コルニは四つ子を見回して朗らかに笑った。
「高みを目指す気持ちを忘れないように……ってことで、キーストーンはここで渡す決まりなの!」
 まあ渡すのはあたしじゃないけどね、とコルニは小さく舌を出した。
 セッカがぴょこぴょこと跳ねるように片割れたちの方に戻ってくる。
「コルニはジムリーダーなのに、まだメガシンカできねぇの?」
「あたしだって頑張ってるんだけどなぁ……おじいちゃんがなかなか認めてくれなくってさ。ほんとはただ、まだルカリオナイトが必要な分だけ見つかってないからじゃないかって思ってるんだけどね」
 コルニは二体のルカリオを所持しているという。その二体ともをメガシンカさせるには、ルカリオナイトが二つ必要になるのだ。
 セッカは首を傾げた。
「一個をシェア、じゃ駄目なのか?」
「駄目じゃあないけどさ……。やっぱ、メガストーンってのはポケモンにとってさ、トレーナーとの絆なんだよ。それを他の子とシェアとか、やっぱルカリオ達自身も不満に思うんじゃないかなー、と思うよ」
 するとキョウキが笑った。
「不満を覚えるというのなら、メガシンカできない他のポケモンたちもそうだと思いますよ。メガストーンだけがトレーナーとの絆を示すものではないと思うんです」
「んー……ま、それもそうだけどねー。はあ……それにしても四つ子ちゃんが羨ましいなぁ、あたしも早く、自慢のルカリオコンビをメガシンカさせたいよー」
 コルニはマスタータワーの頂上の外べりにもたれかかり、青空を眺めて溜息をついている。
 四つ子は顔を見合わせた。

 コルニはメガシンカに並々ならぬ憧れを抱いているようだった。それにはコルニの一族が代々マスタータワーとメガシンカの秘密を守り継いできたという背景もあるだろう。コルニは一族の伝統に誇りを持っているのだ。だからメガシンカに執着する。
 けれど四つ子は、メガシンカをただの強くなるための手段としか見なしていない。それでもコンコンブルはそのような四つ子にキーストーンを授けることを決定したのだから、そのような四つ子の考え方も誤りではないのだろう。
 四つ子は、現在どうしてもメガシンカを必要としているわけではなかった。ただ使えれば便利だからと、ただそれだけの理由でシャラのマスタータワーを訪れた。つまりは、動機そのものはその程度で構わないのだ。
 どうやら、ポケモンとの絆よりも、メガシンカには必要とされるものがある。
 それは例えば、メガシンカによって何を達成するかということ。あるいは何を成さないかということ。メガシンカは目的ではなく、手段である。それも、悪しき目的の手段ではなく、正しい目的の手段とすることが、メガシンカの使い手には望まれているのだ。
 メガシンカの、正しい目的。
 コンコンブルは先のバトルで、四つ子が正しい目的を持っていることを見定めたのだろうか。
 四つ子を狙う、犯罪結社のフレア団や、権力をかさに着たポケモン協会といった敵を退ける。一方では、二度とトキサのような不幸な者をつくらないようにする。メガシンカを使えない他のポケモンのことも大切にしていく。
 それらが四つ子の覚悟だった。
 コンコンブルは、それでいいと認めた。


 空は青く、風が吹き荒れる。
 マスタータワー。
 その頂上。
 四つ子はそわそわと横一列に並んで立っていた。
 待ちわびたその人物が巨塔の中から現れた。
 メガシンカおやじ――もといコンコンブルが、盆に乗せたそれを四つ子に差し出す。
 盆の上に乗っていたのは、四本の簪。
 差し込み部分は真鍮、そして飾りの部分に使われているのは、蜻蛉玉ではない。キーストーンだ。
 メガストーンと一対になって、ポケモンのメガシンカを促すもの。
 コンコンブルは得意げに言い放った。
「どうじゃ、これがおぬしらの究極の――メガカンザシ!!」
「うわぁ……」
「うわぁ……」
「俺らいま髪短いのに」
「どう挿せと」
 四つ子はぼやきながらも、それぞれ一本ずつ、キーストーンのあしらわれた簪を手に取った。


 コルニは拍手する。
「すごい! おめでとう! これでメガシンカできるよ! ねえねえ試してみ――」
「静かにせい、コルニ。わしの話はまだ終わっておらん」
 コンコンブルに窘められ、コルニは慌てて口を手で塞いだ。しかしながらコルニは悪戯っぽく四つ子にウインクしてきている。四つ子以上に興奮した様子である。
 四つ子は簪を手にしたまま、背筋を伸ばしてコンコンブルに向き直った。
「コンコンブルさん」
「確かにキーストーン」
「受け取ったっす!」
「ありがとうございます」
 四人で揃って頭を下げた。コンコンブルは満足げに頷く。
「うむ、それで良い。やはりおぬしらには、メガカンザシで正解であったな」
「いや、でもこの簪……」
「メガカンザシじゃ!」
 コンコンブルに一喝され、四つ子は小さく首を縮める。
「……この、メガカンザシ、頭につけなきゃ駄目ですか?」
「髪に挿すなり懐にしまうなり、好きにするがいい。いずれにしてもそれはポケモンとの絆、大切にせよ。……もっとも、メガシンカしない他のポケモンとの絆も大切に、などとはおぬしらも既に分かっていようがな」
 四つ子はこくりと頷いた。メガシンカばかりを重宝するつもりはない。切り札のつもりで隠し持つことに決めている。コンコンブルに言われるまでもない。四つ子はこれまでにも自身の強さを過信したせいで何度か痛い目に遭ってきたのだ。
 いい顔で微笑むコンコンブルの様子を伺いつつ、コルニが再び口を開いた。
「……えっと、おじいちゃん、話終わった? でさでさ、四つ子ちゃん、ちょっとメガシンカやってみせてよ!」
「いや、やらねぇよ」
 すげなく拒否したのはレイアだった。コルニが頬を膨らませる。
「――なんで? いざって時にどうするのか分かんなかったら困るじゃん!」
「かといって、今は必要な時じゃねぇだろ。戦う気も無いのにメガシンカさせる気はねぇよ」
「じゃあさ、あたしと勝負しよ!」
「やらねぇっつってんだろうが。それどころじゃねぇんだよ」
 レイアは冷たく突っぱねる。
 コルニは顔を上気させてなおも言いつのろうとしたが、コンコンブルに諌められた。
「こらコルニ。これがこの四人の決めた道。強いて邪魔立てするでない」
「でも……ヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラのメガシンカ、見たいよー!」
「コルニさん、僕らのポケモンは見世物じゃありません。僕らの仲間です」
 フシギダネを頭に乗せたキョウキが笑顔で囁く。
「メガシンカしたポケモンの強さは尋常ではないとお聞きします。そんなメガシンカしたポケモンが何体もこのマスタータワーの頂上で暴れれば、危険です。……僕らはよほどの事でもないと、メガシンカを使わないでしょう」
「そんなの、宝の持ち腐れじゃんかー!」
「ちげぇぜコルニ。力ってのは、どう使うかきちんと考えないと、他人を不幸にするもんだ」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカが綺麗に微笑んでコルニを諭す。するとコルニは悔しげに唸った。
「……ううーっ……ひどいよ、自分たちだけメガシンカ使えるようになったからって偉そうにしちゃってさ。ちょっとぐらい見せてくれたっていいじゃん、ケチ」
「もうそのくらいにせい。お前はまだまだ未熟だな、コルニよ」
 コンコンブルが溜息をついてコルニを黙らせた。そして四つ子を見やった。
「……おぬしらのここまでの道、感じさせてもらった。痛みや苦しみ多々あろうが、顔を背けず、道に違わず、おぬしら自身とポケモンたち、そして互いを信じ、これまで通り勇気をもって進むが良い」
 四つ子はキーストーンを飾られた簪を握りしめ、風の中で頷いた。



 正午にも近づくと引き潮に伴って海割れの道は現れており、四つ子はマスタータワーを後にしてシャラシティに戻った。そしてその浜辺で立ち止まり、顔を見合わせた。
 ヒトカゲを抱えたレイアが呟く。
「……キーストーンも手に入ったし、とりあえずシャラでの用事は完了だな」
 フシギダネを頭に乗せたキョウキが微笑む。
「そうだね。これからどうしようか」
 ピカチュウを肩に乗せたセッカが腕を組んで考え込んだ。
「しょーじき、よくわかんない」
 ゼニガメを両手で抱えたサクヤが囁く。
「……僕らはフレア団に狙われているのだったな。ポケモン協会にも警戒されているかもしれない、のか」
 四つ子は顔を見合わせた。
 そして昼の砂浜でこそこそと相談を開始した。
「やっぱ四人でしばらく行動すべきなのか?」
「レイア。昨日ユディに、それは目立つって指摘されたばかりじゃない」
「じゃさじゃさ、二人で行く? その方が安心安全?」
「なぜ二人でいる必要がある? 一人でも構わないだろう……メガシンカも手に入ったのだから」
「いや、一人じゃさすがに不安じゃね? 俺ら互いの連絡手段ねぇのよ?」
「でも、フレア団やポケモン協会の目をくらますという意味では、一人の方が便利っちゃ便利かもね」
「四人より二人、二人より一人の方が目立たねーしな!」
「僕は一人で十分だ。しばらく一人で考えたいこともある」
「サクヤが考えてぇことって、モチヅキか? モチヅキの事なのか?」
「ほんと、この子はモチヅキさん大好きだよねぇー」
「こりゃ、れーやもきょっきょも、しゃくやをからかってるバヤイじゃないでしょ。真面目に考えなしゃい!」
「セッカお前は滑舌が本当に残念だな」
 セッカはなぜかうふうふと嬉しそうに笑っていた。
 レイアは砂を蹴った。
「……お前らが一人でいてぇってんなら、俺も別に一人でいーよ。ただしお前らがやばくなっても助けにゃいかねぇけどな」
「ここで考えたいのは、僕らにどんな手段があるってこと。一つ、野山に隠遁する。二つ、ウズかユディかモチヅキさんに匿ってもらう。三つ、フレア団やポケモン協会に補足されない程度に街を転々とし続ける。……このくらいかな?」
「二つめは無くね? 絶対ロフェッカのおっさんかルシェドウが、うぜってぇぐらい探り入れに来るもん」
「野山に隠遁にも無理がある。いくら僕らでも、まさかポケモンセンターに世話にならないサバイバル生活まではしたことがないだろう。どうせ長続きしない」
 そこで四人は顔を見合わせた。答えは早くも一つに絞られた。
 レイアが渋い顔で唸る。赤いピアスが揺れる。
「…………一人で、街を素早く転々とし続けろ……か」
 緑の被衣のキョウキが笑顔で頷く。
「ユディは『ポケセン使わない方が不自然だ』とか言ってたけど、やっぱポケセンの宿帳に氏名が残されるのも恐いよね。……ポケセンでポケモンを休ませたり買い物したりはいいけど、泊まるときは偽名使うなり、諦めて野宿するなりした方がいいかもね」
 セッカが首を傾げる。
「気を付けるのはそんくらい? 普通にバトルして賞金稼いでもいい? ジムとか行っていいの?」
 青い領巾を指先で弄りながらサクヤが嘆息した。
「お前はさっさとジム行ってバッジ集めろよ。……バトルは仕方ないだろう、金が無いと生きていけない」
 それから四つ子は真昼の砂浜で、細々とした相談をした。
 フレア団との接触は避ける。
 ポケモン協会との接触も避ける。
 問題を起こさない。
 当面は、ウズやユディやモチヅキにも連絡しない。
 ほとぼりが冷めるまでおとなしくする。

「……ほとぼりか。そもそもなんで、ほとぼりがあんだろな……」
「全部榴火のせいだよ。あーあ、榴火が逮捕の死刑とはいかないまでも無期懲役にでもなってくれればなー」
「ほんとさ、あんな危険なやつ、なんで野放しにされてんだろな」
「フレア団とポケモン協会と与党政府が癒着しているからだ」
 サクヤの一言ですべてが片づけられた。
 そう、この国はおかしい。おかしいことをおかしいと言えない時点でおかしい。
「……あー、この国ってほんと絶望的だよな」
「そうだね。モチヅキさんやロフェッカやルシェドウさんといった実務家は、そのおかしな制度に従わざるをえない。僕たち制度の恩恵を享受しているトレーナーは、なおさらだ。……おかしいことを糾弾するのは、一般市民や学者さん、ユディたち学生の役目だよ」
「だがその一般市民や学者どもも、現体制に追随しているのだろうが」
 ぶつぶつとぼやくレイアとキョウキとサクヤに、セッカが無表情で口を挟んだ。
「お前ら黙れ。そういうこと言うから狙われる」


 そのようにして、シャラシティの白い砂浜で、四つ子はバラバラに別れた。
 別れの言葉を口にすることもなかった。喧嘩をしたわけではない。気まずい空気で別れたわけでもない。ただこの国は息苦しい。こんなにも息苦しかっただろうか。
 帯にメガカンザシを挿した四人は別々の道を行きながらも、遠い昔を思い出す。
 十歳になって、ポケモントレーナーとなり旅に出なければならなかった。思えば四つ子の抱く違和感、疑問、疑念はその時その瞬間に根差している。一つの道しか選べない、その息苦しさ。
 けれど旅に出てみれば、行き先も食べ物も眠る時間も自由だった。ポケモンセンターには無料で泊まれる、格安で食事ができる。トレーナーという身分は恵まれている。ポケモンを育て、バトルで勝てばいい。それが生活のすべてになった。
 その中で忘れたのだろうか。
 いや、忘れたことなどないはずだ。バトルに追われる日々。トレーナー以外の将来を夢見ることすら許されず。ポケモンセンターだけを目当てに、各地をさまよい歩く。そんな日々に投げやりになり、無責任になって引き起こしたのが、ミアレでの事件だ。
 自由など、最初から無かったのだ。そのことに気付くきっかけとなった。
 それ以来、以前に増して格段に、旅は窮屈になった。
 こんなにもカロスは息苦しかったのか。


  [No.1473] 明け渡る空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:20:00   35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



明け渡る空 上



 10番道路、別名をメンヒル通り。セキタイタウンの南東に伸びる道路だ。
 巨大な石が規則正しく立ち並んだ、奇怪な道路である。古代の列石は山脈の向こうから差す朝の光に照らされて白く輝き、青々とした草むらに薄明るい影を落としている。
 ヒトカゲの尾の先から火の粉が舞い、青草を時折焦がす。ヒトカゲはレイアの脇に抱えられて揺られるままになり、ときどきゆらゆらと尻尾を振った。
 赤いピアスを両耳に揺らしながら、レイアはずんずんとメンヒル通りの列石の合間を南東へ歩いていった。ブーツで草根を踏み分け黙々と歩く。視界に入るものは立ち並ぶ巨石、巨石、また巨石。
 列石はどこまでも整然と並んでいた。
 大昔の人が並べたのだという。数kmにわたって何千もの石が並べられており、その大きさは膝上くらいのものから、セキタイタウンのポケモンセンターほどの高さを持つものまで。先の尖ったもの、風雨に削られ丸みを帯びたもの、大小さまざまの石が不気味にそびえ立っている。記念碑だとか暦だとか巨人が造ったとか戦士の墓だとか、色々言われてはいるけれども――そのような歴史的事情などレイアにはまったく関係ない。寝るときに巨石の根元で寝れば風がしのげそうだな程度にしか思わない。


 しかしとある巨石の陰にオーベムを見かけて、レイアはそれに目を留めた。珍しい。野生ではないだろう、イッシュ地方からの観光客が連れ込んだのだろうか。オーベムは手の先で三色の光を点滅させている。
 オーベムを伴っていたのは、白衣を身に纏った科学者然とした男だった。手に大きな画面のついた端末を持ち、熱心にそれを覗き込んでいる。
 男は眼鏡をかけ、金髪かと思いきや、二房ほどの凄まじい癖毛は青い。
 レイアは変な頭だと思いつつ、通り過ぎようとした。
 すると科学者はレイアに話しかけてきた。
「そこの貴方。申し訳ありませんが、食料をお持ちではありませんでしょうか」
「……あ、俺? ……あ、もしかしてお困り?」
「この列石に少々興味を覚えて調査をしていたところ、いつの間にか三度目の夜明けを迎えていまして……」
「飲まず食わずが三日目に突入っすか。瀕死じゃないっすか」
 そう言う科学者の頬は確かにひどくこけている。にもかかわらず当の食料を所望した科学者は、レイアの方をちらりとも見ず、画面に見入っているのだった。とても人にものを頼む態度ではない。
 とはいえレイアは良識あるトレーナーである。荷物の中からオボンの実を取り出し、科学者の方に突き出した。
「おら、やるよ」
 科学者はようやく、端末の画面から視線を上げた。そしてレイアを見つめ、ようやくレイアの存在というか顔かたちを認識したというようにまじまじと観察し、それから眼鏡の奥で目を細めた。
「ありがとうございます。私はアクロマと申します」
「ああ、俺はレイアっす。……あの、オボン一個で足りますかね」
 そのようにしてレイアとアクロマは出会った。


 それからレイアとアクロマはそれぞれ10番道路の手ごろな大きさの石に腰かけ、オボンを貪り食った。
 ヒトカゲはレイアの膝の上に陣取り、頑なに列石に触れようとしない。アクロマのオーベムも宙に浮いたまま、三者を見るでもなく石の間を漂っている。
 アクロマはオボンの汁が画面に滴り落ちないように器用に、そして割と雑に果汁を啜り上げながら、懲りずに画面をいじっていた。
 レイアがべたべたになった指を舐めながら首を傾げる。
「あんた、さっきから――じゃねぇよな、三日も前から瀕死になってまで、何やってんの?」
「列石を調べています。この列石からは微かにエネルギーが放出されている……」
「へえ。あー……進化の石みてぇな?」
「いえ、ポケモンの進化を促すほどのエネルギー量ではありません。……そうこれは、エネルギーが漏れている、と表現すべきでしょう。――この列石は生きている」
 アクロマの眼鏡が光を反射して輝いている。
 レイアはのんびりと首を傾げた。
「じゃあこの石、全部ポケモン? イワークとかギガイアスとか、そういうオチなわけ?」
「いえ、生体反応は見られません。『生きている』というのは比喩です。正確には、まだ機能する機械というべきか」
 レイアが無言で肩を竦めると、アクロマはハンカチで指の果汁を拭いとった。
「生きている人の体やコンピュータは、常に外気に対し熱を放出しています。しかし人もコンピュータも、なにも世界中の空気を温めたくて発熱しているわけではないでしょう? それと同じ事ですよ」
「なんか余計わけわかんなくなったんだが」
「つまり、この列石は何らかのカラクリのパーツなのですよ。まだ動きます。ただ、具体的にどのような機能を果たすかは私には想像もつきませんがね」
 アクロマはそう言うと、端末の電源を落とした。今度は、どこまでも立ち並ぶ列石にばかり視線を注いでいる。レイアはそのような様子の科学者を興味深く観察していた。
 アクロマはぼそりと呟いた。
「本当はこのメンヒル通りを丸ごと掘り返したいぐらいですが」
「は?」
「だってそうでしょう? この列石はおそらく、地中で何らかの機構に接続されているのです。まったく古代の遺跡と持ち上げて観光名所などにしてしまって、この地下にどれほど素晴らしい技術が詰まっているか。実に口惜しい。いっそやってしまおうか……」
「怒られるだろ。つーか違法だろ」
「……いえ、まさか、やりません、やりませんよ。私はイッシュへ行かねばならないのです。まったく実に名残惜しい。しかしあの男がカロスに資金投下しよう筈がない」
「あの男?」
「こちらの話です。それにしても、カロスの政府は何をしているのでしょう。私のような放浪の科学者にもこの地に素晴らしい技術が眠っていることが分かるというのに、ここは考古学者にしか見向きされないのでしょうか? なぜ、国はここを放置している?」
 アクロマは青空の下で一人でぶつぶつと呟き出してしまった。
 レイアはヒトカゲを膝の上に乗せてその背中を撫でてやりながら、目の前の科学者の己の中に没入しがちな性癖を、幼馴染のユディや家庭教師のエイジにも共通していると結論付けた。
 世の中には、小難しいことを考える奇癖を持った人間が腐るほどいるのだ。
 レイアにはおよそどうでもいいことを彼らは延々と論じ続ける。誰の腹も満たさないその作業によって、よく暮らしていけるものだと思う。レイアには、ただの言葉にそれほど価値があるものとはとても思えない。口を動かすだけならおよそ誰にでもできるだろうに。

 レイアの片割れのキョウキやサクヤ辺りなら、こうした無意味なような話も面白おかしく聴けるのかもしれない。しかし生憎、レイアにはその二人のような智を愛する、哲学的素養などこれっぽちも無かった。
 とはいえ、記憶力と勘だけはよかった。
「この国の政府、おかしいんだよ。ポケモン協会の言いなりだし、その協会はフレア団の言いなりだし」
「ほう。ポケモン協会。フレア団」
 レイアの何気ない一言が、さらにアクロマの興味を募らせたようだった。
「それはそれは。では確かに、プラズマ団もこの件からは手を引かざるを得ませんね」
「……ぷ……ぷらー……ずまー?」
「こちらの話です。……そう、なるほど。ではおそらくこの列石のことは、そのフレア団とやらが故意に隠蔽しているのですね」
 ふーん、とレイアは何気なく鼻を鳴らした。しかし内心では眉を顰めている。
 またもやフレア団が暗躍しているらしい。フレア団はこの列石の秘密に気づいておきながら、その技術を独占しようとしているのだ。そういうことなのだろう。
 アクロマは白衣の肩を竦めた。
「カロスの方は大変ですね」
「ほんとそれな。……よく分かんねぇけど、この列石ぶっ壊してやろうか」
「駄目ですよ。ここは国が10番道路として管理しているんですから、ポケモン協会にしょっ引かれてしまいます」
 アクロマは興味深そうに、微笑しつつレイアを眺めていた。
 レイアはアクロマを見つめて肩を竦め、にやりと笑った。
「じゃ、あんたと俺が今ここでポケモンバトルして、そのせいで壊れたって言えばいい。そしたらトレーナーは罰せられないだろ?」
「貴方は存外、小賢しいですね。フレア団に恨みでもあるのですか?」
「はは、どうだろな」
「フレア団がこの国を操っているのでしょう? 貴方は国に逆らえますか? 無理でしょう。ならば、国やフレア団が成すがままに任せるしかないのでは?」
 アクロマは密やかに笑い、底知れない瞳でレイアを見つめていた。
 レイアはへらへら笑いながら、質問してみた。
「あんたなら、どうするよ? フレア団に殺されるようなことをしちまった場合、あんたならどうする?」
「そうですね。一番手っ取り早いのはやはり、国外逃亡でしょうか」
「あー、なるほどな。それもあるな……」
「国に指名手配される前にお逃げなさい。他地方ではフレア団の話など微かに漏れ聞こえる程度です。フレア団もそこまでは追ってこないでしょう」
「なるほどねー。どーも、参考にするわ」
「フレア団に狙われるようなことをしたのですか?」
「今さらそれを訊くのか?」
 レイアは気だるげに応じた。
 それきりアクロマはレイアから興味を散じて、再び列石を眺めまわした。
「巡り会わせさえ良ければ、私もぜひご一緒したかった。……ポケモンの力を利用した兵器、か。それもある意味、ポケモンの力を引きだすということになるか……」
 レイアはちらりと視線を上げた。
 アクロマはいつの間にか腰かけていた石から立ち上がり、白衣を風に翻していた。
 その隣に浮遊していたオーベムが、両手の光を目まぐるしく点滅させた。その激しい瞬きにレイアは微かに眩暈を覚える。
 アクロマがレイアを見下ろし、微笑んでいる。
「では私はこれで。どうもご馳走様でした。……ご達者で、旅のトレーナーさん」
 レイアは石から滑り落ち、草むらに崩れ落ちた。そのままヒトカゲと共に眠りこけた。




「……さん。レイアさん……レイアさん」
 自分の名を呼ぶ若い男性の声に、レイアは薄く瞼を開いた。眩しい昼の光に目が眩み、瞬きを繰り返す。むくりと起き上がり、被布の袖で瞼をこすりながらようやく目を開くと――視界いっぱいにに色黒のイケメンが飛び込んできた。
 レイアは思わず奇声を発しながら草の中を飛び退った。
「うおおおおおっザクロさんっ」
「はい。お久しぶりですね。ヒトカゲもお元気そうで何よりです」
 優雅に片膝をつき、ショウヨウシティのジムリーダーはレイアとヒトカゲを見つめて眩しく微笑んでいる。レイアの腕に両前足を置いていたヒトカゲも小首を傾げ、尻尾を振ってザクロに挨拶をする。
 そしてヒトカゲは甘えるようにレイアの腕に顔をこすりつけてきた。レイアはそのヒトカゲを撫でてやりながら、取り繕うようにきょろきょろと辺りを見回す――どうしても褐色の肌のイケメンに気を取られてしまったが。
 四つ子はイケメンが大好きだ。渋いおじさまも麗しいお姉さま方も柔和なおじいさまも大好きだが、特にこの若き紳士はまさに四つ子の好みどストライクである。
 レイアはどきどきしつつ、恐る恐るザクロに話しかけてみた。
「え、えーと、あのー……」
「ここは10番道路、メンヒル通りですよ。時刻はお昼前です。レイアさんがここで倒れているのを見つけて、慌てて声をおかけしたのですが、すぐに目を覚まして頂けたので、本当に安心しましたよ。本当に驚きました」
「あ、ど、どーもすんません、ザクロさん、ご迷惑をおかけしました……」
「どういたしまして。――立てますか。ショウヨウシティまでお送りしましょうか」
 レイアはのろのろと立ち上がり、ヒトカゲを拾い上げると、優雅に歩くザクロに付き随った。
 倒れる前に出会った人物のことは、もはや夢のようにしか思い出せない。ただ海の向こう、空の果てのイメージだけが残っている――別の地方。


 ザクロにエスコートされ、レイアはショウヨウシティのポケモンセンターに来た。
 手持ちのポケモンを回復のために受付に預ける。しかしヒトカゲだけは例の如くレイアの被布の袖に爪を立てて抵抗を示したため、仕方なくレイアはヒトカゲだけは預けずに脇に抱え直した。
 レイアが振り返ると、ザクロが安堵したように微笑んで立っていた。立ち姿もいちいち絵になる美男ぶりである。
「これで一安心ですね。実は私、ポケモン協会の職員の方の頼みで、レイアさんを探していたんです」
 そのザクロの言葉に、レイアは表情をひきつらせた。しかし始終ザクロの傍で挙動不審気味であったレイアのそのような僅かな動揺などザクロの心には留まらなかったようで、ザクロはきょろきょろとポケモンセンターのロビー内を見回している。
「あ……ほらレイアさん、見えますか。あちらのポケモン協会の方が、あなた方四つ子さんをお捜ししていたのですよ」
 ザクロの長い手の先に示された人物を遠目に見据えて、レイアは目を細めた。
 金茶色の髪。
 大柄な体躯。
 間違いない――ロフェッカだ。
 レイアがその姿を見るのは、キナンシティの別荘以来だった。ロフェッカの保護監督のもと四つ子はキナンに滞在していたのに、彼に無断で四つ子はキナンを飛び出した。ロフェッカに四つ子が捜されるのは当然だ。そしてロフェッカに見つけられて、怒られる、だけで済むのだろうか。
 ロビーのソファに腰かけたロフェッカはザクロやレイアにも気づかない様子で、何やら集中してホロキャスターを睨んでいる。
 レイアが内心気まずく思っているのはザクロにも伝わったようだが、その理由まではこの紳士にも読めないらしかった。
「大丈夫ですよ、レイアさん。ポケモン協会はポケモントレーナーを守る組織です。10番道路で何か困ったことがあったのなら、それもあの協会の方にご相談してみればいいのですよ」
 そう声をかけてくれるザクロにも返事のしようがなく、レイアはただただ腕の中のヒトカゲを見つめた。
 ――どうする。ポケモンたちはもう預けてしまった、しばらくショウヨウからは離れられない。

 レイアが逡巡していると、まるでレイアに決心をさせるかのように、ザクロが颯爽とロフェッカの元へ歩いていってしまった。レイアが彼を止める間もなかった。
「ロフェッカさん」
「お、ザクロさん。どうも」
 ジムリーダーに声をかけられたロフェッカはホロキャスターから顔を上げ、立っているザクロに合わせてソファから腰を上げた。二人は自然な様子で握手を交わす。
「10番道路でレイアさんを見つけ、保護しました」
「本当ですか! ありがとうございます……今ポケモンセンターに?」
「ええ、ほら、あちらに。ポケモンバトルによるものか草むらの中で倒れてらしたので、お話を聞いてあげてくださると有り難いのですが……」
 そしてザクロとロフェッカの視線が、ポケモンセンターの中央のホールで立ち尽くしているレイアに注がれた。
 レイアは狼狽した挙句、ヒトカゲだけを抱えて、猛ダッシュでポケモンセンターから遁走した。


  [No.1474] 明け渡る空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:22:02   26clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



明け渡る空 中



 ロフェッカの怒鳴り声が背後から追ってくる。
「おら待てや、クソガキがぁぁぁぁぁ――!!」
 ヒトカゲを抱えたレイアは無言で全力疾走した。赤いピアスが耳元で忙しなく鳴る。ショウヨウの街を南へ駆け抜けた。
「待てこらぁぁぁぁぁぁレイアァァァァァァ!!」
 ロフェッカの叫び声は遠くなってはいない。意外とあの壮年は体力も走力もあるらしい。
 レイアはヒトカゲを振り落さないようしっかと抱えて走った。冷や汗を振り落して走った。
 そしていつの間にかザクロが涼しい顔で並走していることに気付いて思い切り吹き出した。
「ぶっはザクロさん」
「レイアさん、なにも逃げることはありませんよ。大丈夫です」
 ザクロはショウヨウの太陽の如き眩しい笑顔でレイアを激励する。ロフェッカと話をするよう勧めてくる。
 イケメンに優しく諭されたせいでレイアの心は折れそうになったが、気丈にも走りながら首を振った。
「駄目っす!」
「なぜですか。協会の方に言えないことがあるなら、このショウヨウシティジムリーダー、ザクロに話してごらんなさい」
「あんたらジムリーダーだって、ポケモン協会の人間じゃねぇか!」
「ジムリーダーの立場は協会の中でも特殊で、より一般トレーナーに近いのですよ。何か問題を起こしたという話ならば、私がとりなして差し上げますから。レイアさん、勇気をもって立ち向かってください」
「無理っす!」
 しかしレイアが逃げても逃げてもロフェッカは一定の間隔を保って追いかけてくるし、ザクロなどは余裕綽々といった様子で長い足を動かしレイアにぴったりついてくる。振り切れない。
 レイアは歯噛みした。ポケモンセンターに手持ちを預けるのではなかった。ヘルガーの、あるいはメガシンカしたメガヘルガーの背に乗ればさすがにこのような煩い人間どもも容易くまけたであろうに。
「はあ……仕方ありませんね。……レイアさん、ちょっと失礼」
 並走するザクロによって、レイアはひょいとその肩に抱え上げられた。レイアはザクロの肩の上で喚いた。
「離せザクロさん! いくらイケメンだからって許さねぇぞ!」
「顔面のおかげで許しを得ようなどとは考えていませんよ。レイアさん、正々堂々と立ち向かうのです。大丈夫、私がついています!」
 ザクロの肩の上で暴れるレイアを、追いついてきたロフェッカはにやにやと笑いながら見ていた。
 そしてロフェッカが懐から何やらホロキャスターを取り出そうとしたので、レイアは帯に挿していた簪――メガカンザシを引き抜き、ロフェッカ目がけて投げつけた。
 メガカンザシはロフェッカの手から、私用のホロキャスターを弾き落とした。


 ロフェッカが道端に崩れ落ちる。慌ててホロキャスターを拾い上げる。
「くっそぉぉぉぉぉぉ! いつの間に飛び道具をっ!!」
「動画撮る気だっただろうがこの野郎もう騙されねぇぞ! 二度と俺の前でホロキャスター出すんじゃねぇよ!!」
 レイアはザクロの腕から逃れて道に飛び降りると、素早く走ってキーストーンを飾った簪を拾い上げ、再び帯に挿し込んだ。
 ロフェッカは未だに座り込み、頭を抱えてしきりに嘆いている。
「ああああああザクロさんに抱え上げられてるレイアとか、激レアどころじゃねぇってのに!」
「だから! 動画撮んじゃねぇよこの屑が! マジで潰すぞ!!」
「なんだ、レイアさんはロフェッカさんとお知り合いだったのですか。ああ、それでさっきはレイアさんも照れてらしたんですね?」
 ザクロがのほほんと笑ってレイアとロフェッカを見つめている。
 レイアはザクロの穏やかな声に虚脱してしまった。大きく嘆息し、肩を落とし、未だに嘆いているロフェッカを睨み下ろす。
「……何の用、おっさん」
 ロフェッカはにやりと笑み、その髭面を上げた。
「ようやく見つけたぜ、レイア」
「……だから何だと訊いている。何しに来やがったんだてめぇ」
 ロフェッカは軽い動作で立ち上がり、その巨体をぶつけるようにしてレイアの肩に腕を回した。大男の粗野で乱雑なボディタッチにレイアは顔を顰めた。その耳元でロフェッカはにやにやと囁く。
「おいおい、レイアちゃあーん。よくも勝手にキナン抜け出してくれたなぁ? おかげで俺は始末書を何枚書かされたか……まったく損害賠償請求してぇぜコンチクショウ」
 レイアはしかめっ面で、大男を横目で睨んだ。
「……知らねぇよ。てめぇの監督不行き届きだろうが」
「そうそう、お前らの逃亡は俺の責任なわけよ。だからよ、もうちっと詳しい話、聞かしてくんね? ホテル・ショウヨウでよ」
「……おっさんと二人きりでホテルなんて冗談じゃねぇよ」
「んじゃ、ホテルのレストランだ。昼飯奢るわ。そん代わり、全部吐けよ?」
「……食わしといて全部吐けとか、拷問でしかねぇな」
「言うようになったじゃねぇか、クソガキが」
 ロフェッカは言いつつ、髭の生えた顎をレイアの頬にじょりじょりとこすりつけてきた。
 凄まじい侮辱だった。ロフェッカは愛情表現のつもりかもしれないが、レイアにとっては今やロフェッカは親しい友人などではなく、ただの敵、年上の男。気色悪いことこの上ない。
「…………気持ち悪い」
「ん?」
「…………触るな…………反吐が出る」
 ロフェッカは慌ててレイアから身を離した。レイアが脇に抱えたヒトカゲは殺気を放っているし、もう一方のレイアの手は帯に挟んだ簪に再び伸びていた。これ以上ふざけてレイアにちょっかいをかければ焼かれるか刺されるかしかねない。
 レイアは敵意も露わにロフェッカを睨んでいる。ヘルガーの如き唸り声すら漏れそうだった。
 ロフェッカの背筋をようやく、冷や汗が伝った。



 ホテル・ショウヨウのレストランでレイアとロフェッカは向かい合って座った。
 二人の間の緩衝材あるいは潤滑剤となりそうだったザクロは、ジム戦の約束があるなどと言ってショウヨウジムに戻ってしまっていた。そのため、二人きりである。
 ところが席に着くなり、レイアはテーブルの上にブーツごと足を叩き付けた。食事などしないという意思表示である。ロフェッカは慌ててレストラン側と協議し、どうにかこうにかレストランの外のホテルの談話室の一角に、レイアとヒトカゲを連れて移動した。
 レイアは顎を上げ、ゴミでも見るような目でロフェッカを睨んでいる。ヒトカゲも同じだ。
 ロフェッカは狼狽した。
 今まで、食事を奢ってやることによってレイアの機嫌の直らなかったことなどない。なのに今回は、かなりレイアは気が立っているらしい。ロフェッカにはその理由がいまいち思い当たらなかった。先ほどの肩を組むくらいのスキンシップにしても、今までも何かの弾みで何度かあったこと。その時はレイアも軽く笑って受け流していた。今になってこれほどの拒絶反応を示されてもロフェッカも戸惑うしかない。
 ロフェッカは談話室のソファに座ると、まずレイアに頭を下げた。
「あー……とりあえず、さっきは怒って追いかけたりいきなり触ったりして、すまんかった。俺の配慮が足らんかった。この通りだ、許してくれ」
「……すり潰すぞ」
 レイアの眉間にはいくつも深い皺が刻み込まれている。ヒトカゲも藍色の瞳を見開き、その尾をゆらりと振ってはパチパチと音を立てる火の粉を振りまく。
 そのように全力で威嚇してくる若いトレーナーを、ロフェッカは余裕ある表情で見つめた。
「で、まだ怒ってっかもしんねぇけど、ずっと謝ってるわけにもいかねぇから、本題入らせてもらうな。――お前ら、なんで勝手にキナンを抜けた?」
「……誰にも言わない」
「つまり、何かしらの理由はあるわけだな? なんとなくの気分で抜け出したんじゃねぇんだな?」
 ロフェッカがそう確認をとると、レイアの瞳はますます猜疑の色に沈んだ。上げていた顎を逆に胸元に埋めるようにして、警戒心も露わにロフェッカを睨み上げる。

 ロフェッカはそのようなレイアの態度も気にしないようにして、緩い口調で続けた。
「ま、どんな理由があろうがそれはそこまで重要じゃねぇわな。俺が言いてぇのは、あんま勝手されると、ポケモン協会もお前らを守れねぇってこと。……忘れたのかレイア? お前ら四つ子は、榴火っつー危険なトレーナーに狙われてるっぽいんだぞ?」
「………………」
「鬱陶しいかもしんねぇが、お前らのためなの。これからはあんま逃げないでくださいな。お前ら四つ子が好き勝手歩き回ってると、榴火を刺激しかねん。そしたらポケモン協会が困るのはもちろんだが、お前ら四つ子も困るだろ?」
「………………」
「場合によっちゃ、お前さんらのポケモンを取り上げてまで、ひとつところに押し込めることも有り得る。……おとなしくしててくれ、レイア」
「……その場合、どうやって生きてけっつーんだよ……」
 レイアが低く唸った。
「……いつまで俺らに、閉じこもってろと? 目障りにならないよう閉じ込めて、自由を奪って、それでもやっぱり邪魔になったら消すのか……なんで思い通りに生きちゃいけないんだ」
「あー、レイアお前、公共の福祉って知ってるか?」
 ロフェッカは苦笑した。レイアは黙り込んだ。
「公共の福祉ってのはな、個人の利益の衝突を公平に調整する最小限の秩序のことだよ。……レイア……榴火は危険なんだ。お前らも、ちっとだけ、協力してくれ」
「……榴火のために、俺らは自由を制限される? ……なんで? 俺らはポケモンを育てて戦うしかないのに? そうでないと生きられないのに?」
「それがお前らの幸せにもつながる」
「…………聞き飽きた」
 背中を丸めていたレイアは、反動のようにソファの背にぐったりともたれかかった。膝の上に乗せたヒトカゲにのろのろと指先で構う。
「……“お前らのため”とか。“幸せ”とか。もううんざりだ。たくさんだ。なぜ俺らの好きにできない」
「誰もが自分の好きにしたら、この世界はめちゃくちゃになるだろ?」
「……でも俺らが我慢してるのに、好き勝手できる奴がいるだろうが。……金持ちの奴ら。権力を持ってる奴ら。ポケモントレーナーにならなくても済む奴ら」
「……そりゃ、お前さんがそう思い込んでるだけだ。金持ちには金持ちなりの不自由がある」
「ふざけんなよ!」
 レイアは怒鳴った。談話室にいた他の客がびくりとする。けれどレイアはもう我慢ならなかった。
 ソファから立ち上がり、炎が燃え広がるように怒り狂った。
「なんで、なんでローザに目をつけられた、それだけの理由で俺らよりも榴火が優先されなきゃなんねぇんだよ! なんでルシェドウはあいつのことばっか見てて、おっさんも、皆、俺らよりあいつを優先してる!? ――あいつがフレア団だからか?」
「……いや、俺もポケモン協会も、お前ら四つ子の安全を第一にだな――」
「そんなの善意の押し付けだ。この偽善者どもが! 何がそいつのためになるかなんて、分からないくせに! なぜ勝手に決めつける! なぜ強制する! 従わないなら消すのか? 思い通りにならないなら殺すのか? それがてめぇらのやり方か!」
「……んなことはしねぇよ」
「騙されるか! なら、なぜ、放っておいてくれない! なぜ好きに旅ができない! 俺らには旅しかないのに、俺らから旅すらも奪って、何をしろと? どう生きていけと! こんなところでやってられるか!」
 立ち上がったレイアはぎらぎらと燃え滾るような眼でロフェッカを見下ろしていた。
 ロフェッカも、これほどまでに憎悪に燃えた、追い詰められたレイアの表情を見たことがなかった。顔を顰める。
「……そんなにキナン籠りが、厭だったか。何が嫌だったのか教えてくれねぇか。できるだけお前らの希望に沿えるようにするからよ……」
「いらねぇよ。放っておいてくれ!」
「……なあレイア、そうやって癇癪起こしてたって、無駄だぜ。そうやって怒鳴ってれば確かにそのうち俺がノイローゼか何かになって休職するかもしれねぇがな、それでも俺の後継人がポケモンセンターの利用記録を追ってどこまでもてめぇを追いかける」
「俺らにそこまでコストかけるぐれぇなら、さっさと榴火をどうにかしろよ!」
「もちろんそれもやる。だがな、レイア、お前ら四つ子は――目障りなんだよ」
 そのロフェッカの一言に、レイアはびくりと反応した。
 ロフェッカはやや表現が過激すぎたかと焦った。なまじレイアが猛々しいだけに、言葉選びが難しいのだった。
 立ったままのレイアが、俯き、渇いた唇を舐める。
「……目障り……って……」
「もちろん、榴火を追いかけるのに障害になるってだけの意味だ。お前らの存在そのものが邪魔とか、そういう意味じゃねぇから、すまん、誤解させたな」
「……てめぇらは榴火をどうしてぇんだよ……」
「ルシェドウが今、榴火の後見人や親と接触してる。榴火の周囲の大人と連携して、榴火が問題を起こさないでトレーナー業に専念できるようにする」
「……どれだけ時間がかかるんだよ。いつまで俺らに付きまとう気だ……」
「榴火の旅先で、お前ら四つ子があいつと接触しないようにしてぇんだ」
 ロフェッカがそう伝えると、レイアは顔を上げた。そこにはもう表情は無かった。
 レイアは無表情でロフェッカを見つめていた。
「……榴火を監視すればいい。常に榴火の位置を把握しといて、俺らはいつでもそれが分かるようにしといて、榴火を避けるようにすればいい」
「そりゃ人権侵害だ。んなことは許されねぇ」
「……だから俺たちを閉じ込めるのか?」
「そうだ」
「……なぜ逆に、榴火を閉じ込めない?」
「あいつには自由に旅をしてもらう中で、更生を促す」
「……だがあいつは犯罪組織のフレア団の一員だ」
「そのような事実の証拠は確認できていない」
「……ポケモン協会は、フレア団員を保護して、一般トレーナーである俺らの自由を奪う」
「榴火はフレア団じゃねぇし、お前らにもできる限りの自由は保障する」
「…………ひどい…………」
 レイアは目を見開いたまま、表情を強張らせた。その指先が震えた。ソファの上のヒトカゲが案じるように主人を見上げている。
 ロフェッカは深く溜息をついた。言わなければならないことだった。
「……だからよレイア、もうおとなしく、諦めな。お前さんがさっきポケセンに預けた五体のポケモンは、もうポケモン協会が管理してる」
 レイアは耳を疑った。目を見開いて、ロフェッカを凝視した。
 レイアのかつての友人は下卑た笑みを浮かべていた。
「もう、お前さんは、五体を引き取れない」



 レイアはそのままロフェッカの手で、ホテル・ショウヨウの一部屋に押し込められた。
 レイアは狭いシングルルームに、ヒトカゲと共に放り込まれた。
 部屋の鍵を持ったロフェッカが部屋から出ていく。扉が閉まると、自動で鍵がかかる。
 ヒトカゲを抱えたレイアは呆然と、閉ざされた扉を見つめていた。
 もちろんロフェッカに部屋へ連れて行かれるとき、レイアはヒトカゲで抵抗しようとした。しかしロフェッカに怒鳴られた――ポケモンで一般人に重傷を負わせれば一か月の謹慎、死亡させたらトレーナー資格の剥奪と刑事罰だ!
 ありえない。
 ありえないありえないありえない。
 ありえないありえないありえないありえないありえない。
 なんで。
 なんでロフェッカが。
 こんなことを。
 ポケモンを奪い、閉じ込めた。レイアのポケモンは引き取れない。ポケモン協会にとられた。
 なんで。なんで。なんでこうなった。
 何を間違えた。
 何がミスだった。
 レイアはよろりとシングルルームのベッドの上に腰かけ、ただただ自分に残された唯一のポケモンであるヒトカゲを呆然と抱きしめていた。ヘルガーも、ガメノデスも、マグマッグも、エーフィも、ニンフィアも奪われた。ポケモンセンターに預けていた五体は、ポケモン協会に奪われた。引き取れない。ポケモン協会がポケモンセンターにそう命じた。レイアのポケモンはポケモン協会が管理する。五体はもう引き取れない。
 うそだ。
 なんで。
 なんでこんなことに。
 なにがだめだったんだ。
 頭が真っ白だった。ヒトカゲは腕の中でおとなしくしている。レイアは呆然と座り込んでいた。何も考えられない。なぜ。何が起きた。何をされた。これからどうなる。
 どうしよう。
 どうしよう。
 わからない。
 わからない。
 わからない。
 わからない。

 どさりとベッドに倒れ込み、頭を抱える。葡萄茶の旅衣の中で蹲る。ヒトカゲがもぞもぞとレイアの膝の上から降りたが、これは一声も発さない。
 呻く。唸る。しかし声にはならない。まだ動悸が激しい。全身を血液が駆け巡り、けれどどこにも飛び出せず、煮え滾っている。感情を爆発させたいのに、怒鳴りたい、食い殺したい、けれど詮無い。泣きたい、失望した、餓えた、ただ寂しい、ただただ淋しい。
 息が詰まって、むせび泣きたい、引き裂きたい、食いちぎりたい、殴り殺したい。絶叫は声にならない。こだまのように骨の中に虚しい嘆きが返ってくるばかりだった。惨憺たる肉塊だ。肉の詰まった皮袋。
 こんな時ホロキャスターがあったなら、とレイアはぼんやりと思う。ホテルのベッドの白いカバーを見つめながら。
 ホロキャスターがあれば、すぐさまキョウキやセッカやサクヤに連絡できただろう。――助けてくれ。ポケモン協会にポケモンを奪われた。
 いや、片割れたちに助けを求めて何になるだろう。ポケモン協会の管理するポケモンを奪い返すなど、それこそ犯罪だろう。片割れたちが罪に問われることになる。
 現在、レイアは罪を犯したわけではない。ポケモンを取り上げてホテルに押し込めるという、ポケモン協会の独自の措置に巻き込まれただけだ。
 なぜ。
 なぜだ。
 なぜなんだ。
 なぜなのだろうか。
 ぐるぐると疑問が戻ってきて、めまいがする。
 頭が痛い。
 奪われた五体を、どうにかして取り返すべきだろうか。
 ホテルの部屋には鍵がかけられているわけではない。けれどホテルの出入り口はポケモン協会の者に見張られているはずだ。レイアのいる部屋は四階。ヒトカゲだけを連れて、とてもこっそりと抜け出せるとは思えない。
 怖い。
 とても怖い。
 奪われることが怖い。
 榴火に目をつけられた時の比ではない。冷徹な悪意、抜け目のない理性的な敵意に包囲されている。社会にとって悪はレイアの方だった。誰も守ってはくれなかった。


  [No.1475] 明け渡る空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:24:20   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



明け渡る空 下



 インターホンの呼び出し音が室内に響いた。
 レイアはぼんやりと目を開ける。固いカバーをかけたままのベッドに横たわっていた。いつの間にか寝入っていたのだ。
 すぐ傍にはヒトカゲが丸くなって眠っていたが、こちらも呼び出し音に反応して目を覚ました風である。
 ホテル・ショウヨウの四階のシングルルーム。
 キナンの別荘よりも数段劣る簡素な牢獄。けれどその部屋の鍵はレイアのいる室内から開けることができる。外から呼び出す者を室内に招き入れるくらいなら可能だ。
 レイアは目を覚ましたが、頬をシーツに押し当てたまま、呼び出しに応える気はなかった。
 心は荒れ果てたまま凍った。これ以上奪われてたまるかという防衛本能で身を丸くする。動く気にもならない。
 そうしていると、身を起こしかけたヒトカゲも再び丸くなり、目を閉じる。その尾の炎は夕陽色に優しく揺らめいている。窓からは夕陽が差し込んできていた。
 コンコンと扉がノックされる。
 ロフェッカだろうか。ロフェッカならばレイアは会う気はさらさらない。片割れたちがここに現れるはずがないと、レイアは直感で悟っていた。片割れたちに関する直感は九分九厘的中する。キョウキもセッカもサクヤも、ここには現れない。
 扉の向こうから、落ち着いた男性の声が聞こえてきた。
「……レイアさん、ザクロですが……」
 訪問客は、ショウヨウシティのジムリーダーのザクロであったらしい。レイアをショウヨウまで送り、ポケモンセンターに五体の手持ちを預けさせ、そしてロフェッカに引き渡した張本人。
 であるから、今やレイアにとってはザクロも敵同然だった。無視して微睡む。
 ヒトカゲの傍で目を閉じる。
 ここは牢獄。あるいは聖域。レイアだけの領域。
 そうしてしばらくうつらうつらとしていると、今度はがちゃりと入口の戸の鍵が開けられる音がして、今度こそレイアはびくりとして身を起こした。あると信じていた壁が破られ容易く侵入を許した。
 外から鍵が開けられ、扉が開く。
 部屋の鍵を持って現れたのは、ザクロを伴ったロフェッカだった。


 レイアはベッドの上で素早く胡坐をかき、まず鍵を持ったロフェッカを無表情に睨み上げた。その自分の姿勢が無防備で心細かった。
 ロフェッカがそれを見下ろし、苦笑する。
「いやぁ、すまんな。だが、こちらのザクロさんがお前に話があるってんで、俺は失礼させてもらうぜ」
 そう言うなりロフェッカはさっさと踵を返し、ザクロを部屋に置いたまま部屋を出ていってしまった。
 残されたザクロは、狭いシングルルーム内に立ったまま遠慮がちに微笑んでいる。夕陽に彩られた褐色の肌が美しく輝いていた。レイアはザクロの長い腕にぼんやりと見とれていた。
「急にすみません、お話は伺いました。私でよければ、レイアさんと話をしたいのですが」
 レイアは無表情で、無言だった。ザクロに出ていけとも座れとも言わない。ただベッドの上で胡坐をかいたまま、全身を強張らせ、視線を落としている。
 ザクロは立ったまま静かに口を開いた。
「……レイアさんのお怒りはもっともです」
 レイアは無言だった。
「……私にもどのようにするのが最善なのかは、分かりません。ただ、ロフェッカさんの仰ることを鵜呑みにし、結果的にレイアさんにこのような思いをさせてしまったことは、無責任だったと感じています。せめて、何が起きるかをきちんと知った上で関与すべきでした」
 ザクロの声音は誠実だった。そのひとらしい言葉だった。レイアは目を閉じる。無言のまま。
「……私もレイアさんと同じことをされれば、非常に腹が立ちます。けれども、私もポケモン協会に属するジムリーダー。協会の決定に逆らう権限はありません。逆らうつもりもありません。なぜなら、多くのトレーナー達に迷惑がかかるからです」
 その言葉が発せられるのは分かりきっていたことだったが、改めてレイアはこのジムリーダーに失望した。
「……おそらくポケモン協会は、あなたたち四つ子からポケモンを取り上げ、何処かのホテルに滞在させるでしょう。もちろん生活は保障されますし、四つ子さんの損害に見合った見舞金は支払われます」
「ザクロさん」
 レイアはぼそりと、目の前に立つジムリーダーの名を呼んだ。ザクロ自身には期待はできない。けれど少しの頼みなら聞いてくれるはずだと、レイアは思った。
 ザクロは僅かに顔を上げた。
「はい、何でしょう」
「……連絡とりたい人、いるんすけど」
「片割れさんたちとの連絡は、さすがに難しいでしょう」
「違うっす。裁判官のモチヅキって人……捜してくれませんか……クノエのジムリーダーのマーシュさんが、ウズっていう俺らの養親と知り合いで……そのウズが、モチヅキの連絡先知ってるはずなんすけど」
 レイアがそう言うと、ザクロは頷いてホロキャスターを取り出した。レイアの言った通りにマーシュと連絡をつけ、ウズを経由し、モチヅキに連絡を入れる。そこまでは驚くほどスムーズにうまく繋がった。
 つまりウズは何も尋ねずに、ジムリーダーにモチヅキの連絡先を教えたということだ。それはレイアにとっては意外な事だった。
 そうして半刻ほど経っただろうか。
 日は沈み、外は暗くなる。けれど部屋の明かりは点けないまま、闇に沈むようなザクロはずっと立ったまま、着信を待ち続けた。
 そしてザクロのホロキャスターに連絡が来た。モチヅキからである。


 ザクロがモチヅキといくつか挨拶をしている。レイアはヒトカゲを膝の上に乗せ、それをぼんやりと眺めていた。
 やがてザクロがホロキャスターをレイアに差し出すと、レイアはそれを手を伸ばして受け取り、そのままぽとりとベッドの上に落とした。そしてモチヅキの姿を映し出した立体映像を覗き込む。
「……ども」
『レイアか。一人か。……簡潔に用を言え』
「なんか……捕まったんすけど……」
『埒が明かぬ。ザクロ殿に戻せ』
 そうモチヅキが映像の中で相変わらずの仏頂面で言うので、レイアは仕方なくホロキャスターをザクロに返した。そしてザクロがモチヅキに事情を説明するのをぼんやりと聞いていた。
 レイアはポケモン協会に捕捉された。ポケモンセンターに預けた手持ち五体を協会に差し押さえられ、レイア自身の身柄はホテル・ショウヨウで保護されている。ポケモン協会は引き続き、キョウキとセッカとサクヤの捜索をしている。
 ザクロは説明を終えると、再びホロキャスターをレイアに差し出す。レイアはそれを受け取ると、やはり、ぽんとベッドの上に投げた。薄暗い部屋の中で、モチヅキの立体映像が乱れた。
 レイアは無表情で映像のモチヅキを見下ろす。
「……で……俺、どうするべきなんだろ」
『どうするべき、だと? ――協会に大人しゅう従え。それでも不服ならば、弁護士を雇い、協会を相手取って裁判でも起こすのだな。まあどうせ負けて、訴訟費用が無駄になることは分かりきっているが』
 モチヅキはどこまでも冷淡だった。それにつられてレイアも冷淡になった。
「……随分あっさりと言うけどさ、サクヤも俺と同じで狙われてんだぞ。サクヤのこともあんた、無視するわけ」
『哀れには思う。が、協会は違法行為を行っているわけではない。止めようがない。諦めよ』
 モチヅキはあっさりとそう切り捨てた。
 レイアは瞑目した。小難しいことはこの人に頼れば何とかなるかと淡い期待を抱いたが、やはり無駄な足掻きだったらしい。
 溜息まじりに、悪足掻きで訴える。
「…………俺はさ、せめてポケモンぐれぇは返してほしいわけ。カロスにいられなくてもいいからさ、例えばカロス出禁にして、ジョウトに行くとかでもいいわけ……」
 レイアの脳裏で三色の光が点滅する。そうだ――あの科学者も――国外逃亡が無難だとか言っていた――。
 するとモチヅキはあっさりと頷いた。
『ならばポケモン協会に談判してみよ』
「はい?」
 レイアは目を見開き、モチヅキの立体映像に見入った。テンションは同じくせに、先ほどまでの諦めムードと態度が一変していないか。
 モチヅキは映像の中で鼻を鳴らした。
『言ってみねば分からぬだろうが。榴火に関わらぬということをポケモン協会に約し、その代わりにそなたの手持ちの返却と、逮捕拘禁の賠償金、ジョウトまでの四人分の交通費を請求するがいい。それだけのことだ。理屈は通る。言うだけ言うてみろ』
「えっ」
 そうモチヅキに力強く頷かれ励まされてしまい、レイアは呆気にとられた。ヒトカゲがレイアを見上げて首を傾げている。
 その隣で話を聞いていたザクロも頷いた。
「それは良いアイディアですね、私からもそのように請願させていただきましょう。何としてもレイアさんの手持ちを返して頂いて、四つ子さんにはジョウト地方でのびのびとトレーナー修業を続けていただくということで、ポケモン協会の方と話をつけます。ええ、必ず納得させます」
 そしてザクロが映像の中のモチヅキに頭を下げた。
「アドバイスをありがとうございます、モチヅキさん。おかげで希望が見えました」
『此方こそ、ザクロ殿には特別なご配慮をいただき誠に感謝申し上げる』
 レイアがぽかんとしているうちにザクロとモチヅキは何事か話し合って、やがて一段落ついたのかザクロがレイアを見やってにこりと笑った。
「よい協力者をお持ちですね、レイアさん」
「あ、あー、まあ……。あ、あの、あー……モチヅキ、なんか色々とすまん。急に連絡したりとか」
『まったくだ』
 モチヅキは最後まで憮然としていた。
 通話を終え、レイアはホロキャスターをザクロに返す。ザクロは「私に任せてください」などと言って、意気揚々と踵を返す。
 レイアはすっかり暗くなった部屋の中で、ヒトカゲの尾の灯火に照らされるザクロの大きな背中をぼんやりと見つめていた。
 ザクロはドアを開けようとしたところで立ち止まり、レイアを笑顔で振り返った。
「私は次来るときは、ノックを四回します。そのときはどうぞ開けてください」
「……了解っす」
 ヒトカゲを抱えたレイアはぼんやりと頷いた。



 夜になり、ロフェッカが鍵を開けて部屋に入ってくる。部屋の明かりをつけるも、レイアはベッドの布団の中に潜り込んでロフェッカに顔も見せなかった。いじけた子供のように頑として布団から出ず、それどころかすさまじい形相のヒトカゲにひたすら威嚇されては、ロフェッカとしては部屋に夕食を置いてくるだけでそそくさと退散するしかなかった。
 ロフェッカの退散後、レイアは部屋に残された夕食をヒトカゲと共にもそもそと食し、それから再び布団に潜って寝た。色々な夢を見た。
 昔の夢。ルシェドウとロフェッカの夢。アワユキとリセの夢。榴火の夢。キナンの夢。
 夜中に夢から醒めては、片割れたち三人が懐かしく思い出される。ヒトカゲの尾の炎が優しく揺れる。会いたい。キョウキとセッカとサクヤに会いたい。ポケモン協会のことを警告してやりたい。裏切られたのだと。
 そもそも三人は無事だろうか。捕らえられていないだろうか。自分のようにモチヅキと連絡をつけることもできなくて、助けてくれる優しく心強いジムリーダーもいなくて、手持ちを奪われて、閉じ込められて、寂しく泣き寝入りしていないだろうか。
 つい涙が滲んだ。
 レイアの弱点があるとすれば、それは片割れたちしかない。レイアが捕まったとなれば、ポケモン協会はレイアを囮に使って他の三人も集めるかもしれない。人を囮にするなど荒唐無稽な話かもしれないが、レイアのせいで三人までもが捕まってしまうかもしれないと考えただけでレイアはどうにもやるせなかった。辛かった。自分たちは助け合わなければならないのに、自分がしくじったばかりに、三人まで苦しめる。
 また、自分やザクロの要求がポケモン協会に拒絶されたらどうしようかと思った。
 そうしたら自分たちはもう、ポケモントレーナーとして生きていけないのだ。榴火のために四つ子は犠牲にされる。学がないから職にも就けない。となると、どうなるのか。想像もつかない。トレーナーにすらなれなかった落ちこぼれが、社会の底辺でわだかまる。なぜ。自分たちはポケモンリーグにまで登りつめたのに。ここまで来てなぜ。
 なぜこんな目に遭わなければならない。
 なぜ、榴火などのために。


 夜中に目の覚めたままぼんやりと思考を弄んでいて、そして空が明るんできたと思った時、四回連続のノックにレイアはがばりと跳ね起きた。
 ヒトカゲの方は何の憂いもなくよく眠っていたのか、レイアの勢いに起こされてものんびりと欠伸をしていた。
 レイアが慌てて部屋の戸を開けると、そこには鞄を持ったザクロの姿があった。徹夜でもしたのかやや顔がやつれているが、表情は晴れやかである。レイアはどきりとした。
 ザクロは忙しなく部屋の中に押し入ると、扉を閉めて鍵をかけ、レイアに鞄を押し付けた。
「ポケモンセンターからレイアさんの手持ちをこっそり引き取ってきました。どうぞ急いで、行ってください」
「……えっ」
 ザクロは早口で、なおかつ囁き声だった。聞き取りにくくレイアは聞き返すも、ザクロは有無を言わせぬ様子で、鞄の中身から五つのモンスターボールを出してレイアに身につけさせる。
「詳しくはこの手紙を読んでください。私もここに長居はできません。窓からお逃げください、できますね?」
 ザクロはレイアに手持ちをすべて返すと、一枚の紙を押し付けた。レイアは頷き、それを懐にしまう。
 レイアはヒトカゲを呼び、肩に跳び乗らせた。
 ザクロを振り返ることなく、カーテンを閉めたまま窓を開け、ベランダに出る。窓を閉め、部屋の中の様子はカーテンに仕切られて見えない。下を見下ろす。四階。地面ははるか遠い。
 ザクロがレイアを見送ることなくそそくさと部屋を出ていった音がした。早業だった。
 レイアは手元に戻ってきたボールの一つを手に取る。
「真珠。ここから飛び降りる。サイコキネシスでサポートしてくれ」
 エーフィに素早く言い聞かせ、そのまま躊躇わず、ヒトカゲを抱えたレイアはベランダから飛び降りた。
 重力に従い加速する。地面に叩き付けられる前に、四階のベランダに残されたエーフィの念力がレイアを支え、そっと地面に下ろした。レイアはエーフィを労う暇も惜しんでエーフィをモンスターボールに戻す。続いてヘルガーを呼び出した。
「南へ。ショウヨウから出る」
 声が震える。ヘルガーがゆらりと鞭のような尾を振る。
 レイアはヘルガーの背に飛び乗った。ヘルガーは飛び出した。
 早朝のショウヨウはまだ暗い。道に人通りは無い。
 早く。早く。遠くへ。
 一心に願い、考えるよりも前に帯から簪を抜き取り、ヘルガーにかざす。ヘルガーの角に掛けられたメガストーンと、簪に飾られたキーストーンが反応する。メガシンカ。そうでもしないと怖くてたまらない。
 メガヘルガーはレイアを背に乗せて、街を駆け抜けた。南の8番道路、ミュライユ海岸。崖下の渚を踏み越え、あっという間にショウヨウから遠ざかる。
 メガヘルガーの体躯は大きく、そのしなやかな筋肉は疲れを知らず、動きはひどく滑らかに安定している。レイアはそれにしがみついて、逆風に耐えていた。
 片割れたちと、早く合流しなければ。危険だ。危険なのだ。

 ザクロから受け取った手紙の事すら忘れて、レイアはただ片割れたちの事だけを考えて、恐怖に駆られて逃げた。
 高い崖と山脈の向こうから見え始めた太陽が、眩しくレイアの目を焼いた。


  [No.1476] 金烏の空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:26:22   33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



金烏の空 上



 朝の空は薄曇り。
 フシギダネを頭に乗せ、緑の被衣をはためかせ、葡萄茶の旅衣を翻し。キョウキはとことことコボクタウンの市壁内に足を踏み入れた。
 コボクタウンは街全体が高い城壁に囲まれ、野生ポケモンの襲撃にも耐えられるようになっている。たびたび街の傍に現れるカビゴンへの備えなのかもしれない。
 コボクタウンの名物といえば、街の北に構えられた、巨大な堀と跳ね橋を持つ貴族のマナーハウスだろう。ミアレシティからパルファム宮殿を見に行く観光客が、物のついでとばかりのそのショボンヌ城を遠目に写真を撮影していく。不思議なことに中に入ろうとする観光客は少ない。その理由はキョウキにも分からなかった。キョウキもショボンヌ城には行ったことがないためだ。主人が気難しくて観光客の立ち入りをを拒んでいるのか、あるいはよほどしょぼいのか。

 キョウキと同じく東の5番道路のベルサン通りの坂道を辿ってきた観光客は、ホテル・コボクへ入っていったり、西の7番道路のリビエールラインへ直行したりする。
 そのような人の流れを見つつ、キョウキはコボクの中央広場で立ち止まった。頭上に向かって話しかける。
「ねえふしやまさん、コボクって意外とにぎやかだよね。もっと寂れてるイメージあった」
「だぁーね?」
 フシギダネはキョウキの頭の上で穏やかに返事をした。
「やっぱりほとんどパルファム宮殿への玄関扱いされてるのが、物悲しいところだけれど」
「だねぇー?」
「きっとパルファム宮殿を作った300年前のカロスの君主が絶対王制を確立させる前、平民の商人が発達してなくて、貴族が貿易を独占していた中世の封建時代には、ショボンヌ城の貴族も栄華を誇ったんだろうねぇ」
「だぁーねぇー?」
「中世の封建時代は、そこまで王様が強くなかったんだよ。地方では貴族が強かったんだ。でも、カロスの王様が市民の中から出てきた商人に特権を与えて保護育成し、発達する市民と没落する貴族の間の対立をうまく利用する形で、絶対王制を実現した」
「だーね?」
「そしてパルファム宮殿を作った王様は、自国の貿易を保護して、カロスを豊かにしていった……でも、一方ではどんどん市民層が発達して、けっきょくは市民革命によって無能な王様と驕慢な王妃様は首を刎ねられる。パルファムのばらだね、パルばらの世界だ」
「だねだーね?」
「市民による共和制統治が始まったけれど、それもうまくいかなくって、政体は転々とした。色々な戦争があって……王制に戻ったり、貴族政治になったり、共和制になったり……そして、何だかんだでカロスは今は共和制ってわけだ」
「だぁーねだね?」
「……って感じで合ってますか、モチヅキさん?」
 キョウキは笑顔でくるりと振り向いた。
 広場の噴水の一角に、仏頂面のモチヅキが腰かけていた。
 黒衣に、三つ編みにした長い黒髪が流れている。その黒い眼がじろりとキョウキを見やった。
 やや猫背に前傾姿勢で座るモチヅキに、キョウキはひらひらと手を振った。


 モチヅキは無言である。
 キョウキはぴょこぴょことその目の前まで歩いていき、機嫌よく話しかける。
「ねえねえモチヅキさん、聞いてますか? 僕の話、聞いてました? ちょっとは歴史も勉強したんですよ。ねえ僕の認識、合ってました? ねえねえねえねえ」
 モチヅキは無言だった。
 キョウキもモチヅキの隣、噴水の縁に腰かけ、モチヅキの腕にそっと寄り添った。
「……モチヅキ様。サクヤです……」
「やめよ、キョウキ」
 モチヅキの不機嫌な低い声がキョウキの鼻先を引っ叩く。キョウキは可愛らしく息を呑み、よよと泣いてみせた。そしてサクヤと同じ声で、モチヅキに訴えかける。
「……モチヅキ様、僕は……僕はキョウキなんかじゃありません……信じてください……」
「虫唾が走る。今すぐやめよ」
「やめるものなどありません。本当です、本当なんです……僕は……きょっきょちゃんです!」
 モチヅキの右手が左隣のキョウキに伸び、キョウキの両頬を片手でぶにゅと掴み上げた。キョウキはコアルヒーぐちになりながら、うへうへうへへと笑う。
「うひゅ……うひゅひゅひゅひゅひゅ……どーでしゅか、モチヅキしゃん……僕がしゃくやっぽくって、萌えましたか……?」
「私はほんに貴様が気に食わぬ」
「知ってまふようだ。モチヅキしゃんのお気に入りはしゃくや、そのちゅぎがれーや、それからしぇっか、んで、僕でしょ。どでしゅ? 合てましゅ? 合てましゅ?」
「今すぐ黙れ黙らないと歯をすべて折る」
「出来ゆもんならやってごらんなしゃいな」
 キョウキの瞳は不遜に爛々と輝いていた。
 モチヅキは無表情の中で、瞳を憎悪に燃え上がらせていた。


 モチヅキはキョウキを、四つ子の中では最も嫌っている。
 このキョウキの心は敵意に満ちている。視界に入るものすべてを嫌悪し、猛毒を吐きかけ、周囲の人間を汚染していく。モチヅキもまた、キョウキの揶揄の対象の例外ではなかった。
 モチヅキは四つ子を等しく育て上げたつもりである。モチヅキが四人に出会った当時は幼い四つ子に性格の違いなどなかったのだから、当初はモチヅキは四人ともに等しく愛情を注いだはずである。モチヅキだけではない、四つ子の養親も幼馴染も、四人に平等に接したはず。
 しかしなぜ、キョウキだけはこんなにも性格がねじ曲がってしまったのか。モチヅキには甚だ疑問である。
 そしてそのキョウキを、片割れであるレイアもセッカもサクヤも好いているのか、モチヅキには理解できなかった。
 モチヅキが手を放すと、キョウキはふうと息をついた。痛む両頬をさすっている。
「モチヅキさんは相変わらずお元気そうで」
「………………」
「あの、きょっきょちゃんも寂しくはなるので、お返事はくださいね」
 するとモチヅキは溜息をついた。先ほどまでキョウキの頬を掴んでいた手をだらりと膝の上に投げ出し、軽く背を丸めたまま広場の先を見つめている。
「……ここで何をしている、キョウキ」
「何って、ぶらぶらしてますよ? ときどきトレーナーさん捕まえてバトルしながらね」
「そなたは、レイアに起きたことは知らぬのか」
「あいつ、何かやらかしたんですか?」
「ショウヨウシティでポケモン協会――ロフェッカとかいう男によって捕らえられたとか。どうにか脱したが……状況は厳しい」
 キョウキは頭上からフシギダネを下ろして膝の上に乗せ、しばらくコボクの街並みを見つめて目をぱちくりさせていた。それからようやく右隣のモチヅキを見やった。
「あちゃあー。レイアがロフェッカに捕まった、か。モチヅキさんはよくそれをご存知ですね?」
「ザクロ殿が親切にも連絡をくださったのだ」
「え、ってことは……ザクロさんと貴方が、ポケモン協会に逆らって、レイアを逃がしちゃったってことですか?」
 モチヅキは面倒そうに緩く嘆息したが、のろりとキョウキに顔を向けた。
「このような広場で話すことでもないな。ホテル・コボクへ」
「――わあ、年上の方と二人っきりでホテルなんて、きょっきょ初めて!」
「うるさい……黙れ」
「どうせモチヅキさんは、サクヤとは、二人きりでホテルなんてしょっちゅうですよね?」
「水堀に沈めるぞ」
「出来るもんならやってごらんなさいな」



 モチヅキのあとについて、緑の被衣で顔を隠したキョウキはホテルの部屋に上がり込む。フシギダネを胸に抱えて。
 そこはゆったりとした、豪華な一人部屋だった。
 モチヅキはキョウキを、窓際にテーブルを挟んで設置してある二脚の椅子のうちの一つに座らせ、カップにティーバッグの紅茶を淹れて、菓子鉢に入れたクッキーと共に差し出した。フシギダネを膝の上に乗せたキョウキは笑顔でそれを受け取る。
 モチヅキが向かい側の椅子にのっそりと腰を下ろす。
 キョウキは頭から緑の被衣を落とし、露わになった黒髪を手早く指で整えると、ストレートの熱い紅茶を一口啜った。それからカップの中の水色とそこに映る自分の影を見つめ、漂う湯気を鼻先に暖かく感じながら、キョウキはモチヅキに尋ねた。
「……それで、レイアには何があったんです。貴方はショウヨウにいたんですか?」
「いや。ミアレにいた。ザクロ殿から、マーシュ殿とウズ殿を経由して連絡があった」
「思うんですけど、モチヅキさんって割とどこにでも出没しますよね。そんなに出張多いんですか?」
「その話は本筋とは関係ない。ことはそなたにも関わる。おとなしゅう聞け」
「はいな」
 背筋を伸ばしたまま、キョウキは微笑して口を閉じた。
 モチヅキは椅子の肘掛に肘をついて頬杖をつき、黒い眼で胡散臭げにキョウキを眺め、ゆるゆると話し始める。

 レイアがショウヨウのポケモンセンターに預けた五体のポケモンを、ポケモン協会によって差し止められた。レイアはホテル・ショウヨウの一室に押し込められ、自由に出歩けないよう協会の職員が見張っていた。見かねたザクロがレイアの求めに応じて、モチヅキに連絡をつけた。
 キョウキがくすりと笑う。
「あいつでもモチヅキさんに頼るんだなぁ……色んな意味で驚きだ。で、それで貴方はどうなさったんです?」
「……まず前提として、ポケモン協会による四つ子の拘禁の建前は、『四つ子が榴火と接触することを防ぐ』ことだ。であれば、なにも四つ子を拘禁せずとも、カロスから追放すれば事足りる――そのように協会側と交渉するよう、ザクロ殿に要請した」
「ザクロさん相変わらずイケメンですね。でも、そんなにすんなりといきましたか?」
「まさか。協会側の反発は予測された。なので、半ば強引な手だが――ザクロ殿にジムリーダーの権限で、レイアの手持ちをポケモンセンターから引き取っていただいた」
 キョウキはきょとんとし、そして吹き出した。
「あちゃあ。交渉決裂して、実力行使に出ちゃったんですか。大丈夫ですか、ザクロさんは?」
「さてな。協会からザクロ殿に罰が下されるとしても、せいぜい減給程度だろう。損害はそなたらの実家の四條が填補すると申しておいた。その条件でザクロ殿には行動して頂いた」
「そうですね、ジムリーダーはアイドルですもんね。そんな人をポケモン協会も懲戒処分なんて、そうそう出来ない。……レイアは強い人間を味方につけましたね」
 ということは、レイアは窮地を脱したのだ。ザクロとモチヅキと実家の力で。
 なかなか興味深い先例だ、とキョウキは思った。ザクロはジムリーダーであり、ポケモン協会に属する。しかし同情を得て金銭をあてがえば、彼も容易くポケモン協会を裏切る。
「なるほどね。じゃあ、ジムリーダーさんとは懇意にしておくべきですね」
 キョウキが言いつつくすくすと笑っていると、モチヅキは露骨に嫌そうな顔をした。

「……そう楽観すれば痛い目を見るぞ。問題なのは、ここからだ」
「ありゃ、一件落着じゃないんですか?」
「……ザクロ殿の実力行使による協力を得て、レイアはショウヨウを脱した。その行方は知れぬが、まあそれはいい、そなたらが勘とやらで捜せ。しかしポケモン協会は、さらに総力を挙げてそなたら四つ子を確保しようとするだろう」
「ほんと、無駄な人手とお金使いますよねぇ」
「……それほどに、ポケモン協会はそなたら四つ子を危険視しておるのだ。榴火のことを抜きにしても、だ。…………そなたら、いったいキナンで何をやった…………」
「何もしてませんよ?」
 キョウキがクッキーをもそもそとフシギダネと共に食べながらそう答えると、モチヅキの眉間にみるみるうちに皺が寄った。
 キョウキは笑いながら手を振る。
「分かりましたってば、ちゃんと話しますよう。モチヅキさんにはレイアのことでご迷惑かけたみたいだから、貴方には話します」
 クッキーを飲み込んで紅茶を喉に流し込むと、キョウキは淀みなくキナンでの出来事を語った。
「ほら、キナンの別荘に、エイジっていう胡散臭い家庭教師が来てたじゃないですか。どうせロフェッカからのホログラムメールで面白おかしく見てたんでしょうが」
「……そうだな」
「認めちゃったよ――まあいいや。そのエイジって人がねぇ、僕らに延々と“国とポケモン協会とフレア団の癒着”のお話をしてくれるんですよ。そんなの、国家やポケモン協会にとっちゃ知られたくない話。自然、僕ら四人はポケモン協会にとって邪魔な存在になる」
「……そのエイジとやらの狙いは?」
「僕らをポケモン協会の敵にすること。僕らを、“フレア団とポケモン協会の共通の敵”にすることでしょう。そうなれば、フレア団は容易に僕らを消せますから」
「……なぜフレア団はそなたらを消そうとする?」
「榴火のせいですよ。榴火はフレア団です。ここまで言えば分かるでしょう? ポケモン協会が、榴火よりも僕ら四つ子を捕まえることに躍起になる理由が」
 キョウキはすらすらと説明すると、頬杖をついたまま渋い顔をしているモチヅキを見やって目を細めた。
「その全てに最初に気付いたのはセッカです」
「……あれがか」
「だからセッカは侮れない子なんですよ。あいつはエイジさんだけじゃなく、ロフェッカのことも信じなかった、僕もそうでした。レイアとサクヤの二人はいじらしくもロフェッカを信じようとしてましたけど、でももうこれで、あちらさんの裏切りは確実ですね」
 キョウキはわざとらしく溜息をついてみせた。
「キナンを出た後、最初に僕ら四つ子を嗅ぎつけてきたのはユディです。ロフェッカに言われて、ルカリオに僕らの波動を追わせたんです。でもユディはいい奴なので、何も聞かずに僕らの味方をしてくれることになりました」
「……ウズ殿は」
「さあ、何も知らないんじゃないでしょうか。モチヅキさんから知らせてくださっても構いませんよ」
「……なぜ私にも何も言わなかった? サクヤのニャオニクスにでも伝えさせれば」
「はいサクヤね。そうですねサクヤちゃんねー。……あのねモチヅキさん、僕らは迷ったんですよ、貴方に伝えようかどうしようかと。貴方なら僕らを助けてくれる――そんなことは分かってました。でもそれは、ポケモン協会――ロフェッカだって分かってたはずです」
 キョウキが肩を竦めてそう言うと、モチヅキは睨むように目を細めた。
「……つまり……あてにされていなかった、と」
「ロフェッカから貴方に連絡は来ませんでしたか? 少なくとも貴方は、僕らがキナンから消えたことは、すぐにご存知になったはずです。その後ロフェッカは、僕ら四人を捜すために、貴方に連絡を入れましたか? 無かったのなら、貴方も完全に協会から敵視されてますよ。夜道にご注意」
「……ふん……協会による敵視など、もはや私の日常の一部だ。それに、あのロフェッカとかいう男と連絡を取り合っていたのは私的なこと。あの男がそなたらを捜すにしても、私的なチャンネルは利用すまい――ポケモンセンターの利用記録を調べればすぐに済むことだ」
「ありゃ、ユディからはポケセン使わないと悪目立ちするって聞いたんですけど。やっぱポケセンの記録って、泊まらなくても残りますか?」
「当然だ。ポケモン協会をなめるな。……監視カメラによる映像解析、ジョーイの証言、もしかすると極秘裏にセンターを利用するトレーナーの情報を収集しておるやも。……奴らは何でもする」
 モチヅキはゆったりと紅茶のカップを傾けている。
 キョウキはがしがしと頭を掻いた。フシギダネを抱きしめて苦笑する。
「……コボクのポケセン寄ってなくてよかった。セッカとサクヤは大丈夫だろうか……」
「なぜバラバラに行動している……せめてホロキャスターを持て」
「モチヅキさん、ご存知ですか? ホロキャスターってフラダリラボの製品なんですよ」
 キョウキはフシギダネの背中の種に顔を押し付け、にんまりと笑った。
 するとモチヅキは不機嫌に鼻を鳴らした。
「私を馬鹿にしているのか?」
「じゃあモチヅキさん、これはご存知ですか? フレア団って、フラダリラボと、ずぶずぶなんですよ」
「……何が言いたい」
「僕は機械の事なんて分かりませんけど、フレア団は、ホロキャスターからその持ち主の位置情報とかメールとかすべて把握できたりしません? ポケモン協会がそんだけあくどいなら、フレア団だって絶対そのくらいやってますって」
「………………」
「だから僕ら四つ子がホロキャスターを持っていなかったのは不幸中の幸いですし、これからも持つ気はありません。もちろんモチヅキさん、貴方はホロキャスターを持っておられるのだから、僕らが貴方の傍にいるというのも危険というわけだ」
 モチヅキは沈黙した。
「ロフェッカが貴方を見逃すはずがないでしょう。僕ら四つ子が貴方を頼ることなど分かりきっている。まあ問題は、その僕ら四人に貴方と連絡を取り合う手段が乏しいってことなんですけどね」
「………………」
「だからさっき貴方を見つけた時、実はちょっとだけびっくりしたんです。サクヤなら迷わず貴方を捜してひっつくだろうに、貴方がお一人なんですもの」
「………………」
「心配なさらずとも、サクヤはすぐに貴方の元に来ますよ。あの子、一生懸命に貴方を捜してるんだ……健気ですよね。かわいいですよね。大事にしてあげてくださいね」
 キョウキは紅茶を飲み干すと、カップを低いテーブルに置いてにこりと笑った。
「……ふう。モチヅキさん、お腹すきました。お昼ごはん奢ってください」


  [No.1477] 金烏の空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:27:55   31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



金烏の空 中



 モチヅキはルームサービスで昼食を取り寄せた。
 パンとスープ、卵料理、サラダ、果物、ジュース。それらが二人分運ばれてきた。
 キョウキは苦笑する。
「いいんですかね、一人部屋に二人分頼んで」
「さあ。頼めた以上は構わないだろう」
 窓際のテーブルで、二人はもそもそと昼食を口に運ぶ。
 キョウキはちぎったパンをスープに浸しつつ、呟いた。
「それで、僕らはこれからどうしたらいいでしょう。モチヅキさんのお考えをお聞かせ願えますか」
 モチヅキは沈黙したまま、滑らかな手さばきでオムレツを切り分ける。卵料理にナイフを入れるのを初めて目にしたキョウキもぎこちない手つきでそれに倣うが、うっかりとナイフで皿の底を引っ掻いて、モチヅキにぎろりと睨まれた。
「すみませんモチヅキさん。愛してます」
「……まず、そなたらは今、何を考えて行動している」
「協会職員に見つからないよう、全員バラバラに、ごく短期間の滞在だけで街を転々としています。野生ポケモンの昼夜構わず襲ってくる野山に籠るってのもハードなもので」
「……避けているのはポケモン協会だけか」
「フレア団も避けろ、ってことですか?」
「……榴火がいる」
「ああ、彼ね。アブソルで災害を感知するんでしたよね。そりゃあ整備されてない山奥だと、なおさら暴れ放題でしょうねぇ。うんうんなるほど、人里離れると逆に榴火の危険がある、と」
 キョウキはスープに浸してふにゃふにゃになったパンを咀嚼した。
 モチヅキは既に食後のフルーツに取り掛かっている。
「……そもそも何故、そなたらは榴火に追われている」
「それが分かりゃあ苦労しないです。最初はレイアでした。次はセッカでした。レイアとセッカは二人でもう一度彼に会ったそうです。つまり僕とサクヤは、榴火の姿を見たことすらない」
「……追われている……か」
「榴火は初対面のレイアに向かって、死ねとか言ったそうですよ。セッカにもです。たぶん彼は僕ら四つ子をろくに認識していない。勝手に敵だと思い込んで狙っている。なんででしょうね?」
 モチヅキは手にしていたフォークを皿の上に置いた。凄まじい早食いだ。キョウキがにやにやしていると、モチヅキに睨まれた。
「……アワユキかもしれぬ」
「アワユキさん? 彼女がどうかしました?」
「さて。そなたらの存在を榴火が知る契機といえば、フロストケイブでの一件しか思い当たらぬ」
「そうなんですかねぇ」
「アワユキは榴火の継母。不仲だったと聞くが」
「……モチヅキさんそれ、裁判の機密情報とかじゃないんですか。守秘義務とか大丈夫ですか」
「別に、当時判旨にても述べたことなのだから構わぬだろう。アワユキと榴火は不仲」
「ならなおさら、なぜアワユキさんの件で榴火が僕ら四つ子を狙うようになったか、分かんないじゃないですか。榴火は実はマザコンだったんですか?」
「分からぬ。榴火のことは私ではなく、あの騒がしいポケモン協会職員に訊け」
「ルシェドウさん、ですか」
 キョウキは考え込んだ。


 ルシェドウなら、榴火が四つ子を嫌う理由を知っているかもしれない。それさえ知れば、榴火にも対処できるかもしれない――ハクダンの森で会ったときにルシェドウに訊いておけばよかったとキョウキは後悔した。
 四つ子の敵は与党政府やポケモン協会だけではない。フレア団、そして榴火もなのだ。
「ルシェドウさんか。でも、あの人も僕らのことを捕まえようとするかな?」
 キョウキはそう呟いてみて、違和感を覚えた。
「……あれ? 僕がこないだハクダンの森でルシェドウさんに会った時は、あの人は僕を捕まえようとはしませんでしたよ。ローザさんとお話して、たまに僕に話を振って……それだけです。逆に拍子抜けしましたもん」
「ローザというのは?」
「榴火の後見人だそうです」
「なら、そのルシェドウとやらは今は榴火にかかりっきりなのだ。そなたら四つ子に構う暇がない。それだけだ」
 ふんふんとキョウキは頷いた。
「で、ロフェッカが、僕ら四つ子の確保の指揮を執っている……って感じですかね?」
「左様」
「あっそう。ま、ロフェッカもルシェドウさんもどっちも敵だ。ルシェドウさんには榴火は救えませんよ。僕らの自由を奪うんならポケモン協会も全力で榴火を更生させるのが筋だってのに、あんな無能を榴火にあてがってる時点でポケモン協会は敵ですよ」
 キョウキはルシェドウを滅茶苦茶に貶した。モチヅキもそれを否定はしなかったが、微かに興味を覚えたように片眉を上げる。
「……そなたの目には、あれが無能に映るか」
「だってあの人、『榴火と友達になってやってくれ』とか、面と向かってぬかしやがるんですよ。ルシェドウさんは無能」
「……純粋だと言ってやれ」
「え、モチヅキさんがルシェドウさんを擁護するんですか? それは意外だし、心外だなぁ。モチヅキさんも裁判のとき、ルシェドウさんをクズだと思いませんでしたか?」
「……あの者は屑ではない。情熱ある、信頼に足る器だ。弁護人としては申し分なかった」
「えっ。あの……モチヅキさんって……ルシェドウさんと仲悪かったですよね?」
「……そなたは私を何だと思っている。裁判官は中立公平の立場にある。敵も味方も無い」
「うわぁ。説得力ありませんね。左翼の裁判官のくせに」
「……当時は反ポケモン派の連中から散々に右翼と罵られたものだが」
 モチヅキは自嘲的にくすりと笑った。キョウキもけらけらと笑う。
「つまり、左翼のモチヅキさんは当時、右翼のルシェドウさんの弁護を受け入れて、榴火を無罪にするほかなかったわけだ!」
 そのとき、モチヅキのホロキャスターが着信を知らせた。


 電話のようである。モチヅキは何食わぬ顔で懐からホロキャスターを取り出すと、応答した。その正面でキョウキは静かに昼食を口に運んでいる。
 ホロキャスターから吐き出された立体映像は、ロフェッカの姿だった。モチヅキの正面に座るキョウキからもロフェッカの後頭部の映像が見えて、キョウキは感心する。あの小型の機械のどこに人の背面の造形を再現する仕組みがあるのか興味を覚えた。
 ロフェッカは朗らかにモチヅキに挨拶する。
『どうもモチヅキ殿、お昼にすんません。今よろしいですか?』
「構わぬ」
『ではさっそく本題に入らせていただきますと、モチヅキさんは今どちらっすか?』
「コボクだ」
『おお、そりゃよかった。私も今コボクにおりましてね。もしかしてホテル・コボクにいらっしゃるんすか?』
「その通りだが」
『奇遇っすね、私もですよ。今日ちょっとお会いできますか?』
 そのような申し出をするロフェッカの映像の背後で、キョウキはちらりとモチヅキを見やった。まさかロフェッカは、モチヅキのホロキャスターの位置を特定した上でこのコボクにやってきたのかと疑った。けれどモチヅキはキョウキの方にちらりとも視線をやらずに、相変わらずの憮然とした表情のまま、落ち着いた声でロフェッカに返答している。

「いったい、何用だ」
 電波を介したロフェッカの声がにやついているのが、キョウキの耳にもありありと捉えられる。
『いやぁ、四つ子の事っすよ。モチヅキさんとこに四つ子いません?』
「……いま私の目の前に、キョウキがいるな」
「やだぁちょっと、なんで言うんですかぁ、モチヅキさんったら」
 キョウキは身をくねらせて文句を言う。
 すると映像の中のロフェッカが、キョウキの姿は見えないままでもその声に反応した。キョウキに呼びかける。
『お、キョウキか。おいキョウキ、レイア知らね? セッカでもサクヤでもいいけど。お前ら直感でお互いの居場所分かんだろ、ちょっくら残りの三人の居場所占ってくれや』
「やだよう。だってその僕の直感によると、ロフェッカ、君は敵だもん」
『はははは。モチヅキ殿から話でも聞いたか? んじゃあ、レイアの脱走もさしずめ、モチヅキ殿の入れ知恵っつーとこか』
 ロフェッカの声音には余裕が感ぜられた。居直り強盗の如き図太さがある。
 キョウキが軽い笑い声でごまかしていると、ロフェッカの後頭部が溜息をついた。
『……はああ、駄目だ、無駄だぜお前さんら。ポケモン協会の命令なの。逆らうならお前さんらのトレーナー資格だって剥奪できる。ジョウト行こうがどこ行こうが、無駄なんだよ』
「――そう。本気でポケモン協会は、フレア団のために僕ら四つ子を切るつもりなんだね?」
 キョウキは微笑んだ。
 モチヅキがテーブルの上で、ホロキャスターの向きを逆にする。ロフェッカの映像がキョウキと向かい合った。
 映像の中のロフェッカはまっすぐキョウキを見つめていた。真面目な表情だった。それが普段の彼とのギャップを感じさせ、キョウキは失笑する。
「でもさロフェッカ、そんなことしていいのかな。君がどこまで榴火のことを知らされているか知らないけれど、僕ら四人は本当にフレア団より軽いと思うの?」
『……悪いなキョウキ、レイアにも言ったんだけどよ。榴火はフレア団じゃありません、としか答えられません』
「まあそれでいいや。でも僕ら四つ子は、ポケモン協会さんにとって役に立つよ?」
 キョウキは両手を広げた。
「僕らはメガシンカだって使える。四天王をも凌ぐ実力だって持ってる。ポケモン協会が育てたかったのは、まさしく僕らのようなトレーナーではないの?」
『……あのなぁキョウキ。その四天王のイメージだって、協会が守りてぇものなんだよ。協会が支援してる四天王をぽこぽこ倒されちゃ、それこそこっちも困るってんだ』
「ああそうか、そういう考え方は無かったな……」
『だからよ、なまじ強いだけの扱いづらいトレーナーほど、ポケモン協会にとって邪魔なものはねぇんだよ』
 ロフェッカは真顔でそう言い放った。
 キョウキはとうとう苦笑した。
「身も蓋もなくなったね、お前。殺したいよ」
『へいへい、殺しておくんな。殺人なら問答無用で、お前さんのトレーナー資格剥奪できっからよ』
「……まさか、本気じゃないよね?」
『さあな。フレア団ならやりかねんさ……。ま、せいぜい気ぃつけな』
 ロフェッカは軽い口調でなぜかそう忠告すると、再びモチヅキに話しかけた。
『モチヅキ殿、あんたも身の程を弁えてくだせぇよ。言いたかねぇんですけど、四つ子の事でも邪魔しやがったら、もうあんた……弾劾裁判も覚悟なさってもらわないと割に合わねぇんですよ』
 モチヅキは鼻で笑っただけだった。
 通話が終わる。
 キョウキは笑みを潜め、沈黙したままモチヅキを見やる。
 モチヅキは低い椅子の背もたれにもたれて、目を閉じていた。
 昼食の食器もホロキャスターもテーブルの上に投げ出されたままだ。
 もはやポケモン協会は、むき出しにした牙を隠しもしない。モチヅキごと四つ子を潰す気だ。フレア団のために。


 遠くで鐘が打ち鳴らされ始めた。
 カンカンカンカンと、甲高い音は何かの警告だろうか。薄曇りの空はのどかに白い。
 ふと窓の外を見やったモチヅキが、僅かに身じろぎした。
「…………市壁の門が」
「ほえ?」
 キョウキも身をねじり、西を見やった。
 コボクタウンの周囲を巡る市壁、その7番道路のリビエールラインへと通ずる西門が、僅かな軋みを上げて閉ざされつつあった。数年間旅をしているキョウキでさえ、コボクの門が閉まるところなど見たことがない。本当に閉まる門だったのだなと、むしろ呑気に感心してしまった。
 しかしキョウキとモチヅキがホテルの窓から覗いている中で、西門が吹っ飛んだ。
「わあ」
「……何事だ」
 分厚い鉄の門扉が大きく吹っ飛ばされ、周囲にいた警官たちの列が崩れる。コボクの石畳を傷つけつつ、門のひしゃげて倒れる音はコボク中に響き渡った。爆弾の落とされたような、雷の落ちたような轟音だった。
 門を破ってコボクに押し入ってきたのは、巨大な居眠りポケモンだった。

「カビゴンだぁ……」
 キョウキの小さな呟きにはすぐ、さらに大きな警報がかぶせられた。
 ベルの音、サイレンの音。コボクの街中に危険を知らせるものだ。
『緊急警報、緊急警報。西門より、カビゴンが侵入。コボク西部の住民の方々は、直ちに避難してください。繰り返します――』
 モチヅキのホロキャスターにも、ホログラムニュースの着信がある。ピンク色の髪の特徴的な女性キャスターが臨時ニュースを伝えていた。
『臨時ニュースをお伝えします。本日正午、コボクタウンに、カビゴンが7番道路より侵入しました。カビゴンは正気を失っている模様で、大変危険です。近隣の住民の皆さんは、直ちに避難してください』
 ホテルの窓ガラスがびりびりと震えた。キョウキは驚いて、膝の上に飛び乗ってきたフシギダネを抱きしめる。
 ホテルのすぐ傍の道路が、カビゴンの破壊光線によって抉られていた。
 キョウキはぽかんとしてそれを見下ろす。
「……何これ、すごい」
 西門からのしのしと警官を踏み潰す勢いで入場してきたカビゴンは、一体ではなかった。
 十体ほどものカビゴンが市壁を食い破りながらコボクの街に流れ込んでくるのを、フシギダネを胸に抱えたキョウキはどきどきしながら見下ろしていた。


  [No.1478] 金烏の空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:29:51   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



金烏の空 下



 モチヅキはホロキャスターから流れてくるニュースにじっと聞き入っていた。
 緑の被衣を被ったキョウキはモチヅキの向かい側でフシギダネを抱え、まじまじとカビゴンの群れのコボク侵攻を見下ろしている。
「……珍しいことだ」
 モチヅキがぼそりと呟いた。ホテルの傍の空を、破壊光線が何本も飛んでいく。
 コボクの石造りの街が崩れつつある。
 ようやくキョウキもモチヅキも、これは単なる珍事でなく、かなり危険な非常事態ではないかと思い至った。
 西門に集中していたコボクの警察はポケモンを繰り出してカビゴンたちに応戦しようとしているが、その巨体に何の躊躇もなく迫ってこられれば、勇猛果敢な警察のウインディもライボルトもレントラーもムーランドもたじろぐしかない。防衛線は押され気味である。怒り狂ったカビゴンの破壊光線が街を蹂躙する。
 キョウキとモチヅキの現在いるホテル・コボクもまた、西門にほど近い位置にある。
 危険だった。カビゴンの西門突破より間もなくホテル内にもアナウンスが響き渡り、すべての客に避難するよう指示が出される。あるいは、腕に覚えのあるトレーナーがいればぜひカビゴン騒動を止めてほしい、とも。
 モチヅキもまた立ち上がりつつ、キョウキを見やった。
「そなたはカビゴンの相手はせぬのか」
 キョウキは肩を竦めただけで、モチヅキの先に立ってそそくさと部屋を出た。


 ホテル一階のロビーは、困惑し狼狽した観光客らによってひどく混雑している。
 受付には取り乱した客が何人も殺到していて、ホテルマンが哀れである。観光客は次々とホテルの者の案内で外へと避難を始めており、キョウキとモチヅキは混み合う階段の半ばで立ち止まってその混乱の様子を見ていた。
 カビゴンの群れの勢いは止まぬらしい。
 破壊光線の発射されるなんとも胸に悪い音、胸の奥を抉るような残酷な鋭い音、ミサイルのようにいくつもいくつも空を切る音がする。
 そして何か巨大なものを破壊し、何か大切だったであろうものが崩れ去る音がする。
 ホテルの地面すら揺れる。そのたびに、ホールを埋め尽くした観光客から悲鳴が上がる。

 コボクタウンの周辺にたびたびカビゴンが出現するという話は、全国的に有名だった。カビゴンは山のきのみを食い尽くし、きのみ畑に何度も侵入を試み、時にはコボクタウンにも食料を求めてやってくる。コボクには、そのカビゴンのための祭りを毎年行ってカビゴンにたらふく食べさせることによる、カビゴンとの共存を選んだ歴史、そしてイメージがある。
 カビゴンがこのようにコボクを実力で襲うことは滅多にない。
 いくら食料のためといっても、ここまで暴れるのは逆にカロリーの無駄遣いである。
 キョウキには、だからこのカビゴンによる侵攻は奇妙にしか思われなかった。食料不足に起因しない、カビゴンの暴れる理由が何かあるとしか考えられない。

 ロビーに詰まっていた観光客がぞろぞろと避難していき、だいぶロビーは空いてきた。
 そこでキョウキとモチヅキは、男に話しかけられた。
「お、やっぱいた。キョウキ、モチヅキ殿」
 先ほどまで二人がホロキャスターで話していた相手、ロフェッカである。
 しかし二人は振り返って、さらにぎょっとした。
 ロフェッカの隣でどこか身を縮めている、老婦人と幼い少女。マフォクシーを連れている。
 モチヅキとキョウキは、ロフェッカよりもそちらの二人に気を取られてしまった。まさかこのような非常事態の中で出会うことになるとは思いもしなかった。
「ミホさん、リセちゃん。観光ですか? 旅行先でこんなことになるなんて、災難ですねぇ」
 キョウキは笑顔で声をかけてみたが、幼いリセはカビゴンの暴虐に怯え切っているし、そしてミホの方は、キョウキよりも、明らかにモチヅキを前にして動揺していた。
 それもそうかとキョウキは思う。ミホにとってモチヅキは、憎むべき裁判官なのだから。


 とはいえうっかりと因縁の相手に巡り会ったとしても、のんびりと会話をしていられる状況ではない。
 カビゴンの群れの進軍と蹂躙は止まらない。フシギダネを抱えたキョウキは、モチヅキ、ロフェッカ、ミホとリセと共にホテルの外へ歩み出た。ホテルから避難する客の、最後の一団である。
 破壊光線が街並みを掠め、近くの建物に激突し、巨大な石のブロックが石畳の上に落下してくる。リセはたまらず祖母のスカートにしがみ付く。
 ロフェッカは、かつてはそのミホとリセを引き合わせる役目を担当していた職員である。どこか呆然自失としているミホを必死に支え、もはやモチヅキやキョウキに軽口を叩く余裕などない。ただコボクの東へ、人波に従って五人も動く。
 その中、ミホの連れていたマフォクシーがふと立ち止まった。
 このマフォクシーは、カビゴンの騒ぎの中も、全く動揺を見せていなかった。まるですべて分かっていたかというように。けれど何かを待つように、時折空気の震えを感じ取りながら、そして縋りついてくるリセを抱き上げることもせずに、ここまで黙々と一行についてきていた。
 そのマフォクシーが急にミホの傍を離れ、西へと立った。
 少女が叫ぶ。
「あ、マフォクシー!」
「あ……!」
 老婦人が止める間もなく、マフォクシーはふわりと跳躍し、もはや人の姿の無い荒れ果てた石畳に立つ。そして迫りくる十体ほどのカビゴンの群れの前に立ちはだかった。
 ロフェッカに支えられていたミホが、悲鳴のような大声を出す。
「何をしているの、マフォクシー!」
「マフォクシー、だめ、かえってきてー!」
「おい、ミホさん、リセちゃんも落ち着け!」
 ホテルから避難する人々に取り残される。ロフェッカやホテルの職員に怒鳴られるも、老婦人と少女は共に来たマフォクシーを置いていくわけにはいかない。必死で呼びかける。
 マフォクシーはカビゴンは見ていなかった。袖のようになった腕の毛皮の中から枝を引き抜き、その勢いで着火させる。枝の先端の炎は赤々と燃え、マフォクシーの瞳は獰猛に輝く。
 モチヅキとキョウキもまた、お義理で彼女たちやロフェッカに付き合い、道の真ん中に立ち止まっていた。二人とも彼女たちとは見ず知らずの相手ではないし互いにそのことを知っているから、モチヅキもキョウキも彼女たちを他人のように見捨てて逃げるわけにもいかなかった。
 緑の被衣のキョウキはフシギダネを抱えたまま、戦闘の意志もなくぼんやりと、迫りくるカビゴン、そして何に向かってやら闘志を燃やしているマフォクシーを見つめていた。


 マフォクシーは、カビゴンに立ち向かうつもり――は無いようだった。であれば即ち、マフォクシーにミホやリセをカビゴンから守ろうと意志は無い。
 何か己の目的がある。
 キョウキには、マフォクシーの見つめているものがなんとなく分かった。
 カビゴンの群れの後方の一頭が、何の前触れもなく、ゆっくりと正面から倒れた。それに気付かないように他のカビゴンたちはずんずんとコボクの中央へと進撃を続けるが、一体、また一体。
 何が起きているのか。背後から攻撃を受けているのか。
 カビゴンが倒れるたびに地響きが起こる。
 キョウキ、モチヅキ、ロフェッカ、ミホ、リセの見つめる前で、カビゴンが一体づつ、地に伏してゆく。
 風が吹いた。
 鋭い紅い風が吹いた。
 マフォクシーが枝に灯した炎に熱い息を吹きかけ、渦巻く火炎を飛ばす。その急な熱風にリセが泣き出した。
 けれどそれも、すぐに冷たい風に切り裂かれた。
 マフォクシーは風の中から現れた紅いアブソルに、一瞬のうちに切り伏せられた。


 老婦人が悲鳴を上げる。
 その悲鳴に怯えて、なおさら孫娘が泣き出す。
 ロフェッカはぎょっと身を竦ませ、モチヅキはただ微かに眉を顰めただけであった。
 キョウキはフシギダネを抱えたまま、四人の後ろの方でぼんやりと、マフォクシーが崩れ落ちるのを見ていた。
 気づくと、コボクの石畳の上にいくつも倒れ伏していたカビゴンの巨体が、一体ずつ消えていっている。
 モンスターボールの赤い光が見える。誰かがカビゴンを片端から捕獲しているのだ。
 色違いのアブソルは、通常の個体よりも一回りも二回りも大きい。その血塗られたような角はねじくれ、石畳に伏したマフォクシーの首に鋭い刃があてがわれて、マフォクシーは怒りに口の端から火の粉を漏らすも身動きが取れない。
 アブソルが少しでも動けば、マフォクシーの命はない。
 ロフェッカはミホとリセを支え、そして大声で怒鳴る。
「――おい! どういうことだ! ルシェドウは何してやがる!」
 その叫びに返答はない。カビゴンの巨躯の向こうで、また一体カビゴンの姿が消える。
 最後のカビゴンの姿が消えて、崩れ切った石畳の上。
 大量のモンスターボールを手にして困惑した様子を見せながら五人の前に現れたのは、赤髪の少年だっただった。

 キョウキは緑の被衣の影からその少年を観察する。
 褐色の肌に赤髪、餓えたような水色の瞳。肩には申し訳程度に白地に青線の入ったホープトレーナーの制服を引っかけている。確かにレイアやセッカから聞いた通りの容貌をしている。ミホやロフェッカの動揺ぶりからしても、間違いはない。
 ――榴火だ。


 手にした十ほどのモンスターボールを不器用に次々と袋の中に投げ入れて、ようやく少年は顔を上げた。そして自分のアブソルがどうにも見覚えのあるマフォクシーを組み伏せ、その先にはまた見覚えのある面々が五名ほど揃っているのを目にして、その表情を輝かせた。
「よう。ババァ」
 榴火の呑気な無礼な挨拶に、ミホが全身を戦慄かせる。幼い孫娘の肩だけを強く抱きしめて。
 そのような祖母の反応に全く関心を示さないまま、榴火は静かになったコボクの街並みをのんびりと見回した。
「……ちっとのんびりしすぎちったかねぇ。ま、いっか」
「おいお前、榴火だよな? ルシェドウはどうした? あいつには会ってねぇのか?」
 榴火に声をかけたのはロフェッカである。怒りやら動揺やらで震えるミホと、むせび泣いているリセの二人を支えつつ、榴火をまっすぐ見据えて立っている。なかなか威厳のある頼りがいある立ち姿だった。
 榴火はロフェッカを見やると、どろりと首を傾げた。
「え? あ? 誰? は? え? なに?」
「だから、ルシェドウはどうしたっつってんだ!」
「あ、ルシフェル。そのマフォクシー殺していーよ」
 榴火はロフェッカを無視し、そのような残酷な指示を下す。すると少女が絶叫した。
「い……やぁぁ…………や、やだぁぁぁっ」
「うるっさ。え、誰そのガキ」
 榴火はモンスターボールの詰まった袋を蹴りつつ裸足でぺたぺたと石畳を歩み、少女の方に歩いてくる。リセは涙で頬をぐしゃぐしゃに濡らしながら、祖母やロフェッカの陰に慌てて後ずさる。
 榴火はけらけらと笑って立ち止まった。憐れむような眼差しになった。
 一方で紅いアブソルはマフォクシーの首をかくべく鎌を動かし――動きを止めた。
 アブソルの動きを止めたのは、キョウキのフシギダネである。


 緑の被衣のキョウキは両の二の腕をさすりつつ、嫌そうな顔でロフェッカやモチヅキの両名を見やる。
「はいはい、こうしろってんでしょ。無言で圧力かけないでくださいよ。僕としちゃあ、ポケモンがポケモンを殺すとこを見るのもいいなって思ってたんですけどね」
「ギャハハハッ、何だコイツ狂ってる!」
「君には言われたくないけど」
 キョウキはぼやいて榴火に応じ、そっとフシギダネを手から離した。
 石畳に降り立ったフシギダネは蔓でアブソルを捕らえつつ、キョウキが一同の注目を集めている隙に素早く眠り粉を仕掛け、組み合っていたアブソルとマフォクシーを二体とも眠らせた。そしてさらに素早く巨大なアブソルを蔓で拘束する。
「あ、やられちった」
 榴火は笑いながら、色違いのアブソルをボールに戻した。ミホも慌ててマフォクシーをボールに戻す。
 場に出ているポケモンはフシギダネ一体になった。
 榴火に戦意は見られない。袋の中に入れた十ほどのモンスターボールを揺すって遊んでいる。
 キョウキは微笑んでさらに前に出、赤髪の少年の前まで歩み寄った。ようやくまともに榴火の目を見た。
「…………カビゴンが捕まえたくて、この騒ぎを起こしたのか」
「あー、んー、まあ、そんな感じ?」
 榴火は片手を顎に当て、そして何かを思い出したかのようにくつくつと肩を震わせる。
「つーか、“うっかり”土砂崩れでコイツらの巣にいたゴンベ全滅させてみたらさぁー、なんか急にコイツらが怒り出したからー、隙だらけだったんで捕まえてみました、って感じ?」
「……ああ……つまり君はまた、アブソルの力で、罪なきものの命を奪ったわけだね?」
「土砂崩れだっつってるだろ。オレらは悪くね――よ」
 榴火はげらげらと笑い出した。
 聞いていた通りの人柄だ、とキョウキは内心でのんびりと感動していた。まともに話して通じる相手ではない。ここはもっと彼を知る必要がある。
 キョウキは実験を開始することにした。

 キョウキはくるりと背後を振り返った。
「では、彼の祖母であるところのミホさん、彼に何か一言おっしゃってみますか?」
 老婦人に無茶振りをする。
 品の良いスーツに身を包んだミホは、マフォクシーの入ったボールを握りしめたまま可哀想なほどに震えていた。ロフェッカに支えられてやっと立っているが、美しく化粧を施した顔面は蒼白である。何も見えていないようだった。
 榴火はにやにやしている。
 キョウキは諦めて、続いてリセに視線をやった。
「リセちゃん、この赤髪のお兄ちゃんはね、君のお兄ちゃんなんだよ、君のお母さんの息子ではないけど。……うーん、ごめん、まだリセちゃんには難しかったかな?」
「え、なにソイツ、あの女の娘? うっわ、マジで? 二人目? なんだぁ……あとで殺そ」
 榴火がそのように言うものだから、リセはますます怯えて石畳にぺたりと座り込んだ。
 キョウキも軽く笑いながら、次は黒衣のモチヅキに目をやった。
「じゃあ、モチヅキさん。意に沿わず無罪判決を下してしまったトレーナーさんに向かって、何か一言」
「…………キョウキ」
「いや、僕の名前を呼ばれましてもね」
 すると、不愛想なモチヅキをまじまじと眺めていた榴火がぽんと手を打った。
「あ、クソ裁判官!」
「……無礼な」
「いやーどうもありがとーねー。おかげでオレはフリーダム、やりたい放題ですよ。ほんとにアンタのお・か・げ――……って言うと思った? 馬鹿じゃん? なんでアンタさぁ、オレのこと死刑にしなかったわけ? ほんと何で?」
 モチヅキはただただ背筋を伸ばし、ゆったりと腕を下ろし、無表情で榴火を見つめている。
 榴火は笑いながらまくし立てた。一歩前へ出る。
「やだなぁオレ、死ぬためにアイツ殺したのに。ほんと絶望的だわ。ルシェドウとかあんなクソ弁護しやがってマジで糞だわ。あー死にてー」
「君って情緒不安定?」
 キョウキが口を挟むと、榴火はにこりといい笑顔になった。

「あ、なんだオマエ、四つ子じゃん! マジで死ねよ、クソ四つ子!」
「君の中で『クソ』ってのは、安定の接頭辞なんだね」
 榴火はにやにやと笑ってキョウキのすぐ傍まで来た。キョウキの肩に腕を回し、キョウキの顎や首筋に馴れ馴れしく触りながらその耳元で囁く。
「あー死にたい。なあオマエら四つ子の誰でもいいからさ、ちょっとオレの首、ぱーんって刎ねてくんない? いやーすぐ終わるよ。……気持ちよーく、逝かしてよ」
「気色悪いなぁ。自分でおやりよ、この腰抜け。鋭い鎌を持ったポケモンをいっつも侍らせてるくせにさ」
 キョウキも緩い口調で応えた。榴火の耳障りな笑い声が耳朶を掠める。
 榴火は肩を組んだキョウキを足で小突くようにして、モチヅキやロフェッカやミホやリセから数歩遠ざかった。
「なんかオマエさ、他の奴らと雰囲気違くね?」
「レイアとセッカの事かな。僕らは性格はバラバラだからね」
「なんかオマエならマジで人殺せそうな気ィすんだよね」
「光栄だね」
「だろ、ほれ、やってみ? ――こんな感じでさぁ!!」
 榴火は嗤い、両手でキョウキの首を絞めた。
 そのまま体当たりでも食らうようにして、キョウキは背後から押し倒される。キョウキは石畳に頬を叩き付けた。その急激な重心の崩れと重みと痛みと息苦しさに怯む間もなく、緑の被衣が剥ぎ取られる。
「あはっ、ぶっはははは、ぎゃははははははははっ……死ねよ」
 獣の牙が獲物の頸椎を、頸動脈を探り当てるように。
爪の長い榴火の褐色の指が、愛おしむように首筋に吸い付いてくる。
馬乗りになった榴火は、笑顔でキョウキの扼殺にかかる。
 キョウキの視界がすっと暗くなる。
「死ね…………死ねよ…………死ぬんだ…………死んでいい」
 甘い囁き声が聞こえる。
 キョウキの視界で最後まで、空の太陽が白く微睡んでいた。




 次にキョウキが気づいたのは、清潔な病院などではなく、城館のようだった。
 石の天井、石の壁。橙色の薄暗い灯りに揺らめいている。
 客間の寝台に寝かされているのか。
 ここがどこなのかとキョウキが推理を巡らせるのを遮るかのように、枕元にいたフシギダネがキョウキの黒髪にそっと鼻先を寄せてくる。キョウキは重い頭を動かさず、ぼんやりと相棒を見つめていた。
 そして目だけを動かしてキョウキの視界に入ったのは、青い領巾を袖に絡めた腕でゼニガメを抱きしめた、今に泣きそうな顔をしたサクヤだった。


  [No.1479] 暮れ泥む空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:32:01   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



暮れ泥む空 上



 ピカチュウを肩に乗せたセッカは、12番道路のフラージュ通りを越え、ヒヨクシティにやってきた。
 ヒヨクは高級リゾートとして有名だ。
 アズール湾に面した港は印象派絵画の発祥の地であり歴史ある商業港だが、現在はクルーズ港として有名である。
 華やかなヨットハーバー、広大なビーチ、丘の上からの優れた見晴らし。ポケモンジムをも擁するこの街は、トレーナー達の富裕層への憧れをかき立てる。
 セッカも目を丸くして巨大なクルーズ船を見物しつつ、港をてくてくと歩いていた。ピカチュウがぴくぴくと耳を動かしながら、空を気にしていた。

 天気はあいにくの曇り、今にも雨が降り出しそうに黒い雲が低く垂れこめている。空は黒い灰色、けれど西日は家々の壁を山吹色に照らしている。雨の中の野宿はさすがに難しいのと、そろそろ日が暮れるのと、二つの理由によってセッカは今日はヒヨクのポケモンセンターに宿泊することを余儀なくされている。
 ヒヨクシティのポケモンセンターに行くには、シーサイド北にある駅からモノレールに乗るなり、自力で丘を越えるなりしてヒルトップへ行かなければならない。
 お香屋の不思議なにおいを嗅ぎ、きのみの屋台から目敏くきのみを数個かすめ取り――もちろんジョウト出身の養親に育てられたセッカにチップを渡すという概念は存在しない――、港に停泊する白い船を横目に見つつ、セッカは北へと向かった。


 広い港の中のとある岸壁に、何やら物寂しそうな男の背中を発見する。
 岸壁に背を丸めて腰かけた男は、暗い雲の西の切れ目から差し込む夕日を見つめていた。
 アズール湾は静かに波立って、遠くラプラスの歌が聞こえる。
 男は静かに囁いた。おーい。
 おーい。
 誰を呼んでいるのだろう、ラプラスだろうか。張りのない声は微かな波の音、風の音にすらかき消されそうだ。胸の奥から誰かを呼び覚ますような声だ。――そのような事を考えつつセッカが静かに男の背後をすり抜けようとすると、不意に男が背後を振り返った。
 セッカは男とばっちり目が合ってしまった。
 すると吃驚した男が岸壁から立ち上がり損ねて、海に落ちた。

「うきゃあああああああ落ちたァァァァァァァァ――!!」
 セッカはほぎゃほぎゃと慌てつつ、海に落ちた男を岸壁に引っ張り上げる。
 髪や髭、着膨れた衣服をぐしょぐしょにした男は、彼を助けた張本人であるセッカに異常なまでの怯えを示した。
「ど、どどどどどどどうもありがとうございます」
「さ、寒いっすか? ふ、フレアドライブお見舞いしましょうか?」
「ひいいいいいいいいいお許しをぉぉぉぉぉぉぉ」
 男の震えは怯えのためだけではない、寒さのせいもあるだろう。そうはいえども男がセッカに異常な怯えを示していることに変わりはない。セッカが何を申し出ても「すみません」「許してください」、これでは埒が明かない。


 セッカが困り果てていると、北のシーサイドステーションから軽い足音が聞こえてきた。
「――あ、セッカじゃん! と、タテシバさん見つけたぁ!」
「ぎゃあ。ルシェドウだぁ!」
 セッカはびっくりしてしまった。肩の上ではピカチュウも警戒している。ポケモン協会の職員はセッカたち四つ子の敵だから、極力会わないようにしなければならないのに、ついうっかり出会ってしまった。
 そのようなセッカの内心の葛藤を知ってか知らずか、鉄紺色の髪のルシェドウは思い切りセッカに飛びついてきた。
「四つ子コンプリィィィィ――ト!!」
「ほげ!?」
「イヤッホウついについにルシェドウさんはすべての四つ子に旅先で巡り会っとぅあ! セッカだセッカだピカチュウちゃんだぁ! 可愛いなぁーよしよーし」
「いたい! いちゃい!」
「びがぁ――!」
 セッカとピカチュウは、ルシェドウの熱烈な抱擁を受けて目を回す。ルシェドウは細身のくせにとても力強い。セッカを窒息させてそのまま捕まえてお持ち帰りする気ではないかとセッカが疑うくらいである。
 しかしはたとセッカは気づいた。何か柔らかい。


 男の茫然としたような呟きが聞こえた。
「……四つ子?」
 セッカはルシェドウの腕の間から何とか顔を出し、男にアピールした。
「いかにも、俺たちは四つ子! くわどらぷれっつなのです! ……ははーん、さてはおっちゃん、れーやかきょっきょかしゃくやにブチ切れられたクチだな!?」
「ふ、フシギダネを連れた奴は……」
「あー、きょっきょね! きょっきょ怖いよね。でもね、きょっきょにキレられる奴って、大概そいつの方が悪いんだよね!」
 セッカはにっこりと笑ってそう言い放ってやった。すると収まっていたはずの男の震えがますます大きくなった。
 ルシェドウが腕の中のセッカの頭をこつんと小突く。
「こりゃ。タテシバさんはきちんと警察に行かれて、ちゃんとお咎めを受けられたの。だからうるさく言わないの」
「うわぁ……あんた、前科持ちかぁ……。え、ってことはつまり、あんたはきょっきょに何かやって、返り討ちに遭ったわけだ! ぶはっ、だっせぇ!」
 セッカは大喜びである。片割れの活躍は嬉しいものだ。
 セッカはもぞもぞとルシェドウの腕から逃れると、ピカチュウを肩に乗せたままぴょこんと跳ねた。
「ルシェドウはタテシバのおっちゃんと用事? 何してんのルシェドウ、榴火のことちゃんとやってるわけ?」
 セッカが釘を刺すと、ルシェドウは小さく首を縮め、タテシバの目が急に細められた。
 その二人をきょろきょろと見比べ、セッカはぴょこぴょこ跳ねる。
「あ、なになに、榴火の話すんの?」
「……ルシェドウとやら、てめえ、このガキゃあいったい何だ」
 タテシバの声が急に低くなった。先ほどまでセッカにびくびくしていた時とは違う、ごく自然な、疑念に満ちた声だった。
 ルシェドウは溜息をついた。
「すみませんタテシバさん。榴火の被害者の子です。会うつもりはなかったけど、偶然会っちゃいました」
「ふん、どうだかな。てめえらの差し金じゃねえのか。この俺に何をさせようってんだ。今さらあいつはどうにもならねえよ」
 そこでさすがにセッカも合点がいった。確か榴火のラストネームはタテシバというのだ。
 男をずびしと指さした。
「あ、あんたもしかして、榴火のパパンかぁ――!!」
「うるせえガキだな。緑のはまだ知的だったぞ」
「このダメオヤジめ! あんたのきょーいくが悪いから、れーやも俺も危ない目に遭ったんだぞう!」
 セッカはぷりぷりと怒り出す。ピカチュウもその肩の上で同調して騒ぎだす。
 するとタテシバはセッカを見下ろしてふんと鼻で笑った。
「あいつぁ俺がどうにかできるガキじゃなかったさ。昔からな」
「せきにんとれ! べんしょーしろ!」
「びぃが! びがぢゅう!」
「タテシバさん、詳しくお聞かせ願えますか」
 真面目な声音で口を挟んだのは、ルシェドウだった。



 セッカとタテシバとルシェドウの三人は、ホテル・ヒヨクのレストランへと移動した。
 タテシバとルシェドウはもともと面談の約束を取り付けてあったらしい。その面談の場がレストランであることを聞き出して、セッカはむりやりそこに割り込んだ。ルシェドウにレストランの美味しい食事を奢らせ、夜はホテルのルシェドウの部屋でもタテシバの家でも、どちらかに潜り込めばいい。宿も食事も、これで確保は完璧だ。
 セッカとピカチュウは本日の旅の成果にほくほくしている。
 レストランは夕暮れの海に面して素晴らしい眺めである。
 セッカはそわそわとナイフとフォークを持ちながら、タテシバを促した。
「早く! 榴火のこと早くしゃべって!」
「うるせえガキだな……」
「まったくもう、きょっきょと違って俺が馬鹿だと気付いた途端にその態度とか、失礼しちゃうわね!」
「てめえ、あの緑のより馬鹿なのか……」
「いいから榴火のことをお話し! でないとピカさんの雷くらわすから!」
 すると、高い椅子に座って三人と同じテーブルについていたピカチュウが、タテシバを見やってにんまりと凶悪に笑んだ。
 にこにことセッカとタテシバを見守っていたルシェドウが、料理が運ばれてきたのを皮切りに、タテシバに話を促す。

「タテシバさん、最近は榴火とは連絡を取り合っていらっしゃいますか?」
「とってねえよ。俺が連絡手段持ってねえから」
「では、事件以降は――」
「無理。あいつは普通に旅してるし、俺はあの女に追い出されるし」
「榴火は事件後も旅を続け、タテシバさんはアワユキさんに家から追い出された、と。……それで榴火との連絡もつかなかったわけですね。お寂しいとかはありませんか、息子さんと連絡が取れないなんて」
「別に。あいつ頭おかしいし。俺もクズ親父だから、関わらん方が互いにいいんじゃねえの」
 タテシバは淡々と、豪勢な夕食にありついていた。セッカも同様である。まさかルシェドウのポケットマネーではないだろう、ちょっと話を聞くだけでこれほどにも豪華なレストランを使うのだからポケモン協会はリッチもいいところである。
「では、事件前は榴火との仲はいかがでしたか?」
「知らん。あいつも俺もどっちも旅してたしよ、たまのレンリでも滅多に会わんかった」
「当時のご自宅はレンリタウンでしたね。榴火が旅に出る前は、どのようでした?」
「覚えてねえよ。あいつレンリに置いて、俺は旅してたしよ」
「何それ、榴火の事ほったらかしにしてたわけ? ひっでえ! 親の風上にも置けねえな! 親の顔が見てみてぇわ!」
 セッカが口を挟んでぷぎゃぷぎゃと怒ると、ピカチュウも小さな掌でテーブルを叩いて怒り出す。
 ルシェドウはろくに食事もせずに、考え考え質問を続ける。
「タテシバさんはいつから、レンリタウンに家を?」
「最初の家内がレンリだったから、そっちに家建てた。榴火んことは家内に任せてたが、気付いたら家内が消えてたから失踪届出して婚姻解消。次の家内もそこに住まわせてた」
「ねえ、消えたって何!? 消えたって何なの!!?」
「うるせえぞガキ。……最初の家内は消えた。家内の実家にもいなかった。トレーナーじゃなかったから急に旅なんざ考えられねえ、他の男に連れてかれたか。……そんときゃ榴火も三つか四つか、まださすがに何もできねえだろ」
 タテシバはこともなげにそう言う。
「んで、まあそのあと割とすぐにアワユキとの間に梨雪が生まれて……アワユキと梨雪と榴火は、レンリで暮らさしてた」
「アワユキさんや梨雪さんは、榴火とは仲が良かったですか?」
「知らん。全然興味なかった。普通じゃねえの」
「アワユキさんはトレーナーでしたよね。彼女はタテシバさんと結婚なさってからは、旅はされてなかったんですか?」
「それも知らねえ」

 セッカはマイお箸で人参をつまみながら、ルシェドウとタテシバの問答に耳を傾けていた。
 タテシバは息子の榴火に対して、関心がなかったようだ。すべて前妻や後妻に任せっぱなし。自分はただ気の向くままに、ポケモンを連れて旅をしていた。
 しかしタテシバの気性も、なんだかセッカには親しみがあった。家庭には争いがある。毎日同じ人間と顔を突き合わせなければならない。四つ子は養親のウズを敵に設定することによって四人の間の結束を保っていたが、タテシバもそのように家庭の外に逃れることによって妻や子供と衝突しないようにしていたのかもしれない。
 榴火は、継母のアワユキと異母妹の梨雪と共にレンリで過ごした。その間の様子は全く分からない。タテシバはこんな様子であるし、アワユキも梨雪ももうこの世にはない。
 しかしセッカが安易に想像するに、榴火は寂しかったのではないだろうか。それがなぜ妹や人々を傷つける結果に至ったのかは想像もつかなかったが。そしてセッカが榴火に同情を注ぐ理由にもならなかったのだが。
 ディナーが一通り終わり、食器が片づけられてデザートを待つという段になり、ルシェドウはさらに話を核心に近づけた。
「じゃあ、事件の直近の榴火についてお話を伺いましょうか」


 ルシェドウは事件の際、榴火を弁護した。その時はタテシバと話をすることはなかった。タテシバも、ミホやアワユキらと同様に、榴火の処罰を強く求めているものとルシェドウが早合点したためだ。会ったところで殴りかかられるものとてっきり思っていた。けれど榴火の弁護士が証人としたのがタテシバであり、裁判当時になってルシェドウは度肝を抜かれたのである。
 タテシバは子供に特別な愛情を注ぐことはなかった。我が子に対しても客観的だった。そして彼は現代のトレーナーだった。アブソルに災害が伴いがちであることを理解していた。アブソルのトレーナーばかりが糾弾されるのをよしとしなかった。
「お母さまや奥さまとは軋轢があったでしょうに」
 ルシェドウが溜息をつく。
「実際、お袋には離縁され、アワユキとは離婚したがな」
「そうまでしてタテシバさんは榴火を守ろうとなさったのですね?」
「いや、なんか弁護士から金貰えるってんで、そう言っただけだ」
 そのタテシバの身も蓋も無い返答にセッカは崩れ落ちた。
「すげぇ。やべぇ。見習いたい、この悟りを開いたが如き人嫌いの境地」
「こらセッカ、タテシバさんの前で失礼だけど、不健全だよ。セッカはウズさんたちを大切にしなさいよ」
「へいへい。あ、じゃあ榴火のばーちゃんやかーちゃんは、榴火のこと罰してほしかったんだ」
 そこでセッカは閃いてしまった。
「あ、分かった! アワユキはさ、榴火のことはほったらかしにして梨雪のことばっかり可愛がってたんだよ! だから榴火は梨雪に嫉妬して、殺しちゃったんだ!」
「ちょっとセッカ、声を小さくして」
 ルシェドウに窘められ、セッカはこそこそと囁く。
「榴火はきっと、継母のアワユキの気を引きたかったんだ。アワユキの可愛がってる梨雪を殺せば、アワユキに愛されるにせよ憎まれるにせよ、榴火はアワユキに認識されることになる。なんか、好きな子を虐めたくなるっつー心理じゃん?」
 セッカは一人で頷いた。
 榴火はアワユキに愛されたかったのだ。
 愛されないまでも、自分を見てほしかったのだ。認識してほしかったのだ。アワユキにとっての何者かになりたかったのだ。
 もしかしたら母親として慕っていたのではないのかもしれない。遠い昔にウズから聞いた、源氏物語の主人公だって、父帝の後妻に恋心を抱いたではないか、きっとあれと同じ心理だとセッカは納得してしまう。
 だからアワユキを自殺に追い込んだ直接の原因であるサクヤやレイアを、榴火は恨んだ。
 セッカはとりあえずそういう事にしておいた。


 ルシェドウはうんうんと頷いて、何やら考え込んでしまった。一人だけ夕食がほとんど進んでいないので、セッカは横から箸を伸ばしてルシェドウの皿から人参をかすめ取った。
 塩胡椒で味付けされた茹で人参をもぐもぐしながら、セッカは勝手にタテシバに質問をし続ける。
「じゃあさ、なんであんたはクノエのポケセンに溜まってたわけ?」
 その質問をすると、タテシバはぎくりと身を竦ませた。
「……お、おま、緑のから聞いたんか」
「うん。きょっきょから泥棒したのって、あんたでしょ。なんでそんなことしたの? レンリに家があるんだろ? っつーか、トレーナーとして旅してたんなら、バトルで真面目に金稼げって話」
 タテシバは背を丸め、恨めし気にセッカを睨んだ。なかなか迫力のある視線にセッカはどぎまぎした。
「……っせぇよ。てめえみてえなガキにゃ関係ねえだろうが」
「関係なくはないし。きょっきょは俺の片割れだもん。それに、俺だってバトルで勝てなくなったら、ポケセンで乞食になるしかない。俺はそうなりたくない。だから、なんであんたがそうなったのかを知っておきたい、参考までに」
「乞食とか、失礼すぎるぞガキが……」
 セッカが質問の意図を述べている間に、タテシバも思考をまとめたらしい。セッカの求めに応じて話し出した。
「……レンリの土地と家は、アワユキと離婚するときにくれてやった。あの女、榴火を俺に押し付けるだけ押し付けといて、当時の俺の全財産をかすめ取りやがった……」
「すげぇ。じゃ、あんたが榴火を育てなきゃ駄目だったんじゃん?」
「……んなわけねえだろ。当時は榴火も十過ぎて成人だ。戸籍上榴火が俺んとこにいるってだけだよ」
「よくわかんない。じゃあおっさんは榴火の事件のあとも、普通にトレーナーとして旅してたんだ?」
「……そうだよ。だが七つ目のバッジがどうしても取れん。とうとう金が底を尽いた。その時たまたまいたのがクノエだった。……そんだけだよ。バトルで勝てなきゃ死ぬだけだ。そんで盗みとかも働いて、ブタ箱行きよ。てめえもせいぜい気ぃつけな」
「あい!」
 セッカは素直にこくりと頷いておきながら、直後にぐりんと首を傾げた。
「……おっさん、スランプになっちゃったってこと?」
「スランプっつーか、俺はもう駄目だわ」
「……駄目になった?」
「あー駄目駄目、これ以上は酒持ってきやがれ。酒が無くて話せるかぁこんなもん」
「……つまりタテシバのおっさんは、榴火や梨雪やアワユキがあんなことになって、ショック受けてんだな?」
 セッカは勝手に納得してしまった。

 するとタテシバが急にフォークを掴み、セッカに投げつけてきた。セッカはぴゃああと悲鳴を上げ、音を立てて立ち上がる。周囲の客からも小さな悲鳴が上がり、白けた視線がそのテーブルに注がれた。
「ぎゃああ――! ごめん! ごめんて! でも図星なんだぁ!」
「……ぅぅうっせぇんだよこのガキが!! 調子乗んなや! 何も知らねぇくせに知ったような口きいてんじゃねぇよ!!」
「タ、タテシバさん、落ち着いてください」
 そこにそれまで沈黙していたルシェドウが慌てて割り込む。
 タテシバは急激に興奮した様子でナイフを逆手に持ち、ぽかんとしているセッカに今にも組みつきそうな様子である。ルシェドウがタテシバを慌てて押さえる。
「タテシバさん、どうしたんですかっ」
「うっせぇこの糞野郎! 何だこのクソガキは! 聞いてねぇぞ! ぶっ殺してやる!」
「……あ、分かっちゃった」
 セッカはピカチュウをそっと抱きしめながら、怒り狂うタテシバを見つめ、ぼそりとひとりごちた。
 ――榴火の凶暴性は父親譲りだ。


  [No.1480] 暮れ泥む空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:33:40   35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



暮れ泥む空 中



 タテシバを何とか宥めて、ホテル・ヒヨクから追い出す。
 それからルシェドウは、ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴいぴいと騒ぐのにも構わず、ホテル・ヒヨクのルシェドウの部屋までセッカを引っ張っていった。
 その間セッカやピカチュウが騒いでも、ルシェドウは無言だった。ホテル内では静かにとさえ注意せず、やがてセッカは自発的に黙り込んだ。
 セッカの手首を掴む、ルシェドウの手の力がかなり強い。手首に固く食い込んで痛い。

 部屋に辿り着くと、ルシェドウはセッカをベッドの上に座らせた。
 セッカは葡萄茶の旅衣をかなぐり捨てると、やや体を小さくしつつピカチュウを膝の上に乗せ、そっと両腕で抱え込む。シングルルームに連れ込まれて、一体何をされるか分かったものではない。
 ルシェドウは照明をいくつか点けると、自身は鏡台の前の椅子に横向きに座った。
 そのまま二人はしばらく無言だった。


 セッカはどぎまぎしつつ、考える。――ルシェドウは怒っているのだろうか?
 セッカが何も考えずに勝手にタテシバに質問をし、タテシバに無礼なことを言って彼を怒らせてしまった。そのせいでルシェドウは知りたいことが分からなかったのかもしれない。それでルシェドウは怒っているのかもしれない。
 だからといって、ホテルの部屋に連れ込んで黙り込むものだろうか?
 ルシェドウの意図が読めない。
 外では雨が降り出したらしい。闇の落ちたヒヨクの街は明るい室内からは望めないが、窓ガラスを雨滴が打つ。
 セッカの心臓はずっとドキドキしていたが、長い沈黙にようやく飽きてきた。気まずく辺りを見回しつつ、ルシェドウを見つめている。
 ルシェドウは真面目な顔をして、固まっていた。
 セッカのピカチュウが手を振ってみている。しかし無反応である。ルシェドウは機嫌が悪くなると黙り込んで動かなくなるタイプなのかもしれない、とセッカは思った。四つ子も十歳になる前はよくそうなっていたからよく分かる。
 そしてようやく、ルシェドウが口を開いた。

「……お前さ、馬鹿なの?」
「知ってるぜー」
 セッカは軽い調子で応じた。馬鹿の定義は曖昧だが、長年片割れたちや幼馴染や養親から馬鹿だ馬鹿だと言われてきたのだから、セッカは馬鹿なはずである。
 ルシェドウは不機嫌にセッカを睨む。
「ほんと、邪魔なんだけど。なんでロフェッカの言う通りおとなしくしてないの。なんで俺の邪魔をするの? なんで?」
 セッカは黙って、鉄紺色の髪のポケモン協会職員を見上げていた。
 やや激しい口調で詰られる。
「今日の話で分かったでしょ? 榴火はかわいそうなんだ。お前ら四つ子なんかよりずっと。だから俺は榴火を助けてあげなくちゃなんないんだ。分かるだろ? だったら、俺の邪魔をしないでよ」
「俺らはあんたの邪魔をしたいわけじゃない」
 セッカも真面目な顔をしてルシェドウに応えてやった。
「確かに俺ら四つ子が歩きまわってると、あんたにとっては邪魔だろう。でも、俺ら四つ子を閉じ込めておくことによって最も大きな利益を得るのは、あんたや榴火じゃない。――ポケモン協会や、与党政府や、フレア団だ」
 ルシェドウは顔を歪めたまま、内心では度肝を抜かれたように、黙り込む。
 セッカをただの馬鹿だと侮るからこうなるのだ。セッカは打算的に冷淡な声を出した。
「俺たちはこれ以上自由を奪われたくはない。だから、自衛する。榴火から、フレア団から、ポケモン協会から、与党政府から、自力で身を守る。そのために情報を集める。それが俺のしたいことだ」
「…………何それ。…………何だよそれ」
「俺のやってることはおかしい? どうして? あんたに俺を止める権利があるの?」
「あるさ。俺は協会の人間なんだから」
 ルシェドウは目を見開いてセッカを見据えた。そして吐き捨てる。
「公務執行妨害で訴えてやる。トレーナー資格を剥奪し、カロスだろうがジョウトだろうが、どこでだってトレーナーとして生きられないようになるぞ」
「なら俺は、あんたに無理矢理ホテルに連れ込まれたって騒ぐ。ルシェドウは公務をサボって、若いいたいけなトレーナーをこんな風に脅して悪戯しましたって、泣きながら訴える」
 セッカは無表情で言い放った。自分よりもルシェドウの方が動揺し、感情的になっているのが手に取るように分かる。
 ルシェドウが顔を歪めて笑う。
「裁判になりさえすればこっちのもんだ。ポケモン協会側が勝つに決まっている。そうしたらどのみち、お前ら四つ子は終わりなんだ。だからここで大人しく言うことを聞け」
「ふうん。それがあんたの本性なんだ?」
 セッカは話をすり替えた。冷静にルシェドウを責める。
「レイアの友達だ、俺たち四つ子のことが好きだと言っておいて、都合が悪くなれば邪魔だと切り捨てる。それがあんたなんだ。あんたは俺たちを裏切った」
「違う!」
 その唾さえ飛ばしそうな勢いに、セッカは眉を上げてみせる。
「俺はお前ら四つ子も、榴火も守ろうとして、これしか手がないから! お前らのためだよ! ――分かるだろ! なぜ分からない!!」
「叫んで、脅して。あんたはそうやって子供っぽく駄々をこねて、我儘を通す」
「我儘とかじゃねぇよ! 仕事なんだよ! なあ俺だって辛いんだよ。こんなのもう終わりにしたいよ。だから、せめてお前らだけは、俺のこと考えてくれたっていいじゃないか……!」
「それは俺らの自由を奪う理由にはならないし、そんな意識で動いているルシェドウには榴火を助けることなんてできないとも思う」


 ルシェドウは取り乱し、肩で息をし、目元すら赤くして、食い殺さんばかりの勢いでセッカを睨んできていた。
 セッカはこの人物がここまで感情を吐露するのを初めて目の当たりにして、やや感動した。それほどまでの深い人間関係にあったことをルシェドウが突きつけてくれたからだ。
 ただのレイアの友人だと思っていた。興味本位で四つ子に構っているのだと思っていた。
 しかしどうやらこの協会職員は、本気でセッカたち四つ子に愛着を抱いてくれているらしい。そのことには敬意を表する。
 ルシェドウが話していることに嘘はないだろう。
 そう判断した。

 セッカは微笑んで立ち上がり、片手でピカチュウを抱きかかえ、もう一方の手で優しくルシェドウの肩に触れた。
「…………じゃ、俺から提案。すべて任せてくれ」
「何言ってんの、お前…………」
「ルシェドウは榴火を追う仕事をしつつ、榴火のことは俺らに任せてくれればいいんだよ。俺らが榴火を何とかするよ」
 先ほどまでの冷淡な声とは打って変わって、セッカは次は甘く優しい声で囁きかける。
「あんただって、榴火を追うのは怖いだろ。あんた自身も榴火に殺されかけたんだもんな。榴火のことは、任せてくれていいんだ。……忘れてしまえばいい」
「……えっと、セッカ……何言ってんのお前…………」
 ルシェドウはぽかんとしていた。
 その肩をセッカは抱きしめた。慈愛と憐憫と打算を込めて。
「榴火はかわいそう。ルシェドウもかわいそう。いい子だね。……だから俺がお前らを、助けてあげる」
 抱きしめるようにして、職員を椅子から立ち上がらせた。ベッドの方へと押しやる。
 ピカチュウがぴょこんとセッカの肩から飛び降りる。セッカが笑顔で見やると、ピカチュウはへっと笑っててちてちと歩いていき、そのあたりに転がっていた自分のモンスターボールに自発的に入った。




 翌朝には雨は上がった。
 港の波はやや高かったが、濡れた地面は陽光に煌めいて眩しい。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカは、ヒヨクシティのシーサイドステーションからモノレールに乗った。
 生まれての初めてのモノレールである。座席に後ろ向きになり窓に張り付いて、流れる景色をまじまじと見つめる。
「ピカさん、すごいなー。速いなー」
「ぴかぁー、ぴかぴーか」
「れーややきょっきょやしゃくやは、モノレールに乗ったことあんのかなー」
「ぴかちゃ?」
「うんうん、俺も色々な経験をしておりますねぇ」
「ぴーか、ぴかちゅ」
「にしてもやっぱルシェドウって女だったんだな。ま、どっちでもいいけど」
「ぴぃかー?」
 セッカは座席にまっすぐ座ると、ピカチュウを膝の上に乗せて全身をもふもふした。ときどき静電気がばちりと走るが、セッカにはその感触がたまらなく心地よい。
「ピカさんは好きな子とかいねーの?」
「ぴかぁ? ぴかぴか?」
「あーそっか、みんな軟弱者だもんな。ピカさんに釣り合うようなレディはなかなかいないかー」
「ぴーか」
「……ピカさんたちの幸せって、やっぱ結婚して子供を持つことなんかな。そりゃそうか、何のためにバトルで強くなってるのかって、そりゃ子孫を残すためだもんな」
「ぴかちゅ?」
 ピカチュウは首を傾げている。セッカは愛撫の手を止めてピカチュウを抱き上げ、毛並みに顔を埋めて目を閉じる。
「結婚かぁー……将来かぁー……めんどくさいなぁー……っつーかそんなこと考えてる場合かってーの」
「ぴーか、ぴかちゅ、ぴかぴかぴ!」
「いや、俺は好きな人とかいませんよ。遊び相手なら老若男女腐るほどいるけど……」
「びがぁー」
「だから、ピカさんも遊びたきゃ遊んでいいのよ。アギトも、ユアマジェスティちゃんも、デストラップちゃんも。瑪瑙と翡翠にはまだ早いかもな。でも、本当に好きな相手を見つけたら……好きなように生きていいから……」
 自分で言っておきながら、セッカは切なくなった。
 手持ちのポケモンたちにも、それぞれの意志や生き方があるのだ。トレーナーであるセッカにも手持ちのポケモンの自由を奪うことはできない――とセッカは思っている。自分が自由に生きたいと願うなら、なおさら。


 セッカが顔を上げると、正面の席の愛想のいい老年の男性が、目を細めてセッカを見つめていることに気付いた。セッカはぎくりとした。
「……な、ななな何すか」
「いやぁ、すまんね。つい話が聞こえてしまったものだから。ポケモン自身の生き方を尊重する姿勢、実に素晴らしいよ」
 それは緑のハンチング帽をかぶり、腰から提げたケースに大ぶりな鋏を収めた、いかにも優しそうな風貌の小柄な老人である。モノレールの中で大きな鋏を所持していることにセッカはぎょっとしつつも、へこへこして愛想笑いを浮かべた。
「い……いやー……どもー……爺さん、誰……」
「ああ、自己紹介が遅れたね。私はヒヨクシティジムリーダーのフクジという。君はもしかして、四つ子さんの最後のお一人かね」
 セッカは表情を輝かせた。セッカが四つ子の片割れであることを知っているなら、この人物は間違いなくジムリーダーである。
「そうっす! セッカっていいます! わーいすごい、よく分かりましたね!」
「お着物がお揃いだからね、顔かたちも本当によく似ている。……セッカ君か、よろしく。ピカチュウもよろしくな」
「ぴぃか、ぴかちゅ」
「うんうん、よく育てられてるじゃないか。ジム戦に来たのかね?」
 セッカはモノレールの通路を挟んで反対側でふるふると首を振った。
「違うっす。ミアレに行こうとしてて」
「急ぎじゃなかったら、よかったらジムに寄っていかないかね? ジョウト地方のエンジュまで出かけて直に仕入れた茶葉がある。ご馳走しよう」
「エンジュのお茶!?」
 セッカは途端にご機嫌になった。エンジュの茶ということは、緑茶だ。緑茶などウズの家でしか飲めない。セッカは紅茶も好きだが、やはり緑茶も大好きだった。ついでにジムリーダーと親しくなっておこうとの打算も胸の隅で働くが、道化のセッカはもちろん純粋無垢なお茶好きのお馬鹿になっている。
 モノレールがヒルトップステーションに滑り込む。
 そうしてピカチュウを肩に乗せたセッカは、柔和な笑顔が素敵なフクジと連れ立って、丘の上のヒヨクジムへと向かった。


  [No.1481] 暮れ泥む空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:36:03   26clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



暮れ泥む空 下



 駅を出て、丘を登っていく。
 丘の中腹に巨大な洞窟があり、それがヒヨクジムとなっているのだ。
 セッカはジムリーダー直々の案内で、草木のアスレチックに囲まれた書斎へと入っていった。
 フクジは自ら、大きな木のテーブルの上にお茶の用意をする。セッカもやかんに水を入れて湯を沸かすのだけ手伝い、あとは切り株の椅子に座って、フクジが慣れた手つきで緑茶を淹れるのをピカチュウと共にまじまじと見つめていた。
 フクジは背こそやや曲がっているが、鋏も服装も髭も洒落ており、何より絶やさぬ柔和な笑顔に癒される。セッカもつられていつの間にかほわんとした笑顔になる。素敵なご老人だ。
 香り高い緑茶が、これまた風流な湯呑に注がれ、きちんと茶托に乗せられて供される。セッカは緑茶の馥郁たる香りにすっかりほだされてしまった。
「わあい、みど茶だ、緑茶だ……しゅごい、いいかほり……フクジさん大好き……」
「はは、ありがとう。気に入ってもらえて嬉しいね」
「はあ……ウズのお茶の香り……ううんそれ以上っす……うひゃあ何これ……最高の緑茶……もう大好き……!」
 カロス地方で、ウズの家以外で、これほど良い香りの緑茶に出会えるとは思えなかった。これからはフクジのいるこのジムに入り浸ろうとセッカは思った。


 周囲は本棚、そして森のにおい。洞窟は吹き抜けになっているらしく朝の光が上方から零れて、爽やかな風が吹き抜け、緑が香り立つ。
 熱い緑茶を一口啜ると、フクジがゆったりとした口調で話を切り出した。
「どうだいセッカ君、なにか悩みはないかね?」
「えっ」
 ピカチュウを膝の上に乗せたセッカはこてんと首を傾げる。直近の最大の出来事といえば昨晩のことがあるのだが、それはこのような素敵な老人に強いて話して聞かせるようなものでもない。
 セッカは軽く俯いて悩み、そろそろと口を開いた。
「……あの、フクジさんは、榴火ってトレーナー、ご存知っすか?」
「榴火?」
 フクジは目を細めたまま僅かに顎を上げる。セッカも思わず少し身を乗り出し、膝の上のピカチュウの頭を木のテーブルにぶつけてしまった。
「知ってるんすか! ……あ、ごめんピカさん」
「びがぢゅ!」
「ああ。赤髪のホープトレーナーだろう? 榴火は新人トレーナーの頃、このヒヨクジムで修業していたからね。彼のことは知っているよ」
 フクジは笑顔で懐かしそうに頷いている。セッカはいい感触に思わずガッツポーズをした。
「榴火のこと、教えてほしいんすけど!」
「いいけど、これまたなんでだね?」
「えっとですね、榴火とは旅先で出会って、その時から因縁の関係なんすよ! そう、ライバル! なのであいつのこともっと知りたいんすよ!」
 セッカの言ったこともあながち間違ってはいない。フクジも若いトレーナー同士が競い合うという姿勢を好ましく思ったのか、快く榴火の話をしてくれた。


「榴火は、ここに来たときは色違いのアブソルだけを連れたホープトレーナーでね、まあジムトレーナーの中でも珍しい子だよ。なかなか心を開いたバトルが出来なかったが、このジムのアスレチックは楽しんでくれてね。私とのジム戦で勝つころには、随分と自分の心の表現が上手くなっていた……」
「フクジさんのところに来た時には、榴火は既にホープトレーナーだったんすか?」
「そうそう。細かいところによく気の付く子だった……。庭いじりをさせてみたらなかなか筋もいいし、アスレチックもいつも瞬く間に攻略されてね。つまり繊細だけど好奇心旺盛な子なんだよ、彼は」
 フクジはにこにこと思いつくままに語っている。
 セッカは緑茶の香りを楽しみつつ、フクジの柔らかい声に耳を傾けた。
「アブソルは今でも難しい立場のポケモンだねぇ。よく捕まえられたもんだよ、それも色違いを。そうそう、榴火の最初のポケモンはプラターヌ博士から頂いたフォッコだったそうだ。でも、アブソルを捕まえたからフォッコは妹に譲ったのだと言っていたよ」
「え、じゃあ、アブソルだけ捕まえたらフォッコはお役御免ってことっすか!? なにそれひでぇ! 最初のパートナーなのに!」
 セッカにはそのような榴火の行動が理解できなかった。セッカの最初のポケモンであるピカチュウはセッカの一番の仲間であり、レイアにもキョウキにもサクヤにも譲ろうとは絶対に思わない。
 最初のポケモンとは、トレーナーのアイデンティティをも構成するほど大切な存在だ。それを人に譲ってしまうなど、榴火の感覚は普通のトレーナーのそれと相当ずれている。そもそも旅をする上で仲間はとても貴重であり、手放せば大きな不利益を被るはずだった。
「さあ、どうだったのだろう。妹にどうしてもポケモンをあげたくて、でも捕まえられたのがアブソルだけだったのかもしれない。アブソルよりフォッコの方がふさわしいと思って、妹に贈ったのかもしれないだろう?」
 フクジはそう解釈して、かつての弟子を庇った。
「榴火は毎日アスレチックで遊んで、花を育てて……道路に出てポケモンを育てていたかな。ときどき遠出をして、ポケモンを捕まえて、他のジムトレーナー達やこのヒヨクジムに挑戦してくるトレーナーなんかに修業をつけてもらって。普通のトレーナーだったよ」
「――フレア団は?」
 セッカは口を挟んだ。
 フクジは目を細めたまま、僅かに首を傾げただけだった。
「フレア団? あの赤いスーツの人たちのことかな? それと榴火に何か関係があるのかね?」




 日が傾く。
 セッカはヒヨクシティジムの東側の見晴らし台のベンチに座っていた。ピカチュウを膝の上に乗せ、遠くを眺める。
 遥か下方に、ヒヨクシティシーサイドの港や船溜まりが見えた。そのような眺望を求めて、見晴らし台にはいかにも裕福そうな人間が散歩のついでに立ち寄ってくる。
 ヒヨクシティジムリーダーのフクジから話を聞いたあと、セッカはヒヨクジムにいた複数のトレーナーとバトルをして当然のごとく勝利し賞金をむしり取り、昼食はフクジの用意した賄いにありついた。
 バトルを何戦もして、その回復もジム側の用意した傷薬を遠慮なく頂いて、セッカはポケモンセンターには立ち寄らない。どうにもポケモンセンターに行く気になれなかったのだった。ユディからはポケモンセンターによらないトレーナーは悪目立ちすると聞いたけれど、どうにもその方角から腐臭が漂うような錯覚がした。
 レイアかキョウキかサクヤが、ポケモンセンターを嫌悪するような状態に陥ったのかもしれない、とセッカは思った。だからセッカも直感に従ってポケモンセンターには近づかない。片割れの三人に会いたい。けれど、セッカにはやるべきことがある。

 セッカはぼんやりと考える。榴火のことだ。
 結局、榴火がなぜフレア団に入ったのかはフクジの話からは分からなかった。けれどフクジの人柄や話を総合して考えてみれば、想像はついた。
 フクジが榴火に出会った時には、榴火は既にフレア団員だったのだ。
 フクジはのんびりとした老人だが、観察眼は並外れて鋭い――とセッカは今日の面談によって判断した。犯罪組織などに弟子が足を踏み入れれば、フクジはその弟子の生活の変化に必ず気が付くはずなのだ。
 セッカは懐から、赤いホロキャスターを取り出した。12番道路のフラージュ通りでセーラからむしり取った、フレア団専用のホロキャスターだ。これも手早く処分しなくてはならないが、セッカが今考えたいのはその処分方法ではない。

 セッカは覚えている。
 榴火に何度ホロキャスターを与えてもその都度榴火が壊してしまうから困っているのだ、と発言した人物がいた。
 その人物は実際にフレア団員の姉であったし、また榴火をホープトレーナーに推薦するなどして榴火を貧しいトレーナーの中から掬い上げた人物でもあった。
 そう思考を繋げていくと、思い当たる節はいくつもある。
 おそらくローザは、榴火をホープトレーナーに推薦するかわりに、榴火をフレア団に引き込んだのだ。

 榴火はレンリタウンの実家では継母と異母妹に囲まれて肩身が狭いから、旅に出たのだろう。けれどトレーナーの一人旅の辛さは、セッカも身をもって知っている。豊かな援助を受けられるホープトレーナーをセッカは羨んだし、それは榴火も同じだったはず。ホープトレーナーとなる代わり、榴火はフレア団の手先として働く。
 榴火はフレア団として、何をするのだろう。
 セッカにはフレア団の活動内容など分からない。反ポケモン派やポケモン愛護派といった、与党政府やポケモン協会やフレア団にとって鬱陶しい存在を、闇に葬ることか。
 暗殺。
 その行為は、アブソルを連れた榴火にはうってつけの仕事のように思われた。アブソルは自然災害を感知する。その災害に巻き込んで殺せば、“アブソルが殺した”ことにならないし、そのトレーナーである榴火も殺人罪には問われない。実際に数年前の裁判でモチヅキがそう判断したように。
 では、榴火は、妹の梨雪を、フレア団の仕事の一環で殺したのだろうか?
 榴火は、セッカたち四つ子を、フレア団の仕事の一環で殺そうとするのだろうか?
 違うのではないか。それはやはり榴火の私怨によるものにセッカには思われる。

 セッカが思うに、榴火の心の中には、フクジの淹れた茶やジムのアスレチックや庭いじりによっても癒しきれなかった、深い傷があるのだ。それが膿んで毒を吹き出し、榴火の心を蝕み、周囲を汚染していく。周りの人間を不幸にしないではいられないのだ。
 おそらくルシェドウもその榴火の心の傷を悟って、それを癒そうと奮闘しているのだ。けれど、四つ子がいると、榴火を刺激する。だから四つ子はルシェドウにとって邪魔な存在だ。榴火の目に触れないところでおとなしくしていろと、そう四つ子に求めた。
 そうはいっても、はいそうですかとおとなしく引きこもるわけにはいかない。
 確かにルシェドウは榴火のことを第一に考えているかもしれない。百歩譲って、ロフェッカもそうだと見做してもいい。
 けれど――四つ子から自由を奪うことによって、最も利益を得るのは榴火ではなく、腐敗した与党政府とポケモン協会とフレア団なのだ。
 それは不当だとセッカも、レイアもキョウキもサクヤも思っている。だから抗う。
 与党政府とポケモン協会とフレア団は、榴火を利用して、四つ子を弾圧している。

 けれどやっぱり、四人は腐敗を弾圧するよりも、これ以上自由を奪われることの方に反発を覚える。
 この腐敗した国を、協会を、犯罪組織を破壊しようとは思わない。腐敗をぶち壊す、という主張は聞こえがよくて、うまく声を上げればカロスの人々は賛同してくれるだろう。大衆を扇動し、過激な意見を主張し、制度を破壊する。そうできたらどんなにか楽だろう。楽しいだろう。
 けれどセッカには、四つ子には、そこまでの危険な意欲は無かった。
 放っておいても、そのようなポピュリズム的な政治活動は、誰か他の若い世代の人間がやる。
 四つ子はポケモンバトルしかできない。ポケモンを使って暴れたところで、テロリスト扱いされるだけだ。この表向き言論の支配する世界では、武力だけでは人々の心は付いて来ない。
 四つ子にできるのは、せいぜい自衛だけなのだ。
 だから榴火を知り、榴火に備える。
 フレア団やポケモン協会や与党政府を知り、不当に利用されないように備える。
 それくらいしかできない。


 セッカは膝の上のピカチュウの耳の後ろを掻いた。ピカチュウが気持ちよさそうに喉を鳴らし、セッカの頬を摺り寄せる。セッカの表情がだらしなく緩む。
「ピカさん、俺ら、榴火に何もしてやれないな」
「ぴかぁ?」
「だって、アワユキは自殺だったんだろ。なら、れーややしゃくやが悪いわけじゃないもんな。榴火が勝手に……れーややモチヅキさんやしゃくややルシェドウが、アワユキを追い詰めたと……思ってるだけなんだろ……」
 ピカチュウは途中までは神妙にセッカの話を聞いていたが、どうでもよくなったらしく、セッカの手に頬をこすりつけていた。
「でも……ほんとに榴火は、アワユキさんの敵討ちをするために、俺ら四人を狙ってんのかな。……あいつって、敵討ちとかするような情に篤い人間だろうか」
 セッカは一人で首を傾げている。
 燃え盛るクノエの図書館の中で榴火に会ったとき、セッカが四つ子の片割れであることに気付いた榴火は、どことなくアワユキの死を揶揄していたような印象がある。その時は非常事態だったからセッカの記憶もかなりあやふやになっているが、ほんの短時間の接触からも榴火の性格の悪さはセッカにも分かった。
 どうも榴火がアワユキの敵討ちをしそうには思えない。
 そのような情熱もなさそうだ。もし何としても四つ子に復讐しようとするなら、ハクダンシティでレイアとセッカに出会った時、アブソルをけしかけさえすればよかったのだ。なのに榴火はそうしなかった。
「敵討ちじゃなくて、ただの遊びで俺ら四つ子を追い回してるのかもしれない。……もし、そうなら……かなり厄介だよな。もう牢屋にぶち込むしかないんじゃねぇの」
 セッカはそう結論付けた。


 思考をまとめると、セッカはベンチから立ち上がった。ピカチュウが膝からぴょんとベンチに飛び降りる。
 太陽は西の丘の向こうに消え、空を彩る。
 全速力で駆ければ、日没までには次の街に辿り着く。
 セッカは周囲に人のないことを確認すると、モンスターボールからガブリアスを繰り出した。
「アギト、東南東へ。13番道路のミアレの荒野――って俺とお前が出会った場所だな。懐かしい」
 言いつつセッカはピカチュウを肩に乗せ、ガブリアスの肩によじ登る。襟巻のような形状の鞍に腰を下ろしてガブリアスに肩車をさせ、その頭にしがみついた。
「ミアレシティへ頼む。人をはねないようにな」
 ガブリアスは一声唸ると、ゆっくりと駆け出した。高級住宅地を数歩で駆け抜け、半ば飛ぶように、ヒヨクシティのゲートすら飛び越えた。
 その先に見えるのは、赤茶色の荒野だ。
 ミアレの荒野には発電施設が立ち並ぶ。宇宙太陽光発電など言われてもセッカには何のことだかわからないが、確かに13番道路はカロス地方を支える大事な施設を擁する道路だった。
 ガブリアスはダグトリオやナックラーの作る蟻地獄を飛び越えて器用に避けながら、東南東を目指した。暗い東の地平線の向こうに、既に眩く輝くメトロポリスが見える。


  [No.1482] 玉兎の空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:38:09   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



玉兎の空 上



「ひどい顔」
 固いベッドの上で目を覚ましたキョウキは、開口一番そう呟いた。
「……鏡見ろよ」
 同じベッドの縁に腰かけたサクヤは、ゼニガメを強く強く抱きしめて、強がった。
 サクヤの腕に締め付けられているのは甲羅なので、ゼニガメにダメージはない。ゼニガメは落ち着かなげに主を見上げてもぞもぞと手足をばたつかせている。
 フシギダネは一言も発さず、愛しむように、横たわるキョウキのこめかみに鼻先を寄せている。

 彼らを照らすのはシンプルなシャンデリアに灯された、蝋燭の橙色の灯。
 それが石のむき出しの客間を照らしているのだった。部屋の隅はさざめく闇になっている。
 時は夜。
 ここはコボクタウン、ショボンヌ城の客間だった。カビゴンの群れの侵攻によって家を壊された者たちのために、気の優しい城主が館を開放しているのだ。先ほどまで気を失っていたキョウキもまたショボンヌ城に運び込まれ、寝かされていた。
 キョウキは横になったまま、そっと腕を持ち上げる。
 サクヤがその手を取り、どこか顔色の悪い片割れに囁きかけた。
「……具合は」
「悪くはないよ。安心してくれていい」
「……話はモチヅキ様や、あのポケモン協会職員から聞いた。二人は警察と話をしている」
「ミホさんとリセちゃんは?」
「……マフォクシーと共にポケモンセンターだ」
「じゃあ、まだ今日のことなんだ」
「……そうだ。……カビゴンが来たのは今日の昼のことだ」
 キョウキはゆっくりと瞬きした。のろのろと上体を起こし、枕で腰を支える。頬を寄せてきたフシギダネを優しく撫でた。
「ふしやまさん、心配かけたね」
「だぁーね……」
「……お前が奴に首を絞められた時、ふしやまは咄嗟に眠り粉で奴を止めようとしたらしい。が、飛び出してきた奴のアブソルの起こした風で眠り粉も吹き飛ばされて……」
 サクヤがそう説明する。奴、というのは榴火のことだろう。
 フシギダネが申し訳なさそうにキョウキの掌に額を押し付ける。キョウキはつい愛おしくなってフシギダネを両手で抱き上げた。
「ありがとう。守ろうとしてくれたんだ。……でも、それじゃあ僕はどうして殺されずに済んだのかな」
「……ミホさんのマフォクシーが飛び出して、榴火をお前から引き離したんだ。そのまま奴はアブソルの背に乗って西へ逃げた」
 キョウキはフシギダネを抱きしめたまま俯いていた。緑の被衣は枕元に畳んで置いてある。襟足から、その首についた生々しい鬱血跡がサクヤの目にもとまった。
 サクヤの視線に気づくと、キョウキは軽く肩を竦めてみせる。
「警察は、榴火を捕まえるかな?」
「……コボクの警察が、奴を西へ追ったようだ。ポケモン協会の連中もここに集まってきている……僕らはここでおとなしくしているべきだ。モチヅキ様がなんとかしてくださる」
「ふふ、狙い通りだな。褒めてよ」
 キョウキは不敵に微笑んでいた。
 その手を握っていたサクヤは顔を顰めた。
「……まさかお前、榴火に罪を着せるため……危険と知っていて、わざと…………!」
「いやあ、成り行きだよ。僕もまさか榴火がここに来るなんて思わなかったし、ミホさんのマフォクシーが榴火に突っかかっていくなんて思わなかったし、都合よくコボク警察が周囲にいてくれてるなんて思わなかったさ」
「……さっき“狙い通りだ”とか言わなかったか」
「なんにせよ、これで警察が榴火を狙ってくれれば、フレア団もポケモン協会もさらに動きづらくなる。モチヅキさんのことだ、僕が首絞められてるとこ、動画に撮ってくれてただろう。警察も目撃者だ。――今度こそ、榴火は無罪、とはいかないさ」
 そう囁くと、キョウキはサクヤの手を自分の頬に押し付けた。
「榴火を捕まえて、証拠隠滅されずに、裁判さえ始まれば、だけどね……」
 キョウキは目を閉じる。その肩が僅かに、本当に僅かに震えている。サクヤはその肩に腕を回してやった。
「……お前はよくやった、とでも労ってもらいたかったか? 違うだろう、結果的に事が多少有利に運んだだけだ。お前は榴火に殺されるところだった」
「それならそれでいいじゃない。榴火は紛れもない殺人犯だ、トレーナー資格剥奪に刑事罰」
「そんなことになったらお終いだ!」
「ごめんね、サクヤ。とても怖かったよ」
 素直に謝罪する。
 ゼニガメはぴょんとベッドの上に飛び降りて、フシギダネとおとなしくじゃれ合い始めた。主人たちに遠慮はしつつも、無事に再会できたことをようやく喜び合う。
 二人もそれを見つめていた。


 しばらくして、キョウキが再び口を開く。その声はもう震えてはおらず、すっかりいつもの調子である。
「これで榴火を追い落とせる。あとは詰将棋だ」
「……榴火ばかりに気を取られていては、足元をすくわれる。フレア団やポケモン協会への警戒は怠れない」
「ああ、分かってるよ。……ねえサクヤ、レイアとセッカの居場所は分かる?」
 キョウキはサクヤに腕を回されたまま、その耳元で囁く。
 サクヤも囁き返す。
「ニャオニクスの力で、お前らの居場所は常に把握し続けていた。今はレイアはコウジン、セッカはミアレだ」
「なら、二人がすぐに榴火と接触する危険は少ないかな。ところでサクヤは、レイアに起きたことを知ってる?」
「……モチヅキ様から、簡潔には」
「そう。レイアは今かなり精神的に参ってるはずだよ。迎えに行ってやらないと。セッカの方も心配――というか、あいつがいた方が心強いよね」
 二人はひとしきり密やかに笑った。
 それからキョウキはここがショボンヌ城であることを改めて確認し、モチヅキやロフェッカ、ミホとリセ、榴火の様子を気にかけた。
 サクヤは手持ちのニャオニクスをモンスターボールから出して、それぞれの気配を辿らせる。
「モチヅキ様は警察と一緒に……コボク北西の6番道路へ向かっておられる。榴火がそちらに逃げたようだ……」
 そこでサクヤは顔を上げた。
 キョウキは微笑んだ。
「お前はモチヅキさんの傍に行く? なら僕も一緒に行こうかな」
「……だけど、お前」
「そっちに榴火がいるんだよね。でも大丈夫、臆したりなんかしない。サクヤと一緒にモチヅキさんを守って、捕り物でも見物してるよ。だから大丈夫。一緒に行こう」
 二人は軽く肩を抱き合い、手を繋いだままそっと立ち上がった。



 フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキと、ゼニガメを抱えた青い領巾のサクヤは、ショボンヌ城を出てコボクタウンの西へ向かった。
 東の空に架かり始めたおぼろな満月が、荒れ果てた通りを照らす。
 昼間にカビゴンの群れに破壊されたコボク西部は、惨憺たる有り様となっていた。夜を徹してポケモン協会の人々が瓦礫の撤去に当たっていたため、二人はキョウキのプテラの背に乗ってコボクを北に迂回し、密かに街を抜け出す。
 6番道路のパレの並木道を眼前に臨む。昼間にそのマロニエの並木道の下を歩けば、さぞや木漏れ日の美しい宮殿への散歩道ともなろうが、現在は夜、それも並木の樹冠の上をプテラによって滑空している。目印にするにしても、並木道の先の眩い宮殿の方がよほど役に立つ。
 6番道路の北西、東を正面として築かれたパルファム宮殿の壮麗かつ重厚な姿が、無数の照明の中に浮かび上がっている。

 ジャローダの刻まれたパルファム宮殿の正門の前に、警察が集まってきていた。キョウキとサクヤは上空のプテラの背からそれを観察し、モチヅキの姿を探す。すぐにサクヤがその姿を見出した。
 モチヅキ自身はパルファム宮殿の中に入るようなそぶりを見せず、パレの並木道を抜けて視界が開ける宮殿前の広場で、何やら警察と話をしている。宮殿は眩く輝いているが、その宮殿前の広場も無数の街灯が灯されて明るい。その中に黒々と警察の影がうごめいて見えるのだった。
 キョウキはプテラに命じて、高度を下げさせた。二人は手を繋いで息を合わせ、宮殿前の広場の芝生に降り立つ。
 プテラの起こした風に警察が上空を振り仰ぎ、二人に近づいてきた。
「何者だ」
「お騒がせしてすみません、モチヅキさんに会いに来ました」
 緑の被衣のキョウキは微笑んでプテラをボールに戻しつつ、黒衣のモチヅキに向かって手を振る。
 モチヅキはキョウキとサクヤの様子を認めると、軽く呆れた様子ながら、どこか安堵したように二人に歩み寄ってきた。


 モチヅキが警察に取りなし、若い二人のトレーナーの身柄を保証した。それからようやく、三人は向かい合う。
 モチヅキが最初に目をやったのはキョウキである。
「大事ないか。動いてよいのか。医師は」
「大丈夫ですよ、ありがとうございます。それより、僕らはモチヅキさんが心配でここに来たんですよ。ここに榴火がいるんですか?」
 言いつつキョウキは、威容を誇るパルファム宮殿に視線を向ける。300年ほど前に建てられた、時のカロスの絶対君主が力を誇示するための豪華絢爛な宮殿だ。
 パルファム宮殿は今は夜でありかつ警察に包囲されているものの、周囲には観光客の姿が見られる。今日もたった今まで、普通に観光名所として多くの旅行客を受け入れていたのだ。
 正門を守る守衛と警察が何やら話をしていたが、警察の方は令状を用意していたらしい。
 守衛が黄金の正門を開放する。目鼻の利くポケモンを連れた警察がぞろぞろと宮殿の中へと入っていった。周囲の観光客たちは何が始まるのやらと目を白黒させている。
 モチヅキは後方に留まる警察と共に、宮殿前の広場に立ったままだった。
「……6番道路を、色違いのアブソルが駆け抜けるのを見た者がいた。このあたりの観光客も、アブソルが宮殿の塀を跳び越すのを見たとか。間違いなく、榴火は宮殿に逃げ込んである」
「では、警察は榴火を逮捕するのですか」
「難しかろうな。榴火は人殺しさえ辞さぬ、宮殿に何をするやも知れぬ。さすがの警察も、パルファム宮殿の中では全力で榴火を取り押さえるというのも難しいだろう」
 モチヅキもまたパルファム宮殿に視線を注ぎつつ、そう評した。
 パルファム宮殿は世界文化遺産にも指定されている、重要な文化財だ。もし警察が榴火とのポケモンバトルに突入して宮殿に重大な損傷が生じなどすれば、最悪の場合には世界遺産指定の取消しという事態にもなりかねない。そうなればカロスの観光に甚大な悪影響が予想されるのはもちろんのこと、政治問題にすら発展する。
 そのような状況の中で、キョウキは機嫌がよかった。
「いいねいいね、榴火はいいところに逃げ込んでくれたよ。ま、最悪なのは警察が及び腰になってみすみす榴火を取り逃がすってことだね」
 そしてキョウキはきょろきょろと周囲を見回し、広場に集まりつつあるマスコミを物色した。
「おお、来てるね来てるね。情報が早いねー。でも政府系のメディアは駄目だ、フラダリラボ系は駄目。――あ、ミアレ出版のパンジーさんもいる。おーい、パンジーさん!」
 モチヅキとサクヤが止める間もなく、キョウキは顔見知りのパンジーを呼び寄せてしまった。


 騒ぎを聞きつけて取材に来たらしいジャーナリストのパンジーは、クノエで出会った四つ子の内の二人の前まで来ると、輝く笑顔になった。
「あ、久しぶり! えっと、フシギダネを連れたのはキョウキ君、ゼニガメを連れたのはサクヤ君、で合ってるかな?」
「はい、合ってます」
「よかった、今は二人? 双子のイーブイちゃんたちは元気?」
「ええ、二人です。イーブイたちはもうみんな進化させちゃいました……って、今はそれどころじゃないですね。パンジーさん、面白い話があるので、ぜひ聞いてください」
 パルファム宮殿前はマスコミによって賑やかになりつつあった。警察が正門を封鎖し、立ち入り禁止にする。テレビ、新聞、あらゆるメディアから取材陣が詰めかけている。輝く宮殿の上空にはヘリコプターが数機ホバリングする。しかし当の宮殿そのものは静かで、特に異変は見られない。
 キョウキがパンジーと何やら話を始めてしまった傍で、ゼニガメを抱えたサクヤはモチヅキを窺う。
「……いいのでしょうか」
「何がだ、サクヤ」
「……キョウキはミアレ出版に……いったい何を」
「榴火のことを広めるつもりなのだろう。榴火がアブソルで山のゴンベを全滅させてカビゴンを怒り狂わせ、カビゴンの群れにコボクを襲わせ、そのカビゴンを捕獲し、その上キョウキを扼殺しようとしたこと。……すべて話すつもりだ」
 モチヅキの声音は苦虫を噛み潰したようであった。サクヤはキョウキに視線を戻す。
 キョウキはパンジーの前で、モチヅキのサクヤに言った通りのことを幾分か脚色も交え、滑らかに弁舌巧みに語っていた。それをパンジーはヘッドセットの録画を回して、熱心な表情で頷きながら聞いている。
 しかし次第に、キョウキの周囲にマスコミが群がりつつあることに、サクヤは密かに恐怖を覚えた。
 ここでキョウキが語ったことは、カロス中に広められる。敵にも、味方にも。――けれど、ありのままに伝えられるだろうか? マスコミはキョウキの話を捻じ曲げ、あらぬ筋を創り出して真実と異なることをカロスに伝えはしないだろうか? あるいは権力の力で、言論そのものを封じられはしないだろうか? サクヤの懸念はそういったものだった。
 けれどモチヅキがキョウキを止めないので、サクヤも仕方なくそわそわしながらそのままにしておいた。


  [No.1483] 玉兎の空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:40:12   35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



玉兎の空 中



 高くなりつつある満月の光は淡い。
 パルファム宮殿に変化はない。警察に包囲されたまま、静かなままだ。
 モチヅキは立ったままホロキャスターのニュースを眺めている。パルファム宮殿の立ち入り禁止の件は報じられていた。
 フシギダネを頭上に乗せたキョウキは、先ほどから何件ものマスコミを渡り歩き、時には野次馬となった観光客にもアピールするように、このパルファム宮殿に逃げ込んだ悪鬼榴火がコボクタウンで己にしでかした悪行の数々を弁舌爽やかに述べ立てている。
 ゼニガメを抱えたまま、サクヤはモチヅキの傍に寄り添っている。
 キョウキの考えていることは分かる。より多くの報道機関に真実を伝え、一般市民に真実が伝わる可能性を少しでも高くしようとしているのだ。
 けれどそこには大きなリスクが伴う。
 キョウキもそれを認識しているにもかかわらず、マスコミや野次馬へのアピールをやめない。キョウキの必死さが、サクヤには痛いほど分かった。キョウキもまた、榴火への恐怖に駆られているのだ。榴火に殺されかけたからこそ、悪評も何も恐れることなく、ただただ強い言葉の力を求めて訴える。
 ただ、そのリスクが大きすぎた。
 フレア団やポケモン協会や与党政府は、この事件のそのままの報道を許すだろうか。キョウキのアピールは無視されるのではないだろうか。それどころか、キョウキの話を捏造すらして、逆手に持って、逆利用して、キョウキの意図と真逆の効果を引きだす報道を各社に強いるのではないか。あるいは、四つ子がかつてミアレで起こした事件を暴き出して四つ子への攻撃材料にするか。そして何かと理由をつけて、四つ子からトレーナー資格を奪うのではないか。
 懸念は尽きない。
 もう四つ子はフレア団とポケモン協会と与党政府の敵なのだ。何をされてもおかしくない。

 ――とサクヤが思っていたところ、キョウキはそれらもすべて、すべてを、マスコミの前で暴露してしまっていた。
 四つ子が榴火につけ狙われていること、榴火のせいでキナンに閉じ込められたこと、そしてポケモン協会に捕まえられかけていること。四つ子の胸の内だけにしまっていたことをすべて、爆発したように喋っている。
 サクヤはここでようやく、キョウキが限界にあったことを悟った。キョウキまでがここまで追い詰められていた。
 キョウキの死に物狂いの訴えをぼんやりと聞きながら、残る二人の片割れに思いを馳せる。
 ロフェッカに裏切られて死に物狂いでコウジンタウンに逃げ込んだレイアは、今何をしているのだろう。ミアレシティにいるというセッカは何をしているのだろうか。二人も追い詰められて、孤独に苛まれて、自棄になっていやしないか。
 クノエシティにいる養親のウズや幼馴染のユディは、何も知らないままなのだろうか。
 フレア団はどうするのだろう。
 ルシェドウやロフェッカをはじめとしたポケモン協会は、どう動くのか。
 モチヅキは無表情に、ただホロキャスターのニュースを見つめている。その黒衣の袖をそっと指で掴んで、サクヤは思考の追いつかないほど巨大な波に身を任せることを思って戦慄していた。サクヤには何もわからない。
 その中でサクヤの心の最後の拠り所となっていたのは、重く鋭い黒銀の渦潮だった。あらゆる波を潰して、遠い海の彼方へ。どうしようもなくなったら四つ子は四人で、そこへ逃げる。


 サクヤは袖を掴んだモチヅキに、そっと話しかけた。狂ったようなキョウキの笑い声を振り払うように。
「……モチヅキ様」
「何だ」
「……これでいいのでしょうか」
「なるようにしかならぬよ」
 モチヅキはホロキャスターから視線を外し、片手でサクヤの黒髪を優しく梳く。
「もっと早うに、そなたらをジョウトへ送っておけばよかったやもしれぬな」
 考えを見透かされたような気がして、サクヤはびくりとモチヅキの顔を見上げた。
 モチヅキはいつもサクヤの前でそうであるように、優しい瞳で、安心させるように微かに笑んでいる。
「だからサクヤ、急げ。レイアとセッカを集めておけ。ウズ殿には私が話をする」
「……はい」
「辛いだろうが、まだだ。まだ危険だ。安全な場所に行くまで、気を抜くな。だから急げ。……死んではならない」
「…………はい」
 サクヤはモチヅキにぴったりくっついたまま、頷いた。なぜだかとても切なかった。
 そのとき空を切る嫌な音がして、サクヤはぎくりとした。


 紅いアブソルが宮殿の塀から躍り出るのは、サクヤには見えなかった。ただ、警察やマスコミが声を上げる。幾つものフラッシュ。歓声とも悲鳴ともつかぬ声。それだけが瞬時に脳に映りこんで、何かが起きたと察した。
 モチヅキの黒衣が覆いかぶさるように動いたのを、サクヤは重く感じていた。
 なぜ。これでは動けないのに。
 サクヤは芝生の上に尻餅をつく。その拍子に腕の中からゼニガメが転げ落ち、文句を言うのがサクヤの耳についた。
 先ほどまで煩かったキョウキの声やマスコミの騒ぎ声が、しんと静まった。
 サクヤは重い黒衣の下でもがき、芝生に手をつき、姿勢を戻そうとした。
 そして何気なくモチヅキに触れた手に、べっとりとした感触があって、息を呑んだ。
 思わず引いた手が街灯にぬるりと光った。
 力なく倒れかかったモチヅキの体が重い。


 誰かが嗤っている。
 芝生の上を駆け寄ってきたのがキョウキだと、サクヤは見なくても分かった。見ないでも分かる。だからサクヤは冷静に、自分の足の上にのしかかっていたモチヅキの体を押しのけて、よろよろと立ち上がる。
 警察が宮殿の正門に群がっているが、それらは一斉にアブソルの鎌鼬によって薙ぎ倒された。マスコミ陣から悲鳴が上がる。
 サクヤはキョウキを見やった。
「モチヅキ様を」
「サクヤ」
「黙れ」
 宮殿の門柱の上に、巨大な紅いアブソルが立っている。いや、違う。アブソルではない。
 メガアブソル。
 芝生の上で、ゼニガメが立ち上がる。
 サクヤは血で汚れた手で、モンスターボールを掌の中に包み込んだ。
 キョウキの声がする。
「サクヤ、モチヅキさんが」
「……榴火を止める」
 ボスゴドラを呼び出し、帯から抜き取った簪に飾られたキーストーンと反応させる。
 門柱の上の榴火がくつくつと笑った。
 絶叫した。


 メガボスゴドラが地に叩き付けた冷気が、地を迸り、門柱までもを凍り付かせる。
 血色のメガアブソルは榴火を背に乗せたままひらりと宮殿前の広場に飛び降りる。榴火を下ろすと、嵐のような鎌鼬を吹き起こす。
 風はメガボスゴドラの鋼鉄の鎧すら傷つけるが、メガボスゴドラは一歩も退かない。
 四足を地につき耐え、尾を叩き付ける。
 それをメガアブソルはひらりと躱し、辻斬り。
 受け止める。
 そこに岩雪崩が降り注いだ。
 サクヤは横目でキョウキを見やる。
「おい」
「いやぁ、サクヤ一人じゃきついかと思って。じゃあこけもす、初メガシンカの力、見せちゃって」
 キョウキは緑の被衣を手で押さえて空を振り仰いだ。
 宙に連れ去っていた紅いメガアブソルを地に叩き付けたのは、キョウキのメガプテラ。
 その圧倒的なスピードで、メガアブソルに反撃の隙を与えず猛毒を仕込む。
 そこにメガボスゴドラが地の割れそうな地震を起こす。
「あ、ちょ、二対一とか狡くね?」
 笑ったのは榴火である。
 キョウキは肩を竦めた。
「ほんとだねぇ。あはっ――犯罪者風情に言われたかねぇよ!」
 再びメガプテラがメガアブソルを天空に連れ去った。
 その隙にキョウキはサクヤを振り返って囁いた。
「モチヅキさん、死んでないよ。背中をバッサリ袈裟斬りされてたけど。マスコミの人が応急処置してくれてる、救急車も呼んでくれたし……ねえサクヤ、落ち着いて」
「落ち着けるか!」
 サクヤは凄まじい形相で、メガボスゴドラの鋼鉄の尾に叩き付けられるメガアブソルを凝視していた。
 互いを知り尽くした二体のポケモンの連携があれば、凌駕することなど容易い。
 なのに榴火は相棒が叩きのめされるのを目にしても嗤うばかりで、他のポケモンを繰り出すでもない。それがさらに、サクヤの神経を逆撫でする。
「……叩きのめせ、メイデン」
「サクヤ、聞いて。宮殿を壊すのはまずい。警察に怪我させるのもナシだ。――榴火を捕まえる」
 サクヤはキョウキには応えず、メガボスゴドラに指示を飛ばした。
 力なくサクヤに倒れかかってきたモチヅキの重みが、忘れられない。手にまだ付着している汚れの感触が、気持ち悪いような、尊いような、そのような気がする。サクヤにとってモチヅキは神聖なもの、尊崇する親だ。それがあのような姿になって。身を切られるような痛みを、目の前の悪を叩き潰さないでは忘れられない。
 キョウキは息を吐いた。
 フシギダネが隙を見て蔓を伸ばし、榴火を捕らえる。榴火は水色の双眸を見開いた。
「あ」
「ふしやま、眠り粉」
 キョウキは冷徹に指示した。メガプテラがメガアブソルを岩雪崩の下敷きにしたタイミングだ。
 フシギダネが先の雪辱を果たさんとばかりに放った眠り粉が、榴火を包み込む。
 トレーナーが意識を失ったためか、岩の下でもがいていたメガアブソルを光が包み、変化は解けた。
 それでも通常の個体より一回りも二回りも巨大なアブソルは、角を使って岩を押しのけ、眠りに落ちた榴火の傍に駆け寄る。
 サクヤの指示を受け、メガボスゴドラがアブソルを取り押さえた。
 拳を振りかぶる。
 そのメガボスゴドラを吹き飛ばしたのは、紅色の花吹雪だった。


 芝生の上を後退しつつ、メガボスゴドラは花吹雪を追い散らす。そして新たな敵の出現に、主人の様子を窺った。
 キョウキとサクヤは視線を交わした。
 周囲に甘ったるい香りが漂っている。
 激しいバトルにすっかり怯んだ警察の間を堂々たる足取りで歩いてきたのは、白いスーツに身を包み、真っ赤な口紅を引き、真っ赤なサングラスをかけ、そして真っ赤なカツラを被った、ローザだった。シュシュプとロズレイドを伴って立っている。
 キョウキは思わず失笑した。
「似合いませんよ、ローザさん!」
「あら、あなたは目が腐っているのですわ」
 ローザは眠る榴火の傍まで歩み寄る。すぐさまキョウキのフシギダネが蔓を巻き取り、榴火を引き寄せた。
「その子をお放しなさい。ロズレイド、花吹雪!」
「こけもす、岩雪崩だ!」
 ローザのロズレイドはよく育てられてはいたが、メガシンカしたプテラには敵わない。雪崩に吹雪は押しつぶされる。
「仕方ありませんわね。シャンデラ、おいでなさい!」
 そう叫んだローザは、自分のモンスターボールを開くことはしなかった。代わりに榴火が身につけていたボールの一つがローザの声に反応し、シャンデラが外に現れる。
「トリックであなたの主人を取り返しなさい!」
 するとその指示の直後、フシギダネが蔓で捕らえていた榴火が奪われる。キョウキが舌打ちした。メガプテラが降下する。
 ローザは紅いアブソルの背の上に赤髪の少年を乗せると、アブソルにその場を離脱させた。
「メイデン――」
「ロズレイド、花吹雪!」
 サクヤがメガボスゴドラにアブソルを阻止させようとすると、ローザのロズレイドが更にそれを足止めすべくメガボスゴドラに襲い掛かった。
 アブソルの去った方向に、ローザが立ち塞がる。
「行かせませんわ」
「それはどうかな」
 蔓を伸ばしたフシギダネとキョウキは、地面すれすれまで降りてきたメガプテラに飛び乗っている。
 空を仰ぐロズレイドに、メガボスゴドラが冷気を纏った拳を叩き付ける。
 その隙にキョウキを乗せたメガプテラは、アブソルの消えた東の山脈へと夜空を渡っていった。
 微かに唖然としてそれを見送ったローザを、サクヤは睨む。
「口先ばかりだな。榴火は逃がさないぞ、フレア団」
「ああ……あなたがサクヤさん、ですわね。うふふ……モチヅキさんのことはご愁傷さまですわ」
 揶揄するようなローザの口調に、サクヤは顔が熱くなるのを感じた。モチヅキは死んではいない、キョウキがそう言っていたではないか、大丈夫だ。
 満月の光の下、警察に囲まれてもなお、ローザは余裕ある態度で腕を組んだ。
「わたくし、がっかりしておりますのよ。メガシンカ……あなた方四つ子がもっと素直でしたら、お互いハッピーになれましたのに。リュカもとんだ玩具を見つけたものね。でもまあいいですわ、どうせすぐあなた方はこの地上から消えるんですから」
 サクヤは声を張り上げる。
「つまり、榴火が最初にレイアを傷つけたのは、フレア団の命令によるものではなく、榴火の意志によるものだったということか!」
「それを知って何になりますの?」
 ローザのシュシュプがミストフィールドを繰り出す。周囲に霧が立ち込め、視界が悪くなった。
 メガボスゴドラが駄目押しに地震を起こすが、手ごたえはない。
 ローザの姿は消えていた。


  [No.1484] 玉兎の空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:42:22   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



玉兎の空 下



 サクヤはメガシンカの解けたボスゴドラをモンスターボールに回し、ゼニガメを拾い上げ、霧の晴れた周囲を見回した。
 モチヅキの姿を探した。けれど見当たらない。もう街の病院に運ばれたのかもしれなかった。
 メガシンカしたポケモンたちのバトルの余波で、宮殿前の広場は芝生が荒れ、石畳がひっくり返り、ひどい有り様となっている。しかしさすが300年間この地に君臨し続けたパルファム宮殿はポケモン対策もばっちりであったと見えて、外壁の照明一つ落ちていない。
 警察にもマスコミにも、バトルの影響でか軽い負傷者が出ているらしい。
 しかしサクヤはそれらを無視し、チルタリスとニャオニクスを繰り出した。ニャオニクスにモチヅキとキョウキの居場所を探らせ、チルタリスにはコボクタウンに戻らせる。
 モチヅキは既にコボクタウンの病院にいる。
 キョウキはまだメガプテラの背に、東の山脈で榴火を乗せた紅いアブソルの姿を捜すも、どうやら見失ってしまったようだった。それでもキョウキはサクヤの元に戻るでもなく、そのまま東へ山脈を越え、ミアレタウンに向かっている。セッカの元へ行くつもりなのだろう。
 なら、サクヤはレイアを捜しに行かなければならない。
 だが、その前に。
 サクヤはどうしてもモチヅキに会わなければならなかった。


 夜は更ける。さやけき満月は空高い。
 コボクの荒れ果てた街に降り立つと、ニャオニクスの案内で病院を見つけさせる。サクヤは迷わず夜中の病院に飛び込み、受付も走って通り過ぎた。
 しかしニャオニクスに案内されたのは、固く閉ざされた手術室の扉の前だった。
 足が震える。
 ゼニガメが心配そうにサクヤの胸にしがみつく。ゼニガメを拾い上げ抱きしめて、サクヤは病院の廊下に座り込んだ。ようやく自分の右手を見て、その手にこびりついた汚れを見た。
 声もなく叫んだ。
 声さえ出さなければ、いくら泣き喚いても病院や手術の邪魔にはならない。ゼニガメを抱きしめて、全身を緊張させて、振り絞るように怒りを殺す。
 梨雪が殺された。レイアが殺されかけた。セッカも殺されかけた。ルシェドウも殺されかけた。キョウキも殺されかけた。次は、モチヅキだったのか、いや、サクヤだったかもしれないのだ。それだけでもない、他に何人の人間が、何体のポケモンが殺され、殺されかけてきたのか。榴火の手によって。
 病院のにおいが気持ち悪い。
 サクヤはよろよろと、薄明るい病院の廊下から逃げ出した。嫌なにおいの満ちた、死に近い場所から逃れる。同時にモチヅキから遠ざかる。怖くてたまらないが、月の光の下に逃げ込んだ。
 病院の植え込みの縁石にサクヤは腰かけ、ニャオニクスをボールに戻すと、ゼニガメを抱きしめる。
 ゼニガメはおとなしく抱きしめられ、慰めるかのようにサクヤの黒髪をにぎにぎした。
「ぜーに、ぜにぜに」
「…………もう嫌だ……」
「ぜに、ぜにぜにがー」
「レイアを……捜さないといけないのに…………」
 やる気が起きない。もしモチヅキに何かあったらと思うと、考えることすらできなかった。
 榴火やローザが目の前に立ちふさがっていたときは、本能に任せてメガボスゴドラに指示していればよかった。メガボスゴドラの意識に同調し、戦闘にのめり込むことが出来た。メガシンカはトレーナーを戦闘に引きずり込む。
 だからボスゴドラのメガシンカが解けてサクヤもバトルから解放されてみると、我に返ったように、反動のように恐怖が押し寄せてくる。誰かを傷つけていないか、何かを忘れていないだろうか。無性に怖くなる。
 戦闘の間、重傷を負ったモチヅキのことを忘れていた自分が、サクヤは恐ろしくて憎くて情けなくて、ただ悲しかった。
 バトルなど、ポケモンがするものなのだ。トレーナーまでそこに引きずり込まれれば、トレーナーは人の心を失う。そう――ただ目の前の敵を狩り続けることを考え、強い技だけを求め、あのミアレのエリートトレーナーを吹き飛ばした時のように。
 誰か他者のことを思うとき、人間は人間になれるのだ。
 サクヤはそのことに気付いた。
 人を愛しいと思った。


 円かな月が、傾いてゆく。
 冷ややかな夜半の風に身を震わす。
 サクヤはゼニガメだけを抱えて、葡萄茶の旅衣の中に肩を縮めながら、時折思い出したかのようにモチヅキがいるであろう手術室の前まで行った。二度目か三度目か、看護師に声をかけられた。そのまま待合室に連れて行かれ、モチヅキの手術は既にひと段落ついたことを知らされた。
 気を利かせた医師による手術の説明など、サクヤの頭には入らなかった。ただモチヅキが出血多量などで死ななくてよかった、とそれだけが頭の中を何十回もぐるぐると回っていた――出血多量で死ななくてよかった出血多量で死ななくてよかった出血多量で死ななくてよかった。サクヤの頭にあったのは出血多量による死の恐れだけだった。
 ゼニガメを抱きしめたサクヤは、無言のまま、泣くことはおろか見動きすらしなかったが、それが動揺の表れであることは病院の人間には分かったらしかった。夜中であるにもかかわらず、病院で働く一体の愛らしいプクリンが、待合室でずっとサクヤの傍に静かに付き添ってくれていた。
 プクリンは柔らかな手でサクヤの背中を何度も、いつまでも撫でてくれる。もう大丈夫だと言うように。その豊かな体型、きめ細かくしなやかな毛並みは、自然とサクヤに安心を覚えさせる。
 ゼニガメはいつの間にか甲羅の中に籠って眠っているようだった。
 プクリンはサクヤにぴったりと寄り添い、優しい子守歌を歌った。
 サクヤが眠っている間に、病院の者がサクヤの体に毛布をかけ、休憩室へと運んでいった。




 翌日、サクヤが目を覚ますと時は既に昼だった。
 眠っている間に場所を移されて困惑するゼニガメを抱えたサクヤを、一晩中その傍に付き添っていたプクリンが、とある病室へと導いていく。
 柔らかい声に背を押され、サクヤはゼニガメを抱きしめ、よろよろと白い病室に入った。
 モチヅキがいた。
 白いベッドに横たわったモチヅキは、膝下まである長い黒髪を緩く一つに束ねていた。それが昼の光の中でつやつやと豊かに流れていて、古代エンジュの淑女もかくあろうかというその黒髪の見事さにサクヤはいちいち感動する。
 モチヅキは起きていた。
 折りたたんだ新聞を相変わらずの仏頂面で眺めていたのだったが、サクヤが忍び足で病室に入ってきたことに気付くと、新聞をばさりと布団の上に置く。体を起こすことはせず、ただ腕を伸ばした。
 サクヤは慌ててゼニガメをベッドの上に置き、モチヅキの傍に膝をついてその手を取った。言葉が出ない。
 モチヅキもぼんやりと枕に顔をわずかに沈めて、サクヤの手を片手で触っていた。指先で爪の形などを確かめている。
 サクヤは気まずさに、引き結んだ唇をもごもごした。
 ゼニガメがけらけらと笑うが、こちらもいつものようにベッドの上で飛び跳ねたりなどはせず、おとなしくモチヅキの体に背中の甲羅を持たせかけて座っている。
 二人は何も言わなかった。
 まさかモチヅキは喋れなくなってしまったのかとサクヤが危惧するほど、病室には沈黙が下りていた。
 サクヤが気まずく視線を彷徨わせている隙に、モチヅキは目を閉じてしまっていた。
 起きているのか眠っているのか、もうサクヤには判別がつかない。しかしモチヅキに手を握られたままである。
 意を決して声をかけてみた。
「……あ……あの……モチヅキ様……」
 返事はない。
 サクヤはそれからさらに数分間狼狽した挙句、またもや心を固め、そうっとベッドの上に腰を下ろした。モチヅキはそれでも何も言わない。サクヤの手を取ったままである。
 やはりモチヅキは眠っているのかもしれない。
 サクヤが大きく息を吐くと、こらえていたゼニガメが耐え切れないといった様子で爆笑し出した。
「ぜ――にぜにぜにぜにぜに!」
「こらアクエリアス……静かにしろ」
 ゼニガメを嗜め、心なしか緊張しつつ、モチヅキの寝顔を見つめた。そして尊敬する人の寝顔を自分が見つめていることを意識した途端に、サクヤは一人で見悶えた。ゼニガメがさらに笑う。

 それからがさらに苦闘の時間だった。
 昨晩病院のプクリンが自分にしてくれたように、自分もモチヅキに寄り添うべきだろうか。いや、そんな恐れ多いことはとてもできない。しかし不安な時に傍に誰かがいるととても安心する。いや、それこそ思い上がりである。
 サクヤは一人で悶々とした。
 モチヅキに対して密かに抱いていたサクヤの願望として、モチヅキの解かれた黒髪に触りたいというものがある。つややかな髪を撫で、顔を埋めたい。いや、そのような事をすればサクヤの皮脂がモチヅキの髪についてしまう。とても恐れ多い。
 また別の願望としては、モチヅキにぴったりくっついて眠りたいというものがある。幼い頃は障りなくそれができたのだが、歳を経るにつれて片割れたちのからかいの視線が次第に鬱陶しく、旅に出てからは同じ屋根の下で眠るということすら滅多になく、稀にモチヅキにホテルに泊めてもらった時もツインを予約されてしまってはくっついて眠ることなど叶わない。
 さて、この機会にモチヅキに添い寝をしたものか。サクヤは至極真面目に悩んだ。
 しかし結局、諦めた。モチヅキは怪我人なのだ。うっかりサクヤの寝相のせいで傷を開かせるわけにはいかない。



 日が傾いてモチヅキが再び目を覚ますまで、サクヤは辛抱して寝台に腰かけ続けていた。モチヅキと手を繋いだまま。
 手持ちのポケモンたちは呆れかえっているかもしれない。
 夕陽の中でうつらうつらとしていたサクヤは、モチヅキの声で我に返った。
「…………サクヤ」
「は、はいっ」
 慌てて尻を寝台から落とし、床に膝をついてモチヅキの顔を覗き込む。
 臥したままのモチヅキは緩く微笑んだ。
「……心配をかけたか」
「いえ、そんな、あ、いや……心配しました……」
「それはすまなんだな」
 サクヤはふるふると頭を振る。ようやく緊張が解けて頬が緩んだ。
「本当に、ご無事でよかった」
「そなたもな」
 そのモチヅキの一言にサクヤは顔が熱くなるのを自覚した。榴火のアブソルが現れた時、モチヅキは咄嗟にサクヤを庇って、あのようなことになったのだ。
 自分の熱を、照れかと思った。
 違った。
 恥ずかしさでも、喜びでも、自身への怒りでもなかった。
 たった今モチヅキに気に掛けられたことが、どうしようもなく幸せだった。
 幸せのあまりサクヤは嗚咽した。
 もうゼニガメの爆笑も気にならなかった。


 モチヅキの指が緩やかに動いて、サクヤの額にかかる黒髪をかき上げる。
「……サクヤ……私のことはいいから、あと二人を」
「……はい……既にキョウキが、セッカの方に……」
「なら、そなたはレイアだ。居場所は分かるな。急いでやれ……もう何日も前だが、かなり狼狽していた様子だ」
 モチヅキに促され、サクヤは立ち上がる。袖で顔を拭った。
「……分かりました。モチヅキ様もお気をつけて」
「なに、私のことなら警察どもが厳重に守ってくれよう。片割れたちのことは大切にしてやれ」
「はい。行ってまいります」
 サクヤはゼニガメを抱き上げ、モチヅキに一礼した。緩く手を振るのに見送られ、名残惜しくも早足で病室を出る。病院を後にした。
 モチヅキはレイアのことも案じてくれている。
 だから急がなければならない。
 もう十六夜の月が昇り始めている。


  [No.1492] よもすがら都塵に迷う 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/01/06(Wed) 20:57:26   27clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



よもすがら都塵に迷う 上



 フロストケイブほどには暗くも寒くもない。
 金緑の苔の光、それをかき消す赤いヒトカゲの尾の炎が、ひやりと湿った洞窟の中で熱くくすぶる。そのヒトカゲも主人の袴の膝の上で悠々と丸くなって、今や昼とも夜とも分かぬ時をまどろみの中で過ごしている。
 瞼を押し上げたレイアの視界に入るものといえば、エメラルド色に輝く苔と、赤々と輝くヒトカゲの体躯、あとは薄闇ばかり。黴臭く暗く寒くじめじめした洞窟に籠り出してからいかばかりの時が立ったか、レイアには知る由もない。
 水や食料の兼ね合いがあるから、いつまでもこの輝きの洞窟にいようとは思わない。道を失ったわけでもない――レイアの手持ちのヘルガーににおいを辿らせれば、洞窟の入り口まで戻るのも容易なことだ。
 しかし自分で出ていく決心がつかない。

 ヒトカゲの背を撫でていると、ヒトカゲが身じろぎ温かい欠伸をする。深い藍色の瞳でレイアを見つめた。今日もここにいるのかとでも問いたげな眼差し。
 レイアはヒトカゲを見つめたまま頭を傾けた。
「……そりゃ、だせぇとは思うがよ」
「かげぇ?」
「……お前らも悪いな、こんな辛気臭い場所に押し込めて」
「かげかげ」
「あーでも、出ていくのめんどくせ……」
 レイアは生あくびをし、湿った岩壁に背を預けた。耳元でピアスがちりちりと鳴るのがやけに耳についた。ヒトカゲも再びぽてりとレイアの膝の上に転がる。
 コロモリの羽ばたき、イワークの這いずりまわる地の震え、カラカラの泣き声、サイホーンの岩を砕く響き。すべて聞き飽きた。穴抜けの紐の届かないほど洞窟の奥深くまで潜ったおかげで、観光客の足は届かない。修業中のトレーナーもレイアの潜む枝穴を見つけることすらできなかった。
 絶好の隠れ家だった。風雨はしのげる、野生のポケモンも多くはない、出ようと思えばいつでも出られる。
 しかし洞窟の入り口付近まで戻れば、化石目当てに訪れる研究者、化石マニアがのさばっている。洞窟外の9番道路に一歩出れば、山男だのポケモンレンジャーだのがうろついている。レイアは他人を憎んだ。夜を狙えば人目は避けられるが、洞窟に籠り出してもはや時間の感覚はない。
 それは確かにレイアの誤算だったけれど、それだけでもなかった。レイアのヒトカゲの尾の炎は夜闇の中で、逆に遠くからも目立つのである。その一方ではこの他者を信じられないとい心理的状況、暗く寒いという物理的状況下で、相棒のヒトカゲまでもをモンスターボールに戻すことはレイアにはとてもできなかった。
 つまり多重の意味で、レイアは八方塞がりに陥っているのである。
 だからただただ、サクヤの迎えを待った。
 既にサクヤからはニャオニクスのテレパシーによる連絡があった。
――おいレイア、今どこで何してる。
「輝きの洞窟でだべってる」
――迎えに行ってやる。僕に感謝しろ。
「くそうぜぇな有難う」
 そうしたサクヤとの短いやりとりがあったのが、どれほど前か。
 レイアにはひどく、ひどく前のことのように思われる。薄暗い変わり映えしない洞窟に籠っているおかげで、レイアにとっての長時間がどれほどの短さを持つのかは見当がつかないけれど。
 サクヤは今に来るだろうか。青い領巾を揺らして、ゼニガメを抱えて。涼しげな眼差しで、惨めに縮こまっているレイアを見下ろして笑うだろうか。


 レイアはヒトカゲを抱え込むようにして、膝を抱えた。ヒトカゲの体は常にぽかぽかと暖かく、小さい爪で襟元に縋りついてくるのが愛しくて、この小さな相棒だけがレイアの唯一の癒しだった。そのヒトカゲもさすがに湿った洞窟の空気には辟易しているようではあったが。
 手持ちのポケモンたちにも、随分とレイアの我儘を押し付けている。ヒトカゲ以外の手持ちは洞窟に籠り出して以来ボールからも出さず、ボールの保存効果をあてにして何日も食事も水すらも与えていない。それでもヘルガーもガメノデスもマグマッグもエーフィもニンフィアも文句ひとつ言わず、眠ったように、飾りのようにおとなしくしているのだった。それがレイアの躾の賜物でなくポケモンたち自身の思いやりによるものであることは、レイアにもよく分かっていた。五体の気遣いが痛ましかった。
 とはいえやはりレイアは自力で外界に出る気にはなれなかった。
 洞窟の外の世界にはルシェドウやロフェッカがいる。
 現在彼ら二人との関係は良くはないが、レイアにはそのような事はどうでもよかった。
 どうやらルシェドウはレイアたち四つ子を放置して、ただひたすらに榴火のことを追いかけている。また、その同僚であるロフェッカはレイアたち四つ子を、まるでポケモンか何かのように捕獲しようとしている。そうした二人の振る舞いはとても友人に対するそれとは呼べず、だからレイアは二人を見限ったのだった。
 二人はユディ以外にできた、レイアの初めての友達だった。その友人関係の終焉は呆気ないものだったが、レイアはそこにさほどの執着を覚えなかった。ルシェドウやロフェッカより、キョウキやセッカやサクヤの方がよほど大事だからだ。
 片割れたちのことを思えば、胸が痛む。
 レイアは三人の片割れを守らなければならない立場にあった。四つ子はこれまでずっと助け合って生きてきたから、レイアが困ったときは他の三人に助けを求めればよいのはもちろんなのだが、それと同様にレイアも三人を助けなければならない。なのにレイアは、ロフェッカが起こしたことを三人に警告するでもなく遁走し、サクヤによる救助を女々しく待っている。情けないことこの上ない。

 軽い足音が聞こえてきた。
 二本足。ワンリキーやカラカラやクチートよりは重く、ガルーラよりは軽い――人間の足音だ。
 レイアは膝を崩し、ヒトカゲの背に触れながら顔を上げた。足音は真っ直ぐ、レイアの潜む穴倉に向かってきている。
 サクヤか、と思ってすぐに、違うと直感した。
 違和感が確信に変わる前に、当の人物がレイアとヒトカゲの前に姿を現した。


 鉄紺色の髪が、ヒトカゲの尾の炎に赤々と照らされる。それは身をかがめて現れた。レイアもさほど驚きはしなかった。ただかつての友人の一人が現れただけのこと。
「あ。レイアだ」
 黒いコートに身を包んだルシェドウはヒトカゲの赤熱の炎に目を細め、レイアから枝穴の出口を塞ぐように身をかがめた。にっと笑い、軽い調子で片手を持ち上げる。
「よっ」
 レイアも緩くヒトカゲを抱いたまま、小さく息を吐く。
「……おう」
「何してんのレイア、こんなところで?」
「……てめぇこそ」
 レイアの前に座り込んだルシェドウは両手を伸ばしてのうのうとヒトカゲの炎にあたりながら、くすりと笑った。
「レイアを捜してたんだよ」
「あ?」
 レイアが眉を顰める。
 ルシェドウに会ったのはレンリタウン以来だった。四つ子と決別し、榴火を更生させることだけに集中する――それがルシェドウのポケモン協会から与えられた任務だったはずである。
「……おいてめぇ、榴火はどうしたよ?」
「うん?」
 ルシェドウはのんびりと笑っていた。とぼけているというより、半ば呆けているようにレイアには見えた。それが普段のルシェドウらしからぬ様相であることに気付き、そら恐ろしい思いに襲われる。
 ルシェドウはレイアの友人だが、ポケモン協会の職員でもある。そしてレイアは現在、もう一人のポケモン協会に勤める友人に追われる身でもあった。
 ルシェドウの呆けたような様子は不可解だったが、とりもなおさずレイアは警戒心も露わに、さらに眉間に皺を寄せた。
「……なんで、俺を捜してたんだ?」
「ロフェッカが困ってたから。まあ、個人的にお前に会いたいなってのもあったし」
「……お前は榴火をどうにかしないといけねぇんじゃ……なかったのか?」
「ま、そうなんだけどね。ちっと休憩」
 ルシェドウは和やかに笑うと、ごそごそと荷物の中から乾パンの小さい缶を取り出して、レイアに丸ごと差し出した。
「ほい、差し入れ」
「…………いや…………どうも」
「痩せたねーレイア。ロフェッカにいじめられたんだって? ショック受けちゃって、かわいそうになー。よしよーし」
 さらにルシェドウの手が伸びてきて、レイアの黒髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
 レイアは半ば呆然としつつも、しかし空腹には勝てずに缶を開け、乾パンをヒトカゲと分け合いつつ貪り食らった。それをルシェドウはいかにも微笑ましげに見つめている。
「ヒトカゲちゃんがいてよかったね。……つーかレイア、おま、ちょ、くさい」
「……うっせ」
「このニオイ……一週間ぐらいだな?」
「――嗅ぐな! つーか、なんで分かるんだよ!」
 レイアが怒鳴ると、ルシェドウはくつくつと笑う。レイアの体臭など気にしない様子で馴れ馴れしく腕を肩に回してきた。
「ほらほらレイア、お外に出といで。一緒にコウジンタウンに戻ろう。ホテル・コウジンに部屋とってんの。おねーさんが洗ったげる!」
 レイアは気まずげに、自分の首周りからルシェドウの腕を外した。
「……こないだおっさんにホテル連れ込まれて酷い目に遭ったんで、もういいわ」
「えっ嘘まさかレイア! ロフェッカみたいなおっさんがタイプだったの!? ルシェドウさん超ショックなんだけど! ロフェッカに負けたとか悔しすぎるんだけど!」
「――黙れよ! 変な妄想すんなよ! そーゆーのは何もねぇよ!」
「せっかく美女がホテルに誘ってるのに。レイアって、セッカと違って純情だよな?」
 その一言にレイアはぎょっとし、まじまじとルシェドウを見つめた。
「…………セッカって……お前……まさか」
「セッカって何者なわけ? 超手練れじゃね?」
 くすくすと笑っているルシェドウを前に、とうとうレイアは頭を抱えてしまった。


「…………――っ……――…………ッ!!?」
「だいじょぶ?」
 レイアは震えながら、陽気に笑っているルシェドウを恐る恐る見やり、怖々尋ねた。
「……お、おおおおおおおままままままさかセ、セッk――」
「あ、その子音までで止めるとかなり紛らわしいよな、セッカって」
「黙れ!」
 レイアはヒトカゲを強く強く抱きしめ、歯を剥き出してルシェドウを威嚇していた。ルシェドウがなんでもない顔をして自分の目の前にいるその神経を疑い、むしろ心から憎んだ。
「畜生、てめぇがそんな奴だったとはな!」
「どしたん、レイア。ショック受けちゃった? なーなー、片割れ的にはどんな気持ち?」
「――どうとも思わねぇよ!」
 レイアは全力で怒鳴った。
「なんともない! 俺が口挟めることじゃなくね!? あいつやてめぇの自由だろ! そりゃ、なんでそんな事になったかは気になるけども!」
「あ、片割れの恋愛事情は気になるんだ?」
「相手が相手だからだわ!」
 レイアは両手で頭を抱えたまま体をのけぞらせた。
「なあもうこの話やめねぇ? セッカが何しようが関係なくね?」
「や、俺はセッカが心配なのさ。ああいう事しないと生きてけないほど、四つ子ちゃんも追い詰められてんだなーと思って」
「追い詰めたのはどこの誰だ!」
「ポケモン協会ですね、わかります」
 ルシェドウの指が伸び、缶の中から乾パンを一つかっさらっていく。

 二人と一体はしばらく、ぼりぼりと乾パンを咀嚼していた。
 妙に和やかな雰囲気になっているが、レイアにとっては不可解この上ない。ルシェドウが今ここにいることについて疑問しかない。しかしもともと口数の多い方ではないので、ルシェドウが口を開くのを待っていた。
 果たして、ルシェドウは再び陽気に口を開いた。
「で、セッカに榴火のことは任せろって言われちゃったんだよね」
「……待て、文脈が分からん」
「セッカってかっこいいよね。普段はお馬鹿なくせに、いざとなったら俺様っていうか女王様っていうか、あれギャップ超やばい。あんなに強く迫られたら拒めないっつーか、覚醒するわ」
「――その話はもういい! なんでてめぇがここに来たかだけ話せ!」
 何度目かの怒声を上げる。
 ルシェドウはへらへらと笑った。
「まあご存知の通り、ルシェドウさんは榴火を何とかすべく情報を集めつつ、榴火本人を捜してたんですよ。でも考えても考えても、榴火をどうにかできる気はせんし、そもそも榴火に会えんしよ。そんな時にヒヨクシティでセッカに会ったわけだ」
「…………はあ」
「そんな迷える俺に、セッカはかっこよく、榴火のことは任せろと、そう言ったわけですよ」
「…………あっそ」
「というわけで無性にレイアに会いたくなった」
「――意味不明!!」
 レイアは懲りずに怒鳴る。その腕の中でヒトカゲが機嫌よくきゅっきゅと鳴いている。
「なんで? ねえなんで!? お前つまり、セッカに惚れたわけ? だから俺に会いに来たとか、そういう系!?」
「いや、違うなー。俺は疲れたの。榴火のことを忘れたくなって、セッカに優しくしてもらって……そしたら自然と、レイアのことが頭に浮かんだのさ」
 ルシェドウはしみじみと語っている。
 レイアはやたらに緊張しつつ、先を促した。
「……で?」
「榴火とは何年も前から交流があったけど、考えてみたら榴火には俺の仕事とか手伝わせたりしてねぇなーって思って。いろいろ仕事を助けてくれたのって、ほとんどレイアだったなーって」
「……論旨が不明瞭……」
「榴火とは仕事上でのお付き合いだった。それに比べてレイアとは、信頼で結ばれた、純粋な友情があったなー、と思った」
「……その友人と同じ顔した奴と恋愛関係になった点については?」
「反省してますん」
「――どっちだ!」
 ルシェドウは朗らかに笑ってレイアの肩を叩く。
「ショウヨウではロフェッカが、ごめんな。榴火のせいで面倒な思いさせてごめん」
「……じゃあ、てめぇは俺ら四つ子を見逃すってのか?」
「それとこれとは話が別なんだなー」
 レイアは顔を顰める。
「だったら何をしに来たんだ。てめぇは榴火のことを忘れて、“友達”の俺に会って、何がしてぇんだよ」
「相談に乗ってよ、レイア」
 ヒトカゲの尻尾の赤い炎に照らされる中、ルシェドウはにっこりと笑んでいる。


「ずっと榴火を捜してるんだけどさ、なんかバレるのかなぁ、避けられてるのか知んないけど、全然会えないんだよね、榴火に」
「……あっそう」
「協会のお偉いさんにはどつかれるし、あと一週間以内に成果出さないとたぶん給料減らされる」
「……ドンマイ」
「だからこないだ、ロフェッカに泣きついてみたんだよ。そしたら喧嘩になった……」
 ルシェドウは薄笑いを浮かべながらも、どこか遠くを見つめている風である。ヒトカゲの尾の炎に赤く照らされたその顔を、レイアは上目遣いに眺めていた。
「榴火のことがどうにもできないなら、せめて俺は榴火の邪魔にならないようお前ら四つ子を捕まえるべきじゃないのか。――そういう事をロフェッカに個人的に相談したら、すげー怒られた」
「……おう……ドンマイ」
「責任感が足りないってさ。榴火のことを本気で考えてんのか、って。なーんか、レンリでも四つ子ちゃんに同じよーなこと言われたなーって思ったね」
「……そうだっけか」
「ロフェッカにあんなに怒られたのは初めてだったな……。へこんだ。ここだけの話、マジで泣いた。そんでレイアに会いたいなーって思って、ロフェッカからレイアのいそうなクサいとこ聞き出して、んでロフェッカの許可も無しに勝手に輝きの洞窟に乗り込んだわけ。オンバーンの超音波で探ったらすごく奥に誰かいるから、こりゃ当たりだって思って」
 そうしてルシェドウはここにいる。
 レイアは何気なく顔を上げて、しかし友人と視線が合ったのですぐヒトカゲに視線を落とした。ヒトカゲはレイアの膝の上でのんびりと自分の尾を前足で抱え、舌で舐めて身づくろいをしている。
 そこでルシェドウが言葉を切ってしまったので、レイアは適当に口を開いた。
「……で、てめぇは俺と会って、どうすんの?」
「幻滅してる」
「はあ!?」
 ヒトカゲがびくりとした。
 ルシェドウはレイアのしかめっ面を面白がるように朗らかに笑っている。レイアは怒鳴った。
「――んだよそりゃ! 勝手に会いに来て勝手に幻滅とか、無礼にも程があんだろ!」
「いやぁ、ごめんて。ただ、レイアに会ってみて、分かったんだよ。俺が会いたかったのはレイアじゃなくて、セッカだったんだなぁって」
 レイアは岩壁に頭を打ち付けた。


「…………てめぇ…………セッカはやらねぇぞ…………」
「えー」
「…………やるもんか…………いや、違うな…………セッカだけはやめとけ、後悔するぞ…………」
「セッカの武勇伝なら本人から聞いたよ。なんでも、五歳の時に小児趣味の強姦魔に誘拐されておきながら、その犯人とそのままセのつくお友達になっちゃったとか。あと愛人宅を転々としたおかげでポケセン利用履歴が三年空いて、警察沙汰になったこともあるらしいな?」
 レイアは壊れたように岩壁に頭を何度も何度も打ち付けた。――武勇伝どころか黒歴史だが史実だ。セッカのおかげで四つ子がどれほど家族会議でウズに泣かされたか、とても数えきれない。セッカは究極の馬鹿なのだ。
 レイアが抱える説明しようもない気持ち悪さも知らぬかのように、ルシェドウはしみじみとセッカを懐かしがる。
「セッカはかっこいいよね」
「……キモ……キモい。キモい。てめぇも変態か……」
「レイアはセッカのこと、嫌いか?」
「嫌いじゃねぇよ好きだよ! 俺やキョウキやサクヤにできねぇことを平然とやってのけるセッカに痺れて憧れて惚れるレベルだよ!」
 断言するレイアに、ルシェドウはぷすぷすと笑いをこらえきれない。
「く、くくく……四つ子おもしれー……。……セッカはすっごく寂しいけど、かなり豊かだよね」
「……意味不明だぞお前……」
「つまりね、ルシェドウさんは必死こいて榴火やロフェッカにラブコール送ってたわけよ。でも榴火には無視される、ロフェッカには手酷くやられる。……寂しいよね。だからセッカに会いたかった。でも恥ずかしいから見栄張って、セッカじゃなくて友達のレイアに会いたいんだって、自分の気持ちをごまかした」
「――俺はただの当て馬じゃねぇか!」
 レイアは両手で顔を覆って喚いた。これほど切ないことがあるだろうか。
 恨みがましく顔を上げ、ルシェドウを睨み上げる。
「……いいこと教えてやるよ。セッカはてめぇのこと、ただの道具としか思ってねぇから」
「ふうん。やっぱ片割れには分かるんだ?」
 茶化すような口調に、レイアは表情をまじめに改めた。恐ろしい予感に内心では慄きながら。
「……あいつ、ある意味キョウキより、まともじゃない。だからルシェドウ、セッカのことは忘れろ。……友人としての助言だ。遊びじゃなしにあいつに関わるのは、絶対に駄目だ。……殺されるぞ」
「やっぱ、お前ら四つ子と榴火は似てるね。ほんと大好き」
 ルシェドウは寂しげに微笑んで、そう囁いた。そのまま項垂れる。
 レイアは表情を強張らせたまま、自分たち四つ子の最終兵器に敗北した友人の鉄紺色の髪を見つめていた。

 セッカは、自分たち四つ子の敵であるルシェドウを潰す気だったのだ。
 ルシェドウの弱さ甘さに付け込んで、容赦なく叩きのめすつもりだ。ルシェドウの精神を徹底的に破壊して、仕事ができない状況にするつもりなのだろう。どのような手を使ってかルシェドウをここまで己に依存させて、ロフェッカにも厳しく注意されるほどにまで憔悴させて。
 セッカは何かを成そうとしてこのような事をしたはずだった。しかしあの道化の片割れの考えていることは、レイアにはとても分かりそうになかった。
――すべてをセッカ任せにしていていいのか?
 疑問がレイアの頭をかすめる。一人で旅をしていた間、浮かんでは必死に隠してきた根源的な問いが、今また染みのように呪いのように立ち現れる。
 ポケモン協会は敵だ。現在、ルシェドウは四つ子の敵だった。けれどルシェドウはレイアの友人でもあるのだ。セッカは敵を攻撃したが、それは即ちレイアの友人を傷つけたということでもある。
 ルシェドウを敵とみなすことに、当初レイアは特に抵抗を覚えなかった。それは欺瞞だったのではないか、何も分かっていなかったのではないか。ようやくそう思い至る。
 ルシェドウを敵にするなら、セッカが敵を排除するだろうことは容易に想像がついたのに。
 レイアの友人は、疲れ果てていた。もはや見る影もなかった。
 切なくなって、レイアは視線を逸らす。

 ルシェドウは顔を上げる。その諦めたような眼差しに気付き、レイアは心なしかぎくりとした。
「……な、何」
「俺の負けだ、レイア。俺は榴火からも、お前ら四つ子からさえも、信頼を勝ち得ることはできなかった。――モチヅキさんが羨ましいよ」
「……は? え、も、モチヅキ……が……何?」
 その問いに対する答えはなかった。ただレイアは急にルシェドウに真正面から抱きしめられた。ヒトカゲが小さく悲鳴を上げ、レイアは息が詰まる。
「……な、なに、なになになに?」
「大好きだよ、四つ子ちゃん。本当に愛してる。可愛さ余って憎さ百倍、か、ウズさんの気持ちも分かるかも。……でも好き。好きだよ。ウズさんもお前らのこと大好きだと思うよ、だからウズさんのこと許してあげてな……」
「…………ルシェドウ?」
 レイアは友人の名を呼んだ。
 そっとレイアから身を離したレイアのかつての友人は、ゆらりと立ち上がる。無造作に鉄紺の髪をかき上げた。
 見下ろす双眸は、刃のように青鈍色に凍てついていた。
「カロス地方の全ポケモントレーナーを統括するポケモン協会カロス支部の命令です。すべての手持ちのポケモンをモンスターボールに収納した上でボールをロックし、職員に同行してください。なお、職員の指示に従わない場合、職員は当該トレーナーに対し目的を達成するために必要な範囲でのみポケモンの力を行使する権限を有します」
 レイアはかつての友人を哀れに思った。


  [No.1493] よもすがら都塵に迷う 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/01/06(Wed) 20:59:34   28clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



よもすがら都塵に迷う 下



 チルタリスがバランスを崩す。
 天高く架かった十六夜の月が視界を滑る。
 夜空に投げ出されたサクヤを、ゼニガメが追う。
 咄嗟に体勢を立て直したチルタリスが急降下し、その背でサクヤとゼニガメの体を受け止め、その衝撃で再度姿勢を崩した。綿雲のような羽毛を必死に広げて空気を抱き、勢いを殺そうとし、それでも地に叩き付けられ、赤い泥に青空色の羽毛を汚した。
 小柄なルカリオはおろおろしつつ、それでも己が撃墜したサクヤやゼニガメやチルタリスの傍には近寄らない。
 サクヤは全身の激痛を堪えつつ、横たわったまま顔を上げた。
 夜凪の波音と潮のにおいが瞼を掠める。

 ざっ、ざっ、と紅い砂を蹴るような靴音がすぐ傍まで来たかと思うと、濡れた浜に流れる青い領巾が踏みにじられた。
「お久しぶりです」
 サクヤは歯を食いしばり、身を起こしかけた。その左肩を靴底で蹴飛ばされる。散った砂が頬を打った。痛みに悶える。
 長身の若者はそれを楽しげに見下ろしていた。
「こんばんは、四つ子さん。自分のこと覚えてますか?」
 サクヤはその男の顔も見ず、ただ血の混じった唾を湿った砂浜に吐き棄てた。こちらの名すら覚えていない相手の名を覚えている義理などない。
「…………忘れたな」
「やだなぁもう、エイジですよ。キナンで四つ子さんの家庭教師をやってたじゃないですか」
 短髪の男はふわふわと笑いながら、横たわるサクヤの頭や肩や腰を戯れのように蹴りつけていた。
 エイジの傍らにはゲッコウガが影のように従っている。ゼニガメがいきり立ってサクヤを助ける体勢に入ると、ゲッコウガの放った水手裏剣がゼニガメを鋭く弾き飛ばした。


 夜空の下、町はずれの崖下の海岸。
 潮のにおいは血のにおい。
 エイジのゲッコウガの舌は伸び、モノクロの服装に身を包んだ青年ユディの体を捕らえていた。主を人質に取られているがために、ユディのルカリオはサクヤの波動を感知した上で、波動弾でサクヤの乗っていたチルタリスを撃墜したのだ。サクヤはルカリオにも同情はするが、ただおろおろと強者の言いなりになるばかりの小柄なルカリオには飼い馴らされたものの哀れさを覚えた。
 キナン以来に見るエイジは、白いスーツの上にパーカーを引っかけ、そのポケットに両手を突っ込んで、愉快げにサクヤを見下ろしては靴底で踏みにじる。毒々しく笑い、低く毒づいた。
「いやぁ、よくもまあやってくれましたね。捜しましたよ四つ子さん。あと三匹、どこにいるんです」
「――エイジさん!」
「あ、すみませんユディさん。お疲れ様でした。ゲッコウガ、ユディさんを放していいよ」
 エイジの指示にゲッコウガが舌を巻き取り、拘束していたユディを解放した。そこにルカリオが駆け寄り、ユディに飛びつく。
 すっかり怯え切ったルカリオを抱きしめてやりながらも、月砕く海を背後にユディは強張った表情で、サクヤを蹴るエイジを睨む。
「……やめてください!」
「いや、このためにユディさんを捕まえたんで。自分、四つ子さんには恨みあるんですよね。この程度じゃ収まらない。……その汚い髪も眼球も内臓も血液も骨髄も皮膚も全部バラして売ってやる。四人分だ。そのお金で世界を浄化できるんだ、四つ子さんも幸せでしょうよ」
 そう笑顔でまくし立てるエイジに呆気にとられ、ユディは顔色を失って立ち尽くしていた。
 サクヤは骨すら折られかねない勢いで蹴りつけられて波打ち際に身を丸めるばかり、ゼニガメがエイジめがけて放ったロケット頭突きはエイジのゲッコウガにあえなく阻まれる。
 ゲッコウガだけではなかった。エイジはメレシーやバンプジンも侍らせている。
 ユディはポケモンを持っているとはいえトレーナーではないから、元トレーナーのエイジにポケモンバトルを仕掛けても勝てるとはとても思えなかった。けれども四の五の言ってはいられない。ユディはなりふり構わず、もう一つのモンスターボールを空に投げ上げる。幼馴染を助けるべく。

「出てこいジヘッド! 吠える!」
 ユディの投げたボールの中から現れた乱暴ポケモンの二つの頭が、同時に絶叫した。
 不意を突かれたゲッコウガが本能的に、エイジのボールに逃げ戻る。
 エイジは眉を上げた。
「おやまあ」
「今だルカリオ、サクヤを!」
 ユディは叫んだが、すっかり狼狽しきっていたルカリオはユディの曖昧な指示を瞬時に理解できず、びくりとして狼狽える。
 その隙にエイジのメレシーのパワージェムが、ユディのジヘッドを吹き飛ばした。
 続いてエイジのパンプジンがタネマシンガンで小柄なルカリオを撃ちすえると、ルカリオは反射的に波動弾で反撃を試みるが、これは効果がない。
 エイジはサクヤの胴体を踏みにじりながら、ユディに向かって失笑した。
「ははっ、まあトレーナーやったことない方はその程度ですよね」
「ルカリオ、メレシーにボーンラッシュだ! ジヘッドはパンプジンに、噛み砕く!」
 ユディは噛みつくように叫んだ。
 それは正確無比な指示だったが、それでもエイジのメレシーはルカリオのどこか雑な動きをふわりふわりと躱してしまうし、パンプジンは影に沈み込んでジヘッドの顎から逃れてしまう。ユディのポケモンがどれほど必死に追いすがっても、エイジのポケモンには軽くあしらわれるばかりだった。
 エイジはさらに笑う。
「ははっ、ユディさんはまともでも、やっぱポケモンたちが戦い慣れてないから駄目ですね!」
「エイジさんこそ、ポケモンは戦い慣れてても、あんた自身が戦い慣れてないから駄目だな!」
 エイジは目を見開いた。
 ルカリオとジヘッドに構わず、二体の主であるユディ本人が、直接エイジに飛びかかってきていた。
 ユディは華麗な背負い投げを決めた。エイジの長身は吹っ飛んだ。


 ウズ直伝のユディの背負い投げ。受け身の取り方など知りもしないエイジを一撃で夜の海に沈め、それを目を細めて見下ろして、ユディは息を吐く。
「元トレーナーはポケモンに頼りすぎなんだよ」
 それからメレシーとパンプジンが伸びているエイジの周囲で戸惑っているのを確認すると、ユディは砂浜に倒れ込んだ幼馴染の傍に屈み込み、その顔を覗き込んだ。
「……サクヤ、大丈夫か!」
 サクヤは返事をせず、色濃い砂浜を拳で殴って身を起こしかける。そのこめかみは傷つき、着物はあちこちが砂にまみれ汚れている。ユディがその肩を抱えるようにして助け起こしてやると、呻き声が上がった。
 こちらも身を起こしかけたチルタリスとゼニガメがサクヤの傍に寄り集い、主人を心配そうに覗きこむ。
 サクヤの髪についた砂を払ってやりながら、ユディは俯いた。
「……サクヤ、悪い、巻き込んで」
 ユディの謝罪に構わず、サクヤは項垂れたまま鋭く叫ぶ。
「ぼやぼやするなルカリオ! 奴を捜せ!」
 ユディはその肩を抱いたまま、背後を振り返った。そして目を瞬いた。
 エイジとメレシーとパンプジンの姿が忽然と消えていた。
「……消えた!?」
「おおかたゲッコウガが自力でボールから出て、あの男を連れ去ったんだろうさ。……おいルカリオ、あの男の波動を追えと言っているんだ」
 ユディのルカリオがびくりと身を震わせ、それでも主より格上のトレーナーの指示に素直に従ってエイジの波動を探る。そのサクヤの咄嗟の判断にユディはつい感嘆してしまった。
 そうこうしているうちにサクヤはよろよろと自力で立ち上がり、翼に傷を負ったチルタリスをボールに戻し、ゼニガメを抱き上げた。ユディもジヘッドをボールに戻す。
「お疲れ、ジヘッド。で、サクヤちょっと怪我見せろ」
「触るな」
 傷の様子を見ようとするユディの手を払いのけ、サクヤは不愛想に低く唸った。
「……ユディ、何が起きてる……」
「俺はモチヅキさんから連絡があって、ルカリオの力でレイアを捜してた。そしたらエイジさんに――もともと大学のサークルで知り合いだったんだが……捕まって、まあ後はお察しってとこだな」
「友人は選べ」
 ルカリオが軽く吼えて、南東めがけて軽く駆け出す。ユディの制止も待たず、ゼニガメを抱えたサクヤは歩き出した。
 サクヤは早足に歩を進めつつ視線を左右に走らせる。右手に夜の海、左手に巨大な岸壁。その光景には見覚えがあった。
「……コウジンタウンか」
「そうだ。ルカリオによると、レイアはこの東の、輝きの洞窟じゃないか」
 ユディはすぐに追いついてきた。サクヤは眉を顰めた。
「おい、ルカリオはあの男を捜しているんだろうな?」
「ま、お前がそう指示したんならそうだろうな。エイジさんもレイアを捜してるのかもな……っていうか、お前ら四つ子を捜してんじゃ?」
「なぜ」
「さあ。俺は何も知らんし。お前らアホ四つ子がキナンから脱走したことと関係あるんじゃないのか?」
 ユディは涼しい声でそう応じた。



 コウジンタウンの南東に向かいつつ、サクヤは黙考する。
 レイアを迎えに行くために空路で輝きの洞窟に向かっていた途中で、ユディを人質に取ったエイジに狙撃された。エイジは四つ子を狙っているのか。
 キナンシティでセッカが語った仮説がすべて正しいとするならば、エイジはフレア団の人間だった。フレア団は四つ子をどうするつもりなのか。既に四つ子はポケモン協会の敵となっているから、協会とフレア団の利害が一致した今、フレア団は容赦なく四つ子の命を狙ってくるかもしれなかった。現在においては最悪のケースだ。
 この事態を打開するには、四つ子は少なくともカロス地方にいるわけにはいかなかった。だからサクヤは一刻も早くレイアを連れて、キョウキとセッカと合流し、この地方から逃げなければならない。
 逃げることだけを考えればいい。
 サクヤにはもはやフレア団やポケモン協会の意図など、どうでもよかった。

 二人はコウジン南東のゲートに入る。そこでようやく、それまで黙っていたユディがサクヤに質問を投げた。
「……なあ、訊いてもいいか? サクヤも、レイアを捜してるんだよな?」
「そうだ」
「キョウキとセッカは?」
「キョウキが、セッカをミアレに迎えに行った」
「――なあサクヤ、お前のチルタリスはまだ飛べるか? レイアを見つけたらどうするつもりだ? 俺はどうしようか?」
 ユディはサクヤの半歩後ろで、矢継ぎ早に質問を投げつけた。
 ゼニガメを抱えたサクヤは、明るいゲートの半ばで立ち止まる。ユディも半歩遅れてその隣で立ち止まった。ルカリオも二人を振り返りつつ歩を止める。
 ユディは肩を竦めた。
「……ま、エイジさんだって、俺のルカリオやお前のニャオニクスがいなけりゃ、そうそうレイアも捕まえられないだろ。ちょっと落ち着け、サクヤ。まず傷の手当てさせろ」


 ルカリオを伴ったユディとゼニガメを抱えたサクヤは、コウジンタウン南東のゲートのベンチに腰を下ろしていた。ユディが持っていた救急セットを開いて、サクヤの頭や肩の傷を手早く手当てしてやっている。
 幼児のようにユディの手当てを受けつつ、その間ずっとサクヤはぶすくれていた。
 敵はポケモン協会や榴火だけでないのだ。エイジはユディを使って四つ子を探し出し、処分するつもりだ。キナンシティの山奥でフレア団によって消された、反ポケモン派の人間と同じように。
 エイジはユディによって一時退散したが、そのまま輝きの洞窟へとレイアを始末しに向かっているとしか思えなかった。だから呑気に傷の手当などをしている場合ではないというのに、しかしユディの言う通り、このままレイアと合流したところで、その後の離脱のあてがないのだった。
 当初サクヤは、レイアを輝きの洞窟から連れ出したあと、チルタリスでクノエシティまで飛ぶつもりだった。ところがチルタリスは翼に傷を負ってしまい、また、ユディを一人置き去りにするわけにもいかないのだ。
 レイアやユディの手持ちに飛行タイプはない。輝きの洞窟からの離脱が困難だった。こんな事ならモチヅキのムクホークを借りるか、ウズに頼んで海神を召喚してもらうか、あるいは最終兵器セッカを放置してキョウキと共にレイアの救出に向かうかするべきだった――後悔が募るばかりで、打開策は浮かばない。
 ユディの手当の手つきがどこかたどたどしくて、腹が立つ。
 サクヤは焦る。焦りに焦る。
 キョウキやモチヅキが榴火に殺されかけて、そちらの二人も心配だというのに、レイアの救出がままならず、さらにはユディという荷物も増えた――。
 そのとき、サクヤの傷の手当てを終えたユディが、ぺちりとサクヤの片頬を軽く叩いた。

「サクヤ。しっかりしろ。レイアを何とかできるのはお前だけなんだから」
 サクヤの頭にかっと血が上る。
 右の拳を振り抜き、ユディの横面を吹っ飛ばした。
「――偉そうに――貴様が! 貴様のせいだろう!」
 ゼニガメはサクヤの膝の上で空気を読まずにけらけら笑い、小柄なルカリオはサクヤに怯えて身を縮める。
 当の殴られたユディは涼しげな表情もそのままに、まっすぐサクヤを見据えて早口にまくしたてた。
「そうだ。モチヅキさんに頼まれたとはいえ、不用心に出しゃばった俺のせいで、サクヤには迷惑をかけている。本当にすまない。だが――」
「言い訳は要らん。黙れ黙れ黙れ! お前はいつもいつも口先ばかり。さっきのバトルも何だ? 足手纏いなんだ!」
 サクヤは珍しくも怒りを言葉に爆発させた。
 するとユディも声を荒らげて応じた。凄まじい早口である。
「俺にだってできる事くらいあるはずだ! だからこんな喧嘩は無意味だろうサクヤ、俺に当たるくらいなら、どうすればレイアを連れて無事に逃げられるか考えろよ!」
「お前に指図される謂れはない! 出しゃばっている自覚があるなら帰れ、ユディ。お前がいると事態が悪化する。邪魔だ!」
「俺を放っとく? 正気かサクヤ? 俺はもうポケモン協会にもエイジさんにも面割れてんだぞ? 俺一人じゃ逆らえない、俺を放っとけばむしろお前ら四つ子の不利益になると思うんですがね!」
「知ったことか! 貴様が僕らを知らないふりすればいいだけのことだろう、まったくおとなしくただの学生をしていればいいものを、ろくに戦えないくせに無闇に出しゃばって、目障りなんだ!」
「そんなことは今は関係ない! だから、サクヤ――」
 サクヤとユディはひとしきり怒鳴り合った。加熱する言い争いにますます小柄なルカリオは震えあがり、ゼニガメもサクヤの膝から転げ落ちてようよう顔色を失う。
 そこに割り込んだのは、気まずげな壮年の男の声だった。
「……えっとー……おーい」
 いつの間に傍に立っていたものか。
 金茶の髪のロフェッカが、困り果てたように笑いながら二人の若者を見下ろしていた。


 ユディがびくりとして立ち上がり、しかし気まずげにロフェッカから視線を逸らす。
「……どうも、ロフェッカさん」
「おーユディ坊、連絡くれなくって寂しかったぜー? お前さんなら四つ子の居場所分かるって分かってたかんな、頼りにしてたのによー」
 ロフェッカは鷹揚に笑うと、馴れ馴れしくユディの肩に太い腕を回した。ユディは気まずげにサクヤに視線を送る。
 そこで三者は黙り込んだ。
 ロフェッカはにやにやとサクヤを見下ろしている。
 サクヤはベンチに座り込んだままロフェッカを見上げ、表情を凍り付かせていた。
「…………なんで……貴様が」
 ロフェッカはユディの頭を顎でぐりぐりしながら、サクヤに笑いかける。
「ま、ここだけの話、ポケモン協会は、エスパーポケモンのテレポートを使った転送部隊っつーのを、各町に配置しててな」
「……テレポート……」
 なるほどそういう移動手段も十分実用に堪えるだろう。ポケモンのテレポートを使ってロフェッカは、チルタリスによって空を渡ったサクヤよりも速く、コボクタウンからコウジンタウンまで来たのだ。
 何のためにか――もちろん、ロフェッカもレイアを捜しているのだ。
 フレア団とポケモン協会に先んじられつつあるという事実。表情を強張らせたサクヤを見下ろし、ロフェッカはにやにやと下卑た笑いを浮かべる。
「いやぁ、サクヤちゃんがコウジンに来たっつー連絡を受けて、おっちゃん、コボクから慌てて飛んできたのよ。んじゃま、レイアちゃんのとこまで案内してもらいましょうかねぇ?」
 粘っこく言い募る。
 そのいやらしい口調にサクヤはそっぽを向いた。
「……やはり貴様、あの家庭教師とグルか」
「いやいやとんでもない! 俺らはお前ら四つ子をフレア団から保護しに来たんだぜ?」
 ロフェッカは大仰に両手を広げてみせた。
 事情を知らないユディは目を白黒させて、ロフェッカとサクヤを見比べている。
 サクヤは剣呑に目を細めてロフェッカを睨む。
「……どういう意味だ」
 サクヤが素直に質問を返したことに満足したのか、ロフェッカはにんまり笑った。
「俺も、キナンに突然現れたエイジの素性については一通り調べたのよ。そしたらあいつ、どうも犯罪組織のフレア団員らしくてさ。こりゃいかん、四つ子がフレア団に狙われてる! ――ってわけで、ポケモン協会は四つ子をフレア団から保護することに決定した!」
「四つ子がフレア団に狙われている? 本当ですか?」
 ユディが目を瞠ってロフェッカを問い詰めると、ロフェッカは得意げに大きく頷いた。
「おーマジよマジよ、大マジよ。っつーわけだサクヤ、レイアとキョウキとセッカの居場所を教えな。お前さんらをフレア団から保護する。……大丈夫だ、俺がお前らをエイジから守る」
 ロフェッカはいい笑顔になって、優しく囁いた。拗ねる子供をあやすかのような声音。
 サクヤはゼニガメを抱きしめたまま、ロフェッカを睨んでいた。その反応に押しが足りないと感じたか、ロフェッカはユディの肩から腕を外すと屈み込み、サクヤの顔を覗き込む。
「……やっと分かったぜ、お前さんらが黙ってキナンからいなくなった理由。別荘に家庭教師っつって入り込んできたエイジがフレア団だって分かって、それで逃げ出したんだろ?」
 サクヤは黙っていた。それは事実に違いなかった。
 ロフェッカは心からすまなそうに頭を下げる。
「うん、俺が甘かった。悪いな、お前らを守るのが俺の仕事なのに、頼りにならねぇおっさんで。……だからよ、挽回させてくれよサクヤ。今度こそお前らを守る。絶対、悪いようにはしねぇ」
 機嫌の悪いサクヤはただただ沈黙している。
 そこにユディが静かに口を挟んだ。
「……キナンでそういうことがあったのか。なあサクヤ、ロフェッカさんはいい人だ。それにロフェッカさんはレイアの前からの友達なんだろ? ロフェッカさんにもレイアを助けるのを手伝ってもらわないか? 時間もないし、今はレイアを助けることを優先すべきじゃないか」
 サクヤは渋い顔でユディを見やった。
 サクヤの目下の問題は、レイアを確保した後、いかにしてキョウキとセッカと合流するかということだった。ポケモン協会は各街にテレポート部隊を配備しているという。それを利用すれば、あるいはフレア団を出し抜けるかもしれなかった。
 ユディも賢げな緑の瞳を瞬いて、ゆっくりとサクヤに頷きかける。
 サクヤは嘆息し、青い領巾を引いてベンチから立ち上がった。
「……レイアをエイジから助ける。その後は……僕らをミアレに送ると約束しろ」
「お、ミアレシティにキョウキとセッカがいるんだな?」
 屈んだまま目を輝かせたロフェッカを、サクヤは冷たく一瞥した。


  [No.1494] よもすがら都塵に惑う 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/01/06(Wed) 21:01:25   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



よもすがら都塵に惑う 上



 輝きの洞窟。
 エメラルド色の苔に覆われた空間は幻想的に、対峙するトレーナーを闇に浮かび上がらせた。
 レイアは棒立ちのまま顎を僅かに上げて、目を細めてかつての友人を眺めている。友人は変わり果てていた。何もかも諦めざるをえなかった溺死体のような瞳で、乱雑にモンスターボールを二つ投げる。オンバーンとバクオング。
 ヒヨクシティでいったいセッカがルシェドウに何をしたのかは、想像するだにおぞましかった。生まれて初めてレイアは片割れに恐怖を覚えたし、かつての友人が哀れでならない。
 それでもレイアは片割れたちから逃げるわけにはいかない。ルシェドウに同情してやるわけにもいかなかった。

「爆音波!」
 ルシェドウが絶叫する。レイアも咄嗟に二つのボールを手に取り、エーフィとニンフィアを繰り出した。
「真珠、珊瑚。瞑想」
 オンバーンが大きな耳から、バクオングが大きく開いた口から、岩をも砕く威力の音波を発する。
 レイアのエーフィとニンフィアは瞑目して集中力を高め、体が吹き飛ばされるほどの振動も涼しい顔で受け流した。
 爆音波の余韻が消えるのも待たず、レイアは叫ぶ。
「真珠はマジカルシャイン、珊瑚はムーンフォース!」
 攻撃の対象は指定しなかった。薄暗かった洞窟内に、太陽と月とを合わせた眩い光が満ちる。
 オンバーンとバクオングは構わずに、爆音を発する。
 それは光エネルギーと音エネルギーの戦いだった。もはや何も見えず、何も聞こえない。
 それこそがレイアの狙いだった。
 エーフィとニンフィアの放った光が収まり、洞窟内の色が鈍い金緑に戻ったとき、ルシェドウは既にレイアの姿を見失っていた。

 ルシェドウはバクオングをボールに戻し、入れ替わりにモンスターボールによく似たビリリダマを繰り出す。
 ボールの投げられた勢いもそのままに、ビリリダマは転がる。暴発のエネルギーを秘めて。
 オンバーンの示した方向へビリリダマは滑るように回転し、猛烈な勢いで突っ込んでゆく。ルシェドウが笑って叫んだ。
「――ビリリダマいいよ、大爆発!!」
 その衝撃は歓喜の震え。
 レイアの逃げ込んだ枝穴を、ビリリダマは喜び勇んで爆破した。
 轟音。
 苔が飛び散り、天井が崩れる。
 爆音が空洞を駆け抜けていった。ぞくぞくするようなビリリダマの絶頂の瞬間だ。
 土煙の中から現れたレイアは、ヒトカゲを脇に抱え、牙の間から火の粉を漏らすメガヘルガーの背に横乗りになっていた。
 悪巧みしたメガヘルガーが首をもたげ、白焔の舌が洞窟を舐め尽くし、光る苔は黒炭と化す。
 熱と煙を吹き払ったのは、ルシェドウのバクオングの爆音波だった。
 黒煙をたなびかせて現れたレイアは、ルシェドウを横目で見やっただけだった。
 その刹那の、憐れむような眼差し。
 赤いピアスが白い首筋に揺れる。
 踵を返し、レイアを背にメガヘルガーは、落石を軽く飛び越えて熱風のごとく洞窟を駆け抜けていった。
 ルシェドウは目を眇めてそれを見送る。メガシンカしたヘルガーを深追いするのは危険だった。しかしみすみすレイアを逃がすつもりもない。ビリリダマの爆発の衝撃は確実にレイアの手持ちにダメージを与えたはずである。
 ルシェドウは瀕死となったビリリダマをボールに戻し、また移動を得意としないバクオングもボールに戻して、代わりにペラップを繰り出した。そのままオンバーンの背に乗る。
 立ち去り際のレイアの憂いを含んだ眼差しにセッカを、サクヤを、キョウキを、榴火を、アワユキを、モチヅキを、ロフェッカを想起して、ルシェドウは二の腕を粟立たせた。誰も彼もがルシェドウをそのような眼で見る。
 お前では力不足だ、お前には無理だ、お前は無能だ、と。
 誰もが蔑む。
 誰も信じない。
「…………逃がすかよ…………」
 唸り、オンバーンにレイアの行方を探らせ、ペラップを並び飛ばす。


 メガヘルガーの禍々しい骨のごとき首の装甲に手をかけ、レイアはその行く先はすべてこのエースに委ねていた。
 脇に抱えたヒトカゲは、背後を警戒している。その尾の明かりを頼りに、レイアはメガヘルガーの行く先を睨む。
 金緑に光る苔が後方へ飛んでいく。
 ルシェドウのポケモンの放った爆音波のせいで揺らいでいた空気はようやく静まり、メガヘルガーが落石を躱す必要もなくなって、レイアもようやく平静を取り戻しつつあった。
 ルシェドウを退けて、苔くさい洞窟の外へ。9番道路のトゲトゲ山道へ。
 一刻も早くサクヤと合流しなければならない。
 メガヘルガーが唸る。
 出口が近い。敵もいる。ポケモン協会の人間が待ち伏せしていたのだろうか。
 レイアは許可を与えた。
 酸素をたっぷりと含んだ外の空気を吸い込みざま、メガヘルガーは地獄の業火を広範に吐き散らした。
 人かポケモンか、幾つか悲鳴が上がるが、構わない。待ち伏せしていたにしては呆気なかったから、レイアが闇討ちした形になったのかもしれない。
 灼熱したメガヘルガーの爪が尖った岩場を蹴り、急峻な崖を数歩で駆け登る。山に入った。


 濃い夜空は微かに青みを含み、レイアは敏感に夜明けのにおいを嗅ぎ取った。メガヘルガーは針葉樹の森を駆け抜け、山脈の峠に出た。
 東には、巨大な渓谷がある。コボクタウンの南にあたる人里少ない野生ポケモンの聖域だ。
 思案するレイアのために、メガヘルガーは立ち止まり足踏みした。顔を上げて周囲のにおいを注意深く嗅ぐ。
 レイアはヒトカゲを抱えたまま、メガヘルガーの背に乗ったまま、黙考していた。――サクヤを捜さなければならない。が、どうやって?
 そう自問したとき、ひどく懐かしい片割れの声がした。
「レイア」
 呼ばれ、反射的に顔を上げる。しかしメガヘルガーは首を振り、針葉樹林に向かって焔を吐いた。サクヤがいるとレイアには思われた森に向かって。
 確かにサクヤの声だった。レイアはぎょっとしたが、すぐに思い直す。メガヘルガーにサクヤのにおいを嗅ぎ分けられないはずがない。本物のサクヤはここにはいない。
 乾いた針葉樹林を焦がすメガヘルガーの火炎は、山風に緋色に煽られる。
 メガヘルガーはレイアを乗せたまま姿勢を低くし、パチパチと音を立てて燃え盛る林を睨み唸った。

 爆音波に、赤い炎が吹き飛ばされる。ルシェドウだ。オンバーンの背に乗って空を飛び、メガヘルガーに追いついたか。
 メガヘルガーは音に追いやられるように飛び退り、レイアの指示も待たずに林の斜面を駆け下った。
「レイア」
 懲りずにサクヤの声がする。これはルシェドウのペラップの、ただのお喋りだ。レイアを油断させるための――。
「――タスケテクレ」
 そのペラップの真似ぶ声がレイアの耳に焼き付いた。ヒトカゲの噴いた大の字の炎が、かしましいペラップを追い散らす。その色鮮やかな羽根の舞い散るのを、レイアはおぞましい思いで見ていた。
 夜の残滓を、オンバーンとペラップが飛びちがう。その背に乗った鉄紺色の髪のかつての友人を、レイアは木々の葉陰から茫然と見つめていた。
「……お前……あいつを」
「レイア。取引しないか」
 オンバーンの背から、淡々としたルシェドウの声が降ってくる。
 レイアは緊張するメガヘルガーを押しとどめ、かつての友を見上げ、声を張り上げた。
「ルシェドウてめぇ、あいつはどこだ!」
「レイア、おとなしくサクヤと一緒に降伏しろ。でないとサクヤをフレア団に引き渡す」
「それは取引じゃなくて、脅迫っつーんだよ!」
 レイアが怒鳴り、メガヘルガーが上空のオンバーンめがけて炎を放った。
 ルシェドウを背に乗せたオンバーンはひらりとそれを躱す。ルシェドウはぼやいた。
「いいのか。サクヤがエイジに殺されても」
「エイジだと――」
「はいどうも、エイジですよと」
 メガヘルガーが咄嗟に跳躍し、地面に突き刺さる水手裏剣を回避する。
 するとパチパチと拍手が、燃え盛る林中に鳴り響いた。
「二匹め、発見。いやぁ、さすがですね四つ子さん。揃いも揃って怖い怖い。早くバラして売り払っちまいたいですよ、まったく」
 東の山の斜面を、ゲッコウガを伴ったエイジが下りてくる。
 林の中空にはオンバーンの背に乗ったルシェドウが、無表情にレイアを見下ろしている。
 レイアはヒトカゲをしっかり脇に抱え、メガヘルガーの背に乗ったままエイジを睨んだ。地上はエイジ。空からはルシェドウ。ここから脱することを優先すべきか、あるいは二人を相手に戦って勝利しサクヤの居場所を吐かせるべきか。

 ところがレイアの結論も待たず、メガヘルガーは勝手に動き始めた。いきなりの行動にその背に騎乗していたレイアは戸惑うが、メガヘルガーは愚かではない。
 すぐにレイアにも、山の地面が揺れていることが分かった。
 エイジがにっこりと笑い、指でつまんだモンスターボールをゆらゆらと揺らしてみせている。
「いや、逃げたって無駄ですよ。この山の根は既に自分のハガネールに食われている。この山全体が、とっくに地震圏内なのですよ。メガシンカしたヘルガーでも逃げきれない」
 メガヘルガーもレイアを背に乗せた状態で揺れる山を下りることが危険と判断したか、諦めて林の中に立ち止まった。唸りながらエイジを振り返り、食い殺さんばかりの目で睨む。
 長身のエイジは揺れる地面を一歩一歩、レイアの方に近づいてきた。
「四つ子さんがメガシンカを手に入れたというのは、まあ計算外でした。でも問題ないでしょう。林の中でテッカニンのスピードについてゆけるポケモンはなく、コジョンドの暗殺の手から逃れられるものはないんだから。諦めてください、四つ子さん」
 その言葉がはったりでないことは、レイアにも分かった。いつの間にかメガヘルガーの退路を塞ぐかのように、エイジの手持ちらしきテッカニンやコジョンドが火事の影に潜んでいる。
 レイアは何気ない動作でメガヘルガーの背から降り立つ。エイジを見やってにやりと笑ってみせた。
「あんた、落ちこぼれのトレーナーじゃなかったのか?」
「キナンでお話ししたでしょう? 自分はいったんは零落し、そしてその後とてつもない幸運に恵まれた、と」
 林の向こうで空の色が淡くなりつつあった。
 エイジは山中に似つかわしくない白いスーツの上に、パーカーを着込んでいた。そしてレイアの方に歩み寄りつつ、なぜかバリカンを手にしている。
 レイアはエイジの持つバリカンに気を取られつつ、一歩退いた。
「……な、なんだてめぇ」
「噛ませ犬臭がぷんぷんするセリフですね」
 エイジは笑いながらバリカンのスイッチを入れた。
 そして狼狽するレイアの目の前で、エイジはバリカンで自身の頭を剃り始めた。
 中空のルシェドウは沈黙を守ったまま、静かにエイジの行動を見守っている。レイアには何が何だかわからない。
「……な、ななな、なに、なになになになに――」
「ぶっちゃけるとですね、自分は社会のどん底にいたあの日、ボスに出会ったんです」
 エイジは短い茶髪を片端から見事に剃り落としつつ、呑気に語り出した。
「自分はそれまで、奪われてばかりでした。強いトレーナーに金銭を奪われる。痛ましく傷つく弱いポケモンたちに自尊心を奪われる。だから今度は奪う側に回ってよいと、ボスはそう教えてくださった」
「……な、何言ってんだてめぇ……」
「自分はボスに直にフレア団にスカウトされました。そしてポケモンバトルを一から学び、エリートトレーナーにも推薦していただいて、その路線から自分は高等教育を修了し、大学にまで入れさせていただいた。感謝してるんです。ボスの理想とする世界を創りたい。そのために血の滲むような努力をした」
 禿頭となったエイジは前のめりになるようにして、片手で自身の茶髪の残骸を払った。バリカンをパーカーのポケットに突っ込み、真っ赤なサングラスを逆のポケットから取り出す。パーカーを地面に脱ぎ捨てた。
 赤いシャツ、白いスーツ、赤い手袋。左耳に二つ、金のカフス。スキンヘッド。
 真っ赤なサングラスをかけたエイジは、顔を上げた。
「そうして、フレア団幹部まで登りつめた……」


 林から躍り出たコジョンドが、腕の体毛を鞭のように打ち据える。大きく跳躍したメガヘルガーに、飛び出したテッカニンが連続切りを仕掛けた。更にゲッコウガが水手裏剣を飛ばし、地底に潜んでいるらしいハガネールは地震を起こす。
 エイジの四体のポケモンが、一斉にレイアに襲い掛かる。まさしくリンチだ。
 さすがのメガヘルガーも、まず地震のせいでバランスを崩して応戦に間に合わなかった。レイアの腕の中のヒトカゲが咄嗟に敵を退けようと炎を吐く。それでも多勢に無勢である。
 その見るも無残な処刑を、オンバーンの背に乗ったルシェドウは上空から見ていた。
 ヒトカゲとメガヘルガーが四体を相手に果敢に応戦するが、山の斜面は大きく揺れ、なおかつトレーナーにも容赦なく攻撃を仕掛けるポケモンたちからレイアを守りつつ戦うのは骨が折れるようだった。
 テッカニンの居合切りが、レイアを傷つける。赤が飛んだ。レイアに赤はよく似合う――ルシェドウは場違いな事を考えながら、年若い友人が傷つくのをただ見守っていた。レイアを哀れむ資格もないことを自覚しつつ。
 ルシェドウにも、なぜこのような事になってしまったかは分かっていない。
 ただ、蔑まれるのが悲しくて悔しくて、愛した分が返されなくて、四つ子に逆恨みをしただけなのだ。だからエイジに協力した。それだけだった。

 それを詰るかのように、ルシェドウの耳元を灼熱の炎が掠めていった。鉄紺の髪が幾筋か焦げて、舞い上がる。オンバーンが一瞬だけバランスを崩す。
 レイアのメガヘルガーは、ルシェドウやその手持ちのオンバーン、ペラップを狙ったわけではないようだった。エイジのテッカニンが黒く焦げて、針葉樹の根元に転がっている。
 メガヘルガーの深紅の瞳が、周囲を睥睨する。
 レイアはスキンヘッドとなった赤いサングラスのエイジを睨み、叫ぶ。
「おいおい、どういうつもりだ、フレア団! ここで俺を消すってか!?」
 派手なサングラスのせいで、フレア団幹部の表情はわかりづらかった。しかしエイジが悲哀を込めて嘆息したように、レイアには思われた。
 林の向こうで、空が明るんでいる。
 エイジは美しくそり上げた白い頭を振り、深く溜息を吐く。
「……自分にも、もうフレア団が何を考えて、どこへ向かっているのか、分かりませんよ」
「はあ?」
 レイアは思わず大声を出した
「んだよそれ? 何だそれ! ふざけてんのかてめぇ!」
「何で怒るんですか、四つ子さん」
「そもそもてめぇ幹部だろ! あと、てめぇらの榴火のせいで、どんだけ俺らが迷惑被ってると思ってんだ!」
 エイジはやれやれと首を振った。
「ええ、ええ、榴火は問題児です。なまじ強いが、扱いにくい。本当に榴火と四つ子さんはそっくりですね。榴火が五人に増えたらさすがに制御がきかないので、四つ子さんには消えていただくことになったんです。お分かりですね?」
「意味分かんねぇ!」
「社会にとって榴火は邪魔だ。榴火は四つ子さんと同じだ。したがって、社会にとって四つ子さんは邪魔だ。――完璧な三段論法ですね、これでもまだ分からないんですか?」
 エイジの口調は完全にレイアを見下していた。
 メガヘルガーは相性の悪いコジョンドをも退けた。エイジは瀕死のテッカニンとコジョンドをボールに戻し、入れ替わりにメレシーとパンプジンを繰り出した。しかしいずれもメガシンカしたヘルガーに軽くいなされ、林ごと焼き払われヘドロ爆弾を受けて目を回す。
 レイアとエイジの力量差は歴然としていた。
 それでもフレア団幹部はゲッコウガだけを傍に置いて、笑っている。

 メガヘルガーの首筋を撫でつつ、ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスの四つ子の片割れは、厭そうに眉間に皺を刻んだ。
「……おいエイジ……俺らが社会にとって邪魔って、どういう意味だ……」
「同じ榴火を見てれば、分かるじゃないですか」
 エイジは赤いサングラスを外し、目を細めて微笑んでみせる。その瞳が紫水晶の色をしていることに、レイアは初めて気が付いた。
「四つ子さんとは、これでお別れです。キナンでの日々、まあまあ楽しかったですよ」
 エイジは寂しげに微笑んだ。
「なんで、出て行っちゃったんですか」
 地面が大きく揺れた。
 レイアから血の気が引く。しばらく地震が収まっていたせいで、山中に潜んでいたエイジのハガネールのことをつい失念していた。
 メガヘルガーがバランスを崩す。ゲッコウガを狙っていたはずのその炎の軌道が、逸らされる。
 オンバーンの背に乗っていたルシェドウが、息を呑む。
 白くかぎろう業火を浴びて、エイジはのたうちまわり――文字通り、蒸発した。精巧な手品でも見ているようだった。


  [No.1495] よもすがら都塵に惑う 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/01/06(Wed) 21:02:52   28clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



よもすがら都塵に惑う 下



 それきり地震は鎮まった。
 レイアもルシェドウも呆気にとられていた。エイジが跡形もなく消えた。
 ぶすぶすと熱がくすぶり、そこに残されたのはエイジのゲッコウガだけだった。表情の読めないゲッコウガは暫く主のいたところを眺めていたが、ちらりとレイアを見やると、風のように姿をかき消した。
 あとに残されたのは、メガヘルガーを伴いヒトカゲを抱えたレイアと、オンバーンの背に乗ったルシェドウだけ。
 メガシンカが解け、ヘルガーは戸惑うようにレイアの腕に鼻先を寄せた。レイアは呆然と立ち尽くしている。

 そこにルシェドウのぼんやりとした声が降ってきた。
「あ――……レイアが殺した――……」
「……は?」
 ぎょっとして上空を振り仰ぐと、オンバーンがゆっくりと焼け焦げた山林の空き地に降り立った。その背から降りたルシェドウは、無感動に焦げ跡を見つめていた。
「……オンバーンが、エイジさんが消えたってさ。えげつねーなー、メガヘルガーの炎で骨すら残らないとか……」
「は? ――え、は? え? え? え? ――え?」
 レイアは片手で頭を抱える。
 ぐらりと眩暈がした。山の斜面に足を取られ、ふらつく。
 林を散々燃やしたせいで辺りには煙が充満し、目も鼻も頭も痛い。熱い。
 三人分の足音が山の斜面を駆け上がってきて、レイアとルシェドウはのろのろと陽炎のようにそちらを振り返った。サクヤ、ユディ、ロフェッカ。
 ゼニガメを抱えたサクヤが一目散にレイアの傍に走り寄ってきて、片手でレイアの肩を掴む。
「レイア!」
「……サクヤ」
「おい、大丈夫か――」
 その切羽詰まった片割れの問いかけに答える余裕もなく、レイアは眩暈に負けて気を失った。
 山の向こうから登る太陽の光が、最後に視界に尾を引いた。




 かつての友人たちが言い合いをする声で、レイアの意識は浮上した。
 レイアが目を覚ましたのは、サクヤの腕の中だった。嗅ぎ慣れた、自分と同じ懐かしいにおい。サクヤに緊張した様子で抱きすくめられているのが、目を閉じてもレイアには分かった。
 もう一度ゆっくりと瞼を開いて、どうやらそこは清潔なホテルであることを認識する。ショウヨウシティでレイアが押し込められたものより一室は広々として、サクヤはベッドに腰かけ、横たわるレイアの上体を後ろから抱え込むようにしているのだった。
 同じ部屋の向かい合う椅子にルシェドウとロフェッカが座っており、何やら口論になっている。サクヤはレイアを抱きしめたまま、じっとそれに耳を傾けている。そして鏡台の前の椅子には、こちらもおとなしくユディが腰かけている。
 室内には五人。

 相棒が目覚めたことに気付いたヒトカゲが、思い切りレイアの胸に飛びついてきた。それまでヒトカゲに構っていたらしいゼニガメも笑ってレイアの腹に突撃する。
 ヒトカゲとゼニガメはかげかげぜにぜにと喧しく、それにサクヤが身じろぎし、ルシェドウとロフェッカも口論を中断させて振り返った。ユディが微笑してひらひらと手を振ってくる。
 サクヤがレイアの顔を覗き込む。
「……起きたか、レイア。僕が分かるか」
 レイアは片割れ、幼馴染、二人の友人を見回し、そしてサクヤに視線を戻した。
「サクヤ……どこここ」
「ホテル・コウジンだ」
「……ふうん」
 レイアは輝きの洞窟近くの山から救助されて、そこから最も近いコウジンタウンに運ばれたらしい。病院に運ばれるなどして大ごとにならなかったのは幸いだったとレイアは思った。レイアの体を抱きしめるサクヤの腕が痛かった。
 ユディが椅子から立ち上がり、レイアの傍まで歩み寄ってくる。
「具合はどうだ、レイア?」
「……ちょっと頭痛い」
「そうか。水とか飲むか」
 飲み物を用意するユディをレイアはぼんやりと見つめ、次いで窓際の二人の友人を見やった。ルシェドウとロフェッカは窓の外の曇天の白い光で逆光となり、表情が見て取れなかった。
 大柄なロフェッカが苦笑するような、それでいて低く穏やかな声を発する。
「よう」
「……あー」
「ショウヨウじゃ悪かったな。あと、ルシェドウが色々と勝手して、すまんかった」
 レイアはのろのろとベッドの上でサクヤの膝から身を起こし、ユディからコップを受け取って水を飲んだ。勢いよく飲み干し、一気に喉を潤す。
 ベッドの上では何やらゼニガメが感動にむせび泣く真似をし、ヒトカゲにジト目で呆れられていた。


 レイアは、右隣りに澄まして座っている片割れに目をやる。サクヤは軽く片眉を上げた。
「…………なに」
「いや、久しぶりだなと思って」
「シャラ以来だな」
「……あいつらは?」
「キョウキにはコボクで会った。キョウキはミアレまでセッカを捕まえに行っている」
「へえ。会えんの?」
「この協会の者たちが僕らをミアレに送る、という約束になっている」
 サクヤは始終眉を顰めていた。レイアはにやりと笑って肩をぶつける。
「なに? 照れてんの?」
「誰が」
「お前がだよ。俺のこと心配したかよ?」
「現在進行形で肝を潰している」
「サクヤがデレた!」
「笑い事じゃない」
 レイアが揶揄しても、サクヤからはいつものようには拳が飛んでこなかった。
 サクヤは自分の膝によじ登ってきたゼニガメの甲羅をそっと指先で撫ぜる。
「あのエイジとかいう男が、死んだ」
 レイアは特に反応を示さなかった。
 ユディも、窓際のルシェドウとロフェッカも口を閉ざしている。
 サクヤは溜息をついた。
「メガシンカしたインフェルノの炎で焼け死んだそうだな」
「……あ、あー…………――マジで?」
「現場を見たのはお前と、そこのルシェドウとかいう協会職員だけだ。で、ポケモン協会は今回の事件をどう扱うかで揉めそうだ」
「……へー」
「言っておくが、お前があの男を殺したということになったら、すべて終わりだからな」
「……エイジのやつ、マジで死んだの? ほんとに?」
「警察が調べれば、はっきりするんじゃないか。警察を呼べばの話だが」
 サクヤの声音は淡々としていて、レイアの頭もぼんやりとしていて、まったく現実感がなかった。
 部屋に数瞬、沈黙が下りる。
 ユディが首を傾げた。
「……レイアには、エイジさんを殺そうという故意はなかった。せいぜい過失致死だろう。まあ刑罰を科されることに変わりはないか」
「あのなぁユディ……ありゃ事故だろ。エイジのハガネールの地震のせいで、俺のインフェルノがバランス崩したの」
「自殺幇助?」
 ユディが発した小難しい単語に、レイアは途端に思考を放棄した。
「……事故じゃん。俺が殺したとか、ありえねぇ」
「レイア、人が死んでいるんだ。トキサさんの時より事態は深刻なんだぞ」
 諌めるようなユディの口調に、レイアは頭を抱える。
「……なんで? めんどくさい。ほんとなんで? エイジのやったことだ、フレア団の陰謀に決まってるだろ」
「でも事実は事実だし、法は法だ。真実を明らかにすべく警察は事実を調べないといけないし、場合によると刑事裁判になる」
「……なんで?」
 レイアはルシェドウとロフェッカに視線をやった。
 目が慣れてきたせいで、二人の表情が窺いやすくなった。ルシェドウはどこかぼんやりしているし、ロフェッカはやたら焦っているようだった。
 ロフェッカが慌てたようにレイアに笑いかける。
「あ、大丈夫だって、な、レイア。なんてったって相手はフレア団だし、こんなもん事故だし。警察だって逮捕もしねぇよ」
「でも、レイアのヘルガーが殺したんだよ」
 ルシェドウがぼそりと口を挟んだ。

 警察がレイアを殺人の容疑で逮捕するか――といったことの決定権は、実質的にすべてポケモン協会にある。ポケモン協会は司法においても絶大的な権力を持っているのだ。
 そのポケモン協会の態度が、どうも不可解だった。
 レイアやサクヤやユディが見るに、どうもロフェッカはレイアを助ける――レイアが警察の取り調べを受けたり裁判を起こされたりしないようにする――ことに積極的であるらしい。しかし一方では、エイジの死亡の現場を目撃したルシェドウが、レイアが殺したのだと先ほどからぶつぶつ言い張っているという始末。
 レイアもサクヤも、混乱していた。
 ロフェッカもルシェドウも、まだ警察やポケモン協会にエイジの死のことを伝えていないようだった。だから協会が本件に関してどのような態度をとるかは全く不明である。むしろエイジの死の痕跡がメガヘルガーの炎によって一切消し去られてしまった今、もしこの場にいる五名全員が沈黙を守れば、エイジが死んだという事実すら葬り去られかねない。
 何が正しいのか。
 レイアやサクヤは、エイジが死んだということ自体が信じられなかった。骨すら蒸発して、警察にも果たしてエイジの死を証明できるものか疑いすらした。けれどルシェドウは、レイアがエイジを殺したの一点張りである。
 ロフェッカが溜息を吐く。
「……ほんと、ルシェドウがおかしくなっちまったんだけど。こいつ大丈夫かね。精神科に連れてった方がいいかもしらん。こいつ最近過労気味だし、どうもまともに喋れてる気ぃしねぇんだよな」
「まともだって言ってるじゃん。ほんと失礼だな、ロフェッカ。俺は見たの、レイアがヘルガーに命令してエイジさんを焼き払ったとこ」
 ルシェドウが文句を言う。
 レイアが反論した。
「インフェルノは、あの野郎のハガネールが起こした地震で、バランスを崩したんだ」
「そうかなぁ。俺にはまっすぐエイジさんを狙ってたようにしか見えなかったな」
「そりゃてめぇの目がおかしいんだろ!」
「おかしくない。確かに見た」
 ルシェドウは淡々とそう言い張っている。
 なぜルシェドウがそう頑なにレイアを陥れようとしているのか、サクヤやユディやロフェッカには訳が分からなかった。ルシェドウやレイア自身にもよくは分かっていない。ただ分かるのは、今回の件がこじれれば、レイアが殺人を犯したことになるということだった。殺人は、重傷を負わせるのとは次元の違う、重大な犯罪だった。


 ロフェッカが溜息を吐いてルシェドウを押しとどめ、とうとう椅子から立ち上がる。そしてレイアとサクヤ、ユディの若者三人を見下ろして、はっきりと言い放った。
「今回のことは、様子を見て、ポケモン協会の上のもんに報告する。しばらく警察にも黙っておく」
「……何それ、ロフェッカ」
 ルシェドウがぶつくさいうのも、ロフェッカは無視した。
「協会が四つ子をどう評価するか、まだ分かんねぇからな。俺としちゃレイアを助けてぇ」
「だから、それって悪いことでしょ。正々堂々と警察に調べさせて、公正な裁判に判断を任せるべきじゃねーの?」
 ルシェドウは懲りずにロフェッカに反論する。どうも先ほどからこのような調子で、ポケモン協会の二人は口論しているようなのだった。ロフェッカはもう飽きたとでもいうように首を振った。
「言わせてもらうが、今のこの国の裁判は公正とは言えねぇ。ポケモン協会が白といえば白、黒といえば黒だ。だから裁判にはできん」
「ロフェッカが白って言えばレイアは白なわけ? それが公正な判断ってやつなの? ロフェッカはエイジさんが死んだとこ見てないくせに、よくそんなことが言えるよな?」
「俺からすりゃあな、ルシェドウ、てめぇの言い分が偏ってんだよ! レイアが人殺しするようなタマかよ? マジでそう思ってんのかよ? なんでダチを信じねぇんだ!」
「信じる信じないの問題じゃなくない? 殺人だ、犯罪なんだ。私情を挟んじゃ駄目っしょ」

 レイアもサクヤもユディも、やはり苦々しげに、その二人の口論を聞いていた。
 理屈としてはルシェドウの方が通っている、とも言えなくもない。けれどそのルシェドウ自身がレイアの犯罪を妄信しており、その時点でルシェドウという人格そのものが疑われるのである。であれば自然と、ロフェッカを頼りにすることになる。しかし公正な手続きを経ず、人の死を闇に葬ることが正義に適うかどうかは、甚だ疑わしい。
 ルシェドウとロフェッカの議論は、水掛け論だった。

 レイアが知る限り、ルシェドウとロフェッカはとても仲が良い。互いを相方と呼んで共に任務をこなし、常に笑顔で困難を乗り越えてきた、熟年夫婦のごとき信頼関係にあるというのが、レイアのこの二人に対する印象である。
 このように正当な根拠を相互に欠いた言い争いを延々と無為に続けているのは、愚の極みに思われた。
 ロフェッカは四つ子を捕まえて自由を奪おうとしていたくせに、なぜ今になって四つ子を刑事手続きという面倒から逃そうとしているのか、分からない。
 ルシェドウがなぜここまでレイアを憎み、あるいは生真面目に手続きを踏むことを主張しているのか、分からない。
 どちらも理屈を通しつつ、己の何かしらの利益を実現しようとしているはずだ。
 レイアにもサクヤにも、どうするのが自分たちにとって最もいいことなのか、分からなかった。


 終わりの見えない協会職員同士の議論を聞くのにも疲れ果て、ヒトカゲを抱えたレイアとゼニガメを抱えたサクヤとユディはベランダに逃げ出した。
 午後の曇り空はただただ白く、コウジンの紅い街並みと西の滄溟が臨める。
 三人は三様にベランダの勾欄にもたれかかり、息をつく。ユディが憂鬱そうに口を開いた。
「……なんていうか、ルシェドウさんとロフェッカさん、これからどうするんだろうな」
「俺、あいつらが喧嘩してるとこなんて初めて見たわ」
「相も変わらず、ひたすらに騒がしいだけの連中だな。実にくだらない」
 サクヤは海を睨んでいた。ルシェドウやロフェッカにはさほど興味はないらしい。
「早くキョウキとセッカと合流しよう。モチヅキ様やウズ様が協力してくださる。ジョウトに逃げる」
「そっか。お前ら、ジョウトに行くんだな。そりゃ寂しくなるな」
 ユディが囁く。
 サクヤは無言のまま、ボールからチルタリスを出した。ベランダの外に滞空させる。
「……フレア団に消されるよりかはましだ。これはただの島流しにすぎない。……ほとぼりが冷めたら戻るさ。カロスは僕らの故郷だからな」
 サクヤは手すりを乗り越えて、チルタリスの背に乗った。片手をレイアに伸ばしてくる。
 レイアは室内を振り返った。二人の友人は飽きもせず口論を続けている。
 ルシェドウとロフェッカは四つ子を裏切った、とレイアは思っていた――本当にそうなのだろうか?
 先に二人を見限ったのは、四つ子の方ではなかったか。
 もし無事にポケモン協会とフレア団と榴火から逃げおおせたら、セッカに変わって土下座してでもルシェドウに謝らなければならないとレイアは思った。大切な友人なのだから。今はレイアは、命を懸けて片割れを守らなければならないけれど。ルシェドウもいつか分かってくれるだろう。
 片割れの手を掴み、手すりを乗り越え、チルタリスの背に同乗する。ヒトカゲとゼニガメが顔を見合わせてきゃっきゃと喜んだ。
 ベランダに残されたユディは、笑顔で二人に軽く手を振った。
「気を付けろよ、アホ四つ子。応援してる」
「ユディも、色々と悪かったな」
「協会職員にはうまく言っておいてくれ」
「――ちょ、爆弾発言を残していくなって」
 四つ子の幼馴染はそれでも笑っている。
 チルタリスは二人を背に乗せ、北東へ向けて力強く羽ばたいた。