明雪 中
赤いピアスが風にあおられ、ちりりとなる。
脇に抱えたヒトカゲの尻尾の炎も風に揺れる。
綿毛舞い飛ぶ風の町、フウジョタウンにレイアは辿り着いた。すでに夕刻、辺りは闇に沈みかけて一層寒い。
15番道路のブラン通りの終わりがけで綿のような雪が降り始めたため、慌てて町に入ったのだ。ポケモンセンターを見つけたときには、レイアは両の腕で相棒のヒトカゲをしっかと胸に抱き込んでいた。この寒い中でモーモーミルクを売り歩いていた人間はとても正気の沙汰とは思えない。
暖房のきいたポケモンセンターに辿り着くと、じんわりと手足の指先に血が通い始める。まっすぐ受付に向かって、疲労の溜まっていたポケモンたちを預けた。ヒトカゲをボールにしまおうとすると、『ここが暖かいから自分はもう必要ないのか』とでも言いたげなヒトカゲの潤んだ瞳に出会った。仕方がないのでレイアはヒトカゲだけは預けず、再び脇に抱え直した。
そして痛む足を休めるべくロビーに向かって、レイアはぎょっと身を竦ませた。
しかし相手は、こちらに気付いた。
「……レイアか」
「うげぇ……モチヅキ」
レイアからは苦々しい声音しか漏れない。
ロビーで紅茶のカップを手に寛いでいたのは、漆黒の長髪を緩い三つ編みにした裁判官、モチヅキである。
モチヅキは、レイアたち四つ子の父親の知り合いだとかで、四つ子は幼い頃から面倒な諸々の手続きはこのモチヅキに任せっぱなしにしてきた。養親のウズに次いで二人目の養親とでもいうべき相手なのだが、レイアはこの人物が苦手であった。
モチヅキの黒い眼が、レイアを凝視してくる。
「……サクヤは」
「やっぱサクヤ待ちかよ。知らねぇよ。あいつ、ここに来んの?」
適当に吐き捨てて、レイアはモチヅキから離れようとした。しかし、青い領巾の片割れを彷彿とさせるようなモチヅキの涼やかな声が、レイアを追ってきた。
「約束の刻限を過ぎても、現れぬ」
それはもちろん、サクヤのことを言っているのだ。
レイアは溜息をついた。
レイアの片割れの一人、青い領巾のサクヤは、四つ子の中でも特にモチヅキに気に入られている。それがなぜかはレイアも知らない。しかし、モチヅキの前に出るたび、モチヅキがレイアを通してサクヤしか見ていないことに気付かされるのである。
レイアは首だけ回して、モチヅキを見やった。
「あんたさぁ、ほんとあいつのこと好きだよな?」
「…………あいつとは?」
「あーうっぜぇ、マジうぜぇそういうの。サクヤなんか知るかよ。どっかの洞窟でも探検してんじゃねぇの。そんな気ぃする。そんだけだ。言っとくが、ただの勘だからあてにすんな。俺はサイキッカーじゃねぇんだよ」
そう矢継ぎ早に言い捨てて、本当にレイアはモチヅキの傍から離れた。
しかし、レイアがポケモンセンター内の食堂で夕食を終え、階上にとった部屋に戻ろうとするところで、彼は再びモチヅキに呼び止められた。
「そなた」
「…………」
「サクヤが来ぬ」
「……知らん」
「今日の正午にはここに来るよう、伝えていた」
「……知るかよ」
「そなたら、連絡は取り合わぬのか」
「……取らねぇよ」
「先ほど、あれは洞窟にいる気がすると申していたな。洞窟の中で遭難しているのではないか。そういう事は分からぬのか」
「……ああああああ――知らねぇっつってんだよ! そんなにサクヤが恋しけりゃ捜しに行きゃいいじゃねぇか! それとも一人じゃ怖くて無理ってか? つまり俺に捜して来い、と? それこそ意味分かんねぇ!」
レイアは耐え切れずに怒鳴った。
しかしモチヅキは小さく鼻を鳴らした。
「そこまでは言っておらぬ」
「じゃあ、何だよ!」
「私を、ヒャッコクシティまで連れて行け」
モチヅキは黒い瞳でまっすぐレイアを見つめていた。
レイアは黙り込み、そして眉間の皺をますます深く刻んだ。ヒトカゲがもぞもぞとレイアの腕の中で動いている。
ようやくレイアの口から漏れた声は低い。
「……どういう意味だ。……そうか、俺がサクヤの代わりか。あいつが時間通り来ないから、オレに代わりを勤めろと? ……サクヤを置いてか?」
「そうだ」
モチヅキはあっさりと認めた。
それがひどくレイアの勘には障ったが、あまり長くモチヅキと議論している気にもなれなかった。旅慣れたレイアは一つの方法を思いつくに至った。
「……あんた確か、ムクホーク持ってたな?」
「バッジなど私は持っておらぬ」
「俺は持ってる。『空を飛ぶ』の秘伝マシンもある」
レイアは眉間に皺を寄せたまま、低く応えた。そして提案する。
「まず、あんたのムクホークと俺のポケモンを交換する。次に、あんたのムクホークに『空を飛ぶ』を覚えさせる。ムクホークなら俺とあんた二人ぐらいヒャッコクまで運べるだろ。ヒャッコクに着いたら、ムクホークとあんたに預けたオレのポケモンをもう一度交換する」
レイアは最も簡潔と思われる手段を提示した。
モチヅキは黙り込んだ。
レイアは肩を竦めた。
「おい、どうなんだよ」
「……簡潔だな」
「たりめぇだろうが。マンムーロードをあんたと二人仲良くマンムー並べて雪山越えするとでも思ってんのか。それとも何だ? いつもサクヤにお供させてるときは、二人で楽しくピクニックでもしてんのかよ?」
モチヅキも眉間に皺を寄せ、レイアを睨む。レイアも負けじと睨み返す。
「あんたのムクホークがどんなもんだか知らねえが、二、三時間も飛びゃヒャッコクには着く。……時間の許す限り、サクヤ待ってりゃいいじゃねぇか」
モチヅキは小さく鼻を鳴らした。レイアの機転にそれなりに満足したらしい。
「一つ質問しておく」
「……何」
「雪の中、それくらいの時間を飛ばせても問題ないのか。飛行タイプは寒さに弱いと聞くが」
「……それができるから、『空を飛ぶ』ってのは秘伝技なんだよ」
レイアは言い捨てて踵を返した。モチヅキはサクヤのことは全く心配していない様子だった。
レイアにはそれが腹立たしかった。
それほどまでにモチヅキの信頼をサクヤが勝ち得ているのだと思えば、なおさら腹が立った。
翌朝、レイアは寝ぼけているヒトカゲをカイロ代わりに小脇に抱えて起き出すと、ポケモンセンターのロビーには既にモチヅキがいた。
「おい貴様」
そしてレイアはモチヅキに呼び止められた。レイアは不機嫌に応える。
「何」
「正午には発つ」
「あっそ」
つまり、正午までモチヅキは、この待ち合わせ場所であるポケモンセンターでサクヤが現れるのを待ち続けるのだ。
本来ならば昨日の正午に現れるはずだったサクヤは、今朝になってもフウジョタウンに辿り着いていないらしかった。レイアがポケモンセンターの宿帳を確認しても、そこに片割れの名はなかった。
レイアの脳裏を、暗く寒い光景がよぎる。それを振り払って、レイアは熱いコーヒーを買い求めた。センター内に備え付けてある雑誌を一つ手に取り、いつでもモチヅキとのポケモン交換に応じられるようにモチヅキの近くに席をとった。
サクヤは現れない。
雑誌には興味をそそられなかった。
気づくと、モチヅキに何かを問いかけられていた。レイアは無意識のうちに反応していた。
「……貴様はここで、何をしている」
「あんたにゃ関係ねぇよ」
「何の目的もなく、彷徨っているのか?」
「ポケモンを探す。鍛える。食えるもんを探す。そんだけだよ」
モチヅキは小さく鼻で笑った。
「まったく、原始的だな」
「……あのよ、あんたは俺らのことを学がない学がないって馬鹿にすっけど、じゃあどうしろってんだよ。学校行くにも本買うにも金がかかる。んな金、ねぇんだよ」
モチヅキの物言いには毎度のことながら腹が立ったが、朝から怒鳴る気にもなれず、雑誌を眺めながら思ったことを吐き出していく。
「こういうあったかいポケセンでのんびり雑誌とか読んでさ、野生のポケモンに襲われる心配とか、雨が降ってくる心配とかもせずにすんで。ポケセン出るとき、旅のトレーナーがどんだけ辛い思いしてるかわかるか? ポケセンの宿だって、どんだけのトレーナーが旅が嫌になっていつまでも部屋占拠してると思ってんだよ」
「つまり、何が言いたい?」
「あんたはいいご身分だなってことだよ。そのくせ、学がない学がないって人のこと馬鹿にしやがって。あんたは俺をどうしたいんだ? 俺らに何になれっていうんだ? 俺らが旅しなくちゃなんねぇのは父親のせいじゃねぇか」
朝のポケモンセンターのロビーは静まり返っている。レイアやモチヅキの他にもロビーには人間やポケモンはいるのだが、レイアとモチヅキの間の雰囲気に呑まれでもしたか、他の話し声はひどく密やかだった。
モチヅキはポケモントレーナーではない。
モチヅキもポケモン取扱免許を取っており、そして手持ちのポケモンを持ってはいる。しかしトレーナーカードは所持しておらず、ポケモンセンターに立ち入ることはできてもセンター内の設備を利用することはできない。
レイアのようなポケモントレーナーと、モチヅキのようなトレーナーでない者の間には、何か差のような、溝のようなものが存在する。
「……ああ、そういやあんた、ポケモントレーナーはたくさんの特権が許された特別な身分だって考えてんだよな。こないだ、ユディから聞いたぞ」
レイアはモチヅキから目を逸らしたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「俺らからすりゃ、恵まれてんのはあんたの方だ。トレーナーにならずに済むあんたらの方が、ずっと恵まれてんじゃねぇか。……ポケモンセンターは福祉施設だ。行き場のない、家のないトレーナーのための場所なんだ。……あんたの場所じゃない。――出ていけ」
しかしモチヅキは出ていかなかった。周囲のトレーナーからちらちらと視線を向けられても、ひたすら泰然としてロビーで分厚い本を読んでいた。
レイアは昨日預けていた手持ちのポケモンたちを受け取り、そしてこれ以上はモチヅキの傍にいるのも気づまりなので、ふらふらと町に出た。正午まではまだ数時間ある。
フウジョタウンはその日も粉雪がちらつき、空は一面雲で白く閉ざされ、道も至るところで凍結している。
レイアは葡萄茶の旅衣を体に巻き付けて、ヒトカゲをカイロ代わりに抱きしめて歩いた。甘えたがりのヒトカゲもそれが嬉しいらしく、先ほどからきゅうきゅうと幸せそうな声を漏らしている。
レイアは北へ向かった。
凍った坂道や階段に気を配りつつ、フウジョタウンの北へ登っていく。
フウジョタウンの北東には、フロストケイブがあった。氷河に閉ざされた山脈に穿たれた洞窟だ。
「……寒い」
レイアが独りごちると、胸に抱えたヒトカゲが尻尾の炎の火力を上げた。
「かげ」
「ん? ああいや、温かいよ、大丈夫だ。……ただ……暗い、寒い……」
レイアの矛盾する独り言にヒトカゲは混乱しているが、それも知らずにレイアはフロストケイブへの道を辿る。
「あいつ、炎タイプ持ってねぇだろ……」
ぼやきつつ、レイアは腰のモンスターボールを一つ外した。
「……インフェルノ……」
ヘルガーを呼び出す。ダークポケモンは首を巡らせ、深紅の瞳で主を見やった。
「……ここにサクヤがいるか?」
レイアが問いかけると、ヘルガーは頭を振って注意深く周囲のにおいを嗅ぎだした。レイアは片端から奪われる体温を補おうと足踏みしつつ、暗く寒い予感にかぶりを振る。
この世の中には、波動なるものが存在するという。それは人やポケモン、自然物すべてに宿り、そして個々に異なるものである。
しかし、一卵性多胎児ならば、その波動はひどく似通っているか、あるいはまったく同一なのではないだろうか。同じ周波数の波は共鳴し、高まり、通じ合う。古代からわずかに存在したという波動使いの才能が、もし、自分たち四つ子にも少しでも備わっているならば。この暗く寒い予感はもしかしたら、本物なのかもしれない。
ヘルガーが軽く駆け出した。
レイアものろのろとそのあとを追う。フロストケイブの入り口で、ヘルガーは立ち止まる。匂いをかぎ分けるときも主であるレイアから離れすぎないようにとのレイアの躾けの賜物だ。
ヘルガーがゆらりと鞭のような尾を振った。
レイアは白い息を吐き出した。瞑目した。
「……ここにいるのか、サクヤ」
「それは真か」
涼やかな声に、レイアは若干むっとしつつも、振り返らずに背後に向かって言い放ってやった。
「……足手まといにはなるんじゃねぇぞ」
ヒトカゲの尾の炎とヘルガーが嗅ぎ分けるにおいとを頼りに、レイアは穴抜けの紐を道々に残しつつ、モチヅキを従えてフロストケイブ内を進んだ。
ヒトカゲの炎の光と熱に驚き飛び出してくる野生のポケモンは、すべてヘルガーに追い払わせる。ポケモン除けのためのゴールドスプレーを使用してもいいのだが、今はヘルガーにサクヤの匂いを追跡させている最中だ。ヘルガーの嗅覚を鈍らせるようなことはしたくない。
曲がりくねり、岩が突き出てひどく悪い足場を、ヘルガーと二人は黙々と越えていった。
意外にもモチヅキはなかなか体力があった。呼吸一つ乱さず、ぴったりとレイアについてきている。そのことにはレイアも多少はモチヅキを見直した。
間もなく洞窟内に出現するポケモンのパターンが把握され、そういったポケモンを追い払うヘルガーにレイアがいちいち指示を下す必要もなくなってきた。
しかし進めば進むほど、レイアの胸の中に嫌な感じが広がる。それを紛らわすため、そして背後のモチヅキの所在確認も兼ねて、レイアは背後に話しかけた。
「そういや、何でモチヅキあんた、ポケモン持ってんの?」
「……なぜ、とは」
「言葉通りの意味だよ! なんでポケモン持ってんだよてめぇは! 普通に答えろよ!」
「護身用だ」
モチヅキは淡々とそのように回答した。レイアは振り返りもせずに続ける。
「ルシェドウが言ってたぞ。あんた、反ポケモン派なんだってな」
「……反ポケモン派、とは何だ?」
「知らねぇよ! てめぇの方が詳しいだろ! いちいち聞き返すんじゃねぇよインテリ野郎が!」
レイアはモチヅキに対して怒鳴った。レイアの脇に抱えられているヒトカゲは、レイアが元気そうであるのが嬉しいらしく、きゅっきゅっと機嫌よく鳴いている。
モチヅキは煩そうに鼻を鳴らした。
「反ポケモン派などという語は知らぬ。俗語だろう。……おおかた、トレーナー政策に反対票を投ずる者、という意味で用いられているのであろうが」
「へー。そうなん?」
「……あのポケモン協会の者が、私を反ポケモン派と断じた、と?」
「うっす」
「であろうな。学のない者はすべて白黒はっきりつけたがる。若い者は尚更」
「モチヅキ、あんた今、歳いくつだよ?」
その問いには返答はなかった。とはいえ、モチヅキがこの程度で腹を立てはしないことをレイアは知っていたので、レイアも特に気にしなかった。
「俺も、あんたはトレーナーってのが嫌いなんだと思ってた。ほら、あんた、俺らがミアレでエリートトレーナーに怪我させた時、過去最高にブチ切れてただろ?」
「トレーナー自体に、どうという感情も抱かぬ。ただ、虐げられる者を哀れに思う」
「その虐げられる者ってのが、トレーナー以外の一般人ってことになんだろ?」
「そうとも限らぬ。あのエリートトレーナー然り。……トレーナーが悪いのでもない。ポケモンが悪いのでもない。……悪いのは」
「悪いのは?」
「利権にしがみつく者どもだ」
レイアがモチヅキを振り返ると、司法に携わる者は静かに瞑目していた。
レイアはさっさと前を向いた。
「面白そーだな」
「ふ。興味を持つのか」
「今、馬鹿にしたのか」
「まさか」
とぼけるモチヅキに、レイアは軽く鼻で笑った。
「まあいいわ。俺は今、自分が生きるだけで精いっぱいだけどさ。……あんたみたいに、高尚な目的のために生きられたら、幸せだろうな」
「私はお前たちを哀れに思う」
「はっ、サクヤびいきの奴に言われても説得力ねぇよ」
その時、ヘルガーが小さく唸った。
レイアとモチヅキは立ち止まる。
洞窟の奥から、微かに幼い子供のすすり泣く声が聞こえてきていた。
レイアの背筋が凍る。
「う、うおおお、うおおおおおおおおおおお――」
「落ち着け」
モチヅキが冷静に叱咤する。レイアは胸にヒトカゲを抱え直しつつ、ヘルガーの傍にぴったり寄った。
「お、おあ、い、いや、別にお化けとか思ってビビってんじゃなくてだな、……ほら、ウズがムウマ持ってんだろ、ムウマの声に超そっくりでやべぇビビる」
「結局ビビっているのではないか」
「うっわ、モチヅキがビビるとか言ったぞ激レアじゃん。サクヤに聞かせてやりてぇわ」
レイアは子供の泣き声にびくびくしつつ、そろそろと前に進みかけた。しかしすぐに立ち止まった。
「……なんで、こんな洞窟の奥に、子供がいるんだよ……。やっぱムウマじゃねぇの……?」
「先ほどから時折ゴーストは出現しているようだが」
「はいそうっすね」
レイアはヘルガーに先を行かせた。ヘルガーは主を気にかけつつも、臆した様子もなく暗闇へと歩みを進める。
子供の泣く声は、確実に近づいている。
そして、洞窟の奥から光が漏れているのが見えた。レイアはぎくりとする。
奥から冷気が吹き込んでくる。光が見える。子供の泣き声がする。
「人がいるな」
モチヅキが背後で平然と、しかしレイアの先を行く気配は微塵も見せず、そのようにのたまった。レイアは腹を決めて、ヒトカゲを抱え、ヘルガーと共に走った。
寒く、しかし明るい空間に踏み込んだ。
絶句する。
幼い女の子が、キリキザンに抱えられながらすすり泣いている。その傍らで白いコートの女が、レイアやモチヅキに背を向けて乾いた声で笑っていた。
女が従えるのは、さらにトドゼルガとソルロック。
ソルロックが眩く輝き、空間を光で満たしている。その空間は、氷漬けにされていた。
白いコートの女の視線の先に、氷漬けになった片割れと友人の姿を認めて、レイアは全身の血液が逆流したように感じた。
空が崩れて、地面がひっくり返りそうな。
自分が何と叫んだか、レイアは把握していなかった。
まともな言葉になったかわからないが、その激情を汲んだと見えて、ヘルガーが白い炎を噴く。しかし白いコートの女の背後には輝くソルロックが回りこみ、女を炎から守った。
熱に、白いコートの女がレイアを振り返る。その顔は飢えている。
「……あんたも邪魔するの」
その恨みがましい女の言葉が途切れる前に、ヘルガーの悪の波動がソルロックを襲う。空間を満たしていた光が弱まった。
女は目をひんむく。金切り声を上げる。
「やめろ! こいつを殺すぞ!」
女が言っているのは、キリキザンに捕らわれた幼い娘のことだった。娘の首にはキリキザンの刃があてがわれ、そしてこのキリキザンの眼は獰猛に輝き、幼い命を屠ることにも何の躊躇いも持っていないことが窺えた。
しかしレイアには娘など見えなかった。
「知るか!」
独断で悪巧みをしていたヘルガーが、娘とキリキザンを無視して、煉獄を巻き起こす。それは熱い脂肪を持つトドゼルガすら焼き尽くし、キリキザンの刃をも溶かす。
娘が熱さに泣き叫ぶ。白いコートの女も業火に怯んだ。
レイアは女たちを無視して、ただ奥の結氷だけを睨んでいた。
空間内はヘルガーの炎にあぶられ、ひどく暑くなっていた。洞窟を覆っていた氷がじりじりと融けている。レイアは焦れて、ガメノデスを繰り出した。
「爪とぎ、シェルブレード」
一度に二つの指示を出し、ガメノデスに奥の巨大な氷を砕かせる。
レイアの片割れと友人の二人が、どさりと洞窟の床に転がった。レイアは、炎の体を持つマグマッグをボールから出し、腕に抱えていたヒトカゲと共に、二人の介抱に向かわせる。
そして、ヘルガーとガメノデスと共に、白いコートの女に向き直った。
地を這うような声で唸る。
「……よくも」
地獄の業火に怯えていた白いコートの女は、炎の勢いが衰えるにつれてレイアを凄まじい目つきで睨んだ。
「もう怒った! もう殺す! 殺せキリキザン!」
レイアはキリキザンを見やった。そしてこの時になってようやく、サクヤとルシェドウを助け出したと思って気が緩んでようやく、キリキザンに捕らわれていた幼い娘のことに考えが至った。
遅すぎた。
息を呑む。
ヘルガーの炎はだめだ、娘が巻き込まれる。
直接攻撃を専らとするガメノデスでは、この距離では間に合わない。
女のキリキザンが、鋭い刃を躊躇なく動かした。
レイアは息を詰めてそれを見ていた。
白いコートの女が、泣きながら、狂ったように笑い転げている。
しかし、それを遂げたはずの当のキリキザンは、戸惑うそぶりを見せた。
洞窟の壁際に佇んでことを見守っていたモチヅキが、嘆息する。
幼い娘をモチヅキの傍まで運んで保護したムクホークが、翼をたたんでモチヅキの傍に寄り添っていた。
モチヅキは娘をそっと抱き寄せると、不機嫌も露わにぼそりと呟く。
「ゾロア、騙し討ちだ」
キリキザンの懐の中にいたゾロアは、幻影を解除すると悪戯っぽく笑い、キリキザンの喉元に一撃を叩き込んだ。