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  [No.1382] 宵闇の挽歌 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/10(Tue) 22:03:55   53clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



宵闇の挽歌 下



「すべて、アブソルの運んだ災いだわ」
 老婦人はサクヤのゼニガメを膝に乗せ、背筋を伸ばすと、初めにそう言い放った。
 ミホは毅然とした態度で、そしてそれまでより固い声音になっている。
 サクヤはそれを正面から受け止めていた。
「私の孫がアブソルを捕まえたことが、すべての始まりなの。それまで優しかったあの子は、どこかへ行ってしまった。乱暴になり、勝手に家を出て、悪さばかりして。そしてとうとう――」
「とうとう?」
「あの子は……自分の妹を…………榴火は梨雪を殺したのよ……」
 ミホは目を伏せ、言葉を震わせた。
 サクヤは予想外の話に、顔を強張らせる。なるほど話しにくい内容ではある。
 ミホは空になった紅茶のカップを両手で強く握りしめていた。
「榴火は捕まったわ。そして裁判になった。でも、事故ということになったわ。だってそうだもの、アブソルの災いで梨雪を殺したんだもの」
 そこでサクヤは眉を顰めた。
 ひと世代昔の人間は、アブソルに関する迷信を信じていることが多い。つまり、アブソルが災いをもたらすと考えているのだ。しかし現在の研究によると、アブソルは災害を感知するだけであり、アブソルそのものに災いをもたらす力などはない。
 しかしこの老婦人は、アブソルが災いをもたらしたと信じているのだ。
 そのことに気付き、サクヤはより慎重になった。
 ミホの話は続いている。
「アブソルで、梨雪を殺したのよ、榴火は。……でも、私の息子は、榴火を庇った。だから私は、息子と離縁したの。息子夫婦が今、どこでどうしてるかは私にも分からないわ」
「……そのお孫さんは」
「知らないわ。何の罰も受けずに、のうのうと今もどこかで旅をしているのよ」
 ミホは固い表情で言い捨てた。
 それをサクヤも、俯いて聞いていた。
 ミホの話を聞いた限りでは、そのミホの孫に妹を殺す気があったのか否かは判断できない。ミホの孫に対する愛憎入り乱れる感情も、ただのミホ一人の誤解に基づくものかもしれない。
 けれどミホの視点に立ったとき、サクヤには何も言うことができない。
 罪に見合うような罰を受けず、のうのうと自由に生きているのは、サクヤも同じだからだ。ミアレシティで四つ子が起こした事件については、サクヤはミホに伝えていなかった。伝えなくてよかったと、サクヤは心から思った。もし話していたら、ミホは心からサクヤを憎んだだろう。
 しかし、それはつまり、自分はミホを騙したことになるのではないだろうか?
 確かに、ミアレシティでエリートトレーナーに重傷を負わせた事件では、四つ子が完全に悪かったと言い切れるわけではない。それでも、エリートトレーナーは生涯にわたる傷害を負い、四つ子はひと月の謹慎で許された。それで許されて良かったのか、サクヤは今も悩んでいる。レイアもキョウキもセッカも、悩み続けているだろう。
 けれど形式的に許されてしまっている以上、サクヤもまた、自分と同様に社会から許されているミホの孫を、責めることはできない。
 だから、サクヤは、ミホに同調することはできない。
「……息子や孫を思い出すから、トレーナーは嫌いだったわ……」
 ミホの静かな声に、サクヤは顔を上げた。
 老婦人は小さく項垂れながらも、ゼニガメの甲羅を優しく撫でている。愛情のこもる手つきだった。
「でも、ポケモンは好きだから……さっきゼニガメを大切に抱いて微笑んでいるサクヤさんを見て、素敵だなと思ったのよ……素敵なトレーナーさんもいるんだって、思ったの」
 ミホは顔を上げて、潤んだ瞳でサクヤを見つめた。サクヤも見つめ返した。
「サクヤさん、貴方はきっと、人にもポケモンにも優しいトレーナーなのでしょうね。きっと誰を不幸にすることもなく……いいえ、きっと周りの人を幸せにしてくれる、そういうトレーナーなんだわ」
 サクヤは何も言えなかった。
 ミホはもう一度ハンカチで目元を押さえると、今度こそ柔らかいすっきりとした笑顔になった。
「今日は本当にありがとう、サクヤさん。おばあさんの悩みを聞いてくれて、ありがとうね。ゼニガメちゃんも」
「……ミホさん」
「お昼とデザート、奢らせてもらうわね。さ、おばあさんの愚痴なんて忘れちゃって。旅も大変でしょうけど、四つ子のご兄弟やゼニガメちゃんたちと一緒なら、大丈夫」
「……すみません、ありがとうございます。……ごちそうさまでした」
 サクヤは俯いていた。
 ミホは立ち上がり、サクヤにゼニガメを返した。立ち上がってゼニガメを受け取っても、サクヤは頭を下げるように床しか見ることができない。
 ミホはすまなそうな声音になった。
「いやな話を聞かせてしまって、ごめんなさいね」
「いえ……身に染むようなお話でした。……僕もよくよく気を付けます」
「サクヤさんなら大丈夫よ、だから、ほら、ね、笑って。おばあさんはサクヤさんの笑顔に惚れたんだから。素敵な笑顔を見せてちょうだい」
 サクヤはゆっくりと顔を上げた。
 サクヤには、ミホの前で堂々と笑顔になる資格などなかった。サクヤもまた周囲を不幸にするトレーナーであったからだ。ミホが憎む、災いをもたらすトレーナーだからだ。
 ここでミホに笑いかけたなら、サクヤは最低の道化だ。
 けれどミホに笑いかけなければ、ミホはサクヤを苦しませた罪悪感を抱き、そのため余計にミホを苦しませることになるだろう。
「…………すみません」
 サクヤはひどく逡巡した末に、頭を下げるしかできなかった。
 ミホも寂しげに笑った。
「いいのよ、サクヤさん。……良い旅を」
 あるいはミホも、サクヤが何者なのかを見抜いていたのかもしれない。


 青い領巾のサクヤはとぼとぼと、夕暮れのヒャッコクを歩き回っていた。
 老婦人と別れてから、落ち着きなく日時計の近くへ行ったりポケモンセンターまで行ったり、ひたすら考え事をしながら街の中をあちこち歩いて、気付いた時には日が沈んでいた。
 とうとう疲れてポケモンセンターのロビーのソファに座り込み、サクヤは相棒のゼニガメを見つめ、溜息をつく。
「ぜに? ぜにぜにぜにっ?」
 ゼニガメはサクヤの膝の上でもぞもぞと暴れ、ぴょんと飛び出し、いつものように勝手にどこかへと走り出した。サクヤはのろのろと立ち上がり、ゼニガメの行方を視線で追う。
 そして、ポケモンセンターに入ってきたばかりの黒衣の人物が、屈み込んでゼニガメを拾い上げるのを見た。
 サクヤは慌てて背筋を伸ばし、モチヅキに駆け寄った。
「モチヅキ様、お疲れ様でございます」
「……そなたも、随分と疲れた様子だな。ゼニガメに振り回されでもしたか」
 サクヤのゼニガメを抱き上げたモチヅキは、どこか面白がるような声音だった。サクヤは苦笑する。
「あ、いえ……今日はそこまでは」
「何かあったか。昼は食べたか」
「はい……」
 ゼニガメをモチヅキに奪われてしまい、サクヤは手持ち無沙汰に青い領巾を指先で弄る。するとモチヅキのゼニガメを抱えていない方の手が、サクヤの黒髪を撫でた。
「……夕飯にするか。……おいで」
 サクヤははにかみつつ、伸ばされたモチヅキの手を取った。仲の良い親子のように手を繋ぎ、夜闇の外へと歩き出す。モチヅキがここまで幼子のように扱うのは、サクヤぐらいだろう。なぜかモチヅキはサクヤだけを特別に甘えさせてくれた。
 星空の下、二人はヒャッコクの街を歩いている。
「……モチヅキ様、僕は悪いトレーナーでしょうか」
「無論そうだ。何しろ学がない。無知は罪だ」
 モチヅキは普段よりも数段柔らかい声音ながら、言うことは容赦なかった。しかしそれはサクヤも慣れっこである。繋いだ手の温かさに目を閉じる。
「モチヅキ様、タテシバという方をご存知ですか?」
「……それは」
「兄のアブソルが妹を殺したかもしれない、という事件があったそうですね」
 モチヅキの夜空のような黒い瞳が、サクヤを見やる。サクヤも夜の雲のような灰色の瞳でモチヅキを見つめ返す。
「今日お会いしたんです、その兄妹の祖母という方に。色々お話をしたのですが、僕がモチヅキ様の名を出したとき、少々不自然な様子が見られたので、そうかと思ったのですが」
「……何が言いたい、サクヤ」
「モチヅキ様、タテシバ兄妹の事件の裁判を担当なさったのでしょう?」
 頭上では満天の星が瞬いていた。
 サクヤの手を引くモチヅキは、ふと息を吐くように笑った。
「……その通りだ。……そしてその時、かのルシェドウとか申すポケモン協会職員にも出会った」
「そのタテシバ兄はいかがなさったのです」
「無罪よ」
「やはり」
 サクヤも嘆息した。
 モチヅキは裁判官だが、ポケモントレーナーによる傷害事件に関する訴訟においては、比較的トレーナー側に対して辛い点を付けがちである。その訴訟の関係で、モチヅキは一人のポケモン協会職員と因縁とも呼べる間柄になった。
 それが、ルシェドウである。サクヤの片割れの一人のレイアの友人でもある。
 モチヅキはルシェドウをおそらくは嫌っている。基本的に人間関係に淡泊なモチヅキがそこまで嫌う人間ならば、おそらく裁判関係で、モチヅキの意に沿わぬ判決を下すことを余儀なくされた相手なのだろう。
 ルシェドウは、ポケモントレーナーであるタテシバ兄を擁護したのだ。
 そしてモチヅキは、ポケモントレーナーであるタテシバ兄に無罪判決を下すことになったのだ。
 サクヤとモチヅキは、レイアとルシェドウとは、今朝方フウジョタウンで別れたばかりでもあった。ようやく別れられたと思っていたのに、思いがけず夜になって再びその存在を思い出す羽目になっている。
 モチヅキの気分を害したかもしれないと思い、サクヤは恐る恐るモチヅキの顔を窺った。
 しかし予想に反して、モチヅキは笑みを浮かべていた。
「……モチヅキ様?」
「いや。そのタテシバの祖母殿には、さぞや私は憎まれておろうと思ってな」
 モチヅキはどこか自嘲的に、くつくつと笑っている。サクヤは慌てて声を上げた。
「そんな……そんなことをおっしゃるならば、僕だってそうです。罪に見合う罰を受けず、のうのうと旅を続けている」
「そうだ、サクヤ。……私たちは憎まれている……」
 街灯に照らされたヒャッコクの街は明るかった。輝く夜景は湖の上から岸辺にかけて続き、地上に星を散らす。
「私がいくら、傷つけられる者を護ろうとしたところで、救えぬものは救えぬ。この世界の仕組みを変えなければ。……私にそれができるだろうか。そなたにそれができるか?」
 モチヅキの夜風のような声を、サクヤは好いている。モチヅキは星を観るように、常に遠くを見ている。
 サクヤは俯きつつ、ゼニガメが手元にいないおかげで空いている両手で、そっとモチヅキにくっついた。案の定、サクヤにだけ特別に甘いモチヅキは特に何も言わなかった。
「モチヅキ様」
「何だ」
「お願いがあります」
「申してみよ」
「僕らの父親に会ってみたい……です」
「……そうだな。そなたの世界はまだ狭い。社会制度どころか、親という壁すら乗り越えられんようではな」
 モチヅキは酷薄に鼻で笑った。サクヤはモチヅキを見上げる。
「タテシバ家の不幸は、家族のすれ違いによるものではないのですか。僕ら四つ子の不幸は、父親に起因するものではないのですか。……自ら幸せになれなければ、他者を幸せにすることなどできないと、教えてくださったのはモチヅキ様でしょう?」
「確かにな。しかし私の一存では決められぬ」
「……つまり?」
「そなた一人だけ、そなたの父に会わせるわけにはゆかぬ。片割れどもと、よくよく話し合うことだ。そしてそなたら四人で、私ではなく、ウズ殿に願い出ることだ」
 モチヅキは遠くを見つめていた。そしてふとサクヤを見下ろすと、再びサクヤの黒髪をくしゃくしゃと撫でた。サクヤは呆気にとられる。
「……モチヅキ様、いかがなさいましたか」
「なに、ようやく父親を意識するようになったかと思うてな」
「…………なるほど」
「ふふ、まったく……ようやく、反抗期か……」
 モチヅキが軽く声を上げて笑っている。つられてモチヅキの片腕の中のゼニガメもきゃっきゃと笑っている。
 サクヤはモチヅキの腕に張り付きつつ、密かにむくれた。


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