マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1390] 第六話「誠心誠意」 投稿者:GPS   投稿日:2015/11/13(Fri) 21:09:14   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『だって、お前は違うから』


昔からずっと、こんなことばかり言われてきた。

今でこそ長く伸ばした前髪で隠されている富田の両眼だが、その眼球は人のそれではない、赤である。色素の薄い瞼の下で光るその色は燃え盛る炎のようなものではなく、かと言って生命の象徴たる血のようなわけでもない。暗闇の中で深く、爛々と輝く瞳孔。恐ろしい獣のようだと、彼が過去に出会った心無い者はその眼をそう評したものだ。
富田の瞳が人ならざる色をしているのは、彼の血筋のせいである。彼の母親の祖父、つまり曽祖父にあたる男はブラッキーだった。
神話の名残が今でもまだ強いシンオウ地方で、曽祖父であるブラッキーと曽祖母は夫婦の契りを交わし、じきに富田の祖母となる娘を生んだ。だんだん血も薄まり、祖母にあった濃い体毛や尖った耳が母には無く、そして母にはあった両耳、両手首と両足首および額の金色の輝きが富田には表れずと、少しずつその面影も消えていった。唯一残った目に見える特徴こそが、真紅に光る両眼なのだ。

しかし、その唯一こそが富田の人生を生まれたその時最初から、狂わせていた原因であるとも言える。

まず、単純に見た目の問題。真っ赤な瞳は誰が見てもはっきりとわかるもので、少しでも富田と向き合えばその色を知ることが出来る。怖い、不気味、気持ち悪い。子供も大人も、第一印象として否応無しにそんな感情を抱くのだ。
そして二つ目。外見の方は対人関係において障害となったが、こちらの問題はどちらかといえばポケモンに関係する。彼の曽祖父の特性だったシンクロ、その力の影響で、富田は自分の近くにいる存在とその状態を、その赤い両眼で『視る』ことが出来た。基本的にポケモン、特に野生のものは自分の気配を悟られることを避ける傾向がある。人間のくせに、すぐさま自分たちに気づく富田はポケモンからすれば危険以外の何者でも無かった。ポケモンが彼を警戒し、そして近寄らないことがますます富田を人間からも孤立させていた。

だから、彼はいつも一人だった。
人間からは後ろ指を指され、ポケモンからは敵視される。そんな毎日が当たり前だった。

やがて彼はそれを、自分にブラッキーの血が流れているせいだと思い込むようになった。勿論それだけが理由ではないのだと――自分よりもずっとその血が濃かった祖母や母親には仲間が沢山いるのだから――、むしろそういった自分の態度こそが余計に孤独を招いているのだと、それはわかってはいたけれど、そう考え続けるようにした。両目がこんな色だから、曽祖父かブラッキーの家なんかに生まれたから、勝手に皆が恐れるから。そうすることが富田なりの自己防衛で、生き抜くための手段だったのだ。

一人だけで生きてやると。
わかってもらう必要なんか無いのだと。
それが、富田の頭の中にずっとあったことだった。


しかしあの時、彼は言ったのだ。
彼がああ言った時、この赤の瞳で見るどうしようもない世界が、一気に拓けたような気がした。
その言葉は今でも富田の光であり、道標であり、何より勝る希望であり続けている。


『違うものは違うんだから、しょうがないじゃん』

『俺が聞きたいのは、お前がそれをどう思ってんのかだよ』

『嫌なら、嫌だって言やいいんだ。もしそうなら、お前がちゃんと教えてくれんなら、俺は、……』




ピックに弾かれた弦が、手に込めた力同様気の抜けた音を立てた。
一限という、授業に出るのさえ渋って当然である時間のせいか、第二軽音楽サークルの部室には富田と泰生以外に誰もいない。一度羽沢家に集まったものの悠斗達は早々に出てしまったため、家でやることも特に無く、今日は四限からなのだが大学へ行ってしまうことにしたのだ。それに部室ならば練習もできる、他にサークル員がいないのもむしろ好都合だった。

それにしても、と、やや離れたところにあるアンプの隣で歌を練習している泰生を見る富田は思う。昨日、泰生が芦田と揉めたことについて、何の解決も出来なかった。少し聞いたところによると悠斗には守屋から何かしらの連絡があったらしいが、芦田からの音沙汰は無いという。それは富田も同様で、芦田が練習室を出ていったきり彼とコミュニケーションを取っていない。無論、芦田の普段の様子から考えて、それは恐らく怒っているからというよりも、忙しかったりして単に時間が無いからだろうと思われるが、それでも彼が快くは感じていないだろうことは確かだ。
これ以上悪化するかどうかは定かで無いにしろ、良くなることは見込めない現状。早くどうにかしなければならないということだけはわかるけれど、どうしたら良いのかを富田は知らない。悠斗のため、この事態を解決しなくてはと強く考えているものの何も出来ていない、その自分がもどかしくてたまらないと、彼は思った。

「なあ、聞きたいことがあるんだが」

そんな富田の思考に割り込むようにして、泰生が声をかけてくる。現実に引き戻された富田はギターを弾く手を止めた。歌詞の言葉の意味がわからなくなったか読めない漢字でもあったのか、適当な予想をしながら「何ですか」と言葉を返す。

「これは、悠斗が書いたのか?」

が、問いの内容は富田の想像とは違っていた。歌詞の書かれたコピー用紙を片手に聞かれた、その意味を飲み込むのに数秒かけて、呆然となった富田はぽかんとしてしまう。そして次に込み上げてきたのは、何を場違いなことを言い出すんだ、という憤りだった。
「そうですよ」が、そんな苛立ちを泰生にぶつけたところで無意味である。「キドアイラクの曲は、作詞作曲どちらも悠斗です」聞かれたままに答えた富田は、淡々とした口調で付け加えた。有原と二ノ宮は、悠斗の曲に惹かれて一緒にやるようになったんです、と。今、泰生が練習していたのは爽やかなテイストの歌で、片想いの相手が住んでいる数駅離れた町まで電車もバスも車も使わず、勿論ポケモンに乗ることもなく、自転車を漕いで会いに行くという歌詞だった。明るく調子の軽い感じの曲で、悠斗のイメージに合っているだろうからと、学内ライブでの演目に芦田が選んだものである。
これに限らず、悠斗の作る曲は正直なところ特段個性的な歌詞でも旋律でも無いけれど、悠斗がそれを歌うことによって無二の素晴らしさになるのだというのが、有原や二ノ宮、そしてキドアイラクを好きだという人達の総意である。

しかしせっかく答えたにも関わらず泰生の反応は薄いもので、「ふうん」とだけ、大した興味も無さそうな声が返ってきた。その態度にも富田は内心に鬱憤を溜めずにはいられなかったが、泰生がそれに気づくはずもなく、指先に握られたピックが軽く軋んだ音を立てるだけで終わる。
「じゃあ、お前は」泰生がまた声を発したので、富田はギターに落としていた目線を上げた。部屋は違えどこの二人、歌とギターで悠斗の作った曲を演奏するという、富田が何度も繰り返した光景である。見慣れた両目と聞き慣れた声の奥にいる泰生は、富田に次の問いを投げかけた。

「なんで、ギターを弾いてるんだ?」
「悠斗がいるからですよ」

間髪置かず、少しの迷いも見せずに応えた富田を泰生が見る。「それだけか?」部室に響いた声は重く、足下から震わせるようなものだった。
「そうです」だが、それすらものともせずに富田は返す。

「それ以外に、何かいりますか」

前髪に隠れた富田の瞳に姿を映す泰生は、少しの間だけ、黙って富田のことを見据えていた。富田も、泰生も、何も言葉を発さない。開け放たれた窓の外にいる、学生やポケモンの声だけが聞こえてくる。富田の脚に置かれたギターが、日光を反射して赤く光る。
その沈黙の果てに、先に「いや」口を動かしたのは泰生だった。「そんなことはない」何か聞かれるのではないかと内心待ち構えていた富田だが、泰生がそれ以上言及することはなく、「わかった」とだけ言っただけだった。

「行くぞ」

その代わりに彼がとった行動は、全くもって唐突なものだった。急に立ち上がった彼に、「は?」富田は無意識のうちに声をあげる。「行くって、どこに」

「決まってるだろう。あの上級生のところだ、この前のことを謝りにいく」
「上級生……って、芦田さんのことですか?」

状況を把握しきれないながらも、慌ててギターを椅子に置いて席を立った富田は、訝しむような声でそう尋ねる。いとも自然であるかのように「そうだ」と答えた泰生を殴りたくなる衝動に駆られた彼は、しかしそれをどうにか抑えて、無言のままに俯いた。
流れは何も理解出来なかったが、ともあれ泰生が芦田に謝罪(その行動と泰生が結びつかないという意味でも理解不可能であるとしても)をし、あの一件を解決しようとしているのであるなら、それに越したことは無いだろう。そんな自己暗示で思考をポジティブな方へとどうにか持っていき、富田は頭に手をあてながら歩き出す。
先にドアを開けて待っていた泰生の隣までいくと、彼がドアノブを回した。一気に耳へ飛び込んでくる大学構内の喧騒の中、「最後にもう一つ」泰生が静かな声で言った。

「何故、悠斗は音楽が好きなのか知ってるか?」
「……………………」
「答えないなら、別に構わんが」

俺は知らないからな。
口を閉じたままの富田にそう続けた泰生の質問に富田が答えることはなく、ただ「でしょうね」という言葉だけが、廊下の騒がしさへ消えていった。





昼前の大学は混雑の極みである。授業に行く者、行かない者、学食目当てで入り込んでいる余所者、そのさらにおこぼれを狙うコラッタなどの間を掻き分けて廊下を進みつつ、富田はうんざりと溜息をついた。

「行くなら行くで、連絡くらい入れてくださいよ……」

芦田と話をする、と泰生が部室を出たのは良いものの、蓋を開けてみればそれはあまりに無計画が過ぎていた。彼がどこにいるのかもわからないのに、全く連絡をとっていなかったのである。芦田だってサークル以外の生活があるのだから、四六時中部室周りにいるわけがない。カントーきってのマンムー校と名高いタマ大で人探しなど至難の技だし、下手をすれば学校にいるかどうかも危ういだろう。少し考えれば、泰生がそんな手回しをするはずもないくらい富田にもわかりそうなものであるが、突然のことでそこまで頭が追いつかなかったようだった。
「ああ、忘れていたな」うなだれた富田に、泰生は少しも悪びれずに言う。「そういうのは、いつも森田にやらせてるんだ」返ってきたそんな言葉に富田は拳を固め、そして馬鹿らしくなって力を抜いた。「そうですか」もはや怒る気も無くなった彼は、とりあえず今からでも連絡を入れようと、ポケットから携帯を取り出す。

「あ、すみませ……」
「こちらこそ……」

その携帯が、近くを歩いていた誰かにぶつかった。
反射で謝った悠斗と、同じように頭を下げたその相手は、直後、また同じ行動を取ることになった。


「………………あ」

「えー………………」


なんという偶然であろうか、ぶつかった相手は他ならぬ探し人、芦田であった。
芦田にしてみれば、今一番顔を合わせづらい存在なのだろう、ぶつかったのが富田と泰生だと気づいた彼は笑顔こそ崩さなかったものの、明らかに狼狽えた様子で視線を逸らす。彼と一緒にいたらしい、芦田の後ろから顔を覗かせた守屋も同じような表情になった。富田も何と言えば良いのかわからず、携帯を持ったままの手が所在をなくす。
数秒間、次に取るべき行動を三者それぞれ図りかねる時間が流れたが、最初に声を発したのは芦田だった。「あ、じゃあ俺用事あるから……」取り繕うようにそう言った芦田は、微妙に視線を外したまま富田の横を通り過ぎる。彼の後ろを歩く守屋が富田と芦田を交互に見たが、レンズ越しの目は伏せられてしまった。そんな彼らを引き留めようと、富田は指先を携帯の表面から浮かせたが、しかしそれは芦田たちに伸びることなく元の位置へと戻される。そんなことに気づくはずもなく、二人は廊下の雑踏へと消えかけた。

「待ってください。話がある」

が、消えるよりも先に、彼らを呼び止める声が響いた。
敬語なのかそうじゃないのかわからない言葉遣いで言われたそれは、周囲の様子などまるで気にもしないくらいの音量で以て、タマ大の空気に通っていった。何事か、と廊下を歩く学生たちが振り返る。天井を這っていたイトマルが、驚きのあまり足を滑らせた。落下地点にいた女子学生が悲鳴をあげる。

「えと、羽沢君……?」

呼び止められた張本人である芦田は、困ったように振り返る。「ごめん、今本当に行かなきゃいけないとこあって……あとここ廊下だし……」と、申し訳無さそうに立ち去ろうとした彼だったが、「待ってくださいと言ってるだろう!」泰生の中途半端な言葉がそれを許さない。

「目と目が合ったら、逃げることは認められない! それが礼儀ってものでしょうが!」
「いや別に逃げてないし……っていうか何言ってんの羽沢君……?」
「ここがどこだろうと関係無い、俺はあんたと話さなきゃいけないことがあるんだ!」
「だからここ廊下……なんだけど……」

『羽沢悠斗』らしからぬ様子に鼻白む芦田だが、それ以上に周囲の注目を集めてしまっているのがいたたまれないらしい。「何? ケンカ?」「いやバトルだろ、見なきゃ見なきゃ」「なんだよ告白か?」「ここで? 廊下で?」「つーか森センのレポート昨日締め切りってマジ?」などとざわめく学生たちを横目で見て、彼は広い肩背を縮こまらせた。その様子を面白そうに眺めていた守屋が、いつの間にか携帯のカメラを構えてるのに気がつき、富田は「撮ってんじゃねぇよ」「すいません」彼の頭を割と強めに小突く。芦田が戸惑っているのを楽しげに見ている守屋に、こいつは怒ってるのかそうじゃないのかわからないなと富田は場違いなことを考えた。
そんな彼らのことなど気にも留めず、泰生は芦田を正面から見据える。居心地悪そうに片頬を掻いた芦田の頭上で、彼のポワルンが困った風に漂った。「昨日のこと、なんだが」泰生が迷いの無い声を発する。

「ああ……それなら。昨日はごめんね、急に出てっちゃって、あれなら……」
「本当に、申し訳なかった!!」
「あのあと…………って、え……?」

苦笑しながら両手を振った芦田だが、勢いよく下げられた泰生の頭に動きを止めた。芦田だけではない、富田も、守屋も、そして状況を把握しきれていないだろうが群衆もだ。

「え……と、どうしたの、羽沢君……?」

数瞬の硬直から脱した芦田が、首を傾げて尋ねる。その問いにも一切動じず、泰生は頭を下げたままで言葉を続けた。

「昨日は、事情も知らないのに、無責任なことを言って申し訳ございませんでした。誰が何を考えているかということを、よく考えずに勝手なことを言ってしまいました」

「………………」

「そもそも、芦田さんに文句を言うべきではありませんでした。そんなことをする資格は俺にはありませんし、それに、言ってはいけないことでした。俺が悪かったです」

芦田の目を見て、そう言ってから再度深々と頭を下げる泰生を前にして、芦田はしばらく何も言わないで瞬きを繰り返した。言葉を選ぶような沈黙の末、「…………ううん、」という、彼特有の穏やかな声色が開口と共に空気を揺らす。

「俺の方も、ごめんね。昨日のは、羽沢君の言う通りだった。そりゃあ学校の都合なのはそうなんだけどさ、でも、確かに食い下がったりしても良かったんだよね」
「だが、それは…………」
「うん、だからね。あの後事務の人とかと色々して、まぁ工事の日は流石にずらせないんだけど、でも、練習室を優先して使わせてくれるってことになったんだ。ライブ当日まで、僕たちが使えるって」

だから、それで。羽沢君がよければ、これで終わりにして、あとは練習頑張るってことで。苦笑いしながらそう言った芦田に、泰生は数秒、少し驚いたように黙っていたが「はい」と、頷きを一つ返した。
「よくわからないですけど、良かったですね」僅かな安堵の色を表情に浮かべた芦田を見て、守屋が富田に耳打ちする。調子のいい学生が、「めでたしめでたし!」などと手を鳴らし始め、辺りにいた皆の拍手に変わっていく。その中心となっている、どうにもいたたまれなさげな芦田と、慣れているためか全く気にしていない泰生を眺めつつ、富田は「ああ」と生返事をした。

今の泰生は、日頃の悠斗によく似ていた。自分の信念は曲げないけれど、自分が悪いと思えば素直にそれを告げるというところと、しかしそう認めるまでに本人知らずに時間を要するところ。ただ、主義主張がはっきりしている泰生はともかくとして、融通をきかせることが多く時には『しょうがない』と折り合いをつけることもよくある悠斗が、自分の弱味を認めたがらないということは滅多に無い。だから初めて悠斗がそれを富田に漏らしたとき、そんなことを言うのは珍しいと当時の彼は思ったものだった。
そのとき、悠斗が話した『悪い』ことは今でもはっきり覚えている。彼が未だに折り合いをつけていない、認めていない、ずっと相手のせいにしていることを。
そして、富田自身もまた、いつでも悠斗のためにありたいという大義のもと、それをどうにも出来ずにいることを。

どうなさりました? 拍手が落ち着いてきた中で、黙ってしまった富田に守屋が聞いた。何でもない、そう答えた富田の声は、彼自身が思っていたものよりも乾いていて、富田は泰生に向けていた視線を床まで落とす。守屋が訝しむように目を細めた。



「それで、芦田さん。一つ頼みたいことがあります」

と、そこで泰生が声を発した。守屋の意識はそちらへ傾く。話題を変えたらしい彼に、芦田が「なに?」と言葉を返す。
どうやら一件落着したらしい、と興味を無くした学生たちはほうぼうに去っていった。取り残された者達、富田と守屋と、空中に浮かぶ芦田のポワルンが、それぞれ泰生のことを見た。
俺に聞けることなら何でも言ってみて、と芦田が次の言葉を促す。それに頷いた泰生は芦田に向かって切り出した。

「実は――――」





「泰さん、富田くん!」

練習を終え、芦田と別れた泰生と富田が大学を出る頃には、既に二十一時を回っていた。すっかり暗くなったタマムシシティに、それでも未だ多くの窓から明かりの漏れるタマ大のシルエットが浮かんでいる。街灯に誘われて飛んでいるモルフォンの大きな眼玉が信号の色を反射して、三色を交互に光らせた。
泰生は意識的に、富田は無意識に、そんなモルフォンを眺めながら歩いていたところである。聞こえた声に振り向くと、路地に停められた車の運転席から森田が顔を覗かせていた。「そろそろ終わる頃だっていうんで、ここで待ってたんですよ」開けられた窓に片手を置いて、森田は人懐っこい笑顔を見せる。「富田くんから連絡もらったんで」

「別に、わざわざ来る必要など無いだろう」
「またそういうことを。無愛想もいい加減にしてくださいって」
「うちから大学までは徒歩圏内だ。車に乗る距離とは言えん」
「はいはい。まったく、僕はミタマたちが泰さんに会いたがってるからって、そう思っただけなんですけどね」

憮然としたまま車を睨みつける泰生を、何食わぬ顔であしらった森田の言葉に、「……そういうことなら早く言え」泰生は不機嫌そうに言いながら助手席へと乗り込んでいく。あまりにもわかりやすいその態度に苦笑し、「ほら、富田くんも」と森田は後部座席を指差しながら富田を促した。そんな森田が視線だけで示した先、夜道を歩く通行人の何人かが、「ねえ、あれってさー」「そうだよな、送迎ってやつ?」などと、窓から見える羽沢泰生に反応してるのに気がついて、富田は急いでドアに手をかけた。
すみませんわざわざ、などと言いながら富田が乗り込んだシートには、森田と共に乗ってきた悠斗が通行人から顔をやや隠すようにして座っていた。「いいのいいの、僕らもちょうど終わったとこだから」軽い調子で笑った森田がアクセルを踏んだところでようやく、悠斗はほっとしたような顔で背もたれに寄りかかる。そんな様子に思わず口元を緩めつつ、ギターケースを傍らに置き直した富田は声をかける。

「お疲れ。すっかり有名人だな」
「やめろって……そうなるのは、メジャーデビューしてからって決めてるんだから」
「なんだそれ。……あれ、森田さんどこ行くんですか」

悠斗と適当な会話をしていた富田が、森田にそう尋ねる。車窓の向こうに流れる景色は光源が徐々に少なくなっていき、確かに住宅街へと入っていたが、羽沢家に向かう道のりではなかったのだ。怪訝に思って目を細めた富田に、「ごめん、ちょっとだけ時間もらうよ」と森田が答える。泰生は当然のような顔をしてフロントガラスを見ているし、悠斗は何も言わずに腕を組んでいるだけだった。
程なくして車が滑り込んだのは、住宅地の中にある小さな公園だった。子供が遊ぶには遅すぎて、大人が溜まるには少し早い時間であるためか、そこには誰もいない。木の間をズバットが飛んでいく音や、立ち並ぶ家からの生活音こそ聞こえてきたが、先ほど森田に声をかけられた場所である繁華街と比べ、随分静かであると富田は思った。

「二人ともごめん。少し待ってて」

歩道の無い道路に車を停めて、エンジンを切った森田が後部座席を振り返る。泰生は早くも車を降りていて、夜露に濡れた雑草を踏んでいた。それを追うようにドアを開けた森田は、座席の下に置いてあった三つのボールを持って泰生の隣へ歩いていく。
曇った夜空に向かって投げられたそのボールから出てきた三匹は、薄暗い公園に立つ泰生、つまり悠斗の姿を見つけるなり、揃って不思議そうな顔をした。が、それもすぐに消え去って、それぞれ思い思いに遊び出す。シャンデラが遊具の間を颯爽と飛び回り、マリルリは噴水に飛び込んで見事な泳ぎを披露する。輝かんばかりの笑顔になったのボーマンダの影はもはや遥か上空のものとなり、楽しそうな咆哮だけが聞こえてきた。

「…………何、これ?」

その様子を公園の中央で見守る泰生と、一歩後ろに控える森田を見遣ってから、富田が率直な疑問を口にした。

「なんか、いつもやってるらしい」

一日頑張ったポケモンと、一緒に遊ぶんだってさ。今は一緒にってわけにはいかないけど。森田さんが言ってた。窓枠に肘をつき、悠斗がそう捕捉する。「そうなんだ」それ以上添えるべきコメントも無く、富田もシンプルな返事をした。

「今日、芦田さんとこ行く前。あの人に、お前がなんで音楽好きなのかって聞かれた」

そこで途切れた会話を引き継ぐように、富田は平坦な口調のままにそう言った。それを聞いた悠斗は数秒、口を若干開けて富田を見たが、やがて「なんだそれ」と笑い混じりの声を出す。

「意味わかんねぇ。なんであいつが、そんなこと聞くんだ」
「俺が知るかよ」
「ま、そうか」

乾いた声で言い、「でも、懐かしいな。お前も前に同じこと聞いてきたよな」と悠斗は富田に笑みを見せた。「そんなの誰だって聞くだろ」と富田も笑い半分に返す。そりゃそうだけど、と、悠斗はそう言ってから、父のものである両眼を伏せた。

「で、瑞樹は。答えたの?」
「いや」
「答えなかったか」
「そうだな」

富田がそう頷くと、悠斗は「そっか」と少しだけ笑った。そっか。もう一度、その言葉が繰り返される。
口角を緩めた悠斗は、窓の外へと視線を向けていた。そこにあるのは、好きなように遊んでいるポケモンを、穏やかに見守っている泰生の姿だ。昨日の口論の時とは似ても似つかないその様子を見ている悠斗の、黒い影が落ちた横顔を富田は赤い目だけで見遣る。前髪の隙間から、悠斗が口を動かすのが見て取れた。

「他に、何か聞かれた?」
「この曲はお前が書いたのかって。あと、」
「あと」
「俺がなんで、音楽やってんのかって」
「何て答えた?」
「いつもと同じだよ」
「そっか」
「そうだよ」
「うん」
「それ以外ないだろ」

そっか、とまたしても繰り返した、悠斗の目は泰生へと向いたままだった。「悠斗がいるからだよ」狭い車内に、そんな言葉が反響する。「変わらないって」

「そうだな」

相変わらず、悠斗の視線は窓の向こうにあるままだったけれど、「ありがと、瑞樹」富田の夜目は暗闇の中、彼の表情が少し柔らかくなったのを確かに捉えた。
うん、と短く頷いて、富田は無為に天井を見上げる。先程、悠斗に言われた言葉を頭の中で反芻した。お前も同じこと聞いたよな、そうだ、確かに聞いた。なんでお前はそこまでして音楽をやるのかと。

悠斗と知り合ったのは中学二年生に上がる前で、まともに話すようななるまでは、大したプロフィールも知らなかった。中学入学と同時にタマムシへ越してきたこと、有名なトレーナーの子供だということ、そのくせ、やけにポケモンを嫌っていること。あとは、合唱部から勧誘が来るほどに歌が上手く、しかし歌は自由にやりたいという理由で断ったらしい、ということくらいだ。
当時から悠斗は誰からも好かれる人柄で、富田からすれば日陰者の自分と関わることも無いだろうから詳しく知る必要も無い存在だ、と思っていた。だけどある時を境に親しくなり、家に招くまでの間柄になった富田は、世の中どうなるかわからないものだ、などと考えずにはいられなかった。
そんな富田の内心も知らず、初めて富田の家に遊びにきた悠斗は、リビングにあったギターを見つけてものすごく興奮したようだった。『なぁ、これ!!』などと、ロクに言葉の体を成していないそれに戸惑った富田は、どうしたの、と尋ねたものである。

『どうしたのって、それは俺が言いたいよ! なんだよこのギター!』
『何って…………』
『マジやばいよこれ! レッチリのジョンが使ってたのと同じモデルじゃん、今持ってるのって世界でもほとんどいないらしいって!』

息を荒くする悠斗に若干ヒキながら『いや、知らないし……』と富田が答えると、『レッドホットノワキペッパーズだよ!? イッシュの! 知らないのかよ!』と彼は大袈裟に驚いてみせた。そんなことを言われても、ギターの持ち主は富田でなく富田の父親で、当時の富田自身は音楽など人並み以下の知識しかなかったのだから仕方ないだろうが、そんなことを悠斗がわかるわけでもない。余談だが、ギターの持ち主にして、若い頃インディーズバンドをやっていた富田の父親は息子に出来た音楽好きの友達をたいそう気に入り、時には歌の指南をしたりということもあるほどで、悠斗にとってかなり大切な人の一人である。
ともあれ、興奮しきりのそんな悠斗を見かねて、富田の母が何枚かのCDを持ってきてくれたのだ。それを見てさらに悠斗は喜び、流れた曲に合わせて歌い出したのである。
リビングに響き渡る、どこまでも通りそうなその声を聞き、富田は、この出来たばかりの友人が、どんなくらいに歌を好きなのかを垣間見たような気がした。だから聞いたのだ、その理由を。

富田がギターを始めたのは、「こんないい楽器あるならやってみてくれよ!」と、その時に悠斗が言ってからだ。父に助けられながら血が滲むような練習を重ね出したあの日から、自分がギターを弾く理由は、音楽をやる理由は、今も何一つ変わっちゃいない。微塵もぶれることの無い道標に向かって、ひたすら進んでいるだけなのだ。
そしてそれは、悠斗も同じなのだろうと富田は考える。自分が変わっていないように、悠斗もあの時と同じままだ。音楽に対する想いも、ポケモンと距離を置いているのも、人を惹きつけてやまない歌声も。
そして、この目をすることも。何も、変わっていない。

ガラス一枚隔てた車外から聞こえてくるのは、泰生のポケモン達がはしゃぐ音と、どこからか鳴り響くクラクションと、見知らぬ家庭の子供が泣いている声だった。奇妙に騒がしい沈黙に、外を見たままの悠斗の横顔をもう一度盗み見て、富田は目を閉じかけたが、しかし代わりに口を開く。


「なぁ、悠斗、俺は…………」



「毎度お世話になっております! 浮気調査から反魂術まで、あなたの町の便利屋さん、真夜中屋でございます!!」



と、富田が悠斗に何かを言いかけたところで、やけに楽しそうな声が車内に反響した。同時に二人の眼前に現れたのは巨大な黒の顔面で、彼らは揃って全身を粟立たせる。

「!? な、……!?」

「え!? 誰、ミツキさん……?」

大きく仰け反り、シートに背中を張り付かせた富田がおそるおそる問う。口をぱくぱくさせる悠斗を面白そうに笑ったその顔面、低い天井いっぱいにガスを蔓延させたゴースは「その通り!」と高らかに言った。

「ご依頼の件で報告があるからお邪魔させてもらったんだ。これはこの子のナイトヘッドの力で、幻覚見せる要領で僕の声を伝えてもらってるんだよ。驚かせようと思ったんだけど……もしかして、お取込み中とかだった?」
「いや、それは大丈夫ですけど。……普通に電話とかでいいんじゃ」

ぼそりとつけ加えられた富田の正論はあっさり無視され、ゴース、もといその向こう側にいるらしいミツキは「で、早速本題なんだけどさ」一人で勝手に話を始めてしまう。富田は疲れきった顔で、ミツキさんは昔からこういうとこがあるから、ごめん、などとうんざりした声で呟いた。それに曖昧な頷きを返し、未だ驚きが落ち着いていないらしい悠斗は鼓動の収まらない胸を押さえる。

「あまり長くやるとムラクモに怒られちゃうから、手短にね。とりあえずわかったことだけ、まず、これはポケモンの仕業と見て間違いない。人間の呪術ではなかったよ。ただ、ポケモンが自分の意思でやったイタズラなのか、それとも人間が指示してやったことなのか、そこまではわからない。でも一つだけ言えるとしたら、もしもポケモン自身の意思だとするならば、だいぶピンポイントすぎるよね」
「それは、悠斗たち両方が大事な時期ってことですか」
「それもあるけど。あと、ポケモンがイタズラ目的でやったなら、親子だなんて近い関係をわざわざ選ぶ道理も無いし……。次、ポケモンのってことまではわかるけど、何のポケモンかは見当がつかない。僕のよく知らない力だった。僕の家にはいろんな子が出入りしてるけど……そのどれとも違う感じだね」
「そうですか…………」
「まぁ、そこはバチュル潰しに探してくしかないよ。みんな……僕の友達のゴーストタイプたちも協力してくれてるしね。で、最後なんだけど……」

そこでミツキは一度言葉を切る。「何ですか」と急かした富田に、彼は思案するような間を少し置いてから、大きな両眼を動かした。

「これは、便利屋としての勘だけどさ。この件は……君たちお二人が、君たちのことをどうにかしないと、解決は難しいよ」

「…………は」

「ま、君は少し進展あったみたいだし、あっちもサークルの人の誤解とけたみたいだけど。その調子だよ、そういうこと」

よくわからないことを好き勝手に言い残し、「そんじゃ、また何かあったら連絡しま〜す」などと軽い調子で言ったミツキは話を終わらせてしまう。ゴースの口が大きく開いて笑い声を響かせ、ガス状の身体がぶわりと広がった。
その煙に思わず目を覆った悠斗と富田の視界が戻った頃には、ゴースの姿は影も形も無く、すっかり霧散したようだった。一方的に押しかけられて一方的に取り残された二人はしばらく呆然としていたが、「…………なぁ」と悠斗が力の無い呻き声をあげた。

「……あの人、俺たちのこともどっかで見てるってこと」
「……そうだな」
「……ああいう人、他にもいるの」
「……知らん、けど」

とりあえず、悪いことはするもんじゃないよな。そう呟く富田に、悠斗はこっくりと頷いた。ぐったりとシートに倒した身体が、無性に溜まった疲れを訴えていた。
その後すぐに、「ちょっとちょっと!? 今、車からなんか紫の煙出てたんだけど! 大丈夫!? 壊れたりとかしてない!?」と森田が青い顔で駆け寄ってきたのだが、悠斗たちにはもはや、まともに答える元気はない。げっそりと首を横に振っただけの二人に、森田は怪訝な顔をする。遊ぶポケモンたちを見守る泰生だけが、夜の公園で一人楽しそうであった。





石で出来た階段をようやく全部上りきり、悠斗は長い息を吐いた。本来の自分の身体ならばここまで疲れきることも無いだろうに、感じる疲労は何倍かに増しているようにしか思えない。トレーナーとして鍛えているとはいえど、やはり年相応の身体にはなっているのだろうか、などとこの場にはいない父親のことをふと考える。
しかしなんとなく面白くない気持ちになった悠斗の思考はすぐ切り替わり、泰生の幻像を振り払うように彼は視線を前に向けた。大きく聳える朱色の鳥居と、そこに止まっている十羽ほどのポッポ、奥に見える立派な社。背景となる空には、ポッポたちに餌でも運んでいるのか、ピジョンのシルエットが旋回していた。
秋の涼しさに、青さを少しばかり失いつつある木々の匂いを吸いつつ悠斗は神社の中へと足を踏み入れる。平日の昼間だけあって参拝客はまだらだった。散歩ついでとみられる老夫婦に連れられた、ヨーテリーが砂利を無為に掘っている。拝殿の柱に絡みついている二、三匹のマダツボミが、近づいた悠斗に気づいて慌てて逃げていった。

「………………」

五円玉を投げ込み、悠斗は黙って手を合わせる。神頼みしたいことはこの状況解決含め山ほどあったが、とりあえず今願うのは父が、つまりは表向きの自分が、学内ライブを良いものにしてくれるようにということだ。用意されたステージと、芦田の演奏に報える、いや、それ以上のものを。
羽沢泰生がいるとなればこの前みたいに騒がれるのでは、と悠斗は危惧していたのだが、人の少なさ故にそれは杞憂に終わってくれた。バトルトレーニングの合間、つまりは休憩中に来たため、事務仕事があるらしい森田は同行していない。泰生と富田も学校にいる。ベルトにつけたモンスターボールには三匹のポケモンが控えているから、一人ではないと一応は言えるのかもしれないが、彼らを同行者とみなすほどに悠斗はまだ至っていなかった。
そのため、今の悠斗は実質一人。聞こえるのは風の音と参拝客の喋り声、ポッポ達の囀りだけで、なんとも穏やかな空気が漂っている。この頃とても落ち着ける状況ではなかった(もっとも、戻れていないのだから今も落ち着いている場合ではないが)悠斗は、久々に心が安らいだように感じられた。先程、事務所内で行われたバトルトレーニングでも勝ちこそ出来なかったが、だいぶしっかりと戦えたこともあり、少しは安心してきた……

「お参りなんて、案外余裕なのね」

と、安堵に浸っていた悠斗の安らぎはそこであっさりと終わりを迎えた。
慌てて振り向いた先、お守りなどを売っている社務所を背にして立っていたのは、長い髪を下ろした岬だった。「入ってくのか見えたから」そう言った彼女も悠斗同様、今はオフの時間だからだろうか、ジャージやTシャツといったトレーニングウェアではなく、カジュアルながらも少し洒落た格好である。モノトーンのパンツルックが岬の雰囲気とよく合っていて、悠斗は先程対戦したトレーナーのポケモンでもあった、ゼブライカを頭に浮かべた。

「そんな頻繁に来たって、神様だって困るんじゃないかしら」
「頻繁……」
「なに、忘れたの? 先月みんなで来たじゃない、リーグ一ヶ月前だからお参りに。絵馬まで書いたのに、何をとぼけてるのよ」

今年の干支であるメリープとモココが描かれた絵馬の吊るされた方を指差して、呆れたように言った岬に、悠斗は適当に「ああ、そうだな」生返事をする。しかし思考回路は別のこと、数週間前に自分もまた、キドアイラクの四人でここに来たことへ傾いていた。オーディションの一次選考通過のお礼参りと、さらなるステップアップを祈ってのことである。絵馬まで書いた、というところまで全く同じで、いくら家や大学、064事務所からほど近いからといっても、泰生と似たような行動をしていたことが悠斗にとってはどうにも複雑であった。
「それにしてもどうしたの、一人で神社なんて」そんな悠斗の内心など知らず、革ジャンの肩にかかった髪をかきあげながら岬は問う。「スランプ脱却祈願でもしに来たの?」

「いえ、学内ライブが成功するように……」
「へ?」
「あ、違くて……息子が音楽やってて、今度大学でライブやるらしいから、そのことを」

うっかり滑らせた口をどうにか取り繕い、しかしこれはこれで泰生らしからぬ発言だ、と悠斗は遅まきながら後悔する。ポケモンバトル一筋の泰生が、自分の子供のために神社まで足を運ぶなど不自然極まりないだろう。
「息子さんの……」案の定、目を瞬かせた岬に悠斗はどう言葉を続けたものかと口ごもる。下手に何かを言ってしまえば、また余計なことを口走りそうだった。

「なるほどね。羽沢さんらしいわ」

が、返ってきた岬の言葉は予想外のものだった。え、と悠斗が思わず首を傾げると、岬は紅い唇を緩めて笑った。

「知らないの。よく言われてるわ、羽沢さんはあのとっつき悪さの割には、そう見えない面もあるって」
「……………………」
「バトルは完全主義の冷徹そのもの、対人スキルは最悪レベルの人当たり悪さ。……なのに、バトルじゃない時のポケモンに対する態度は誰よりも優しくて穏やかで愛に満ちてて……同じ人間だとは思えない、って」

何も返せない悠斗を見上げるようにして、「でもね」岬は青のアイシャドーでうっすら輝く瞼を見せた。

「私は、そっちの羽沢さんが本当の羽沢さんだって思ってたのよ。自分のポケモンや家族を何より大切にするような、そんな人。たとえそれを見せないとしても、あえてアピールするような奴らなんかよりも、ずっと、ね」

否定も肯定もしようがない悠斗は、黙って岬の肩口に視線を落とす。一人で話す彼女の言っている意味の半分ほどしか理解出来なかったし、聞いていてもどこか辛くなるものだとしか思えなかった。気まずさと、早く終わってくれないかという気持ちがないまぜになる。いつの間にか参拝客の老夫婦達は帰ったようで、また巫女や神主も奥に引っ込んでいるのか社務所にも影がなく、岬の他に話す者は誰もいない。秋晴れの空から響いてくるピジョットの声が、やたらと聞こえるような気がした。
だが、どうして岬がそんな話をするのかどうかは疑問に思い、悠斗の気になるところではあった。森田は彼女を、泰生をあまり良く思っていない人間であるというように評したが、それならばなぜ、ここまで話しているのかも理解しがたい。

「確かに、バトルからすれば全然、そんなことないけれど。でも、そうじゃないんだろうって、思ってたのよ」

形の良い吊り目が、悠斗を覗き込む。やや詰められた距離と、至近での美貌に悠斗はつい息を飲んだ。
「だから、」長い睫毛の影になった、見極めるような瞳の奥にちらりと光が走ったのを、悠斗の視力が捉えた。その光に覚えがあるように思えたが、それより先に岬が口を動かす。「この前のバトルを見たとき、それは間違いじゃなかったって思って、それに――」

「…………ん? 今、何か変な音しなかったかしら」

「え? いや……」

言葉を切り、不意にそんなことを言った岬に、何も感じなかった悠斗は首を振る。それよりも気になったのは、全く意味がわからなかった彼女のセリフの続きだったが、そこに話を戻せるほどに悠斗は泰生としての立場に慣れていなかった。そもそも泰生だったら人の会話が途切れようと気にしちゃいないだろうな、悠斗はそんなことを考える。

「そう、気のせいね」

彼を余所に、岬はあっさり頷いて、耳のあたりを軽く指で押さえてみせた。「マダツボミでも走ってったかしら」
「それより、そろそろ戻った方がいいんじゃない? 今日、マッサージ師さん来る日でしょ」話を変えた岬に悠斗も「ああ」と答え、鳥居の外に向かって歩き出す。定期的に事務所に来てくれるポケモンマッサージサービスは、コンディション向上に関して大きな影響力を持っていた。
砂利を踏みながら鳥居をくぐる。視界の上部を赤が埋めたところで、「あの」悠斗は岬へと顔を向けた。

「色々、ご心配おかけしてるみたいですが……ご期待に添えるよう、バトル。頑張ります」

羽沢泰生として。最後に悠斗の心の中だけで、そんな言葉が付け加えられたのだが、岬がそれを知る由も無い。風に揺れる葉の音が響く中でもよく通った彼の声に、彼女は数度、目をぱちぱちさせた。
少しばかりの時間が経ってから、「馬鹿ねぇ」岬は、若干視線を逸らして言う。

「羽沢さんの好きなように、やればいいじゃない。私が心配してるとか、どっちがいいとか……そういうんじゃなくて」
「いや、でも……」
「…………いいったら、それでいいのよ! 本当、最近どうしちゃったの、いいから早く行きましょう!」

口ごもる悠斗に、岬は何か言いたげな表情をし、しかし、ぷいと顔を背けて歩き出してしまう。先を行く綺麗な長髪を追いかけるように、悠斗は急いで歩みを速めた。


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