マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.1396] きみを巣食うもの(八) 投稿者:   投稿日:2015/11/15(Sun) 20:10:15   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:カナワ】 【アデク



 アデクは言葉を失った。少年の発した言葉が、まるで見知らぬ国の言語であるかのように、すんなり飲み込むことが出来なかった。
 今にも決壊しそうな激情を理性で押し留め、それでも全部は抑え切れず、少年は辿々しくも烈々と心を散らす。

「だってふたりは父さんと母さんが死んだのに笑ってたんだ! おれが泣くとすぐ近よってきて、ずっとニコニコしてっ……。ポケモンなんて、乱ぼうだし、何考えてるのか分かんないしっ! いなくなっちゃえばいいんだって、言った……!!」

 自分の勢いに圧倒されたのか、声も無く、放心したようにただただこちらを見つめる老翁。それを好機と、シュヒは今まで他の誰にも言えずにいた己の過ちをぶちまける。今しか言えないだろう、この人にしか受け止めて貰えないだろう気持ちの、全てを。

「だからおれはもうふたりにも、他のポケモンにだって……きっと、きらわれちゃうから。それなら……“おれが、ポケモンをきらい”って言えばいいって思った」

 アデクは悟る。少年があの二匹を避けていたのは、ポケモンが怖いという理由からだけではなかった。後ろめたさがあったのだ。今度は彼らの心を傷つけてしまったのだという、苦い事実が。
 張り詰めたセピアの双眼がふるりと揺らぐ。泣いてしまうことさえ出来たら少しは楽になれるのにシュヒはまだ、落涙を許されない。もしくは少年自身が、それを許さない。

「でもね本当は……“ポケモンが、おれをきらい”なんだよ……!」

 それは違う、とアデクは言いたかったし実際、言おうとした。けれど少年の告解はまだ終わっていない。彼を救い出すには、彼の苦悩を全部受け止めなければ始まらない。口を挟むのは最後まで聞き終えてから、それからだ。

「きっとふたりはおれを……あの時のポケモンが、メイテツとキューコにしたみたいに、する……」

 多大な、思い違い。二匹は彼を傷つけるために近づいて来るのでは無い――アデクは少年の、先の台詞でそのことを確信していた。
 彼らは“弟”を独りにさせまいと、これ以上寂しい思いをさせまいと、常に傍に居ようと、笑顔で包み込もうとしていただけなのだと、そう思う。たとえその彼に嫌われてしまったとしても。
 ポケモンは時に恐ろしい生き物。それは全く以て正しい解釈である。どんなに小さなポケモンでも、その気になれば人間など一捻りで仕留めてしまえるだろう。
 だが同時にポケモンとは、とてつもない優しさを持った、非常なまでに美しい生き物でもあるのだ。時に人間如きの頭や心では、到底想像も理解も及ばないほどに、慈悲深い。
 守りたい、支えたい、救いたい。二匹は多分、たったそれだけを望んでいる。それだけを彼に伝えようとしている。けれど、ポケモンと人間は同じ意思の伝達方法を持たぬがために、少年はもう何年も何年も、彼らを誤解し続けている。
 言葉が通じないというのは、これほどまでに悩ましくもどかしいものだったのかと、アデクは真底悔しくなる。

「おれ……もうどうしたらいいのか、よく分かんないよ」

 悲哀と恐怖と後悔と。様々な感情の入り乱れで心が震え、肩から腕へ、握り込まれた拳にまでわななきが伝染していく。そんな風に揺らぎ続けるシュヒを、メラルバがじっと見上げた。彼女の水色の双眸に、少年の姿が焼きつく。

「ポケモンは怖いけど、きらいなんじゃない。でも、おれはポケモンにきらわれてっ……!!」

 面差しを悲痛に歪ませ、シュヒが瞼をきつく閉じた――その時だった。

「ルバッ」

 アデクの腕の中から突としてメラルバが跳躍し、少年の胸元に飛び付いたのは。

「!? うわあああっ!!」
「メラルバ、」

 案の定、戦慄き大声を上げて背中を仰け反らせるシュヒ。反して、アデクは幼虫の起こした思いも寄らぬ暴挙に、呆気に取られる。

「うわっわ、わ! じ、じーちゃ、たったた助けてっ……」

 今し方していた話の内容が内容だ。瞬く間に青褪める顔面と対照的に、シュヒの脳内で危険信号が真っ赤に点滅する。生命の危機すら覚えて、全身に冷や汗が溢れ出す。

「お、おれっ……ポケモン、にっ……!」
「ラルバ〜」

 少年がそれほどまでに自分を怖がっていると露ほども知らない産まれたばかりのメラルバは、彼の腹の辺りを小さな体でもぞもぞと這い回る。それも、とても楽しそうな表情で。

「じ、じじ、じーちゃん、ってば……!!」

 さっきから何度も助けを求めていると言うのに、翁はぼうっとメラルバに注視しているだけで、うんともすんとも答えてくれない。シュヒは恐怖に支配された心のすぐ隣にある腹を器用に立てて、声を絞り出すべく力を入れた。が。

「……あいつと同じ、だ」
「えっ?」

 今まさに腹から声を出そうとしたところで、アデクがこの場に不釣り合いな呟きを漏らしたので、思わず呆れた声に変えさせられてしまった。
 幼虫を捉えながらも、どこか違う者、遠い時を透かし見るような焦点の合っていない目をしていたアデクだったが、少年の微かな疑問の声にはっと意識を取り戻す。

「あ、いやいや。メラルバ、戻っておいで」

 そして先程までの反応の悪さを取り戻す鋭敏さで、メラルバを引き離してくれた。
 徐々にシュヒの顔色に赤みが差す。落ち着いて来ると少年は、少なからず非難を込めた目つきで翁を一瞥した。




「メイテツとキューコは、父さんと母さんが大切にしてた、大好きだったポケモンで……メイテツもキューコも、父さんと母さんが大好きで……それなのにおれ……いらない、なんて」

 しばし時が経ち平静を取り戻した少年は、先よりいくらか落とした調子で話し始めた。対峙する老翁は彼が溢す言葉の一つ一つを大切に拾い上げ、じっくり噛み締める。

「お、おれは……自分がいらないって、自分で思ったんだ」

 それは、以前にも耳にした沈鬱な台詞。あの時は頭に上る血を抑え切れず、出過ぎた真似をしてしまった。幼子相手に残酷極まる掌と言葉とを、叩きつけてしまった。
 しかし少年は、自分でも予期せず与えてしまった厳しい叱責を乗り越えて、それどころか、自分を頼りにやって来てくれた。その想いに、アデクはなんとしてでも答えたかった。だから。

「メイテツとキューコをいらないって言ったおれなんか、いらないんだ……」

 だから気休めでも綺麗事でも、間違った考えには間違っていると指摘し、真実を伝え、教えなければならなかった。孤独の暗中にいる子供を、温かな陽光の下へ導いてやらなければならなかった。

「シュヒくん。自分が要らない、と一番思っちゃいけないのは誰か、解るかね」

 少年の言葉が途切れた瞬間を見計らい、アデクは緩やかに問いかけた。悲しみを湛えたまま、けれど優美な答えを求める眼差しで、シュヒはアデクを見返す。

「自分自身、だよ。自分を要らないなんて、絶対に思ってはならない人は。何故なら“自分”を愛してくれる人が、ポケモンが、悲しむから。自分自身だけじゃなく、自分を産み、育み、守り、愛してくれる者にまで悲しい想いをさせてしまうんだ」

 穏和に答える彼の腕に捉えられている幼虫が、頻りにシュヒに近づこうと彼の方へ手を伸ばす。一人でには音を奏でぬあの楽器に、触れようとしていたカブルモと同じように。

「それは途方も無く、悲しいことだろう?」

 物悲しい微笑みを浮かべ、アデクは少年の顔を覗き込んだ。シュヒはすぐに返す言葉を見つけられず、青藍を前に口を閉ざす。


「……じーちゃん、」

 そうしてしばらくし、少年が何事か言いかけた頃。

「むっ! もう九時か。よい子は眠る時間だな」

 廊下側の壁に掛けられた時計へ目をやったアデクがそんなことを口走ったかと思うと、途端にシュヒを急き立て始めた。

「さあ、早く歯を磨いてベッドに入りなさい。夜更かしする悪い子はお化けのポケモンが拐いに来るぞ!」
「ヒイッ! そんな話、しないでよ。眠れなくなるよ!」

 ついさっきまでしんみりしていた空気が一瞬で払拭される、どころか、どんより寒々とした別物にすり変わってしまい、シュヒは即座に背筋を凍らせた。味をしめたのか、わざとおどろおどろしい顔と声でアデクは続ける。

「今頃はきみの部屋にあるぬいぐるみやテレビにも、お化けのポケモンが潜んでいるかもしれんぞ〜〜」
「やめてよ、やめてってば!!」
「もしかすると、きみの影の中にも」
「じーちゃんっ!!!」
「ははは! わしもきみの部屋で眠るから、安心しなさい」

 少年の焦る声に怒りが混同し始めたので、アデクはそれ以上彼を脅かすのはやめにした。怪談をするには時期遅れのきらいもあることであるし。

「…………」

 シュヒは今度は悪寒でガタガタ震える両腕を抱え込み、快活に笑い飛ばしたアデクへ、じとーっと恨みがましい視線を送りつけた。


「だがその前に、メラルバに食事を与えねばな」

 そう言い瞼を落とした老翁は、身を乗り出していた幼虫を持ち上げ、抱え直す。

「全ての命は、必ず誰かが待ち望んでいたもの。ゆめゆめ、天寿から外れた所で喪ってはならんのだよ。どんな色、形であろうともな」

 そのように言い含める声がとても温かで、手元の白い毛皮を透く指先がとても優しげで。シュヒは自身の胸が、心が、休まり温もってゆくのをじんわりと感じていた。


「ごめんなさーいっ、遅くなっちゃった!」

 とそこへ、留守にしていた明るい娘の声が、玄関の方から響き渡って来た。急いで靴を脱ぐ音がした後、廊下に繋がるドアからナズナが顔を覗かせる。男たちに会釈し、彼女はすぐさまリビングへ飛び込んだ。

「お父さんがメラルバちゃんを見たい見たいって騒いじゃって。メラルバちゃん! 今からご飯作るからねー」

 戻って来た彼女の右手には大きめのトートバッグが提げられている。少女は幼虫に言いながらその頭をそっと撫でると、テーブルへ移動し、鞄から諸々の品を次々取り出していく。

「世話になるね」
「いいんですよ! 私が役に立てるなら、いくらでも働きます!」

 台所また借りるねと少年に断ってから、持参した木の実数種類と乳鉢、乳棒とをシンクへ運ぶ。それらを水洗いしつつ、少女は嬉しそうに笑ってアデクに答えた。
 手際よく木の実を細かに切り、乳鉢で混ぜ合わせる作業にナズナが移行したと同時に、シュヒは翁の言いつけ通り歯を磨き終え、就寝の準備を整える。そうして二人におやすみなさいと声をかけ、階段がある玄関へ欠伸をしながら向かった。

「ラルバ〜、ラルバ〜」

 ドアの向こうに去って行く少年を見送るアデクの胸元で、メラルバが落ち着き無く体を揺らす。

「メラルバちゃん? どうしたの?」

 木の実のペーストを木製の器に入れ持って来たナズナが、彼女の動作に首を傾げた。すかさず、アデクが少女を呼びつける。

「ナズナさん、耳を貸してくれ」
「はい?」

 ふふ、と何かを秘匿するような含み笑いをする翁を不審がりながらも、彼のすぐ傍らに膝をついて少女は耳を傾けた。

「実はな……、…………」

 そうしてアデクは耳打ちする。
 しばらくののち、ナズナは彼の語った内容に驚きを隠せない様子でいたが、やがて真摯な表情でこくりと一つ、頷いた。








 カーテンは閉ざされ照明も点いていない、真っ暗な子供部屋。南側に置かれたベッドの上で、水色のシーツにくるまりシュヒが、ぶるぶると震えていた。
 理由は単純明快。先頃居間でアデクがした話の所為だ。

(ふつうのポケモンでも怖いのに……おばけのポケモンが出たらすっごく怖いよ。どうしよう……じーちゃんのいじわる……!)

 考えまいとすればするほど考えてしまい、眠ろうとすればするほど眠れず……そうやって七転八倒してもう既に十数分は経過しているのだが、この様子では彼はまだまだ寝つけそうにない。
 この状態で他に出来ることも無く、こんなことになってしまった原因を作った老翁へ心中で悪態を吐いていた最中、ふと、少年の目線は眼界の右端にある低い棚に吸い寄せられていった。

「……」

 ベッドと相対する壁際の中央、カーテンの隙間から射し込む月明かりに照らされ、そのテレビラックは仄かに存在感を示している。電源が落ちた真っ黒な画面のテレビの脇には、カントーに住む親戚から貰ったピンク色の妖精ポケモンの人形が、ちょこんと並んでいた。

「…………」

 モンスターボールの中にならいざ知らず、縫いぐるみやテレビの中、それに影の中にポケモンが入るなど、非常に荒唐な話に思える。アデクを疑いたくはないけれど、果たしてそのようなことが現実に起こり得るのだろうか? 少年は悶々と思考を巡らせた。

 キィィ……

 そんな時、暗闇の奥で何かが軋むような音が立ち、シュヒの肩と心臓は大きく跳ね上がった。

「ヒイッ!!」

 ついに幽霊ポケモンが自分を見つけ、拐いにやって来たのか。鼓動を激しく打ち鳴らすシュヒの前に直後ゆらりと顔を出したのは、

「おや、シュヒくん……まだ起きとったのか?」

 少年が上げた大仰な悲鳴に、ややたじろいだ風なアデクであった。

「じっ、じーちゃん!」
「夜更かししても無事なところを見ると、お化けポケモンには見つからなかったんだな」

 そう朗らかに言いながら扉を閉め、翁はベッド上の少年へ歩み寄って行く。
 幽霊ポケモンでなかったことに深く安堵したのも束の間、言うに事欠いて、全く冗談になっていない冗談を放ったアデクにシュヒは憤りを覚えた。がば、と被っていたシーツを押しやって上体を起こすなり、食ってかかる。

「夜ふかししたくてしてるんじゃないよっ。じーちゃんがおどかすから眠れないんだ!」

 詰られ、アデクはすまんすまんと苦笑しつつ頭を下げた。

「でもさ……ウソなんだよね? ポケモンがさらいに来たり、ぬいぐるみとかテレビとか影とかにいるなんて」
「さあな。信じる信じないはきみの自由だよ」
「う……ウソだあ……」

 肯定でも否定でもない物言いに戦慄し、硬直する少年をゆっくりと寝床に横たわらせてやりながら、アデクは柔らかく笑んだ。

「さ。わしが傍におるから、もう大丈夫……早く眠りなさい」






「……アデクじーちゃんは電車に乗って、ここに来たんでしょ?」

 睡魔がやって来るまでまだ時間がかかりそうだと判断したシュヒは、脇で壁に凭れ掛かかって座しているアデクに、そのように声をかけた。話しかけられた方もその声色から、彼が未だ現(うつつ)にいることを知ると速やかに対応する。

「おうよ。ライモンシティからな」
「ライモンシティかあ。遊園地がある町だよね?」
「うむ。他にもミュージカルホールあり、スポーツスタジアムあり、ポケモンバトル施設ありの、それは賑やかで大きな街だ」
「うわあ……なんかすごそう」

 例の事件があってからこれまで、ずっとポケモン嫌いで通っていたシュヒが、カナワタウンを出ることは皆無と言ってもいいほど稀であった。ましてや娯楽都市など、彼がまともに行けば発狂は免れなかっただろう。ミュージカル演者はポケモン、スポーツ選手はトレーナー、バトル施設は言わずもがな。ついでに、遊園地の敷地内にポケモンジムがあるような街なのだから。
 でも、だからこそ。ポケモンとの間に深い溝を築かれていたからこそ少年は憧れ、夢見ていた。いつかはこの小さな田舎町を出て、様々な町へ赴き――そして様々なポケモンと出会い、触れ合える日が来ることを。

「トレーナーって……旅をして、ポケモンと一緒に強くなるんだよね。じーちゃんも、強くなるために旅をしてるって言ってたでしょ」
「……昔は、な」

 返って来た返事の意外さに思わず、シュヒは右隣の老翁に頭だけを向けた。今は違うのか、と問いたげな空気を醸す少年に諭すように、そちらへ視線を投げアデクは続ける。

「今のわしの旅の目的はね。イッシュの人々に、ポケモンと共に過ごす時間の大切さを、伝えることなんだ。それは、トレーナーとして強くなることよりも何倍も何十倍も大切で、ポケモンと共に生きる全ての人間にとって、最も大切なことなのだ」

 闇に溶け込み、二人は共に互いの表情を正確に捉えられない。だがアデクには少年が何度か目瞬きを繰ったことが、シュヒには老翁がゆるやかに瞼を閉ざしたことが、なんとなく理解出来た。

「もちろん、強くなりたいと思うことも大切だ。きみも、もし強くなりたいと願うなら、覚えておきなさい」

 ひんやりとした空気を揺らしてシュヒは身じろぎし、よく見えないなりに眼下にいる翁の顔を見つめた。青藍が、鮮やかに煌めいた気がする。

「真の強さとは心の強さ、魂の強さ。誰かのために何かを出来ることを言うんだ。目に見える強さは強い心魂のあるところに、後から勝手についてくるものだ。強さは一人きりでいては身につかない。無数の命に支えられ囲まれて、心が成長する時、手に入るものだということをな」
「………………」

 言葉を断った後もなお、少年は心を奪われたように茫然と自身を見据えている。アデクは口許だけで笑み、話を継ぎ足した。

「あいつが、気づかせてくれたことだよ」
「あの……病気で死んじゃったひと?」

 継がれた台詞の中に聞き覚えのある語句を見つけて、シュヒは問うた。翁が頷く。

「うむ。雄々しく気高く心優しく……共にがむしゃらに強さを求めた強い、強い奴だった」

 妻か子か、友人か。関係は定かでは無いけれど、彼が甚く大切に想っていたであろう人物。少年はその見知らぬ誰かを、とても眩しく思った。どんな人だったのかと、見てみたくなった。
 しかしアデクのその口振りはまるで、人間に対するものではないように思えて、シュヒはしばし悩んでしまう。それからわずかの間(ま)の後、閃いた。
 人間が、人間と同じくらいに愛情を注ぐ、人間ではない存在(いきもの)――それは、一つしか有り得なかった。

「ねえ。もしかして、その死んじゃったのって……」
「そう。あいつとは、人ではない。ポケモンだ。わしの初めてのパートナーだった、大切なポケモン」

 少年は途端、言葉に言い表せない万感の想いを、胸いっぱいに広げた。
 彼と出会ったばかりの頃ならば――初めて彼に、亡くした命の話を聞いた時にその実体を知ったらば、シュヒはきっと反発しただろう。その時の少年は“ポケモン嫌い”だったから。
 でも、今はそうではない。まだポケモンは怖いけれど、アデクを、アデクのポケモンへの想いを全面的に否定することは、今の少年には絶対に出来なかった。彼がいるから、自分は“ポケモン嫌い”の皮を被らずにいられるのだ。
 それに。そのポケモンがいたからアデクはカナワを訪れ、自分の元へ現われたと、そういう風にも言えるはず。見知らぬ翁の相棒に、恩を感じずにはいられなかった。
 相棒から教わったことをイッシュの人々に伝えるため、旅をしていると言う老翁。その教えをたった今、受け取った自分。彼と自分は掛け替えの無い、最愛の命を失った者同士だった。
 そうしてシュヒの思考は自然と、ポケモンを助けて命を落とした両親へと辿り着く。

「おれも……気づけるのかな。父さんと母さんが、おれに何か、気づかせてくれるのかな……」

 両親が命に代えてポケモンを生かした理由を探ること。遺された自分に、両親が何かを伝えようとしたのかもしれないと感じ取ることが、自分の取るべき行動ではないか。
 そうアデクに言われてから、シュヒは折に触れて思考していた。考えて解ける問題でないことはなんとなく理解していたけれど、何もしないよりは増しなはずと思索を続けてきた。自分も、翁が話してくれたような大切なことを両親の死から得られるのであれば、一刻も早くそれを知りたい。気づきたい。

「うむ!」

 力強く相槌を返しながらアデクは、ベッドに横たわる少年の頭へ左手を伸ばし、撫でてやる。すると間も無くシュヒの元へ睡魔が訪れて、彼はうとうとと瞼を上下させ始めた。

「おれ……ポケモン……と……」

 刻々と夢の世界へ誘(いざな)われながらも、少年は、現の世界から自身を見守る老翁へと、絞り出した声で想いを伝える。相手は何もかも心得ているかのように幾度も頷き、微笑んだ。

(きみは本当は、もうとっくに気がついているだろう)

 自らも辿り着けぬ、心の奥底で、きっと。

 ポケモンを悪者にしたくないがために、自身を悪者に仕立て上げた、優しい少年。ポケモンを不要だと言い傷つけた自分こそが不要だと感じ、責めた、悲しい少年。
 彼は間違い無くこの世界に祝福されている。そのことを、アデクは少年自身の手で気づかせてやりたいと切実に願う。

「きみが望むなら。きみを愛する者が助けてくれるさ」

 そう声をかけて、シーツが掛けられたシュヒの胸の辺りを、ぽんぽんと軽く優しく叩く。少年は安心感に口許を綻ばせて、小さく頷いた。

「……うん……」

 救いを求めたのがアデクでない他の人間だったら、ポケモン嫌いの分際で烏滸がましいことを、と見向きもされなかったかも知れない。
 身の程知らずの高望みだったろう。儚い夢物語だったろう。これまでの少年だったら。アデクに出逢わなかったら。あの時彼を、探しに行かなかったら……。
 彼ならなんとかしてくれる。自分の、ポケモンへの恐怖観念も必ず取り去ってくれる。決して高望みでも夢物語でも無くなるはずだと、今のシュヒは一寸の疑いも無く信じることが出来た。

「ゆっくりおやすみ。シュヒくん」

 翁の口からその言葉が紡がれたと同時に、少年は僅少に残っていた意識を手放した。明くる日への大きな期待と希望を、安らかな寝顔に目一杯に満たして。




「…………」

 少年が深い眠りに就き、健やかな寝息を立てるようになるまで、アデクはずっと見守っていた。眠れないから、ではない。今夜この家で眠るつもりは、翁には毛頭無かった。
 衣擦れの音をわざと立ててみる。少年が微動だにしないのを確認し、床から腰を上げる。
 自分に出来るのはここまで――そのようにアデクは感じていた。この孤独な少年を本当の意味で救うことが出来るのは、最初から自分ではないと決まっていた。自分には、単なるきっかけを作ることしか許されていなかった。始めから橋渡しという役割だけを、任されていたのだろう。
 荷物を背負いながらベッドを離れ、ドアノブに手をかける。それからドアの隙間から少年を振り向き一言、アデクは言った。


「さようなら。」

(きみの見る倖せな夢が、現実となることを、心から願うよ)


 微弱な音を立て、扉が閉まる。
 シュヒは夢の世界からいっときも戻らず、幸せな表情で眠り続けた。








『始発列車ライモン行き、間もなく発車致します』

 プルルルルルルル……


 闇明け切らぬ午前五時。
 一番線に停車中の車両の案内をする女声アナウンスが途切れると、発車を告げるベルが高らかにプラットホームに鳴り響いた。そこへ青い体の虫ポケモンと、赤い頭髪の老翁が前後して、階段を駆け下りやって来る。

「カブルー!!」
「おいおいカブルモ! わしを置いて行くな!」

 最寄りの乗車口から電車に飛び乗り、遅れてやって来るアデクに振り向くと、カブルモはぴょんぴょん飛び跳ねて見せる。

「カルッ!」
「おまえは……そんなに電車が気に入ったか!」

 額に薄く汗をかきながらなんとか時間内に電車に乗り込み、先にボックス席の窓際を占領していた甲虫の元へ進む。アデクも隣へ着席し、足下に荷物を置く。ややあってから扉が一斉に閉まり、やがて列車はゆっくりとゆっくりと前進を始めた。
 車窓から見える景色は、未だ夜色に染まっている。それでも、アデクには辺りに広がるのどかなカナワタウンの風景を、ありありと思い描くことが出来た。

 人とポケモンが互いに幸せに暮らし、互いに出来ることを為し、助け合っていた。哀しく理不尽な出来事に見舞われても、懸命に生きようとする命がそこにあった。
 平凡で、何処にでもあるような、小さな田舎町。けれどアデクはこの町を、この町に生きる彼らのことを、この先決して忘れないだろう。

 窓に張り付いていたカブルモが、不意に外へ向けて声を上げた。アデクもほぼ同時に窓の外に見えるものに気がつき、そちらへ大きく手を振る。線路に沿って点在する街灯の内の一つ、その傍に、自転車に跨がりキミズが立っていた。荷台にはミルホッグの姿もある。
 昨夜遅く突然来訪したアデクに快く寝床を貸してくれ、始発列車に間に合うよう取り計らってくれた相手だった。わざわざ見送りに来てくれたのだろう。巡査はにこやかに脱帽し、それを掴んだ右手を頭上でぶんぶんと振った。大鼠も倣い、帽子を脱いで振り回す。
 あっという間に車両はふたりの警官の脇を駆け抜けた。南へひたすら、一直線に。
 颯爽と走り去る六両編成の始発列車へ、キミズとミルホッグが揃って敬礼を捧げた。






 遠くで近くで、マメパトたちの囀りが聞こえる。淡く柔らかな朝の陽射しに包まれた部屋で、シュヒは一人、目を覚ました。
 ぼんやりとした目で辺りを見回す。昨夜そこにいたはずの翁の姿は無い。階下にいるのだろうと解釈して、服を着替えるべくベッドを下りようと体勢を変えた。
 ふと、少年は枕元に何かが置いてあるのに気づいた。目をこすりながら手に取れば、それは少しの文字が書かれた紙切れであった。

『メラルバをよろしく。
            アデク』

 たった一言、そうとだけ書かれたメモの傍らに紅白色のボールが一つ、置かれていた。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー