マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1419] 第八話「暗雲低迷」 投稿者:GPS   投稿日:2015/11/26(Thu) 18:22:34   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『羽沢泰生、岬涼子と熱愛発覚!』
『驚愕! 冷徹の鬼トレーナーも美女のメロメロには戦闘不能か?』
『ゆうわく? じゃれつく? 064トレーナー事務所選手2人の密会を激写!』


「何なんだよこれは!?!!?!?!」


タマ大第二軽音サークルの学内ライブが成功を収めた翌日――朝の羽沢家に、そんな悲鳴が響き渡った。

「待てよ、一体どういうことだよ!? 岬涼子……って、あの人と!? お前が!? 何したんだよおい!!」

朝食が並べられた羽沢家の食卓に、スポーツ新聞を広げた悠斗が叫び声をあげる。泰生の声帯でなされたそれはびりびりと低く響き、隣に座っていた森田の腹部を圧迫した。彼の向かい側に腰掛け、森田同様ご相伴にあずかっている富田がさりげなく、髪に隠れた耳を両手で塞いでいた。
そんな悲鳴の原因となったのは、今朝方森田が持ってきた、何社かの新聞の一面を揃って飾っている記事である。「なんか、面白いことになっちゃいましたよ」と、あまり面白くなさそうな顔をしながら新聞を差し出した森田から、それぞれ受け取った悠斗、泰生、富田は一様に目を丸くした。泰生に至っては、紙面を握る手に力を込めすぎて、紙の端をヒンバスの鱗の如くボロボロにしたほどである。
あまり画質は良くないが顔などの特徴ははっきり特定出来るレベルの写真と、派手派手しいフルカラーフォントが躍るその紙面。それらはいずれも、『羽沢泰生のスキャンダル』を報じているものだった。

「…………何したんだ、か。むしろそう言いたいのは俺の方だ」

この世の不機嫌全てを煮詰めでもしたのだろうか、というような声で泰生が唸る。今にもゴングを鳴らしそうなオコリザルみたいな顔をする今の彼を、事情を知らぬ他の者が見れば、温厚な人間として知られている羽沢悠斗にこんな表情筋があったのかと驚くに違いない。
が、それも無理はないだろう。新聞に載っている写真――神社の境内で、距離を密に詰めている羽沢泰生と岬涼子――カメラマンによる巧妙なアングルのせいで、見ようによっては唇を重ねているようにも思えるものすらある――はどれも、泰生に覚えがないものなのだ。つまりは、悠斗と入れ替わってから撮られたものということである。自分の身体でとんでもないことをしでかした悠斗に、ファイヤーに勝るとも劣らないレベルの眼光を泰生が放つ。
「間違いなくお前のせいだろうが!」堪らず怒鳴った泰生に、ようやく思い至った悠斗は決まり悪そうに視線を逸らす。「落ち着いてくださいよ、まだ朝なんですから」お茶を飲んでいた森田が呆れたように泰生をなだめる。そのやり取りをぼんやり聞いている富田は、損害を被ったのが泰生であるためこの件にはそこまで興味も無く、既に思考を来週提出のレポートへとシフトさせていた。

「あらあらあら」

悠斗と泰生が険悪な雰囲気を醸し出し、富田がジム運営によって得られる社会教育的成果について考えている横で、羽沢家の母、真琴は呑気な声をあげている。「大変、大変」新聞の一つを手に取った彼女は、驚きながらもゆったりしたままの口調で言った。泰生と岬の姿が大写しになった一面を眺めて真琴が呟く。

「スキャンダルなんて初めてよ。額に入れて飾らないと」

どこか恍惚とした声色でそうのたまった真琴に、泰生がうんざりしたように「やめろ」と一言言い添えた。しかし真琴もそれだけでは引き下がらず、「だって、あなたがこんなニュースになったことないじゃない。せっかくのレア事件なんだから、記念にとっとかないと」と、いそいそと新聞を読み進める。泰生はもはや突っ込む気力も失ったらしく、憮然とした顔で漬物をかじる作業に没頭しだしてしまった。

「こういうことって、よくあるんですか?」
「そうよ。リーグが近づくと、特にね」

真琴があまり驚いていないのと、『あなたが』という部分が引っかかり、富田がそんなことを聞く。頷いた真琴が「富田くんや悠斗はポケモントレーナーに興味無いから知らないでしょうけど」と言うと、森田が同意するようにうんうんと首を縦に振った。「芸能人やスポーツ選手と同じくらい、ありふれたことですよ」その森田が真琴の話を引き継ぐ。

「トレーナーは実力主義、今強くさえあれば他は何も関係無い……っていうのは、必ずしも正しいようで正しくないんです。もちろん強いのが絶対条件、第一なのは当たり前ですが。とはいえ……」

多かれ少なかれ、それ以外のものも大事なんですよ。溜息をついた森田に、何となく思い当たる節のあった悠斗と富田は微妙な顔をした。

「性格。キャラクター。テレビやイベントに出た時の態度。見た目、ポケモンとの関係、使うポケモン、好きな食べ物家族構成SNSでの発言経歴恋愛事情年齢生まれ育ち生活レベル住んでる場所服装趣味バトル以外の特技…………その他、諸々ありますが。要するに『イメージ』ですね」
「トレーナーって言っても、結局は人間だからね。ポケモンバトルを見ているようで、その向こうにある人間性を見てる人も結構いるのよ」
「そうなんです。ポケモントレーナーとして、誰かに応援してもらうということは、つまるところその個人が問われるってことでもありますから。それが本当だとしてもそうでないにしても、トレーナーはそのトレーナーとしての『像』を求められてるんです。そんなのはアイドルみたいで許せないって怒る人も一定数いますが……スポンサーやマスコミが絡んでる以上当たり前の話ですし、バトルのパフォーマンス上、もう抜きには出来ませんよね」

真琴の言葉に頷く森田に、「でも、羽沢さんは……」富田が何かを言いたげな顔をして泰生を見る。彼の言いたいことはわかっていないながらも、喜ばしくないことを思われているのは何となく察したようで、泰生が箸を止めてきっと富田を睨みつける。
「そうなんですよ」が、森田は富田の言わんとすることを理解したらしく、特に渋ることもなくそう答える。「泰さんは確かに、強いだけ、って感じですもんね」

「でも、それもまた、泰さんのキャラクターなんですよ。ただひたすら『強さ』だけを追求する、硬派で頑固なトレーナー。羽沢泰生っていうのは、そんなイメージでやってるんです。ま、やってるっていうか、泰さんの場合は本人まんまなんですけど」

話が逸れましたね、一度お茶を口に含んだ森田が仕切り直すように言った。

「とにかく、そういうのが大切なトレーナーに対して……邪魔してくるのがスキャンダル、ってわけです」
「邪魔? マスコミがってことですか?」
「まぁ、単純に数字稼ぎや売上目的のそれもありますけどね。でも、それ以上に多いのが、ライバルトレーナーからのタレコミなんですよ。そりゃあもう、有る事無い事何でもかんでも炎上炎上、火の無いとこにもブラストバーンの勢いで」
「それが本当か嘘かは置いといて、こういう形で『イメージ』が崩れるとスポンサーが離れたり、サポーターが減ったりするかもしれないでしょ。そこまでいかなくても、相手のメンタルにダメージは与えられるでしょうし。カメラマンとか探偵とか雇って、ライバル付け狙って隙あれば証拠押さえて……」
「で、週刊誌や新聞社に持ち込むんです。この時期多いんですよね……リーグが近いとこういう情報戦も過激になって、あー、馬鹿らし」

童顔に似合わぬガラの悪さを珍しく発揮し、舌打ちまでかました森田に、泰生と真琴が揃って深い頷きを見せる。富田と悠斗も、土俵は違えど思うところがあったため、その件については心の底から同意した。
「……でも、いいんですか」遠慮がちな悠斗の声に、四人が一斉にそちらを向く。「そんな時期に、こんなことになっちゃって……その、スポンサーとかって……」

「ああ、それは全然大丈夫」

一応は自分の行いから引き起こされた事件だけに、流石の悠斗も申し訳なさを感じているらしいが、彼の思いに反して森田の反応は軽いものだった。

「ホテルから出てきたとことかならともかく、一緒に神社いた程度じゃ痛くも痒くもひるみも無いですよ。こんなんで切るスポンサーなんて、むしろこっちから願い下げってものでしょう。まさかの羽沢泰生のスキャンダルってことで世間的にはしばらく騒がしいかもしれませんが、所詮噂は噂、すぐ飽きられますって」
「でも、岬さんにご迷惑が……」
「あんな奴の心配など、しなくていい」

憔悴した悠斗の声に、しかし泰生が斬り捨てる。「あいつは数年前まで、自分から他所の男トレーナーに近寄っては、自らこういうことを引き起こしてた奴なんだ」相手のイメージはどんどんダメにして、自分は悪女キャラで通すって戦法ですよらことごとく成功しててアレは笑えましたね。補足した森田に、「だからあいつのことは放っておけ」泰生が苦々しくそう吐いた。
「でも、それって悠斗がハメられたってことじゃ……」富田が前髪に隠れた眉間にシワを寄せる。その呟きに、森田が「それは……」首を捻ってから、そこを横に振った。「無いでしょう。同じ事務所の人にあまいミツトラップ仕掛けるバカが、どこにいるっていうんですか」

「ま、そういうことですから。岬さんのことは、そこまで気に揉むことはありませんよ。アイツだけはちょっとアレですが……いえ、なるようになるでしょ。社長やスポンサーの心配もいりません、むしろ社長は喜ぶでしょうね。なにせ、スキャンダルに一番縁の無い羽沢泰生のスキャンダルですから」
「黒澤さん、こういうの大好きだものねぇ。でも、このくらいの盛り上がりはあってもいいと思うわよ。他のトレーナーさん達の事件が沢山ある中、あなたは大抵忘れられてるものね、いつも」
「余計なことを言うな。とにかく、悠斗。お前は無駄な心配などする必要は無い。つまらんことを考えるくらいなら、バトルに集中しろ。変な噂が立つよりも、ポケモンに恥をかかせる方が余程許せんからな」

きつい口調でそう言い含める泰生に、悠斗は何か言いたそうに憮然とした顔をしたが、やはり迷惑をかけている手前か素直に頷いてみせる。その様子を横目で見ていた富田が泰生に口を開きかけたが、「テレビでもつけましょうか」ちょうどリモコンを握った真琴の声により、彼が発言することは無かった。

「いいですね。泰さんのスキャンダルが映像で観れるかもしれません」
「そうそう。今なら『ねむけざましテレビ』やってるもの。どうしよう、録画しといた方がいいかしら」
「今はYouTubeとかにアップされますから、大丈夫ですよ」

勝手な会話をする真琴と森田に、泰生がギリギリと歯を鳴らす。「いい加減にしろ……」とうとう頭を抱えた泰生と、肩身の狭そうな悠斗と、どうするべきか図りかねている富田をよそに、真琴と森田はテレビに目を向けた。
『今朝方から、064事務所所属のエリートトレーナー、羽沢泰生選手と同じく064事務所所属、岬涼子選手の不倫疑惑が話題となっておりますが……』画面に映ったニュースキャスターが、楽しそうな調子で原稿を読み上げる。「やってますねー」「どこも早いわねぇ」のんきなコメントをする二人に泰生が呻き声を上げた。気まずくなった悠斗が、テレビを消してくれないかと言おうと息を吸う。



『そして今しがた入ってきたニュースですが……羽沢泰生選手はさらに、064事務所の若手イケメンホープこと相生翼選手との熱愛も……』



「……………………」

「……………………」

「……………………」

「…………………………」

真琴が、森田が、富田が、そして悠斗が言葉を失った羽沢家ダイニング。ニュースキャスターがますます楽しそうに報じたそれに、「悠斗ッッッ!!!!!!」と泰生が激昂したのは言うまでも無い。





「さっき森田さんが言ってた……『アイツ』って、誰のことですか?」

どうにか泰生をなだめすかし(森田が)、その場をやり過ごした悠斗と森田は064トレーナー事務所へと向かった。

森田の言う通り、064を運営する黒澤孝治社長は羽沢泰生のスキャンダルをまったく咎めることが無いばかりか、そんなに笑っては腹がよじれるのではないかというほどに笑い倒し、「よくやった」と謎の褒めコメントまで残したほどであった。ビリリダマとオコリザル、オニドリルを足したような顔つきとゴーリキーの如き身体つき――要するに街で会ったら関わり合いになりたくない感じ――をした黒澤だが、その器はホエルオーよりも大きいらしい。正義感に溢れ、義理と人情を重んじるという黒澤は過去、泰生の心意気に突き動かされて共に前プロダクションを辞め、そしてこの064事務所を立ち上げたという経歴の持ち主である。上等な黒いスーツに身を包んだその格好は誰がどう見てもロのつく組織の幹部か何かにしか思えないだろうが、その素敵なガタイの奥のハートはブースターよりも熱く、ウルガモスよりも強い光を持ち、そしてハピナスよりも優しいのだ。
そんな黒澤を前にし、悠斗は内心怖くて仕方なかったのだが、黒澤は終始笑い飛ばしただけだった。彼は随分と羽沢泰生を買っているようで「お前はそのくらいでヘコむタマタマじゃない」と言い切るのみならず、「ハクがついた」などと喜んでいるみたいですらある。その意気や好し、とばかりに泰生の無鉄砲に乗った男なのだから、それくらい当然なのかもしれない。
ともかく、悠斗が心配していたみたいなことにはならずに済んだようである。事務所にいる他のトレーナーも、「ずいぶん賑わってるな!」「羽沢さんにもそういうとこがあるなんて……」と驚きはしているものの、今の今まで一度もそういった弱みを見せなかった泰生がここにきてお騒がせしたことに、むしろ親近感を覚えているらしい。それに対する悠斗の受け答えがどうにもたどたどしいものであったため、結果的にトレーナー達は「羽沢さんって意外と危なっかしい面があるんだな」という感想を抱き、微笑ましい顔まで浮かべていたほどである。それを横目で見ていた森田は、意外と危なっかしい、というところはあながち間違ってもないな、などと思っていた。

岬はトレーナーマガジンの取材、相生はイッシュのバトルフェスへの巡業ということで、肝心な相手はいなかったものの――とりあえず、肩の荷が少しは下りたような気がして、悠斗は幾分軽くなった声で森田に尋ねた。

「アイツ? あ、ああ、さっきの……アイツってのはアイツですよ、この前ミツキさんと会った時にもお伝えした……」
「ああ、ライバルとか言ってた人のことですか?」

森田の答えに少し考えたあと、悠斗がまた尋ね返す。「そうですよ」苦い顔で頷いた森田が、ポケットから取り出した車のキーを力を込めて握り締めた。何かあまりよろしくない感情がそこに集約されたことをなんとなく察した悠斗は、自分の背中が少しばかり冷たくなるのを感じる。
「根元信明……さんは、泰さんが昔の事務所にいた頃から、泰さんを一方的に目の敵にしてきた人ですよ。そりゃあもうネチネチネチネチ、本当嫌なヤツでして」あからさまな恨み節に若干ヒキつつも、悠斗は森田の話を黙って聞く。「この人です」と彼が携帯の画面に表示してくれた、その根元とやらの写真を覗き込むと、そこにはそこそこにハンサムなダンディ風の男が映っていた。事情を知らない悠斗は、俳優の誰かに似ているな、などとマイペースな感想を抱く。
「特に泰さんに対してのアレがすごいんですけど、うちの事務所にいるトレーナー全員とも色々因縁持ってて」忌々しげに森田が言う。何なんだか知りませんけどね、本当、迷惑極まりないですよ。そう続けた森田に、悠斗は冷や汗を流しつつ頷いた。


「で、悠斗くん」
「何ですか?」

唐突に呼ばれた名前に聞き返した悠斗に、森田がわざと勿体つけた調子で言う。064ビルの地下駐車場、反響の激しいそこに森田の声がやたらとうるさく響き渡った。白い車のドアを開け、悠斗に乗車を促しながら、彼は観念したような口調で言う。

「今から行くのが、その根元のとこへのバトル申し込みです」

助手席に乗りかかった悠斗が、「やだなぁ…………」と力無い声を漏らす。羽沢泰生とはかけ離れたその様子に、この事態を知らない者、それこそ根元あたりが見たら相当面白いことになるだろうなと思いつつ、森田は「諦めましょう」と肩をすくめた。
自身も運転席に乗り込んで、シートベルトを締めている森田に悠斗は尋ねる。「でも、あいつや森田さんだけじゃなく……064の皆さんにまで嫌われてるだなんて、一体どんな方なんですか、根元さんは」先ほど見せてもらった外見から抱くイメージは、どちらかと言えば悪くない。いけ好かない感じはあるといえど、それに関しては愛想や親しみやすさの欠片も無い、泰生の方が悪印象というものであろう。しかしそこまで言われ、挙げ句の果てに先日は森田にこの一件の疑いまでかけられていたけれど、そこまで思われるとは一体どんなことをしでかしたのか。

「説明するのもアホくさいですよ」

が、それが気になった悠斗の期待に反し、森田の答えはそっけないものだった。別に、悠斗に対して意地悪をしているとかでななく、彼は本気で説明する気もないらしい。その態度にやや気圧されて、息をぐっと止めた悠斗にも気づかず森田は、ハンドルに置いた指を苛立ち紛れにトントンと動かして、吐き捨てるような短い溜息を一つついた。

「話すほどのこともないです、あんなヤツ…………」





「話す気にもならん。あんな男のことなど」

一方その頃、タマムシ大学構内である。
講義を終え、部室へと移動する最中に悠斗と同じことを尋ねた富田に対し、泰生もまた森田と全く同じ答えを返していた。

「そう言われると余計気になるんですけど。そこまで言われるって何したんですか」
「うるさい。何度も聞くな、だから話す価値も無いんだ、あんな奴には」

部室がある棟へ向かうべく、キャンパス内を歩く二人はそんな会話を交わす。五限終了後の秋空はほぼほぼ暮れかけており、顔に当たる風はやや冷たい。フワンテの細い手を掴んで通り過ぎていく女子学生の長い髪が、その風に揺れて広がった。
広大な敷地を持つタマ大キャンパス、イチョウ並木に挟まれた道を歩く富田は、泰生の態度に嘆息する。薄暗い視界に目を凝らし、銀杏を踏み潰さないよう注意しながら進む彼はギターケースを持ち直した。「どんな酷いことされたんですか」サークルに行く学生達の声にヤミカラスの声が被さり出し、ポッポとピジョンの群れがオレンジと紫の混ざった空を帰っていく。「森田さんもあんな顔してましたし」

「そんなに気になるなら自分で調べろ。あんな奴のために、なんで俺が話さないといけないんだ」
「なんでそこまで……どれだけ馬鹿らしいんですか、その人」
「相当だね。こいつが怪しい、って森田さんに言われたからちょっと探りを入れてみたけど、本当に、本当に、本当に馬鹿だった」
「だから言ってるだろう、馬鹿だ、って……」

重い声でそう同意した泰生は、しかしそこで言葉を止めた。
彼の視線がゆっくりと横を向く。それと同じタイミングで、富田も視線を動かした。「まさか……」内心で感じた嫌な確信に、彼は軽度の頭痛を覚えた。


「どうもお世話になっております! こんバンギラス、あなたの街の便利屋さん、いつもご贔屓ありがとう真夜中屋ですどうも!! 補足として言っておきますと本日のトリックはもりののろいで……」


「声が大きい目立ちすぎ!!」

いきなりかつ自然な感じに割り込んできた声の主――黄金色のイチョウ並木の中で明らかに浮いている深緑のオーロット――を、通して騒いでいるミツキ――に勢いよく体当たりをかまし、富田が小声でそう叫んだ。その衝撃によって発された、ぐえ、という呻き声がミツキによるものなのか、それともオーロット本人(木?)によるものなのかは定かではないが、それどころではない富田は、通行する学生達から隠すようにオーロットを木々の間へ押し込める。「ちょっと! 潰れる、枝が折れる! 折れちゃう!」「静かにしてくださいよ、見た目は暗いからまだ隠せても喋ってるのバレたら面倒ですから」「わかったから! わかったから折らないで!」「もともと枯れてる老木なら折れてもいいでしょう」などと言い合う富田とミツキに、燈り始めた外灯へ向かおうとするモルフォンが不審なものを見る目をした。
そんな彼らに胡乱な目を向けていた泰生が、ハッと気がついたような顔をしてオーロットに近づいていく。ようやく泰生の存在を思い出した富田は、喋る上に人並み以上にうるさいこのオーロットをどう説明したものか悩んだが、彼の心配などまったく他所に、泰生はオーロット(ミツキ)に抱きついていた。「ずっと前、旅先で懐かれて以来オーロットを見るとこうしたくなるんだ」言い訳するように彼がぼそぼそと呟く。

「別に、誰も聞いてませんけどそんなこと。まああなたの勝手ですからいいですけど、あ、ちなみにそれは真夜中屋さんらしいので」

オーロットを両腕で抱き締めている泰生――勿論のこと見た目は悠斗――という愉快な光景を、なんとなく携帯で撮影しつつ富田はそう言い添える。それを聞いているのかいないのだか、わかっているんだかいないんだか知らないが、泰生は「ああ、真夜中屋な」などと適当な答えを返した。幹に顔を埋められて枝を撫で回されているミツキは、「どうせこうされるならミニスカ女子大生にされたかった……」と、馬鹿正直な願望を垂れ流している。
いつまでもこのカオスを放っておくわけにもいかないので、富田は本題に入るべく「で、そのトレーナーとやらがどうしたんです?」とミツキに尋ねた。「なんか調べてくれたみたいですけど」

「ああ、そうだそうだ。森田さんがせっかく教えてくれた情報だからね、無駄にしちゃいけないから調べてみたんだ」

どうやら仕事は必要以上にしっかりやるらしい、と富田は密かにミツキを見直した。が、そんなことを口に出した日には間違いなく調子に乗るため内心のものに留めておくことにする。
「根元信明、53歳。マックスアッププロダクション所属、独身……」オーロットのどこから出ているのかわからない声が、その調査結果とやらを読み上げる。「バトルはトリッキーな戦法中心でなかなかのツワモノ、特にダブルバトルではかなり強い…………けど!」
そこで、言葉を切ったミツキはウロの中の紅い眼をぎらりと光らせた。「なにせ、こいつ……」

「女癖がヤバすぎる!! 隠す気も無いのか隠しててこれなのか知らないけれど、出てくる噂出てくる話女性問題ばかりじゃん!? バトルと同じくらいスキャンダル起こしてんじゃないの、っていうか絶対バトルしたトレーナーよりも問題起こした女の数の方が多いでしょ!?」
「そういう奴なんだ。相手がトレーナーだろうが、そうじゃなかろうが、ポケモンセンターの職員でもフレンドリィショップの店員でもジムリーダーでも四天王でもコンテスト出場者でもミュージカルバフォーマーでもフレア団とやらでも……女を見て、あいつが声をかけなかったところを、少なくとも俺は見たことがない」
「ミニスカートでもパラソルおねえさんでもポケモンごっこでもオカルトマニアでも、なんとたつじんでも……あ、なんかセンパイとコウハイは駄目だったっぽいですけど……とにかく、良く言えば恋多き男、悪く言えば浮気性というかスケコマシというかクズというか……某世界線のニビシティジムリーダーの断られないバージョンというか……どういうテクを使えばそんなことが出来るのかは謎ですが」
「暇さえあれば女の尻を追いかけてるような奴だからな。マンタインにくっつくテッポウオの方が、まだ離れてる時間が長いだろう」
「で、いろんな人に調子いいこと言うもんだから問題になるし、有名トレーナーや女優、パフォーマー、サイホーンレーサーにもホイホイ手を出すからスキャンダルにもなると……そういえば、羽沢さんの064事務所の女の人、岬さん、とかいう方とも何かあったみたいですよね。あれは遊ばれただけっぽいけど。おっと、これは羽沢さんも同じでしたっけ? だから気をつけないといけないって言ったじゃないですか、記者だけじゃなくて僕みたいなヤツとかも、いつ何時どこで誰を見てるかわかったもんじゃない輩は山ほどいるんですからね。壁に耳あり障子にメリープですよ」
「やかましい、そんなことは悠斗に言え、気配に気づかずのこのこ撮られる方も悪いんだ……岬はむしろ、根元を引っかけてからかっただけだから構わん。勝手にすればいい。それより問題なのは、相生を女と見間違えてしつこく口説いて身体に触っていたところで勘違いに気づいたという一件だ」

怒涛のように繰り広げられた話を、一通り聞いた富田は深く頷く。「バカですね」「バカなんだよ」「だからバカだって言っただろう」あんまりな言われようだが、この場に森田や064事務所のメンバーがいたら賛同の嵐だったに違いない。トラウマを刺激された相生に至っては、下手をすればまたしても泣きたくなるだろう。
「もうさぁ、やってる途中で嫌んなったよね」呆れ返ったように言い、ミツキが両腕の位置にある枝をガサガサと揺らす。やっと気が済んだのか、そこから離れた泰生は苦フシデを噛み潰したような顔で「そういう奴なんだ。あいつは」と吐き捨てた。対外的にライバルトレーナーとして位置付けられる彼は、根元の引き起こす騒ぎに巻き込まれ、何がしかの形で迷惑を被ったことがあるのかもしれない。
それにしても、と富田は思う。森田は根元のことを今回の事件の犯人として若干疑ったようだけれども、そこまでする頭がある奴にはどうにも思えない。別に本当に頭が悪いわけでもないのだろうが、こんな事態を引き起こし、起こり得るであろう泰生の悲劇を想定し、ミツキ曰く『強い感情が必要な面倒臭い呪い』を果たして彼がするだろうか。確かに、歳も近く実力が拮抗している相手を少しでも不利に立たせようという意味ではあり得なくもない話だが……そんなことをしている暇があったら、そこらのポケモンセンターでジョーイさんの一人や二人をナンパしていそうだというものだ、この、根元という男は。
そんなこまを考える富田の隣で、ミツキも葉ずれの音を鳴らし鳴らし悪態をつく。「そもそも、それを許されてるってのもアレだよね」赤の瞳がきゅっと細まった。「メンタルハーブ知らずのMr.メロメロとか言ってる週刊誌もあってさ」

「だけど、一個だけ、この男の…………」


と、そこまで言いかけたところで、急にミツキが黙り込んだ。それまでは目立つのも構わず、おしゃべりオーロットとして騒いでいたにも関わらず、木々の一本を装うかのようにじっとしだした彼の様子に富田は訝しむ。オーロットの腹部に当たる幹を撫でていた泰生も、ミツキの沈黙に気づいたらしく富田に視線を送った。
「あ」そんな泰生の二の腕を、ほんの僅かな動きでオーロットの枝先がつつく。別の枝が指す方を振り向いた富田と泰生は、同時に小さく声をあげた。


「羽沢! 富田!」


薄暗い道を、学生達の間を縫って駆けてきたのは二足歩行のバッフロン……ではなく、キドアイラクの誇るドラマーこと二ノ宮の姿だった。生まれつきの天然パーマと髪量の多さ故、トレードマークのアフロ頭を揺らして走り寄ってきた二ノ宮は、「今から第二練習室だよな?」と、息を弾ませて泰生達のところでストップした。

「俺も五限あってさ、でも延びたから急いじゃったんだわ。お前ら何してたの? イチョウ狩り? それともマツタケとかでもあった?」

謎にズレたことを聞いてくる二ノ宮に、富田は「そんなわけないだろ、ちょっと話してただけだって」と取り繕う。「マツタケなんか大学にあるわけないし。パラスがいたらいいレベルだ、ここは」彼のもっともな言葉に二ノ宮は、そうか、そうだよなー、と暢気な頷きを返した。
おおきなキノコでもあればいいんだけどなー、などと言っている二ノ宮に適当な相槌を返しつつ、その二ノ宮のアフロをガン見しまくっている泰生の脛に蹴りを入れつつ、富田はさりげなく歩き出した。行き先である部室棟の上に、雲に覆われた半月が昇っている。そういえばあの人の名前は月から取ってるんだよな、と思いながら富田がミツキの方を振り向くと、先程までオーロットが鎮座していたそこには既に誰もおらず、イチョウの幹がひたすら並んでいるだけだった。逃げ足の速い人だ、というのが、富田がミツキに抱いた印象である。






「この前の歌! 羽沢、超やばかったって!!」

練習室に到着し、ドラムセットの調整をしながら二ノ宮が興奮したように言う。丸めのガーディ顔を輝かせ、彼は先日のステージを思い出して溜息をついた。

「なんか、超大人っぽかったっていうか大人の色気? 哀愁? 切なさと心強さ? よくわかんねぇけど、そんな感じのが超出てた! 芦田さんのピアノともぴったりだったし、あの人のピアノもヤバいから、俺とか途中泣いちゃったって!」
「ああ、いや…………」
「いつもの、明るくて速い感じのも羽沢に合ってていいと思うけど、ああいうのも歌えるんだってすごいビックリした! キドアイラクにもああいうの作ってよ、絶対最高だって、何なら俺ウィンドチャイムとか買っちゃうよ!?」

頬を上気させてそんなことを言い出した二ノ宮に、富田が慌てて「いや。とりあえず今のスタイルでいこう」と口を挟む。あのステージを作り上げたのは悠斗であって悠斗ではない、悠斗の声と泰生の精神なのだ。そりゃあ確かに、同じ声帯を持っている悠斗だってバラードを歌いこなせるだろうし、実際何曲か歌ってはいるけれど、あそこまでのものを悠斗が成し遂げるのはほぼ百パーセント無理な話だろう。不本意ながらも、富田はそれを認めざるを得ない。
ともかく、そうわかっている以上、わざわざ不利な状況を自分達から作る道理もない。「とりあえず、オーディション乗り切ってから考えないか」適当に言葉を濁す富田に、二ノ宮は「そうだな」と頷いた。彼がケースから取り出したスティックの束がガチャガチャと音を立てる。

「でも、富田の! あのときのお前の、ほら最後に弾いてたフレーズあんじゃん? アレすごい好きなんだけど」
「ああ、これか?」

一足先に準備を済ませていた富田が、アンプに繋いだギターを弾く。「それそれ!」と嬉しそうに言い、二ノ宮はドラムの向こうから身を乗り出した。

「それめっちゃかっこいいからさ、それなら入れられるだろ? 『夕立雲』にもさー」
「そうだな、コード進行も同じでいけそうだし、キーを変えれば……」

まぁ、有原にも聞いてからにするか。まだ姿を見せていない、キドアイラクのベーシストの名前を富田は口にする。その富田のアイコンタクトを受け、泰生も首を縦に振った。
「だなー」楽しそうにそう言って、夕立雲――数週間後に控えたオーディションで演奏する予定の曲――のリズムを刻み始めた二ノ宮のドラムに旋律を乗せながら、富田は前髪の奥にある目を細くする。「お前も、相変わらずすごかったけど」言われた二ノ宮は照れくさそうに笑いつつ、そうかな、と手を動かしたままはにかんだ。

「そうだったら良かったけど。でも、二ヶ所失敗しちゃったからな、オーディションではそんなこと絶対無いようにしないと」
「ん。それはお互い様だけど……俺もまだやりたいことあるし……」

「でも、やっぱ二ノ宮はすごいよ」そう付け加えた富田の言葉に、二ノ宮は「サンキュ」と照れ笑いを浮かべた。
その後、数分ほどスティックを操り様々なフレーズを打っていた二ノ宮だが、「あ」思い出したようにその手を止めた。「飲み物買いにいくの忘れてた、今から行って大丈夫かな」ドラム椅子から立ち上がり、時計の方を見遣った彼に富田が、いいんじゃない、と答える。

「有原まだ来てないし。後から、やっぱりほしいって思って行くよりも」
「そうかな、ごめん。羽沢と富田も、何かあったら買ってくるけどどうする? そこの自販にありそうなのなら」
「あ。じゃ、ブラッキーの紅茶頼む。ミルクティーで」
「ミックスオレの冬季限定ショートケーキ味ペロリーム風を……」

富田に続き、好きな飲み物をリクエストした泰生の言葉に二ノ宮は目を剥いた。「何!? そのすごい甘そうなの!?」心底驚いたという顔をした彼は、富田から百円玉と五十円玉を受け取りながら叫び声を出す。「ただでさえ甘いところに甘いもの重ねて、さらに甘さって感じだけど、考えるだけで喉痛いんだけど」

「っていうか、羽沢いつから甘党になったわけ? 前はミックスオレどころかコーラもジュースもブラック以外のコーヒーすら飲まなかったのに……」
「あー、いや、ほら、最近? 好みが変わったらしくて、ほら、甘い歌詞を書いてたら甘いものが好きになってきた的な? なぁ、悠斗?」
「は? …………ああ、まあ、そんなところだ」

富田による無理のある誤魔化しと、泰生のワンテンポもツーテンポも遅れた返しはあまりにも怪しかったが、二ノ宮は別段気に留めた様子も無く「そっかー」とへらりとした笑顔になった。のうてんきなせいかくである。
じゃあちょっと行ってくるわ、と言いながら二ノ宮が練習室を出ていくのを見送って、「気をつけてくださいよ」と富田が泰生にクギを刺す。「そういうところで、おかしいって思われるんですから」本来甘いものが苦手であるはずの悠斗を頭に浮かべつつ、富田は泰生による先ほどの発言に溜息をついた。

「バッフロン……」
「人の話を聞け」

が、肝心の泰生は意識の全てを二ノ宮の頭部に持っていかれているらしい。彼が去った扉の方を見送りながらそう呟いた泰生に、富田は限界まで刺々しくなった声で言う。殴りたくもなったが、そこはギリのところで我慢した。
「あと、あまりバッフロンとか言わないようにしてくださいよ」一応本人気にしてるっぽいですから、とも付け加えておく。実際のところ、あの、パーマのみならず中身もバッチリ天然な二ノ宮がどこまでそこに固執しているのかは不明であったが、とりあえず言っておくことにしたのだ。
「しかし、あの学生は言ってたではないか……あの、もう一人の……」それを受けて、泰生が言う。「バッフロンだとかアフロブレイクだとか、それが当たり前だとお前も言っていたし」

「ああ、有原か……有原はいいんですよ。あいつにだけは二ノ宮も言い返すし、冗談だってわかりきってるらしいですから。同じ高校の出身ですしね」
「そうなのか?」
「ええ、有原は一年浪人してるので、実質、先輩と後輩の関係になりますけど。どこだっけな……ホウエンの田舎だって言ってました」

富田はそこで、壁にかかった時計をちらりと見遣る。二ノ宮が戻ってくる様子も、有原が扉を開ける気配も未だない。今後会話が噛み合わなくならないよう、少し喋っておくかと富田は泰生に視線を戻した。

「二ノ宮はああ見えて……なんかふわふわしてるしもこもこしてますけど……ああ見えて、ドラムの天才なんですよ。本当は、いくらタマ大とはいえ音楽科でもない普通の学校に来るのもおかしいって言われるくらい。実際、イッシュの音大から声がかかってたらしいですから」

ふぅん、と泰生は頷いた。音楽のことなど泰生にはよくわからなかったが、富田がそう言うのであればそうなのだろう、と考えて聞いておく。
「前、有原に昔の動画……あ、二ノ宮と有原は高校時代吹奏楽部で知り合って、二ノ宮がパーカスで有原はコンバス兼ベースだったんですけど……その時のを見せてもらったことがあって」アイツ本当にすごいんだよ、という言葉と共に見せられた、吹奏楽コンクールだか文化祭だかの映像を思い出して富田は息を吐く。「本当、天才とは、あいつのような人を指す言葉なんでしょうね」

「お前や、悠斗はそうじゃないのか?」

泰生の素朴、かつストレートな質問に、富田は若干眉根にシワを作った。が、言葉以外の意は泰生にないことがわかりきっているため、すぐに気を取り直して答える。「悠斗の声にはとてつもない求心力がありますし、俺だって人並み以上に練習はしてますが」大きな頭部を揺らして、ドラムを叩く彼の姿を脳裏に描く。「二ノ宮は、次元が違うんですよ」
有原曰く『百年に一度の逸材』で、しかもそれがあながち間違っていないような二ノ宮が、なぜ「羽沢悠斗とバンドがやりたい!」などと入学早々言ってきたのか、富田ら当初理解出来なかった。その理由はなんてことはない、高校生バンドフェスの生放送を見ていた二ノ宮が悠斗の歌に惚れ込んで、絶対にこのボーカルのドラマーになると決めたらしい。その時のインタビューで悠斗がタマ大を目指していると発言したことにより、二ノ宮の進路はそこで確定してしまったようである。サークル勧誘の猛攻を振り払い、真っ先に悠斗の姿を見つけて飛びついてきた時の彼の姿は、正直言ってバッフロンそのままだったと富田は記憶していた。
「羽沢悠斗の最初のファン」を自称する二ノ宮と、そんな彼に連れられてきた(地元の予備校で再会し、同じ学校を目指すのならば一緒のバンドも目指そうと、悠斗の動画と共に説得されたらしい)有原が、キドアイラクのメンツである。高校生の頃に組んでいたバンドが受験を理由に解散してしまったこともあり、悠斗と富田にとっても渡りに船とばかりに結成したというわけだ。

「二ノ宮は俺や悠斗、有原の音楽をとても好きだと言ってくれるのですが、二ノ宮の音楽を潰さないよう、俺たちも……」
「その、有原っていう奴はどうなんだ?」

言いかけた富田に、泰生がそう尋ねる。
他意のない、彼にとってはただ単に気になっただけのことだろう。が、聞かれた富田は一瞬戸惑い、「有原は、」言葉を選ぶように呟いた。


「有原は……有原も、相当なテクニシャンなんですけど……」
「低威力のわざが強くなるのか?」
「違います。そうではなくて、……かなりの腕前なんですが、でも……」

富田が少し悩み、声を途切れさせたところでちょうど、「ただいまー、ちょうどそこでセンパイに会ったから一緒来たわ」「すまん遅くなった、便所が混んでて」防音製のドアが開き、二ノ宮と有原が顔を覗かせる。あーおかえり、などと富田が何でもない風な表情を作って出迎えた。
「ごめん羽沢、ショートケーキ味とか無かったわ、代わりにこっち買ってきた」ミックスオレチョコナナ味、と書かれた茶色い缶を放りながら二ノ宮が言う。ん、と応えた泰生がそれを受け取った。自動販売機から出てきたばかりでまだ冷たいそれに泰生が軽く奮闘する横で、有原が「富田さ、髪染め直したほうが良くね?」と聞く。

「上の方黒くなってるからさ。茶髪でいくんならちゃんとしたほうがいいだろ」
「もうそんなに伸びたのか……ま、一回切りにいく予定だったからそうするか」
「別に俺は黒でもいいと思うけど……とりあえず俺たちも一回、切っといたほうがいいだろうな。なぁ二ノ宮」
「うるせー、誰がトリミアンにも真似出来ないアフロカットですか」
「言ってねぇよ」

いつものやり取りを繰り広げる二人に、毛先を無為にいじりながら富田は嘆息する。「じゃ、始めるか」と言った彼の横で、泰生は甘ったるいチョコレート味に人知れず、呑気に目を細めて味わっていた。





トレーナープロダクションマックスアップ、つまり根元の所属する事務所は、ヤマブキの港に面した街並みにある、小洒落た建物の一つだった。当然のことではあるけれど、新設プロダクションである064事務所――タマムシ都内とはいえ割合家賃の安い、色々とガタの来ている古ビルを借りている――とは違って全体的に綺麗かつ新しい感じである。歴史もあり、規模も大きなプロダクションだけあって、古参の威厳を保ちつつも新しいシステムの導入も怠らない方針なのだ。
そんな立派な事務所の、ガラス張りのエレベーターに乗りこみながら、悠斗と森田は憮然とした顔をしている。無理もないだろう。高速道路を走り、わざわざヤマブキくんだりまでやって来たのは根元にバトルを申し込むためである。にも関わらず、その根元本人が不在だというのだ。こんなにもやりきれない、みがわりを使ったら相手もみがわりを使ってきてみがわり人形パーリナイになったレベルのやりきれなさは、そうそう感じることが無いだろう。

「ホンット信じられませんよ……だから行くのがイヤだったんです」

面倒にも受付が設けられているのは最上階で、上り下りもひと苦労な上に無駄足甚だしい。エレベーターの窓の向こうに見える港と、そこで出航待ちをしているサントアンヌ号を睨みつけ、森田がイライラと悪態をつく。
『根元は只今留守にしておりますが』そう言った受付嬢は、胸元につけたタブンネのバッジを光らせ、あからさまに同情する目を二人に向けた。根元にしつこく言い寄られているのか、それともこういった行いが常日頃繰り広げられているのか、あるいはその両方か。悠斗が抱いたその疑問は、そうですか、と答えた森田のこめかみに浮かべられた青筋に掻き消えた。

「……アイツに対して、いつもこんな感じなんですか」

膜にも思える、薄い灰色の雲に覆われた空の下では海が若干凪いでいる。羽沢泰生の視力は相当良いらしい、悠斗の眼は、波立つ海に浮かぶドククラゲの頭を一つ見つけた。
「アイツ? ……ああ、泰さんですね」閉まるボタンを押しながら、未だ怒りが収まってない声で森田が答える。「ま、泰さんだけじゃなくて、ですけど」

「ホント自分勝手なんですよ。どうでもいい相手……要するに男にはこうやって、自分の気が乗らないとすぐドタキャンするんです。逆に女だと、それはそれで相手の都合なんてお構いなしにグイグイアポ破ってきますよ」
「そんなトレーナーがいるんですね……」

呆れたように言った悠斗に、「064事務所の方々は、新設に飛び込んでくるだけあって熱心な人ばかりですから」森田が片耳を押さえながらそう答えた。どうやら急降下に耐えられなかったらしい。「プロのトレーナーだからといっても、みんながみんなきまじめというわけじゃ無いんですよ」不愉快さを隠せていない森田の横顔に、きまじめの具現化たる泰生を脳裏に描いた悠斗は、なんとも言えぬ気持ちになって頭を軽く振った。
ポーン、というマヌケな音がして、エレベーターが一階に到着する。エントランスを抜けて建物外に出ると、自動ドアの前をマリルが二、三匹走っていった。それに視線を送り、森田は「不思議なことに、それでいて憎まれないんですよねぇ」と肩をすくめる。

「それも一つの才能なんでしょうね。お偉いさんにはどういうわけか好かれるし、問題起こした女にも何故だか知りませんけどなんだかんだ嫌われませんし」
「はぁ……で、その人がなんで、アイツをライバル視してるんです?」
「あー、それね。歳が近いのと強さも拮抗してんのと……ま、一番の理由は二十年くらい前に、根元さんが目つけてた女の子が泰さんに惚れちゃって。で、そこで取り合いみたいになればまだ良かったのかもしれないけど、泰さんあんな調子でしょ? それは昔からそうみたいで、相手にもしなかったっていうか、そもそも気づかなかったっていうか……で、根元さんは勝手に、自分が格下に見られたって思い続けてるらしくて」

あまりのくだらなさに閉口した悠斗に、「でも、まぁ、あの人バトル『は』強いからね。対策はきちんと練っとかないとね」と、森田がやけに一部助詞を強調して言う。「バトル『は』強いんだよ。だからこそモテてる部分はあるしね」不快感をあらわにした声を出しながら、森田は車の上で寝転がっていたニャースの首根っこを慣れた手つきでヒョイと掴む。驚きと共に目覚めたニャースは、鋭い鳴き声をあげたかと思うと身体をひねり、森田の手から抜けて走り去っていった。
タマノスケにもあんな頃があったんですよ、束の間の癒しに和んでいる森田に、「そんな人が、こんな面倒なことをするんでしょうか」と悠斗は尋ねてみる。「なんていうか、呪いとか出来そうな脳味噌してなさそうじゃないですかね……」

「いや、あの野郎はやりかねませんよ。僕たちの知らないところで、また泰さんに惚れ込んだ女の子がいたとしたら……泰さんのバトルを失敗させて恥をかかせようとか、スキャンダルを起こさせて騒ぎにしようとか、威厳を失わせて魅力を無くそうとか。そういうことを考えても、決して不自然ではありませんからね」

割と失礼なことを言った悠斗に、森田はきっぱりと言い切った。その確信した口調に悠斗も「そんなものですか」と答え、すっかり慣れてしまった助手席へと乗り込む。
これからまたタマムシまで戻って、ポケモンセンターでポケモン達の健康チェックである。064事務所との行き来を考えるとこの時ばかりは、ポケセンやらどうぐメーカーやらバトルにまつわるサービスを同じ建物内に集めているプロダクションマックスアップを羨まずにはいられなかった。





「やっぱりさぁ、『夕立雲』がいいと思うんだよね。イメージ的にも、俺らに一番近いと思うし」
「だな。歌詞的には高校生なのがちょっと『近い』っていうのはどうかと思うけど、悠斗も自信作だって言ってたし」
「だよなー、まっすぐな青春! 初恋! 制服の白シャツ白ブラウス! 壁ドン! って感じで俺好きだよこの…………ん? 言ってた?」

興奮したように話していた二ノ宮だが、はたと気がついた風に言葉を止める。「あ、いや」富田は慌てて首と片手を振り、「何でもない」としらを切った。余計なことを言わないよう釘を刺されている泰生は、知らぬ存ぜぬを突き通すべく、頭の中で歌詞の反芻に努めている。
第二練習室に先ほどまで響いていたのは、キドアイラクオリジナル曲がいくつか。学内ライブの練習により、それなりに久々の合わせとなっていたため、オーディションで何の曲をやろうか改めて検討しているというわけだ。ファンやサークル員からの人気が高かったり、メンバー自身が好みだったりという基準で選んだ数曲を一通りやってみたものの、結局は当初からの本命であった『夕立雲』――恋に落ちていく高校生二人を描いた爽やか青春ソング――がベストだという認識に落ち着いている。「定番中の定番って感じもしなくはないけど」スティックを持った腕を組み、二ノ宮がうんうんと頷いた。「王道を突き進む、っていうのが一番いいかもしれない」

「いや、ちょっと待ってほしいんだが」

が、そこで有原が異を唱えた。「確かに、『夕立雲』はいいと思うし、俺たちに合ってるとも思うんだけど」膝に乗せたベースを軽く撫でながら、有原はやや遠慮がちな声で言う。

「なんか、もっといい演奏が出来る曲があると思うんだ。いや、勿論『夕立雲』でも良いものは作れるけど、でも、それ以上に……」
「もっと合う曲がある、ってことですか?」
「そう、そうだ。二ノ宮。王道もいいんだけど、今の俺たちなら……この前の羽沢のバラードはすごい良かったし、あんな感じでも……」

そんなことを言い出した有原に、富田は焦り声で「いや、それは」と止めに入る。有原の言う通り、学内ライブでの羽沢悠斗の歌をオーディションでも再現出来れば望ましい結果は確実だろうが、あれは泰生だからこそ出来たとも言えるのだ。もしもオーディションにまで二人が元に戻らなかったらそれも無理な話ではないが――そっちの方が、よほどごめんこうむりたい話である。
「今からイメージ変えるのも、なんか、あんまりよくないだろ」富田が適当に誤魔化しを図る。「それに、この前のは芦田さんのピアノだったからってのもあるかもだし……俺たちバンドじゃ、あまりいい感じにならないかもしれないし……」どうにか話を逸らそうとする富田に、二ノ宮が「まぁ、そうだな」と首肯した。

「アレは特別なステージだったし、うん。ここで路線変更するのは微妙かもな。『夕立雲』にするかどうかは、置いとくとしても」

二ノ宮の言葉に、富田はほっとしたように頷いた。が、有原はまだ納得いかないところがあるらしく、「曲の感じは変えないにしても」と、難しい顔を崩さない。「今ある曲ってさ」

「なんか、歌詞が、こう……別に悪いわけじゃないけど、あまり強くないっていうか……」
「個性の問題ってことスか?」
「うん。そう、個性。せっかく俺たちポケモン使わない、今時っつーか音楽史全体的に少数派のバンドなのに、そこがあまり出てないっていうか。なんでポケモンと一緒に音楽やってないのかとか、なんで俺たちなのかとか、そういうの出したほうがいいんじゃないかって思うんだけど」
「歌詞にはポケモンの名前出てこないし、わざやとくせいにも触れてない。ポケモンに関係する単語は使われてない、それだけで結構個性的だと思うけど、それじゃダメなのか?」
「駄目、ってわけじゃないけど、富田……でも、もっとさ、他のバンドよりも目立てるようにっていうか心に残るっていうか……それこそ、この前の学内ライブみたいな」

太い眉をぎゅっとさせる有原に、「『夕立雲』じゃ足りないっスかねぇ」二ノ宮が考え込むポーズをとる。「作った羽沢的にはどうなの、その辺」そのままの流れで彼は、泰生へと話を振った。泰生の視界の端で、富田の顔がほんの僅かに苦々しいものへと変わる。
「俺は、変える必要は無いと思う」が、聞かれた以上は仕方ないので泰生は正直な感想を述べる。「無理な挑戦をするよりも、今出来ているものを改善していく方がいいんじゃないか」それは今歌ってみての率直な思いと、トレーナーとしての経験則に重ね合わせてのものだった。当然ながら、泰生からしてみれば、羽沢悠斗としての発言ではない。

「…………そうか」

しかし、有原がそれをどう受け取ったのかはわからない。
「ま、まだ時間はあるから。もう少し考えてみましょ」「そうだな、『夕立雲』にしても詰めなきゃいけないし」小さな声で言われたその返事に被せるようにして、二ノ宮と富田がコメントする。二ノ宮が踏んだキックの音が、四者の下っ腹へと重く響いた。ギターの弦をはじいた富田の「どっちにしても、今以上にしなきゃいけないのは変わんないし」という言葉に、有原はどこか安堵したように「ああ」と笑った。
じゃー別の曲も合わせてみますかー、とスネアを打ち始めた二ノ宮の声に、それぞれ姿勢を正して楽器の位置を整える。有原の奏でる低音を響かせるアンプの方をちらりと見遣って、泰生は歌い出しに備えて息を吸った。


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