陰 上
「ピカさん、おつかれ! アクエリアスもおつかれ!」
「ぴぃか!」
「ぜにぜーにっ、ぜにぃ!」
ピカチュウが元気よく相棒に応え、ゼニガメが元気いっぱいとばかりにサクヤの腕の中で暴れる。
順調だった。
セッカも、また青い領巾を袖に絡めたサクヤも、当然という顔をしている。レイアとキョウキにできるならば、セッカとサクヤにも必ずできる。その自信があるから、周囲の声援もヤジも気にならない。四つ子にとって何より信頼できるのは、同じ四つ子の片割れたちだからだ。
だいぶ午後も回っている。外の様子はわからないが、もうじき日没だろう。休憩を挟みつつ、二人はここまで連戦を重ねてきた。
セッカは、ミックスオレを飲むピカチュウを微笑ましく見つめている。サクヤは、ミックスオレを飲み干したゼニガメの口の周りを拭いてやっている。二人は完全にリラックスしていた。
セッカがサクヤに話しかけた。
「あのさー、サクヤ」
「何だ」
「次、シャトレーヌだね。なんか美味そうな名前だよな」
「お前、やる気あるのか」
「実を言うとあんまねぇなー」
「僕もだ」
そう、図らずもレイアやキョウキと同じような会話の流れになる。
セッカはぼんやりと眩いシャンデリアを見つめて、ぼやいた。
「……あのさ、さっきのれーやときょっきょのバトル観てて思ったんだけどさ。シャトレーヌ、マジでやる気ねぇよな」
「そうだな」
「なんでだろ。マルチが本分じゃないから? だから手ぇ抜くの? こんなに観客いるのに、よく平気でんなこと出来るよなぁ……って、俺はちょっとさっき感動したよ」
「実力を量られているんじゃないか」
サクヤは腕を組み、静かに答える。
「確かに、マルチは彼女たちの専門ではない。どうせただの見世物だ。しかし、僕らがどのようなポケモンを使いどのように戦うのか、彼女たちは見ているのでは?」
「ふーん。じゃ、マルチで勝って、その後が本番ってわけか」
「今も負けるわけにはいかない。負けたらまた19戦だからな」
「はいよ」
からんからん、とベルが鳴る。
大階段を行き来していた人々が会場に階下に消え、セッカとサクヤの二人だけが踊り場に取り残された。
しかしざわめきは消えない。この日二度目のバトルシャトレーヌの登場。
アナウンスが響き渡る。
「バトルシャトレーヌ、ルミタン様&ラジュルネ様、コンビの登場です!」
広間奥の大扉が、開かれる。
男たちの絶叫が響き渡った。
「ルミタン様ぁ! ルミタン様ぁぁ!! ルミタン様ぁぁぁ――!!!」
「ラジュルネ様ッ、サイッコ――ッ!!!」
緑と赤のドレスを纏った二人の姉妹が、登場とともにくるくると回転しポーズを決める。男たちの歓喜にむせび泣く声が聞こえてきた。
「感動じゃ感動じゃあ、とうとうルミタン殿が降臨なされたっ」
「本気でラジュルネたんに本気で踏まれたい」
セッカとサクヤは、大階段を下りてくる二人のバトルシャトレーヌをまじまじと見つめていた。
「……ボインだ」
「どこを見ているんだお前は」
緑のドレスのルミタン、赤いドレスのラジュルネが二人の前に現れる。
ルミタンがふわりと微笑んだ。そして柔らかい声で歌い出した。
「おヒマやったら寄ってきんしゃい♪ 退屈やったら見てきんしゃい♪ 思う存分戦いんしゃい♪ 勝負するなら♪ バトルハウス♪」
セッカとサクヤは目を点にした。
すると、ルミタンの隣に立つラジュルネが口を開いた。
「今の歌は、バトルハウスの公式キャンペーンソングでしてよっ!」
「あ、なんかどっかで聞いたことあるっす……」
「どうもはじめまして、バトルシャトレーヌのお二方。僕はサクヤ、そしてこちらはセッカと申します。本日はよろしくお願いします」
ゼニガメを抱えたサクヤがいち早く一礼した。セッカが慌ててそれに倣って頭を下げる。
ルミタンはふわりと微笑み、ラジュルネは胸を反らした。
「本日はバトルハウスに、ようお越しくださいました。ウチはバトルシャトレーヌ四姉妹の長女、ルミタンと申します」
「そしてわたくしの名はラジュルネ! バトルシャトレーヌ四姉妹の次女よっ!! マルチバトルに挑むなんて、その度胸褒めてあげる!」
「妹ともども、真心ば込めて精一杯おもてなしさせてもらうけん、よろしくお願いしますね」
「ではっ、貴方がたの力の程、直々に量ってやりましょうっ!!」
ピカチュウを肩に乗せたセッカはぽかんと口を開いて、傍らの片割れにこそこそと呟いた。
「……なんかさ、この上二人っていう安心感がさ、デジャヴってゆーの……?」
「確かに、赤と緑という配色はどこかの誰かさんたちを思い起こさせるな」
そのどこかの誰かさんたちも、階上の観客席からこのバトルを見ているのだろうか。男たちのひっきりなしの声援ばかりが響いてきて、その存在は定かではない。
一も二もなく、ルミタンとラジュルネがそれぞれモンスターボールを放る。
ルミタンが繰り出したのはマンタイン、ラジュルネが繰り出したのはエルフーン。
セッカとサクヤも目の前のバトルに瞬時に頭を切り替えた。
「ピカさん、頼むな!」
「ぴかちゃあ!」
「行け、アクエリアス」
「ぜーに!」
それぞれピカチュウとゼニガメが踊り場に躍り出た。
大広間は拍手と歓声に包まれた。
悪戯心を持つエルフーンが、素早くセッカのピカチュウに宿り木の種を植え付ける。
しかしセッカはそれにも構わず、嬉々として叫んだ。
「ピカさん、ぶっ放せ――!」
ピカチュウが落雷をマンタインに落とした。
マンタインは弱点をついた攻撃を受け、一瞬で焼け焦げ、目を回した。
観客が一瞬静まり返った。
ルミタンがあらあらと笑う。
「ソクノの実も持たせとったんけどねえ?」
「ピカさんの特攻は鬼っすから!」
セッカとピカチュウが笑う。セッカのピカチュウは何も道具を持っていないように見えて、その実、ある日うっかり飲み込んだ電気玉を腹の中に隠し持っている。その隙にゼニガメがラジュルネのエルフーンに向かって威張り散らし、エルフーンを動揺させた。
ルミタンはメブキジカを繰り出す。
エルフーンが半ば混乱しつつも、素早く味方のための追い風を巻き起こす。ピカチュウとゼニガメは強い向かい風を受けてたじろいだ。
そこにウッドホーンで猛スピードで突っ込んでくるルミタンのメブキジカに、ピカチュウは目覚めるパワーを飛ばす。
「ピカさん、電光石火だよー!」
目覚めるパワーの炎を頭から浴びつつ、メブキジカは突っ込んだ。ピカチュウは加速し、それを避ける。
「アクエリアス」
「エナジーボールよっ!!」
ゼニガメがロケット頭突きでラジュルネのエルフーンにぶつかっていくも、エルフーンのエナジーボールがゼニガメの正面に迫る。そこにピカチュウが電光石火で割り込み、仲間のゼニガメを吹っ飛ばした。
甲羅に籠っていたおかげで防御力の高まっていたゼニガメには、ピカチュウの電光石火のダメージなど痛くも痒くもない。逆に軌道が変わったおかげで、エルフーンのエナジーボールを躱すことに成功する。
「アクエリアス、守る」
続けてめちゃくちゃに飛んでくるエナジーボールを、ゼニガメがピカチュウの前に出て守る。
追い風を受けたメブキジカが、まっすぐゼニガメに向かっている。ウッドホーンだ。ゼニガメの背後から飛び出したピカチュウが、メブキジカに炎の目覚めるパワーをぶつけた。ゼニガメもハイドロポンプを撃つ。
間髪入れず、混乱して隙の大きいエルフーンに向かって、ピカチュウは目覚めるパワーをぶつけた。
ラジュルネのエルフーンが焼け焦げ、崩れ落ちる。
ピカチュウは宿り木に体力を奪われつつも、力強く吼えた。セッカも鼻を鳴らす。
「これで四対二! どーだ、ピカさんなめんな!」
「ふん……なかなかやるじゃない!」
ラジュルネが続いて繰り出した二体目のポケモンは、レアコイルだった。
ラジュルネのエルフーンが残したシャトレーヌ側の追い風はまだ吹き続けている。レアコイルはゼニガメに向かって10万ボルトを飛ばす。
しかしその10万ボルトは、ピカチュウに引き寄せられていった。電気を吸収したピカチュウがにやりと凶悪に笑む。
そこでセッカはぴゃいぴゃいと狂喜乱舞した。
「ぎゃははははははははピカさんの特性は避雷針で――っす! 電気ご馳走様でーっすピカさん雷!!」
ピカチュウがメブキジカに、さらに威力の増した雷を落とす。
メブキジカが膝を折る。しかし倒れはしない。ピカチュウに植え付けられた宿り木から体力を吸い取っているのだ。ピカチュウもまたふらつく。
ゼニガメはレアコイルのラスターカノンから身を守り、レアコイルの放つ金属音にひどく顔を顰めつつもハイドロポンプを放った。レアコイルがそれを躱そうとし、水流がその身を掠ったためバランスを崩した。
セッカはサクヤと顔を見合わせた。
「しゃくや、どーする?」
「倒せる方から倒せよ」
「じゃあ、ピカさんばんがれ! 雷だよー!」
セッカはぴょこぴょこと跳ねまわりつつ、ピカチュウに続けて雷を落とすよう命じる。大広間が何度も何度も閃く。いつの間にか風は止んでいる。轟音が満ちる。
メブキジカとレアコイルが沈む。
完封されても、緑のドレスのルミタンはのほほんと笑っていた。
「お二人ともお疲れさまでした。ラジュルネとウチのコンビネーション、お楽しみいただけたでしょうか?」
「全然! だって俺まだ全然本気出してないよ!」
セッカがぴゃいぴゃいと騒ぐと、ラジュルネがぎりりと歯を食いしばった。
「くっ……なんね……わたくしの本分はトリプルバトル……そしてお姉様が得意とするのはローテーションバトルですわ!!」
青い領巾のサクヤがゼニガメを拾い上げつつ、何でもなさそうにぼやく。
「敗北の言い訳ですか。……果たしてそれが言い訳になるのだろうか」
「そうそう! なんてゆーか、つまんなかった! あんたらさ、ほんとにやる気あるわけ? 昼間のレイアとキョウキの相手してた二人もだけどさ、こんな大勢のファンの前でさ、よくそんな適当なバトルできるね?」
ピカチュウを肩に飛び乗らせたセッカがぬけぬけとそう言い放つと、さすがにサクヤの手が伸びてきてセッカの頬をむにとつねった。幸いなことに大広間は男たちの嘆きで埋め尽くされていたため、彼らの耳にはセッカの失礼な発言は届かなかったようである。
ルミタンは笑顔を張り付けているし、ラジュルネは怒りに顔が赤くなっているも必死に何か言うのを堪えようとしている。
サクヤがぼそりと呟く。
「……次はもっとまともに戦っていただきたい」
「……お客様、誠に申し訳ありませんでした。これに懲りず、どうかどうかまたバトルハウスば来てくんしゃい」
ルミタンが申し訳なさそうに、丁寧に頭を下げる。セッカとピカチュウはふんとふんぞり返って鼻を鳴らすが、ゼニガメを抱えたサクヤは深いお辞儀を返した。
「いえ、こちらこそ失礼なことを申し上げました。次はまた別のルールにて挑戦させていただきます。その際はまたよろしくお願いします」
ラジュルネは苦い顔をしていたが、ルミタンに促されて頭を下げた。
「クッ……わたくしたちのコンビネーションを打ち破った程度で、調子に乗りませんことよ……見てらっしゃい……」
「ではお客様、これで失礼いたします……」
緑のドレスのルミタンと赤のドレスのラジュルネは、階段を上っていった。
からんからん、と休憩時間開始の鐘が鳴る。しかし大広間は未だに、男たちの阿鼻叫喚で埋め尽くされていた。
セッカとサクヤ、そしてピカチュウとゼニガメは顔を見合わせた。
そしてセッカとサクヤがとぼとぼと大階段を下りると、丸テーブルについて夕食代わりの軽食をつまんでいるレイアとキョウキ、そしてエイジを見つけた。二人はエイジを無視して、二人の片割れのところへまっすぐ歩いていった。
ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスのレイアが、苦笑する。
「よう」
フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキが、ほやほやと笑った。
「酷いバトルだったね」
「俺はばんがったもん!」
「うんうん、セッカは確かに頑張ったよ。でもサクヤなんて守ってばっかで実質何もしてなかったし、お相手なんてなおさらお粗末なバトルだったねぇ」
ゼニガメを抱えた青い領巾のサクヤは、不機嫌に鼻を鳴らす。
「アクエリアスの威張るでエルフーンの動きを抑制したろうが」
「でもピカさんの一人舞台だったじゃない」
「……とりあえず出ようぜ。ここは空気が悪い」
レイアに促され、四つ子の片割れたちとエイジはバトルハウスの大広間から出た。四人にバトルシャトレーヌを倒されたことに怒りを覚える熱狂的なファンたちの殺気立った視線が、背中に突き刺さって痛かった。
玄関ホールを抜け外に出ると、山間の夜の風が吹き抜ける。四つ子は息をつく。
バトルハウスの中は空気が悪かった。そして暑かった。
煙草の臭いや酒の臭いや男たちの下卑た歓声に日々さらされて、バトルシャトレーヌは疲れないのだろうか。むしろ疲れて、あのようなバトルをしたのではないだろうか。ついそう思ってしまう。エイジは四つ子の後ろでにこにこと爽やかに微笑んでいる。
「……帰るか」
「そだね。一応これでバトルシャトレーヌは全員倒したことにはなるしね」
「なんか超拍子抜けなんですけど。19連勝する方がまだ大変だったしさー」
「これでシングルやダブルやトリプルやローテーションに挑む意義があるか、疑問だな」
四つ子はどこか悄然として歩き出した。今日という一日に意義があったのか分からない。BPはたくさん手に入れた。しかしあの空気の悪いバトルハウスには戻りたくない。BPショップはまた後日寄ることに四つ子はしていた。誰もそうとは口にしていないが、互いの顔を見れば同じことを考えていることが分かる。
そして夜のキナンをぶらついて、突然レイアが立ち止まった。
キョウキが笑う。
「あれ、もしかしてレイア、迷った?」
「……いや、なんでだよ。俺はお前らについてきてたんだけど」
四つ子は道に迷った。
別荘地を目指すべく坂を上っていたのだが、この通りには四人ともまったく覚えがなかった。四つ子はきょろきょろと辺りを見回した。確かにここは別荘地のようだが、四つ子やウズやロフェッカが借りている別荘はどこだろうか。まったく見当もつかない。
四つ子は顔を見合わせた。
そしてレイアがボールからヘルガーを出した。ヘルガーがのんびりと首をもたげる。レイアがそれを見つめ返す。
「……悪いインフェルノ、ちょっと俺らのにおい辿って、俺らの別荘見つけてくんね?」
「がう」
「あ、やだ、ちょっと待ってくださいよー……」
そこで口を挟んだのは長身の青年だった。四つ子はエイジの顔を見上げ、黙って凝視する。それまで無言でにこにこと四つ子のあとについてきていたエイジは、困り果てたような顔で両手を振った。
「いやぁ、道案内させるために四つ子さんが自分に声かけてくれるの待ってたんですけど……酷いじゃないですかー」
そうぬけぬけとのたまう。
四つ子は黙って、街灯に照らされるエイジの姿を見つめていた。
するとなおさらエイジは激しく両手を振った。
「ね、四つ子さん、ちょっとだけ寄り道しましょうよ。……ヘルガーさんを戻してください」