虹と熱 夜
僕ら四つ子はズミさんの別荘でお昼ご飯を食べた後、別荘に帰ってきて昼寝をした。
ロフェッカはバトルハウスから帰ってこないし、四天王のうちの三名様とお食事もして何となく精神的に疲れたし、あとはもう今日はこれ以上エイジさんに付きまとわれたくないというのもある。
僕が昼寝から醒めた時、日はすっかり暮れていた。ちらりの傍らを見ると、僕の片割れが三人、暖かいベッドの上で思い思いに転がっている。僕の大切な片割れたち。
どうすれば守れるんだろう。
フレア団に狙われているというのが、ただの自意識過剰、ただの被害妄想ならいいのに。
ポケモン協会まで敵に回ってしまうかもなどと、考えずに済めばいいのに。
僕は喉が渇いていたので、水を求めるべく、そろりと寝台から降りた。レイアとセッカとサクヤは起きているのか寝ているのか分からない。サラマンドラとふしやまさんとピカさんとアクエリアスは、その枕元で丸くなってのんびりと眠っている。
ゆっくりと、足音を忍ばせて、階段を下りる。
居間は無人で、どうやらウズは買い出しにでも出かけているようだった。ロフェッカもいない。
エイジさんは、いる。
エイジさんは食事室のテーブルについて座り、ホロキャスターを点けていた。何やらホログラムメールを見ている。立体映像はなかったけれど、何かしらの音声データをごく微小な音量で聞いているようだった。
「エイジさん」
階段の上から声をかけてみると、エイジさんは素早くメールを閉じた。ホロキャスターを握りしめ、笑顔で僕を振り返る。僕も階段の上で立ち止まったまま、笑顔になって爽やかに声をかけた。
「どなたからですか?」
「いやあ、友達と……」
「お友達なのに、立体映像なしでお話するんですね?」
「いやぁあいつ、カメラとかそういうの、一切嫌いなんですよ……。だからホロキャスターで話をしてても、映像なしのただの電話になってしまって……」
「ねえエイジさん。あんな小さな音にしなくていいんですよ?」
僕は緑の被衣をなびかせ、一歩ずつ、ゆっくりと階段を下りる。食事室に入り、そして笑顔で立ったまま、椅子に座るエイジさんを見つめて、片手をついと伸ばした。
「ねえエイジさん。僕ね、ホロキャスター、興味あるんです。見せてもらえますか?」
「えー……、いやあ駄目ですよやっぱり、プライバシーが詰まってますから……」
「ロックというものを掛けられるんでしょう? ねえ、ちょっと触るだけですから」
「……壊さないと約束するなら」
「分かりました。壊しません」
エイジさんはどこか慎重に、テーブルの上に置いていたホロキャスターを、僕に手渡した。僕は笑顔でそれを受け取った。
「ありがとうございます」
エイジさんのホロキャスターはストラップ型の赤いものだった。ホロキャスターには他にも様々な色があり、腕時計型のものや、首からさげるタイプもある。
手にとって、色々な角度からしげしげとエイジさんのホロキャスターを見つめる。
そのとき、とてとてと、階段の上から僕の相棒のふしやまさんが下りてきた。
「だぁーね?」
「ああ、おはよう、ふしやまさん」
「おはようございます、ふしやまさん……」
僕はエイジさんのホロキャスターを手に持ったまま、笑顔でふしやまさんを振り返った。
そして笑みを深め、ふしやまさんに気を取られた風を装って手指の力を抜き、ホロキャスターを指先から零した。
その刹那、ふしやまさんのソーラービームがそれを撃ち抜いた。
その光は居間の窓ガラスを突き抜けてゆき、庭木に微かな焼け焦げを残しただけだった。
さて、エイジさんには何が起きたか分からなかったのではなかろうか。
居間に一瞬、閃光が満ちただけなのだから。
「きゃあ」
「わっ!」
そして僕はその光に驚いてホロキャスターを取り落としたように装う。
「あ、わ、わ、落としちゃいました。え、今の雷ですかね?」
「そ、そうですかね……」
「エイジさん、すみません、落としちゃいました。絨毯の上だったので、大丈夫だと思いますけど」
そう何事もなかったかのようにホロキャスターをエイジさんに返す。エイジさんはそれを慌てて手に取った、ように見えた。そして素早くホロキャスターを覗き込み、何やらボタンを押して操作を試みている。
エイジさんは、何度もホロキャスターの同じボタンを押している。
僕は固い声音を作った。
「……え。大丈夫ですか」
「…………動かない……動きませんね……」
「え、嘘でしょ。絨毯の上に落としただけで壊れるほど、脆いんですか、ホロキャスターって……」
「……いや、そんなはずは……旅のトレーナーの必需品ですよ……まさかさっきの落雷が……――?」
エイジさんは深刻そうな表情でホロキャスターを覗き込んでいる。さて、これが演技だったらそれこそホラーなわけだけど。
僕は足元に寄ってきたふしやまさんをそっと抱え上げ、ふしやまさんをそっと撫でつつ肩を竦めた。
「……直りますか、エイジさん」
「……どうにも……画面が真っ暗で」
エイジさんはしきりにホロキャスターを指先で弄っている。
僕はそろそろ手持ち無沙汰になったので、ふしやまさんを抱えたまま居間のソファに腰を下ろした。立ったままのエイジさんを見上げる。
「ねえねえエイジさん。ホロキャスターって、トレーナーはみんな持ってますよね。そんなに便利なものなんですか?」
エイジさんは半ば心ここにあらずといった風に、それでも僕の質問に答えてくれた。
「便利ですよ、そりゃ……緊急時の避難情報とか連絡とか、いざという時に役立ちますし。ネット接続で調べ物だってできますし、電話もメールもSNSもニュースもこれ一機で……」
「高いんですか?」
「まあそうですね……ポケギアやポケナビ、ポケッチ、ライブキャスターなんかがありますけど、ホロキャスターほど高機能高性能なものはなくって……ああ、値段ですか……ホログラム映像を使用した小型通信機は現在フラダリラボが市場を独占しておりますので、まあ市場原理的には高価ですよね……」
エイジさんはぶつぶつと呟いている。その指を必死に動かしている。
「でもまあ通信事業は、周波数帯の関係で政府の規制もありますし、あとインフラということもあるので、通信費なんかはちゃんと国が高くなりすぎないように管理していて……」
「ねえねえエイジさん。僕がお尋ねしているのは、一機あたりのお値段なんですけど?」
「え……いくらだったかな……」
エイジさんはそう問われても、およその数字すら、すぐには出せなかった。あれほど、国家やポケモン協会や反ポケモン派の事には詳しかったのに、だ。
僕はたたみかけた。
「そんな高価な機械の値段を、覚えてないんですか? エイジさん貴方、失礼ですが、けして裕福な家庭ではないですよね? お父様が失踪なさって、エイジさん自身もトレーナーにならざるを得なくて、なのに高価な出費を覚えてないんですか? というか、よくもまあホロキャスターを購入できましたよね? 本当に値段、覚えてないんですか?」
するとエイジさんは顔を上げた。その頬に微かに朱が差している。羞恥か、怒りか、焦燥か。まあなんでもいいけど。エイジさんが動揺しているのは確かだ。
少しは可愛げがあるじゃないか。
エイジさんはぼそぼそと呟いた。
「……あの、これは頂き物でして……」
「へえ、羨ましい。どなたに頂いたんです?」
「フラダリラボの、代表の方、です……」
「あ、フラダリさんですか。へえ。なるほどね。……ふうん」
繋がってしまった。
セッカの、エイジさんがフレア団の者だという仮説が正しいなら。
フラダリラボは、フレア団と確実につながりがある。というか、これってつまり、トップからずぶずぶってことじゃないか。
フラダリラボは、カロス地方のポケモン協会が支持する企業のナンバーワンだ。ポケモン協会はフラダリラボに多額の融資や投資を行っているし、フラダリラボはポケモン協会に多額の資金供与を行い、政治への足掛かりをつけている。
ああ、ずぶずぶだ。
ぐちゃぐちゃだ。
ぽわぐちょだよ、もう。
ポケモン協会は、フレア団に逆らえない。
フレア団に逆らえば、フラダリラボがポケモン協会から造反する。そうなれば、ポケモン協会には大打撃だ。そして、そのポケモン協会から支援されている現政権も危うくなる。
政権よりも、ポケモン協会の方が強い。
そしてポケモン協会よりも、フレア団の方が強い。
さて、このカロス地方でフレア団の敵になって、勝ち目はあるのか?
僕はふしやまさんを抱えてソファに座り込んだまま、ついつい瞑目した。エイジさんは故障したホロキャスターにかかりっきりだ。おそらく大事な物なのだろう、十中八九フレア団との関係において。
そこにウズが買い出しから帰ってきた。
おいしい晩御飯を食べよう。
そして寝よう。
バトルハウスに再挑戦しよう。戦って、強くなろう。
強く。
強くなればいい。
僕はそのような単純な解答に行きついた。そこに至って、妙に胸がどきどきする。ますます喉が渇く。暑い。ふしやまさんを抱え直し、その腹に顔を埋め熱を逃がす。ふしやまさんはおとなしくしてくれていた。大好きだ、僕の相棒。
恐ろしい敵と、それに対抗するための唯一の策。それは、ポケモントレーナーとして強くなること。
もうポケモン協会には頼れない。自分しか。自分のポケモンたちしか。自分の片割れたちしか。
もう、信じられない。