マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1462] 深更漂う 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/17(Thu) 20:50:40   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



深更漂う 上



 ヒヨクシティの西に、ことさら青く澄んだ、穏やかな海がある。
 アズール湾、と呼ばれている。
 高級リゾート都市のヒヨクを訪れた観光客が訪れる、カロス有数のビーチ。それも夜となればさすがに人の気配はわずかだけれど。


 黒髪と袖に絡めた青い領巾を静かな潮風になびかせ、潮の香りを肺いっぱいに吸い込む。ゼニガメを両手で抱えたサクヤは静かに夜の浜辺を歩いている。ブーツの底で砂を蹴るたび、貝の死骸の欠片を踏む。打ち寄せる波の音は絶え間ない。
 海を見るのはとても久しぶりだった。このところマウンテンカロスばかりに籠って山ばかり見ていたせいだ。ましてや遅い夜の海など。
 夜空には星が輝き、月が浮かぶ。
 闇の大海は月光を散り敷き、網の上に小魚を揺するように光を波間に弄ぶ。その中で海中に漂うように見える微かな灯火は、チョンチーかランターンか。潮騒に紛れ、遠く、微かに、歌のようなものが聞こえる。ラプラスだろうか。
 昼間は騒がしいキャモメはすっかりねぐらで寝入ったか。けれど観光客は、夜のアズール湾にはまだあった。チョンチーの淡黄の光や浅瀬で赤く揺らめくラブカスの群れを夜の海に見出し、ラプラスの歌に耳を傾けようと。
 そうした観光名所に群がる観光客を、サクヤは好かなかった。夜闇のおかげで砂浜を踏み荒らした足跡が良く見えないのがせめてもの救いだ。
 誰かが行くから自分もそこに行く――そのことに楽しさを覚える精神が、サクヤには理解できない。わざわざ人混みの中に飛び込んでいって、忙しい人の流れに従って、レンズ越しの風景ばかり覗いて写真ばかり撮って、ネット上で見せびらかして。
 それでは何一つ本物の美しさを見れていないと、サクヤは思ってしまう。
 行くことが目的となっているがための、行って何をするのかという実質の空虚さ。美しいものを見るには独りに限る。他者がいれば、そちらにまで気を遣わなければならないから。もちろんサクヤも家族や恋人同士で旅することを全否定はしないものの、それはあくまで彼らの間の関係を深めるための旅であって、美しきものを愛でるための旅とはならないだろう。そう思っている。



 サクヤは人けのない浜辺へ向かって歩いていた。寄せる波に濡れた細かな砂浜は、それすらも粒々と月明かりを映して輝く。
 より人の少ない場所へと。人嫌いの性のためか。
 サクヤだけでない、四つ子は人が嫌いだった。特に大勢の人間が嫌いだ。あからさまに嫌悪感を示すキョウキだけでなく、一見人懐こいセッカも、そして常に機嫌悪そうに眉間に皺を寄せているレイアも、サクヤと同様に人混みを避ける性質がある。野山にこもり、一日じゅう人と話さず、ポケモンだけを愛して。
 それは四つ子が利己主義者だから。他者に興味などないから、まず関わりを避ける。
 関われば傷つけることすらある。ミアレの事件以来、四つ子はさらに他者に対して神経質になった。キナンでの滞在以来、四つ子はさらに他者に不信感を抱くようになった。
 確かに、他者に対して無関心ではなくなった。けれど関心を持てば持つほど、避けずにはいられない。
 かつては、他者に興味がなかった。
 現在は、他者を嫌悪している。
 それが良き変化なのか悪しき変化なのか、四つ子は判断しかねている。何はともあれ、生きづらくはなった。
 それは辛い旅だった。生きていることが苦しかった。
 フレア団やポケモン協会の敵になったというのが、すべて四つ子のただの妄想であれば良いのに。それであればもう少し、歩きやすく均された道路を堂々と歩けるのに。
 けれど歩きやすい開けた道を外れてわき道にそれ、迷い込んだからこそ、サクヤは今この美しいアズール湾に辿り着いていた。


 蒼い。
 月までもが海に染まったかのように青白い。
 波の寄せては返す音が、一定のリズムで繰り返される。静かに、静かに。
 サクヤがそろそろと砂浜に腰を下ろすと、腕の中のゼニガメが元気よく飛び出し、海の浅瀬に飛び込んでしまった。やんちゃなゼニガメは気持ちよさそうに波間にたゆたい、そしてサクヤを振り返って水鉄砲をしてきている。サクヤも入ってこいと、そう言っているのだろうか。そんなことできるわけないのに。
 波打ち際で膝を抱える。穏やかな夜の海風を全身に浴びる。
 波が寄せては返す。寄せては返す。静かに、ただ静かに。

 サクヤは一人だった。
 片割れたちはここにはいない。
 山間のキナンシティをTMVであとにして、大都市ミアレに着いた後、共に西のシャラシティで用事を済ませてきた。そのあと。四つ子はバラバラになった。
 誰が言い出したわけでもない。自然とそうなった。
 サクヤたち四つ子は仲が良い――この歳になっても同じ布団の中でくっつき合って眠ることにまったく抵抗感を覚えないどころか高揚感と安心感しか覚えない程度には。だから今回の別離も、特に諍いに起因するものではない。
 フレア団やポケモン協会の目をくらますには、別々に行動する方がいいのではないかと考えただけだ。四人全員や二人ずつで行動していると、とかく目立つのである。それも四つ子の自意識過剰、被害妄想である可能性も無きにしも非ずではあったが。
 一人旅でも別段、心細くはない。手持ちの六体のポケモンたちがいるから。いざとなったら彼らに頼ればいい。彼らを育てたのはサクヤだ。サクヤは自分を、ポケモンたちを信じている。
 サクヤの心は目の前に広がる夜の大海のように、静かだった。キナンを出、ミアレからシャラを辿った後も、フレア団との接触はない。フレア団が四つ子を狙っているというセッカの仮説は本当は誤りなのではないかと疑ってしまうほど、何事もなかった。
 この夜の海のように、あまりにすべてが平穏無事で。
 一人でもなんとかなるような気がしていた。それは楽観なのだろうか。
 フレア団に狙われている、という話が未だに現実味を持たなくて、サクヤの不安は宙づりになっている。


「ぜにー!」
 サクヤが思考に沈んでいたとき、海の中でゼニガメが悲鳴を上げた。サクヤははっとして顔を上げる。
 ゼニガメが海面から飛び上がっていた。飛沫が月光に散る。
 ゼニガメの影を穏やかな海から叩き出したのは、純白の角、白銀の体毛を持った海獣――ジュゴンだ。
「ぜぇにーっ! ぜにがー!」
「あおおお?」
 ジュゴンはその角でゼニガメの甲羅の一点を支え、ゼニガメを器用に頭上でくるくると回して遊んでいる。まるでタマザラシを鼻先で回して遊ぶトドグラーのようだった。ゼニガメは渦潮にでも巻き込まれたように目を回している。
 サクヤは更にはっとして周囲を見渡した。
 その瞬間、サクヤは後頭部をはたかれた。

「ひっ」
「サクヤか。このド阿呆!」
 鋭く怒鳴られ、背後から頭をぐりぐりされる。そうなると反撃のしようがない。
 サクヤは従順に、その人物に苦痛を訴えた。
「……い、いい痛いです……ウズ様」
「当たり前じゃ! レイアとキョウキとセッカの居場所を吐かんかい!」
 サクヤの背後から、ひどく嗅ぎ慣れた懐かしい甘い香の匂いが漂ってきた。潮の香と混じってえもいわれぬ薫香を醸し出す。サクヤはどうにか養親の両手を押さえ、そろそろと背後をふりかえった。
 長い銀髪を高い位置で結わえ、きちんと着物を身につけた若い外見の人物が、鬼の形相で仁王立ちしてサクヤを見下ろしていた。懐中電灯を手にして、草履に足袋で夜の砂浜に立っている。
 サクヤたち四つ子の養親、ウズである。


「……ウズ様、なぜここに……」
「勝手にキナンを抜けおったおぬしらを捜しとるに決まっとるじゃろうが! まったく、ロフェッカ殿にも大層ご迷惑をおかけしよってからに! エイジ殿もひどく心配しておられたぞ、このアホ四つ子が! ポケモン協会様も、おぬしらを捜しておる!」
「……なぜ」
「おぬしらが協会様のご指示ご厚意を無視して、キナンを出たからじゃろうがぁ!!」
 ウズはぷりぷりと若々しく怒りながら、サクヤの隣の砂浜にどさりと腰を下ろした。興奮した神経を鎮めるかのように、静かな夜の海と、沖でゼニガメを回して遊んでいるジュゴンを眺めている。このジュゴンはウズの手持ちであり、実はどのような人間よりも長くウズに寄り添い続けたウズの伴侶でもあった。

 サクヤは眉を顰めて、ポケモン協会が自分たち四つ子を捜しているという、たった今聞き知った事実について思案していた。
 四つ子がひと月かふた月ほどキナンに籠っていたのは、ポケモン協会の指示によるものだ。
 にもかかわらず、キナンから出てもいいという協会からの指示を待たずに、四つ子はキナンを飛び出してしまった。だから協会に捜されている。
 なぜ捜されているのか。
 保護のため、なのか?
 ポケモン協会の管理から外れた四つ子を、警戒しているのではないか?
 協会から逃げれば逃げるほど、四つ子は自ら協会の敵となってしまうのではないか?
 それは望ましいことなのか?
 フレア団に対抗するためには、協会とは敵対しないようにすべきではないのか?
 協会を信じていいのか?
 わからない。
 キナンで片割れたちと一緒に四人で考え続けても、とうとうわからなかった。今さら一人で悩んだところで、分からないだろう。


 そのようなサクヤの惑いも知らず、ウズはサクヤの葡萄茶色の旅衣の肩を軽く掴んだ。
「まったく、おぬしら四つ子は昔っから、面倒事を絶やさぬ童どもじゃのう。いかなる凶星の下に生まれたか。なして大人のゆうことを聞かぬ? モチヅキ殿に尻を引っ叩いてもらわねば言うことを聞けぬのか?」
 ウズがモチヅキの名を出したのは、サクヤが特にモチヅキを慕っているのをわざわざ揶揄する意図もあっただろう。
 サクヤはそっぽを向き、肩からウズの手を外させた。
「……僕ら四つ子はもう子供ではありません。とっくに十も過ぎ、立派な成人です。ウズ様に子ども扱いされる筋合いはないかと存じます」
「童でないというならば、問題を起こすでない」
「……僕らが問題を起こしたのではありません」
「では、なぜ無断でキナンを出た?」
「……貴方に断る理由などない」
 サクヤは澄まして冷淡だった。
 ウズは鼻を鳴らして、遠く夜の海を眺めた。サクヤは昔からこうだった。ウズに対しては冷淡で慇懃無礼。頭は良く手はかからないけれども、養親のウズよりも、たびたびクノエを訪れてくるだけのモチヅキの後ばかり頬を赤らめて追う。まったく可愛げのない子供だった。
「…………おぬしは、あたしではなくモチヅキ殿になら、打ち明けたか?」
 ウズがぼそりと呟いた。サクヤは首を振る。
「……片割れたちと相談して決めます」
「あたしに何も言わなかったのも、おぬしら四つ子が下した決定じゃ、と?」
「……そうですね。ウズ様に打ち明けたところで何にもならないだろう、と」
「…………つまり、あたしでは力不足か…………」
 波に飲み込まれそうな声だった。
 気まずくなり、サクヤは改めて膝を抱える。波が白く浜に打ち寄せる。


 確かに、四つ子はけして、この養親を高くは評価していない。料理や和裁の腕は認め重宝してはいる。けれどウズは一切ポケモンバトルをせず、したがって“実力がある”かどうかも分からない。学問に通じているわけではない。芸事の心得はあるが、滅多に披露もしない。そしてたびたび腹を立てては、四つ子を庶子だと理不尽に詰る。
 四つ子には、この養親がよく分からないのだった。四つ子が何をしてもけして四つ子の心には寄り添おうとしない、遠い存在――それがウズだった。四つ子がウズを無邪気に慕おうにもそれを許さない、一定の心の距離をウズは常に取っている。
 父親に捨てられ、母親に先立たれた自分たちを根気強く養い育ててくれたことには感謝している。けれど、ウズにそれ以上のことができるとはとても思えなかった。
 ウズには四つ子を守る力などない。だから四つ子もウズを頼ることはできない。
 養親はサクヤの隣、浜辺で胡坐をかいたまま、寄せては返す波ばかりを見つめている。波の音に耳を傾けているようにも見える。
 サクヤは恐る恐る口を開いた。
「……ウズ様」
「何か」
「……僕らのことは構わず、どうぞクノエにお帰りください」
 するとウズが流し目でサクヤを睨んだ。
「あたしが邪魔かえ」
「……そのような……」
「いつもそうじゃな。おぬしら四つ子は、昔からあたしを邪魔者扱いして。おぬしらに食事や服を与えたあたしを、四人で寄ってたかっていじめよる。ひどい扱いじゃ。親不孝者めが」
「……僕一人に言われましても」
「シャラには寄ったか」
 ウズは唐突に話を変えた。
 サクヤは半ば呆気にとられつつも、養親の機嫌を損ねないようにすべく素直に頷いた。
「……はい。マスタータワーには四人で寄りました」
「認められたか」
「……ええ」
「ふん、まあよろしい。ではその力、見せていただこうかの」
 ウズは音もなく立ち上がった。薄紅の裳裾がさらりと流れ、香が甘く薫り立つ。
 白皙や背を流れる銀髪が月に照らされ、そこにはいかにも人間離れした物凄さがあった。
 サクヤはそれを呆然と見上げていた。ウズは何をしようと言うのだろう。

 どうどうと、滄溟が鳴る。
 ウズは頓着なく、浅瀬に草履の足を踏み出した。
 着物の裾が海水に浸かるのにも構わず、ウズは自らの手持ちのジュゴンの方へと歩み寄る。するとそれまでサクヤのゼニガメで遊んでいたジュゴンが、ゼニガメを放り出し、するりとウズの傍に寄り添った。ウズはその純白の毛皮に手を当て、慎重な緩やかな動作でジュゴンに横乗りになる。ジュゴンが尾で一つ海面を叩いた。
 ウズは月のような白い顔で、海のような青い領巾を被布の袖に絡めたサクヤを振り返った。
「随うて来やれ。海からでも、空からでも」


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