四つ子とメガシンカ 朝
翌朝目を覚ますと、マスタータワーの南の道が消えていた。
昨晩四つ子が歩いてきた海中の道が、青い海に没してしまっていたのである。現在いる場所とシャラシティの方角とを何度も見比べてみるけれど、やはり道がない。あったはずの道が消えている。
窓辺に立ってそれを見下ろすレイアに、セッカが飛びつく。
「しゅごい! 帰れない! れーや、どーしよー! 閉じ込められちゃったぁー!」
「いてぇっ……嬉しそうだな。潮の満ち引きで、道が消えるんだと」
「四つ子ちゃーん、おっはよー!」
そこに客室に飛び込んできたのは、シャラシティジムリーダーのコルニである。朝も早くからローラースケートで室内に踏み込んできた。
呆気にとられるレイアとセッカ、そして未だにベッドの上で微睡んでいるキョウキとサクヤを見回して、コルニはあっけらかんとして笑った。
「ごめん! どれが誰だかわかんないや!」
「ビオラさんやウルップさんは覚えててくれたのにぃ!」
「うー、ごめんってばぁ! あたしまだまだジムリーダー初心者だから? あんまり挑戦者さんのことまで見れてないっていうかさー……」
「それって、ジムリーダーとしてどうなんですかねぇ」
むくりと起き出したキョウキが微笑している。
「ジムリーダーたるもの、挑戦者の強さと個性を見極めたうえでバッジを渡して頂かないと――というのがポケモン協会の建前ではないのですか?」
「……キョウキ、お前、朝からうるさい……。コルニさん、何の御用ですか」
サクヤが目をこすりながらもぞもぞと動き出した。
コルニは機嫌よくローラースケートで客室内を動き回る。
「えっと、それが、おじいちゃんがね、四つ子を呼んで下でバトルさせろって言っててさあ」
「バトルっすか」
「そ。おじいちゃんも凄腕のトレーナーだから、そうやって四つ子ちゃんの実力を見極めようとしてるんだと思うよ。あたしが認めたトレーナーなんだから、強いのは当たり前なのにねー」
コルニは明るく笑い、四つ子に向かって親指を突き立てた。
「うん、四つ子ちゃんならメガシンカ使えるよ、あたしが保証するって! ま、あたしもまだメガシンカ使えないけどねー! あははっ、まあまあ、気にせずがんばって!」
「うん! ばんがる!」
セッカが勢い良く鼻を鳴らした。
客室を出て最初に視界に飛び込んでくるのは、巨大なメガルカリオの像だ。
螺旋状の坂を、転ばないように慎重に四つ子は下りた。その傍をコルニが猛スピードでローラースケートで駆け下る。
メガルカリオ像の正面で堂々と仁王立ちしていたのは、メガシンカおやじ――もといコンコンブル。老齢とは思えぬほど背筋をまっすぐに伸ばし、階上から現れたコルニと四つ子を強い視線で見据えた。
「おはよう。朝早くからよく来てくれた。コルニからも聞いたとは思うが、これから私の前でおぬしらのバトルを見せてもらおうと思う」
「あっ、コルニや昆布爺さんと戦うんじゃなくて、俺らの間で戦うんすか!」
四つ子は顔を見合わせた。片割れたちとの間でポケモンバトルをするのは久々だった。
コンコンブルは四つ子を順に見つめ、よく響く深い声で告げる。
「トレーナーよ。戦う理由は人それぞれ。しかし、果たしておぬしらのポケモンはおぬしらの想いを理解し、まことおぬしらの心に寄り添うて戦っているか? わしが見たいのはそれじゃ」
コンコンブルの隣ではコルニがうんうんと頷いているが、どうにも少女が祖父の言葉の内容を理解できているとは思えなかった。
四つ子は真面目にコンコンブルの言葉に耳を傾ける。
コンコンブルは四人に向かって、手を差し出した。
「おぬしらが得たメガストーンを、見せてみよ」
四つ子はそれぞれ懐から一つずつメガストーンを取り抱いた。四つ子の指の間にあるそれをコンコンブルは目を細めて見やり、頷いた。
「確かに。ヒトカゲを連れたおぬしのものはヘルガナイト、フシギダネを連れたおぬしのものはプテラナイト、ピカチュウを連れたおぬしのものはガブリアスナイト、ゼニガメを連れたおぬしのものはボスゴドラナイト。いずれも本物と見定めた」
専門家の鑑定を受けて本物であることが証明され、四つ子はほっと息をつく。もしこれが偽物であったとしたら、あるいは見当違いのポケモンに対応したメガストーンであったりしたら、ウズや四つ子の父親を笑いものにしても足りない。
「では四つ子よ、メガシンカを望むポケモンを」
コンコンブルの求めに応じ、四つ子はモンスターボールを一つずつ手に取り、解放した。
レイアのヘルガー、キョウキのプテラ、セッカのガブリアス、サクヤのボスゴドラ。
四体をコンコンブルは注意深く眺め、やはり頷いた。
「……良かろう。では、メガシンカを扱うにふさわしいかを見定めるべく、これより試験を始める。わしが認めた暁には、おぬしらにキーストーンを与える」
「試験内容は」
「そう急くな。良いか……わしが知りたいのは、おぬしらのポケモンがおぬしらと覚悟を共にしてあるかということ。ゆえにこれより……トレーナーの指示なしで、ポケモン自身の意志決定のみによって、この四体の間でマルチバトルを行ってもらうこととする。では準備を」
コンコンブルの告げた試験内容に、四つ子は視線を交わした。
一も二もなく、四体に間合いを取らせた。
ヘルガーとプテラ、ガブリアスとボスゴドラがマスタータワーの吹き抜けで睨み合う。
ポケモンの意志だけでのバトル。トレーナーの指示は不要ということで、四つ子自身はコンコンブルの傍に控えている。
コンコンブルが声を張り上げた。
「――始め!」
レイアのヘルガーは首を優雅にもたげ、四本の足でしっかと立っている。尾をゆらりと振る。
キョウキのプテラは羽ばたきし、高い位置で滞空している。
セッカのガブリアスは片手片膝をつき、いつでも飛び出せる状態にある。
サクヤのボスゴドラは四肢を静かに床について、砦のごとき構えの姿勢をとっていた。
四体とも、勝負を始める合図があっても、動かない。
ただ睨み合う。いつでも動けるよう全身に緊張は走っているが、いずれもぴくりとも動かない。
いつ技の応酬が始まってもおかしくない張りつめた空気の中で、四体とも動こうともしない。
四つ子も黙って立っている。その隣でコンコンブルは腕を組んだまま、黙って四体を睨んでいる。
マスタータワーの吹き抜けに、静寂が落ちた。
四つ子もコンコンブルも微動だにせず、何も言わない。四体は睨み合ったまま動かない。
コルニだけがそわそわとその四体の様子を伺い、ちらちらと四つ子やコンコンブルを見やった。そして恐る恐る口を開いた。
「…………えっと、あのー」
「静かにしておれ、コルニ」
「はいごめんなさい……」
祖父に窘められ、コルニは小さく肩を竦めた。
再び、静寂。
ヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラの間の睨み合いには、一瞬の隙も無い。どの一体がいつ動き始めてもおかしくないような緊張感に満ちている。しかし、四体とも行動するのを静かに我慢しているように見えた。誰がいつ動き出すかわからない。ポケモンの本能に従うならば、自分が先手を取り流れを掴むべき局面。
けれど四体は本能を抑え込んで動かない。
トレーナーの指示がないことは既にわかりきっている。四つ子はただただ四体に視線を注いでいる。ヘルガーもプテラもガブリアスもボスゴドラも、それぞれの主に指示を仰ぐような視線を送りもしない。ただ睨み合う。睨み合う。
沈黙が続いたのは、五分ほどだったか。それはひどく長い時間に思われた。
とうとうコンコンブルが、腕を組んだまま低くよく通る声を発した。
「――やめ」
「えっ、終わり? 今のがポケモンバトルだったわけ?」
驚いて口を挟むコルニをコンコンブルは睨んだ。
「たわけ。これがこの者たちの間での勝負であったというだけだ」
混乱するコルニを置いて、コンコンブルは四つ子に向き直った。ヘルガー、プテラ、ガブリアス、ボスゴドラは全身の緊張を解き、それぞれ楽な姿勢をとっている。四つ子は真面目な姿勢でコンコンブルに向き直った。
「……今、俺らの間でマルチバトルすると、こうなるっすけど」
赤いピアスのレイアが囁くと、コンコンブルは組んでいた腕を解いて頷いた。
「よく分かった。つまりおぬしらの間で争っている場合ではない、とな。ふむ……ポケモンたち自身もおぬしらトレーナーの事情をよくよく理解していると見た。ポケモンとの対話を怠らぬ心がけ、見事である」
コンコンブルは笑顔だった。四つ子にはその表情にいい感触を覚えた。
「おぬしたちなら、メガシンカを使いこなせよう。よかろう、キーストーンを授ける」
「うっひゃあ! ほんとっすか!」
「ほんともほんとじゃ。が、しばし待つがいい。キーストーンを使いやすくすべく加工せねばならんからな……」
そしてコンコンブルは四つ子の全身をじろりと眺め、それからヘルガーやプテラやガブリアスやボスゴドラを見やって、もう一度大きく頷いた。
「うむ、力に驕らぬ生き様、見せてもらった。これからもその強さの使い道、たがえぬように心せよ」
「うす」
「はい」
「ばんがります!」
「どうもありがとうございます」
四つ子はコンコンブルに向かって頭を下げた。コンコンブルは踵を返し、メガルカリオ像の台座部の小部屋に入っていった。
そうして四つ子とコルニはマスタータワーの一階のホールに取り残された。
コルニは腕を組み、首を傾げている。
「なんか、あたしにはよく分かんなかったなぁ。あんなのがバトルなの?」
「……確かにマルチバトルしろとは言われたけどよ、俺らは実際、俺らの間でバトルやってる場合じゃねぇんだよ。それをこいつらも分かってたってだけだ」
レイアがヘルガーの首を撫でながら答えるも、コルニは納得できていない。
「よく分かんないよ。あれじゃあヘルガーやプテラやガブリアスやボスゴドラの強さが分かんないじゃん。強いか分かんないのにメガシンカ使ってもいいだなんて、おじいちゃんは何考えてんだろ。全然分かんないよ」
そのままコルニは腕を組んで唸っていた。コルニはまだメガシンカを扱うための修行中の身であるためか、祖父の意図を理解しないらしかった。
しかし四つ子にもコンコンブルの考えをすべて理解できているわけではない。四つ子がやったことといえば、ただヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラを信じたことだけだ。その四体の行動が、たまたまコンコンブルの意に適っただけとしか考えられない。
セッカが頭の後ろで手を組み、メガルカリオ像の台座部を見つめた。
「……で、ここで待ってりゃ、キーストーンってのは貰えるわけ?」
「うーん、今はキーストーンを職人さんに加工してもらってるんだと思うよ。トレーナーによってはキーストーンを腕輪につけたり、ペンダントにつけたり、指輪にしたりピンにつけたりアンクレットにしたり、色々あるからね」
そう答えてコルニはぱんと手を打った。
「そうそう、キーストーンを渡すのって、マスタータワーの頂上だった! ついてきてよ四つ子ちゃん、そこでおじいちゃんを待とう!」
そう叫び、コルニはローラースケートで勢いよくマスタータワーの吹き抜けの外縁に作られた螺旋状の坂を駆け上がっていった。
四つ子は顔を見合わせ、それぞれヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラをモンスターボールに戻すと、のろのろとコルニのあとを追った。
マスタータワーはものすごく高かった。それを延々と頂上まで、吹き抜けの外縁に作られた螺旋状の坂道を登っていくのである。非常に、疲れる。かといって、キョウキのプテラやサクヤのチルタリスの背に乗って吹き抜けを上昇するのも、なんだか憚られるのだった。
コルニはよくもまあローラースケートで頂上まで楽々と向かえるものだと、四つ子は素直に感心した。