マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1484] 玉兎の空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:42:22   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



玉兎の空 下



 サクヤはメガシンカの解けたボスゴドラをモンスターボールに回し、ゼニガメを拾い上げ、霧の晴れた周囲を見回した。
 モチヅキの姿を探した。けれど見当たらない。もう街の病院に運ばれたのかもしれなかった。
 メガシンカしたポケモンたちのバトルの余波で、宮殿前の広場は芝生が荒れ、石畳がひっくり返り、ひどい有り様となっている。しかしさすが300年間この地に君臨し続けたパルファム宮殿はポケモン対策もばっちりであったと見えて、外壁の照明一つ落ちていない。
 警察にもマスコミにも、バトルの影響でか軽い負傷者が出ているらしい。
 しかしサクヤはそれらを無視し、チルタリスとニャオニクスを繰り出した。ニャオニクスにモチヅキとキョウキの居場所を探らせ、チルタリスにはコボクタウンに戻らせる。
 モチヅキは既にコボクタウンの病院にいる。
 キョウキはまだメガプテラの背に、東の山脈で榴火を乗せた紅いアブソルの姿を捜すも、どうやら見失ってしまったようだった。それでもキョウキはサクヤの元に戻るでもなく、そのまま東へ山脈を越え、ミアレタウンに向かっている。セッカの元へ行くつもりなのだろう。
 なら、サクヤはレイアを捜しに行かなければならない。
 だが、その前に。
 サクヤはどうしてもモチヅキに会わなければならなかった。


 夜は更ける。さやけき満月は空高い。
 コボクの荒れ果てた街に降り立つと、ニャオニクスの案内で病院を見つけさせる。サクヤは迷わず夜中の病院に飛び込み、受付も走って通り過ぎた。
 しかしニャオニクスに案内されたのは、固く閉ざされた手術室の扉の前だった。
 足が震える。
 ゼニガメが心配そうにサクヤの胸にしがみつく。ゼニガメを拾い上げ抱きしめて、サクヤは病院の廊下に座り込んだ。ようやく自分の右手を見て、その手にこびりついた汚れを見た。
 声もなく叫んだ。
 声さえ出さなければ、いくら泣き喚いても病院や手術の邪魔にはならない。ゼニガメを抱きしめて、全身を緊張させて、振り絞るように怒りを殺す。
 梨雪が殺された。レイアが殺されかけた。セッカも殺されかけた。ルシェドウも殺されかけた。キョウキも殺されかけた。次は、モチヅキだったのか、いや、サクヤだったかもしれないのだ。それだけでもない、他に何人の人間が、何体のポケモンが殺され、殺されかけてきたのか。榴火の手によって。
 病院のにおいが気持ち悪い。
 サクヤはよろよろと、薄明るい病院の廊下から逃げ出した。嫌なにおいの満ちた、死に近い場所から逃れる。同時にモチヅキから遠ざかる。怖くてたまらないが、月の光の下に逃げ込んだ。
 病院の植え込みの縁石にサクヤは腰かけ、ニャオニクスをボールに戻すと、ゼニガメを抱きしめる。
 ゼニガメはおとなしく抱きしめられ、慰めるかのようにサクヤの黒髪をにぎにぎした。
「ぜーに、ぜにぜに」
「…………もう嫌だ……」
「ぜに、ぜにぜにがー」
「レイアを……捜さないといけないのに…………」
 やる気が起きない。もしモチヅキに何かあったらと思うと、考えることすらできなかった。
 榴火やローザが目の前に立ちふさがっていたときは、本能に任せてメガボスゴドラに指示していればよかった。メガボスゴドラの意識に同調し、戦闘にのめり込むことが出来た。メガシンカはトレーナーを戦闘に引きずり込む。
 だからボスゴドラのメガシンカが解けてサクヤもバトルから解放されてみると、我に返ったように、反動のように恐怖が押し寄せてくる。誰かを傷つけていないか、何かを忘れていないだろうか。無性に怖くなる。
 戦闘の間、重傷を負ったモチヅキのことを忘れていた自分が、サクヤは恐ろしくて憎くて情けなくて、ただ悲しかった。
 バトルなど、ポケモンがするものなのだ。トレーナーまでそこに引きずり込まれれば、トレーナーは人の心を失う。そう――ただ目の前の敵を狩り続けることを考え、強い技だけを求め、あのミアレのエリートトレーナーを吹き飛ばした時のように。
 誰か他者のことを思うとき、人間は人間になれるのだ。
 サクヤはそのことに気付いた。
 人を愛しいと思った。


 円かな月が、傾いてゆく。
 冷ややかな夜半の風に身を震わす。
 サクヤはゼニガメだけを抱えて、葡萄茶の旅衣の中に肩を縮めながら、時折思い出したかのようにモチヅキがいるであろう手術室の前まで行った。二度目か三度目か、看護師に声をかけられた。そのまま待合室に連れて行かれ、モチヅキの手術は既にひと段落ついたことを知らされた。
 気を利かせた医師による手術の説明など、サクヤの頭には入らなかった。ただモチヅキが出血多量などで死ななくてよかった、とそれだけが頭の中を何十回もぐるぐると回っていた――出血多量で死ななくてよかった出血多量で死ななくてよかった出血多量で死ななくてよかった。サクヤの頭にあったのは出血多量による死の恐れだけだった。
 ゼニガメを抱きしめたサクヤは、無言のまま、泣くことはおろか見動きすらしなかったが、それが動揺の表れであることは病院の人間には分かったらしかった。夜中であるにもかかわらず、病院で働く一体の愛らしいプクリンが、待合室でずっとサクヤの傍に静かに付き添ってくれていた。
 プクリンは柔らかな手でサクヤの背中を何度も、いつまでも撫でてくれる。もう大丈夫だと言うように。その豊かな体型、きめ細かくしなやかな毛並みは、自然とサクヤに安心を覚えさせる。
 ゼニガメはいつの間にか甲羅の中に籠って眠っているようだった。
 プクリンはサクヤにぴったりと寄り添い、優しい子守歌を歌った。
 サクヤが眠っている間に、病院の者がサクヤの体に毛布をかけ、休憩室へと運んでいった。




 翌日、サクヤが目を覚ますと時は既に昼だった。
 眠っている間に場所を移されて困惑するゼニガメを抱えたサクヤを、一晩中その傍に付き添っていたプクリンが、とある病室へと導いていく。
 柔らかい声に背を押され、サクヤはゼニガメを抱きしめ、よろよろと白い病室に入った。
 モチヅキがいた。
 白いベッドに横たわったモチヅキは、膝下まである長い黒髪を緩く一つに束ねていた。それが昼の光の中でつやつやと豊かに流れていて、古代エンジュの淑女もかくあろうかというその黒髪の見事さにサクヤはいちいち感動する。
 モチヅキは起きていた。
 折りたたんだ新聞を相変わらずの仏頂面で眺めていたのだったが、サクヤが忍び足で病室に入ってきたことに気付くと、新聞をばさりと布団の上に置く。体を起こすことはせず、ただ腕を伸ばした。
 サクヤは慌ててゼニガメをベッドの上に置き、モチヅキの傍に膝をついてその手を取った。言葉が出ない。
 モチヅキもぼんやりと枕に顔をわずかに沈めて、サクヤの手を片手で触っていた。指先で爪の形などを確かめている。
 サクヤは気まずさに、引き結んだ唇をもごもごした。
 ゼニガメがけらけらと笑うが、こちらもいつものようにベッドの上で飛び跳ねたりなどはせず、おとなしくモチヅキの体に背中の甲羅を持たせかけて座っている。
 二人は何も言わなかった。
 まさかモチヅキは喋れなくなってしまったのかとサクヤが危惧するほど、病室には沈黙が下りていた。
 サクヤが気まずく視線を彷徨わせている隙に、モチヅキは目を閉じてしまっていた。
 起きているのか眠っているのか、もうサクヤには判別がつかない。しかしモチヅキに手を握られたままである。
 意を決して声をかけてみた。
「……あ……あの……モチヅキ様……」
 返事はない。
 サクヤはそれからさらに数分間狼狽した挙句、またもや心を固め、そうっとベッドの上に腰を下ろした。モチヅキはそれでも何も言わない。サクヤの手を取ったままである。
 やはりモチヅキは眠っているのかもしれない。
 サクヤが大きく息を吐くと、こらえていたゼニガメが耐え切れないといった様子で爆笑し出した。
「ぜ――にぜにぜにぜにぜに!」
「こらアクエリアス……静かにしろ」
 ゼニガメを嗜め、心なしか緊張しつつ、モチヅキの寝顔を見つめた。そして尊敬する人の寝顔を自分が見つめていることを意識した途端に、サクヤは一人で見悶えた。ゼニガメがさらに笑う。

 それからがさらに苦闘の時間だった。
 昨晩病院のプクリンが自分にしてくれたように、自分もモチヅキに寄り添うべきだろうか。いや、そんな恐れ多いことはとてもできない。しかし不安な時に傍に誰かがいるととても安心する。いや、それこそ思い上がりである。
 サクヤは一人で悶々とした。
 モチヅキに対して密かに抱いていたサクヤの願望として、モチヅキの解かれた黒髪に触りたいというものがある。つややかな髪を撫で、顔を埋めたい。いや、そのような事をすればサクヤの皮脂がモチヅキの髪についてしまう。とても恐れ多い。
 また別の願望としては、モチヅキにぴったりくっついて眠りたいというものがある。幼い頃は障りなくそれができたのだが、歳を経るにつれて片割れたちのからかいの視線が次第に鬱陶しく、旅に出てからは同じ屋根の下で眠るということすら滅多になく、稀にモチヅキにホテルに泊めてもらった時もツインを予約されてしまってはくっついて眠ることなど叶わない。
 さて、この機会にモチヅキに添い寝をしたものか。サクヤは至極真面目に悩んだ。
 しかし結局、諦めた。モチヅキは怪我人なのだ。うっかりサクヤの寝相のせいで傷を開かせるわけにはいかない。



 日が傾いてモチヅキが再び目を覚ますまで、サクヤは辛抱して寝台に腰かけ続けていた。モチヅキと手を繋いだまま。
 手持ちのポケモンたちは呆れかえっているかもしれない。
 夕陽の中でうつらうつらとしていたサクヤは、モチヅキの声で我に返った。
「…………サクヤ」
「は、はいっ」
 慌てて尻を寝台から落とし、床に膝をついてモチヅキの顔を覗き込む。
 臥したままのモチヅキは緩く微笑んだ。
「……心配をかけたか」
「いえ、そんな、あ、いや……心配しました……」
「それはすまなんだな」
 サクヤはふるふると頭を振る。ようやく緊張が解けて頬が緩んだ。
「本当に、ご無事でよかった」
「そなたもな」
 そのモチヅキの一言にサクヤは顔が熱くなるのを自覚した。榴火のアブソルが現れた時、モチヅキは咄嗟にサクヤを庇って、あのようなことになったのだ。
 自分の熱を、照れかと思った。
 違った。
 恥ずかしさでも、喜びでも、自身への怒りでもなかった。
 たった今モチヅキに気に掛けられたことが、どうしようもなく幸せだった。
 幸せのあまりサクヤは嗚咽した。
 もうゼニガメの爆笑も気にならなかった。


 モチヅキの指が緩やかに動いて、サクヤの額にかかる黒髪をかき上げる。
「……サクヤ……私のことはいいから、あと二人を」
「……はい……既にキョウキが、セッカの方に……」
「なら、そなたはレイアだ。居場所は分かるな。急いでやれ……もう何日も前だが、かなり狼狽していた様子だ」
 モチヅキに促され、サクヤは立ち上がる。袖で顔を拭った。
「……分かりました。モチヅキ様もお気をつけて」
「なに、私のことなら警察どもが厳重に守ってくれよう。片割れたちのことは大切にしてやれ」
「はい。行ってまいります」
 サクヤはゼニガメを抱き上げ、モチヅキに一礼した。緩く手を振るのに見送られ、名残惜しくも早足で病室を出る。病院を後にした。
 モチヅキはレイアのことも案じてくれている。
 だから急がなければならない。
 もう十六夜の月が昇り始めている。


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