ゲームのルール(中編)
悪いことが起こったとき、雨が降ることが多い。
つらいこと、冷たいこと、嫌だという気持ちを雨に反映させているのかもしれないし、読者の心の中にあるわだかまりを、読んだ後には水に流せるからかもしれない。
けれども今日は晴。
私を信じ、私が信じた者たちが死ぬ、その日の天気は、晴だった。
「ちょうどいいじゃないか」
毒吐き男は言う。今日は、俺にとって、悪くない日だ。
◇
先代から受け継いだ一軒家を後にして、私は車に乗り込んだ。
日本製のハイブリッドカーは、発車時に音をほとんど出さない。助手席にバシャーモを乗せ、車を走らせる。プレイヤーが減った今では、隠れる意味はあまりなかった。
彼の居場所はわからない。周到に隠れ、無数のわなを仕掛けた毒吐き男に近づくことは難しい。
そこで私は、彼の方から会いに来てもらうようにした。
毒吐き男を見かけた港のそばに車を止める。そこでバシャーモを下ろし、自分は車で埠頭の先まで行く。バシャーモは港に備え付けられたガントリークレーンの上まで上がる。クレーンはよくキリンに例えられる。バシャーモが立っているのがちょうどキリンの顔。その顔が燃え上がる。
赤と白のガントリークレーンが、晴天の元、バシャーモの炎で赤黒く染まっていく。私は、バシャーモが助けに来れないくらいの距離を取ってそれを見守る。
異常を発見した毒吐き男が現れる。バシャーモは呼ばずに、さらに遠くに移動してもらった。
「何のつもりだ」
毒吐き男は、怪訝な表情で、車の中の私を見る。
「君と話がしたかった」
「俺は、特に興味ないが」
私は助手席のドアを開ける。しかし、毒吐き男は乗り込もうとはしない。
「そんなに私が怖いかね」
「お前が外に出たらどうだ」
そういって毒吐き男はドラミドロに指示をして、運転席のドアを溶かした。私は声を出してわらう。
「何がおかしい?」
「最後まで生き残った同志だ。仲良くしようじゃないか」
「まだゲームは終わっていないし、お前はゲーム終了時まで生き残ることはできない。違うか」
私はボンネットに座り、一息ついてから首を横に振る。
「違わないさ。もう体がダメになった。お前はいったい何をした?」
毒吐き男は答える。ダムに毒をまいたと。
「遅延性の毒にした。多くの人間が飲んだ後に効くようにな」
毒吐き男は続ける。
「前にマリオネットを介して、チーム戦と言っていたな。お前らのチームのメンバーは、おそらく一人残らず死んだはずだ。この1か月の間に水道水を飲んだことのあるやつならな。何だったら、電話でもしてみたらどうだ。最後の会話になるかもしれない」
私は首を振る。
「世界が終わるというのに、人間の生き死にを気にしてどうする。もう、君の力に恐怖する者はおらんよ。人の感情を他人が制御することはできない。それは君が一番よく知っていよう」
「何の用だ。雑談をしている暇はない」
私はため息をつく。大きく。深く。世界を変えることができるのが私でなくてとてもつらい。そう思っているのは、ほかのプレイヤーも、傍観者たちも同じだろうか。
私は、ここに来た目的を果たすことにした。時間がないことはわかっている。けれども、目的を果たした後のモブは、暴れるだけ暴れた後は、消えるしかない。消える前のその余韻を味わいたかったのかもしれない。死んでしまった者たちを、思い出してあげたかったのかもしれない。
毒吐き男がせわしなく人差し指で車をたたく。彼の怒りを買えば、私はすぐにでも殺されてしまうだろう。
もう時間だ。
「私たちがマナフィを追いかけていたことは知っているね」
「俺が渡した奴だろう」
私はうなずく。
「あぁ、そうだ。マナフィは帰巣本能がある。マナフィが生まれた冷たく深い海の底に帰りたいという本能が。しかし、この世界に、彼の居場所はない」
「だから、お前たちはマナフィを奪い、泳がせた。”向こう側”への入り口を探るために」
「その通りだ。しかし、途中で邪魔が入った」
デンチュラ、そしてエーフィとの戦いを思い出す。彼、彼女たちはいまどうしているのだろう。そして、これからどうなるのだろう。立場は違っても、同じ思いを持った者たちは。特にエーフィのペアにはよく働いてもらった。自分たちの計画にそぐわない者たちの情報を少しちらつかせるだけで、彼らを殺してくれたのだから。最後には、彼を利用したせいで計画がばれ、マナフィが奪われてしまったのだが、今となってはどうでもいいことだ。
私は思い出を振り払うように咳払いをする。また少し吐血したが、無視して話を続ける。
「結局、マナフィはゲームマスターに再度奪われてしまった。これでゲームマスターに打ち勝つ方法がなくなったと思った。しかし、まだ希望があった」
一つはミミロル。しかし、ミミロルのことは伏せておく。もう一つの希望が、今は大事だ。
「その希望が、俺っていうんじゃないだろうな」
「君だよ」
毒吐き男は不愉快そうに私をにらみつける。殺されなかった理由、守られていた理由が分かったのだから、彼にとって、気分が良いものではなかっただろう。ケーシィを守る毒吐き男を守っていたのは、私たちのネットワークだ。このゲームにおいて、ポケモンの強弱はあまり問題にならない。
1キロほど先で、バシャーモの乗ったクレーンの先が燃え尽きて落ちた。キリンの首がもげたようだった。我々は、それを無視して話し続けた。
「我々の組織は君に賭けた。君がすでに”入り口”を見つけていることに。そして、君が入り口に入り、ゲームをリセットしてくれることに」
「アリサを殺して俺が動くように吹っ掛けたということか」
「その件は、申し訳なかった。ただ、我々には時間がなかったのだ」
毒吐き男の動きを察知して、制止する。私を殺せば、君の計画もふいになるぞと。私の話の続きを聞く必要があるのではないかと。
毒吐き男の感情の高まりを察し、ドラミドロの周囲からでる毒気がさらに強くなった。舌を回すことも難しい。しかし、私は伝えなければならない。
「俺はずっと、お前らの掌で踊っていただけか」
私は顔色の悪い毒吐き男に笑いかける。そんなことはないと。
「人間を制御することはできない。計画通りに事が運ぶのは、ゲームの中だけだろう」
「ここはゲームの中じゃないのか」
「現実よりも色鮮やかな思い出があるならば、私はそれをゲームに保管された記録の一つだとは思いたくないね。見てみたまえ」
私は東京湾の方へ振り返り、太陽の光に反射された海面に目を細める。
「私はこの世界が好きだ。君が、この世界の住人を愛したように」
「どうすればいい」
私はポケットから小さな鍵を取り出して、毒吐き男に渡した。黒くて小さな、普通の鍵。
「マナフィを奪われた代わりに、こんなものを手に入れた。役に立つかもしれない」
「ゲームマスターがそんなへまをするかな」
「罠かもしれない。あるいは、来てほしいと願っているのは、向こう側かもしれないな」
私は一つ嘘をついた。カギを手に入れたのは今日の朝だ。明らかに、ゲームマスターが何らかの意図をもって私のもとに置いた鍵。それを託した。何か聞きたそうな毒吐き男を遮って、私は車に戻る。その意図は、すぐに彼の知るところになるだろう。
「最後くらい、座って死なせてくれ。道端に倒れるのはみっともないからな」
そういって、私はドアのとれた車の運転席に乗り込み、静かに目を閉じた。
毒吐き男が去っていく気配がする。挨拶も何もない。彼にとって、私はただの駒なのだろう。ゲームマスターと同じように。いや、彼を駒のように扱ったのは、私なのかもしれない。
毒吐き男の代わりに、暖かな気配が近寄ってきた。つい最近であったようで、昔から感じていたような、暖かみ。
「バシャーモ。お前にも、いつか故郷ができるといいな」
バシャーモが私の手を握った。
この温かみは嘘か誠か。世界すべてが虚構だといわれた後には、このぬくもりこそが真実であるような、そんな気がした。
◇
明日世界が終わるといわれても、あまりピンとこない。
現実感がないという言葉を、この虚構世界で使う意味があるのかどうか、俺にはよくわからなかった。
ただ俺にはフレイヤがいて、”向こう側”につながる入り口があって、”向こう側”を開け放つ鍵がある。
日の出を待ってから、俺とフレイヤは東京湾に潜行した。ゲーム最終日が最も潮の巡りの良い日と一致するのは誰かが仕組んだことなのだろうか。忘れられた神殿のような、緑に染まった柱を潜り抜け、入り口にたどり着いた。
光のない穴。
永遠に続くかのような、黒い穴。
命綱を持ってきたが、海中に放り出した。戻る必要がないと思った。
俺は、ライトの出力を最大にして、フレイヤとともに穴に入った。
穴の内部は、ただただ黒い。
模様があるわけではなく、網がはってあるわけではなく、ただ通路としての機能だけを持たせただけの穴。
直進しているのか、曲がっているのか、あるいは戻っているのか、それさえもわからない。方向の感覚がない今、俺はフレイヤにすべてをゆだねた。
信頼、信用。少し違うかもしれない。
ただ、俺よりも感覚が鋭い者の動きを信じたのだ。それが、最善と信じたのだ。
方向だけではなく、時間の感覚さえもが失われつつあるとき、”声”がした。
「ようこそ、ゲーム プレイヤー」
ゲームマスターの声だった。
◇
「バシャーモのペアではなく、君が来るとはね」
「俺では不満か」
「不満も何も、私に選ぶ権利などないさ。ゲームマスターは、プレイヤーの代わりになれない」
「歓迎してくれるのか」
「さぁ、どうだろう」
「お前たちの目的はなんだ」
「長くなるよ」
「世界が終わるまでは、待ってやる」
ゲームマスターは笑って、それでも肯定の意を示した。
「いいよ、教えてあげよう。君たちは、誰かを殺すために作られたんじゃない。自ら消えるために、作られたんだ」
◇
始まりは、多人数プレイができる、ネットワーク上のポケモンという新しいゲームだった。
人工知能って知ってるかい。あれってね、意外と大したことがなくってね、頭悪いんだよ。どこが悪いのかというと、人間の脳を完全に模したものにできなかったんだね。動きを真似することはできる。でも、機能を真似することはできない。
それでも、人間の真似ができるソフトウェアってのは便利でね。一気に広まった。コンピュータの性能も高まり、ネットワーク状に人間の町の模型を作ることがはやった。それがもう10年も前の話になる。
ポケモンという大人気ゲームもそれに倣った。町を作り、モブキャラを作り、そこにプレイヤーが配置された。
でも、このゲームにはちょっと問題があってね。モブキャラが人間味に溢れすぎているんだ。それは困るということで、モブキャラはモブキャラらしく、手抜きしてすぐにそれと分かるようにした。
インフラが整った後は、ゲームの遊び方の問題に移った。
町があって、ポケモンがいて、疑似空間上でポケモンと触れ合えるっていうのは、まぁ確かにゲームとして面白かったんだけれども、ただ、やっぱりイベントが必要になるんだよね。課金してもらう必要もあったし。
そこで出てきたのが、やっぱりバトルだ。
しかし、あまりにもリアルになったポケモンを、見境なくやっつけるってのは倫理上よろしくない。
そこで、悪者を用意した。イベルタルだ。
「お前たちがイベルタルを操作していたのは、そのためか」
まぁ、焦るな。結論から言うと、あの黒い鳥は本物じゃない。本物は、第2階層で無色に殺された。階層って何かって、だから焦るな。このゲームの目的をまだ説明できてない。
さっきの話に戻るよ。
インフラとして整えられたゲームは、あくまでもプレイヤーたちが触れ合う場だった。殺しあう場じゃない。そこに悪者を設置して、何度でも殺せるようにしなくてはいけなかった。そこで、疑似プレイヤーを作った。人間味あふれすぎているからあえてバカにしていたモブたちの一部を、本物のプレイヤーと同じようにしたんだね。
その”賢い”悪者を、力を合わせて殺すこと。それがイベントだった。
しかし、疑似プレイヤーを何度も殺しては生き返らせを続けている間に、問題が発生した。ゲームのもともとの使われ方と違うことをしたから、いろんなところにデータが残ってしまって、消せなくなってしまったんだ。自我のようなものを持っているから、動きだけで本物のプレイヤーと疑似プレイヤーを判別することもできない。人間のプレイヤーだとすぐにわかるフラグを付けておけばよかったと思ったのも時すでに遅し。もう、バグにより増えてしまった疑似プレイヤーを消去できなくなってしまった。
そこで、いったんゲームを中止した。人間のプレイヤーにはすべていなくなってもらったんだ。システムメンテナンスと称してね。その時に動いているのが、疑似プレイヤーだ。
よし、あとは彼らを消すだけだ、となったところで手が止まる。
本物のプレイヤーと区別がつかないほどの人間性を持つ彼らを消す手段がなかったんだ。フラグもつけてないし。手作業で消すのはまぁ、無理。やるとしたら、ゲーム全体のデータを初期化しないといけなくなる。そんなことをしたら、システムメンテナンス期間を大幅に超えてしまう。それは嫌だ。
そこで生まれたのが、君たちの戦っているゲームだ。
君たちを相互に戦わせ、お互いでつぶしあってもらおうという魂胆だね。ポケモンを渡すという機能だけは完全に自動化できていたので、その機能を使って効率よくデータを消すことにしたわけだ。人間のデータは消せないけど、ポケモンを消すのは簡単。ポケモンふれあいゲームとしては、このシステムは優秀だったわけだ。本来、この世界に存在するモブは、感情のない人間モドキか、ポケモンだけになるはずだったのだから、本来の機能通りに動かしたともいえる。ついでに言っておくと、君たちの3か月は、僕らの世界では大体3日。これくらいなら、まぁシステムを止められないこともない。
また、チーム戦のように見せかけて、同じ色のプレイヤーを殺さなければいけないってルールにした。このほうが、最後に残ったのを3人にまで減らせる。3人くらいなら、徹夜すればデータ消去ができる。3分の1は無理だけど。
そして、力の均衡を保つために、2階層ルールを設定した。
簡単なことで、伝説や幻のポケモンたちをその階層に突っ込んだんだ。伝説が結託すると強すぎてパワーバランスが崩れるから、色も変えた。そして、最後はその階層で最強になったプレイヤーに、君たちがいる層、すなわち1階層目の残り全部を殺してもらおうと思った。それがまったく機能しなかったことは、君が一番よく知っているだろう。
さて、ほかに質問は。
「なぜ今になって俺の味方を?」
まぁ、上司と決裂したからだ、と見てもらって問題ないね。
「もう一つ」
なんだい。
「お前は今、ほかのだれかと一緒にいるのか」
あぁ、上司がいるよ。それがどうかした?
「いや、お前はすでに次が予測できていて、おもしろくない。お前の掌で踊っているようで」
掌で踊らされているのは、私たちのほうかもしれない。
「まぁ、驚いてくれる奴が残っていてくれてよかったよ」
そうだね。レールに沿った人生は味気がないものだ。私が言える立場ではないけれど。
「さて、最後の質問だ」
いいね。なんだろう。
俺は暗闇の向こう側に鍵を差し込む。
そして、3回扉をノックした。
ゆっくりと扉を開く。
部屋の中には2人。
薄ら笑いをしている小さな男と、赤い服を着て煙草を吸っている金髪の女。
男はおそらくゲームマスターだろう。
女のほうは、ゲームマスターが言っていた「上司」かもしれない。女は俺とフレイヤの姿を見て、呆然と煙草を口から落とす。
俺は、最後の質問を、ゲームマスターに向けて言う。
「ここは、何階層目だ」
ゲームマスターは答える。
「今までは、0階層目だった。君が来てからは、そうだな」
ゲームマスターは、笑いながら言った。
「聞いてみないとわからないな。私たちの、ゲームマスターに」
__