エピローグ
取引先から帰る途中だった。今使っているシステムに関する保守の定例会議があった。会話は技術だと思っていた。営業のマニュアルがあり、雑談のマニュアルがあり、交渉のマニュアルがある。そのマニュアルに忠実に従っていれば、顧客は満足する。この日も、いつものように顧客の話を熱心に聞き流した。顧客に対して申し訳ないことをしているのだろうかと、少し悩んだ。23歳になって一週間後の水曜日のことだった。
業務はもう終わった。会社には戻らないで直帰する。気が楽になったといわれればそうかもしれない。けれども、明日の業務を想像すると、心が暗くなる。
楽しいことなど何もない。新鮮だと感じることも、心がドキドキすることも、痛みを感じることさえも。喜怒哀楽が少しずつ平坦化されているような、そんな気がした。
僕はスマホを取り出し、最近始めたRPGのゲームを起動した。SNSでつながり、見えない相手と戦うこともある。攻撃的で、シンプルなゲーム。今を忘れることができるゲーム。
昨日の続きの今日にうんざりした日、ほんの少しばかりのスリルを求めて、僕らはゲーム機のスイッチを入れるのだ。
この世界は平坦だ。
ゲームのコマンドを入力するように、マニュアルに従って会話する僕がいる。
ゲームと日常の区別がつかないわけじゃない。
ただ、日常がゲームのように感じられることもある。ただ毎日、同じコマンドを打って、経験値を稼ぐだけのゲーム。ルールに沿って歩いていけば、いつの間にか終わってしまうような、そんなゲーム。
これが、この現実なのだと思った。
スマホを見ながら歩いていると、ほかの人にぶつかってしまった。
慌てて謝るけれど、相手は大きな声を出して僕に怒りをぶつける。そこまで言わなくても、と思い、スマホをしまって顔を上げる。
逆に文句を言おうかと思った。あなただってぼんやりしていたでしょうと。そこまで言うことはないでしょうと。
けれども、僕は、それができなかった。
目の前にいる女性が、あまりにもきれいだったから。
僕と目の前にいる女性との顔の距離は30cm程度。
美人というわけではないと思った。美しいと呼ぶにはあまりにもとがっていて主張が強そうに見える。目つきはひるむほど鋭かった。
こんな時に、なんていえばいいのか、マニュアルには載っていない。何をすればいいのか、わからない。もっと謝るべきか、強気に出るべきか、どっちだ?
僕の頭は真っ白になる。
あれ、そういえば、現実ってこういうものだったかもしれない。
ゲームよりかは、難しい。
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