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  [No.1556] 草上で食前酒 -Le Aperitif sur l'herbe 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:41:52   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe



 元フレア団員の同僚2人が、“パレード”後のカロス地方をのんびり旅する話。


・全16話/完結済
 総文字数は約11万字 /一話平均は約7000字

・ポケットモンスターX・Y本編を、とあるフレア団員の視点から。
・登場人物は基本的に2人だけ。ときどきフラダリ、AZ。


※Chapitre1-1は下の方にありますが、上のChapitre1-2の方から順に読んでいただいて構いません。



***

草上で食前酒 -Le Aperitif sur l'herbe (画像サイズ: 1520×1056 201kB)


  [No.1557] 登場人物メモ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:44:08   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]






草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe



登場人物メモ(2名)



◎リズ(Ryz)
 口調サンプル:「……すまん許せ、伝説のプチトマトよ」
 長めの黒髪、金茶色の瞳、褐色の肌。21歳の男性。
 生意気な性格、考え事が多い。
 ポケモントレーナー。元・フレア団所属の思想家。
 本名はオリュザ・メランクトーン(Ορυζα Μελαγχθων)。直訳すると『黒土の稲』。

<詳細>
・白Tシャツに紅色カーディガン、サルエルパンツ、サンダル。痩せぎす。
 ミアレ第一大学で法学や政治学、経済学、哲学の研究をしていた様子だが、かなりの異端児と見なされていたようだ。
 アルケーの谷出身。
・ちょくちょく真顔でボケを挟んだり他人をからかったりするお茶目さん。
 好きなものは思索と季節の美しい花、嫌いなものはゼルネアスとイベルタル。
・セキタイタウンの地下で生き埋めになった結果、全人生の記憶を喪失してしまったおっちょこちょい。
 元同僚だというセラに助けられつつ、失った記憶が戻るような刺激を求めてカロスをふらふらしている。

<手持ち>
・赤茶色統一。
 シシコ♂(アポロン)
 フラージェス♀(クローリス)
 ファイアロー♀(ヘスティア)
 ガチゴラス♀(レア)


***


◎セラ(Cera)
 口調サンプル:「お前の目こそ伝説のプチトマトじゃないのか?」
 短い白髪、銀紫色の瞳、灰色の肌。22歳の男性。
 勇敢な性格、我慢強い。
 ポケモントレーナー。元・フレア団所属の科学者。
 本名はケラスス・アルビノウァーヌス(Cerasus Albinovanus)。直訳すると『空白の桜』。ちなみにカロス地方では桜の花言葉は「私を忘れないで」だったりする。

<詳細>
・紺色ハイネックに黒ライダースジャケット、ジーンズ、ブーツ。割と筋肉質。
 ミアレ第十一大学で理学や工学、医学の研究をしていたようだ。
 アゾット王国出身。
・人懐っこく、気さくで爽やか。天才肌。
 好きなものは各地のスイーツと酒、嫌いなものは教会のお香のにおい。
・元同僚であるリズに記憶を取り戻させるため、彼と一緒にカロスをふらふらしているお人好し。

<手持ち>
・青紫色統一。
 ニャスパー♀(ディアナ)
 ギルガルド♂(マルス)
 オンバーン♂(メルクリウス)
 アマルルガ♀(アウローラ)






***

登場人物メモ (画像サイズ: 1056×1520 127kB)


  [No.1558] Chapitre1-2. 雨月のミアレシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:46:12   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre1-2. 雨月のミアレシティ



1月下旬 ミアレシティ


 ――カロスを守ったポケモントレーナーたち、そして新しいチャンピオンのため、多くの人がミアレシティに押し寄せた。


 凍て空の下。
 メディオプラザ、そしてそこから北西の方角にかけては凄まじい人だかりだった。
 冬の分厚い雲の切れ間から黄金の斜陽が差し込んで、ノエルの名残りのあるミアレの白石の街並みを栄光の色に染め上げている。街頭にはカロスエンブレムの縫い取りをされた旗が無数に閃き、祝福の紙吹雪が寒風に舞い、色とりどりの風船が氷空に上がる。
 絢爛豪華なファンファーレと熱狂的な歓声の渦の中。
 通りに敷かれた深紅の絨毯の上を、五人の子供たちが悠々と歩いてゆく。
 ローズ広場から、ミアレを貫く河を西北西へ下り、未来を象徴する新ゲートへと。
 そこではカロスのポケモン研究者を代表するプラターヌとその助手二名が、五人の子供たちを待ち受けている。
 そう、これはパレードだ。

 リズは相棒のシシコを膝の上に抱えて、傍らでニャスパーを抱えているセラと共に、そんなパレードの狂乱ぶりを見下ろしていた。
 ミアレの中心広場にそびえ立つプリズムタワーの頂上から。

 無数の七色の風船が西風にあおられ、ローズ広場の方角から2人のいるプリズムタワーの方まで流れてきていた。――この大量の風船はきっと、ミアレシティの東部でゴミになる。しかし誰も構いはしない。近代には既に、都市内の工場の煙が流れ込むミアレ東部は貧民街と設定されており、その名残でか現代もミアレ東部には貧しい移民しか住まない。早朝の街のゴミ集めはもっぱら移民の仕事だ。だから、効率のいい事この上ないのだ。
 幾万の風船が風に吹き流されるその光景はまるで、夕暮れに漂うフワンテの群れのようだった。何かが連れ去られるような。弔われる魂のような。野辺の煙のような。


 押し寄せる観衆の熱狂。
 歓迎される幼い英雄たち。
 年越しの残りのフウジョ産シャンパンのボトルが、あちこちで勢いよく開けられる爆音。
 空を飛び交う、飛行ポケモンやドラゴンポケモンに騎乗した、見物のトレーナー達。
 テレビ局や新聞社のヘリコプターの轟音。
 それらに追い散らされ羽ばたくヤヤコマの、火の粉のような羽毛の煌めき。
 遠いファンファーレ。
 警戒に当たる黒い制服の警官たち。
 微かにスピーカーに乗って聞こえる、遠いプラターヌの声。
 酔狂どもの宴。
 黄金の斜陽、白銀の曇天。
 リズとセラは、それらすべてをプリズムタワーの天辺から見下ろしていた。




「…………終わったんだな…………」
 叩き付ける厳冬の風の中、片膝を抱えたリズがぼやく。懐でまったりしているシシコの耳の後ろを掻いてやりながら。
「そう、終わった。でも私たちの日常は続いていく」
 その隣で膝の上にニャスパーを乗せ、ぷらぷらと足を蹴り上げていたセラが、冷然とした笑顔を崩さないまま相槌を打つ。
「フレア団の理想も、儚い徒花に過ぎなかったというだけだ」
「五人のガキに踏みにじられた、さしずめ道端の雑草ってとこか……」
「“たった五人の子供”という点を執拗に強調しているのは、あの純粋無垢な子供たちを神格化したがっている政府やポケモンリーグやマスコミのプロパガンダに過ぎないが。――実際には無名の人々による無数の工作があったんだろう。はてさて、その仕事料と口止め料のカネは、どこの誰が出したものやら」
「どうせ、あっこでふんぞり返ってる大博士でしょうよ……」
「プラターヌか。あの優男にそんな力があったとはね、いやはや昨今の高名なポケモン学者の政治力にはまったく恐れ入る」
 セラは短く切り整えられた白髪を風に揺らしながら、どこか楽しげにそう囁いた。その灰色の指先は、ニャスパーのやわらかい胸毛をを絶えずふにふにと弄んでいる。ニャスパーは眼を閉じ、くるくると微かに喉を鳴らす。
 シシコが伸びをし、毛づくろいを始めた。そこにニャスパーが飛びかかり、そのまま二つの毛玉はじゃれ合い始める。


 リズは溜息をついた。セラの話にまったく現実味が感じられなかった。
 横目でリズを一瞥したセラは、苦笑した。
「本当に忘れてるんだな、リズ…………」
 リズは肩をすくめた。
「ごめんね?」
「忘れたものは仕方ないさ。思い出していけばいいだけだ」
 セラは拗ねているわけでも、残念がるでも面白がるでもなかった。ただ淡々と、その視線の先をパレードに固定させたまま。
 そのセラのことすら、リズは覚えていないのだ。

「リズもといオリュザ・メランクトーンは、フレア団のせいで、全人生の記憶が消えてしまった」
「……はい、仰る通りです。だから、それを自業自得って言われてもピンと来ない」
「冤罪をなすりつけられているとしか思えないか?」
「そ。だから、これは陰謀だー。アンタも俺を嵌めようとしてるんだー」
 リズは伸ばしっぱなしの黒髪を強風に吹き散らされながら、諸手を挙げて大欠伸をする。
 シシコも、つられて大欠伸をした。
 それにつられて、ニャスパーが欠伸をする。
 さらに、セラもつられて欠伸をした。目を擦りながらゆったりと笑う。
「そう言われるのは心外だな。ミアレ第一大学の学術リポジトリを見てみるか? 文責がオリュザ・メランクトーンの、フレア団の思想の正当化を試みた論文が腐るほど出てくるぞ」
「マジか。誰だ、そんなことをしくさった不届き者は」
「お前だよ」


***


 昨年の、とある晩秋の日。まだ今から二ヶ月くらい前のこと。
 フレア団は壊滅した。
 追い詰められたフレア団のボスのフラダリは、エネルギーの装填が不完全な最終兵器を起動させた。その結果、最終兵器もろともフレア団の秘密基地とセキタイタウンを破壊し、自らを含む多くのフレア団員を死傷させた。フラダリの消息は依然として不明である。
 フラダリが最後の悪足掻きで最終兵器を動かしたせいで、当時そのセキタイのフレア団秘密基地にいたリズも、地中に生き埋めにされた。
 リズは昏睡状態で救助され、やがて病院で意識を取り戻したものの、その時には既にこれまでの全人生の記憶を失ってしまっていた――というわけである。


 リズは覚えていない。――自分がフレア団の一員として、何をしていたのか。自分がフレア団に何を求めていたのか。最終兵器が起動した日、フレア団が壊滅した晩秋の日のことも、まったく覚えていない。
 そしてフレア団での同僚だったという、セラの事すら、今のリズの記憶には残っていなかった。
 気づいたらリズは病院にいて、傍にはセラと、ポケモンたちだけがいた。




 吹き荒れる冬の風の中、無表情でパレードを眺めるリズの側頭部を、セラの灰色の指先がつついてくる。
「いつまでも冤罪をかぶせられた被害者面をしているわけにはいかないだろう。なに、私だってお前と傷の舐め合いをしたいわけじゃない。私はただ、お前に思い出してほしいんだ。――私のことを」
「なんで? 俺はアンタにプロポーズでもしたわけ?」
「……酷いなリズ、本当に忘れたのか……愛してるって言ったくせに……」
「マジで? PACS契約申請しなきゃな。で、出産予定日はいつだ、セラ?」
 すると、ニャスパーを撫でていたセラはとうとう噴き出した。背を丸め、口元に片手を当ててくつくつと笑い転げる。
「…………や、やっぱり、お前は変わらないな、リズ……」
「体は大事にしろよ、俺の子猫ちゃん」
「悪い。許してくれ。誓って私は男だし、お前とそういう関係になったことも一度もない。つまり妊娠の余地は無い」
「“セラ”なんて完全に女の名前なのにな」
「ちなみに、私のケラスス・アルビノウァーヌスという本名からセラという呼び名をつけたのは、他でもないお前だ」
「マジか。セラね、ケラススより数億倍は良い名前じゃん。よかったな」
「おま……何をぬけぬけと……」
 セラはひとしきり、鉄骨の縁で腹を抱えてぷるぷる震えていた。うっかりプリズムタワーの頂上から転落しないか、ニャスパーが瞬き一つせずにセラを見守っている。
 毛づくろいに勤しむシシコを抱えていたリズは、真顔を張り付けたままセラを観察していた。この感覚には覚えがある。――たしか、自分はこんな風にセラを笑わせるのが好きだったような。たぶん、ごく普通に仲の良い友達だったのだと思う。
 その事故の起きた晩秋の日までは。
 ごうごうと風が渦巻いている。


***


 破壊の炎は潰えた。
 さながら、灯火が凍てつく冬の大風に吹き飛ばされるように、呆気なくかき消えた。
 五人の若き勇者たちの手で、悪は滅ぼされた。
 この新年のパレードは、その勇者たちの功績を讃えるもの。そして利己的なテロリストを冷酷に断罪するものだ。

 カロスじゅうを席巻した文明の利器・ホロキャスターを生み出したフラダリラボは、テロリストの温床だった。
 フラダリラボの代表がまさにその首謀者であったという事実は、カロス地方を震撼させた。
 と同時に、鮮やかな掌返しがあちらこちらで見られた。
 政府も、ポケモンリーグも、経済界も、マスコミも、フラダリラボのこき下ろしに躍起になった。
 実に鮮やかな手際だった。
 全員、共犯者だったくせに。――とセラは笑っていた。
 政府もポケモン協会も経済界もマスコミも、暗黙の了解とでもいうのか、互いに互いのフレア団とのつながりを告発するようなことはなかった。そんなことをすればカロス地方はお終いだからだ。もちろん、カロス地方の人々のことを考えたわけではなく、誰も彼もが自らの保身を第一に考えて最適行動を選択した結果に過ぎないのだろうけれど。

 そんな政治と経済と報道の全員一致の協力により作り上げられた、その中で最も目を引く催し物が、この“パレード”なのである。
 五人の子供たちを英雄化する。
 フレア団を絶対的な悪とする。
 フラダリラボに便宜を図っていた政治も経済も報道も、全責任をフレア団に転嫁する。
 世間の批判の目を、フレア団だけに向けさせる。
 そのためのパレードだ。

 警察もメディアも、リズやセラに見向きもしない。
 フレア団がカロスの社会に根付いているということを一般市民に認識させたくないのだろう、とセラは言う。
 この盛大なパレードで区切りをつけて、それきりフレア団の記憶を風化させて、政治や経済や報道の後ろ暗い部分を探られないようにしようという魂胆なのだろう。
 そうして、フレア団は忘れられていく。
 フレア団の理想を描いてみせた思想家も、フレア団の技術を生み出した科学者も、誰しもの記憶から消えていく。




「世間から忘れ去られるのはむしろ好都合だが、お前にまで忘れられるのはおかしいだろう。だから早く私を思い出せ、リズ……そして一緒に恥かいて泣こう。それが今の私の望みだ」
 セラはそんなことを言いつつ、脇に置いていた紙袋の中からがさごそと何かを取り出している。
 不意に漂ってきた甘い香りに、リズは身を引いた。
「……待て、なんだそれは」
「え、ガレット・デ・ロワだろう? 今年に入ってから何個目だと思ってるんだ?」
「それはこっちの台詞だ。今年に入ってから何個目だと思ってるんだ」
 ガレット・デ・ロワは新年を祝うためのカロスの伝統菓子で、ミアレで見られるのはアーモンドクリームを挟んだパイ生地の丸いケーキである。年明けからカロスじゅうのブーランジェリーやパティスリーで見られるようになるが、セラがこれをいそいそと紙袋から取り出すのをリズが目にするのは、年明けに病院で意識を回復してから実に5度目だった。
 ひと月足らずで、もう5個目だ。
「今回はおしゃれな月桂樹の模様のにしてみた」
「見れば分かるわ」
 その直径は20cmはある。確実にリズの分もある。
 げんなりしつつ、リズはガレット・デ・ロワから視線を逸らした。
「……さてはアンタ、俺を肥育して肝臓をフォアグラにして食っちまおうってハラだな」
「人を食人鬼みたいに」
「説明がつかねぇだろ。俺とアンタって、そんなに仲良い……と、友達、だったのか?」
「なぜそこでどもる。さてはお前、友達いないだろう」
 言いつつセラはニャスパーにガレット・デ・ロワを念力で四つに割らせている。パイ生地は崩れないし、クリームは少しもはみ出なかった。見事な合同形の90度の扇形のケーキが2人と2匹に分け与えられる。リズとシシコと、セラとニャスパーと。
 さっそくガレットに豪快に食いつき、一口飲み込むと、セラはからかう調子で言葉を継いだ。
「そうだな、私たちは友達だった。一緒に食事をしたり、噛み合わない会話をしたりする程度には仲が良かった」
「お、おお……友達だな」
「友達が困っていたら助けるのは当然だ。とりあえず今はそういう事にしておこう」
「含みのある言い方が気になるんだけど」
「色々あるんだよ。でもそれもお前が思い出してくれないと意味がないんだ。察しろ」
 無茶を言い放ち、セラはもさもさと甘いパイを飲み込んでいる。
 リズは深く溜息をついてみた。――つまり、セラが自分を助けてくれる理由も思い出せという事か。


 そこでセラは、素敵な玩具でも見つけた子供のように華やいだ声を上げた。
「見ろリズ、やっと私が当たりだ」
 その灰色の指先がパイ生地の中から、陶器製の小さなサーナイトの人形を取り出す。フェーヴと呼ばれる、ガレット・デ・ロワの中に一つだけ仕込まれているくじのようなものだ。様々なデザインのものがあるが、今回はたまたまサーナイトだった。
 アーモンドクリームのたっぷりくっついた精巧な人形を、リズは隣から凝視する。
「背徳的な気分になるのはなぜだろうか……」
「お前の心が汚れているせいだ。マダム・カルネのメガサーナイトに滅されてこい」
そう笑いつつセラは銀紫の瞳を細めて、フェーヴを西の空にかざした。
「今年はいいことがあるだろう」
「俺はもう既に4つフェーヴ当てたがな」
「ならお前は、私の四倍の幸福に恵まれるだろうよ。おめでとう。きっとその中で私のことも思い出してくれるだろうね」
「アンタの俺への熱い想いに、感動とドン引きを通り越して恐怖を覚える。マジでどんな関係だったんだろう、俺ら……」
 甘いケーキを咀嚼する。薄く苦い思考が強引にとろかされていく。
 リズとセラはフレア団での同僚だった、という。そして信頼し合う友人同士であった、らしい。でなければ、記憶喪失になったリズをセラがこうまで熱心に面倒を見てくれることの説明がつかない、はずだ。
 なのにリズはセラのことを忘れてしまった。

「…………アンタのことを思い出さないと、なんか死ぬより酷い目に遭いそうな気がするんだ」
「終いにゃオーベムを捕まえてきてお前の脳みそいじってでも思い出させるよ」
「……なんで俺はこんな物騒な奴と組んでたんだろうな……」
「私の方が聞きたいな」
 セラは銀紫の瞳を細め、風の中で笑っている。
 その優雅な横顔から視線を外し、リズは唇を舐めた。鼻を鳴らす。
「………………ド甘いな」
「カフェに寄って茶でも飲むか?」
「そうだな、いいかげん寒い」
「明日もソルドを見たいな。旅の用意をしよう……あちこち回れば、きっとお前も思い出す」
 そうだな、とリズも頷いた。今のリズの行動の重大な指針はセラなのだから、従う以外の選択肢が存在しない。


 年明けのカロスでは、ソルドと呼ばれる年に二度しかない大安売りが行われている。古い在庫商品が安くで売られるため、高価なブランド物などが特に人気で、毎回カロスじゅうのお洒落好きがデパートに押しかけることになる。
 今日の昼間だって、リズはセラに連れられ、ミアレのソルドを見て回った。

 そこでリズが買ったものは、ブランド物などではなく、ただの――花切鋏だった。

 なぜそれを買おうと思ったのかは、わからない。
 ただリズはその花切鋏を見た時、自分はこれを手にし、季節の美しい花々を切り取り、手の中に収めたり花瓶に挿したりして楽しんでいた、それだけが鮮烈に思い出されたのだ。それがリズの最初に取り戻した“自分”だった。
 手に取ればますますしっくり来て、リズはそれをこっそり買ってしまったのだ。
 今この時も、銀色の花切鋏の持ち手を右手で握っていると、ひどく心が安らぐ。
 美しいものを手に入れたい。
 自然のない街中でなく、カロスの美しい野原や森へ出かけていきたい。きっと季節ごとに美しい花が咲いているだろう。その花々を摘み取って手中に収めたい。
 その感覚が、記憶を失った今のリズの数少ない拠り所の一つなのだった。
 セラと、花切鋏だけが、今のリズの心を動かす。
 雨の降りそうな厳冬の曇天の下、プリズムタワーの天辺でパレードを眺めながら、リズは右手で手慰みに鋏を弄んでいた。

「じゃあ行こうか」
 そう言ってニャスパーを抱えたセラが軽い動作で立ち上がるので、シシコを肩に担ぎ上げたリズものんびりとそれに倣い、大通りを見下ろしつつ立ち上がる――花切鋏を手にしたまま。
 ぽん、と右肩を叩かれた。
 振り返ると、リズは、セラに右手を掴まれていた。
 手にしていた花切鋏を、奪われそうになっていた。
「え? アンタ、何を――」
 驚いてセラと押し合いになりかけ、あ、と思った時には、リズは足を滑らせていた。
 プリズムタワーから落ち、た。
 背中から、墜落する。



 その時、プリズムタワーが点灯した。
 ばつん、と大きな音がした。

 日没に合わせて照明塔全体が銀色に発光すると同時に、五色の光がきらきらと眩く点滅する――のを、プリズムタワーの頂から突き落とされたリズは見ている。
 ダイヤモンドフラッシュだ、などと、シシコを抱きしめ、花切鋏を右手に握りしめ、落下しながら呑気に思う。

 間髪入れず、ニャスパーを抱えたセラもまた鉄塔から飛び降りている。
 はて、無理心中であろうか。

 パレードの行われている大通りも、遥かに広がる光の都ミアレの街並みも、街灯が点され光の河となっている。
 ノエルの名残りのイルミネーションが街を彩っている。
 街路樹は黒い針のような枝をさらして寒々としているけれど、叩き付ける強風は肺まで凍らせるけれど、その輝く街はまるで雲の上の星空を丸ごと地上にうつしたような、幻想的な光景で。

 かつてリズとセラがフレア団の一員として壊そうとした光景だ。
 きっと何かが憎くて、壊そうとしたのだ。だからこの美しさには、きっと裏がある。
 しかし、2人にはそれを壊せなかったのだ。それにも何か、理由があったはずで。
 リズがそれを忘れているだけで。



 リズの左手は自然と動いた。腰のベルト、後ろから二番目の位置のモンスターボールを一つ手に取る。セラの無理心中に素直に付き合ってやるほどお人好しではない。ロックを解除し開放する。
「ヘスティア」
 直感と寸分違わず、ファイアローが現れる。
 赤く燃え盛る翼が、煌めくプリズムタワーと夜の境界を焼き尽くす。疾風の翼を持つ烈火ポケモンの背に抱き止められ、リズはその自由に飛翔するに委ねた。
 同じく落下したセラなど心配にも及ばない。無音だ。が、おそらくセラの手持ちのオンバーンの背で安穏としていることだろう。かすかに残っていたリズの記憶の残滓がそう告げる。
 おそらく、セラとしてもちょっとしたショック療法のつもりだったのだろう。セラなりのお茶目だ。残念ながら、プリズムタワーの天辺から落ちたくらいでは、リズの記憶が戻るほどの大した刺激にはならないらしいのだが。


 ファイアローとオンバーンの翼が冬風を縫う。
 ダイヤモンドフラッシュを起こす、鉄とガラスの五角柱。
 黄金や虹色の電飾に飾られた、枝ばかりのプラタナスやマロニエの並木。
 白い石造りの7階建てのアパルトマン群。
 青鈍色の屋根。
 ぼこぼことキノコのように突き出た茶色い煙突。
 閃くカロスエンブレムの旗。
 広場の人だかり。
 通りの影。
 石畳。
 色々な人の顔。
 暗雲と幽かな金の残照。
 リズはファイアローの背から見ていた。
 オンバーンの背にあるセラと視線が交錯する。ふと、彼に微笑まれた。どこか寂しげに。


 思い出せたらいいな、とリズは花切鋏を握りしめ、呑気に思った。
 唯一の知り合いであるセラに、あまり寂しそうな表情はさせたくない。






Chapitre1-2. 雨月のミアレシティ END


  [No.1559] Chapitre1-3. 風月のフウジョタウン 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:47:58   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre1-3. 風月のフウジョタウン



2月下旬 フウジョタウン


 猛烈な強風をものともせず、ファイアローとオンバーンは飛翔する。
 どこまでも連なるなだらかな白銀の丘陵。
 雪を蹴散らすグラエナとポチエナの群れ。
 葉を落とした、密な針山のような森林。
 農家のミルホッグが見張りをしている、白雪に覆われた葡萄畑、小麦畑、野菜畑。
 ポニータの駆ける牧場。
 石造りの小さな村。
 コアルヒーの遊ぶ、紺碧に泡立つ土色の大河。
 景色は流れる。
 風はひどく冷たく、酷く強い。
 点在する村の教会の祭壇から東の方角を確認しつつ、北東へ、北東へとファイアローとオンバーンを駆る。
 冬空はただひたすらに灰色の曇天。雪でも降りそうだ。
 草木は寒風に揉まれ、人の気配を示す石垣も寒々しい。
 けれど時折、視界の端には村々の薄黄のミモザや、淡紅のアーモンドの花の色が閃く。

 セラはオンバーンの背で姿勢を低くしながら、先行するファイアローとその背にしがみついているリズを見やった。
 常に羽ばたき続けて高度を一定に保っているセラのオンバーンと異なり、リズのファイアローは羽ばたいて上昇しては翼を休めて滑空しというふうに、波のように常に上下に揺らめいていた。
 滑空中は羽ばたく必要がないために体力が温存されるのかもしれないが、その背で揺られるリズは気分が悪くならないのだろうかとセラは思う。リズは伸ばしっぱなしの黒髪を風に吹き散らされながら、ファイアローの緋色の背中の羽毛にもっふり埋まっている。暖かそうだ。少し羨ましくなった。
 前を行くファイアローの熱の恩恵には、セラのオンバーンも与っている。オンバーンは寒さを苦手とするから、ファイアローが風を作りしかも空気を温めてくれるとかなり体力が温存できるのだ。だからオンバーンはファイアローに競争心を煽られることもなく、楽な二番手を堅持しているのである。
 行く手に、白銀の山嶺が見えてきた。フロストケイブを抱く北東の山脈だ。
 頬に氷の破片がぶつかってくる。
「あと少しだ、メルクリウス。頑張ってくれ」
 セラは鞄から手探りでヤチェの実を取り出すと、前方の宙に投げる。それをオンバーンが上手に顎で捉えた。これで氷雪を凌いでもらうしかない。
 降り始めた雪の向こう、フウジョタウンの光は既に見えている。
 18時頃だった。遥か背後に日が沈む。


***


 フウジョタウンの中央広場にファイアローとオンバーンを折り立たせ、それぞれのトレーナーは疲労の溜まった飛行ポケモンをモンスターボールに休ませてやった。その足でポケモンセンターに入っていく。
 空を飛んだ二体はバトルをして傷ついたわけではないから、回復機械にかけるほどの消耗具合ではない。ボールの中でゆっくりさせれば足りるだろう。
 セラは受付で宿舎のツインルームの鍵を受け取ると、どこかぼんやりとしているリズを引き連れてエスカレーターに乗り、ポケモンセンターの階上へ向かった。

 ポケモンセンターというのは不思議な施設だ。病院とホテル、レストラン、カフェ、図書館、役所、トレーニングジム等々が一体になったようなものだ。
 農業と水運と観光を産業の基盤とするところのフウジョタウンも、立派なポケモンセンターを持っていた。
 正面ホールは3階まで開放的な吹き抜けになっており、1階の受付のカウンターは広い。左右の明るく清潔なロビーでは低いテーブルとソファに数多くのトレーナー達が憩い、ポケスロンの様子を映す大画面のテレビの前は大人気で、また壁面に沿っては巨大な書架がずらりと立ち並びポケモンに関連する書籍が豊富に揃えられている。水ポケモンを放すためのプールもあるし、炎ポケモンを温めるための暖炉もある。奥には格闘ポケモンも満足の室内トレーニング施設が供えられているはずだ。
 2階にはレストランやカフェやビストロやバー、フレンドリィショップ、人間のための診療所、各種行政手続きの窓口などもある。
 そして3階から上は、ポケモントレーナーのための宿舎だ。
 ホールにはポケモンの鳴き声が満ち、吹き抜けには空飛ぶポケモンがのびのびと飛び回っている。

「……ミアレのとあんま変わらないんだな」
「ポケモンセンターは都市の一等地を買い上げて建てられるから、敷地面積などによって構造を変える必要があまりないんだろう」
「でも朝起きた時、今どこの町にいるか分からなくなりそうだな」
「トレーナーを安心させるためだから仕方ない。ポケモンセンターは“どの町からでも帰れる家”である必要があるから」
 ツインルームに入り、2人はひとまずそれぞれのベッドを見定めて荷物を置く。ベッドはけして上等とは言えないけれど、十分安眠はできそうだ。なにより部屋は乾いてしっかり暖められている。
 とりあえず当面の宿に満足すると、セラはリズに笑いかけた。
「まだ十年くらい前じゃなかったか、ポケモン協会はカロス各地の立派な教会とか貴族の城館とかを壊して、近代的で巨大なポケモンセンターを大都市に造った」
「……そりゃ、さぞや反対の声もでかかったでしょうね」
「そう、景観保全や文化遺産保全などを理由として、ポケモンセンター建設反対運動はカロスじゅうで大規模な盛り上がりを見せた。けれど、それもいつの間にか封殺されてしまった」
「……おー怖い怖い。ミアレにプリズムタワー造った時と同じか?」
「まさしく。まあそのプリズムタワーも、万国博覧会後にミアレジムに接収されたわけだが」
「酷いオチだ」
「あの照明塔は今でこそミアレのシンボルになっているが、そんなところを預からされるジムリーダーにはむしろ心から同情するよ、私は」

 言いつつセラは黒のジャケットを脱いでハンガーにかけ、クローゼットに収納した。それからモンスターボールからニャスパーを出し、そのふわふわの毛並みを楽しみつつそっと抱き上げる。
 つられるようにリズもシシコをボールから出すが、こちらは膝の上に乗せたまま立とうとはしない。
「私はビストロで夕食にしてこようかな。リズはどうする?」
「……うーん、寝る」
「わかった。カーディガンは脱いでおけよ。Bonne nuit, Riz」
 早くもシシコと共に横になっている友の肩をぽすぽすと軽く叩いてやって、セラはニャスパーと共に部屋を出た。


 リズの記憶が戻らない。
 セラのことを覚えていない。
 今年の1月にミアレの病院で目覚めてから一ヶ月、リズはずっとこの調子だ。昔のように面白おかしく冗談は口にするものの、ぼんやりとしている時間帯が多い。一日の半分ほどを睡眠に費やすのも、かつては三日に一度しか眠らなくても怒涛の勢いで論文を生産していた彼を思えば、異常でしかない。記憶障害の副作用なのだろうか。
 ビストロでニャスパーと一緒に肉と白インゲンの煮込みとバゲット、赤ワインという夕食をとりながら、セラはうっかり頭を抱えた。
 うーんと唸りつつ地元産のワインをあおって、セラは考えるのをやめた。
 ――リズを信じるしかない。刺激はいくらでもあるのだし、一つずつ反応を試してみればいい。





 ポケモンセンターの宿舎の、ガラス窓の向こう。
 蒲公英の綿毛のような雪が、風に煽られて舞い飛んでいる。
 風車のある石造りのフウジョの街並みは、フラスコ画のようだった。
 朝の8時ごろだろうか、ようやく山脈の向こうで冬の太陽が昇り始めたような気配がある。
 薄暗い朝の部屋の中。
 ニャスパーが耳の傍で微かに、みうと鳴く。

 うつ伏せに眠っていたセラは、枕元にリズがぼんやりと突っ立っていることに気付いてびくりとした。ちなみに2人とも寝起きのため下着くらいしか身に着けていない――多くのカロスの人間は冬ですら寝るときにほとんど服を着ないものだ。
「うわ。どうしたリズ、目覚めのキスでもしてくれるのか?」
「目が……覚めたんで……」
「なるほど。いいぞ、ほら来いよ。私の頬はいつでも空いている」
 セラが上体を起こして右頬を差し出すと、リズの人差し指がぶすりと刺さった。
「リズ、それはキスとは言わない」
「なんかモモンの実みたいだと思ってつい」
「お前はモモンを見たら指先で押すのか。あれはつついたところから腐り出すんだ、まったく迷惑極まりないなお前は。金輪際、果物屋には近づいてくれるなよ」
 金茶色の瞳を瞬いているリズを、セラはベッドに腰かけたまま見上げる。
 リズはぼんやりとセラを見下ろしてきている。パンツ一丁で。友人とはいえ、そしてセラも同じ格好とはいえ、なかなか衝撃的な目覚めだ。
 とりあえず見つめ合ってみた。パンツ一丁で。

「どうした。何か思い出したか、リズ?」
「…………ずっと前にも、アンタとここに来たということは……思い出した」
「そうだな。……ずっと前にも、お前は私のベッドに――」
「……そしておもむろにアンタは意味深な手招きをし――」
「一夜の過ちを捏造するな」
「あー怒られた。アンタが先に悪乗りしたのに、怒られた。………………思い出せない。俺たちはここで何をした?」
 リズが力なく苦笑している。
 その目が混乱に陥っているのを見て取って、セラはあーあと首を振った。
「推理してごらん。私に聞くまでもなく分かるはずだ。この街のことを調べれば」
「アンタに訊いた方が早いのに」
「私は教えたくないな、お前が苦しむ姿をもっと見ていたい」
「俺はアンタが愉悦に浸っている姿を見たくない」
「朝から私の笑顔が拝めるなんて最高だろう? さて、ブーランジェリーで朝のバゲットでも買ってこよう」
 セラは立ち上がって大きく伸びをすると、未だにぼんやりとしているリズを振り返って笑った。
「ほら何をぼさっと突っ立ってるリズ、服を着ろ。それとも目覚めのキスをご所望か?」



 ヒャッコクシティ方面から流れてきた河と、南のチャンピオンロード方面から流れてきた河の合流地点にフウジョタウンは作られている。
 この地は水はけのよいケスタ地形で、葡萄の栽培が盛んである。スパークリングワインが特に有名だ。
 また北側に広がる針葉樹林が北風と霜を防ぎ、二つの河のもたらす湿度が寒さを中和し、さらには石灰岩まじりの泥土が広がる――という恵まれた環境が、穀物や野菜を育てる。中世から大規模農業が続けられてきた、フウジョはカロスの誇る一大農業都市だ。そうした豊富な農産物は水運によってカロス各地に運ばれている。

 雪の降る中、ニャスパーを抱えたセラとシシコを担いだリズは傘もささずに、焼き立てのパンのにおいを辿ってフウジョの街を歩く。
 街そのものは大きくはない。広場から少し歩けば、合流する二つの大河と、雪に覆われた田園風景が見られる。畑には枯木のような背の低い葡萄の木が並んで、綿雪を浴びてしんと静まり返っていた。
 地元の人々に立ち混じって焼きたてのバゲットを二つ買い求め、むき出しのまま手に取り持って帰る。

 雪と寒風の中、香ばしいバゲットの端を齧りながらセラとリズは並んで歩いた。石畳は凍って滑りやすくなっているので、足元に注意しながら。シシコとニャスパーにもそれぞれのバゲットの反対側の端を齧らせてやる。
「……かたいな」
「リズ、本格的に頭は大丈夫か? ……これで殴れば、正気も記憶も取り戻すのか?」
「やめとけ、セラ。アンタが傷害罪で起訴されるところは俺も見たくない」
「お前はヘタレだな」
「むしろイケメンじゃなかったか、今のは」
「私をダシにして己の身を守ろうという浅薄さが気に入らなかった」
「ああ言えばこう言う……」
 二人仲良く並んでバゲットの端を齧りつつ、雪の残る畑の傍の道を歩く。
 そして道端に早春のミモザの黄色い花を目に止め、リズが立ち止まった。もくもくとバゲットを齧りながら。
「どうした?」
「……綺麗だな」
 言いつつリズはバゲットを口にくわえると、のんびりとミモザの木に寄っていった。ベルトから銀の花切鋏を取り出し、いとも自然な動作で黄金の花束を手の中に生み出す。慣れた手つきだった。
 セラは溜息をついた。
「相変わらず、だな」
「……ひえいあああああ」
「そうだな、綺麗な花だな」
「……ん」
 リズとシシコはバゲットを咀嚼しつつ、手の中のミモザの花にじいと見入っている。ほのかな甘い早春の香りを嗅ぎ取り、目を閉じる。

 その時、近くでグラエナの吠え声が聞こえた。
 雪を蹴る音。
 また、何かのポケモンの、喉を引き絞るような悲鳴。


 リズとセラはバゲットから口を離さないまま、ちらりと視線を交わす。
「……こんな人里近くで、グラエナか。遠吠えは聞こえなかったよな。物騒な……」
「ミルホッグぽかったな、今の鳴き声は。ちなみにミルホッグといえばフウジョ辺りには、農家が農作物を野生ポケモンから守るために、ミルホッグを畑の見張りに立てるという伝統がある」
 セラが知識を披露すると、リズはバゲットを食いちぎった。つまみ食いのつもりが、すでに半分ほどをそのまま食べてしまっている。たまたま立ち寄ったブーランジェリーだったが、かなりの当たりだった。次は焼きたてのクロワッサンなど買ってみたいところだ。
「……つまり、野生のグラエナに、農家のミルホッグが襲われた、と」
「十中八九そうだろう」
「……グラエナが農家を襲ってまで、農作物を奪いに来たわけか? 秋まき小麦の芽でも狙っているのか? グラエナが?」
「いやむしろ、ミルホッグそのものが獲物だった可能性の方が高いだろうさ」
 セラが意見を述べる。

 バゲットをもぐもぐやりつつも、リズの金茶の瞳が思案に沈む。手の中のミモザの花を見つめる。
「……フウジョ付近に生息するグラエナは、冬季は一般的には、野生のミネズミやウリムーを群れで襲い食す……らしい」
「そうなのか。ミネズミの匂いがしたからミルホッグが狙われたんだろうか」
「だがグラエナは賢い、人が飼うポケモンを襲うことは滅多にしない。最近のグラエナはポケモントレーナーの脅威を群れの内部に伝達しているから、人間を避けるようになっている。……にもかかわらず今、農家のミルホッグを襲ったわけだ……」
「ちなみにだ、リズ。人の所有権の及ぶポケモンが危害にさらされている場合、それを察知できたトレーナーにはそれを救助する義務があるということを知ってるか?」
「……トレーナー法第23条第1項だろう、新人トレーナーでも知っている。当該条項に定められた義務の履行を怠ったトレーナーには1万円以下の罰金の支払いが命じられる。善意無過失の証明責任はトレーナー側に存するが、その証明は一般に非常に困難だ。――で、アンタは俺を誰だと思ってるんだ、セラ」
 リズは鼻を鳴らした。これでもミアレ第一大学の法学者なのだ。
「……リズは、リズだな」
 セラもくすりと笑った。
 2人はグラエナの遠吠えと、ミルホッグの悲鳴の聞こえてきた方角を見やった。雪が舞い上がっている。
 グラエナは複数いるようだ。
 セラとリズはモンスターボールをそれぞれ一つずつ、開く。
「行こうか、マルス」
「……頼む、クローリス」
 セラはギルガルドを、リズは赤い花のフラージェスを繰り出した。


 セラのよく通る声が響く。
「マルス、“影討ち”で先手を取れ。“聖なる剣”でグラエナを追い払え」
 盾を構えていたギルガルドが抜身の状態になり、盾を振り回す勢いで自らの刀身でグラエナに斬りかかっていく。

「クローリス、“ムーンフォース”」
 リズの半ば直感に基づく指示に、フラージェスは素直に従った。ごく当然のように、むしろどこか嬉々として。
 深紅の花弁を揺らしながら、眩い光を放つ。

 唐突に割り込んできた第三者の攻撃をさばけるほど、その野生のグラエナの群れは経験を積んでいなかった。群れの連携を乱され、統率を失って逃げ回る。
 グラエナの群れの集中攻撃を受けていた農家のミルホッグは、ぐったりとはしているがどうやら瀕死で済んだらしい。早めにポケモンセンターに連れていけば問題なく回復するだろう。


 騎士の如きギルガルドと女帝の如きフラージェスの優雅な戦いぶりを、2人は畑の傍の道路でバゲットを齧りつつのんびり眺めていた。
「リズ、思い出したか?」
「何をだ?」
「お前と私で、光の石と闇の石を交換したな。それでフラエッテだったお前のクローリスと、ニダンギルだった私のマルスが進化したんだ」
「そんなこともあったっけな。……その、すごく……と、友達っぽいな……」
「そこは照れるんだな」
 もぐもぐ。2人とも、シシコとニャスパーにも齧らせているにしても、今朝買ったばかりのバゲットを既に3分の2ほど消費してしまっている。もぐもぐもぐもぐ。
「そ、れは置いといて……セラ、なんでグラエナが農家のミルホッグを襲ったんだとアンタは考えてる?」
「さて。ところで、フウジョ付近のグラエナの最大の天敵って、マンムーじゃないか? もちろんマンムーは草食だけど、グラエナが獲物のウリムーを襲撃した際、往々にしてその仲間のマンムーに返り討ちにされることってあるよな」
 それだけ答えを与えておいて、セラは相手の反応を窺う。
 リズはバゲットから口を離した。顎の動きが止まる。
 ギルガルドとフラージェスはグラエナの群れを追い払い終えて、倒れたミルホッグの傍で2人の指示を待っている。

 リズの表情が緩やかに変わっていく。
「…………マンムーが減ったのか…………?」
 その金茶色の瞳が翳るのを、セラは満足げに見ていた。
「当たり」
「ウリムーを守る大人のマンムーがいなくなったから、グラエナがウリムーを食い尽くしたんだ。そして去年はグラエナが増えて……それで獲物が足りなくなったのか……それで人のポケモンを襲うようになった? …………いや、何か違う?」
 セラはますます笑った。
「思い出したか?」
 リズは手の中のミモザの花に視線を落とした。
「…………ああ……ちょうど一年前、このフウジョで……マンムーを狩ったのは俺たちだったな」
 その時もリズはこのミモザの花を美しいと嘆じ、切り取った。それを記憶の引き金に、2月の記憶が蘇る。
「…………10番道路の列石に繋ぐ生贄にしたんだ」



***


 2月は末でも、雪は深かった。
 早朝、空はまだ深夜のように暗い。
 フロストケイブに通ずる雪道、一面に雪化粧を施されたモミやトウヒの針葉樹林、その中の小さな空き地。
 五頭の野生のマンムーが倒れていた。

 白衣を身に纏った科学者――ケラススが、瀕死のマンムーを一頭ずつハイパーボールに押し込めていく。無表情だった。機械的な作業だった。
 が、その銀紫の瞳の色から、苛立っていることをオリュザは見抜く。

 オリュザは全身を黒いスーツに身を包んでいた。その手の中には、摘んだばかりの黄金色のミモザの花束。つい先ほどフウジョの街の道端で見つけて、その美しさに心奪われ、ついついお気に入りの花切鋏で切ってきてしまったのだ。
 ミモザの花の甘い香りを楽しみながら、オリュザはのんびりとケラススに声をかけた。

「おい、また捕獲率の曲線とやらが想定と違ったのか?」
「……やはり非自発的情動モデルの限界か、だがそうなると性質固定理論との整合性がとれなくなる、やはり特防の法則が、いや成長曲線との均衡点が右方にシフトすることによってまた抵抗値が下がるということか、しかしその場合には次元効率との対応の説明がつかない、ここで以前の母集団平均の検定結果を参照すると、……ああそうだ駄目だ棄却だ棄却駄目だ駄目駄目駄目じゃあいちど個性変数を固定して」
「そうか、俺には理数系はよく分からんが。ポケモンを対象とした実験については、携帯獣愛護法第52条においてポケモンに過重な負担を課してはならないということが定められているが、俺の解釈によると、我が国の憲法においてポケモンはカロスの発展に寄与すべしとされていることと、ベトベター解剖事件の最高裁判例との整合性を鑑みるに、まず当条項におけるポケモンの過重な負担というものの定義は」
 そこでオリュザは口を噤んだ。

 ケラススが、自らの腕にヒトツキの青布の部分を巻き付けている。
 憑りつかれたように白衣の科学者はヒトツキの刀身を振り上げ、一体だけボールに収納されずにいた瀕死のマンムーに向かって容赦なく振り下ろした。
 オリュザはその背後で片眉を上げる。
「……何をしている、理論家。それ以上は携帯獣愛護法第6条に抵触する恐れがあるが」
「黙れ、夢想家。私はいま標本収集と測定に忙しい、抵抗理論の修正が迫られている……」


 三度切り付け、ケラススはこともなげにヒトツキの青布を腕から引きはがすと、深く傷ついたその不運なマンムーをハイパーボールに収めた。元よりそのマンムーに抵抗する力など微塵も残されていないだろうとオリュザは思うのだが、すっかりおとなしくなったボールを手に、ケラススはご満悦のようだった。
「そうだろうな。そうだろうさ。わかっていたことだ。つまらないな」
「アンタが楽しそうでよかったよ……いっちょ景気づけに踊るか? うちのクローリスが花吹雪してくれるってよ」
 オリュザは、傍らに浮遊している自分のフラベベを見やった。血色の花にしがみついている小さなフラベベは、先ほどから血の雫のような花弁を撒き散らしながらくるくるくるくるくるくると同じところを何度も回っている。
 はてフラベベの頭は大丈夫だろうかとオリュザが首を傾げているところに、ヒトツキの柄を片手で握ったままのケラススの冷笑が浴びせられる。

「お前はポケモンが傷つけられても、ずいぶん平然としているんだな」
「そりゃアンタな、人間がポケモンのために生きてどうするよ。アンタだって同じだろ。どうせこのマンムーどもも生体エネルギーを吸い尽くされて死ぬんだろう、別に今さらどうも思いやしねえよ」
「お前は、ポケモンの権利は否定派か」
「そうだな。むしろポケモンは世界から絶滅させるべきだとも思うしな。ポケモンがいなければ戦争の犠牲者は9割方減るだろうよ。俺は平和主義者なんだ」
 オリュザは手の中のミモザの花束を掲げ、肩をすくめてみせる。
 ケラススは鼻で笑う。
 雪もミモザの花もヒトツキもフラベベも、仲間のマンムーを助けようとして逆に命を奪われたものたちで赤く汚れていた。
 そのにおいを嗅ぎつけたグラエナの群れの遠吠えが、近くなっている。





Chapitre1-3. 風月のフウジョタウン END


  [No.1624] 誤字訂正 投稿者:訂正者   投稿日:2018/02/25(Sun) 08:27:14   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

フウジョタウンの中央広場にファイアローとオンバーンを折り立たせ、
→フウジョタウンの中央広場にファイアローとオンバーンを降り立たせ、
折り立たせ→降り立たせ


  [No.1560] Chapitre2-1. 芽月のメイスイタウン 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:49:30   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre2-1. 芽月のメイスイタウン



3月下旬 メイスイタウン


 遠くまで、早春の丘は背の低い葡萄の木に覆われている。
 芽が出る前に剪定作業が済まされ、数本残されただけの黒い枝は刺々しく、葡萄畑は荒涼とした荒れ地のようになっていた。
 その中で背伸びをして抜け目なく周囲を睨みまわしているミルホッグは、葡萄畑を野生のポケモンから守る役目を担う農家のポケモンだ。フウジョの畑と同じだった。

 春の気配はある。
 野には真紅のアネモネの花畑が一面に広がり、花にしがみついた小さな野生のフラベベがふわふわと漂い始めている。
 新緑の森の地面には黄水仙が群れ咲き、道端には淡い色のチューリップが花開く。
 メイスイタウンの街角は華やかな黄金色のミモザの花に飾られていた。微かな芳香に誘われ、早くも雄のミツハニーが街中を飛びまわっている。とはいえ、まだ3月のメイスイは昼間も気温が10℃を超えることはない。寒さを苦手とするミツハニーが凍え死にしないことを願うばかりだ。
 澄んだ河面。
 淡い空色のコアルヒーや純白のスワンナが数羽、ぬるむ水に遊んでいる。
 その傍を、いくつか白いボートが行き交う。
 河畔に立ち並ぶ糸杉は、天を支える氷柱のよう。
 昼下がりである。曇り空の下、その河岸には昼休憩中の学生だろうか、若者たちがたむろし昼食のバゲットサンドイッチや赤ワインのボトルを手に手に語り合っている。
 そんな透明水彩画のようなのどかなメイスイの風景を、リズとセラの2人は河岸を歩きながら眺めていた。


「……メイスイって、河の印象しかねぇな……」
 シシコを肩に担いでぼやくリズの手の中には、柔らかな色彩溢れる花束が生まれている。野で春の花を見つけるたびに片端から花切鋏で摘んでいたら、いつの間にかこうなっていた。
「実際、今のメイスイは運河クルーズの中核都市として有名だからな」
 ニャスパーを抱きかかえたセラが微笑んで相槌を打つ。
 リズはふうんと鼻を鳴らした。
「……クルーズか。楽しいのか?」
「嫌だなリズ、去年も一緒に川下りを楽しんだだろう?」
「……マジかよ。俺とアンタで?」
「そうだよ。お前と私で、立派なクルーズ船に乗ってだ」
 セラの銀紫色の瞳は、リズとは反対側、右手の大河に向けられている。その水面には糸杉の影がいくつも連なって映っていた。
 リズは気まずく肩をすくめる。記憶にないのだから仕方ないが、さすがにセラに対して申し訳ない。
「……悪かったな、覚えてなくて」
「いいんだよ。ただ、楽しかったな」
「……俺らって一緒に観光するぐらい、仲良かったんだな……」
「厳密には観光ではなかったな。営業活動だ」
 一言ぼそりと呟くと、セラはリズを振り返った。にっこりと笑みを浮かべる。

 リズは思わず半身を引いた。
「…………な、なんすか、ムッシュー……?」
「思い出したか?」
 セラはただそれだけ、笑顔でリズに尋ねた。
 リズは渋面を作り、手元に作った美しい色とりどりの花束に視線を落とす。
「…………思い出さねえぞ。俺は先月のフウジョで既に学んだ。アンタは俺に、フレア団時代の思い出の土地を巡らせてんだろ、そうだろ?」
「さすがだな。その通りだ」
「…………だとすると、アンタの誘導に従って思い出していっても、ロクな記憶が戻らねえだろう?」
 実際、先月セラに連れてこられたフウジョタウンでリズが取り戻した記憶といえば、野生のウリムーやイノムーを大量虐殺した上、その群れを守っていたマンムーを必要以上に痛めつけて生贄用に捕獲する――という胸糞悪いことこの上ないものだった。


 一度思い出した記憶は、昨日のことのようにまざまざと瞼の裏に蘇る。
 一面の白雪に、手にした早春のミモザの花に、セラがその手で操るヒトツキに、リズが連れていたフラベベに、こびりついた赤錆色。
 唾を飲み込み、リズはさらに一歩退くと、微笑んでいる元同僚を睨みつけた。
「俺らが悪人だってことはもう分かった」
「いや、お前は分かっていない。何一つ大事なことを思い出せていないよ、お前は」
「これ以上のことを俺らはしでかしたってのか。そんなことを俺に思い出させてどうなる? そのうち…………お前のことも、嫌いになるぞ」
「私のことを心配してくれるのか、リズ? その気持ちは有り難く受け取っておくが、あいにく私はお前に嫌われることなどとっくに覚悟の上だ。大事なことはそれではない」
 セラは背筋を伸ばしたままリズをまっすぐ見つめ返し、微笑を浮かべたまま、けして揺れることのない声音でそう言い放った。

 やはりリズがこのような反応を示すのも、セラの想定通りだったということだ。
 ただ、セラがぶれないという事実に対して、少なからず安堵している部分もリズにはあった。リズは自分の失われた記憶に関心がないわけではない。セラがそれを妨げないのはむしろ好都合だった。
 ――そうはいっても。

 リズはかぶりを振る。セラの向こう側に横たわる、大河に映る糸杉の影を見つめる。
「セラ…………アンタにとっての、アンタの言う、『大事なこと』ってのは何なんだ?」
「何度も言っているだろう、リズが私のことを思い出してくれることだ。その結果お前が私を愛そうが憎もうが、私は一向に構わない。すべてを思い出した上でお前がけじめをつけてくれることだけを、私は望んでいる」
「……俺はアンタと、何か約束でもしたのか?」
「さて、どうだろう? ただ、去年のこの時期、お前が私と運河クルーズを楽しんだことは間違いがない。――行こうリズ、行けばきっと思い出すさ」
 そう笑いかけて、ニャスパーを抱えたセラはさっさと歩き出してしまった。
 リズは釈然としないながらも、ぶうぶうと鳴いていたシシコを肩に担ぎ直すと、セラの斜め後ろをついていく。
 はぐらかされている、という感じはしなかった。
 セラの目的ははっきりしているし、それはリズ自身の目的とも合致している。結局は自分が思い出さなければ、過去のセラのことも、そして現在のセラのことも何一つ分からないのだ。


***


 それから時間を合わせて、河岸へと2人は向かう。
 メイスイタウンから船で河を西に下っていくと、ハクダンの森を抜け、どこまでも広がる葡萄畑や花畑を見渡し、そしてショボンヌ城やパルファム宮殿、バトルシャトーをはじめとする美しい古城の数々を目にすることができる。カロスらしさの濃縮された風景を心行くまで堪能できる、超人気観光プログラムである。
 今は3月、森や野に早春の花は咲き始めているものの、まだまだ強烈な寒さだ。ところがその観光客の少ない時分を見計らって観光クルーズを楽しむ者も、必ず一定数はいる。
 それに含まれるのがリズとセラ、――ではない。

 セラが観光会社の人間と何やら話をしている後ろで、リズは腕の中のシシコと共に、河畔からぼんやりと船溜まりを眺めていた。
「船、でけえな」
 シシコが毛づくろいの動きを止め、ぶむうと鳴いて相槌を打つ。
 それは想像していたような、ボートのような小さな舟ではない。
 ホエルオーほどもありそうな、白い巨大なクルーズ船が停泊していた。船内に立派な寝室もレストランも備え付けられているものだ。海でも渡れそうだ。


「どうだリズ、この船のクルーズ代金は一回数十万円もするらしいぞ。それにタダで乗れるだなんて私たちはラッキーだな」
 いつの間にか観光会社との話を終えていたセラが、リズの右隣りに並び立つ。2人の腕の中のシシコとニャスパーがみいみいにいにいと船を見つめながら鳴き交わし始める。
 リズは溜息をついてみせた。やはりこれは見せかけだけでない、本物の豪華客船のようだった。
「……ペアチケットが抽選で当たった、ってわけでもないんだろ?」
「そう。ところで運河クルーズというのはこの通り、沢山のお金を貰う代わりに最高のサービスを提供するビジネスだ。だから顧客の安全というのは死守すべきポイントになる」
「…………――俺らは、獣払いってとこか」
「相変わらず察しが良くて助かる、腐っても天才学者オリュザ・メランクトーン様だな」
 セラに茶化されても、リズは溜息をつくばかりだった。

 セラは首を傾げる。
「なんだ、せっかく人が褒めてるのに」
「うるせえな、俺は腐っても天才学者オリュザ・メランクトーン様だぞ。……この時期のセントラルカロスからコーストカロスにかけての川沿いに生息するポケモン、考えただけで眩暈がするわ」
「ほう、参考までに聞かせてもらおうか。何が懸案事項だ?」
「…………これから春にかけて多くのポケモンが繁殖期に入り気性が荒くなる……シザリガーやギャラドスに船底を破られる可能性もあるだろうよ……あと目の血走ったゴルダックに念力で船体丸ごと持ち上げられるとか、スワンナの群れに空襲されるとか……河口付近じゃ、ドラミドロが最大の難敵だ…………」
「なるほど、そりゃ大変だ。頑張ろうな、リズ」
 セラは緩く笑っていた。
 リズは片手で額を押さえた。
「………………いや、マジで無理だって、アローラ地方のハギギシリとかいないと無理だって………………」
「ちなみに、船の護衛を務めるトレーナーが私たち2人だけとは、私は一言も言っていない」
「畜生この野郎」

 そしてメイスイタウンからショウヨウシティまで、一ヶ月かけて大河を下るクルーズの旅が始まった。


***


 クルーズの開始は正午だった。
 メイスイの船溜まりを離れ、土色の大河を、純白の豪華客船が突き進む。
 セラとリズはその甲板の縁にもたれかかり、のんびりと周辺ののどかな田園風景を眺めていた。
 河岸にはポプラやオーク、ニレ、ハシバミ、カラマツなどから成る混合林。
 メェークルやミルタンク、ポニータの群れがのんびりと春草を食む牧場。
 ヒナゲシやアネモネの真紅の絨毯、やわらかな緑にうずもれる純白の雛菊、青紫の矢車草、黄色のキンポウゲ、淡青のリネンの花畑。川沿いの村にはアーモンドや林檎、梨、杏、桃、ミモザが花盛りだ。
 リズはお気に入りの花切鋏でそれら美しい花々を摘みに行きたくてたまらないのだが、次から次へと現れる花畑にこれは摘み切れないと諦め、おとなしくセラと2人で広い甲板での見張りを務めている。
 進化したばかりであろう野生のバタフリーや花園の模様のビビヨンが広々とした花畑にひらひらと舞い遊び、2人と同じく甲板に出ていた観光客が盛んに写真を撮っている。
 時折森の向こうに、おとぎ話に登場するような美しい古城が現れる。

 夕方ごろには、ハクダンの森を抜けていく。
 銀灰色の幹を持つ春のブナは上方でぱらぱらと若葉をつける。また、この地方に産するワインやコニャックの熟成に欠かせない樽の材料となるナラの大木がいくつもそびえ立っている。それらの枝葉の間を、野生のピカチュウの黄色、バオップの朱色、ヒヤップの薄青が時折かすめる。新緑色のヤナップを森の中に見つけられる者は稀だ。
 薄紫のヒヤシンス、黄水仙、純白の鈴蘭などの花畑が木漏れ日の下でそよ風に揺れる。
 森は新緑に満ちている。


 ハクダンの森を抜ければ、どこまでも広がる丘陵地帯に一面に葡萄畑が広がっていた。ハクダンシティの周辺はワインの一大生産地だ。
 その夜は船はハクダンシティに停泊する。
 河はハクダンの西側で西へと屈曲し、そのまま西へコボクタウンを通り抜け、7番道路“リビエールライン”に沿って流れ、ショウヨウシティの北で西の大海に流れ込むことになる。


***


 日没は20時ごろで、その頃に船内のレストランで夕食となった。
 船内の豪華なレストランで、純白のテーブルクロスの敷かれたテーブルにリズとセラは向かい合って座っていた。
 レストランには豪奢なシャンデリアがまばゆい光を放つ。
 卓上にはリズを呆けさせる美しい早春の花々が飾られている。
 燦然と輝くワイングラスやら銀器やらは規則正しく並べられている。
 2人がボールから出して連れ歩いていたシシコとニャスパーは特別待遇を受け、背の高い椅子に座らされて2人と同じテーブルについていた。

 セラは気取る様子も気後れする様子もなく、真白のナプキンをジーンズの膝の上に広げる。そして正面の席のリズに美しく微笑みかけた。
「緊張するか、リズ」
「……いや、そうでもねえけど」
「だろうな。お前のことだ、学界だとかフラダリ様の紹介だとかで、パーティーなんて日常茶飯事だったろうさ」
「……覚えてねえがな」
「ところで、もしかして私たちは周囲からはゲイカップルに見えてやしないだろうか?」
「…………気にしたら負けだ」
 周囲のテーブルを見ても、このような洒落た運河クルーズに参加しているのはたいてい夫婦や恋人同士という男女のカップルだった。国外からの観光客ならまだ家族連れや同性の友達同士も多かったのだろうが、季節が季節だけに、カップルで休暇を取ってきた国内観光客が多かったのである。


 食前酒と前菜が運ばれてくる。ハクダン産赤ワインと、ハムとパセリのゼリー寄せだった。
 乾杯してから、おもむろに食事を開始する。
「ちなみにリズは、ポケモン肉は平気か?」
「……多分、大丈夫だっただろうな。あんな事を平然としでかす人間だったんだもんな、俺は」
「そうだな。私も、今も昔もポケモン肉に抵抗はない。あまりこういう公共の場では大きな声では話せないが、秋の狩猟解禁でとれたジビエなんかは好きだね」
「……カモネギとかケンホロウとかホルビーとかメブキジカとかイノムーとかな……」
「コウジンの名産になっているコダックのフォアグラは、さすがにあの肥育は少し可哀想だとは思うけど、美味いものは美味いから仕方がない。ノエルのメイン料理の定番になっているし。果ては世界三大珍味と持ち上げられちゃ、国としても引きようがないだろう」
 前菜に使われているハムは、バネブーだった。
 他のテーブルを見れば、肉や魚を拒否し野菜だけで作られた前菜を口にしている者たちも少なくはない。そうした者たちは肉を口にする人々を見ないふりして、一流シェフの手によるカロス料理を堪能していた。

 リズの中に眠っていた知識が、はらりと紐解かれる。
「…………ポケモン畜産法がポケモン愛護法に優先することについて、法学会では長年激しい論戦が交わされてきた」
「らしいね。しょっちゅう訴訟にもなるし、よく聞く話だ」
 セラは優雅に赤ワインのグラスを傾ける。
 リズは香草と共にゼリー寄せにされたバネブーの肉を切り刻みながら、知識を辿る。
「……カロス地方は人権発祥の地だ。ポケモンの知能の高さが科学的に立証されるにつれ、ポケモンの権利を主張するポケモン愛護派の思想が台頭するのは当然の流れだった」
「そうだな」
「……だが、同様にカロス地方においては古代からポケモンを家畜として飼育しその血肉を利用する伝統が根付いている。ポケモン愛護派の主張は携帯獣愛護法となってカロスの法体系にも組み入れられたが、一方でカロスにおけるポケモン畜産業は聖域とされた。いやカロスだけじゃない、どの国だってそうだ」
「で、オリュザ先生のご見解は?」
「許容されるべきだ。なぜなら、一つには国内世論の動向、ポケモン畜産を許容する市民が今なお大多数を占めており、現実問題として現在の愛護法改正に至ることはないだろう。二つめに、ポケモン畜産業を制限することはカロス経済に計り知れない打撃を与えることになるからだ。三つめには、経済のみでなく、ポケモンの畜産を行うことによってカロスの生態系が保たれているという点も看過できない。また四つめには、仮に畜産を制限するにしても、その線引きの難しさが挙げられる、ミルタンクを殖やして乳を搾るだけ搾り取るのはなぜ許されるかという問題だ。さらに五つめ、国外からのポケモン肉の輸出入を制限するとなれば諸外国との軋轢は必至。次いで六つめ――」
「あ、うん、もういいぞリズ、声が大きくなりかかってるからな」
 リズとしてはまだ自分の主張の根拠はあと十ほどは挙げられたのだが、セラに止められてすぐに口を噤むほどの理性はあった。
 なかなかきわどい話題を口にしていたのだが、僅かに顔を顰めていたのは給仕係のみだった。幸い周囲の観光客はそれぞれのおしゃべりに夢中で、リズの話のせいで興を殺がれた様子は見られない。


 落ち着き払って静かにナイフとフォークを皿の上に置き、リズはまたもや溜息をついた。
「あー…………俺は自分が怖い…………」
「私は好きだけどな」
「……あのねセラ。俺は、ポケモンは好きだ。死ぬためだけに生かされるポケモンが可哀想だとも思う。でも、俺はどうやら、ポケモンと人間の間に一線を引いているようだ……」
「私に言わせれば、お前は常にポケモン一般と人間一般というものを観念しているように思われるな」
 セラもまた食器を置く。
「お前は自分の好みでものを語ることをしない。それはそうだ、自分の趣味を主張するのは学問ではないからだ。お前は普遍なる真理を探求しようとする根っからの学者だというだけだ」
「……アンタの言う通りだろうよ。俺はこの世界の意味不明さ、気に食わなさ、理不尽さが憎い。暴き立てて指弾して糾弾して全部ぶっ壊したいんだ」
「へえ。お前は、そういう……」
「ポケモンがいなくなれば、誰もポケモンを食わなくなるだろう? 俺も、食わなくて済むだろう? せっかく俺のために死んだ命だからだなんて訳の分からない理屈を自分の中でこねて自己矛盾に苦しまなくても済むだろう?」
 リズはそう言って笑った。
 自分がフレア団に加担した理由が、一部だけ分かった気がする。
 セラは笑顔で頷いた。
「そうだな。お前が割と感情的な人間だということが分かって、私は新鮮な気分だ」
「……アンタ、俺の話聞いてた?」
「聞いていたよ。大丈夫さ」
 リズ自身には何が大丈夫なのかよく分からなかった。
「じゃあ、アンタはポケモン食についてはどう考えてんだよ」
「私はポケモン肉は大歓迎だもの、今のままでいいさ。――なあリズ、肉にされるポケモンを少しでも減らしたいなら、お前は哀れなバネブーの命を無駄にしないようにするんじゃなくて、あちらのベジタリアンと同じに肉を拒否すべきじゃないのか。需要を減少させろよ。神の見えざる手によると、価格が下がって供給も減るんだろう?」
「……おいこの理系野郎、経済学勉強しろや」
「そうさせてもらうとするかな。お前がわかりやすい教科書を紹介してくれるのなら」
 セラは楽しげだった。

 ところが、2人が品のない話題により担当の給仕係の機嫌を損ねたため、その日の夕食はいやに冷めていた。





Chapitre2-1. 芽月のメイスイタウン END


  [No.1561] Chapitre2-2. 花月のショウヨウシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:50:56   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre2-2. 花月のショウヨウシティ



4月下旬 ショウヨウシティ


 ひと月かけて大河を西へ下るクルーズは順調だった。
 のどかな田園風景、森の中に佇む古城、緑増す丘陵とそれを彩る七色の花畑。『カロスの庭園』とも称される一帯である。
 ショボンヌ城やパルファム宮殿、バトルシャトーなどはポケモントレーナーにもなじみ深い城館だ。しかし美しい城はそれだけではない。船は数十にも及ぶ城下町に停泊を繰り返しては、それぞれの街で産するワインが観光客に振る舞われる。この流域は多彩・良質・安価と三拍子そろった白ワインの一大産地だ。

 水辺に棲む水ポケモンの機嫌もいいもので、クルーズ船がギャラドスやシザリガーに襲撃されるということはなかった。おかげでセラとリズをはじめとする船の護衛を担うトレーナーも、交代で周辺の見張りをする以外は観光客に混じって美しい風景と美酒をゆったりと楽しむことができた。あるいはトレーナー同士でバトルをして賞金をやり取りしたり、ポケモンに簡単な芸などさせてみせたりして見物客からのチップを稼いでいる。

 春の曇り空は地平の丘をぐるりと取り囲み、果てしなく広がっている。
 幸い、雨は少ない。
 カヌーで河を下る者がいる。気球で空からの眺めを楽しむ者もいる。あるいは河岸をゴーゴートの背に乗ってのんびりと散歩する観光客、魚ポケモンの背で釣り糸を垂れるトレーナー、鳥ポケモンに乗ってどこかの街へと空路を急ぐトレーナー。そういった人々とクルーズ船の乗客は互いに手を振り合う。
 河は穏やかだ。
 ヤヤコマのさえずりが聞こえてくる。


 夕暮れ時、険しい西の山脈に刻まれた深い渓谷を抜けると、遠くに西の大海が広がるのが見えてきた。
 甲板で野生ポケモンの見張りに立っていたセラとリズは目を眇める。
「ああ……もうショウヨウだ」
「……長かった……」
 ほのかに西日が射している。
 4月も後半だが、まだ気温は10℃を下回ることが多い。やはり空にも雲が多い。
 リズは高い体温を持つシシコをしっかと抱きしめ、その炎のたてがみで顎を焼きそうになっていた。その右隣のセラはいつも通り涼しげにニャスパーを抱えて、背筋を伸ばして立っている。

「楽しかったな、リズ」
「河見て城見てワイン飲んだ記憶しかないけどな」
「思い出さないか?」
「……お決まりの質問だな。ときどき城の形には見覚えがあると感じたが」
「まあ、なかなか思い出せないのも無理はない。去年の今頃のリズと私は、お世辞にも仲が良かったとは言えないからな」
 セラはくすくすと思い出し笑いをする。
「私は生命エネルギーの研究に没入したかったんだ。なのに、いつの間にか頭のおかしい夢想家とコンビを組まされて、こともあろうかお金持ちに頭を下げて資金援助をお願いして回る羽目になってな」
「…………その『頭のおかしい夢想家』のほうもきっと、『頭のおかしい理論家』に付き合わされて、さぞやうんざりしたことでしょうよ」
「だろうな。当時のことは悪かった」
 セラは夕陽を映す河の色を眺めながら、肩をすくめた。
「科学班班長のクセロシキという男と喧嘩をしてね。雑用を押し付けられたというわけだ」
「…………俺もかよ」
「お前は違う、お前は……よく分からないな。お前の仕事に私は興味がなかったから。リズはフレア団で何をしてたんだろうな」
「そこは自力で思い出せってことか……」

 19時半ごろだった。日が沈む。
 この頃は急激に日没が遅くなる。ショウヨウの街の光が青い闇の中で宝石のように煌めいている。今日はこの眺めを楽しみながらの夕食になるだろう。
 冷たい風の中、温かいシシコを抱きしめつつリズは目を閉じていた。
 去年もリズと共に船上にあったはずだ。
 ヒントは与えられている。セラはリズと共に、貴族にフレア団への資金援助の要請をしていたのだ。船の上から見た城の一つ一つに立ち入って、城主と話でもしたのだろうか。



***


「アンタも移民なのか」
「今さらか? この肌の色を見て分からないのか? それともお前は目が見えないのか? 目が見えないのに私の前を歩かないでくれるか、危険でしょうがない。ほら、見えるか? 見えてるか? 見えてないのか?」
 不機嫌に言い募り、ケラススはずいとオリュザの目の前に灰色の掌を突き出してきた。血色の見られない、黒曜石のような肌の色だ。
 ケラススの銀紫色の瞳はぎらぎらと高圧的に輝いている。
 随分と感情的な男だ、とオリュザは呑気に思った。
「見えてる。アンタって煙突掃除夫だったんだな。ちゃんとシャワー浴びろよ、顔面まで煤だらけだぞ」
 オリュザの冗談は黙殺された。
 受け流されたわけではない。ケラススは憎悪を込めてオリュザを睨みつけてきている。
「お前のふざけた話に付き合うつもりはない」
「じゃあ、下ネタ話には喜んで付き合ってくれるわけかな?」
「もういい。私もお前も所詮は移民だ、だがそれがどうだというんだ? 私はフラダリ様直々の要請でラボに招き入れられたんだ。……貴族がなんだ、クセロシキが何だというんだ? なぜ私がこんな事をしなければならないんだ?」
「ご不満だな」
 オリュザにもケラススの怒りは理解できないでもない。
 2人はただ、河岸に立つ立派な古城に暮らしている老婦人に向かって、フラダリラボへの資金援助を折り目正しくお願いに行っただけなのだ。
 なのに一笑に付された。
 ――“わたくしのもとに移民などを遣わすなど、わたくしもフラダリに軽んじられたものですね”、と。


 件の古城から丘を下りた河岸の草地に、黒スーツのオリュザと、白衣のケラススは立っていた。
 怒り心頭の様子で城館を後にしたケラススを、オリュザが揶揄いついでに追いかけてきたのだ。同行人の気を鎮めるべく、気安くその肩に手を置いて慰める。
「元気出せよ、ケラスス。ただの移民ノイローゼの婆ちゃんの言う事だろ」
「フラダリ様の尊厳が傷つけられたんだぞ。なのに私にはどうも出来ないんだ」
「そうだ、どうしようもない。だから元気出して次行こうや、な?」
「無理だ。クセロシキめ。あの男……フラダリ様の評判を下げることを計算に入れた上で、この私にこのような仕事を押し付けたか。紛う事なき裏切り行為だろう……!」
 ぷりぷりと怒っているケラススの背中を、オリュザはぽんぽんと軽く叩いてやった。
「……俺らが嫌われんのはしょうがねえやな。俺もアンタも、入団料500万円を支払わないで、フラダリ様直々にスカウトされた“特別な存在”なんだから。努力や才能や血統をごっちゃにした勘違い野郎どもの妬みを浴びるのは、俺たち優秀な移民の運命だ」
「お前などと一緒にしないでもらおうか」
「そうは言うけどな、フレア団の大多数は500万をポンと出せる白人の貴族どもだろう。俺もアンタも少数派に属するって意味じゃ、確かに同類項だわな」
「――だからといって“移民”という立場に甘んじ、平気で白人貴族に頭を下げることのできるお前の奴隷根性を、私は心から軽蔑する」
 ケラススの視線は冴え冴えとしていた。
 オリュザも冷酷に笑った。
「……アンタもプライドなんかにしがみつくのか。白人貴族と同じだな」
「何が同じなものか」
「大局を見るべきだろう。――アンタの目的を思い出せ、ケラスス・アルビノウァーヌス」

 そう言ってオリュザはやれやれと首を振ると、河岸の草の上に腰を下ろした。黒スーツが汚れるかもなどとは気にもかけずに。
 そして可憐な花をつける鈴蘭の花を傍らの草地に見つけ、オリュザはいそいそとお気に入りの花切鋏を取り出し、葉と共にそれを摘み取る。手の中に清雅な白と緑の花束を作って、うっとりと眺めた。たしか毎年5月1日は大切な人に鈴蘭を贈る日だったな、などとのんびり思いながら。

 河には白いクルーズ船が停泊している。
 それはなかなか豪華な客船だったが、一ヶ月もずっと気難しい同僚と共に船上で過ごすというのは気づまりなことこの上なかった。オリュザの楽しみは美しい風景と美味い酒、そして野に咲き誇る季節の花々ぐらいだ。
 ケラススは河岸の草地に立ったまま、波立つ河面を睨んでいた。
「…………どうせ……滅びる…………」
「そゆことだよ。あんなもん、墓石だとでも思ってドゲザでも何でもしてやんな」
 オリュザは軽く笑いながら、ケラススの白衣の袖をぐいと引っ張る。草の上に座らせ、鞄の中から古城のワインセラーで買い付けたばかりの白ワインのボトルを取り出す。
「まあとりあえず一杯。明日はショウヨウに着く。地に額こすりつけてでも、アンタの研究費は搾り取ってやるよ」
 微笑んで、オリュザは戯れにケラススの耳元に鈴蘭の花を挿してやった。
 ケラススは無表情のまま、すぐさまそれを叩き落とした。


***


 翌日には朝靄の中、ショウヨウシティに入った。
 河口にはニレの林、海浜には海岸松の林が西の海風を受けて揺れている。
 崖の上には貴族の城館がそびえていた。その眺めに、船の上のリズは既視感を覚える。たしかあの時も、セラことケラスス・アルビノウァーヌスと共に、あの城へと続く階段を黙々と登った、ような。確かにそんな記憶がある。

 リズはシシコを抱きしめ、息を吐いた。
「…………ドゲザはしたんだっけか」
「お前は、したな。神に礼拝するがごとき勢いだった。ところがそのオリエンタルさが逆に気味悪がられて、けっきょく援助は得られなかった」
「……マジかー」
 セラはすべて心得ているように、淡々と思い出を語る。
「ただ、そのあと私がクセロシキにドゲザしたら、とりあえず研究費は回してもらえるようになった」
「……え? アンタもドゲザしたの?」
「お前の清々しいドゲザっぷりを見て、自分が恥ずかしくなってな。お前は私のために地に額を擦り付けてくれたのに、私一人がぼんやり突っ立っているわけにはいくまいよ」
「…………そりゃ、漢だな」
 意外も意外である、まさかあの冷酷なケラススに頭を下げようなどという発想が生まれようとは。やはりドゲザは人の心を動かすのだなとリズは思った。遥か東洋の島国の風習も多少は役に立つようだ。
 セラは懐かしげに目を細めた。
「私がオリュザ・メランクトーンを尊敬したのはあの時が初めてだったな……」
「……………………俺は今初めてアンタを尊敬した」
「ふふ、それは光栄だ」
 ニャスパーを抱えたセラは恥ずかしげもなく、海風の中で爽やかに笑っている。



 一日ショウヨウの周囲を周遊し、船は夕方には無事にショウヨウの港に停泊した。
 セラとリズも一ヶ月分の護衛の報酬を現金で受け取った。観光客は夜景を楽しみつつ、ぞろぞろとホテル・ショウヨウへとなだれ込んでいく。
 しかしセラとリズはしがないポケモントレーナーである。ポケモンセンターに泊まる方が圧倒的に安上がりだ。
 ポケモンセンターを求めて、2人は歩き出す。
 ところがさほど行かぬところでショコラトリーを見かけて、セラがそのショーウインドーを指さし華やいだ声を上げた。

「見ろリズ、そういえばもうイースターだぞ」
「……あー、そうね……」
 そこにはチョコレートで出来たイースターエッグがウインドーの中に飾られていた。かわいらしい籠の中に飾られた卵は一つ一つ緻密な模様に彩られ、華やかだ。多産を象徴するホルビーやミミロル、マリルリの愛らしいショコラもある。
 2人の腕の中のシシコとニャスパーも、ショコラトリーの彩り豊かなイースターエッグに興味津々だった。せいいっぱい首を伸ばしてよく見ようとしている。
 そんなニャスパーの頬を撫でながら、セラはリズを振り返った。
「イースターが来るならすっかり春だな。せっかくだし買っていこう、リズ」
「勝手にどうぞ。ただし脂質と糖質の過剰摂取には気を付けろよ、この甘党野郎」
「無論」
 セラはいかにも楽しそうに、Bonsoir, Madameなどと挨拶しながらショコラトリーに入っていく。
 シシコを肩に担いだリズも顔を顰めつつそれに倣った。――まったく、記憶の中のケラススと目の前のセラとの整合性が取れない。こいつはイベント物に心を躍らせるようなタイプの男だっただろうか?

 店内で山盛りにされている美しいイースターエッグの数々を、ニャスパーやシシコと共にうっとりと眺めながら、セラはリズに話しかけてきた。
「普通のカロスの人間は、ノエルとイースターは家族で過ごすものと相場が定まっているが。ちなみにリズ、自分の家族のことは覚えているのか?」
「…………いや、思い出せない」
「そう。私も昔のお前から、お前の家族のことを聞いたことはないんだ。今頃……ご家族がお前のことを心配しているかもしれないな」
「……つっても、仮に今の状態のまま家族と再会したって、傷つけるだけだろうがな。何も覚えていないんじゃあ……」
 リズはイースターエッグよりも、店内に飾り付けられている甘い色合いのチューリップの花を見つめている。白やクリーム色、淡いピンク、紅色。美しい春の彩りだ。このあたりに咲いているのだろうか、そればかりが気になる。

 家族という単語を聞かされても、リズの胸には何の感慨も湧かない。会いたい人間も、思い出したい人間も、影すら浮かばなかった。――と同時に、リズは幻滅した。
「……たぶん、昔の俺はかなり人間関係に淡白な人間だったんだ」
「ああ、そうだろうね。なにせお前ときたら、この私以外に友達がいないのだもの」
 セラは身をかがめてニャスパーと一緒にイースターエッグを熱心に見比べながら、ごく適当にリズをからかってくる。
 まったくセラの言う通りだった。リズと繋がりのある人物は、今のところセラしかいない。
 それが気持ちが悪かった。明らかに異常だった。
「…………なあ、アンタさ、俺と共通の知り合いとか、いなかったか?」
「フラダリ様とか? 科学者連中とはお前は面識ないだろう? ……それともAZのことを言っているのか?」


「AZ?」
 リズがその名をオウム返しに呟くと、セラは再び背筋を伸ばし、こちらを振り返った。
 その表情も、目さえも笑っていなかった。
 ぞくりとするほど冷ややかな紫水晶の瞳だ。
「ああなんだ、勘違いか。悪い。忘れてくれ」
 セラはぶっきらぼうに言い放つ。
 リズはただ、おおと思っただけだった。セラは今まさに、リズの記憶の中のケラススと同じ仏頂面をしている。ついに知っている人物を見つけた気がして、あるいは親しい人間の懐かしい本性を暴き出せた気がして、思わずにやりと笑う。

「いや、そんなカワイイ顔で忘れろなんて脅されてもな。――何だ? 今まで散々思い出せって言っときながら、何を忘れろって? これ以上俺の頭に空っぽになれってか? そりゃ残酷すぎるだろ、セラちゃんよ?」
「私の顔が可愛いのは自明のこととして。とにかく私には、お前に今すぐ思い出してほしい事と、今はまだ思い出してほしくない事があるんだよ。それだけは言っておく」
「……え、何それ、要するにアンタは、アンタ好みの俺を作ろうと企んでるってわけ?」
「うるさいな。いずれはすべて思い出してもらうと言っているんだ、オリュザ」
「なあなあセラちゃん、AZって誰? 誰よ? お前の恋敵か何かかい? まさか俺を巡ってラブコメでもしたのかね?」
「なぜ、さも当然のようにお前自身がヒロインになろうとするんだ」
「……セラは俺を独り占めしたいんだな……」
「ははは。相変わらずの夢想家だな」
 セラは手籠の中にイースターエッグを片端から放り込み始めていた。何かに苛立っているかのように。
 それから苦笑を浮かべて、リズを振り返る。

「……サービスで教えてやる。AZは、御年推定3000歳のご老体だ」
「何それ、ポケモン? キュウコン三体分? 尻尾が27本生えてたりする?」
「それは……さぞやエノキダケにそっくりだろうな……」
「最高でジラーチに3回会えるじゃん、何それ羨ましい」
「なぜこの世に存在するジラーチが一体だけだと思っている?」
「えっあれ沢山いんの」
「という説もある」
 セラは甘い香りのするイースターエッグを60個お買い上げした。
 確実にリズの担当分も含まれている。





Chapitre2-2. 花月のショウヨウシティ END


  [No.1562] Chapitre2-3. 牧月のコウジンタウン 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:52:09   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre2-3. 牧月のコウジンタウン



5月下旬 コウジンタウン


 ――水族館が見たい。
 というセラの唐突な我儘により、リズとセラは8番道路“ミュライユ海岸”の砂浜に広がる海岸松の林を通り抜けて、石灰岩の崖下を南へ下り、コウジンタウンまでやってきた。

 ここ一ヶ月で日はめっきり長くなり、今や春真っ盛りであった。
 日の出は6時半、そして21時を過ぎてようやく日没だ。
 街のあちこちでは藤の花房が長くしなだれ、林檎は木全体に白い花が満開になり、みずみずしい薔薇が家々の窓辺を飾り、紫のライラックが芳香を漂わせ、畑の葡萄は新緑の葉を広げ、菜の花の黄色い絨毯が郊外に広がり、マルシェには旬のホワイトアスパラが並ぶ。
 街角では『リラの花咲く頃』のシャンソンが流れ始める。
 虫ポケモンやフェアリーポケモンが活発に活動し、タマゴから孵ったばかりであろう小さな鳥ポケモンが腹を空かせて巣から親を呼んでいる。
 街を行く人々は半袖姿が目立ってきていた。


 そのような季節の移ろいが反映されているのかいないのか分からない、コウジン水族館にリズとセラは入った。
 さっそく、正面ホールで黄金の巨大なコイキングの像が2人を出迎える。
 シシコを肩に担ぎ、手に野のスイートピーで花束を作ったリズは、金のコイキング像を見て絶句した。
「……なんだこりゃ……」
 ニャスパーを抱えたセラは、笑いながら振り返る。
「見覚えは無いか?」
「……ま、まさか俺らは水族館デートもこなしていたというのか……!」
「例の如く仕事でだけどな。マンムー捕獲とドゲザお城クルーズの件以来、すっかりお前と私はセットで扱われるようになってしまってね。当時は本当にいい迷惑だったよ」
「……だろうな。何が悲しくて科学者と思想家が一緒にいなきゃならねえんだって話だよな」
「まさしく」
 セラはさっさとコイキング像の傍の階段を登っていった。リズもそれに続く。

 そこには南海のポケモン、北海のポケモン、深海のポケモン、浅海のポケモン、川のポケモン、湖のポケモン、沼のポケモンがそれぞれの水槽の中で泳いでいた。
 魚ポケモンを見て、リズは唾を飲み込んだ。
「……美味そうだな」
「リズ」
「……ケラスス・アルビノウァーヌス、俺の持論を聞かせてやる。意味も無く生きるぐらいなら死んだほうがマシだ」
「…………つまりお前は、ポケモンを見世物にするぐらいなら食ってしまえと、そう言うわけだ」
 セラの声音はどこか面白くなさそうだった。

「リズ、確かお前はクルーズ船の上で、ポケモン肉は食べたくないと言っていなかったか? それと今のお前の言動は矛盾していないか?」
「それでも俺があの肉を食べたのは、屠られたポケモンの命に意味を付加せんが為だ。――そいつが、残飯として捨てられるために生かされていたんじゃなくて、俺の血肉となるために生きたという、その証になるように」
「……なるほど。ポケモン食はリズにとって、家畜とされたポケモンへの弔いというわけだ」
 セラは腕を組み、俯いていた。水槽の光がその顔の上に揺らめく影を作る。
 リズはそれを振り返って、肩をすくめてやった。
「アンタは俺の考えが気に食わないか。俺は別にそれでも――」
「いや。……じゃあリズ、お前が一年前にフロストケイブで、私と一緒に、あの野生のウリムーやイノムーの群れを殺戮したのは? あれこそ無意味な死を与えただけではないのか? あれはどういう事だったんだ? 説明してくれ」

 顔を上げたセラの、銀紫の瞳がリズを射抜く。真剣に問いかけてきている。
 記憶を失ったリズを試そうだとか、導こうだとか、そういった意図はそこには無い。
 セラはオリュザ・メランクトーンに質問をしているのだ。

 リズも金茶の瞳を細めた。
「前にも言ったが、俺はポケモンを世界から絶滅させたかった」
「……それはポケモンという種族すべての命の意味を否定することにはならないのか?」
「ポケモンには、絶滅させるに値するほどの価値があった」
「…………意味がわからない、リズ」
「セラ、“ポケモン一般”と“家畜として飼育されているポケモン”を混同するな。“一般的なポケモン”は強い力を持つ、価値ある存在だ。それに対し、“家畜とされているポケモン”はそうした能力をそぎ落とされ、肉を蓄えること以外の価値を持たない」
 リズは知らず身振りにも力が入る。手にしていたスイートピーの花を握りつぶし、語気も強く訴える。

「俺に言わせれば、力を持たない“家畜のポケモン”には生きている価値など無いから、せめて人間の餌にしてしまおうという発想になる。だが、あのウリムー達のような力を持っている野生の“ポケモン一般”は、無限の可能性を秘めた価値ある存在だ」
「…………では、その価値ある“一般のポケモン”であるウリムー達を、なぜお前は殺したんだ?」
「“ポケモン一般”の価値は、無限の可能性を持つことにある。――だが、人類には、無限の可能性など、必要ない!」


 リズは言い放った。
 爽快だった。自分の思想を主張する快感をすっかり取り戻してしまった。フレア団の思想家であるオリュザがリズの中に還ってくる。
「ポケモンがいるから、戦争のたび、何百万何千万という単位で、人が死ぬ! ポケモンは危険だ、ポケモンは無限の可能性を秘めている――すなわちポケモンは世界を人類を滅ぼす可能性を秘めている。だからポケモンは人類の敵なんだ」
「………………そうか」
「言ったろ、セラ。俺は平和主義者だと」
 リズはそう言い放ち、ふわりと微笑んでみせた。
 セラもくしゃりと微笑んだ。どこか苦しげに。
「…………変わっていないな、オリュザ」
「我らが代表に大いにウケた考え方なんだがな。俺の思想はフレア団の思想だぞ?」
「そうだろうとも。団員の思想統一を図り、新世界の新たな規範と秩序を生むこと、それがお前のフレア団における存在意義……だったな」
「なのにあの男、失敗したんだもんな。あーつまんね。俺の見込み違いだったか」
 リズはけらけら笑う。
 セラは視線を逸らす。
「……お前は本当に相変わらずだよ、夢想家」
「アンタは自分の研究の為ならポケモンを何万匹殺そうが平気なんだろう、理論家」
 皮肉な笑みを向け合う。
 結局は、互いを非現実的だと詰り合う結果になる。かつてと同じように。いつもと同じように。



***


 黒スーツのオリュザと白衣のケラススは、人の気配の少ない春のコウジン水族館で、水槽の中の薄汚れた水の中で苦しげに呼吸を繰り返す水ポケモンをただただ眺めていた。
 オリュザは水族館が嫌いである。
 ケラススも水族館は嫌いである。
 なのになぜこの2人が揃ってコウジン水族館にいるのかというと、ひとえにそれが上司命令だからだった。まったく分野を異にする2人に共通する上司など、一人しかいない。フラダリラボ代表にしてフレア団ボスである人物、フラダリだ。

 フレア団は現在、コウジンタウン東の“輝きの洞窟”で、ポケモンの化石の盗掘を行っている。
 厳密には盗掘とは言えない。化石の発掘にはなんら行政の許可を得る事を要しない。そのことはオリュザがお墨付きを与えている。
 しかし、ポケモンの化石はみんなのものだという、暗黙の了解というものがカロス地方には存在した。にもかかわらず化石を独占しようとすれば、それも研究目的でなく金儲け目的で行えば、たちまち各所から批判が殺到するだろう。だから、そのような後ろ暗いことは『フラダリラボ』でなく『フレア団』の仕事だ。


「……なあケラスス、フラダリラボとフレア団の違いは何だと思う」
 オリュザは退屈を紛らわすため、やや離れた右隣りで佇んでいるケラススに小声で質問を投げかける。
 ケラススは鼻で笑った。
「またどうせ、認可を受けた法人だとか、訳の分からない法律知識を披露したいだけなのだろう、お前は」
「あちゃ、ばれたか。だが俺は披露するぞ。フラダリラボは、我らが代表が無限責任を負っておられる無限会社だ。一方、フレア団は、フラダリラボという実在する企業を隠れ蓑にした――いわばフラダリラボの真の姿とでも言うべきか」
 ケラススはそれ以上は相槌を打とうとしなかった。腕を組んで聞き流している。
 しかしオリュザは構わず話し続ける。その手に弄んでいるのは近くの岩場に生えていたのを摘み取った、ツツジの花である。
「フラダリラボは世のためになる製品をお届けする、ごくごく一般的な超優良企業だ。株式会社でないために外部の第三者の目が行き届かないというコーポレートガバナンス上の問題点はあるにしても、やはり代表であるフラダリ氏の手腕と人柄から、数多くの銀行が競って融資を行おうとするほどの、まさにカロス第一の企業なわけだよ、きみ」
 ケラススは頷きさえしなかった。
 しかしオリュザは構わない。
「――しかしそのフラダリラボという薄い外皮の内側にあるのは、純利益を怪しげな研究の費用にばかり回している、テロリスト集団たるフレア団だ」
 話がフレア団に及ぶと、ケラススの視線がちらりと動いた。
 それに気付いたか気付いていないか、オリュザの小声も熱を帯びる。
「フレア団は完全紹介制、あるいは例外としてもスカウト制だ。500万円を支払った奴だけが加入できる。フラダリラボの方に所属しない政治家や他企業の社長なんかもフレア団に所属してるっつー噂がある。つまりフレア団は、完全にはラボに内包されてないんだ」
「そうか」
「一方、何も知らずにフラダリラボへの就職を希望する者は、フレア団の仕事には一切触れられず、フラダリラボの下請企業の業務に回されるという寸法だ」
「お前の話は心底どうでもいいな」
 ケラススは退屈そうに欠伸をした。白衣の袖の下の腕時計を確認し、舌打ちする。


「下っ端どもが、化石採集はまだ終わらないのか。どれだけ掘り起こすつもりだ……」
「ポケモンの化石は一個あたり、数万円から数千万円の値段はつくからな。タダで採掘できるなんて最高だろ。ホルードとかで壁砕きつつ掘れる限り掘り進んでんじゃねえの」
「以前から化石による資金獲得の動きはあっただろう?」
「大規模な採掘を始めたのは一昨日からだな。代表の野郎、カネ作りを急ぎにかかってんな。さては“樹”と“繭”の居場所のめどが立ったか……」
 そのとき、オリュザとケラススのホロキャスターが同時にホログラムメールの着信を告げた。2人とも無言のまま手早く操作し、ほぼ同時にメールを開く。
 待ちに待った、フレア団の下っ端からの報告が流れてきた。
 最後までメールを見終えると、2人はすぐさまそのデータを端末から完全削除する。それから顔を見合わせた。
 そしてオリュザも、ケラススも、同時に吹き出した。

「子供に邪魔されて引き上げたとか――」
「――馬鹿か、こいつら」
 2人はひとしきり腹を抱えて笑い転げていた。とんだ笑い話である。
「ぶっ、はは、はははははははははははっ、ちょ、待っ、ありえなくね、ショボすぎだろ!? 子供にやられました、だ? どんだけヘタレだよお坊ちゃんよ!」
「あはははは、これだから温室育ちは困るんだ。500万円払うだけ払えば後は安泰だとでも思っているのか。フラダリ様も新規メンバーの加入条件を見直された方がいいだろうに」
「まあまあケラスス、今はカネと人手が大事な時期よ。無能な末端のクズどもはそこら辺の一般人と同じく、最終兵器でボンしちまえばいい。真面目に働いてるフレア団員たちもそれで文句は言うまいさ」
「それもそうだな。ああ、久々に笑った……」
「やっぱボンボンが慌てふためいてんの見るのは愉快だわー」
「実に最高の気分だよ」
 それからもオリュザとケラススは暫く、ふつふつとこみ上げてくる笑いをこらえきれずにいた。
 ――ざまあみろ。さんざん移民だ何だと難癖をつけてオリュザやケラススを軽蔑してきた、金持ちの白人の子弟どもは、ただの子供トレーナーにプライドをへし折られた。最高だ。

 オリュザはケラススの肩を叩く。
「あー、俺も久しぶりにいい気分だわ。やっとこの臭え水族館からも出られるし、とっとと帰ろうぜケラスス。飲むか?」
「付き合おう」
「せっかくだし、コウジンの赤ワイン試飲しに行くべ」
「それはいいな」
 言いながらも2人は足早にコウジン水族館を後にした。早くも手にしていたモンスターボールを、晴れ間の覗く空に高く投げ上げる。
「ヘスティア、葡萄畑もってるシャトーまで飛んでくれ」
「メルクリウス、お前も頼む」
 現れ出たオリュザのファイアローも、ケラススのオンバーンも、主人たちがすこぶる上機嫌なのを目の当たりにして、不可解げに首を傾げていた。


***


 そんなこともあったっけな、とリズは思う。
 あの時から、コウジン水族館の蒼い水槽の中をぐるぐると回り続けているポケモンの顔ぶれはほとんど変わっていない気がする。
 無為に泳ぎ続ける魚ポケモンたちを、上司の言いなりに動くことしか能のないフレア団の下っ端たちを、オリュザもケラススも軽蔑していた。そしていつの間にか、2人で過ごすうちにお互いに仲間意識のようなものを抱いて、友達のような関係になっていた、はずだ。2人は専門分野も考え方も全く異なる人間だったけれど、だからこそ珍しく意見が一致したときは面白かった、ような記憶がある。
 懐かしい。

「懐かしいな」
 リズの心を読んだかのように、ニャスパーを抱えたセラは水槽を見つめながら呟いた。
「オリュザとはいつもどこへ行っても、口喧嘩をしていたような気がする。いや口喧嘩というより、私にはお前の言っていることが理解できず、反論もできずに一方的に反感を募らせていただけだったがな」
「……あー、まあ、俺もアンタの理系の話とかは全然ついていけねえし」
「お前の話を聞いていると、無性に腹が立つんだ」
「…………そ、りゃ、すみませんね」
 セラはニャスパーの毛並みを撫でながら苦笑した。
「今まではそれすらもただただ懐かしかったんだが、さっきは久々にイラッと来たな……」
「え、何が癇に障ったんだよ?」
「ポケモンには価値があるから殺してしまえ、というくだりだよ。まったくもって理解できない」
 シシコを担いだリズも興味深げに眉を上げ、前髪を耳にかけた。
「お、なんだなんだ? 意見を聞かせてくれ、気になるぞ」

「リズの言うポケモンの価値って、すなわち人間の役に立つかどうかってことだろう?」
「……は? いや、意味もなく生きているポケモンが、価値が無いのであって」
「しかしお前の定義する“意味もなく生きているポケモン”とは、肉にされる以外に価値のない“家畜のポケモン”だろう。つまり、お前の言うポケモンの価値とは、人間の役に立つかという基準によって計られているんだよ」
「…………お、おう」
「それなら、ポケモンに価値を見出すか否かは、人間に依存するだろう?」
「………………あー」
「つまり、結局フレア団がポケモンを滅ぼすというのは、人間のエゴに過ぎないってわけさ」
「……………………そうなるね」
「だからポケモンが滅ぼされるのをポケモン自身の責任に帰結させようとする、フレア団の思想即ちオリュザの考えは、不当ではないか?」
 リズは自らの掌の内で潰れたスイートピーを無感動に見つめ、ふむと考え込んでしまった。

「つまりアンタは、責任のないポケモンまで滅ぼすのは不当だと考えてるってわけか?」
「そう。でも、フラダリ様によるとそのエゴの塊である人間も滅ぼすという話だったから、それなら許容できるかと、当時は何となく思っていたんだけど。……よくわからないな。Merci, Riz, 私の要領を得ない話を聞いてくれて」
 セラはにこりと笑うと、さっさと早足で歩き出した。
「さて、この水族館にもう用は無いだろう。コウジン名物のカヌレでも食べに行こうか」
 リズは吹き出した。
「……また、甘味かよ」
「カヌレはワインの澱取りで余った卵黄を使用しているらしいな。いやはや、さすがは『ワインの女王』と名高い高級赤の名産地、コウジンだ。名物の菓子まで洒落ている」
 わくわくとコウジンの街へ繰り出すセラを、リズも苦笑しつつ追いかける。
 蜂蜜色の石積みの街並みが、ツツジの花咲く崖に張り付くように広がっていた。





Chapitre2-3. 牧月のコウジンタウン END


  [No.1563] Chapitre3-1. 収穫月のレンリタウン 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:53:46   63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre3-1. 収穫月のレンリタウン



6月下旬 夏至 レンリタウン


 朝の6時には明るくなり、夜の22時まで暗くならない。
 そんな長すぎる昼が来た。

 サクランボがたわわに実り、葡萄の木も若い実をつけ始める季節。
 空はすっきりと青く晴れ渡っている。
 気温もちょうど肌に心地よく、風は爽やかだ。
 その過ごしやすい気候からカロスへの観光客が増える季節であるが、当のカロスの人々も近づいてくるバカンスに向けて心躍らせる時期である。
 夏至にカロス全土で音楽祭が開かれるのは、その浮かれ具合の先駆けだろうか。


 19時過ぎ。当然まだまだ昼間のように明るい。
 リズとセラはポケモンセンター内のビストロで夕食を終えると、レンリの街をふらふらと歩きまわっていた。
 木骨組みの民家、赤茶の屋根、窓辺には華やかなゼラニウムが飾られている。
 街のシンボルである東の巨大な滝が、涼しげな水音を街中まで響かせていた。

 そして、夏至の音楽祭だ。
 レンリの広場という広場にはライブ会場が設置され、通りという通りにはミュージシャンが立ち、美味しそうなにおいを漂わせる食べ物の屋台が並んでいるのだった。
 クラシック、ジャズ、オペラ、ロック、ポップ、シャンソン等々、ジャンルはなんでもありだ。ミュージシャンもプロからアマチュアまで。
 あちらで激しく頭を振りまくるコンサートがあったと思えば、そちらでは民族楽器が賑やかな音色を奏で、かと思えばこちらではオーケストラが豪壮な交響曲を披露している。人間だけではない、ルンパッパがサンバを踊り、プリンが眠気を誘う甘い歌声を響かせ、キレイハナとドレディアが夕陽に向かってゆったりと舞い踊り、オタマロのチームが合唱する。
 各演奏者の周りには人だかりができ、どこもかしこもかなりの賑わいだ。
 レンリだけではない、カロスのすべての街が同じように夏至の音楽祭に盛り上がっていることだろう。


 リズとセラの2人は通りを抜けるごとにジャンルの目まぐるしく変わる一角を彷徨っていた。その行く先は、2人の足下をじゃれ合いながら走り回るシシコとニャスパーに委ねている。
「……ちゃんぽんもいいとこだよなあ」
「どんなジャンルの音楽が好きな人でも楽しめるんだからいいじゃないか、リズ。クグロフ食べるか?」
「また甘いもんか、アンタは!」
 リズは右隣りでクグロフを抱えてにこにこしているセラの頭を、ぺしりとはたいた。歩きながら。
「ほんっと、どこ行っても甘い菓子ばっかり食ってんなーアンタ」
「クグロフは『パルファムのばら』略してパルばらでも有名なマリー・アントワネットが毎日朝食に出させたという、由緒あるレンリの伝統菓子だぞ」
「どうでもいい……。寄越せよ、アンタが生活習慣病になったら困る……」
「お前も大概、甘い物好きだろ?」
 クグロフはレーズン入りのブリオッシュ生地の山型に盛り上がったケーキで、粉砂糖が上品にかかっていた。セラが笑いながら、ニャスパーに念力でクグロフを切り分けさせる。粉砂糖ひとつこぼれなかった。2人と2匹でクグロフを頬張る。
 その街角で、放浪の音楽師が歌っていた。

「美しいと言われるカロスもかつて一度荒れ果てた
 愚かな戦は終わらずポケモンも人も疲れ果てた
 3000年昔のこと
 多くの命が消えた
 多くのポケモン、多くの人
 悲しい別れがカロスの大地を覆った
 カロスの戦は終わった、雷によって終わらされた
 雷は人が生み出した哀しみの光
 雷はポケモンが生み出した怒りの轟き
 男は彷徨う、今もポケモンを探して
 男は彷徨う、自分の心を失ったまま
 だけどようやく男の心の泉に優しさあふれ、ポケモンと男は巡り会った」

 もの悲しい竪琴のメロディーと相まって、美しい旋律だとリズは思った。
 けれどセラはクグロフをもふもふやりながら鼻で笑った。
「あの男、本当に他人に話していたのか。自分の身の上を。まあ、だからこそフレア団は彼を見つけられたのか…………それにしても同情でも買うつもりだったのか、彼は」
 その冷徹な、どこか哀れむような声音に、リズもクグロフをもぐもぐしながら振り返った。
「……誰のことだ?」
「推定3000歳のご老体さ」
「……AZ?」
「本当のことを言うと、彼に出会った時、なるほど長く生きていても良いことばかりじゃないんじゃないかという、予感はしたんだ。当時はよく分からなかったが」
 セラはクグロフの残りを口の中に突っ込み、咀嚼しながら俯く。半ば独り言のように。
 リズはへえと相槌を打った。
「ああ、そこでアンタは、フレア団だけが永遠の命を手に入れようとしてることに疑問を持って、俺と一緒にフレア団を脱走しようとしたクチ?」
「……さて、どうだろう。もっと早く私がその違和感を自覚し、よく考えていればよかった、と、悔やまれてならないよ。今も」
 セラは寂しげに微笑むと、早足でその音楽師の傍を離れた。リズもその後を追い、歩き出す。シシコとニャスパーはくるくると取っ組み合いをしながら、2人を転がるように追いかけた。



 レンリの滝を背に、女性歌手がシャンソンを歌っている。チェリンボとロゼリアを連れていた。
『サクランボの実る頃』という、初夏に似合うロマンチックな歌だった。チェリンボが歌手の肩の上で一緒に歌っている。涼やかな滝音を背に。
そのひときわ落ち着きのある一角で、2人と2匹は足を止めることにした。
 しっとりとしたシャンソンに耳を傾けつつ、リズはちらりとセラの横顔を横目で窺う。
「……なあ、去年も俺らはこのレンリで音楽祭を楽しんだわけか?」
「まさか。そんな暇なかったさ」
「は? え、じゃあ、ここは俺らの思い出の土地じゃねえじゃねえか!」
「今のボケはスルーさせてもらう。――いいか、リズ。私はお前に、『去年のオリュザ』になってもらいたいとは微塵も考えていない。つまり、記憶を辿るばかりではなく、今を楽しめという意図を持っている」
 セラは視線をシャンソン歌手の背後の滝に固定したまま、クグロフをもぐもぐやりながらそう応えた。
 リズは口を止めて、変な顔になった。
「それはつまり、アンタと楽しい思い出を作れってことでしょ? 何なの? これって丸っきりデートってことじゃないの? アンタは俺とどういう関係になりたいの?」
「こちらにも意図があるんだよ。察しろ」
「ぶふっ……つ、つまり俺にアンタを惚れさせようって意図だろセラちゃん?」
「お前などお断りだ。黙ってシャンソン聴いてろよ」
「セラちゃんってときどきキザっていうか、イタいよね……」
 セラは仏頂面になって、返事もしなくなった。
 その懐かしい表情に、リズは温かい気持ちでニヤニヤする。



***


 音楽に満ちた夏至が来た。
 けれどオリュザもケラススも、夕暮れの音楽祭に繰り出す余裕などない。フラダリに与えられたそれぞれの課題をこなさなければならない。というわけで、ミアレシティはフラダリカフェ地下のフラダリラボに2人はそれぞれ缶詰めになっていた。

 その休憩室で、2人は鉢合わせした。
「おお……ケラスス……」
「ああ、お前か。夏至だというのに残業とはご苦労なことだな」
「アンタこそ。奴隷みたいにくそまじめなこって」
「ブーメラン刺さってるぞ」
 2人以外にフラダリラボには人は残っていなかった。カロスの人間はプライベートの時間をひじょうに大切にする。残業などめったにしないのは、悪の組織であるフレア団のメンバーでも同様だった。
 なのにオリュザとケラススが終業後も、夏至のイベントにも構わず勤勉に仕事を続けているのは、ひとえに2人が生粋のカロス人ではない移民だからだ。さらには大切にすべき家庭も、共に飲みに行くような友達もいない、寂しい人間だからだ。

 黒スーツで隙なく全身を固めたオリュザは、休憩室に備え付けられていた冷蔵庫からレンリ産の辛口白ワインを取り出した。よく冷えた細長い暗緑色のボトルを、白衣姿でソファにだらけているケラススにも掲げてみせる。
「……とりあえず一杯、どう」
「御相伴にあずかろう」
 他人がいるのに自分一人だけ酒を飲むのは礼儀に反する。それに、相手は愛すべきぼっち仲間、移民仲間、フラダリ様直々スカウトされ仲間である。ここで酒を酌み交わすのも悪くない。
 オリュザはグラスを2つ用意すると、ワインをどぼどぼと適当に注いだ。レンリの白ワインのつまみにはレンリの名物タルト・フランベを持参してきていた。これはベーコンや玉葱、チーズをのせたシンプルなピザだ。

 ケラススと2人きりでグラスを傾けつつ、オリュザはタルト・フランベを指でつまんで口に運んだ。
「最近会わないと思ったら。アンタ今、何の仕事してんの」
「ああ……化石復元の原理を、独力で再現したところだ。生体エネルギーの研究の一環で気になって」
「え。再現した、んだ。再現済みなんだ。コウジンの化石研究所の極秘技術を?」
「あれくらい誰にでもできる。設備と材料さえあればな」
「……材料?」
「化石ポケモンの復元は、死体が生き返るとかレシラムやゼクロムが石から復活するとか、そういうのとは全く別の話だ。単純に化石に残されていた遺伝子情報から、肉体を復元しているだけさ。つまり化石ポケモンは、死んだポケモンそのものが蘇ったわけじゃない。ただのクローンだ」
 セラはワイングラスを揺らしながら、そう説明した。
 するとオリュザは安堵したように息を吐いた。
「そうか。よかった」
「何が、良かった?」
「――死んだ奴が蘇らされるんだったら、最低だろ?」
 オリュザは煙水晶の瞳を淀ませ、吐き捨てた。

 ケラススはグラスから視線を上げる。瞳を瞬かせ、オリュザを見つめる。
「……死者を蘇らせるというのは、古代からの全人類の悲願だ。その願いが反映された伝説も、同様に世界中で見られる。ジョウト地方のホウオウの伝説然り、ここカロスのゼルネアスの伝説然り」
「でも、最低だろ? 命に対する冒涜だ」
「死者が蘇ることが?」
「そう。死んでも生き返るってんなら、死ぬ意味なんて無いだろ。それなら生きる意味も無いじゃねえか」
「……いつか生き返るという望みがあるから死の恐怖に立ち向かえるという者も、この世には存在するだろう」
「それは、客観的にはどうせ復活しないからいいんだよ」
 無神論者であるところのオリュザは、ばっさりと切り捨てる。
「死んだら終わりだから、生きてることに価値があるんだ」
「……でもお前によると、生きている意味がないと、生きている価値が無いんだろう?」
「死んでも蘇るんなら、生きてる意味がないだろ」
「…………悪い、頭がこんがらかってきた。オリュザの話は難しいな」
 ケラススは苦笑する。
 オリュザもにやりと笑った。
「俺も今は口から出まかせに喋ってるだけだ。詳しくは俺の本を読んでくれ。フレア団の思想と理想の全てをそこに記してる」
「本を書いたのか」
「絶賛バリバリ仕事中すよ。今んとこ半月に論文10本くらいのペースで、随時まとめ直して書籍として出版中だ」
「驚異的な速筆だな」
「三日に一度しか寝ないから」
「道理でお前の頭がおかしいわけだ」
「おい」


 そのような雑談をしながら、ボトルを空けてしまう。
 つまみも切れたところで休憩も終わりとなりかけた。ところが、立ち上がったケラススは白衣の裾を翻し、オリュザを振り返った。
「ああそうだ、今すぐ酒のお礼をしよう。ついてこい」
 オリュザにとっては初めての、地下深くにある科学班のスペースへの進入だった。共用のカードキーでも入れる区画まで一緒に立ち入り、さらに奥へと入ってしまったケラススが戻ってくるのを待つ。
 そして再び戻ってきたケラススは、二つのモンスターボールをそれぞれ右手と左手に持っていた。同時に開放する。
 そこに現れたのは、復元された化石ポケモン二体。
 チゴラスと、アマルスだった。

「ああ、アンタが復元したっつー化石ポケモンか」
「健康状態、能力値、共にコウジンの化石研究所で復元された個体と同水準だ。どちらか一体、お前にやる。好きな方を選べ」
「ドラゴンタイプ欲しかったんだよね。チゴラス貰うわ。Merci」
 ケラススからモンスターボールを受け取り、オリュザはチゴラスを収納してベルトのホルダーに装着した。
それから手帳をポケットから取り出し、メモを書きつける。
「ポケセン行ってチゴラスの所有権登録しないとな。こいつ今、アンタのポケモンってことになってるから」
「……そうなのか?」
「そうだろ、今現在アンタのボールに入ってんだし、俺がチゴラスの占有を開始したところで、あんたの所有権がチゴラスに及んでることに変わりはねえよ。もし仮にチゴラスが盗まれたら、俺はその泥棒に対してチゴラスの返還を請求できなくなる」
「……そうなのか」
「だからアンタと一緒にポケセン行って、きちんとチゴラスの譲与契約が履行されましたってことを公示しねえと。念には念を、だ」
「……私も一緒に行かないといけないのか」
「不動産の登記とかと一緒だよ、契約によって不利を被る債務者が一緒に行かなくても登記が受理されるんじゃ、不当な登記が成される恐れがあるだろうが」
「…………お前はまず、自分の知識をひけらかしたがるそのムカつく性格をどうにかしろ」
「ごめんね、性分だから。じゃ、また今度、一緒にポケセン行こうな、ケラスス」
 オリュザはひらひらと手を振りながら、颯爽と科学班の領域から立ち去った。


***


 気づけばシャンソンが途切れていた。滝の音と、周囲の聴衆の歩き回る音ばかりが続いている。
 リズはいつの間にか閉じていた瞼をゆっくりと開く。
 真横からセラとその腕の中のニャスパーが、じいとリズの顔を覗き込んでいた。

 リズはびくりと飛び上がった。いつの間にかリズの肩の上によじ登っていたシシコがびゃあと文句を言う。
「う、わ、何」
「寝てただろうリズ、今」
「ね、寝てない、起きてた」
「退屈か?」
 セラは真顔でそう尋ねてくる。怒っているのか、何かを試しているのか、あるいは探りを入れているのか、それとも単にかつてのケラススの無表情の名残りなのか、判然としない。
「リズが音楽とか祭りとかが好きなのかよく分からなかったからな。退屈していたのならすまない、ポケモンセンターに戻ろうか」
「……いや、寝てないって、思い出してただけだし。アンタにチゴラス貰った時のこと」
 そう正直に話すと、踵を返しかけていたセラが立ち止まり、リズを振り返った。
 音楽祭の人混みの中、向かい合う。
「…………そういえば……夏至だったな」
「そうだよ、アンタと2人でレンリの辛口白飲んでさ。それでレンリ繋がりで思い出したんかもな」
「………………リズ、無理して思い出さなくてもいい」
「……は?」
 そのセラの一言には、リズも目を点にせざるを得なかった。

「……な、な、何をぬかすかセラ、今さら?」
「思い出してくれるのは大変結構。ただ、『今』も楽しんでくれ。頼むから」
「……どうしたセラ、やっぱアンタ、俺に気が……!」
「最近、思ったんだ。お前と私は、お前の記憶を取り戻すことを目的に旅をしている。しかし、記憶に囚われてはいけないんだ」
「……意味がわからないぞ」
 混乱するリズに向かって、セラはちょいちょいと手招きした。方向を変え、滝の方へと歩き出す。
 水際の草地の上に、ニャスパーを抱えたセラはどさりと座り込んだ。無言のまま、視線でリズも座れと促す。
 リズもシシコが水に濡れないように気を配りつつ、涼しい水辺に腰を下ろした。白い野バラが咲いている。思わずお気に入りの花切鋏を取り出し、棘に気を付けながらいくつか摘み取った。一輪をシシコの耳に挿し、残りは花束にして、手に。


 日が傾いた空は、深い青に染まっていた。
 一年で最も長い昼だ。もう21時ごろだろうに、まだ明るさが残っている。
 涼やかに流れ落ちる滝を見つめて、セラは息を吐き出す。
「最近は、お前が昔を思い出すのが、少し怖いな……」
「……どういうことだよ。冬とか春の間は、さんざん『早く思い出せ』ってせっついてきたくせに」
「このままだと、お前はかつてと同じ選択をするのではないだろうかと思うとな……」
「……いや、意味分かんないぞ、アンタ。なに意味深なこと言って格好つけようとしてんだよ」
 リズはただ青い闇に浮かび上がる手中の白い野バラを見つめてぼやくしかない。
 どうやら、セラはリズについて随分と悩ましい思いを抱えているようだ。
 しかし、リズはその肝心な部分の記憶を取り戻してはいないのだ。だからセラが何に悩んでいるかも分からないし、セラを手伝ってやる事もできない。
 リズは野バラから顔を上げた。

「……俺、何か忘れてる記憶の中で、アンタに酷いこととか、したか?」
「したな。これ以上ないくらい酷い裏切り行為を働いたな」
「……あっそう。……えっ、暴行とか?」
「お前も大概私のことが好きだろう。お前に手籠めにされるほど私も落ちぶれてはいない。すり潰すぞ」
「いや、ジョークだって」
 どうやら本気でセラを怒らせてしまったらしい。さすがに冗談の質が悪かったかとリズも反省した。

 しかし、かつてリズがセラに一体どのような『裏切り』を働いたというのか。
 全く想像がつかなかった。
 もしかしたらAZというやたら長命の老人が関係しているのかもしれない――ということくらいはリズも考えるが、やはり肝心の裏切り行為の内容について見当もつかないのだった。
 だから、セラに対しても反省のしてやりようがない。この割と繊細で執念深いらしい友人を、これから失望させることがないように気を付けなければならないななどとは思うけれど。
 ――それとも、その『裏切り』について、これから思い出すのだろうか。
 それは少し怖いけれど、リズが勝手に記憶を失って、にもかかわらず『裏切り』の加害者であるリズを助けてここまで共に旅をしてくれているセラを、一度ならず二度までも裏切るというのはいくらなんでも人でなしが過ぎる。
 そしてセラもまた、リズが『裏切り』の内容を思い出し、謝罪することを望んでいるからこそ、リズの傍にいるはずなのだ。
 できれば早く思い出して、早く謝れたらいいとリズは思う。


 やがてセラは滝を見つめたまま、小さく苦笑した。
「まあ、心配してどうにかなるものでもないがな。私はお前を信じよう……」
「……あっそう、頑張ってね」
「ただ、これだけは覚えておいてくれ、リズ。お前は去年のお前とは違うのだということを」
 そうしんみりと呟かれて、リズははあと頷いた。
「…………俺が今度こそアンタのことを裏切らないように、か?」
「そう。……私はこの旅には、かなりの覚悟と賭けと、勝負をしている。それが無駄にならないことを祈る」

 長い長い昼の終わる空の下、次のシャンソンが始まった――『野ばらの人』だ。
 セラが、野バラの花を手にするリズを見つめてきた。
 リズは手にしていた白い野バラをセラの耳元に挿してやった。セラは目を細め、穏やかに微笑んだだけだった。





Chapitre3-1. 収穫月のレンリタウン END


  [No.1564] Chapitre3-2. 収穫月のシャラシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:55:03   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre3-2. 収穫月のシャラシティ



7月上旬 シャラシティ


 7月から8月いっぱいまでの二か月間は、カロスの学校は夏休みに入り、街に子供が溢れかえる。
 大人たちも長期休暇をとり、待ちに待ったバカンスを楽しむ。庶民に人気なのはやはり海辺のコーストカロスだ。カロスの家族が大挙して太陽光の降り注ぐ海浜に押し寄せ、賑わいを見せる。
 それは中世祭が行われているここシャラシティも、同じだった。
 シャラには蔦に覆われた白い壁を持つ木組みの家が立ち並ぶ。曼荼羅のようにごちゃごちゃと込み入った印象の海辺の街だ。その大通りを、その日は中世風の格好をした人々が盛んに練り歩いていた。
 広場で大きく枝を伸ばす菩提樹は鈴なりに花をつけ、強い香りを放っている。
 からりと晴れた陽気の下。

 満ちた潮の中に浮かぶマスタータワーに向かって、リズはファイアロー、セラはオンバーンの背に乗って海を渡っていった。
 足元の観光客たちが羨ましそうに2人を見上げてくる。
 満潮にもかかわらずマスタータワーに行きたい、あるいは海の中に浮かぶマスタータワーを空から見たい、という観光客のための飛行ポケモンサービスのアルバイトをしているトレーナーなど、ごまんといる。実入りもいいだろうが、リズやセラが勝手にそのような商売に参入すれば、おそらく先から同商売を行っている者に目の敵にされ、面倒に巻き込まれるだろう。小遣い稼ぎも選ばなければならない。


 空からマスタータワーに入る。
 大陸側の市街地も中世祭のためにすさまじい熱気だったのだが、マスタータワーの方も大して変わらない。
 騎士の鎧を身に着けた者がギャロップに乗って石畳を駆け抜けたり、広場ではシュバルゴ同士が決闘をしていたり、街角では中世の楽器による演奏が喝采を浴びていたり。どこもかしこも伝統衣装に身を包んだ人々がポケモン連れで歩き回っており、まるで中世へとタイムスリップでもしたかような気分になる。
「これは中世の大市を模した祭りでね。シャラはかつてはカロス随一の貿易港で、商業が盛んだった」
 セラが、ゴーゴートに乗っている観光客に目を細めつつそう解説を加える。
 言われてリズも視線を転じてみれば、市場で見られそうな商人や職人、芸人の姿が見分けられる。
 ヒトモシを連れた蝋燭職人、ヒトツキを連れた鍛冶屋、チリーンを連れたガラス細工屋、ムクホークを連れた鷹匠、シュシュプを連れた香水職人、ムウマージを連れた占い師、メェークルを連れた農民、ウソハチを連れた庭師などなど、手持ちのポケモンに合わせた仮装をしているのがいかにも面白い。
 2人の連れているシシコとニャスパーも賑やかな祭りの雰囲気に興奮しきりで、みゃあみゃあにゃあにゃあと2匹で騒ぎながら勝手にあちこち走り回る。リズとセラはのんびりとそれについて言っていた。

 そしてとあるレストラン前でセラはニャスパーとシシコの足を止めさせ、リズを振り返った。
「リズ、せっかくだしマスタータワー名物のオムレツでも食べていかないか」
「おお、甘いもんじゃないんだな」
 セラの先導で、マスタータワーの城壁内のとあるレストランに入っていく。
 案内されたテーブルには小瓶に可憐な白い雛菊が飾ってあった。
 そしてそこで出されたのは、巨大なふわふわのオムレツだった。
 リズはフォークでそれを突っつき、首を傾げる。
「オムレツというよりは…………なんだこれ」
「マスタータワーは潮の満ち引きがあるために、中世の頃はシャラ市街地から食材を運ぶということがかなり難しかったんだ。それで、少ない食材で訪問客を最大限もてなそうとして考案されたのが、この、密度の極端に削ぎ落とされたオムレツというわけ」
「……ほぼ気泡だな、こりゃ」
「一人分は玉子二つで出来ている」
「……それでこのサイズか……そしてこの値段か」
「まあ、カロス人なら一度は食べた経験があってもいいんじゃないか?」
 ふわふわとしたオムレツをあっという間に片づけてしまってから、食後のティータイムに入る。2人分の菩提樹の花茶とシャラサブレが運ばれてきた。
「菩提樹の花の香りは夏を思わせる」
「……今まさに夏なんだが」
「シャラサブレって美味しいよな、リズ。シャラ産の塩とバターを使用しているんだぞ。同じく塩キャラメルも有名だな、どこかで探してポケモンセンターに買って帰ろう」
「……ほんとに甘いもん好きだね、アンタ」



 レストランの窓から、石畳の通りを見やる。
 マスタータワーは修道院であり、砦だ。蔦の這う城壁に囲まれ、その内部にも石造りの街が広がっている。今はその巨大な塔の内部まで中世の服装に扮した人々でひどく賑わっているけれど、本来はマスタータワーはポケモンのメガシンカの研究施設であり、通常は関係者以外の立ち入りを制限している。
 セラはその琥珀色の巨塔を眺めながら、テーブルに頬杖をついた。
「……ちょうど去年の今頃だ。久々にこのマスタータワーに、キーストーンを受け継いだトレーナーが現れた」

 シシコにシャラサブレを与えていたリズも、顔を上げる。頭の中で何かが繋がった。
「……そういえば……そうだったな……」
「プラターヌからポケモン図鑑を託された五人の子供たち。その中の一人が、メガシンカの継承者となったわけだ」
 セラのその声音には、憧憬などが含まれていたわけではない。憎悪も無い、嫉妬も無い、懐古も無い、ただ淡々と思い出に耽っている。
 セラにとってのフレア団として活動していた一年前は、すでに遠い過去であるようだった。
「そもそもフラダリ様は、去年の春にプラターヌからポケモン図鑑を託された五人の子供たちのことを、当初から気にかけておられたようだった。かのお方はプラターヌのご友人だったからな、プラターヌが目をとめた子供のトレーナーに……何かしら期待を抱いておられたのかもしれないな」
「どんな期待だよ」
「……あのお方には視えていたのかもな。その五人の子供の中に、いずれメガシンカを継承し、伝説のポケモンを手懐け、そしてフレア団の野望に仇なす者が現れるということを」
「代表はそれを期待していたってか? んな馬鹿な……」
「――だが少なくとも、ホロキャスターを持つ子供がメガシンカを使ってくれることによって、我々のメガシンカの研究は捗った」
 セラは白磁のカップを持ち上げ、菩提樹の花の香りの茶を優雅に啜る。

「所詮は子供だ、手に入れた力は使わずにいられない。多い日は一日に十度ほどもメガシンカのデータを提供してくれた。子供の持つホロキャスターから発信されるメガシンカの情報を、私たちは貴重なサンプルとして大いに活用することができたわけだからな」
「……メガシンカも研究してたのか、アンタは」
「厳密にはモミジのチームが。私は一時期その応援として加わっていただけだ」
 モミジ、というのは確かセラと同じ科学班の人間だ――とリズは思い出す。たしか髪の青い女性だ。
 科学者というのは、リズが思うよりもフレア団内で多彩な仕事を受け持っていたらしい。
「アンタって何でもできるんだ?」
「まあオールマイティーな部類だったな。クセロシキの直属で……あの野郎の所為でよくあちらこちらのチームにたらい回しにされたが、まあ……電力の窃盗やボール強奪といった野蛮な作戦に駆り出されなかっただけマシか」
「お、おう……おつかれさん」
「何でも研究したな……メガシンカ、伝説のポケモン、最終兵器、生体エネルギー、そして……AZのことも」


 セラは基本的に隠し事はしない性質らしい。それでも『AZ』のことは言いづらそうな様子を露骨に見せてきたので、リズは心優しくもそれは聞き流してやった。
「メガシンカって、何の役に立つんだよ?」
「お前は神秘科学を知っているか。アゾット王国のエリファスという大科学者が大成させたものだが」
「……は?」
「500年前にマギアナという名の人造ポケモンを造った技術でな。それを応用したネオ神秘科学の発明品であるところのメガウェーブは、強制的にポケモンのメガシンカを引き起こすことができる」
「……は、はあ」
「私は、“メガシンカによるポケモンの生体エネルギーの変化”について研究していた。独自に編み出したメガウェーブを使って、ポケモンを強制的にメガシンカさせてだ」
 セラは花茶のカップを置き、無表情で語った。



***


 ハッサム、ライボルト、カイロス、バンギラス、チャーレム。
 対応するメガストーンなど無かった。フラダリからキーストーンを拝借するまでも無かった。メガウェーブを照射することによって、これら五種類のポケモンがメガシンカすることをケラススは突き止めた。
 しかし、実用段階までは至らなかった。研究途中でメガシンカの研究チームから外されたためだ。

「…………クセロシキの嫌がらせだ。確実にそうと言える。あの男、部下であるこの私に何が何でも成果を出させたくないんだ、そうとしか思えない」
「……おう……ド、ドンマイ」
 とある7月の夕暮れ時である。終業直後で黒スーツを着たままのオリュザはミアレシティのとあるバーで、こちらも白衣を着たままのケラススの愚痴を聞いてやっていた。
 ケラススは早いペースで飲んでいた。シャラ産のシードルを一気にあおり、机に突っ伏して呪詛を吐く。
「しねくせろしきしねくせろしきしねくせろしきしねくせろしきしね」
「……こ、怖い、怖いぞケラスス! しねしねこうせんでも出そうだぞアンタ!」
「あの腐れブルンゲル野郎が……呪われボディで朽ち果てろよ……」
「それはブルンゲルに失礼だろ。本気で大丈夫か? トイレ行かなくて平気か?」
「すみませんムッシュー、シャラ産のカルヴァドス、持ってきてください」
「おいやめろもう飲むなやめろ! おちつけケラスス! 潰れるまで飲むなんて、学生じゃあるまいし!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、オリュザはケラススを押さえ、何とか注文を取り消させようとする。
 そのとき、オリュザに両肩を掴まれたケラススの紫水晶の瞳から、ぼろぼろと涙が零れた。

 オリュザは文字通り跳び上がった。
「うぎゃあ! なに泣いてんだ! いい歳した男が! 泣き上戸かアンタ!」
「…………――だ、だってぇぇぇぇぇぇー…………!」
「え、えええええ――…………」
 ケラススがボロ泣きしながらだだをこね始めるのを、オリュザは成す術なく見守っていた。
「せっ、せっかくいいところまで行ったのに、これからだったのに、なんで、なんでなんだよおおー!!」
「……お、おう、そうだな、その通りだな」
「畜生クセロシキめ悔しかったらてめぇの手でメガウェーブ実用化しやがれってんだ」
「……おいアンタそれNGワードだろ、お外で喋っちゃダメ!」
「だめだ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。無理だ。トレーナーとの“絆”無しに強制的にメガシンカさせられたポケモンは、生体エネルギーを大いに損なう。メガシンカを果たしたところでほとんど使い物にならない」
 ケラススの瞳が、涙を零しながらどんどん剣呑な色に染まっていく。その顔から表情が消えていく。


「だが、その“絆”とは何かが、私にはどうしても分からない」
 がっくりとケラススは項垂れた。灰色の目元に短い白髪が張り付く。
「私も分かってたんだ。私には無理だと。クセロシキにも分かってたんだ。私は限界だと」
 彼らしくない諦めの言葉だった。
 オリュザは精一杯、友人らしくケラススを元気づけようと試みた。その白衣の肩を少し強めに叩いてやる。
「……そんなことないって。カネと設備と材料と、あと良い上司がいりゃ、アンタにだって」
「もともと心理学は専門外なんだ。心だなんて不確定なものを、厳密さが要求される理論科学の対象に出来るわけがない、と、少なくとも私はそう考えている。だから無理だ。……ポケモンの心なんて知るか。知ったことか……」
「……うん、アンタが知ろうとしなけりゃまず無理だろうな。でも、メガシンカの研究のことは、もう終わったんだ。次の研究で頑張れよ、な?」
「――知ったような口をきくな、夢想家が!」
 怒鳴られ、思わずオリュザもぎくりとする。こうも面と向かって他人に罵倒されたのは生まれて初めてだった。

「好きなことを好きなだけ喋っていればいいお前のような夢想家とは違うんだ、私に求められているのは結果だ! 結果が出せなければどうなる? 研究費が下りない、ますます研究ができず結果が出せない、私は要済みだ、私は棄てられる」
「……まあ、そうかもなあ」
「今回の件で、代表の私に対する信用は下がっただろう。次があるか分からない。お前にだけ言うが、私はラボに来て以来、結果らしい結果を出せていない。そんなの……金を出すだけ出して何もできない、下っ端どもと同じじゃないか」
 怜悧さを増すケラススの言葉を聞きながら、オリュザは半ば感動していた。
 他人の本音というものを聞かされるのも、生まれて初めてだった。
 もしかして今、自分はケラススに頼りにされているのかもしれないと思うと、鼻が高くなった。
 そして、これはますますケラススに対して的確なアドバイスを返してやらなければならないなとオリュザは意気込んだ。

 オリュザはケラススに向かって、にっこりと笑んでやった。
「アンタは……本当にプライドが高いんだな」
「馬鹿にしているのか」
 涙目のケラススにぎろりと睨まれる。
「結果を出せないと首を切られ、“その時”に殺されるんだぞ」
 そう冷たく言い放たれて、オリュザも考え込んだ。
「……でも、アンタは若いだろ、他の科学者連中よりも。代表はさ、アンタのその、若さを見込んで、ラボに呼んだんだと思うんだわ。だからさ、結果が出せてなくても、これから出せるってことをアピールすりゃ、いいんじゃね?」
 そのような事を、ケラススに向かって訥々と語りかけた。
 ケラススは終始黙り込んでいた。


***


「アンタって泣き上戸だったよなあ」
 レストランの窓ガラス越しにマスタータワーを眺めながらぼそりと言い放ったリズの顎に、セラの拳がめり込んだ。
「いッ……!」
「すまない。唐突にハイタッチがしたくなってしまってな」
「……いや完璧にグーだったよな?」
 顎を押さえながら、リズはにやにや笑う。

 セラは開いた拳をひらひらさせながら、苦笑した。
「何を思い出すかと思えば……」
「セラちゃんってば意外と感情的だよね」
「知ってる。……まあ、ああして私の愚痴を聞いたり私に色々アドバイスをしようとしたり、そういう事をしてくれる存在はお前しかいなかったから、助かった、とだけは今言っておこう」
「『しようとしたり』ってアンタね。もしかしてアドバイスになってなかったのか、あれ」
「残念ながら」
「真面目に考えてアドバイスしたのに」
「天才のアドバイスなんかあてにならないさ」
「アンタだって天才のくせに」
「厭味か」
「天才に天才って言われてんだからおとなしく受け入れろよ」
「そうか」
 二人で揃って菩提樹の花の茶を啜る。

「で、それっきりメガシンカのことはもうアンタの管轄外になっちゃったわけだ」
「そう。そして、私は伝説のポケモンの調査の方に回された」
「……ふうん……ラボ、辞めさせられなくてよかったな」
「フラダリ様にドゲザしたからな」
「…………アンタ、実は、俺が教えたドゲザ、気に入ってるだろ?」
「そうかもな。私はMだから」
「………………あ、あー、そ、そう? そうかなあ?」
 リズは乾いた笑い声を上げた。
 セラは爽やかに笑っていた。





Chapitre3-2. 収穫月のシャラシティ END


  [No.1565] Chapitre3-3. 熱月のキナンシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:56:59   50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre3-3. 熱月のキナンシティ



8月下旬 キナンシティ


「バカンスだ。キナンに行こう」
 例の如くセラのわがままにより、リズはセラと共にミアレシティから超高速鉄道TMVに乗り、カロス南部の大都市キナンにやってきた。

 快晴の空に、太陽が輝いている。
 風はからりと乾いている。
 白銀の葉を茂らせたオリーブの木立に囲まれた小路。
 一面に広がる、鮮やかな向日葵の黄色。香り立つ紫のラベンダーの花畑。
 緑の草原に点々と咲く深紅のヒナゲシ。
 赤茶けた崖と松林との強いコントラスト。
 糸杉に囲まれた果樹園。
 庭の月桂樹。
 赤い屋根の家々。
 桃色の野バラやブーゲンビリアで飾られた窓辺。
 テッカニンが喧しい声で鳴いている。
 ザ・南カロス。

「おいでませ、キナンへ」
「……お、おう」
「キナンは有名政治家や映画スターもお忍びで訪れる高級保養地だ。こんなところにバカンスで来れるなんて私たちはついているな」
「……普通に金払ってTMVに乗ってきただけなんですが」
「というわけでリズ、バカンスを存分に楽しんでくれたまえ」
「……なんのこっちゃ」
 いつものごとく、シシコを肩に担いだリズは、ニャスパーを抱えたセラに引きずられるようにして、見覚えのあるようなないようなキナンの市街地に繰り出していった。



 照り付ける陽射しの下。
 8月、バカンス日和。
 保養地キナンではオペラ祭、演劇祭、音楽祭、映画祭などが催されている。
 野外劇場、大聖堂、教会の中庭といった場所で、オペラや管弦楽、室内楽、声楽、独奏といったコンサートが盛んに開かれ、現代演劇やダンスが披露され、話題の新作映画から古典的フィルムまでが上映される。
 ポケモントレーナーはいずれも無料でそれら芸術に触れることができる。トレーナーの文化的教養を高めることに関するカロス政府の熱意は他の地方の追随を許さない。

 ポケモンコンテストも、ポケモンミュージカルも、トライポカロンも、ポケスロンも、この時期だけでキナンでいくつも開催される。
 ショウヨウシティをスタート地点としてカロスを一周する自転車レースも開幕する。
 リズとセラもポケモンセンターを拠点としながら、夏真っ盛り、それらを巡った。

 料理も酒も美味しい。
 夏野菜のラタトゥイユや肉詰めにしたファルシを、作り方をマルシェの売り手から教わって自分たちで作ってみる。オリーヴオイルやニンニク、種々のハーブの香りが豊かで、南カロスの太陽の味がする。
 甘く汁気たっぷりのロメやカイス、ズア、フィリ、ブリー、モモンも毎朝マルシェにたっぷりと山積みにされている。これはポケモンたちにも齧らせると喜ぶ。
 食前酒にはアニスの香り高いパスティスを。キナンは安価なロゼワインも有名で、きりりとよく冷やしたものを飲むと、夏の強い日差しに火照った体に心地よくしみわたる。

 セラはポケウッドのホラー映画を好んで観た。
「夏といえば怪談だな、リズ」
「か、怪談をホラーと一緒にするな!」
 冷房がききすぎてむしろ寒いくらいの映画館で『恐怖!悪夢の赤い霧』と『ゴーストイレイザー』を立て続けに全編観させられ、リズはシシコと一緒に座席に縮こまったままガタガタ震えていた。
 一方、こちらは平然としているニャスパーを抱えて、セラはくすくす笑う。
「へえ、リズはああいうのは苦手なんだな。……ギオッ! ギオウンッ! グギャアッ!」
「ば、馬鹿、いい歳した男が何やって」
 『恐怖!悪夢の赤い霧』に登場した顔の無い真っ赤な人形の物真似をしてみせるセラから、リズは飛びのく。
 しかしセラは嫌がらせをやめなかった。
「ギョッ! ギョッ! ギョッ!」
「ま、マッギョか!」
「グギャース! ゴボッ! ゴボボボォッ!」
「やめろ! 荒ぶるな!」
 脱兎のごとく映画館から逃げ出したリズを、セラが楽しげに笑いながら追いかける――喉から血を噴くような不気味な笑い声を立てながら。
「ゴボッ! ゴブボッツ!」
「セラちゃん、お願いだから周りを見てッ! 貴方、いま、不審者よッ!」
「ブルルン! ブヒュルル、ブバア!」
「――よく化け物のセリフなんか一言一句違わず覚えてんな!?」
「はは、それを言うお前こそ」






 数日後には、リズはセラに連れられてバトルハウスへ観戦に行った。
「珍しいポケモンを連れたトレーナーが出てるらしいから」
「……いや、俺そんなにポケモンバトルに興味は」
「お前は見ておくべきだよ」
 セラは妙にそう言い張って聞かなかった。

 水を湛えた見事な堀に囲まれるようにして立っている、美しい城館がバトルハウスだ。
 大理石の正面ホールをセラはさっさと突破し、シングルバトルの行われている奥の広間へと入っていく。そこではちょうどバトルの切れ間だったか、大勢の人の行き交う大階段を2人も登り、観覧席である二階テラスへ上がった。
 アンティークのベルベットの椅子にセラと並んで腰かけて、シシコを抱え直したリズは息をつく。そして欄干越しに、吹き抜けの階下に見える、バトルフィールドである大階段の踊り場を見やった。
 そこに立つ挑戦者は、何の変哲もない。
 どこにでもいそうな。
 そんな、少年のトレーナーだった。


 どくり、とリズの心臓が脈打つ。
 わかってしまった。

 服装、髪型、髪色、瞳の色、すべて違うが、あの顔は。
 ――フレア団を滅ぼした子供。


 リズの右隣りで椅子に寛ぐセラは、涼しげに笑った。
「間に合ったな」
「……アンタ、これを見せたかったのか……」
「そう。――あそこに立つ挑戦者の彼こそが、フレア団を壊滅させた張本人、カルム君だ。もっとも、随分と全体の印象を変えてカモフラージュしてるみたいだけど。リズも分かったみたいでよかったよ」
 セラはいつの間に手にしていたのか、そのあたりのテーブルで配られていた軽食のキュウリのサンドイッチをむしゃむしゃやっている。リズもセラの手の中にあったそれをいくつか奪い取って口の中に放り込んだ。
 咀嚼しつつ、渋い顔でその少年トレーナーを見下ろす。
「……カロスチャンピオンが、優雅にキナンでバカンスか」
「まあ、順当に行けばチャンピオンを倒したら、次はバトルシャトレーヌ撃破だろうよ」
 セラが言うが早いか、二階テラスの奥の扉が、ばんと両側に開いた。
 黄色のドレスを身に纏った幼い雰囲気の残るバトルシャトレーヌが、くるくると舞い踊りながら姿を現した。

 野太い声援が一段と強くなる。
「ラニュイちゃーん! 愛してるー!」
「うおおおおラニュイたーん!」
「ラニュイ様あああああああああああああ」
 声援にひとしきり応えてから、ラニュイは大階段をヒールで優雅に駆け下りていった。
 セラは涼しい顔で笑っていたが、リズはたまらず両耳を塞いでしまった。
「……ロリペド野郎がキモい……あとここ、なんか酒と煙草くせえ……」
「カロスで小児性愛は社会問題だね。この一戦だけ観たら出るから少しだけ我慢してくれ、リズ」
 二階の観覧席は超満員になっていた。セラやリズの背後からも、立ち見客がぎゅうぎゅう押してくる。
 ラニュイがプクリンを繰り出す。
 そして、それに対する挑戦者の少年トレーナーも、モンスターボールを投げた。その


 中
 から


 カロス地方の伝説のポケモン、ゼ
 ルネアス
 が

 現れた。



「――う……うう」
 ずきりと、リズのこめかみが痛む。
 Xの文字の刻まれた碧の眼、黒の華奢な体躯、背に浮かぶ五色の斑点、そして七色に輝く角。
 美しい確かに美しい生き物だけれど
 ――いやだ。いやだ。きもちわるい。
 リズは強烈な吐き気に襲われる。

 それまで散々ラニュイちゃんラニュイちゃんと騒がしかったバトルハウス内が、一気にしんと静まり返る。
 少年のゼルネアスの発するフェアリーオーラに、すべてが圧倒されている。
 それと相対するラニュイもプクリンも、強敵にまみえて好戦的な目を輝かせているものの、心なしか気圧されているような気配がする。

 二階の観覧席のリズは手足の震えが止まらなくなっていた。冷や汗が噴き出る。
 見たくないのに、ゼルネアスから視線を外すことがどうしてもできない。
 頭が痛い。
 痛い。頭が痛い。
 ぽん、と右隣りの席のセラに肩を叩かれて、弾かれたように顔を上げた。
 リズの肩を掴んだセラは、リズを見てはいなかった。こちらもゼルネアスに視線が釘付けになっている。
「……よく見てろ、リズ」


 ゼルネアスは速かった。
 そして圧倒的だった。
 七色の光を散らした瞬間、その能力が飛躍的に上昇したように思われた。持っていたパワフルハーブを使用して、大地のエネルギーを一瞬で吸収したのだ。
 ゼルネアスは一瞬で、プクリンを切り伏せた。
 続くブーピッグも、“辻斬り”の前にあえなく敗れた。
 ラニュイの三体目のブニャットは、ゼルネアスの放った月光に一閃され目を回した。


 ゼルネアスがボールから現れてから、勝負がつくまで、観客は誰も一言も発しなかった。
 ただ、少年とラニュイのポケモンに指示を飛ばす声と、審判の宣告だけが小さく響いていた。

 ゼルネアスが場に出ていた時間は、5分も無かっただろう。
 バトルシャトレーヌを圧倒的な力で破るなり、挑戦者の少年トレーナーは何事も無かったかのようにすたすたとバトルハウスを去っていった。
 それからにわかに、少しずつバトルハウスはざわざわとし出した。


 リズの手の震えもいつの間にか止まっていた。しかしその肩を掴んでいるセラの手が痛かった。
「…………おい、もう離せよ……」
「……あ、ああ、悪い。……あっという間だったな」
 顔を上げたセラの顔も蒼白である。
 リズとセラはしばらく顔色の悪いお互いを見つめ合って、そそくさと椅子から立ち上がった。
 無言のまま、他の観客よりも素早く、出入り口が混む前にバトルハウスを抜け出した。



 キナンシティの北の丘を登っていく。
 2人ともふらふらしていた。
 真夏の昼間の陽射しが、眩しくて暑い。
 そこには大きな美しい湖が澄んだ水を湛えており、その傍には菩提樹の木陰になったテラスを持つ、景観のいいおあつらえ向きのカフェがあった。
 8月はバカンス中のためカロスのほとんどの店は閉まっているが、この店は暑い中も営業していた。それは貴重なことで、暑さに疲れた観光客たちが数多く涼んでいる。
 リズとセラはカフェに入店する。

 菩提樹の木陰のテラスから、湖を見つめる。
 とにもかくにも、すっきりと冷たい薄荷水をギャルソンに持ってこさせる。
 それを2人揃ってごくごくと飲み干して、がっくりと大きく息をついた。
 ――とんでもないものを見てしまった。
「……あのポケモン、絶対、バトルハウス出入り禁止になるぞ」
「だろうな。バトルシャトレーヌを瞬殺なんて、抗議どころじゃ済まなかろう」
 口を揃えて、伝説ポケモンはバトルハウスでの使用を禁止されるであろうことを断言する。そうして本題から話を逸らしていた。
 心臓の動悸が未だに止まない。
 2人とも、ゼルネアスを見たのは初めてではなかった。
 セキタイタウンの地下で、見たのだ。


 しかし思い出そうとすると、リズの頭は痛みを訴えた。
 呻いて頭を抱える。
 するとセラの怪訝そうな声が降ってきた。
「……大丈夫か、リズ。どうした。何か思い出したか」
「…………おもい、だせない…………俺たちは……ここで何をした?」
「ああなんだ、勘違いか。――このキナンで私たちがやったことか。それは、発見した“樹”と“繭”の調査と確保だ」
 リズが頭痛に苦しんでいることには興味などないかのように、セラは淡々と語る。
「メガシンカの研究を切り上げさせられた私は、キナンへ向かった。キナン近郊の山中で“樹”と“繭”を発見したという報告があったからな。それが本当に伝説のポケモンなのか調べていた。そこにお前も、なぜか来ていた」
「……なんでだよ……」
「さあ、お前が自分の記憶に訊いてみるしかあるまいよ。……でも、そうだな……推測するに、お前はカロスの伝説のポケモンに興味を抱いていたようだった」
 セラはさらに一口、淡い緑色をした薄荷水で喉を潤した。

 菩提樹の木陰は涼しかった。
 リズの頭痛もようやく収まってきた。しかしそれと同時に、腹の奥底から恐怖が背筋を這い上がってきた。悪寒がする。震える手で前髪をかき分ける。そのまま頭を抱えた。
「…………いやだ……あのポケモンは……いやだ……」
「落ち着け、リズ。あれはもうここにはいない。トレーナーの持つモンスターボールに封じられている」
「…………だ、だめだ…………いやだ…………え? なんでだ?」
 初めて見たもののように、リズは前髪に触れていた自分の右手を見つめる。

 何かがおかしい。
 なぜ、こんなにもあの伝説のポケモンが怖い。
 わからない。
 思い出せない。
 思い出したくもない。
 怖くて怖くてたまらない。

 気づくと、テーブル越しにセラに両肩を掴まれていた。
 身を乗り出したセラの銀紫の瞳が、リズをまっすぐ見据えている。
「今はまだ思い出さなくていい」
 リズはぽかんとして、ただテーブルの上に虚ろな視線を投げていた。
「…………なにを?」
「何も、だ。やはりお前にあれを見せるのは性急すぎたな。でも、この期間のバトルハウスでもないとあれを確実に見ることはできないんだ。すまなかった」
「…………あれは……何だったんだ…………」
「あれはゼルネアス。生命を司るカロスの伝説のポケモンだ。“樹”から蘇った。昨年の晩秋に、セキタイタウンの地下で、最終兵器へのエネルギー移送の最中に」
 そうセラに説明されても、その情報が頭に入るだけで、記憶は刺激されない。
 リズには実感が湧かなかった。
 恐怖の正体も分からない。リズは自分の肩を抱きしめる。
「…………あれを見るとすごく怖いんだ」
「そうかもしれないな」
「…………なんでなんだ?」
「あれが、神だからだ。お前が嫌う物の最たるものだからだ」
 セラの手が、ぽすぽすとリズの頭を軽くはたいてくる。
「大丈夫だ。もう、これ以上、あれが私たちを害することはない。リズは余裕のある時に、過去の記憶と、今の現状を、受け入れればいい」
「でもすごくこわい」
「私だって怖い。……そういえば去年のお前も、“樹”を見ただけで怖がっていたな」



***


 暑さに喘ぎながらも、黒スーツは着崩さず、キナン市街にほど近い山の中を歩いていく。
 そしてその白く枯れたような“樹”を目にしたとき、オリュザは吐き気を覚えた。熱中症かもしれないが、そうでないかもしれなかった。
 とりあえず茂みの陰で吐瀉した。
 眩暈と痙攣が無いことを確認してから何食わぬ顔で現場に戻ると、涼しげな顔をした白衣のケラススが、べたべたと気色の悪い“樹”に触って計測機械らしきものをその木肌にくっつけていた。

 ケラススが集中しているのにも構わず、能天気を装って声をかける。
「……よう、元気そうだな、ケラスス・アルビノウァーヌス」
「オリュザ・メランクトーンか。相も変わらず、バカンスもとらないで仕事に精の出ることだな。奴隷か」
「ブーメランぶっ刺さってんぞー」
 軽口を叩きながらも、オリュザの視線は“樹”に釘付けになったまま動かない。
 ケラススは計測機械の調整に熱心である。部下の科学者をこき使って、てきぱきと作業をこなしているようだ。
「……なあケラスス、これ、ポケモンなの?」
「十中八九そうだ」
「俺にはウソッキーにしか見えねえな」
「悪いがお前の頭の健康状態を計測している暇はないんだ」
 本当に忙しそうにしているので、しばらくリズはそのあたりに転がっていた松の倒木に腰かけて、ケラススの作業を眺めていた。
 すぐ近くに濃い紫のタチアオイの花が美しく咲いているのにも、気付かないまま。

 ケラススがホロキャスターで誰かに何かを報告し終え、下っ端に計測機器の撤収を命じたところで、オリュザは再びケラススに声をかけた。
「当たり、か?」
「ばっちりだ」
「そうか。じゃあ、この“樹”が、ゼルネアスなんだな…………」
 優に5メートル以上の距離を空けて、オリュザは恐々としてそれを見上げる。
 静かな樹木だ。
 何の気配も感じない。
 途端に馬鹿らしくなって、オリュザの腹に憎悪が渦巻いた。
「…………焼き潰したい」
「おい、やめろ。そんなことをすれば、重大な裏切り行為だぞ」
 ケラススに神経質に咎められても、オリュザは口を止めなかった。
「憎い。こいつが憎い。何が生命を司る神だ。ふざけるな」
「おい……いいかげんにしろ」
「ふん。好きにしろよ。アンタらがこれをどう使おうが知ったことか」
 オリュザは吐き捨てて、山を下っていった。腹いせに、タチアオイの紫の花を引きちぎりながら。



 それから数時間経った後だっただろうか。
 夕暮れ時、オリュザがキナンシティの湖畔のカフェで頬杖をついてぼんやりしていると、やっと山を下りることができたらしい白衣を脱いだケラススが真っ直ぐこちらに向かって歩いてくるのが見えた。相変わらずの無表情が一歩ごとに大きくなってくる様を眺めていて、オリュザはとうとう噴き出した。
「よう、ケラスス」
「人の顔を見て笑うとはいい度胸だな、オリュザ」
 ケラススは苦笑し、テラス席のオリュザと同じテーブルの、向かい側の席に腰を下ろした。ギャルソンに冷たい薄荷水を注文してから、オリュザに向き合う。
「さっきは、どうした」
「どうって、別にどうも」
「やけにゼルネアスを敵視していたな」
「ああ、あれ? 俺、ゼルネアスって気に食わないんだよね。イベルタルもだけど」
 にやにや笑いながら、オリュザはテーブルに行儀悪くだらりと寝そべる。
「特にゼルネアスとイベルタルは憎むべき対象だが、基本的に伝説のポケモンは全般的に嫌いだ。伝説のポケモンを捕獲しちまう現代技術も嫌いだ」
「……それはまた……ラディカルだな」
「だって、モンスターボールが発明されたせいで、人間は神の力も手にすることができるようになっちまった」
 オリュザは寝そべったまま伸びをした。


「なあケラススよ。この世はいずれ、神の力を持ったカリスマに支配されるだろう」
「……それも、お得意のお前の持論か?」
「そうだ。ただ、カリスマ人間もいつかは必ず死ぬ。古代帝国の皇帝が死んだように。そうなると、だいたいは王位は世襲って話になるが、カリスマ王の子孫は往々にして無能なんだよな。貴族が権力を簒奪し、政治が腐敗し、市民が怒る。それがいわゆる近代市民革命だ」
 しかしそれで終わりではない、とオリュザは言葉を継いだ。
「ところが、市民ってのもお利口さんばっかじゃない。市民による民主性は多数決原理を採用するが、それは衆愚制に陥る危険性を孕んでいる。では、どうするか?」
「――それを打破するための、『不死の王』……か」
「へえ、俺の本、読んでくれたんだ? ありがとさん。――その通りだケラスス、『死なないカリスマ』がいれば万事解決だ」
 オリュザは地面に下ろしていた鞄の中をひっかきまわすと、一冊の書籍を取り出した。『不死の王』という題の、オリュザが在学中に執筆した本の一つだ。
 学界からは批判ばかりを浴びせられた論文の塊だが、フラダリは気に入ってくれた。
 そしてそれをきっかけに、フラダリはオリュザをフレア団に招じ入れたのだ。

 オリュザは姿勢を崩したまま、その本の表紙を指の背でコツコツと叩く。
「現代科学の発展により、人間は生命の神であるゼルネアスをも御すことができるようになった。あるいは、ポケモンの生体エネルギーを自在に操ることも可能になった」
「厳密には現代科学ではないな、3000年前には既にAZ王によってその技術が確立されていたから」
「あ、そうなの。まあとにかく、ゼルネアスを使えば……『不死の王』が生まれる」
「それが……我らのボスというわけか……」
「そうだ。――世界中の人間の大多数をイベルタルの力で吹き飛ばしたあとは、我らが代表にはゼルネアスの力により不死になっていただく。そして『不死の王』による、誤謬の無い、唯一絶対の意思により統率される、新世界がここに始まる」


 オリュザはテーブルの上にべったりと潰れたまま、そうフレア団の理想を語った。
 まったく格好がついていない。
 ケラススは軽く眉を顰めただけだった。
「……お前はやる気があるのか?」
「俺にやる気はありません。やるのはアンタらです。ばんがってください」
「……無責任だな」
「思想家の責任は煽動することだけにあるんだよ。モンテスキューの三権分立がイッシュ独立に影響したように。ルソーの国民主権がカロス革命に影響したように。分かるだろセラ、ミアレ第十一大学行ったアンタならそれくらいコレージュやリセで習ったよな? バカロレアの試験対策で勉強したよな?」
「…………ああ」
「で、同様に、俺に出来るのはフラダリ氏の情熱の赤き炎を煽り立てることだけだ。ついでに周辺のアンタらの心も動かせれば、それだけフラダリ氏が動きやすくなってめっけもんだがな」
 そうぼそぼそとオリュザは言い募った。

 ケラススは溜息をつく。
「……勿体ないな。お前にはポケモンバトルの腕もあるし、頭も回る。その気になれば、フレア団上層部までも登りつめられるだろうに」
「残念ながらケラスス、俺がムッシュー・フラダリと共に行くのは、最終兵器が火を噴く時までなのさ」
 オリュザはテーブルの上で金茶の瞳を細め、にやにやとケラススを見上げていた。
 ケラススはまたもや表情をこわばらせた。
「……まさか、お前はやっぱり裏切りを――」
「違う違う、そうじゃない。――俺は、フラダリに、最終兵器で、殺してもらう。フレア団員じゃない一般市民と同じにな」

 ケラススはどこまでもぽかんとしていた。
 初めて見る間抜け面だった。
「………………え?」
「だから、俺は、アンタと一緒に永遠の命に恵まれた新世界に行くことはできんのよ、ケラスス」
 そうオリュザは笑った。





Chapitre3-3. 熱月のキナンシティ END


  [No.1566] Chapitre3-4. 実月のヒャッコクシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 20:58:36   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre3-4. 実月のヒャッコクシティ



9月初め ヒャッコクシティ


 夏が終わろうとしている。
 強い風が吹く。雨が戻ってくる。
 風の音に、リズはベッドの上で目を覚ました。いつもと同じ下着一枚で横向きの姿勢。枕元には相棒のシシコが腹を見せて眠っている。
 ここはヒャッコクシティのポケモンセンター上階の宿舎だ。
 窓辺には、空いたワインボトルに白百合の花が飾ってある。夏の名残を惜しんで、リズがヒャッコクの道端に見つけたものを花切鋏で切り取ってきたのだ。
 寝転がったまま、その夏雲のような白をリズは見つめている。

 ――思い出した。
 自分は、最終兵器が起動した暁には、カロスの一般市民と一緒に死ぬつもりだったのだ。



***


 キナンシティの湖畔のカフェで、その菩提樹の影のテラス席で、ケラススには目を点にされた。本当に、珍しいくらいにぽかんとしていた。
「正気か?」
「おう」
「正気か?」
「ああ」
「正気か?」
「はい」
「正気か?」
「その質問、尋ねてる側の方が正気じゃない場合はなんて答えりゃいいんですかね?」



 それから、ケラススには聞かなかったことにされた。
 たぶん、夏の暑さでオリュザの頭の螺子が融け落ちたのだ程度に思われている。
 面倒なので、オリュザは放置している。

 そして何事も無かったかのように、黒スーツのオリュザと白衣のケラススは2人でヒャッコクシティにやってきて、“ミラベル祭り”の最中にもかかわらず、伝説のポケモンについて調べているのだ。
 とある民家にいた男性学者から聞き出したことには、イベルタルとゼルネアスは約800年前にも出現しただとか、寿命は1000年だとか、3000年前のカロスでの戦争でも姿を現したという言い伝えもあるだとか。
 ケラススは肩をすくめていた。オリュザは苦笑した。

 ミラベルというのはこの地域の特産品で、プラムに似た黄色い果実である。
 収穫がこの時期ということで、ヒャッコクの街は8月下旬から9月初めまでミラベル祭り一色に染まるのだった。
 色とりどりの造花で飾られた山車が行列をなして大通りを練り歩き、気球が飛行ポケモンと共に空を飛ぶ。
 ヒャッコクを象徴する日時計前の広場では民族音楽が奏でられ、ダンスが披露される。市庁舎の屋上からはミラベルを模した巨大な黄色い風船が広場に投げ込まれる。まれにビリリダマが投げ込まれるのが性質が悪い。また別の広場には移動遊園地が設置され、子供たちが歓声を上げていた。
 屋台ではミラベルのジュースやタルト、パンケーキ、シュケット、マカロン、マジパン、キャラメル、マドレーヌなども売られている。

 広場の隅でマルシェで買ったもぎ立てのミラベルをもぐもぐやりながら、ふと我に返ったオリュザは声を上げた。
「……なんで俺らは、ミラベル祭りをのんびり満喫してんだ?」
「息抜きだ。最後のな」
 ケラススも甘いミラベルを生のまま齧りながら、無表情で淡々と答えた。
「“樹”だけでなく、“繭”も発見し確保した。計画は最終段階に移行する。これからは忙しくなるぞ、オリュザ」
「ああそう、頑張ってね」
「またお前は他人事のように……」
「実際、他人事だもの。俺はやる事はやった。フレア団の思想を説明するわっかりやすい本を今年だけで6冊出した。フレア団の資金集めと人手集めに一番貢献したのは俺だろう、間違いなく」
 オリュザはふんぞり返りつつも、造花で飾られた山車が通りを行き過ぎるのをつまらなそうに見つめていた。
 ケラススも山車にはあまり興味がなさそうに、手元のミラベルばかりを注視している。
「……なあオリュザ、お前は、本気で」
「いやだなケラスス、分かってるくせに……」
「……何の話だ」
「分かってる、みなまで言うな。俺は至って本気だ。俺は本気で、アンタのことが……!」
「ああはいはい、夏風邪は馬鹿がひくんだったな」
「馬鹿と天才は紙一重とも言う」
「言ってろよ」
 オリュザはケラススにごく雑に押しやられた。最近、とみにケラススのオリュザの扱い方が雑になっているように感じられる。からかっても柳に風、暖簾に腕押し。
 ケラススも諸準備で忙しいのだろう。疲れを滲ませた、やや棘のある声を上げた。


「…………最終兵器でお前も死ぬつもりだというのは、本気か?」
「いやだなケラスス。本気にしたのか?」
 オリュザは指についた果汁を舐め、にっこりと笑ってやった。
 しかしケラススは怯まない。
「これまでのお前の言動から考えてみたんだ。お前は、『死の存在しない無意味な生』に価値を見出さない――そうだったな? つまりお前は……私たちフレア団員だけが永遠の命を享受する新世界に、生きるつもりはないという事か」
 その言葉を受けて、オリュザは右隣りの相方を見やった。

 ケラススは相変わらず、手元のミラベルに熱い視線を注いでいる。
 こちらを見ないのが気に食わなかったが、オリュザは諦めた。出会った頃は何かにつけてその銀紫の双眸で真正面からオリュザを睨みつけてくれていたものだが。
「……そうだな。アンタの言う通りだよ」
「そんなのは、無責任じゃないか。『不死の王』の構想を私たちに与えたのはお前なのに」
「俺は道標を示したに過ぎない。その道を本当に選ぶのか、選んだとしてどのように進むのかは、アンタたちの選択に委ねている」
「そんな……そんなのは…………」
 ケラススは手の中の柔らかいミラベルを握りつぶしていた。拳を握りこむように、種子を握りしめている。
 ケラススが顔を上げた。まっすぐオリュザを見つめる。
「――そんなものは、欺瞞だ。お前の生きる意味とは何なんだ?」


「俺に生きる意味なんてないよ。探したけど見つからなかったのさ」
「なんで。本を書いただろう、あれもすべて遊びだったというのか、暇つぶしか何かだったのか?」
「さあ。わからない。少しは生きる意味を見出したかもしれない。でも、やっぱり、自分自身が考え出したフレア団の理想の新世界では、どうしても生きたいとは思えなかった」
「どうしてだ。あの世界はお前の理想を描いたものじゃないのか?」
「違うよ。“人類一般”の理想を描いたものだ」
「“人類一般”の理想を描いておいて、どうしてお前はそこに含まれないんだ?」
「さあ。なぜだろう。結局はアンタの言う通り、夢想だったのかもしれないね。ただの俺の空想、ファンタジーの世界。フラダリはそれを本気にしちまっただけだ。なにせ俺が大学で『不死の王』を書いた時、俺はゼルネアスやイベルタルが実在するなんて確証は持っちゃいなかったし、3000年前の最終兵器がまだ動くだなんて思いもしなかったんだ」


「フラダリ様を愚弄するな」
「愚弄してない。あいつはうっかり、俺の本を見て、勘違いしちまったんだよ。少しだけ、ほんの少しだけ、あいつを勢いづけちまったんだよ」
「だからお前は、フレア団に責任を持たないとでも言うのか?」
「あるいは、フレア団以外の人間に責任を持つのかもな。結局はあれは、この世の99.999%以上の人間を滅ぼそうって計画だ。傲慢な支配者の理論だ」
「自分の理論が間違いだと認めておいて、それを撤回せず、暴走するフレア団を止めようともしないのか!」
「それをアンタが言うか?」


 ケラススは目を逸らした。
 オリュザはその左肩を軽く叩いてやった。なおも問いかける。
「アンタは、俺がフレア団は間違いだと言えば、それでやめるのか? フラダリを裏切れるのかよ? ……アンタの目的を思い出せ、ケラスス・アルビノウァーヌス。夢想家の墓石から漏れ聞こえてくる戯言なんざに耳を貸すな」
 オリュザの手は払いのけられる。
「私は……永遠を生きたい」
「そうか。気が合わないな」
 下を向いたままの相方を、オリュザは寂しく見つめた。
「アンタにとって、新しい世界が素晴らしいものだといいな……」
「梯子を外された気分だ。この裏切り者」
「アンタって泣き上戸だよな。なに酔ってんだよ」


「……死なないから、悲しみが無いんだろう。誰も死なないから生きる意味を失わずに済む」
 しかしオリュザはもうケラススを見ていなかった。
 背を向け、ミラベル祭りに沸くヒャッコクの雑踏へと一人で歩き出している。

「……大切な者が死ぬのが悲しいのは、生きる意味を失うからだ」
 ケラススの声が恨みのように追ってくる。

「……誰かを喪って泣くのは、誰かの為じゃない。そいつを大事にしていた自分が否定されるからだ」


「……誰も死ななければ、自分を失う必要なんてないじゃないか」


「……死なないからこそ、生きてる意味があるんだろう」


「…………なんで、わかってくれないんだ、オリュザ」




***


 ――そのちょうど一年後の現在、リズはそのセラと、ヒャッコクのポケモンセンターの宿舎のツインルームをシェアしているわけである。
 思い出すだに恥ずかしい。
 いったい一年前のヒャッコクでの決別の後、自分たちに何が起きたのか。想像するだけでリズは怖くなってくる。あまり思い出したくない気がする。

 リズはオリュザだ。傍から見たら頭のおかしい自殺志願者だが、その自殺の願いさえもリズ自身にとっては、まったくもって共感できるものなのである。永遠の命などに意味も価値も無い。
 リズもオリュザも、0か∞かどちらかを選べと迫られたら、迷いなく0を選ぶ。
 そして、0ではなく∞を選ぼうとするケラススが考えていることは、リズにもオリュザにも理解できない。
 今のセラについては、言うも更なりである。
 わからない。
 今この部屋にいるセラは、いったい何を考えながら、今年の1月から9月の今日までずっとリズの傍にいたのか。
 想像するだけでも怖くてたまらない。


 リズが布団の中でぶるぶる震えていると、向こう側のベッドで、目覚めたらしいセラが起き出した気配がした。さっさと衣服を整えている音がする。
 一度は背を向けた相手だと意識し始めると、リズはもはやセラに対してどういう顔をしたらいいのか分からなくなってしまった。
「……っつーか、いつから俺らは『セラちゃん』『リズちゃん』なんて可愛らしいあだ名なんかで呼び合っちゃってんだよ。俺が未だに思い出せてない去年の9月から今年の1月までの間に、いったい俺らに何があったんだよ。ああ怖い怖いこわいでも気になるでも知りたくない嫌だ恥ずかしい」
「……何をさっきから一人でぶつぶつ言ってるんだ、リズ」
「うおう。おはようございます、セラ」
「おはよう。起きるか?」
「お、起きます」
「大丈夫?」
 短い白髪、灰色の肌、銀紫の瞳。自分を覗き込んできたセラの顔の造形を、リズはじっくりと眺める。まったくもって記憶の中のケラススと同じ顔である。
 つり目だ。露わになったおでこがチャーミングかもしれない。
 誠実そうな、爽やかな眼をしている。
 まったく何を考えているのか分からない顔をしている。

 セラは暫く黙ってリズの不躾な視線に耐えていたが、やがて溜息をついた。
「なに。何か不愉快なことでも思い出したか?」
「うっ、おう、はい、もちのろんです?」
「語尾を上げるな。9月だし、ヒャッコクだし、あのミラベル祭りでのことを思い出したってところか……」
 セラは遠い目をした。リズは恥ずかしさに震えた。
「……な、なんか、すまんな、こんな自殺志願者で。でも、俺、やっぱり、永遠に生きるのは嫌です」
「やっぱり考えは変わらないか。そうだろうと思ったけど…………」
「でも、もうフレア団もなくなったから、もう永遠に生きるかもって事は考えなくていいんだよな」
 リズは一人で思考を整理した。――そうだ、よく考えてみたら、もう、自分は自殺志願者なのだという理由でセラに遠慮することはない。数十年しかないまっとうな人生を普通に歩めるのなら、リズもわざわざ自殺を選ぶほどではないと思えるのだ。

「ああ、でも……セラは、永遠に生きたかった、んだよな?」
「…………ああ、そうだな。聞いてくれるか? 去年はお前、私の話をろくに聞かずに行ってしまったもんな」
 セラは自分のベッドの縁に腰を下ろし、とてとてと寄ってきたニャスパーを膝の上に乗せた。
 それからリズをまっすぐ見つめる。


「私は幼い頃、それはそれは大切にしていたポケモンを亡くしてね。それ以来、大切な者を失うことを極端に恐れてきた、まあよくいる根暗な子供だったわけだ」
「……その通りかもしれないが、あんま卑下する必要はないだろ」
「ありがとう。まあとにかくそういう理由から私は、生物が死ななくて済むようにする技術を開発する科学者になることを夢見た」
「……それがフラダリが理想として掲げてた『永遠に生きられる新世界』を知ってしまって、それに夢中になったってとこか」

 セラははにかむ。
「正直、去年お前に出会って、お前の本を読んでみて、その『新世界』の発想元がお前かもしれないと知ったときは興奮した。オリュザとフラダリ様がいるこのフレア団なら、私の望みを叶えてくれると確信なんてしてな」
「…………さ、さいですか…………」
「だから、お前が新世界に行かずに最終兵器で死ぬつもりだなどと言い出した時は……その、なんていうか……正直に言おう。悲しかったよ」
「悲しかった? アンタが? 俺が死ぬっつったから?」
「私は誠に勝手ながら、お前やフラダリ様と共に永遠に生きる新世界を、夢見ていたんじゃ、ないかな……。それだけ大切だったんだよ。でも、もし、お前が死んでしまうなら……意味がないじゃないか。死の無い新世界を創り出そうとした私のこれまでしてきたことの意味も……そしてお前を大事に思った私自身も……否定されるだろう」
 セラは慎重に言葉を選んでいた。
 これまでとは違う、揺れている不安げな声音。


 ああ、なんだ、とリズは思った。
 これまでの道のりはずっと、セラの思い描いた通りだったのだ。ただただリズはセラの誘導に従って記憶を取り戻していけばよかったのだ。
 けれど、今は違う。これからはリズは、オリュザとして考え、セラであるケラススに対しても我を貫かなければならない。
 セラと戦わなければならない。
 もう、リズはセラと目的を違えているのだ。
 セラは今まさに、リズに対して、思想の変更を求めている。理解を求めている。
 できる範囲ならば、リズもセラの望みを叶えてやりたい。けれど退けない一線は守らなければならなかった。リズが、リズとして生きる意味を貫くために。



「ケラスス・アルビノウァーヌス。俺の持論を聞かせてやる」
 リズは金茶の瞳を細め、言い放った。
 セラが銀紫の瞳を僅かに瞠る。どこか警戒するような、緊張したような様子を見せる。
 それが面白くて、リズは笑った。
「思うに、命には二つの面がある。一つは命の客観面である『生命』、もう一つは命の主観面である『人生』としよう」
「……生命と、人生か。それで?」
 セラは挑むように顎を上げた。リズは鷹揚に語る。
「それぞれについて詳しく説明しよう。すべての人間の命は平等だなどと語る際の命とは、命の客観面である『生命』を指す。客観的に見れば、白人だろうが黒人だろうが、赤ん坊だろうが病人だろうが、『生命』は平等だ。そういう意味じゃ、すべての人類の命は平等だ」
「……なるほどな」
「では、例えばとある男が、二人の子供が川で溺れかけているのを見かけたとしよう。一人は自分の子供で、もう一人は赤の他人の見知らぬガキだ。さて、その男にとって、二人の子供の命は果たして平等だろうか? 違うだろう。自分の子供の方が大事に決まっている。――このように、主観を通してみた際に、人間の命は不平等になる。『人生』には軽重があるんだ」

 セラは頷いた。
「人は客観的な命としては平等だが、主観を通して見た命には、人によって重い軽いがある、と。で?」
「アンタと俺の『生命』の重さは等しい。じゃあ、ここで俺――オリュザ・メランクトーンの主観を通して見てみよう。俺の『人生』は、アンタの『人生』よりも著しく軽い。まるで羽毛だ、綿だ。だから俺は、俺の命が今すぐ蒸発しても惜しくない」
「だが、私の主観を通して見れば、お前の命も私の命も、等しい重さを持っているが」
「そこで問題だ。命って、いったい、誰のものだ?」

 セラは顔を歪めた。
「……自分のもの、じゃないのか」
「だろ。自分の命の価値は自分で判断して自分で処分するべきだ、と俺は考えている。あくまで俺の持論だがな」
 リズは寂しく笑ってみせた。

 セラも寂しげに、苦しげに笑んだ。
「……私がどれだけお前を大事に思っていようと、お前がお前自身のことをどうでもいいと思っている限り、お前は自殺を選ぶと、そういう事か?」
「そうなるな」
「……だが、それは誤りだぞ。お前はお前自身より、私の人生の方が重いと考えているんだろう? それならお前は、お前自身の主観よりも、私の主観を大事にすべきではないのか?」
「そういう論法は駄目だぜセラちゃん。俺はアンタの命は尊重するが、アンタの価値観を尊重するとは一言も言ってない」


 セラは黙り込んでしまった。密かに唇を噛んでいるようにも見えた。
 リズはひらひらと手を振った。
「とまあ、こんな感じだ。俺は何が何でも、アンタの価値観に従うわけにはいかない。俺は俺自身の価値観に従って生きさせてもらう」
「……それがお前の、生きる意味?」
「基本的な生き方、と呼んでくれ。要は、アンタに生きる意味を押し付けられる筋合いはないっつーことだよ」
「………………そう。よく、わかったよ」
 セラは俯いて、目を閉じていた。
 リズはベッドの上で胡坐をかいて、セラに明るく笑いかけてやった。
「そうどんよりするなよ、セラ。別に俺は、最終兵器が使われて永遠に生きなきゃいけない新世界が始まるってことがないんなら、数十年くらいの人生なら、特に意味が無くてもぼんやり生きてやるしよ」
「……そうか。数十年なら、お前も耐えてくれるんだな」
 セラは微笑んではいたものの、それはからかう口調にしては、力が無かった。





Chapitre3-4. 実月のヒャッコクシティ END


  [No.1567] Chapitre4-1. 葡萄月のクノエシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:00:37   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre4-1. 葡萄月のクノエシティ



9月下旬 クノエシティ


 目を覚ますと、セラが消えていた。
 一人しかいないポケモンセンター宿舎のツインルームで、枕元のシシコが毛づくろいしている気配だけを感じ取りながら、リズはしばらく白い天井を見つめてぼんやりとしていた。

 朝の7時半ごろ、日が昇ってくる。
 外は曇り、室内は10℃でもう肌寒い季節となっていた。
 昨晩まで確かにセラが休んでいたはずのベッドは、まるで使用されたことなどないかのようにぴしりと几帳面にベッドメイクされていた。おそらくニャスパーの念力のなせる業だろうとリズは適当に結論付けた。エスパーポケモンはだいたい何でも出来るものだ。
 セラの痕跡は、いっさい部屋から消えている。
 上着も無い。荷物も無い。室内履きも無くなっている。
 10か月弱もの間ずっとリズと行動を共にしていたセラが実は幽霊だったというオチでも別におかしくないぐらい、気配が消えている。
 書き置きなども何も無い。
 しかしホロキャスターを操ってみれば、きちんとセラのホロキャスターの番号は登録されたままである。かといって、彼に電話を掛けたりメールを送ったりする気にはなれなかった。これまでもそんな事をしたことはなかったし。

 リズにとってセラとは、記憶の中の唯一の友達であり、またリズが記憶を失っても常に傍に居続けた物好きな人間だ。それでも、だからといって特別に大事に思うほどの相手ではない、ように思われる。
 エゴイストであることを自覚しているがゆえに。
 そのリズは、自分の領域が侵されない限りは、他人の意思や価値観を尊重するつもりである。セラがどこかへ行きたくなったのなら自由に行けばいいし、リズに付き合うのが厭になったという話なら別にそれでも構わない。好きに生きてくれればいい。
 リズは興味もなく、のんびりと伸びをしてベッドから立ち上がった。
 セラがいようがいまいが、やる事は今日も変わらない。とりあえず朝食にして、当面の宿代飯代を適当に稼がなければならない。そろそろ冬着も欲しいところだ。



 季節はもう葡萄を収穫する頃だけれど、ところがこのカロス最北の街クノエシティは、葡萄の栽培北限を越えてしまっている。
 そのためこの街では、朝から夕まで農家のコマタナたちが偉そうなキリキザンの指揮の下でせっせと葡萄を摘み取る秋の風物詩を拝むことは叶わない。地酒もワインよりはむしろビールが有名だ。

 木々の葉が色づき始めている。
 家々の庭のボダイジュやブナは金茶に。
 街路のプラタナスは黄赤や薄茶や青枯れのものなど様々に匂う。
 路地にはマロニエの落葉の薄黄の吹き溜まり。
 ナナカマドは鮮やかな真紅に。
 カエデは水彩のような橙黄色に。
 ツタは深紅に、石造の家々の外壁を染め上げ。
 そして黄金や緋色のナラが、クノエの街全体を上品な錦に織り上げている。

 公園や庭には淡紅色のコスモスや、赤・橙・黄・白・ピンク・薄紫と様々な色を持つダリア、これまた赤黄橙白と鮮やかな色を剣のように飾ったグラジオラス。
 秋のクノエは華やかだ。
 リズは、のんびりと朝食のバゲットを買うために朝のクノエを散歩しながら、秋の色彩を花切鋏で手の中に集めている。さながら七色のパレットのような美しい花束が出来上がった。
 リズの足元を、シシコがくるくると駆けまわっている。仲良しだったニャスパーがいなくなってもシシコはいつもと同じ調子だった。
 明るかった夏の太陽はあっという間に雲に覆われてしまい、既に涼しくなってはいるけれど、秋は秋でこれまた心躍る季節だ。カロス各地で葡萄や林檎の収穫祭が大々的に催され、それらの果実から新酒が造られればまたもや各地でワイン祭りが開かれ、それからは年末のノエルに向かって気分が盛り上がってゆき、そして年明けを盛大に祝う。
 ――それが毎年繰り返されるはずだ。
 フレア団はそれらをすべて破壊しようとしたが、その野望ももはや潰えたのだから。
 季節は巡る。
 美しい人とポケモンの営みは続いていく。



 その後ポケモンセンターに戻り、朝食のバゲットをカフェオレに浸しながらホロキャスターのラジオでニュースを聴いていて、リズは顔を上げた。
『昨日午後、ミアレシティで、自称フレア団所属の科学者の男・クセロシキが、強盗罪その他の容疑により、ミアレ警察によって逮捕されました』
 ――クセロシキ。
 記憶の中のケラススが何かとオリュザに愚痴を言っていた、フレア団でのセラの上司の名前だ。
 ニュースを聞いていると、どうやらそのクセロシキという男は、ミアレに住む貧しい移民の少女に、アルバイトなどと称して精神を遠隔操作する恐ろしいスーツを装着させ、意識のない少女にミアレの人々のポケモンを強奪させたり、美術館の絵画に落書きをさせたりした、というのである。
「ロリコンきめぇ」
 感想の一つめはそれだ。男が少女の意思を奪って操ったなどと言っているが、確実にいやらしい事があったはずだ。――とリズは思う。
 さらに、その少女の精神を操って犯罪を強要するというのは、クセロシキに間接正犯が成立するのみならず、実に重大な人権侵害だ。それは倫理的に手を出してはならない研究分野だったはず。そのような研究をフレア団の援助なしに一定水準まで完成させてしまったクセロシキは、まさにマッドサイエンティストの名がふさわしいように思われる。
 セラがこの男を嫌っていたのも、納得されるのだった。
 今頃セラもどこかでこのクセロシキ逮捕のニュースを聞いてほくそ笑んでいるのだろうか――と考えたところで、リズはバゲットの欠片を丸ごとカフェオレの中に落としてしまった。

 ――なぜ、いなくなったセラのことを気にする必要がある?



***


「ケラススはどうした?」
 ミアレシティのフラダリラボの休憩室。一人きりでこっそり上等のセキタイ産シードルを楽しもうとしていたところに背後から低く穏やかな声を掛けられ、オリュザはびくりと飛び上がった。
 恐る恐る振り返り、きまり悪く笑いながら立ち上がる。
「…………Bonjour, Votre Majeste………...」
「Bonjour, Oryza」
 カエンジシを思わせる勇猛な風体の、ダークスーツに身を包んだ長身の男。
 にこやかな表情を浮かべているその緋色の毛髪の男と握手を交わすと、ようやくオリュザは上目遣いに顔を上げた。

「…………あ、シードルなんていかがっすか、ムッシュー・フラダリ」
「頂こう。ほう、セキタイ産か。これは貴重なものになるだろうね」
「……っすね」
「今年はもうセキタイでは林檎の収穫が無いからな。名残惜しくはあるが、我らの美しい世界を創るという理想の為ならば仕方あるまいな」
「……林檎が採れないっつーことは、セキタイ住民の移転も完了したんすね」
「9割方は。あとはもう、梃子でも動かない連中だろう。まあどこにやっても同じ話だが。……ところでロゼ・シードルだな、これは。実に美しい」
「Oui, Monsieur. なんか、赤くてフレア団っぽくていいかなーと思って」
「――それでオリュザ、ケラススはどうした?」
 そう何気なく話題を移されて、フラダリのために薔薇色の林檎酒をグラスに注いでいたオリュザは、危うくむせかけた。
「…………な、なんで、あいつのことなんか? 陛下がお気になさるんで?」
「確か今月の初めまでは、お前たち2人はよく一緒にいたと記憶しているが。さて、喧嘩でもしたか」
 赤いシードルのグラスを優雅に揺らしながら、フラダリは休憩室の黒い革張りのソファに緩慢な動作で腰を下ろす。獣のように緩やかでありながら隙の無い所作だ。
 その鋭い視線を向けられて内心びくびくしつつ、オリュザは視線を逸らした。

 フラダリは目敏い。そして恐ろしいほどの記憶力を持っている。フレア団員の下っ端に至るまで、その顔や名前、所属、出身地、手持ちのポケモン、好きなデザートまでもを記憶しているのである。そして下っ端にも気さくに話しかけ、よく気にかけ、それがまたフラダリをカリスマたらしめている一因ともなる。もちろん、皆を率いる王としての資質も十分ある上でだ。
 そのフラダリだから、オリュザとケラススの不和にもすぐに気づいたのだろう。
 実際、オリュザはケラススとヒャッコクで別れて以来、連絡すら取り合っていない。


 オリュザは数秒間視線を彷徨わせた末に、はあと溜息をついた。
「…………ああ、なんだ、聴いてたな」
「ほう、分かるか」
「分かるだろ。……アンタも大概、暇人だな」
 ホロキャスターの電源を入れて常に持ち歩いている今となっては、オリュザにプライバシーなど有って無いようなものだ。オリュザの発言の一つ一つは音声データとしてフラダリラボに送信され、監視される。秘密を漏らさぬよう、裏切りを起こさぬよう。もちろんホロキャスターの電源を切ってしまえばプライバシーは守れるが、それをしないことが組織への忠誠を示す。
 フラダリは、新世界の不死の王は、全知全能でなければならない。
 そもそもホロキャスターの盗聴による情報の掌握それ自体、オリュザが提唱したことなのだから。

 オリュザはグラスを空けると、がたんとそれをローテーブルの上に置く。
「そもそも、俺をアイツと組ませたのはアンタだろう。何故そんなことをした?」
「異なる分野の化学反応を試した、とでも言えば満足するか?」
「気まぐれで、科学者と思想家をくっつけてみたわけかよ。で、お望みの化学反応とやらは得られたのか?」
「いや、どうやら失敗だったようだな。残念だよ、オリュザ」
 低い声に名を呼ばれると、オリュザの二の腕にざわりと鳥肌が立った。――フラダリを失望させてしまった、と思ってしまった。それこそがフラダリの持つカリスマ性のなせる業だ。

 ――ああ、本当に素晴らしい。
 フラダリこそ、オリュザの思い描いた『不死の王』の理想に限りなく近い存在だった。
 この男なら、やるだろう。
 世界を滅ぼし、ポケモンを滅ぼし、限られた選ばれた者だけが永遠の生を享受する新世界を統べる王となる。

 気分が高揚して、オリュザは喉を擦れさせて笑った。
「あはっ」
「どうかしたか、オリュザ」
「いやね。アンタも相当キてるな……うん、最ッ低の人間だ」
「世間のごく一般的な市民感覚ととかけ離れていることは自覚しているつもりだが、えてしてリーダーとはそういう者でなければ務まらぬだろう。そしてそのようなリーダー論を示した張本人であるお前に、最低となじられる謂れは無いと感じるが?」
「やだよ。……ああ、分かっちまったよ。アンタの考えが。アンタは俺を買いかぶりすぎだよ。アンタが何を言おうが、ケラススがそっちに行こうが、俺は行かないよ。約束通り…………殺してくれよ」
「そうか。つくづく残念だ」
 目を伏せてみせるフラダリに、オリュザは苦笑する。その残念そうな様子も、フラダリからごく自然に発せられた本心でありポーズなのだと思いながら。

「俺のことをおだててくれるの、それなりに嬉しかったし楽しかったよ。でも、もうやめようや。アンタは俺の知らないところまで行っちまった。俺は道標を示したが、道の先に何が見えるかなんて知らないんだ。プラトンの哲人王は自らを育てた者を超越しなければならない」
「やれやれ。お前もケラススに対しては友人として心を開いていたようだったから、もしかすれば思い直すかとも期待したのだがな。実に、口惜しいが――委細承知した。約束はそのままに」
 フラダリがボトルを手にし、二人のグラスにとくとくと赤い林檎酒を注ぐ。
 それを掲げ合った。
「別れの杯だ。僅かなる余生を安らかに過ごせ、親愛なる夢想家よ」
「我らが不死王の治世に幸多からんことをお祈り申し上げる」



 ――というような雰囲気たっぷりの別れを交わしておきながら、フラダリは悪びれることなくオリュザに『最後の仕事』を押し付けてきた。
「ところでオリュザ、最後にクノエのビールを飲みたくないか?」
「は? 飲みたいの? 買ってこようか?」
「詳細は送る。すぐ発て」
「はいよ。余命少ない人間にも最後まで人使いが荒いのね、陛下」

 オリュザも分かっている、オリュザは最終兵器が火を噴くその時まで、フレア団員だ。フラダリの部下だ。フラダリの命令には絶対服従である。
 それにこれが、オリュザのフレア団としての最後の仕事になる。
 ビールの名産地、クノエで。
 オリュザはフレア団の下っ端たちと共に、超長身の老人・AZの捕縛を命じられていた。


 14番道路“クノエの林道”。
 その薄暗い湿原を、真っ赤なウィッグに真っ赤なサングラスに真っ赤なスーツといういやに目立つ出で立ちの下っ端たちと共にオリュザは歩き回った。赤い花のフラエッテに“フラッシュ”で行く手を照らさせながら、目標の老人を捜す。
 最低の任務だった。
 フラダリの最後の嫌がらせかと思った。
「暗いし寒いしオーロットとか出そうだしゴーストに首筋舌で舐められそうだし」
 ぶつくさ言っていると、オリュザは木の根っこにつまずいて泥の中に顔面から突っ込んだ。
「あいた。顎を岩にぶつけた。……ってこれ、闇の石じゃん。ラッキー、って俺のポケモンには使えないけどな。光の石だったらクローリスを進化させられたのに、残念。ミアレの石屋には高く売れるよな。つっても残り少ない人生、別に贅沢したいわけでもなし……」
 開き直って、泥まみれで立ち上がる。たまたま拾った闇の石をちゃっかりポケットにしまい込みながら。転んでもただでは起きないという言葉は実にロマンをそそられるものだ。
 黒スーツは泥ですっかり台無しになってしまったが、これでもうフレア団の仕事は終わりなのだから、気にもならなかった。この任務が終わったら捨ててしまおう。

 しかし、それにしても、フレア団の下っ端たちは使い物にならない。
 やれオシャレな赤いスーツが汚れただの、怖いだのなんだの言って、ろくに動こうともしない。これだから金持ちの子息令嬢は困る。というより、フラダリも何だかんだ人手が必要だとか言って、綺麗なお仕着せだけ与えておけば資金が勝手に集まってくる程度にしか思っていないのではなかろうか。
 そんな傲慢な人間ばかりを集めて、新世界が上手く統治できるのだろうか。
 オリュザには分からない。最終兵器が作動した後のことは、すべてフラダリと、ケラススに任せておけばいい。自分が死んだ後の世界など知ったことではない。


 ホログラムメールのフラダリの立体映像が、オリュザに任務の詳細を語りかける。
『セキタイの例の物の分析が進んでいるが、どうにも“鍵”が無いと動かないことがわかった。長い白髪、3メートル超の巨体、名はAZ。その老人が“鍵”を持っている。だが念のため“鍵”だけでなく、その老人ごと確保しろ』
 誰に盗み見されるかわからないメールであるため、内容は適当に省略されていた。行間を読み取りつつ、オリュザは内容を把握する。
 セキタイタウンに眠る最終兵器は“鍵”が無いと動かないので、その持ち主を捕らえろ――。
 しかし3メートルの巨体を持った人間など、果たして存在するのか。
 というか、3000年前の鍵なんか、あっても使い物になるのだろうか。
『頼むから、3000年前の鍵など鍵穴から複製できるのではなどと言ってくれるなよ、オリュザ。クレッフィの“フェアリーロック”という技をお前も知っているだろう? それと同じく、あれにはフェアリーの封じる力が働いているのだ、本物の“鍵”でないと動かない』
「あ、そうなの。残念ね」
 一方的に話してくる立体映像に相槌を打って、オリュザは最後のホログラムメールを端末から消去した。



 フラダリの指示は的確だった。
 クノエの林道に、AZは潜んでいた。
 20時半ごろ、日没。
 下っ端の一人が連れていたゴルバットがそれを発見した。やはり人間よりポケモンの方が役に立つ。オリュザは指示を飛ばし、下っ端たちに包囲させる。

「クローリス、“サイコキネシス”」
 血のように赤い花を捧げ持つフラエッテに命令を下す。
 囲い込み、茂みから追い出して、その挙句なぜかオリュザのフラエッテを捕まえでもするかのように手を伸ばしかけていた、やたら長身の老人をフラエッテが強力な念動力で拘束する。
「……Bonsoir, Monsieur. アンタがAZ?」
 茂みから飛び出してきた老人に、オリュザはきちんと挨拶をした。一方的にフラエッテの力で自由を奪ってはいるけれど、まだ上品な方だろう。
 長い白髪を持った、ハブネークを縦にしたような長身の老人は、動けなくなってもほとんど表情に動揺を見せないまま、聞き取りにくい低い静かな声でぼそりと呟いた。
「……フラダリの手の者か」
「ちょっと我が家にご招待したいんですが、お時間頂いても?」
「……ふん、男にくれてやる時間など、無い」
「おいおい、うちの可愛いクローリス以上の美女がいったいどこにいるっつーんだよ? アンタの目は節穴か?」
 意外にも、そしてこの状況でも冗談などを口にできるAZの度胸に、オリュザは感心した。軽口を返してやる。
 しかしAZの視線は、もとよりオリュザよりも、そのフラエッテに注がれていた。

「なんだい爺さん、クローリスに一目惚れか?」
「…………その……フラエッテに」
 AZは表情を動かさないまま、血の色の花を捧げ持ったオリュザのフラエッテをどこか痛ましげに見つめていた。
「……なぜそんな哀しそうな表情をさせるのか……」
 そう囁く老人に、オリュザはわずかに目を見開いた。いったい何を言い出すかと思えば。
 思わず自分のフラエッテを見つめる。
 赤い花のフラエッテには、笑顔はない。瞳に生気は無い。虚ろに、ただオリュザの命令に従ってAZを拘束し続けている。
 オリュザは不思議に思った。――あれ、こいつ、こんな顔してたっけ。フェアリーポケモンってもっと生き生きしてる印象があったけれど。
 AZの低い声が投げられる。
「……私のことは、好きにするがいい……もはや抵抗はしない……」
「おおいいですね、物わかりのいい男性はモテますよー」
「だが……そのフラエッテは、なぜ……フラエッテ…………今……どこにいるのか……どうすれば会えるのか………………」

 オリュザの背後では下っ端たちが、意味不明なことを口走るAZを嗤い嘲っている。その下品な口調から、まったくお里が知れるというものだ。
 どうやらAZに抵抗の意思はもう無いようだった。腕を縄で縛りあげても、もはやうんともすんとも言わない。その胸元には不思議な形の古びた“鍵”を提げている。それは申し分ない。

 その長身の老人は、正常な精神状態にあるとはオリュザには思えなかった。瞳は虚ろで、身につけているものもボロボロで、白い蓬髪を泥に引きずっても気に留める様子もなく、長すぎる手足を縮こまらせて、意味の通らない独り言を垂れ流している。
 なぜこの老人が最終兵器の“鍵”を持っているのか、そしてなぜそのことをフラダリが知るに至ったのかは、オリュザには知らされていない。
 しかし、最終兵器と関わりのあるらしい老人の心を失った様子が、ただそら恐ろしかった。
 しかもなぜ、オリュザのフラエッテに妙に拘るのか。
 そのように老人については疑問ばかりが浮かぶが、オリュザは首をもたげる好奇心を殺した。
 だって、カロスはもうすぐ滅びるのだ。





Chapitre4-1. 葡萄月のクノエシティ END


  [No.1568] Chapitre4-2. 霧月のコボクタウン 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:02:50   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre4-2. 霧月のコボクタウン



10月末 コボクタウン


 セラがクノエシティでリズの前から消えてから、一ヶ月以上が経った。
 セラからの連絡は無ければ、セラの噂を聞くこともない。
 ただリズは淡々と、9月までセラと2人で一緒にしてきたことを独りで続けている。シシコを担いでカロス地方を歩き回り、ポケモントレーナーと出会えばバトルをし、勝利して賞金を稼ぐ。食事をし、シャワーを浴び、着替え、宿で眠る。贅沢をしなければ十分生きていくことができる。

 去年の記憶も着実に戻りつつあった。
 去年の今頃、リズはすっかり死ぬつもりでいて、実に心穏やかに秋の日々を過ごしていた。クノエでAZを捕縛させられて以降は、フラダリから面倒な仕事の依頼が来ることもない。法律や政治や経済や哲学について思索を巡らせることもしなくなっていた。もちろん本を書くこともしない。
 泥まみれの暑苦しい黒スーツも捨ててしまった。
 ゆったりとしたシャツに、紅色のカーディガン、ゆとりのあるサルエルパンツ、開放感あるサンダル。その身一つで、秋の涼しい風を受け止める。

 そしてただひたすら、無為に、カロスの季節の移り変わりを眺めていた。
 日の沈むのはめっきり早くなった。もう18時には暗くなっている。
 冷たい雨も増えた。
 街路のプラタナスの葉が色づき、鈴のような実が枝いっぱいにつく。
 カロスの各地の森ではキノコ狩りが盛んになり、家族連れが森へと出かける。そして毒ポケモンに攻撃され病院へと搬送される者が腐るほど出てくる。
 林檎やマルメロ、胡桃が収穫される。
 街路では焼き栗の屋台が出てくる。
 牧場のゴーゴートが肥え太る。
 野生ポケモンの狩猟も解禁され、ジビエがマルシェに並ぶようになる。それと同時にポケモン食に反対するデモも頻発する。じきにポケモンが滅びることも知らずに、呑気に平和に。
 丘陵を覆う畑の葡萄の葉が真っ赤に染まる。
 フレア団としての仕事を終えて、久々に、本当に久々に、道端に咲いていた秋色アジサイを花切鋏で摘み取って手の中に花束を作った。美しい花の首を切り取るとき、たまらなく甘美な気持ちになる。
 オリュザはそれらを、静かに、独り、見つめていた。
 永遠などない、美しく儚いカロスの終焉の姿を。


 列石の生贄とする強いポケモンを十分な数だけ捕獲し、電力エネルギーも十分に奪い取り、生命と破壊の力を秘めた“樹”と“繭”を確保し、最終兵器の“鍵”が手に入った。もはやオリュザの出る幕はない。オリュザが何もしなくてももうフラダリは立ち止まらないし、フレア団は後戻りできない。
 セキタイの住民はその9割ほどが市街に退避しているが、そのことはほとんどニュースにもなっていない。政治も沈黙している。政治も経済もマスコミも、その中枢は既にフレア団に掌握されているのだ。
 フラダリがここまでできるとはオリュザも思わなかった。
 自分の思想をここまで現実にしてくれるのは、嬉しかった。
 けれどそこでオリュザは、自らが抱いた夢想に殺されることとなる。



 ――そこまで考えて、リズはふと我に返った。
 いつの間にか、街中の小道に立ち尽くしていた。腕の中のシシコが不思議そうにみいと鳴く。
 記憶が戻り始めてから、どうも意識が一年前に引き戻されてしまうことが増えてきていた。
 セラも言っていたはずだ、記憶に囚われず、今を楽しめ――と。
 ここはコボクタウンだ。
 秋は深く、ショボンヌ城を擁するこの城下町は、葡萄の収穫祭で沸き返っている。


 パルファム宮殿を建てたカロスの時の王をして「ワインの王にして、王のワイン」と最大級の賛辞を贈らしめた有名なワイン、それが貴腐ワインである。その極上のワインの完成を祝う祭りが、10月末のコボクタウンで賑やかに催されているのだった。
 陽射しのある昼下がり。
 コボクの住民や国内外のワイン好きの観光客が、立派な菩提樹が葉を落とす中央広場に集まってきていた。石畳の上には大きなワイン樽がいくつも積まれており、涎を垂らしそうな勢いのワイン好きたちの視線を集めている。
 ショボンヌ城を預かる当主が、長い長い挨拶をする。
 シシコを抱えたオリュザも群衆に立ち混じり、広場の隅からそれを見物していた。人々は樽の中のワインこそを目当てに集まっているため、誰一人としてショボンヌ城主の挨拶に耳を傾けている者はいない。心なしか城主が可哀想である。
 挨拶が終わると、伸びやかな柔らかいホルンの音色が秋空に響き渡る。
 やっと、広場に積まれたワイン樽が開封された。そわそわする人々を尻目に専門家が淡々とテイスティングをし、出来立ての貴腐ワインにお墨付きを与える。
 そうして、いよいよ、宴の始まりだ。

「A votre sante!」
「A votre sante!!」
 コボクの民が一斉にグラスをかざし乾杯する。
 それにリズもちゃっかり混ざった。グラスを傾けると、出来立ての貴腐ワインの濃厚な甘みと独特な味わいが口の中にふんわり広がる。
 思わずリズもほうと息を漏らした。
 広場のあちらこちらでも同様に感嘆の声が上がっている。
 地元の人間も、観光客も、次から次へとワイン樽へ押し寄せ、周囲の人間とおしゃべりを楽しみつつ今年の貴腐ワインを味わっている。美しいショボンヌ城と紅葉した森という情緒あふれる風景を眺めながらの極上ワインは最高だ。
 広場の周辺には軽食や菓子などの露店も並ぶ。人々の熱気は冷めやらず、つい飲み過ぎた者が上機嫌で歌など歌い始める。
 秋に収穫されたきのみも広場に山と積まれて、これは山から下りてくるカビゴンをもてなすためのものだ。
 いつの間にやら秋空は赤みを帯び、風も冷たいけれど、宴はこれからが本番だ。



 そのようにポケモンと一緒になってカロスの人々が楽しげに馬鹿騒ぎをするのを眺めていると、自然とリズの意識は、昨年の秋に引きずられていく。
 去年も、そう、オリュザは独り各地の収穫祭を回ってワインを試飲したり、あるいは森の中へキノコ狩りへ行って手作りのキノコ料理を楽しんだりと、他のフレア団員が必死で新世界を迎える準備を整えているのを尻目に遊びまくっていた。
 ケラススを目にすることはなくなって、フラダリと会うこともなくなって、オリュザは一人、ただ独り。
 楽しかった。孤独は好きだ。誰にも邪魔されることなく思索に耽るのはオリュザの第一の楽しみだった。もうフレア団のことなど忘れて、秋の涼しい日々と美味しい酒や料理、美しい季節の花々を愛でながら、残り少ない自分の命を愛おしむ。
 死にたかったのだ。
 美しく儚い秋の落葉の中に、オリュザは自分を埋葬してしまいたかった。

 なのに、その一年後になっても孤独に生きている現実を目の当たりにして、今のリズはつらかった。去年は楽しかった、確実にもうすぐ死ねると思っていたから。日々を楽しむといっても結局はオリュザは空っぽだった。ほんの僅かな秋の日だけが生き甲斐だった。短いからこそ、いいのだ。人生は数十年だからまだマシだが、短ければ短いほどいい。
 花は短い季節にしか咲かないから、美しいのだ。
 ただでさえ虚ろな日々が、長く続けば続くほど、その価値は逓減していく。
 また何度もこの秋を繰り返せば、季節外れの花が色あせるように、リズの希薄な人生の意味は失われてしまう。



***


 セキタイタウンが崩壊した。
 地底に眠っていた最終兵器が地上で開花した拍子に、吹っ飛んでしまった。
 そのニュースをコボクタウンでの収穫祭の最中に聞いたオリュザは、ついに始まったかと思った。終わりの始まりだ。
 これでフレア団の人員は、セキタイ周辺に集められるだろう。
 ミアレのフラダリカフェの地下に隠されたフラダリラボに公権力の捜索が入る可能性は低い。警察や軍隊、そしてポケモン協会の上層部は既にフレア団と繋がっているのだ。

 だからオリュザはのんびりと秋の日和の中、ひっそりとしたフラダリラボに戻っていった。好奇心のゆえに。
 名目はまだフレア団員だ。支給されていたカードキーは有効なままで、エレベータを使って地下のフラダリラボへと潜っていくことができた。
 やはりラボは閑散としていた。
 ところが、その磨き上げられているはずの黒いタイルに激しいポケモンバトルの痕跡を認めて、オリュザは金茶の瞳を細めた。

 ――ラボ内に、争いの形跡。
「侵入者でもあったか」
 そのような情報はオリュザのホロキャスターには入っていないが、十中八九そうだろう。先日のフラダリによる『フレア団以外の皆さんさようなら』宣言を受けて、ラボの在り処を突き止め、その上で潜入を試みた者がいた、のだ。

 そのことに気付いたオリュザは、笑みを浮かべていた。
 その人物のなかなかの行動力に多少は感服した。
 最終兵器が起動した以上、その者はこのラボではフレア団を止めることはできなかったのだろう。
 それにしたって、なかなか大した度胸だ。
 その者が敵とする相手はフレア団であり、カロス随一の大企業であるフラダリラボである。政治も経済もマスコミもすべてフラダリの味方をしている。にもかかわらず、無謀にも、フラダリに仇なす者が現れようとは。
 大した大馬鹿者だ。
 そして馬鹿と天才は紙一重だ。


 オリュザは一人でぞくぞくしながら、無人のラボを奥へと進む。入ったことのない資料室を覗いてみた。そこもまた、何者かに荒らされた形跡がある。
 侵入者が関心を抱いた資料を、オリュザも覗きこんだ。

「王の名はAZ、始まりと終わり
 時代を超えた技術でカロスを最初にまとめた者
 豊かなカロスは狙われた、王は戦争を避けられなかった
 愛しいポケモンも戦いに出さねばならぬほど激しく醜い乱であった
 王はカロスを豊かにした自慢の技術を意にそぐわない形で発揮せざるを得なかった……
 王だった男AZは消えた
 AZには弟がいた……
 カロスを奪うためカロスを欲しがる者を導き入れたとも言われている
 だが戦で荒れ果てたカロスを目の当たりにして兄AZが造ったものを地中に埋めたとされる
 王だった男AZは消えるとき鍵を持ち去った
 それこそが最終兵器を動かすために必要なもの
 王の弟は子孫に最終兵器の在り処を伝えて死んだ
 あれは神が使うもの、人は触ってはならない
 人に出来ることはあれが必要ではない世界を創ること……
 AZが哀しみ苦しみながら最終兵器を造っている時に残したとされる言葉
 “愛するポケモンを生き返らせて何が悪いのか!
  そのポケモンが蘇るならば他のポケモンに意味はない!”」

 要するに、フラダリの先祖はカロスの簒奪者であり裏切者であって、その兄AZはカロスの創造者であり破壊者であったのだ。
 それだけでもオリュザは笑った。
 しかしそれにしても面白かった。まさかこんな資料がラボに眠っていたとは。
 フラダリが王弟の子孫だということは知っている。ということは、これはフラダリの家に伝わっていた資料なのだろう。信憑性も高い。フラダリは最初から、最終兵器の在り処も、そしてその“鍵”の在り処も知っていたわけだ。そしてオリュザの思想を利用し、人員と資金を集めた。
 フラダリは自らが神となることで先祖の戒めを超越し、最終兵器を使用するのだ。
 AZの考えも、オリュザにはある程度は共感できた。そう、意味も無く生きているポケモンに価値は無い。けれど、生きる意味など、自らが見出すものではないか。AZにポケモンの価値を決める権利は無いし、愛するポケモンを蘇らせ他のポケモンを殺す権利は無いではないか。――というのがオリュザ個人の持論だ。
 フラダリは第二のAZになろうとしている。フレア団員だけに永遠の命を与え、その他の人やポケモンの意味を抹消し殺すつもりだ。その新世界の統治モデルは、うまく機能する可能性はあるとしてオリュザ自身が示したものだ。フラダリの手腕次第では哀しみも苦しみも無い新世界が創出される。けれど、フラダリが信じられないというわけではないけれど、オリュザはその傲慢さに唾を吐いた。
 梯子を下ろすとか、裏切るとか、そういうわけではないけれど。
 これはやはり、オリュザのただの空想の産物を、フラダリに利用されただけなのだ。
 ――フラダリは、ケラススは、まだ本気でこんなことをするつもりなのだろうか?




 地下へと降りていった。
 地下3階は科学者の領域だから、オリュザの持つカードキーでは立ち入ることができない。
 地下2階には、地下牢がある。灰色のコンクリートが打たれた寒々とした一角だ。フレア団を裏切った者やフレア団に仇なす危険人物を捕らえ、ときに拷問を加え、また闇に葬るための処刑場。
 もしかしたら、ラボに侵入したその大馬鹿者にまみえることができるかもしれないと思ったのだ。その者は最終兵器の起動の妨害に失敗して、フレア団に捕まったものだと、てっきりそうオリュザは思っていた。
 しかしそこにいたのは、果たしてAZとケラススだけだった。

「……あ」
「…………オリュザ?」
 その牢獄の前に佇んでいた白衣姿のケラススが、オリュザの姿を見ると振り返り、その傍までごく自然に歩み寄ってきた。
 向き合う。
 ごく自然に、握手の挨拶をする。普通の友人同士みたいに。
 二か月弱ぶりの再会だった。懐かしい、気もする。
 ヒャッコク以来だ。たしかあの時は9月初めのミラベル祭りの最中で、そこで、どんな話をしたのだったか。オリュザはすぐには思い出せなかった。一ヶ月以上も何も考えず、花から花へ移る蝶のようにぶらぶら遊び歩いていたせいで、どうも記憶がさび付いている。

 ただ、ケラススは銀紫の瞳を細めて、穏やかに微笑した。
「久しぶりだな」
「……そうだな」
「オリュザの私服姿、初めて見たな。ずっと黒スーツだったから、かなり新鮮だ」
「……ど、どうも?」
「お前、どうしてここにいるんだ」
「いや……ラボに人がいないから」
「当たり前だ。もう皆セキタイに移動した。オリュザも……来るのか?」
 そう、どこか期待をしている眼。
 ああ、とオリュザは思った。思い出した。首を振る。
 それだけでケラススの表情は面白いくらいに曇った。
「…………そうか。まあ、だろうなとは思った」
「それより、アンタはここで何してんの? こいつ、最終兵器の“鍵”を持ってた爺さんだよな? “鍵”を拝借した後もまだ後生大事に捕まえてたのか」
 オリュザは地下牢の中で座り込んでいる、異常に背の高い老人を視線で示す。AZはオリュザに対して特に反応を示さず、寒そうな牢の中で俯いたまま動かない。
 ケラススもまたAZを見やった。


「私は、彼の不死について研究していた」
「……不死?」
「彼はAZ。3000年前にカロスを最初に統べた王、偉大なる科学の父だ」
 ケラススはごく真面目な表情でそう告げた。
 オリュザはぎくりとした。
「…………3000歳? ま、さか……王本人?」
「お前からしたら、色んな意味で信じられないだろうな。けれどおそらく本物だ。最終兵器に注入したゼルネアスの力により、不死という病を得たのだろうよ。このAZ王は3000年前、戦争で死んだ愛するポケモンを蘇らせて、二人きり、永遠を生きようと試みたそうだ。そのために、イベルタルの力で一度カロスを滅ぼした」
 オリュザは額を押さえる。

「私は彼の細胞を採取し、色々と実験をさせてもらった。実に興味深い」
ケラススは酷薄な笑みを浮かべていた。それをオリュザは、薄ら寒い思いで見つめていた。
「3000年前に最終兵器の光を浴びた彼の全身の細胞は、形質転換を引き起こした。いいか、オリュザ……彼は『癌人間』なんだ」
「…………う、うえええ……」
「彼の全身の細胞はテロメラーゼの再活性化が常軌を逸脱している。そのためテロメアが身長修復され染色体が維持され、ゆえに永続的に細胞分裂を起こし、細胞は不死化する。この異常な高身長もその副作用といったところか。――まさに癌じゃないか。全身を癌細胞に侵されながらも3000年にわたりその生命機能を維持し続けている、これはまさに驚嘆すべき事例だ」
 ケラススは無表情で、つらつらと語った。
 心なしかその瞳が冴え冴えと輝いているように見えて、オリュザは吐き気を催す。

 AZが醜く生きていた。――そら見ろ、最終兵器を使うからこうなるのだ。
 フラダリも、ケラススも、思い知ったはずだ。
 永遠の生どころか、たったの3000年で、人の心が壊れるということを。
 なぜそれを直視しない?
 なぜ、永遠の生にそうまでしてこだわる?
 そんなに生き返らせたい、あるいは生き永らえさせたい愛すべき存在でもいるのか?



 ケラススは不意に、モンスターボールからニダンギルを繰り出した。
 その片割れの赤紫の布を腕に巻き付けさせると、不意にケラススは右腕を高く振りかぶり、AZの幽閉されている檻に向かって、刀刃を勢いよく振り下ろした。
 牢が破られる。
 何をしようとしているのかとオリュザが息を詰めて見守っていると、ケラススは憑りつかれたような足取りで、俯いて座り込んでいるAZに歩み寄った。
 ニダンギルの一振りを、再び、振り上げる。
「――ちょ、おい!」
 オリュザの制止は届かなかった。

 切っ先が、AZの肩を抉る。
 それでも、座り込んでいた老人はわずかに呻き声を上げただけだった。
 ニダンギルの刃を鉄錆色に染めて、ゆらりとケラススはオリュザを振り返る。
「……なに、今のはただの細胞サンプルの収集だ」
「い、いや、頬の内側を爪楊枝の柄なんかで擦れば、いとも簡単に細胞なんて」
「彼は不死身だ。でもそれはどういう意味で、不死身なんだろうな? たとえば首を斬っても死なないのか? それを確かめようと思って、私はここに来たんだ……」
 ケラススは無抵抗の老人を、冷ややかに見下ろしている。ニダンギルの片割れを片手で握りしめたまま、くつりと笑う。
「…………そうすればわかるさ、オリュザ。ゼルネアスに生命を与えられた者が、絶対に死なないものなのか」


 再びニダンギルがケラススの腕を持ち上げるのを目にして、オリュザも迷わずボールを投げた。
「クローリス、そいつを止めろ」
 赤花を手にする表情の無いフラエッテが、念力を発し、ケラススごとニダンギルの動きを止める。

 ケラススがにたりと笑う。
「マルス、“アイアンヘッド”」
「クローリス、“フラッシュ”」
 もうひと振りの宙に浮遊していたニダンギルがフラエッテに斬りかかる。
 それに対し、フラエッテが眩い光を放ち、その場の全員の視界を白く焼く。

 オリュザ自身も眼球の痛みに苦しみながら、叫ぶ。
「……やめろ、ケラスス」
「なぜ? お前の大嫌いな、不死身の人間だろう? お前はこの老人を見て、こう思ったはずだ――『なぜ生きてる』『なぜ自殺しようと思わない』『3000年も生きるなんて苦しくないのか』『どうしても死ねないのか』『自分だったらそんなのは御免だ』『永遠の生を望むフレア団は頭がおかしい』…………、と」
 ケラススは視界の利かない白い光の中、地を這うような声で囁く。
「だからさ、調べてやるよ、明らかにしてやる……最終兵器で永遠の命を得た者が、本当に死ぬことができないのか。もし死ぬことができるなら、お前だって、文句はないんだろう?」
「…………、何を言って」
「一緒に行こう、オリュザ」
「………………アンタ、ほんとに俺のこと好きだよねえ」


 フラエッテの光が止む。
 その場にいた全員の視界が次第に戻ってくる。
 ケラススは涼しげに笑っているけれど、その瞳には悲しみを宿している。オリュザにもそれが分かってしまった、このたった一年未満ケラススと一緒にいただけで分かるようになってしまった。
 ニダンギルの追撃が来ないことを確かめて、オリュザは吐き捨てる。
「言っただろう、ケラスス。俺は他人の命は尊重すると」
「……それはつまり、お前は3000年を生きるAZには吐き気がするけど、それを私が勝手に殺すのは我慢ならない、ということか?」
「そうだ。俺だって、その爺さんにはとっとと自殺すりゃいいのにとは思うがよ、決めるのはあくまでこの爺さん自身だ。アンタの価値観を押し付けられる義理は、この爺さんには無い」
「……意味がわからない、オリュザ」
「分かりやすく言ってやる、自殺は止めるな、だが殺すな。――ニダンギルを収めろ、ケラスス。ついでにこれもくれてやるから」
 オリュザは懐に手を忍ばせると、それを手に取り、目にもとまらぬ剛速球でケラススに投げつけた。
 攻撃されたと思ったケラススが、すかさず手にしていたニダンギルでそれを受ける。
 オリュザは息を呑んだ。
「あ」
「ん?」
 それはオリュザがクノエの林道で偶然見つけて拾った、闇の石だった。

 ニダンギルがいきなり進化の光を放ちだすのを、ケラススもオリュザもぽかんとして見ていた。
「……え?」
「あ、ああ、あー、おま、ニダンギルで受け止めっから!」
「……何を投げた。闇の石か?」
「そうだよ!」
「…………勝手に何してくれてるんだ。仕返ししてやる」
 言うなり、ケラススは白衣のポケットに片手を突っ込み、何かを握りしめると、オリュザのフラエッテに向かってそれを投げつけた。
 オリュザが回避を命じ損ねると、フラエッテはその身でそれを受け止めた。
 進化の光を放ち始める。

 オリュザは絶叫した。
「う、うわああ、ウワアアアアアアアー!」
「光の石だ。これでおあいこだな」
 ケラススは涼しげにそうのたまった。
 ケラススのニダンギルがギルガルドに、オリュザのフラエッテがフラージェスに進化してしまう。

 オリュザはケラススに食ってかかった。
「何しやがんだてめえ! ありがとうございます!」
「文句を言ってるのか感謝しているのかはっきりしてくれ」
「どっちもだよ! ビビるだろうが! もっと穏便に愛を込めてプレゼントしろ!」
「こっちの台詞だが」
 ギルガルドはケラススの腕から離れていた。ケラススは溜息をつくと、進化したばかりのギルガルドをボールにしまってしまう。
「……やれやれ。興が殺がれたな」
「アンタって大概マッドサイエンティストだよね」
「クセロシキと一緒にするな。……あーあ、AZも死ぬということが証明されれば、お前も来てくれると思ったのに。まあここはオリュザ本人に免じて見逃してやるか。そらAZ王よ、自由に行くがいい」


 そうケラススはこともなげに、残念そうに溜息をついてみせる。出会った頃よりは随分と素直に感情を表に出すようになったとは思うものの、その冷酷な本性は最初から何も変わっていないとオリュザは思う。
 ――いや、変わったか。

 ここまで他人に大切にされることがあるとは思わなかった。
 ここまでしつこく誘われるのは想定外だった。
 オリュザは既にフラダリに見放されている。ケラススはフラダリを妄信しているものと思っていた。なのに、まだオリュザのことを気にかけてくれるとは。
 よもや、オリュザを永遠に生かしたいなどと、ケラススが考えようとは。
 オリュザもケラススと平等を期すために進化したばかりのフラージェスをボールに戻しながら、目を閉じる。

 ああ、本当に。
 独りで死ぬのが望みだと思っていたのに。
 あーあ…………。


 ケラススはそのようなオリュザのことなど、気にも留めていないようだった。しつこく、本当に執念深く、何度もオリュザに言葉で縋りつく。
「お前も来ればいいのに。死ぬのなんて、まだ先でも遅くはないだろう? フラダリ様の統べる新世界を一緒に見よう。それから本当に死ぬのか考え直してくれ、オリュザ」
 オリュザは苦笑した。
「……本当に、馬鹿馬鹿しい……そんなにアンタは死ぬのが怖い? 俺が死ぬのが恐い? たったそれだけのために、いつ終わるとも知れぬ苦しみをアンタは味わいたい?」
「死の苦しみなんてフラダリ様の統べる新世界には存在しない、生きる喜びだけに浸っていられる。そうだろう?」
 ケラススはむしろ必死にそう訴えかけてくる。オリュザの説得を試みているのだ。
 けれどそれはオリュザも同じだった。
 ――どうしてもケラススに、永遠の生など、得てほしくなかった。友人にそんな無意味な人生を歩んでほしくなかった。

「…………死の無い生に、喜びなんか、無い」
「死の有る生には、苦しみしか、無い…………」
「………………どうして、わかってくれないんだ、ケラスス」
「それは私の台詞だ………………」
 互いに顔を歪めて、睨み合った。


「一緒に生きよう」
「一緒に死のうぜ」





Chapitre4-2. 霧月のコボクタウン END


  [No.1569] Chapitre4-3. 霧月のヒヨクシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:03:53   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre4-3. 霧月のヒヨクシティ



11月上旬 ヒヨクシティ


 朝から林檎の収穫祭で沸くヒヨクシティで、珍しい花を持つフラエッテを連れたやたら長身の老人の噂を聞いたセラは、オンバーンを駆って西へ空を駆けさせた。
 紺碧のアズール湾が、白い曇天の下に轟きながら横たわっている。
 ヒヨクの港の白い船溜まりは印象派絵画を生んだ有名な風景であるけれど、あいにくセラにそのような光景を楽しむ余裕など無かった。
 海霧が出ている。
 その中に浮かぶ白亜の崖をセラは目指す。
 そこに、AZが座り込んでいる。



「…………Bonjour, Votre Majeste………...」
 陛下と呼びかけると、その長身の老人はごくゆったりとした動作で振り返った。
 彼は滄溟に臨む石灰岩の崖っぷちに腰かけ、掌の上の、珍しい花を持つフラエッテと何やら語り合っていたようだった。それがニャスパーを抱えたセラの姿を認めると、僅かに息を吐いたような気がした。
 セラは老人に微笑みかけ、のんびりと話しかけた。
「それが貴方の探し求めていたフェアリーポケモンですか、AZ王」
「……何用だ、フラダリの手の者」
 AZの声は一年前に聞いたものより、ずっとしわがれ、聞き取りにくくなっていた。もしかしたらこの不死の王も3000年の悠久の時の中で少しずつ老いているのかもしれないとセラは思った。
 可憐なフラエッテを携えた古代のカロスの王、フラダリの先祖の兄にして科学者の偉大なる父祖は、長い白髪を海風に吹かれ、巌のようにただ静かに崖に座している。

 セラはニャスパーを抱えたまま、AZの前で草原に膝をついてみせた。無表情で。
「元フレア団科学班所属、ケラスス・アルビノウァーヌスと申します。昨年のラボでの無礼を心からお詫び申し上げる。貴方に伺いたいことがあって参上した」
「…………尋ねたいこと、か……」
「貴方の命についてだ」
「……答えられることならば、答えよう」
「感謝します」
 セラは銀紫の瞳で、AZをまっすぐ見つめた。
「ではお尋ねする。――貴方は本当に、死なないのか?」


 AZは緩やかに首を振った。
「……私にも分からぬ。生憎、死んだことが無いのでな……」
「失礼ながら、老化が進まれたようにお見受けするが」
「……再会を果たして気が抜けたことにより、腑抜けたという可能性も無きにしも非ずだろう」
「ご自分で仰るか。やはりあの時、リズの制止を振り切ってでも試していればよかったかな」
「……あの時のことは感謝する。おかげで我が左肩に痛覚が残っていることが確認できた」
「どういたしまして」
 白髪を持つ二人はのんびりと軽口を叩き合う。
 AZがごくかすかに鼻で笑ったような気配がした。


「……この一年で随分と丸くなったな、若き科学者よ」
「色々あったんだ。セキタイで様々なものを見た。それから……本当に色々なことがあって」
 セラは海に視線を向ける。ニャスパーの毛並みを撫でながら、傍らに座るAZに語る。
「出力は抑えられていたとはいえ、私もセキタイであの最終兵器の破壊の光を浴びてしまった。貴方と異なり、どうも細胞を破壊されたらしい。普通の人間ほどは生きられないだろうと、医師の宣告は受けている」
「……生き急いだな」
「まったく皮肉なものだ。私は永遠の生を求めて、自ら破滅の光を浴びに行ったのだからな。だがそれはどうでもいい…………心配なのは自分のことよりも、むしろリズだ」
 9月下旬にクノエの宿舎をこっそり抜け出してから、セラは一ヶ月以上リズと連絡を取り合っていなかった。そしてただひたすら、AZを捜していたのだ。
 シシコを連れた元同僚を思うと、セラの表情は沈む。

 フラエッテを掌に乗せたAZは、表情を動かさないまま、ぼそぼそと潮騒にかき消されそうな声で呟く。
「……後に残す者が惜しいなら、なおさら傍に居てやるべきだろう」
「そういうわけにも、いかなくてね……。ああ、もしかして貴方もそうなのか? 貴方の寿命はじきに尽きるだろう。だがそのフラエッテはどうだ? 3000年前に何百何千ものポケモンとゼルネアスから与えられた命は、まだ尽きないのか?」
 セラがその珍しい色のフラエッテを見やって尋ねると、AZは案の定、沈黙した。
 セラは視線を海に戻した。
「まあ、死んでみるまで分からないか。貴方もそのフラエッテも長い命だ。けれど、同時に逝けるとは限らない。必ずどちらかが先に逝き、もう一方が残される……」
「……自然の摂理だ。私もこれも、3000年の時の間にいくつもの別れを目にしてきたのだから、今さら逆らおうとも思わぬ」
「破格の長さの命を手に入れておいて、今さら自然に身を委ねるなんて」
「……いいかげんに疲れたのだ。私は神ではない、不死の王もさすがに心が砕かれた。最後の望みもついに叶ったのだから、もうこれ以上あがく必要はない……」
 AZは掌の上の小さなフラエッテを見つめている。


 セラは溜息をついてしまった。
「貴方はそのフラエッテと再会を果たすことを生きる意味として、3000年の人生に耐え続けたのだな」
「……ということになる」
「どうすればそんなにそのフラエッテに惚れていられるんだ? なあフラエッテ、貴方はこの王に何かしたのか?」
 セラはAZの掌の上のフラエッテに尋ねてみる。フラエッテはただふわりと花が咲くように微笑んだだけだった。
 セラは真面目に頷いた。
「笑顔か。笑顔でいさえすればいいのかな? でもフラエッテ、貴方はAZが先に亡くなったら、その後はどうするんだ?」
 永遠の命を持つフラエッテは表情を曇らせた。


 このポケモンは死というものを解しているのだなあと、セラはのんびり思った。数多くのポケモンの命を吸い取って生きている存在だ。イベルタルに似ているが、このフラエッテのイベルタルと異なる点は、死する命を想うところだ。
 ゼルネアスやイベルタルは、他者の価値観など超越してしまっている。だから平然と命を与えたり奪ったりなどするのだ。命のやり取りをすることが彼らの存在意義であって、他者の思いなどに配慮することはなく、傲慢に他者の命の価値を決定し強制する。だからオリュザはゼルネアスやイベルタルを嫌っていたのだ。
 死者を蘇らせるなど、死を奪うなど、生者を殺すなど、生を奪うなど、そんなことは許されてはならない。他者に命の意味を決められてたまるか――オリュザは繰り返し繰り返しそう主張していた。吐きながらそう訴えていた。
 ようやく、セラにも理解はできた気がする。


「AZが亡くなったら、貴方は後追いでもするのか?」
 セラは尋ねてみた。
 フラエッテは目を伏せ、ふるふると首を振った。
「自然に任せるという事か。ではAZ、貴方はフラエッテが先に亡くなったらどうする?」
「……飲食を断ち、衰弱に任せるだろうな」
「それは半ば自殺だな。それが貴方がたの選択か」
 セラは膝の上のニャスパーを抱きしめた。
「結局は、どう生きるかは、本人が決める事か」
「……そうなる。個々の天命の流れの中で、どの支流を選び、どの海の水へ落ちるか。そういうものだろう」
 AZの淡々とした低い声を聞きながら、セラは膝の間に顔を埋めた。
 潮騒のような穏やかな声が、聞こえる。
「……その自らの流れ方の中で、他者に対し澪標を示すこともできる」
「リズがフレア団に対して道標を示したようにか?」
「……そのように、他者と互いの流れを干渉し合い、共に流浪するものだ。人もポケモンも」



 時間をかけて覚悟を固めて、ようやくセラは膝を抱えたまま、AZとフラエッテを振り返った。
「最後に一つ、伺ってもよろしいか」
「……どうぞ……」
「なぜ、フラエッテは貴方の元に戻ってきたんだ?」
「……若き科学者よ。おそらくそれは、お前が求める答えではない」
 AZにそのように返されて、セラはきょとんとした。
「え、そうなんですか?」
「これが私のもとを去ったのは、私が愛を失ったためだ。――では、お前の友人がお前のもとを去るのは、何ゆえか?」
「リズにはリズの理由があるから、フラエッテの件は参考にはならない、と?」
「左様。そして私の経験も、お前においてはさほど意味を成すまいよ。……その者を知るお前が、自分で、その者にとって一番良い澪標を見出さねばならない」
「…………心得ておきます。やるだけやってみることにする」
 セラはニャスパーを抱えたまま、白亜の断崖に立った。腕の中のニャスパーと共に海を改めて睨みつけると、やがて笑顔でAZとフラエッテを振り返る。

「ありがとうございました。そろそろ失礼します」
「……Bon voyage」
「Merci, c’est gentil」
 AZとフラエッテと別れの握手を交わすと、セラは草地に覆われた崖をゆっくり降りていった。
 冷たい風が海霧を揺らし、崖を覆い隠した。





Chapitre4-3. 霧月のヒヨクシティ END


  [No.1570] Chapitre4-4. 霜月のセキタイタウン 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:05:25   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre4-4. 霜月のセキタイタウン



11月下旬 セキタイタウン


 慰霊祭?
 復興に向けた集会?
 そんなものは営まれない。
 せいぜいカロスの各地で、恐るべきテロリスト集団フレア団が壊滅したことを喜ぶイベントが催されるくらいだ。そこではかつてのカロスの支配者フラダリは史上最悪の犯罪者として手酷くこき下ろされているし、各界によってカロスの救世主に祭り上げられた五人の子供トレーナーたちは馬鹿みたいな大歓迎を受ける。


 半島に位置するセキタイの街は偏西風の影響を強く受ける。そのため森林はほとんど自生せず荒れ地が広がっている。家々は石造りで西側に窓が無く、風への抵抗が前面に押し出されていた。
 その街も、最終兵器に滅ぼしつくされ、一年が経った今も荒野になったきり、無残な傷跡をさらけ出していた。
 最終兵器の放った破滅の光の、その電磁波の影響はまだ周囲にあるという。そのためセキタイタウンへの立ち入りは制限されている。科学者たちが電磁波の影響について詳しく調べているところだ。
 かつてのセキタイの住民は9割以上がフレア団から受け取ったはした金を手に他の土地に移住していたから、一般市民の犠牲はごく少なかった。犠牲となったのは、大半が事件の犯人であったフレア団員だ。だからそもそもそれは自業自得で、唾棄すべき大罪人のために祈ろうなどという酔狂はこのカロスには本当に少ない。いたとしても、フレア団の遺志を継いだテロリスト予備軍として厳重警戒の対象になるだろう。

 だから、事件から一年が経ったセキタイは、本当にただの荒野だった。



***


 晩秋。
 地上に咲いた巨大な人工の花を、オリュザはファイアローの背から冷ややかに見下ろしていた。
 剣のような六枚の花弁をいっぱいに広げた、最終兵器。
 枯れることのない永遠の花。
 それは確かに美しかった。
 ヒャッコクの日時計にも似た、これは虹色の輝きを放つ無色透明の結晶体だが、日の光を浴びてきらきらと輝いている。実用性だけでなく美観を重視したことがわかるデザインだ。
 これを生み出した3000年前のカロスのAZ王は、本当に素晴らしい趣味をしている。オリュザは皮肉げに笑う。
 ――枯れぬ花が果たして結実するか、見届けてやろう。種を蒔いた者の責任として。



 あらかじめホロキャスターでフレア団の仲間に連絡を入れておいたためか、ファイアローをセキタイタウンに乗り入れてもフレア団に追い散らされることはなかった。むしろオリュザは、フレア団の中ではそこそこ知られているほうだ――不死王フラダリの出現を予言しフレア団の理想を説いた、新世界へとフレア団を導いた若き思想家として。

 10番道路“メンヒルロード”の列石には、フレア団が捕獲してきた数多くのポケモンが磔にされている。特別製の縄と杭で縛りつけられ、冷たい墓石に生体エネルギーを吸い上げられ、恐怖におののき絶叫するもの、抵抗する力すら奪われてぜえぜえと苦しげに喉を鳴らすばかりのもの、身をくねらせ解放を哀願するもの。
 その見張りをしているフレア団の下っ端は、辛そうに目耳を強く強く塞いでいたり、逆に強がって平静を装っていたり、何にせよここまでポケモンが苦しむところを見るのは初めてだろう、その顔面はいずれも蒼白だ。
 ルチャブルが白目をむく。
 カラマネロの頭ががくりと落ちる。
 ニンフィアが瞼を下ろす。
 トリミアンの悲鳴が突如として途絶える。
 クレベースが喉から奇妙な音を立て、血の泡を噴く。
 オーロットの瞳から光が失せる。
 エレザードが四肢と襟巻と尾をびくりびくりと激しく痙攣させる。
 フレフワンの両眼から涙があふれる。
 それらの列石の中に、オリュザがケラススと共に昨冬フロストケイブで捕獲した五体のマンムーの姿もあった。元気にエネルギーを供給してくれているようだ。


 オリュザはファイアローの背から降りて、花開いた最終兵器の傍を涼しげな顔で通り過ぎ、セキタイの石の奥に隠されていたフレア団の秘密基地に入っていった。エレベータに乗り込み、降りていく。
 深く深く、地下に降りていく。
 静かに降下が止む。

 入ったときと反対側の扉からエレベータを出ると、そのメインフロアでは最終兵器の最終調整をしている科学者たちが忙しげに立ち働いていた。
 正面には巨大な窓。
 その向こうには、暗い、巨大な空間。
 そこは『伝説ポケモンの間』だ。そこには“樹”と“繭”が鎮座し、蓄えてあったエネルギーを装置を通して最終兵器に捧げていた。
 これではまるで、ただの電池だ。
 オリュザはそのような伝説のポケモンの無様な姿を眺めながら、ただただ嗤う。
 ――いいざまだ。他者の命の価値を弄ぶから、その報復を受けるのだ。フレア団のエゴによって滅びるがいい。


 エネルギー吸収率が大画面によって示されている。
 フラダリが険しい表情で、『伝説ポケモンの間』を見下ろしていた。
 今や半ば部外者となったオリュザが、フレア団の王を冷やかすわけにもいかない。おとなしくその広く逞しい背中を眺めていて、その向こうの『伝説ポケモンの間』で動いた影に気付いて、オリュザはぎくりとした。

 フレア団でないトレーナーが、『伝説ポケモンの間』に、入っている。


 幹部たちが総出で応戦し、伝説のポケモンから侵入者を遠ざけようとしている。
 しかし、その子供のトレーナーは強かった。
 ポケモンのメガシンカを自在に操り、ちぎっては投げちぎっては投げ。二人や三人など同時に相手にしてもまるで敵ではない。
 薙ぎ払う。
 フラダリもまた、その子供のいっそ痛快な侵攻をこのメインフロアから見下ろして、どこか気分を高揚させているようだった。その背中を見ながら、オリュザは溜息をつく。

 そのとき秘密基地じゅうに、けたたましい警報音がひっきりなしに鳴り響いた。
 侵入者のバトルが刺激したものか。
 伝説のポケモンが、眠りから醒めたのである。
 最終兵器が取り込んだはずのエネルギーが、逆流する。
 装置が破壊さ
れる。
 “樹”が、“繭”が、動


 Xの文字に似た、輝く角を持つ

 Yの文字に似た、闇の翼を持つ




 メインフロアでガラス窓越しのはずのオリュザは猛烈な吐き気と眩暈と冷や汗と悪寒と痺れと思考停止と恐怖と憎悪と絶望と憤怒と悲哀と悦楽とに襲われた崩れ落ちる足が震える怖くてたまらなかった
 あれは生き物の敵だ
 他者の価値観を無視し、生かしあるいは殺し、命を弄ぶ、カロスに根付く二体の悪魔だ
 消したい
 あってはならない
 あれに平気な顔をして呑気にポケモンバトルなど挑んでいるあの子供は頭がおかしい
 神にでもなる気か
 フラダリの代わりに新世界の不死王でも気取るつもりか
 子供のくせに
 命の大切さも、死の意味も知らない子供のくせに
 神の力を得て命を弄ぼうなどと、思い上がりも甚だしい




 伝説のポケモンが捕まった。捕まったというよりは、自ら望んで子供の玩具みたいなモンスターボールに収まった。そして伝説のポケモンは、子供の手下になり下がった。子供を神の代行者に選んだわけである。
 いつの間にかフラダリは、オリュザの目の前から消えていた。
 メインフロアにいた科学者たちが、騒然としている。伝説のポケモンに、エネルギーを取り返されてしまった。これでは最終兵器が使えないばかりか、もし伝説のポケモンに最終兵器を破壊されでもしたら、フレア団の理想は道半ばで破れてしまう。
 けれど、相手は、伝説のポケモンだ。
 ぜるねあすといべるたるだ
 勝てるわけがない。
 けれど、フレア団員たちは希望を失わなかった。まだ、自分たちの王がいる。
 フラダリがいてくれる。
 メガシンカを使いこなし、カロスを掌握し、自分たちを導いてくれた、新世界の不死王たるべき人物が。


 フラダリが『伝説ポケモンの間』に下りてその子供に直接ポケモンバトルを挑むのを、オリュザはメインフロアから見下ろしていた。
 いつの間にかその隣には、灰色の肌と短い白髪と銀紫の瞳を持ったケラススがいた。
 白衣は脱いでおり、私服姿が新鮮だった。紺色のハイネック、黒のライダースジャケット、ジーンズ、ブーツ。

 ケラススとオリュザは互いに視線を交わすなり、すぐさま下方の『伝説のポケモンの間』を見下ろした。
「……大変なことになったな、オリュザ」
「……どうなっちまうんだ、ケラスス」
「どのみち、最終兵器は動かせないだろうな」
「最後の最後で」
「子供に邪魔されるなんてな」
「…………終わったのか…………」
「そう、終わった。そして私たちの日常は続いてゆく」
 ケラススはこうなることも予測できていたかのように、淡々と呟いた。

 ゼルネアスが、イベルタルが、フラダリと敵対している。おそらくこの二体の神は、3000年前に自分たちを利用したAZへの怒りの分もフラダリにぶつけているのだ。反省、と言えば聞こえはいいが。半ば八つ当たりのような気がしなくもない。
 フラダリなど、覚醒した伝説のポケモンの手にかかれば敵でも何でもなかった。本当に、ただのゴミ屑のようだった。フレア団の理想は、傲慢なる神によって呆気なく砕かれたのだ。


 形勢が不利と見るや、一人、二人と、メインフロアに残っていた科学者や、地下通路から引き揚げてきていた下っ端たちや幹部たちが、そろりそろりと秘密基地から抜け出していった。
 その数が増えるにつれ、そしてフラダリの敗色が濃厚になるにつれ、団員の逃亡は競争性を増し、一つしかないエレベータへ我先にとなだれ込む。
 基地は騒然としていた。
 フラダリが負ける。
 伝説のポケモンを怒らせてしまった。
 フレア団はもう駄目だ。

 けれど、オリュザとケラススは最後までその場に残っていた。メインフロアの奥から動かず『伝説ポケモンの間』を見下ろしていた。フラダリが負けるところを見届けた。
 フラダリは手持ちのギャラドスと絆を結び、メガシンカさせ、メガギャラドスを操った。しかしゼルネアスの放った“ムーンフォース”の前に呆気なく散った。実に無様だった。――そう、人とポケモンの絆など、傲慢なる神の前には塵に等しい。


 神に敗北した神ならぬフラダリが咆哮するのを、オリュザとケラススはただただ寂しく見下ろしていた。
 甘い顔をした幼い子供が、勝利の美酒に酔いながら、神にでもなったつもりで、偉そうに綺麗事をほざいている。
 ――少ないものは分け合えない。人生に軽重があるように、いくら生命の平等を説いたところで、世の中の人間やポケモンは厳然とした不平等に苦しまねばならないのに。
 競争に負けた者や、差別をされる少数派の者は、ゴミのように底辺で生きねばならないのに。
 傲慢だ。
 フラダリも、あの子供トレーナーも、傲慢だ。



 メインフロアは静まり返っていた。2人以外は無人と化している。
 いつの間にかオリュザとケラススは、『伝説ポケモンの間』を見下ろすガラスに背を預け、床に座り込んでいた。
 頭が痛かった。
 フレア団は終わった。
 もう最終兵器は動かせない。
 すべて、無駄だった。
 フレア団以外の人類とポケモンを滅ぼし、死の無い新世界が始まるかと思われたのに。
 すべて実を結ばない徒花だった。
 そんな事のために、生きてきたのかと思うと、虚しかった。
 世の中全体がフレア団の裏切りを知った上で失敗すれば、世間からフレア団は糾弾されるだろう。おそらく政治や経済やマスコミからも切り捨てられる。そうなれば、元フレア団員は路頭に迷うだろう。テロリストの烙印を押され、死ぬまで牢に閉じ込められるかもしれない。フラダリだって、ありとあらゆる罵倒を浴びせられる。

 オリュザは右隣りのケラススに話しかけた。
「……アンタ、これからどうするよ」
「さあ。どうしようかな」
「……随分と落ち着いてんな」
「例の子供の噂は聞いていたからな。実際、あの子供は先月末も単身フラダリラボに乗り込んできて、最終兵器を停止させるスイッチを押すところまで行ったらしい。そこを危うくクセロシキが強引に起動に持ち込んだのだそうだ」
 フレア団に仇なす者がかなりの実力者だと知っていたから、ケラススにはこうなることも予測できていたというらしい。
 とはいってもケラススも憔悴した様子だった。オリュザは軽く鼻で笑う。

「……アンタ、永遠に生きられなくなっちまったな」
「まあ、それでもいいか。お前が死なないなら、別にそれでも」
「ほんとにアンタって俺のこと好きだよな」
「お前こそ、私のことが心配で来てくれたんじゃないのか?」
「思い上がるなって、セラちゃん」
「セラ、ちゃん……?」
 ケラススが変な顔をする。それを見てオリュザは噴き出した。
「ぶふっ、可愛いなセラちゃんて。まあ少なくともケラススの数億倍は呼びやすいわ」
「ああ、Cerasusを略したCeraをカロス語風に発音したのか……」
「アンタも呼びにくかったら、俺のあだ名、考えてくれていいのよ」
「何をまた唐突に……」
「いや、1月に初めて会った時はアンタともあと一年未満の付き合いだと思ってたけど、これからもアンタの名前を呼び続けなくちゃならないんなら、呼びやすいあだ名が必要だなーと思ってよ」

 ケラススはぱちくりしていた。
 それからようやく、ふわりと笑った。
「そうだ、本当に……最終兵器が動かないなら、お前も死ぬ必要はないんだよな……」
「俺も、アンタが永遠の命なんか得ずに済んで、心から安堵している」
「…………そうか」
「これで俺もアンタも、晴れて普通に、一緒に生きていけるってわけだ」
「……そうだな。そうしようか……」
「つーわけでこれからも、もうちょっと長くよろしく頼むわ、セラ」
 差し出された右手をじっと見下ろし、そちらもそろりと右手を出す。
「じゃあ、お前は、リズ……かな」
「おおお。あだ名で呼ばれるなんて生まれて初めてだ」
「お前、私以外に友達いないだろう」
「アンタこそ」
 くすりと同時に笑って、リズとセラは互いの右手を握り合った。




 そのとき、どすんと基地内に大きな振動が響き渡った。
 当然、2人の手は離れる。
 地響き。
 ガラスにひびが入り、砕け散る。そのすぐ傍に居た2人にも破片が降り注ぐ。
 柱が軋む。
 壁が歪む。
 デスクの上のコンピュータが震え、落ち、ぐちゃんがしゃんと喧しい音を立てる。
 床が揺れている。
 リズとセラは床や壁に膝や手をついて、それに耐えていた。
 舌を噛まないようにしながら、リズは慌てて顔を上げた。
「なんだ? 伝説のポケモンどもが暴れすぎたか?」
「いや違う」
 近くのモニター画面に張り付いていたセラが舌打ちする。
「フラダリ様が最終兵器を動かした」
「はあ? だってエネルギーが」
「不足しているけど、動かしたんだ。子供たちと心中するつもりか……?」
「逃げるぞセラ」
 リズはセラの手を再び、掴む。

 地下通路の方から駆け出してきた数人の子供たちが、リズとセラより一足先にエレベータに滑り込み、上昇していく。
「――うおおおおおおおおおおい!?」
「ああ負けた。さすが若い子は体力があるな」
 揺れる床の上で移動もままならず、あっという間に置いてけぼりを食らった2人はもはや子供たちに対して怒る気にもなれず、うっかり笑い声が漏れた。
 もう笑うしかない。

 最終兵器が動いている。出力は抑えられているだろうが、殺傷能力は十分あるだろう。
 エレベータは上昇中だ。戻ってくるまでまだ時間がかかる。
 秘密基地全体が轟音を上げ、全体が軋んでいる。天井が落ちる。
 頭を低くしてやり過ごしながら、リズは笑った。
「ちなみにセラ、このままここで逃げ遅れたらどうなる?」
「普通に最終兵器の破壊の光を浴びて真っ黒焦げじゃないか?」
「なんだそれ、それじゃ計画通りに行ってもフレア団が自滅するだけだったんじゃね?」
「いや、最大出力ならこの基地すなわちいわゆる台風の目以外を破壊し、そうして殺害した全人類と全ポケモンの生命力を吸い取り、その生体エネルギーは、生き残るここにいたフレア団員に注入される」
「あーわけわかんね。出力落ちると、ここにいる俺らが死ぬんだ?」
「何が起きるかの詳細は計算しないと分からないが、生憎その用意が無い」
 エレベータがようやく上昇を止めた。地震のせいで動きが鈍くなっているようだ。

 そのとき電源が落ちた。
「うわ。出てこいクローリス、“フラッシュ”」
「マルス、“キングシールド”」
 リズの赤花のフラージェスが光源を確保し、それを頼りにセラのギルガルドが落ちてきた天井をはねとばす。
 地下に築かれた秘密基地は、地中に潰されかけていた。
 リズは叫ぶ。
「やばくね? 電気止まったらエレベータも」
「もう無理だろうな。仕方ない、地上まで直通の穴でも開けて、自力で空へ逃げるしかないか」


 言うが早いか、次のボールを投げる。考える暇はない。どんどん天井は崩れてきて、メインフロアには大量の土砂までもが降り注いできていた。可能だろうかなどと迷っている暇すらなかった。
「レア、“諸刃の頭突き”」
「アウローラ、“吹雪”だ。上にあるものを吹き飛ばせ」
 ガチゴラスとアマルルガ、セラが独自に化石から復活させたポケモンが進化した姿だ。息ぴったりで指示を出しておいて、二体の化石ポケモンが必死で天井を食い止める陰で、2人は顔を見合わせて呑気に笑った。
「おお、そっちも進化させてたか」
「お前こそ、大切に育ててくれていたみたいで嬉しいよ」
「ちなみにここ地下何メートルくらい?」
「さあ。ただ、地下3階くらいか?」
「うーん。助かるか?」
「お前のガチゴラスと私のアマルルガの頑張り次第だな」
 ガチゴラスは頭突きで天井から降ってくるコンクリートの塊を押し上げ、アマルルガは吹雪を巻き起こして土砂を押し戻す。
 しかし重力を敵に回していては、多勢に無勢だった。

「あー、やばいやばい死ぬ? エスパーポケモンの“テレポート”ってつくづく偉大だよなあ、バトルではくそ使えないけど……」
「モンスターボールの普及とトレーナーの増加によりポケモンの“テレポート”を商業利用できるようになって、諸々の運輸交通に革命が起きたからな」
「ねえこれ、死なない? 大丈夫……?」
「死を覚悟してた奴が、今さら何を慌ててるんだ」
「いや、なんかもう、平穏に生きる気満々になってた……」
「結局お前も生きたかったんじゃないか」
「セラちゃんがいれば何とかなるかなって思っちゃった。責任とれよ」
「熱いプロポーズをありがとう、リズ」
「ははははは。愛してるぞー」
「はいはい。私もだよ」
 リズとセラは死にそうな状況の中、けらけらと馬鹿みたいに笑っていた。



 ガチゴラスが疲れてきている。アマルルガが押し戻しきれなかった土砂が流れ込んできていて、フラージェスが“サイコキネシス”でそれを押しやり、ギルガルドが“キングシールド”でそれを防ごうとするが、もう、上も下も左も右も前も後ろも、空間が無い。
 土のにおいがした。
 無機質のにおいが、生々しく感じられた。

 2人きり生き埋めにされるのだと思った。



 そのとき、リズとセラは奇妙な音を聞いた。
 ヒルルルル、というような、キイイイイイイイン、というような、ゴオオオオオオ、というような。
 何かが降ってくる、ような。

 一瞬で、埋まっていた空間が蒸発した。

 土砂が焼け融け、吹っ飛んだ。
 視界が真っ白になった。
 被爆。

 2人は咄嗟に、出していたポケモンたちをボールに戻した。守るために。

 それから、何があったか。

 リズは思わずセラを光から、庇おうとしたような。

 そんな記憶がある。

 覚えて、いる。







***








 セラは目を覚ました。
 瞼の裏まで白い闇が焼き付いていて、頭がどうにもくらくらした。
 全身が焼けるように熱い。火傷でもしたか、とぼんやり思った。最終兵器の光にでも焼かれたのか、それでも死ななくてよかった。長いこと火ぶくれに苦しまなければならないかもしれないけれど、痕も残るかもしれないけど、生きていたなら助かった。
 自分が大丈夫なら、傍にいたリズも。
 ――そのように楽観視できる程度には、セラは重傷ではなかった。
 セラはのんびりと体を起こす。

 そして目を開いて、辺りを見回して、セラは、あれと思った。
 黒焦げになった自分たちのモンスターボールがひび割れて壊れて、ボールに戻していたはずのセラのギルガルドとアマルルガとオンバーン、リズのフラージェスとガチゴラスとファイアロー、その計6体がセラの周囲に姿を現していた。
 ボールが壊れて、中のポケモンが緊急離脱したようだった。ポケモンの個体の生命を刻んだ電子情報がボールと運命を共にしなくて、本当によかったとセラは思う。

 そこは、ぽっかりと巨大な空間が開いていた。
 円柱のように開いた空間の底にセラと6体のポケモンたちはいて、その上方には丸い空がぽっかりと開いている。
 見上げれば、満天の星空。


 星明りが降り注ぐ中、セラは目を凝らした。
「リズ?」


 辺りは瓦礫だらけだ。
 空気はまだ熱い。
 火傷を負ったセラの肌がずきずきと疼き、痛む。
「リズ?」


 立とうとしても、立てなかった。足もひどく痛めつけられている。もともと瓦礫の下敷きになっていたのを、ポケモンたちが助けてくれたのかもしれなかった。
 6体のポケモンたちはセラを囲むように、守るようにして静かに待機を続けていた。
「リズ?」


 そこでようやく、セラは自分のすぐ傍に落ちていた大きな炭の塊に気が付いた。
 ――なんだ、これ。
「リズ?」


 近くで見ると、それは人間の形をしているような気がした。
 真っ黒になった、髪の毛のような繊維、頭部、額、眼窩、鼻梁、頬、唇、顎。
 首、鎖骨、胸、肩、肘、手首、指、爪。
 腹、腰、腿、膝、脛、足首、踝、踵、爪先。
 炭のくせに、よく形が残っているなあ、と思った。
「リズ?」


 見れば見るほど、それは炭で作られた精巧な人形だ。東洋の木造の仏像を蒸し焼きにでもしたら、こうなるのかもしれない。
 でも、なんでこんなところに仏像なんかが落ちているのだろう。
 セラはよくよく覗きこんでみた。
 炭だ。
「リズ?」


 そっと指先で触れてみた。
 まだかなり熱かった。この上で目玉焼きでも焼けそうだ。すぐに手を引っ込めた。
 炭だ。
「リズ?」


 名前を呼んでみた。
 返事は無かった。
 炭だ。
「リズ?」


 漂うにおいを嗅いでみた。
 肉の焦げたにおいがする気がする。
 焼きすぎて炭化した肉だ。煙臭い。教会で焚かれるお香のにおいにも似ている。胸が悪くなった。
 気持ち悪いにおいを吸わないように、鼻呼吸をセラは止めた。
 喘ぐように口で息をして、しばらく黙ってそれを見つめて、それが声を上げたり、動き出したりするのを待ってみた。
 動くよな?
 動かない。炭だ。
 もしかして、これは死体じゃないかとふと思いついた。
 ぞくりとした。
 頭が痛かった。胸がつっかえてむしろ痛かった。
 気づいたら目からだらだら涙が流れていて、その熱い熱い炭の塊を抱きしめていた。
「リズ?」
――だって、他に、それらしいものなんて、どこにもなかったんだ。目を閉じる瞬間に確かにセラのすぐ傍にいたのに、目を開けたら傍にあったのが、これしかなかった。


 さっきまで笑って冗談など言っていたのに。
 最後の言葉が『愛してる』だなんて、冗談でもひどすぎる。逆に陳腐過ぎて、笑える。
 酷い夢だ。
 夢だよな?
 セラの爪の先でそれは崩れて、ぼろりと黒い粉になって、爪と指の間の隙間に入り込む。
 子供が母親に懇願でもするように、爪を立てて引っ掻いてみる、くっきりとついたひっかき傷はへこんだまま戻らない。炭だ。
 セラ自身がその炭の熱さと立ち込める煙のために気を失うまで、ずっとずっと名前を呼んでいたけど、ついにそれは動かない。
「リズ」







Chapitre4-4. 霜月のセキタイタウン END


  [No.1571] Chapitre4-5. 霜月のハクダンシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:07:15   35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre4-5. 霜月のハクダンシティ



11月下旬 ハクダンシティ


 あれだけの事件があったというのに、その週末にはハクダンシティでは、毎年恒例のカロス最大のワイン祭り――通称『栄光の三日間』が催されていた。
 カロスが滅ぼされかけていただとかそんなことは関係ない、結局はテロリストが自爆しただけでカロスは滅びなかったのだから、いつもどおりに祭りを開催する。その逞しい根性とワインに対する情熱がまさにカロス人らしいと言えるだろうか。

 ハクダンを取り巻く葡萄畑は、黄や赤に色づいている。その葡萄樹に実った黒い宝石は摘み取られてワインとなるべく仕込みに回されて、残された葡萄畑は枯れた葉が寒風に吹き散らされるのを待つばかりだ。
 空は毎日、雲に覆われていた。
 日没は日に日に早くなる。
 サイドテーブルにはサザンカの花枝が白磁の花瓶に挿して飾ってある。
 セラは病室から、そうした初冬の気配を感じ取っていた。身を起こす気力すら失われたまま。


 教会の鐘の音。
 利き酒騎士団の叙任式。
 広場や通りに軒を連ねる屋台の売り声。
 ワインの試飲にいそしむ観光客の嘆声。
 パレード。
 マラソン。
 ストリートパフォーマンス。
 屋外で行われるワインのオークション。

 賑やかだ。
 セキタイで起きたことなど、無かったかのように。いや違うか、セキタイであれだけの事件が起きたからこそ、それを乗り越えたカロスを讃えているのだ。「あの程度の災禍などカロスにとっては何でもない」と国内外にアピールしているのだ。
 素晴らしく鮮やかな掌の返し具合だ、とセラは思った。
 行政の上層部にも、フレア団員はいたのである。彼らも、その日セキタイの最終兵器がカロスの全てを滅ぼし、フラダリの統べる死の無い新世界が始まり、そこで新たな人生を始めるものと――多かれ少なかれ信じて、フレア団として活動を続けてきていたはずで。
 なのに、『栄光の三日間』をいつもどおり執り行っている。
 あらかじめ、フレア団の失敗を、ある程度予測していたということだろうか。

 けれどフレア団の悪事が明るみになった余波は、確かにカロスを襲った。
 行政府の半分ほどの大臣、中央銀行の上層部、主要メディアをはじめとする大企業の重役、名家として知れ渡る貴族の末裔などなど。何十人ものカロスのトップに立つ人間が、フレア団との関わりが明るみにされて、職を失った。
 その中で最後まで糾弾されなかった人物――カロスのポケモンリーグ四天王が一角パキラが、まったく悪びれる様子もなくニュースキャスターとしての華やかな職務に邁進しているのを、セラはむしろ感心して眺めた。
 病床に横たわったまま。




 セラは全身に火傷を負っていた。
 最終兵器の放った光で焼かれたのだが、リズに庇われたおかげで炭化せずに済んだわけである。
 そんな重い火傷も、病院で働くシュシュプの“アロマセラピー”やタブンネの“癒しの波動”やチリーンの“癒しの鈴”を毎日ひっきりなしに受け続け、強制的にモーモーミルクをごっくんさせられ、ラッキーの産んだ栄養満点のタマゴを毎日喉の奥に流し込まれ、そしてプクリンの歌声を聴かされて眠らされていると、ほんの数日で驚くほど回復した。
 それでも、吐き気が止まらなかった。
 上体を起こすことすらままならない。
 煙のにおいを嗅ぐとどうしてもだめで、炎ポケモンを連れた他の患者やその見舞客が近くを通るだけで体調を崩す。
 担当医はそれらを精神的なショックに起因するものと診断した。
 それから病院のムシャーナに夢を診断されたりした。が、ムシャーナの出す夢の煙ですらセラは嘔吐する羽目になった。セラ自身にもわけがわからない。


 手持ちのオンバーン、ギルガルド、アマルルガの3体はセラを心配そうに見守ってくれる。ポケモンに心配されるのは有り難いことだとセラは思う。フレア団に所属していた間、ほとんどセラは手持ちのポケモンを顧みなかったのに、この3体はセラを気にかけてくれるのだ。
 この3体はセラに捕らえられた身であることを理解していて、その上で、セラに尽くすことを生きる意味として見出しているのだ。
 そんなことは、数日間この3体と共に過ごしていれば当然に分かることだった。
 ポケモンにも心があり、その命に価値があり、生きる意味を持っている――と教えてくれたのはリズだった。

 オンバーンやギルガルドやアマルルガを愛おしく思えば思うほど、リズのことが思い出されてつらい。
 オンバーンを、リズのファイアローと並べて何度も空を渡った。
 ギルガルドがこの形態に進化させた闇の石は、リズのフラージェスを進化させた光の石と交換したものだった。
 アマルルガは、リズに譲ったガチゴラスの片割れの化石ポケモンだ。



 まだ生きると。
 言ったのに。














 そんなこんなで、セラはずっとハクダンシティの病院に入院している。
 負傷現場であるセキタイから何故こんなにも遠く離れたハクダンに連れてこられたのかと思ったら、死傷した数万人のフレア団員で、シャラやショウヨウ、コボク、ミアレの病床が埋まってしまったためらしい。病床にあぶれたセラの受け入れを表明した医師が、ハクダンの病院に勤める、セラのミアレ第十一大学での先輩だった。
 その個人的にも信頼できる医師から、セラは、自分の全身の細胞が最終兵器の放った高圧の電磁波にさらされて染色体が傷つき、ありとあらゆる部位において癌の発生リスクが高まった、などというようなことを聞かされた。
 が、セラはそんなことなどどうでもよかった。

 大学の先輩である医師が、半ば放心している様子のセラの顔を覗き込む。
「気をしっかり持て、ケラスス。つらいだろうが、人生なんてそんなものと思って受け入れろ」
「……そうは言うけどな……」
「それにしたって、おまえも寂しい人間だな。家族も来ない、友人も来ない。そんな患者、滅多にいないぞ。おまえっていったい何を生き甲斐にしているんだ?」
「……精神的にも弱ってる患者に向かって、えらい言い草だな……」
 いい意味でも悪い意味でも遠慮のない先輩の言葉に適当に相槌を打ちながら、セラはどこも見ていない。

 目覚めた時からずっと、セラの頭には、“円い星空の下に打ち捨てられた炭の人形”の映像がこびりついていた。
 全身の火傷はひどく痛むけれど、そんなものどうでもよかった。リズはセラ以上に苦しんだはずなのだ、破滅の光に焼かれて、もがき苦しんで炭になって転がって煙を上げて、そして死んだ。
 結局、死んでしまった。
 死に損ねたななどと、笑っていたのに。
 これからも名前を呼び続けるからと、セラという呼び名をくれたのに。
 これからもよろしく頼むと、手を差し伸べてくれたのに。

 煙が目にしみる錯覚がして、涙がだらりと流れ出てくる。そして医師を吃驚させる羽目になる。
「大丈夫かケラスス、痛むか。つらかったらお医者さんにすぐ言えよ、痛み止めは用意してやる。精神的な苦痛の緩和はカウンセラーの仕事だけどな」
 その医師は、セラに友人がいるなどと思いもしないのである。そして自分の仕事をしっかり割り切っている。
 良くも悪くもさっぱりしている。
 セラは吐き気をこらえつつ、唸った。
「……オリュザ・メランクトーンの手持ちのポケモンは?」
「え? オリュザ君?」
「……あいつも……ここに連れてこられたんだろう?」
「ああ、うん、おまえと一緒にこの病院に運んではきたけどね。オリュザ君のポケモンは、オリュザ君の傍にいるけど……それがどうした?」
 セラは息を吐いた。
 リズの親族が見つからず、リズの手持ちの3体もおやの傍に留め置かれているということだろうか。どこかのジムなどに預けられてしまう前に、尋ねてみてよかった。友人だと名乗り出れば、リズのポケモンはせめてセラが引き取ることができるだろう。
「……そいつのポケモン、私が預かることはできないか?」
「え? なんで?」
「……なんでって……友達だから」
「あ、へえ、そうだったんだ。でもなんで? オリュザ君本人から頼まれでもした?」
 医師は間抜けな顔をして、ぬけぬけとそう尋ねてくる。
 さすがのセラも顔を顰めた。
「……頼まれてはいないが、あいつの傍に置いておくよりいいだろう……」
「いや、良くないだろうケラスス。だって、ポケモンはおやの意思に沿った処遇を受けるべきであって」
「――だから、そのおやが死んだんだろう? 遺言でも無いと駄目とでも言うつもりか?」
 さすがに気分を害して刺々しく言い放つと、医師はぽかんとした。

「えっ?」
「あ?」
「えっ?」
「……おい、何だ」
「えっ? あれ? もしかしてケラスス……あれ? えっと、オリュザ君……」
 医師は暫く一人で混乱していた様子だったが、とつぜんポンと両手を打ち合わせ、セラを見ながら馬鹿笑いを始めた。
「アッハハハハハハハハハッハハハハッハハッハハハハッハ!!!???」
「……何がおかしい」
「ああああ、そうか! 実によかった! よかったなケラスス!」
 医師は実にいい笑顔を浮かべて、横になったままのセラの肩を優しく叩いた。
 にんまりと笑って、医師は確かに、こう言った。
「――オリュザ君は、生きてるぞ」










 セラは絶句した。
 まるまる一分ほど経っても、息しか、漏れなかった。
「………………はあ?」

 セラは寝台から転がり落ちた。
 貧血でぐらぐらして、立てない。足もひどく萎えている。セラは傍にあったサイドテーブルの上、サザンカの枝の花瓶の傍に置いてあった3つのモンスターボールのどれか一つに呼びかける。
「マルス」
ギルガルドが召喚に応じ、自らボールの中から姿を現す。
「動かせ。私を」
 ギルガルドの霊力で体を操らせる。頭に血が回らなくて、ひどく頭痛と眩暈がして、吐きそうなのをこらえて、壁を伝い、震えながら、すぐ隣の病室へ、もだえ苦しみのたうち回りながら向かう。
 隣だった。
 すぐ隣にいたのだ。
 そこに、リズはいた。


 褐色の肌、黒髪、金茶の瞳。
「え?」
 セラは顔を顰めた。

 それは紛れもない本人の姿で、至って健康そうな姿で、白い病床に横になってぼんやりと窓の外を眺めていた。
 褐色の腕を白い布団の上に投げ出し、その右手には花切鋏、そして布団の上には山積みになった鮮紅のサザンカの花束。
「……え?」
 ただただ息が、漏れる。

 リズがサザンカの花弁の中から、ゆったりと、セラを振り返る。至って自然な動作で。
「よう、セラ。……ひどい顔だな」
「…………え?」
 確かにリズの声だった。
 信じられない思いで、見つめる。
 リズの体には傷一つなかった。
 リズは困り果てたような苦笑を浮かべてセラを一瞥すると、すぐに視線を逸らし、手の中のサザンカの花枝に改めて向き直った。鋏で枝を切り揃え、どうやら病院の白磁の花瓶に生けるものを造っているらしい。


 セラはギルガルドに縋りつきながら、喜んでいいのか恐れるべきなのか、判断しかねた。
 リズはもう、セラを見ていない。初冬の花に夢中だ。セラに軽く声をかけただけで、握手の挨拶すら無かった。――なぜ、友達なのに、感動の再会なのだからハグくらいしたって当然だろうに、いや、これは本当にリズ、か…………?

 セラは立ち尽くしたまま、混乱していた。
 遅れて医師がリズの病室に入ってくる。
「おおオリュザ君、今日もお花作りに精が出ますなあ」
「ああどうも、先生」
「他の患者さんも喜んでくれてるよ」
「それはよかった」
 医師とリズはそのように呑気な会話をしている。
 セラはただただぽかんとして、リズを見下ろしていた。
 そこに医師が声をかけてくる。
「いいか聴け、ケラスス。オリュザ君は、このハクダン病院への収容時には全身炭化してて、こりゃ死亡診断出すだけの簡単なお仕事だわと思ってたその矢先――お医者さんが気付いたときには、完全復活を果たしてました」
「………………はああ?」
 セラは顎を落とした。あまりに驚愕したせいか、頭痛がどこかに行ってしまっていた。
 一方のベッドの上のリズは医師の説明にも興味なさげに、黙々と花切鋏でサザンカを切っている。どちらかというと、切り刻んでいる。時折その鮮紅色の花弁のかけらがはらりはらりと、雪白の布団の上に散る。
 医師も溜息をついた。
「いや、お医者さんも何が起きたかさっぱりわけわかめなのね。で、とりあえず精密検査したわけよ、オリュザ君だけじゃなくて医療関係者の頭も片っ端からね。――で、これは間違いなくオリュザ・メランクトーン本人だよ。彼の手持ちのポケモンたちも、そのような反応を示している」
 セラはリズを見つめたまま、呆然と、医師の説明を聞いていた。

 医師曰く。
 オリュザは最終兵器の光を浴びて、全身の細胞が形質転換を引き起こした。
 ――どこかで聞いたような話だった。

 どんなに傷つけられても、あっという間に傷が癒えてしまう。それはもう染色体がどうのという問題でなくて、ほとんど観測する間もなく、時間が戻るように、あっという間に再生する。
 そのような話を半ば放心状態で聞きながら、一方でセラの科学者としての頭の一部は冷静に動いていた。
 リズのケースはセラによるAZの細胞の観察結果と若干異なる、が、それはセラがAZの細胞のサンプルを得た時点でAZが既に3000歳を超えてある程度老化が進んでいたためではないか。
 つまり、リズは、AZと同様の症例に罹患しているといえるのではないか。
 不死、という病に。








 リズの枕元には、彼の手持ちであろう3つのモンスターボールが転がっている。
 リズは死んではいなかった。だからその手持ちのファイアローもフラージェスもガチゴラスも、リズの傍に留まっていただけなのだ。それは3体にとっては良いことだろう。
 医師は他の仕事の時間だと言って、リズの病室から去っていた。
 そこにはリズとセラだけが残された。

 リズは手を止めた。ぼんやりと、布団の上に散ったサザンカの花の残骸を眺めている。
 遠く、ワイン祭りのざわめきが風に乗って病室まで聞こえてくる。
 ぽつりと、声を漏らした。
「楽しそうだな」
 セラもベッド脇の丸椅子に腰かけて頭痛をこらえながら、頷いた。
「……そうだな」
「ずっとここでアンタが目覚めるのを待っていた」
「……起きるだけならずっと前から起きていたのに」
「アンタが俺に会いに来れるまで回復するのを待っていた」
「……偉そうに……」
 すっかり健康そうなくせに病人のように病床にあるリズを、セラは睨み下ろす。
「……お前は死んだと思っていた」
「俺も自分は死んだと思ってた」
「……生き返ったんだな、AZと同じに。イベルタルの力で命を吸われて空っぽになった肉体に、ゼルネアスの力で尽きぬ命を注がれたわけだ……」
「そうだな。アンタがフラダリやクセロシキにドゲザしてまで望んだ肉体だ。羨ましいだろう?」
 挑発するような口調ながら、リズは自嘲気味に笑っている。
 セラは顔を顰めた。
「……お前はそれを望んで手に入れたわけではないんだろう?」
「そうだよ。殺されて、生き返らされた。傲慢な神によって。……最低だ」
 そう吐き捨てるリズの顔から笑みが消える。と同時に、憎悪と絶望と虚無が表情に広がる。
 もともとリズは、殺されるとか、生き返らされるとか、そのように命を弄ばれることを憎む人間だった。それは死の意味を消滅させ、生の価値を破壊する行為だからだ。
 そのことをセラはよく知っている。
 だからリズが哀れでならなかった。頭を下げる。

「すまない。あのとき、私が、お前に庇われなどしたから」
 するとリズは困ったような表情になった。
「……そう言われると、困るんだよな。あそこでアンタを庇ったのは俺の意思だし。でもあのときは咄嗟だったから、あの光をまともに浴びたらこんな事になるだなんて、考え付かなかったんだよ」
 そう言ってリズは深く深く溜息をついた。哀しげな眼をしていた。
「……それに一方のアンタは、そう長くないらしいじゃん。庇った甲斐が無いじゃんな」
「…………あ…………」
 リズに言われて、セラも思い出した。――そうだった、自分は、癌の発生リスクが高まったために常人ほどは生きられないだろうと、医師から宣告されたばかりだったではないか。リズが死んだと思い込んでいた間は自分の余生のことなどどうでもよかったが、言われてみれば、そうだった。
 リズは永い命を与えられた。
 セラの残り時間は削られた。


 セラは途端に現実が信じられなくなった。
 リズは鮮紅色の花弁に埋もれる中で、へらりと笑う。
「俺の持論を聞かせてやろうか、ケラスス・アルビノウァーヌス」
「……何だ」
「アンタは“哲学の第一原理”をご存知か? デカルトの『我思う、ゆえに我在り』ってやつ」
「……それぐらいは知っている。世の中のすべてを疑ってかかる姿勢をとってみた中で、その疑うということをしている自己だけは、疑いようのない存在だということだろう」
「俺に言わせりゃね、それでも信じられない不確かな自己もあると思うんだわ。――確かに俺はここに在る。でもそんなの信じられない、俺は死んだはずだ。だけど、まさにそう思っているからこそ、俺の存在が確信される。でもいくら確信されたところで、俺は俺が信じられないんだ……」
 リズは横たわって宙を見つめたまま、そう呟いた。
 セラはただただ苦笑した。
「…………お前の話は難しいな、夢想家」
「そりゃ、トピック的論証だもん。理論家には理解できんだろうさ」
 リズも苦笑した。
「でも、こんな酷い現実、受け入れられないだろ? 俺が言いたいのは要はそれだよ」
「…………確かに、残酷な結末だな」
「だよな?」
 リズは昏い眼を閉ざす。
 その右手は冷たい花切鋏を握りしめ、左手は裂かれたサザンカの花を握り潰している。
 セラはそれを見下ろしながら、ただただ悲しかった。――せっかく生きて再び会えたというのに、なぜ喜び合えないのだろう?






Chapitre4-5. 霜月のハクダンシティ END


  [No.1572] Chapitre1-1. 雪月のエイセツシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:09:02   32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre1-1. 雪月のエイセツシティ



12月下旬 エイセツシティ


 エイセツの街はノエル一色に染まっている。
 カロスの街はどこでもそうではあるが、その中でもエイセツほど、大規模で豪勢にノエルが祝われる街は他にないだろう。

 広場には巨大なモミの木に飾りつけを施した豪華なクリスマスツリーがいくつも飾られており、あるいは街中に暮らすユキノオーが街の人々によって綺麗な衣装を着せられて笑っている。エイセツに暮らすユキノオーは民家の高いところの飾りつけなどを手伝ってくれて、このように人々はポケモンと協力し合いながら街を美しく飾り立てる。

 家々は沢山のモニュメントや、色とりどりのイルミネーションで彩られている。
 商店街やデパートのショーウインドーにも、それぞれ趣向の凝らされた華やかな飾りつけが成される。
 クリスマスマーケットも開かれている。通りには黄金の光が満ちている。パーティーのご馳走の食材、一同を満足させるだけの酒、そして親戚全員が相互に配り合うノエルの贈り物、それらを買い込む人々でごったがえし、年末に向けてその熱気は高まっていく。
 パティスリーには丸太型のビュッシュ・ド・ノエルが並び、花屋にはクリスマスツリー用の大ぶりな樅の木が用意され、カフェでは熱く甘いヴァン・ショーが歩き疲れた人々の体と心を温める。
 街中の広場には移動遊園地やアイススケートリンクが設置されて、冬休みに入った子供たちが仲良しのポケモンと一緒に歓声を上げている。
 また街の教会では温かい食事やプレゼントが、貧しい人々にも振る舞われる。

 ノエルはカロスにおいて一年で最も特別な日であり、カロスの人々にとって最も大切な日だ。人々は家族や親戚、友人を大勢自宅に招いて大規模なパーティーに興じ、ご馳走を並べ、ワインボトルをいくつも空にして、夜中まで賑やかに語り合う。
 カロスにおいては、ノエルを孤独で過ごすなど考えられない。
 ――それゆえに孤独に追い詰められて自殺を図る者も、このノエルに急増するという一面もあるが。




 シシコを肩に担いだリズはふらりとエイセツの街の喧騒を離れ、南の20番道路“迷いの森”にふらりと引き寄せられるように入っていった。
 いつかと同じように。
 記憶の中と同じ足取りで。
 雪が降りしきる、音の無い深い森の中。
 オークやトウヒ、カエデは葉を落とし、地面には落葉と雪が積もってひどく滑りやすくなっている。雪化粧を施された木々の枝の向こうには、一面に曇天が広がっている。
 リズはたった一人きり、彷徨い始める。


***


 リズはハクダンの病院をたった一人で抜け出して、3体の手持ちのポケモンだけを連れて枯れ果てた葡萄畑の間を彷徨した。
 ノエルの所為か知らないが血気盛んに勝負を仕掛けてくるトレーナーを軽くいなす。そいつは故郷の家族にノエルのプレゼントを買う金が必要なのだと物乞いも同然にリズに許しを乞うたが、リズは聖人ではない。リズにはプレゼントを買う予定は無かったが、もしここで相手に譲歩をすればつけあがらせる。そして規則を曲げれば、法の存在する意味が失われる。それは長期的には相手の為にも社会の為にもならないと判断して、きっちりと搾り取るものは搾り取った。悪魔と罵られた。
 ――知ったことか。フレア団なんてのは奪うだけが能の、悪魔の巣窟だ。与えることを諦めた恵まれた者たちの集団だ。
 道路には、同様にプレゼントの購入資金を求めてバトルの相手を探しているトレーナーが、うじゃうじゃいた。群れを成し、ほとんどリンチの体でリズに襲い掛かってくる。
 しかしそのような貧しいトレーナーとは、往々にしてバトルに勝てない弱い連中である。だからたとえ集団バトルをしても、彼らはけしてリズの敵ではなかった。リズとて思想一本のみでフレア団内の地位を占めていたわけではない。強い野生のマンムーを捕獲しAZを捕縛してくるほどの幹部並みの実力は持ち合わせている。

 トレーナー間に適用されるこの『賞金制度』は、言わずもがな、強者が弱者を搾取することを正当化する制度だ。それは元々経済的に貧しい層に多いポケモントレーナーの中にさらに格差を拡大させ、少数の弱者を虐げることになる。そのためリズがかつて籍を置いていたミアレ第一大学の法哲学者たちの間でも、賞金制度は、正義に適わないとすこぶる評判が悪かった――とリズは記憶している。
 しかしリズは、これまで賞金制度を考察の対象としたことはなかった。
 なぜなら、世界はフラダリによって滅ぼされると思っていたからだ。
 でもそうならなかった。


 そうしてトレーナーたちから逃げるようにして転がり込んだ、ノエルに賑わうエイセツの街がやっぱり煩わしくて、リズはさらに逃げた。
 どこに行っても、人間か、ポケモンか、あるいは傲慢な神がいるからまったく辟易する。放っておいてくれればいいのに。そう、そもそもオリュザ・メランクトーンという人間の命を与えるまでもなく、無の世界にそのままそっと独り揺蕩わせておいてくれればよかったのだ。自分の命が憎い。生きているというこの眼前の現実が怖くてたまらない。
 自分が生きているなんて、信じられない。
 生きないといけないなんて、そんな現実、ありえない。
 在り得ないのに、リズはここに在る。
 そんなの、冗談じゃない。
 しかしそれはやっぱり冗談でも何でもなく、現実なのだった。信じられないことに。


 雪深い森の中、リズは雪の上に倒れ込んだ。
 限界だった。
 体が、というよりは心が。
 眠りたい。すべて忘れてずっと眠っていたい、二度と目覚めなくてもいい。



 気づけば、リズは雪の中、何者かにずりずりと引きずられていた。
 腰のベルトを掴まれ、いずこかへと体を移動させられているようである。時折背や腰を木の根などにしたたかに打ちながらも、ポケモンだろうか、何かの獣にリズは森の奥へと連れ去られる。
 ――食われるのだろうか、などと考えた。
 冬は野山に食料が乏しいから、冬眠しない肉食のポケモンに捕まったとしても不思議ではない。なぜすぐに仕留められないのかは不可解だが、そんなことはどうでもいい。
 自分は死なない。たとえ手足がちぎれても首の骨を折られても片っ端から再生するのだろう、ヤドンの尻尾みたいに。なら、いい餌になる。死ぬまで、強制された永い生命が尽きるまで、食われて再生しては食われてを繰り返す、山頂で生きながらにして毎日肝臓をウォーグルについばまれる神話のプロメテウスのように。いつまで? 3000年の寿命が尽きるまでか?
 悪夢だ。
 悪夢みたいな現実を、もう何度目だろうか、リズは嘆く。
 その頬を、熱い舌が舐めた。貴重な塩分を摂取したいのか、はたまた単に心優しいだけなのか、それは熱心な舌遣いでリズの涙を拭ってくれる。
 それが、シシコとの出会いだった。


 年甲斐もなく泣きじゃくりながら雪の中をシシコに引きずられ続けて、気づけば、リズは雪の斑に残る草原に横たわっていた。
 雪は降っていたが、体に雪はほとんどかかっていない。
 森の奥に開けた草原、そのただ中に作られた東屋の下にリズは休まされていた。

 せせらぎの音が聞こえる。
 草原の中では時折早咲きの水仙が、氷のように白く震えている。いつもなら花切鋏で摘み取ってしまうところだけれど、今は心が万年雪のように重く凍えて、そんな気になれない。
 視線を彷徨わせても、周囲にいたのはシシコだけだった。

 シシコはリズの頭の方で蹲り、そのつぶらな瞳でリズの顔を覗き込む。
 その尾が、子供を宥め寝付かせるかのように、リズの背を優しく叩く。
 再びシシコの熱いざらざらした舌が、毛づくろいをするようにリズの頬を舐めた。ふわふわの毛並みに覆われた前足が、頭をそっと抱え込んでくる。
 暖かい。
 背中を打つ尾の優しいリズムと、若獅子の甘い口づけと、毛布のように温かく柔らかい毛並みに、いつの間にかリズは眠りに誘われていった。




***



 自分のホロキャスターを改造して、セラはリズのホロキャスターの電波を探知できるようにしてしまった。
 ハクダンの病院からリズが手持ちのポケモン3体と共に消えた時、あちらこちらを無闇に捜し回る前にホロキャスターの改造を思い立ったのは、むしろセラの科学者としての矜持のためだった。
 そしてその時も、そして今も、ホロキャスターの電波を頼りに消えたリズの行方を追ってセラがやってきたのは、ノエルに沸き返るエイセツの南に伸びる20番道路だ。別名“迷いの森”とも呼ばれるその地では、これ以上ホロキャスターの電波を追おうにも、ゾロアークだのオーロットだのといったポケモンに化かされて道を失う可能性の方が高いのだった。
 しかし、リズはここにいる。
 セラは覚悟を決め、雪に閉ざされた森に踏み込んだ。
 いつかと同じように。
 記憶の中と同じ足取りで。



 そしてあの時も、数時間雪の中を歩き回った末に、案の定、道に迷った。
 縄張りを侵されたと勘違いしたポケモンに化かされ、方角と距離を失い、このままではリズを見つけるどころか自分も遭難してしまう。
 さてどうしたものかと戸惑って、歩き疲れてとうとう雪の中の倒木に座り込んだ。
 そこで出会ったのが、ニャスパーだった。
 セラはぎくりとした。ニャスパーは苦手だった――それはセラが幼い時に死なせてしまったポケモンだったから。その別れがつらくて、心を病むまでに嘆き狂って、そしてかつてのセラは永遠の命という夢想に恋い焦がれたわけである。死が無ければ、悲しみも無く、人生に価値が生まれるものと心から信じて。
 その夢想がリズによって破壊された今でも、セラにとってニャスパーを見るのがつらいことに変わりはなかった。

 ニャスパーはつぶらな瞳で、木の陰からセラを見つめていた。
 居心地が悪くなり、セラは痛む足を引きずりその場を後にしようとする。
 ところが、道なき道に向かって歩き出そうとすると、そのニャスパーがとてててと駆け出し、セラの前に立ちふさがった。小さな手足を広げて、ちんまりと通せん坊をする。
 セラはそれを見下ろして、困り果ててしまった。
 向きを変えてみても、やはりニャスパーはセラの行く手に回り込み、歩みを妨害してくるのだった。『先に進みたければ私を倒してからにしろ』というやつであろうか、とセラは思う。しかし相手はかつて喪って悲しみに暮れた愛しいポケモン、傷つけられるはずがない。
 仕方なくセラはニャスパーの前に屈みこみ、半ば期待しないながらも説得を試みた。
「……友達を捜しているんだ。通してくれないか」
 ニャスパーは首を傾げる。
 それからくるりと踵を返し、てちてちと雪の中をとある方角へ歩き出した。
 ポケモンも話せば分かるものなのだなとセラが感心しつつその後ろ姿を見送っていると、そのニャスパーはくるりとセラを振り返り、ふんすと鼻を鳴らす。
 さっさとついてこい、とでも言うように。
 野生にしては随分と人に慣れた様子に、セラはなんとなく分かってしまった。――これは人に捨てられたポケモンだ。ではその人間に仕返しするつもりなのか、あるいは未だに人間を慕って親切をしてくれるつもりなのか、セラには量りかねた。
 セラが逡巡していると、ニャスパーの耳がぴくりと不穏に動く。
 ――まずい、これ以上焦らすと念力を暴発される。
 そのように小さなニャスパーに無言の圧力をかけられて、セラは仕方なく、おとなしくその後に従って再び森の奥へ分け入ったのである。



***



 ざわざわと、風でない何かが草をかき分けてこちらへやってくる音がして、リズは再び瞼を押し上げた。
 草原の東屋の下。
 セラが、こちらを見下ろしている。その腕にはニャスパーを抱えている。
 リズの枕元にいたシシコがみゃああと嬉しそうな声を上げて起き上がり、こちらもまたセラの腕の中から飛び降りたニャスパーとみいみいにゃあにゃあと戯れ合い始めた。この2体は、この森の奥に隠された草原に暮らす幼馴染なのだろう。
 ニャスパーがセラを、シシコと共にいるリズの元まで導いたのだ。
 いつかと同じように。

 リズがゆっくりと身を起こすと、セラもそれに並んで草の上に腰を下ろした。セラの膝の上に、すっかり懐いた様子でニャスパーがよじ登ってくる。一方のシシコも人懐こくリズの膝の上にのし上がってきた。
 2人はそれぞれの毛並みを撫でてやった。くるくると心地よさげに喉を鳴らす音が、ふたつ。
 緑の草原で、早咲きの水仙が凍えていた。

「……ひどい夢を見たんだ」
「俺にとってはこの状況こそひどい夢だ」
「…………本当に気が合わないな」
「だよな」
 2人して溜息をついてから、互いに互いの顔を見つめた。


 セラはすぐに視線を伏せた。
「………………思い出したか?」
 リズもすぐに視線を逸らした。
「そうだな」
「…………黒焦げになって死んだと思ってたお前が生きてた時……正直に言おう、嬉しかったよ」
「俺は絶望した」
「……知っている、私はずっとお前の傍にいたんだから」
 冷たい風が、草原を渡っていく。
 とても静かだった。2人の膝の上のシシコもニャスパーもおとなしく風に目を細めている。

「それでも私は嬉しかったんだ」
「アンタが嬉しくても、俺は嬉しくない」
「セキタイで、一緒に生きるって話をしたのに」
「永遠を生きるとは言っていない。それにアンタは、俺と違って長くない。それなら尚更、生きる意味なんか無いよな。そうだろ?」
 だからさ、とリズは苦笑した。
「一緒に死のう、セラ」




 リズはひどく手に馴染んだ花切鋏を取り出した。
 それを自分の胸に突き立てる。その感覚にすら覚えがあって、ひどくつらかった。
 セラはそれを無表情で眺めていた。
「……痛くないか、それ」
「痛い。死にそうだ。でも死ねないんだ。何回やれば死ぬんだろうな」
「……私からしたら、腹立たしいどころじゃないぞ。私は生きたくても生きれないのに、お前は死のうとしている」
「俺は死にたくても死ねないんだ」
「……なあ、やめてくれないか。友達が自殺しているところなんて、何が嬉しくて鑑賞しなくちゃならないんだ」
「まだ当分死なねえよ。あと数百回の我慢だ。あー、ありえないわ、マジで……」
 しばらくセラは黙っていた。
 それからようやく口を開いた。


「…………私との旅は退屈だったか」
「いや、楽しかったな。……フウジョ行って、クルーズ船で河下りして、コウジン水族館見て、あと、なんだっけ」
「待て、ショウヨウで一緒に春のイースターを祝っただろう。レンリで夏至の音楽祭に寄った、シャラの初夏の中世祭を見た、キナンに真夏のバカンスに行ったし、ヒャッコクの秋のミラベル祭りにも行ったし、その後は葡萄の季節にクノエに」
「たの、しかったな、セラ」
「楽しかったと言うなら、これからも」
「……ちょっと、まて、ひんけつ。きこえない、ちょっとまって。どうせすぐになおるから」
 セラはリズから視線を外さなかった。
「…………楽しかったと言うのなら、これからも2人で生きる楽しみを探していこう。一緒に生きよう、リズ」
「嫌だね。なんでアンタに生きる意味を決められなくちゃいけない」
「私が決めてるんじゃない。お前が決めるんだ。私のために生きることを覚悟しろ」
 セラが背筋をまっすぐ伸ばしたまま、まっすぐリズを見つめたまま言い放つと、リズはへらりと笑った。

「だから、アンタはこんなことしてるわけ?」
「……こんなこと?」
「そのニャスパーの力か、俺の記憶を奪って。思い出作りだなんて言って、すべてを忘れた状態の俺に“今”なんかを楽しませて。俺がアンタのことを尊重するようになるよう、俺を誘導してただろう。デート作戦で惚れさせようとしてた、でしょ?」
「……ぐうの音も出ないな」
 セラは力なく笑った。
 リズのほうも笑うしかなかった。汚れた片手で顔を覆う。
「…………最っ低だ…………」
「ごめん。でもこうするしか思いつかなかった。確かに、お前の記憶を奪ったのは私だよ」
「……最低のド変態の下衆野郎だな……」
「だってそうでもしないと、お前、今みたいに、私の目の前で自殺し続けるだろう。それこそ、最低のド変態の下衆野郎のすることじゃないのか?」
「…………うん……だよね、……でもこうするしかないん、だよ」
「そうする以外にもあるはずだ。わかるだろう?」
 セラの手が伸びてくる。ぽんぽんと肩を軽く叩かれ、頭も小突かれ、カロスの幼子が仲良し同士でじゃれ合うみたいに、むぎゅうと抱きしめられる。


 暖かくて涙も出たけれど、それで少しは命が惜しくなったけれど、花切鋏で突かれた胸は痛いけれど、それでもリズは握った凶器を手放せなかった。これは美しく咲いた季節の花を切り取るもの、その命を刈り取り刹那を歎美するもの、それが実を結ぶと結ばないとに限らずその未来を断つもの。
「…………いやだ。生きてて何の意味がある。アンタはもうすぐ死ぬのに」
「その残り少ない私の人生を、せめて穏やかに過ごさせてくれよ」

「…………いやだよ。俺が虚しいだけだろう」
「私にまで虚しい思いをさせるつもりか? 本当にお前は薄情だ」

「…………何とでも言えよ、アンタのことなんか知るか」
「ああ、そう。お前から記憶を奪ったのは私だけれど、その記憶をお前が思い出した今も、いや思い出したからこそか…………お前の心から、私は忘れ去られてしまったんだな、リズ」

 セラは立ち上がった。
 リズはそれをぼんやりと見上げていた。


「ちがう、そうじゃ、ない……?」
「忘れたものは仕方ないな。思い出せばいいんだよ。何度でも。私は待っている。この命の続く限り」
 セラが泣きそうな顔で、ぐしゃりと顔を歪めて笑う。



「だから、私は何度でもお前の記憶を奪い――」
 リズの頭がずきりと痛む。歪んでいるのはリズの視界のほうだろうか。
「……いやだ」


「お前に考え直しを迫るだろう」
「…………やめてくれ…………」
 シシコはのんびりと草地に伏せ、すべてを静かに見守っている。
 ニャスパーが念力を使っている。
 記憶を。
 消されている。
 まただ。
 また? 何度目なんだ? そうじゃない。これからいつまで、何度、繰り返す気だ?
 セラは。独りで。これを。


「――お前が本当に私を思い出すまで」
 これこそ悪夢じゃないか。







Chapitre1-1. 雪月のエイセツシティ END


  [No.1573] Chapitre1-2´. 雨月のミアレシティ 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:10:27   33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Chapitre1-2´. 雨月のミアレシティ



1月下旬 ミアレシティ


「…………終わったんだな…………」
「そう、終わった。でも私たちの日常は続いていく」
 凍て空の下。
 シシコを膝の上に乗せたリズは、ニャスパーを抱えているセラと並んで、プリズムタワーの天辺に腰かけてパレードを眺めていた。
 毎年この日はカロスを守った英雄がチャンピオンとなった日を称えて、ミアレシティではパレードが行われている、という。英雄にフレア団が滅ぼされたのは既に数年前のことらしい。そしてリズもセラと共にフレア団に所属していたと、セラは語った。
 リズはフレア団のことも、そしてセラのこともほとんど覚えていないけれど。


 冬の分厚い雲の切れ間から黄金の斜陽が差し込んで、ノエルの名残りのあるミアレの白石の街並みを栄光の色に染め上げている。街頭にはカロスエンブレムの縫い取りをされた旗が無数に閃き、祝福の紙吹雪が寒風に舞い、色とりどりの風船が氷空に上がる。
 絢爛豪華なファンファーレと熱狂的な歓声の渦の中。
 通りに敷かれた深紅の絨毯の上を、五人の若いトレーナーたちが悠々と歩いてゆく。
 ローズ広場から、ミアレを貫く河を西北西へ下り、未来を象徴する新ゲートへと。
 そこではカロスのポケモン研究者を代表するプラターヌとその助手二名が、彼ら五人を待ち受けている。
 それが毎年のお決まりなのだそうだ。

 押し寄せる観衆の熱狂。
 歓迎される若き英雄たち。
 年越しの残りのフウジョ産シャンパンのボトルが、あちこちで勢いよく開けられる爆音。
 空を飛び交う、飛行ポケモンやドラゴンポケモンに騎乗した、見物のトレーナー達。
 テレビ局や新聞社のヘリコプターの轟音。
 それらに追い散らされ羽ばたくヤヤコマの、火の粉のような羽毛の煌めき。
 遠いファンファーレ。
 警戒に当たる黒い制服の警官たち。
 微かにスピーカーに乗って聞こえる、遠いプラターヌの声。
 酔狂どもの宴。
 黄金の斜陽、白銀の曇天。
 リズとセラは、それらすべてをプリズムタワーの天辺から見下ろしていた。今年に入ってから既に5個目のガレット・デ・ロワを貪り食いながら。今回は太陽を表す渦巻き模様のものだ。


「アンタって、こんなに甘い物好きだったっけ」
「……好きだよ。忘れられたものは仕方ないが……早く思い出してくれ」
「思い出せ思い出せって言うけどね、なんでそこまで拘るのさ。俺はアンタにプロポーズでもしたわけ?」
「…………本当に忘れてるんだな、リズ……愛してるって言ったくせに……」
「マジで? PACS申請しないとな。で、出産予定日はいつだ、セラ?」
「………………お前は本当に、変わらないな」
 セラは目を細め、はるか遠い残照を見つめている。
 冗談をしみじみと受け流されてしまい、リズも悄然としてガレット・デ・ロワに齧りついた。そしてすぐに口を止めた。
「あ、またフェーヴ当たった」
「お前はよく当たるな。おめでとう、幸福に恵まれるよ。きっと私のことを思い出してくれるだろうね」
「アンタの俺への熱い想いに、感動とドン引きを通り越して恐怖を覚える。マジでどんな関係だったんだろう、俺ら……」
「ちゃんと思い出してくれよ。でないと、死ぬより酷い目に遭わすから……」
 セラはそう言って、密やかに笑った。――死ねない苦しみを何度も何度も自覚し直しては、深く深く絶望して、自分で自分を幾度も幾度も殺し続ける、そんな悪夢を見せてやる。
 リズが思い直すまで。
 セラと共に生きることを選択するまで、ずっと。


 2人は言葉少なだった。
 びょうびょうと寒風が、プリズムタワーの周囲で渦巻いている。
 もう数度目だというのに、パレードの勢いは衰えていない。
 セラがぽつりと呟く。
「そろそろポケモンセンターに戻ろうか、リズ」
「……お、おう……そうだな」
 シシコを抱えたリズが、ふらりとプリズムタワーの縁で立ち上がる。
 それを見上げて、セラは思わずぎょっとした。
 リズが花切鋏を手にしていたのだ。
 宝物のように、大事そうに。
 鋏を握りしめて、プリズムタワーの縁に立って、パレードを眺めていて。

 前の花切鋏は、リズの記憶を消した直後に、処分したはずだ。――また、だ。また今回もいつの間にか買っている。昼間にソルドを連れ回していた間だろうことはわかる、が。そんなにそれが好きなのか? そんなに儚い花が好きか? 摘み取り、刈り取り、それが実を結ぶと結ばないとに限らわず、未来を奪うのが好きか?
 そんなに、自殺したいのか?
 まだ、何も思い出せてもらっていないのに。


 それに視線を吸い寄せられて、セラは無意識のうちに右手を伸ばしていた。
 いつもと同じに。
 ただ単に、危ないと思ったのだ。リズがそれを持っていてはいけない。



 すると、リズが遥か遠くの曇り空を見つめたまま笑った。
「――見切った!」
 きょとんとしてセラは手を止める。
 シシコを担いだリズが、振り返った。伸ばしかけられていたセラの右手が、花切鋏を手にしていた右手に取られる。
 セラは首を傾げた。
 きょとんとしているセラに鋏を握らせると、リズはにやりと笑う。
「そんなに、これが怖いか?」
「……あれ、見切られた」
「俺が17歳の時から、いま俺21歳でしょ。5回も毎年これ奪われかけて同じとこから突き落とされれば、さすがにトラウマになるわ」
 そう言われたので、セラはごく真面目に、今回は記憶消去に失敗したのか、と思った。早く改めて消さないと、リズはまた、この花切鋏を使って痛そうな自殺劇場を始めてしまう。
 だからセラは、リズの手の中の鋏を握ったまま、力なく笑った。
「何度もこれで自分の胸を突いてた奴が、何がトラウマだって?」
「無限ループネタは俺も飽きてんだよ」
「頭でも打ったか?」
「いいかげん見てられなくなった。根負け、しました。俺の命はアンタにくれてやる」


 2人は花切鋏を媒介に右手どうしを繋いだまま膠着状態に陥り、しばらく睨み合っていた。
 やがてセラは、悲哀を込めて嘆息した。
 むすっとした仏頂面を再び上げ、文句を言う。
「…………遅く、ないか?」
「うん、俺もどうせ折れるなら最初から折れとけばよかったって思った。でも、アンタも大概ひどいよな。自分に納得のいく結果が出るまで、容赦なく俺を苦しめ続けんだもんな?」
「…………言っただろう、死ぬより酷い目に遭わすと」
「アンタ、自称マゾヒストじゃなかったか? えっと確か、一回目のシャラで」
「…………記憶力がいいんだな」
「おかげさまで」
 リズは、繋いだ右手をゆらゆらと楽しげに揺らす。
 セラは不機嫌な表情のまま問いかけた。
「思い出したから、私と一緒にいるということか? 同情でもしてくれるのか?」
「アンタの為なら、別に折れてもいいかなと思って。正直疲れたってのもあるけど。絶望し続けるのにも疲れた。そこでさ、提案があるんだけど」
「……何?」
 セラが尋ねて視線を持ち上げると、リズは名案を思いついたとでもいうように、金茶の瞳を輝かせていた。

「あのトレーナーが持ってんだろ、ゼルネアスとイベルタル。そいつらになんとか頼めば、アンタも俺も何とかなるんじゃないかと思ってよ」
 セラは鼻で笑った。
「……元フレア団員の願いを叶えてくれるかな。というかそもそも、お前が、あれらに頼るという発想を抱こうとはな」
「文句をつけに行くだけだろ」
「……でも……私はそれよりも、このまま静かに……この美しいカロスの季節の流れていくのを見ていたいな…………」
「おい。人を残酷にも生かしておいて、自分はそんなこと言うのかよ」
「…………リズ。私たちが蒔いた種なのだから」
 セラは微笑むと、下ろしていた左手も伸ばし、そっとリズの手の中の花切鋏を奪い取る。
 足元に放り捨てると、それはかしゃりと音を立て、鈍い残照を映して転がった。
 再び手を伸ばし、大切な友人の黒い髪に触れる。リズが目を伏せた。



 プリズムタワーが点灯した。
 夕闇に沈むミアレを、五色の光で照らし出す。
 眩いダイヤモンドフラッシュが始まる。いつかと同じように、これからと同じように。

「お前が自分自身の価値観を大切にすることはよく理解しているつもりだが、一方でお前は、他者の価値観を軽んじすぎる感があるね。そんなだから、私を忘れて独りで死のうなどと考えるんだ」
「…………そうか」


「私の死から目を背けてはいけない。自らの生から逃げてはいけない。お前一人の命ではないのだから」
「…………生きる意味が見出せなくても、生きることに耐え続けろと?」


「どうか私のために生きていてくれ。そしていつか……お前が私のことを許してくれるといいな」






Chapitre1-2´. 雨月のミアレシティ END


  [No.1574] Epilogue. 雨月のアサメタウン 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:11:50   28clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

Epilogue. 雨月のアサメタウン


1月末 アサメタウン


 さき、さき、と小気味よい音を立てて白い髪が散る。
「……こんなもんかな」
「終わったか?」
「ご確認のほど、頼むわ」
 リズに背後から肩を叩かれ、セラは目の前に横たわっていた小川に自分の姿を映してみた。
 花切鋏で髪を切るのはどうなんだとセラは思ったが、リズにとっては切れれば特に問題ないらしい。セラの白髪はリズの手により、綺麗に短く切り整えられていた。
「へえ、上手いもんだな」
 川面で満足のいく仕上がりを確認すると、セラは体にくっついた髪の残骸を洗い流すべく、あらかじめ半裸になっていた体を流れに浸す。寒い、どころではない、心臓が止まりそうな冷たさだ。けれど身が引き締まるような、心が清められるような気がした。身に染み込んだ光の毒と罪が洗い流されるような。

 セラも風邪をひくつもりはないのでさっさと冬の川から上がり、リズのファイアローの起こす羽ばたきで体を乾かさせてもらう。すると暖炉にでもあたったようにあっという間に体は温まった。乾いた衣服を着こむとすっきりとした気分になる。
 流れで花切鋏を洗っていたリズを、セラは笑顔で振り返った。鋏を渡せと催促するように、掌を向けて手を伸ばす。
「次はお前の番だな」
「えっ」
「ちょん切ってやる」
「何を!?」
「鬱陶しいんだよ、その伸ばしっぱなしの髪。不潔に見える」
「ご、ごめんね。お、俺は遠慮しときます」
「私は遠慮しないが」
「だから! アンタは! もっと俺の価値観を尊重して!」
 ぎゃあぎゃあと喚いて逃げようとするリズの手から花切鋏を奪い取り、もう片手の腕力でやすやすとリズを捕らえると、押さえ込んで川岸に膝をつかせた。
「いてえ! アンタって意外と怪力だな!」
「知らなかったのか? お前の記憶を消した後、毎度私が肩に担いで病院に連れ戻してたんだぞ」
「たくましい!」
「お前は骨ばかりだ。もっと肉をつけろ、ポケモン肉も好き嫌いせずに食べてだな」
「先ほどから無視されてる俺の価値観に謝れ!」
 ぎゃいぎゃいと騒ぐリズを黙らせるべく、セラは片手に構えた花切鋏で、えいやとばかりに斬り込んだ。

 ――じゃくり。
「ひぎゃあ!」
 小気味よいというよりはむしろおぞましい音に、リズが悲鳴を上げる。
 セラは笑ってその頭を片手で押さえつけつつ、すかさず二撃目の構えに入った。
「おとなしくしろよ、脊椎を損傷しても責任は負えない」
「負えよ! どこからどう見ても明らかに傷害罪の構成要件満たすよ!」
 ――じゃくり。
「うん、おもしろいなこれ」
「……やめろ! これ既に暴行罪が成立してるから!」
 ――じゃくり。
「はははは。おや、なんかトサカみたいなのができたぞ。お前はカプ・コケコか」
「メレメレ島の! 守り神!」
 リズは死に物狂いでセラの腕から逃れた。
 セラは花切鋏を手に、けらけらと屈託なく笑っている。
「まだ襟足が残ってるのに。そんなみっともない頭でワイン祭りに行くのか、この恥知らず」
「俺はアンタが恥ずかしい」







 アサメタウンでは十数年ぶりに、ワイン祭りが開かれていた。
 その祭りの開催地は持ち回りであるため、一度回ってくると次はいつ回ってくるかわからないのだ。ブドウ栽培者の守護聖人を祭る祭典で、毎年1月下旬に開かれる、この時期では最大規模のワイン祭りだ。

 アサメの街中には、いくつもの試飲用スタンドが設けられている。
 シシコを担いだリズとニャスパーを抱えたセラもまた、それらに立ち寄っては試飲用グラスを傾け、各村や醸造者ごとにかすかに異なるワインの風味を飲み比べていた。
「あ、これ甘い」
「飲みやすいな」
 とはいっても素人の2人にワインの違いなどほとんど判らないから、とりあえず目についたものから口にしてみて、とりあえず酔っ払おうという姿勢である。
 毎年11月にハクダンシティで開かれる『栄光の三日間』と呼ばれるワイン祭はプロ向けの内容なのに対し、こちらは庶民向けだ。老若男女入り混じってワインを飲みまくり、アサメじゅうに愉快な酔っ払いが溢れかえる。ワインの難しい知識など不要、これは目の前の地酒を楽しんでみるというイベントなのだ。

 守護聖人の像の神輿のパレードが通りを練り歩き、赤い衣装の金管楽団が演奏を始める。各ワイン産地の村を表す旗が掲げられ、広場には試飲を待ちわびた人々が溢れかえってすさまじい熱気だった。
 ミアレの住民が総出で祭りを盛り上げている。
 木製のスタンドの周囲にはワイン樽が転がされ山積みにされ、広場では音楽が奏でられてワインを楽しんだ人々がダンスを踊ったり、歌を歌ったり。スタンドの醸造者とおしゃべりをして仲良くなり二杯目をおまけしてもらったり。道には花が飾られ、冬の寒さはいつの間にかどこかへ吹き飛ばされている。
「あ、お前それ買ったのか。気に入ったか?」
 どこかのスタンドでか、セラはワインボトルを買い付けていた。それを掲げてセラは微笑む。
「昼食の食前酒に」



 街外れのオークの林まで、シシコを連れたリズとニャスパーを連れたセラは歩いて行った。セラはワインボトルを手に提げ、リズは昼食用のバゲットと惣菜、チーズ、果物の入ったバスケットを抱えて。
 雪が残っていた。
 今朝がた髪を切り合った清らかな小川の傍、クレソンや薄荷の茂みのあたりに雪の無い空間がある。その草地の上に2人は腰を下ろす。
 蝋梅の花が咲いている。
 葉を落とした木の枝の向こうの空は曇っている。
 ヒノヤコマが冷たい風の中、火矢のように飛び回っている。
 遠くには、未だ葉をつけない葡萄畑が雪に埋もれて、丘陵にどこまでも広がっている。
 せせらぎの音が心地良い。
 2人は息をついた。

「……私が死んだら、ここみたいな、川のせせらぎの聞こえる草地に埋葬してほしいな」
 オークの幹に背を持たせかけ、ニャスパーの毛並みを指先で撫でつけながら、セラは微笑を浮かべて囁く。
「いいか、教会に葬式など挙げさせるなよ。私は無宗教だし、何よりあのお香のにおいが苦手でな」
「……あ、そうなの」
「墓石の代わりに、そうだな……葡萄でも植えてくれればいい」
「…………それは、アンタの栄養分を葡萄が吸うだろうな」
 煌めく川面を見つめつつ、シシコの耳の後ろを掻いていたリズも苦笑した。
 セラは楽しげに声を立てて笑った。
「そう、そこが肝なんだ。実が熟したらワインでも造ってくれ。造り方は調べろよ、お前には時間が腐るほどあるんだから。時間をかけて熟成させて、そうしたら3000年後も味わえるかもしれないだろう、私の血を。食前酒にでもすればいい」
「………………へ、変態」
「そしてお前は、それを毎年味わうことを生き甲斐にするだろう」
「…………もうやだこの変態」
「私の血肉はあの光の毒に汚染されているから、飲み続けていれば、お前も比較的早死にできるかもしれないし」
「……頭、大丈夫?」
「酔ってるだけだ。ああでも、今のは遺言だからな。――忘れるなよ」
「忘れるかよ」
 のんびりと遺言が託される。
 セラの体には今のところ何の異常も見られない。まだ、大丈夫だ。遺言の内容を実行するのはまだずっと先のことだろう。それがリズの今の心の支えだった。
 シシコに、ワインのコルクを抜かせる。
 ワイン祭での試飲をする際に買った特製グラスに、美しい紅紫色のワインを注ぐ。
「Merci」
「De rien」
 グラスの縁を軽くぶつけ合い乾杯する。


 買い付けたばかりの赤ワインと共に、バゲットに野菜のテリーヌを挟んだサンドイッチ、ジビエの煮込み、チーズにセシナの実という昼食を草の上でとる。デザートはロメの実の香りづけがされたブリオッシュだった。
「美味いな」
「美味しいな」
 セラは朝からの酔いにどこか瞳を潤ませて微笑む。
 リズは花開いていた蝋梅の枝を花切鋏で切り落として空いたボトルに挿そう――と考えて、すぐに思い直した。花は枝のままに。命を美しく儚いものとして切り取る鋏は仕舞ってしまう。実をつけるかもしれないから。

 手持ちのポケモンもみんな草の上に出して、昼食を分けてやる。
 リズのシシコ、フラージェス、ファイアロー、ガチゴラス。セラのニャスパー、ギルガルド、オンバーン、アマルルガ。
 8体はいずれも冬の空気に目を細め、のんびりと川岸の草地に寛ぐ。
 フレア団にいた頃は、ただの手足としてしか見なさなかったポケモンたちだ。けれど今は違う。人間に捕らえられたポケモンたちは、トレーナーと共に戦うことを生き甲斐とする。そういう風に現状に適応し、常に力いっぱい生きている。ポケモンを従えたきっかけが強制であれ何であれ、ポケモンたちを人間と同様に尊重しなければならないことをリズもセラも知っている。
 では肉用に飼育されるポケモンはどうなのだという話になるけれど。
 セラを見送ったら、一から思索をし直すのもいいかもしれないとリズは思う。セラの為だけに生きていくことはどうしても不可能だから――フラエッテのことだけを想い続けたAZがやがては心を失ったように。
 セラが死んだ後もリズの日常は続いていく。長く、ひどく永く。
 想像するだけでつらいけれど、それはリズが蒔いた種だし、それがどのような実を結ばないとも限らないのだし。


 リズはセラにのんびりと問いかけた。
「これからどうする?」
「好きにすればいい。一緒に行ってやる」
「余命少ないのはアンタの方だから、アンタが決めればいい」
「まだ余命少ないと決まったわけでもないさ、そう悲観するな」
「カロスをひたすら回る方がいいのか?」
「別にこだわりはない、死後この美しいカロスに埋葬してくれるなら。……もし行くなら、明るくて暖かい土地の方がいいかな」
「大地の剣の城下町アイントオークとか?」
「水の都アルトマーレでも、時空の塔のあるアラモスタウンでも」
「アルセウスを祀る神殿があるミチーナとか。あと、そこの神官の末裔の一派が暮らすアルケーの谷とか……そこは何も無いけど……俺の故郷ってぐらいで……」
「おお、それは非常に興味をそそられるな」
「砂漠の向こうのデセルシティとかも凄いらしいな」
「超カラクリ都市アゾット王国とか。私の故郷だが」
「へええ凄そうなの。あるいは海の向こうでも」
「AZは極東の島国まで旅をしたそうだ」
「西の果てのアローラ地方の島々もバカンスにうってつけだろうな」
「ああ、そう……」

 何なら、ここでずっとこうして話をしているだけでもいい。
 ワインを飲みながら、草の上で。





Epilogue. 雨月のアサメタウン END


草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe

 END


  [No.1575] 跋文 +参考資料 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/07/15(Fri) 21:13:33   29clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe



●跋文


※補足:カロス地方では16歳から飲酒可能です。あと飛び級制度があります。

 お久しぶりです。浮線綾と申します。

 途中放置させていただいている中編作品『四つ子とポケモン』の方は現在、全体的にリメイク中で、1/3くらいは書き換えました。フランスの自然や芸術や料理や人柄や社会問題を詰め込み直しています。

 そちらで入り切りそうになかったテーマである「フレア団」や「伝説のポケモン」についての考えと、フランスの各季節の各地のイベントを本作品に詰めました。
 「ポケモン食」や「賞金制度」、「移民問題」についても本作で少し触れましたが、これらについてはまだ勉強が不十分と感じます。

 あとサン・ムーンの発売前にXYの話を一つ完結させてみたかったのが主な動機です。

 キャラクターはまず絵を描いてピンと来たものに設定をつけて作ってます。
 本文の執筆期間は二週間でした。キャラクター制作にはある意味数年かかってますが。

 『四つ子』の方ものんびり書き直していきたいと思います。
 下の参考資料からわかる通り、そちらは「移民問題」が主要テーマになりそうです。

 ではでは、リズとセラの話に付き合って頂き、ありがとうございました。アローラ地方に2人でバカンスに行けばジガルデさんにお目にかかれるかもしれませんね。映画とサン・ムーン楽しみです。






●参考資料

○ポケモン関連
『ポケットモンスターX・Y 公式ガイドブック 完全ストーリー攻略ガイド』
『ポケットモンスターX・Y 公式ガイドブック 完全カロス図鑑完成ガイド』
『ポケットモンスターX・Y 設定資料〔情景編〕』(スーパーミュージックコレクションのブックレット)

○フランス関連
『現代フランス社会を知るための62章』 三浦信孝、西山教行
『パリ・フランスを知るための44章』 梅本洋一、大里俊晴
『12年目のパリ暮らし パリジャン&パリジェンヌたちとの愉快で楽しい試練の日々』 中村江里子
『さおり&トニーの冒険紀行 フランスで大の字』 小栗左多里、トニー・ラズロ
『写真と学ぶフランス語フレーズ』 佐々木じゅんこ
『パリっ娘たちは今日もおしゃれに輝いている―パリジェンヌの美的生活の方法』 斉藤智子
『ガイドブックにないフランスぶらぶら案内』 稲葉宏爾
『極上ホテルからの招待状 フランスを旅する10の物語』 ダイヤモンド社出版
『花でめぐるフランス―フラワーデザイナーが案内する一味違った旅』 落合邦子
『図説パリ名建築でめぐる旅』 中島智章
『図説西洋建築の歴史』 佐藤達生
『西洋アンティークの事典』 成美堂出版
『エスカルゴの国から』 http://otium.blog96.fc2.com/
『ブルゴーニュだより』 http://www.bourgognissimo.com/
『フランスの天気と気候』 http://jams-parisfrance.com/info/category/weather/
『フランスワインとその産地のすべて「フランスワイン事典」』 http://www.french-wine-jiten.com/
『フランス観光開発機構 公式フランス旅行情報』 http://jp.france.fr/
『イーコムフランス語ネット』>『Ecomフランス通信』 http://ja.myecom.net/french/blog/
『フランス文学と詩の世界』 http://poesie.hix05.com/
『フランス音楽の扉』 http://homepage1.nifty.com/qinium/musiquef.htm
ほか

○その他
『イスラームの日常世界』 片倉もとこ
『イスラームを知る32章』 ルカイヤ・ワリス・マクスウド
『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』 ロレッタ・ナポリオーニ
『美しきアルジェリア』 大塚雅貴
『モロッコを知るための65章』 私市正年、佐藤健太郎
『現代アラブを知るための56章』 松本弘
『法哲学』 亀本洋
『格差原理』 亀本洋
『法哲学』 平野仁彦、亀本洋、服部高宏
『刑法総論』 山口厚
『入門民法』 潮見佳男
『入門社会経済学』 宇仁宏幸ほか
『経済学の歴史』 根井雅弘
ほか


  [No.1583] 素敵です! 投稿者:きとかげ   投稿日:2016/08/14(Sun) 23:49:35   28clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 浮線綾さん、はじめまして。きとかげと申します。
 草上で食前酒 -Le Aperitif sur l'herbe 読みました。面白かったです。

 オリュザの黒スーツ、ケラススの白衣、手持ち同士の対比が記号的で覚えやすく、自分でもこんな書き方をしてみたいと思いました。『四つ子とポケモン』の時も思いましたが、浮線綾さんのシンボリックな登場人物の表し方は覚えやすくて惚れ惚れします。
 黒と白、青と赤の対比が、物語が進み、記憶が戻るにつれ、0と∞、相容れない考えの対立になる流れ。0を望んだリズが永遠の命を得て、∞を望んだセラが短命となる。この結果は皮肉だと思いながら……最後の穏やかな雰囲気にちょっと救われました。
 あと、リズが炭になった時は「えっ死んだ? どういうこと??」となりながら先へ先へと読み進めました。

 カロスのお祭りの描写が細かいなと思ったら、参考文献しっかり調べてらっしゃって、すごいなと思いました。『四つ子とポケモン』も書き直し中とのことで、楽しみにしております。


  [No.1625] 感想のような何か 投稿者:円山翔   投稿日:2018/02/25(Sun) 19:55:26   33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ここまで一気に拝読しました。資料で殴るとはまさにこのこと。これだけ調べたからこそ、フランスがモチーフと言われるカロス地方の文化や風習、そこに根付く自然の風景を描けるのだなぁと感服いたしました。特に、事あるごとに登場する花や木の葉の色の美しい事……
 おかげでこの二人のことを、以前よりは知ることができたように思います。命について、生と死について、思想について、様々なことを考えさせられました。