大通りに行き交う人とポケモンの息遣いが、薄暗い裏路地まで聞こえてくる。 ふと、通りの方を眺めると歓談している一団がいた。そのよそ者たちは道を我が物顔で闊歩している。奴らの声は大きく広がって、嫌でも耳につく。 反対側からつまらなそうな表情をした男と葉の洋服を纏った虫ポケモン、ハハコモリが歩いて来た。大通りとはいえ、側道の幅には限りがあり彼らは肩をぶつける。 小さく短い謝罪を互いに交わす彼ら。それから一団は何事もなかったかのようにまた楽しそうに歩き出す。ハハコモリを連れた男は、また目を伏せて去っていった。 そんな光景を眺めていると、少し太った電気ネズミ……ピカチュウを連れた見知らぬ少女に声をかけられる。
「おーい、そこのお兄さん! 貴方が<ダスク>のハジメさん?」 「ああ……お前が届け人か。ずいぶん若いメンバーがいるのだな、義賊団<シザークロス>も」
そう言うと、赤毛の少女は頬を膨らませる。先程の発言が気に障ったのだろう。ふっくらしたピカチュウの頬袋並みにむくれている。
「む、あたしだって立派な<シザークロス>の一員だよ。若いってだけでナメないでよね」 「それは失礼した――――約束のポケモンは」 「この子だよ!」
ポシェットの中からモンスターボールを取り出す彼女。あまりにも無警戒に差し出すので、つい余計な一言を言ってしまう。
「……俺に、そんな簡単に託してもいいものなのだろうか。確か<シザークロス>の信念は『幸せにしてやれるトレーナーにポケモン託す』だっただろう?」 「大丈夫! きっと貴方は優しい人だもん。その子を大事に可愛がってくれる。そう思えるからあたし達<シザークロス>は貴方にその子を託すんだよ!」 「根拠は?」 「そういう質問してくるところかな」
思わず黙りこくると、手のひらにモンスターボールを握らされる。 ボールの中のポケモンをじっくり見てみる。その小さなポケモンはこちらをしっかりと見据えていた。 俺の相棒になることに、既に覚悟を決めている。そんな目をしていた。
「……これから長い付き合いになるだろう。よろしく頼む」
俺とそのポケモンのやりとりを見て、赤毛の少女は重たそうなピカチュウを頭に乗せ、はにかんでみせた。
*************************
【スバルポケモン研究センター】を後にした俺達は、気を取り直し王都【ソウキュウ】を目指していた。
「ビー君。やっぱ綺麗だね、この景色は」
サイドカーに座る金色の髪の彼女に言われ、俺は同意の言葉を口にする。 俺の相棒の彼女、ヨアケ・アサヒが見つめるのは【トバリ山】を抜けた先に広がる、見渡す限りの平原。やや傾き始めた陽の光が、雲を照らし草原に影を落とす。南の荒野に比べると、山を越えただけでもずいぶん景色は変わるものだ。その草原の真ん中あたりに、目的地の王都があった。 王都への道をサイドカーの付いたバイクを走らせる。長い平野を越えると、大きな塀と赤い屋根の街並みが見えてくる。丘の上にはそれなりに立派な白い城が建っているのも見える。ビルなどは少なく、若干古風かもしれない。だがそれが、俺の愛着のある王都【ソウキュウ】だった。 門を抜けると、夕時の時間帯のせいかそれなりに人とポケモンが多い。まあ、ほとんどが移民や旅のトレーナーたちなのだが。【ヒンメル王国】自体もともと多民族国家だけれども、ここ数年はならず者や一旗揚げようとする奴まで、輪にかけて各地から人が押し寄せた。そのせいか門の外にもキャンプが広がり、そこは新たな区画になりつつあった。 住む場所を作る、ということで思い出したことをヨアケに尋ねる。
「そういやヨアケ。お前、決まった拠点とかってあるのか?」 「【エレメンツ本部】を出てからは具体的な寝床はなかったよ。ポケモンセンターに泊めてもらうこともあったけど、野宿も多かったかな」 「女の一人旅でそれは危ねーな」 「あのアキラちゃんだって同じようなものじゃない?」 「アキラちゃんと違って危なっかしいんだよ、お前は」 「わかっているよ、アキラ君にもよく怒られました」 「そりゃそうだ。そういうことなら俺の住んでいる貸しアパート、確かちゃんとした空き部屋あったはずだと思うが……大家と交渉してみるか?」 「行くあてもあんまりないし、お願いしてもいいかな」 「わかった」
提案を受け入れられたので、そのままアパートへバイクを走らせる。しばらく経った後、目的地の建物の前にたどり着く。 サイドカーから降りたヨアケは、建物を見て小さく驚きの声を上げる。
「おお? 一階と二階、お店なんだ……!」 「一階が仕立屋で二階は美容院。どっちも俺の昔からの知り合いがやっている。俺は仕立屋の所で配達仕事の請負をさせてもらっているぞ。といっても、しばらく休業するつもりだがな」 「えー、もったいなくない? いいの?」 「捜索に専念するんなら、そのぐらいでいった方がいいだろ。それに辞める訳ではないし、アンタを届けるって仕事もある」 「ビー君……」 「仕事は仕事だ。報酬はきちんともらうからな」 「えっと、あの具体的にはいくらぐらい? 何で支払えばいいのかな?」 「ぼったくるつもりはねーし働いて返してもらうつもりもないっ……でもまだ考え中だ」 「わー、なんかハラハラするよ」
そんなにビビらなくてもいいだろ。そう、ちょっとだけショックを受けていると突然誰かに後ろから耳を強く引っ張られた。
「痛っ、なにすんだ!」 「こらあっ!! ビドーてめぇ何処寄り道してやがった!! スカーフの代金持って逃げたのかと思ったぞ!!」 「げ、お前か」 「散々遅くなっておきながらその態度はなんだ! 連絡一つよこさないし……って、お前の服、腹のあたり破けているじゃないかコノヤロー……コート貸せ! ハハコモリ、頼んだ!」
そう言って俺のコートを奪ったのは、俺のよく知るところの人物だった。そいつの手持ちの黄緑の葉っぱを纏った虫ポケモンのハハコモリが、器用に糸を操り俺のコートの穴を縫っていく。 きょとんとしているヨアケに、彼の紹介をする。
「ヨアケ、このチャラそうなのはチギヨ。仕立屋の店主で貸しアパートの大家でもある」 「チャラそうって心外だな……っておい? ビドー、なんでこの人がここに居る? 知り合いなのか?」 「つい最近知り合ったばかりだが……チギヨこそ知っているのか、ヨアケのこと?」
ドロバンコの尻尾のような、後ろでひとまとまりにした黒茶の髪を揺らしてチギヨは得意気に言った。
「知っているも何も、アサヒさんのその服仕立てたのは俺だぜ?」 「その節はどうもー、チギヨさん。この服愛用しているよ」 「おお! そりゃよかった」
少々複雑な気持ちになりつつも、案件を持ちかける好機だと俺はチギヨに切り出してみる。上手く話が進めばいいんだが。
「二人とも知った顔だったのか……それなら話は早い。チギヨ、アパートの部屋、まだ空いているか?」 「空いているけど、それがどうした……ってまさか」 「まさかってなんだよ。ヨアケが拠点を探していてだな。使わせてやれねえか?」 「俺は反対しないけどよ……ユーリィが何ていうかねえ……」
ユーリィの名前にヨアケが反応する。それも嬉しそうに。
「わあ、ユーリィさんもここに住んでいるんだ!」 「お前、アイツとも知り合いなんかいっ」 「うん。【エレメンツ本部】に住んでいるみんなは、時々出張してくる仕立屋のチギヨさんと美容師のユーリィさんにお世話になっていたんだ。いやあその二人がまさか同じところに住んでいるとは」 「あー、そういやチギヨもユーリィも時々店を留守にしていると思ったら、そういうことだったのか」
あいつら留守にするとき、どこに何しに行っているとか教えてくれなかった気が……いや、俺が今まで聞こうとしなかっただけか。 俺とヨアケの話が一区切りしたタイミングで、チギヨが咳払いを一つして俺らの注目を集める。それから、やけに神妙な顔で俺ら二人に尋ねた。
「で、ビドーとアサヒさん。お前ら二人はどんな関係なんだ?」
チギヨの意図を把握するのに、少々時間がかかった。ヨアケも慎重に言葉を選んでいるようである。俺は、下手に誤魔化すより正直に言った方がいいと判断した。
「俺とヨアケは、指名手配中のヤミナベ・ユウヅキを捕まえるために、先日相棒になった。ただそれだけだ」 「相棒って……仕事はどうするんだよ? うちと連携している限りは休業とかは許さねえぞ?」 「ダメか……?」 「上目遣いで見てもダメだ。どうしてもやりたいなら両立しろ。あと、アサヒさん、ビドーはどのくらいアサヒさんの事情を知っている?」
チギヨは、ヨアケに確認を取る。ヨアケは慎重に言葉を紡ぐ。
「私とユウヅキが、事件の前後にギラティナの遺跡に居たこと、事件に関わっている可能性が高いけど、私にはその記憶がないこと、私は<エレメンツ>のみんなに保護され、そのことを他人には聞かれるまで秘密にしておくように頼まれていたこと……かな」 「……うん、だいたい分かった。アサヒさん、部外者の俺が口出すことじゃないのはわかっている。だけど、ビドーと一緒に行動するのなら……そうすると決めたのなら<エレメンツ>内でのアサヒさんの立場とか、ちゃんとビドーに話しておいた方がいい」
俺はそのチギヨの意見に少なからず衝撃を覚えていた。何故なら俺は、互いのことは言いたくないことがあれば言わなくてもいいと思っていたのだ。 つまり俺は、ヨアケの<エレメンツ>内での立場とか考えたことがなかった。ある意味ヨアケやソテツ、ガーベラの言葉を鵜呑みにしていたのである。 確かに、俺とヨアケはお互い協力することを望んだ。だがそれは、両者は深く干渉しすぎることはしないものだと考えていた。 詮索しないといえば聞こえはいいのかもしれない。でもある意味では、関心がなかったのだろう。興味がなかったのだろう。 どういう関係とかそれ以前の問題だ……それでは以前の俺と変わりない。
「……ヨアケ」 「……ビー君」 「教えてくれ。言える範囲でいいから、お前の事を俺に教えてくれないか」 「わかった。教えるよ」
そういって彼女は仕方なさげにため息をひとつつき、微笑んだ。
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ヨアケとチギヨと俺は、三階の共有スペースのテーブルを囲んでいた。何故チギヨまで来ているのかと言うと、「俺も聞いておきたいから」ということだった。店番はチギヨのハハコモリがしてくれているので心配はないそうだ。すげーなハハコモリ。 成り行きで話をすることになったが、これはいい機会なのかもしれない。 ヨアケは彼女の手持ちのドーブルを抱き、そいつの頭の上に顎を置いて話を始めた。ちなみに俺もリオルで同じことをやろうとしたら、リオルに断固拒否と言わんばかりに振り払われ脛を蹴られた。それ以後リオルは部屋の隅でこちらの様子を伺っている。
「それじゃさっき話題になった、お前の<エレメンツ>での立場ってやつを教えてくれないか?」 「オーケー。と言っても、<エレメンツ>内での私の立ち位置はちょっと複雑なんだよね」 「複雑、か……ソテツやガーベラとは仲間だって、家族のような関係って言っていたが、それは本当なのか?」 「嘘ではないよ。でも正確ではないかな」
目を伏せ、彼女は苦笑交じりに言った。
「私は、決して皆に赦されてはいないんだ」
「当たり前のことなんだけどね」と、ヨアケは自嘲する。見かねたチギヨが口を挟もうとしたのを、ヨアケは制止した。あくまでも自分から話す、という彼女なりの意思表示だった。
「私は憶えてないのだけれども、<エレメンツ>はギラティナの遺跡に私とユウヅキが行っていたのを目撃証言から割り出した。私は彼らに保護されたけど、保護っていうよりは疑われて監視下に置かれているって感じなのかな」 「そういや、なんで疑われているんだ。遺跡に行っただけだろうお前は?」 「……だって、それは神隠しだよ。よそ者が神様と呼ばれたポケモンの遺跡に行って、事件が起きた。ギラティナを怒らせたとみられても、そのせいで“闇隠し”が起きたと思われても仕方がないよ」 「い、言いがかりじゃねーか!」 「ありがとうビー君……でも実際その可能性が一番高いのは、レイン所長率いる<スバル>の皆さんの調査で証明されちゃったけどね」 「それはっ……そうだけどよ……」
やり場のない感情を抱えていると、チギヨが呆れつつ俺を見る。
「言いがかりでも事実でも、なんでもいいから何かのせいにでもしないとやっていられなかったんだよ。それは<エレメンツ>に限らず一般人の俺もだし、てめえも入っているんだぜビドー?」 「俺も?」 「そうだ。ビドーだってラルトスを奪われたきっかけを作ったかもしれない張本人が目の前に居て、しかも共犯のもう一人に記憶が奪われている可能性が高いって言われたら、その気がなくてもムカつくだろ?」 「……ヨアケだって、巻き込まれた側だろうが」 「それについては言い切れないけどな。まあ、記憶があったにしろなかったにしろ、アサヒさんが遺跡に居た事実を<エレメンツ>が公開しなかったのは、正しかったと思うぜ」 「そういや、お前はなんで知っているんだよ、チギヨ」 「職業柄、事情は聞きやすい立場だからとしか言いようがないがな。よく出入りしていたらなんとなくわかるさ」 「公開してなくても筒抜けじゃねえか」 「それは言ってやるな。ちなみにユーリィも知っている。つーか、アイツはさっきの話を真に受けている典型例だよ。アサヒさんのこと苦手に思っている」
チギヨの言った「苦手」という単語にヨアケが少し落胆する。
「そうだったんだ……チギヨさん、どうしよう私、本当にここを拠点にしていいのかな……」 「アサヒさん、俺がいうのもなんだが気を使い過ぎなくてもいいと思うぜ。逆にユーリィは自分に気を使われ、引き下がられるとかもっと嫌いだろうし」 「八方塞がりだね」 「面倒くさい女なんだよ」
“面倒くさい女”という単語に何故かリオルが眉をひそめていた。お前も結構面倒くさいところあるよな、と思って見ていたらリオルにガンを飛ばされる羽目に。
「こらチギヨさん、あとビー君も女の子に面倒くさいって思っちゃダメだよ」 「おいヨアケ、なんで俺も含まれている」 「顔に出ていたよ」
ヨアケに同調してリオルも首を縦に振る。ヨアケの腕の中にいるドーブルは、「まったくもってしょうがない人ですね」と言わんばかりの嘲りの笑みをつくった。ドーブルの意外な一面を見たような気がした。 ずれて来た話をチギヨが引き戻す。
「とにかくだ、俺はアサヒさんがここを拠点にするのには反対はしない。ユーリィは俺が説得しておくから、空き部屋使ってくれ」 「チギヨさん……ありがとう、ありがとうございます」 「いいって、どのみち空き部屋を持て余していたのは事実だからな。保証人はどうするアサヒさん? ビドーに頼むかい?」 「ううん。一連の報告もしたいし<エレメンツ>の誰かに頼もうかと思うよ」 「そうかいわかった。ひと段落ついたし、今はここまでしておこうぜ。部屋も片付けないといけないだろうし、俺も店に戻らないといけないからな」
席を立ち、階段を下りるチギヨにヨアケは重ねて礼を言う。 チギヨは手を上げひらひらと振って、姿を消していった。 それを区切りに今日はお互い休もうという流れになった。
「今日はこのぐらいにするか。ややこしいんだよな、お前の現状。監視下に置かれている一部の記憶を喪失している者で容疑者の幼馴染、多い」 「それプラス、相棒も追加しておいて」 「そうだったな、追加しておく。また色々話聞かせてくれよな」 「ビー君の話も、だよ」 「考えておく」 「よし、微妙だけど言質とったからね?」
言質って……まあ、いいか。
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ビー君とチギヨさんのおかげで無事に拠点が決まった夜。私は手に入れた自室でさっそく自警団<エレメンツ>のソテツ師匠へ報告の連絡を入れた。 <スバルポケモン研究センター>の皆さんが行っていた研究内容とユウヅキが盗んだモノの正体。言いそびれていた、私の知り合いのミケさんが国際警察に頼まれて動いていること。レイン所長から頼まれた隕石探しの件、それから私がビー君と組んでユウヅキを追うと、捕まえるために追いかけると決めたこと。拠点の保証人と言い、とにかく話すことは多かった。
『……はー、オイラと別れてから一日でいっぱい動きがあったね。お疲れ様アサヒちゃん。保証人の件はトウギリに動いてもらうから……そうだな、【カフェエナジー】で待ち合わせてくれ。たぶんアサヒちゃんは初めて行くところだろうから、ホームページのURLをメールで送っておくよ』 「了解ですソテツ師匠。夜分にすみません」 『いや、逆に報告はしてもらわなきゃ困る。それと、もう師匠じゃないけどね』 「……それでも私にとって、貴方は師匠だよ」 『だったら、オイラの教えた笑顔体操忘れないでよね? アサヒちゃんはどんな時でも笑っていないと――――老けちゃうよ?』 「ふふ、そうですね」 『はは、それでいいのだよ。アサヒちゃんが笑ってくれなければ困るのはオイラだから。隕石の件もデイジーに調査を頼んでおく。ギラティナが“闇隠し”に関わっている可能性が高くなった以上、“赤い鎖”はどこかで必ずいるはずだから』 「お願いします」
一通りやり取りを終えたので話を畳もうとしたら、ソテツ師匠はもう一つ、と言葉を続けた。
『これだけは言わせてくれ。オイラはアサヒちゃんがどういう道を歩もうが止めるつもりはない。ただ笑っていてくれさえすれば、それでいい』 「ハードル高いですよ」 『心の底から笑えとは言わんよ。ただ苦境に立っても自分が可哀そうな奴だという顔だけはするな。アサヒちゃんは可哀そうでもなんでもないのだから』 「……心に刻んでおきます」 『うむ、ビドー君と仲良くね。それじゃあ、また』 「はい、また」
通話を終え、ソテツ師匠の言葉を噛みしめる。 私はどこかで、なんで自分がこんな目に合わなければという気持ちを少なからず抱えていたのかもしれない。 でも彼の言う通りなのだ。私は決して被害者ではない。可哀そうでもなんでもないのだ。 “闇隠し事件”に関わっている以上は、私は、私達は紛れもなく、加害者なのだから。
だから一緒に責任を取りたいのに……ユウヅキ、貴方は今どこにいるの?
*************************
翌朝、俺とチギヨは共同スペースで気まずそうに目の前の二人を見ていた。リオルもハハコモリもドーブルでさえも不安げに彼女らを眺めている。俺らの目の前にいるのは片方はヨアケ、そしてもう片方は――――出張から戻ってきていたユーリィだった。 二人はバツが悪そうに見つめあっていた。ユーリィがヨアケに何か言おうとして、ヨアケもまた彼女の話を聞こうとして、身構えていると言った感じだった。
「――――――ぁ……」
上手く言葉を紡げずイライラするユーリィ。ピンクのショートヘアをかきむしり、しびれをきらしたユーリィはボールからポケモンを出した。この緊張した空間に現れたのは、薄桃色の全身のところどころにリボンのような触手をつけた耳の長い四足歩行のポケモン、ニンフィアだった。むすびつきポケモンと呼ばれるニンフィアはその特徴的なリボンを使い、二人の手を絡めとり、近づけさせる。 ニンフィアの手助けを借り、ようやくユーリィはヨアケに言葉をかけた。
「一応……これから同じ屋根の下に住むのならよろしく、ヨアケ・アサヒさん」
ようやく出たその一言に、ヨアケは笑顔で「よろしくお願いします、ユーリィさん」と返した。 胸をなでおろす俺らをユーリィは黙って睨んでいた。ニンフィアが見かねてユーリィの頭を撫でる。結局言葉数少なめに、ユーリィは自分の店へ降りて行った。 ユーリィとしては、同居する上の最低限の和解を持ちかけたのだろう。それにしてもアイツの『にらみつける』はビビる。女ってこえー……。 その心の声が小声で出ていたらしく。リオルにつま先を踏まれた。
*************************
チギヨも店に出張って行き、俺とヨアケは<エレメンツ>“五属性”の一人、トウギリとの待ち合わせの時間まで外をぶらついて時間をつぶすことにした。 連れて歩いていたリオルとドーブルが何かに見入っていた。つられて俺とヨアケも大通りの方を見やると、そこには黒服の集団が居た。
「最近こんなんばっかりだよな」
その俺のぼやきは、人ごみに消えていく。黒服の集団は棺を囲んで、重たげなく担いでいた。終始無言の黒服集団は、ある方向へ向けてゆっくりと歩みを進めていく。ヨアケもまた口を閉ざし、彼らの後ろを歩み始めたので俺達もまた追いかける。
辿り着いたのは霊園だった。城とは反対側の小丘の上にある霊園の中心地に、大きな石碑がある。そこには、“闇隠し事件”で行方知れずになった人とポケモンの名前がぎっしりと彫られていた。 黒服集団が共同墓地に棺を入れ、憑き物が落ちたように会話を始める。彼らの声をまとめると、一つの意見に集約していた。
「8年は長すぎた」
彼らは、“闇隠し事件”の被害者の家族だ。 “闇隠し”で取り残され生き残った家族である。 そして、彼らがしていたのは葬式だ。 彼らは“闇隠し”でいなくなってしまった行方不明者を弔ったのだ。 ……行方不明になった人もポケモンも、8年の間生存が確認できない場合、葬式を上げることができる、そういうルールがある。 心身共に待つことに疲れてしまった家族が、共同墓地に空の棺を入れる。そんな葬式が“闇隠し”から8年経った今、ヒンメルの民の間で流行っていた。
霊園を後にした黒服と入れ替わりに、二人の子供が石碑の前に来ていた。 金髪ショートカットでメガネの少女と、ニンフィアとはまた違った薄桃色の髪を持つ顔色の悪い少年。 おどおどしている少女をよそに少年は――――石碑を蹴った。 少年は何度も、何度も、何度も、何度も石碑を蹴り飛ばした。 俺達はその光景に呆気に取られる。 黒服の一人が異変に気がつき、戻ってきて少年を止めさせる。そしてこう宥めた。
「辛いのはわかる、そんなに苦しいのなら君も待つのを止めた方がいい、その方が楽になる」
その言葉に少年は我に返ったように笑顔を見せた。それから底抜けに明るい笑顔を見せ、質問した。
「ねー、何で空っぽの箱に泣いているのー? 何で帰りを待ってやんないんの? みんなが帰って来れる場所を、オレたちが護るんじゃなかったっけ? ねー何でなんだよ?」
質問攻めする少年を見て、直感的にマズイと思った。この状況は、早く止めさせないと嫌な予感がする。現に、黒服は苦虫を噛み潰したような表情をしている。 同じことを考えていたのか、ヨアケが歩みを寄せていた。その時、ヨアケの横を、ウェイトレスの恰好をした女性が駆け抜ける。
「カツミ君!! リッカちゃん!!」
ウェイトレスは、少年少女とコダックを抱きしめ、黒服に謝罪する。黒服は何かを言おうとして、でも俺とヨアケに見られていることに気づいたのか、ため息を吐き去って行った。 ウェイトレスの彼女は、肩を震わせて二人とコダックを強く抱きしめなおした。
「こらー! カツミ君もリッカちゃんも心配させないでよもう……!」 「ごめんなさいココ姉ちゃん。カッちゃんを止められなくて」
リッカと呼ばれた少女が泣き出してしまう。それを見たカツミ少年は困った表情を浮かべる。
「リッちゃん……ゴメン、ゴメンって! あーもうリッちゃん泣かせるつもりじゃなかったのに……ココ姉ちゃんも悪かったからそんなにきつくしないでよ!」 「嫌よ! 心配かけた分ぎゅっぎゅしてやるわ!」 「ぐえー」
冗談交じりに押しつぶされたガマガルのような声を出すカツミとコダック。その声が笑いのツボに入ったのか、リッカが泣き止む。 静観しかできていなかったリオルもドーブルも胸をなで下ろしていた。この様子ならもう大丈夫だろうと、ふたりに言おうとしたら、ウェイトレスのココ姉ちゃんがこちらを振り向いて俺たちに礼を言った。
「貴方たち、止めようとしてくれてありがとうね」 「いや、俺たちは何もしてないさ」 「気持ちだけでも嬉しかったのよ。あたしはココチヨ。【カフェエナジー】でウェイトレスやっているわ。よかったら顔を出してね。サービスさせていただくよ」
ココチヨさんの提案に俺は戸惑ったが、ヨアケがすんなりと受け入れたので俺もそれに乗っかる。実際【エナジー】で待ち合わせをしていることをココチヨさんに告げると、彼女はそれならぜひ一緒に向かおうと誘ってきたので、俺たちは名乗りあった後彼女らと一路を共にすることになった。
*************************
カツミとリッカの元気なちびっ子組と彼らのパワーに巻き込まれるリオルとドーブル、そしてぼけーっとしているコダック(名前はコックというらしい)たちを微笑ましく眺めて一行はにぎやかに歩いていた……のだが【カフェエナジー】を目の前にしてちょっとした諍いになる。 発端はココチヨさんがカツミを心配して、忠告したことであった。
「……カツミ君、もう石碑を蹴ったりしたらいけないよ。わかった?」 「ココ姉ちゃん……うーんオレ、やっぱりわからないかな」
カツミは笑いながらも、自分の意見を譲らなかった。リッカとコダックの不安そうな視線をものともせず、カツミはココチヨさんに続ける。
「だってさ、あいつら勝手にお葬式してみんなが帰って来る場所を無くしているんだぜ? 帰ってきたら自分のお墓が出来ていたりしたら、そんなの可哀そうじゃん? だったらあんな石碑ない方がいいじゃないか」 「あのね、納得できないのはあたしも解るわ。でもねカツミ君、あの石碑を作ってしまう人たちの気持ちも考えてあげて?」 「ココ姉ちゃん……なんでそんなこと言うんだよ? だって言ってたよね、みんなでみんなの帰りを待つって。いつまでも、いつまでも待ってるって……!」 「でもねカツミ君。全員が私達みたいに待ち続けられる辛抱強い人ばかりじゃあないのよ」
その時、俺は言い合いになっている二人ではなく、ヨアケたちの様子も見ていた。リッカもヨアケも、あまりいい顔色をしていなかった。ぼかさず言ってしまうと、苦しそうだった。逆にリオルとドーブルとコダックは冷静に状況を見ていた。 ココチヨさんもまたカツミを諭す為とはいえ、何かを堪えながら言葉を紡いでいった。
「待つことに疲れてしまった人もいるのよ……カツミ君。いつまでも大切な人にいなくなってしまった現実に、過去に引きずられたくない人だって、いるのよ……?」
俺は口を挟もうとしたヨアケを咄嗟に制止した。ヨアケが俺を見下ろす。俺は彼女に対して首を強く横に振った。 リッカはレンズ越しの瞳をうるませながら、しゃくりを上げている。 カツミの口元から、笑顔が一瞬消えた。そしてカツミは再び口元を歪ませる。 「何だよ何だよー、そんなに忘れたいのなら石碑なんて作らずに忘れてさっさと出ていけばいいじゃん! その方がお互い気が楽だよね、ココ姉ちゃん?」 「そういう問題じゃないの!!」
怒鳴ってしまってからココチヨさんは後悔の色を浮かべる。 カツミはそんなココチヨさんに優しい、悲しい笑みを向けた。そして今にも泣きそうなのを堪えた悪い顔色で、ココチヨさんから距離を取ろうとする。
「ココ姉ちゃん! ゴメン俺ちょっと頭冷やしに行ってくる! ……お仕事がんばってね! じゃ!」
そう言い残して路地を駆け出すカツミ。すぐさま後を追うリッカとコダック。立ち尽くすココチヨさん。 あまりしたくないのだけれども悠長なことを言っていられないので、俺はぼさっとしているヨアケの腕を取った。
「おいヨアケ、待ち合わせ時間までまだあるよな? ココチヨさん! ちょっとあのまま行かせるのは心配だから様子見てくる!」 「! ごめん、お願い……!」
うなだれるココチヨさんを背に、俺はヨアケを引っ張ってカツミを追いかけだした。
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カツミたちを追いかけるも、大通りに出たところで見失ってしまう。人ごみの中背の低い彼らを見つけることは中々に絶望的だ。リオルとドーブルともはぐれる可能性も出てきたのでいったんモンスターボールに戻し、あまりに人の流れが激しいのでいったん裏路地に避難した。 焦りもあったが、さっきからヨアケはヨアケで覇気がなく暗い面持ちをしていやがったのに無性に腹が立ったのでつい言ってしまう。
「ヨアケ! さっきからぼうっとしているぞお前!」 「ゴメン……」 「どうしたんだ? らしくないぞ」 「……ゴメン、なさい……私、カツミ君見つけて、言いたいことあるのにね……しっかりしないと」
無理やり立ち直ろうとするヨアケの言葉に違和感を覚える。 彼女の様子を思い返してみて、ようやく見当がつく。 思えば昨日チギヨと三人で話していた時からだったな。こいつがなんかちぐはぐだったのは。
「ヨアケ。さっきカツミに謝ろうとしていただろ。俺が止めたけど」 「……よくわかったね」 「俺がなんでお前を止めたか解るか?」 「……謝っても、どうしようもないから」 「そうだよ。お前、昨日のこと引きずっているだろ。自分は赦されてない、事件を引き起こした原因かもしれない――――だから、自分が悪いって」 「……私が加害者なのは変わらないでしょう?」 「だったらなおさら謝ってどうする。謝ったらカツミの大切な奴は帰ってくるのか? 違うだろ? あんたがしなければいけないのは謝ることじゃない。ヤミナベの野郎をとっ捕まえて、“闇隠し”でいなくなった全員を連れ戻す手がかりを探すことだ。謝るのはそれからだ……少なくとも俺は、今のあんたに謝ってほしくはない――――あんたは、いや俺たちはまだ何もしてないし、何も出来てないのだから」
俺だってチギヨに言われるまでもなく、“闇隠し事件”を引き起こした疑いのあるヨアケに何も思わないわけではない。だが、俺はそれらのことでヨアケに気弱でいて欲しくはなかった。 今、謝ることで救われるやつなんていない。それはヨアケ自身も含まれている。 誰も彼も救われないのなら、別の方向性で模索すべきだ。 それがヨアケに上手く伝わっていればいいのだが。
「さて、地上が厳しいなら空から捜そうぜ! 頼んだオンバーン!」
気持ちを切り替えて俺はモンスターボールからオンバーンを出す。黒と紫の大きな被膜で空を飛ぶ竜で、音波を操るのに長けたポケモン、オンバーン。こうも騒がしいと耳で音を拾うのは厳しいが、単純な飛行捜索なら力になってくれるはずだ。 ヨアケもデリバードのリバをボールから出し、カツミとリッカの容姿とコダックを連れていることを伝え、二体がかりで捜索に当たらせた。
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リバくんとオンバーンがカツミ君たちを捜してくれている間、私達も人ごみを抜け路地という路地を手当たり次第に覗いていた。 あれからビー君は一言も喋らない。必死になってカツミ君たちを捜している。 私は走りながら考え事をしていた。私が今出来ることは、何だろう? と。 ビー君の指摘はあっていた。私はあの時カツミ君に謝ろうとしていた。今思えば謝ることに逃げようとしていたのかもしれない。 本当はそんな資格なんてないけど、私が本当にカツミ君にかけるべき言葉は、もっと違うはずだ。それが思い浮かびそうで、出てこない。それがもどかしくて仕方がないけど、焦ってはダメなのだと思う。 荒い呼吸を整えるために一度立ち止まる。そして深呼吸。酸素が頭に渡る。少し走ったことで、余計な考えが消えていく。 そして正解のない問題の答えを探し続ける。 きっとこの問題は一生悩んでも、どんな答えを選んでも正しいってことがない。そんな迷宮だ。 答えを出さないという選択肢すらあるのだと思う。でも、だからこそ私は答えを出す方を選びたいと願った。
しばらくして、ビー君のオンバーンがカツミ君たちを見つけてくれたようだ。 私たちは再びカツミ君たちの元へ走りだす。
*************************
カツミ君たちがいたのは、噴水のある小さな公園だった。 ただ彼らの傍にはもう一人、茶色のボブカットの女性がいた。カツミ君とリッカちゃんは噴水の端に座ってその女性の語るお話を聞いていた。コダックは気持ちよさそうに水浴びをしている。 リバくんたちをボールに戻していると、そのボブカットの女性が私たちに気が付き、話を中断して声をかけてきた。
「キミら、カツミとリッカの知り合いかい?」
女性の声につられてカツミ君とリッカちゃんがこちらを向いた。先程までの泣きそうな顔はどこへやら、二人ともきょとんとした顔をしていた。安心して脱力する私とビー君に、カツミ君が不思議そうに尋ねてくる。
「アサヒ姉ちゃん? どうしてここに? ココ姉ちゃんの店で約束あったんじゃ……?」 「あはは……心配で、追いかけちゃった……元気そうでよかった」 「あー、あーあー……なんか心配かけてゴメンよ、アサヒ姉ちゃんにビドー兄ちゃん。顔色悪いのはもともとなんだ……」 「そうだったんだ……ううん、いいの。いいのよ」
カツミ君が謝ることは一個もない。私が謝れることも、今は無いのかもしれない。でもそういったごちゃごちゃとしたのを拭い去るように、わりと勢い任せに私はカツミ君に言った
「――――カツミ君。私も、いなくなった皆を連れ戻す方法を探すよ。だから……待っていて?」
自然と口にしていたのは、自分が一番かけて欲しくない言葉だった。 とても自分勝手な私のお願いに、カツミ君は「なんだかよくわかんねーけど」と言ってから、その約束を受けてくれた。
「待っていることはいくらでもできるけど……待つのは慣れちゃったからさ、その辺なるべく早くよろしく頼むね、アサヒ姉ちゃん!」 「わかった」
カツミ君は笑っていた。私もつられて笑みを作る。この子は笑って済ますことで、他人に気を使ってくれる優しい子なんだ。そう思うと胸が少し痛くなった。
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笑いあう私とカツミ君を見て、「どうやらボクは邪魔のようだね」とボブカットの女性が立ち去ろうとした。その彼女をリッカちゃんが腕にしがみついて引き留める。
「サモンさん……お話の続き聞かせて……?」
サモンと呼ばれた彼女はため息を吐き、私たち全員を見渡す。カツミ君も目を輝かせてサモンさんの言葉を待っていた。 ビー君がしびれを切らしてサモンさんに尋ねる。
「サモン、って言ったか。こいつらになんの話を聞かせていたんだ?」 「ヒンメル地方に伝わる昔話だよ」 「昔話か……有名どころだと英雄王ブラウとかか?」 「違うよ。ブラウに討たれた発明家クロイゼルングのお話さ」 「クロイゼルング? あの怪人と呼ばれていた?」 「そう、そのクロイゼルング。彼は怪人である前に、一人の発明家だったことが、古い文献に遺されていたんだ」
英雄王ブラウと言えば、ヒンメル地方では人気の偉人であり、多くの英雄譚を残していると昔ソテツ師匠に聞いたことがある。その伝説の一つが怪人クロイゼルングの討伐だったと記憶している。 不思議とその名前が引っ掛かって、私もリッカちゃんとカツミ君のような眼差しをサモンさんへ向けてしまう。 サモンさんが私に「キミも聞いていく?」と尋ねる。私が小さく頷いたのを見てサモンさんは静かに、怪人と呼ばれた男クロイゼルングについて語り始めた。
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「クロイゼルングはポケモンの力を使った発明、今でいう神秘科学の原型となる研究を行っていた人物だった。彼はその力で昔のこの地方に住んでいた人々の生活を豊かにしたらしいよ。具体的な記述の残っている発明品は少なく、わずかに遺っていたオーパーツはヒンメル王国で厳重に管理されているそうだ。今でも使用用途の分からないオーパーツもあって調査されているとか」 「へー、けどよ。そんな凄い奴がなんで怪人なんて呼ばれていたんだ?」
ビー君の疑問は私も引っ掛かっていたところだった。ぜひその理由を知りたいと顔を向けると、サモンさんは私たちに冷ややかな視線を送り、呟く。
「彼が当時の王国にとって脅威だったからだよ」
その視線は冷たくも、悪意の感じない不思議なモノだった。彼女は淡々と語っていく。
「クロイゼルングの研究は確かに国を豊かにした。ただし代わりに、彼の研究はエスカレートしていったんだ。ポケモンの力を使った発明からポケモンを……そして人間までもを使った実験を行うようになった。それで彼は討伐対象になった。怪人って言葉は魔女みたいなレッテルだとボクは考えているけど、彼は彼自身の身体で実験もしていたみたいだし、実際半分くらい人間やめていたのかもね」 「人間をやめたらどうなるの? ポケモンになっちゃうの?」
カツミ君の疑問にサモンさんは考え考え、といった感じで答える。
「人がポケモンに、ね……遠くシンオウの神話では、遥か昔は人がポケモンの皮を被ってポケモンになり、その逆もあるって話もあったと思う、人間をやめるってことはポケモンになるっていう推測は案外当たっているかもしれない」
目を輝かせるカツミ君の隣でリッカちゃんが「ポケモンの人間がポケモンで人間……うーん……?」とぶつぶつ言いながら混乱していた。見かねたサモンさんは表情には出さないけどちょっと焦った様子でリッカちゃんを諭す。
「まあ、あくまでも昔話だから、真に受けすぎるのもどうかと思うよ。昔の人は勝手に話を作って残したりするから」 「そうなの?」 「そう。まあ、勝手に話を作るのは今の人間も変わらないけどね」 「もし、どのお話が本当なのか迷ったら、どうすればいいの?」 「それは……何とも言えないね。けれどもこれは憶えておいて――――そういう時はちゃんと自分で選べ。誰かに言われたからって、言ったその人が絶対に正しいとは思わないこと。正しくても正しくなくても……最後に決めるのはキミだということを」
サモンさんは相変わらず冷めた目線で、でもしっかりとした言葉でそう締めくくる。 彼女の言葉は冷たくはあるが、どこか優しさが含まれているように私は感じた。
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ふと公園にある時計を見てみると、程よい時間になっていた。 話の節目でもあるようなので、私は待ち合わせのことをサモンさんに伝える。カツミ君の大丈夫そうな様子もココチヨさんに伝えた方がいい、心配しているだろうから。そう判断してカツミ君達に別れを告げ立ち去る。 公園を出て、路地の入口に差し掛かった辺りでビー君が「ちょっと急いだほうがいいかもな」と駆け出した。 私も後を追いかけようと、足に力を入れたその時。
「えっ?」
誰かに腕を掴まれる感触。 恐る恐る振り返ると――
「サモンさん?」
――そこには走ったのか、少し呼吸を乱したサモンさんがいた。 カツミ君とリッカちゃんとコダックの姿はない。 何か用があって追いかけてきたのかもしれない、と私は彼女に尋ねようと口を開こうとする。けれども彼女は遮るように、私に向けて謎めいたことを言った。
「――――キミは、本当に同じなんだね」
同じ? 私が? 何……と? 思考がまとまらないうちに、サモンさんは黒い瞳を細くし、小声で続ける。
「ヨアケ・アサヒ……どうしてキミなんだ。どうして……」 「…………」
なんのことなのかさっぱり分からず唖然としていると、サモンさんは掴んだ手を緩め、それから私に向けて謝った。
「……いや、何でもない。ゴメン、変なこと言って引き留めて」 「え……あ……うーん、別にいいよ?」 「今のは単なる八つ当たりってことにしてもらいたい。いい?」 「いいよ」 「助かる。それじゃあ……今度こそさよならだ、アサヒ。出来るなら、キミの進む先に幸があるといいね」
そう彼女は……サモンさんはまるで、もう二度と私と会うことが無い風な言葉を残し、背を向ける。 一期一会って言葉はあるけれども、どうにも私は腑に落ちないでいた。 サモンさんの口ぶりが引っ掛かったのかもしれないし、わずかに見せた表情が気になったのかもしれない。 特に何故彼女は私を追いかけたのか、そこが一番知りたかった。 明日には忘れてしまうかもしれないこの邂逅だけど、この時の私はサモンさんのことが知りたくなってしまっていた。 だから私は、再会に繋がる望みを込め、声を上げてサモンさんに手を振った。
「サモンさん! またね!」
彼女は一瞬驚いて振り向き、目を丸くする。それから「うん。また」と仕方なさげに小さく微笑んでくれた。
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「いけない、遅刻だ!」
全力で走ってたどり着いた【カフェエナジー】の扉を勢いよく開ける。カウンター席に座ってアイスコーヒー(グランブルマウンテンという名前らしい)を飲んでいたビー君が、呆れた様子で私を出迎える。
「遅いぞヨアケ! 俺だけ先に着いても意味ないだろ!」 「ゴメン、ちょっとね」 「ったく、ひやひやさせやがって。そういやお前の待ち合わせ相手はまだ来てないってココチヨさんが言っていたぞ」
ビー君が他のお客に配慮して名前を伏せる。<エレメンツ>“五属性”は有名だから、ね……そしてやっぱり忙しいんだろうなと思いながらビー君の隣の席に座ると、彼が「ココチヨさんから聞いた話だけど」と話を切り出した。 それはカツミ君についての話だった。
「カツミ、父親と姉が“闇隠し”にあって、その二人の帰りをずっと手持ちのポケモンと一緒に待っているんだとよ」 「待っているのは、カツミ君だけ……?」 「らしい。母親は生まれつき体の弱いカツミを置いてどっか行っちまったんだと。まあ、珍しい話ではないけどな」 「そう、なんだ」 「そうだ。よくある話だって済まされてしまうのが、この国の現状だ。まあだからこそ、その空気を無くすためにも俺たちは、出来ることを片っ端からやっていかないとな」 「だね……私たちはまだ、何も出来ていないのだから」 「それに、待たせる相手も出来ちまったからな」 「うん。頑張らないとね」
……待たせる側になること自体は珍しかったけど、待ってもらう約束は簡単に出来てしまった。でも、約束を交わした相手はいつまでも、いつまでも待っていてくれる可能性も残っているのは、私自身が何よりも分かっていた。だから「待っていて」って言葉は、言ったからにはちゃんと守らないといけない。気を引き締めないといけない。そう思った。 それはそれとして、気になることがあった。
「ところで……さっきから誰かに見られているような気がするのだけど……」 「ヨアケ、背後の足元」 「足元?」
促されるまま背後の足元を見ると、そこには黄色い頭にとんがった耳を二つつけたポケモンがこちらを見上げていた。 「わー、ピカチュ……ウ?」 ピカチュウにしてはなんか顔がこう、失礼だけど私が描いたような大雑把な感じがある。まじまじ眺めているとそのポケモンの足元の陰から、真っ黒い手が伸びた。その両手にはペンと用紙が握られている。 呆気に取られている私にビー君が説明してくれる。
「そいつ、ミミッキュだぞ。注文を取りに来たんだってさ」 「ミミッキュ……図鑑や写真で見たことはあったけど本物は初めて見た……可愛いな」
ビー君がアイスコーヒーのおかわりを頼み、私も何か頼もうか悩んでいると、新たなお客が店に入ってくる。無意識に入口の方へ顔を向けた。すると
「「あ」」
私と彼女の声が重なる。その声に彼女の頭の上の丸いピカチュウが驚く。ビー君もつられて彼女たちを視界にとらえ……目を逸らした。 その態度にピカチュウを頭の上に乗せた、赤毛の少女はむくれてビー君を指差し、声を荒げた。
「配達屋! なんで目を逸らした!」 「…………」 「む、無視しないでよ!」 「……何だよ、<シザークロス>の赤毛。俺がここにいちゃ悪いのかよ」 「別に居てもいいけどさ……あと、あたしの名前は赤毛じゃないよ配達屋!」 「俺も配達屋が名前じゃないけどな」 「う……ぐぅ……」
言葉に詰まる少女が、私に視線で助けを求める。大人気ないビー君は置いておいて、彼女に助け舟を出す。
「その節はどうもー、改めまして、私はヨアケ・アサヒっていうんだ。よろしくね。貴方のお名前は?」 「……アプリコット、だよ。一応よろしく。呼びにくかったらアプリでいいよアサヒお姉さん」 「わかった。そういえばアプリちゃんは【エナジー】によく来るの? 私初めてでさ」 「あたしは、ここのウェイトレスのココチヨお姉さんに、この子の好物のパンケーキをよく取り寄せてもらっているんだ」 「へええ、ココチヨさんそういうサービスもしてくれるんだ」 「正直助かっているよ。この子こだわりが強くて、アローラ地方のパンケーキじゃないとダメなんだ……まあ、でも受け取りに来るたびにココチヨお姉さんのミミッキュの機嫌を損ねちゃうんだよね。ほらまた」
アプリちゃんに言われて気づく。さっきまで愛くるしく接客してくれていたミミッキュが、彼女の頭上のピカチュウに敵意のこもった視線を投げかけていた。ピカチュウはというと、あくびをしている。仲、悪いのね。 その光景を見てさっきのアプリちゃんとビー君を思い出したのは黙っておくことにした。
アプリちゃんが来客したお店の奥の方の階段をココチヨさんが下りてきた。彼女とピカチュウに挨拶した後、ココチヨさんが合図を送ってくれる。
「アサヒさんも色々ありがとうね! 相席の方が二階でお待ちですよ!」
その合図に小さく頷く。さっきからしかめ面のビー君に声をかけて、アプリちゃんにも挨拶する。
「分かりましたココチヨさん。じゃあ行こうかビー君。アプリちゃんまたね」 「う……うん。またねアサヒお姉さん……と、あんまりまた会いたくないけど、配達屋ビドーも、また会ったらその時は覚悟しておいてよね」
ビー君の名前、憶えていてくれたんだアプリちゃん。 名前を呼ばれ、それまで視線をそらしていた彼は、若干鋭い視線と低いトーンで彼女に返事をした。
「……覚悟するのはお前らの方だからな」
あまり見せない顔にたじろぐアプリちゃん。そんな彼女をよそに、ビー君はずんずんと階段を昇って行った。私も慌てて後を追いかけた。
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「やっぱり苦手なの? アプリちゃんのこと」
階段を上り終えた辺りで、ヨアケが小声で訪ねてくる。微妙にずれた問いに、俺は冷静さを失わないように努力しつつ、むかむかした感情を言葉に込めた。
「俺はただ、どんな理由があっても、他人のポケモンを盗る奴らが嫌いなだけだ。それが無知で疑うことを知らないガキなら、なおさらだ」
言葉にして、俺自身があいつのことが嫌いだということに気づく。そうだ。苦手とか、そういうのを飛び越えている。
「ポケモンを奪われた側の俺と、奪う側のあいつら〈シザークロス〉とでは、けして相容れない。それだけ、それだけなんだ」 「ビー君……」 「ほら、切り替えていくぞ、ここだよな? 確か」 「うん……」
二階の廊下の突き当り、予約部屋と書かれた扉を開ける。 個室の中には、中ぐらいの丸いテーブルが一つと、木製の椅子が三つ並べられている。 その三つの席はヨアケと俺……そして既に腰かけている、布で目隠しをした茶髪の大男のものだろう。 俺達が腰かけたのを皮切りに、会話が始まる。
「ゴメンねトウさん。待たせちゃって」 「……大丈夫だ。それにしても久しいなアサヒ。それと、そちらの少年は初めまして、だろうか……俺はトウギリ。<エレメンツ>の“五属性”の、トウギリだ。呼び捨てで構わない。よろしく頼む」
――――<エレメンツ>“五属性”の一人。闘の属性を司る者、トウギリ。 草の属性を司るソテツとはまた違って、落ち着いた雰囲気を纏っている。目隠しをしていても、俺らを認識できるのは、波導使いだからできる芸当なのだろうか。トウギリには結構有名な二つ名があったが、何だったかな。思い出せない。 まあ、それはそれとして俺も名乗り返す。
「ビドーだ。少年じゃない、青年だ。こちらも呼び捨てで。よろしくお願いします」 「……これは、失礼した……」
縮こまるトウギリ。巨漢のわりに、物腰が低い。なんか、失礼かもしれないが一気に親しみやすさが湧いてきたぞ。 トウギリは気まずそうにメニューを取り出し、俺達に注文はあるかを尋ねる。ヨアケはあると答え、俺は既にアイスコーヒーを二杯飲んでいたので遠慮した。 呼び出しボタンを押したら、ミミッキュではなくココチヨさんが注文を取りに来る。 ヨアケは「モーモーミルク!!」と何故か元気よく頼んだ。トウギリはお冷(美味しい水)を頼もうとしてココチヨさんと、
「あんたねえ、せめてお茶くらい頼みなさいよ、トウ」 「水が……飲みたいのだが」 「お客さんにだけ頼ませるつもり?」 「む……じゃあ、ロズレイティーを頼む、ココ」 「承りました」
そんなやり取りをしていた。愛称で呼び合う二人に、ヨアケが「お? おお?」と声を漏らしながら食いついていた。いや、お前もトウギリのこと愛称で呼んでいなかったか? ココチヨさんが去って行ってから、ヨアケがトウギリに問い詰める。
「トウさん、ココチヨさんとはいったいどんなご関係で」 「ふむ……アサヒには話していなかったか……」 「話されてないですね、話されてないですね」 「……まあ、いわゆる……昔馴染みで、今現在は付き合っている」 「……きゃー」
口元を手で隠し、小さくはしゃぐヨアケ。こういうところは女だなあ。一人盛り上がるヨアケのテンションに俺は若干ついていけず、トウギリは照れながら頭を掻いていた。 一人だけ盛り上がってしまったことに気が付いたのか、ヨアケは話題を切り替える。
「失礼。そういえばトウさん。野望の方は進んでいる?」 「? ヨアケ、トウギリの野望ってなんだ」 「ふふふ……それはねビー君。私の口から語るのは、ちょっと難しいので、トウさん、どうぞ」
話を振られたトウギリは、口元に笑みを浮かべた。それからまず一言、楽しそうに呟いた。
「波導弾、だ……俺は波導弾を放ってみたいんだ」
**************************
「……はい?」 「俺は、波導弾を俺自身の手で撃ってみたいと思っている……」 「『はどうだん』を? ルカリオとかが使える、あの技を……ええ?」 「不純かもしれないが……俺は『はどうだん』を使うことを目標に波導使いを目指した」 「……結果は」 「まだだ。まだその域には達していない……」
しょんぼりとするトウギリをヨアケが励ます。俺はというと、そもそも人間が『はどうだん』を技として使える。という理屈がいまいち理解出来ていなかった。すると「……俺の考えを聞いてくれ」とトウギリは少し長い説明を始めた。
「……シンオウ地方の伝承にポケモンを結婚した者の話がある。それが出来たのは、人とポケモンが昔は大差ない存在だったから可能だったそうだ。その話を聞いて思ったことがある。ポケモン同士の技の遺伝や、人からポケモンへの技の伝授は出来るのは当たり前の認識になっているが、人自身も昔はポケモンと大差なかったのだから、技を繰り出していたのではないか? と。ポケモンにはポケモンの生体エネルギーがあるから、技を繰り出せる、という理論がある。それはなんとなく分かる。分かってはいるのだが……だったら昔の人にも現代の人にも生体エネルギーはあるのではないだろうか、というのが俺の疑問だ。その疑問を抱くようになったのが波導だ。波導の力は、かなりの修業が必要だが、操ることが出来る。そう、使えるんだ……ポケモンが使える力を、人の手でも」
確かに、人がポケモンに教える教え技があるのに、人にはその技が使えないのはさほど気に留めてはいなかったが謎だった。ポケモンにだけ技を打てるエネルギーを持っている、という説明にも納得だ。だからこそ、ポケモンも人も使える波導の力ってやつにトウギリが入れ込むのも分からなくはない、のだが……それでも疑問は残る。
「トウギリ。アンタはそれを使って、どうしたいんだ? そこがいまいちよくわからないんだが。まさかポケモンの隣で戦いたい、とかか?」 「半分正解だ。だがそれは波導の力がなくてもやろうと思えば出来ることだ……そうだろう?」
そう言われて、俺は言葉に詰まってしまった。返答に困っていたらタイミングよくココチヨさんが飲み物を持ってきてくれた。
「まーた波導弾の話? 目指すのもいいけど、あんまり波導を使い過ぎないでよね。ただでさえ無茶するんだから、過労で死なないでよね」 「それでも……鍛錬を怠ることはできない」 「あっそ。それより、しなきゃいけない話はしたの?」 「……そうだな、つい喋り過ぎた」 「まったく。ゴメンなさいねアサヒさん、ビドーさん。それじゃあごゆっくり」
色々と思う所は残るが、ココチヨさんによる軌道修正を終えた俺たちは、ようやく本題に移る。 貸し部屋に関してトウギリは「アサヒ自身の拠点を持つことには賛成だ」と快く保証人を引き受けた。それからヨアケが言いづらそうに<スバルポケモン研究センター>でのやりとりで、ヨアケの“闇隠し”前後の記憶が抜け落ちていることと<エレメンツ>がその情報を表に出そうとしなかったことを話してしまったことを謝った。 そのことを聞いたトウギリは、腕を組み静かに唸った後「……過ぎたことは仕方がない、か」 とこぼした。
「あとトウさん、私とユウヅキが過去に遺跡について調べていた……らしいことも<国際警察>に情報が伝わってしまっているみたい……」 「情報を半端に伏せようとしたこちら側にも非がある……それに憶測の域をでない情報には変わりない。だからこそ俺たちはその情報を公開しないと決めた……あまり深く気にするな」 「はい……」 「……それと」 「それと?」 「これは俺の考えなのだが……お前と遺跡についての関係性を<ダスク>には明かさない方がいい」
突然出てきた単語に、俺とヨアケは顔を合わせる。それからヨアケがトウギリに理由の説明を求めた。
「<ダスク>って、ソテツ師匠も言っていた最近密猟者がよく所属しているという、グループ名だよね……どうして?」 「……お前たちが接触した<ダスク>のハジメという青年。ソテツから話を聞く限りだが、救国願望を持っていそうだと俺は感じた。ハジメを含め、今までの<ダスク>を名乗った密猟者もヒンメルの国民ばかりだった。もし<ダスク>のメンバーが同じような願いを強く持ち合わせているというのなら……アサヒ、お前の存在が彼らの抱えている感情を爆発させる引き金になるかもしれない」
そのトウギリの言葉で場が静まり返る。 暫しの沈黙の間に俺は……ハジメのこともだが、今朝の霊園での光景を思い出していた。 チギヨとユーリィはともかく、黒装束の彼ら。カツミとリッカ。サモンは分からないが、ココチヨさん。 彼らがヨアケの素性を知ったら、どう思うのだろうか。あの石碑を蹴ったやり場のない感情は、どうなってしまうのだろうか。 俺は、俺が例外よりだということを自覚していなかったのかもしれない……ヨアケの立場の危うさを、甘く見ていたのかもしれない。 だからこそアキラ君は、混乱を避ける意味でも<エレメンツ>がヨアケを守っているといったのだろう。 下を向き、押し黙るヨアケに、トウギリが謝る。
「……言い過ぎた。すまん」 「いや、大丈夫です」 「……ついでに伝えておきたいことがもう一つ。今まで捕まえた密猟者たちは“サク”という名前の人物を中心に<ダスク>が成り立っている、という情報しか引き出せていない。まだまだ情報が揃っていない中での憶測で不安にさせて申し訳ないが……気を付けてほしい」 「……うん。忠告と心配、ありがとうございます」
彼女はその言葉だけは、絞り出した。
**************************
「さて……デイジーの調査はまだ終わっていない。彼女も多忙だからな……終わり次第お前たちに連絡すると言っていた……」 「了解です。デイちゃんにありがとうと伝えておいてください。トウさん」 「伝えておこう」
冷めたお茶に口をつけるトウさん。ずっと私とビー君を見ていた彼の布越しの視線がそれたその時、私は何故かほっとしてしまった。安堵とは違うのだけれど、なんだか気が張り詰めていたのだろう。私もモーモーミルクに口につける。ほのかなすっきりとした甘さに、心が安らぐ。 その間ビー君は、トウさんの方をじっと見ていた。何か思う所があったのだと思う。 暫しの休憩の後トウさんは、話の締めに私に確認を取った。
「アサヒ。お前はヤミナベ・ユウヅキを捕まえるために追う。それで本当にいいのだな」
私が指名手配となった彼を捕まえるために動くことは、ソテツ師匠にも伝えていた。トウさんが今一度確認を取るのは、<エレメンツ>もユウヅキを表立って捕まえに動いていいのか。という確認もあった。
今まではグレーゾーンだった。 私とユウヅキには“闇隠し”に関わっている疑いこそあれ、決定的な証拠がなかった。私は当時の記憶がなく、ユウヅキは行方不明。判断のしようがなかった<エレメンツ>は、私たちの存在を公表せずにグレーのまま……あやふやのままで見逃してくれていた。ユウヅキが、<国際警察>に“闇隠し”の容疑者にされるまでは。 まだ、断定はできる状態ではないけれども、<国際警察>が動く以上は<エレメンツ>もいつまでも動かないわけにはいかない。そういった意味でもユウヅキを黒に近い者として本格的に捕まえるために動くことを「本当にいいのか」と問いかけてくれたのだろう。 他に選択肢はないとはいえ、戻れない道に率先して進もうとする私を気にかけてくれたのだと思う。トウさんはそういう人だ。
「いいよ。私はずっと、貴方たちに責任を取りたかったから。自分の手でケリをつける可能性を残してもらえるだけでも、とてもありがたいと思っている」 「……ヨアケ。お前だけ、じゃないだろ」
ビー君が呆れた様子で、付け加えてくれた。
「やっぱり、これはお前とヤミナベだけの問題じゃねーよ。俺たちヒンメル地方の人間も、それ以外も含めた問題だ。そりゃ責任はお前らにあるのかもしれない。でもそうじゃないっていうか、ああもううまく言えねー……とにかく、お前がヤミナベを捕まえるんじゃない。お前の手でケリをつけるんじゃない。俺も、<エレメンツ>も<国際警察>も、とにかく全員でなんとかするんだよ。一人で責任取ろうと空回るな」
彼はリオルの入ったモンスターボールを私に突き出す。ボールの中のリオルとビー君の視線が私に向けられる。ビー君は私の手持ちを見るように促してから、言った。
「俺たちを忘れるな」
その彼の言葉で、私が一人じゃないことを思い出す。思わず手元に私のボールをよせる。ドル君たちが、特にリバくんが心配そうにこちらを見上げてくれていた。 いや全部が全部忘れていたわけじゃないのだけれど、確かに私が責任を取らないと、となっていた。一人で突っ走っていた。皆に心配をかけていた。 せっかくタッグを組んだのにいきなりこれじゃ、そりゃ呆れもするよね。
「ありがと」
一人じゃないと気づかせてくれたビー君に感謝を告げ、私はトウさんに向き直る。 やり取りを見ていたトウさんがふっと微笑んだ。
「――――たしかに俺たちの問題でもあるな。まあ、もとからお前ら丸投げするつもりは毛頭ない。だからこういった言い方も変だが、力を合わせていこう。<エレメンツ>は、少なくとも俺はお前たちに協力を惜しまない」 「……はい、お願いします!」 「頼む、トウギリ」 「ああ……頼まれた」
――こうして私たちは、以前とはちょっと変化した協力関係を結ぶこととなった。 改めて結ばれた彼らとの、トウさんとの協力関係は、とても頼もしかった。
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トウギリたちとの協力を得られることになった後、ヨアケがふと思い出したように俺に話を振った。
「そういえばビー君は、波紋ポケモンのリオルが手持ちにいるよね、現役の波導使いのトウさんになにかアドバイス貰っておいたら?」 「ほう。ビドーはリオルのトレーナーなのか……」
やけに食いついてくるトウギリ。波導使いの性なのだろうか。 リオルもその話に興味があるのか、勝手にボールから出てくる。トウギリもモンスターボールから、リオルより一回り成長した青い毛並みの凛々しいポケモン、ルカリオを出した。
「これが、ルカリオ……リオルの進化系……」
俺もリオルも思わずルカリオに見とれてしまう。俺はトウギリに思い切って、ある相談を投げかけてみた。
「トウギリ。リオルが進化しやすい条件ってあるのか?」 「……基本は懐かせることだな。信頼を得られた状態で日中に経験を積むと進化すると言われている。夜間は進化できないのが注意点くらいだが……」 「……そうか。やっぱり信頼関係、か」 「お前のリオルはよく鍛えられているし……懐いているとは思うのだが、伸び悩んでいるようだな」 「ああ。リオルとの信頼関係をもっと積み重ねたいと思っている」
リオルの方を向くと目が合う。リオルは目を逸らさずこちらを見てくれていた。 俺の悩みに、トウギリが意外な提案をする。
「ふむ……それなら、波導使いになってみないか?」 「波導使いに、俺が……?」 「いやなに。本格的に目指せとは言わん。資質があるかもわからない。ただリオルは感情を込めた波紋を出すことができる。それを読み取れるようになれたら、少しは信頼関係とやらの近道になるのではないかと思ったのだが……残念ながら、今はじっくりと教えるには時間が足りないな」
つられて視線を壁かけ時計にむける。トウギリの言う通り、結構時間が経ってもう夕時に差し掛かっていた。
「また機会を作ってレクチャーする。連絡先を交換しておこう」 「いいのか? 忙しいんじゃねーか?」 「好意に甘えていいと思うよビー君。トウさんも教えたいみたいだし」
ヨアケがそう言うと、トウギリは「そういうことだ」と心底楽しそうにしていた。
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「波導の特徴を一つだけ伝えておこう」
目隠し布に手をかけるトウギリ。その時、俺はようやくトウギリの二つ名を思い出す。
「波導とは、あらゆるものが持つ、エネルギーの波だ。人間も、ポケモンも、その辺の砂利でさえも、すべてが常に目に見えない波導エネルギーを発している。波は振動し、その力は様々なモノに伝達する。波がぶつかり合い、形が、流れが生まれる。たとえるなら……川の流れを辿っていくと、水源に出るだろう? 水源が波導を発しているモノだとしよう。川がそのモノの放つ波導の痕跡とすれば――――『波導の流れを見れば、遠くの人物やポケモンが何処にいるのか、またどんな状況にいるかが分かる“遠視”が出来る』ということだ」 「いわゆる“千里眼”か」
外された目隠しの下から、水色の瞳が姿を現す。その視線は俺らが見ている世界以外を見ている。そんな雰囲気を感じる彼のその目は“千里眼”と呼ばれていた。
「“千里眼”っていう異名を聞くと私の昔住んでいたところの近くの町のジムリーダーを思い出すなあ。接点なかったけれど」 「一度でいいからお目にかかりたいものだ……と、ココが気にかけていたカツミとリッカが何処にいるか捜しておくか」
とても軽いノリで遠視を始めようとするトウギリに思わず聞いてしまう。
「出来るのか?」 「可能だ。たいていの生き物は違う波導をもっている。俺が同じ波導を持った者同士、というのをまだ見たことがないだけでもあるが。だからこそ、一度その人やポケモンの波導を覚えてしまえば、ある程度の距離までなら探知することはできる。それに……」 「それに?」 「……俺は他人より波導を見やすいからな」
二人とは面識があるから、大丈夫だ。とはぐらかすようにトウギリは穏やかな面持ちで言った。気にしないようにしたが、気になる言動だった。何かはあるのだろう。でも今俺が詮索していい問題ではないのかもしれない、とも思った。
「ルカリオ、手伝ってくれ」
トウギリが片膝をつき、ルカリオが彼の肩に手を当てる。おそらく、ルカリオがトウギリに波導のサポートをしているのだろう。リオルがその様子に見とれていた。俺には見えない何かが、見えていたのかもしれない。
俺にもいずれ、お前の見る景色が見えるようになれるのだろうか。 いや、見てみたいだな。見えるようになりたい。 そうしたら、隣に立てるような、そんな気がするからな。
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カツミ君とリッカちゃんの行方をルカリオと波導で捜していたトウさんが、顔を しかめた。それから立ち上がると、「すまない、ちょっと行ってくる」と部屋から出ていこうとする。 慌てて追いかけ、様子がおかしいので何が見えたのか、聞いてみる。
「どうしたの?」 「いや……リッカはこちらに歩いて来ているようなのだが、カツミが……霊園にいるようだ。迎えに行ってくる」
霊園という言葉で、勘違いかもしれないけど嫌な予感がして、問い詰めてしまう。
「本当にそれだけなの?」 「…………見知らぬ男と一緒にいる。口論になっている様子はない。知り合いなのかもしれないが……何とも言えない」
知り合いにしては、なんで夕方の霊園にいるのだろうか。若干の不安が残ってしまう。 遅れて廊下をついてくるビー君がトウさんに訊ねる。
「その男の特徴、分かるか?」 「だいたいは。黒いシャツに、丸いサングラスをかけていて、金髪で、前髪が……これはリーゼントなのか?」
リーゼントっぽい金髪と丸いサングラスというインパクトのある外見で、私は真っ先に彼を思い出す。ビー君もリオルも同じ人物を思い浮かべていた。
「ハジメ君だ!」 「あいつ……!!」
私たちはトウさんを追い抜いて階段を下りる。一階で談笑していたココチヨさんとミミッキュ、アプリちゃんとピカチュウが驚いた顔で駆け下り来た私たちを見る。
「ちょ、ちょちょ、どうしたのアサヒさん?!」 「ココチヨさん! カツミ君が、カツミ君が男の人と霊園にいるみたいなの」
それだけ言うと、ココチヨさんはトウさんの波導の力でカツミ君の居場所を探知したことを察してくれる。
「ミミッキュ、留守番お願い。アサヒさん、ビドーさん。あたしも行くわ」
ココチヨさんに私たちは小さく頷いてから、一緒に【カフェエナジー】を後にした。
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ちょっと前。リッちゃんとコックとオレは、また霊園にやってきていたんだ。 誤解しないでほしいんだけど、また石碑をケリにきたわけじゃないよ! なんていうか、考え事をしていたんだ。ココ姉ちゃんとまた言い争いたくなくって、上手いこといかないかなって。 いや、本当はちょっとだけココ姉ちゃんのところに帰りにくかったのもあるけどね。 でも考え事をしていると、頭痛がしているときのコックみたくしぶい顔になっちゃうんだよな。うんうんと唸っていたら、リッちゃんがぽつりと言った。
「カッちゃん。わたしはココ姉ちゃんの言うこともわかるかも」
思わず出かける声をぐっと飲みこんでリッちゃんの言葉の続きを待つ。 リッちゃんは、コックを抱きながらいつもは言わない弱音を吐いた。
「わたしのお兄ちゃん。最近帰りが遅いんだ。夜遅くに帰ってくることが多くて、眠いのを我慢しながら待つんだけど……待つのは嫌いじゃないし、寂しいわけじゃ、ないんだけど……たまにね、たまに疲れちゃうんだ。カッちゃんはそういうことってない?」
待つことが疲れる。かー……。 そういうのはオレにはよくわからなかった。アサヒ姉ちゃんに「待ってて」って言われてもちっともしんどいなんて思わなかったし。 でもそれは、オレが分からないだけなのかもしれない。リッちゃんやココ姉ちゃんが分かるっていうのなら、そういう考えの人がいるのも当たり前なのかも。 なんだかなーと思うけど、朝のあいつらもあいつらなりの考えがあるってことで、良いんだよね? ……ってことをリッちゃんにまとめて伝えようとしていたら、リッちゃんがばつが悪そうにオレの後ろを見ていた。 つられて振り向くと、そこには面白い髪型をした、丸いグラサンの人がいた。リッちゃんがその人の名前を呼ぶ。
「は、ハジメ兄ちゃん……珍しいね」 「たまたまお前たちを見かけたからな……もう夕方だ。二人ともどうしてこんなところにいるのだろうか」
このグラサンの兄ちゃん、うわさのリッちゃんの兄ちゃんだったのか! って、びっくりしていたら、事情を聴かれた。 隠すことでもなかったから、いっそもやもやしていること、正直に話してみることにした。
オレは父さんたちがいつでも戻ってきていいように、いつも家を綺麗にして待っているのに、全身黒い服を着た人たちは、まだ帰って来ない人たちのお墓を作って、帰る場所を無くしちゃっていることにもやもやしたこと。いろんな考え方はあってもいいはずなのに、オレは何故か石碑を蹴っちゃっていたこと。 ぼろぼろと、ぽろぽろと、言葉が出ていく。自分の気持ちが片づけられていく気がした。
「オレ、待つのをやめるの、嫌だったんだなあ……」
オレのもやもやを受け止めてくれたハジメ兄ちゃんは。リッちゃんに先に家に帰るように言った。リッちゃんは静かに意図を組んで、何も文句を言わずに帰って行った。 リッちゃんの姿が小さくなったころ、ハジメ兄ちゃんはオレに言ってくれた。 手を差し伸べて、オレを誘ってくれた。
「みんなのことを今でも帰ってくることを信じて、救出するために力を合わせている人の集まりがある。待つのをやめたくないのなら、一緒に迎えにいかないか」
そう言われてオレは初めて――――――ずっと、その言葉をずっと、かけてもらいたかったような、そんな気がしたんだ。
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路地を走る私とビー君とリオルとココチヨさんの後に、何故かアプリちゃんがピカチュウと共に来ていた。
「お前もついてくるのか?」 「ココチヨお姉さんには散々お世話になっているからね。少しぐらい恩返ししたいし……先に行っているよ!」
邪険に扱うビー君にそっぽを向きながら、アプリちゃんとピカチュウは小柄な体で私たちの前を駆けていく。義賊団に入っているだけはあって、速い。ピカチュウも丸い体なのに素早い。 アプリちゃんを見失った頃、裏口から外に出て別ルートを通っていたトウさんと合流する。
「ココ! ハジメという男に心当たりはあるか?」 「ハジメさんって、リッカちゃんのお兄さんよ! もしかしてカツミ君といるのってハジメさんなの? もう、驚かせないでよトウ!」
意外な関係が明らかになって私とビー君は驚く。リッカちゃんのお兄さんだったなんて。 でも私たちが走っているのは、ハジメ君が怪しい男の人だからって理由だけではなかった。もっと違う理由もあった。 トウさんが苦々しく今走っているわけをココチヨさんに話す。
「そのハジメがつい最近密猟をしようとしていた……無関係の女性を騙して巻き込んで」 「え、えええ?」
戸惑うココチヨさんに、畳みかけるようにトウさんは冷たい事情を突きつける。
「ココ。俺は……<自警団エレメンツ>として、ハジメを捕まえなければいけない」 「そんな――――!? ちょっと待って。そんなの駄目よ! リッカちゃんが取り残されてしまうわ! よく考えてみてよ!」 「残念ながら、考える時間は無いようだ……」
トウさんのつぶやきと共に前方の路地裏に五つの影をとらえる。カツミ君とコダックのコックとアプリちゃんとピカチュウ。そして彼らと会話していた……ハジメ君。 カツミ君が大勢で来た私たちに驚きの声を上げる。
「ココ姉ちゃん! そんな大勢でどうしたの? この赤毛の子とピカチュウもオレを捜していたみたいだし、トウ兄ちゃんまでいるし……何かあったの?」 「カツミ……俺はハジメに用がある。コックとともに【エナジー】に戻っていてくれないか?」 「! わかった、トウ兄ちゃん」
トウさんの言葉を聞いたカツミ君とコダックが私たちの方へ歩く。すれ違いざまにココチヨさんはカツミ君に一声かける。
「用事が終わったらリッカちゃんも呼んで夕飯食べよ。おにぎりいっぱい握るから」 「……やった、おにぎり! なるべく早く帰ってきてね!」 「ええ!」
遠ざかるカツミ君に、先程までの動揺していたことを微塵にも見せずに手を振るココチヨさん。 カツミ君もココチヨさんもお互い色々思う所もあるのだけれども、頑張って水に流そうとしている気がした。
「さて……オレは<エレメンツ>“五属性”のトウギリだ。ハジメ、未遂とはいえ密猟は密猟だ。一度一緒に来てもらってもいいか」
その場にいるほぼ全員の視線がハジメ君に集まる。ハジメ君は私たちを見回した後、はっきりとした声で拒否をした。
「断る」 「もうお前の波導は憶えた……たとえ今逃れても、いつでも追い詰めることは可能だ。それでもか」 「それでもだ。それでも俺は、逃げ延びてみせる」 「……リッカを残してか」 「……そういうのなら、見逃してくれはしないだろうか。俺とリッカを引きはがさないでくれないだろうか」 「…………」 「分かってはいる。貴方たちの立場ではそれが出来ないということぐらいは分かっている――――だから、俺たちみたいな輩が必要なのだろうな」
ハジメ君の言っている「俺たち」というのは、恐らく彼の所属している<ダスク>という集団のことなのだろう。 矛盾だらけになってしまっている<自警団エレメンツ>とは別ベクトルで動く<ダスク>。彼らは、この国にどういった作用をもたらすのかは分からない。けれども、”闇隠し”で疲弊しきったこの国の現状を変えたい彼の思いは伝わってきた。 トウさんたち<エレメンツ>の立場も理解してはいるけれど、私の立ち位置だと、本当にこのままハジメ君を捕まえていいのだろうか。ためらいを隠し切れない。
緊迫した空気の中、真っ先に動いたのはアプリちゃんだった。
「ごめん……ライカ!! 『10まんボルト』っ!!」
彼女はピカチュウの名前を呼び、――――ハジメ君を護るように技を指示した。 弾ける稲妻が道路のタイルを砕き、土煙を上げさせる。
「走って!」
アプリちゃんはハジメ君の手を引っ張り、土煙を突っ切って私たちをかいくぐる。思わぬ正面突破をされ驚いてしまう。 咄嗟にビー君がリオルと追走し始める。迷いなく走るビー君を慌てて私たちは追いかけた。
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なんなんだ、あいつは! ココチヨさんに協力したいとか言って置いて、ハジメの野郎を逃がすとか、何考えているんだ、あの赤毛……! 入り組んだ路地を奔走する俺たち。徐々に距離を引きはがされていくことに焦燥を覚える。大通りまで逃げられたら、この人混みの多い時間帯では見失ってしまう。いくらトウギリが追跡できると言い切っても、ここで逃がす気はさらさらなかった。 密猟の件ではアキラさんには、彼女を利用したことでハジメを責めるなと言われた。そのことは腑に落ちないけど割り切ってはいる。リオルを人質にしたことの恨みもある。けど、それは別だ。 ここでハジメを逃がしたらリッカはどうなる? そりゃあ、捕まったら家に一人残すことになるのかもしれない。 だが、ここで逃げたところでずるずると逃げ続ける羽目になるんじゃないか? それこそリッカを取り残すことになるんじゃねえのか?
脇にゴミ箱が並べられた長い一本道に差し掛かる。この通りは曲道までが遠い。仕掛けるのならここだ。 息切れしてきたのどに無理やり空気を吸い込んで、柄にもなく腹の底から絞り出す声で、隣を走るリオルに技の指示を出した。
「リオルっ!! 『でんこうせっか』あっ!!」 「ライカ! 『アイアンテール』でゴミ箱を弾き飛ばして!」
ピカチュウの鋼をまとった尻尾で、ゴミ箱がこちらへまっすぐ打ち出される。左右には逃げられない。なら……!
「スライディング!」
リオルとふたりでスライディングをして、かわす。 再び走る姿勢に入ったリオルがぐんぐんとハジメとの距離を詰めてもう少しのところまで迫った! あと少し、あともう少し……だった。 ハジメはモンスターボールから新たなポケモンを出すまでは。 ……俺とリオルはそのポケモンを見た瞬間動けなくなった。 そいつは、その”黄色いスカーフ”を身に着けた水色のあわがえるポケモンは――――
「マツ! ケロムースで足止めしてくれ!」
――――ケロマツのマツ。俺たちがスカーフを届け、見送った相手だった。
ケロマツはこちらに気づきながらもハジメの指示に従いケロムースと呼ばれる粘着質の泡でリオルと俺の脚を止める。 ケロマツは振り返らない。黄色いスカーフをはためかせながら、新しい主人と一緒に駆けていった……俺とリオルはその場から動けなかった。ただただ、あいつらの背中が見えなくなるまで見ていることしかできなかった。
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なんとかビドーとかいう彼と、彼の手持ちのリオルまいて大通りの手前まで来ることに成功する。これもマツの功労があってこそだろう。
「よくやった、マツ」 「ケロムース凄いね、マツ!」
はしゃぐ<義賊団シザークロス>の少女とピカチュウ。考えてみれば巻き込む形になってしまった……。 一言礼を言うと、少女は「どういたしまして!」とはにかんだ。 <自警団エレメンツ>のトウギリを敵に回してしまったことに自覚はないのだろうかこの少女は。 気を取り直して大通りに入ろうとした時――――近くの壁に矢文が突き刺さる。
「な、なに新手……?」
大まかな射出地点を見て、フードを被ったポケモンとトレーナーのボブカットの彼女を確認してから、戸惑う少女の言葉を否定する。
「いや、味方だ。このまま大通りに入るぞ」
文の中身を握りしめ、少女たちと一緒に大通りの人の流れに身を潜めた。
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「む……大通りに入られたか。今は波導が入り乱れて、これ以上は難しいか……」
トウさんがルカリオと一緒に波導の流れを見て、呟く。路地裏でハジメ君たちを見失った私たちはトウさんの指示で待機。彼の遠視で状況を探っていた。その言葉を聞いたココチヨさんはどこか緊張が解かれたような、でも複雑そうな表情を浮かべる。それからトウさんへ謝った。
「ごめん、トウ。足引っ張っちゃったよね……」 「いいんだココ。今回こうしてハジメと接触出来た。それだけで十分だ」 「やっぱり、捕まえるの?」 「捕まえなければいけないとは言ったが、すぐにとは言ってはいない。いくつか気になる点もあるから――――泳がせようと思う。事はハジメ一人を捕まえても解決しない。そんな気がするからな。上手くいけばだが……ハジメの足跡を追えば、彼の後ろにいる<ダスク>の中心人物らしき者、サクにたどり着けるかもしれない。彼には悪いが、その間リッカのことは頼めるか、ココ」 「そんな頼み方しなくてもいいわよ。でもフォローがいつまでも効果あるとは思わないでね」 「助かる」
トウさんの決定とココチヨさんのフォローに、つい私まで安堵してしまう。それから、迷いだらけの自分に、割り切れていない自分にもどかしさを感じていた。ダメだな。しっかりしないと。 そんな私にココチヨさんが小声で話しかけてくる。
「アサヒさん、躊躇ってくれてありがとうね」
はげましなのだろうか……? 真意を測りかねて、思わず顔を暗くしてしまう。
「……私、やっぱりお礼を言われるようなことしてないですよ」 「それでもあたしは嬉しかったの。アサヒさん、<エレメンツ>よりの人だから、容赦ない人だったらどうしようって思っていたから……優しそうな人で良かった」 「……私のこと、知っていたんですかココチヨさん?」
問いかけるとココチヨさんはウィンクをして、それから私の背中を軽く叩く。
「ココでいいわ。トウから聞いていたの、貴方のこと。っと、こっちはもういいから、それよりビドーさんとリオルを迎えに行ってあげて!」 「え、あ、うん」 「じゃあ、あたしも戻らなきゃいけないから、またのご来店をお待ちしております。気軽に来てね!」 「俺もいい加減<エレメンツ>に戻る……またな……」 「はい、また……!」
営業スマイルのココチヨ……ココさんに背中を押され、私はトウさんにビー君の居場所を聞いてから、彼の元へ走った。
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長い一本道の真ん中に、泡まみれのビー君とリオルが座り込んでいた。うつむく彼を、リオルがじっと見ている。心配になって声をかけようとすると、ビー君が何か言っていた。
「……なんでなんだよ」 「ビー君……大丈夫?」
ミラーシェードを外してそれでもうつむく彼に、ハンカチを差し出す。黙って受け取り、泡をふき取るビー君。彼は息を長く吐き出した後、予想外の言葉を口にする。
「ヨアケ、黄色いスカーフのケロマツが……マツがハジメの手持ちになっていた」 「!」
たしかその子は、<シザークロス>の皆さんに、信用できる新しい親へと届けてもらうと託したポケモンの一体だった。そういうことなら、アプリちゃんが王都にいたのも納得できる。つまりは――
「つまり……ハジメ君が、<シザークロス>の皆さんにとって信頼できるトレーナーってことなのかな」 「そういうこと、なんだろうな。アイツらは、密猟者でもさじ加減でお構いなしってことか」 「さじ加減はそうだろうけど、私もそんな悪い人ではないと思うよ、ハジメ君は。それに未遂だったじゃない」 「未遂でも、どんな善人だろうが……何か気に入らねえんだよ」
あえて口には出さなかったけど、それは良くも悪くもビー君にとってハジメ君が気になっているということじゃないかなと、思った。たとえそれが敵意だとしても。
「けっ、今度会った時こそとっちめてやる……その時は協力してくれ、ヨアケ」 「……うん」
向けられる視線に、思う。 どうして、ビー君は私に、ハジメ君やアプリちゃんへ向ける敵意ではなく、静かで穏やかな目を向けてくるのだろう。 どうして彼は私をはげましてくれたのだろう。 ううん。たとえビー君が力を貸してくれるのがどんな理由だとしても、私はビー君に力を貸すことは変わらない。
「トウさんもココさんもそれぞれの場所に戻るって……私たちも、帰ろう?」
私はリオルの頭を撫で、ビー君に手を差し伸べる。 躊躇う彼の手を握り、立たせた。
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すっかり日が暮れ、夜風が気持ちの良い門の前、<エレメンツ>本部に戻ろうとしていた俺は違和感を抱いていた。
(……………………おかしい)
人混みに紛れるまでは確かにしっかりと捉えていた。多数の波導が重なり合って、探知できなくなるのは仕方がない……けど、人の波から外れたらまた見つけることは出来るはず。現にあの赤毛の少女は見つけることができた。しかし、少女と別れたであろうハジメに関しては、見つけることは出来なかった。
(ハジメの波導が……消えた?)
波導が消える、ということは波導を発することができないという状態に陥るということだ。 しかし、その可能性は低いように思えた。それよりも『テレポート』などの移動技で王都から外に出たと考えるべきなのか……。
(消えた波導……何かが……ひっかかるな)
背にした夜の街並みは明るく道を照らし、影を落とす。 ざわめく波導の中、変わらずにいつもの場所にいるココの存在を想った後、帰路についた。
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次の日の朝早く。 ココ姉ちゃんのカフェからは結構離れた場所にある家の前にオレは来ていた。コックや他のみんなは今ボールの中にいる。隣にいないけど、ちゃんと一緒だ。
なんでこんな朝早くにこんな知らない家の前にいるのかというと、リッちゃんの兄ちゃん、ハジメ兄ちゃんと待ち合わせをしているから。 さっそく中に入ろうとすると……なぜか家の中からココ姉ちゃんが出てきた。
「カツミ君? 朝早くにこんなところでどうしたの」 「ココ姉ちゃん!? え、えーと昨日はおにぎりありがと! 美味しかった!」 「いえいえ。で、それを言いに来たわけじゃないわよね。ここに何か用があるの? ここは空き家だけど」
まずい、ここに来るのは内緒ってハジメ兄ちゃんに言われていたのに。よりにもよってココ姉ちゃんに見つかるとは。 必死に言葉を探して、話をそらす。
「ココ姉ちゃんこそどうしてここに?」 「お掃除しているのよ。今日はこの家の番。言ってなかったっけ?」 「あー」
そういえば、前に聞いたことがあった。”闇隠し”で帰って来ない人のお家を、定期的に掃除しているグループにココ姉ちゃんが入っていることを。確か、人の住んでいない家は、手入れされてない家はもろくなりやすいって。 だからお掃除しているんだって。 みんなが、いつ帰ってきてもいいように。
「……カツミ君、もしかして誰かと約束してここに来たの?」 「…………」
ココ姉ちゃんが、限りなく近いところをついてくる。困って黙り込んでいると、家の奥から、誰か歩いて来た。
「ココチヨさん。カツミは俺が呼んだ。だからここへ来たのだろう」 「”来たのだろう”じゃないわよ、ハジメさん……」
やってきたのはリッちゃんとおんなじ金色の髪で変な髪型の、ハジメ兄ちゃんだった。
「ハジメ兄ちゃん……!」 「よく来てくれたカツミ。そしてよく口外しないという約束を守ってくれた」 「危なかったけどね」 「セーフの範囲内だ。さあ、こんなところに突っ立っているのも疲れただろう。俺の家ではないが、上がるといい」
ハジメ兄ちゃんに促されるままに、薄暗い廊下を奥へ進もうとする。 ココ姉ちゃんがオレの手を握る。ちらりと顔を見上げると、緊張したココ姉ちゃんの表情が見えた。
「カツミ君、あたしの手、離さないでね」 「あ……うん」
ココ姉ちゃんの手に、力が入る。オレもぎゅっと握り返した。
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扉を開けた先の、リビングらしき空間に、緑の髪で白いひらひらの服を着たポケモンと、4人の人がいた。 そのうちの柱に寄りかかっている一人は見知った人物だった。
「新顔候補……キミだったか、カツミ」 「サモンさんだ!」
茶色のボブカットのサモンさんはいつもの黄色と白のパーカーを着ていた。 にしても新顔ってなんの新顔なんだ? 疑問に思っていると、ハジメ兄ちゃんがサモンさんにお礼を言っていた。
「昨日は貴方とジュナイパーに助けられた。礼を言うサモン」 「いいよ、こういう時の保険がボクとあの子だから。それよりキミが珍しいね、誰かをこの集団に呼ぶだなんて」
集団、秘密結社か何かなの? お掃除プロジェクトは仮の姿とか?
「……ガキのくせになかなか鋭い」
椅子の傍に立っている片眼を前髪で隠した短い銀髪の、赤いつり目の姉ちゃんが俺に向けて呟いた。
「え、なにこれ読心術?」 「サーナイトのテレパシー能力だってば。いちいち騒ぐなガキ」
サーナイト、っていうんだ。あのひらひらのポケモン。
「……テレパシー! すっげー!」 「だからあ、大声だすなって言っているのに!」 「そういうメイさんの方が声大きいよ」
思わずはしゃいでしまったオレをかばうように言ってくれたのは、オレより濃い目のピンクの髪のショートカットの姉ちゃんだった。銀髪のメイ姉ちゃんがキッとにらむのをスルーしてピンク髪の姉ちゃんはこちらによってくる。それからしゃがんで俺と目を合わせてくれた。
「カツミ君だっけ。私はユーリィ。よろしくね」 「よろしくっ。ユーリィ姉ちゃん。オレ掃除なら得意だよ、まかせて」 「頼もしいね。けど掃除はちょっと待っていてね。その前にやることがあるから」
やることって? と疑問に思った時、一人、一人、また一人と壁時計の下にいる最後の四人目に目を向ける。黒い髪で、青いサングラスをかけたその兄ちゃんの方へ、注目が集まっていく。 サーナイトが寄り添うように、黒髪の兄ちゃんの脇に立つ。
「それではサク。始めてくれ」
ハジメ兄ちゃんに促された黒髪のサク兄ちゃんは、周りの注目を物怖じせずに話し始めた。
「……これより、<ダスク>の集会を始めさせていただく。今回は”体験”の方もいるので、まず、<ダスク>の活動理念、どうして集まっているのかを話そう」 「ダスク? それが、この人たちの集まりの名前……?」 「そうだ」
サク兄ちゃんが、青いサングラスを取る。
「<ダスク>は、”闇隠し”でいなくなってしまった人々を救出するための集まりだ」
サク兄ちゃんが、一歩一歩、薄闇の中こちらへ近づいてくる。
「そのためにいろんな活動をしている。空き家の掃除もその一つだ」
顔がはっきり見える距離まで近づいてしゃがんで目線を合わせてくれるサク兄ちゃん。
「カツミ、貴方はこの集団に入ってもいいし、入らなくてもいい」
自然と、その目の色が見える。 その、たとえるなら”昼間の月のような銀色”が、オレを映す。 その銀色の持ち主は――――
「……サク兄ちゃんは、何者なの?」 「失礼。そうだな。名乗るのが遅れた。俺は――――<ダスク>の責任者のサクだ」
――――顔色一つ変えずに、そう名乗った。
つづく
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