マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1633] case1:ラプソディー・イン・ブルー 投稿者:生喰   投稿日:2019/05/01(Wed) 20:21:45   20clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 リックはいつもどおり我が物顔でカウチに腰掛けて依頼人の家を観察していた。
 部屋は荒れ放題で泥棒に入られたことは言わずもがなといった感じ。机の引き出しの中身は周囲に放り投げられ、本棚にあった本は一冊残らず床に散らばっている。恐らく一緒に棚に載っていたと思われる写真は棚のすぐ下に落ちていた。横のガラス窓は外から破られ内側に散乱した本や、その他のゴミの上に破片が散っている。
「この度は我々ブレイク&マカリスターよろず相談所にご連絡頂き誠に有り難うございます。私が店主のリズ・ブレイク、彼がリック・マカリスターです」
 リズは黒皮のジャケットにジーパン、セミロングの髪を安いゴムバンドで止めたいつもの恰好。女だからって舐められないよう、頼りがいを見せつけたいらしいが、リックはその恰好があまり威圧的過ぎて好きじゃなかった。実際、彼女はそんな小細工をしなくても元はジュンサーとして修羅場を潜り抜けてきた経緯をもっている。こんな状況で、青ざめて抱き合う夫婦の目の前でも、張り付けたような営業スマイルは変わらない。
「あなた達が"失せ物"探しのプロだって聞いたから呼んだのよ。早く見つけ出してちょうだい」妻――カミラはまるでお前が犯人だと言わんばかりの形相でリズを睨んでいる。
「もちろんです、無くなったのはジムバッヂと伺っていますが、普段はどこに?」リズは動揺することなくカミラに聞き返す。
 夫のヘンリーはジムバッヂを使ってこの町で小さなポケモンスクールを経営している。獲得したジムバッヂは確かなコーチの存在の証明として営業上重要なものだし、自らの過去の栄光を示すシンボルでもある。
「そこの壁だよ。額にいれて飾っていたんだ」よしよしと妻を宥めながら夫――ヘンリーが答えた。指さした先には額がかかっていたと思われるネジ穴が残っていた。
「無くなったのはバッヂだけ? 本当に?」
 黙ってくつろいでいたリックが突然口を開いた。周囲は一瞬あっけにとられたがカミラが答えた。
「バッヂだけよ。どうして?」
「これだけ荒らされているんだ。もしかしたら他にも無くなっているかもしれないでしょ」
「あぁ、それは……確かにそうかもしれないが、特に私たちにとって重要なのがバッヂ なんだ。仮に他にも盗られていたとして別に構わない」
「盗られた? バッヂは空き巣に盗られたってこと? 君、どうしてそう思うの?」好奇心むき出しの少年のようにリックが聞いた。
「ふざけているのか? どう見たって空き巣じゃないか。どうせどこかのへぼトレーナーが盗んでいったに違いない」無意味な質問をするなとヘンリーが答える。
「それだったら警察に相談したらいい。空き巣は犯罪だ。それに……盗まれたものを失せ物とは言わない」
「ちょっと、マック……」商談をつぶされかけて思わずリズが声をかけた。
「警察だって? ふんっ」リズの言葉を遮るようにカミラが鼻で笑った。
「『ふんっ』って? どういうこと、『ふんっ』って」マックこと、リック・マカリスターがカミラを真似て言った。
「警察なんて当てにならないってことよ。話するだけ時間の無駄」
「おいおいカミラ……」ヘンリーが妻をなだめる。
「何かあったんですか……? よければ教えてください」リズが物腰低く尋ねた。
「一年位前、妻がストーカー被害に遭っていたことがあって。その時、警察に相談したのですが結局犯人が捕まらなくって」
「今もよ! この間も買い物していたら誰かに後ろをつけられていたの。それで最近はボディガード代わりにポケモンを連れているの。警察の百倍頼りになるわ」そう言ってポケットからモンスターボールを一つ取り出しリズに見せつけた。
「よければどんなポケモンが見せていただいても?」
「構わないけど……バッヂと何か関係が?」
「いえいえ、一応参考までに」
 カミラは了解の合図として眉を吊り上げるとボールのボタンを押し中のポケモンを出した。
「おお、これは珍しい」リズが思わず反応する。
「アローラで住んでいるいとこが交換してくれたの」
 ゾロアークといえばクールな目付きにふさふさの長い毛並みが特徴のポケモンだ。アローラ地方で進化前のゾロアが野生で確認されているのみで、その他の地方で見つけることは滅多に無い。
「誰かに見られている気がしたら幻影で隠してもらうの」カミラはゾロアークの毛並みを撫でながら言った。ゾロアークの方は満足げに体を震わせている。
 リックはソファから立ち上がるとゾロアークの方へ寄っていった。鼻先が毛並みに触れんばかりの距離で観察している。
 ゾロアークの方は不躾なリックを睥睨すると喉元に鋭い爪をつきたてた。リックは慌てて顔を引っ込める。
「もちろん、いざという時には犯人に痛い目にあってもらうわ」
 カミラは笑って言った。

 その後リズは、バッヂは空き巣犯の下にあるとして手がかりを得るべく夫婦へ質問を繰り返していた。リックは、後はリズに任せてもう少しこの家を観察してみることにした。
「奥さん、家族は二人だけ?」またリックはリズの質問を遮って尋ねた。リズは不服そうな顔をしつつも口をつぐんだ。彼の質問がいつも真相へ導くことを知っているからだ。
「いえ、息子が一人いるわ。まだ散らかっていて危ないし、自分の部屋から降りてこないように言っているの」
「お話聞かせてもらっても?」
「え、えぇ、いいわ。案内します」
「いえいえ、それには及びません」言うが早いかリックは階段を上がっていった。

 二階には『WC』と書かれた扉を含めて三つの部屋があった。あとの扉に表札は無いが、一つの扉は少し開いていて中から明かりがこぼれていた。リックは明かりの見える扉へ向かって進もうとして、ふと何かを思い出したかのうように立ち止まった。回れ右して閉じ切った部屋へ向かった。
 こっちは空き部屋か使われていないゲストルームか。カーテンは閉めきられ昼間なのに薄暗かった。家具といえばツインサイズのベッドと小さめの洋箪笥が一つ、部屋の角には子供の身長ほどのスタンドライトが立っていた。掃除は行き届いているらしく床のカーペットからも部屋の角からもホコリっぽい感じはしなかった。
 リックは何気なく部屋の中を歩いてまわり洋箪笥の引き出しを開けてみたりスタンドライトのコードを引っ張ってみたりした。用箪笥には何も入ってなかった。スタンドライトに電球は入っておらずコードを引っ張っても明かりはつかなかった。円錐型の足場の下に何か挟まっているらしく引っ張った拍子にスタントが大きくぐらついた。
 次にリックは綺麗にベッドメイクされたシーツを見やり衝動にかられたかのように上に飛び乗った。天日干しされたばかりの匂いが心地良い。
「ここで何してるの?」
 部屋の入り口に十五、六くらいの少年が立っていた。
「君がカミラとヘンリーの息子? 初めまして、僕はリック。君の両親の大事なものを探しに来た」
 リックはベッドから起き上がりながら自己紹介した。
「ライアンです。あなた、警官?」ライアンはリックと握手し、リックと並んで腰掛けた。
「警官? 僕が君のママのストーカーも捕まえられない税金泥棒に見えるなら心外だな」
 “ストーカー”という言葉を聞いた時にライアンの右のこめかみがピクリと反応したのをリックは見逃さなかった。
「それは……母さんったら神経過敏なんだ。警察の人は丁寧に調べてくれたし、その上で何もなかったって言ってるのに」
 わざと家庭内のトラブルについて言葉を選ばずぶつけてみたが、 ライアンは嘆息するだけで感情的になることはなかった。同世代の少年少女と比べてずいぶん大人びている。
「じゃあ君はストーカーのこと信じてないんだ。お母さんは今でもつけられてるって言ってたけど」
「気のせいだよ。馬鹿馬鹿しい」ライアンは頭を振りながら言った。
「それじゃあ、君の話も聞かせてもらいたいんだけど。出来れば君の部屋で」
「良いけど、散らかってるよ」
「構わない」
 ライアンは了解の代わりに肩をすくめてみせると踵を返した。
「あ、ちょっと待って」
 ライアンがリックの方を振り替える。
「その前にコーヒーを一杯頂けるかな。喉が渇いちゃって」
「オーケー、淹れてくるから部屋で待ってて」
「いやいや、自分で淹れるよ。君もコーヒーで良いかな?」
「え、あの、ちょっと」
 ライアンが止めるが早いかリックはキッチンへと降りていった。

 下に降りるとリズが夫婦と一緒に部屋を片付けていた。
「マックも手伝ってよ。もう家中めちゃくちゃで」リズが持ってきた軍手で額の汗を拭いながら言った。基本的にはバッヂ探しで呼ばれているが『何でも屋』を謳っている以上こういうことも仕事に入ってくる。
「そんなことよりこれ何か分かる?」リックが上着の内ポケットから何かを取り出した。
「通帳? 誰の?」
「カミラのへそくり」
「ちょっと! あなた捕まりたいの!? 今すぐ戻してきなさい」リズは慌ててリックの手元を夫婦から隠した。夫婦は今、ひっくり返った大きな机を元に戻している。
「しーっ! そんな大きな声出さないでもいい、この通帳にそんな価値無いから」
 リックは通帳を開いてリズに見せた。
「残高ゼロね。何にそんな使い込んでたのかしら」リズが帳面の引き出し額を見ながら言った。カード払いで毎月かなりの高額が引き落とされている。
「それよりも最後の引き出し時期を見て」
「だいたい一年前ね」
「そう。カミラがストーカーされ始めた頃だ」
「そんな……たまたまでしょ。何の関係があるって言うの?」
「さぁね、でも、きっと偶然じゃない」
「答える気はないってことね。それじゃあ、さっさとその通帳を元の場所に戻してきて。じゃないと私があなたを逮捕する」鬼のような形相でリックを睨んだ。
「おお、怖い怖い。でも無理だね。君はあくまで“元”ジュンサー。君に逮捕権は無い。それにそんな気無いくせに」悪戯っぽく言い返した。
「ええそうね。でも、もしあなたのした事のせいで店の信用を失うことになったら、今までの犯行の証拠そろえて警察に突き出してやるから。“元”泥棒さん」リックの目の前に指を突き立てて詰め寄る。
 リックはこんな面白い発見をしたのにそっけない反応のリズに“つまらない”というふうに少し唇を尖らせた。
「じゃああとで返しておくよ。僕はもう少し息子と話しがあるから他のことはよろしく」
「あ、リック! こっち手伝いなさいよ!」
 しかしリックはさっさとキッチンの奥へ引っ込んでしまっていた。

 キッチンへ入ったリックはつま先立ちになっていた。キッチン内も荒らされているのだ。床には酒瓶の破片があちこちに散らばって、周囲はアルコールの匂いで充満していた。
 コンロの下の戸からヤカンを取り出すと水を入れ火にかけた。沸騰するのを待つ間にリックはコーヒーを探した。
 目当ての物は別の戸棚の中に入っていた。インスタントコーヒーは好まないがしょうがない。しばらく飲まれていないのかビンの中で塊が出来ていた。
 次にコーヒーを入れるカップを探した。戸棚の中にあるマグカップはどれもうっすらホコリを被っており一度洗う必要があった。
 ヤカンのお湯が沸き上がりコーヒーの粉末をいれたカップに注いでいく。リックはそれらを両手に持つと二階へ上がっていった。

 ライアンの部屋はティーネイジャー特有の全能感と性的倒錯と冒険心に包まれていた。
 ライアンにカップを渡すと雑誌の山を少しかき分け机の上に置き、薄茶けた合皮のソファに座った。隣を勧められたがリックはそれを断りカップを手に持ったまま部屋の中を歩き始めた。
「君はポケモントレーナーにならないの?」部屋の中でも最も大きいポケモンリーグのポスターを見て尋ねた。
「俺は……いいんだ。どうせトレーナーになったって成功できっこない」
「そんなはず無い。君の父さんは立派なトレーナーじゃないか、君にだってきっと才能がある」
 するとライアンは突然笑いだし答えた。
「ハハハ、僕の父さんはただの飲んだくれだよ。トレーナーとして成り上がれず場末の酒場で野垂れ死にかけてたのを母さんに拾われたんだ。それに母さんは……」
 ライアンは途中で余計な事を話しそうになって口をつぐんだ。
「え、それじゃあ、例のバッヂは……?」
「あれは母さんが現役の頃にゲットしたもの。父さんがそれを自分のもののように見せつけてスクールを始めたんだ」
「つまり生徒を騙している?」
「警察につき出すか? この事スクールに広める?」
「いやいやそんな事したら僕がリズに八つ裂きにされてしまう。それに僕も人の事言えた義理じゃない」
「どういう意味?」
「僕は昔泥棒だった。たくさんの人を騙して大切な物を盗んでいた」
 ライアンは思わぬ告白に目を丸くしていた。
「どうして?」ポツリとライアンが尋ねた。
「さぁね、羨ましかったのかもしれない」
「羨ましいって、何が?」
「僕のターゲットだった人達はみんな大切な物を持っていた。見たり触れたりするだけで、幸せになれるような、勇気をくれるようなそんな何かだ。それが羨ましかった」
「でもそんな物を盗んだってあなたには何の価値も無いじゃないか」
「自分の物にしたかった訳じゃない。ただそれを彼らから奪うこと自体に意味があるんだ」
 最後にリックはライアンに「どういう意味だか分かる?」と尋ねた。
「……分からないよ」
 ライアンは目を伏せ呟くように言った。

 ブレイク&マカリスターの事務所に戻るとリックはいつものカウチに寝っ転がり、リズはオフィスチェアに座った。リズは部屋の掃除を手伝わなかった事について小言を少し言ってから夫婦から聞き得た情報を説明し始めた。
「盗まれたバッヂはヘンリーじゃなくてカミラのだったの。カミラがカントー地方を回ってゲットしたらしいわ」
「それは知ってる」
「で、カミラはヘンリーと出会って彼にスクールの開設を提案した」
「どうして? カミラじゃなくてヘンリーがスクールを開くの?」
「カミラはその時トレーナーとしてじゃなく、家庭をもって主婦になることにあこがれていたらしいの。ヘンリーの方はその逆でまだまだトレーナーとしてやって行きたかったけど自分の才能に絶望してた。それで、カミラが自分のバッヂをヘンリーの物に見せかけることを思いついたらしいわ」
「磁石みたい。ピッタリだ」
「あなたの方は何か息子から聞き出せた?」
「だいたい今の話と一緒。ただ、息子はどうやら両親のことを快く思っていないみたい」
「十五歳の少年なんてそんなものじゃない? ただの反抗期よ」
「快く思っていないけど、嫌っているとも思えない。ま、それこそ反抗期、か」
「ねぇ、やっぱりカミラの言っていた例のストーカーが怪しいんじゃないかしら?」
「ストーカーは警察が調べてカミラの気のせいだってことになったんじゃないの? 昔の仲間は信じられない?」
「彼らは有能よ。でも、絶対じゃない」リズは少し気まずそうだ。
「それじゃ明日僕らがカミラを尾行してみよう。ストーカーを見つけられるかもしれない」
「先にカミラに連絡しておくわ」そう言ってリズが携帯電話をかけようとする。
「それはだめだ」リックがリズを止めた。
「なんでよ?」
「カミラには秘密がある。僕たちの尾行を知らせて行動を変えられたらストーカーに感づかれかねない」
「そんな……もし、尾行がカミラにばれたら信頼を失う」
「ねぇ、ブレイキー?」リックはリズを諭すかからかう時だけ彼女を“ブレイキー”と呼ぶ。
「確かに君の元同僚は有能だ。でも、僕らはそれ以上だ。そうでしょ?」
「まぁ……そうね」リズはまたリックが良からぬことを企んでいる気がしたが、とりあえずは携帯をポケットにしまった。

 リズ達の尾行は三日ほど続いた。カミラはその間毎日どこかへ出掛けていった。出掛ける時間は十時から昼過ぎとまちまちだったが帰りは決まって日没後だった。交友範囲は広くあちこち行っては新しい集団と輪になってヨガ教室やらショッピングを楽しんでいた。
 三日目の朝、リズとリックはカミラを追って電車に乗り込んでいた。車内は二人を含めて数人ほど。カミラは角の席に座り携帯電話にイヤホンのプラグを差し込んでいる。その反対の角の男の顔は見えず、目深にかぶったキャップの下から白いイヤホンのコードだけが覘いている。さらにティーネイジャーが三人、周囲の白けた雰囲気も我関せずという具合に先席で駄弁っている。そんな中、リズ達はカミラから距離を開けるように別のシートに座った。
 
 リックはスマホを取り出しなにやら見ている。リズは仏頂面で黙りこくっている。車両内は若い男たちの下卑た笑い声以外静かだった。
 電車があと2、3分で駅に着くという頃。突然リックが立ち上がり男の方へ寄って行った。――あのすいません、うるさいので静かにしてもらえます?

 男はリックの声が聞こえなかったらしく、片耳からイヤホンを外すと「なんですか?」と聞き返した。
「いや、そのイヤホン、音漏れがきつくって。もうちょっと静かにしてもらえませんか?」
 突然向かいの席からやってきて音漏れを指摘する男を怪訝な顔で見ると「何言ってるんだ。あっち行っててくれ」と外したイヤホンを戻そうとした。
「ところで君なに聞いているの?」言うが早いか、リックは男のイヤホンをひったくるようにして奪い、自分の耳に差し込んだ。
「おい、何するんだ!」男は怒っていた。慌ててイヤホンを取り返そうとするがリックはがっちりつかんで離さない。
「ふぅん、なかなかいい趣味してるねぇ?」
 イヤホンから聞こえてきたのは音楽ではなく、集音器による車内の音だけ。そうこうしているうちに次の駅に着き、カミラは降りて行った。
「ねぇなにやってるの? リック」
 リズがこっちにやってきた。「いいの? ……あれ」 “あれ”とはカミラのことだ。幸いカミラはイヤホンを付けたままでこっちの様子には気づいていないようだった。
「いいの。今はこっち」
 男はしくじったというふうに頭を抱えている。
「ねぇ、ちょっといっしょにコーヒーでも飲みに行かない?」
 リックは面白くて仕方ないらしい。屈託なく笑っている。

 カミラが降りた次の駅で三人は降り、今、構内のカフェで丸テーブルを囲んでいる。
「盗聴なんていい趣味してるわね。カミラのストーカーってあなたのことだったの?」リズはまるでジュンサーだった頃のように詰問する。
「何も答える気は無い。俺に構わないでくれ」男はさっさと立ち上がろうとする。リックはそれを軽く制止すると「答えなくていい。当ててみせるよ」と言った。
「君は私立探偵だ。ヘンリーの依頼でカミラの浮気の証拠を集めている」
 男の方は返事に詰まりただただポカーンとリックの顔を見ていた。
「浮気!? カミラが!?」リズも驚いてリックに聞いた。
「そう。でも、仕事は難航してるんじゃないかな?」
 男は諦めたように頭を振ると「絶対に誰にも言わないと約束するか?」と聞いた。
「もちろんだ。約束するよ。母さんの墓に誓ってもいい」相変わらずリックは一言多い。
「カミラの浮気は一年前から。相手はヘンリーのスクールの生徒でジミーって言う」
「そこまで分かってるならどうして手こずるのよ」リズが聞いた。
「カミラはあの忌々しいゾロアークを使ってジミーを幻影で隠しちまうんだ。そのせいで写真が役に立たない。使えるのは“音”だけだ」そう言って録音器を指先でコツコツと叩いた。
「その……カミラとジミーの関係は間違いないの?」
「間違いない。付き合い始めの頃に二人でホテルに入っていくのを複数人から証言がとれてる。もちろん全部ゾロアークを手に入れる前の話だが」
 リックとリズは顔を見合わせると席を立った。
「なぁあんたら本当に黙っててくれるんだよな? 仕事のこと他人に話したなんて広まったら俺はおしまいだ」切羽詰まったようにリックに詰め寄る。
「あぁ、言っただろ、母さんの墓に誓うって」リックはイタズラっぽくウィンクした。信じられるかどうか分からず途方にくれている男を残し二人はカフェをあとにした。

 駅に向かう道でリズが尋ねた。
「で、どうして分かったのよ?」
「彼の事? 今時、電車の中でスマホを弄らない二十台はそうはいない……君は例外だけど、彼はずっとカミラのことをチラチラ見ていた。あと、イヤホンの音漏れを指摘されたら多少おかしいと思ってもポケットからプレイヤーを出すもんだ」
「そうじゃなくて、浮気の事。前に家に行った時はとても仲の良い夫婦に見えたのに」
「残念ながら見せかけだね。へそくりを使い果たして買うには化粧品もバッグも高価すぎるし、ヘンリーは妻に言いなりの下僕。それに、本当に幸せな家庭からは独特の匂いがする」
「匂い?」
「そう、匂い。でも、あの家からはカミラの下品な香水とヘンリーのタバコと安酒の匂いしかしなかった」
「全部憶測じゃない! とても推理とは言えないわ」
「でも当たってたよ」
「えぇ、そうね。じゃあ、最後に一つだけ」
「何?」
「私ついこの間あなたのお母さんからクッキーのおすそわけを頂いたばかりなんだけど、いつの間にお墓が建ったの?」
「うーん、世の中に『母さん』と呼ばれていた偉大な人物の墓はごまんとあるじゃない?」
「もういいわ」
 リズはもう聞きたくないとばかりに手を振るとそそくさと歩き出した。

 事務所の中でリックはコーヒーを淹れていた。
「ただいま。リックいる?」 リズの帰ってきた声がする。探偵の言っていたジミーから話を聞きに行ってたのだ。
「おかえり。君も飲む?」リックが持っていたカップをかざした。
「おねがい」
 ソーサーからリズのマグカップにコーヒーを注いでいく。リズは疲れたとばかりに自分の席にどっかと腰かけた。
「で、ジミーからは何か聞き出せた?」カップをリズに渡しながら聞いた。
「ジミーは去年の春からカミラと付き合いだしたらしい。スクールにヘンリーを迎えにきたカミラをジミーの方から声をかけたんだって。それが半年くらい前に分かれたと。理由はカミラの方から別れ話を切り出されたからよく分からないって言ってた」
「随分あっさりしてるんだな。それでジミーは本当に諦めたの?」ジミーが件のストーカーに成り得るかということだ。
「もともとジミーの方は半分遊びで、カミラの羽振りが良かったから主にはそれ目当てだったんだって。金は惜しいだろうけどそれ以上にカミラに未練は無さそう」
「空っぽのへそくりはそれか」
「恐らくね。時期的に考えて例のへそくりが切れてカミラも遊びを止めたってことでしょうね」
「これでストーカーの手がかりゼロね」リズは溜息を吐く。
「あれ? これってストーカー探しの案件だったっけ?」
「とぼけないでよ。ストーカーの事聞き出したのも、あの探偵を見つけたのもあなたでしょ」
「誰もストーカーがジムバッヂを盗んだなんて言っていない」
「はぁ? じゃあ誰なのよ? 本当にただの無差別な空き巣犯ってこと?」
「それも違う」
「じゃあ一体誰の仕業なのよ?」
「あの家族を本当に愛している者」
「ふざけないで。私たちはジムバッヂを見つけ出す依頼を受けているの。早く探さないと」
「まぁまぁ、落ち着いて。今週中にバッヂは戻っているはずだから」
 リックはいつものように屈託ない笑顔を浮かべると自信満々にそう言った。
 リズは全く納得いかなかったがリックの言う通りにした。彼は急かしても聞かないし、いつだって自分が楽しむことが第一優先だからだ。

 ブレイク&マカリスターの事務所では今落ち着かない様子の探偵の前に、リズとリックが並んで来客用のイスに座っている。
「なぁ、俺はもう知ってること話したはずだ。なんでこんなとこ呼ばれなきゃいけないんだ」探偵、ことトム・マッシュバーンは焦っていた。
「トミー、君を呼んだのはこの前のことを謝りたくて。仕事中の君を振り回してしまった」リックはいかにも申し訳なさそうに言った。
「今、こうして呼び出されている間も俺としては迷惑極まりないんだがな」しおらしくしているリックに少し強気に言い返した。
「まぁ、そう言いつつも君はこうしてここまで来てくれたわけだが。優しいのかな? それともこの前の事ヘンリーにばらされるのが怖かった?」
「う、うるせぇ! もしもヘンリーに余計なこと言ったら……」トミーは立ち上がりリックに詰め寄ろうとした。
「落ち着いて。君の邪魔をしたい訳じゃない。本当にこの間のことは申し訳なく思っている。そのお詫びにこれを君に差し上げたい」リックはそう言って一枚のSDカードを差し出した。
「これは何だ?」
「カミラとジミーの浮気の証拠だよ」
「なんだって!? どうしてそんなもの」
「どうやって手に入れたかは聞かないでくれ。お互いの為だ」
「中身を確認しても?」
「もちろん構わない。どうぞ」
 持参したラップトップにカードを差し込んだ。
 すると中からカミラとジミーの交わした生々しいe-mailの文章が出てきた。
「しかしメールの文章だけじゃ証拠にならない」
「写真もあるよ」リックはラップトップを自分の所に寄せ操作した。
「ほら、これ」
「やった! やったぜ。これならいける!」大喜びだ。
「それじゃあ後はよろしく」

 探偵が帰ったあと、リズはやっと溜まっていた疑問をリックにぶつけることが出来た。
「どうやったの? あのメールと写真はいつの間に?」
「メールは僕が作った。写真の人はカミラじゃなくて“君”だ。この前ジミーに話を聞きに行った時のもの」
「ちょっと、何やってるのっ! 偽物の証拠渡すなんて! しかも映ってるの私って……」
「もちろん君の顔は映ってないよ」
「そういう問題じゃない! あなたは依頼人の夫婦を破局させたいわけ!?」
「あれで分かれるならそれまでの夫婦だよ。大体カミラの浮気は本当のことだし、ヘンリーは探偵まで雇っていたんだから時間の問題だよ」
「まったく……」 
 リックの勝手は今に始まった事ではないが毎度頭を抱えさせられる。

 二度目のヘンリー宅では家の外からでも聞こえる声で夫婦が喧嘩しているようだった。
 リックは呼びベルも使わずずかずかと家に入っていった。後ろから気まずそうにリズがついてくる。
「ずっとお前を信じていたのに! やっぱり浮気してたんだな!」ヘンリーが怒鳴っている。
「こんな証拠嘘よ! 私もうジミーには会ってない!」カミラも負けじと言い返す。どうやらライアンはまた二階に避難しているようだ。
「『もう』? 『もう』ってことは会ってた事を認めるんだな!?」
 カミラは口が滑ったというように一瞬ひるんだ。
「分かった、認めるわ。でも、もう半年も前のことよ。こんな写真偽物よ」カミラは開き直っている。
 夫婦は自分たちの喧嘩に気を取られリック達が入ってきた事に気付いていない。
「あの……ちょっとよろしい?」リックが間に割っていった。
 その時初めて夫婦はリックとリズの存在に気付いたようだ。ヘンリーは我に返ったように恥じ入った顔でリックを見ている。カミラは驚いたようではあるが依然開き直っている。
「リックさん……これは、気付かなかった。今、大事な話をしている途中でまた後でいいですか?」ヘンリーが何とか気持ちを落ち着かせながら言った。
「ですが、重要なお話で……」
「なんですか?」カミラが聞いた。カミラはヘンリーと違い余裕を見せつけるように言った。
「バッヂが見つかりました」リックが手に持った紙袋をヘンリーに向かってかざした。
「本当か! それは良かった」ヘンリーが紙袋を受け取ろうとリックへ寄っていく。
「待ちなさいよ。それは私の物よ」カミラがヘンリーを引き留めた。
 伸ばしかけていた手を引っ込めカミラを振り返る。
「どこまでも傲慢な女だな! 家族を裏切った上にバッヂまで奪うつもりか!?」
「裏切られた気になっているのはあなただけよ。ライアンは私と一緒にここを出ていく。もちろんバッヂもね。元々、私のなんだし当然でしょ」
 ヘンリーは今にも激高のあまり言葉にならないようだった。
「貴様……ライアンまで……許さない!」
 今にも飛び掛かりそうなヘンリーをリズが制止した。
「落ち着いてくださいヘンリーさん。ちょっと、座ってください」
 ヘンリーはリズを押しのけんばかりであったが、ようやくソファに座りなおした。
「で、リックさん、結局バッヂはどこにあったんだね?」ヘンリーが尋ねた。
「それより前に……」リックがもったいぶって口を閉じた。
「ライアン! そこにいるんだろ。いいのかい? この箱を君の母さんに渡すよ? 母さんはこのバッヂを持って父さんを置いて出ていくと言っているよ」
 リックは階段の影に隠れているライアンに呼びかけた。
「ライアンだって? ずっとそこにいたのか」
 するとライアンが姿を現した。
「嘘だ。それがバッヂのはずがない」ライアンの顔は蒼白になっていた。
「いや、本物だ。私が見つけ出した」リックは落ち着き払っている。
「リックさん、その袋の中を見せてもらっていいかしら?」カミラが口を開いた。
「あー……どうぞ」リックは少し躊躇う様子を見せたがカミラに紙袋を渡した。
 カミラは袋の中から白い額縁と同じくらいの大きさの箱を取り出すと蓋を開けた。
「これは……」カミラが目を丸くして中を見ている。その隣からヘンリーを身を乗り出し中を見た。ライアンは蒼白な顔のまま唇をわなわな震わせている。
「どういうつもりだね? これは」ヘンリーがリックをひたと見据え問いかけた。

 箱の中身は空っぽだった。
「これはどういうつもりですか、リックさん。私たちをからかっているのかしら?」カミラもリックを睨んでいる。
「すいません。結局、バッヂは見つけ出せませんでした。でも、あなたたち二人はこの中に本当にバッヂがあると思ったのに、一人だけ私の嘘を見抜いていた人がいる」
 リックがそう言うと夫婦は咄嗟にライアンの方を向いた
「ライアン、君だけは僕の嘘を見抜いていた。どうして分かったんだい?」
 ライアンは目を伏せて答えない。
「ライアン、答えて。あなたがバッヂを持っているの?」カミラが聞いた。
「正直に話すんだ、ライアン」ヘンリーも息子に諭した。
 ライアンは立ち尽くしたまま何も言わない。そんなライアンを見てリックは話し始めた。
「初めてこの家に来た時から空き巣の仕業でないことは分かっていた。散らかった本の上にガラス片が乗っているのは内部犯が外からの侵入に見せかけたからだし、ヘンリーの酒瓶もカミラの化粧道具もめちゃくちゃに荒らされていたのに家族の写真だけは丁寧に本棚の真下に置いてあった。つまりこれは誰かこの家族を本当に愛している者のしたことだって分かる」
 一呼吸置くとリックはライアンに尋ねた。
「君は両親に仲直りさせたかっただけじゃないのか? だから二人の出会いのきっかけだったバッヂを隠した。家族の絆の証を取り戻すことに必死になってくれると信じたから」
「……そんなんじゃない」ライアンの声は消え入るようだった。ライアンは二階へ駆けあがっていった。部屋に閉じこもったようだ。
 ヘンリーとカミラは思わぬ展開に言葉も失って駆け去るライアンを見ていた。
「あなた達! 何をぼーっとしてるの!! 早く追いかけなさい!!」リズが初めて依頼人達に怒号を上げた。
 リズの呼びかけにはっとなった夫婦は弾かれたように二階へと駆け上がっていった。
「これで一件落着だね! 良かった」リックはにっこり笑ってリズに言った。
「ええ、そうね。これでやっとあなたと仕事のやり方についてじっくり話し合えるわ」リズの表情はいかにも穏やかであったが、リックはこの後訪れるであろう彼女の長い説教を想像してげんなりした。
 
 ライアンの部屋から無事バッヂの入った額が発見され、リックはカミラに呼び出され例の空き部屋で並んでベッドに腰かけていた。ライアンと話し合い夫婦はそれぞれ仲直りができたようだ。今、リズはヘンリーに嘘の謝罪と、それでも何とか報酬を受け取れないか交渉している。
 二人は手にはウイスキーをワンショット注いだグラスを持っている。リックはストレート、カミラはロックで。
「呼び出してごめんなさい。今回は本当にありがとう。おかげで二人に私の過ちの事、許してもらえたわ」
「いやいや、それはライアンのおかげですよ。私は依頼の品を探し出しただけで」
 リックは一口ウイスキーを飲むと続けた。
「それだけ言うために呼び出したんじゃないですよね?」
 するとカミラは気まずそうにコップの中の氷を見つめた。
「最後に聞いておきたくて……あなたはどうして泥棒を辞めたの?」
「あぁ……ライアンから聞いたんですね。どうしてだろ、捕まるのが怖くなったのかな」あはは、とリックは笑ってごまかそうとした。
「言いたくないならこれ以上聞かないわ。ただ、今回ライアンがあんなことして、もし、その……」カミラは言いにくそうに口ごもった。
「私の様な犯罪者になったら困る?」リックは言葉の先を拾った。
「えぇ、気を悪くされたらごめんなさい。でも、こういうのって癖になるって聞いたから」
 リックはどう答えようか迷っていた。うまく説明しにくい。
 手元のグラスを一気に飲み干すと、溜息をついた。
「私が盗みを働いたのは、皆それぞれに、傍にあるだけで『幸福』や『勇気』を与えてくれる大切な物を持っていたから。当時の僕には無かったものだ。それがどうしても羨ましくて、それを持っている人が妬ましかった。でも、今の僕にはそれがある。これからは誰かの大切なものを奪うのではなく、自分の大切なものを守っていこうって思ったんだ」
「あなたの大切なものって?」カミラが聞いた。
「はは、それは……」リックは赤面して言葉に詰まった。
 直後に階下からリックを呼ぶ声が響いた。
「マック! そろそろ帰るわよ」リズの声だ。
「あ……すいません。もう行かないと」リックは立ち上がり空のグラスをカミラに預けた。
「そのようね」カミラは笑顔でそれを受け取った。
「では、失礼します」リックが部屋を出て行こうとする。
「あの、リック」カミラが呼び止めた。
「なんでしょう?」
「あなたの大切なもの、ずっと守っていってあげてね」カミラは真っ直ぐリックを見つめ言った。
「……必ず」
 言葉少なにリックは部屋をあとにした。



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