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  [No.321] 【作品集 見本】豊縁昔語 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:20:56   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

【作品集】の例といたしまして、豊縁昔語の再投稿を行います。
短編がシリーズ物になった方などはこの機会にまとめてみてはいかがでしょうか。




【描いていいのよ】
【書いていいのよ】


  [No.322] 序文 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:22:14   59clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 はるか昔より、陽昇りくる国に奇しき者ども住みたりはべりき。
 ある者獣の形成し、ある者魚の鱗持ち、ある者翼つけ空を飛びき。
 ある者火を吹き、ある者波起こし、ある者雷落としき。

 陽昇りくる国の南、豊かなる緑を抱き、豊かなるたよりを結ぶ土地あり。
 わたりはかの地、豊(ほう)縁(えん)と呼びき。
 この地にも奇しき者ども住みたりて、ここらの色で溢れてゐはべりき。

 されど、いつのころよりか二つの色啀み合ひき。
 この土地より多くの色、消えにき。

 今より語る物語、忘れ去なれきこの地の昔なり。


  [No.323] 抜け鴎(ぬけがもめ) 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:23:02   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■抜け鴎(ぬけがもめ)


 遠い昔、まだポケモンが今より人に近かった頃、今はホウエン地方ミナモシティと呼ばれるあたりを治めている領主がありました。
 彼は芸術を愛し、振興する政治を行っておりました。
 だから領主の城のある海に近いその都は多くの絵描きや仏師が暮らしていたそうです。

 領主は特に絵が好きで、一匹のドーブルを召抱えておりました。
 春には淡い色の桜の花を、夏には青々と茂る緑を、秋には色付いた紅葉の赤を、四季折々の様々な色で掛け軸や屏風に絵を描かせました。
 彼は決してドーブルに無理強いをしませんでした。

「じきに暖かくなるから春の絵を描いて欲しい」

 と、軽く注文をつけるだけで、あとはドーブルの好きに描かせたのです。

「承知いたしました」

 と、ドーブルは答えます。
 そして彼は好きな色を使い、好きなように絵を描いたといいます。
 そのようにして描かれた絵はとても生き生きとしていたそうです。
その絵の素晴らしい出来栄えを目の当たりにして、ドーブルを神聖視する絵師も数多くあったそうです。
 彼は昼間は絵を描き、夜は絵師達との談義に花を咲かせておりました。
 ドーブルは幸せでありました。



 ところがある時、都が水害に遭いました。
 突如として都を襲った水は職人達をおぼれさせ、仏像や絵がたくさん流れ出しました。
 するとどこからか船に乗った一団が現れて、またたくまに城を取り囲んでしまったのです。
 水害に見えたそれはこの海から来た者達の仕業でございました。
 突然の急襲に領主はなすすべもありませんでした。
 彼は泣く泣く都を明け渡し、ついに自害してしまったのです。
 そうして、新しくドーブルの主となったのは城を取り囲んだ軍勢の頭でありました。

「我ら一族は昔から海の神を信仰しておる故、今後は青色にて絵を描くように」

 新しい主はもうドーブルの好きなようには描かせてくれませんでした。
 春も、夏も、秋も、ありません。
 どんなに四季が移り変わっても使う色はいつも青ばかりでした。
 枚数を重ねるたびに彼の描く絵から生気は失われていきました。
 すっかり絵を描くのがつまらなくなってしまったドーブルはだんだんと無口になってゆきました。
 ついに領主が何か絵を所望するとうなづくだけで、何も語らなくなったのです。


 ある時、今の領主が言いました。

「二月の後、我らが一族の長が城に参るゆえ、丁重にお迎えしたい。天守閣に大きな屏風を用意したいがどのような題材がいいだろうか」

 すると、珍しくドーブルが口を開きました。

「大海原を背に千の鴎(かもめ)を描くのはいかがでしょうか。鴎は海の神が眷属、千もの鴎が出迎えましたならきっと親方様もお喜びになりましょう」
「ふむ、それはよい。さっそくかかれ」

 領主が許可したのでドーブルはさっそく絵を描き始めました。
 長い長い屏風にいくつもの波が立つ大海原を絵筆で描くと、今度は自身の尻尾に持ち替えました。
 そうして今度は鴎を描き始めました。一羽一羽丁寧に描いてゆきました。

「まるで生きているかのようだ」

 その鴎の素晴らしい出来栄えに領主は感嘆の声をあげました。
 描かれている鴎はまだ一桁を超えません。
 けれどこれが千もの数になれば、さぞかし壮観であることでしょう。
 これを前にすればきっと長は満足してくれるに違いありません。
 一方のドーブルは、お褒めの言葉をもらったにも関わらず再び無口に戻り何も答えませんでした。
 朝も、昼も、夜も、彼は黙って、屏風に鴎を描き続けました。

 一月の後に鴎の数は三百を超えました。
 さらに半月後には八百を数え、長がやってくる三日前には残り十羽ほどになりました。
 そうしてついに長のやってくる日になったのであります。
 日がてっぺんに昇った頃に待ち人はやってきました。

「鴎は千になったか」

 と、領主はドーブルに尋ねました。

「九百九十九羽まで描いてございます」

 と、ドーブルは答えました。

「何、終わっていないのか」

 と領主は怒りましたが

「残りの一羽は親方様がいらした時に仕上げるのがよろしいかと思い、とってございます」

 と、ドーブルが答えると

「なるほど、それも一興よの」

 と、領主は上機嫌になり、天守閣を降りてゆきました。

「ささ、こちらへどうぞ」

 領主は丁重に挨拶をすると、城の中に長を招き入れました。

「うむ」

 長は乗っていた獣から降りると、門をくぐって、城内に足を踏み入れました。
 その時でした。
 どこからか突然、ばさばさ、みゃあみゃあ、とあわただしく何かの騒ぐ声が聞こえてまいりました。
 領主と長が驚いて、声するほうに見上げたのは空の先。
 そこにはたくさんのキャモメが羽を広げて旋回しておりました。
 あっけにとられて空を見つめる間にもキャモメ達は数を増やしてゆきます。
 よくよく見ると、キャモメ達のその出所は、屏風のある天守閣のように見えました。

「……まさか」

 領主と長が天守閣に登ると、屏風が残されておりました。
 しかしそこには波打つ海原以外、何も描かれてはいませんでした。
 それは、描かれた鴎がすべて飛び去った後の屏風であったのです。

「待ってくれ、待ってくれ」

 領主は天を仰いで必死になって叫びました。
 けれど、先ほどのキャモメ達は空高くに吸い込まれてゆきます。
 そうして、もう二度と戻ってくることはありませんでした。

「絵師を、絵師を呼べい!」

 領主は小間使いにドーブルを呼んで来る様命じます。
 しかし、彼はもう城のどこにもいませんでした。
 いつの間にかドーブルの姿も忽然と消えてしまっていたのであります。
 主君の前で大恥をかいた領主は、その日のうちに作者のドーブルを探す触れを出しました。
 けれどもついに彼を見つけることはできませんでした。


 ドーブルは自らの出す体液を用い、身を削って絵を描くといいます。
 きっとあのドーブルは千の鴎の中に自分自身をすべて移してしまったのだろう。
 そうしてどこか自由に絵が描ける場所を探しに飛び立ったのだろう。
 かつて、ドーブルと交流のあった都の絵師達はこのように噂したそうです。


  [No.324] 霊鳥の左目 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:23:46   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

ネイティオ

みぎめは みらいを ひだりめは かこを みていると つたえられている。 いちにちじゅう ネイティオが じっとしているのは みらいよちで わかった おそろしい できごとに おびえているからだと しんじられている。

ポケモン図鑑より抜粋



■霊鳥の左目



 昔むかし、力を持ったポケモンは人語を操れて、神様と呼ばれていた頃のお話です。
 秋津国の南にある豊縁という国に、一人の仏師がおりました。

 仏師の一族は代々ネイティオを霊鳥と呼び、神の使い、あるいは神そのものとして信仰しておりました。
 仏師は仏像を彫るのが仕事です。
 特に彼は霊鳥像を好んで彫って彫っておりました。
 男の寝泊りするお堂には今まで彫ったネイティオの像がたくさん並べられておりました。

 ネイティオは右目で未来、左目で過去を見ているとされています。
 でもそのネイティオ像はどれも両目が閉じられていました。
 それは未来を怖れることなく、過去に縛らることなく、今を生きなさいという教えでありました。
 事実、両目を閉じたその表情は見るものに安らぎを与えたのです。

 男は里の仲間達と共に、ネイティオの姿を彫りだしてはお堂に並べていました。
「いずれ千の霊鳥像をここに並べよう」
 それが彼らの夢であり目標でありました。

 その頃の豊縁は混乱の時代にありました。
 相反する色の、二つの部族があちこちで争っていました。
 色を巡る争いは豊縁全土に波及しました。
 どちらの色にも属さなかった者達は、どちらかの色になることを強要されたのです。
 小さな国や里が巻き込まれ、どんどん吸収され、併合されて、彼らの信仰や信ずる神様はどんどん姿を消していっていたのです。
 彼らはそれらを消すまいと、信仰の証を残そうとしたのかもしれません。

 けれどある夜、どこからか赤い装束の男達がやってきて、お堂に火をつけました。
 赤々と燃えるお堂、燃え落ちていく像たち。
 なすすべもなかった仏師は、製作中の一体だけをなんとか運び出すと人目につかぬ所に隠しました。
 仏師たちを取り囲み赤の装束のお頭が言いました。

「邪な信仰を持つお前達の雇い主は失脚した。お前達に新しい仕事をやろう。今我らが都では、仏師が足りぬ。お前達は都へ行き、我らが神の姿を彫るのだ」

 こうして後ろ盾を失った仏師達は、赤の都へ行くことになったのです。
 残ったのは先に挙げた男、ただ一人だけでした。



 失意の中、男は続きを彫り始めます。
 男の目の前で霊鳥はしずかに両目を閉じておりました。
 彼はそっと霊鳥を横に倒すと、両目を閉じていたその像の左目の瞼(まぶた)にノミをつきたてました。
 そうして後世に伝わったのは左目だけが見開かれた霊鳥像でした。



 ネイティオは右目で未来、左目で過去を見ているとされています。
 閉じられた右目は奪われた未来を、開かれた左目は過去を忘れないように。
 男はそういう意味を込めて、像の左目にノミをつきたてると、穴をあけました。
 そうしてその中に、黒硝子の目玉を入れたのです。



 時が経ち、人がモンスターボールにポケモンを入れて歩く時代になりました。
 仏師はもういません。
 かつて豊縁全土に及んだ争いも遠い遠い日の出来事となりました。
 今ではそれを知る人もほとんどいないのです。

 けれど、残された霊鳥像は今でも左目だけを見開いて立ち続けています。


  [No.325] 樹になった狐 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:24:25   58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■樹になった狐


 その黒い狐は元来、豊縁よりは北のほうにいる種でありました。
 小さいうちなどは豊縁の灰色犬などに似ておりますが、ひとたび成獣となりますとまるで人のように二本足で立ったりいたします。
 北の地には波導と呼ばれる不思議な力を使う犬人もおりまして、その狐はそれにも似ておりましたが、赤黒いその姿はどちらかというとおぞましく、人々からは恐れられておりました。
 そして何より北の地の犬人との最大の違い、それは「化ける」ということでございましょう。
 たびたび人に化けては悪さを成すものですから、人々は彼らを悪狐――"わるぎつね"、"あっこ"などと呼んでおりました。



 さて、ここ豊縁にも一匹の小さな悪狐がおりました。
 もともとは豊縁より北に住んでいたのですが、この悪狐ときたら成獣前だというのに、わるぎつねの中でも特に悪さの度が過ぎたものですから、悪狐の間でも煙たがられておりました。
 そしてある時、さる高僧によって木の実の中に封じられてしまったのです。
 仲間は誰も助けてくれません。
 悪狐はとうとう海に流されてしまいました。

 悪狐を入れた木の実は潮の流れに乗って、長い長い旅をしました。
 そうして長い旅路を経て木の実が漂着し、流れ着いた先、それが中津国の南、豊縁であったのでございます。


 最初に木の実を拾ったのは、海辺を歩いていた青い装束の男でありました。
 男は木の実から出された悪狐を見て、

「おかしな顔の灰色犬だなぁ」

 と言いました。
 傭兵であった男は内陸の部族と戦うためにたくさんの灰色犬を育てていたのです。
 この頃の豊縁は戦乱の真っ只中にありました。
 赤い色の部族と青い色の部族が互いににらみ合い、周辺諸国を巻き込みながら争っておりました。
 男のいる青の陣営、すなわち海の神様を信仰している青の一族は地を走る獣をあまり好みません。
 しかしながら、人が争うのは陸の上が主でありましたから、やはり地を走る獣の助けを借りる必要があったのであります。
 灰色犬とその成獣、噛付犬は比較的扱いやすかった為、陸上戦の戦力として重宝されておりました。
 男は灰色犬の群れの中に悪狐を放り込みました。
 そうして、噛付犬にする為の訓練をはじめたのです。
 悪狐はそれはそれははねっかえりでありましたから、反抗したかったのですが、なにしろ長旅のせいで化ける元気もありません。
 それに訓練の後、男は海で手に入れた食べ物をくれましたから、適当に言うことを聞くふりをしながら、しばらく灰色犬のふりをして厄介になることにしたのです。
 男のところに転がり込んで、しばらく経つと灰色犬達とも仲良くなりました。
 なにしろ同じ悪の属性を持つもの同士、容姿も似ておりますから通じ合う部分があったのでありましょう。
 ですが、別れは無常に訪れました。
 彼らが進化し、成獣となった時、同じようなタイミングで悪狐の姿も変わりました。
 その時、彼と彼らの違いは明確になったのであります。

「なんなんだこいつは!」

 と、男は叫びました。
 相変わらず四足で立つ噛付犬に対し、悪狐は二本の足で立ちました。
 噛付犬は黒いたてがみですが、悪狐のたてがみは血のように赤い色でした。

「こんな獣を持っていたら、お役ご免になっちまう!」

 赤い色を持ったポケモンなどこの世にごまんとおりましたが、彼らにとって赤い色の地をかけるポケモンは敵に他なりませんでした。
 こんなポケモンを持っていたら、青い装束の仲間から勘違いされかねません。

「早く俺の前から去れ! どこかへ消えてしまえ!」

 かくして、男は悪狐を犬の群れから追い出したのであります。
 悪狐は大変に怒りました。
 もともと長居などするつもりなどなかったはずなのですが、何しろ大変なはねっかえりでありましたから、とにかく怒りました。
 ある夜、悪狐は男に化けると鍵を持ち出し、犬達の鎖や束縛を解いてしまいました。
 こうして男の元からは犬達が全頭逃げ出しました。
 けれど、狐は犬達と一緒に行くことは出来ませんでした。
 彼らはもうお互いにあまりに違いすぎたのです。

 犬の群れが去って、男が青から去った後も、青に対して狐は執拗に悪さを繰り返しました。
 漁業用の網が破られたことは一度や二度ではありません。
 水ポケモンが逃がされたり、武器庫が荒らされたりしたことが何度もございました。
 しかも犯人の姿がその度に違い、たいてい味方の姿をしているものですから、陣営にいる者達はほとほと困りはてておりました。
 ですが悪事は長く続きませんでした。
 青い男達の一人がどこからか、逃がされた犬達の代わりにと大変に鼻の利く、よく訓練された噛付犬をつれてきたからです。
 獣の臭いを嗅ぎ分けた噛付犬は男達の一人に襲い掛かり、飛び掛られた男は即座に悪狐の正体を現したのでございます。
 悪狐は青装束の男達とそのポケモン達に取り押さえられてしまいました。
 もはや逃げ場はありません。
 悪狐の命もここまでと思われました。
 ところがその時、陣のあちこちから火の手があがりました。
 夜空を無数の火付矢が飛び、あちこちに刺さりました。
 火の手はさらに増え、夜空を赤く照らしたのでございます。
 それは彼らが敵とみなしている者達の奇襲攻撃でした。
 陣の中に赤い装束を纏った者達がなだれ込んでまいりました。
 彼らは地の力、炎の力を持ったポケモンを好んで使っておりました。
 夜襲をかけた赤い装束の者達は、まずはじめに水ポケモンのいるいけすを押さえると、武器庫に火を放ちました。
 陣は騒然となりました。こうなっては悪狐を構っているどころではありません。
 青い装束の者達はある者は捕らえられ、ある者は斬り殺され、ある者は命からがら逃げ出しました。
 夜が明けたとき、そこにいたのは赤い装束の男達ばかりでありました。

 赤の男達は、役に立ちそうなポケモンを残して、使わぬポケモンを放しました。
 その多くは海に住むポケモンでしたので海に放しました。
 ポケモン達を仕分けた後に、悪狐が一匹残りました。

「こいつはどうする」

 と、赤い装束の男が別の赤い装束の男に言いました。

「どうするも何もこんなやつは見たことが無い」

 と男は答えました。
 彼らの疑問も尤もでした。
 悪狐は本来もっと北に住んでいるのです。
 するとどこからか彼らのお頭(かしら)が現れ言いました。

「悩むことは無い。水かきがついていないのなら、使えばよいのだ」

 もっともだと男達は納得しました。

「それにこのたてがみと爪の見事な赤を見ろ。我らが持つ獣としてはふさわしかろう」

 その一言で悪狐は頭のポケモンとなりました。


 赤装束のお頭はポケモンを強く育てるのが上手でありました。
 より強い技を教え、誰よりも早く進化させました。
 あの青の装束の男が、半年かけてやることを一月や二月でやってしまうのです。
 彼の下にはそれは立派な火山を背負った駱駝や、飛ぶ鳥を蹴り一つで落としてしまう軍鶏など強いポケモンがたくさんおりました。
 赤い集団には荒くれ者が多くいましたが、そんなお頭には誰も頭が上がりませんでした。
 お頭は悪狐に言いました。

「お前の姿は書物で見たことがある。人に化けるとは真か」

 悪狐は黙って頷きました。

「ならば一つ、この俺に化けてみせろ」

 お頭がそう言うので、悪狐は宙返りしました。
 再び地上に足をついた時には赤装束のお頭が二人になっておりました。

「うむ、見事だ。ならば一月はそのままでいるように」

 と、お頭は言いました。
 赤装束の集団の中に同じ顔のお頭が二人。
 赤装束の男達は皆そろって変な顔をしましたが、二人は気にも留めませんでした。
 お頭の姿をした悪狐に彼は所作や言動を真似るよう言いました。
 お頭が遠くを指差すともう一人のお頭も指差しました。
 お頭が「火を放て」などと言うと、もう一人も「ヒをハナて」と言ったのであります。
 そして一月の後にお頭こう言いました。

「俺の真似をさせたのは他でもない、人間の所作や発音を覚えさせるためだ。次はこれだ」

 そうして今度は紙と筆を与えました。

「お前には読み書きもできるようになってもらう」
「ヨミカキ?」

 悪狐は、一丁前に人の言葉を発して目をぱちくりさせました。

「心配には及ばん。なぜなら俺が教えるからだ。それにお前は才能がある」

 と、お頭は言いました。

「サイノウがある……」

 悪狐はその時、生まれて初めて褒められた気がしたのでした。
 読み書きの訓練が始まりました。
 お頭が予言した通り、悪狐は文字通り人とは思えないスピードで文字を覚えてゆきました。
 そのうちに赤装束の中では、頭の次に読み書きができるようになりました。
 これには赤装束の荒くれ者達も驚きました。
 すっかり人と同様になった悪狐にお頭は言いました。

「お前にここまで教えたのは他でもない、お前にやらせたい仕事があるからだ」
「シゴトですか」
「そうだ。今よりお前は僧侶に化け、この国に入れ」

 お頭は地図を広げると豊縁の中にある一国を指差しました。
 その頃の豊縁は小さな国や里がたくさんあったのです。
 ここではお頭の指した場所を仮に新緑の国とでも呼ぶ事にいたしましょう。

「この国を盗れと、我等が長より直々に命が下ったのよ。だが、この国はなかなかに手ごわい。世襲の大王(おおきみ)はボンクラだが、参謀の天昇上人とかいう坊主がやっかいなのだ。お前には坊主になってこの国に入り、情報を集めてもらいたい。出来るなら上人に近づけ」
「ミッテイというやつですか」
「そう、密偵だ。いいぞ、それでこそ仕込んだ甲斐があるというものだ」

 訓練の成果を感じてお頭は喜びました。


 かくして悪狐は若い僧の姿に化けますと新緑の国に入りました。
 戦乱の世にあって新緑の国は国境を常に守護しておりました。
 また関所を設け、そこを出入りする者に特別の注意を払っておりました。ですが僧侶は別でした。
 赤も青もそれを知っておりましたから、幾度と無く頭を剃った兵士を送ったのですが、誰にも上人には近づけずにおりました。
 上人は異国からの僧侶は皆、はじまりの寺に放り込むように触れを出しておりました。
 寺で認められない限りは国の中を自由に行き来できないのです。
 そこでのあまりの修行の厳しさに皆、逃げ帰ってきてしまうのでした。
 それは厳しい修行でありました。
 日も登らぬうちから起き出して、滝の水を浴び、険しい山一つ越えた場所にある鐘を鳴らします。
 お腹をすかせて戻ってきても、出されるのは一椀の粥のみでございました。
 ろくに食べることもできずとても頭など回りません。
 それなのに七つの日が巡るごとに長い長い経の書かれた巻物の一つをそらで暗誦できるようにならなければいけませんでした。
 覚えられない者からどんどん脱落してゆくのです。

「こんなこと人間では無理だ。仙人でないと」

 同じ頃に寺に入った男は悪狐にそう言うと寺を去りました。
 しかし悪狐は仙人ではありませんでしたが、人間でもありませんでした。
 野を駆ける獣である悪狐にとって山を一つ越えることなど散歩に行くようなものです。
 彼は颯爽と山を越え、言われた通りの数、鐘をつくとさっさと戻ってきて、早速お経の暗記に入りました。
 寺は粥一杯しかくれませんでしたが、山で木の実や茸を見つけ、腹を膨らましました。
 驚いたのは上人の部下である寺の住職です。
 お頭仕込の悪狐は驚くべき速さで経を身に付けていったのであります。

「今度の外からやってきた若い僧は只者ではないらしい」

 そんな噂が天昇上人の耳にも入りました。
 彼はその僧をひと目見てやろうと都から国境近くの山寺にやってまいりました。

「お主、名は何と申す」

 と、上人は尋ねました。

「白蔵子(はくぞうす)と申します」

 そう答えた悪狐は上人の顔を見て非常にびっくりいたしました。
 上人はかつて木の実の中に悪狐を封じ、海に流した高僧に瓜二つであったのです。

「国許はどこじゃ」

 と上人はまた尋ねました。

「豊縁より北にございます。一月ほど海を渡って参りました」

 悪狐は緊張して答えました。
 すると、上人は

「ふむ、偽りなきようじゃ」

 と仰って、才あるものは都に迎えようと言いました。
 かくして白蔵子こと悪狐は上人に近づくことに成功したのであります。


 天昇上人は若い頃の名を常安(じょうあん)と言いまして、徳の高い僧でありました。
 新緑の国では摂政を任され、大王に替わり政治に携わっておりました。
 また、都には彼の開いた学院があり、政治の傍ら教鞭をとったのです。
 学院へと入った悪狐は彼の教えを受けることになりました。

「新緑の最も大切にする教えは寛容です。すなわち、受け入れること、許すことなのです」

 上人はしばしばそのように言われました。
 悪狐には教えのことはよくわかりません。
 けれど、上人が出す課題は黙々とこなしてゆきました。
 かつて悪狐を封じた僧に瓜二つの上人が出す課題です。
 怖くてとても手が抜けません。
 上人の出す課題は、宗教上の教えだけではありませんでした。
 地理学、政治学、文学、数学、天文学など多岐にわたりました。
 上人は特に白蔵子の出す地理学の報告を評価なさいました。
 それもそのはず、地理学は悪狐にとって重要であったのです。
 お頭は情報を集めろと言いました。
 この新緑を攻めるには、この国の地理を知ることが何より欠かせませんでした。
 ですから、悪狐は熱心に地理を勉強したのです。

「ここが険しい山、このあたり一帯が蕎麦(そば)の畑……」

 白蔵子は大きな紙に墨の線を引きます。
 誰にでもわかりやすいよう地図を作りました。
 日を追うごとにそれはより詳細な地図となりました。

 ある時、上人は白蔵子を食事に誘いました。
 白蔵子が緊張した面持ちで正座をしていると、じきに食事が運ばれてきました。

「なんですかこれは」

 出された食事を見て、白蔵子は尋ねました。
 上人は一瞬驚いた表情を見せましたが、すぐにどういうことか理解をしたらしく、

「蕎麦ですよ」

 と答えました。

「蕎麦。これが」

 文字の上では知っていましたが、彼は今まで蕎麦を見たことがありませんでした。
 とりあえずは上人の真似をして食べてみることにします。
 つゆにつけたねずみ色の麺をつるつると啜りました。

「……これは美味い」

 と、悪狐は感想を述べました。

「蕎麦を知らなっかたとは驚きました」と、上人が言うと、
「山奥の生まれですから」と、彼は答えました。
 それは偽りの無い答えでありました。
 悪狐はおそらくいい意味で、知識や偏見が無かったのです。
 何かを学ぶにあたっての吸収力はそこからきているのかもしれないと上人は思いました。

「白蔵子よ」
「はい」
「今、この豊かなる縁の土地には二つの渦が廻っておる」
「二つの渦……」

 反復するように悪狐は答えました。
 渦が何であるか、悪狐は知っています。
 どちらの側にも身を置いたことがあったからです。

「相対する二つの渦は周辺の小さな国々を蹂躙し、自分達の色に塗りかえていっておる」

 食べ終わった後のつゆに蕎麦湯を注いで上人は続けました。

「のう、白蔵子よ。赤があるから青が引き立つのではないのか。青があるから赤が引き立つのではないのか。他の色も同じことよ。我らは違いと多様を受け入れねばならん」

 かつて、青の側に属していた時、青に染めることこそが役目と青装束の男は言いました。
 赤装束のお頭は赤にすることこそが正しいと説き、実際にそうしてきました。
 悪狐の主人、お頭の目的はこの国を取り、天昇上人を捕らえることです。
 新緑の国は戦略的に重要な土地でありました。
 また、天昇上人を野放しにすればいずれどこかで障害になるだろうと、彼もその上も考えていたのです。

「……私には教えていただいた知識があるだけです。何が正しいのかはわかりません」

 と、白蔵子は答えました。
「お前、こういう時は私に同調するもんだぞ」と上人は笑いました。
「申し訳ございません」と白蔵子は言いました。

「白蔵子、私はな、龍のようでありたいと思っている」
「リュウ……?」
「そう、龍だ」
「龍とはどんなものですか」
「姿はとてつもなく大きな蛇と言ったところか。だが、翼も無いのに空を飛ぶ。摩訶不思議な存在だ」

 白蔵子が尋ねると、上人はそのように答えました。
 それはどこか昔を懐かしむような言い方でした。

「龍を見たことがあるのですか」
「若い頃にな。その日は雲からいくつもの光の梯子が下りておった。ほんの一刻のことだった。角を生やした龍の頭が掠めたかと思うと、腹を少しばかり見せて、すぐに雲の中に引っ込んだ。少しだけ地上を覗きに来たのかもしれぬ。今ではそれが夢であったのか現であったのはかわからぬのだ。だがそれはさほど重要なことではないのだ。いずれにしてもその時から私は龍のようでありたいと思った」
「龍のように、ですか」
「龍は空を飛ぶ鳥よりも高い高い場所を悠々と飛びながら、この豊縁全体を見ておろう。一生地に足をついて生きる人には見れぬ境地がそこにはある。そういう風にこの世界を見ることが出来たなら、あるいは何が正しいのかわかるかもしれぬ」

 天昇上人は言いました。
 私も結局の所は人の子であるのだと。
 人の子に見ることのできる世界は限られているのだと。
 人の子だけでは真理には至れないのだと彼は言いました。
 悪狐には、真理のことなどよくわかりません。
 けれど上人の語る龍というものを一度見てみたいと思いました。

「上人殿、さらに貴方の下で学ばせてください」

 と、白蔵子は言いました。
 上人には真の姿も、真の目的も偽っていました。
 けれどその言葉自体に偽りはありませんでした。



 白蔵子は上人の下で学び続けました。
 朝早くから起き出して、経を読み上げると、書物を読んだり、書き写したりいたします。
 昼になると蕎麦を食べにゆきました。
 晴れた日には上人と蕎麦の畑の道を通って、様々な所へ出かけて行きました。
 そうして、地図はどんどん書き込まれ、黒い部分が増えてゆきました。
 今や国のどこになにがあるのか、国の成り立ちや仕組みがよくわかります。
 新緑の国は周辺諸国に比べても優れた制度や技術が多くありました。白蔵子はそれをなるべくわかりやすく文章にいたしました。
 白蔵子はここでの生活が好きでした。できればずっとこうしていたいとも思いました。
 しかしながら、新緑の国の学問や知識を多く修めた白蔵子はついに「戻る」ことにしたのであります。


「話とは何だ。白蔵子」

 まだ日も昇らぬ暗いうちに尋ねてきた若い僧を見て、天昇上人は言いました。

「貴方は私に才があると言って下さった。今まで目をかけてくださった事に感謝しています。しかし私は戻らねばなりません」
「戻る? どこにだ」

 上人は眉をしかめて尋ねました。

「私達が赤と呼んでいる者のところです」

 と、白蔵子は答えました。

「上人殿、私には知識があるだけです。ですから何が正しくて、何が正しくないのかはわかりません。しかしながら、最初に私を認め、読み書きを教えてくれた、学ぶことを教えてくれたあの人には報いなければならないのです」

 そこまで言うと白蔵子は悪狐の正体を現しました。
 赤と黒の毛の獣の姿が上人に一礼して、次の瞬間に大きな燕の姿になりますと暁の空に飛び立ったのあります。



 上人もお頭も彼には才能があると言いました。

 悪狐の伝えた情報は正確でした。
 新緑の国はまたたく間に赤によって制覇されました。
 軍勢を指揮した悪狐の主人は、その功績によって大いに出世し、新緑の国の政治を任されるまでになりました。
 けれど、政治を行う彼の横に悪狐の姿はありませんでした。



 彼は新緑の国に攻め込む前の主人に次のように語ったといいます。

 私の持ち帰った地図をもとにして貴方様が戦をするならば、ほどなくして勝利できるでしょう。
 けれど、貴方がいつもやるように、あの国でむやみに火を放つのはお止めなさい。
 蕎麦の畑に火を放てば、美味しい蕎麦が食べられなくなります。
 都の学院に火を放てば、あの国にある多くの知恵は失われるでしょう。
 私があそこで学んだことを伝えるにはあまりにも時間がありません。替わりに私は多くの書物をその場所に置いて参りました。
 どうか燃やすのではなく、取り入れてください。塗りつぶすのではなく、受け入れてください。
 これを破ればいずれ貴方は失脚します。

 ああ、それと。
 貴方様に謝らなくてはなりません。
 貴方様は天昇上人を捕まえることはできないでしょう。
 渡した地図は正確ですが、一箇所だけ抜け落ちた部分があります。
 その抜け落ちた部分から上人は他国へ逃れるでしょう。
 そうしてどこからかあなたを見ているでしょう。

 悪狐はそのように言い残し、姿を消しました。



 悪狐は二重の裏切りを犯しました。
 主人への裏切り。
 上人への裏切り。
 どちらにもつかなかった故にどちらにも帰れなかったのです。



 龍を見たいなあと悪狐は思いました。
 いつの日か天昇上人が見たという龍を、空を飛ぶ鳥よりも高い高い場所を悠々と飛びながら、この豊縁全体を見ているという、一生地に足をついて生きる者には見れぬ景色を見ているという龍を見てみたいと思いました。
 悪狐はかつて新緑の国と呼ばれたその土地で一番高い山に登ると、一本の樹に化けました。

 山の頂上に立った樹は、晴れの日も雨の日もひたすらに空を見続けていました。
 数年が経ちました。数十年が経ちました。樹はいつしか本来の姿を忘れてしまったようでした。



 悪狐は果たして龍を見ることが出来たのかどうか、それは誰も知りません。
 けれどある時、山に登った旅人がその樹の下で宿をとった時に、その樹が実をつけたことがあったといいます。
 お腹をすかせた旅人はすっかり実を食べると残った種を持ち帰って、故郷の土に埋めました。
 芽を出して若木は成長し、また実をつけて、その地にどんどん根付いていったそうです。
 その地では、今も人々が樹と共に暮らしています。


 ヒワマキシティ。
 それが今のその地の呼び名だということです。


  [No.326] 飽咋(あきぐい)のはじまり 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:25:03   51clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■飽咋(あきぐい)のはじまり



 昔むかし、今はポケモンと呼ばれる者たちが今より人に近かった頃のお話です。
 秋津国の南に豊縁と呼ばれる土地がありました。
 四季を通して温暖で、豊かな緑と豊かな縁を成すその国を人々は豊縁と呼んだのでございます。

 しかしながら、この頃の世は乱れておりました。
 有力な豪族であった二氏がこの豊かな地のあちこちで争っていたのでございます。
 栄えた都が水に押し流されたり、村々から火の手があがったりいたしました。
 都からは様々な文化が、村々からはその年の収穫物が失われてゆきました。
 ことにそうして日々の糧を失った身分の低い者、女、童(わらべ)達は悲惨でありました。
 乳が出なくなった母の子は死を待つより他ありませんでした。
 母を失った子は飢える他ありませんでした。

 さて、とある都に近いとある村もまた、炎が田を舐めました。
 多くの童が命を落としました。多くは飢えて死にました。
 村には小さな神社がございましたが、神の名を書いた札や書物は焼け焦げ、すでに神主の姿はありませんでした。
 そうして、ここにも一人の童がおりました。
 住む家を失い、母をも失ったその童は、社の下で雨と風を凌ぎながら、けれど多くの童達と同様に死を待っていたのでございます。
 着古し汚れた粗末な衣、虱(しらみ)の沸いた髪、乾いた虚ろな瞳。
 彼は床に皮と骨ばかりになった痩せた身体を横たえて、めったに動きません。
 もはや食べ物を探し彷徨う力も残されておりませんでした。
 そうして何日かが過ぎました。
 何度かの蒸し暑い昼が過ごし、同じ数の夜になりました。
 そうして、何度目かの夜を迎えた時、神社に誰かたずねる者がありました。
 村は荒れ果てておりましたが、月だけは美しいそんな晩でした。
 山賊かもしれません。
 役人かもしれません。
 死体を焼く仕事の卑しい身分の者かもしれませんでした。
 けれど、身体を横たえたまま童は動きません。
 入ってきたものが何者であろうとも、盗まれるようなものを持っておりません。抵抗したり、逃げたるする力ももはやないのです。
 ゆったりとした動作でその人物は入って参りました。
 かすれた視界に映ったのは、山賊でも役人でも、死体焼きの者でもないようでした。
 真新しいものではありませんが美しい衣を羽織っております。
 白い肌は月夜に照らされて、青白く見えました。
 ああ、ついに「迎え」が来たのかなあ。童はそんな事を思いました。
 入ってきた男はすっと手を伸ばすと、童の頭を撫で、語り掛けました。
「名はなんというんだい?」
 落ち着いた、優しい声でした。
「千代丸……」
 童は弱々しいながらも名を告げました。
「君のお母さんやお父さんは?」
「おっとうは戦に行ったまま帰って来ない。おっかあは痩せて死んだ。おらに食べ物を与え続けて、自分は食わないから先に死んでしまった」
「そうか……可哀相に」
 男は懐から飴玉を取り出すと童の口に入れてやりました。
「ああ、うまい。甘くてうまい。おいらこんなうまいものはじめて食った」
 童は言いました。
 同時になんだか急に体が軽くなったような気がいたしました。
 両の手で童の頬に触れ、顔を近づけて男は言いました。
「私のところへおいで。私のところに来ればもうお腹をすかせることも無い。その飴よりももっともっと甘くておいしいものを食べさせてあげよう」
「ほんとう?」
「ああ、本当だよ」
「じゃあ、連れて行っておくれ」
 男は童の返事を聞いてふっと笑みを浮かべました。
 そうして童を抱きかかえると自らの屋敷に連れ帰ったのです。

 男の屋敷は村近くの都にあって、彼は自身を下級の貴族であると言いました。
 彼の屋敷には、彼があちこちから連れてきたというたくさんの童たちがおりました。
「千代丸、千代丸じゃないか」
 童の中から知った声がいたしました。
 それはかつて村でいっしょに遊んだことのある童の一人でした。
「おまえもここに来たのか」
「ああ、あの人が連れてきてくれた」
「そうか、そんならもう心配要らないよ。兄様は優しいし、毎晩お腹いっぱい食べさせてくれるよ。もうお腹をすかせなくていいんだ」
 そういって友達は笑いました。
「さ、こっちに来て遊ぼう」
「遊ぼう」
「遊ぼう」
 童達が口々にそう言って、童を誘いました。
 振り返ると男が行っておいでよという風に笑っていました。
 大勢の童達に袖をひっぱられながら彼はここに来てよかったと思いました。

 次の日の夜になりました。
 男は屋敷の童達を連れ出しました。
「どこに行くの?」童が尋ねると、
「食事に行くんだ」と別の童が答えました。
「行く場所は日によって違うんだ」とまた別の童が答えました。
「この前のはよかったなぁ」
「ああ、あの大きい公家屋敷か。あれはすごくよかった。あそこで食べたのは甘かったねぇ」
 童達は口々にそんなことを言いました。
 どうやら、男は童達をいろんな場所に連れていってそこで食事をとらせるようなのです。
 するとふと、向こうから僧職と思しき人物が歩いてくるのが見えて、童達は一斉に男の後ろに隠れました。
「どうしたの?」
 と千代丸が尋ねると、
「あの人、怖いんだ」
 と童の一人が答えました。
「僕達の事、あまりよく思っていないみたい」
「兄様にもなんか冷たいし」
「もっとも、兄様は気にしていないみたいだけど……」
 道の向こうから見えた僧職とおもしき男もこちらに気がついたようでした。
 すると童を連れた男が先に挨拶しました。
「今晩は、天昇上人(てんしようしようにん)。今宵も月がきれいですね」
「…………また数が増えたな」
 僧職の男はぼそりと言いました。
「ええ。私が足を運べるほどに近い場所でまた村が燃えました」
「………………その童は新入りというわけか」
 男の背中からちょこっと顔を出して、見ている童を見て、彼は言いました。
「そう、この子は千代丸と言うのです。かわいい子でしょう」
 男は千代丸の角の付いた頭を撫でて言いました。
「……なぜ人のまま死なせてやらなかったのだ」
「この子が望んだことです。天昇上人」
 くすりと笑って男は言いました。
「あなたはそういう目でこの子達を見るけれど、人であるということはそんなに高尚なことなのでしょうか。各地の神を殺して回り、村々を焼いたり、都を沈めたりして、童達を飢えさせる人という存在が? それならばいっそ、そんな形など捨ててしまったほうがよほど幸せではないでしょうか。そうは思いませんか?」
「…………」
「私は貧乏な下級の貴族ですから、大勢の童達を救う力はありません。でもこの形にしてしまえば、飽咋(あきぐい)にしてしまえば、何十でも何百でも養うことが出来ます。戦火は様々なものを奪いますが、確実に増えるものがあります」
「恨みと怨み」
「そう、それがこの子達を満たしてくれます」
 男は満足げにうっすらと笑みを浮かべました。
 上人はぎゅっと拳を握りました。
 かつて国を追われたこの僧に飢えた童達を養うだけの力は無いのです。
 彼はただただ自分の無力を呪いました。
「……飽咋になればもう飢えて苦しむこともありませんから。では」
 そういい残すと、童達を従え男はその場を去ってゆきました。
 一方の千代丸はわけがわかりません。彼は心配げに男を見上げました。
「大丈夫だよ」
 再び千代丸の角のついた頭を撫で、男は言いました。
「君は最近まで人だったから、感覚が混乱しているだけ。すぐに慣れるからね」
 そのとき彼は気がつきました。
 自分がもはや地に足をつけていないこと。手足がなくなって、角を生やした首とひらひら風に揺れる衣だけが宙を舞っていることに。
 そうして彼は三つの色が光る目で確かめました。
 一緒にいる童達もそんな自分と同じ姿をしていることを確かめたのです。
「人が生み出す恨みや怨みは飴玉より甘いんだ。君もきっと気に入るよ。さあ、行こう」
 男はそう言って、都の路地を歩いてゆきます。
 その後ろを何十もの黒い影達が連なってついてゆきました。

 世は乱れておりました。
 荼毘(だび)を生業とする者が、神社に転がった首の無い屍のところに案内されたのは、それから間もなくのことだったと言います。


  [No.327] 遺された名前 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:25:39   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■遺された名前


昔むかし、力を持ったポケモンは時に神、時に妖と呼ばれ畏れられていたころのお話です。

 豊縁の中でも有数の、豊かな里がありました。
 この里では毎年たくさんのお米がとれました。
 めぐまれた気候は苗を育み、古の大樹を抱いた山々は水を貯め、流れ出した水は清らかな川となって田を潤してくれます。
 秋ともなれば、黄金色に色付いたたくさんの稲穂が大地を覆い、その里は金色の野となりました。

 しかし、その里は恐ろしい妖に支配されていました。
 それは九尾の妖でした。

 九十九(つくも)と呼ばれたその古狐は、血のような赤い眼、青白く輝く白銀の毛皮、九本の尾を持ち、それは大きな狐であったと伝えられます。
 彼は旧くから里に巣食い、君臨しておりました。
 十の九尾と百の六尾の狐の一族を従えていたその妖狐を人々は、九十九と呼んだのです。
 九十九の吐く炎はさすまじく、一瞬で田も畑も灰にしてしまうほどの勢いがありました。
 人々はそれを"野の火"と呼び大変に恐れていたのでございます。

 秋が近づく程に人々は炎を恐れました。
 ひとたび"野の火"が田を舐めれば費やした歳月は皆灰になってしまうのです。
 だから里の人々は収穫の頃が近づくと祭を行いました。
 九十九を祀ることで、荒ぶる神を沈め、彼の機嫌をとったのです。
 黄金の大地を見下ろす小高い山には社を立て、美しい娘を巫女に据えました。
 そうして人々は糧を守ってきたのであります。


 そんな祭が近づいたある年の、ある時のことです。
 ひさびさの雨と共に若い旅の男が里にやってまいりました。
 村のはずれで宿をとった若者は、出された夕食(ゆうげ)にいたく感激いたしました。
 出された夕食は真っ白な白米でした。
 
「この村ではいつもこのようなものを食べているのですか」

 若者が尋ねると宿の娘が答えました。

「この土地は古来より稲作が盛んなのです。貴方様にお出ししたのは鬼雀ノ泪と申しまして、もっとも美味だと云われている米でございます」
「なぜこのようなものを私に」

 若者が尋ねると、娘は言いました。

「貴方様を待ち続けておりました、雨降様」

 すると小雨が一瞬強くなって、雷が落ちたのでございます。
 雷鳴の轟く最中、若者は娘に言いました。

「今なら九十九の耳には届かなかろう。いかにも、我が名は雨降。青の国より参じ、炎の妖を討ちとりに参った」


 若者――雨降は祭の夜に旗を揚げました。
 自らの率いる部下達と共に、炎の妖九十九とその一族に戦いを挑んだのです。
 九十九は炎を吐きましたが、雨降には届きません。
 彼はその名の通り異能の持ち主でした。
 若者の在るところには必ず雨が降ったのです。
 炎は雨に流され消えてしまったのです。

「我が眷属よ。力を貸し与えたまえ」

 雨降が唱えると里を流れる川や水を湛えた田から水の化生達が現れました。
 降りしきる雨の力を得た魚達は陸の獣に劣りませんでした。
 九十九の一族の者達を次々に蹴散らしていったのです。

 ついに雨降は九十九に矛を突き立てました。
 深手を負った九十九は命からがら逃げてゆきましたが、やがて里の北の森で取り囲まれました。
 そしてとうとうこれまでと悟ったのか、彼は自らの身体を焼いて果てたのでございます。

「我が毛皮を勝鬨とし、上げるか。だがそうはさせぬ。我が毛皮は誰にも渡さぬ。我は何者にも捕らえられぬ。たとえ我が身滅びようとも、我が力は消えずにあり続けよう。うぬらとこの土地はこの狐の怨念に縛られ続けるであろう」

 そう言って九十九は燃え果てました。
 それは九十九の意地だったのかもしれません。
 こうして九十九に替わり、雨降がこの土地の主となり、守り神となりました。
 しかし、九十九が最後に吐いた言霊が雨降の耳に残り続けました。

 ――我が力は消えずにあり続けよう。

 それがずっと気にかかっておりました。
 それはある時に大火となって現れるかもしれませんし、怨念が誰かに宿るのかもしれません。
 不安の火種がくすぶり続けました。


 そうして、討伐からしばらく経った後のことです。
 一人の娘が雨降のもとをたずねてまいりました。
 それは宿で米を振舞ってくれた娘でありました。

「私は、九十九の巫女だった者。九十九の力を鎮める方法を教えましょう」

 そう娘は言いました。

「どうすればよいのだ」

 たずねる雨降に娘は続けます。

「出るものを押さえつけてはいけません。出すところで出させ、その度に鎮めればよいのです」

 こうして、収穫祭の時期には舞台が上演されるようになりました。
 石舞台の上で、九十九はこの時だけ復活を果たしますが、必ず雨降によって倒される、という筋書きです。
 それが妖を鎮め、同時に神を称える儀式として伝えられていったのでございます。


 しかし、ここで彼らはひとつ、過ちを犯しました。

 それは九十九の名を消さずに残してしまったことです。
 舞台が上演される度に雨降の名は称えられました。
 しかし、同じ数だけ九十九の名も唱えられました。
 炎が雨に消えてしまっても、毛皮が燃え尽きなくなっても、九十九の名は人々に忘れられることなく語り継がれ続けました。
 たとえ力が鎮められても、古狐の名だけはこの里にありつづけたのです。
 畏れは消えずに残り続けたのです。

 消えずに残り続けたのです。



 村では今でも祭で舞台が上演されます。
 舞台の主役は青い衣を纏う雨降。
 そうしてその対を成すのは、炎の妖――九十九。


 今年も、石舞台に松明が灯ります。
 今年も、狐面を被った役者が舞台に上がって参りました。
 そうして彼は云うのです。

「我、ここに戻れり」、と。


 誰にも見えない面の内側で、九十九役の青年がにたりと笑いました。


  [No.328] 幻島 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:26:15   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■幻島


 昔むかしのことです。
 秋津国の南、豊縁と呼ばれる土地の西の海には小さな島がいくつも点在しておりました。
 大きな島、小さな島、人が住む島、住まぬ島、海鳥の休む島、おいしい木の実のなる島、様々ございました。
 その島々に数えられるうちの一つに、本土から最も離れ、最も大洋に近しい島がございました。
 島の名を着凪(キナギ)と言いました。
 その島では人々が暮らしておりました。
 彼らは日々、海の命を頂いて暮らしておりました。

 着凪の島に住む人々は、すぐれた漁師でありました。
 波をかきわけて、島から島まで泳ぐことが出来ました。
 息を止め、深く深く潜ることが出来ました。
 もちろん船を漕がせても非常に早いのです。
 彼らは海の風が吹く方向を知っておりました。
 たくみに風を捕まえて自由自在に船を操ることが出来ました。

 島の民達は普段、小さな魚や貝を食べて暮らしておりましたが、年に三度ほどの特別な日になると総出で漁をいたします。
 島の者が残らず海に出、皆で大きな浮鯨を獲るのです。
 浮鯨が取れるとしばらくは漁をする必要がありませんでした。
 彼らは祭りを開き、周辺の島々にその肉を振舞って回りました。
 絞った脂は暖や灯かりといたしましたし、すっかり肉を食べた後は、その骨を家の材料や漁の道具の材料に致しました。
 そうして海の神様に感謝を捧げました。
 浮鯨は神様が使わした最もありがたい恵みでした。
 島の人々は浮鯨の肉、脂、骨に至るまでそれを粗末にしなかったのです。
 着凪にはゆったりとした時間が流れておりました。



 ところが、このところ島の様子がおかしいのです。
 気がつけば島の人々は毎日のように総出で漁に出ています。
 船をあやつって、銛(もり)を持って、毎日のように、青い海の中に巨大な影の姿を探しているのです。
 巨大な影を銛で突こうと、船を走らせているのです。
 とても忙しそうです。

 それになんだか島が汚れてきました。
 大きな大きな骨があちらこちらに散乱していますし、腐臭がするのです。
 それは人々のお腹に納まることなく捨てられた鯨の肉が腐った臭いでした。

 島の上ではとれた浮鯨をせっせと人々が解体しております。
 そうして頭を裂くと脂を絞りました。
 人々の目当ては浮鯨からとれる脂でした。
 その脂を容器に詰めて蓋をし、せっせと船で本土へと運びました。
 本土では今、脂が高く売れるらしいのです。
 それは夜の路や町を照らす照明にもなりましたし、松明にもなりました。
 さらには歯車と歯車の間にこの脂を差すと大変に動きがいいというのです。

 人々は食べる分よりも多くの浮鯨をとりました。
 脂だけを絞って残りの多くを打ち捨てました。
 絞られたその残りが、無残に島に転がったのです。

 今考えれば、島の何かがおかしくなってしまったのは、何年か前に島のてっぺんに灯かりが灯ってからかもしれません。
 何年か前、周辺の島々一帯を治めているという青い装束の領主がやってきて、この島に様々なものをもたらしました。
 鉄製の銛や、より早く走る船、島では織ることの出来ない布、島では収穫出来ない穀物、様々なものを持ち込みました。
 領主はそれらの品物と引き換えに、鯨の脂を所望しました。
 島の暮らしは豊かになりました。
 その象徴が灯台でした。
 灯台では鯨の脂の火が燃えていました。

 そうしているうちにだんだん浮鯨がとれなくなりました。
 たくさんたくさんとっていましたから、数が減ったのです。
 けれども領主や本土は脂を求め続けました。
 けれども日を追うごとに浮鯨はとれなくなりました。

「もう浮鯨はとれん。これ以上とったらいなくなってしまう」

 島に住む人々の中からこんな声が上がりました。
 とくに年老いた者達はそのように言いました。
 けれど青い布を纏った領主は答えます。

「今、脂を切らすわけにはいかん。我ら青が、地上の赤に勝つにはこの脂が必要なのだ」

 そうしてこう続けました。

「浮鯨がとれないのなら玉鯨をとればよい」

 人々は、お互いの顔を見合わせました。
 本来、浮鯨は年に何回かだけとることを許された特別な存在でした。
 玉鯨は浮鯨の子ども、将来の浮鯨です。
 子どもには手を出さないのが彼らの暗黙の掟だったのです。
 海の神様に誓った約束だったのです。
 けれど領主が言いました。
 脂がとれないのなら、鉄製の銛も、布も、穀物もやらないと、そう言ったのです。
 すっかりモノのある生活に慣れきってしまっていた島の人々はついに禁忌に手を染めてしまいました。
 何頭のもの玉鯨に銛を突き刺して、浮鯨の重さになるまでとったのです。
 人々は玉鯨の脂をしぼって、その屍を山を島の上に積み上げました。

「なんということだ。今に恐ろしいことになる」

 島の老人の誰かが言いました。
 けれど誰も耳を貸しませんでした。



 島に異変が起こったのは次の日、島の人々が総出で海に出た時でした。
 不気味な轟音が響き渡って、着凪の島が大きく大きく何度も何度も揺れました。
 島が揺れて津波が起きました。漁に出ていた船が沖に流されました。
 大洋に流された人々はそこで信じられないものを目にしました。

 さきほどまで自分達がいた島が大きく唸って、のけぞりました。
 灯台がぼきりと折れて、海中に崩れ落ちました。
 海中から大きな尻尾が出て、海面をばしゃりと叩きました。
 その巨大な尻尾は浮鯨のそれでした。
 尻尾は島から生えているように見えました。
 その時、人々は知りました。
 自分達の暮らしていたその島がとてつもなく大きな浮鯨だったと知ったのです。
 目覚を醒ました着凪島は、大洋に向かって漕ぎ出しました。
 決して振り返りませんでした。
 やがて島は水平線の向こうへ消えていきました。
 巨大な浮鯨を誰も仕留められませんでした。今あるところに留めることも出来ませんでした。
 海にわずかに残った浮鯨、玉鯨も島についていなくなりました。
 こうしてかつて着凪島があったところは、鯨が去った後の廃材と、ゆらゆらと揺れる水面ばかりが残されたのでした。

 島がまるごとなくなって、脂を求める領主はいなくなりました。
 もう鉄製の銛も、きれいな布も、穀物も手に入りません。
 それどころか足をつける地面もありません。
 人々は水面に浮かぶ廃材と自分達の船を繋ぎ合わせて、海草で縄をつくって海底にそれをくくりつけて、海上で暮らしはじめました。

 何もかもを失ってしまいました。
 けれどゆったりと流れる時間だけは戻って参りました。
 人々はまた昔のように、小さな魚や貝をとって細々と生活を始めました。




 洋上に浮かぶ町、キナギタウン。
 今になってもキナギの人々は去ってしまった自分達の島を洋上に探すことがあるといいます。
 けれど、運よく島を見つけても、島は一日も経たないうちに水平線の向こうに姿を消してしまうのだと言います。
 現代の人々はその島を「幻島」と呼ぶそうです。


  [No.329] 化けくらべ 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:26:57   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■化けくらべ


 昔むかし、豊縁と呼ばれるところの赤の領地に獣を強く育てることに優れた男がおりました。
 兵の一団を率いる彼のもとには、立派な火山を背負った駱駝、飛ぶ鳥を蹴り一つで落とす軍鶏、さまざまな強い獣がおりました。
 赤の旗の下に集う者達は皆、その男に一目置いておりました。

 さて、最近その男が一風変わった獣を手に入れらしいと噂になっておりました。
 男が青の旗の陣地をひとつ落とした時にたまたま手に入れたというのです。
 元来豊縁にはいない獣であるらしく、書物の記すところによればその名は悪狐とか黒狐とか云うそうです。
 黒い毛皮に赤い鬣、鋭い爪を持ったその狐は人のように二本の足で立ったりいたします。
 そして何よりの特徴として、人に化けることが出来ると書物には謳ってありました。
 百聞は一見にしかずを信条にしていた男は、さっそく悪狐を自分そっくりに化けさせてみたところ、これはもうたくみに化けたのでしばらくそのままでいさせることにいたしました。
 せっかくなので、人間の様々なことを仕込んでみようと考えたのです。
 困惑したのは男の部下達です。
 自分達のお頭が毎度毎度二人で現れるものですから、皆変な顔をしました。
 お頭二人は涼しい顔をしておりました。



 そんな日々がしばらく続いたある日のことです。
 男に目通りを願う者がいるというので、彼らは二人で迎えました。
 見たところそれは粗末な衣装を身に着けた旅の行商人でありました。

「何用だ」
「何用だ」

 二人のお頭は尋ねます。
 すると行商人がにやりと笑って云いました。

「我が名は不知火(シラヌイ)、海より渡ってきた黒狐がいると聞いて、化けくらべに参った」

 するとどうでしょう。
 行商人の姿がみるみるうちに変じて、一匹の獣になったのであります。
 燃えるような赤い目、金色の毛皮、たなびく九本の尾。
 四足で地面を踏みしめたその獣は大変に立派な九尾狐でありました。
 不知火と名乗った、九尾は語ります。
 長く続く戦で故郷を失った自分は、諸国を流浪する身の上となった。
 そうこうしている間に人化の術を会得したのだと、そのように語りました。
 そうして旅をしているうちに黒い狐の話を耳にし、勝負してみたくなったというのです。

「勝負を受ける受けないどちらもよし。だが黒狐とやらの姿は一度見てみたい」

 そのように九尾が所望するので、お頭の一人がもう一人のお頭に姿を解く指示を出しました。
 言われたほうのお頭がくるりと宙返りします。
 黒い狐が姿を現し、金色の妖狐と向き合いました。

「奇怪な狐だ。尻尾もないのか」

 九尾狐は嘲笑いました。
 自慢げに自分の尻尾を振って馬鹿にします。
 悪狐は聞き捨てならぬというように睨み返しました。
 その様子を見てお頭が言いました。

「おもしろい、勝負してみろ。先に正体を現したほうが負けだ。正体を現さなかったほうを勝ちといたそう」

 こうして悪狐と九尾狐の化けくらべが始まりました。



「おい、見ろよ」
「ああ」
「増えてる」
「増えてるよな」
「ああ」
「間違いない。お頭が増えている」
「二人から三人に増えている」

 困惑したのはお頭の部下達です。
 目の前にお頭が三人。ただでさえ二人いて困惑していたのに三人。朝起きたら三人に増えていました。
 皆ますます変な顔します。
 しかし三人は涼しい顔をしていました。

「あ、一人抜けたぞ」
「怠けだ」
「お頭が怠けた」
「怠けてもあと二人いるからな、うらやましいな」
「ああ、でもどのお頭だ」
「わからん」

 人の真似を続けてきた悪狐はもはや所作までもがそっくりになり、よほどの側近で無い限り見分けがつきません。
 九尾狐のほうも同じです。人に紛れ込んで生きてきただけあってそのようなことには長けておりました。

「これは愉快だ。しばらく休めるぞ」

 ほくそえんだ本物のお頭は、自室に戻ってしばし二度寝を楽しみました。



 何日か経ちました。
 しかし二匹ともなかなか狐の正体を現しません。
 ためしに灰色犬や噛付犬をけしかけてみたこともありましたが、二匹とも非常に人間らしく振舞って、座れ、伏せろなどと言うものですから、犬達もつい条件反射で命令に従ってしまい効果はありませんでした。
 駱駝に乗る時も三人です。
 彼の持つほかの獣達はさすがに臭いをかぎわけたのか、本物を見分けてはいたようですが揃って変な顔をいたしました。
 それでも三人は涼しい顔をしておりました。
 駱駝に揺られながら一人が言います。

「今宵は宴だ。都のほうから一人お偉いさんが来るから、粗相のないように」

 残り二人が黙って頷きました。



「おや、そのほうは三つ子であったか」

 夜の宴、都からやってきた官職の男が目を丸くします。

「影武者です。よく似ているでしょう?」

 と、一人が言いましたが、答えた男が本物かは定かではありません。

「まるで瓜二つ・・・・・・いや瓜三つやないか」

 官職の男は感心します。

「さすがじゃ。お前は隙がないのう。そういうお前を見込んでの、近々都からの書状が届くことになるであろ。今日はそのことを伝えに参ったのよ」
「それはわざわざお運びありがとうございます。どのようなことですか」
「悪い話やない。むしろでかい話や。うまくやれば一国一城も夢やない。まあ飲め」

 官職の男が酒を勧めます。

「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」

 三人は同時に杯を前に出しました。
 酒が注がれると同時にぐびぐびと飲み干しました。
 それに続くように男の部下やその妻達がやってきて次々に三人に酒を勧めました。
 三人は勧められるままに浴びるように酒を飲みます。
 しまいにはすっかり酔っ払ってしまい、ちどりあしで自室にもどってゆきました。

 化けくらべの勝負がついたのはその翌朝でした。



「あっ」

 と、一番先に起きた本物の男が声を上げました。
 どんなにそっくりに変じようともさすがに酒の強さまでは、化かすことは出来なかったようで、自分の目の前に二日酔いの二人の男が寝転んでいます。
 そうしてそのうちの一人の尻の上から金色の長い尻尾が一尾、出ていたのであります。
 それは間違いなく九尾狐の尻尾でありました。

「勝負あり。お前の勝ちだ」

 男が黒い狐のほうに言いました。
 男の声で目を覚ました九尾狐は自らの尻尾を見、潔く負けを認めました。



「おい見ろよ」
「ああ」
「お頭が減った」
「ああ、三人から二人に減った」

 部下達は口々にそう言いました。

「だがややこしいな」
「そうだな。まだややこしい」

 そう言って彼らはため息をつきました。
 ややこしい日々はもうしばらく続きそうです。

「よくぞ酒に酔っても正体を現さなかった」

 お頭は悪狐を褒めました。そうして、

「だがもう少し酒に強くならないとな」

 と注文をつけました。
 そんな彼らの様子を九尾狐の不知火はしばし見ておりましたが、やがて背中を向けるとあてもなく旅立ったのであります。
 敗者は去るのみであると考えたのでありましょう。
 しかしながら道中彼はしばらくぶつぶつ言っておりました。

「なぜ負けたのだ。化ける力も演技も互角だった。あいつも俺も酒に酔っていた。だが負けたのは俺だ。一体俺に何が足りなかったというのだ」

 潔く負けを認めはしたものの、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。
 しかし、ちょうど沼地に差し掛かった時のことです。
 彼は唐突に笑い出しました。

「くくく、そうか、そうか」

 九尾狐の目に映ったのは水面に映った自身の姿。
 九本の尾でありました。

「なるほど、なるほど、最初から俺には勝てる道理がなかったのだ」

 そう言って彼が振り返るのは、初めて黒い狐を目にした時のことでした。
 そして続けざまにこのように呟いたのでありました。

「なぜなら黒狐は決して尻尾を出さんからだ。そもそも尻尾がないからなぁ」


  [No.330] 詠み人知らず 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:28:20   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■豊縁昔語――詠み人知らず


 昔むかし、秋津国の南、豊縁と呼ばれる土地には異なる色の大きな都が二つございました。
 二つの都に住む人々はお互いに大変仲が悪うございました。
 彼らはそれぞれ自分達の色、信仰こそが正統だと考えておりました。
 今回はその二つの都のうちの一つ、青の都に住む一人の女の話をすることに致しましょう。

 その女は今の時代では貴族などと呼ばれる身分でありました。
 齢は四十と五十の間くらいでありましょうか。
 蓮見小町などと呼ばれた昔の彼女は美人だと有名でした。
 若い頃などは都の様々なものが、彼女を一目見ようと足繁く通ったものです。
 しかしやはり歳や老いに勝つことは出来ませんでした。
 今や長い髪には多くの白が混じり、肌の張りはなくなり、顔にはすっかりしわが増えてきたその女にはもはや言い寄るものは誰もおりませんでした。
 夫はおりますけれど、若い娘の宮に通うのに夢中です。
 彼女には見向きもしませんでした。

 そんな彼女の唯一の楽しみは時折開かれる歌会でございました。
 夜に集まった高貴な身分の人々は西と東にわかれ、東西一人ずつがそれぞれの五七五七七の歌を詠んでその出来栄えを競い合うのです。
 見目の美しさは歳を追うごとに色あせます。
 けれど和歌ならばどんなに歳をとっても、美しさで負けることはありません。
 歌ならば彼女はほとんど負けたことがありませんでした。
 季節の歌、恋の歌……歌会に出されるあらゆる題を彼女は詠ってまいりました。

「ふうむ、ハスミどのの勝ちじゃ」

 このように審判が言うと彼女の胸はすっといたします。
 自分に見向きもしない男達、若くて美しい女達もこの時ばかりは悔しそうな顔をします。
 そんな者達を和歌で負かして彼女は気晴らしをしていたのでした。
 全員が歌を詠み、甲乙がつきますと、歌会の主催である位の高い男が今日出た歌の総評を述べました。
 そうして、次に催される歌の題お発表いたしました。

「次は水面(みなも)という題でやろうと思う。十日後の今日と同じ時間に屋敷に集まるよう」

 こうして貴族達は次の題目のことを頭に浮かべながら帰路についたのでございます。

 ハスミはさっそく次の題で和歌を考え始めました。
 和歌の得意な彼女は一日、二日で題の歌を作ってしまいます。
 書き物をしながら、散策をしながら、題目のことに思いを馳せます。
 すると少しずつ何かが溜まりはじめるのです。
 彼女はその何かを水と呼んでおりました。それが溜まると和歌ができるのだといいます。
 よい和歌と云うのは、まるで庭にある添水(そうず)の竹の筒が流れ落ちる水を蓄え、ある重さに達したときのようにカラーンと澄んだ音と共に水を落とすように、彼女の中に落ちてくるのであります。
 彼女はいつものように水が溜まるのを待っておりました。
 ですが今回は何かが変でした。
 まるで何日も雨の降らない日照りの日でも続いたかのように彼女の中に水が溜まらないのです。
 どこかに穴があいているのか、それとも渇いてしまうのか、理由はよくわからないのですが、一向に和歌が降ってくる気配がございません。
 いつもなら一日二日で出来てしまうものが三日、四日経っても出来てこないのです。
 彼女は心配になって参りました。

「ハスミどの、歌会に出す歌は出来ましたかな」

 近所に住む貴族が尋ねます。

「ええ、もちろんですわ」

 つい強がってそのように答えましたが、彼女の中で焦燥は募るばかりです。
 困ったことに五日経っても、六日経っても歌が出来ないままでありました。

「ああ困ったわ。歌が出来ない」

 と、彼女は嘆きました。
 貴族の中にはあまり歌が得意でない者もおりまして、秀でたものに依頼などしているものもおりましたが、ずっと自作を通してきてそのようなものを必要としなかった彼女にはそんなあてもございません。
 しかしそうこうしているうちにも日は過ぎて参ります。
 そうして、八日が過ぎようとしたころです。

「ハスミどの、あなた様の相手が決まりましてございます」

 と、使いのものが来て言いました。
「誰ですの」と、ハスミが尋ねますと、「レンゲどのです」と、使いのものが答えました。
 彼女は絶句いたしました。
 その名前は夫が足繁く通っている宮に住む若い女の名前だったからです。
 負けたくない!
 絶対に負けたくない!
 と、彼女は強く念じました。
 けれどまだ歌ができません。

「わかっているわ。もう昔のように若さでも、美しさでも勝てやしない。歌を作るのよ、私にはもう歌しかないのだから……」

 と彼女は自分に言い聞かせました。
 けれどそうこうしている間に九日目になりました。
 ハスミはぶつぶつと呟きながら、お付のもの一人つけずに屋敷を出てゆきました。

「お願いします。どうか私に歌を授けてください。あの女に負けない歌を」

 困った時の神頼みと申します。
 彼女は都外れに静かに佇む、古ぼけた小さな社に供物を捧げると願をかけました。
 都の中央には海王神宮と呼ばれる都人達が多く参拝する立派な神社がありまして、神様の力で言うなら、そちらがよかったのかもしれません。
 けれどこんな願いをかけるところを人に見られたくありませんでした。
 ですからハスミは人知れずひっそりと佇むその社に赴き、願をかけたのでした。
 石碑に刻まれた名は擦れて読むことができません。
 それでも、人も来ず寂れていようとも、社そのものが壊されていないところを見るとおそらくは中央の神宮に祀られた海王様の眷属なのでしょう。
 気がつけば空は大分暗くなっておりました。
 道を見失う前に帰らなければ、と彼女は思いました。
 しかし、日が沈むより早く暗い雨雲が空を覆い、ぽつぽつと雨が降り出します。
 あたりはすっかりと暗くなってしまいました。
 それでもなんとか道を確認しながら彼女は都への帰路を急ぎました。

「水面、水面……水面の歌……」

 その間にも彼女はずっと歌の題を唱えておりました。
 そうして、都の門近くにある蓮の花の咲く大きな池の橋を彼女が渡っている時のことでした。
 どこからか低い声が聞こえたのでございます。

『ハスミどの、ハスミどの』

 ハスミは驚いて振り返ります。けれど彼女の後ろには誰も見えません。
 橋の向こうは暗く、ただ橋の上に雨の落ちる音が聞こえるだけです。
 するとふたたびどこからか低い声が聞こえてまいりました。

『水芙蓉 咲き乱れるは さうざうし うるはし君を 隠す蚊帳なり』

 ぽつぽつと雨音が響く中、低い声が呟いたのは歌でした。
 五と七と五七七の歌でありました。



 そうして十日目の夜に彼女は詠みました。
 結局それ以上の歌を作ることができなかった彼女は、あの雨の夜に聴こえた五七五七七の歌を詠んだのでございます。
 審判は即座にハスミに勝ちを言い渡しました。
 正面に見えるのは若い女の悔しそうな顔。
 ハスミはほっと胸を撫で下ろしました。

 前々から歌がうまいと言われていたハスミでしたが、これを機とし、彼女はますます歌人としての評判を高めたと伝えられています。
 水芙蓉の歌に端を発し、彼女は歌の世界は大きく広がった。
 瑞々しい女性の感性に、季節の彩(いろどり)と、あらゆる場所からの視点、懐かしさが合わさってより豊かなものになった、と。
 後の世で札遊びの歌を選んだとある歌人はそのように論じています。
 
 ハスミはより多くの歌会へ招かれて、より多くの歌を詠みました。
 幾度と無く彼女の勝ちが告げられました。
 歌会で彼女と当たったらどんな歌人も絶対に勝てない。
 都の貴族はそのように噂し、歌会で彼女と当たることを恐れたといいます。
 彼女は十年、二十年と歌を詠み続けました。




 さて、このようにして歌人としての地位を欲しいままにしてきたハスミでありましたが、やはり老いには勝てませんでした。
 ますます寄る年波はや彼女の身体を衰えさせていきました。
 すべての髪の毛がすっかり白くなってしまい、腰を悪くしたハスミは、やがて歌会にも顔を出さなくなりました。
 そのうちに彼女の夫が亡くなりました。
 彼女は都外れの粗末な庵に隠居いたしまして、時に和歌を作って欲しいという依頼を受けながら、ひっそりと余生を過ごしたのであります。
 そんなハスミのもとに時折尋ねてくる男がありました。

「サダイエ様がお見えになりました」

 と、下女が言いますと「お通しして」とハスミが答えます。
 すると襖が開けられて、烏帽子姿の男が入ってまいりました。

「これはサダイエどの、またいらしてくれたのですね。いつもこのような出迎えでごめんなさいね」

 下半身を布団に埋めて、半身だけ起き上がったハスミが申し訳なさそうに言います。

「いいえ」

 と、男は答えました。
 齢はハスミの二、三十ほど下でありましょうか。
 王宮仕えの歌人として、また歌の選者としても名を知られる男でした。
 最近は御所に住む大王(おおきみ)の命で、古今の歌をまとめたばかりなのです。

「噂はお聞きしましたわ。なんでも私の歌をまとめてくださるとか」
「おやおや、お耳が早いですなぁ」

 新進気鋭の歌人は笑います。
 
「ハスミどのは私の憧れです。どんな題を与えられても一級品、歌会では負けなし、もしすべての勝負事が歌で片付くのならば、今頃はあなた様が豊縁を一つにしておりましょう。私はハスミどのような歌人になりたくて研鑽を重ねて参りました」
「まあ、お上手ですこと」

 と、ハスミも微笑み返します。

「ご謙遜を。それに私は嬉しいのです。あなたの歌をまとめられることが」

 若き歌人は本当に嬉しそうに語りました。

「ご存知なら話が早い。今日はそのことで相談に参りました。和歌集にはそれに相応しい表題がなければなりませんからね。どのようなものがいいかと思いまして」
「そうねぇ……」

 ハスミは庵の外を眺めてしばし思案を致しました。
 彼女の部屋からは大きな池が見えます。
 蓮の花が点々と浮かんでおりました。
 この庵自体が池に片足を突っ込むような形で立っておりまして、彼女の部屋は池の上にあったのです。

「こんなのはどうかしら。……"詠み人知らず"というのは」

 しばらくの思案の後に彼女はそう答えました。

「よ、詠み人知らずでございますか?」

 若き歌人は目を丸くして聞き返しました。
 詠み人知らずというのは、作者不詳という意味です。
 記録が残っておらず、和歌の作者がわからない歌には、詠み人知らずと記されるのです。
 ですから自分の和歌集に詠み人知らずという表題をつけたいというのでは、男が不思議がるのも無理はありません。

「サダイエどの、あなたは以前に私の歌を評してこう言ったことがありましたね。私の歌には瑞々しさがあった。その後に季節の彩、あらゆる場所からの視点、懐かしさが合わさって、より豊かなものになった、と」
「ええ」
「そうして、こうもおっしゃいました。私の歌の世界が広がったのは、水芙蓉の歌以降である、と。さすがはサダイエどのです。大王もが認める歌人だけのことはございます」

 仕方が無いわねぇとでも言うように彼女は微笑みました。
 そしてこのように続けました。

「その通りですわ。だって水芙蓉の歌以降、私の名で詠われた歌の半分は別の方が作ったのですもの」
「……なんですって」
「別に驚くようなことではございませんでしょう。作者が別にいたなんていうことはこの世界にはよくあることです。あなたも薄々感づいていたのではなくて?」

 ぐっと男は唸りました。
 この年老いた女歌人にもう何もかも見透かされたような気がいたしました。
 彼も本当は知りたかったのかもしれません。

「……たしかに、考えなかったことがなかったわけではありません。……しかし、それなら誰だと言うのです。私は知りません。あなた様の代わりに歌を作れるような歌人にとんと心当たりがございません」
「ご存知ないのは無理もございません。その歌人は人ではありませんもの」

 ハスミは隠すでもなくさらりと言いました。
 彼女もうこの世に留まっていられる時間がそう長くないと知っていました。
 ですから遺言の代わりになどと考えたのかもしれません。

「私も姿を見たことはありませんの」

 と、彼女は言いました。
 そうして打ち明け話がはじまったのでございます。


 二十年程前、あなた様もご存知の通り、歌会で水面という歌の題が出されました。
 そのときに私、歌を作ることができませんでしたの。
 はじめてでしたわ。まるで枯れてしまった泉のように、まったく水が溜まらないのです。
 けれど、相手は夫が通う宮の憎い女。
 私は絶対に負けたくなくて、都の外れにある小さな社の神様に願をかけました。
 歌が欲しい、あの女に負けない歌を授けてほしい、と。
 その帰り道のことです。北門の池をまたぐ橋にさしかかった時に誰かが歌を詠んだのです。
 それが水芙蓉の歌でした。
 その歌で私は勝つことができたのです。

 けれども私にも歌人としての誇りがございます。
 自分以外の作った歌を使うのはこれきりにしようと思って、社へは近づかないようにしておりました。
 その後の何回かは自分で歌を作りましたわ。
 もう水が溜まらないなんていうこともありませんでした。私は自力で作り続けることが出来たのです。

 でも、十の歌会を経て、十の題をこなしたときに、私はふと思ったのです。
 あのすばらしい歌を詠んだ歌人ならこの題をどう表すのだろうかと。
 私は声の聞こえた橋に行きました。
 そうして、さきほど歌会で披露したばかりの五七五七七の歌をもって姿見えぬ歌人に呼びかけたのです。
 返歌はすぐに返って参りました。
 すばらしい出来栄えでした。

「近くにいらっしゃるのでしょう。どうか姿を見せてください」

 私はそのように呼びかけましたが、姿は見えません。
 かわりにまた声が聞こえて参りました。

『貴女にお見せできるような容姿ではないのです』

 よくよく聞けばそれは私の足元から聞こえてくるようでした。
 私ははっとして橋の下を見ましたわ。
 けれど気がつきました。橋の下にあるのは池の濁った水ばかりだということに。
 するとまた声が聞こえました。

『私は人にあらず。水底に棲まう者なのです』

 驚きました。
 歌人は水に棲む者だったのです。

『ハスミどの。貴女が小さかった頃から私は貴女を知っています。二十を数えた頃の貴女はそれは美しかった』

 そう水に棲む歌人は言いました。そして語り出しました。
 私はこの土地が草原と湿地ばかりだった頃からここに住んでいる、と。

 あの頃の虫や魚や鳥、獣たちはは皆、人の言葉を操ることが出来た。
 私達は十日に一度は歌会を開き、その出来栄えを競いあった。
 だがこの地に都が建造されはじめた頃からか、だんだん何かがおかしくなっていった。
 次第に獣達は言葉を失っていった。
 はじめに話さなくなったのは虫達だった。
 それは鳥、魚へと広がっていった。
 親の世代で言の葉を操れた者達も、子は話すことが出来なかった。
 私達の子ども達も同じだった。彼らが言葉を発すことはついぞなかった。
 かろうじて言葉を繋いだ獣達も都が出来る頃にはどこか別の場所へ去っていった……。
 それはちょうど二の国が争って、各地で人による神狩りがはじまった時期と一致していた。知ったのはずいぶんと後になってからだったが。
 それでもその頃はまだよかった。
 私の社は青の下、同属のよしみで破壊を免れたし、水の中の友人達も健在だったからだ。
 私達は言葉を発し、歌を作ることが出来た。
 だが時は少しずつ奪っていった。
 言葉交わせる友人達も一人、また一人と声届かぬ場所へ旅立っていった。
 私は最後の一人。
 この土地の水に棲む者の中で人と同じ言葉を発し、歌を詠める最後の一人なのだ。

「けれど水の歌人は人を恨んではおりませんでしたわ。これはこの世の大きな流れなのだと、彼は云ったのです。多くの神々君臨する旧い時代が終わって、新しい時代がくるだけのことなのだと。自分はその変化の時に居合わせた。ただあるがままを受け入れよう、と」

 けれど私にはわかりましたわ。
 水に棲む歌人の哀しみが。
 まだ若くて美しかった頃、多くの男たちが私のところにやってきました。
 けれど年月はすべてを奪ってゆきました。
 私は次第に省みられることがなくなって、夫にも見捨てられ一人になっていった。
 私は見たのです。
 水の歌人の境遇の中に自分の姿を見たのです。
 私達は共に去りゆく者、忘れられてゆく者なのです。

「それからというもの、私は会の前の晩になると水の歌人と言葉を交わすようになりました。歌会の題でお互いに歌を詠い、よりよいと決めたほうを次の晩の歌会に出したのです」

 水の歌人はたくさんの歌を知っていました。
 自分が若い頃に作った歌、水に棲んでいた友人達の歌、空や野の向こうに去っていった鳥や獣がかつて詠んだという季節とりどりの歌を教えてくれたこともありました。

「だから私の詠んだ歌は誰にも負けませんでした。私の立つ橋の下には水の歌人を含めた何人もの詠み手がいたのですもの。たかだか三十や四十を生きた人間一人には負ける道理がないのです」

 そこまで云うとハスミは身体を横たえました。
 上を見上げると若き歌人が沸いてくる言葉を整理しかねています。

「ふふふ、ついしゃべりすぎてしまいましたね。今の話を信じるも信じないのもあなたの自由です。和歌集の表題のこと、無理に頭に入れろとは申しませんわ。けれど差支えが無いのなら、その烏帽子の中にでも入れて置いてくださいませ」

 そうして、彼女は布団をかぶり目を閉じたのでありました。



 サダイエのもとに訃報が届いたのはその数日後でした。
 世話をしていたものによれば、ハスミの死に顔はもう言い残すことがないというように穏やかなものだったといいます。

 しかし、奇怪なのはその後でした。
 ハスミの亡骸は人の墓に入ることはありませんでした。
 葬列に加わるはずだったその亡骸は、都を少しばかり揺らした小さな地震によって、庵と部屋ごと崩れて池の中へと投げ出されたのだというのです。
 やがて庵の廃材は浮かんできましたが、ハスミの亡骸が浮かんでくることはありませんでした。



「ハスミどの、あなたは水の歌人のもとへ行かれたのだろうか……?」

 サダイエは出来上がった和歌集のうちの一冊に石をくくりつけ、かつて庵のあった池の底へと沈めました。
 歌集はほの暗い水の底へ沈んで、すぐに見えなくなりました。
 そのとき、

「おや?」

 と、サダイエは呟きました。
 すうっと、何か大きな影が水の中を横切ったのが見えたのです。
 影には長い長い二本の髭が生えているように見えました。団扇のような形をした尾びれが揺れ、そして水底に消えました。

 ……今のは、今横切った魚は大鯰(おおなまず)であろうか。

 そのように彼の目には映りましたが、はっきりとはしませんでした。
 歌集を沈めた時の波紋が、まだわずかに揺らめいておりました。



 それは昔むかしのことです。
 まだ獣達が人と言葉交わすことが出来た頃のお話でございます。










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 水芙蓉 咲き乱れるは さうざうし うるはし君を 隠す蚊帳なり


意味:水芙蓉、すなわち蓮の花がたくさん咲くというのは寂しいものだ。咲きすぎた蓮の花は、水面に映る美しい貴女の顔を覆い隠す蚊帳となってしまうのだから。


  [No.331] 母の形見 投稿者:No.017   投稿日:2011/05/02(Mon) 21:30:52   63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

■母の形見


「あなたの子は長生きできないでしょう」

 易者はそのように預言いたしました。
 胸に赤い石を抱いた白装束の精霊を連れたその易者の預言はよく当たるのです。
 易者は予言いたしました。
 あなたの子は七を数えないうちに、死ぬだろうと予言したのであります。

 それを聞いた母親は、血なまこで探しました。
 我が子の運命を回避する方法を懸命に探したのです。
 彼女はあらゆる易者や術者、陰陽師の類を訪ね歩きました。
 母親というものは腹を痛めて産んだ子供の為だったら何だってやるのです。

 幾月かの後、何十もの術者を訪ね歩いた後に彼女は一つの手がかりを得ることが出来ました。
 術者の一人がそういったまじないを扱える者を知っているというのです。

「だがあの男か。あの男はやめたほうがいい」

 女が教えを請うと術者はそのように渋りました。
 けれど、我が子の運命がかかっているのですから、女は答えを求めました。
 とうとう母親の気迫に負けた術者は"男"の居場所を教えてやったのでした。



 "男"は都のはずれのほうにある古い屋敷に住んでおりました。
 女を出迎えた男は真新しくはないものの美しい衣を羽織っており、まるで陽の下に出たことがないように白い肌をしております。

「さあ、こちらへ」

 と、白い手が女を招きます。
 男はだいたいのことを察しているようでした。

 屋敷は暗くじめじめとしています。
 男の後ろについて、ぎしぎしと音を立てながら廊下を渡ってくと、時折くすくすと子供の笑い声のようなものが聞こえました。
 振り返って声の方向を見るのですが何もいません。
 女は何かいますよとでも言いたげに男の背中を見ましたが、男はまるで気にかける様子がありませんでした。
 男のことを教えてくれた易者が言うように、たしかにやめておいたほうがよかったのかもしれないと、女は少し後悔しました。
 けれどここまで来たら引き返せません。何より我が子の為です。引き返すつもりもありませんでした。

 男は屋敷の奥に女を案内すると古びた箪笥から、何かを取り出しました。
 それは何かの形をかたどった紙でした。

「これはヒトガタと呼ばれるものに私の師匠が独自のまじないをかけたもの。そのまじないを今は私が受け継いでいるのです」

 と、男は言いました。

「この十枚の紙にあなたの子の血を二、三滴ずつ吸わせなさい。そうしたら、そのうちの何枚かの色が変わって浮かんできます。それがあなたの子が七になるまでに降りかかる災厄の数なのです。浮かんできたヒトガタはあなたの子の代わりに災厄を引き受けてくれます。役目を終えると元の姿に戻ります」

 女の前に紙を並べて男は続けました。
 子供というのは七つになるまでは神様の子であると言われています。
 七つになるということが真に人になるということであり、ひとつの区切りなのであります。
 七つを超えたならきっと子も健やかに育つことでありましょう。

「十のうち浮かびあがってこなかった分は私のところに持ってくるよう。しかるべき方法で処分するようにいたしますので」

 女は丁重に礼を述べて、安堵したように十の紙を手に取りました。


 女は家に戻りますと、我が子の指の平を切って、そこから流れ出る血をヒトガタに吸わせました。
 子どもは泣きましたが致し方ありません。
 するとどうでしょう、血を吸った十のヒトガタのうち、六枚ほどの色がみるみるうちに紫色へと染まってゆきました。
 紫色に染まった紙はぐぐっと猫背になって起き上がると、ぷうっとふくれます。
 それは、頭と胴を持っていて、頭は丸く、胴は衣のようにひらひらと揺れております。
 丸い頭に二つほど切れ目が入ったかと思うと、頭上ににょきりと角が生えぱっちりと目が開きました。
 瞳の色は三色に輝いておりました。
 我が子の血を吸って生まれたそれは、それは飽咋(あきぐい)と呼ばれる者の姿をしておりました。



「驚かれましたか」

 翌日になり、浮かび上がってこなかったヒトガタを返しにきた女に男は尋ねました。
「少し」と、女は返します。

「獣や精霊たちが使う技に"身代わり"と呼ばれるものがあります。自身の持つ力の一部を分け与えることによって、自らの分身を作り出す……あの飽咋たちはそういう存在です。役目を終えるまではどうかかわいがってやってください」

 男は血の染みたヒトガタを四枚受け取ると、そのように語りました。

「ところで……ひとつつかぬことをお伺いしますが」

 女の顔をじっと見て男が言いました。

「前に一度どこかでお会いしたことはありませんか?」

 女はきょとんとします。
 彼女が男の屋敷に訪ねるのは、ヒトガタを受け取った時がはじめてのはずでしたから。
 ですから当然「いいえ」と、女は答えました。

「……気のせいですかね。いや、変なことをお伺いしてすみませんでした」

 女の返事を受けて、男はそのように答えました。




 幾年かが流れました。
 ヒトガタを作った女の子供はすくすくと育ちました。
 その間に六匹いた飽咋が、一匹、二匹と減っていきました。
 減った飽咋は皆、家のどこかにはらりと元のヒトガタとなって落ちていました。
 ヒトガタの中心にはうっすらと茶色い跡。
 そうして必ずどこかが、破れていました。

「ありがとう」

 女はそのように呟いて、合掌するとヒトガタを拾い上げ、小さな木箱に納めました。
 これでこうするのは五回目です。

「ねえ、ゴロウはどこに行っちゃったの?」

 いなくなった飽咋の事を子供が尋ねてきます。

「ゴロウはね、お山に帰っていったんだよ」

 そのように彼女が言うと子どもはわかったような、わからないような顔をしました。

「じゃあ、ロクロウも? そのうちお山に帰っちゃうの?」
「そうよ。だからそれまでロクロウをかわいがってあげるのよ」
「ロクロウもいなくなっちゃうの?」

 となりでふよふよと浮かぶ飽咋を見て子供が言います。
 ロクロウと呼ばれた飽咋は首をかしげました。

「だめだよ。ロクロウは一緒にいるの! ロクロウは行かないよね、ずっと一緒に居てくれるよね?」

 子供が問いかけます。
 六番目のロクロウはちょっと困った顔をしました。
 たぶん、自分の運命を知っているからでしょう。


 それから間もなくのことです。
 女の子供が七つになろうとするほんの前、少し離れたところに住んでいる女の母親が亡くなったとの知らせが届きました。
 女はおおいに悲しみましたが、一方で葬儀をつつがなく執り行いました。
 仕事もありますし、子もいます。
 泣いてばかりはいられませんでした。

 葬儀が終わると、遺品の整理と形見分けが行われました。
 女は母の遺品のうちいくつかを引き取ることになりました。
 品を手に取り思い出に浸っていると、僧侶がやってきて言いました。

「このたびは誠にご愁傷様でございました」
「ご丁重に恐れ入ります」

 と女は答えます。
 すると僧侶が懐から何かを取り出して女の前に差し出したのです。

「実は生前、お母様から頼まれておりまして。自分が旅立ったら、娘に渡して欲しいと言われ、ずっとお預かりしておりました」

 女は驚きます。僧侶から手渡されたのは小さな木箱でした。
 木箱の紐を解いて蓋を開くと女はさらに驚愕いたしました。

 中に入っていたのは、何かの形を象った紙が何枚か入っていたのです。
 その中心には茶色いしみ。紙はどこかが必ず破れておりました。
 それは、間違いなくヒトガタでした。
 しかも自身があの男から譲ってもらったのとまったく同じヒトガタだったのです。

 女は震えた手でヒトガタを手にとりました。
 すると木箱の底には手紙が沿えてあることに気がつきました。
 母が娘にあてたものでした。


 娘へ

 あなたがこれを読んでいるということはもう私はこの世にはいないのでしょう。
 今、手紙と一緒に添えられているものはあなたのヒトガタです。
 あなたが生まれたとき、あなたは七つまで生きられないと言われました。
 だから私は術者に頼んで、まじないをかけました。
 術者から貰ったヒトガタにあなたの血を染み込ませて、六匹の飽咋という身代わりを作ったのです。
 身代わりはあなたの目の届かないところで災厄をその身に引き受けました。
 そうして元のヒトガタに戻っていきました。
 あなたは飽咋たちをとてもかわいがっていましたから、私は飽咋たちがいなくなる度に彼らが山へ帰ったのだといって慰めたのです。
 けれども最後の六匹目の時に思わぬ事態が待っていました。
 あなたの目の前で、六匹目がヒトガタに戻ってしまったのです。
 貴方は一晩中泣きましたが、泣き止みませんでした。
 困り果てた私は、貴方を術者のところに連れて行ったのです――

 ヒトガタを作った術者には一人の弟子がおりました。
 その弟子はヒトガタと人の血から作ったのではない、本当の飽咋をたくさん飼っていたのです。
 彼はあなたの悲しい負の感情をみんな飽咋に食べさせてしまいました。
 だからあなたはこのことを全く覚えていないでしょうが……


 女はすべてを理解しました。
 すべてが一つに繋がったのがわかりました。
 気がつけば彼女はヒトガタをくれたあの男の言葉を反芻しておりました。

『前に一度どこかでお会いしたことはありませんか?』

 だからあの男はあんなことを尋ねたのだ。
 女はやっと理解いたしました。
 手紙にある弟子こそが、あの男だったと理解したのです。



 数日の後、彼女は母の形見を男のもとに返しにいきました。
 男はすべてわかっていたかのようにそれを受け取りました。

「そういえば、息子さんはそろそろ七つになるのではないですか。六匹目がヒトガタに戻る日も近いでしょう」

 と、男は言いました。

「うまくやってください。そうしないと結構大変なことになりますから」

 女はわかっている、と返事を致しました。

「尤も私はどちらでもいいですけれど。万一の時はいらっしゃい。屋敷にいる子達も待っていますから」

 男はそう言って冷たい笑みを浮かべました。
 すると男の後ろに立つじめじめとした屋敷の中からくすくす、くすくすと無数の笑い声が不気味に響いてくるのが聞こえてきたのでした。