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  [No.616] ことばの名前 投稿者:SB   投稿日:2011/07/31(Sun) 11:02:21   39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

SBと言います。
第一回ポケモンストーリーコンテストに出させていただいた処女作「時計草」の続編と言うことで、長編を書かせていただきました。

長編とは言いつつ、読みやすさも考慮してなるべく一話完結にしたいなぁとは思ってますが、どうなるのか最近自分でもよくわかりません……。

楽しんでいただければ、幸いです。


【描いていいのよ】【批評していいのよ】


  [No.617] 第1話 時計草 投稿者:SB   投稿日:2011/07/31(Sun) 11:22:03   45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





時計草




 木々が密に生い茂る山中を、バスはのろのろ進んでいく。湿った油のにおいとポケモンたちの体臭がまじりあう独特の空気の中、会社から渡された膨大な空間情報の処理が、いまさっき終わった。
 長椅子の半分を占領する大きなしっぽがゆらゆらと動いている。膝の上で眠っているキュウコンを起こさないよう注意しながら、そっと窓の外へ視線をやった。
 窓ガラスに手を伸ばしてみるけれど、建てつけが悪いのか開かない。手を離したら、ガタンと小さな音がした。

    ◇

 向こうの世界とこっちの世界がつながったのは、30年も前の話になるらしい。
 今もってこっち世界とあっちの世界の科学的、あるいは哲学的な折り合いをつけようと頑張っている人たちがいる。量子物理学の概念を応用した多世界解釈などの議論を、主に向こう側の人が展開しているらしい。ある人は、こっちの世界は実は存在しておらず、人間の思念が作り上げた虚構の世界だと主張しているのだとか。けれども、ほとんどの人たちはそんな小難しいこと気にもせず「あるものは、ある」と思っているようだ。結局のところ、この世界の住人は、だれもこの世界のことを知らない。
 とはいえ、「向こう側」からすると、ニュートン力学に縛られることの無いこの世界の発見は、金のなる木を見つけたという感じだったと思う。自身の体積よりも多くの水を発射できるハイドロポンプや、正体不明の力で物を動かす念力、さらには質量保存の法則を無視できる「軽石」なる道具の存在を知って、心が浮き立たない人はいなかっただろう。
 しかし、ゼニガメを「向こう側」に持って帰っても水を発射することはできず、ただの愛玩動物になってしまうことが分かった。だから、この恩恵にあずかるためには移住しなければならない。そうして多くの人や機械や知識や概念といったものがこの世界へと移植され、発展を遂げた。

 “向こう”とつながる前の方がよかった、あの頃は本当によかった、と中年以降の人たちは皆言う。
 過去とは、足跡だと思う。「今」や「未来」があまりよく無いから、せめて自分はきれいな足跡を残せたんだと自慢したい。そういうことだと思う。
 「私も若いころは旅に出てたんだよ」お母さんが、昔そう言っていた。「私はミニスカートだったんだけど、友達はピンクの服を着て晴れてる時でもずっと傘をさしててね」と不思議な自慢をよくする。
 いまはほとんどの人が旅に出ない。ぼくの友達の中でも2人しか旅に出たやつはいなかったと思う。ぼくも町に住み続けている。
 能率主義というものの先に市場原理があって、旅をするとそのための学力というものが減ることになり、就職活動に悪影響を与えるというのが大方の理由だ。全く新しい方針を突如打ち出した会社に右往左往しているお父さんは「仕方ないよ」とぼくが旅に出ないことを認めてくれた。
 余った時間、ぼくはずっと数学の勉強をしていた。なんで数学なのかはわからなかったけれど、“向こう”から入ってきた最新理論ということで、お母さんも積極的に本を買ってくれたのだ。こんな時代だからね、と少しさみしげに。
 “向こう”に昔いたという小説家は、「船の上に居ても、船から落っこちても不幸」というようなことを言っていたらしい。今の時代に生きているのは不幸だが、今の時代から逃げ出そうとして現実逃避してもやはり不幸だという意味。
 じゃあ、打つ手は無いって? そんなこと言う人がなぜ歴史の教科書に載るほど有名になるんだろうか。諦めの精神をはぐくめって? 近頃は喜劇ばかりが流行るって? あの頃は良かったって? 見たことも無い世界を懐古しろって?
 無限級数の展開公式を膝の上に置いて、そんなことを考えている時に、炎姫と出会った。

    ◇

 大きなあくびをしてキュウコンが目を覚ます。「起こした?」と尋ねると、炎姫は首を横に振った。バッグの中からメモ用紙とパーカーの万年筆がひとりでに浮かび上がり、ぼくの顔の前で文字を紡ぐ。相変わらず便利な力だ。どうでもいいけれど、ぼくの使うボールペンは100均である。

『もう着きましたか?』

 きれいに整った楷書で、彼女はそう聞いた。このキュウコンは今年で198歳を迎えるのだそうで、人の言葉が分かる。炎姫という文字にすると少しはずかしいようなこの名前も、当人から聞いた。「ホノオヒメ」と最初読んでいたけれど、「エンキ」が正解らしい。

「もう、少し、かかるかも」

 言った途端にアナウンスがかかった。もうすぐ到着らしい。炎姫に腹をつつかれる。

 今回のバスツアーは、観光目的ではなかった。“向こう”の大手ポケモン養殖業者が、珍しいポケモンを捕獲するためにぼくらを集めたのだ。もっと具体的に言うと、セレビィを捕獲するために。
 “向こう”にはウナギなる生物がいるらしい。ドジョッチに似てより長く、食用にして美味とのことだ。そいつの数が減った時に、世界中(もちろん向こう側の)が躍起になって養殖技術というものを開発し、ウナギの絶滅を食い止めたのだと言う。だから個体数が極端に少ないセレビィのような種類も、捕獲して数を増やさなければならない、とそういうことらしい。
 ライコウとフリーザーに関しては繁殖技術が確立されているが、レジ系のポケモンは殖やし方が皆目わからないのだと教えられた。

「我が社はポケモンの権利を最重要視して個体数を増加させており、遺伝子組み換えといった危険なことはやっておりません。ご安心ください」
 ぼくの居た町で捕獲部隊を募る際、竹沢さんという40半ばの責任者らしい人がそう言っていた。何がポケモンのためになって、何がポケモンを苦しめているのか、ぼくにはわからない。無理やり子供を産ますことは、当人のためになるんだろうか。
 ぼく以外はほとんど「仕事で」ポケモンを捕獲しているプロだ。もちろんレベルは高いし、種族値の高いポケモンをさらに厳選して個体値の高い「優秀な」ポケモンだけをお供にしている。
 御年198歳の炎姫からすると邪道らしい。強いポケモン、弱いポケモン、そんなの人の勝手。大昔の偉大なポケモントレーナーがそう言っていたと、自慢げに言う。いや、書く。
 炎姫が生きた過去を、ぼくも生きてみたかった。
 それはともかく、一介のポケモントレーナーに過ぎない――さらにいうと、炎姫をモンスターボールに入れて「捕獲」したことが無いので、厳密に言うとトレーナーですらない――ぼくが、なぜこの場に居て就職活動(インターンシップ?)ができているかというと、数学のお陰だった。

    ◇

 突然訪れた道の突き当たり、セレビィの住む森の入口でバスは停車した。木がよりうっそうと茂っている。ここからは歩きらしい。帰りに備えてか、運転手が車をUターンさせた。

「キセノン君、ちょっといいかな」

 バスを降りると、山本さんという竹沢さんのお付きみたいな太った人がやってきて、目の前で立ち止まる。
ぼくはバッグからメモリーを取り出して彼に渡す。

「見せてくれるか」

 タイトという名前の若いプロの捕獲屋もこっちに寄ってきた。
 山本さんと一瞬目配せして、今回支給されたインテル・マルチコアプロセッサ搭載の最新ノートを立ち上げる。合計12人いる今回の捕獲メンバーも、ぞろぞろと集まってきた。
 計算結果を見せる。

「マルコフ連鎖モンテカルロ法を用いた階層ベイズモデリングを実施しました。こっちの記号が環境条件。こっちの数字は、環境条件という情報が加わった際の事後確率分布――分かりにくかったらセレビィが出現する確率って考えてもらって結構です――を表しています。GISを使って地図の形式にしたのがこちらです」

 今の説明でわかったのかわかって無いのかはわからないけれど、皆「うーむ」とうなった。タイトさんだけ「ほう」とつぶやく。
「要はこの数字が大きい場所で見張ってりゃいいんだな」
 タイトさんがそう言った。ぼくは頷く。

「業者に任せると高いんだ。助かったよ」

 山本さんが言った。「印刷して皆に渡すから、ちょっと待ってて」そう言って彼はよたよた走ってバスの中へと戻っていった。捕獲屋も三々五々と散っていく。ばたばたと足音がして、すこし土煙が出る。
 今も昔も世界のことは何も分からないけれど、今は昔と違って世界のことを計算できる。少し変かもしれないし、普通のことのようにも、思えた。
 何故かは知らないけれど、炎姫の体毛の感触が急にほしくなって、頭をなでた。

    ◇

 森の内部へと続く道にそって、風車がたくさん刺さっていた。右にも、左にも、等間隔に、ずっと。
 
「ありゃ時計草をモデルにしたらしいな」

 タイトさんがそう教えてくれた。この森の守り神であるセレビィへの敬意を表したものであるらしい。
 その敬意の対象を、ぼくらは今から捕まえる。
「お前も一応持っとけ」とタイトさんからハイパーボールを一つ渡された。旅のせいだろう。ボールを渡すその手は太く、硬かった。

「お前、なんでここに応募した」

 今度はタイトさんが尋ねる。お前はここに来そうなタイプじゃない。金以外のものが目当てだろう。
 図星だったので、困る。仕方ないから正直に話した。

「会いたかったんですよ。セレビィに」
「なんで」
「……未来のことを、教えてほしかったんです」

 そのまま船に乗り続けるか、あるいは、降りるか。
 過去は良くって、今はだめ。そんな「今」が未来になったらどうなるか、不安だから、知りたいから、知らなくちゃいけないから。
 悩んでいる時に炎姫に教えてもらった解決策が、セレビィだった。
 炎姫との出会いも含めて一息に話し終えると、タイトさんは「わかった」と、小さく言って大きくうなずく。

「しかし、200歳に近いキュウコンは、いまでは珍しい……」

 タイトさんが何か呟いている間に、そっと炎姫に聞いてみる。うまくいくのかなと。

『大丈夫』炎姫はそう続ける。
「大丈夫?」
『そう。どうせ、大丈夫』

    ◇

 宿泊場所に着いた。湖のほとりにある小さな広場にテントを張る。
 ぼくの仕事は実質終わったも同然で、あとは10歳のころから20年近く旅を続けているプロの人たちに任せていればいい。
 10歳のころから数学しかしていなかったぼくは、テントの中で寝ていればいい。
 でも、炎姫はそれを許してくれず、湖の周りを無理やり散歩させられた。

『天気もいいですから』
 
 炎姫がそう書いた途端に、雨が降ってきた。
 今度は炎姫の腹をつつく番かなと思って近づいたけれど、キュウコンは先々進んでいく。どうやら雨が降っても散歩はするつもりらしい。

    ◇

 与えられた期日は4泊5日。その間にセレビィを捕獲する。
 1時間ごとに気温・湿度・風向きの値を更新して、セレビィ出現予測を出す。椅子に座って何か書類を書いている竹沢さんに代わって、山本さんがせかせかと額に汗を浮かべて動き回り、データを配信する。
 セレビィはなかなか見つからないみたいだけれど、ストライクやヘラクロス、ガルーラといった珍しい――あるいは有用な――ポケモンも順次捕獲しているようだ。
 第一報は2日目の午前11時46分だった。出現確率が3番目に高い場所の17%地点、大樹のそばに現れた。捕獲屋の人がすかさず黒いまなざしをしたうえでハイパーボールを投げたけれど、捕まえられなかったらしい。
 第二報は同じく2日目の午後10時53分。出現確率はその時点で最も高かった28%の地点、祠の前。今度はタイトさんが見つけた。しかし、捕獲失敗。
 少なくともぼくの予報は役に立っているのだろう。皆そう思ってくれたようだ。
 翌朝、タイトさんが首をかしげていた。

「たしかにボールの中に入ったんだ」
 
 そう呟いている。同僚の捕獲屋は小馬鹿にしたように笑っていたけれど、彼は嘘をついていない。ぼくは、知っている。

    ◇

 3日目はハズレ。4日目もセレビィを見つけられないまま夜になった。明日が最終日だ。夕方4時にはバスが出る。
 竹沢さんは不満げな様子を隠しもせず、山本さんはずっとおろおろしている。少し、申し訳なく思う。
 なぜセレビィが捕まらないのか、ぼくは知っていた。
 テントに戻り、もう一度計算をやり直す。
 この世界にニュートン力学は通用しない。でも、次元の概念は、両方一緒だった。
 縦、横、高さで3次元。最後にもうひとつ、時間も加えて4次元。
 空間だけじゃない。時間も計算に入れるんだ。
 ぼくが本社からもらったデータは3次元空間情報だけだった。だから、捕獲屋に渡した解析結果には時間の単位軸が入っていない。セレビィがそこに見えるけれど、その時間に彼は存在していない。そんな「場所」ではいくらボールを投げても無駄だ。
 コンピューターが4次元空間上の計算結果をはじき出す。画面上の砂時計が落ち切ると、一瞬だけ確率が急激に増加した。午前2時11分から32分までの間、祠の前で。
 炎姫に向かって小さく呟く。
「今から、未来に会いに行くよ」

    ◇

―――それで、私の“場所”がわかったんだ。

 セレビィが、言った。テレパシーだった。頭の中に直接響く。

「うん」
 ぼくは頷く。

―――私をつかまえるの?

 ぼくは右ポケットのハイパーボールにそっと手をやる。
 でも、やめた。
 捕まえるために、あなたに会いに来たんじゃない。

「聞きたいことがあるんです。未来について」

 皆が言っている。私たちの残した足跡は、素晴らしいものだったと。
 炎姫は言っている。昔のトレーナーは素晴らしい人だったと。
 じゃあ、この「今」が作り出した足跡はどうなっているの? ぼくらの世代で未来が終わるなんてことは、あってほしく無いから。

―――あなたは、どんな未来になっていると思う?

「え……」

 実際、分からなかった。
 でも、昔みたいな良い未来になってくれれば、嬉しい。ダメな未来だと言われない未来になっていてほしい。そう答えた。
 突然セレビィは声をあげてケタケタと笑った。
 意味が分からなくって、セレビィを見つめる。
 一瞬静かになる。
 セレビィが、ぼくの顔を覗き込む。

―――教えてあげる。未来のあなたたちは、昔は良かったって、懐かしがってるよ。
    あなたが残念がっている「今」は、未来にとって大切な足跡だから。
 
 少し得意げに、セレビィはそう言った。
 ぼくがきょとんとしているのを見て、彼はニヤリと笑う。

「そう言うもの、ですか」

―――そういうもの、だね。

 セレビィはもう一度ニヤッと笑って、消えた。一瞬後にまた出てくる。小さな手には大きすぎる植木鉢を抱えていた。慌てて支えてやる。鉢には花が植わっており、白い花弁に時計の針のようなめしべが付いていた。

―――これ、あげる

 セレビィが言う。

―――これは時計草。姿かたちは変わるけれど、ちゃんと育てれば永遠に花を咲かせてくれるよ。こいつのことを忘れたりしなければ。

「ありがとう」

 言った瞬間、セレビィは消えた。
 時計の針は、午前2時32分を指していた。

「こうなるって、分かってた?」
 
 炎姫に尋ねる。198歳のキュウコンは『さぁ』とわざとらしくとぼけて見せた。

    ◇

 翌日、バスは定時に出発した。タイトさんが反応した以外、誰も時計草には気づかなかったようだ。誰からもらったというタイトさんの問いは、心の中で謝りながら、軽く流しておいた。「ほう」と彼が小さくつぶやく。
 バスの中で竹沢さんが、曰く、今回の成果ではストライクを含む希少種のポケモンが複数捕獲できたこと、セレビィが捕獲できなかったのは残念であるが、得た物は非常に大きく、感謝していること、町に着くにはバスであと二日ほどかかることなどを、マイクを使ってぼそぼそと話した。
 一通りの話が済むと、実家に電話した。あと二日ぐらいで、帰るよ。

「帰ってこなくていいよ」
 
 お母さんにそう言われた。捨てられたかと絶句する。爆笑されたのが癪である。

「旅に出て、もっと色んなところを見ておいで」

 それだけ言われた。うんと頷く。「炎姫もいいよね」と聞く。狐も同意した。

「あ、もちろん就活はそっちでやっててね」

 え、就活続けるの?
 痛いところを的確に突いた後で、母は静かに電話を切った。
 それにしてもバスの中は空気が悪い。ガラスの窓に手をやると、それは拍子抜けするほど簡単に開き、透明な空気がぼくらを包む。

    ◇

 当初の予定とは違う村だが、今日はここで夜を明かす。と竹沢さんがぶっきらぼうに告げる。何があったかは知らないけれど、出発直後と比べて非常に機嫌が悪い。新しい目的地が、もはや町とは言えない集落だったからかもしれない。皆外へわらわらと出ていく。

「明日、バスに乗らなくてもいいですか?」
 
 苛々と歩き回っている竹沢さんにそう尋ねる。かなり驚いたようで、この街から出るバスの本数が異様に少ないことなどを色々聞かされたけれど、別に拒否する理由も無いらしい。どうせ俺も乗れないしなと何かぶつぶつ言った後、お元気でと無感動にあいさつされた。
 タイトさんにも挨拶をした。何もかも知っているという風に「おう」と返事がきた。タイトさん、ありがとう。ぼくが言うと、彼は慌ててそっぽを向いた。いい人だと思う。
 村の小さなポケモンセンターに入り、チェックインを済ませる。

「旅の途中ですか?」
 
 女医さんにそう聞かれる。少し意外だった。今時ポケモンセンターは短い旅行に使うものになっていたからだ。

「このあたりでは、まだほとんどの子たちが10歳になると旅に出ていますよ」

 笑いながら、そう言われた。ふぅんと頷く。自分はこの年になってまだ旅に出たばかりだと言うと、やはりすこし笑いながら頑張ってくださいねと言う。

「その植木鉢はどうなさいます?」

 言われてみると、旅をするには邪魔そうに思える。ふと思いついて、実家に送ってもらうことにした。もう一度電話した時の親の声が少し震えていたのは、気付かないふりをしておいた。永遠に咲き続ける時計草だと伝えて電話を切る。
 転送装置の中へ吸い込まれるようにして、時計草は消えていった。

 過去とか足跡とか言われるものは、ずっと咲き続けるらしい。
 忘れない限り、永遠に。
 でも、水をやると新しい部分が生えてきて大きくなるらしい。とのことである。
 寝る前に、炎姫がそう言っていた。いや、書いていた。

――――――――――――――――――――――

第一回ポケモンストーリーコンテスト出展作
お題 足跡
一部改訂版


  [No.618] 第2話 蜻蛉の歌(上) 投稿者:SB   投稿日:2011/07/31(Sun) 11:51:15   53clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




蜻蛉の歌




 面接の極意は相手の目を見ることだそうだ。通称アイコンタクトである。
 そんな高等技術、まともな人間にできようはずが無い。できるのはニビジムのタケシさんだけであろう。代案として、相手の胸辺りを見るのがよいと本に記されていた。
 納得である。この秘伝の技を用いれば、相手はいとも簡単にぼくがアイコンタクトをしているものと錯覚するだろう。面接官からの評価はウナギ登りである。これはすなわちぼくの就活の終わりを意味し、栄光の未来への切符を手渡されたに等しい。
 ぼくならできる。いや、2階偏微分方程式を解くのに比べると楽勝だ。1:1の対話形式だからと言って恐れる必要は全くない。

 自信を持って面接室に入る。
 面接官は恐ろしく美人な女性であった。ぼくの自信は0へと速やかに収束する。恥ずかしくて胸を見ることができないのだ。顔が真っ赤になる。仕方なく、相手の鼻をじっと見つめる。

 相手が美人だったのを除けば、幸いにも事前に炎姫と打ち合わせた通りの進行だった。数学は控えめに自慢し、セレビィの件はやや脚色して説明する。最後にポケモン生態学会の最新ニュースを披露した上で、部屋の外で待っている狐に感謝しつつ、面接を終える。

「なかなか情報通でいらっしゃいますね。筆記試験の方もよい成績でしたし、勤勉なのですね」

 大人のおねえさんが微笑みながらお褒めの言葉を言ってくれた。これは期待ができる。非常勤研究員の職が入るかもしれない。

 あなただからこそ、お聞きしたいのですが。と、面接官は話を続ける。ドキッとする。この展開は、聞いて無い。

「ユラヌス、というポケモンは御存じありますか?」

 もちろん、知らない。「あぁ、新種のポケモンでしたよね?」と知ったかぶる。

「いえ、ただのニックネームです」

 明らかに落胆したような口調で、美人面接官は肩を落とす。
 まずい。
 採用人数二人の超難関試験だ。この一言ですべてが終わってしまうかもしれない。
 ぼくは慌ててことばを探す。出てこない。
 面接官は暗い顔をしてチェックシートに何やら書き込んでいる。

   ま ず い。

 何か言わないと。何か言わないと。何か言わないと。
 けれども何も出てこない。
 なぜ出てこない。 なぜ出てこない。 なぜ出てこない。
 これは言うべきことを盗まれたのかもしれない。いや、そうに違いない。そういうことにしてしまえ。
 誰に? そうだ! 悪いのは彼だ!

「そう言えば、ことば泥棒って知ってます?」

 変なことを言ってしまったと思った後には時すでに遅く、面接官は理解しがたいという顔でじっとこちらを見る。

    ◇
一週間前
    ◇


 面接まであと一週間。
 もうすぐ終わると言う解放感と、得も知れぬ不安とが胸のあたりでぐるぐる渦を巻いていた。

 近頃は“こっち”でも経済競争が白熱している。そもそも競争無くして発展無しというイデアが蔓延しているのだから、仕方ない。
 経済だけではなく、「強さ」の競争も盛んだ。専門用語で抑止力という理論らしい。
 なんでも、“向こう”には、世界を何回も消滅させる威力の爆弾があるということだ。物騒な、と思ったあなたはまともだけれど、“向こう”じゃ疎いと笑われる。力は発揮するためにあるのではなく、所持することに意味があるのだから。自分はこれだけ強い力を持っているのだから、あなたは私に攻撃しない方がいいですよ、とそう言う理屈で争いを鎮めるのだ。少し納得である。
 本当にうまくいくのかなと炎姫に聞いてみると、そんなわけないでしょうと一蹴されてしまった。

 ……炎姫の話はともかく、今は「最強のポケモン」が流行りである。
 ミュウツー・ゲノムを探そうと今は亡きロケット団の跡地をあさったり、海底敷設式ソナー監視網「SOSUS」を用いてルギアを探したりなど、各国余念が無い。セレビィの一件も、それに絡んでいたとかいないとか。
 しかし、幸か不幸か、そんな理由でポケモンの生態研究には多くの予算が割かれ、加速度的に研究は進んでいった。
 ぼくみたいな経験の浅い若手でも、頑張れば参入できる。そう言う訳で、非常勤研究員に狙いを定めて応募した。
 合格すれば、まずは1年間の研修期間があり、それを乗り切れば「非常勤」の名前が外れて常勤だ。
 筆記試験は、数学のお陰でパス。
 面接まで、後1週間を切った。

    ◇

『もっと良いメモ帳に換えませんか? パーカーの万年筆が泣きます。ほらあそこ、モレスキンのノートがありますよ』

 ここは駅前の文房具屋。履歴書に記入するために100円のゲルインクボールペンを買いに来た。
 クロスやデュポンといった高級文具が所狭しと並ぶ中、100均のメモ帳を神通力でひらひらさせながら炎姫が主張する。入る店を間違えたようだ。こんな店を駅前に作るなと店主には是非に主張したい。
 炎姫よ、なぜそんなブランド物を選ぶ。貧乏人には目に毒だ。
 キュウコンはメモ帳をやぶいて器用に矢印の形に折りたたむ。そして高価なノートをくいくいと指し示すけれど、とりあえず無視する。そんな金があるのならこれほど必死で職を探したりはしないのだ。
「100円のボールペンを使えば、メモ帳とバランスが取れるよ」と言ったら、彼女はガクっとうなだれた。

 沈黙。

 素直に怒ってくれればいいものを、落ち込まれると、なんか、申し訳ない。結局買ってあげた。\1480。
 その結果、今日の昼食は菓子パン1個である。多分、夕飯も。
 あ、結局ゲルインクペン買ってない。

    ◇

 美味しそうなにおいの立ちこめる街中を後にして、砂漠と目と鼻の先にある広場に座って、食事をとる。もう春は通りすぎたあと。初夏の日差しが照りつける。かなり暑い。砂漠の目の前なので影もない。今日は色々と場所を誤る。
「ポケモンをもっと大切に、この星の環境を守ろう」と謳った看板の影でたった一個の菓子パンを味わって食べていると、炎姫がモモンの実をどこからか見つけてきて、ぼくにくれた。意外といいやつだ。二人でモモンを食べる。
 すると、ガチガチと音がした。お上品に神通力で切り分けてからモモンを口に入れている炎姫がそんな音を出すはずが無い。
 耳の良い炎姫が先に音の主を発見した。気にいったのか、さっきのメモ帳矢印をもう一度使って指し示す。
 小さなナックラーだった。ならいいや、と思って、またモモンにかぶりつく。

 ガチガチ!

 無視されたナックラーは怒ったようだ。種までしっかりしゃぶった後に、ナックラーへと目を向け、立ち上がる。
 茶色の彼は一歩退き、砂地に入る。
 そのままぐるぐると回転し、小さなアリ地獄を作った。ぼくの片足がやっと入るくらいの大きさだ。

 クワッ!

 かかってこいということらしい。無視してもよかったのだけれど、なんとなくモモンの種をタコ糸に結び付け、ナックラーの目の前にぶら下げてみる。
 ナックラーはモモンの種にとびかかった。そのまま糸を上に引っ張る。
 アリジゴクの彼はしかし、決して種を離そうとはしない。そのまま宙へ持ち上げられ、数秒後に足場がないとようやく気づいてじたばたした。しかし、何も、起こらない。

「釣れた」
 ぼくが言う。
『釣れましたね』
 炎姫が同意した。

    ◇

 この一件以降なぜか懐かれてしまったらしく、アリジゴク君は同じテンポでずっとガチガチ言いながら、ぼくの周りをぐるぐる回っている。要するにコイツは暇だったのだろう。かまってくれる相手を見つけて喜んでいるようだ。
 しかし、ぼくには彼にずっとかまっている余裕などない。面接まであと1週間を切っている上に「旅をしながら元気に就活!!」と謳っている4社に出す分のエントリーシートを書きあげねばならない。
 まずは自己PR文を完成させることからだ。ガチガチ! とアリジゴクが騒いでいるのを冷徹に無視し、必死で書類と向き合う。

 そういえば、研究職の筆記試験は変わったものだった。もう終わったことだからいいのだけれど。
 小論文や単純な計算問題だけでは無く、意味不明な単語の羅列の後に「この言葉を見てわかることを記入せよ」とだけ書かれた不親切な問題も何問か出た。ちなみにありとあらゆる道具を使用してもよいという条件下。ついでに言うとポケモン持ち込み可。けれども炎姫はまったく手伝ってくれなかった。薄情なやつだ。
 結局コンピュータ任せにして解析した。テキストマイニングという代物だ。計量文体分析の手法を用いて、蓄積された膨大なテキストデータを何らかの単位に分解し分析する。
 マシンラーニングというこれまた別の理論を用いて文字通り“機械に学習”させると、炎姫のしっぽをいじくっている間に問題が解けてしまった。
 うん。やればできる。
 当時はそう思った。

 全ての会社がこれと同じことをしてくれればいいのにと思うけれど、そう甘くはないことをつい最近知る。
 自己PRうんぬんという厚い壁にたちふさがれた今、数学という武器は余りにも小さく、弱すぎた。
 額に汗を浮かべながら、必死で行間を埋める。砂漠から生暖かい風が吹いてくる。

 ガチガチ!

「黙れ」

 言いながら、手を動かし続ける。 ガチガチ!
 炎姫が言うには、自分を推薦しないといけないんだったよな。 ガチガチ!
 要は、自分をほめるのか。 ガチガチ!

 ……わたくしは、はち切れんばかりの優しさを胸に秘めながらも抜群のリーダーシップがあり、明るく好奇心に充ち溢れ、地下の研究室に引きこもりながらにしてロビンソン・クルーソーのごとき自給自足生活ができると言う類まれな逸材でありまして……

 ガチガチ クワッ!
 ガチガチ クワッ!
 ガチガチ クワッ!

「炎姫! ナックラーに破壊光線!」
『その前に、あなたの文章をなんとかしたら?』

    ◇

 結局、ぼくの自己PRは最初から書きなおす羽目になったのはまた別の話である。

 それはともかく、日が高く昇っても、ナックラーがうるさいのには変わりない。さすがに不憫に思ってくれたのかあるいは当人がうっとうしくなっただけのかは知らないけれど、昼寝をしていた炎姫が起き上がって話をつけてくれることになった。
 数分ほどポケモン談義があった後、炎姫が見えない力で万年筆を走らす。

『残念でしたね』

 恐る恐る、何が? と尋ねると、『ことばが通じない』と返す。

「通じない?」

 以下、炎姫の解説である。
 ポケモンには2種類の意思疎通方法があるらしい。一つは、周囲の状況をセンサーでキャッチして相手に対応するというもの。曰く、『人間には退化してしまった能力ですね。これだから人間は』。
 いちいちうるさいよ。
 ちなみに専門用語でシグナルとかカイロモン・フェロモンと言うものであるらしい。知らなかったです、ごめんなさい。

 で、もう一つが、“ことば”による会話。
 実際ことばはそれほど必要とはされない。シグナルさえ感知できれば大丈夫とのこと。
 だから文盲だからと言って心配する必要は全くないんですが、と続ける。あなたみたいな「人間」には厄介者となりそうですがね。

 そうか、とつぶやく。
 要するにこいつを黙らせることはできないということのようだ。困るじゃないか。ガチガチ言って就活を邪魔されたら、研究室引きこもり生活の夢がついえてしまう。
 その方が健康に良いのでは、と炎姫にからかわれた。
 そんな殺生な。生まれて一度もモンスターボールを投げたことがないくらいのインドア人間がアクティブに働くなんて不可能だ。

『このナックラーは、ことば泥棒にことばを奪われてしまったのかも』

 冗談めかして、狐がそう書く。
 ことば泥棒?
 初めて聞く言葉だ。

『昔の人がよく使ったいいわけです。うまい言い回しが出てこないって嘆きながら。ちょうどさっきのあなたに似ていますね』

 そうか、と頷く。ことば泥棒か、便利なことを聞いた。今度使おう。

『彼みたいなポケモン、たまにいますよ』。あっけらかんとそう言う――いや書く――炎姫を横目に、眼が無駄にきらきらしているアリジゴクをじっとみる。

 ガチガチ クワッ!
 ガチガチ クワッ!
 ガチガチ クワッ!

「黙れ」

 言いながら、ちょっとの間ナックラーから目が離せなかった。
 なんとなく、不思議な気持がしたからだ。
 ガチガチ クワッには全く別の意味があるのだろうか。ぼくらには、決して分からないような。
 
 間違っても擬人化して同情しないことですねと炎姫に釘を刺される。

『アレにとってはその方が不憫というものです。心配しなくても野生のポケモンは賢い。少なくとも、人間よりかは、ずっと』

 そうか、と頷く。いや、一言多いんだけど。

『でも、早く進化しないと、求愛時期に間に合いませんね。それが原因でガチガチ言っているのかも』

「求愛?」

 なんでも、ある日一斉にビブラーバが飛び立ち求愛の儀式が行われるらしい。
 雄たちは歌を歌って雌を誘い、砂漠の上に卵を残す。こいつ以外にナックラーが見当たらないのはおそらく皆進化してしまったからだろうと言うことだ。
 ある日っていつ? と尋ねると、知らないと返された。ビブラーバがブンブンいってるから嫌でも気づきますよ、と書く。

『せっかくなのでアレの進化を手伝ってあげましょう。アレのためでもありますし、寝ているのにも飽きました』

 アレのため、ね。
 あれ、そういえばぼくの就活は?
 198歳の狐はいい暇つぶしを見つけたと喜びながら、件(くだん)のアレを鼻で突っつく。

    ◇

 ミリス。
 いい名前だと思う。ランダムに文字を打ち込んで完成した名前とは思えない。
 やるだけ無駄、という炎姫の言葉を無視してアレに名前を付けてやったのだ。慰めにもならないとは知っているけれど、人間には名前が必要だ。

 それはともかく、進化といえばレベルアップ、経験値を増やすことが肝心だ。砂漠を少し離れた草原で見るからに弱そうなナゾノクサを見つけたのでカモにすることにした。
 しかし、このナックラー、どのような技を使うのかが分からない。とりあえず強そうな技を指示してみる。

「行けっ! ミリス! 破壊光線!」

 そう言ってナゾノクサを指さすと、ミリスは心得たとばかりにすっ飛んで行き、哀れな草にかみつく。あっという間に歩く草をノックアウトさせた。意外と強い。

「あ、そういえば、言葉が通じた?」

『通じていると思います?』

 後でわかったことだけど、ハイドロポンプと指示してもフレアドライブと言ってみても、このアリジゴクはかみつく攻撃しかしなかった。

       ◇

 日は西に傾き始めている。
 ミリスのほかにナックラーは見当たらない。もうすでに全員進化してしまったのではと焦りながら、思い出したように生えている木々に目を凝らす。
 いろいろやっているうちに、指さした相手にかみつく習性があることが分かった。このポーズがシグナルになっているらしい。
 もう少し指をピンと伸ばせば何かの間違いで破壊光線を打ってくれるかもしれないと淡い期待をしつつ、かみつく攻撃でも勝てそうな弱小ポケモンを探す。我ながらいい根性だ。

『何か、聞こえます?』

 突然炎姫がそう書く。
 僕はあわてて耳を澄ませる。
 アリジゴクが一人ガチガチ言っていた。それ以外は何も聞こえない。
 尋ねても炎姫は何も答えてくれないので、仕方なく一人でカモを探す。
 昼寝中の大きなハブネークは無視して、ふよふよと頼りなく飛んでいるコイルを標的に定めた。地面タイプのナックラーとはすこぶる相性がよい。

「行けっ!! ミリス!! 破壊光線!」

 指の伸びが足りなかったのか、相変わらずミリスはかみつく攻撃をした。必死で伸ばしたのに、残念だ。心なしか炎姫の目が冷たい。まぁ「かみつく攻撃!」と叫んでもなぜか反応が悪いから、破壊光線のままでいいんじゃないかな。
 こちらの事情は知る由も無く、ミリスは勢い良くジャンプして、コイルにかみついた。そして電磁石にぶら下がる。
 この情景はどこかで見たなと思っていると、案の定彼は降りられなくなった。
 彼は必死でじたばたする。
 しかし なにも おこらない。

「あ、こいつ、ダメかもしれん」

 炎姫に助け船を出してもらおうかと思ったけれど、そもそもこいつにバトルの経験はあるのだろうかと逡巡する。少なくとも僕とのペアでバトルの経験はない。
 その一瞬後、異様な音が聞こえた。

 ギィィキィィィィ!

 コイルが未だ聞いたことの無い音で叫んだ。同時に、バキっと鈍い音がする。
 まさか、と思ったけれど、コイルの鋼の体にひびが入っていた。
 やりすぎるとレベルアップどころではなく、コイルが死んでしまう。
 慌てて止めに入ろうとする前に、ミリスはコイルを手放した。ドスっと音がして、不格好に着地する。

『大丈夫。この子はよく程度をわきまえています』

 炎姫が書く。念のため哀れな電磁石に傷薬をスプレーしてあげたけれど、確かに命に別状はないようだった。
 しかし、どう見てもレベルは31から32なのに、異様とも言える強さだ。
 ことばという理論的な制御装置が無いために、本来筋肉にかかるべきセーブが取り払われているのかもしれない。
 そう思った。

    ◇

 そろそろ帰ろうかと言う時分、通り雨が降った。ミリスを抱き上げて炎姫とともに大きな木の下で雨宿りをする。環境保護を謳った看板に大きな雨粒が当たって、冷たい音を放った。そういえばこの看板、いたるところにある。どれも錆びてるけれど。
 真っ黒な空を見ていると、雨はすぐに止んだ。
 その瞬間からミリスの機嫌が悪くなった。空に向かってあからさまな敵意を示している。不思議そうな顔をした炎姫とともに空を見上げるけれども、虹以外には何も見えない。
『虹が嫌いなようですね。トラウマでもあるんでしょうか』
 炎姫があっさりとそう言った。これも一種のシグナルか? と聞いてみたけど、やはりあっさりと『知りません』と返される。さっきからずっと、何か考え事をしてるみたいだ。
 タイミングも良かったので、結局その日の特訓は切り上げ、ポケモンセンターで宿をとることにした。

 ミリスを抱いてチェックインをしていると「ナックラーね」と女医さんが感慨深げに言った。「懐かしいわ」と目を細める。むかし育てていたことがあったのかもしれない。
 相変わらず旅をする人は少なく、部屋はガラ空き。2段ベッドが二つ置いてある部屋を一人で貸し切れることになった。こういうシチュエーションは無駄に好きである。
 ミリスは部屋でごろごろしており、炎姫はそのアリ地獄をじっと見つめている。種族が違うとはいえ案外気になってるのかもしれない。違うって?
 それはともかく、二匹とも捕獲されたことの無い“野生”のポケモンであることが信じられない。炎姫はともかく、ミリスを下手に人間に慣れさせてもよかったのかなと、いまさら少し不安に思った。

 ガチガチ クワッ!
 ガチガチ クワッ!
 ガチガチ クワッ!

「黙れ」
 不安に思ったのがなんだかばからしくなって、時事問題に目を通す。あの調子だと、すぐにぼくらのことも忘れるだろう。

 ガチガチ・ガチガチ・ガチガチ クワッ!
 ガチガチ・ガチガチ・ガチガチ クワッ!
 ガチガチ・ガチガチ・ガチガチ クワッ!

「いいからお前は黙れ」

 無駄にテンポよくガチガチ言うミリスを一喝すると、文盲のアリジゴクは余計に激しくガチガチ言った。いったい何の恨みがあると。
 本当に、何を考えているのかわからない。炎姫にならって、一人で騒いでいるアリ地獄の彼を、じっと見つめる。

「……言葉が無い、か」

 昔、ある哲学者は「思考とは記号を操作する働きである」と言ったらしい。
 要するに、名前と言う記号を操作して言葉をつむぐことが、人間にとっての思考であると、そういう主張だ。
 しかし、ミリスには言葉が無い。
 言葉の名前を、理解できない。
 そして僕は、そんなミリスを理解できない。
「よろこぶ」とか「かなしむ」って言う言葉が無いのなら、いったい何と感じればよいのだろう。
 ミリスはまだガチガチ言っている。
 でも、その“言葉”が何かを指し示すことは、決してない。

      ◇

『やっぱりおかしい』

 いきなり炎姫がそう書いた。

「どうしたの?」

 ミリスが「ガチガチ クワッ!」以外にも、規則的な音を発している。そんな気がするんですと、炎姫は書いた。

『もしかして、なにか、言ってるのかも』

「言う? ことばが無いのに?」

『ナックラーにだって、発声器官はあります。音のコピーくらいなら、ことばが分からなくてもできるのかも』

 音のコピー?
 オウム返しに僕は尋ねる。
 彼はずっと、そのコピーを延々と叫び続けている?

 意味も知らないのに呟き続けることばって、一体何なんだろう。伝えたいことが無いのに、伝えてしまう。記号の意味を知らないままに、操作する。そんなことばの意味。
 狐はじっと考えた後、諦めたように首を振った。『今日はもう寝ますか』
 炎姫はそう書いたけれども、

「ちょっと待て」

 ぼくは炎姫の提案を遮って部屋から出て行く。一息で階段を降り切った。
 受付では夜勤の女医さんが椅子に座って眠そうに本を読んでいた。僕が声をかけると、彼女は少し怪訝な顔をして、けれども僕の願いどおりの物を貸してくれた。
 女医さんから預かったマイクを片手に、僕は部屋へと走って戻る。

『何をするんですか?』

 まぁ見てなさいと少し優越感に浸りながらミリスにくっついて音を採集する。
 マイクに拾ったところで雑音が多すぎるでしょうという炎姫を無視して、計算プログラムを探す。確か、むかし作っていたはず。

「あった。信号検出理論のプログラム」


 信号検出理論とはもともとはレーダーによる自動監視作業の最適化を意図して開発されたものだ。ノイズだらけのデータから敵を発見するためには、雑音から信号を検出しなければならない。その理屈を応用する。
 ノイズ音波の確率分布を推定。最尤方程式をちょいちょいと解いてやれば……。

「できた」

 得意満面の表情で炎姫に宣言する。
 さすがの炎姫も驚いたようだ。今までも色々やったけど、そのなかでも一番変な計算をしたような気がする。狐のくせに狐につままれたような顔をしていた。

「結果の音声、聞きたい?」

 聞くまでもないことを聞いてみる。炎姫は素直に頷いた。アリジゴクの彼は、何が起こっているのか理解できていないらしくガチガチ言いながらこっちを窺っている。

 作製した音声ファイルを開き、メディアプレーヤーの再生ボタンを押す。
 音に合わせて画面のグラフが上下する。
 すると…………何やら雑音のようなものが聞こえた。
 失敗だったかも。

 自慢した分、恥ずかしい。変なことを言うべきではなかったと後悔しながら横目で狐を見る。
 炎姫は深刻な表情でパソコンを睨みつけていた。

『もう一度流してください』

 慌てて言われたとおりにする。
 聞こえる。と耳の良い狐は書いた。
 長寿の狐は、めったに見せない焦りを見せながら、かすれた文字を書く。

『これはポケモンのことばじゃない!』

 ポケモンのことばじゃない? どういう意味だ。
 ぼくにはまだ音の判別ができない。
 人間にも聞こえるくらいの音にしなければ。
 メディアプレーヤーを繰り返し設定にして、音量も最大にして……

「これって――」

 狐は静かに頷く。

『これは、人間のことばのコピーです』

 パソコンのスピーカーからは、ひび割れた低い声が、音のグラフとともに何度も何度も繰り返し再生されている。

 ことば泥棒  ことば泥棒  ことば泥棒  ことば泥棒……と


――――――――――――――――

蜻蛉の歌(下)へ続く


  [No.619] 第2話 蜻蛉の歌(下) 投稿者:SB   投稿日:2011/07/31(Sun) 12:17:17   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




蜻蛉の歌(下)


 僕らが横になった後、また雨が降り出した。
 蒸し暑さがべっとりと覆いかぶさってくるような寝苦しい夜を明けた。昨日の夜の件もあり、余り寝付けなかったので、瞼が重い。時計を見ると朝の6時にもなっていなかった。
 ベッドから顔だけあげると、ミリスがなにやらもぞもぞしていた。なんとなく、声をかけづらかった。
 アリジゴクの方をそっと見ていると、彼は窓際の方へ歩き出した。そして窓枠へとジャンプして、出っ張りに乗っかった。

「ミリス……?」

 すると、突然ミリスは大顎で窓ガラスをたたき割った。
 音に驚いて炎姫が跳ね起きる。
 ミリスは、そんな僕らをしり目に2回の窓から飛び降りた。

「ミリス!」

 僕も跳ね起きる。炎姫が慌てて窓の方へ近づき神通力を使ったけれども、一瞬遅かった。アリジゴクの姿はすでに見えない。
 すると突然窓の下からビブラーバが現れて、砂漠の方へと飛んでいった。ミリスが進化したのだ。それにしても、なぜこんな突然。

 どうしようと僕がおろおろしていると、炎姫が特大の文字で僕に指示した。

「早く女医さんを呼びなさい!」

 寝間着姿のまま廊下へすっ飛んで行くと、音を聞きつけた女医さんが階段を上がってくるところだった。
 慌てて事情を説明すると、彼女は血相を変えて「来なさい」と言い、僕の手を引いた。てっきり怒られるのかと思ったけれど、違った。センターに備え付けのオフロード車に炎姫ともども乗せられた。華奢な女医さんには似合わないくらいの大きな車体だ。これくらいじゃないと砂漠には入れませんと彼女は説明した。

「すぐにあのナック……、いやミリスを探しに行きましょう」

 凛とした声で、そう言った。そしてエンジンをかけながら小さく、

「もしかすると、とは思ったんです」

 僕の顔が一瞬蒼くなった。ことば泥棒ですか、と聞くと、意味がわからないと言う風に彼女はかぶりを振った。そして、一瞬考え込むようにして、

「でも、確かに泥棒されたのかもしれない」

 そう付け加えた。
 何を、と恐る恐る僕は尋ねる。

「今日と言う日を、です」

 女医さんが答えた。

    ◇

 車は道路をそれ、砂漠の上を進み始めた。昨日とは打って変わって砂嵐が吹き荒れる。車体が激しく揺れる。
 この地方では今日が蜻蛉の歌の当日なのです、と彼女は言った。
 本来ならば朝のうちから多くのビブラーバが飛び立ち、求愛の儀式が始まるのだと。
 僕は車の窓から砂漠を見る。ニャースの子一匹いない。当日はブンブンうるさいくらいだと炎姫は言っていたけれど……。

「本来ならば、今日がその日だったのです。本来ならば」

 でも、人間がその日を奪った。
 環境保護、ですよ、と彼女は皮肉っぽく笑う。

「ここは300年前までは森林だったんだそうです。それが砂漠に変わった。これは環境破壊であるとして、環境保護団体を名乗る組織が辺りかまわず木を植えて砂漠にすむポケモンを駆除してしまいました
「ちょうどそれが4年前の今日。それ以来、蜻蛉の歌を迎えると、存在しない記念日がシグナルになって、わずかに残ったビブラーバ達の行動が、おかしくなってしまったのです」

「ミリスは、一人で歌いに行ったんですか」

 僕は尋ねる。女医さんは分からないと首を振る。

「力尽きるまで相手を探して歌い続ける者もいれば、存在しない敵に対して怒りをぶちまける子もいます。けれども、結果は同じ。ただ、精根尽きたビブラーバの死体が残るだけです」

 まだナックラーだったから大丈夫だと思っていたら、と女医さんは苦い顔で言った。
 そしてもう一度彼女はかぶりを振って、凛とした声で放つ。

「ミリスを探しましょう。いまなら、きっと、間に合います」
 僕は同意する。炎姫も頷いた。



 言ったものの、見通しの悪い上に広大な砂漠の中で、一匹の蜻蛉を見つけるのは、同じ模様のパッチールを探すのと同じくらい大変な作業だった。

「せめて、目的地が分かれば」
 女医さんがこぼす。

『得意の解析で解けないんですか』
 炎姫がそう書いたけれども、僕は横に振った。基になるデータが無ければ、解析は無力だ。無から有を生み出すようなことは決してできない。

「何か、心当たりはありませんか」
 女医さんがすがるように言った。
 僕はかぶりを振る。
 そして力なく窓の外を見ると、砂嵐の奥に、うっすらと七色の光が見えた。

「虹だ」

 僕は言う。そして炎姫を見る。まさかね、とは思ったけれど。
 狐もそれしかないと同意した。

「虹のある側ってどっち方面ですか?」

    ◇

 僕らがミリスを見つけたのは、日が高く昇った後だった。
 彼は、虹の根元にもっとも近い砂漠の端で、ノイズと超音波の混じった羽音を“敵”に向かって浴びせかけていた。

 これは、もう間違いない。「指さし」や「ことば泥棒」と同じようにミリスの中にシグナルとして刷り込まれてしまったのだ。「虹」という対象が。
 でも、何で虹なんかに?

 音を立てて荒々しく車が止まる。
 ぼくは首を振る。いまは理由を考えている場合じゃない。いまやることは一つだけだ。
 僕は女医さんに告げる。

「モンスターボール、貸してください」

    ◇

 久々に握るその重みは、ほとんどないに等しいくらいに軽かった。こんなもので本当にポケモンが捕まえられるのか不安に思いつつ、車のドアを開ける。

 瞬間、耳をつんざくような音が直接頭の中に響いてきた。必死で吐き気をこらえる。
 ミリスの超音波だ。車からでた女医さんの足取りはもうふらふらとしている。やっぱり、自分が何とかしないといけないみたいだ。
 けれども、当のミリスは空高くに上っていて、僕の腕力ではボールが届きそうにない。

『私が神通力でボールを投げます』

 狐がそう書いた。

 驚いて振り返ると、炎姫は少しよろめきながらも『だってボール投げたこともないんでしょう? そんなんじゃ当たりませんよ』
 そう書いて、僕からボールを取り上げた。そして、上空へとボールを浮遊させる。
 僕は、従うしかなかった。
 こんな時、数学という武器は余りにもろく、弱すぎた。

 炎姫は慎重に、ミリスにばれないよう巧みにボールを操作する。
 そして、あっけなくそれはミリスの背中に到達し、小さく閃光がしてミリスはボールの中へ……

 突然、強烈な吐き気に襲われた。同時に、ありとあらゆる音程のノイズが僕の頭を支配した。
 ミリスが超音波混じりのソニックブームでボールを跳ね飛ばしたのだ。女医さんは慌てて二つ目のボールを取り出す。けれどももっと近くから捕獲しないとまた同じように失敗してしまう。
 そう思った瞬間、ミリスは下へと降りてきた。

 けれども、僕らにボールを構える余裕は全くなかった。

 侵されたシグナルに支配されて自我をなくしたミリスは、僕らを敵とみなしたらしい。
「だましうち」だ。その必中技は、ボールを操作していた当人、炎姫へと狙いを定めていた。
 より強くなるノイズに吐き気をこらえながら、僕はやっとの思いで顔をあげる。
 ミリスがもう、炎姫の目の前まで来ていた。

    ◇

『なんであなたが』

 狐がそう書いた。
 炎姫をかばった右腕は、蜻蛉の羽によって寝間着ごとパックリと切り裂かれていて、僕の利き腕からは血がだらだらと流れていた。相変わらず、レベルの割には技に切れがある。
 女医さんが慌ててぼくの方を見る。そして頭を抱えながら
「ポケモンもそうだけれど、あなたの身の安全の方が重要です。可哀想ですがあきらめて……」

「女医さん、妙案、思いつきました」

 僕は必死で笑いながら、女医さんのことばを遮る。
 炎姫も女医さんも、驚いて口を閉じる。
 ミリスはまだ僕らの上を旋回している

「解析の目的って、知ってます? 一言で言うとね、パターンを見つけて、それを利用することなんです」

 二人とも訳がわからないと言う顔で、こちらを見る。
 僕は女医さんから左手でボールを奪うようにとる。
 今さっきで分かった。このノイズもソニックブームも、彼にとって歌なんだ。そして、そう、ミリスは突っ込む以外のまともな攻撃方法をいまだに知らない。

「女医さん、少し離れてぼくを指さしてください」

「また何を……」

「いいから早く!」

 彼女は言われたとおりに僕を指さした。炎姫は何をしようとしているか察したらしく、僕を止めようとしたけれど、しぶしぶ僕の指示に従った。

 準備はできた。後は「雑音」が有ればいい。
 ぼくは、力の限り叫んだ。

「ミリス!! 破壊光線!!」

 “指示”というシグナルがミリスに伝わる。彼は誰が標的か、理解したようだ。
 そして、僕の方へと一直線に急降下した。
 加速のためか、ノイズが一気に強まる。鼓膜が割れそうだった。吐き気が波のように押し寄せる。万力で頭を押さえつけられたような痛みがする。
 ミリスが手を伸ばせば届くところに、居た。
 その目にはきっと僕らが映っているだろうし、けれども、彼の心の中に僕と言うことばは入ってはいない。
 ミリスの目に反射した僕の姿が自分でも良く見える。
 僕は、そんな彼に向って、ボールを…………投げなかった。
 一瞬後には、自分からボールへ突入してきたミリスが光に包まれてボールの中におさまっていた。

「だましうち」。必中の技なのだから、当たるところにボールを用意しておけばそれでいい。野球の苦手な僕とっては、なかなかの妙案だったと思う。

 突然静かになった砂漠の上、元来体力の無い僕は、ミリスの入ったボールと右腕から流れ落ちる血を交互に眺めているうちに意識がもうろうとして、そのまま倒れた。

    ◇

 目が覚めると個室にある白いベッドの上だった。服も着替えさせられていた。
 横には炎姫が座っている。

『あの程度の出血で、倒れますか、普通』

 狐が僕を非難した。けれども、その目はほんの少しだけうるんでいる。
 無駄な優越感に浸っていると、ノックの音がしてモンスターボールを抱えた女医さんが入ってきた。
 そして「大丈夫ですか?」と聞くので、当然のように大丈夫でないと答えた。いや、だって、血が出たし。
 そんな僕に、彼女は笑いながらモンスターボールを手渡した。そして

「これは、もう、あなたのポケモンです」

 と告げた。回復されたミリスが中でぐっすりと眠っている。
 僕が捕獲した、初めてのポケモンだった。


「そう言えば」

 と僕は突然切り出した。

「僕って何日くらい眠ってました?」

 なんのことかわからないと言う顔で、女医さんは僕を見る。あいかわらず話が通じない。

「いや、漫画とかでよくあるじゃないですか。負傷した主人公が目覚めたら『えぇ!もう3日も寝ていたのか?!』とか言って驚くシーン」

 狐がやれやれとかぶりを振る。
 もしかして一週間以上眠っていたのかと危惧していると、女医さんは戸惑いながらこう告げた。

「何日っていうか……3時間くらい?」

 親切にも賢い狐が補足してくれた。

『八分の一日です』

 やはりというか、数学オタクはヒーローには不向きであるらしい。

    ◇

    ◇

 面接が色々な意味で終わってからもう一カ月ほどが経った。
 とりあえずミリスの定位置はぼくの頭の上となったらしく、色々と邪魔である。重いし。
 最初のうちは僕の腕を切ったことを申し訳なく思っていたらしく余り懐いてくれ無かったのだけれども、慰めてやっているうちに心の傷も癒えたらしい。ことばが通じなくても、なんとかなるようだ。
 とはいえ「アレ欲しい」とかって指さすと突然品物に向かって突っ込んで行ったり、エントリーシートをカオスな音波でぐちゃぐちゃにしてしまったりと色々困る点もある。それでも最近は慣れてきたような気がするから不思議だ。

 で、結局就職先は決まっていない。

 いっそのこと炎姫が僕に化けて面接会場に行ってもらえないかと頼んだところ、あっさりと断られた。

 そうやっていろいろな会社や施設を点々としていた有る日、電話がかかってきた。
 相手は語調から若くて(おそらく)きれいな女性であると推察された。一瞬後に「おそらく」という要素は無くなった。

「キセノンさんでいらっしゃいますね。先日の面接結果について御報告にあがりました」

 あのときの面接官だ。
 慌てて普段より1オクターブ高い声で返事をする。

「結果は、仮採用とさせていただきます」

 一瞬の沈黙。
 それからあわてて10回くらい怒涛のようにお礼を言った。
 そんな僕を制して彼女は続ける

「本採用ではなく、特別枠における仮採用ということになりますが、規約通りまずは1年間の試験採用を経て、常任研究員になるという流れは変わりません」

 ぼくは満面の笑みで顔も見えない相手に向かってうんうん頷く。
 炎姫が白い目で僕を見る。

「資料の方は最寄りのポケモンセンターで受け取る形になります。まずはアルバイトということで外回りの仕事をこなして頂くことになります。遊びに行くなら早いうちに行かれたほうがいいですよ」

 最後、ちょっと冗談めかしてそう言った後、彼女は告げる。

「今回は、私、氷室がキセノンさんの担当と言うことになります。よろしくお願い致します」

 僕が5回くらい追加でお礼を言ったあと、電話が切れた。

「終わった……。就活が」

 炎姫にそう告げる。

『じゃあ、どこか遊びに行かないといけませんね。担当官もそう言っていましたし』

 そうだねぇ、と呟く。じゃあベタに遊園地でも行こうかなと思いついてみる。
 色々あったけれど、悪い終わり方じゃない、とそう思った。

 でも、ミリスは未だにブンブンうるさい。
 意味がわかっているのかいないのか……。


  [No.951] 第3話 向こう側 投稿者:SB   投稿日:2012/04/06(Fri) 22:26:40   75clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



向こう側



 最初、ぼくらには心がなかった。
 最初、ぼくらは命ではなかった。
 アミノ酸がたまった原始のスープにおいて、そのモノは分裂を始めた。
 分裂が始まる前は、分裂は起こらなかった。だから、分裂することができなかったモノは、同じモノとして存続し続けることはできなかった。
 分裂することができたモノだけが、命を後世に残せた。だから、命という名前が生まれた。
 だから、命の定義は……?

    ◇

 聞くところによると、巨大な移動遊園地が開園中だと言う。夏の終わり、自由な生活の終わりは遊園地で締めようと言うことで、遊園地のある海辺の町を目指して歩いていた。
 8月も終わりを迎え、心なしかテッカニンの鳴き声も寂しげだ。それでも残暑と言うには暑すぎる熱波が繰り返しやってきて、歩いているとじっとり汗が浮かんでくる。
 ぼくや頭の上の蜻蛉はまだしも、見るからに暑そうな毛皮に覆われた炎姫は実際かなりきつそうだ。熱中症になってくれては困るのでぼくの分の水まで分けてあげたけれども、やはり元気がない。
 そんな中、道の隅っこに突然現れた井戸は、砂漠のオアシスさながら我々に歓迎された。
 錆びた手漕ぎの井戸ポンプがのっかっているだけで井戸には木のふたがされており、一瞬水が入っているのか不安になったけれども、4、5回力をこめて取っ手を押すと、勢いよく冷たい水が出てきた。
 真っ先に炎姫がそれを浴びた。長い毛皮に水滴が付き、日の光を浴びてキラキラと光っている。ミリスが「早くしろ」と催促してきたので、ミリスにも水をぶっかけた。ぼくも全身に浴びたかったのだけれどもさすがにはばかられる。それでも頭に水をかけただけで生き返るような心地がした。ポンプは炎姫が神通力で押してくれた。

 タオルで頭をふきながら、炎姫に命の話をした。ぼくが所属する予定の機関が運営しているのがポケモン生態学会。そこと深いつながりのある「ポケモン遺伝子学会」なるものが取りまとめた書籍の内容だ。ちょっとジャンルが離れているから、よく意味がわからない。でも読めって氷室さんに言われた。有無を言わせない感じ。名前の通り冷たい人だ。なんていうか、人形みたいにきれいで冷たい。
『その話の中で重要なことは』
 炎姫が万年筆ですらすらと文字を紡ぐ。インクの微かな濃淡が、彼女の息吹をぼくに伝える。
『命とは分裂するモノのことだ、という順序は間違っているということです。分裂して“残った”ものたちをこそ、私たちは命と呼んだ。その順番が、正しい。ですから、分裂する前の自己複製子は、命であってもなくてもよいわけです』
 分かります? と炎姫が書く。わからないとぼくは答える。
 数学以外の勉強もちょっとはしたら、とぼくをからかいながら、鼻先でぼくをつつく。そして、道の先へと顔を向ける。
「そうだね、行こうか」
『はい』と炎姫が答える。蜻蛉がまたいつもの定位置、ぼくの頭の上に飛び乗った。
 そんな折、彼が現れた。

    ◇

「やあ」

 残暑の季節に似つかわしくない爽やかな声で彼は言う。あぁこの人が……とぼくらにとっては一目でわかる。でも当人たちには区別がつかないらしい。彼らにとっては区別をする必要さえないのかもしれない。
「失礼ですがあなたって」
 ぼくが尋ね終わる前に、彼が言葉を継ぐ。
「そう、ぼくは向こう側の人間さ。きみはきれいな目をしているね」
 眼鏡の青年はそう答えた。
 爽やかぶっているのか、本当に爽やかなのかどっちだろうと、ぼくと炎姫は顔を見合わす。
 ぼくは前者に賭けるつもり。

 向こう側の物や組織がたくさん流入している割には、向こうの人と会う機会は少ない。前会った竹沢さんは向こうの会社の人だけど、生まれも育ちもこっち側だ。見ればわかる。なんていうか、こう、雰囲気が違う気がする。
「ふーん。ぼくにはちょっとわからないけどね。こっちに来たらまわりに同族がいないから、見分ける必要もないんだよ」
 彼はそういって、ハハハと笑った。
 彼は岬と名乗った。用事はあるけど話をするくらいの余裕はあるよ、とペラペラしゃべりたてていうところには、職業はプログラマーだとのこと。っていうか、研究者を除けば、プログラマー以外の人はほとんどこっち側に来ないのだけど。
「エリート研究員には見えないのかい?」
「見えません」
 炎姫も同意した。ちょっと顔がオタクっぽいし。
 岬さんはわざとらしい咳払いをする。
「いやはや、噂に聞いてるのより性格がきついね」
「噂?」
「そう。噂。ぼくの周辺では、君は結構有名人なんだよ。直近ではセレビィの件、それ以前にも6,7個くらい仕事をこなしてくれてたろ。主にデータ処理だけど。ぼくたちの世界を毛嫌いしてる人たちは結構多いからね。実際かなり助かってた」
 それはよかったですと、ぼくは答える。もしかすると以前に仕事したことのある会社の人なのかもしれない。
 でも、ぼく程度の人材でもありがたいなんて、結構苦労しているみたいだ。
「やっぱり、嫌ってる人は多いんですね」
「そうだね、残念ながら」
 そういって、わざとらしく手を上げる。
 社会体制が変わった原因は向こう側。今が嫌な時代になったのも、向こう側のせい。そう思っている人は結構多いから、驚くほどのことではない。向こう側の人と実際にあったことのある者は少ないから、余計に変な想像をかきたててしまう。
 ふと思って、岬さんに聞いてみた。
「あなた自身は、向こう側のことをどう思ってるんですか?」
「ぼくが、自分の世界の住人たちのことを、かい?」
 大概の人たちは君たちの世界を見たことがないからね、とつぶやきながら、彼は数秒顎に手を当ててから、こういった。

「こっち側の世界をただのプログラムだと思っているんだけれど、自分たちの世界もプログラムによって動かされているだけとは気づいていない、そんな人種だね」

 言った直後、また岬さんはハハハと笑う。
 冗談だよ。いや、半分本当かな。そうつづけた。

    ◇

 炎姫と会って間もないころ、ぼくは彼女にこう尋ねた。
「向こう側にはいったい何があるの?」
 ぼくがそう聞くと、物知りな狐は神通力を発揮して、諭すように万年筆を走らせた。
『あなたが期待しているようなものは、何もありませんよ。向こう側には、向こう側の世界が、そこにあるだけ』

 向こう側の人たちは、こちら側を虚構だという。こちら側の人たちは、向こう側を諸悪の根源だと思っている。
 結局ぼくらは虚構か虚構でないかはともかくとしてふつうに生きているし、彼かは彼らでいい人もいれば悪い人もいる。それだけだ。向こう側の人と付き合っていて、そう思うようになった。

 新たな仕事の誘いは、ぼくが研究機関に内定したからと伝えるとあっさり引き下がってくれた。それどころか、ぼくの内定を本当に心から喜んでいるようだったので、少し恥ずかしくなる。
「やっぱりね〜。ぼくが見込んだだけのことはあるよ」という信憑性のない言葉は無視しておいた。
「さてと、仕事も一つ済ませたし、もう一個をがんばるか」
 爽やかさをかなぐり捨てたもろもろの話を終えた後、岬さんがそう言った。
「あれ、なんかやったんですか?」
 仕事をしていたようには見えない。
「うん。君と話した。これがぼくの仕事の一つ目さ」
 本当かウソか区別がつかない口調で彼はそう言った。
「さっきも言ったろ、君は結構有名なんだよ。さらには、変わったビブラーバを頭に乗っけ始めたしね。激レアだよ、そいつ。君のことだから、知ってると思うけど」
 そういって彼はミリスに目をやる。
「激レア? ミリスが?」
「そう、激レア。あれ、知らないの? 研究機関に内定したってさっき言ってたじゃない。あそこと関係あるんだよ」
 ミリスといえば、一つしか思い浮かばない。ぼくはとっさにこう聞いた。
「ことば泥棒がですか?」
 ぼくが岬さんにそう尋ねると、彼は何のことかわからないという風に肩をすぼめた。
「ことば泥棒? 何? それ。」
「あ、いや、いいです」
 彼に期待したぼくがバカだった。
「何のことかよくわからないけど、ぼくが言いたかったのはユラヌスのことね」
「ユラヌス? 新種のポケモンでしたっけ」
「いや、ただのニックネームだよ」
 そういえば面接のときこんな会話をしたような、しなかったような。
 そいつが何かミリスと関係が?
 ぼくがきょとんとしていると、岬さんはちょっとわざとらしい口調でこういった。
「ミリスとユラヌス。その心は、今は亡きロケット団の遺物ってことさ。だから、両方、相当強い。大切に育てるんだね」
 それはそうとして、と岬さんは続ける。
 クライアントの方から先に来てくれたようだ。二つ目の仕事を済まさなくっちゃ。

 岬さんが井戸の方へと目を向ける。
 ぼくもそれに倣う。

 地面が揺れると同時に、突然井戸のふたが音を立てて吹っ飛ぶ。噴水のように水が噴き出し、小さなポンプが紙切れのように舞い散った。
 中から紫色の巨体が姿を現す。

『立派なクライアントですね』
 炎姫がそう書いた。

    ◇

 アーボックだった。全長10mは優に超えている。図鑑に載ってるやつよりも相当でかい。
「クライアントってどういう意味だっけ」
 間抜けな声を出して、炎姫に聞いてみる。
『“顧客”です』
 狐は答えた。
 岬さんが嬉しそうに補足する。
「さすがだね。そうだよ。まぁ彼がぼくに電話してきたってわけじゃないんだけどね。仕事の対象というか、相手、だね」
『それって顧客とは言いませんよ』
 狐が無表情で返事する。こいつはこいつで、意外と焦ってるのかもしれない。“顧客”という画数の多い字がちょっと歪んできた。
「ご心配なく、すぐに終わるよ」
 岬さんはそういって、マスターボールを取り出す。「ポン」というあまりにも軽すぎる音とともに目の前の大蛇は一瞬にして紫の玉に吸い込まれていき、後には壊れた井戸と小さなボールを持った岬さんだけが残った。
「こいつもね、特別なんだよ。ぼくはよく知らないけど、なんせマスターボール支給だから、相当だろうね」
「また、ロケット団の遺物ですか?」
 僕が尋ねる。
「こいつはギンガ団だったかな? いやロケット団か。なんかもう、どこが改造したんだったか、忘れてしまったよ」
 ハハハ。岬さんは力なく笑う。
 ハハハ。

    ◇

 営利目的でやってきた向こう側が最初に手を組んだのは、ロケット団やギンガ団などの結社だった。そのせいで向こう側の評判はさらに悪くなったのだけれど、向こうの技術が一気にこちら側に広まったのは、彼らによる功績が大きい。
 ロケット団などの組織が、同時多発的に表れた少年少女たち“英雄”によって一瞬で壊滅させられたのが10年ほど前。ぼくもまだ記憶に残っている。
 メディアは盛んにこのことをわめきたてる。いまでもまだ特番があったりする。
 でも、ぼくはもう、その話には飽きてきた。疲れたのかも、知れない。

「遺伝子組み換えなんて、ぼくの世界では日常茶飯事なんだけどね。大豆とか、サケにもやられてたかな。サケって知ってる?」
 ぼくは黙って首を横に振る。岬さんはバツの悪そうな顔をした。
「怖いかい?」
 岬さんがそう聞いた。
「いえ、大丈夫。ぼくをそんな人だと思わないでくださいよ」
 そういって少し笑う。
「なんていうか、こう、慣れました」
 岬さんも小さく笑う。
「その気持ち、痛いほどわかるよ」
 そういって二人で顔を見合わせて、今度は本当に噴き出して笑った。

    ◇

「ミリスとユラヌスのこと、もうちょっと教えてもらっていいですか?」

 岬さんとは結局次の町に行くまで一緒になった。“向こう側”に帰るための“扉”がある大都市へと向かうために岬さんはリニアに乗る。ぼくは費用節約のため夜行バスに乗って遊園地へと向かう。大して再開発の進んでいない古い駅ビルの隣、夕日を背に受けながら、岬さんに聞いてみた。
 僕もよくは知らないけどね、と軽い口調で岬さんは言う
「ユラヌスは昔ロケット団が作ったポケモンさ。噂ではロケット団中、最大って言われてる。ミュウツー亡き今は最大最強に格上げされたのかな。けれどもその正体は誰も知らない。ホウエンからの輸入種って聞いたことはあるけど、その程度かな。でもって、君の所属する予定の機関は、そいつを躍起になって探してる。理由は言わなくてもわかると思うけど。でもってミリス君も改造種だね。実はそいつにも捕獲指令が出てた。だからもうすでに君の手持ちだってことを確認しなきゃいけなかったんだ。大丈夫、心配しないで。手持ちのポケモンを奪うのは法律違反だからね、そんなことはやらないよ」
 ほかに知りたいことは? と岬さんは言う。今のうちに聞いておかないと損するよ。
「意外と親切なんですね」
「僕が知りたいと思ったことを、君はすでにいろいろ教えてくれたからね。ま、ちょっとした感謝の気持ちさ」
 ハハハ、と笑う。
「お気持ちはありがたいですけど、特にないかな」
 おいおいと岬さんは肩を落とす。
「ぼくも、岬さんからもうすでにいろいろ教わったような気がするんで」
 電車のベルが鳴る。リニアが到着したようだ。やつれた顔をした男性があわてた様子で改札口の中へ消えていく。駅員が早く乗るようにと催促する声が聞こえる。
「じゃあ、ぼくはこの辺で」
 岬さんは言った。
 ありがとうございましたと僕は言う。炎姫も従った。
『いい人でしたね』
 炎姫が書く。僕も同意した。
 改札の奥、エスカレータに乗って、岬さんは“向こう側”への帰路に就く。
 ぼくらは見えなくなるまで、見送った。

    ◇

「ロケット団か」
 日はすでに落ち、あたりはLEDの白い光に照らされている。夜行バスを待つ間、頭の上の蜻蛉をつつきながら、ぼんやりつぶやいた。いろんなポケモンを傷つけて、いろんな人を傷つけて、いろんなポケモンを改造した人たち。
「炎姫、ロケット団って、どんな人たちだったんだろうね」
 僕がそう聞くと、198歳の狐は諭すようにこう書いた。
『あなたが期待しているような異常な人なんか一人もいませんよ。いい人も悪い人もいて、それで皆お金がないと生きていけないから嫌々会社で働いている。そんな人たち。それが、彼らです』
 そうか、と僕が言う。
 そうですよ、と狐が言った。いや、書いた。




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かなり久々の続編になってしまいました。
別に放置していたわけではなくって、純粋に時間がかかってしまっただけです。。。

これからもぽつぽつ書いてくつもりなので、お暇な方は読んでやってください。