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  [No.631] Orchard in a bottle 瓶詰めの果樹園 投稿者:クロトカゲ   投稿日:2011/08/09(Tue) 22:08:06   35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

どうもクロトカゲです。初めての長編小説の投稿です。

オレンやモモンなど、お馴染みの木の実を育てる果樹園を舞台に、それにまつわる「育てる者」の物語を書いていきたいと思います。

楽しんでいただければ幸いです。


  [No.632] 1話 変化はナゲキが運んでくる 投稿者:クロトカゲ   投稿日:2011/08/09(Tue) 22:15:34   70clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ナゲキがやってきた。
 平穏というのはこうして簡単に容赦無く終わるものだと彼は知っていた。
 彼らの目的は木の実ではない。そんなものには初めから興味がなかったのだ。そう思うと彼は 何だか悔しかった。少しは興味を示せよ、という理不尽な怒りが沸き上がる程だ。
 ナゲキは道着をのような布を纏った赤いポケモンだ。彼等は五匹で一組みの群れを作る。その目的は主に武者修行で、強くなるために積極的に草群から飛び出してくる。
 そんなナゲキの群れが果樹園に姿を現した。木の実を取る様子がないので放っておくと、大事な木を敵に見立てて技の練習を始めたのだ。腰に縛っていた帯を巻きつけ、投げ技の練習に精を出している。彼が丹精込めて育ててきた木だ。そう簡単に折れたり倒れたりしないだろうが、黙って指をくわえて見ていられる程彼はクールではない。大事に育てた木なのだ。商売道具でもあるのだ。彼は慌ててポケモンで追い払うため、思いっきり笛を吹いた。
 収穫や農作業、見回りを中断してポケモン達がやってくる。それに気づいたナゲキ達はやっと修行を中断し、彼等に向き合った。



「おーい、いるかー?」

 ドア付きベルが響き渡る。木製のカウンターの向こうには誰も立っていない。彼は灰色のパナマ帽のつばを指で弾き、勝手に椅子に座る。そして備え付けの呼び鈴を鳴らすとしばらくしてからワインレッドのワンピースの女が現れた。

「あら、いらっしゃい。よく来てくれたわね」

 レンタルポケモン屋『パートラーク』の女店主、クレタは嬉しそうに客を迎えた。
 まるで百年来の友人の様に話すその応対が客にウケているのだろう。彼はたまに馴れ馴れしいと思わないことも無いではなかったが、彼女の開放的な性格には好感を持っていた。

「どうしたの? なんか疲れてる? ダメよー。仕事の疲れを私生活に持ち込むような生活してちゃ」
「それがな、ちょっと悪いんだが、借りたポケモンを返そうと思って」

 彼女は狐につままれたような顔をする。胸にずんと重いものでも埋め込まれたような感覚に、彼は溜息をついた。相手が彼女でなかったら中々言えなかったかもしれない。
 事情を話すと、彼の心配とは裏腹に彼女は笑い話でも聞かされたかのようにケラケラ笑った。

「そりゃあダメよ。格闘ポケモンにノーマルポケモンが簡単に勝てるわけないじゃない。それにあなたに貸したのはバトル用に育てた子達じゃないし。無茶よ無茶」
「面目ない。俺のポケモンも全滅して、どうにもならなかったんだ」
「え? 確か飛行ポケモンいなかったかしら? それでもダメだったの?」
「まぁ、今育ててるのはバルチャイだから相性としては万全ではないし、レベルもはっきり言って低いからな」
「そっか。それはちょっと困ったわね」
「もう少しレベルの高いポケモンをレンタルすると、やっぱり結構かかるのか……?」

 カウンターに置いてあるレンタルポケモンのカタログを手に取り中を見始める。彼の言葉に彼女は肩をすくめた。

「あのね、誰にでも言う事聞くポケモンを育てるのって本当に難しいんだからね! ノーマルポケモンが一番クセがなくていいんだから。それにアンタんところはバトルすればいいってわけじゃないでしょ? 見回りとか果樹園の手伝いとか、そういう汎用性の高い子はやっぱりちょっと値が張るわよ」
「顔馴染みとしての割引価格は……」
「5匹のナゲキに確実に苦戦しないポケモン、強さと数――と、戦闘専門にしてもこんなところかしら」

 黙って電卓を弾き、彼女が見せたその数字は覚悟していた額を遙かに上回るもので、彼はがっくりと肩を落とすしかなかった。

「うーん、もうこの際ナゲキ達を撃退できればそれでいいんだが……なんとかならないか? このままじゃ俺の大事な木がボッキリ折れちまう……」
「ま、返却はどのみちキャンセルね。また一から作業を教え込んでる暇も無いでしょ」

 頭を抱える彼の姿を見て溜息をつくと、彼女は少ししてからニッコリ笑う。

「いいアイディアがあるわよ」

 そう言うと、クレタは手近にあった紙に何か書き始める。それを見て彼はああ、と感嘆の声を漏らす。

「ポケセンに回復に行くでしょ? その時にこれ、渡して。あなたは頼みごととか苦手だから、これを渡すぐらいできるでしょ?」
「ああ、これなら子どもでもできるだろうな」

 皮肉の込められた返事を聞き、彼女は前髪を弄りながら笑顔を見せた。

「すまないな。借りにしとくよ」
「レンタル屋だけどサービスでいいわよ。今後ともパートラークを末永くご贔屓くださいな」

 受け取り、掌で礼をすると、彼はポケモンセンターへ向かおうと席を立ち、ドアに手をかける。

「ボトル」

 ドア付きベルが小さく鳴った時、名を呼ばれ、彼は首だけで振り向く。

「ん?」
「なんとかなるわよ、きっと」
「ああ、今までそうやってきたからな」
「そうね。一人になっても何とかやってきたもんね」



 その日のポケモンセンターは随分空いていた。自動ドアが開いた時から涼しい空気に浸ることができ、このまま帰りたくないなとも彼は思ってしまったが、そうもいかない。

「あら、ボトルさんいらっしゃい。木の実の配達、もうだったかしら?」

 受付のジョーイはやってきたのが顔馴染みだとわかると嬉しそうに声をかけた。

「この間のオレンの実、とっても美味しかったですよ。センター利用者の方々にも評判で、何だか私まで誇らしくなっちゃいました」
「いや、今日は出荷に来た訳じゃないんだ。これ」
「ああ、ポケモンの回復ですね。少々お待ちください。今日は随分多いですねー」

 ボールをカートで運び、回復マシンに入れると、お馴染みの完了を告げるメロディーが流れる。パソコンに映るステータスを確認するとすぐにボールを取り出し、ボトルの前に全てのボールが置かれる。

「お待ちどおさま。回復終わりましたよ」
「ありがとう」
「ボトルさん」

 モンスターボールを渡すジョーイの表情はやや硬い。

「ご存知だと思いますけど、ここのマシンは何でも治せるわけじゃありませんからね」
「ああ、わかってるよ」
「この子達、かなり疲労が溜まってます。怪我は治ったけど、本当はしばらく休ませた方がいいんですからね」
「まぁ、目処が立ったらたっぷり休んでもらうつもりなんだけどな」

 彼の返事にさらに何か言おうとしたところ、何かを突き出されて止められる。

「これ、貼ってもらってもいいか?」

 それは果樹園のポケモン討伐依頼だった。ナゲキ達の討伐と果樹園の見回りをしてくれるトレーナーを募る手書きの広告になっていた。一目で誰が書いたものかがわかったらしく、クスリと笑い、ジョーイはそれを受け取った。

「これならボトルさんも農作業に専念できますね」
「でも、旅のトレーナーはポケモンの育成やバトルに忙しいだろうし、わざわざ農作業を進んでやるかな? そんな奇特な奴がいるもんかねぇ?」
「うーん、そうですね」

 唇に手を添えて考え込むと、ジョーイは尋ねる。

「確かボトルさんの家、部屋は沢山余ってるって言ってましたよね?」
「ウチっていうか、果樹園ね。ああ、一応」
「そこを貸し出せばいいんですよ。宿泊場所と、ご飯も出してあげたほうがいいかしら?」
「住み込みを募集するってことか?」
「そこまでキッチリしたものじゃなくていいと思います。ちょっとした用心棒みたいなものかしら。トレーナーさんってお金がある人はいいけど、大抵贅沢できないからセンターに泊まる人も結構いるんですよ。宿泊施設じゃないからできることも限られてるし、飽きてる人もいると思うし。手伝いするだけで一日二日泊まれるならやりたいって人もいるんじゃないかしら」
「部屋も綺麗にしてるし、できないこともないか……」
「それにトレーナーさんなんだから、美味しい木の実をあげたら絶対喜ぶと思いますよ。バトルにも役に立つますから、あって困るものじゃありませんし」

 それを聞いて、やっとボトルは安堵の表情になる。それを見てジョーイも笑顔になる。

「たしか募集広告のフォーマットは残っていたはずだから、簡単に手を加えてこちらで貼っておきますよ。お手伝いがいないと苦労するだろうから、私からもなるべく声をかけてみますね」
「なんか、何から何まで悪いな」
「いつまでも一人で切り盛りしようと思ったら倒れちゃいますよ。とにかく私に任せてください」
「じゃあ、頼むよ。今度の配達の時は、多めに木の実を持ってくるか」
「はい、楽しみにしてますね」



 広告を見て集まったのは4人。ポケモンセンターに行った翌日にさっそく来たのは嬉しい誤算で、ボトルは満足していた。
 一人目は上下色違いのピンクの迷彩で揃えた肩程まであるセミロングヘアの少女。名はエイミー。一体それはどこで何からどうやって身を隠すための格好なんだろうか、と彼は首をかしげる。もう一人はエイミーの友人らしき女の子、サクヤ。半袖にホットパンツの友人とは対照的に、膝丈スカートに長袖と少し運動には向かない格好で、ピンク迷彩の後ろについてくる感じのおとなしい子だ。しかしトレーナーというのは外見や性格で実力を測れるものではない。幼い子どもがジムリーダーやチャンピオンの座につくこともある。

「うーん、ここは切っとくか」

 ボトルが作業をしていると彼の仕事が気になるのか、サクヤはチラチラこちらを見てくる。しかし人見知りをするのか声をかける勇気はないようだった。エイミーはというと機動力を持つポケモンを多く持っているらしく、かなり広い範囲の見回りを引き受けていた。本人も積極的に駆け回っており、木に登ろうとするミネズミに「コラーッ!」と大声で追い払う姿も見せている。

「木の実が入ったケース、運び終わったぞ」

 三人目は長身の若者で、端正な顔に鋭い目付きは少し人を近寄らせない雰囲気を持っていた。カールがかった赤毛にやや褐色の肌、メンドーサという聞き慣れない名は他の地方からやってきたのかもしれない、とボトルは思った。口数も少ない仏頂面はあんまり人受けしないタイプだが、自ら仕事を引き受けに来たのだ、こういうタイプは自分で仕事を見つけて淡々とこなしていくものが多いので、仕事もバトルも期待できそうだ、と彼は思った。
 そして最後に細身の男。妙に柔らかな物腰に丁寧な口調、そして適度に刻まれた顔の皺が年齢をあやふやにしている。笑顔を絶やさないが、それはどこかニヤニヤというのが似つかわしい笑みで、少々不気味にも感じる底が知れない男だった。

「いやぁ、たまには野良仕事も悪くないものですね。今晩のお酒が大変楽しみです」

 オフキィという奇妙な響きの名の男は、進んで農作業を専門に手伝うと言い出した。討伐依頼を出すような野性のポケモンが出るところでは、自分のポケモンが戦闘では役に立たないだろう、ということだった。腕まくりしたワイシャツに紺のスラックスと随分動きづらそうな格好だったが、作業着を貸そうという申し出も頑として断った。「これが私の宣徳服ですから」とは本人の弁だが、首元のボタンぐらい外せばいいのに、とボトルは思う。手持ちのツンベアーも体力は十分にあるようで、力仕事をこなしても疲れる様子は無い。ますますこの男がわからないと、彼は思ったが一生懸命働いてくれるので文句は無い。世の中には変わった人間はいくらでもいるし、謙虚なだけかもしれないと自分を納得させ、彼は自分の作業に集中する。

 ポケモンセンターから帰ってみると、ナゲキ達は姿を消していた。しかし、木には彼らが十分に修行したあとがしっかり刻み込まれていた。野生のポケモンは住処を簡単に変えないことの方が多い。戻ってくる可能性は高い。
そういった状況も説明しつつ、彼は四人のトレーナーに果樹園の地図を見せながら巡回範囲や雑務の説明をした。説明を聞き終わるとトレーナー達はすぐに手持ちを確認し合い、自分達の持ち場を決めた。それは驚く程スムーズで、彼等が旅慣れしていること、行く先でこういった依頼も何度かこなしていることがわかった。ボトルは心の中でクレタとジョーイに深く感謝した。

「あの、聞いてもいいですか……?」

 気づくと後ろにいたサクヤがか細い声でボトルに言った。

「ああ、何?」
「えっと、その小さい木の実、不良品か何かなんですか? 見た目に悪いところはわからないですけど」
「ああ、これ?」

 ボトルの手には先ほど取ったばかりのオレンの実が握られていた。確かに見た目におかしいところは無い。

「成長途中で木に生った実の数を減らすんだよ。実の数が多いより、ある程度少ないほうが十分に栄養がいって、大きくて美味い木の実になるんだ」
「へぇ、そうなんですか。全然知らなかった……」
「そのままじゃ酸っぱいんだけど、これはこれで熟したものより脂肪を分解する成分が多く含まれてるから、加工すればポケモンのダイエットなんかに使えるんだ」

 感心の声を聞き、作業に戻ろうとすると、再びサクヤが言う。

「他にも聞いていいですか?」

 良い木の実の見分け方、普段ポケモンにやらせている果樹園の仕事、周りにどんな野生のポケモンが生息しているのか……。次から次へと質問がされるので、作業をしながらボトルは答える。何度目かの質問に答え終わり、また次の質問をしようとサクヤが口を開いた時、遠くから怒鳴り声が聞こえた。

「サクヤ! いい加減にしなさいよ! あんたも働かないと、給料の半分はアタシが代わりに貰うからねー!」
「ご、ごめんなさい! すいません、また後でお話聞かせてください!」

 走り去る彼女の背中を見て、彼はやっと解放されたと首を振った。しかし仕事が終わってからまた質問攻めが始まるのは目に見えている。ボトルは帽子を目深に被ると、そっと息を吐いた。

「頼まれていたことは終わった」

 メンドーサが相変わらずの仏頂面で報告に来た。それはボトルが予想していた時間より遙かに早く、思わずまじまじと顔を見てしまう程だった。

「そういえばこの果樹園の――」

 メンドーサが何か言おうとした時、高く美しい鳴き声で舞い降りるものがあった。

「ウォーグル!」

 主人の呼び声に答えると、再び上昇したウォーグルは羽を散らしながらすぐに方向転換し、滑空してあっという間に飛び去る。

「奴さんが来たようだ」
「ナゲキか?!」
「ああ」

 二人が全速力で駆けつけると、五匹のナゲキが例の木の場所にいた。二人が来たのを確認すると、ナゲキ達は叫び声を上げた。修行はしておらず、二人が来るのを待っていたかのように、前に出てくる。

「ウォーグル、お前は指示していたルートの巡回に行ってくれ」

 上空で見張っていたウォーグルはナゲキ達を一瞥し、黙って飛び去った。それを見届けるとメンドーサは腰のボールを放つ。出てきたのはナゲキに似た青いポケモン、ダゲキだ。

「いけるな」

 その呼びかけに、ダゲキは大声を上げ答える。ナゲキ達からは一匹が前に出て構えをとった。二匹はなにやら話し出す。どんな言葉を交わしているのかわからないが、穏やかな会話ではないのは明らかだった。そして、ダゲキが地を踏みしめて構えた時、戦いの火蓋は切って落とされた。先に動いたのはナゲキで、怒号を上げ飛びかかる。しかしダゲキは冷静に「ローキック」でスネを蹴り、痛みによろめいたところに「にどげり」が放たれる。一瞬の足技コンビネーションで、一匹目のナゲキは為す術もなく倒された。
 仲間が倒されても他のナゲキ集団で襲ってくるようなことは無く、一匹ずつダゲキと戦った。ナゲキ達なりのフェアプレー精神というか、ルールが存在するようだった。
 そのまま三匹目まで難無く倒し、ダゲキは四匹目もそれなりに体力に余裕を持たせて倒すことに成功した。残りは一匹。大将と戦う前に、メンドーサはダゲキを後ろに下げ、傷薬を使い体力を回復させる。治療が終わると、前に出たダゲキに対し、ナゲキは待ちかねたとでも言う様に肩を回す。その振る舞いには残り一匹に追い込まれたという同様は微塵も感じさせない。ダゲキの方が力量を測れずに戸惑っているようにすら見えた。

「よし、いけ!」

 ダゲキを信じているのか、勝負に余計な横槍を入れないよう気を遣っているのか、そういう主義なのか、メンドーサはバトルの指示を出すようなことはせず、静かに見守っていた。口数の少ない主人の声援を受け、ダゲキが先制攻撃を繰り出す。しかし繰り出した「にどげり」は仲間の戦いで分析されていたのか、ナゲキに着実に腕でガードされ、足を掴んで放り投げられた。「あてみなげ」が見事に決まってしまった。

「ナゲキ出たって?!」

 ウォーグルが知らせたのか、エイミーが駆けつける。 サクヤやオフキィも一緒だった。戦いの行方を見守る。

「こいつ、強いな」

 メンドーサが呟いた。
 確かに先程まで苦戦するような相手はいなかったが最後のナゲキは違う。ダゲキの攻撃を的確に捌き、避け、衝撃を見事に逃がして致命傷にならないようにしている。ナゲキがダゲキの袖や腕を掴もうとすると、大きく円を描く様に腕を振り、懸命に捕まらないように逃げる。ナゲキも何か感じ取ったのか、慎重に攻撃を繰り出すようになり、お互い距離を縮めたり広げたりと間の取り合いとなった。

「勝負は五分五分といった感じでしょうか」
「しかし、メンドーサ様のダゲキも相当鍛えているように見えますなぁ。そんな相手にナゲキは十分余裕を持って渡り合っています。野生であそこまでの実力を持っているものがいるとは、いやはや世間は広いものですねぇ」
「ダゲキの方が攻めづらそうね。無理もないのだけれど」

 基本的に打撃技と投げ技では、投げ技の方が有利と言われている。投げ技主体の相手に対しては、捕まってはいけないので、手数が少なくならざるを得ない。ヒットアンドアウェイが基本となり、戦術が限られてしまう。そうなれば、自然と防御もやりやすくなってしまうのだ。

「ダゲキ、一度下がれ!」

 指示に従い、距離を取る。二匹は荒い息を整えようと必死だった。しかし、メンドーサは休憩させるために間を空けさせたわけではなかった。

「やれ」

 冷たい響きの一言を聞き、反射的にダゲキは前に躍り出る。ナゲキは待ちかねていたように、腰を深く落とした。今までに無い動きだった。掴むために襲い掛かってきた指はしっかり握られ顎を目掛けて突き出される。強かに打たれ脳が揺れる相手に流れるような肘や膝の連撃が打ち込まれた。ダゲキの奥の手「インファイト」が見事に決まった。ふらりと傾く宿敵の姿を見たナゲキが、無茶なスピードで動かした体の力を抜く。

「ダゲキ、撃て!」

 前に倒れ込む体を捻り、地面に落ちる前に下から最後の攻撃を繰り出した。紫に怪しく光る指先が、ナゲキの右胸に吸い込まれる。技の副作用で解かれたガードにダゲキの「どくづき」がヒットした。ダゲキは地面に横たわり、ナゲキが膝を着き震えている。毒が回ったようだった。
 ナゲキが顔を上げるのと、黄色いボールが当たるのはどちらが早かっただろうか。ハイパーボールはナゲキを吸い込み、何度か揺れると静寂が訪れる。戦いはナゲキの捕獲によって幕を閉じた。

「よくやった」

 メンドーサの簡潔な褒め言葉を聞きなんとか立ち上がると、満足そうにダゲキが頷いた。そしてボールを拾って主人に差し出す。

「ナゲキ、出てこい」

 ボールから出てきたナゲキはこれからの主とダゲキを確認する。毒消しと傷薬で治療を受けた後、仲間達を見た。彼等の顔は力無く俯いたり、苦渋に顔を歪めていたりした。
捕まったナゲキは残りのメンバーの元に歩み寄ると別れを告げていた。そのやりとりはなんとかリーダーを引き止めようとあの手この手でメンバーが交渉しているようだった。いくら言っても頑として聞かず、挙句に未練がましいメンバーを「ヤマアラシ」で投げ飛ばすと、振り向かずに主の元へ行った。
 ガックリと地面に崩れ落ちる四匹は大将を見送ると、力無く足を引きずり、身も心も満身創痍のまま帰っていった。果樹園に手を出したのだから自業自得なのだが、トボトボ消えていく彼らを見ると何だか気の毒に思える程だった。

「おい、俺がお前を必ず強くしてやる」

メンドーサの力強い宣言に、ナゲキは深く一礼し、ボールに収まった。



「じゃあいこっか」
「世話になったな」
「お仕事ですから。それにこっちこそお世話になったわ」

 朝、別れの挨拶をする二人の横で、サクヤは一人何か考え事をしているようだった。
 メンドーサとオフキィは急ぎの用でもあるのか、日が昇り始めた頃に果樹園を発っていた。二人とも、報酬の賃金や木の実に満足しているようで、近くに寄った際はまた来る、というようなことを言って去った。

「ほら、サクヤ。行くわよ」
「あ、うん」
「じゃあ二人とも。旅、頑張って」

 手を振ると、エイミーもそれに答えて歩きだしたが、サクヤは後に続かず立ち止まったままだ。ボトルが疑問に思い、エイミーもそれに気づいて振り返ったとき、サクヤは大きく口を開いた

「あのっ!」

 自分でも大声に驚いたようだったが、ぎゅっと両手を握り、再び大きな声を出した。

「聞いてもいいですか?!」
「ああ、うん」
「ここで働く人、募集してませんかっ?!」

 突然の申し出に、ボトルは呆然となるしかない。エイミーは鋭い眼つきで一喝する。

「アンタ何言ってるのよ!」 
「私、ここに残って働きたい」
「旅、続けるんでしょ! 一人前のブリーダーになるための旅をしてるって言ってたじゃない?!」
「だから! ブリーディングには広い自由になる場所って必要で、あと木の実も重要で、それで――」
「あー、もうわかったわよ。アンタってば、いつもそうなんだから」

 不機嫌そうな声とは裏腹に、エイミーは友人の決断を応援するような、優しい表情で彼女の髪を撫でた。

「で、どうなの?」

 睨み付けるエイミーと、不安そうなサクヤの視線を受け、ボトルは帽子のつばで視線を隠しながら言う。

「ああ、こっちとしては人手不足だし、長期で働いてくれるのは寧ろ大歓迎だけど。いいのか?」
「はい! しばらくお世話になります!」

 彼女が差し出した手をボトルは握る。その手は彼に比べて随分小さいが、予想していた以上に強く握り返された。

「じゃあここでお別れね。次に会うときはもっと成長してなさいよ」
「うん。エイミーも頑張って。ちゃんと目覚ましで起きてね」
「ばか。アンタと会うまでアタシも一人で旅をしてたんだからね」
「またね」
「うん、また。ボトルさんも、この子を頼んだわよ!」
「ああ。気をつけてな」

 見送られるはずの者と一緒に、ボトルは少女の旅立ちを見送った。
 
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「じゃあ、少しずつやっていこうか」
「はい」

 ボトルは今日やるべきことを考えた。本日の作業計画を随分修正しなければいけない。仕事をのやり方を一から教えなければならないし、時間をかけて少しずつ分担していかなければならない。仕事だけでなく食事や生活なども今までどおりには行かない。やることも考えることも山積みだ。

「色々やらなきゃならないか。しばらくは今以上に忙しくなりそうだ……」

 呟きが聞こえたようで、サクヤは苦笑いをするしかなかった。

 こうして、ナゲキ達の襲撃をきっかけに、彼の日常は新しいものへと変わった。
 日常は変化したら元に戻るのは難しい。それが日常になってしまうのだ、と彼は思った。


  [No.639] 2話 ドレディアの花の香りは近づかないと嗅ぐことができない 投稿者:クロトカゲ   投稿日:2011/08/13(Sat) 21:00:34   62clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 時間というのは最高の化粧だとサクヤは思っていた。どんなものも、時間さえかければしっくりと馴染む。どれだけの時間が掛かるかはまちまちだとしても。
 そろそろこの大きな麦藁帽子も似合うようになってきたかしら、と壁にかけたそれを見ながらサクヤは思った。サクヤが果樹園に来て一週間が経とうとしていた。

「それじゃあ、ちょっとトレーニングに行ってきますね」
「おい」

 夕食後、一声かけて出て行こうとすると、リビングでテレビを見るボトルに呼び止められる。

「食べたばかりで運動すると脇腹が痛くなるぞ」
「そんなに急に激しい運動はしませんよ。ランニングするつもりなので、ついでにギアルと交代で見回りに行ってきますね。あの子まだご飯食べていませんでしたよね?」
「ああ、そうしてもらえると助かる。仕事もしたんだから、ハードワークにならないように気をつけろよ。君もポケモンも」
「大丈夫ですよ。それじゃ、行ってきまーす」

 日中はだいぶ暑い果樹園だが、夕方になると途端に涼しくなる。トレーニングは旅をしていた頃からの日課だったが、昼は仕事を果樹園の仕事をさせているポケモンも多いので、だいぶ軽めのメニューに変更されている。

「本格的に新しい訓練メニューを考えないとね」

 正直言うと彼女も疲れがたまっている自覚はあったが、翌日のことを考えると自然と足取りも軽くなった。明日は初めての休日で、立てた計画を思い出すだけでワクワクした。

「リッキー」

 ご機嫌のまま放ったボールからトゲチックが現れる。

「ギアルを探して連れてきてくれる? 見回りをしているはずだから、昼間にリッキーが通ったどこかにいると思うの」

 任せろと言わんばかりに甲高い鳴き声を上げ、ふわりと浮かび上がるとトゲチックは飛んでいく。

「じゃあ、みんなリッキーが戻ってくるまで、まずは準備運動から。それが終わったらいつもの筋トレメニューね」

 ボールから残りのポケモン五匹を出し、指示を出す。五匹が一生懸命体を動かす様を見ながらサクヤは考える。
 私も育てるポケモンを増やしたほうがいいのかしら。
 果樹園の主であるボトルはかなり多くのポケモンを操っていた。その数、実に十二匹。サクヤの倍だ。ローテーションでも二匹程しか休むことはなく、それでも十匹。ボトルに直接尋ねたところ、「仕事は全て覚えさせてあり、単純作業だからそんなに難しいことじゃない」と言っていた。

「でも、そんな簡単にできるかしら……?」

 彼女の手持ちポケモンは全て出身のシンオウ地方のポケモンだった。一人前のブリーダーになるために父の出張についてイッシュ地方に渡り、そのまま旅に出てやっと半年。故郷のよく知ったポケモンですら手探りで育てているのに、未だよく知らないポケモンを育てられるのか不安で、イッシュのポケモンはまだ一匹もゲットしていなかった。もちろん、いつまでもそんなことを言っていられないのは彼女自身もわかっている。しかし自分の力量を信じられないのも事実で、彼女は悩んでいた。

「変わりたくてこの地方に来たし、そのためにこの果樹園で働き始めたのにな」

 地面ばかり見ていた顔をふと上げてみると、トゲチックがギアルを連れて飛んでくるのが見えた。気を取り直して、ブリーダーの顔に戻る。

「見回りは私達が引き継ぐからね。ボトルさんが美味しいご飯を用意して待ってるわよ」

 それを聞き、ギアルは回転を右、左と気ままに変えながらゆっくり回りつつ、ゆらゆらと帰っていく。ギアルの後ろ姿を見送ると、パン、と手を打ちポケモン達を横並びに整列させた。

「それじゃあランニングを開始するわ。果樹園の巡回コースの一番遠回りのパターンで。あなた達は時計回り。あなた達は反対回りでね。木々の間をぶつからないように走っていくこと。わかった?」

 呼びかけに対し、全員が元気よく返事をした。

「合図をしたら一匹ずつスタートしてね。もちろん、誰かが木の実を食べようとしていたら追い払ってね。ただしあんまり手荒なことをしちゃダメよ。じゃあ、用意、ドン!」

 合図と共にポケモン達が駆け出す。感覚を開けて合図を繰り返し、全てのポケモンがスタートしたのを確認すると、一番走るのが遅いスコルピと並走する。多脚の小さな体は戦闘中のスピードはあってもランニングには向かないので、並走、といってもほぼ歩くスピードだったが。
 果樹園をサクヤとスコルピはゆっくり進んでいく。ホドモエシティから少し離れた山間の森にあるそこは、まだ彼女が敷地の全てを見たことが無いぐらいに広大だった。しかし、イッシュ地方はとにかく広く、農業の規模も桁違いのようだ。ドームと同じぐらいの土地一杯に広がる小麦畑もあったぐらいなので、イッシュでは当たり前のことなのかもしれない。しかし、ボトル一人で切り盛りしている所為か、半分以下の土地しか使っていないようだった。使用していない土地も実のなる木は同じように生えており、野生のポケモンも数多く生息している。そこからそのまま果樹園に入ってきてしまうポケモンも多いようだったが、追い払えばすぐに逃げて行く。わざわざ危険を冒してまで無理やり居座ろうとする、先日のナゲキ達のようなポケモンは少なかった。
 だんだん暗くなってきて、建物まで帰るのに迷わないよう、道と方向をしっかり確認しながら進む。走りながら木々の間を飛ぶ光を見つけた。よく見るとエモンガだとわかった。根元にはクルマユ達が集まって眠っているのも見かけた。人の土地の中でこれだけのポケモンがいるのは彼女にとって不思議な感覚だ。
 やがて、スコルピに他のポケモンが追いついて、トレーニングは終了となった。森の中から見える果樹園の明かりは随分頼りなく、距離はわかっているのに何故か実際の距離以上遠くに感じさせた。
 戻ったサクヤを、ボトルは冷たい飲み物を用意して待っていた。お礼を言って一気に飲み干す姿を見て、ボトルは顔を背けて笑った。



 寝ぼけながら見た時計の表示に、彼女の頭の中のギアルがボディーパージをしたかのごとく急回転を始める。顔面蒼白で急ぎ着替えると部屋を飛び出した。

「ちょっとボトルさん! 起こしてくれればいいのに!」
「体が休みを欲してたんだろ。そういう時は休めばいいんだよ」
「もうこんなに日が昇っちゃったじゃないですか! せっかくの休みなのに、もう……!」
「メシは?」
「街でブランチにしちゃいますから!」
「わかった。じゃあ、気をつけてな」

 バタバタするサクヤを一瞥しただけで、いつものように彼は果樹園の仕事に向かった。
 化粧をしてオシャレすると、悩んだ挙句、麦藁帽子を被った。ずっとズボンばかりだったので、鏡に映るスカート姿の自分は久しぶり会う友人のような懐かしさを感じた。
 やっと出かける準備が出来た頃、外で車の止まる音が聞こえ、窓から覗くと、誰か降りてくる。客のようだ。灰色のツナギを着た女性はやや細い長身の、目をすっぽりと覆うサングラスばかりが印象に残る顔で、サクヤは虫ポケモン・スピアーの様な人だな、と思った。外に出るとすぐさま「誰?」と声をかけられる。淡々とした声で、少し怖いかも、と少々身を硬くした。

「最近ここで働くようになったサクヤと申します。はじめまして」
「アタシ、ポーター。配達屋。よろしく」
「よろしくお願いします」
「ボトルいる?」
「ああ、すぐ呼びますね」

 携帯で呼ぶとすぐにボトルが現れる。ポーターは口数が少ないようで二人の間に会話無く、話しかけづらいオーラを放っており、サクヤはボトルの姿が見えるとホッとした。

「よぉポーター、いらっしゃい」
「次の出荷の注文」
「ああ、どれぐらい来てる?」

 商談が始まり、長くなりそうなのでサクヤは一声挨拶して出かけようとする。それをボトルが呼び止めた。

「悪いんだが、君にちょっと用事を頼みたいんだけど」



 空腹に襲われながらやっと辿り着いたホドモエシティは磯の香りとほんの少し錆の匂いがする街だ。イッシュを代表する大都市の一つで、ホドモエは大きな港があり貿易の拠点となっているので、店も多く様々な商品が溢れている。また、ジムもあるのでトレーナーも大勢訪れ、いつでも賑やかな喧騒で溢れかえっている。道を歩くと人だけでなく、コンテナを背負ったイワパレスの集団など、働くポケモン達の姿も多く見られた。
 サクヤはさっそくオシャレなパスタ屋に入り食事をする。若夫婦がやっている小さな店で、以前ホドモエに来たときに気になっていた店だ。コジョフーが給仕を手伝っていて、格闘ポケモンらしい見事なバランスで料理を運んでいる。注文したリングイネのボンゴレロッソをテーブルに置くと、コジョフーはつぶらな瞳で羨ましそうに見てくる。彼女が口に運ぶとやっと名残惜しそうにテーブルから離れた。マトマの実のソースが少し辛めで酸味が効いていて暑い日には最適だ。少し豪快な盛り付けで値段の割にボリュームがあるのも港町らしい。彼女は料理を口に運びながら、ふと、周りの人は自分をどのように見ているのか気になった。旅のトレーナーではなく、街の住人だと思われているかもしれない、と考えるだけで少しおかしかった。
食事が済むと、やっとショッピングに出かける。行く先々で、目移りして困るほど魅力的な商品が多かった。そして何より買い物が楽しいのは、何を買ってもいいからだった。旅の途中では余計な荷物を増やすことができないので、気に入ったものだから買う、というわけにはいかない。最小限の買い物を余儀なくされ、家具を買うなどもってのほかだ。しかしその制約が無いというだけで、彼女は全てを手に入れたような気分で満たされていた。
 ブランド店を見て、本屋に入り、屋台を覗き、ブティックで試着をして、どれだけ歩いたか、ふと目に留まったのはクイタランを模した看板の古い建物の店だった。木製の少し薄暗い店内には、これもまたポケモンを模した小物で一杯だった。ランプラーの電灯やダンゴロの鉛筆削りなど、商品は全てが手作りのようだった。工場などで大量生産されているものにはない温もりが感じられ、彼女は思わず手に取る。そんな客を店の隅にパイプをくわえた大柄な初老の男性が、安楽椅子を揺らしながら微笑んでいた。

「いらっしゃい。ゆっくり見ていってなぁ」
「はい。ありがとうございます。素敵なお店ですね」
「お気に召したようでなによりだぁねぇ」

 白い髭をたくわえたユキノオーにも似た主人は、彼女が品物を見るのを嬉しそうに眺めている。しばらく手に取ったり戻したりで何を買おうか迷い始めた姿を見て、主人はおススメの商品を差し出した。

「お嬢ちゃんにはこれなんかどうだね?」
「あ、それってドレディアの!」

 はなかざりポケモンの頭に咲く花を模したコサージュは、実際の花の半分程の大きさではあったが、その存在感は十分損なわれていない。細工も丁寧で、サクヤはすぐに気に入った。値段も思ったより安くて申し分ない。

「それいいですね。可愛い。それにします」
「はい。どうぞ」
「じゃあ丁度で」
「まいどあり」
「お世話様です。また来ますねー!」

 購入するとすぐにコサージュを麦藁帽子につける。サクヤは駆け出し、噴水広場を見つけると水面を覗く。揺れる水面に薄っすらと大きな麦藁帽子の少女が映っていて、手櫛で髪を梳き始める。
 悪くないかな。
 そっと覗く自分の姿を見て、たまに果樹園で見かける野生のドレディアを思い出す。果樹園はサクヤが予想していた以上にたくさんのポケモンが訪れる。木の実を奪いにくるもの、通り抜けるもの、人間達を見に来るもの。彼女が果樹園に来るきっかけになったナゲキ達も懲りずに何度か姿を見せていた。メンドーサが大将をゲットしたためにその脅威は弱くなり、そこまで実力の高くない彼女でも返り討ちにすることができた。最後に見たときは、ズルッグの新入りを加えた妙な五人組になっていた。一体どんな経緯でスカウトされたのだろうか、新人は明らかに馴染んでいなくて、二人は思わず声を上げて笑ってしまった。
 そんなポケモン達の中で、ドレディアもたまに姿を現しては、木の陰からそっと彼女を見ていた。単純に人間が珍しいのか、仕事姿が気になるのか。彼女が近づくと逃げていき、移動すれば追いかけてくる。その距離は一定に保たれていて中々縮まらない。

「誰かに見られながら作業するのって、やりづらいだろ?」

 ボトルは面白そうに言っていたが、何か彼もそういう経験があるのだろうか、と彼女は首を傾げたものだった。
 サクヤはそのまま果樹園の主であるボトルについて考える。
 変わった人だ。
 いつもボーッとしているような、何か考え事をしながら遠くを見ているような妙な雰囲気を漂わせている。食べ物の好き嫌いは無く、酒は飲まない。趣味らしい趣味はわからず、強いて言えばリビングでアメフトを見ていることぐらい。起きてから寝るまでスケジュールに沿って行動しているようで、そのサイクルを乱すのを嫌がっているように思える程、決まった生活を送っていた。
 彼女は会った相手をポケモンに当てはめる癖を持っていた。ちょっとした外見や印象の特徴から勝手にどのポケモンに似ていると心の中でポケモンの名前で読んだりする。しかし、ボトルが一体何のポケモンに似ているのか、しっくりくるものが全く浮かばなかった。

「あ」

 そして今、もう一つボトルについて気づいたことがある。
 ボトルはまだサクヤを名前で呼んだことが一度も無い。



 ボトルに頼まれた用事は手紙を渡すことだった。指示された場所には赤いレンガの店、パートラークがあった。やや緊張してOPENの札のかかったドアを開けると、クレタが温かい笑顔で客を迎える。

「あら、可愛らしいドレディアさん、いらっしゃい」
「どうも」

 頬を赤らめながら帽子を脱ぎ、誘導されるままに席に付く。そして預かった手紙を取り出した。

「クレタさんですよね? あの、これボトルさんから預かったお手紙です」
「まぁ、こんな子をメッセンジャーに使うなんて、ボトルも偉くなったわね」

 台詞とは裏腹に優しい声で笑みを絶やさないので、彼女はホッとする。緊張を和らげる空気を持った女性。理性的で涼しげな眼を持っていて、ラプラスの様な人だと彼女は思った。

「すみません、ここに行けばわかるって言われたんですけど、こちらは何のお店なんですか?」
「ここはレンタルポケモンのお店なの。あなたみたいなトレーナーの子にはあんまり馴染みの無いお店かもしれないわね」
「じゃあブリーダーさんなんですね?! 私もブリーダー目指してるんです!」

 興奮して席を立ち、手を取り身を乗り出すサクヤにクレタは笑いかける。再び顔を赤らめて席に座りなおすと、憧れのブリーダーに質問をする。

「ブリーダーをしていて一番大変なのは何ですか?」
「そうねぇ。やっぱり他の人でも言うことを聞くポケモンを育てるのは大変ね。あとは、ペット用のポケモンを育てるのが一番大変かな? ポケモンってどんな温厚な子でも闘争本能があるでしょ? そういうのを抑えないといけないし、攻撃力や特攻の低い子を見つけないといけないから。えっと……、あなたは――」

 そこで見せた僅かな困った顔から、彼女は自分が名前を言ってなかったことにやっと気づいた。失礼しました、と一言謝り、名乗る。

「私、この間からボトルさんの果樹園で働かせて頂いてる、サクヤです」

 それを聞くと、クレタは信じられないものを見たように目を見開いた。そして、頷く様に首を何度か振ると、口元を緩めた。

「そっか。とうとう果樹園にも人が戻ってきたのね」
「戻ってきた?」
「そう。ずっとボトル一人で切り盛りしてたから」

 その表情は、今までの笑顔と比べてささやかな感情しか浮かんでいないものだったが、強く印象に残るさりげない顔だった。
 ちょっと待ってね、と断ってから脚を組み、クレタは手紙に目を通し始めた。
 所在無げに店内をキョロキョロしていると、クレタが話しかけてきた。手紙の返事を書き始めていて、視線を下げたままではあったが。

「じゃあ、先輩から金の卵にアドバイスでもあげようかしら」
「あ、はい。お願いします」

 ペンを取り、紙に滑らせながらクレタは言った。

「ブリーダーって、一生失敗し続けていくつらいお仕事よ」
「え?」
「トライアンドエラーしかないのよ。同じことを試すことはできないから。例えば今ここで、あなたに私の育成方法を教えたとして、果樹園に帰って行えば違う育成になってしまう」

 手紙を書きながら、サクヤの表情も見ず、彼女の言葉は止まらない。

「あなたは自分を成長させるために最善を尽くした? それを成功させてきた? 自分ですらできないことをポケモンに強いなければいけない、それって傲慢だって思わない?」
「そうかも、しれませんけど――」

 サクヤはもごもごと相槌を打つことしかできない。クレタの声はそれまでの話し方と全く変わらず、整った顔が余計に言葉を厳しく感じさせた。

「でも、それでも私はポケモンといるこの生活が気にいってるし、レンタル屋を辞めようとは思わない。私は嫌われてもいいから、誰かにそばにいて欲しいと思う。それは人間とかポケモンとか関係ない。だから私は私のやり方で人やポケモンと関わっていくわ」
「はい……」
「あなたもあなたのやり方を貫きなさい」

 サクヤは慎重に言葉を選ぶが、相応しい台詞が浮かばない。そうこうしているうちに手紙が書き終わったようで、席を立ち、奥から大きな封筒を持ってくると、手紙と書類を入れてサクヤに渡した。

「それじゃ、それ、ボトルにお願いね。あと、あの人に怒っておいて頂戴。可愛い女の子を使い走りにせず直接出向けって」
「アハハ、わかりました。伝えておきます」
「じゃあ、これからよろしくね。何かあったらいつでも来て。相談にも乗るから。ブリーディングのこともそれ以外も。もちろんただ遊びに来ても大歓迎よ」
「はい。ありがとうございます!」
「それじゃあね。今度は美味しい紅茶とお菓子でも用意しておくわ」
「それじゃあまた。お邪魔しました」

 店を出るとすっかり忘れていた暑さを思い出し、肌にじっとりと熱を感じる。冷房で冷えた体はすぐには汗を流さない。サクヤは麦藁帽子に付けたコサージュに触れた。どれだけ本物に似て美しくても、あのドレディアから漂う甘い香りを嗅ぐことはできない。
 サクヤが去って、見えなくなってもクレタはドアの方を見続けていた。しばらくしてポツリと彼女は呟いた。

「綺麗な花は、嫌がられても愛でたくなるものよね」



 果樹園に着くと、サクヤはすっかり疲れ果てていて、すぐに部屋に戻り、ベッドに身を投げ出した。今日寝ただけで疲れが取れるかしら、と少し不安になる。明日からはまた仕事だ。今日のように寝坊するわけにはいかない。
 ベッドに寝たまま顔を横に向けると、本棚がある。誰でも知ってるベストセラーから、見たことがない文字で書かれた本まで、ジャンル問わず、様々なものが収まっている。そして、その上にはこれまた多くのブリキのおもちゃが乗っている。ほとんどがポケモンで、ゴビットのようなイッシュのポケモンばかりだったが、たまにノズパスなどサクヤも良く知ったポケモンの姿もあった。ここには誰かが住んでいて、その私物を置いてどこかに行ってしまったのだという事は、容易に想像できた。

 リビングに行き、テレビでも見ようとリモコンを探すと、テーブルに倒れた写真立てを見つける。今まで何度もこの部屋を使っているが、初めてそれがあることに気づいた。はたしてずっと置いてあったのかもわからない。
 それは大勢の人が立つ集合写真で、撮った場所はこの建物の入り口。中心に小柄な老婆が会心のVサインを突き出して豪快に笑っている。他の人々も楽しそうに笑っている。そして、写真の隅っこに、随分と若い、今のサクヤと同じぐらいの歳のボトルが緊張した面で写っていた。

「ああ、帰ってたのか」

 いつの間にかボトルが立っていて、タオルで汗を拭いていた。彼女は慌てて写真立てを倒し、近くに置いてあった書類を手に取り差し出す。

「ただいまです。これ、クレタさんから預かった手紙と書類です」
「サンキュ。助かったよ。あとで見るわ」

 ボトルはそれを受け取り、書類を元に置いてあったテーブルに置いた。

「晩飯は?」
「まだです」
「じゃあ、俺が作るわ。先にシャワー浴びて、それから作るからちょっと待っててな」
「あの!」

 ワシャワシャと髪を掻きながら部屋を出ようとする所で声をかけられ、ボトルはその場で立ち止まり振り向いた。

「やりたいことがあるんですけど、聞いてもらっていいですか?」

 サクヤの問いにボトルは視線を合わせ、無言で続きを促す。

「ボトルさんのポケモン、私にブリーディングさせてもらえませんか? ボトルさんのポケモン達も、あのナゲキ達を撃退できるような強いポケモンに育てられるか挑戦してみたいんです。いや、絶対強くして見せます! その変わり、私のポケモンをボトルさんのポケモンみたいに手足のように使ってもらって構いませんから」
「つまり、果樹園の仕事は俺に任せてトレーニングに専念したいってこと?」
「違います。私のブリーディングを果樹園のサイクルに入れたいんです。もちろん仕事はちゃんと覚えて身につけていきます。でも私も与えられるだけじゃなくて、私のできる何かをしたいんです!」

 何も言わず、じっと見つめてくるボトルの視線はひたすら真っ直ぐで、何だか不安になってきて逸らしてしまいたくなる。が、我慢した。少しして、ボトルは鼻を鳴らす。

「お前、ここで暮らしてから初めて意見を主張したな」
「え? そうでしたっけ?」
「ま、せいぜい期待させてもらうよ。駆け出しブリーダーさん」

 受け入れてもらえたのか流されたのか、曖昧でいい加減で、茶化した返事をするボトルに、サクヤは「もうっ!」と怒鳴り声を上げた。



 翌日、太陽が天辺に昇り始めた頃、ボトルは作業が一段落したのでサクヤに何か教えようかと姿を探すが見当たらない。収穫を指示していたのでいないはずがなかったので、不思議に思っていると、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえた。

「ボトルさん見てください!」

 大声を上げ手を振るサクヤの前にドレディアが立っていた。

「じゃーん。さっきクイックボール投げたらこの子ゲットできたんです。今日からウチの子ですよー」

 締まりない笑顔でサクヤはドレディアをギュッと抱きしめると、その髪の様な葉を撫でる。

「姿が見えないと思ったら、まったくこいつは……」
「いいじゃないですか。単純に人手が増えますし、賑やかになりますし、いいコトずくめじゃないですか。何よりこんなに可愛いのに」
「おいおい、そんなにベタベタ触ると――」

 次の瞬間、果樹園に響き渡る声に、野生の飛行ポケモンが一斉に飛び立った。

「わー! 取れちゃった! 花びらが! 一枚! 取れた! 落ちた!」
「このバカ! ドレディアはデリケートで花を咲かせるのも咲かせたままにするのもメチャメチャ難しいポケモンなんだよ!」
「バカって何ですか! バカって! どーしよー! ドレディアごめんねー!」
「お前の麦藁帽子の花でもお詫びにつけてやれよ、もう」
「ポケモンセンターに行ったら治りますか? 元に戻りますか?! ごめんねドレディアー!」
「サクヤ! いい加減にしろッ!!」


 時間というのは大抵意識すると長く感じるものだ。近くにある内はゆっくりで遠くに行くと驚く程早く進んでしまうことを二人は知っていた。


  [No.716] 3話 道はオノノクスの後にできる 投稿者:クロトカゲ   投稿日:2011/09/13(Tue) 23:00:02   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 信仰とは感謝することだとボトルは思っていた。
 神をあまり信じていないし、それにすがることもしないが、感謝をする相手に、神は最適だとボトルは考えていた。植物を育てるということは、思い通りにいかないことが沢山ある。しかし、上手くいかないことは自分の力不足だとして、上手くいったのが自分の実力だと中々思えなかった。そして、その収穫の喜びなどの向かう先が神で、神への感謝が彼の心の平穏を強く作っていた。
 ボトルは頭を上げると合わせていた掌を離す。その礼が終わって振り向くと、いるはずのない人間がいて、仰天した。
 
「ボトルさんおはようございます」
「サクヤか、今朝は随分早いな。何かあったか――?」

 気の抜けた声のサクヤは開ききっていない瞼でよろよろと歩いてきた。サクヤは

「早いのはボトルさんですよ〜。いつもこんな時間に起きてるんですかぁ〜」

 あたりはまだ真っ暗で、随分と静かだった。それは夜の果樹園とはまたまた違った穏やかな静寂だ。

「それ、何ですか?」
「ああ、祠だよ。豊穣の神が祭ってある」

 子どもの背ほどもない小さな祠があった。茂みに隠れてしまうほど小さくて、その場所を教えられていないサクヤは、初めてその存在に気付いたのだった。

「こういうのはちゃんと教えてくださいよ」

 そう言った後、彼女は自分の頬を軽く叩いて目を覚ますと、姿勢を正して祠に向き合った。そのまま二拝四拍手一拝を行う。ボトルが普段行っているものと作法が異なり随分と丁寧なものだったが、神への拝礼に礼儀正し過ぎることなんてないだろう、とボトルは感心してそれ見ていた。

「でも、イッシュ地方もこういう祠があるんですね。なんか少し意外です」
「農耕や豊穣の神を祭った場所はみんなこういう形みたいだな。イッシュではそうだな……、確かホワイトフォレストの近くに大きな神社があったな」
「へぇ……。じゃあ一度お参りに行ったほうがいいかもしれませんね。私も果樹園で働いてるわけですし」

 それには纏まった休みを貰わなければ行くことができないな。とそこまで考えて、彼女はボトルが休みという休みを取っていないことを思い出す。ボトルがいなければわからない部分も多く、ボトルの休日に決めても、結局果樹園の仕事に必ず加わっている。それはサクヤの力がまだまだ足りていないことの証明で、彼女が苦々しく思うことの一つだ。すぐに彼女はその考えを振り払った。

「神様かぁ。そういえば私、イッシュの神話とか言い伝えとか、ほとんど知らないんですよね。建国の二対のポケモンの話ぐらいはさすがに知ってますけど」
「なんだお前、そういうのにも興味があったのか」
「いや、知り合いにそういうのが凄く好きな人がいて。その人に連れられてシンオウのミオシティの図書館で――」

 先ほどまでは開ききっていなかった目も、今はいつものようにその存在をアピールしていた。サクヤの目は大きくて、その感情をよく表す。そしてボトルは彼女の大きな目で見られると純粋な視線に晒されている気がして、なんだか居心地が悪くなって顔を背けるのだった。

 朝の簡単な下準備の作業を教えた後、二人は朝食を食べる。朝食に関しては、いつもボトルが作る。以前、サクヤが半分寝たような状態で作った料理を出し、それを口にしたボトルが朝キッチンに彼女が立つことを禁じた。彼女もいつかは朝食も作らなければと思ってはいるのだが、同時にそれが来ることはないだろうとも思っていた。
 食事はほぼ交互の当番制になっている。お互いレパートリーが多くないので、続けて料理すると同じようなメニューが続いてしまうから、自然とそうなっていた。
 ボトルは簡単に作れて味の応用が利く、サンドウィッチやパスタなどが多い。が、客が来るとたまに凝った料理も出す事があり、サクヤを驚かせた。対してサクヤの方はあまり料理をしてこなかったので、最初はカレーやシチューなどの初歩的な料理しかできなかった。しかし彼女が何を料理するか困っていると働きに来たトレーナー達が料理を手伝ってくれ、教えてくれることもあり、徐々にではあるが、作れるメニューも増えてきている。お客に食べさせることもあるのだから、いずれきちんと料理を学ぶ時間もとらなければ、とサクヤは思っていた。しかし実際の所は仕事に追われ疲れ果て、休みは休みで見たいものやりたいことが山積みで、中々そこまで手が回らないのが現状だったのだが。
 今日はたまたま早くに目が覚めたので、仕事をすることになったが、サクヤのいつもの朝は、朝刊や雑誌を取って来て食卓につくことから始まる。テレビをつけ、キャスターが暗い話題を熱心に伝えるのを右から左に受け流しながら、二人はトーストと目玉焼きを食べる。朝からボトルは少しご機嫌で、それはサクヤが珍しく早起きをしたせいか、それとも目玉焼きが随分まん丸に作れたからなのかはサクヤにも本人にもわからなかった。
 ボトルは食事が早い。彼の方が先に食べ終わり、コーヒーをゆっくり飲み終わった頃にやっとサクヤが食べ終わる。彼女は、ちゃんとよく噛んでるのかしら、と心配になる時もあったが、そう思うのは大抵食べ終わった後なので、どんな風にボトルが租借しているのかを一度も彼女は見たことが無い。
 食事が済み、食器を洗って席につくと、ボトルは経済新聞を読み終え、地元の少し過激なタブロイド誌に目を通し始めていた。

「ブラックシティでモンスターボール流通の動きが活発、ねぇ……。あんな高い場所で買う物好きがいるってんだから、世の中わからないよな――」

 サクヤは新聞もタブロイド誌も読まない。書いてあることのほとんどが自分と関係ないことしか載っていない気がしたし、知るべきことはテレビのニュースだけで事足りる気がしたからだ。本当のところは単純に難しくて読み気がしないだけなのだが。その代わり、ポケモン関係の雑誌を講読していて、その日はブリーダー専門誌が届いていたので、夢中になってページをめくる。綺麗にトリミングできる新発売のブラシの広告に目を輝かせたが、その値段のゼロの数にがっくりと肩を落とした。そんな彼女をボトルは横目で見ながら、少し心配をする。旅をしていたトレーナーなのだから、新聞ぐらい読んだ方がいいのではないかと。ところが自分のことを省みると、同じぐらいの頃は全く新聞なんて読んでいなかったことを思い出す。いつの間にかサクヤも新聞を読むのが当たり前になっていくのだろう。だから、彼はそれを口にはしなかった。

『――次のニュースです。最近その活動を活発にしてきたポケモン保護団体のプラズマ団ですが、先日、イッシュのポケモン協会に莫大な額の寄付をしていたことが明らかになりました』

 画面には物々しいマントを纏った男が演説をしている映像が映った。組織の幹部で顔役のゲーチスという男だ。カリスマを持ち合わせているようで、団員の数は中々の勢いで増えており、誰もが無視できない規模の組織に成長している。

「これって、最近ポケモンの強奪とかしてるって、怖い組織ですよね」
「そんな話も聞くな。ポケモンの解放を謳ってる組織みたいだが、そういうことしてるのは末端の暴走なのか、根も葉もない噂なのか、どっかの嫌がらせの風評なのかはわからないな。メディアでもそういったことは具体的な事件として取り扱われていないし、知り合いでそういう目にあったやつはいないしな――」
「最近ホドモエでも、あの甲冑みたいな制服着た人達、見かけるんですよね。ちょっと怖いな……」
「まぁ、近づかない方がいいだろうな。そもそもウチなんて、ポケモン働かしてるから、強奪するしないは置いといても、こいつらの主張とは真っ向から対立しちまうからな。気をつけろよ」
「そうかもしれませんね……」

 プラズマ団のニュースが終わって芸能コーナーが始まり、ライモンシティのシムリーダーの熱愛疑惑に話が移ったところで二人共テレビへの関心が薄れ、お互い雑誌に視線を戻した。それからほぼ同時に壁の時計を見る。そして、サクヤだけが口を手で覆いながら大きな欠伸をした。


 剪定をする実や枝などはボトルが木を確認してから選ぶ。本格的な収穫時期は、予め目星がつくので、番号の札などをかけて、どの木がいつ収穫なのかを区別している。ボトルがその番号をカレンダーに記入していたので、サクヤはそれを毎日チェックするだけで何を収穫するのかがわかった。その日は収穫の番号は二つしか振られておらず、一つ目のゴスの実は随分と数が少なかった。個人による注文のようで、大した数の収穫ではなかったようだ。サクヤはホッと胸を撫で下ろした。その日の受け持ちの仕事のノルマが早く終われば好きにしていいために、ブリーディングに集中できるからだ。
 収穫するゴスの木の近くに行くと、音楽が流れてきた。静寂を嫌うのか、その方がはかどるのか、手持ち無沙汰でつけるのか。ボトルはいつも時間がかかる作業の時にはラジカセを運んで来る。そして適当につけたラジオを聴きながら仕事をする。

「ボトルさんって、仕事の時はいつもラジオ聞くんですね」
「ああ、悪い。消すよ」
「違うんです! そういう意味じゃなくて! 流しておいてください!」

 慌てて両手を振るサクヤを見て、ボトルはラジオをつけ直した。もちろん彼女の言葉に非難を感じたわけではないのだが、ボトルは反射的にさっきのような言葉が口に出て、ラジオを消していたのだ。彼は顔には出さなかったものの、自分の行為に少しだけ動揺していた。
 ボトルとサクヤの暮らしは、こういったことは少なくなかった。手伝いのトレーナーがいる日は別だが、どうしてもサクヤと二人だけで顔を合わせることが多い。しかし、彼は長い間この場所で一人で暮らしてきた。他の人間と暮らした経験はあったが、彼女とは似ても似つかないタイプだったり、彼より年上の人間ばかりだった。自分主導で年下の人間と接する機会はほとんどなかった。その弊害が少し現れていた。と、そのように彼は思い込んでいたのだった。実際は経験不足だけではなく、彼の人との関わり方や彼女への考えからくる行動だったのだが、彼はそんな深く自分について考えることはなかった。
 そしてサクヤの方はというと、彼とは違い、自身の至らなさや未熟さばかり考えて、ボトルがどんなことを思っているのかまで考える余裕がなかった。
お互いわかったフリをして、面倒にならないように適当に振舞う。そうしてこの果樹園のたった二人の人間関係は、変に噛み合ったすれ違いが積み重なっていて、奇妙な平静を保っていたのだった。
 ラジオで流れてきたポップスに合わせてボトルがハミングする。どこかで聞いたことがある曲だと思い、サクヤは尋ねる。

「それ、なんて曲でしたっけ?」
「『Clock Wolker Brothers』の『Land Of 1000 Giarus』って曲」
「クロックワーカーブラザーズ……、1000のギアルの国……、聞いたことないですね」
「CMなんかでも使われてる有名な曲だから、聞き覚えがあるんだろ。……ああ、結構カバーもされてるから、他のバージョンを聞いたのかもな」

 サクヤはタイトル名を聞き、ハミングの後ろに聞こえる妙な音はギアルの鳴き声だったのか、と納得した。そして、そのネーミングは決まったスケジュールと習慣できっちり生活するボトルにはピッタリだと思った。サクヤはたまに、彼を機械の様だと思うことがある。その体の中に小さなギアルが詰まって回っているのを想像し、彼女は噴き出す。それを聞いたボトルは歌うのを止め、黙々と作業する。彼女はなんだかばつが悪くなり、自分が木でボトルから見えなくなる位置をキープして、ボトルのいる場所を気にしながら仕事を続けた。

 果樹園で育てている木は、普通の植物とは違う不思議な力を秘めている実のなる植物だ。その実は何といってもポケモンが道具として使うことが出来るという、不思議な力を秘めている植物だ。バトルで持たせると様々な効果を発揮してポケモンを助ける。また、それらの木の実は全てのポケモンが食すことができる。木の実を食べるとポケモンの魅力を引き出すことができると言われており、コンテストに参加するポケモンやブリーダーには必須の食べ物だ。とにかく、バトルでもコンテストでも、はたまた普段の食べ物にも、ポケモンとは切っても切れないものなのだ。
 しかしながら、イッシュ地方では大きなコンテスト専用の施設が無い。そのためコンテストは一部のトレーナーや上流階級などが参加するイベントとなり、他の地方に比べてあまり一般化しなかった。もちろんそれ専門のテレビ番組や雑誌などもあったが、どちらかといえばコアな扱いを受けている。こういった中でイッシュ地方では木の実はバトルに活用する道具であったり、ポケモンが好んで食べる食料という面の方が強かった。
 木の実についてサクヤがイッシュで妙だと思ったのは、一般のトレーナーが木の実を育てないことだった。彼女の故郷のシンオウ地方などでは、トレーナーが特定の場所で木の実を育てられる場所があった。付ける実の数はそれほど多くは無いものの、促成で育つ木の実を植える代わりに成った実をいくつか貰っていく。そうして木の実が多くのポケモンやトレーナー達に受け渡っていた。しかし、イッシュはそうした習慣はないトレーナー達は木の実を買ったり譲り受けたりするだけ、消費するだけである。では、それはどこから来るのか。もちろん、ボトル達の様な農家が木を育てて売って広まっている。それもシンオウなどとは比べ物にならない程の土地があるので、大量に育てられて流通する。特に木は、シンオウなどに比べてかなり大きく実も沢山成る。成り立ちからして違い、サクヤはその状況を理解するのに時間が掛かったものだった。

「どうだ。もうゴスの実は終わりそうか?」
「――今終わりました!」
「ご苦労さん。運ぶのは俺がやっておくから」
「あとウブの実の収穫で終わりですよね。ウブの木ってどこでしたっけ?」
「ああ、すぐそこだよ。こっち」

 ボトルについていくと、すぐに黄色い実のなった木が現れ始める。さすがにゴスの実のように一本二本では収まらないようで、次々に収穫の数字の札が見つかってゆく。

「ウブの実は今日全部収穫だ」
「これ全部ですか?!」

 目の前にあるウブの木は無限に続いていきそうな気がする程生えていて、いつもの一日の収穫の何倍もの量の実をとらなければいけないことは確実だ。せっかく考えた今日のブリーディングプランは弾けて消えた。

「ウブは全部工場に卸すんだ。ジュースやワインになるんだよ。だから一気に大量の出荷をしなきゃならなくなるんだ」
「ちょっと凄い量ですね。ハァ……」
「細かい作業は終わってあとは採るだけ、楽なもんだろ?」

 簡単に言ってのけるボトルに、サクヤは少しムッとした。最近、彼女はボトルの言動に怒りを覚えることが多い。要するに一言多いのだが、それが気になるようになってきた。

「全く男の人はこれだから――」

 ブツブツ言いながら作業を行う彼女の動作はいつもより速く、「やる気だな」なんてボトルが言うものだから、彼女はさらに怒りを募らせてそれを作業に集中するコトで紛らわせた。実は、ボトルは彼女が怒ると作業能率をアップすることに気付いてワザと焚きつけるようなことを言っていたのだが、もちろん彼女は気付かない。
 彼女は何か作業を行う時、いつも考え事をする。たまにそれに気をとられて作業が疎かになることもあった。そこで、ボトルは単純作業の時はわざとそれを行うようにしていた。怒らせることによって嫌われることも考えたが、気に入らなかったら出て行って、また一人に元に戻るだけだと考えていた。フォローもしない。それが彼の出した結論だった。怒ったサクヤが彼をどう評価するか、それは彼にはあまり興味の無い話だった。
 果樹園で育てる木はオレンやオボン、ヒメリなどの回復の効果を持つものが一番多い。バトルで重宝されるのも勿論だが、滋養強壮の効果があると言われ、人にも良く食されているためだ。次に多いのが、モコシ、ゴス、ラブタ、ノメルだ。これらは特別バトルに効果は発見されていないが、食用として優れていた。サクヤにとってはポフィンの具材として馴染みのあるものだが、味もしっかりしていてそのままでも人が果物感覚で食べられ、調理素材としてもポピュラーだ。そしてラブタは皮ごと食べることによって、胃の洗浄効果がある健康食品として人気がある。

「――よし、じゃあ次。この木も結構成ってるわね」

 梯子を立てかけ、木に登った彼女は、最初の実に手を伸ばした時、沢山の何かがいるのに気付いた。枝、実、葉、気のありとあらゆるところにうじゃうじゃとクルミルがいた。

「――っ!」

 声の無い悲鳴を上げると、渾身の力でボトルの名を呼んだ。

「おーい、どうしたー?」

 しばらくしてからやっと根元から聞こえたボトルの声はやけに呑気で、手近にあった実をぶつけてやりたい衝動に駆られたがぐっと堪えると、サクヤは震える声で言った。

「ボトルさん、見てくださいよ! この木、クルミルがウジャウジャいますよ……!」
「あれ? お前虫苦手だったっけ?」
「苦手じゃないです! 大丈夫なはずですけど、そんなこと言っていられるレベルじゃないですよぉ……!」
「今行く。……うわ、これはすごいな」

 ほとんどの木の実は齧られていて、とても商品にはならないだろう。そして葉も上手そうに食べているので、そのままにしておいては木も死んでしまうかもしれなかった。いつも被っているパナマ帽のつばを弄りながら、ボトルはじっと考えている。それが待ちきれないサクヤは、彼の腕を揺すりながら言う。

「私、今、手持ち、全部いないんですけど、どうします?」
「ポケモンで追い払おうかって? バトルで追っ払うわけにはいかないんだよ。参ったな」
「何で駄目なんですか?」
「こいつらクルマユに進化するだろ? クルマユがいると植物が良く育つんだよ。もちろん木もな。落ち葉を腐葉土にしたりって習性があるらしいんだ。んで、前にも葉や実を齧ってるクルミルをポケモンで追っ払ったら、クルマユ達が果樹園で全く姿を見せなくなってな。おかげで育ちが悪くなって大変だったんだ。再び顔を見せるようになるまでだいぶ掛かったからな――」
「この木は諦めるればいいんですか……?」
「いや、この量だ。食べ終わって他の木に移ったら目も当てられない」
「じゃあどうするんですか?!」
「しょうがない。全部運ぶ」

 ボトルは木の根元に置いてあるカゴ付き台車に、手じかにあった齧り跡のついたウブの実を二三放り込む。そしてそっとクルミルを掴んで肩に乗せ、カゴまで運んだ。

「俺がここのクルミルを外れの木に運ぶから、お前は他の木の収穫に取り掛かってくれ」

 そうやって何度も梯子を上り下りしてクルミルをカゴに集めて運ぶらしい。体力も時間もだいぶ消耗してしまうだろう。しかし、サクヤには他にいい案も浮かばず、その場を任せることにした。まだまだ、収穫しなければいけないウブの実はたくさんあった。もう、他の木にクルミルはいませんように、と祈りながら次の木に向かう。そして、次の木に登るとまた何かがいた。しかし、それは休んでいたエモンガで、サクヤの顔に驚いて飛んで逃げていった。サクヤは溜息をつくしかなかった。


「よし! これで全部!」

 昼食を挟んで空がオレンジ色に変わりかけた頃、やっとサクヤの収穫作業は終わった。実の入ったカゴを台車に乗せて運ぶと、保管庫の前にチラーミィがいた。尻尾で木の実をせっせと磨いている。すでに運んであった木の実を丁寧に拭いていて、しっかり出荷できるものと出来ないもので仕分けされていた。

「ご苦労様。じゃあこれで最後だから、私も手伝って終わらせちゃおう!」

 サクヤの声に、チラーミィは視線を向けたがすぐに作業に戻った。

「でも、ボトルさん、いつのまにチラーミィなんてゲットしたのかしら? 私、サクヤ。よろしくね」

 自己紹介をしても振り向きせずに作業を続けるチラーミィに、サクヤは少し悲しくなった。気を取り直して布を持って隣に腰を下ろした時、その臭いに気付いた。
 独特の強い獣臭さ。それはチラーミィの体臭だった。

「ひょっとして、あなた野生の子なの?!」

 野生のポケモンとゲットされたポケモンの一番の違いはその臭いだ。ゲットされたポケモンは主人達に洗われたりして、臭いを薄めていく。しかし、野生のポケモンは土や植物などの自然の臭いや、ポケモンそのものの臭いを強く感じさせる。チラーミィから漂うのは野生の臭いそのものだった。
 サクヤの出した大きな声に、チラーミィは一瞬動きを止めるが、やはりサクヤを無視するように作業を続ける。

「どうした? 今日はでかい声出してばっかりだな」
「ボトルさん、この子――」
「ああ、最近ちょくちょく顔を出すようになってたんだが、木の実を磨くのが好きみたいでな。手伝ってもらってる」
「手伝ってもらってるって……!」
「終わった後、好きな実を二三適当にやってる。ま、正統報酬だろ。安いぐらいだけどそれ以上持っていかないからな。飯代も掛からないし、どうやって俺らと付き合えばいいか仲間に広めてもらえるとありがたいんだけどな」

 さも当然のように言うボトルを見ていると、サクヤは自分が驚いてるのが馬鹿らしくなってきた。それがイッシュ地方にでは普通なのか、それともボトルや果樹園が特別なのかはサクヤには経験も見聞も不足していた。
 いくつか実を磨き、効率的なやり方を生み出そうと色々試していると、彼女の手持ちのトゲチックが飛んできた。すごいスピードで鳴にも近い高い声を上げてサクヤの周りを飛び回る。何かを伝えようとしていた。それは少なくともいい知らせではないのがわかる。

「ねぇ、どうしたの?! 落ち着いて!」

 宥める声も聞かず、髪や服を引っ張る彼女のトゲチックに、サクヤは戸惑う。必死に捕まえるが、そのまま振り回されてしまっていた。チラーミィも木の実の山を盾にして様子を伺っている。

「ちょっと――」

 やっとサクヤはトゲチックを押さえ込む。体の中でバタバタ暴れるトゲチックをなんとかボールに戻し、一息つくと、木の実の山が崩れた。カゴが少し動き、実が揺れた。ほんの僅か地面が揺れている。そして、地響きと何かの鳴き声が聞こえた。

「先に行ってろ。後からすぐ行く」

 言うと同時にボトルは飛び出した。ボ−ルからトゲチックを出す。何とか気が静まったようで、暴れるようなことはなかった。

「リッキー、何か来てるのね。怖いかもしれないけど、案内してくれる? お願い」

 目を見ながら頼むと、心細そうな小さな鳴き声を上げたものの、ゆっくり浮かび上がり、目的地へ飛んでいく。トゲチックについて果樹園の中を走る。かなり奥まで進み、息が切れるほど走る。やがて見えてきたのは倒れる木と、その前に超然と佇む大きな影。そして、それは顔から生える二本の牙を見せ付けるように振り回すと、雄たけびを上げた。

「ドラゴン……!」

 オノノクス。イッシュに生息するドラゴンポケモン、キバゴの最終進化系。我が物顔で歩くオノノクスは木の近くに来ると、その木の胴体目掛けて――、

「駄目っ!」

 身をよじる様に頭を振り、牙を打ち付けると、ゆっくりと嫌な音が響いてあっけなく木が切れ倒された。
 その牙は刃物のように鋭く光っていた。体は鈍く光る金属のような輝きを持っていて、並みの攻撃は簡単に跳ね返してしまうだろうとてつもない硬さを思わせた。
 ドラゴンは耐性が多く弱点が少ない戦いづらい。さらにそのポテンシャルも高く最強のタイプと名高い。そんな相手と戦えるのか、彼女は頭をフル回転させる。現在手持ちはトゲチックだけ。有効な技も無く、レベルの差もあるかもしれない。どう考えても圧倒的に不利なバトルになるのは明らかだ。しかし、追い返すだけならなんとかなるかもしれないと、考える限り最善の戦術をシミュレートし、今まさに、指を刺し口を開いたところ、
 
「待て、手を出すな」

 横にボトルがいた。肩に手を置き、もう一方の手で彼女の腕を下ろし止める。

「でも! 木が……!」
「いいんだ」

 言ってるそばから、オノノクスはまた木を倒す。普段手を入れていない生え抜きの木だが、育てているものと同じ木が倒されるのは、彼女にとって仲間が倒されるような、心が張り裂けそうな光景で目を逸らしたくなった。だが、彼女はなんとか歯を食いしばって見届ける。
 倒れた木をじっと見ていたオノノクスはやっと二人の存在に気付いた。血のような真紅の目で二人を見回すと、一際大きな声で鳴く。

「きゃあっ――」

 迫力に気圧されて、後ずさりながらサクヤが小さく声を漏らした。足の震えるサクヤの横で、ボトルは一歩踏み出す。顔は緊張で少々強張っている様だったが、そんな口から出たのは空気にそぐわぬ明るい声だった。

「おう、久しぶりだな」

 友人にでも声をかけるように手を挙げると、オノノクスは真っ赤な目でボトルの姿を捉えていた。

「まぁ、そんなもんで勘弁してくれ。周りのやつらにもお前が縄張りの主だってことは十分わかっただろ」

 オノノクスが警戒を強めたところで足を止める。そして、リュックから木の実を取り出した。紫の実は特に味が濃くて貴重なべリブの実だ。

「昨日採った実だ。受け取れ!」

 投げた実は丁度オノノクスの足元に転がった。それを尻尾で器用に弾くと実は口元に飛び、顎で思いっきり噛み砕いた。何度も噛み締め飲み込むと、二人に向かって大きく口を開いた。
 絶叫にも近い声。大気がぶるぶると震えた。
 何度か鳴いて、満足したのか、振り向いて元来た道を引き返していく。

「またな!」

 ゆっくりと森の置く、山の方へと消えていく。見えなくなっても鳥達が飛び立つせいで、どこに行くのかがわかるほどだった。
 それすらなくなり木の葉が風で揺れる音しか聞こえなくなった時、やっとサクヤが声を出した。

「なんだったんですか、あれ」
「あいつはここら辺の主なんだよ。果樹園も縄張りに入ってるみたいで、たまに見回りに来るんだよ」
「そうなんですか。……それにしても怖かった。――あー怖かった! やっぱり凄い迫力ですね、ドラゴンって」
「ああ、お前知らなかったんだな」

 茶化すように言って恐怖を振り払おうとする彼女に、ボトルは納得したとばかりに言った。

「何がです?」
「オノノクスって、温厚なポケモンなんだよ。人懐っこくて人間を襲うことはほとんどない」

 キバゴの進化系のドラゴン達は皆、温厚なポケモンばかりだ。縄張りを侵すものや平和を乱すものには容赦しないが、見つければ襲い掛かってくるような凶暴なポケモンではない。特にソウリュウシティでは野生のキバゴやオノンド達が闊歩するほどだ。

「そうだったんですかぁ?! 先に言ってくださいよぉ……!」

 緊張が切れたことと、その緊張が意味のないことだったのを知り、サクヤはへなへなとその場に座り込んだ。そんな彼女を鼻で笑ってからボトルは言う。

「縄張り意識は強いから、中で好き放題するポケモンには容赦ないけどな。暴れまわってるヤツなんかがいるとやってきて、もう、一発だよ」

 掌に拳を打ち付けて言うボトルは何だか誇らしげだ。

「あいつは酸っぱい実が好きみたいでな。どうにも他じゃ満足のいく実が手に入らないのか、縄張りの主張のついでにたまに食べに来るんだよ。なんつーか、ウチの実を気に入ってくれてるんだな。俺もショバ代を収めるじゃないけど、そんな感じでいつあいつか来てもいいようにベリブの実は常備してる。あとな、森の開拓なんかもあいつらの仕事だ。オノノクスが通れば道が出来るし、倒れた木でまた草木が育ったりポケモンの住処になったりな。倒す木も手当たり次第じゃなくて、弱ったり古くなった木が多いらしいからな。あれもウチの敷地だけど、手を入れてるやつじゃないから問題ない」

 サクヤにとってドラゴンポケモンというのは、強く恐ろしいイメージがある。故郷シンオウ地方のドラゴンポケモンと言えば、ガブリアスだ。野生のフカマルの進化系のドラゴン達は住処の洞窟から滅多に出てくることはないがどれも獰猛で、トレーナーが手なづけるのも難しい。だが、彼女は思い出した。シンオウにいるもう一種類の野生のドラゴンポケモンを。チルタリス。大空を散歩し歌うことを好む温厚なポケモンだ。ドラゴンは恐ろしいものだけではないことを彼女は思い出した。そんなことはすっかり忘れていたのだった。
 美味そうに木の実を頬張り飲み込み、歓喜の咆哮を上げたガブリアス。ひょっとしたらボトル自慢の木の実は酸っぱ過ぎて驚いて鳴いていたのかも、と考えると随分愛らしいポケモンな気がしてきて、サクヤは愉快な気分になった。

「すごいですね。果樹園って、自然の中にあるんですね。果樹園って自然の一部なんですね」

 新たな発見と関心でサクヤは笑顔で言う。

「まぁ、いやがおうにも自然の中にいることは思い知らされるよな」
「でも、何か自然のいっぱいでいいですね。私ここに来てよかったです。今まで知らなかったことも沢山知ることが出来るし、こういう自然を守るお仕事ですもんね。だから――」
「いや、それは違う」
「え?」
「人の手で自然を弄り、管理して、制御して、思い通りにしようとするんだ。農業なんて、俺達のやってることは自然とは程遠い、不自然で人口的なもんだよ」

 サクヤには淡々と言うボトルの声は、なんだか突き放すように聞こえた。せっかくの感動に水をさされた気がして、文句の一つも言ってやろうとボトルの方を向く。
すると、ボトルは笑っていた。普段見慣れているからこそわかった、かすかな笑み。そのままボトルは踵を返すと、ひらひらと手を振って歩いていった。
 それに込められているのはどんな意味言葉なのか。色々浮かぶがサクヤには本当の所はわからない。聞いても教えてもらえることは無いだろう。適当に言葉を濁すか、話を逸らされるに決まっている。だが、彼女はわからなくてもいいかな、と思った。言葉や考えが交じり合わなくても、果樹園で働いていて、オノノクスが現れたのを一緒に見て――、それだけでいいのかもしれない、別にわからなくてもいいんじゃないか。そう彼女は思った。
 そうして彼女は、ボトルのことを考えた。一体、あの人の方はどうなのだろう、と。自分の言葉、行動はどう伝わり映っているのか。

「ボトルさんにだって、わからないのかも」

 二人はお互いのことがわからない。なぜならお互いのことをまだ知らないからだ。

「わかるわけないわよね」

 ボトルは過去のことをあまり話したがらない。そして自分もそこに踏み込むようなことをしなかったし、できなかった。できないならば今の彼を知ればいい。そして色々話して自分の事をわかってもらえばいいのだ。そう彼女は思った。果樹園でブリーディングを受け持つことを主張した時、彼女は二人の心が触れ合った気がしたのだ。そして、その上でお互いがのことがまだわからなくても、それはそれで構わないのではないか。そんなことを前向きに考える始めた自分自身に彼女は少し驚いて、笑みの吐息を漏らした。

「――っ」

 お腹が小さく鳴った。夕食の時間までは少しある。早く戻らないと、チラーミィが木の実を磨き終わってるかもしれない。今日中にもう少し仲良くなってやる、とサクヤは走り出す。その足取りは一日中働いていたにしては軽やかに動いた。