pocket
monster
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『夢食』
「頼むよ父さん! このとおりだ! 俺にポケモンを譲ってくれ!」
少年が叫んだ。正座の状態で、両手と頭を畳になすりつけた。
ヤマブキ=シオンの土下座。
「断る。誰が渡すかボケ」
無慈悲な罵倒をシオンの後頭部が浴びる。
気に食わない返答だった。
シオンは顔を上げて男の表情を伺う。
窓から射す朝焼けの光が男の容姿を照らし出していた。
その顔は、白髪で老け顔で「爺さん」と呼ぶのが相応しい。
ヤマブキ=カントはシオンの父親である。
陽光の満たす和室の真ん中に黒い三人掛けソファが設けられている。
その真ん中でカントはあぐらをかかき、シオンを見下していた。
肌蹴た浴衣の妙なエロスに気味が悪いのをこらえ、シオンは要求した。
「そこをなんとか頼む! 俺にポケモンをくれ!」
「頼めば何でも貰えるとでも思ったか?
そんな都合のいいことが起きると本気で思ってんのか?」
「思ってるよ」
「馬鹿だなお前、誰がお前にポケモン渡すか阿呆」
「そんなの駄目だよ! 俺にポケモンくれなきゃ駄目なんだよ!
だから今すぐ俺にポケモンを渡すんだ!」
「ポケモンは渡さんと言っとるだろ!
なんでも欲しいと言えば手に入ると思うなよ、バカタレ!」
吐き捨てられた乱暴な言葉も、シオンの精神力でひるまない。
下から目線での懇願を続けた。
「ポケモン持ってないの俺ぐらいなんだぞ!」
「だからどうした? 俺にゃ関係ねぇ」
「俺ポケモンがいないと困るんだよ!」
「死ぬのか? ポケモンがいないと死ぬのか?
生きていけないのか? だから困るのか?」
「いや死ぬわけじゃないけど……」
「なら別にいいじゃねぇか。ポケモンなんてあきらめろよ」
「嫌だ! いなくちゃ死ぬなんてことはないけど、でも俺はポケモンが欲しいんだ!
ポケモンってスッゲーしヤッベーしカッケーんだよ。強いんだぞ。
あんな素晴らしい生き物のいない人生なんて死んだも同然だ!」
「じゃ死ねよ」
シオンの必死に訴えもカントに効果は無いみたいだ。
正座のせいで膝から下が痺れて動かない。
なんとかあぐらに変え、父の顔を見つめた。
何がなんでもポケモンを渡す気にさせなければならない。
「俺はさ、ポケモンマスターになりたいんだ。世界最強のポケモン使いになりたいんだよ」
「あ? ……お前、ポケモンマスターの意味知ってんのか?
ポケモントレーナーって言葉があるのを知らないのか?」
「ポケモンマスターは、ポケモンの扱いが究極レベルで上手な人。
ポケモントレーナーは、ポケモン飼ってる人。常識だよ」
「解ってて寝言ほざいてんのか? どうしようもねぇ奴だな。
夢ばっか見てねぇで現実見ろタコ」
「寝言じゃない。俺は本気だ。一回きりの人生だし、やりたいことをやるんだ。
欲しいものは手に入れるし、夢だって叶えるんだ」
「お前の希望なんか聞かされたところで無理なもんは無理だ。
一体お前ごときが何をどうしたら、ポケモンマスターになれる道理があるってんだよ」
「そんなの簡単だよ。すごい頑張る。そしたら俺もポケモンマスター」
「まるで他のポケモントレーナーが努力しねぇ生き物だとでも言いてぇみてぇだな?」
「ついでに七十億人に一人の凄い才能に目覚めて、奇跡を起こす!」
「んなうめぇ話あるか! 都合のいい絵空事言ってねぇで、学校行けや。
ポケモンマスター目指して遊んでる暇なんかあるか。学校行け、勉強しろ」
カントは微かに怒っているようだ。
ポケモントレーナーから遠ざけようとしているように感じる。
シオンは変なことを言われているような気がした。
さっさとポケモンくれればいいのに、と思った。
「学校なんかどうでもいいじゃないか。それに俺、中学なら卒業したよ」
「あ? そうなのか? いつの間に?」
「昨日。だからこうして今日お願いに来たんじゃないか」
カントは窓に顔を向けた。
つられてシオンも窓の外を見た。
スタートをきったばかりの太陽が煌々と輝いている。
庭に並んだクラボの樹から、無数の花が咲き乱れていた。
「もう春だったのか! そうか、もうそんな時期か」
カントは冬眠し過ごした素振りで言った。
そしてクラボの花は夏でも冬でも咲く。
「そうかそうか。じゃお前もう十五歳か?」
「あと一週間で十五歳だ」
「ほほぅ、そうかそうか」
カントは余韻に浸るようにボーっと天井を眺め出した。
唐突に手を叩きパンッと鳴らした。何か思いついたように。
「そうだ! 進学はどうするんだ? ポケモンポケモン言ってる暇などなかろう!
お前は進学して、高校生になるんだからな」
「いや。俺、受験してないから進学は出来ないよ。
それに今年はもう入れる高校なんてないから」
「んだと? つまり就職したのか?」
「してないよ。面接の練習すらしてない」
「なんだと! 無職なのか! ニートなのか!」
カントは隠すそぶりもせず驚愕の表情を浮かべる。
半ば呆れつつもシオンは言った。
「父さん。俺は本気でポケモンマスターを目指そうと思ってる。
だから高校には行く意味がないし、他の仕事なんてするつもりはない」
「本気なのか?」
「うん」
「馬鹿なのか?」
「違うよ」
「な……なんということだ」
あえての選択だった。
無職になることでポケモントレーナーにならざるを得ない状況を作り出したのだ。
ポケモンマスターにしかなりたくないシオンは逃げ道を潰した。
そして父親がポケモンを渡すべき状況を作り上げたのだった。
「どうしてそんな馬鹿なことを! 自分がおかしいと思わなかったか?」
「思わないよ。ポケモンマスターは将来の夢ランキングで毎年一位になってるから、
結構普通のことなんだよ。
それよりも、なりたくもない大人になって、楽しくもない仕事をやって、
そっちの方が馬鹿げてるよ。
俺はポケモンマスターになって、毎日ポケモンと戯れる至福の時間を過ごして、
高い給料を手に入れる。
そして誰からも愛されるような人生をゲットしてやるんだ」
嬉々としてシオンは語った。
カントの顔が強張り、より一層しわくちゃになった。
苦虫を噛み潰したような、深刻な表情であった。
「まさかそこまで世の中を甘く見ていたなんて」
「俺が馬鹿な奴だって言いたいんだろ。それはもう解ったよ。
解ったからポケモンを譲っておくれ。でないと俺、無職になっちまう」
「確かに無職は困るな。全く本当に困った。だがな、それでもやはり駄目だ。
駄目なものは駄目だ。ポケモンは渡さん」
シオンの予想していた返事と違っていた。
思わず「ハァ?」と罵倒したくなった。
自分の父親が狂ったのかと思った。
「駄目? 駄目だって? 俺がポケモンを必要な理由は言ったよね。
困るんだって言ってる。なのにどうして?
父さんは俺のことが嫌いになったのか?
だから譲ってくれないのか?
どうして俺をポケモンマスターから遠ざけようとするんだよ!」
シオンは激しく声を出していた。
「なぁシオン。お前の欲しがる理由ってのはな、
俺の渡せない理由と比べたらちっぽけなもんなんだよ」
「だから理由を教えてくれよ。さっきからどうしてずっと渡さないの一点張りなんだ?
納得させてくれよ」
「さっきも言ったような気もするが、
手に入らなければ死ぬワケでもないのにポケモンを寄こせなんて言うもんじゃねぇ」
カントは懐から鉄球を取り出して見せた。
赤い半球、白い半球、境界線に丸いボタン。
シオンの胸が高鳴る。
「おお、モンスターボール」
カントの掌から鉄球は離れ、畳の上に落ちた。
音をたて、跳ね返ったボールがカプセルのように割れた。
光が吐き出された。
液体のような光がドバドバと溢れ出た。
光はしだいに固まり形を作った。
光が消えて生き物に変わった。
「これが俺のポケモンだ」
ウサギのような耳をした犬だった。
ベージュ色の体毛、漆黒の瞳、小柄な体格と同等のサイズをした筆のような尻尾。
「こいつって、イーブイじゃないか」
少し信じられない光景だった。
しんかポケモンのイーブイはとにかく珍しく手に入りにくいことで有名だ。
そのうえ人気があり若い女子高生達にチヤホヤされるのだと、
シオンはよく知っていた。
「父さんがポケモン持ってるのは知ってたけれど、まさかイーブイだったなんて。
超レアなポケモンじゃないか」
「お前が欲しがらないように隠しておいたんだが……まぁいい。
それよりどうだ? こいつ超プリティーだろう?」
「微妙。ミーハーのオカマ野郎が持ってそう」
シオンは寝転がり、イーブイと同じ目線になって、見つめあった。
その愛らしい顔つきは女子中学生に集られそうではあったが、シオンの好みではない。
しかしポケモンである以上シオンは欲しがった。
「なぁイーブイ。こんな怪しいおっさんなんかとじゃなくって俺の所にこないか?」
黒い瞳を見つめて誘った。
イーブイはあどけない表情で耳をピンと立てて座り込んでいる。
人語を理解しているのか、シオンには謎である。
「んで、俺と一緒にポケモンマスター目指さないか?
絶対に今の生活よりも楽しくなるぞ」
「人のポケモンを誘惑するんじゃない! 勝手にたぶらかしおって!」
「そこのおっさんより絶対お前のこと大切にするからさ!
だから俺と来いよイーブイ」
カントの声をそっちのけに、シオンは手を伸ばしてイーブイを捕まえようとした。
途端に大きな尻尾が視界を覆った。逃げられてしまった。
イーブイはぴょんとソファに飛び跳ねると男の隣で横になり、眠り始めた。
「ちぇっ、しくじったか」
「イヌは身体を触られるのが嫌いなんだよ」
「イヌ?」
「ニックネームだ。名前が解らねぇから、犬って読んでたんだが、
それが名前として覚えちまった」
「ふぅん。で、解ったからそのイヌをこっちに寄こすんだ」
再び正座に戻してシオンはお願いした。
カントに両手を伸ばして見せた。
渡せというボディランゲージだ。
「本当にお前って奴は……」
カントはイヌをなだめるようになでた。
イヌは逃げる気配も見せない。
心を開いている証に見えた。
自分の時とはイヌの態度が違うことに、シオンは腹が立つのであった。
「よく聞けよシオン。
イヌと俺はな、お前が生まれる前に出会ったんだ。
嫁と別れた時もイヌは俺に付いてきてくれた。
お前が知らない所でイヌと思い出を沢山作ってきた。
俺みてぇな輩と一緒に生きてくれた。
それからずーっと俺の傍にいてくれた。
気障ったらしい言い方すると、俺の相棒なんだよコイツは」
カントは照れくさそうに語った。
「ああ、そうか。うん」
「だから息子のお前にでも相棒を託すなんて真似は出来ねぇよ」
シオンは何故だか奇妙なことを言われているような気がした。
カントは一人のポケモントレーナーである。
自分のポケモンが大切なのである。
そう理解しつつ、シオンは納得してしまいそうになる自分の心に抗った。
「相棒だか何だか知らないけど、そんなの俺には関係ないよ。
父さん、イヌを譲ってくれ。必要なんだ」
真剣な表情を作り、真面目な声で言った。
「シオン。それなら俺にも聞かせてくれ。
お前がポケモントレーナーになったら誰かにポケモンを渡せすことが出来るのか?」
「出来ない!」
「自分に無理なことを他人にやれと言うもんじゃない」
「やっぱり出来る!」
「ならイヌをお前が俺にくれたってことにしようじゃないか」
「それってつまり……くそ! それじゃ俺は何て言ったらいいんだ!
俺は一体どうしたらいいんだ?」
悲鳴にも似たシオンの儚い声は和室内に響いて消えた。
「俺を信頼しているかもしれんコイツを誰かに差し出すつもりはない。
何があっても手放すつもりはない。それだけだ」
無闇に譲ってほしいと言える雰囲気ではなくなった。
ねだっても無駄だと思い知った。
しかしポケモンが欲しい。
しかしポケモンマスターになりたい。
どうするべきなのか解らない。
「だったら俺は一体どうしたらいいんだよ。どうしたらいいんだ」
「ポケモン使いになんてなるな。なるもんじゃない。あきらめろ」
一体どうしたらいいのか。
短時間で凄く頭を使い、悩んだ。
混乱しながら困惑し、頭痛の幻覚を感じた。
二度三度溜息を吐く。
恐怖した時のような悪寒が体中を走った。
そしてシオンは言った。
「ちょっとふざけんなよ、待ってくれよ。なんなんだこれは?」
「あ? 何の話だ?」
「俺はポケモンマスターになるために、明日から修行の旅に出かける予定だったんだぞ。
最強のポケモン軍団を作り上げねばならないんだぞ。
そんでもって、八人のジムリーダーと呼ばれる猛者どもを打倒し、
四天王と呼ばれる化け物どもに連勝して、
最終的にはセキエイスタジアムの覇者となってポケモンマスターと呼ばれるようになる、
ってサクセスストーリーのシナリオが待ってるんだ!
どうしてくれる!」
「だから無理だっつってるだろうに」
「そうだよ! 普通は無理だよ!
頑張ったところでポケモンマスターにもなれるかなんて解らないんだ。
それなのに、ポケモントレーナーにすらなれないってどういうことだよ!
大体さぁ、ポケモンマスターになるには百の試練があると言われているんだぞ!
それなら最初の関門ぐらい楽々クリアさせてくれよ!
ポケモン手に入れるイベントなんかさっさと終わらせてくれ!
早く冒険の旅に出かけさせてくれよ、頼むからさぁ!」
シオンは熱弁していた。必死の訴えだった。
血の滾った拳を握りしめ、強く熱く語っていた。
カントはポカンと口を開けていた。
「……何を言ってんのか解らねぇが、とにかく俺はイヌを手放したりはしないからな」
「嫌だ! トレーナーになれないなんて嫌だ!
目指すことも許されないのか! 何で俺だけ!」
「おちつけ!」
胸の動機が強く激しく聞こえた。
漏れそうになる涙をこらえた。
身体が暖かいことに気がつく。
冷静になろうとした。
暴れても仕方がないことを、シオンはもう解っていた。
あきらめきれてはいない。
ねだりたりない。
しかしカントもまたポケモンが大切で好きなのだった。
もうこの大人に頼んでも絶対に手に入らない、そう思った
落ち着かない気持ちでいながらも、冷静になって思考した。
しばらく無言で、次の手の思案に暮れる。
そして答えを出す。
「それなら他の人に頼むよ。誰かがポケモンを譲ってくれるかもしれないし」
「他だって? 誰にだよ、無理に決まってんだろ」
「他を当たる!」
勢いよく立ちあがった。
シオンの目にはもう父の姿は映ってはいない。
「当てがあんのか?」
「ない! けど探す!」
「やめとけよ。普通に考えてみろ。
誰かに渡してもいいと思うポケモンを飼ってるってのは
矛盾してると思わないか?」
「そのとおりかもしれない。だけど、譲ってくれる人がいるかもしれない!
探してみなきゃ解らない!」
「いねぇよ。いるわけねぇだろ」
「少なくとも父さんに頼むよりは可能性があるさ!」
シオンはカントに背を向けた。後ろから「本気かよ」とため息混じりの声が聞こえた。
部屋を出てふすまを閉じた。靴を履いて、家からも去って行った。
ポケモンが手に入らない結果に、未だ納得出来ないでいた。
何がなんでもポケモントレーナーになってやる、という強い意思があった。
一体どこの誰がポケモンを譲ってくれるというのだろうか。
不安が胸の内側で渦巻いていた。
果たして自分に「ポケモンを渡せ」と馬鹿げたことを頼む勇気が残っているのか。
シオンは、望みを切り捨てる恐怖の方が遥かに強く、
可能性を追い求める方が容易だと考えていた。
つづく?