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  [No.841] ナナシマ数え歌 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/01/07(Sat) 00:00:21   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 七人の語り手が紡ぐ、ナナシマの憧憬。

 忘れ去られた数え歌。


  ◇◇◇

 
 タイトルの通り、ナナシマを舞台にした連作短編です。
 各話独立していますので、途中からでもお読みいただけます。
 傾向としては奇譚、怪談の類を目指していますので、苦手だと思われた方はご注意ください。


  ◇◇◇


【描いてもいいのよ】
【書いてもいいのよ】
【批評していいのよ】


  [No.842] 【序】 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/01/07(Sat) 00:03:49   99clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『一つ、火の鳥舞い降りて

 二つ、藤の葉 縄跳べば――』


 私は、生まれ故郷へ向かう船に乗っています。



  ◇◇◇



 物心ついたころ、私はその島にお母さんと暮らしていました。
 近隣の島々の中でも一際小さなその島には、生活物資を買いそろえるためのお店も十分になく、私はお母さんとよく隣の大きな島に船で買い物に出かけていました。


 小さな島の雑木林には、『長老』と呼ばれるフシギバナが住んでいました。
 長老は、背中に咲かせた南国の花を揺らせ、木々を震わせて、のしのしと歩きます。
 そして、昔大きな木が倒れた跡だという、陽の当たる林の広場でのんびりと日光浴をするのを好んでいました。

 彼の前では、獰猛な鳥も食事ができません。彼の回りにはいつも小さな虫ポケモンや草ポケモンが集まってきました。
 長老のくすんだ色の瞳には、ポケモンも人間の子供も同じように映ります。

 島の子供たちは彼にもたれて昼寝をし、彼の蔓(つる)で大縄跳びをして遊びました。
 静かな雑木林の広場では午後の時間はゆったりと流れ、幼心にも満ち足りた日々でした。
 




 お母さんと私は、ある街に引っ越すことになりました。
 毎日船で通っていたお隣の島の学校から、都会の学校に転校しました。
 そのかわりに、それまで月に数度しか会うことのできなかった、都会で働くお父さんと毎日一緒に暮らせるようになりました。
 
 都会では、新しい学校では、驚くことばかりでした。
 同じ制服を着た何百人もの生徒が、体育館できちんと整列しているのを初めて見た時には目眩がしそうになりました。
 私の通っていた島の学校には、同じ年の子供は両手で数え切れるくらいしかいなかったのです。



 困難はあったものの、転校から二ヶ月が経つころにはクラスの中になんとか溶け込むことができました。

 運動会が近づき、クラスで縄跳びが流行ったことがありました。大縄跳びなら、私はとても得意でした。島ではいつも遊んでいましたから。
 休憩時間、私は思いつきで、「次は数え歌に合わせて跳んでみない?」と提案してみました。
「数え歌って何?」友人の一人が訊ねてきます。

「一つ、火の鳥舞い降りて……」 
 少し恥ずかしかったのですが、数え歌の出だしを歌ってみました。
 クラスメイト達は顔を見合わせ、そんな歌は知らないよ、といいました。



 下校途中、友人たちと別れ、家の近くの公園に向いました。
 自分一人だけでも、数え歌に合わせて跳んでみようとしたのです。
 安っぽいビニールの縄を持ち、地面を蹴ります。

 けれど、大縄跳び用に作られたその数え歌は、一人で跳ぶには遅すぎて、かといって倍速で跳ぶには速すぎます。
 何度か試してみた後、諦めました。




「お母さん」
 それでもどうしても納得できなかった私は、家に帰ってお母さんに訊ねてみました。
「なあに」
「どうして本土の子どもは、数え歌を知らないの」

 お母さんは野菜を刻む手を止めて、こちらを振り返りました。

「そうねえ。あの数え歌は私たちの住んでいた島のわらべ歌だからね。
 あなたが知っていて友達の知らないこと。逆にあなたが知らなくて友達が知っていること。色々あるけど、きっとそれでいいのよ」

 それから、少し難しい表情で、「お友達を『本土の子』なんて呼んではだめよ」と付け加えました。





 ある晩、私は夢を見ました。
 夜の林の中、慣れ親しんだ歌に合わせて、誰も跳ばない縄を回している夢です。

『一つ、火の鳥舞い降りて

 二つ、藤の葉 縄跳べば』

 縄のもう一方を回しているのは誰なのか、雑木林の陰が深いのでこちらから伺うことができません。

『三つ、実のなる木の森と

 四つ、夜降るいただきの』

『五つ、――』

 縄が、空しく地面を打ちます。唇は、平たく開いた形のまま、わななきます。
 この詩の続きが、どうしても思い出せないのです。

 腕を振り上げた瞬間、右手から縄がすり抜けました。あっと思う間もなく、放られた縄は木々の間に消えていきます。
 闇の中、大きな気配が遠ざかります。

 ――待って。
 そう叫ぼうと歪めた口は、ごうと鳴る音に遮られました。
 
 風が暴れる。
 島が震える。
 木の葉も草も、根こそぎ奪う。


 私は独り、枯木立の中に取り残されました。




 夢から醒めて、説明のできない悲しみに襲われました。気が動転して寝床を飛び出し、母の布団にもぐりこみ、しがみつきました。
 嗚咽を漏らしながら自分の見た悪夢を語る私に、お母さんは、慰めるように優しく頭をなでてくれました。
「大丈夫、大丈夫。夢を見て、怖かったのね。大丈夫。恐ろしい怪物はもうどこにもいないのよ」

 ――もうどこにもいない。
 その一言が胸を締め付け、次から次へと涙が頬を伝いました。 
 
 夢に深い意味や理由を求めるのは無意味だと、今ではわかっています。子供の見た夢ともなればなおさらです。
 ですが、あの日に見た夢だけは、どうしてもただの夢だと思うことができませんでした。

 私は林の中の怪物が怖かったから泣いたのではありません。
 お前の属する場所は此処ではないと、きっぱりと拒絶されたような気がしたのです。
 それまで確かに自分を構築していたはずの何かが、バラバラと剥がれて落ちてゆくような喪失感を覚えました。




 月日は流れ、友人たちが『本土の子』ではなくなっていくのと同じように、私もまた『島の子』ではなくなっていきました。
 心を苛んだあの日の夢も、いつしか薄れ、崩れて、記憶の中に紛れていきました。




 あの夢を見てから数年後の、気だるい土曜日のお昼時。人懐こい子犬ポケモンが足元に纏わりついて来るのを避けながら、テーブルに食器を並べる手伝いをしていた時のことです。
 何気なくつけっぱなしにしていたテレビから、ふと懐かしいメロディーが聞こえてきました。

 まぎれもなく、幼い頃に歌った、あの島の数え歌でした。
 私がテレビに駆け寄った時点で、歌は既に第三フレーズまで進んでいました。四、五、六……と流れてゆくのを夢見心地で聞きました。
 言葉の一片一片が沁み込んで、胸に空いた隙間を埋めてゆくような不思議な感慨に包まれました。

 私は数え歌の本当の歌詞と、歌い継がれた理由をようやく理解したのです。

 ――ああ、忘れていただけじゃなくて、間違えて覚えてたのか。
 間違えていた部分は古い言葉であり、口伝えで覚ていたので無理はないかもしれませんが、子供の記憶とはいい加減なものだ、と思わず笑みがこぼれました。




  ◇◇◇




『一つ、火の鳥舞い降りて』


 私は、生まれ故郷へ向かう船に乗っています。


『二つ、藤の葉 縄跳べば』


 幼い頃に歌った数え歌を口ずさみながら。


『三つ、実のなる木の森と』


 この歌は言わば道しるべ。島々の地形と成り立ちを覚えるための言葉遊び。


『四つ、夜経(ふ)る凍滝(いてだき)の』


 祖父母の家を訪ねた後は、歌の中に伝えられる情景を、順番に見て回ろうと思います。


『五つ、いつかの迷い路』


 私は最早島の人間ではありませんが、一時の旅人ならば島はきっと受け入れてくれるでしょう。


『六つ、昔の文字残る』



 水平線の彼方から、懐かしい島々が見えてきました。





『七つ、七日で出来た島』


  [No.844] ああっ なんかずるいっ 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2012/01/08(Sun) 14:20:55   54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

数え歌っていいですよねぇ。
いずれ小説に使いたいなぁと思ってただけに先に使われると敗北感が(笑)。

伝説+紀行文的な感じでいいですな。
良い感じです。


  [No.845] 歌って数えて 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/01/08(Sun) 22:55:49   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

いま幾t(強制終了


何ということでしょう。特性「無意識かぶり」がまた発動してしまったようです。
マサポケ来てから何度目だ。そろそろ各方面に土下座して回った方がいいレベル。
ご め ん な さ い orz


数え歌いいですよねぇ。どこがいいかって、頭韻を踏むところだと思うのです。作るときには大変ですが……。言葉遊びが好きなので(笑)!
No.017 様の数え歌ですと……! これは良いことを聞きました。豊縁昔語と組み合わされるのでしょうか。とにかく楽しみにしてます!


管理人様に激励されては「連作だし途中で打ち切ってもいいや(・3・)」なんて心構えではいけませんね……!
元々、『ナナシマと数え歌の相性が抜群なので歌だけ作ってみる』
 →『これだけ短編版に投げるのもアレだし、小説にしてみるか(序章)』
 →『続編を思いついた(未公開の第2話)』
 →『もういっそ連作にしてしまおうか(第1話以下)』
……という経過をたどった本作です。これはひどい。
全何話、ということは言えませんが、両手で数え切れる程度の話数に収まる予定です。


序章は特に伝説+紀行文的な感じを意識しました。嬉しいです。
これからもナナシマの伝承等を捏造していきます(

感想ありがとうございました! やる気が出ました!


  [No.843] 【1】火炎鳥 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/01/07(Sat) 00:20:20   86clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「グレン島の火山が、噴火したらしい」
 週末の朝、新聞を広げた父が呟きました。


 朝食の準備をしながら、母がテレビを見るように促します。
 そこに映っていたのは、海から撮った噴煙を上げる岩山、空から写した流れ出す溶岩、船に乗る人々――。
 ホームカメラで撮ったと思われる、手ぶれのある映像も挿入され、よりいっそう臨場感をかきたてます。
『現在も、ジムリーダーを中心に必死の避難作業が続いています』ニュースキャスターが、真剣な表情でメモを読み上げていきます。

 
 わたしはそのニュースを、どこか遠い場所で起きた悲惨な災害の一つとは、どうしても思うことができません。
 この『一ノ島』も、グレン島と同じ火の島だからです。


 早く準備をして学校へ向かう船に乗らないと完全に遅刻してしまうのに、テレビの画面から目を離せませんでした。




【1】火炎鳥




 休火山である『灯火山(ともしびやま)』に程近いこの一ノ島は、古くから火の神様を信仰してきました。
 島のあちらこちらで、火の神様を祀る石碑や文言を見ることができます。

 神様は、火炎鳥の姿をしていると伝えられています。

 火の神様はとてもプライドが高く、人が火口から石一つでも持ち帰るのも許しません。聖なる火山を穢す人間は焼き殺したとも言われています。
 灯火山の噴火は彼女の怒りの表れであるとして、一ノ島の人々は畏れ敬ってまいりました。




 三ノ島にある学校から帰宅し、居間のテレビをつけました。チャンネルを回してニュースを探します。
 見慣れたニュースキャスターが画面に現れたところで手を止めました。

『グレン島の火山は、現在は小康状態を保っています。しかし、今後大規模な噴火が予想されるため、全島避難が開始されました。現在、クチバ港やセキチク港に向かう船が、グレン港から臨時に運行しています』

 司会者が、どこかの大学の教授だか研究所の元所長だかに話を振ったところで電源を切り、居間を後にしました。
「テレビはつけておいていいのよ」と台所から母の声が聞こえましたが生返事をしつつ二階の自室に上がります。



 自室の椅子に腰掛けたまま、わたしはぼんやりと考え事をめぐらせます。三限の数学の宿題のことなどまるで手につきません。
 現実逃避、時間の浪費。まとまりのない思考の端にちらりちらりと姿を現しては消えていく不安感。
 原因は、間違いなく今朝ニュースで見たグレン島の噴火でした。

 可笑しなことに、わたしには『何かできることがあるはず』ではなく『何かしなければならないことがある』という、どこか確信めいたものがありました。
 それは小さな小さな火のようにくすぶり、朝から心の奥底をじりじりと焦がしていました。

 火山の噴火。火炎鳥の怒り。
 わたしは、何か炎の化身の逆鱗に触れるようなことをしたことがあったのでしょうか。

 ――石一つでも。

 伝承の中のその言葉が不意に脳裏に浮かびました。部屋の学習机の引き出しを開け、恐る恐る中を探ってみました。
 上から数えて三番目の引き出し中から、白いハンカチに包まれた何かを見つけました。震える手でハンカチをめくります。中から現れたのは、炎の力を宿した石でした。


 この石を持ち帰ったのは、五年前、家族で灯火山にハイキングに行った時でした。
 火口近くで休息をとっていたとき、岩の陰に見つけた赤い石の美しさに心を奪われ、誰にも相談することなくひっそりと持ち帰りました。
 後で調べたところによると、この石は『炎の石』と呼ばれ、一部のポケモンを進化させる力を秘めた貴重な石だということです。
 ポケモンを進化させるために使うかどうかは別にしても、この燃えるように美しい紅蓮色の石を自分の物にしてしまいたいと思いました。
 それで、ハンカチで包み、誰にも見られないように学習机の奥にしまっておいたのです。


 冷静に考えれば、この石を持ち帰ったことと今回のグレン島の噴火とは、因果関係などないでしょう。
 もしも火の神様の怒りを買ったのだとすれば、溶岩に包まれ、火山灰に覆われるのはこの一ノ島だったはずです。
 彼女は、あくまでもこの島の神様なのです。


 その晩は中々寝付くことができず、ベッドの中で何度も寝返りを打ちました。瞼を閉じると、脳裏には流れ出すマグマの映像が鮮やかに蘇ります。
 本当に伝説を信じるのならばあの時に石を持ち帰らなければよかったのだし、信じないのならば笑い飛ばして気にしなければいいのに、そのどちらもできなかった自分を、ひどく恨めしく思いました。





 次の朝早く、わたしは家を出て灯火山に向かいました。
 今さら火口に石を返したところで、どうなるものでもないのはわかっていました。たった一人の人間が大自然に対して影響を与えていると信じるのは愚かなことです。
 しかし、頭の半分では馬鹿げていると理解しながら、もう半分ではそれにすがらないではいられない、この矛盾した気持ちをどうにかして消化しなければ、いつか自分がおかしくなってしまいそうな気がしたのです。
 ……きっとわたしは、心の中にわだかまりを残しておきたくなかっただけです。


 灯火山に向かう途中の『火照りの道』は、地熱によって暖められた道路です。岩を掘り抜いて作られた洞窟には温泉も湧き出し、湯治客で賑わっています。 
 もう秋も終わりだというのに、温泉に続く洞窟の入り口には、溶岩を纏ったカタツムリが、のたりのたりと這っています。


 山頂に近づくにつれて草木はまばらになり、硫黄のにおいも強くなったように感じました。
 ごつごつした岩山ををゆっくり、一歩ずつ登っていきます。背中にかいた汗を風が冷やしました。


 太陽が西に傾き始めた頃、わたしは山頂に到着しました。
 火口に着いて見渡すと、幸いあたりには誰もいません。
 慎重に、断崖に近づき、のぞき込みます。魂を吸い取られるような深さです。
 
 
 リュックサックを降ろして石を取り出し、両手で掲げました。


 ――炎の石を、聖なる山にお返しします。
 赤い石は、火口の岸壁を転がり落ち、底の方でかしゃんと音をたてました。
 火花が散って、消えたようにも見えました。


 ふと、目の前が明るくなりました。


 パチパチとはじける音を頭上に感じ、はっと見上げた先には、空を覆う炎の翼がありました。
 神話に伝えられる火炎鳥が、今まさに火口の対岸に降り立ち、翼を折り畳むところでした。

 荒々しくも美しい火山の化身の存在感に圧倒され、わたしは言葉を失い、その場に立ち尽くすしかありません。

 火炎鳥は、威嚇するでもなく、厳かにこちらを見つめてきます。
 その静かな瞳と、陽炎のようにゆらめく翼を見ているうちに、わたしの中の恐怖心はすっと消えていきました。

 不思議なことに、この炎に焼き尽くされてもいいとさえ感じていました。
 震える声で言葉を紡ぎ、火山の神様に向かって語りかけました。

 ――わたくしは、幼いころに過ちを犯しました。そのお咎めを受ける覚悟はできております。
 ――ですが、火山が噴火してしまえば、多くの人々が、ポケモンが、命を失います。住むところを失います。
 ――どうか、怒りをお鎮めください。多くの生命を助けてください。


 わたしの言葉を聞く火炎鳥は、どこか哀しそうに見えました。
 そして、一声大きく鳴くと、火口の岩場から飛び立ちました。

 紅蓮の翼をはためかせ、煌めく火の粉を散らしながら、彼女は北の方へと飛んで行きました。

 
 自分が生死の境目にいたという実感が嵐のように巻き起こりました。
 命があって良かったと思う安堵と、死にたくないという恐怖が綯い交ぜになり、その場にへたり込みました。
 ああ、私には多くの人々のために、自分の命を差し出す覚悟など本当はありはしなかったのだ――と、まざまざと感じさせられました。





 それからどうやって家に帰ったのか、本当のところよく覚えていません。

 今となっては、すべてが白昼夢だったような気さえします。
 机の中を探しても炎の石は見つかりませんでしたが、わたしが火の神様に会ったという直接的な証拠にはなりません。
 窓から投げ捨てたのかもしれないし、もしかしたら最初からそんなものは無かったのかもしれないのです。
 曖昧な、記憶の中の出来事です。


 わたしが灯火山から戻った翌日、グレン島は爆発的な噴火を起こしました。
 立ち上る噴煙は火口から上空数千メートルに達し、真昼の空を暗く覆いました。火山灰が噴き上がる際の摩擦が青白い稲光を巻き起こし、火口付近はさながら地獄の様相を呈しました。
 火口から流れ出た大量の火砕流と溶岩が、島のほとんどを焼き尽くし、ジムも研究所も、ポケモン屋敷と呼ばれた建物も飲み込まれました。
 

 しかし、懸命な避難活動の甲斐もあり、幸いなことに一人の犠牲者も出なかったそうです。


 グレン島の火山は今も活動を続けています。小規模な噴火が続き、火山灰が降り注ぎ、地震の頻発する状況がこの先何ヶ月も続く可能性がある、とテレビの中の専門家は語っていました。
 島に人が戻れるようになるには、長い長い時間がかかるのかもしれません。


 火炎鳥に会ったのが現実だとするならば、わたしはどのような意図で語りかけていたでしょう。
 わたしがあの時想っていたのはグレン島のことなのか、一ノ島のことなのか、あるいはその両方だったのか。
 何より、火炎鳥はわたしの言葉をどのように捉えて飛び立って行ったのでしょうか――。
 


 火山灰のにおいのする北風が、家の隙間から吹き込んできます。
 主のいなくなった火の島は、これからしんしんと冷えていくのでしょう。


  [No.859] 【2】藤蔓の揺籠 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/02/07(Tue) 00:06:01   106clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 昔、こんな話を聞いたことがある。
 名のある森や、山や、湖には、そこを統率するヌシがいる。
 ヌシは一族を率い、周囲の生き物を従えてその地の秩序を保つ。
 優れたヌシは治める土地に平和をもたらすのだ。

 その話を聞いた時、僕はなるほどと思った。そして、こうも考えた。
 もしもこの『二ノ島』にヌシがいるならば、それは『長老』以外にありえない、と。




【2】藤蔓の揺籃




 長老は『フシギバナ』という種族なのだと誰かに教えてもらった。本土のカントー地方で旅に出るトレーナーが最初に手にするポケモンの内の一匹、フシギダネの最終進化系。代表的な草タイプのポケモンだ。
 四足で立つ巨大な体は両生類に似ていて、背中には大輪の花を咲かせている。動物と植物が半分ずつ混じったような不思議な生き物だった。


 島の子供は長老と遊ぶ。幼い子供も、年長の子も、みんな長老が大好きだ。長老の蔓を使った大縄跳びは、僕たちのお気に入りの遊びだった。
 長老が大きく体を揺らした拍子に、ばさりと羊歯(しだ)のような葉が一枚抜け落ちた。そのうち新しい葉が生えてくる。
「痛くはないの?」という問いかけに返事はない。多分、人間の髪の毛が抜け変わるのと同じようなもので、それ自体には問題はないんだとは思う。
 ただ、最近は葉が抜け落ちても生えてくるまでに時間がかかるようで、少し心配になってくる。
 噂が本当ならば、彼は相当な高齢だ。
 

 一体、長老はどれくらい生きているんだろう。
『長老はな、何百年もこの島のヌシなんだぞ』『大昔の島の偉い人の家来だったんだ』などと見てきたようにいう者もあったが、彼の種族の寿命(諸説あるが)から考えても、まずあり得ないだろう。
 伝説と呼ばれるポケモンは抜きにすると、一般的にポケモンの寿命は数年から数十年。百年を生きれば長寿な種族と言える。
 例外的に千年生きると言われるポケモンもいるにはいるが、それを見届けた人間はいないはずなので、詳しいことはわかっていない。この後の千年、観察が続けば結論は出るのかもしれないが。

 ……千年生きる狐の話はともかく。

 岬の家に住む、変わり者のおばあさんに、長老の年齢について知っているかどうか訊ねてみた。
「……さてのう。わしが娘の時分、本土に旅に出る前には島にフシギバナはおったようじゃが、それが今の長老なのかはわからんのう。
 しかし、懐かしいのう。わしがバリバリの『えりーととれーなー』になって島に帰ってきた後、長年の修行の末に究極の技を生み出せたのは長老のおかげなんじゃ」
 首を傾げながら語られる話は、いつの間にかおばあさんの思い出話にすり替わっていた。

 まあ、結局のところ、誰にもわかりはしないのだ。
 
 


 ある時、僕は長老の好きな林の広場でのんびりと過ごしていた。この場所は、その昔ここに大きな木が生えていた時の名残なのだと誰かから聞いた。
 古い大きな木が倒れ、樹冠が遮っていた真昼の日差しは地表まで差し込むようになった。切り株はしばらく残っていたそうだが、危険だからと掘り起こされて無くなった。
 今や、ここは草ポケモンたちの憩いの場だ。陽の光を求めて集まってくる小さな生命達を、長老は暖かく見つめていた。

 長老と呼ばれるフシギバナは、言うなれば島を支える大樹だった。雑木林に暮らす者たちは、みな彼の庇護のもとにある。
 彼は二ノ島の自然の象徴であり、統率者であり、紛う方無きヌシであったのだ。


 ふと、林の地面を覆う木の葉を踏みしめる音が聞こえた。何人かの大人の足跡。
 僕は素早く樹の陰に隠れた。林で遊んでいたことに別にやましいところなどは無かったのだが、『宿題をしろ』等と、とばっちりで説教されるのはごめんだった。大人の話を盗み聞きしてやろうという密かな好奇心もあった。 

「こちらがそのフシギバナですか……」
 知らない男が話始めた。
「確かに、標準的な個体とは明らかに異なった特徴を持っています。身体の色が微妙に濃くて、フシギソウから進化した時に消失するはずの斑点が薄く残っている。何より特徴的なのは、背中に咲かせた花弁の数です。普通、フシギバナの花弁は六枚ですが、このフシギバナには五枚しかありませんね。いや、初めて報告を受けた時には驚いたのですが」
「そうですか、やはりこの島固有の個体だったのですね」
「ええ、これは新しい発見です」


 僕は息を殺してその場の成り行きを見届けた。
 交わされた会話を要約すると、つまりはこういうことだった。
 長老は、今までに知られていない特徴をもった珍しいフシギバナである。おそらくは遠い昔に本土から(どうやってかは知らないが)渡ってきたフシギバナの子孫であり、狭い範囲での交配が進んだために、突然変異の形質が定着した。
 二ノ島には、長老の他に同族はいない。いや、見つかっていない。長老が死んだら血筋は絶える。
 だから、本土の動物保護区から我々研究者がやってきた。本土に長老を連れて行って保護しましょう、長老の血統を後世に残すために尽力しましょうという訳だった。
 ……ふざけるなよ、と思った。



 長老の背中の花弁は五枚。
 本土で標準的に観察されるフシギバナの花弁は六枚。
 ナナシマ特有の血統。多様な種の在り方。
 ――だから、何だというんだろう。

 そんなことのために、彼は生まれ故郷である島を追われ、観察者の檻の中で余生をすごさなければならないというのだろうか。
 

 その場の研究者とやらに怒鳴り散らしたい衝動を抑え、何とか隠れて家に帰ってからも、もやもやとした気持ちは残っていた。
 勉強も宿題も手につかない。風呂の掃除なんかどうだっていい。
 手に持っていたカバンを机に叩きつけ、自分はベッドに雪崩れ込んだ。

 頭に浮かぶのは『正当な』未来だ。草ポケモンの専門家が長老を後生世話してくれる。長老は餌を取る必要も雨水に濡れることもなく、屋根のついた施設で管理されて暮らす。
 二ノ島のフシギバナと血統と近い『伴侶』が彼にあてがわれるのだろう。もしかしたら子供が生まれ、いずれその子孫たちが二ノ島に帰ってくることが出来るかもしれない。

 ――そして長老は……。

 息絶えた後、彼はきっと多様性の記録の保存という名目で剥製にされる。
 最新技術とやらを使えば、生きている時と寸分違わぬ剥製ができるのだろう。
 広場にいるのと同じ姿で、透き通ったガラスの瞳で見つめてくる
長老を想像して、僕は耐えきれなくなった。



 気がつくと僕は自分の部屋を飛び出し、靴紐を結ぶのもなおざりに駆け出していた。


 あんな研究者が、島の外の人間が、長老の何を知っている。
 檻の中でほんのわずか命を長らえ、子孫を残すことが幸せだとでもいうのだろうか。
 長老には、この島にかつて伴侶もいたかもしれないのに……。

 道を走り、雑木林を抜け、ようやく彼を見つけた。
 陽の当たる、不思議な空間を取り囲む木々は、彼を閉じ込める檻のように思えた。もつれ合い、絡み合う、藤の葛(かずら)で編んだ牢獄だ。
 息を切らせて彼に話しかける。

「逃げろ」
 ……どこへ逃げろというのだろう。
「どこでもいい。あいつらに捕まらない、どこか、遠くへ」
 聞こえているのかいないのか、彼は濁った目を時折瞬かせていた。
「捕まったら、剥製にされるぞ。もう、戻ってこられないぞ」
 言いながら、頬に一筋涙が伝うのを感じた。

 はらり、と一枚木の葉が落ちた。夕暮れの風が林を揺らす。

 はたと気付いた。
 泳げない彼が、海に囲まれた島から逃げられるわけがない。

 彼の生まれた雑木林は、彼を育む揺籃であり、終の住処となるはずだった。
 その当たり前の結末を、人間の勝手な都合で壊してしまったのだ。


 逃げろよ、長老。どこか、どこか遠くへ。ヌシならそのくらいできるだろ。

 ああ、でもだめだ。例え『何処か』へ逃げたとしても、結局『此処』にはいられない。

 どのみち生まれ育った島でこのまま眠りにつくことさえできないんだ。

 

 幾つもの感情が混ざり合う。もう抑えようとも思わない。
 溢れ出てくるそれが許容の限界を超えた時、僕は長老の隣に崩れるように膝をつき泣き叫んでいた。






 数日後、島に研究者達の乗った船が来た。獣を入れる大きな檻を持って。
 長老を保護しようと島の人々と林の中を隅々まで探したが、ついに見つけることができなかったようだ。
 研究者達は三日間島に留まるのを延長し、「もし見かけたら連絡をください」といい残して帰って行った。

 島の大人達は噂した。
 ――さして広くもない島で、大人数で探して見つからないはずがない。
 ――長老は、人の手が届かないところに隠れてしまったのだ。
 ――まさか、林から逃げ出して、崖から海に落ちたなどということはあるまい。
 ――やはり、我々が手を出すべきではなかった。
 ――可哀相なことをした。
 どれもそれなりに本当らしく、かなりの部分疑わしい。




 研究者達にも、島の人々にも、ひとつ盲点がある。
 長老が、この島そのもののような存在だからこそ、気がつかなかったことだ。


 例えば、島の一人の少年が、長老が連れて行かれるのを嫌がって、彼をモンスターボールに収めてかくまっている……などとは誰も思わないらしい。


 2の島の自然の中で生きているポケモンに、人が外から手を加えようとすることが許せなかった。
 それなのに解決策として、人工的なモンスターボールの中に捕えなければならないという、どうしようもない皮肉。


 優柔不断で何一つ満足に決められやしないと言われた自分が、一瞬の内によくも決断できたものだ。

 いいや、決断なんて呼べるほど立派なものじゃなく、ただ単に魔が差しただけ――。

 考えがそこに至った時、肝が冷える心地がした。"魔が差した"などと盗人の論理を持ち出さなければ説明のつかないことを、自分はしでかしたのだ。
 だが――往生際の悪いことに、僕はまだ言い訳を考えていた――野生のポケモンをボールに収めることが、果たして罪になるのだろうか。本土のトレーナーなどは旅をしながら日常的にそれを行っているというじゃないか。
 ……わからない。他の誰がどうであれ、"僕のやったこと"は、罪に問われることなのかもしれない。
 不毛な理屈をこねまわすほどに心は乾きひび割れた。荒涼とした、だだっ広い空間に砂塵が舞っているような空しい気分になった。
 唯一わかっているのは、この先いつまでも僕を責め続けるのは、他でもない自分自身だということだ。
 今でさえ、"これで良かった。他に方法が無かったじゃないか"と思う一方で、底の見えない後悔が渦を巻いているじゃないか。
 


 もしも長老が人間の言葉を話せたならば、本人に決めさせるのが一番良かったのだろうか。
『あなたは本土に渡って檻の中で子を残したいのか? それとも島の林の中で余生を過ごしたいのか?』
 酷な選択だろうが、長老にとってはどちらが幸せだったのだろう。

 
 けれど、いくら考えたところで、今となってはどうしようもない。
 年老いたフシギバナをボールに治めた瞬間に運命は二手に分かれ、選ばれなかった方の未来はもう見ることさえ叶わないのだ。
 例えこの先どれほど悔やもうとも、自分が行動を起こした事実は変えられないし、行動を起こさなかった場合の結果を知ることもできない。


 何が正しかっのたか、もうわからない。きっといつまでもわからない。
 長老は何も教えてくれない。


 元の状態に戻っただけだ。島に、何も起こらなかったのと同じことなんだ。
 押し寄せる罪悪感をごまかすために、そう、うそぶいてみる。



 ほとぼりが冷めたころ、彼を元の雑木林に戻すつもりだ。
 突然帰ってきた長老を見たら、島の人々は驚くだろう。
『やはり、長老は人間の考えることなどお見通しだった』などと、言うかもしれない。
 そう考えると、どこか愉快だった。

 僕はボールの中の長老に笑ってみせて、それから机に突っ伏した。


  [No.892] 【3】木の実の鈴 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/03/07(Wed) 00:00:44   94clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『三ノ島』には『きずなまつり』というお祭りがある。もともとは違う名前だったが、『きずな橋』の建設とともに名前を改められたのだという。
『きずな橋』は三ノ島を構成する大小二つの島――民家の多い親の島と、『木の実の森』のある子の島――をつなぐ橋。

 そんな橋の成り立ちに因み、きずなまつりは『親子の絆』『人とポケモンの絆』をコンセプトにした祭りらしい。
 祭りを象徴するイベントは、即席の野外ステージで行われる『木の実取りゲーム』だ。
 十二歳以下の子供が一人、保護者(多くの場合父か母)が一人、および籠を持つことができるポケモン(念力は不可)が一匹の、三者一組で参加して、それぞれが藤の蔓で出来た籠を持って木の実を模したボールが落ちてくるのを受け止めるのだ。

 くだらないと思う。本当に、くだらない。
 ……だから、今年そのゲームに参加出来なかったとしても、別に全然かまわないのだ。
 



【3】木の実の鈴




 夏の太陽に照らされた海を船の上から見つめていた。麦わら帽子をかぶっていても日差しの熱が地肌に伝わる。
 父と母に連れられて、三ノ島の祖父母の家に向かう途中。

「暑いか」と父が話しかけてくる。「そうでもないよ」と私は答える。風を切って進む船の上ならば暑さも不安も紛れるというものだ。
 これから四泊五日、私は父方の実家で過ごすことになっている。父と母は仕事の都合上、明日には本土に帰らないといけない。五日目には迎えに来てくれるという約束だった。

 ――あなたはもう大きいのだから、おばあちゃんの家でも大人しく過ごせるでしょう? 大丈夫よ、何も心配してないわ。
 母の言葉が甦る。
 大丈夫だよ、母さん。母の言う『可愛い笑顔』を浮かべて答えた二日前。
 本当の事をいうと、せっかくの夏休みなのだから本土の他の地方へ旅行に出かけたり、友達と遊園地に行ったりしたかったけれど仕方がない。


 祖父母の暮らす島での五日間の生活。ここには友達もいないし、映画館もショッピングモールもない。
 あるのはさびれた商店街と、森に覆われた離れ小島だけ。これでも周囲の島々の中では最も栄えた島だというのだから驚きだ。

 
 まあいいや、と私は思う。
 この島でできること、この島でしかできないことは沢山ある。
 しかも明日、明後日はお祭りだ。木の実取りゲームには参加できないけれど……そんなのはどうだっていいじゃないか。


 祖父母の家に着き、私たちは丁寧に出迎えられた。島で採れた魚が中心の素朴な夕食を皆で囲んで食べた後、私はなんだか妙に眠くなり、いつになく早めに床についた。
 祖母が私のために敷いてくれた布団は、どこか青くて懐かしい匂いがした。「よく帰ってきたね」と声なき声で語りかけられたような安心感に包まれた。
 寝室と廊下とを隔てる襖の隙間からは、筋状の光が伸びていた。快活な父の声が聞こえてくる。
 明日には本土に帰る父が、酒を飲みつつ祖父母と語り合っているのだろう。
 ……別れを惜しんでいるのだろう。



 島に来て二日目。
 両親を乗せて遠ざかってゆく船の軌跡を見送った。別れ際の会話を思い出す。
 ――本当は寂しくはないの?
 ――いいや、大丈夫。何ともないよ。大丈夫。私のことは気にしないで。

 早く仕事を終わらせてちゃんと迎えに来てよ――とは言わなかった。



 両親と別れた後、私は独り離れ小島にある森に木の実を拾いに行った。沢山拾えば祖母がお菓子を作ってくれる。硬い木の実はクッキーの中に練り込んで、甘い木の実はジャムにしてもおいしい。そのままで食べられる木の実もある。

 木の実を探すには、「森の通り道」から少し外れた所が狙い目だ。余り離れすぎると帰り道がわからなくなる危険もあるけれど。
 草をかき分け、落ち葉を持ち上げる。中々見つからない。ここらあたりはもう他の人が拾っていったあとなんだろうか……。

 しばらく辺りをごそごそと探していた私は、不意に背後から感じた人の気配に気が付いた。
 はっとして振り返り、足音のした方を見ると、木々の間に紛れるように男の子が立っていた。彼もまた、じっとこちらを見つめている。

 見た目では私よりも二つ、三つ年上。おそらく十四、五歳といったところだろうか。少年と呼ぶべきか青年と呼ぶべきか微妙だが、自分より年長であることを考慮して青年、としておく。
 青年は、薄黄色の着物を着ていた。
 今時着物? と一瞬疑問に思ったが、そういえば今日はお祭りだったと納得した。

「お兄さんは誰? この島の人?」
 よくよく考えたら、変な質問だったと思う。島の人から見れば私の方が『他所者』だった。
 青年は、首を傾げるように曖昧に頷き、そして口元だけに笑みを浮かべた。不自然な笑い方だ。怒らせただろうか。
 青年が草むらの中からこちらに歩み寄ってくる。私は思わず距離をとった。
 それを見た彼は笑みを消し、二呼吸ほどこちらを見つめていた。やがて地面に何かを置いて背を向け、元の草むらの中に帰って行った。
 青年の姿が木々の間に見えなくなってから、地面に置かれた何かを確認した。深緑に映える赤い実――クラボの実だった。
 

 祖父母の家に帰り、祖母にクラボの実を見せると彼女は「まあ」と目を丸くした。
「綺麗なクラボの実ね。拾ったの?」
 私は頷く。
「それだったら明日ジャムにしてあげましょう。……そうそう、今夜のお祭りには浴衣を着てゆくのでしょう?」
 そう言って、祖母は押し入れの奥から探し出したと思われる水色の浴衣を得意げに掲げた。
 浴衣の海を涼しげに泳ぐ金魚達を見ながら、本物の金魚すくいのある祭りの一角の風景を想像した。
 年に一度のお祭りだ。楽しまなければつまらない。


『きずなまつり』は昔はただの夜市だった、と祖母は語った。水路の便の悪かった時代、周囲の島々の中では一際大きな三ノ島に、本土からの品物が年に数回集まる市場。
 船が発達した現代では、屋台が集まり、人が集まり、次第に今のような形になった。『きずな橋』ができてからは名前が改められて、あたかも『祭り』のように扱われるようになった。実際、3の島の若い人々の多くは『祭り』だと思っている。
 けれど、『祭り』とは本来、神を祀り、祈りをささげる宗教的な儀式のことだ。
 だから、『きずなまつり』は、火の神様を祀る『一ノ島』の火祭りとは本来毛色が異なるのだ、と。

 難しくて良くわからなかったが、屋台が集まり、人が集まれば、それはもう『お祭り』ではないのかと私は思った。祖母の言う、『多くの若い人々』と同じように。
 それを訊ねると祖母は説明に困ったような顔をした。



 提灯の明かりと、街灯の明かりと、屋台のランプの明かりと……。ほのかに明るく照らされた夜のお祭りの中を私達は歩いていく。
 いいや、これは本物のお祭りではなく、祭りの形をしたマガイモノ――市場の原理と欲望渦巻く闇の中。そう思うと、夏なのに薄ら寒さが這い上がってくる気がした。

 メイン会場からは外れた場所に、少し変わった露店があった。お店の前に置いてある、木でできた大きなフクロウにまず目を奪われた。
 フクロウは私よりも背丈が高く、翼を閉じてガラスの目で夜市を見据えていた。隣には『夜を覗く目――非売品』と書かれた立て札がある。立札には小さく『反対側からのぞいてみてください』とも刻まれていた。顔だし看板のように、反対側から覗けるようになっているのだ。
 私はフクロウの背中に回って少し背伸びし、フクロウの目を通して祭りを見た。
 闇夜に浮かぶ赤、青、黄色、時々緑。道の向いのリンゴ飴の店、少女の浴衣、道を照らすランプの光……。視線を動かせば万華鏡のように色彩が移り変わる。幻想的な美しさに私はしばし夢中になった。


「気に入ってくれたのかい、お嬢さん」 
 店の主と思われる、ふくよかな中年の女性が話しかけてくれた。朗らかで人懐こい表情の中に光る知性をたたえた瞳は、どこかフクロウを思わせた。
「どうぞ。好きなだけ見ていってちょうだい」
 フクロウの看板に熱中していたことが、少し恥ずかしかった。

 看板から離れ、私はようやく店の商品を認識した。
 そこは、木彫りの置物や石細工などの民芸品を扱っているお店だった。

 机に並べられた商品の内の一つをじっと眺めていると、店主のおばさんがにっこり笑って教えてくれた。
「これは、トンボ玉よ」
トンボと言うと、例えばヤンマンマのことだろうか。図鑑で見たヤンヤンマの姿を思い浮かべたが、それとはあんまり似てないように思う。口に含んだら溶けそうな、色の入ったガラス玉だ。
「このトンボ玉は七ノ島のガラス工房で作っているの」
「……七ノ島には、ガラス工房があるの?」
「ええ、個人で経営してる本当に小さな工房だけどね。体験で七宝(しっぽう)焼きのキーホルダーなんかを作ってみることもできるわ。お嬢ちゃんも、お父さんかお母さんと一緒なら作れるわよ」
 何と返したらいいかわからず、私は曖昧に俯いた。
 陳列された商品をしばらく眺めたふりをして、何も買わずに立ち去った。

 メイン会場で行われるゲームの予選を見ることなく、その日は帰途についた。




 島に来て三日目。
 私はまた森に木の実を拾いに行った。本当のところ、祖母にお菓子を作ってもらうのは二の次で、拾うこと自体が私の趣味だった。あっちこっち見て回って、森の宝物のような木の実を草の陰から探し出した時には何とも言えない達成感があった。

 ガサガサと草の根をかき分ける音がする。気配を感じて振り返ると、少し離れた木立の間に昨日の青年が立っていた。
 青年が、ひらひらと手を振った。ただの挨拶だとも解釈できたが、私には『こちらにおいで』と言われているように思えた。
 青年が引き返した草むらの中へ、私は足を踏み入れた。木々の間で、彼の姿はすぐに見つかった。一定の距離を保ちつつ、彼の後についていった。

「あなたの名前は何と言うの?」私は彼に話しかけたが、それに対する返答はなかった。
 道中、彼は何もしゃべらなかった。『ついて来い』とも『ついて来るな』とも言わなかったが、時折後ろを足を止めて振り返り、私がいるのを確認するような仕草をした。
 目が合った時には私もその場に立ち止まる。彼が前を向いて歩きだした後でついていく。何度か繰り返した。
 まるで『だるまさんが転んだ』で遊んでいるようだと思った。想像すると可笑しさがこみあげてきて、私はふっと笑った。
 青年はまた振り返り、不思議そうな顔をした。


 木々が開けた場所に出た。一面に生えた背の低い草の間に、所々鮮やかな色がのぞいている。
 近づいて見てみると、落ちていたのは色取り取りの木の実だった。
 モモンの実、ナナシの実、キーの実、チーゴの実、オレンの実……見たことのない珍しい木の実もある。
 こんな場所があるなんて。おそらく地元の人も知らない秘密の場所だ。

「ここの木の実は拾って帰ってもいいの?」嬉々として問いかけると、青年は満面の笑みで頷いた。
 彼に手伝ってもらいながら、鞄がいっぱいになるまで夢中で木の実を拾った。これを見たら、きっと祖母も喜ぶだろう。


 時間を忘れる楽しさの中、一つだけ気になることがあった。
 青年が何もしゃべらないのは、酷く恥ずかしがり屋だからだと最初は思っていた。だが、次第にそうではないような気がしてきたのだ。
 頷き、首を振り、指し示し……身ぶり手ぶりで、むしろ積極的にコミュニケーションを取ろうとしているように感じた。
 ああ、きっとしゃべらないのではなく、しゃべれないのだ――と思った。名前も知らない、年上の人間を初めて気の毒に思った。

 そんな私の思いを知ってか知らずか、青年は穏やかな微笑みを浮かべてこちらを見つめてくる。昨日感じた不気味さは、不思議と消え去っていた。






 下駄を鳴らして夜市を歩く。
 祖母の手を引き手を引かれ、歩いた過去が甦る。


 昨日と同じ場所に、その店はあった。木彫りのヨルノズクは今日も祭りを見つめている。
「あら、いらっしゃい」私の顔を覚えていてくれたのか、おばさんが笑顔で迎えてくれた。
 昨日とは微妙に違う商品が並んでいる。いや、気がつかなかっただけで、ホントは昨日もあったのかも……。
 森の木の実によく似たそれを何となく眺めていると、おばさんが目を細めて解説を始めてくれる。昨日と同じでほっとした。


「これはね、お隣の小島で採れた木の実で作った鈴なのよ」
 お守りでもあるんだよ、とおばさんはいった。
 並べてある鈴のうちの一つを手に取り、耳元で鳴らしてみた。
 からん、ころんと鈴らしくない音がした。硬い木の実の殻の中に小石でも入れてあるのだろうか。なぜだか心が落ち着く音だった。


「この鈴をください」
 鈴をおばさんに渡そうと差し出した瞬間に、背中に衝撃を感じた。誰かにぶつかられて、私は机の上に鈴を取り落とした。咄嗟に後ろを振り向く。


「オニさんこちら、手の鳴るほうへ」歌いながら、二人の少年達が駆けていく。
 自分に言ったのかと腹が立ったが、すぐにそうではないことに気がついた。二人の後を追って、もう一人駆けてくる。
「テッちゃん、ショウちゃん、待ってよお」後を追う少年は、先に走って行った二人よりも年下に見えた。
 当たり前だが、オニの役の子供は目隠しはしていなかった。人の集まる場所で視界を失ったまま走れる訳は無いのだ。
 そういえば、逃げていた二人も、実際には手拍子をしていなかった。ただふざけて囃し立てていただけなのだろう。


「あらあら、どこの子かしらねえ」
 困ったものね、とおばさんはひとりごちた。


 祭りから帰る途中、メイン会場に寄って木の実取りゲームの経過を覗きに行ってみた。
 ちょうど行われていた準決勝では、十歳くらいの少女と、優しげな眼鏡の男性と、ゼニガメのチームが落ちてくるボールと奮闘していた。
 二人と一匹の籠に入っているボールの数から判断すると――このゲームは参加者の年齢によるハンデや、ボールの種類による点数が細かく設定されているのであるので一概には言えないのだが――どうやら対抗に比べ劣勢のようだった。
 その親子の健闘を心の中で祈りつつ、家路についた。






 島に来て四日目。
 マガイモノの祭りとはいえ、終わってしまった後には吹き抜けるような寂しさが残る。
 お祭り会場は道路に戻り、お昼過ぎには車が行き交う。
 片づけ途中の祭りの跡を通り抜け、私は木の実の森に向かった。



 森の入り口で待っていたのは、物を言わぬ青年だ。手招き、頷き、細めた目――何を伝えようとしているのか、今ならもうわかる。
 青年が、昨日の秘密の場所に案内してくれた。今日も鞄がいっぱいになるまで木の実を集めた。

 楽しい時間は矢のように過ぎ、青年に別れを告げなければならない時が迫っていた。
「私、明日には帰らないといけないの」
 青年は少し驚いたように目を開き、おずおずと手を振った。誰でも知っている『お別れ』の挨拶。
「来年も、お祭りの時期にこの島来たら、また会うことができる?」
 青年は首を傾げる。また会える保証はないという意思表示。
 やっぱり、と私は落胆した。今年の祭りにあったお店が来年もその場所にあるとは限らないのと同じだ。今年この場所で彼と出会ったこともおそらく奇跡に近い確率だろう。
 そもそも、ちょうどお祭りの時期に島に来られるかどうかさえわからない。連絡の取りようもない。ここで別れれば、きっとそれで最後。再び出会うことはないだろう。
 ひんやりとした森の中で小鳥のさえずりを聞きながら、帰りたくないなあ、と考えていた。

 青年が、両手のひらをこちらに向けて『ちょっと待って』と動作で示した。私が頷くと彼は木々の間に消えて行った。
 一人残された私は、無意識に森の入り口のある方向を確認していた。
 もう連れてきてもらうこともないかもしれないから、一人でもこの場所に来ることはできるだろうかと算段していたのだ。普段人間が足を踏み入れることのないだろう、少し怖くて美しいこの場所に。
 ここに来れば、また彼と会えるのだろうか。来年になっても、大人になっても。
 取り留めのない思考が次々に浮かんでは消えていった。

 しばらくして、彼が戻ってきた。右手の中に何かを大事そうに持っていた。
 まっすぐに差し出され、私の両手のひらにぽとりと落とされたそれは、木漏れ日を反射してきらきら輝いた。
 森の中で取れたとは思えない、大粒の真珠だった。驚いて、私は問いかけた。
「……いいの? これを私がもらってもいいの? きっと大事なものなんでしょう?」
 青年は目を細めて頷き、手をひらひらと振った。
「……ありがとう。大切にするね……忘れない……ずっと忘れない。この真珠を見て思い出す」
 言いたいことは胸の中に溢れてくるのに、声に出そうとすると言葉の網をすり抜けてこぼれ落ちていく。伝えたいことの半分も伝わらないようでもどかしい。
 思いというものは無理に言葉にせずとも目と目で見詰め合ったほうが、かえって伝わるものではないのだろうか。元に青年は、一言も話すことができなくても、意思の疎通をする術を知っているかのようだ。
 沈黙の中、時間だけが流れた。

 一つ、二つ、大きく息をすると少し気持ちが落ち着いた。ありがとうともう一度呟き、手持ち鞄の中に真珠をしまおうとした。
 真珠を包むためのハンカチを探そうと鞄に手を入れた拍子に、何か青い物が地面に落ちた。からから音をたてて転がる。
 ああ、何をやっているんだろう。鞄に物を入れすぎだ。
 地面に落ちたそれを拾い上げ、照れ隠しの笑みを浮かべて彼の表情を見た瞬間、私は凍りつくことになる。
 

 見開いた目、引き結んだ口元。恐ろしいものを見るような、怯えきった表情だ。
 緊迫した彼の視線の先にあるのは、何の変哲もない木の実の鈴だ。彼が何を怖がっているのか、さっぱり分からず不安を覚えた。

「……どう、したの? 何か、あった?」

 青年は答えない。目をそらしたくてもそらせないのか、眉間に刻まれた皺が深くなった。
 なぜ、そんなに鈴を恐れるのだろう。

 ふとある思考が脳裏を過ぎった。
 今になって思えば。その鈴の材料となった、青く硬い木の実だけは、青年のくれた色取り取りの木の実の中にはなかった。
 これだけ木の実の豊富な森ならば、混ざっていても決しておかしくはなかっただろうに。そう言えば、この森で取れた木の実で作ったと、ヨルノズクの店のおばさんも語っていたではないか。
 ごくありふれた木の実――眠りを醒ます『カゴの実』の鈴は。

 鈴につながった紐を手首にかけたまま、鈴本体から手を離した。
 空中に放り出され重力に従って落下を始めたカゴの実の鈴は、しかし、赤い紐に繋ぎとめられる。
 からんからん、と音が響いた。


 ぐにゃり、と空気が歪んだ。瞬きの後、捩れた空間の向こうに見えた姿は、首周りに白いたてがみを生やした金色の獣人だった。
 ――幻術が解けた。
 幻を見ていた。見せられていた。

 瞬間、怖い、と思った。自分に術をかけていたこともそうだが、術をかける能力を持つことそのものが怖かった。
 得体の知れない、『知性の有りそうな生き物』は理屈抜きに恐ろしい。

 私の持つ鈴が揺れて、獣人の持つ振り子も揺れる。一瞬の沈黙。
 空気がもう一度捩れ、薄黄色の着物を着た青年の姿が現れた。今にも泣きだしそうな悲痛な表情だった。

 ……見てはいけない。これ以上目を合わせていてはいけないんだ……!
 薄っぺらい本能が悲鳴をあげる。

 叫び出したい気持ちを抑え、青年の皮を被った獣人に背を向けると森の入り口に向かって全力で走りだした。


 追いかけてきたらどうしよう。捕まったらどうしよう。
 そんな心配をよそに、獣人が追ってくる気配はなかった。
 ただ叫びだけが、いつまでもいつまでも纏わりついてきた。

 巧みに幻術を操る獣人も、人語だけは操れなかったのだろうか。彼の喉から発せられる咆哮は、まるっきり獣のそれだった。


『正体を明かすつもりは無かったが、危害を加えるつもりも無かった。一緒に遊びたかっただけなんだ。どうか、信じて』等と人間の言葉で叫ばれたなら、私はそれを信じただろうか。
 ……いや、きっと信じられない。何も信じたくない。


 森の奥に反響する獣の慟哭を聞きたくなくて、私は両手で耳を塞いだ。
 ばくばく打ちつける心臓と、からから笑う鈴の音が、頭蓋を伝って響いた。


 いっそのこと、目も瞑ったまま走れたらいいのに、と思った。


  [No.952] 【4】氷の時間 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/04/07(Sat) 14:00:13   97clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 一匹のポケモンが迷い込んで、辺りの空気が冷えました。
 二匹のポケモンが探しにきて、水たまりに薄氷が張りました。
 三匹のポケモンが越してきて、天井から氷柱(つらら)ができました。

 沢山のポケモンが息づいて、今の姿になりました。

『四ノ島』の『凍滝(いてだき)の洞窟』は、そうして出来ていったのだと誰かから聞きました。




【4】氷の時間




 もう何年前のことになるでしょうか。私がまだ四ノ島に住んでいたころの話です。
 四ノ島は、温暖な気候と凍りついた洞窟という相反する環境を持った不思議な島です。
 その島に住んでいたころ、私には一人の幼馴染がいました。隣の島の悪戯っ子達から、からかわれることの多かった彼は――今思えば、かなり変わった子でした。
 


 そんな彼の性格を一言で表すとしたら、『夢想家』でした。いつも取りとめのないことを考えていて、そしてそれを周りの人々――大抵は私でしたが――に話しては混乱を巻き起こしていました。
『こう』と信じたことは、周囲からの共感を得られようが得られまいが突き通す。そんな図太さも持ち合わせていました。

 ですが私は、彼のそんなところが嫌いではありませんでした。


 ある時、彼はこんなことを言い出しました。
「楽しい子供の時間を奪っていく悪いヤツがいるんだ」
「悪いヤツ? それって人間? それともポケモン?」
「姿は見たことはないよ。人間の目には見えないんだから当然さ。……でも、そんな不思議なヤツだから多分ポケモンなんじゃないのかな。『時間泥棒』は」

 彼の言うことには、『時間泥棒』とやらは子供が夜寝ている間、特に楽しい夢を見ている間に現れて時間をそっと盗んでゆくのだそうです。
 そして子供は見ていた夢を忘れ、目が覚めた時には時間が盗まれたことにすら気がつかない……というのです。
 きっとまた、読んでいた絵本か童話か何かの影響でも受けたのでしょう。

 盗まれたことを覚えていないのなら『時間泥棒』がいることの証明ができないのではないかという主旨の質問をしてみたのですが、それでは『時間泥棒』がいない証明ができるのか、と返されました。
『存在する証明』と『存在しない証明』。科学的かつ公平に物事を考えるならば、立証する責任は『存在する』と主張する側にあるように、今では思います。
 近代の科学と言うものは、例えるならば投網のようなもの。人類の英知によって編み込まれ、魚の形をした真実を掬いあげるためのものです。湖だか水たまりだかに網を投げて、引っ掛かった種類の魚だけを調べ、引っ掛からないものは『存在しない』と定義する――そういう類のものです。
『網の目が粗いから、魚がすり抜けて逃げてしまうのだ。湖の中にはまだ見たこともない種類の魚がいるはずだ』と主張する人もいるでしょう。確かに、網はまだ『完全』ではありません。
 ですが、時代が進むにつれて網の縫い方は巧妙になり、永遠に到達できるはずもない『完全』に、限りなく近くなってゆくのです。一マイクロメートル四方の網の目を、くぐりぬけて行く魚がいるのでしょうか?
『完全でないなら、何も無いのと同じ』という、一部の人々の好む論法は、私にはとても身勝手で、ほとんど何の中身も無い主張のように思うのです。

 けれども、当時幼かった私には順序立ててそれを説明できるはずもなく、屁理屈だとは思ったのですが、反論ができずにもやもやとした違和感が残りました。
 

 私が黙っているのを了承ととったのか、彼はさらに言葉を続けます。
 時間を盗むポケモンがいるとしたら、きっとエスパータイプ、ゴーストタイプ、悪タイプ――そのどれか。
 ならば、こちらは悪タイプのポケモンを持っていれば、少なくとも互角に戦えるのではないか、と彼は楽しげに語るのでした。

 その逞しい想像力に半ば感嘆し、半ば呆れながらも、彼が悪タイプのポケモンを捕まえるのに協力することにしました。



 彼は彼の兄からポケモンを一匹借りてきました。前歯の突き出たネズミポケモンです。
 悪タイプのポケモンなんてこの島のどこにいるのかと疑問に思っていると、なんと彼は凍滝の洞窟に探しに行くと言い出しました。
 鋭い眼光と鍵爪をもった黒猫のようなポケモン――悪と氷の複合タイプを持つニューラを捕まえようとしていたのでした。
 
 相手は猫でこちらはネズミ、分が悪い気がしたのですが、彼は「兄のラッタはレベルが高いから大丈夫」の一点張りです。
 一度言い出すと話を聞かないのはわかっています。タイプ相性で不利でなかったのが救いでしょうか。
 私と彼はお小遣いを出し合って十個のモンスターボールを買い込み、凍滝の洞窟へ向かいました。



 凍滝の洞窟は、そこに棲む氷ポケモン達の発する冷気により夏でも氷柱の溶けない不思議な洞窟です。
 冬ともなれば、洞窟中央の大滝が凍りつき、滝壺周辺は一面氷で覆われます。
 洞窟に棲みつくポケモン達の頂点に立っているのは、『海の王者』の異名で知られる希少なポケモン、ラプラスの一族でした。
 彼らは洞窟の奥深く、深海へとつながる海水の泉に集まり、互いの絆を確かめ合う歌を歌います。
 一族を率いている最も賢く力も強い個体を、私たちは『王サマ』と呼んでいました。
 私たちがラプラス達に会えるのは、滝の凍っていない季節だけでした。滝が凍ってしまえば、洞窟深奥にある泉に辿り着けなくなるからです。
 冬の間、子供は凍滝の洞窟に近づくことさえ禁止されていましたが、私は洞窟が氷で閉ざされるたびに、いずれ訪れる次の春を待ち望んでいました。



 洞窟の奥に足を踏み入れると、いきなりひやりとした冷気が私たちを包み込みました。
 初夏でも吐く息は白く曇り、上着を着込んでいても手からぷつぷつと鳥肌が上ってきます。
 私と彼の目当てはニューラ。悪と氷タイプの黒猫のようなポケモン。
 ラプラス達に会いに行く途中で、何度か見かけたことがありましたが、いざ探してみると中々見つかりません。
 ニューラは生来、とても獰猛な性質と聞いています。体力が尽きる前に何とか探し出したいところでした。


 氷で覆われた段差を降り、氷柱の伸びたトンネルをくぐった先の小部屋で、ついに小さな黒い影を見つけました。
 まだ若い、小柄な黒猫は、幼馴染の彼がモンスターボールからラッタを繰り出すと、指の間に隠していた爪をむき出しにし、低く唸ってこちらを威嚇してきます。
 シャーッという叫びとともに黒猫の後肢は地面をけり、ラッタに飛び掛かりました。

 ニューラの爪がラッタの腹をかすめ、ラッタの前歯がニューラの肩に食い込み、息もつかせぬバトルが繰り広げられました。
 ラッタのレベルが高い、と彼が言っていたことは本当でした。体力を一方的に削られていったのは野生のニューラの方でした。
 後になって知ったことでしたが、彼がラッタに指示していたのは『いかりのまえば』という技で、相手の体力を半分まで削る、まさにポケモンを捕まえるのにうってつけの技でした。
 息が上がり、動きが鈍くなったニューラに向かって、彼はついにモンスターボールを投げました。
 赤い光がニューラを包み、モンスターボールの中に吸い込みます。大きな揺れが、一つ、二つ。そして、カチリという音とともに動きが止まりました。


 彼と私は歓声をあげ、モンスターボールに駆け寄りました。
 新しい『仲間』に名前を与えるため、ああでもない、こうでもないと話し合い、結局見たままに『クロ』と呼ぶことになりました。
 ボールを内側からひっかく悪戯者に、私たちはそっと微笑みかけました。





 長いようで短い夏休みが終わり、温暖なナナシマにも涼しい秋の風が吹き始めた頃、彼は凍滝の洞窟の前に私を呼び出しました。
 洞窟前に向かう道中、私が理由を尋ねても、「いいから。後で話す」の一点張りです。
 そして、洞窟前に到着すると、彼はうつむき気味だった顔を上げ、意を決したように、こう言い出しました。 

「僕は、島を出るよ。島を出て、本土へ渡って……ポケモントレーナーを目指す。クロと一緒に」

 狭義の『ポケモントレーナー』――ただポケモンを所持するだけでなく、戦わせ、頂点を目指す旅人――に、彼はなりたいと言ったのでした。

 彼は興奮気味に語ります。
「四ノ島の出身者で、すごく強い人がいるんだって。セキエイの四天王になるのも遠くないって言われてるくらい。ナナシマ出身でも、強いトレーナーになれるんだよ。氷タイプの使い手で、女の人なんだって聞いた。この島から旅立ったときにラプラスを連れていったんだって。なんか、すごく、かっこいいよな。僕もそんな風になりたい。強いトレーナーになって、旅をしてみたい」
 矢継ぎ早に紡がれる希望に満ちた言葉の数々に、私は「うん」とか「そうだね」とか曖昧な相槌で応えていました。
 またいつもの夢想が始まったのか。最初はそう考えていた私でしたが、話を聞くうちに、彼が本気で夢を語っていることがわかってきました。
 

「……いつごろ島を出発するの?」
「次の冬が明けて春になったら……。そうだな。洞窟の滝が全部溶ける頃には出発するよ」
「そう……。それじゃあ、せめてそれまでにクロのトレーニングを積んでおかなきゃね」
「ああ、僕一人じゃ自信が無いから、君もつき合ってくれないか」
「いいわ。約束する。私もクロのトレーニングを手伝うよ」


 彼はクロに悪タイプの技と物理攻撃技を、私はクロに氷タイプの技を練習させました。人間である私たちがポケモンの技を受ける訳にはいきませんから、練習の相手といっても大したことはできません。
 彼は、新聞紙や段ボールを丸めたものを何本も用意して、「切ってみろ!」とやってました。
 私は、コップに入れた水を地面にこぼしつつクロに技を出させて氷の柱を作らせたり、たまに思いつきで氷中花を作らせてみたりもしました。
 いずれ訪れる旅立ちに備えて、万全の準備をしておくつもりでした。



 仄暗い冬がゆるりと溶けて、気高い凍滝が崩落した頃、とうとう別れの春が訪れました。
 私と彼は、最後にラプラスの王サマに挨拶に行きました。
 王サマはいつもと変わらぬ荘厳な眼差しで、静かに新しいトレーナーの誕生を祝福してくれているようでした。
 王サマの歌う歌を聴きながら、私はそっと目尻を手で拭いました。


 船に乗る彼を見送りに出て、お互いに手紙を交わす約束をした後の、彼の言葉は今でも忘れません。
「それじゃあ、また。……ラプラスの王サマにもよろしく」




 旅に出た彼からの手紙は、私が進学のため四ノ島を離れたころに途切れるようになり。
 いつしか、ぱたりと届かなくなりました。
 彼の実家に問い合わせれば無事を確認することは可能でしょうが、私は当面それをするつもりはありません。
 彼が元気で旅を続けていることを信じているからです。
 いいえ、本当は――信じていたいからです。




 ……。
 見知らぬ娘の実らなかった初恋の話など聞かされて、おそらく『何だつまらない』と思われたでしょうね。
 ですが今、私が幼馴染の彼に抱いている感情は、思慕の念というより罪悪感の方が強いのです。
 ええ、そうです。私は、彼にとても酷いことをしてしまったのです。彼には到底打ち明けられないような残酷なことを。

 それを語るには、私が今でも時々見る夢の話をした方が良いでしょう。
 その夢を見るのは大抵ひどく疲れた時。何もかも忘れて眠りの世界に逃げ込んでしまおうと思う時です。



 私が最初に見る物は、月明かりに照らされた大海原です。
 ゆらり、ゆらりと揺れながら、暗い海の上を移動していると思うと同時に、私は自分がラプラスの背に乗っていることに気が付きます。
 ラプラスは物悲しい歌を歌いながら、ゆっくりとこちらを振り返ります。そのラプラスの顔は、私と彼が『王サマ』と呼んでいた、一族の主のものでした。
 言い表せない悲しみを湛えたラプラスの目に、私はたまらず問いかけます。

 ……どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?

 時に高く、時に低く、穏やかで澄み切った声で王サマは歌います。

 ――カナシイ、カナシイ、人間は、カナシイね――
 ――時間の流れを止めようとするばかりか、こうして巻き戻そうとするなんて――

 歌の意味を理解した時、視界がにわかに暗転し、世界が音を立てて崩れていくような気がしました。
 バランスを失い、ふらついた体は海の王者の背を離れ、そのまま暗い海の中に沈んでいきました。




 深海の暗さをそのまま映し取った冷たい空間。
 ここは凍滝の洞窟です。巨大な滝は、正に『凍滝(いてだき)』の名にふさわしく、堂々たる氷の彫刻としてそびえ立っています。
 ですがよく見ると、春の訪れを告げるように、小さな水の流れが幾筋もつたって落ちていきます。あちらこちらに崩落した跡も見られます。その形が完全に失われるまで、それほど時間はかからないのでしょう。

 一人の少女と黒猫が、凍りついた滝の前に佇んでいます。

 ――別れを刻む水時計。再び流れ出した時、何かが終わって何かが始まる。終わってほしくない。始まってほしくない。
 ――このまま時間が止まってしまえばいいのに……。

「……クロ、氷の技の練習をしようか」少女はそう呟き、技を使うよう指示を出します。
 黒猫は訝しげに少女を振り返り、やがて滝に向かって冷気を放射しました。『こごえるかぜ』という技です。
 凍滝の表面を滴り落ちていた水の流れが止まります。




 幼き日の自分の幻影を、私はぼんやりと眺めていました。
 過去の記憶というものは、現在の自分の干渉できる領域にはないからです。幻影の少女から私は見えず、私の声も届きません。
 ただひたすら、祈るような気持ちで呟きました。

 ――やめなさい。やめなさい。そんなことに意味は無い。小さな黒猫の吐息では、巨大な滝は凍らない。流れる時間は止められない。自分の心を凍らせるだけだ。

『凍っていた滝が全て溶けたころに出発する』と言った彼の言葉を、あまりにも額面通り受け取っていた愚かな自分――滝が溶けなければ彼がいなくならないのではと淡い期待を抱いたのです。
 忘れていた、忘れたかった事実を今になって思い出しました。私は、彼を引き留めたいばかりに、黒猫に技を使わせて滝が溶けるのを止めようとしたのです。
 なんて馬鹿なことを。どうして、旅立ちを素直に祝福してあげられなかったのか……。自責の念ばかりが心に浮かびましたが、どうすることもできません。
 今、ここに見えているのはただの記憶の断片――過去を変えられないことは、よく判っています。

 滝に氷技を使うように指示した時の、黒猫の眼差しが脳裏に浮かびました。今も彼と旅を続ける黒猫が、もしも私の指示の本当の意味を理解していたら。それを彼に伝える術を持っていたなら……。
 そう思うと、背筋が冷えます。消えてしまいたい気持ちになります。

 
 この後の結末を私は知っています。凍滝は崩落し、清らかな水は再び動き出します。少女のささやかな抵抗など、まるで初めから無かったかのように。
 氷は水になり、冬は春になり、そして少年は新たな世界へと旅立っていくのです。

 ほら、今にも氷の割れる音がする。冷たい水が、流れる、溢れ出す――――



 
 ……そこで、いつも目が覚めます。


 酷くみっともないと思われるでしょうが、私は時折どうしようもなく切なく哀しい気持ちになり、涙を流しながら目覚めることがあるのです。
 心の奥底に沈んでいた澱が舞い、思い出したくもない暗い記憶を写し出すのです。
 私は夢を見るのが恐ろしい。彼に真実を知られるのが恐ろしい。
 そして何より、何もかもを見通している海の賢者の視線に晒されるのが恐ろしいのです。


 
 彼の旅立ちを見送って以来、私は二度と凍滝の洞窟に入ることはありませんでした。
 ラプラスの王サマと会ったのも、結局あの時が最後になります。


 それでも。
 冬の曇天に耳をすませば、今でもどこからか歌が聞こえてくる気がするのです。


 ――哀シイ、愛シイ、人間は、カナシイね――


  [No.978] 【5】潮騒の迷路 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/05/07(Mon) 21:05:56   88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 もうすぐ長かった夏が終わる。夏の間は、他の島にも頻繁に遊びに行った。『しるしの林』で虫ポケモンを沢山捕まえたし、『宝の浜』で海水浴も楽しんだ。
 何かやり残したことは無いだろうか。夏にしかできないようなことは。『五ノ島』でしかできないことは。
 悪童仲間のテッちゃんと話し合った結果、「それじゃあ、空き地で遊ぶのにも飽きてきたし、ここはひとつ『帰らずの穴』にでも肝試しに行ってみるか」ということになったのだった。




【5】潮騒の迷路




『帰らずの穴』は、ナナシマにある怖い場所の一つだ。中は天然の迷路になっていて、入るたびに地形が変わって見えるらしい。
 地下へ地下へと潜っていたつもりがいつの間にか入り口に戻されてしまったり、その逆に入り口に向かって歩いていたはずが奥深くに迷い込んだりといった噂をよく聞いた。
 地元の人間でも迷い込むと戻ってこられないとか、戻ってきたのはいいが何十年も経った後だったとか、魂を喰われて抜け殻になっていたとか……。
 そういう、怪談にありがちな曰くつきの場所だ。

 夏休みが終わりに近づいたその日、僕は親友のテツロウとその帰らずの穴に肝試しに行くことに決めた。
 ナップザックの中に弁当と水筒、懐中電灯その他を詰めて、まるで探検気分だった。




「ちゃんと準備して来たかー?」約束の時間、海岸に、テッちゃんは立っていた。
「もちろん。そっちも準備万端じゃん」背負ったナップザックを見せながら笑いかけた。


 五ノ島の海岸には、一匹のラプラスがいた。聞いた話によると、お隣の島の洞窟にはラプラスが群れを作って生息しているらしい。四ノ島で生まれ育ったラプラスが、たまに群れを離れてナナシマの近海に辿り着くことがあるのだという。
 このラプラスもそういった個体なのだろう。成獣になれば大人二人を楽々と背中に乗せて運べるようになるそうだが、今はまだ若く、せいぜい大人一人か子供二人が限界だろう。
「帰らずの穴まで連れて行っておくれよ」というテッちゃんの頼みに、ラプラスは歌うような鳴き声とともに頷いた。ヒトの言葉を理解する高い知能を持つこの海獣は、人間を乗せて海を進むのが何より好きだった。
 僕らはラプラスの甲羅に乗り込み、目的地を目指し出発した。



「ショウちゃん、何か持ってきた?」
「僕は毛糸玉。これの端を洞窟の入り口に結んでおけば、もし途中で迷っても、糸を手繰って外に出られるだろう?」
「ふうん。『帰らずの穴から出られなくなるなんて迷信!』って言い切ってた割に慎重じゃん」
「そういうテッちゃんは何を持ってきたんだ?」
「俺は、なんか家にあった古いお香。洞窟の一番奥までたどり着けたら、記念に置いてくるんだ。後から来た旅人が『これは何だろう』って思うんじゃないかな」
「どうせなら、蝋燭とか線香の方が良かったんじゃない? 雰囲気出てて」
「いっそ呪いのお札にすれば良かったかなー」
「いや、何でそんな物持ってるんだよ」
「冗談だよ」

 他愛のない話で気分がほぐれ、僕らは笑い合った。
 辺りを見渡すと、澄み切った青空と、濃紺の海が広がっている。所々に岩が突出し、波が当たるたびに白い泡が飛び散る。
 遥か彼方に、赤い粒が群れになって飛んでいるのが見えた。ふわふわと風に乗って揺れる動きが鳥には見えない。あれは何だろう。僕たちは顔を見合わせ、ラプラスの背から身を乗り出した。
 赤い粒の群れは、だんだんとこちらに近づいてきた。僕らが群れに近づいて行った、という方が正しいのかもしれない。
 肉眼でようやく確認できるようになった赤い粒は、ハネッコの群れだった。所々にワタッコやポポッコもいる。ハネッコは空き地に続く草むらでよく見かけたが、海の上にもいるものなんだなぁ。
 呑気な表情で飛んでいくハネッコたちに、僕らは手を振った。 


「せっかく肝試しに来たんだし、一つ怖い話でもしようか」気分を盛り上げるためにさ、とテッちゃんが提案した。
「怖い話ねぇ。自信があるなら是非聞いてみたいね。面白そうだし」

「それじゃあ、遠慮なく」水筒の蓋に冷たい麦茶を注ぎながら、彼は話した。
「昔、ばあちゃんに聞いた話なんだけどさ。本土に住むばあちゃんの知り合いの知り合いだかに、青い大入道に遭った人がいたんだってよ」
「大入道って……。なんだそりゃ。ポケモンか?」
「まあ、多分な。影を踏まれて動けなくなったって」
 固唾をのんで話の続きを待つ僕に、テッちゃんはにやりと笑って語り始めた。

 黄昏時の畦道を、男が夕陽に向かって歩いていた。野良仕事を終えて我が家へ帰るために。
 男の足元からは、黒い影法師が伸びていた。
 ふとした瞬間、男の足が地面に張り付いて、どうにも前に進めなくなった。立ち往生した男は困り果て、誰かいないかと後ろを振り返り、そいつを見たそうだ。
 いつの間にか自分の影を踏んでいる、青い大入道の姿を。
 男は肝を潰して助けを呼ぼうと叫んだが、生憎そこはさびれた田舎道。人っ子一人通りかからなかったそうな。
 陽が沈み、辺りが暗闇に包まれた頃、男はようやく自分の足で進めるようになっていることに気が付いた。
 幸いその晩は新月で、自分の影と暗闇の境目が消えていたのだ。男は脇目も振らず、走って家に辿り着いた。

「まあ、ずいぶん昔の話だからいいんだけれども、もし今の時代に大入道が現れたとして。電灯の真下で影を踏まれたら、そいつは逃げ出せるのかなぁ」と、彼は最後に空恐ろしいことを呟いた。



 海の上をゆったりゆったり進んでいくうちに、海面から突き出している岩の間隔が狭くなり、徐々に視界の両端を覆う壁のようになっていることに気が付いた。しかも、不気味なことに濃い霧がかかり見通しが悪くなってきている。
「帰らずの穴に行く途中にこんなに岩があったかなぁ」古ぼけた地図を眺めながら、僕はひとりごつ。
「この、地図の脇の方のさ。『水の迷路』じゃないかな。今いるとこ」地図を除き込み、テッちゃんが指差した。
「間違った道に入っちゃったのか。どうする? 今から引き返す?」
「こんなところに来るはずじゃなかったんだし、素直に引き返そうぜ」

 ところが、元来た路を引き返そうと進んでも、行けども行けども枝分かれした水路が続くばかりで、ついには方向がまるで分らなくなった。
 僕らを包み込む霧は深くなる一方で、数メートル先さえ見通せない。岩にぶつかる直前に方向を変えるので精一杯だ。

「きりばらいのできる鳥ポケモンをつれてくればよかったなぁ」テッちゃんが悔しそうに呟いた。
「そうだな。そうだけど、どうせならそらをとぶも使えたらもっと良かったな」と冗談半分に返したら、「馬鹿野郎!ラプラスを置いて帰る気か」と怒鳴られた。仮定の話なのに、なんて理不尽。


 会話が途切れるのを怖れるように、僕たちは次々と言葉を掛け合った。
 どちらに進めばいいと思うか。自分たちは果たして出口に向かって進んでいるのか。水筒の水を節約するためにどうすればいいか。ラプラスを休ませなくて大丈夫か。
 無理にでも話題を見つけ、言葉を交わした。

 それでも、出口の見えない焦燥はじわじわと体力を奪っていく。
 霧が、直射日光にさらされるのを防いでくれることだけは有難かった。
 何も話す気力が無くなったころ、空の色は灰色がかった青から、霧にかすんだ赤色に変化し始めていた。
 夕刻。もう少しすれば陽が落ちて、辺りを包むのは夜の闇になる。

 霧にかすんだ海は凪いでいる。波の音さえ聞こえなければ、大きな湖にいるのではないかと錯覚するくらいに。変化もなければ、終りもない。時間が止まっているみたいだ。
 いっそ大波が来て、ひと思いに僕らを攫ってくれたらいいのに――と暗い期待が頭を過ったが、さすがに口に出すのは憚られた。
 家に帰れないのなら、せめて土に還りたい。冷たい水の底に沈むのは嫌だった。





 進む先をラプラスに任せ、黙り込むこと数時間。陽は疾うに落ち、懐中電灯の明かりだけが心の支えだった。あれだけ行く手を邪魔した岩の壁はいつの間にか一つとして確認できなくなっていた。ひょっとして、僕らは今、島を離れて大洋に出てしまったのかもしれない。
 ――ああ、今頃父さんと母さんは心配しているかなぁ。
 このまま海の上で朝を迎えることになるのだろうかと覚悟していた時だった。
 闇の向こうに、月明かりに照らされた影が見える。僕は、思わず隣でうずくまっている友人を揺り起こした。久しぶりに海と岩以外の物を見た気がして、僕らはラプラスの背中から身を乗り出した。
 ラプラスに、そちらへ向かうよう指示を出した。陸地に上がれるなら、何でもいいと思った。例えそれが、迷い込むと出てこられないという『帰らずの穴』でも、海の上で夜を明かすよりましだった。

 近づくと、影は相当な大きさだということがわかった。この形の何かを、僕は見たことがあるような気がする。
 ラプラスから降りて上陸し、それに走り寄った。それは、大きな石塔だった。
 石塔の前には封の空いたミックスオレの缶が置いてあり、よく見るとその隣に小さく文字が彫ってあるようだった。ライトの照準を合わせて、文字を確認する。
『イワキチ ここに ねむる』と刻まれているのを見た時、僕は確信した。おそらく、そばで放心している友人も。

 これは、お墓だ。5の島の空き地のはずれの、『思い出の塔』だ。

 ……僕らは気がつかないうちに島の周りを半周して、反対側から上陸してしまったのだろう。


 ラプラスにいったん別れをつげて、僕らはすぐにお墓を離れた。
 遊びなれた空き地も、草原も、闇の中では空恐ろしい気配を放つ。風が草を揺らす音すら、化け物の囁き合う声に聞こえる程だ。
 僕らは手をつなぎ、はやる気持ちを抑えながら月明かりを頼りに家路を急いだ。


 町外れまで到着すると、数人の大人が懐中電灯を手に何か叫んでいるのがわかった。
「おうい。テツロウ君、ショウイチ君」
 僕らの、名前だった。

 僕らは夢中で彼らに近寄った。
 大人たちの一人がこちらに気づき、懐中電灯の光がまっすぐ向けられた。
「ショウイチ君じゃないか。おうい。見つかったぞぉ。テツロウ君も、こんな夜中までどこに行っていたんだ。神隠しに遭ったんじゃないかと、みんな心配していたんだぞ」
 そう言ってくれたのは、斜向いに住むおじさんだった。
 
 夏休み最後の僕らの肝試しは、結局、町内を巻き込む大騒動に終わった。
 僕とテッちゃんの父さんたちは、近所の人たちに申し訳ないと頭を下げていた。僕らも一緒に頭を下げた。
 無事に見つかって何よりと、みんな一応笑ってくれて、その日はそのまま家に帰された。

 家に帰ると、こっぴどく叱られた。皆に心配をかけてどういうつもりだと、父は唸るように問い詰めた。
 言葉も無く俯く僕に、今日のところはもう寝なさいと、母が促してくれた。
 夏休みが終わるまでの課題に、反省文が追加された。
 

 あの肝試し騒動からしばらくして、海岸でラプラスと再開した。
 まだ若かったラプラスは、あの水の迷路での冒険の後、すっかり逞しくなったようだった。


 一つ、考えたことがある。いくら水の迷路に霧が出ていたとしても、賢いラプラスが道を間違えたりするだろうか。
 もしかしたら……本当はラプラスは全てを知った上で、僕らが帰らずの穴に向かわないようにわざと道を間違えたふりをして、僕らを島の反対側へ届けてくれてたんじゃないかと。
 それを確かめるためには本人に聞くしかない。僕はラプラスと再会した時、ラプラスに耳打ちした。
 ――もしかして、わざと道に迷ったふりをしたの。
 ラプラスは歌って答えた。高く、低く、穏やかで澄み切った声で。その歌を聴いているうちに、なんだか眠くてどうでもよくなってきた。





 あれから、僕らは時折、思い出の塔にお参りに行くようになった。
 甘ったるいジュースの缶を開け、石塔の前に置く。

 
 石塔の陰で草むしりをしていた青年が、こちらに気が付き、歩み寄ってきた。
「こんにちは……。きみたちもイワキチのお墓にお供えしてくれたのかい……」
 青年は、自分がこの墓に眠るイワークのトレーナーだったのだと語った。
 口元に陰気な笑みを浮かべる青年に、僕たちは気まずい愛想笑いで応えた。


  [No.995] 【6】そらゆめがたり 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/06/07(Thu) 21:10:03   84clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 梅雨の季節には、なんだか憂鬱な気分になる。そりゃあ、毎日毎日雨が続けば、誰だって気分がふさぐだろうけど。
 俺の場合は、梅雨の時期に出会ったある人物のことを思い出すせいなんだ。俺の実家がこの『六ノ島』で宿屋をしていた頃のお客なんだが、まあ、何と言えばいいのか……一言でいうと変な人だったよ。
 もうずいぶんと昔の話だし、俺もまだガキのころだったから、誤解が混じっていたり、ところどころ記憶が曖昧だったり、捩れて繋がっていたりするだろうから。
 ここから先は、話半分に聞いてほしい。
 



【6】そらゆめがたり




 六ノ島は、謎の多い島だと言われている。幾何学模様の『しるしの林』、誰が残したかわからない文字を刻んだ『点の穴』、何のための遺跡かもよくわかっていない『変化の穴』等々。
 元々の人口もそう多くはなかったが、最近本土に渡る人が増えてどんどん人が減ってきているのは寂しい。寂しいし、何より俺の家の宿屋にお客が来なくなったら困る。
 島で生活ができなくなったら、俺らの家族も島を捨てて本土に渡ることになるのだろうか。

 何にせよ、人間にとって不便極まりないこの島の過疎化は進んでいる。やがて一つ、そしてまた一つと人家の灯りが消えていく。
 あと数十年もすれば人間は誰もいなくなって、町だったところさえもそのまま自然に飲み込まれてゆきそうな勢いだ。
 そうなれば、人が住んでいた名残は大昔の遺跡だけ。島はかつてのように木々が鬱蒼と生い茂る野生ポケモンの楽園になるのだろう。
 自分も、自分の家族も、知っている人も誰もいなくなって、蒼い海に浮かぶ翡翠のような小島に響くのは獣の啼き声だけ。
 緩やかな坂道を下るような滅亡を、いつの間にか想像していた自分に嫌気がさした。

 自分の心が酷く屈折していることに気がついたのはいつの頃からだったろう。
 俺はたびたび、自分の中に棲みつく怪物の気配を感じ取っていた。悪意に染まった真っ赤な目と、黒い影を纏った醜悪なバケモノだ。
 そいつはビロードの毛皮を被って自分の本性を巧みに覆い隠す。弱く無害なふりをして外面良く振舞いながらも、着実に育ち力をつけていく。
 通常の、意識的な思考の流れが枝分かれした河川のようなもので、根もとの部分で無意識の海に続いているならば、怪物はきっと淡水と海水の混じり合う汽水の領域あたりに潜んでいるんだろう。
 そうして、いつか俺の意識を喰いつぶしてしまおうと虎視眈々と狙っているんだ。



 潰れかけた宿屋に、奇妙な旅人が訪れたのは、ちょうど俺がそんな愚にもつかない想像を浮かべていた頃のことだった。

「おじさん、ポケモンを見せてよ」にいっと笑って話しかける俺に、旅人は溜息を一つ吐いて答えた。
「またかい。ゴーリキーがそんなに珍しいのかね」
「うん。六ノ島にはいないからね。それに、ゴーリキーだってきっとボールから出て遊びたいはずだよ」
「やかましい小僧だ。いちいちちょっかいを出せれては仕事にならん。いっそこの宿を出て、ポケモンセンターにでも止まるか」
「それでもいいけれど、おじさんの好きな広い浴場のある宿屋は、六ノ島にはウチしかないよ。いいの?」
「む……」と彼は舌打ちをした。

 彼の名前は、確か“オモダカ”といった。
 本土からナナシマにある遺跡を調査しに来た自称研究者で、六ノ島と七ノ島にある遺跡を調べている。
 いかめしい顔つきの、ひどく気難しい男で、宿にいる時はいつも不機嫌そうに自分の集めてきた標本を調べているような風変わりな人だった。
 島の外から来た人が長く宿屋に居つくことは珍しかった。大抵はナナシマを見に来た観光客か、ポケモントレーナーである旅人が一晩か二晩、長くて一週間ほど泊まって去ってゆくだけだ。
 俺は、そんな彼に興味を持った。母に知られるとあまり良い顔はされないのはわかっているので、彼が部屋で調べものをしている時、こっそりと訪ねて行った。
 彼は始めうるさそうにしていたが、やがて諦めたように色々な話を聞かせてくれるようになった。
 本土の歴史、遠い地方の神話、ナナシマの遺跡の話。彼の話は、まるでどこか遠い世界の物語のようで、心惹かれるものがあった。


「おじさんは、ナナシマの外の人なんだよね」
「何だ。今さら」
「ナナシマの外の世界はどんなところなの?」
「……まるで、ナナシマが"世界"に含まれていないような物言いだな」
「しかたないじゃないか。俺は六ノ島から出たことがあんまりないし、ナナシマの外の人と真面目にしゃべったこともないんだ。ナナシマの外のことは、テレビで見るだけさ」
「そうか。それは気の毒に」そこで一つ咳払いをして、「結論から言おう。お前の質問に真面目に答えたところで、あまり意味などないんだよ」彼は、酷薄な表情を浮かべ、重々しい口調で語り始めた。

「ワシの見る世界とお前の見る世界は微妙に違うだろう。ワシらだけじゃない。全ての人間はそれぞれ違う世界を見ている。ポケモンの見る世界ともなればワシらには想像もつかない。それらは完全に重なり合うことは無いだろうし、また重なり合わなくてもいいんだ。そもそも、お前はどういう答えを聞けば満足するんだ。世界はどこまでも美しいと言ってほしいのか、捩れ歪んで醜いと言ってほしいのか。それを聞いて、お前は果たして納得できるのか? 人の見ている世界は、とても言葉で表現しきれるものではないよ。そいつの見たもの、聞いたもの、触れたもの――生きてきた経験の全てで構築されているものだからな。仮に言葉に出来たとして、とても一朝一夕に語りきれるものでもない。そしてワシが誠心誠意、世界についてお前に説いてやろうとしたところで――」

「お前は、途中で寝るだろう」
「眠ったりしないよ」
「嘘をつくな。もう眠たそうに見えるぞ。さあ、子供は帰った、帰った」
 彼の話は面白いが、時々よくわからなくなる。

 その時はそのまま自分の部屋に戻った。後になって『“おじさんは”世界についてどう思うの』と聞き直しておけば良かったと思った。


 ある日、七ノ島に調査に出かけていたオモダカ氏が、予定していた時刻よりずっと早く宿に戻って来た。
 どうやら昼前からぽつりぽつりと降り出した雨が本降りになり、フィールドワークを中止せざるを得なくなったようだ。
 むすっとした顔で部屋へ戻る彼の背中を見送った。
 昨日のラジオでも雨が降るって言っていたのに、気にかけていなかったのかなぁ。変なところで無頓着である。
 これからナナシマも梅雨入りだ。遺跡の調査は難航するだろう。


 雨に濡れた研究機材の故障の有無を調べている彼に「いま、遺跡でどんなことを調べてるの?」と訊ねてみた。
「今は遺跡に刻まれている言葉を調べている。古代の人々が使っていた言語を」と彼は答えた。
「言葉? 言葉を調べて何になるの?」

「ある言語を理解するということは、その言語を使う人々を理解する鍵になるからな。言語は、世代を超えて受け継がれるものだ。もちろん世代が変われば、言語は変化する。違う民族が交流すれば、言語は混じりあい、有用な単語が取り入れられることもあるだろう。だが、文法の根本的な部分まで変わってしまうことは滅多にない。その地域で話される言語が撲滅されてしまうのは、文化的な侵略があった時くらいさ。……ある意味、言語というものの振る舞いはDNAと似ているとワシは思っている。小僧、DNAを知っているか」

「多分、聞いたことくらいなら、ある」

「DNAというのは、生命の設計図のようなものだ。この生命はこうあるべき、と生まれつき決めている。その設計図は、ヒトの身体を構成する六十兆もの細胞ひとつひとつに入っていて、その細胞が今何をすべきかまで制御しているのさ。DNAは何もないところから新しく生み出されたりはしない。必ず自らを鋳型にしてレプリカを作る。こんなところが言語と性質が似ているだろう。DNAは世代を経るごとに、親から子に忠実に複製されて渡される……はずなんだが、たまにエラーをおこして親とはちょっと違ったDNAを子が持つことがある。突然変異ってやつさ。突然変異が積み重なって、生命の進化というものは起こるらしい。突然変異の数の違いを調べることで、生物の進化の全体像たる"生命の樹"の正体を探ろうという研究もある。……元々、すべての生命は一つだったのさ」

「おじさん。わからないことがあるんだ。おじさんは、言葉は受け継がれるもの、変化することはあっても、根本的に変わってしまうことは無いものといった。でも、世界には幾つもの言語があるのに、人間の根源は一つだ。辿って行けば一人の最初の人間に行き着く。矛盾しているじゃないか。……どうしてなの?」

「それは難しい質問だな。生命が先か、世界が先かという問題と同じくらいに難しい」
「世界が先に決まってるでしょ。世界があるから、生命が生まれることができたんだ」
「ふん。だがな、小僧。遠い地の神話によれば、世界は、ある生命によって創造されたというぞ」
 所詮神話と言われればそれまでだがな、とおじさんは呟くようにいった。

「その問題は、おじさんにとっても難しいの?」
「ああ、難しいさ。とても難しい。もし、この問題を一点の曇りもなく証明できたなら、そいつは世界で最も権威ある賞の表彰台にだって立てるだろうよ」
「表彰なんかされたって、大して嬉しくはないけどね」
 俺が答えると、オモダカ氏は実に苦々しい表情で、「ふん、所詮はガキか」と吐き捨てた。
 その後、彼はぶつぶつと何やら呟きながら資料を漁り始めたため、妙に重苦しい空気の中でその日は別れを告げた。


 雨は降り続き、その間オモダカ氏は遺跡の調査に出られなかった。いつにも増して不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、宿の廊下を歩いてゆく彼の姿を見かけた。
 もうじき予定していた調査期間が終わり、宿を引き払わなければならないのを俺は母から聞いて知っていた。
 毎年この季節になると、宿屋には閑古鳥が鳴く。観光客も、好き好んで梅雨真っ盛りのナナシマに来たいとは思わないんだろう。きっと自分もそう思う。
 オモダカ氏は何故、よりにもよってこんな時期にフィールドワークなんか始めちゃったんだろうなあ、と少し呆れた。




 客観的に見て、オモダカ氏が『尊敬するべき偉大な人間』と言い難いことは、島の大人達が彼を見る視線からもなんとなく想像がついた。
 遠巻きに、少し焦点を外すようにしてちらりと見る。そして見ていることを気づかれていないとほっとする。

 島の大人達は、旅人と争うことは基本的にしない。彼らがいずれいなくなることを知っているからだ。
 宿の場所を訊ねられれば丁寧に教えるし、その日の天気の移り変わりについて朗らかに、のんびりと話しているのをも時々見かけた。
 けれど、それは他所の人間をあるがままに受け入れる暖かさとは少し違う、ような気がした。
 言うなれば、火薬を積んだ荷車とすれ違うときに道を譲る類のものだ。



 わずかな晴れ間を縫うように彼は遺跡に出かけてゆく。調査が予定より大幅に遅れていることに焦りを感じているようだった。現地で完全な調査することを諦め、山のような写真を撮ってきては自分の部屋にこもって解析を続けていた。
 天候の変化を読み、前日に万全の準備をして出かけても、突然の降水により全てが徒労に終わったことも一度や二度ではない。
 そんな時、彼はもはや苛立ちを隠そうともしなかった。日を追うごとに、彼の纏う気配はより一層、人を寄り付かせないものになっていった。
 オモダカ氏の印象として、今でも一番強く残っているのは、この時期の排他的な雰囲気だ。



 俺とオモダカ氏の関係にある転機が訪れたのも、嫌な雨がしとしと降り続く日のことだった。
 その日、彼はどことなく疲弊した面持ちで廊下を歩いていた。
「こんにちは、おじさん」と俺が話しかけると、彼は俯き気味の視線をこちらに向け「なんだ、小僧か」と呟いた。
 久しぶりにゆっくり話をしてみたいと問いかけてみると、彼は以外にもあっさりと了承してくれた。
 

 久しぶりに訪れたオモダカ氏の部屋は、山と積まれた写真や研究論文、何に使うかわからない大きな機材などが無造作に置かれていた。前に見た時の整然とした感じはすっかり失われている。
 何を話したものかと俺が迷っていると、オモダカ氏の方から唐突に話を切り出してきた。

「小僧、お前はナナシマを美しい土地だと思うかね」

 何を意図した質問なのか、さっぱり見当もつかなったが、誤魔化す意味もないので俺は素直に答えた。

「もちろん。六ノ島も七ノ島も、自然に囲まれて美しい。おじさんも大好きな、古い遺跡もあるでしょう? あまり行ったことはないけれど、他の島だってそれぞれ素敵なところだと思うよ」
 そうだ。六ノ島は自然に溢れている。人が減って活気がないのも否定しないが。
「ふん、島の子供は暢気だな。いや、暢気なのは大人も同じか。ナナシマは、お前たちが思っているほどのどかで平和な土地ではないさ。むしろ、仄暗い歴史を残す、闇の深い土地だとわしは思うがね」
「どういうこと?」怪訝に思い問いかけた俺に、オモダカ氏は無表情に語り始めた。


 七ノ島に『アスカナ遺跡』という遺跡があるだろう。あれは古代人が造り上げた遺跡だ。彼らは、独特の文字を持っていた。二十六字の表音文字で言葉を表す文化をな。
 アスカナ遺跡が造られたのは千五百年以上も前だといわれている。今のナナシマの人々は本土に近い一ノ島から順番に移り住んだと言われるが、それも高々数百年前だ。遺跡を造った古代人とは何の繋がりもないのだろうよ。
 アスカナの言葉を受け継ぐ人々は今はもうどこにもいないが、同じ文字が刻まれた遺跡ならこの世界の各地に残っている。
 ジョウトの『アルフの遺跡』、シンオウの『ズイ遺跡』、そしてこのナナシマだな。遺跡の壁に刻まれた文字が、彼らの生きていた証しだ。
 文字という高度な文化を持ち、後世に残る遺跡を創った彼らが、何処から来て何処へ行ったのか。彼らの言葉はどうして滅んでしまったのか。わからないことだらけだ。
 ただ、このナナシマから彼らが消えた理由としては、一つ面白い仮説があるのだよ。


 六ノ島にも遺跡が存在する。『点の穴』という遺跡だ。あれも古代の人が造った遺跡だが、遺跡に使われている文字はアスカナ遺跡のものとは全く違っているのだよ。
 点の穴の文字は、六つ一組の点の凹凸で表記されているんだ。この文字も言葉の音を表わしたもののようだが、アスカナの文字とは形も文法も全く異なっている。
 ワシの見立てでは、点の穴の遺跡の方が、アスカナ遺跡よりも古い時代のもののようだ。しかし、彼らの子孫もまた、現在のナナシマには暮らしていない。
 ナナシマに栄えた二つの文明が、二つとも跡形もなく消えている。
 奇妙なことだと思わんか?

 おそらく二つの文明は、何か大きな異変か災害によって滅んだのだろう。ナナシマは大洋に浮かぶ孤立した列島だ。何か起こっても外界の歴史に刻まれる可能性は低い。
 問題は“何が”そうさせたかという事だが、ワシはその糸口は『アスカナの鍵』という石室にあると予想している。アスカナの鍵が異変の原因にかかわっているのか、異変の結果アスカナの鍵が造られたのかまではわからんがね。
 ワシはナナシマに起こったことのすべてを知りたい。たとえ過去の悲劇を繰り返すこととなろうとも、ワシはアスカナの鍵を解いてやるさ。




 その時まで俺は、六ノ島の遺跡を作ったのは自分たちの遠い先祖であると思っていた。誰に言われたわけでもないが、漠然と信じていた。
 それをあっさりと否定されたばかりか、『お前たちは神聖な遺跡に住みついた墓荒らしだ』とでも言われたようなショックを覚えた。
 俺がナナシマに対して抱いていた思い。それは例えるなら発達途上の子供が家族に対して思う感情と似たものだった。
 奇妙に思われるだろうが、具体的に言葉にするのなら“愛着”と“嫌悪”――近しいからこそ感じ得る矛盾した二つの感情の混じり合ったもの。
 ふたを開けてみれば、心にしまい込んだ箱の中に入っていたのはそんな赤黒い感情だった。



「その鍵を開けたら、ナナシマはどうなるの? 良くないことが起こるかもしれないんでしょう?」
「その時になってみなければわからんよ。わしはただ、謎を解き明かしたいだけだ。謎というものは、解かれるためだけに存在するのさ。解いた後がどうなろうが、ワシの知ったことか」
 故郷を侮辱された怒りと、裏切られた悲しみと、ごちゃごちゃしたものが胸の奥から湧きあがってきた。心の中に住みついている真っ黒な怪物が赤い火を吐くように、言葉が喉から飛び出した。

 その時、俺は何と言っただろうか。酷いと叫んだのか、大嫌いだと喚いたのか。あるいはもっと過激な罵声を浴びせたのか。よく覚えていないが、思い出したくもない。
「おい、小僧、待たんかっ」その言葉を背中に聞きながら、俺は部屋を飛び出して階段を駆け上った。
 それが、彼と言葉を交わした最後だった。

 それから数日、俺は極力彼と顔を合わせないようにした。廊下でやむなくすれ違っても、ぷいと目をそむけた。背後に感じた、嘲笑混じりの溜息も知らんぷりだ。
 彼の方は、小僧がつまらない意地を張っているくらいにしか思ってなかっただろうし、実際その通りだった。
 


 息の詰まりそうな日が続き、そろそろ仲直りしてやってもいいかなと小生意気なことを考え始めた頃だった。
 オモダカ氏の部屋の前を通りかかると、扉が開き、中から布団を抱えた母が出てきた。
 部屋を覗き込むと、彼の持っていた研究資料や機材はすべて跡形もなく消えていた。
 


 オモダカ氏はどうしたのかと母に訊ねると、もう部屋を引き払って出ていったのだと言う。
 片付け途中の部屋の、開け放たれた窓からは、穏やかな風が吹きこんでいた。
 綺麗に片付けが終わった後には、そのうち新しいお客が泊まるんだろう。


 挨拶くらいして行けばいいのにと思ったが、よく考えたらそんな義理はなかったか。
 寂しいような、ほっとしたような、複雑な気持ちだった。

 ふと窓から外を見ると、じめじめした気分とは裏腹に、からりと晴れた夏の空が広がっていた。
 ――いつの間にか、梅雨は明けていたのだ。




 あれから彼が再び宿屋を訪れることはなかったし、風の噂にさえ聞くことはなかった。
 俺の実家の宿屋業はいろいろあって廃業してしまったから、訪ねて来ように来られなかったのかもしれないけどな。
 実を言うと、俺は彼の顔を、もうよく覚えていないから、会ったところでおそらく互いにわからないだろう。

 梅雨の季節になると、今でも時々考える。
 彼は、まだ遺跡の研究を続けているんだろうか。雨の中を這いずりまわって、ナナシマを破滅させる鍵を探し続けているんだろうか。
 

 だけどいくら考えても、『嗚呼、今もこうしてナナシマが平和だってことは、まだ彼の夢は叶っていないんだな』と、いつも同じ結論になってしまうのだ。


  [No.1004] 【7】旅の終わりに 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/07/07(Sat) 19:42:35   103clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 旅の途中でこんなことがありました。
 畑で農作業をしているおじさんに道を尋ねると、彼はこう答えました。
「この先で二つの道が交わっている。かまわず真っ直ぐ進みなさい」
 しばらく進むと、ポケモンを連れた旅人とすれ違いました。「何処に行くの?」と訊ねられ、私が目的地を告げると彼はこう言いました。
「この先で道が三つに分かれている。そこを真っ直ぐ進めばいいよ」
 何か変だなと思いながらもそのまま進むと、目の前に現れたのは大きな十字路でした。

 確かにこれならば道が交差しているとも分岐しているとも表現できると納得しつつ、二人の言葉の微妙な違いに気づき、はっとしました。
 地元の人間から見れば、十字路は日々利用する通過点。旅人から見れば、十字路は目的地に着くために選択するべき分かれ道なのです。




【7】旅の終わりに




 七ノ島にある民芸品店に入って、本土の両親に買って帰るお土産を選んでいた時のことです。
 お店に並べられた棚には、木彫りの人形や綺麗な石で組み上げられた置物が所狭しと並べられていました。

 一際目を引いたのは、カウンター近くの棚いっぱいに並べられているフクロウの置物でした。片足で立つ真ん丸い子供のフクロウたちは、一体一体微妙に表情が違い、とても愛嬌があります。
 対して、親フクロウの置物の、鋭い眼を光らせ、両翼を広げるさまは、さながら夜闇を引き裂き獲物を狙う狩人のようです。
 そういえば、このお店の看板もヨルノズクの浮彫でした。フクロウはこの店のモチーフなのでしょう。眼鏡をかけて座っている、優しそうな店主のおばさんも、どこか枝に止まったフクロウのように見えます。 
 並べられていたホーホーの置物の中から、気に入った一つを選び、カウンターの前に立ちました。
 店主のおばさんと目が合い、何となく「このお店にはフクロウが多いですね」と話しかけてみました。

「気が付いてくれてありがとう。フクロウは、縁起の良い鳥なのよ。苦労がない。不(フ)苦労(クロウ)ってね。」と朗らかな返答がありました。

「お客さんは、旅人さんなのかい?」
「え……っと」

 肯定か否定か、どちらを答えればよいのか、少し迷いました。おばさんのいう『旅人』が単に『旅行者』のことならば、『はい』と答えて差し支えないでしょう。
 ですが、『旅人』という言葉はしばしば『リーグを目指すポケモントレーナー』を意味するのです。各地方に点在するジムを巡り、手持ちポケモンを戦わせ競い合わせることで頂点を目指す、狭い意味でのトレーナーのことです。
 つまり、『あなたは旅人ですか?』と訊ねることは、『お手合わせ願いたいのですがよろしいですか?』という意図を含むことがあるのです。実際に、よくわからないままバトルを申し込まれた人の話を耳にしたこともありました。
 ……今の自分の状況を考えると、そういう意味で訊ねられた可能性は低いのでしょうが。

「ナナシマには、観光のために、来たんです」
 私は護身用にポケモンを連れてはいますが、リーグを目指しているわけではありません。広い意味でのトレーナーには違いないのですが、微妙な立ち位置ゆえに歯切れの悪い回答になってしまいました。

「そうかい。ナナシマの自然は美しいでしょう」感慨深げにおばさんが目を細めるので、「ええ、とても」と私も微笑みで返しました。
 本当に、ナナシマは美しいところです。

「旅人さんに気に入ってもらえて、なによりだよ。この島のポケモンセンターの隣に資料館があるから、興味があるなら行ってみるのはどうかしら」
「そうですね、ぜひとも行ってみたいです」
 そんなところがあったとは知りませんでした。島の人のお勧めとあれば、一度は見てみたいものです。
 子フクロウの置物の御代を手渡しながら、私は彼女にお礼を言って、店を後にしました。



 小さな民俗資料館は、予想以上に興味深いものでした。
 ナナシマの各々の島の特徴、成り立ち、祭事や風習、生息しているポケモンの種類まで細かな展示があり、夢中になってそれらを眺めていました。
 展示の最後、七ノ島のアスカナ遺跡の展示の前にたどり着いたとき、私は我に返り、時計の表示を確認しました。
 時計の短針は二時を過ぎたところ。予定ではシッポウ渓谷を半ばまで歩いている頃です。
 ああしまったと思いつつ、船の時間を確かめるためにポケモンセンターに向かいました。
 アスカナ遺跡観光は、七ノ島で最も楽しみにしていた事の一つ。明日の朝には本土へ返らななければならず、この機を逃せば次がいつになるかわかりません。


 アスカナ遺跡へ向かう船の次の便は、今からちょうど一時間後でした。
 シッポウ渓谷は長くて険しいでこぼこ道で、この分だと遺跡に辿り着けたとしても返ってくる前に日が暮れてしまうでしょう。
 ――定期便の発着時刻をしっかり確認しておけば良かったなあ。
 しかし、後悔しても始まりません。


 気分を変えるため、海の見える高台に登り、ぼうっと遠くを見渡しました。
 北の方角を眺めると、お隣の六ノ島が手前に見え、その向こうに島の影が二つ、三つ連なっているのが微かに見えました。
 この旅の間で、自分の辿ってきた軌跡です。


 辺りに人気のないのを確認して、私は腰につけたモンスターボールを放りました。 
 獅子のようなタテガミをもった勇猛な獣――ウインディが、ウォン、と一声吠えながらボールから飛び出しました。
 元々はボディーガードの代わりに家から連れてきたガーディでしたが、一ノ島の灯火山に登った時に図らずも進化してしまったのです。
 灯火山では今でも時々炎の石が見つかるそうです。きっと私のガーディもどこかで石の影響を受けてしまったのでしょう。

 大自然の力って素晴らしい。

 ……そう、納得してしまって良いものでしょうか。実のところ、電話での母への定期連絡ではまだ正直に伝えられていません。こんな筈ではなかったのに、何と言い訳すれば良いのやら……。
 でも、まあいいや、と私はひとりごちました。例え家の中で飼えなくなったとしても、私がトレーナーとしてしっかりすれば良いことです。……具体的にどうすればいいのかは今は敢えて思考の外なのですが。

 アスカナ遺跡を観に行けないとわかると、なんだか途端に気が抜けてしましました。
 一週間、ナナシマを旅し続けた疲れがここで出てきたのかもしれません。
 高台の広場をのびのびと駆けるウインディを見ながら、私は大きな木の幹に背中を預け、ゆっくりと目を閉じました。
 


 朧な意識は暗闇の中を浮かんでは沈んでいきます。

 夢に成りきれなかった映像の断片が、水面に浮かぶ泡のように目の前に現れては消えていきます。
 ほとんど記憶に残ることのない儚い幻の輪郭を、もっとしっかり見ていたいような気持ちになりました。


 ――きらきら光る水面に映る鳥の影。羽ばたく。羽ばたく。大きな翼で風を切り、海面すれすれを飛ぶ。目指すのは、彼方に見える緑の島―― 

 眩暈のような浮遊感とともに、視点がくるりと変わります。 

 ――自分より背丈の高い草の中に身を隠す。走る。走る。凶暴な鳥に見つかるとまずい。早く巣穴に帰らなくては。巣穴は、林の岩の陰。そこに行けば、守ってくれる。五片の花を咲かせた偉大なヌシが――



 頬に当たる冷たい感覚で、急に意識が覚醒しました。目を開けて、状況を確認しました。
 ウインディがそばにすり寄り、湿った鼻先を私の頬にくっつけていたのでした。

 わずかの間に夢を見ていたのです。
 もうよく覚えていませんが、何かを追っていたような、何かから逃げていたような、不思議な感覚が残っていました。



 霞む目をこすりながら、今日ここへ来る前に資料館で見た、ナナシマの成り立ちについての記述をふと思い出しました。
 それによると、七つの島があるからナナシマと呼ばれている……というのは間違いで、本当は七日で出来たという伝承からナナシマと名付けられたそうなのです。
 よく考えたら妙な言い伝えだなと思います。七の島にはアスカナ遺跡があります。千年以上も前の遺跡で、遺跡を作った人々は既に絶え、現在のナナシマの人々とは文化的繋がりはおろか血縁的な繋がりさえ無いと考えられています。
 何のために造られた遺跡なのかもわからず、そこに残る古代文字の解読も、未だに終わっていません。いにしえの人々が何を見て、何を考えていたのかを現在正確に知る者はいないのです。
 それならば、ナナシマが七日で出来たのを誰が見ていて、現代に言い伝えたというのでしょうか。

 七日で出来た……ではなく、七日の内に出現したと考えるとどうでしょうか。ナナシマは海と大陸の微妙な均衡の上に存在する島々で、大地の隆起によって現れ、海水面の上昇によって水の底に沈むと考えれば。
 かつて陸の神と海の神が争っていたといわれる大昔には、ナナシマは沈んだり浮かんだりを繰り返していた。そのために七ノ島と六ノ島には文化的な断絶があると考えるのはどうでしょう。

 いえ、それよりももっと突拍子もなく、ナナシマは長い長いスパンで現れたり消えたりを繰り返しているのでないでしょうか。いつだったか聞いたことのある、遠い地方の幻島のように……。

 ――ありえない。

 その考えは即座に打ち消されました。
 やはり伝承は伝承でしかなく、昔の人の思い違いが伝わったものか、何か別の話が形を変えたものと考える方が妥当な気がします。
 そうでなければ、今ここにある島々さえもいつの間にか消えてしまいかねないではありませんか。……そんなことは考えたくもありません。


 不毛な事を考えるのはもう止めよう。寝ぼけた頭でこれ以上考えても仕方のないことです。
 きっともう一度眠りに落ちて目覚めたらきれいさっぱり消え失せて、記憶の端にも残っていない幻なのですから。




 嗚呼、それにしても、ナナシマは本当に美しい場所です。
 かつて確かに断ち切られたはずのこの土地との絆を、今ならもう一度結び直せるような気がしました。


 薄らと目を開けると、水平線の彼方へ沈んでいく夕日が見えました。
 空も、海も、陸も、すべてが溶けあい、入日色の光に包まれます。私は再び目を瞑り、温かい微睡の中に沈んでいきました。




 何処からか、子供たちの歌い合う声が聞こえてきた気がしました――


  [No.1005] 【終】 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/07/07(Sat) 19:47:18   84clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

  一つ、火の鳥舞い降りて

  二つ、藤の葉 縄跳べば

  三つ、実のなる木の森と

  四つ、夜経る凍滝の

  五つ、いつかの迷い路

  六つ、昔の文字残る

  七つ、七日で出来た島




  四季折々の風が吹き

  色取り取りの花が咲く


  七日の内に現れて

  七日の内に消え失せる


  あたかも夢のような島

  遠のく夢の中の島


  歌え ナナシマ数え歌


  [No.1006] あとがき 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/07/07(Sat) 21:45:51   62clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 連作短編「ナナシマ数え歌」これにて完結です。
 毎月七日の更新を目標に、間に合わねえええええっと思ったこと、もはや数え切れず。
 何とか完結できてよかったああああ



 今回舞台としたナナシマは、リメイク板の赤・緑で追加された地方?です。
 自然が豊かで、各々の島には特徴が溢れていて面白いので、好きな地方の一つです。
 管理人様がホウエンをプッシュしていらっしゃるので、私はナナシマが好きな人が一人でも増えればいいな、と(無謀


 一つの地域を舞台にした連作短編で、話ごとに主人公(語り手)と文体が変わる構成は、「草祭」という小説の影響を受けています。
 民話風の話が好きな人にはぜひお勧めしたい一冊です。私は擦り切れるくらい読み込んでます(笑)


 この連作の、大きなテーマは「迷走」です。
 思い、悩む姿こそ、真に人間らしいと私は思うのです。
 そんなひねくれかただから純粋なハッピーエンドが書けないんですよねわかります(


 以下、各話の後書きを、さっくり書いてゆくのでネタバレが嫌な方はご注意ですよー






【序章】
 発端は、一つの数え歌。
 息抜きで作った歌から小説ができるという、何ともアレな始まりでした。
 書き始めたのが一昨年の秋だから、一年半も足踏みをしていたという実に残念な初連作。


【1】火炎鳥
 火炎鳥の設定のモデルは、ハワイ神話の「ペレ」という神様です。美しく、気性の激しい、火山の女神。
 某漫画の影響なのか、火の鳥には女性っぽいイメージがあります。


【2】藤蔓の揺籃
 テーマは『葛藤』です。  
 長老のモデルはロンサム・ジョージ。たった一匹のピンタゾウガメ。最近亡くなったと聞いてショックでした。
 原語でいうところの"from the cradle to the grave"の表現をなんとか使いたかったけれど、そのまんま使うとあんまりなので何かいい表現は無いか……と必死に探しました。
 別に使わなければ……いいのに……とか……


【3】木の実の鈴
 もはや何も言うまい。



【4】氷の時間
 1の島が火の島なら、4の島は氷の島。
 途中で交わされる議論は「悪魔の証明」をもじった話題です。


【5】潮騒の迷路
 肝試し、楽しそうだけどやったことが無いのです。
 ラプラス本当に好きだなぁ。


【6】そらゆめがたり
 オモダカ氏の名前は漢方薬に使う植物から。漢字で書くと「沢瀉」。タクシャとも読みます。……初見殺しである。
 平和を願いつつ心のどこかでは破滅を思うような、危なっかしい話にしたかった。共犯者の心理というかなんというか。


【7】旅の終わりに
 序章で旅に出た語り手の帰着点。
 物語的に起伏は少ないのですが、大きな括りとして穏やかな結末にしたかったです。
 ナナシマの名前の由来は七日で出来たという言い伝えから、というのは実は公式設定なんですよ。



 最後に、連作を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
 読んでくれている人がいる! という思いがあったからこそ、挫けず、締切にも負けず続けられました。
 マサポケのすべての方々に感謝の気持ちを!


  [No.1007] 完結おめでとうございます 投稿者:   《URL》   投稿日:2012/07/08(Sun) 00:38:42   49clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 連載お疲れ様です。締め切りを自分で決めて自分で守るというのは見習いたいものです……自分、中々それができません。それはさておき。

 ナナシマ数え歌、毎回楽しく読ませていただきました! “七日が締め切り……”という話を先に聞いていれば、毎月七日を楽しみにして過ごしていたと思います。

 シリーズ通しての感想になりますが、ノスタルジックな感じと言いますか。それがものすごく好きです。
 なんといいますか、子供の頃に、「浅はかに行動してしまったな」とか、「もっといいやり方があったんじゃないのか」って思うようなことを幾つかしでかしてしまうわけです、大なり小なり。でもって「大人になったら、ひょっとしたら最善の答えが見つかるんじゃないか」と思って……見つからないんですけどね。そういう、終わらない「答え探し」をしている。それが、いいなあ、と。

 どの話も、読む度に心のどこかに刺さりました。(いい意味で)
 読めて嬉しかったです。ありがとうございました。


  [No.1010] ありがとうございます! 投稿者:イサリ   投稿日:2012/07/08(Sun) 19:50:44   49clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 きとかげさん、感想ありがとうございます!
 毎月七日の自己ルールについて表に出していなかったのは、明言するとプレッシャーに負けそうになるという、どうしようもない理由でした;
 結果的には守ることができましたので、まえがきに書いておけば良かったですね;; どうもすみませんでした(汗)




>  シリーズ通しての感想になりますが、ノスタルジックな感じと言いますか。それがものすごく好きです。
>  なんといいますか、子供の頃に、「浅はかに行動してしまったな」とか、「もっといいやり方があったんじゃないのか」って思うようなことを幾つかしでかしてしまうわけです、大なり小なり。でもって「大人になったら、ひょっとしたら最善の答えが見つかるんじゃないか」と思って……見つからないんですけどね。そういう、終わらない「答え探し」をしている。それが、いいなあ、と。


 おおお! この連作で書きたかったところはまさにそれです。
 子供のころの失敗って、なかなか忘れられないものなのですよね……。後悔しても、過去に戻ってやり直すことはできなくて、本当に正しい行動が何だったのかもわからない。でも、そういう経験こそ成長するためには大切なのかもしれませんね。

 ノスタルジーの名手、きとかげさんにそう言っていただけて、感無量です。
 この感想だけで、連載続けて良かったー! と思えます。


 半年以上の初連作、お付き合いいただき本当にありがとうございます。
 シリーズ用のネタは書き尽くしたので、短編版の方でお会いすることがありましたら、どうぞよろしくお願いします。

 ありがとうございました!


  [No.1018] ナナシマ七日の物語 投稿者:ラクダ   投稿日:2012/08/07(Tue) 23:42:36   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 祝・完結! こんばんは、七つの物語を読み切った喜びと寂しさがない交ぜになっているラクダです。
 毎月一話ずつ、きっちりと更新されていくお話をいつも楽しみにしていました。
 全話読了後に何気なく最終更新日を見て驚愕。ひょっとして、これを狙っての一月七日開始だった、と……? うわすげー!!
(この発見にテンションが上がり、そうだ感想も七日に書かせていただこう! と謎の結論に達したために遅くなってしまいました。読了そのものはかなり前でした、すみません…w)

 
 まず最初の序ですでに心を鷲掴み。不思議で妖しげな夢の場面、正しい歌詞を思い出して口ずさむ場面。ああ、これから物語が始まるのだという期待に鳥肌が立ちました。
 
 続く第一話、火炎鳥の雰囲気も非常に好みでした。淡々としていながら、焦りや不安が生々しく伝わる語りに引き込まれました。この、何かしらの物事に対して自分のせいだろうかと悩む気持ち、子供の頃によく感じたなあ……。
 
 第二話、最初の四行で「亀のヌシ様! 猪のヌシ様! 蛇のヌシ様!」と叫ばずにいられませんでした……w 以前、チャットにてお聞きした「きっとネタが分かるはず」というのはこの事だったのですねw
 
 第三話は“木の実の鈴”の使いどころに脱帽いたしました。木の実を加工し、その音色で「眠り」を覚ます……この発想は無かった、やられた! そして、七話中最も切ないお話の内容にもやられた……。苦しいけれど大好きです。
 
 第四話、なんだか甘酸っぱい……からの苦い記憶。子供の頃の行動を、今はもうどうすることもできないと知っているからこそ感じる後悔と罪悪感。思わずあるある、と頷いてしまいました。これも切ないなあ。
 
 第五話のタイトル、肝試し、青い入道。この後の展開を想像して戦々恐々としていただけに、彼らが無事に帰ることが出来てほっとしました。賢いラプラス素敵な子。といいつつ、ホラーも大好きですが(

 第六話の【そらゆめがたり】に、【くさのゆめがたり】のタイトルを重ね合わせてついついニヤリ。(以前薦めていただいた草祭り、最高でした! 特にくさのゆめがたりがドツボに入りました。ありがとうございました!) あえてポケモンの姿を出さず、ナナシマの謎に焦点を当てた構成が面白かったです。

 第七話、いい意味で起伏の無い、穏やかなお話でした。まさに全体の締めですね。途中、「大自然の力って素晴らしい」に思わず吹きましたが、置き換えて想像すると『旅行に連れて行ったチワワがハスキーになっちゃった☆』みたいなもので。なるほどこれは実家に報告できないよなあとw 大人な雰囲気の語り手さんの、お茶目な一面が素敵でした。

 最終、全ての物語を読んだ後に、再び数え唄を口ずさむととても感慨深いです。改めて上手いなあと。


 どのお話もそれぞれ魅力的でしたが、個人的に一番は藤蔓の揺り籠でした。
 この作品の内容、テーマ、凄く好きです。何がその生き物にとっての“幸せ”なのか? 研究者・少年双方の言い分が分かるだけに、よけいモヤモヤした気持ちに……。
 モデルがロンサム・ジョージであったと聞いてさらに倍増するモヤっと感。
 感情移入しすぎて苦しいのに、何度も読まずにいられないお話でした。うまく言葉にできないくらい、大好きです。

 長くなってしまいましたが、最後に少しだけ。
 連載終了、誠におめでとうございます! そしてお疲れ様でした!
 このシリーズが終わってしまったのだと思うと寂しいですが、きっとまた新しい作品でお会いできる日を楽しみにしております。
 七か月間楽しませていただきました、ありがとうございました!


  [No.1027] うおおおお! 投稿者:イサリ   投稿日:2012/08/15(Wed) 23:06:35   46clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ラクダさん! 感想ありがとうございます!
 返信が遅くなってしまい、申し訳ありません;
 記事投稿の日付を見たときびっくりしました。8/7……! その手があったか! いやもうすっかり忘れてました(
 勝手なこだわりに付き合ってくださり、感謝感謝です。


 いつぞやのチャットの時は本当にお世話になりました。
 わかり難い元ネタをすべて拾ってくださっていて、感激です。
 ラクダさんとの相性の良さにドキドキせずにはいられない(


> 不思議で妖しげな夢の場面、正しい歌詞を思い出して口ずさむ場面。
 夢の中の描写は、とにかく不気味に、妖しく……と念じながら書いていました。もっとこう、心がざわつくような不気味な描写ができるようになりたいものです。


> 最初の四行で「亀のヌシ様! 猪のヌシ様! 蛇のヌシ様!」と叫ばずにいられませんでした……w 以前、チャットにてお聞きした「きっとネタが分かるはず」というのはこの事だったのですねw
 冒頭数行でモロバレル元ネタw ラクダさんならわかってくれると信じていましたw


> 木の実を加工し、その音色で「眠り」を覚ます……この発想は無かった、やられた! 
 ドキッとさせられたなら大成功です(ニヤリ 最近、読み手の方をびっくりさせることが文章を書く最大の目的となりつつある私です。


>【そらゆめがたり】に、【くさのゆめがたり】のタイトルを重ね合わせてついついニヤリ。
 気が付いてくださってありがとうございます! まさか覚えていてくださったとは……感激です。
 好きな作家さんの傾向や、漫画「蟲師」をご存じだったことから、ラクダさんは和風ファンタジーがお好き! と思いお薦めさせて頂きました。お気に召したようで何よりです。
 この連作を書き始めたきっかけが、「草祭」を読んでこういう雰囲気の話を書いてみたいと思ったからですので、自分が一番影響を受けた小説かもしれません。「くさのゆめがたり」は内容も描写もすさまじい。本当に。でも収録されている五編の中で一番好きなのは、実は「天化の宿」だったり……w


> 『旅行に連れて行ったチワワがハスキーになっちゃった☆』みたいなもので。
 適切すぎる喩に思わず吹きました(笑)
 ポケモンの世界には、こういう「うっかり進化」みたいなこともあるんじゃないかなぁ、と思います。
 娘「旅行に行くからガーちゃん(仮)連れて行ってもいい?」
 母「いいわよ、いいわよ」
 ……くらいのノリからのまさかの進化。実際に体験したらちょっと途方に暮れそうです。


> どのお話もそれぞれ魅力的でしたが、個人的に一番は藤蔓の揺り籠でした。
> この作品の内容、テーマ、凄く好きです。何がその生き物にとっての“幸せ”なのか? 研究者・少年双方の言い分が分かるだけに、よけいモヤモヤした気持ちに……。

 ありがとうございます。振り返ってみても、自分の中で納得のいく仕上がりになったと感じるのは序章と第二話でした。
 他の話で手を抜いた訳では決してありませんが、それでもこのテーマは特別でした。発表することができて良かったと素直に思えます。



 最後になりましたが、各々のお話に感想をつけてくださり、本当にありがとうございます。
 全てにお返事はできませんでしたが、書いてくださったコメントは一つ一つ噛み締めながら読ませていただきました。
 この話を書けた経験を糧に、次に進む努力を続けていきたいです。

 ネタが思いついたら「これを書かずにいられるか! うおおおお!」となる人間ですので、また何か書いていたらその時もどうぞよろしくお願いします。
 それでは、七か月にわたる長い間、お付き合いくださりありがとうございました!