POCKET
MONSTER
PARENT
7
『駆け引き』
浅い傷にまみれた紅白の鉄球が、淡い月光にぼんやりと浮かぶ。
モンスターボールを握りしめたシオンは、勝利を過信していた。
敵である青年の大切な仲間を手中に収めていたからだ。
「ねえ……僕のリザードンを返してよ」
「返してやってもいいけど、タダってワケにはいかないなあ」
「……何をすればいい?」
「退け。そこから離れろ」
薄暗い中、シオンはモンスターボールを突き出して言った。
街灯の光の中で深紅の学生服の青年は、悠然と立ち尽くす。
青年は、まるで他人事のように茫然とシオンの持つ紅白の鉄球を眺めていた。
二番道路の障害は微動だにしない。
「聞こえなかったか? 俺はそこを退けって言ったんだ」
「聞こえてるよ。でも、そんなことをすれば、君が二番道路に行ってしまうじゃないか」
「……自分のポケモンより、仕事を選ぶっていうのか?
エリートトレーナーのくせに自分の相棒の面倒も見れないのか!」
「仕事もポケモンも両方守る。リザードンは返してもらうさ。
例えば僕が……そのモンスターボールを力尽くで取り戻すとかしてね」
慌ててシオンは、その場から六歩下がる。
いつでも逃げられるように足を曲げながら、青年の動きを観察する。
しかし、真っ赤な学生服が風に揺れることはない。
「どうした? 喧嘩ならあなたの方が強いだろうに。追って来いよ」
「知ってると思うけど、今の僕の仕事は君をこの先に通さないこと。
もし僕が君を追いかけて、万が一君を捕まえそこなったら……ここから離れるのはちょっとまずいよね」
「そうかよ。自分が手塩にかけたポケモンが誘拐されるってのに。俺このまま逃げるけど文句言うなよ」
「構わないよ。だって、なんの問題もないから」
青年は服の袖をあげ、左腕を見せる。
黒い腕時計がはめられていた。
シオンはすぐに、旧式のポケギアだと分かった。
ラジオが聴け、地図も見れて、さらに電話も出来る腕時計だ。
「君がリザードンを返さず逃げるつもりなら、僕は警察に電話するよ。ポケモンが盗まれた、ってね」
「警察! 待て! 早まるな! 落ち着け!」
シオンは焦燥感を隠しもせず、必死で青年をなだめようとした。
背筋が寒くなる。体中の毛穴から冷や汗が溢れ出す。
シオンは警察という言葉に怖気づいてしまった。
「警察には捕まりたくないよね?
百億円ぐらいの罰金になるか、懲役百万年か、運が悪けりゃ死刑になるかもしれないよ。知らんけど」
シオンはよりいっそう警察に怯えた。
それでも盗んだポケモンを手放そうとは思えなかった。
握りしめたモンスターボールは、シオンが一生懸命に努力して、青年から盗み出すことに成功した汗と涙と血の結晶である。
「俺は警察に捕まらない!
たとえ相手がポリスメンだろうとジュンサーさんだろうと、俺は必ず逃げ切ってみせる!」
「無駄だよ。いいかい? そもそも君はトキワシティから出られないんだよ。僕達が通さないからね。
この狭い街の何処かに君がいるってことがバレてるんだ。
仮に出られたとしても、ガーディの嗅覚をもってすれば、君を見つけるのに一日とかからない……と思う」
「なるほど、つまり捕まるしかないのか……って、そんな簡単にポケモンを取り戻せるワケないだろうに」
「ふむ。つまりそれは、どういうことだい?」
「それはですね……」
シオンは一度冷静になって考える。
ただの誘拐では無意味に等しい。
青年が更に困るような脅迫をしなければならない。
「そっちが警察を呼ぶって言うなら、こいつの命は保障できないぜ!」
「それは殺すってこと?」
「そうだぜ! 殺害だぜ!」
シオンは盗んだモンスターボールを見せつけながら叫んだ。
古い刑事ドラマの悪役の台詞だった。
しかし、シオンにポケモンを殺す勇気はない。
青年にも表情の変化が見られない。
それでもシオンは必死になって演技を始めた。
「一応言っとくが、俺は本気だぜ! 人間追い詰められたら何でもするぜ!」
「君が思ってるより、殺しは覚悟がいるよ。出来るの?」
「出来る! 怒りに身を任せれてトチ狂っちまえば、間違えてぶっ殺すなんてことはよくある話!
実家の包丁で料理してくれるわ!」
「なるほど、本気なのか。そうか。警察が君の家に行ったところで、殺人の後じゃ遅いよね」
「そうだろうよ! どうしても大事な大事なお友達の命が惜しけりゃ、そこを退きやがれ!」
「うーん。あって間もないけど、面白い奴だし、まぁまぁ大事な友達なんだよなぁ」
「そうであろう。命が惜しかろう。それが俺の過ちで二度と帰らぬポケモンになっちまうかもしれないぞ」
「困ったなぁ。僕のリザードンなら、ナイフを装備した君が相手じゃ、三秒以内に殺してしまうよ」
「……えっ?」
シオンは氷漬けになってしまった、かのように固まった。
そして己の浅はかさを恥じた。
灼熱の炎をまき散らす強靭なドラゴンの雄姿をシオンは覚えている。
青年が嘘をついていないことは明白だった。
「まぁ、いくら君でもリザードンと殺し合うなんて馬鹿なことはしないよね。それじゃ、警察に連絡……」
「待て! 待つんだ! 落ち着け! 冷静になれ! 一旦深呼吸!」
「君に落ち着けとか言われたくないんだけど」
「俺も鬼じゃない。ポケモン殺しなんて馬鹿な真似はしないさ」
「しないじゃなくって出来ないでしょうに」
「そんなことはどうでもいい。それより……それより……」
シオンは必死で頭を動かし、名案を探った。
閃きが訪れるまで、シオンをじっと青年をにらみつけていた。
「それより、の次は何?」
「それよりだなぁ……そうだ! えっと、あれだよ、あれ。ジーティーエスって知ってるか?」
「グローバル・トレード・ステーションのことかな?」
「そう、たぶんそれ。詳しいことは知らないが、世界中のトレーナーとポケモンの交換が出来るそうじゃないか」
「知ってる。それで?」
「もし、警察呼んだり、道を通してくれないっていうのなら、ジーティーエスを使うぞ。
それで、戦争中の国のトレーナーのポケモンと、あなたの大事なお友達を交換するぜ」
「……そう来たか。戦争中の国との交換は、まぁ無理だろうけど。
でも、交換の相手が悪ければ、僕のポケモンは戻ってこないかもしれないね」
「脅しじゃないぞ。俺は本気だ。どんなことだってやってみせる」
「へえ。じゃあ、どうやってここからコガネシティまで向かうつもりだい?」
「え? ……ジーティーエスってポケモンセンターにあるんじゃないのか?」
「コガネシティにあるんだよ」
「……待て、早まるな! 警察に電話するんじゃない! 落ち着け! 冷静になれ! 深呼吸!」
シオンは再び慌てふためく。
青年は聞く耳を持たない。
青年はおもむろにポケギアをいじり始めた。
反射的にシオンが叫ぶ。
「自分のポケモンを見捨てるってのか! エリートトレーナーのくせに!」
シオンの脅迫にも応じず、青年は平然としたまま、ポケギアを口の前に持っていく。
「もしもし、警察ですか?」
「やめろぉおおお!」
シオンは居ても立っても居られず、走り出していた。
自分のことを言われるより先に電話を阻止しようと飛び出した。
青年はまるで何事もないかのように、口を動かしている。
シオンの突進。
効果は今一つのようだ。
青年のカウンター。
急所に当たった。
効果は抜群だ。
シオンはひるんで動けない。
青年のどろぼう。
シオンはモンスターボールを奪われた。
シオンのどろぼう。
攻撃が外れた。
勢い余って地面にぶつかった。
シオンは倒れた。
「計算通り、力尽くで返してもらったよ。警察には電話してないから、安心して家に帰るんだ」
青年の声にも無反応で、シオンは地表でうずくまる。
モンスターボールを置いて走ればよかった、と反省した。
「なぁ、俺があなたに勝つ方法って何かある?」
「それ僕に聞くの? ……今は無理だと思うよ」
「だよな」
青年の言葉にシオンはきっぱりとあきらめがついた。
負けることに慣れてしまったせいなのか、シオンは悔しいとは思わなかった。
失敗して当然のように感じられた。
「あーあ。しっかし、また駄目だった」
独り言のようにシオンはぼやく。
「何でうまくいかない? 何がいけない? 何度も失敗するなんて俺は無能なのか?
くそ。ちくしょう。今日はかなり頑張った方なのに。何で何だ?
ひょっとして、ポケモンを手に入れようって考えが駄目だったのか?」
「えっと、ちょっと待って……君はポケモンが欲しかったの?」
「それしかないだろう」
「野生のポケモンをゲットするために、街の外へ出かけようと?」
「そう」
「どうしてそれを言ってくれなかったんだい?」
「言ったらそこを退いてくれるのかよ!」
「いや、それはちょっと無理なんだけど、でも……」
「だろうな! どいつもこいつも嫌な奴だ。俺がポケモン手に入れようとすると、皆そろって邪魔ばかりしてくる」
「そんな馬鹿な! ありえないよ!」
「お前が言うな」
「だって、それじゃ、一体どうやってポケモントレーナーになれるって言うんだ!」
シオンは呆れてため息を吐いた。
「それが分かれば俺も苦労しないよ」
そう言うとシオンは力なく立ち上がり、服にへばり付いた土を払い除け、口を開けてあくびをした。
睡魔に襲われると同時に、父親が眠っていることを祈った。
「やっぱり今日は家に帰る。じゃ」
「ちょっと待ってよ!」
「む、さっきは帰れって言ったくせに。しつこいぞ」
シオンはそっぽを向いたまま歩きだす。
「……そうだ名前! 名前だけでいいから教えてよ!」
「聞く前に名乗れよ」
「ホッタ・シュウイチ!」
「変な名前してるな。あっ、イッシュ地方のアナグラム?」
「イッシュ地方タのアナグラム。それより君の名前」
「……ヤマブキ・シオン!」
シオンは振り向かずに大声をあげると、そそくさと早足でその場を去った。
自分の名前の感想を聞きたくなかったからだ。
しばらくして一人になる。
冷えた夜風がゆっくりと流れていく。
眠気と疲れに逆らわず、ただ無心で帰路についた。
明日からどうするのか。
本当にトレーナーになれるのか。
そんな不安を抱くことすらシオンは飽き飽きしていた。
つづく?
後書
似たようなことを繰り返してる気がしておりますが、それも今回で最後の予定です。