マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.954] #1 異臭問題、屋敷のお嬢とまじない師 1、2 投稿者:乃響じゅん。   投稿日:2012/04/15(Sun) 20:45:32   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 1

 最近、屋敷のクラウディア夫人はやたらと美しくなった。肌は土一つ見えない雪のように白いし、髪の色もイチョウのように一切ムラのない黄金色。目のブルーは海のよう。細い身体はたるみ一つなく引き締まっている。そんな体をしていながら、年頃の娘がいると初見の人間が聞けば、さぞかし驚かれることだろう。
 その年頃の一人娘――ロコは、そんな母の様子をいぶかしく思っていた。つい数カ月前までは、シミも増え、背中のにきびを気にし、髪も痛み始めた、どうすれば若い身体を保てるのかと嘆いていたのに。あまりに急激な若返り具合に、それを褒める使用人は数多くいれど、それを疑う者が果たしてどれくらいいるのだろう。クラウディア夫人は自分の見た目について良くない言葉を発する者を容赦しなかった。紅を引いた口をむちゃくちゃに歪ませながら重い扇子で十発も殴るのを、幼いロコは発見してしまった。それ以来、ロコ自身も発言には細心の注意を払うよう心がけていた。この母との生活は戦いなのだと、ロコは思っていた。それゆえに、今回の劇的な変貌についてもこちらから聞くようなことは絶対にあってはならないと頑なに思っていた。自慢したがりのクラウディア夫人の事だ、色々な人から褒め称えられているうちに、自らその秘密を打ち明けてくるだろう。知らぬ間に、誰もが認めるほどの美を作り上げていたのだ、賞賛されない訳がない。そして調子に乗ったクラウディア夫人は私に言うのだ、「私の美しさの秘密を知りたい?」と。その一言を待とうと心に決めてから、既に一か月が経過していた。
「ねぇ、ロコ」
「何でしょうか、お母様」
 黄色いドレスを来たクラウディア夫人が扇子で口元を隠しながら近づいて来る。きっとあの下には、溢れんばかりの笑みを抑えようと必死な口があるのだろう、とロコは思った。
「今日は物理の先生がお見えになる日だけれども。勉強の方は順調かしら」
「ええ。順調です」
「それでこそ私の娘!」
 クラウディア夫人は喜んだ。ロコにはイングウェイという兄もいるが、既に働いているために家の中にいることはあまりない。生活に張り合いが無い夫人は、ロコに立派な教育を施すことが趣味であり、確実に知恵をつけていく様子を見ること、つまり自分好みの人間に育っていくことが楽しみなのである。妙なところで抜けた頭だ、とロコは思った。その知恵がいつか親を裏切るようなことになったらどうするつもりなのだろう。自分がもし野心家であったなら、間違いなく得た知恵で母を出し抜いていただろう。
 ロコは目を閉じた。閉じた瞳の中にため息を込める。勉強自体は役に立つことも多く、嫌いではないものの、一日に7人8人も来た時は流石に気が滅入った。今何の話をしているのか、今の教師は誰なのか、だんだん分からなくなってくる。
 そう言えば、一人だけ関係が少し深くなった家庭教師がいた。幾何を教えてくれた若い男だ。背が高く、鼻も高くて、控え目な眼鏡をかけていた。本を持ちながら数学について語る姿に理知を感じ、不覚にも惹かれてしまったのだ。あれは半年ほど前の話だっただろうか、いつの間にか幾何についてではなく、愛について語るようになり、ロコの方もそれに乗ってしまったのだ。誠実そうな人物だと思った。だが、運悪く両手を絡ませているところを下女に見つかり、夫人に報告されたのだ。あの時は怖かった。自室の扉をとんでもない音で開け、昔見たひどい怒りの表情を浮かべて扇子で教師を叩き、教師の方は両手を頭を抱え、謝りながら情けなく退場していったのだ。「あんな男を雇ったのが間違いだった」と夫人は憎々しくこぼした。
 部屋に戻り、物理の先生を待つ。外の景色は相変わらず晴れ。
「ロコ様、先生がお見えになりました」
 下女が扉を開け、小さい身体に似つかわしい高い声でロコを呼ぶ。それと同時に物理教師が部屋に入ると、ロコは椅子から立ち上がり、振り返って軽く会釈する。下女は扉を閉めた。
「こんにちは。今日も宜しくお願いします」
「やぁ、ロコ君、今日もいい天気だね。ただちょっとにおうかな? はは」
 ロコはあまりこの男が好きではなかった。言葉に一切慎みがなく、品がない。肌はそれなりに奇麗なのだが、歯が上下二本ずつ欠けている。あまり見たい口内ではない。ロコは笑みを浮かべてみたが、きっと引きつっていただろう。この男の粗野な性格が人のそういう細かい所作をいちいち気にしないほどであるというところが、唯一の救いか。
 物理の話をしている間じゅう、ずっと彼は眉間にしわを寄せていた。一体何がそんなにおかしいというのだろうか。他人の屋敷だ、においの違いくらいあって当然だと思うのだが。こんな醜男が細かいことをいちいち気にする様は、むしろ滑稽でもある。他人を茶化すのは苦手だが、そう思わなければ気分良く学習することは叶わないだろうと思った。
「それでは、今日はこのへんで」
「ええ、その方が良さそうですわね。ありがとうございました」
 失礼な男がようやく帰ってくれるのか。ロコは少しだけそっけなく、お礼を言った。
「どういたしまして」
 気付いているのかいないのか、向こうの反応も格式ばったものだった。物理教師はドアを開き、下女の案内を受けて去って行った。去り際に一言、やっぱりひどい臭いだ。
 ロコはため息をついて、窓の外を眺める。広い芝生と周囲の森が、夕日の陰になり真っ黒に染まっている。
「早く帰って来ないかなぁ、兄さん」
 ふとイングウェイのことを思い出し、少し懐かしい気持ちになった。嫌なことがあった後は、決まってそうなのだ。一回りも二回りも年上の兄は、幼いころからロコの話をよく聞いてくれた。きっと私は退屈しているのだ、とロコは思った。

2

 ある日、ロコは母に誘われる。お茶会の誘いだ。
「今日もオコネルさんのところへ行くけれど、ロコ、あなたもいらっしゃいな。レベッカも寂しがっていたわ。天気もいいし、たまにはお話してきたらどう?」
 そう言えば、ここ一、二週間ほど屋敷の外に出た覚えがない。庭で散歩をした程度だ。少し考えたあと、ロコは答えた。
「そうですね、お邪魔しましょうかしら」
「そうと決まれば、早速準備よ準備!」
 なんだか妙に張り切っているなぁ、とロコはぼんやり考えていた。楽しそうなのは何より良いことだ。多少、厳しいお咎めが緩くなる。
 外出用の帽子を被り、馬車に揺られていく。麦畑を抜け、木々の間を抜けていくと、高い塀に囲まれた、赤い屋根が見えてきた。オコネル氏の屋敷だ。門番に青銅の門を開けてもらい、正面入口へと続く道の途中まで馬車を進める。
「ようこそいらっしゃいました。それでは、クラウディア様、ロコ様、こちらでお降り下さい」
 初老の男性があいさつをする。オコネル氏の家の執事だ。彼に言われるがまま、二人は馬車を降りた。
「こちらです。ささ、どうぞ」
 屋敷には入らず、横の道を案内される。庭の方向へ繋がっている道だ。芝生や植木の間にレンガが敷き詰められている。幅はおよそ三人分。先頭にオコネル氏の執事、後ろにクラウディア夫人、そしてロコと続いた。
 屋敷の横を通り、裏手の庭に出る。広い芝生に、色とりどりの花が咲いた花壇。奇麗に整えられた花は、ロコの家の庭とは大分違っていて新鮮に映った。そんな庭の片隅に、丸いテーブルが二つ用意されていて、それぞれに二人ずつ座っている。手前の方にはクラウディア夫人と同じ母親たち、奥にはロコと同年代の少女たち。レベッカの他にもう一人、これまた古くからの仲であるミシェルが座っていた。
「今日も良く来て下さったわね」
 ベージュのドレスを着たオコネル夫人が明るい声で言う。ロコはぺこりとお辞儀をする。
「お久しぶりですわね、ロコ」
「ええ、本当にお久しぶり、ミシェルもレベッカも元気かしら」
「もちろん」
 ロコは二人の旧友と、近況を報告し合った。何しろ暫く会っていないもので、語ることも語られることも多くあった。そして、時にはロコだけ知らなかったことも。
 小柄なレベッカが、声をひそめて言った。
「そう言えば、ロコさん、あなた最近もちきりのウワサ知ってる?」
「いいえ」
 きょとんとした顔でロコは言う。顔を三人近寄せ合って、レベッカがひそひそ声で言う。
「最近、この辺りにも出るんですって」
「出るって……何が」
「人食い」
 そんな馬鹿な、とロコは思った。言い伝えでは、人間の欲に引きつけられてやってくる存在として語られるが、実在すると思っている人間はいない。
「そんなことって、あるわけないでしょう」
 ロコは声をひそめたままおどけた。だけれども、レベッカが神妙な表情を崩さないので、ロコは再び居直った。
「農夫が一人、さらわれたそうなのよ。夕暮れ時に、ふとした瞬間いなくなっていたって。周りにいた人達の話によると、家に戻ろうとしている途中、林の方にぼんやりと火のような光を見たそうよ。それから、突風が吹いた。みんな目をつぶっていたわ。目を開いてみれば、一番後ろを歩いていた男がいなくなっていた。そして、代わりに落ちていたのは、男の右の腕……」
 きゃあ、とミシェルとロコは叫んだ。背筋がぞっとした。
「で、でも、一体何があったのかちゃんと見た人はいないんでしょう?」
 ロコは反論を試みる。レベッカは紅茶を少し口にする。そして、からっと表情を変えて、ひそひそ話の態勢を解いた。
「そう。ロコさんの言う通り、誰も見ていないから、人食いかどうかなんて本当は分からない。まじない師とか妖しい職業の人らならそういうの興味あるかもしれないけれど」
「ま、うわさですよ。う、わ、さ」
「そうよねぇ」
 三人は気が抜けて、おかしそうに笑った。
 あ、と思い出したように、ミシェルは声を上げた。
「そう言えば、ロコさん」
「何でしょう」
「あなたの家のある街で、変なにおいがするという話があるのだけれど、何かあったの?」
 ロコは面食らった。心当たりは無いことは無いが、かぶりを振る。
「まさか。私、普段通り暮らしているけれども全然感じないですわ」
「なあんだ。お母様がそんなこと言っていたから、何かあったのかと思ったけれど。お母様が少しヘンなだけなのね」
 ミシェルは安心したような、少しつまらないような表情をした。
 三人はそれからもたくさんの噂話に花を咲かせた。その多くは結局噂に留まるのだが、次から次へとおもちゃ箱のように飛び出して、ロコは楽しい気分になるのだった。

 帰りの路、ロコはスカッとした気分だった。
 久しぶりに外出したおかげか、友人と話すことが出来たおかげか。普段の閉塞感が一気に吹き飛んだ。そこで、自分がどれだけ気が詰まる思いをしていたのかを思い知る。思えば、訳もなく憂鬱な日々が長く続いていた。
 ガサガサッという音がした。ただ草むらが揺れただけだと思い、忘れようとしたが、その重い響きに嫌な予感を覚えた。馬の蹄の音が、妙にはっきり聞こえる。
「どうしたの」
 隣に座っているクラウディア夫人が、不思議そうな眼でロコを見る。ロコは目を逸らした。
「い、いえ」
 そう自分の心を隠そうとする。いや、どうということはない、ただたまたま狸か何かが近くを通っただけなのだと自分に言い聞かせた。だがどうも居心地が悪くて、落ち着かなかった。ほろを少しめくって外の様子を見ようとした。その瞬間。
 グォォォォ!
 大きな獣の咆哮が聞こえた。それと同時に、馬車が何者かに押され、傾き、横倒しになっていく。クラウディア夫人とロコは叫び声を上げ、成すがままに地面に叩きつけられた。クラウディア夫人は悲鳴を上げた。不可抗力でクラウディア夫人の身体にのしかかる。ドレスがクッションになったが、コルセットに響きそうだ。ごめんなさい、と謝ったが、返事はない。どうやら気を失っているようだ。
 何とか抜け出して、ほろの外に出る。表には、二人いたはずだった。綱を握る御者の他に、ボディーガードが一人。だが、あるはずの彼の姿が見当たらない。震えながら御者が何とか馬をなだめようとして、ある一定の方から目を離せないでいた。
 ロコはその方向を見た瞬間、顔を手で覆った。人間の背丈よりも遥かに大きい獣。橙と茶の縞模様と、白いたてがみ。犬のような鼻先が、紅く染まっている。その下にいるのは、上半身を失った人間の体だった。

 ――最近、この辺りに出るんですって……人食い。

 ロコは友人の囁いた言葉を思い出す。
 怖い。どうやって逃げよう。お母様をここにおいていく訳にもいかない。でも、自分の体力では、走って逃げることもきっと叶わない。ロコは御者を見た。とてつもなく怯えた目つきと血の気の引いた顔で、首を振る。きっとロコも同じ顔をしていたに違いない。この化物の腹が男一人で満ち、飽いて何処かへ去って行くことを祈るしかない。ロコは両手を組み、ぎゅっと目を閉じた。
 誰か助けて。そう願うしか、ロコには出来なかった。

 ふいに、草むらを掻き分ける音が聞こえた。
「失礼」
 若い男の声だった。ロコが目を開けると、全身真っ黒な衣装に包まれた男が、化物と対峙していた。
 青年は化物と対峙していた。既に、ボディーガードだったものの姿はなく、巨躯の前に靴が落ちているだけだった。男を引き止めようと思ったが、恐怖のあまり声が出ない。彼は振り返って、にっと笑う。
「安心して下さい。私たちが来たからには、もう大丈夫です」
 私たち、という言葉にひっかかりを覚えると同時に、一匹の狐が現れ、黒服の男のそばに座った。それは普通の狐とは随分違っていた。毛並みは茶色と言うより明るい金色で、目は赤い。そして数え切れない尻尾が、扇のように広がっている。
 男は巨大な化物に向かって言い放つ。その声は、人間を遥かに凌駕する化物への言葉とは思えないほど力強いものだった。
「随分と沢山の人間を食ってきたようじゃないか、ウインディ」
「何故私の名を知っている」
 地の底から響くような低い声が響いた。これは、あのウインディという人食いが喋ったのか。人食いの毛が逆立つ。どうやら、この男がただ者ではないことを悟ったようだ。
「こいつが教えてくれたのさ」
 黒服の青年が金色の狐の方を指差した。金色の狐は口元を歪ませた。得意げな様子で、笑っているように見えた。人食いも牙を見せたが、その表情は明らかに敵意を含んでいた。
 間を置かず、人食いが行動に出る。ウオオ! という唸り声を上げると、ウインディの口から赤く光る玉が吐き出された。真っすぐに黒服の男目がけて飛んでいく。肌に感じる熱から、炎の塊なのだと直感した。危ないっ。ロコは身を固くする。だが、男は動じる様子がまるでない。
「キュウ」
「はいよっ」
 金色の狐が、飛んでくる炎に向かって飛び込んだ。燃えてしまうかと思ったが、狐は全く苦しむ素振りを見せず、逆に炎の塊が狐の中にみるみる吸いこまれていく。炎が完全に消え去ると、狐は全く無傷で、むしろ毛並みが輝いているように見えた。
「人間の熱も美味いけど、あんたの炎もなかなか美味いねぇ」
 男のものでも、ウインディのものでもない男の声。これはあの狐が喋ったのか。
「お前の炎は効かないぜ。キュウは火を食えば食うほど強くなる」
 黒服の男が言う。人食いの獣は少し後ずさりをし、グルル、と低いうなり声を上げる。どう出るか、考えを練っているようだ。青年はウインディの次の行動を待つ。出来る事なら、逃げて欲しいとロコは願った。獣との物理的な距離が、そのまま身の危険を示すものだからだ。だが、ウインディの選択はロコの願い通りにはならなかった。ウインディの巨体が、青年の方に飛びかかる。火が効かなければ直接手を下すしかない、と踏んだのだろう。ロコは頭をぎゅっと抱えた。
「キュウ、とどめだ」
「はいよっ」
 狐が、口から炎を吐き出す。その火は、先ほどウインディが放ったものよりもずっと、ずっと強い炎だった。苦しむ声を上げる間もないほど一瞬のうちに、ウインディは骨まで黒い炭と化した。ぼろぼろと、その場に黒こげの物体が崩れ落ちていく。
「……ふう。よくやったぞ、キュウ」
「お前は何もしてないけどな」
 狐の言葉に対して答えに窮したのか、青年はため息をついた。おもむろにロコの方を振り返り、その目がロコの瞳を捉える。
「大丈夫ですか」
「え、ええ」
「それは良かった。最近人食いが暴れ回っていると聞いて、張っていた甲斐がありました」
「あの、あなたは」
 さっきから、途切れ途切れにしか言葉が出てこない。今無事であるということが、夢のようだった。黒服の男は右手を胸に当て、軽くお辞儀をする。
「私はディドル・タルト。この周辺の街で、まじない屋を営んでいる者です。皆からはドドと呼ばれているので、差し支えなければお嬢様もそうお呼び下さい。この狐はキュウコン。先ほどの奴と同じ人食いですが、私のしもべとしてしっかりしつけてありますので、害はありません」
「よろしく」
 キュウは言って、目を細めてけたけたと笑った。本当に無害なのだろうか。つい先ほど、主人に向かって口答えをしていたような気がするのだが。はあ、とロコは気の抜けた返事をした。
「あの、人食いと言うのは一体なんなのでしょう。あんな生き物を、生まれて初めて見ました」
 ドドは少し眉をひそめた。どこから説明すべきか、検討しているようだった。
「人食いというのは言葉通り、人間を食らう者達のことです。ただ、滅多に人前に現れなかったり、巧妙に姿を隠しているため、その存在を知っているのはまじない師か実際に食われかけた人間くらいです。多くの人は、おとぎ話などに出てくるだけで、実際にいるとは思っていないようですね」
 心当たりがある。今日の昼、レベッカからうわさを聞いているとき、自分がまずどう思ったか。まさしく、おとぎ話の中の存在だと跳ね付けようとしていたではないか。
「彼らは人間に存在を悟られないようにするのが非常に上手い。少なくとも、姿をそれと見せることは滅多にないんです。だけれども、最近はどうも違うようだ」
「違う、って?」
 ロコは彼の話に聞き入っていた。
「ここ数カ月、奴らの動きが妙に荒っぽいのです。他にも一件、あからさまに人食いのそれと分かる痕跡を残した行方不明事件がありました。人食いは妖しい世界に属する生き物です。まじない師は、それに対抗する知識と技を持っているため、人食い退治も請け負うことがあるのですが……どうもキナ臭い」
 そうだ、と言って、彼は黒服の内ポケットから一枚の紙を取りだした。
「お近づきのしるしに、便箋を差し上げましょう。この紙には特別なまじないをかけてありまして、折って投げると真っすぐ私の元へ飛んでくるようになっています。もしお嬢様の身に何かあれば、こちらに要件を書いて送ってください。すぐに駆けつけますから」
 ロコは、渡された便箋をまじまじと見た。正方形をしており、便箋と言うにはぴんと来ない。だが罫線はちゃんと書かれてある。裏面には、投げる際の折り方が図解してあった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 ドドはにっこりと頷いた。
 それから、彼は御者と二人で馬車を起こしてくれた。そして、ボディーガードの靴を持って来てくれた。御者はしょげた顔をした。持って帰り、せめて靴だけでも家族の元へ帰してやろう、という話になった。
「今日あったことは、誰にも話さない方が良いでしょう。下手に広めると、混乱を招くかもしれませんからね。それでは、私はここで」
 ドドに見送られて、馬車は再び走りだした。別れ際にもう一度お礼を言い、見えなくなるまで手を振った。クラウディア夫人は相変わらず気を失ったままで、目を覚ましたのはそれから暫く後のことだった。


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