P
M
P
十
『茶番』
1
その空間に突如ピカチュウが現れた。
シオンのピチカである。
小さな黄色の電気ネズミは、半ば寝ぼけつつ、キョロキョロ周囲を見渡している。
知らない何処かであった。
ピチカは今、森と森の間にはさまれて出来た、長い長い一本道にいた。
背の高い街灯と、その傍らに映る大きな光の水たまりが、道なりにどこまでも等間隔に並んでいた。
夜の時間でありながら、地面のほとんどが昼のように明るい。
見上げると、空は漆黒の色に塗りつぶされ、
その上に砂粒のような星屑が散りばめられている。永遠の輝きを放っていた。
揺れ動く空気がピチカの背中に触れた。
ドン、と重々しい音が響いて、それが足音だと分かった。
ハッとなって振り返る。
知らない生き物がいた。
黒とオレンジの縞模様が彩る太い四本足、柱のようにそびえ立つ。
ピチカが見上げる位の所に、白髪に覆われた獰猛な強面があった。
白髪はあごひげまで繋がり、その間から、上下に向き合う鋭利な骨をちらつかせる。
トキワの森では見ることのないポケモンであり、
ピチカにとっては得体の知れない巨大な怪物だった。
鋭い眼光と目が合った。
生存本能が肉体を突き動かし、ピチカはその場を飛びのいた。
その刹那、今さっきまで自分のいた空間から、ガチリと牙と牙の閉じる音が鳴った。
背中に冷や汗がにじみ出る。
そいつが空を噛み切った途端、戦慄を覚え、ピチカは四つん這いになって駆けだした。
逃げる。
逃げ惑う。
死に物狂いで手足を酷使した。死から逃れるために。
息は荒れ、体中が熱を帯び、今までで一番のスピードで走った。
疲れて、辛くて、苦しい気持ちだった。
それなのに、ピチカは必死で走っているつもりなのに、先ほどからずっと、
足音のような地響きが自分の真後ろからテンポよく聞こえてくるのだ。
怪物の気配がぴったりと自分の背後につきまとって来ている。
筋肉がちぎれるような痛みが走り、
激しい呼吸を何度も繰り返し、
そのうち体が壊れてしまうような気がしていた。
それでも恐怖はなかった。
死んでしまってもいいんじゃないかと思った。
早く楽になりたいと思う気持ちが、生きたいと思う本能に勝りつつあった。
いつ怪物に踏まれるのか、という楽しみにも似た緊張感が生まれた。
夜がいきなり昼になった。
熱と光が一帯に降り注ぐ。
ピチカが顔を上げると、まばゆい夜空を太陽が横切っていた。
そして太陽は燃え盛る隕石に形を変え、ピチカの眼前に落ちてきた。
日が沈むと同時に爆音が轟く。
驚いてピチカは立ち止まってしまった。
熱風と強烈な光が襲いかかってきた。
吹き荒ぶ乾いた風の中で、ピチカはうっすらとまぶたを開く。
煌々と輝く火柱が立っていた。
暗闇の中で火柱は、悪魔の化身が笑うがごとく、ゆらゆら揺らめいていた。
ピチカはとにかくからからだった。
目の前の非日常になど興味は持てず、とにかく潤いたくって仕方なかった。
そして、目の前で火炎の塔は崩れ出す。
紅い閃光をまき散らしながら、縦だった炎が左右に燃え広がっていく。
そして炎の壁へと生まれ変わった。
夜から昼になって、今は夕方みたいな色が辺りを支配していた。
ピチカはもう逃げられない。
後を振り返るしかなかった。
予想通り、獰猛な怪物の凶悪な面があった。
怪物は、餌を前にしたかのような愉悦の笑みを浮かべていた。
呼吸が乱れ、疲労は限界に達していたが、恐怖心が紛れることはなかった。
怪物を前にした時、ピチカの恐怖心はハッキリとよみがえってしまった。
危機感で心さえわなわなと震えた。
たまらず頬に電気をためて、放出した。
ピチカの電気ショック。
夕焼け混じりの暗闇で、青白い閃光が瞬く間に乱れ飛ぶ。
怪物に電撃が走る。
弾ける火花と共に電流が怪物の全身を蛇のようにはいずり回った。
しかし、まるで、こうかがないみたいだ。
巨体は微動たりしなかった。
無言で無表情で、まばたきすらしていなかった。
得意の攻撃が全く効かない。
ピチカは無力と絶望を感じた。
怪物はピチカを見下ろしたまま、すうっと前足を上げる。
危険を察し、ピチカは身をひるがえして、跳躍した。したつもりだった。
しかし、体はいうことをきかない。体力が限界を超えていたのだ。
獣の太い足がピチカの背中に重くのしかかった。
硬い肉球と生温い地面にはさまれ、体が押し潰されそうになった。
ピチカの肉体は、ぐにゅっと歪み、窮屈そうな形をした。
2
シオンは木の影に隠れて、遠くの光景を見つめていた。
火柱が立つ。
電撃が光る。
ウィンディがシオンのピカチュウを踏んだ。
その瞬間を待っていた。
シオンは身を乗り出し、走り出す。
「やめろぉおっ!」
叫んだ。
全力で突っ走り、ウィンディ目掛けて、身を投げるようにぶつかっていった。
シオンのたいあたり。
こうかはないみたいだ。
その肉体は鉄のように堅く、重く、ウィンディは不動の姿勢を保っている。
しかし、その直後、ウィンディはたおれた。
ごろ寝でもするかのように横たわってしまった。
シオンの攻撃に効き目があったかのように。
「ピチカ! 無事か! 大丈夫か! 怪我は無いか!」
シオンは声を荒らげ、ピチカに駆け寄り、ひざまずく。
ボロボロになった小さな体を、食い入るように見つめた。
ピチカはシオンをにらみながら、四足になってで後ずさる。
いかにも警戒している様子であった。
――グオオォッ!
地響きにも似た、しゃがれ声の遠吠えが唸った。
シオンの背中に硬いゴムのような感触が突っついてきた。
ウィンディの前足が突いているのだと分かるなり、シオンは大袈裟に痛がってみせた。
「うぐおぉおお!」
悲鳴を上げるかのように叫んだ。
ピチカは目を丸くしながらシオンを見て、身を小刻みに震わせた。
恐れおののいているであろうピチカを、シオンは有無を言わさず胸に抱えた。
ウィンディの弱い攻撃が当たらないよう、身を盾にしてピチカを攻撃から防いだ。
「ピチカ……っここは、ぐふっ、危険だ、がはっ! だから、俺が盾になって、うぐっ、
るうち逃げほっ、ボールの中に隠れうぶっ、るんだ!」
ウィンディは親に構ってほしがる子のように、シオンの背中をトントン突いて揺らしていた。
シオンは体が揺れる度、吐くように悲鳴をあげた。
まるで暴力を受けているかのように、表情を苦痛の色に歪ませて見せた。
そして、ズボンのポケットからモンスターボールを取り出す。
赤と白の玉を前にし、ピチカは無言でじっと見つめた。
そして、小さな鼻で開閉ボタンを押すと、
黄色の電気ネズミは、鮮やかな鉄球の内部へと吸い込まれていった。
この場所からピチカの姿が消えた。
「ウィンディ! 止め!」
何処からともなく、ハッキリとした低い声が響く。
ウィンディがシオンの背中をさするのを止めた。
シオンが起き上がって振り返ると、真っ赤な学生服を着た大きな体格の青年がいた。
青年は、街灯の光と夜の闇との間にはさまれ、
天使なのか悪魔なのか分からないような不気味さをかもし出していた。
ホッタ・シュウイチだった。
3
「迫真の演技だったね」
シュウイチはシオンを見て言った。
「ええ。迫真の演技でしたね」
シオンはウィンディを見て言った。
――ウォン!
ウィンディはシュウイチになでられ、首を傾げながら、気持ち良さそうに目を細めていた。
笑っているような顔つきで、無造作に白髪をくしゃくしゃにされている。
「ね、シオン君。やってみてどうだった?」
シオンに近付き、シュウイチが尋ねる。
「うーん。どうも、手ごたえない感じでしたね。
さすがにピチカも俺になつくのは、まだ時間がかかりそうです」
「そうじゃなくて。シオン君に罪悪感はないの?」
投げナイフのような一言が、シオンの胸に突き刺さる。
ドキッとした。
しかし、シオンは精神力でひるまない。
「……ありますよ、罪悪感なら。ピチカをだましてるわけだし。でも、それが何だっていうんですか?
罪悪感が出来るからと言って、俺がポケモントレーナーをあきらめる理由にはなりませんよ」
力説した。シオンの決意表明だった。
「うん。さすが。そうだよね。そうでなきゃ、
あんな方法でポケモンに好かれようだなんて思いついたりはしない。実行だって出来ない」
「あー……いや、あれ思いついたの俺じゃないですよ」
シオンは、困りつつもキッパリと言った。
「へえ。じゃあ、誰から聞いたの?」
「聞いた、というより見た、だと思います」
「ふむ。それはつまり?」
「テレビアニメでやってました」
「……うん」
興味を持ったのかシュウイチのあいづちに力がこもっていた。
「確かですね。アニメの最初の話で、トレーナーがピカチュウをもらうんですけど、
こいつが全然いうことをきいてくれないわけですよ。
で、まぁなんやかんや色々ありまして、
トレーナーとピカチュウは鳥ポケモンの大群に襲われるわけです。
その時に、鳥ポケモンの攻撃からピカチュウを守ろうと、
トレーナーが身を盾にしてかばうわけです。
どうも、この行動がきっかけで、ピカチュウはトレーナーのことを信頼し始めた、
ってなわけだったんですねぇ」
「……ほほぉ。なるほどねぇ」
シュウイチは輝いた目をして言った。感心しているのだと分かった。
「そのアニメなら僕も昔、見てたよ。懐かしいなぁ。しかし、なるほど。そうか、それでそんな方法を」
「はい」
「いや、でも実に考えられた作戦だったと思うな。
まず君と君のピカチュウが何者かに襲われるようなシチュエーションなんて滅多にありえないからね。
わざわざ敵がうろつくような危険なところに行くとか、
今、君がしたみたいに人為的に作り出すとかしない限りはね」
「はい」
シュウイチが満足げに語り、腕を組む姿をシオンは茫然と眺めた。
生温い夜風がゆったりと流れ込んていた。
無言で男二人が見つめ合うという状況が嫌だったので、
シオンは無理矢理訊きたいことをひねり出す。
「あっ! そうだ。それより、そっちこそ罪悪感ないんですか?」
「え? 僕が? どうして? 何か悪いことした?」
「してるじゃないですか。見張りの仕事場から離れて、こんな所までふらっと来てる」
「ああ。なんだ、そんなことか。いいんだよ。
こんな真夜中に街から出ていこうなんて考えるトレーナーはいないさ。
仮にトレーナーが通ったとしても、
結局この二番道路でここにいる僕とバッタリ出くわすワケだから全然大丈夫なのさ」
シュウイチは当たり前のことのように振舞った。
本当に罪悪感がないみたいだった。
それを見て、シオンも悪びれずに頼みごとをした。
「そうですか。それは良かった。
それじゃあ、シュウイチさんも、あなたのウィンディと一緒に手伝ってくださいよ」
「手伝う? 何を? っていうか、まだ何かする気なの?」
「もちろんですとも」
当然のようにシオンは言う。
「そもそも『ピチカが俺のことを好きになってくれる』、なんて目標はただの過程にすぎない。
真の目的は『ピチカが俺のいうことをきくようになる』ことですから」
「ああ、そういえばそうだったね。そんなこと言ってた。でも、じゃあ、何か策でもあるの?
言っとくけど僕でさえ、ポケモンをメイドさんに仕立てることなんて出来ないんだよ」
「メイドさん? 何の話ですか?」
「いうこときかせるんでしょ?」
「……そういうことじゃありませんよ。そこまでポケモンに求めてない。
ただ、せめてポケモンバトルくらい出来るようになりたいなぁ、と思っておりまして……」
「そうかい。それならイケるね。で、どんな作戦?」
「えーとですね、まずですね、ピチカが四つの技名を日本語で理解しなきゃならない。
それから、俺をもっと信頼、信用してくれなきゃならない。
この二つが大事なワケだから……」
シオンは作戦の旨を伝え始めた。
継ぎ接ぎな説明であった。
要望は多かった。
それでもシュウイチは承諾した。
夜はまだ終わらない。
つづく?
後書
遅筆すぎると、書いてる途中で飽きて来るんですよね。
面倒臭くなって、何で趣味で嫌な思いしなきゃならないんだって感じになって、
「まぁこれでいいか」って言って、納得いかない出来のまま出しちゃうんですよね。
どっちみち、納得のいく作品なんて作れやしないのですけれども。
次回も茶番の続きの予定です。